Aの考録

初めての投稿です。読んで頂けたらラッキーくらいの気持ちで。


それは酷く鮮明に見えた。暗闇の中、何故かその鮮血だけが、ただてらてらと目につく。


衝動的であったようにも、計画的であったようにも感じる。いや、小さい頃から、打算的で、何をするにも計算して動く子供だった。
一度母が父に話しているのを聞いた。
「あの子が怖いわ」
と。
きっと前後にも何か話していた筈だが、その言葉だけが克明に、十年以上が経った今でも頭によぎる。

殺そうとしたのは高校時代からの友人だった。良き友として、卒業した後も連絡を取る数少ない一人だった。
人に話せばこう言われるだろう。「何かあったの?」と。
いや、何もない。喧嘩はおろか、気に障る言動をとられたのでもない。
なら何故?

人とは、自身の限界が知りたくなるものだと思わないか?

自分は多分、世間的に見て頭の良い人間だ。学問的にも、日常的にも。ただその能力が他の物と引き換えに宿った物なら、少々残酷過ぎたかもしれない。
人間として大事な部分が欠けている、と、よく言われる。
それはそうだろう。自分でも分かる。欠けている。人間に心というものが本当に存在するのであれば、自分は人の半分にも及ばない程の心しか持ち合わせていない事だろう。
そして、代償の中で最も残酷だったのは、倫理性の欠如、だと記憶している。これを考えたのは中学時代だ。当時から倫理性は丸ごと抜け落ちていた。最悪な子供だった。
その頃犯罪を犯さなかった理由といえば、利益を感じなかった、それに尽きる。
人殺し、というものには大きく分けて二種類あると思っている。
殺す基準を、無害か有害かで考える人間と、無益か有益かで考える人間だ。
前者は安全だ、ある意味真っ当な人間と言えるだろう。自分に害をもたらす人間に殺意を抱くのは当然の事だ。
後者は危険だ、倫理性に穴が開いている。無益な人間を殺すのではない。殺す事が有益と感じたら殺す。
殺す事を有益と考える、というのは、先回りして「この人物を殺した場合有益か?無益か?」と考える必要がある。つまり、常に人を殺す方に頭を働かせている。

一つだけ、大切な問いをかけたいと思う。長年考えていた事だ。答えが出なかった故に、こんな行動をとったのかもしれない。「人を殺してはいけない」というのは、少し固く言えば「人の人生を奪う権利が無い」とも言えるだろう。これに対して問う。
「人を殺す権利を奪う権利が、誰にあるのか?」
と。

さて、限界に挑戦してみよう。これは有益である。自己を試すため、君を利用する。


友人は、猫のように背を丸くして痛みに耐えている。おそらく同時に、恐怖からも。
瞳孔が開いているのだろう、暗い中でありながら、傷口を押さえる君の指から滴る鮮血だけが、色彩を放っていて。

嗚呼ごめんなごめんなごめんなごめんな。形ばかり、君に懺悔の言葉を吐こうではないか。君を友と出来た事を幸せに思うよ。死後の世界がどんなものか、是非とも教えてくれたまえ。

さようなら、友人V。

Aの考録

暗いですね。こんなの書いてると犯罪者予備軍みたいな気がしてきますが、違います。
どうだったでしょうか。あまり面白くなかったでしょうか。精進します。
何卒。

Aの考録

何を思い、何を行う。

  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-22

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