山笑ふ

「山笑ふ」春の日に照らされて、笑みを浮かべているよう。

小春

 小春は窓を開けて風を通した。真っ暗闇に虫の声が響き、満月の光が辺りを青白く照らしていた。
 ふと遠くに目をやると、山の麓から山頂にかけて、ぽつぽつと明かりが灯っていくのが見えた。月の光とは違い、赤く燃えるような色だった。夜中に灯る火を見て、人はどんな感情を抱くだろうか。恐怖、不気味さを感じる人も多いだろう。暗闇がそうさせるのか、何か得体の知れないものを目にしたような感覚。
 ただ、小春が感じたのは、それらのどれとも違う「懐かしさ」だった。

薫と圭

 小春は昨日見た事を学校で話していた。小学校から仲の良い薫とは、いつもくだらない話をして笑い合っている。
「本当だよ!見たの。山に明かりがぽつぽつと....。」
「まあ、嘘とは思わないけどさ、怖い話みたいじゃん。満月の夜に山に明かりがぽつぽつと...って。絶対怖いよ!」
「でも私、怖いっていうよりも懐かしい感じがしたんだ。昔あの辺に住んでたからかな。」
薫はなにか嫌そうな顔をしている。
「あの山は白雨山っていうんだよ。」
圭が突然話に割り込んできた。
「へえ。初めて聞いた。みんな高山としか言わないよね、この辺で一番高いからって。」
「うん、今は白雨山なんてよぶ人は少ないね。でも、小春が言ってた明かりも本当だよ。白雨山には神が宿るんだ、暗い夜に神様が迷わないようにって、明かりを灯しに行くんだよ。」
「ふうん。圭は何でそんなに詳しいの?」
薫は遠ざかりながら言った。
「僕の家はあの山の麓にあるから、明かりを灯すのもうちの役目なんだ。儀式的なもので詳しい事はわからないけど、良かったら今度一緒に行く? 親に聞いておくよ。」
小春は目を輝かせて言った。
「行く!薫も行くよね?」
こうなる事を察していたのか、薫は姿を消していた。

 窓から入る風が教室のカーテンを揺らしていた。まだ寒さの残る朝だった。

約束

 小春が約束を忘れかけていた頃、圭が話かけてきた。
「明日の夜だけど、大丈夫? 親にはちゃんと言ってる?夜中までかかるからね。ちゃんと言っておかないと。」
圭は同年代の子と比べてもしっかりしていた。小春といると兄妹みたいだった。
「大丈夫だよ、逆にホッとしてた。私が山の事ばかり話すから、そのうち一人で入っていっちゃうんじゃないかって心配してたって。よろしくお願いします。だってよ。」
圭は少し驚いた。
「小春は怖くないの? 薫はあんなに怖がっていたのに。僕だって最初は山に入るの嫌だったな、夜中だし、なんか出そうだし。」
圭は昔を思い出しながら言った。
「私ね、小さい頃にあの山の近くに住んでいたみたいなんだ。その時の事、あまり覚えてないけど。お母さんが言ってた。」
 小春は当時の事を思い出そうと必死だった。確かに住んでいたはずなのに、よく思い出せない。頭の中に浮かんでくるのは、夏の日の真っ青な空と、緑の山だけだった。

