アロワナと「ぼく」

 氷点下三十度を記録した朝にぼくは分裂して、ぼくがひとりではなくふたりになり、食卓に「ぼく」と「ぼく」が相対することとなってからすでに七日が経っている。
 はじめから存在していた「ぼく」と、分裂して生まれた「ぼく」の区別が次第につかなくなってきたが、ちいさなレストランの店主であるおじさんが作るマカロニグラタンは相変わらず美味しいし、おばさんの淹れるコーヒーを目当てにやってくる客はあとをたたない。
 おじさんとおばさんと「ぼく」とのあいだに血のつながりはないが、ぼくたちは家族である。おじさんとおばさんは夫婦ではないが、家族である。七日前に「ぼく」がもうひとり増えたので、おじさんとおばさんと「ぼく」と「ぼく」の四人家族となった。おじさんは三十五歳で、おばさんは四十歳で、「ぼく」は十七歳で、もうひとりの「ぼく」も十七歳で、犬を一匹飼っている。それからアロワナも飼っている。おじさんとおばさんがやっているちいさなレストランはテーブル席が三つ、カウンター席が十席の、レストランというよりは喫茶店に近い店である。アロワナは、テーブル席とカウンター席のあいだに設置された細長い水槽の中を、右から左へ、左から右へ、窮屈そうに泳ぎ回っている。
 ぼくが分裂して五日目の朝だったか、もうひとりの「ぼく」がカウンター席から、アロワナの水槽を見ながら朝食のコーンポタージュを飲んでいた。「ぼく」はアロワナの顔面がどうにも好きになれないのだが、もうひとりの「ぼく」はアロワナのことが好きなようだった。どのへんが好きなのか訊いてみたら「性交したいくらい好き」と答えたので、はやくこいつを抹消した方が「ぼく」の保身のためだと思った。「ぼく」と「ぼく」は一個体としてそれぞれ意思嗜好を持っているが、「ぼく」ももうひとりの「ぼく」も誰が見てもまごうことなき「ぼく」である。もうひとりの「ぼく」がねじ曲がっていれば、どんなに「ぼく」がまっとうを貫き通そうとも周囲の「ぼく」に対するイメージは変わるだろう。「ぼく」と「ぼく」は別物であり、同一なのである。
「アロワナと性交したいやつ」と変人扱いされるのは御免だったので、ぼくは、ぼくが持っていた木製のスープボウルを、もうひとりの「ぼく」の頭頂めがけて叩きつけた。もうひとりの「ぼく」はうめき声を上げてゆっくりと左へ倒れた。おじさんとおばさんはまだ眠っている。レストランは夜のディナーしかやっていないのである。
 もうひとりの「ぼく」が倒れ、ふたつの木製のスープボウルが床に転がった。アロワナは静かに、たおやかに泳いでいる。倒れたもうひとりの「ぼく」の口元に、ポタージュの白いカスがついている。それから、もうひとりの「ぼく」はひとつ、ごほんと大きくな咳をした。咳をした瞬間、たくさんの金平糖を吐き出した。こんもり山ができるほどの金平糖を、もうひとりの「ぼく」はからだのなかから吐き出した。
 もしかしたらこれで消えるかも、と思ったが、もうひとりの「ぼく」が「ぼく」に還ることはなかった。何の根拠もないのにどうしてそう思ったのか、ぼくにもわからなかった。
 もうひとりの「ぼく」は一分くらいしてから起き上がり、何事もなかったように木製のスープボウルを厨房へ片づけにいった。ぼくに向かって「学校、遅刻するよ」と言いながら蛇口をひねり、水をじゃあじゃあ流している。ぼくはなんだか眠くなってきたので、もうひとりの「ぼく」が吐き出した金平糖をアロワナの水槽にぽちゃぽちゃ投入して、それから部屋でもう一度眠った。学校には行かなかった。異物を投げ込まれたアロワナだが、特にこれといった変化は見られず、細長い水槽の中を右へ、左へ、左へ、右へと泳ぎ続けている。
「ぼくも学校に行きたい」と、八日目になりもうひとりの「ぼく」がおじさんに訴え出した。
 おじさんは反対しているが、おばさんは賛成している。もちろん、ぼくは反対である。
 ぼくが分裂しても世界はまわるということを、ぼくは、さいきん、しみじみと感じている。
 おじさんが作るマカロニグラタンは相変わらず美味いし、おばさんの淹れるコーヒーを目当てに、客は次々とやってくる。

アロワナと「ぼく」

アロワナと「ぼく」

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-11

CC BY-NC-ND
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