宗教上の理由 最終話

まえがきに変えた登場人物紹介

田中真奈美…両親の都合で親戚筋であるところの、とある山里の神社に預けられる。しかしそこにはカルチャーショックが満載で…。
嬬恋真耶…本作のヒロイン(?)である美少女(?)。真奈美が預けられた天狼神社の巫女というか神様のお遣い=神使。フランス人の血が入っているがそれ以外にも重大な秘密を身体に持っていて…。
嬬恋花耶…真耶の妹。小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については第四話で。
嬬恋希和子…真耶と花耶のおばにあたるが、若いので皆「希和子さん」と呼ぶ。女性でありながら宮司として天狼神社を守る。そんなわけで一見しっかり者だがドジなところも。

 神社は三方を森に囲まれていて、神殿の裏側に回ると大きな岩がある。そこにいろいろな飾りがしてあって、物も置いてあるのだが、みんな真新しい。昨日の朝境内を掃除した時には無かったはずだし、おそらくゆうべか今朝早くに準備したのだろう。そして。
 その前に希和子さんが、宮司の格好で立っている。
 花耶ちゃんも、巫女さんの服を着ている。
 苗ちゃんとゆゆちゃんもいる。二人はなぜか雨がっぱを着ている。晴れているのに。
 そして、彼女たちが取り囲んでいる真ん中には。

 白い着物に身を包んだ、真耶が正座している。

 白装束ってやつか? ストレートの金髪が時々なびくので風があるのだと分かる。真耶だけが薄着に見えるので、さぞ寒いだろう。後ろ姿なので表情は見えないが、神妙な感じにしているのは周りのみんなの様子を見ても分かる。
 それにしても、一体何をしているのだろう? あたしは聞いてみようと思い、歩を進めた。
 「ちょっと待った」
あたしに声をかけた人がいた。
「今は邪魔しちゃダメ。大事な儀式だからな」
すっくと立っている女の人。…どなた?
「ああ、会うのは初めてだったな。私は学校医の岡部。ミッキーのいとこと言ったほうが分かりやすいか。内科検診のとき君はまだ転校してきてなかったものな。連休明けに欠席者向けの検診をやるからそのとき一緒に受けてくれ」
あー。家が病院だって、家庭科部の岡部先輩ことミッキー先輩言ってた。でもなんで、そのドクター岡部がこんなところに?
「そうか、そういう話をお望みではないのだよな。私は天狼神社代々のかかりつけ医も受け賜わっていてな。今日は儀式をやるというのでこうして立ち会っているというわけだ」
岡部先生の話し方はサクサクと歯切れ良く、男の人みたいな口調だが、声の量は抑えている。儀式の妨げになるからだろう。あたしもつられてひそひそしゃべりになる。
「立ち会いって、お医者さんがいなきゃいけないようなことをやるんですか?」
「見てれば分かるさ」
 というやり取りをしている間にも、希和子さんが何やら祈りはじめた。
「もごもごもご…」
きっと有難い呪文かなんかだと思うけど意味がわからないので、もごもご、って表現せざるをえない。他のみんなは頭を垂れる。この言葉は教わったので覚えた。儀式の時にはみんなこうするんだよと、真耶から。ということは今から何かが始まるってことだ。
 みんなの顔がどんどん真剣になっていく。真耶の顔は相変わらず見えないが、ピリピリした感じは伝わってくる。
 ゆゆちゃんと苗ちゃんがゆっくりと動き出した。大きな岩に歩み寄る。その下に置いてあるのは桶のでっかいやつみたいだ。そこから手桶で中の水をくむと、二人同時に、

 ばっしゃーん!