新月

 真っ暗な夜、今日は月が出ていない。小春は圭の後ろ姿を見つめながら歩いていた。大人達はあまり話をせず、足音だけが響いていく。小春はそんな光景を珍しく思った。割とよく喋る圭までもが黙って歩いている。それが少し嫌だった。どこか大人びて、遠くの人のように思えて、思わず小春は圭に話しかけた。
「ねえ、この明かりを灯す儀式ってなんていうの? 」
学校では大声で話す小春が、気を使い小声で話かけた。圭はその事が少し可笑しかった。
「灯し。そのまんまだよね、何のひねりもないよ。僕だったらもっとかっこいい名前にするけどなあ。」
圭は笑いながら言った。小春は少しホッとして笑い返した。二人の前には大人達が列をつくっている。聞こえないように少し距離をとりながら、二人はこそこそと灯しの新しい呼び名を考えていた。その小さな笑い声を大人達は微笑ましく思った。
 山の入り口には施錠がされていた。圭の父が鍵を開けると、ギィーと鈍い音を立てて柵が動いていく。緑に覆われた美しい山には似合わない音だった。
「何で鍵をしてあるんだろう。」
小春は独り言のように呟いた。
「昔はね、鍵なんてしていなかったんだよ。」
圭の父が優しい口調で話はじめた。
「こんな山に、鉄製の柵なんて似合わない。だけど少し前、子供が入りこんで迷子になる事があったんだ。この山は神が宿るとされているから、大人ならば入らないんだ。でも何も知らないその子はいつの間にか入ってしまったんだろうね。結局その子は三日経っても見つからず、親御さんは大変心配していたよ。すると四日目になって突然現れてね、みんな大騒ぎだったよ。」
「それで、その子はどこにいたんですか? 」
圭の父は一瞬間をおいて言った
「分からなかったよ。その子は迷子になった四日間の記憶がスッポリと抜けていた。今はもう引っ越したみたいで、元気に暮らしていると良いけどね。さあ、お話はここまで。ここからは道が険しくなるから気をつけて行こう。」
小春は胸がざわざわとしてきた。もしかしたら「その子」とは自分ではないのか、だとしたらなぜ覚えていないのか。小春は四日間の記憶だけではなく、そこに住んでいた時の記憶はあまり残ってないのだ。母から話を聞いた時は、何も疑問を感じなかった。小さい頃の事だから忘れているんだろうとしか思わなかった。でも、何かとても大事な事まで忘れている気がしてきて不安になった。小春は気が抜けたように歩いて行った。

確信

 山の中に設置された台に明かりを灯していく。ひとつずつ、ぽつり、ぽつりりと。小春はその様子を眺めていた。
「よし。これで終わりだよ。小春ちゃん、よくここまで歩いたね。帰りも気をつけて、ゆっくり降りるんだよ。」
「え、もっと上には行かないんですか? 」
「いや、行けないんだ。この先は人が通れる道がない。昔は山頂まで行ってたみたいだが、ここしばらくはここまでしか灯さないようになっている。そういう決まりがあるんだ。」
暗闇で見えないが、確かに人が入れるような空気ではなかった。しかし小春には、木々が悲しそうにこちらを見ているように感じた。風がザーザーと葉を揺らし、まるで「行かないで」と言っているみたいに。
 帰り道は圭と小春が先頭を歩いた。時折、後ろを振り返りながら次はいつ入れるか分からない山を寂しく感じた。帰りたくなかった。
「ねえ圭、灯しは決まった日にやるの? 」
「そうだよ。月に一度かな。今日みたいに月の出てない夜に、神様が迷わないように。次も来る? 」
圭は振り返りながらそう言ったが、小春は返事をしなかった。
「小春?」
圭は不思議そうに見つめた。それでも小春は口を開かず、踏まれた小枝が「ポキッ」と音を立てた。


 私が灯しを見たのは満月の夜だった。そしてそれは山頂にまで続いていた。見間違いではなく、はっきりと目に焼き付いている。まるで気づいてほしそうに、誰かを呼ぶみたいに。

