通夜の復活

 その死体は死んでは居なかった。なので、暗い棺桶の中で突然目を開けた。
最初は寝室に居るものだと思って、いつも真上にある電気の紐へ手を伸ばした。その手が何かにぶつかることによって、ようやく自分がいつもと違う状況にあることを理解した。
「おい、誰か居ないのか」
 闇の中に声が響く。籠った反射の具合から、どうやら自分が狭い空間に閉じ込められていることに気が付いた。
 自分の置かれている状況に思い当たることがあったようで、彼は両手を自分の上の壁へと強く押し当てた。上の壁、つまり棺桶の蓋が宙に浮き、眩しい電灯が視界を覆った。
 数分後、彼は棺桶を背に自宅の広間に立っていた。死に装束を纏う彼の名は、大蔵勝造。八十七才の老骨だった。
 勝造は周囲を見渡し、どうやら自分が一度死んだとされていたこと、今日は自分の葬式であったことを理解した。窓から見る景色は暗く、今が夜であることを示していた。
 さて、勝造は自分が立ち上がれることに驚いた。一度、死ぬ前は寝たきりだったのだ。それと眼鏡を掛けずとも、克明な視界を手にいれられていることにも驚いていた。生まれ変わったような気持ちだった。
 さっそく、自分が生き返ったことを家人に知らせてやろうと思い、襖を開けた。
 しかし、あいつらはどうしているのだろう。おそらく、今日は通夜だろうから家に居るとは思うのだけれど。そう考えながら、廊下に出る。皆の驚いた顔が目に浮かぶ、特に孫はどんな顔をするだろう? まだ死についてよく分かっていないかもしれないから、俺の姿を認めるなり笑ってくれるかもしれない。泣いてしまうかもしれない、しかし、やはり最終的には喜んでくれるだろう。
 広間から廊下を隔てた向こうの部屋の襖が少し開いており、そこから一筋の光が零れている。そのことに気が付いた時、どっと大きな笑い声が起こった。
 なんだあいつら、この俺が死んだというのに、えらく元気じゃないか。不満気に襖へ手を伸ばす。
「にしてもホント死んでくれてよかったよな」
 ぴたりと、勝造の手が止まった。声は彼の息子で長男の一郎のものだ。
「兄さんそんなハッキリ言い過ぎですよ」
 次に聞こえてきた声は娘婿の幸雄だ。
「何に遠慮してんだよ、広間の死体が聞き耳立ててるわけでもねぇのに。
お前だってそう思ってただろ?」
「い、いや……」
「私は正直嬉しいですよ、あの人が死んでくれて」
「美由紀さん?」
 美由紀は勝造の娘だ。彼女は吐き出すように言葉を続ける。
「ずっと嫌いでしたし、特に最近は酷かったですね。
自分の世話すら出来ないくせに偉そうで、偉そうで。
当然だと思ってるんですよね、娘や息子が自分の世話をするの。
いっつも見てたあの将棋の番組あるじゃないですか?
それの時間になると、部屋に行ってテレビを付けてたんですけど、ちょっと牛島さんとお話ししてて、気が付かなかった時があったんですよね。
そしたら、客間に届くような声で喚き散らして、私を呼ぶんですよ。
お客さんが来てるっていうのに、私ったら恥ずかしくて。
その上、勝造さんの部屋に行ったらまた怒鳴るんですよ。
どうしていつもやっていることが出来ないんだ、とかなんとか。
知ったことじゃないですよ、自分が出来なくなったから私にやらせてるだけじゃないですか。
三井さんが週三日とはいえ来てくれてなかったら、私まで寝込んでたと思いますよ」
「ああ、アレはなぁ。怒鳴ればなんとかなると思ってんだろ。
俺がガキの頃からずっとそうだ。
自分に非があろうがなんだろうが、とにかく怒鳴る。
何時だろうが、場所がどこだろうが、気にくわないことがあればすぐそれだ。
本当、恥ずかしくてしょうがなかったな、あんなのが身内でしかも父親だなんて。
母さんが早死にしたのも、アレのストレスだろうな。
一番殴られてたのは母さんだったし」
「……まぁ、過激な人だったとは思いますけど。
自分も苦手でした」
「だろ?
んで、生きてる間はあんだけ迷惑かけといて死んでもなんも残さねぇんだもの。
預金はねぇし、売れるようなもんもない。
せいぜい、この家ぐらいか?
こんな田舎の一軒家どうしろってんだよな、邪魔なだけだ」
「葬式だってやりたくなかったですよね。
けど、遺書に書いてあるんですからしょうがないですよね。
盛大に執り行うようにだとかなんとか」
「死んでくれて良かったが、死んでからも迷惑ってのは徹底してるよな。
本当にクソ野郎だ」
 勝造はその会話を聞いて力なく項垂れた。自分がこんな風に思われているとは知らなかった。そして、襖が開く音がしたので勝造は驚いて目を左右に動かした。しかし、どうやら自分とは逆側の襖らしく周りには誰も居なかった。
「お母さん」
 その声は孫の優のものだった。
「ああ、優ちゃんどうしたの」
「起きちゃった」
「おう、優か。
お前、爺ちゃん好きだったか?」
「……」
「一郎さん、子供にそんな話は」
「いいじゃねぇかよ。
俺はな、親父と違ってな、子供にちゃんと自分の意見を言わせてやりたいんだ」
 ああ、優が居た。優なら自分を悪く思っては居ないだろう。願うように、隙間から中を目を眇めて覗いた。勝造の瞳に捉えられた優はスカイブルーの寝間着に枕を抱えていた。縋るような心持ちで彼はその口元に注視している。
「嫌い、お母さんのこと怒ってばっかりだし」
 それからの会話は勝造の耳に入ってくることは無かった。彼は襖から手を放すと、元居た広間の棺桶に戻った。その中で瞳を閉じた彼の顔は、死人よりも死人らしく見えた。

通夜の復活

通夜の復活

ショートショートの練習です

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-12

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