 白装束の真耶に、頭から水が浴びせられた。金色の髪から水がしたたり落ちて、びしょぬれの白装束から肌が透けて見える。白く光るものが地面に散らばっているが、あれは氷か、それとも残雪だろうか? つまり真耶の全身に浴びせられた水はキンキンに冷えていたってことだ。
 あたしは唖然となっていたと思う。なんであんなことするの? ていうか水かぶらなくてもあんな薄着じゃ普通に寒いでしょ。だってまだ雪も解けたばっかで東京だと冬みたいな気温だよ? 風邪引くどころか、もっと危ないことになるんじゃないの?
「な? 私がいる理由が分かったろ?」
分かった。すごくよく分かった。だって下手したら心臓止まりかねないんじゃないの?
「あ、安心してくれ? 前もってひしゃくで少しずつ服を濡らしてるから、必ずしも急な温度変化ってわけじゃない」
でもそれ、余計寒いんじゃあ…。
 と心配しているそばからゆゆちゃんと苗ちゃんが立て続けに水を真耶に浴びせる。アンタたち友達じゃないの? もっと手加減してあげても良くない?
「友達なのに、って思うだろ? でも友達だから容赦しないのだよ。ああしない限り終わらないのだから。あのでっかい桶あるだろ? 昔は防火用水として道にああいうのが置いてあったんだけどな。それよりは小さいけど、結構な容量があってな」
岡部先生はそこまで説明すると、一息置いてこう言った。
「空っぽになるまで終わらないんだ」
ドラム缶を一回り大きくしたくらいの大きさ。それを空にするまでだなんて。いくらなんでも無茶じゃないの? そんなあたしの思いをよそに、二人は繰り返し繰り返し水をくんでは、真耶に対して叩きつけるようにかける。いくらなんでもそんな乱暴にしなくても、って思ったが、これにも理由があった。
「なあ、真耶の首に何かかけてあるの見えるか?」
ああ、ホントだ。白い紙を首掛けのように下げている。
「あれは罪人の証だ。ああやって水の勢いだけで紙を溶かして首から外す。手で引っ張ったりは禁止。あくまで水圧で流す。だから勢い良くぶっかけてやった方が親切なわけだ」
まあ確かにそう言われればそうだけど…。って、罪人?
 「そう。真耶は今、希和子と君の母さんの罪をかぶって、罰を引き受けているんだ。水をかぶることでその罪を洗い流し、身体を清める。首から下げた紙は、罪の象徴ってことでもあるな」
「って、何の罪ですか! そりゃあたしと真耶はホントのこと隠されてたけど、罪ってほどじゃ…」
「おっ、流れたぞ。まもなく儀式も終了だな」
あたしの質問をさえぎって岡部先生がホッとすることを言ってくれた。首から下げられていた紙がついに千切れて、真耶の身体を離れたのだ。が、実際はここからが大変だったし、あたしはすでにこのときそれを悟っていた。
「あの、これって、山の中で修行する人とかがよくやるじゃないですか、アレに似てる…」
「そう。察しがいいな。文字通り滝での修行を再現しているのだよ。まぁこの場合は滝に打たれてケガレを清める的なことだな。君の母さんたちがやったことを、君は許しているかもしれん。でも結果がどうあれ、嘘は嘘だ。清めなければならない」
と、いうことは。滝を再現するって、手桶じゃ到底間に合わないよね。ということは、まさか…。
 あたしの不安は的中した。ある程度水を大きな桶からかき出して軽くする意味もここまでの行動にはあったのだろう。そうして二人がかりで持ち上がるくらいになった桶。下に台があって高くしてあるので実際は傾けるだけなのだが。その下に真耶が潜りこむようにしてうずくまると、

 ざばざばざっぱーん!

 桶の中の水が一気に真耶の全身を襲った。時々氷の塊が真耶の身体にぶつかっては砕ける。まさに滝。みるみるうちに地面は川のように。ゆゆちゃんと苗ちゃんも水しぶきを浴びてびしょぬれ。雨がっぱの意味がよくわかった。
 でも一番水を浴びている真耶は薄い白装束。つまり無防備。桶の中の水が全てなくなるまで、ものすごく長い時間に感じた。桶は元の位置に戻され、再びみんなが頭を垂れると希和子さんがお祈りを捧げる。これも実際は一分も無かったのだろうが、とんでもない長時間に感じられた。
 ともかく儀式は終わった。すかさず花耶ちゃんゆゆちゃん苗ちゃんの三人がよってたかって真耶の白装束を脱がせ、上半身は裸になる。その瞬間花耶ちゃんがバスタオルをかぶせ、水分を拭く。その間にゆゆちゃんと苗ちゃんは大きな毛布を持ってくると真耶にかぶせる。その毛布の中に花耶ちゃんも一緒に潜りこむ。
「あれが暖めるには一番手っ取り早いんだな。あ、もうそばに行っていいぞ?」
身体が固まっていたあたしだったが、その一言でハッとした。慌てて真耶たちのところに駆け寄った。