出会い

 女の子が泣いている。僕と同じくらいの子だ、どこから入ったんだろう。
「何で泣いてるの?」
女の子は答えず、涙を流している。さっき降った通り雨みたいに、目から涙が溢れている。しばらくすると、女の子が口を開いた。
「とつぜん雨がふってきて、びっくりして、いつの間にかここにいたの。」
「そっか、でもここは入ってはいけない所なんだよ。」
女の子は自分が悪い事をしたような気がしたのか、また泣きだした。
「ごめん、ごめん、泣かないで。そうだ!お花すき? 綺麗なお花畑があるんだ、少し先だけど、見に行こう!」
女の子の手をとって歩き出した。雲の流れに逆らって歩く。さっきの雨が嘘みたいに日差しが降り注いでいる。
「君の名前はなあに?」
女の子が聞いてきた。
「僕はヒカル。君は?」
「私は小春。この山の下に住んでいるんだ。」
「へえ、そうなんだ。僕はこの山の上に住んでるよ。すごく高いところ。」
「一人で住んでるの?ここは入っちゃだめなんじゃないの?」
ヒカルは何と言ったら良いか分からなかった。でも小春には嘘をつきたくなかった。
「僕は一人じゃないよ、みんなで住んでる。僕たちは最初からこの山に居るからいいんだ。でも小春たちはだめなんだ。そしてそれを決めたのは山の下の人たちで...」
「むづかしくてわからない。」
「そうだよね、ごめん。あ、ほら前に見えるよ!花畑!」
「うわぁ」
そこには青い花がたくさん咲いている。小春は目を見開いて驚いた。
「きれい!こんなの見たことない!」
ヒカルは小春の喜ぶ顔を見て嬉しくなった。小春がずっとここに居たら良いのに。そう思った。
 二人は日が暮れるまで遊んだ。水の中に入ったり、木に登ったり、とても楽しい時間だった。
「そろそろ帰らないとね」
「やだ。私、帰りたくない。ここの方が楽しい。」
小春はわがままを言ったが、渋々帰ることを決めた。
「じゃあ山の下までは送るから、それから先は自分で帰るんだよ。」
「うん。」
歩こうとした途端、小春は足を踏み外し数メートル先まで落ちてしまった。
「小春!小春!」
ヒカルはすぐに駆け寄ったが、小春は意識を失っていた。ヒカルは迷いもせず、自分の住む家まで小春を運んだ。
 その頃には日は落ちて、月だけが二人を照らした。

想い

「驚いた。無茶をする子とは思っていたけど、まさか女の子を抱えて帰ってくるなんて。」
「聞いて、母さん。この子は自分で山に入ったんだ。僕が入れたんじゃない!」
ヒカルは今までの出来事を母に話した。
「分かったわ。とりあえず治療が先よ。大きな傷はないから、意識が戻れば大丈夫だと思うけど。薬を持ってきて、あと毛布と、お水もね。」
ヒカルは言われた通りにバタバタと用意をした。しかしウロウロと歩きまわり、落ち着きがなかった。
「あなたがそんなんでどうするの? 大丈夫だから、ジッとしてなさい」
「はい...。」
それから小春は三日間眠り続けた。四日目に意識が戻り、会話もできるようになっていた。
「小春!良かった!心配したよ。でももう大丈夫!」
「私、ずっと寝てたの?」
「うん。三日も寝てたんだ、体調はどう?」
「何ともない。ありがとうヒカル。と、ヒカルのお母さん?」
「そうよ、こんにちわ。小春ちゃん。」
「こんにちわ...。」
小春は状況が読み込めず、ぼんやりしていた。
「小春ちゃん、あなたが山に入れた事に驚いたわ。山の下の人たちはね、決められた日にしか入れないの。その日にしか入り口が見えないはず。不思議ね、でも嫌な気はしないの。会えて嬉しかった。」
小春はその言葉を聞いて、また涙を流した。その理由は分からなかった。
「ここに住んでいる人たちは、普通の人じゃないの?」
ヒカルと母は顔を見合わせた。
「普通だよ。小春と同じ。別々に暮らしているだけだ。たくさんの理由があってね。」
「さぁ、小春ちゃんはもう帰りましょう。みんなが心配しているわ。私も一緒に送っていくから。」
小春は山の下まで歩いて行った。
綺麗な満月の夜だった。
「本当だ。出口もない!」
「小春は、まっすぐ歩いて行くだけで良いよ。迷わないように僕が見てるから。」
「わかった!また会える?またヒカルと遊びたい!」
ヒカルは少し考えて言った。
「もちろん!小春が僕の事を忘れなければね。」
笑っていたはずなのに、どこか寂しげだった。小春がどんどん小さくなって行く。胸がズキンと痛んだ。
 
 この山から出ると、小春は忘れてしまうだろう。あの花畑も、僕と出会った事も。
 小春のいる所からこの山は見える?
 たとえ思い出せなくてもこの山を見てなにか感じてくれたら良いな。
 明かりを灯しておくから。
 夜でも迷わずにこの山を探せるように。君が忘れても、僕は忘れないよ。

