ストロベリー・ソーイング(河守)
「ねえ、わたしの宝物のひとつをみせてあげる」
そう言ってマイが私に見せてくれたのは、白いドーナツリングの形をしたケースだった。
「開けてもいい?」
「どうぞ」
そっとドーナツケースを横に割るようにして開けると、中には色とりどりの糸を巻かれたボビンが、ドーナツの”中身”にあたる部分に円を描くようにして収まっていた。
「このかわいいドーナツ、まるでボビン虫に食い荒らされちゃったみたいだね」
「虫だなんて気持ち悪い言い方しないでよ、わたしの大事な宝物なんだから」
マイは少し憤慨したように鼻をならして、ケースからルビー色のボビンを取り出した。
「あなたっていつも変なことばっかり言うけれど、でもわたし、実はそんなにあなたのこと嫌いじゃないの。それに今日は気分がいいから、あなたにも一緒に聞かせてあげる。誰かに聞いてもらうのは今日が初めてよ」
マイは大きな窓の側にあるミシン台の前に腰かけ、花婿のように恭しくレースのヴェールをつまんで、その下に隠れたミシンを私に見えるようにしてくれた。
それはなんともアンティークなミシンだった。木板は年期の入った濃いブラウンで、しっとりとした色艶は自らがご主人様達に大事に愛されてきた歴史を誇らしげに物語っているようだった。先端に銀色にぴかぴか光る針をつけたアームはヒョウタンのように奇妙にすぼまった形をしており、それがまた何とも言えない愛嬌を感じさせるように思えた。
慎重に針に糸を通した後、マイはオフホワイトの布地を針の下に敷いて、準備万端、といった感じでこちらを振り向いた。
「どうぞ、聞かせてくださいなお嬢さん」
私がおどけた風にそう言うとまたマイは小さく鼻をならしたようだったが、すぐにぴんと背を張って、コンサートホールのピアノ演奏者みたいにミシンにそっと手をかけた。
マイの、白いソックスに包まれた足が木の踏み板にゆっくりと乗せられる。
カタ、
カタカタ、
カタカタカタカタ……
アダージョ、最初は落ち着いて、ゆっくりと。
そしてモデラート。刻む音は軽やかさを増していく。
木の叩く音の反復。
マイは夢見るように瞳をウットリと揺らしながら、布に置いた手をすべらせる。
私は小さな演奏者の奏でる心地よいリズムの律動の中にすっかり取り込まれていた。
そして耳をたたく音のダンスに興奮した私は貪欲にも、耳だけでなく目への刺激を探しはじめていた。
やがて私の欲深い目はマイの手元、忙しなく働く針のあたりを捉えた。
マイが抑えるオフホワイトの布に針が突き刺さり、次々と赤い筋が噴き出していく。
白の上に踊る赤の、なんと鮮やかなこと!
私はクリームチーズパイをフォークで思いっきり突き刺したとき、中からとろりとジャムがあふれ出してくる様子を無意識に想起していた。
いや、フォークではなく、あれは歯なのだ。腹をすかせたミシンが大きなパイに噛みついているのだ。延びていく赤い点々はせっかちな歯列の痕だ。
柔らかく動くマイの手の肌色とルビーレッドとオフホワイトとが瞳の中で激しく混ざり合って、私はすこしくらくらしてしまう。落ち着きなく手足を動かしてしまう。マイのふっくらとした手までもが、鋭く光る銀色の歯に刺されやしないかと不安で。
揺れた視線は、偶然にもマイの髪飾りにぶつかった。
普段からマイは栗色のふわふわした髪をきれいなリボンでまとめているが、今日のそれは一段と鮮やかだった。
ビビッド・グリーン。青々と輝く草葉の色。
「できたわ」
マイはいつのまにかミシンを止め、赤い点線で彩られたかわいらしいスカーフを首に巻いていた。
リボンの緑と糸の赤がマイの栗毛によく似合っている。
緑と赤。
瑞々しいイチゴが頭に思い浮かぶ。
「ねえ、どう?すてきな音だったでしょう。きれいでしょう。わたし、いろんな音の中でもこの音がいちばん好き。でもね、今日はじめてわかったけど、あなたに聞いてもらうともっとすてきな音になるの。ねえ、どうだった?すてきに聞こえた?」
私はさっきの間考えていたこと全てを正直に彼女に打ち明けた。
「もう、食べ物のことばっかりじゃない。もっとなにか他にいうことないの」
彼女が鼻をならす前にわたしはショートケーキを食べにいこう、と提案した。
新しくできた素敵なケーキ屋さんを知ってるんだ。ちょっと遠いけど、今日こそが最高のショートケーキ日和なんだ、食べに行かなくちゃ。
彼女は鼻をならすのを止めて、私を見上げてにっこりと笑った。
「あなたってやっぱり変ね。でも、やっぱり、嫌いじゃないわ」
マイの頬が、イチゴのように赤く色づいた気がした。
ストロベリー・ソーイング(河守)