火炎樹の下で

愛するイサム。
 あなたと最後にお会いしてから、ずいぶん長い月日がたちました。
 あなたが故郷の日本に帰ったとエラに聞いたのも、だいぶ以前のことです。ずっとあなたに会っていないのに、この頃になって不思議とあなたのことをよく思い出します。私はここ数年、ほとんどベッドの上で過ごしていて、最近はもう痛み止めの薬もよく効かなくなり、意識が戻ったりすぐまた夢の中にひきこまれたり、という状態がずっと続いています。目が覚める時は必ずひどい痛みが伴うので、やはりちゃんとした思考はできません。ナースに頼んで背中にデメロールを射ってもらい、痛みが和らいで少しずつ眠りにひきこまれていくまでのしばらくの時間が、今のところ毎日の生活の中で唯一の安らぎの時です。その短い時間のうちに、突然意識がくっきりとする時があるのですが、そんな時、なぜかあなたの顔を思い浮かべます。もう二十年近く前の、あの日々の思い出が、父の写真館に飾られた写真のように、明確な輪郭を持った場面になって、次々と現れては消えてゆくのです。
 この間、こんな夢を見ました。サクラの花の夢です。私はサクラの花を見たことがないので、夢の中でそれがサクラだと思っていたのですが、きっと以前あなたから聞いた日本のイメージがどこかに残っていたのでしょう。夜の闇の中で、薄い紅色の小さな花を一杯につけた大きな木が一本立っていて、全体が少しずつ震え、まるで生き物のように呼吸しています。私は根元の草の上に横たわっているのですが、私の胸はざっくりと開いていて、左の胸の脈打つ心臓から何本もの血管がのびてゆき、そのサクラの木につながっているのです。サクラの木と私は血管で結びつけられているので、その小さな無数の花びらの一枚一枚まで、私の身体の一部となり、風のそよぎも、夜の空気ひんやりとした湿気も、その花びらや木の枝を通して感じられてきます。サクラの幹の内部にある樹液のかすかな動きまで、体内の血液の循環のように、私の神経に触れてくるのです。
 やがて疾風が吹き、木の枝がざわめき、たちまちのうちに花びらが散りはじめます。ついその時まで私の一部だった薄いピンクの花びらが、風にくるくると舞ったかと思うと、動けないでいる私の頬に散りかかってきました。サクラの木を揺らす風の圧力が、血管を通じて私の全身に感じられ、私はいつのまにか木そのものになっていました。闇の中に立ち、風にそよぐサクラの木。根元には、血管でつながった私の身体があり、じっと黒目を見開いてこちらを見上げているのでした。
 なぜ実際に見たこともないサクラの夢など見たのでしょうか。目覚めたとき、そこにはコヨアカンの青い家のベッドの上で、天井に取り付けた骸骨がいつものように私を見下ろしていました。壁にはたくさんの人形。その中に、日本の少女の姿をした、黒髪の赤い着物の人形もあります。あれはイサムのプレゼントだった、とその時思い出したのですが。
 イサム。
 あなたは今、日本でどのような毎日を送っているのでしょうか。大戦が終わってからだいぶたちますが、日本はもう復興を遂げましたか。メキシコは今世紀、ずっと動乱の時代が続いているようなものだから、ディエゴと私の生活にもいろいろなことがあり、あっという間に時間が過ぎてしまいました。私はこれまでに三十二回も背骨の手術をしたことになるのですが、具合のいい時には合衆国にも行ったし、いろいろと無茶なこともしました。
 三十年前、十七歳の時にバス事故で重傷を負い、ようやく命をとりとめたあの日から、私の人生はゆるやかな衰滅との闘いそのものでした。私はメキシコ人らしく、死と親しくつき合い、死神と戯れ、絶えることのない身体の痛みと戦ってきたのです。車椅子から立ち上がり、軽やかにステップを踏み、思う存分動き回ることができたら、と何度思ったことでしょう。私はダンスが好きだし、人一倍動き回ることが好きなのに、今までの人生の多くの時間をベッドや車椅子の上で過ごさねばならなかったのは皮肉なことです。私は運命なんて信じていませんが、私の場合には、この脆弱な肉体というものが、人生の試練として与えられていたのかも知れません。
 この青い家は、あの頃のままです。父は亡くなりましたが、妹のクリスティナは元気です。もう一度あなたにお会いできたら、と思います。イサム、それができさえすれば・・・。どうかくれぐれもお元気でお過ごしください。
 いつもあなたのことを思っています。
                    フリーダ