事実

久しぶりに休日に雨が降った。いつもよりも睡眠をとった小春は頭がスッキリししていた。ゆっくりと階段を降りていく。
「おはよう。」
「おはよう、小春。よく寝たみたいね。」
「うん。あのね、お母さんに聞きたい事があるの。」
母は小春の方を向いて返事をした。
「なあに?珍しいわね。」
「うん。昨日、白雨山に行った時に圭のお父さんから聞いたの。昔、あの山で迷子になった子がいたって、それで山に鍵をかけるようになったて。その子は迷子になった時の記憶をなくしていた。それって、私だよね?」
母は沈黙の後答えた。
「そうよ、迷子になったのは小春。あなたよ。」
小春は胸の鼓動が早くなっていくのを感じた。
「その、私は迷子の間だけじゃない!その期間、あそこに住んでた記憶がない!どうして?何があったの?何を隠してるの?」
小春は母を責めた。自分でも驚くほど、強い口調だった。
「黙っててごめんなさいね。隠してた訳じゃないの。昨日、小春が白雨山に行った時から言わなきゃと思ってた。でも、お母さんも全部が分かる訳じゃないの。」
小春は静かに頷いた。母は椅子に腰掛けて話し始めた。
「山の近くに住んでた時、小春は今より少し大人しかったかな。でもあなたはよく家を出ては白雨山に行こうとしてたの。でも実際には行けないのよ。あの山は勝手に入れない。それでも小春は山に出かけて行った。」
母は窓から見える山を見ながら話しを続けた。
「ある日、小春は山に出かけて行ったの。いつものように夕方になれば帰って来ると思った、でもあなたは帰って来なかった。お父さんもお母さんもね、必死になってあなたを探したの。満月の日だった。白雨山には新月の日しか入れない。探しようがなかったわ。もう心配で心配で、しばらく何も手につかなかった。だけどあなたがいなくなって四日目、突然山の方から歩いてきたの。驚いたわ、そして二度と山には近付けない。そう誓ったの」
小春は申し訳なく思った。自分の知らない所で、両親がこんな思いをしてたなんて。
「なぜ、小春があんなにも白雨山に近付くかは分からなかった。ただ、山の神様が小春の事を呼んでいるんだって言う人が多かった。お母さん達は半信半疑で、新月の日に灯しへついて行ったの。そこで、もう二度と小春を山へ呼ばないで下さいって伝えたの。可笑しいでしょ?でも、その方々しか知らなかった。小春が遠くへ行って、帰って来ない気がして怖くてたまらなかった。」
母は涙目になっていた。よほど、心配だったのだろう。
「それで、こっちに引っ越ししたんだ?」
母はコクリと頷いた。
「それで、引っ越しして山から遠ざかると、私のあの頃の記憶も薄れていった...」
「そう。驚いたわ。あなたは記憶を徐々に忘れていったの。お母さんはそれで良いと思ってしまった。結果、あなたを悩ませる事になったのね。ごめんなさい。」
小春はしばらくして口を開いた。
「謝るのは私の方だよ。お父さんもお母さんもそんな思いしてたって知らなかった。何も考えずに動いてばっかりで、ごめんなさい。」
小春も涙目になっていた。母は微笑んで小春の頭をポンポンと軽く叩いた。
「私、もう白雨山に近寄らないから。安心して。灯しにも、もう行かない。」
「そう、ありがとう小春。さ、朝ごはん食べましょう。冷めちゃったけど」