 三人に囲まれた真耶は唇が紫色で、がたがた震えている。それでもあたしの姿を見るといつものスマイルを無理矢理作って答えた。
「ああ、やっぱ黙っててもバレちゃうね。」
「バレるでしょ!」
いくら目覚まし止めてこっそり出ていったとしても今日はあたしと真耶が神社の掃除当番。身体が起きる時間を覚えてるから、そのまま起きるかはともかく目覚めるようにはなってる。
「いやウチもそう言ったんだけどさー、真奈美ちゃんには知らせたくないって聞かないから。まーでも嘘清めは済んだんだから良かったんじゃね?」
苗ちゃんが言う。この儀式は普通罪清めと言うが、その罪の内容によって呼び方が多少変わるのだと希和子さんが補足説明してくれた。
「嬬恋の一族はね、重大な嘘をついたり悪事を働いたら、罰を受けるの。そして悪に染まった身体はケガレているから、冷たい水で清めるの」
 それはさっき岡部先生から聞いたし、なんか理屈としては分かる。でも、
「どうして真耶なの? あたしがこんなこと言うのもなんですけど、もとはあたしのママが…」
「花耶、知ってるよ」
毛布の中から声がした。
「ゆうべお姉ちゃんと希和子さんが言い合ってるの聞こえたから。お姉ちゃん、絶対自分がやるって聞かなくて。最後は泣き出しちゃってた。花耶、行けなかった。どっちの味方もできないから…」
最後の方は涙声になっていた。わかる。それにしても二階の子供部屋で寝ている時に下からそれが聞こえたというのだから、相当大声だったのだろう。真耶に限って喧嘩腰にはならないだろうが、興奮してはいたはずだ。
 「花耶ちゃんは悪くないんだよ?」
本当なら真耶が花耶ちゃんを素早く慰めるはずだが、それより早くゆゆちゃんが口を開いた。
「真耶ちゃんが泣いてまで食い下がるってことは、希和子さんだって絶対自分がやるつもりでいたってことだよ。でも二人とも最後まで言い合って決めたってことは、納得してるってことだよ」
ゆゆちゃんの言葉には説得力がある。おかげで花耶ちゃんも泣いてはいないようだ。
 でもそうか、ママも希和子さんも、儀式を引き受ける覚悟をしてあたしたちに嘘をついたんだ。
「真奈美ちゃんのお母さんったら、退院したら自分がやるからって言ってきかないのよ? ダメ、私がやるって言ったら、じゃあ外出許可もらって私もやる、って。先にこっちから先生に電話して絶対に許可するな、ってお願いしたわよ」
そういう希和子さんだって、真耶に泣いて止められたわけだけどね。それで結局、
「それを引き受けるのが、神の子だから」
っていう真耶のセリフにつながるわけだ。

 真耶は毛布にくるまれた状態でみんなに支えられながら、家の方に移動。勝手口から入るとそばにお風呂があるので、そこで身体を暖める。
 それからゆゆちゃんと苗ちゃんは帰った。それぞれ農園とペンションのお手伝いがあるのだ。忙しい中ごめんねと真耶と希和子さんは何度もお礼するのだが、もとはあたしのために来てもらったようなものだ。そもそもあたしが男嫌いになんかならなければよかったわけで、なんだか申し訳ない。岡部先生は、真耶の身体をぽんぽんと叩くと、
「よし、大丈夫だな」
と言い残して去っていった。
 希和子さんと花耶ちゃんは儀式の後片付けをしている。手伝おうとしたら、
「嬉しいけど、これは儀式をやった人がする決まりだから」
と言って止められた。手持ち無沙汰になってしまった。二度寝するには目が完全に覚めてしまったし、一人でパン焼いて朝ごはんにするのもなんか寂しい。

 気がつくと、お風呂場の脱衣場にいた。お風呂場の入り口のすりガラス越しに、真耶に声をかけてみた。
「…真耶、どう?」
「…どうって?」
「暖まった?」
「うん」
「そう」
無難なことしか言えないまま、しばらく無言が続いた。でも、先に真耶のほうからあたしが言いたかったことを言ってくれた。
「なんであんな無茶するのって思ってるでしょ?」
そのとおり。でもあたしは疑問をぶつけたいのではない。イタズラしてる子どもに何やってるの!? と叫ぶ親は質問してるんじゃなくてイタズラをやめさせるために叱っているのだ。それと同じ。
「なに無茶してるのよこの馬鹿」
それがあたしの本音。ストレートに言ってやった。
「あんなお医者さん立ち会わせるような危険なこと、なんでわざわざ自分から進んでするのよ」
結局、疑問もぶつけてしまった。だって分からないんだもの。そこまでして、真耶に何の得があるんだか。
「どうせ神の子の使命だからとか答えるんでしょ? そういうの聞き飽きた。もっとこう、真耶はどうして神の子をやってるっていうか…」
予想される解答は先に答えてつぶしておいた。真耶はちょっと間をおいてから答えた。
「あたしは、神の子やっててよかったと思うし、神の子としていろんなことするの楽しいよ?」
うーん、それは分からないでもない。少なくとも女の子として生きることは楽しいと思っているのだろう。オシャレとかするときすごく生き生きしてるし。でも楽しいことに比べて苦しいことが随分多い気がする。
「だからさ、どうして自分から進んで、あんな儀式したいって思ったの?」

