揮発性のユニコーン

 ミユキと会ってから僕の研究所に帰ってくると、14号だったと思われる液体が床に水たまりを作っていた。そこから水滴が蟻のように、培養カプセルの一つに繋がっていた。
「また暴れ出していたのか」
 僕は部屋の隅にあるロッカーから掃除機を出すと、割れたガラス片を吸わせていった。このプロジェクトに関わり初めてからこんなことはしょっちゅうだ。
 僕が今取りかかっているのは、数年前に見つかったある特殊な単細胞生物に関することだった。この生物は特殊な習性を持っていた、それは何か別のものに擬態するというものだ。特定の刺激を与えると、まるでタコが岩とそっくりに体の色を変えるように、彼らは姿そのものを作り替えてしまうのだ。
 その刺激というのは、人間の手でも与えられるもので、研究という名目のもと、彼ら様々な姿に体を変えさせられてきた。鉛筆や消しゴム、猫や犬、果ては飛行機や高層ビルまで。しかし、体長が1ミリ満たないものなので、それは顕微鏡越しにしか観測できないものだった。
 だが、その生物同士をある環境下に置くと、有機的に結合し、二つの生物が大きな一つの生物となることが発見されてからは違う。結合を何度も何度も繰り返させた結果、人間大まで大きくすることが出来たのだ。それが、この研究所で扱っている「オオメタモール」である。
 だいたい体長2メートルを越えると、メタモールは結合出来なくなる、結合した側からその部分の細胞が崩れていってしまうのだ。つまり、メタモールの最大サイズは2メートルということになる。僕の担当している培養カプセルに入っているメタモールはそれだった。
 何せ、こいつを変化させようとするものがものだ。僕は、馬型のメタモールを作り上げようとしていた。研究所では、他にも職員が別の動物を既に作り上げていた。たとえば、ネズミやリス等の小動物、犬やキツネ等を完成させている。
 外見はもちろんなのだが、僕らは内面まで完璧に動物を再現したメタモールを作成していた。リス型のメタモールがいるカプセルに木の実を入れてやると、かじりついて頬袋にため込むし、犬型のメタモールの前でお座りと言ってやると、培養水の中で器用に座った。
 彼らは完璧にその動物になりきっていた。ただ、体は透明だったけれども。あくまでメタモールはアメーバだった。
 すっかり割れたカプセルを台から降ろして片づけてしまうと、新しいカプセルを同じ場所に据えた。容器の縁には、15号と書いたラベルを貼り付けた。それを見て、一つ嘆息。14回の失敗を示すものだからだ。
「どうしてうまくいかないんだろう」
 途中までは問題なく、メタモールは馬の姿へと形を変えるのだ。しかし、外見が整ってきた頃、馬の性質を教えていきだすと、さっきのようになってしまう。カプセルを突き破り、外へ出て、乾燥に耐えられず死んでしまう。
 まるでレミングの入水自殺のようだ、もっともメタモールに関しては水に飛び込むのではなく、飛び込んだその先が水たまりになるのだけれども。
 僕は、その日の夜を研究所で過ごした。徹夜でメタモールと向き合ったおかげで、次の昼になる頃には、馬の形を維持するようになり、馬の行動様式を教える段階までになっていた。
 僕は休憩がてら、研究所を出て、昼食を取りに行くことにする。空は雲一つ無い快晴で、蒸したアスファルトは今にも煙を上げそうだった。
 いつも行く定食屋からの帰り道、ミユキの後ろ姿を見かけた。
「おーい、ミユキ」
 僕が声を掛けると、彼女は目を見開き、こちらを向いた。彼女の体で隠れていたが、向こうにヨシトが居た。指を絡ませるように手を繋いでいる。
 僕は途端に不機嫌になり、ヨシトを睨みつけた。
「なにやってる」
「別に、君に関係あるかい?」
「その手を放せよ」
 彼は僕の方をちらりと見ると、ミユキの手を引いた。
「行こう」
 ミユキが気遣わしげにこちらをちらりと見る。
「いいから」
 二人が去ってしまうと、僕はひとりごちる。
「クソ、ヨシトのやつ……」
 ミユキと僕とは大学の頃からの知り合いだ。授業で隣の席だったことから出会い、学部は違えど、かなりの時間を過ごしてきた。
大学を卒業し、僕がちゃんとした社会人になれば、プロポーズするつもりだったのに、それをあの男が、会社の同僚だというだけのあの男が邪魔をした。
 空と対照に晴れない気分のまま研究所まで
帰ってくる。自分の個室の扉を開けると驚いた、また床に水たまりが出来ていたのだ。15号だったものである。
