One room

プロローグ

大学の入学式を明日に控えた僕は知らない土地の知らない列車に乗っていた。すしづめ状態の車内に戸惑いながら、僕は正しい電車に乗れたかを何度もケータイで確認していた。地元ではいつも1時間に一本しか走らなかった1両編成の列車もこちらでは、3分に一本、12両編成である。それだけあっても人を目一杯詰め込んだ12両の列車は環状線とやらをぐるぐる回るらしい。僕は人の多さに驚嘆した。ここ最近は肌寒い日が続くがそれでも列車の窓ガラスが人の熱気で内側から曇る。景色も見れず僕は自分の目の前にあったお弁当屋さんのポスターを一語一句暗記してしまった。夕ご飯の事を考えながらいるとどうやら目的の駅まで到着したようだ。ドアが開き少し涼しい風が吹き込み、車内の濁った空気を循環してくれた。申しわけ無く人を押し退ける形で何とか電車から降りることができた僕は、車内で直せなかった靴紐を締め直し、大きく深呼吸をした。淀んだ空気を肺に取り込み、自分が少しこの街に順応できたような気がした。

one room

ガチャリと鍵を開けた。
ドアを開けるとそこは狭い部屋の中にいくつも段ボール箱が積まれていた。小さなワンルームの部屋だが1人暮らしなら妥当な大きさだ。ユニットバス、キッチンは玄関のすぐそばにある、ベットで部屋の半分くらいは埋まってしまう。日常生活に必要な物を小さな箱に押し込んだような部屋だ。今朝の電車もそうだ、小さな箱に人を出来るだけ詰め込む。人口密度が高くなればひと1人が使える面積は狭くなる、ただそれだけのことなのだ。段ボールを片すのは後にして僕はカーテンを開けて窓を開けた。澄んだ少し肌寒い風を感じた。傾斜50°はあろうかという心臓破りの坂を登った小高い丘の上にある。窓からの景色はそれなりの高さがあり、小さなアパートの2階でも自分一人の部屋から見下ろす新たな土地の街並みは、何か漠然と自分の胸に打つものを感じた。涼しい風を肌で感じ外の明るさを見てふと腕時計を確認する。もう18:00を回っていた。この小さな部屋にたどり着くまでかなりの時間と体力を消費していたことに気づいた。大きく伸びをして背中の筋肉を伸ばすとどっと思い出したかのように疲れが体全体を回っていった。1度疲れというもの意識すればそれはしつこく絡みついてきた。空腹への欲求を脳は睡眠の欲求へとシフトした。脳から送られてくるの欲求のまま僕はマットしかないベットに飛び込んだ。

水泳の飛び込みのようにベットにダイブした僕は心地良さと同時に違和感を感じた。体に何か硬いものが当たった感じがしたのだ。マットを触って見て感触を確かめると、マットの下に何かかたいものがあることを発見した。マットを引き剥がしてみると小さな箱が置いてあった。一辺が10センチくらいの白い箱だ。なんの嫌がらせかと思ったがその箱は、前の住人の忘れ物やゴミにしてはなんとも言えない存在感のようなものを放っていた。ゴミにしてはあまりにもその箱の表面はとても綺麗に磨かれていて、傷一つ付いていない。つまり箱の面は金属のを素材でできていた。その箱はでただの箱であってなんの商品かと言われたらわからないがきっとこれは新品としか思えないような初々しい輝きを放っていた。
カチッと音がした。
その箱には蓋が付いていた。切り忘れていた長い爪を蓋の隙間に食い込ませ蓋を開けた。特にのり付けや鍵がついているわけでも無くその箱は思いの外簡単に中味をさらけ出した。大きさから言って何か指輪とかアクセサリーでも入っているのかと予想していたがどそれは大きく外れた。中には赤い色のボタンが入っていた。一つの大きなボタンは見事にその箱にちょうど収まり、そのボタンも押された形跡は見受けられない。深まっていく謎に僕は少しずつ胸の高鳴りを感じていた。僕は小説を読むのが好きだ。SFとかミステリーとかのジャンルがたまらなく好きで気に入った作品の事や、ミステリーとSFの定義など一日中語れる自信がある。もちろん文系の大学に入学し、今この部屋にいることは言うまでも無い。そしてこのワンルームで僕は赤いボタンが入った箱を発見したのだ。大家に相談することもゴミとして捨てることも選択肢として消え去っていた。ゴミなら分別がよく分からないし、そもそもこれは日常から逸脱した物語の始まりを予感させる僕の運命的な出会いだ。大家になんて相談できない。いや、相談したくない。僕はこの物語の主人公としてこの箱に入った赤いボタンに思慮をめぐらせていくのだ。

