グラスフロッグ、そしてベルベット・レイン

 透明なカエルを見た次の日にはかならず、天鵞絨の雨が降る。
 天鵞絨の雨が降ると、公園の池の鯉が水面をばちゃんばちゃん飛び跳ね、名も知らぬ鳥がびゅんびゅんとアクロバティックな飛行を見せ、ちょっとした空中ショーが開かれる。野生のハムスターが列を成して道路をとことこ横断し、黒猫は後ろ足で立ってゆらりふらり踊り狂い、近所で歯科医院をやっているシロクマさんが、休診日でないにも関わらず病院を空ける。うわさでは、車で三十分のところにある水族館のアザラシの水槽の前で、アザラシに見入っているそうである。
 それから、となりの家の犬が人語をしゃべるようになり、犬の飼い主であるキミが自室に閉じこもって、出てこなくなる。天鵞絨の雨が降った日には、キミの瞳にしか映らないものが現れるのだ。ぼくには見えないもの。キミの家族にも、ぼくの家族にも、歯医者のシロクマさんにも、近くのコンビニエンスストアで働くかわいいと評判の女の子にも、バンドをやっている友だちのお兄さんにも、誰にも見えないのだけれど、キミにだけ見えるもの。
 天鵞絨の雨の日の放課後、キミの様子を見に行くと、キミは庭にいた。一時間前に、雨は止んだ。天鵞絨の雨が降ったあとは、空気が生温くて重く、腐った海のような匂いがする。そういえば透明なカエルを、今しがた家の前で見かけたことを、すでにしゃべらなくなった犬と戯れていたキミに伝えたら、キミは犬のことをぎゅっと抱きしめ、かたかたと震え出した。薄着で、吹雪の中においていかれた人みたいだと思った。犬は、ダックスフントであるが、ふつうのダックスフントよりも胴体がすこしばかり長いような気がしている。ぼくは犬が苦手で、どちらかといえば哺乳類よりも爬虫類の方が好きなのだが、シロクマさんのことは好きである。あと、キミのことも。
 しゃがみ震えるキミの横に立ち、ぼくは天を仰いだ。
 透明なカエルを見て思い出すのは、キミが、好奇心で透明なカエルにカッターナイフを突き立てたときの光景だ。仰向けで手足をぴくぴく痙攣させ、血なのか体液なのかよくわからない液体が、カエルの腹から溢れる瞬間を見たぼくは、キミの家の庭から逃げ出して、すぐとなりの自分の家のトイレに駆けこんで、食べたばかりの昼食の焼きそばをすべて吐き出した。ぼくもキミもまだ分別が曖昧な子どもで、同情よりも好奇心が勝る子どもだった。キミが、キミにしか見えない何かが見えるようになったのが、その翌日の天鵞絨の雨の日からであるが、ぼくには変わった何かが見えた例はない。
 透明なカエルは一年に一度、見かける。
 つまり天鵞絨の雨も、一年に一度は、降る。
 ふだんは明るく、くだらないことではしゃげるキミが、この日ばかりは幽霊のように青白い顔で、何かに怯える。
 天鵞絨の雨に。透明なカエルに。キミにしか見えない、何かに。
 ぼくは犬を抱きしめたまま震えるキミの頭頂部を、そっと撫でた。抱きしめられたダックスフントが、嫌そうにもがいている。
 生垣の向こうに、歯医者のシロクマさんが歩いているのが見えた。
 シロクマさんの口の周りが赤かったので、水族館のアザラシを食べたのかもしれないなァと思った。

グラスフロッグ、そしてベルベット・レイン

グラスフロッグ、そしてベルベット・レイン

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-01

CC BY-NC-ND
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