境界はどのくらい、必要ですか。
どのくらい、つくろうか。
 境目なんて、曖昧でいいのに。
 境界なんて、引かなくていいのに。
 どうしてみんな、造っちゃうんだろう。
 なんで、はっきりさせたがるんだろう。
 色の名前だって、細かく言えばキリがない。
 おんなじ色にだって、ちがう名前がある。
 異なる色にだって、おんなじ名前がある。
 みるひとによって、その色の名前は変わる。
 みる時にも、みかたに依っても、色は変わる。
 そんな色に、ひとつの名前をつけて確定させることなんて、できない。
 なのにどうして、名前を付けたがるの?
 境界を、造ろうとするの?
境界なんてないから、色はキレイなのに。
 漠然としたものにだって名前を付ける。
 生物に、名前を付ける。
 感情にだって、名前を付ける。
 状態にも、名前を付ける。
境を、はっきりさせようとする。
 そうすると、名前があると、表現できるから、安心かもしれない。
 そうしないと、名前がないと、伝えられないのは、不安かもしれない。
でも、名前を付けられて、ソレは他とは違うんだってつきつけられて、うれしいばかりじゃない。
 違いは、あってもいい。
 でも、曖昧なそれを無理矢理に確定させて、同じにしてしまうのは、間違っていると思う。
 曖昧な境目は、確定させることなんてできないのに。
 名前のないそこに、境界線を増やさなくても、感じられればいいのに。
それができないから、今日もみんなは境界を造る。
境界はどのくらい、必要ですか。