 しばらく無言が続いたあと、真耶が先に口を開いた。
「…したいってわけじゃないよ? でもあたしがやらないと誰かがやらなきゃいけないし、だとしたらやっぱり神の子であるあたしの仕事…」
「うそ」
あたしはすかさずこう口を挟んだ。
「真耶は絶対したいと思ったはず」
 あたしはそう断言するが、真耶も自説を曲げない。
「見たでしょ? すごい大変だし、寒いし、冷たいし。でもそういうのを引き受けるのが神使なの。あたしがやらなきゃ麻里子おばさまか希和子さんがやらなきゃいけないんだよ?」
「ふーん」
急にあたしは冷静になった。ふと気づいたのだ。
「どうせ女の場合は、あの儀式だって楽なんでしょ?」
 再び間があって、そして。
「どうして分かったの?」
やっぱり。カマかけたら大成功。アンタの思考パターンお見通しだよ。

 「だいいち、真耶だって充分被害者でしょ? いとこにおしっこかけたっていう罪の意識で苦しんだんでしょ? なのに、なんでわざわざ人の罪を背負ってまで、しかも自分がやる場合は他の人がやる場合より大変だとわかってて…。だいたい、なんであたしを差し置いて産まれて来たのよ! あたしがもうちょっと早く産まれていれば、あたし女だから、儀式だってもっと楽に済んだし!」
だんだん支離滅裂になってきたのはわかっていた。
 「だから真奈美ちゃんには内緒だったんだけどね」
それに対する真耶の答えも、一瞬意味が分からなかったが。
「だって真奈美ちゃん、自分のせいだって責めるでしょ? 悪いのは自分って思っちゃうタイプだから。儀式のこと知ったら絶対自分がやるってきかなかったはずだよ。」
「そんなわけない! あたしは自己中で、真耶に寒いトイレで着替えさせたりしたワガママ女だから!」
「うそ」
 あたしがさっき投げた言葉が、ブーメランになって返ってきた。
「今言ってたじゃない? 真奈美ちゃんのほうが早く産まれていれば良かった、って」
 …あ…。
 …それはそうだけど…。でも。
「あのね、女の人は楽って言うけど、それでも冷たい水はかぶるんだよ? 量が少なかったり、部屋の中でもいいってだけで」
「いや全然楽じゃん!」
「でも真奈美ちゃんのことだから、男と同じようにやる! とか言い出すんでしょ?」
言わないよ! と叫ぼうかと思ったがこらえた。絶対無いとは言い切れない気がしたからだ。
「だから、あたしがやらなきゃダメなの。みんながみんな自分がやるって言ったらキリがないでしょ? あたしがやるって言ったら全部収まるの。そのための神の子なんだと思うよ?」
「真耶は、それでいいの?」
「うん。だってそれが、あたしなんだもん」
 あまりに迷いなく真耶が断言するので、あたしは反論できなかった。お風呂場と脱衣所が急にシーンとなった気がしたが、それはすぐに破られた。
「あっ、脱衣場使わせてもらっていい?」
バシャッとお湯の音がした。真耶が湯船から上がったのだ。手ぬぐいで軽く身体のお湯を拭きとっているらしく、布のこすれる音がする。このままここにいたら邪魔だし、真耶の裸をまた見てしまうことになる。あたしは立ち上がった。そして…。

