サヨナラ逆転×××

サヨナラ逆転×××


荻野 小柚は、人と歩調を合わせられない。

其れに気がついたのは、荻野と出会った三ヶ月後のことだった。いつものように横でスピーカーになる彼女を教室まで送り届け、トイレから出て来る一年女子とすれ違った。明るい髪色が散らばっている。
「調子のんなよブス」
明らかな悪意の塊に目を見開くけれど、当の本人はしれっと笑っている。たらりと、こめかみから汗が流れ落ちるのは夏の所為だと思いたかった。どうして、隣で聞いていた俺の心臓の鼓動が止まないんだ。荻野は慌てる様子ひとつ見せないで、まるでそれが、当たり前だとでもいうような。それどころか、
「脂のってるブスにそれ、言われたくなかったなー」
完全に煽っていく姿勢は勇ましい。逞しく育ってくれて先輩とても誇らしいぞ。だけどそうじゃないだろ、荻野。あんだけ気の遣えるお前が、一番身近な人間関係をおざなりにするなんて、本当は知りたくなかったんだ。

「あのね、先輩」
下から見上げられるのにはもう慣れた。今はもう、その黒い目を穴があくほど見つめられる。瞳の奥まで見つめられる。
「あっし、嫌われ者なんだよ」
薄っぺらさを感じる笑みに、どうして何か、喉に引っかかる心地がするのか。

陽の落ちた空き教室に2人。荻野はいつもみたいに喋らない。喧騒に喧騒を重ねるような、くどい話し方はしてこない。
いつもは聞き流すだけだった荻野との会話。頼むから何か喋ってくれよと、この俺が思ってしまうんだからこの世も末期だ。
「…随分、」
ふいに荻野が口を開く。悶々と巡る思考回路を一旦置き、右耳に全神経を集中させた。
「先輩らしくないやり方だよね」
そう呟いてプラプラ掲げた左腕。白く細い手首が赤くなってるのを横目でしっかり確認し……確認し……え?
「えっ!?うわ!!ごめん!!!」
食いつくように駆け寄って手首を掴む。冷たい肌に触れる躊躇もぶっ飛んで、気付く暇を与えないほどに。
しまった、強く握りすぎた。
「ご、ごめん荻野。俺、こんなつもりは……」
「…わかってる!ノーカンノーカン!そんなことより……」
ニヤリ、企むような顔は何度拝んできたことだろう。
「まさか先輩が!あの先輩が!あっしの手を掴んで教室から走り去るなんて!!」
「うっ…」
「小柚はびっくりですよ!引っ込み思案な先輩の成長っぷりに、感服ですよ!」
無駄に目を光らせて、こちらに詰め寄ってくる姿に後ずさりをする。と同時に、先程の出来事が脳内でリプレイされて頭が重くなった。目立ってしまった。今迄ずっと避けていたのに。よりにもよって後輩の前で。間違いなく吐ける、今なら。
途端にしおれた俺をからかうように、荻野のマシンガントークが炸裂する。内容はいつも通り野球とか、家族の笑い話とか。
会話の主導権が手元から消えてホッと一呼吸……してみたものの、胸が煮立つようなこの感覚はなくならない。むしろ、さっきよりも強くなっている。鈍い痛みになっているような。
「さ、帰りましょ!流石に教室の奴らみんな帰ったでしょうに」
くるり、身を翻して笑う荻野。教室のドアをガラリ開けて、サッサと出ていこうとする。
いつも通りだ、何の問題もない。
荻野はいつだってペラペラ喋ってはいたのに、自分に関わることはそんなに話さなかった、気がする。ああ、受け流してしまっていた過去の自分を憎いと思ったことなんて、きっとこれほどないっていうのに。
それが自分をひた隠しにする術であったら?あいつが無意識に、手を差し伸べて欲しかったとしたら?
答えは出ている。度胸はない。だって教室を出てしまえばきっと、今日のことなんてなかったことになるんだから。荻野に任せさえすれば、それで終わるんだから。
だけど小さな震える背中を見た瞬間、俺の手は再び荻野の手首に吸い込まれる。
振り向かない前方30センチに、間髪いれずに注ぎ込むことば。
「それじゃ駄目だろ、荻野」
喉をつっかえて暴れていたものが漸く飛び出したことに、わかりやすく安堵が漏れた。

第一印象は変わった後輩。第二印象はスピーカー。
綺麗に切りそろえられた黒髪ロングヘアに、ミニスカートと長い脚。ここまでは普通の女子生徒。
そう。頭に被ったキャップと、背中に94と書かれたジャンパーを除けば、普通の女子となんら変わらない筈だった。
それは何処かの野球チームのものらしい。有名なチームらしいけど、生憎スポーツには詳しくない。
所属している図書委員会が終わり、教室の隅っこでそそくさと帰る支度をしているところに飛び込んできた後輩。
それがたまたま、荻野 小柚だったのだ。

「日が暮れるまで、あっしが話題ふっかけるまで喋れなかった癖に」
今更呼び止めてなんなんですかと、その声はか細い。そのとおりだ。連れ出しておいて何を話すわけでもなく、広い教室に、沈黙の中に荻野を閉じ込めて。
俺の影にすっぽり収まるくらい小さな荻野は、一向に頭をあげようとしない。
「用件をどうぞ。簡潔に。三秒以内で。ハイ」
「えっ、なっ……っと、」
「ワンナウト!」
吃った声で潰れるチャンス。待ってくれ、自分でも何を言いたいのかがわからない。ただ止めなきゃいけないと、本能的に思っただけなんだから。
手が震える。間違った言葉はかけたくないのだ。傷つけることの恐さは、きっと俺の方が知っている。自分の鈍感さをここまで呪う日も早々なかった。
「じゃあなんだったら満足するんですか…」
「先輩はあっしに…変わって欲しいっていうんですか」
「違う」
それは違うと咄嗟に出てきた台詞。
「だって、自分のこと話さないだろ、お前」
「荻野のことわからないのに、どうこうしてほしいなんて言えない」
「…それでわかって貰おうなんてのは、百年早い」
「い、言いすぎた。50年、いや、30年だ」
顔を上げる気配のない荻野に言葉をかける。(続く)

サヨナラ逆転×××

サヨナラ逆転×××

荻野 小柚(おぎの こゆず) と 先輩と 一つの夏。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-18

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