 フリーダ。
 僕はずっと今まで、君のことを忘れたことはありませんでした、と言ったら、信じてくれるでしょうか。僕は今までに多くの、いろいろな国の女性に会いましたが、君とともに過ごしたあの短い日々は、今となっては取り戻すすべのない、痛みを伴う特別な思い出となっています。
 実際、僕はあのとき、君の夫のディエゴに殺されるところでした。後で君もディエゴも僕も笑いころげたけれども、ディエゴがあの巨体で銃を振り回して追いかけてきた時には、僕は笑うどころではありませんでした。僕は画家としてのディエゴ・リベラを心から尊敬していたし、大切な友人だと思っていましたから。
 君に初めて会った時のことも、はっきりと覚えています。あれは千九百三十五年の夏で、メキシコシティーのディエゴの工房に僕が訪ねて行った時のことでした。ディエゴ・リベラの壁画をニューヨークで初めて見て感動させられ、制作の仲間に加えてもらえたら、と思ったのはそれより一年以上前でしたが、リベラの年若く美しい妻のことは、噂で聞いて知っていました。ディエゴの妻が彼よりも二十一歳も年下で、いつもメキシコの民族衣装を着ていて、まるで人形のように見える小柄な女であること、その外見に似ず、精神力の強い、毒舌でユーモア好きな性格であること、病弱だが、自分でも絵を描いている、ということなどを。
 僕があの年、メキシコ政府の壁画制作の話だけを頼りに、ふらりと初めてメキシコへの旅に出かけたのは、ディエゴ・リベラに対する敬愛や、メキシコへの興味だけではなく、話に聞いていたディエゴの妻へのほのかな憧れもどこかにあったからかもしれません。そう、僕は女性が好きだし、僕の今までの人生は多くの女性抜きでは考えられませんでした。そのことは認めましょう。けれども、コヨアカンのあの青い家の庭で、名も知らぬ原色の熱帯植物に囲まれて立っているテワナ衣装の君を見たときは・・・やはりあれは僕の人生の中で特別な瞬間だったと思うのです。
 君はいわゆる典型的な美人ではないけれども、何か凛としたおもむきがありました。小柄で細く、神経質そうな感じがしましたが、弱々しくはなく、むしろ中性的で少年のような雰囲気でした。右と左の眉毛がくっきりと額の真ん中でつながっていて、鋭く冴え冴えとした黒い瞳がまっすぐ僕を見つめていました。深紅の竜舌蘭と濃厚な緑に包まれて、白い民族衣装とマヤの石のネックレスをつけ、髪に生きた花を飾った君は、マヤの女祭司のようでした。まわりの植物と一体化して、燃え上がる炎と見がまうばかりでした。
 僕はその瞬間に、恋におちたのです。
 ひとたび口を開けば快活で、辛辣な言葉が次々飛び出してくるのに、黙っているときの君は、やはり初めの印象の通り、むしろメキシコの大地とマヤの歴史にそのままつながるインディオの血を感じさせました。鬱蒼としたユカタン半島のジャングルに棲む猫科の猛獣のような激しい非合理が、繊細なヨーロッパ風の理性と雑然と同居していて、時によりどちらかの要素が強く現れる。そんな君の豊かな表情の変化が、やはり混血の僕にはとても魅力的だったし、また理解しやすいものでした。君は、僕が漠然と思い描いていた「メキシコ」そのものだったのかもしれません。
 僕はあの時、燃え上がる炎に焼き焦がされてしまったのです。
 その後のことは・・・君とともに過ごした時間を、僕ははっきりと思い出すことができます。あの短い日々は、僕が本当に「生きた」といってよい時間でした。
 日本に帰ってから、僕は父の国の芸術に惹かれ、キタオオジという陶芸家と親しくつき合っています。メキシコのことは、折に触れ思い出しています。君のことも・・・また君に会える日があるでしょうか。
 遠く海を隔てて、君のことを思っています。
 幸せを祈っています。愛しいフリーダ。
 どうかお元気で。
                    イサム