One room 2

目が覚めるとそこは真っ暗な暗闇の中だった。寝ぼけながらハッとして僕は手当たり次第に部屋の明かりのスイッチを探した。
ボンという鈍い音ともに僕は右足の小指に痛烈な痛みを感じながら、何とか部屋の明かりをつけた。段ボールに足の小指をぶつけたことに気づき、その部屋の様子は18:00に来た時と全く変わっていなかった。どうやら寝てしまったいたらしい。腕時計は21:24を指していた。段ボールを開けて一つずつ片付けようとした時、視界にあの箱が入るのを感じた。ベットの上に置いたままの箱を見て僕は夢ではないことに胸をなでおろした。段ボールの片付けをほうっておき、箱をもう一度手に取った。

やはりボタンを搭載した箱は何度考えを巡らせても、異質であった。ボタンという事は壊れていない限りそれは押せば何かと連動し機能する。前の住人の可能性である事は高いが、ボタンは無機質な金属な箱に入っている事でことさら異質さを際立たせている。用途が全く想像できないのだ。おもちゃにしたらもできすぎているし、こんなボタン1つをリモコンとしては使用できない。今まで愛読した数々の小説を思い出したが、そのパターンでいくと大概押せばろくな事にならない。一時の幸福プラスその代償があったり、皮肉な結末に堕ちていくこと間違い無しだ。だがこのボタンは何の説明もなさすぎる。押すか押さないか1か0かしか無い。だが不安を押し抜けるほどの好奇心が自分の胸を染めている事に我ながら呆れていた。押してみたい、ただそれだけの好奇心が臭い考察も読書の知識も無下にできることに気づけたことは大きな収穫だ。僕はベットの上に正座をし自分の目の前にその箱を置いた。大きく深呼吸し震える指をボタンの上に添えた。ごくりと生唾を飲み込むと同時に指に力を入れた。脳から発せられた電気を受信した右手は、比較的ゆっくりとした速度でボタンを押した。
カチッという音がこの小さな部屋で、嫌に耳に残った。額と脇に薄い汗をかいていたことに気づいたが、汗よりもボタンを押して起こる出来事を待ち構えた。ボタンを押してから5分が経過し正座を崩して自分の身の回りを確かめてみた。みた所部屋に変化は全く無く、段ボールを意味も無く端から開けて行った。数日前に自分が用意したわかりきった荷物しかもちろん入っていなかった。カーテンを開け、窓を開けて見ても景色は何も変わっていなかった。ケータイやテレビでニュースをチェックしても何も変わらず、ボタンを押しても何も世界に変化は起きていなかった。僕はボタンをまた押してみた。2度目のボタンを押す所作にためらいや緊張は何も無かった。3度目、4度目とボタンを押した。僕は箱を思い切り投げ捨てた。箱は壁にぶつかり狭い部屋の中で転がった。

薄々気づいていたかも知れない。非日常は訪れ無かった。投げるほどの怒りは箱に対してでは無く、訳のわからない妄想に取り憑かれた自分自身に対してだった。何とも言えない恥ずかしさと明日から始まるなんの変哲も無いであろう大学生活に僕は落胆していた。夢も無く何と無くで大学に入った僕はこれからの生活になにを以って挑めば良いのか分からなくなっていた。今までだってずっとそうだ人に合わせてきた人生を歩み、それに疲れて1人でいる事に安堵を覚えるようになった。誰かがこの生活を壊してくれるのを期待している。この小さな部屋もこれからの不安を際立たせているのかも知れない。

箱とボタン

その箱は、どこからとも無く現れた。多くの日常に怠惰を感じる人々の元へ現れ、淡い期待と深い絶望を味わせていた。非日常を求め、箱を開ける人は多かった。箱は箱という姿だけで無く様々な形に姿を変え、様々な出会いを生んでいた。しかしそこに物語が生まれることは無かった。変わらない日常をまた続けていく。これからもずっと。

One room

One room

  • 小説
  • 掌編
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-19

Copyrighted
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  1. プロローグ
  2. one room
  3. One room 2
  4. 箱とボタン