カフェオレの海
カフェオレボォルのなかに飛びこみたいので、どうかひきとめないで、キミ。
わたしはカフェオレの海で溺れ死にたいほどに、カフェオレが大好きなのでした。カフェオレの次に、キミのことが好きなのでした。
わたしがキミに送った手紙は、一年で五通、いや六通でしたか。キミからの返信はひとつもありませんでしたが、それは当然なのでした。だってわたしは、わたしの住所を記さなかったのですから、返事が送られてくることはまずありえないのでした。
それよりもキミ、さいきん、お顔が変わりませんか?
眼鏡をはずされたせいでしょうか。どうして眼鏡をやめてしまったのか、わたしにはわかりませんが、どんなキミでもわたしは、キミのことを好きでいる自信があります。たとえキミがお店の店員さんに横柄な態度をとる人でも、子どもやお年寄りにやさしくない人でも、花壇に咲いた花を意味もなく踏みつける人でも、地球ではない星の人でも、人類ではなく魚類でも、有機物ではなく無機物でも、わたしはキミのことが好きです。好きでしょう。好きであると思います。カフェオレの次に、ですが。
わたしはきょうも、誰にも読んでもらえない詩を綴っては、自己満足に浸っている。
パソコンは武器です。デスクチェアは防具です。浮かんでくる言葉をどんどん繋げていきます。針と糸で、異なる色、柄の端切れを接ぎ合わせていきます。ですから結局、読者になにを伝えたいかわからないといわれるのですが、かまわないのです。伝えたいことなど、はじめからないのですから、そういわれたって仕方ないのです。カフェオレのなかに沈み溺れたいなど、この地球上で幾人が共感してくれるでしょうか。別にいいのです、共感してもらえなくたって。
そう、書きたいものなど、はじめからないのです。
わたしはわたしの感覚で美しいと想像したものを書き認め、それで満足しているのですから。
ところでさいきん、メディアを通じて、キミの声をまた聴くようになりました。しばらく自重しておりましたが、いつぞやのようにキミにお手紙を送りたいと思いました。できることならば、お会いしたいとも。カフェオレボォルに飛びこんだあとになってしまうかもしれませんが。
そういえばキミのことを相談していた友だちが、この頃すこし、変です。
ジンベエザメのことを、ジンベエザメさんと呼びます。
教会など近くにないのに、リンゴンリンゴンと教会の鐘の音が聞こえると言います。
わたしのことを、お姫さまのようだと褒め称えます。
その友だちが醸し出す甘やかで冷やかな空気に耐えられませんで、わたしは、はやくカフェオレのなかに逃げてしまいたいのでした。キミのいる世界でキミの吐いた二酸化炭素を吸いながら生きていたいと思います。カフェオレボォルに飛びこんだあとに、かならず。
カフェオレの海