小春は本当の事を聞いて心が落ち着いた。記憶をなくした理由はハッキリとしなくても、両親が自分の事を想ってくれているのが分かった。その事がとても嬉しかった。

呼ぶ人

今日も朝から雨が降っていた。雨の日の登校は辛い。傘を差すのは好きなのに、学校までの道のりが遠く感じた。
小春は傘を閉じようとバタバタと雨を飛ばしていた。すると、クラスの女子から話しかけられた。
「小春ちゃんって、圭くんと付き合ってるの?」
あまり話したことのない子達だった。
「付き合ってないよ!なんで? 」
「この前の夜、二人でいるのを見たから...。」
「ああ!あれは、二人じゃないよ。圭の近所の人たちもいたし、儀式的なものをしてただけで。」
「え、儀式?え?なんの?」
彼女たちが引いていくのが分かった。小春はどこまで言って良いのか分からず、曖昧な言葉を選んだ。
「儀式、そう、ちょっと変わったやつ。目印つけるような」
「目印?」
「うん」
「呼ぶの?」
「え?」
「幽霊とか...。」
「あ、まあ近い。惜しい。」
よく考えたら別に近くもない。
「そ、そっか。圭くんって少し変わってるんだね。なんか意外だった。」
「いや、でも良いやつだから!」
女子達は早足で通り過ぎて行った。

休み時間、薫にその出来事を話をしていた。薫は大爆笑で、笑い声がクラスに響きわたった。
「圭、かわいそー!ただの変な人じゃんそれ!なに?呼ぶの?夜中に?なんか呪文とか唱えちゃうの?」
「いや、私もなんて言ったら良いか分かんなくてさ、とりあえず、なんか呼んじゃう人にしとこかなって」
「なに?呼ばれた気がした」
圭が出てきた。
「いや、圭が呪文を唱えて幽霊を呼び出す話をしてた!」
「なにそのフィクション」
小春は申し訳なさそうに圭に説明した。圭は最初は怒ったが、「ミステリアスな自分を演出できる!」と少し喜んだ。圭は少し馬鹿だった。
「でもさー圭って小学校の頃からモテてたよね、初恋が圭って人も多いんでない?」
「そういうのは当時言ってほしかったよ。」
「ねえ、薫は初恋だれ?」
「私はひかる君だったなー!懐かしい!」
小春は何故かドキッとした。
「あーあのサッカー少年の。小春は?」
「私は覚えてない。でもひかる君て事にしとこ。」
「え、そんなもん?まあ、小春は記憶が薄い部分あるしな。」
「うん、しょうがないよ。」
窓の外からサッカーボールを蹴る音が聞こえてくる。その後も昔の話で盛り上がった。

放課後、小春のいない所で圭と薫が話していた。
「なんか、かわいそうだよな。」
「小春?」
「うん。小春もだけど、もしかしたらさあ、小春に忘れられた人たちだっているのかも。って思ってさ。」
「えー、でもそれは正常な人でも忘れる事あるじゃん。どうでもいい人とかは。」
「いや、そうだけど。初恋の人まで分からないってさ、僕だったら嫌だよ。」
「まあねえ。私も嫌かな。小春がどうするかだよ。ちょっとあとで話してみよう。」
帰り道、三人で並んで歩いた。雨はすっかり上がって気持ちのいい空だった。
「ねえ、小春。記憶が全部戻ってほしいとか思った事ある?」
「う〜ん。あるけど諦めてる。」
「どうして?」
「記憶を無くした理由が分からないから、戻る方法も全く分からなくて。」
「あの、僕の近所に昔から山の近くに住んでるおばあちゃんがいるんだけど、会ってみない?何か手がかりがあるかもしれないし。」
小春は少し考えて答えた。
「この前ね、お母さんに聞いたの。私の昔の話。白雨山で迷子になったのは私なんだって。それをすごく辛そうに話してるの聞いて、もう白雨山には行かないって約束した。心配かけたくないから。」
圭はそれを聞いて少しムッとした顔で言った。
「自分の気持ちは良いの?あの頃とは違うじゃん。十七にもなって、もう子供ではないよ。心配かけたくないのは分かるけど、なんか逃げてるようにも見える。」
図星だった。本当は少し怖い。どんな事を忘れているのか、どんな風景を、ものを、匂いを、人を。知るのが怖い。
「分かった。考えとく。」
小春は小石を蹴りながら答えた。その小石はコロコロと転がり、川にポチャンと落ちた。

山笑ふ

山笑ふ

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-22

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  1. 小春
  2. 薫と圭
  3. 約束
  4. 新月
  5. 確信
  6. 出会い
  7. 想い
  8. 事実
  9. 呼ぶ人