月の夜にはちみつを食べるぼくは、

 月のきれいな夜には、はちみつを食べます。瓶に詰まった淡い赤黄色のはちみつを、カレーライスを食べるスプーンですくって垂れないよう、すばやく口に運びます。月のきれいな夜に、ベランダで行います。厳密には、月は、別にきれいでなくてもよくて、三日月でも、半月でも、満月でも、どんな色形であろうと、ぼくの視界に映りさえすればいいのでした。月のきれいな夜にはちみつを食べた翌朝は、通学の電車でかならず大好きなあの人と一緒になります。あの人は、ぼくの先輩なのでした。部活の先輩で、他の先輩たちよりもすこし長い髪はつるつるしていて、小さな子どもが体当たりしただけで折れそうなほど華奢で、ナナフシのように細長い腕と脚を持っています。先輩と目が合うと、実に古典的な表現ではありますが、からだに電流が走るのでした。頭のてっぺんから足の爪先まで走り抜けていき、ぼくは身動きがとれなくなるのでした。
 そういえば、はちみつを食べた瞬間に似ています。先輩と目が合った瞬間は。
 甘いのでした。総合して、甘いのでした。とろりとやわらかいはちみつも、すこし目尻の下がった先輩の目も、先輩のまとう香水か、制汗剤のにおいも、舌や粘膜から染み込んでいくはちみつも、共通して甘く、それでいてわずかな刺激を与えてくるのでした。筋肉が震えます。血液の流れが速くなります。神経系の情報伝達が鈍ります。骨にまでは達しませんが、皮膚から骨までの肉や脂肪や血管のミルフィーユみたいな層をじわじわと使い物にならなくしていくような感じがするのでした。電車の中で見る先輩は、部活での先輩とはまるでちがいました。部活での先輩は、仲のいい先輩たちとはしゃぎ騒いでいますが、電車に乗っている先輩はひとり、イヤホンから流れてくる音楽か、英会話か、もしくは落語か、なんらかの音に浸っているのでした。イヤホンは外界との関わりを遮断するためのカモフラージュで、無音で流れゆく車窓の景色を眺めている可能性もありました。なにがしかを考えながら。
 先輩のすこし長い髪の色が、ほのかに赤茶けているのが好きです。
 先輩は美しいのでした。月よりも、はちみつよりも、夏の青空よりも、極彩色の絵画よりも、桜色の貝殻よりも、水を浴びた新緑よりも、先輩は美しいのでした。白い肌が朝の光に照らされ、きらきら光っているのでした。ぜひとも、頭の上からはちみつをかけてみたい。先輩の美しさに磨きがかかると思いますが、いかがでしょうかと、ぼくはぼくに問うのでした。
 ぼくは今、風邪を引いています。
 昨夜、お風呂上りに上半身はだかのまま、月を眺めながらはちみつを食べていたせいと思われます。咳は出ないが、喉が痛い。呼吸が浅い。鼻がつまっている。鼻がつまっているせいで、先輩のにおいがわからない。胸が苦しい。痰が絡んで、思うように唾が飲みこめない。スーツ姿の男の人ふたりと、ぼくらよりも手前の駅で降りる私立高校の女子高生と、おじさんと、おばさんと、それからランドセルを背負った子どもの向こうに、先輩がいます。風邪を引いているので、近づくことを躊躇っています。ですが先輩は、今朝も美しいです。できることならば先輩の膝を、まくらにして眠りたい。そうしたら風邪など、一瞬で治ってしまうに決まっていますよ。せんぱい。

月の夜にはちみつを食べるぼくは、

月の夜にはちみつを食べるぼくは、

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-08

CC BY-NC-ND
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