 思わず頭を抱えた、また失敗だ。いや、失敗を嘆いているのではない。その原因が分からないのを嘆いていた。いったい何故、なのだろう。何故、こんな自殺のような行動を、僕のメタモールだけがするのだろう。他のメタモールにはない事例だ。
 しかし、僕はこのメタモールを完成させなければならない。こんなところで躓いてはいられないんだ。
 どどのつまり、ミユキがヨシトと交際を始めてしまったのは、僕がパッとしない男だからだ。だから、僕は科学者としての高い地位を確立させ、魅力的な男性となって、彼女にプロポーズしようと考えている。そのための一歩がこの研究だ。
 僕は新しいメタモールを持ってくるために、所内の倉庫へ足を向けた。その途中で、所長と出会った。
「やぁ、研究はどうだね?」
「ええ、それがあまり順調とはいえないかもしれません。
また失敗してしまいました」
「ふーむ、そうか」
「すみません」
「いや、なに責めるつもりで聞いたわけではないんだ。
ただね、こう失敗が続くとね」
 所長は眉をひそめながら言う。
「キミの扱っているメタモールは特に大きい、費用もバカにならん。
他の動物では成功しているのに、馬だけ、いや、キミの担当している動物だけ、こう何度も失敗しているとね」
「それ、どういう……」
「次だ、次失敗したら、キミはこのプロジェクトから外れてもらう」
「そんな!」
「すまない、これは私だけの意見じゃないんだ。
キミ以外のプロジェクトメンバーとも話し合って決めたことなんだよ」
 それだけ言うと所長は去っていった。重い足取りのまま、倉庫から新しいメタモールと培養カプセルを個室へ運び込んだ。
 所長の言ったことは衝撃的だったが、当然のことだ。十回を超えて失敗しているのは僕だけだったし、僕の能力に問題があると見られても仕方がない。
 次だ、この一匹を完璧な馬にすればいいだけだ。
 その決意を込めて、16と書かれたラベルをカプセルに貼り付けた。
 それからの一週間は早かった。自宅に帰らず、研究室にこもりっきりで、一日中、メタモールとにらみあっていた。
 こちらの必死さが伝わってくれたのか、16号は今までで、一番馬らしくなってきた。
頭から首にかけてのたてがみは、とても艶やかに見えたし、時折、鼻を鳴らして、蹄で足を上下する様は本物の馬のようだった。透明なことだけが、違っていた。
 僕は成功を確信して、一安心すると一度家に帰ることにした。郵便受けは一週間分の配達物がぎゅうぎゅうに詰め込まれており、僕は自宅のフローリングへそれを広げた。
 その中に一枚、僕の目を引いたものがあった。白い封筒に招待状と書かれてある、差出人はミユキだ。投函された日付はもう半年も前だった。どうやら、郵便受けの底で気がつかないままになっていたものらしい。
「あのヤロウ!」
 僕は手紙を読むと、すぐに外へ駆けだした。横殴りの雨が全身を突き刺すが、そんなことにかまけていられない。
 手紙は、ミユキの結婚式の招待状だった。相手はヨシト。式の日取りは今日、近くの坂の中途にある教会で、だった。
 教会に付くと、すっかり息は上がっていた。雨足はより強くなり、全身は風呂から出たばかりのように濡れていた。
 教会の両扉を勢いよく開くと、その場に居た数十人、誰もがこちらに視線をやった。入り口から伸びる赤いカーペットの先、十字架の下で、花嫁姿のミユキと花婿衣装のヨシトが顔を寄せあっていた。
「その結婚、待った!」
 まるでドラマのような台詞を叫ぶ。と、同時、僕のわき腹にすさまじい衝撃がくる。
「えっ」
 僕の体が宙に浮き、壁に背中を打ちつけて止まった。叫び声がする、薄れゆく意識の中で、自分を吹き飛ばしたそれを見やった。
 それは、教会の入り口に居た。それは、僕を蹴りとばしたのだ。そうして、僕は理解した。
 ああ、成功していたんだ。アレは自殺でもなんでもなかった、性質に従って行動していただけなんだ。
 だってよく言うじゃないか、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえって。
 僕の意識は、教会の入り口に立つ16号を見たのを最後に消えた。

揮発性のユニコーン

揮発性のユニコーン

ショートショートの練習

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-04-08

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