 イサム。
 海の向こうにある日本のことを考えるとき、いつもあなたの思い出につながっていきます。日本に行ったことのない私にとっては、あなただけが日本をイメージする時の入り口になりますから。
 私はハンガリー系ユダヤ人の父と、インディオとスペインの混血の母との間に生まれたので、ヨーロッパの伝統とも、インディオの伝統とも血でつながっています。あなたもアメリカ人の母と日本人の父親との間に生まれた人だから、よく似たところがあるのかもしれない。全く別の国に生まれ育った私たちが、会ってすぐにお互いを理解できたのは、そのせいもあるかもしれませんね。
 あの日々、私たちは狂おしいまでにお互いを求めていました。本当にどうかしていたのです。私たちはまだ若かったですものね。
 あなたの身体の感触も、息づかいも、こんなに生き生きと思い出すことができるのは不思議です。今の私はほとんどベッドから動けないのに・・・。ナースのエスメラルダは今の私の恋人です。彼女は本当に献身的に私の看病をしてくれます。時には私の身体を抱いて、優しく痛みを和らげようとしてくれます。デメロールを射つとき、私の背中はもう注射の痕だらけで、柔らかな皮膚がほとんどないと言って、彼女は涙を流すのです。
 私にとって、痛みはすでに親しいものです。この三十年というもの、痛みとずっとつき合ってきていますから。死と闘いながら、死は敵ではなく、親しい友人のようでもありました。痛みがあるのは、私が生きているからに他ならないのです。痛みとともに、私は命を感じることができます。
 今日の夢の話をしましょう。
 私はマヤの太陽の神殿の頂上に寝かされていました。
 空には太陽が輝き、抜けるような青空です。そう、そこは供犠の神殿でした。
 白く長い服を着た神官が、石の刃をふりかざし、私の胸を刺しました。激しい痛みとともに、おびただしい血が流れ、まだ脈打っている私の心臓が取り出されます。神官はその心臓を頭上にかかげ、太陽の光に当てるのです。
 血のしたたる、脈打つ心臓。・・・それを私は下から見ています。まぶしい陽光に照らされて。
 目覚めた時、いつものように背骨が痛んでいました。エスメラルダが私の顔を覗き込んでいました。私は彼女に笑いかけました。私のところに死神が近づいて来ているのです。親しい友人のような死神は、すべてをその手で奪うでしょう。あなたの思い出も、この肉体の苦しみも。
 こんなにも死の隣でずっと生きてきたために、私は生命をかえって深く愛することができるようになりました。 
 いつかあなたと、熱帯の燃えたつ火炎樹の下でお会いしましょう。
                   フリーダ


 妻フリーダ・カーロ・リベラは、一九五四年七月十三日永眠いたしました。
 生前のご厚情を心より感謝いたします。
                 ディエゴ・リベラ

火炎樹の下で

火炎樹の下で

20世紀半ばのメキシコの女性画家フリーダ・カーロと、日系のアーチストイサム・ノグチが、50歳ごろに若いころの恋愛関係を思い出し、手紙のやり取りをするという書簡体小説です。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-23

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