にわとりのサナエさん

 にわとりを頭にのっけている人と、さいきん道ばたで頻繁にすれちがうのだけど、その人は麦わら帽子をかぶっていて、にわとりは麦わら帽子の頭がおさまる丸い部分にちょこんとのっかっており、それが立っているのか、座っているか判然としなかったので、ある晴れた日の午後三時頃に声をかけてみた。ある晴れたその日は授業が午前中で終わり、昼食のあと美術部に顔を出し、コンクールに提出するために描き始めたものの、すでに描く気の失せてしまった油絵を少しだけ塗り進めた帰りだった。
 にわとりを頭にのっけている人は、おじさんではなく、おじいさんでもなく、お兄さんだった。二十代から三十代前半くらいの、やさしそうなお兄さんであった。お兄さんはぼくの問いかけに、甘いミルクティーみたいな声で答えた。
「座っているよ、サナエさんは」
「サナエさん?」
「この子の名前」
と言って、お兄さんは白いにわとりのお腹のあたりを撫でた。
「サナエさんは、おれの姉さんなんだよ」
 お兄さんは笑った。お兄さんの笑った顔は、テレビに出ているようなアイドルの人に似ていた。
 にわとりが、お姉さん。
 ぼくはでも、お兄さんはどう見ても人間であるし、にわとりは、にわとりでしかないし、お兄さんの言っている意味はよくわからなかったけれど、お兄さんは悪い人ではないと思った。甘いミルクティーのような声に、洗い立てのシャツの匂いがする人に、悪い人はいないような気がした。晴れた日の午後三時頃であるというのに、ぼくとお兄さん以外に道を歩いている人はいなくて、近くの公園からも、子どもたちの甲高い声は聞こえなくて、サナエさんはうんもすんもいわないで、お兄さんは静かに穏やかな笑みを湛えている。ぼくはさっさとお礼を言って立ち去ればいいものを、お兄さんの微笑みからどうしてか目が離せなくて、お兄さんと向き合ったままで突っ立ているのだけれど、お兄さんも微笑んでいるばかりで一言も発しない。悪い人ではないが、変な人だ。
 それからしばらくして(しばらくといっても、ぼくとお兄さんが無言で見つめ合った時間はおそらくものの十秒くらいなのだが、体感では、五分は余裕で過ぎているような感じがしている)、にわとりを頭にのせたお兄さんがとつぜん、ぼくの右手首を掴み、ぼくの右手を自身の鼻先に近づけた。おどろいてぼくは、からだを強張らせた。お兄さんの熱い吐息が肌を上を、すっと撫でるように滑っていった。
「油絵をやっているね、キミ」
 ぼくの右手の指先あたりの匂いをくんくんと嗅ぎながら、お兄さんは言った。
 ぼくは素直にうなずいて、けれど、知り合ったばかりの男の人にからだの匂いを嗅がれているという状況が恥ずかしくて、お兄さんの手を振り払おうと右腕に力を入れたのだけれど、びくともしなかった。お兄さんの微笑みが、だんだんと恐ろしいものに思えてきた。サナエさんはまるで、はく製のように動かない。
 ほんとうはこのお兄さん、悪い人かもしれない。
 どきどきして身構えていると、お兄さんは、掴んでいたぼくの右手首をそっと離して、それからこう言った。
「おれも油絵を描いているよ」
 ぼくは、はァ、と曖昧な受け答えをしながら、離れていったお兄さんの右手をじっと目で追っていた。指の関節はボコボコと浮き上がっていた、爪は切りすぎではないかと思うほどに短かった。肉が少なく、皮膚のすぐ下に骨があるような感じだった。
「おれはサナエさんばかりを描いているんだけれど、キミは?」
「ぼくは、お母さんを描いています」
「おかあさん」
 ぼくのお母さんはつい一か月前、お父さんが勤めている会社のビルの屋上から飛び降りたのだった。お母さんが飛び降りた日は、お父さんの浮気相手である女の人が取引先の会社の人として、お父さんの会社に訪問することになっていた日で、お母さんはその日を狙って自殺を図ったようなのだった。
 ぼくはお母さんが好きだった。
 それは特別な好きではなくて、自分を産んでくれた母親に、家族に、ごく自然に抱くだろう、無論の好意である。慈しみである。
「髪が長い人でした。料理が上手で、お裁縫はすこし苦手でした」
「そう。そうなの。じゃあ、サナエさんとは反対だね」
 サナエさんはお裁縫は得意だったけれど、料理はからっきし駄目な人だったよ。お兄さんは云った。
 ぼくはお兄さんの頭の上にのっている、にわとりのサナエさんの姿をまじまじと見つめた。サナエさんは小首をかしげ、ぼくのことを不思議そうに見ている。
「大切な人のことを描いているときは、なんだか胸の中がもやもやしていて、ときどき、ほろほろと涙が出てきてしまうけれど、筆が進むよね」
 お兄さんはそう言ったけれど、ぼくは、胸の中がもやもやして、ときどき、ほろほろと零れ落ちそうになる涙を塞き止めるのに精一杯で、カンヴァスに向き合っても、筆が、一ミリも動かないときがあった。むしろ、お母さんの顔を上から黒で塗りつぶしてやりたい衝動に、追い立てられるときがあった。アスファルトに叩きつけられたお母さんの姿を、ぼくは見ていないのだけれど、不意に頭の中にその光景を想像する瞬間があって、そんなときは無性に、お母さんの笑っている顔を描き残しておきたいと強く思うのだった。笑っている、赤いお母さん。
「ねェ、キミ。おれの絵を観においでよ」
「え、」
「キミが、つまんない絵を描いているようなら今日でさよならするつもりだったけど、キミ、いいよ。おれと似てる気がする。それに、サナエさんもキミに興味があるみたいだ」
 握手を求めるかのように、お兄さんはぼくに右手を差し出して、微笑んだ。
 いや、お兄さんはさっきから微笑んでいる。
 微笑みを一度も絶やしてはいない。
 声をかけたときからずっと、お兄さんは微笑んでいたのだが、ますます目を細め、くちびるを歪ませ、あまりにその笑顔が過剰であるものだから、お兄さんは微笑みの仮面をかぶっているのだと錯覚し、ぼくはお兄さんの誘いを丁重に断った。お兄さんの描くサナエさんの絵に興味がないといえば嘘になるが、お兄さんの誘いに応じてはいけないと、もうひとりのぼくが心のどこかで訴えているのだった。
「そう、ざんねん」
と言って、お兄さんとサナエさんはぼくに背を向けた。
「気が変わったらまた声かけてよ。散歩コースなんだ、ここ」
 関節がボコボコ浮き上がった骨と皮ばかりの手を振りながら、お兄さんは去っていった。
 サナエさんとは振り向き様に目が合ったのだが、なんだか怒っているような感じだった。ぼくがお兄さんの誘いを断ったことを、怒っているようだった。ぼくはその日以来、にわとりを頭にのせたお兄さんが散歩コースにしているあの道を避けるようなった。コンクールに提出するための絵を、お母さんの肖像画から、当たり障りのない風景画に変更した。描きかけのお母さんの絵は黒ではなく、赤い油絵具で塗りつぶした。美術部の仲間にも、顧問の先生にも知られないように、朝早く学校に行って赤く塗りつぶした。お母さんが死んだ直後はまっすぐ家に帰ってきたお父さんも、最近は週に二、三日、帰ってくるかどうかといったところだが、ぼくは自立するまでの生活費と学費さえ面倒見てくれれば、お父さんなんていなくてもいいと思っている。お母さん同様、お父さんに対しても抱いていたごく自然の好意や、慈しみは、お母さんが死んだ日に一緒に死んだ。お母さんの肉体と共に焼失したのだ。
 ぼくはひとりでも生きていける。
 友だちにはそう気丈に振る舞っているものの、お笑い番組を観ても、ギャグ漫画を読んでも、音楽を聴いても、インターネットで誰かの日記を読んでも、紛らわせない淋しさに押し潰されそうな夜もある。そんなときはお兄さんの、
「気が変わったらまた声かけてよ」
という言葉を思い出した。明日、声をかけてみようかな。そう思って眠るのだけれど、朝になると結局、やっぱりやめようと弱気になるのだった。あのお兄さんはおそらく悪い人ではなくて、たぶん変な人なのだけれど、深入りしてはいけないような気がした。
 例えるならば、沼みたいな人だ。
 底なし沼。
 足を捕られたら沈むばかりで二度と、お天道様は拝めない。
 コンクールに作品を提出した三日後、にわとりを頭にのせたお兄さんを見かけた。
 お兄さんは、ぼくより年下と思われる男と手を繋いで歩いていた。頭の上には相変わらずサナエさんが鎮座していたけれど、あの晴れた日の午後三時頃よりもはく製っぽさに磨きがかかっていた。
 そういえば最近、ぼくの住んでいる街では、中学生から高校生くらいの男の子が、よく失踪する。

にわとりのサナエさん

にわとりのサナエさん

にわとりを頭にのせている男と男子高校生の、ある晴れた日の午後三時頃の事。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-23

CC BY-NC-ND
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