 ガラッ。

 ぎゅっ。

 「ちょ、ちょっと、真奈美ちゃん、な、何!」
「…ホント、バカよ…」
 気がつくとあたしのほうから、お風呂場の戸を開いていた。
 そして、真耶の身体を思い切り抱き締めていた。
 華奢な身体で柔らかい肌だけど、ちょっとだけ鎖骨のあたりがゴツゴツ堅い。ああ男の子の身体なんだと思ったけど、そんなのどうでも良かった。自分が男嫌いだったことも、どうでも良くなっていた。
 「何もかも自分で背負っちゃって。神使だか神の子だか知らないけど、それってそんなに大事なこと? 自分の身体張ってまでやること? あんたの身体が心配だよ…」
「だからそれが、神の子だって…」
「そういうの聞き飽きたって言ったでしょ? 義務だとか、しなきゃダメだとか、そんなのばっか。真耶の考えは無いの? あんたがこうしたい、とか言うのは無いの?」
 少しの間があったが、真耶が小さな、でもしっかりした声で答えた。
「しなきゃいけないからするんじゃないよ。したいからするの」
思わぬ断言に、ハッとしたが、にわかには信じられなかった。
「どうして? だってあんたに何の得が…」
損得で動くような子じゃないことはわかっている。それでもそう問い返さずにはいられなかった。というか、こんな大変なことをしているのだから何か真耶にも見返りがあると思いたかった。だから正直、大きな期待はしていなかったのかもしれない。でも。
 「いいもの、いっぱいもらったよ」
意外にもちゃんとした答えが返ってきた。
「いいものって、何?」
「神使をやることでみんなの役に立てるでしょ? それが嬉しいの」
「…それだけ?」
思わず聞き返した。それって自分の得にはなってないんじゃない?
「凄いことだよ? あたし何の取り柄もないでしょ? 運痴だしドジだし。これくらいでしかみんなに喜んでもらえないもん」
まぁ確かに身体弱かったり身のこなしが悪かったりはあるけど…。いやでも行き過ぎた謙遜ってのはさぁ…。
「かえって嫌味だよ? 真耶は料理だって上手だし、おしゃれだし」
可愛いし、というのはさすがに恥ずかしくて言えなかったが。でも真耶の反論は明快だった。
「う~ん、そういうのちょっとは得意かもしんないけど、おしゃれで褒められるのは神使やることで女の子でいられるからだよ? 男の子が着る服ってよくわかんないし。だからこれは、あたしが神使をやってるご褒美なの」
う~ん、鶏と卵じゃないかって気もするけどなぁ。最初から男として育ってればもっとたくましくとかなってたかもじゃない? それに美人だし? たとえ男でもアイドルっぽい感じでいけるんじゃない? って何言ってるんだあたし。
「それに、みんなが喜んでくれるでしょ?」
あたしが頭の中で色々考えをめぐられていると、真耶は新たな理由を付け足してきたけど、それも似たようなものというか役に立てるってことの延長上でしかない。
「褒められたら嬉しいってこと? そんな子どもみたいな」
「子どもだもん」
 …なんか、否定できなかった。
 確かに子どもなんだよ、この子。あたしだってまだ中一だから十分子どもだけど、それ以上に幼い所がある。甘えん坊だし、泣き虫だし。
 でもその反面、大人びたところもある。それが例えばこういう辛いことを甘んじて引き受けちゃうところだと思う。子どもだったら少し嫌がってもいいものだ。それなのに主張なんか滅多にしないで自分が引いて、全部受け入れちゃってる。
 成長途中だから子どもみたいなところと大人なところが混じって当然なんだけど、でももしかすると、大人に見える部分も実は子どもだからなんだって気もする。子どもで、ほめられたら嬉しい、みんなが喜んでくれたら嬉しい、ちょっと違うかな、みんなが喜んでるのを見るのが楽しいのかも。でもそれはちょっと大人の理屈って感じだ。
 ああなんだ、真耶って結局、子どもと大人が混じってて、でもちょっと子どもが勝ってる、そういうことなんだ。もちろんあたしから見ればそんなの全然行って来いにもなってないけど、真耶だからそこに価値を見いだせるんだと思う。
「ちょっとだけ自分がハッピーになる」
ご褒美はそれだけでいいんだと思う。
 そんなことを考えながら一人納得していた。でもそこに至るまで結構時間が経っていたらしい。
「…真奈美ちゃん? ごめんね? ちょっと、寒くなってきた」
あわわ、しまった。ついつい裸のままで真耶をお風呂場の出口で足止めしてしまった。はっと我に返り、慌てて脱衣場から出た。

 その後改めてあたしたちは温泉病院にお見舞いに行ったのだが、真耶が儀式をやったあの日、ママも医者の制止を振り切って儀式をやろうとしていたと知った。外出許可も何もあったもんじゃない。あたしたちもお医者さんから説教されてしまった。信心深いのはわかるが、でもそのための神使さまなのだからそこは甘えなさい、と。そうかこのあたりまで天狼神社の評判は聞こえているのか。もちろん真耶にはねぎらいの言葉があった。あと医者としては弱い体で冷水浴は感心しないが、こうして無事なのは神様のご加護なのだろう、とも。
 それにしても、ママもよくやると思う。病院の入浴の時にバスタブのお湯を水に入れ替えて、いやに時間がかかるのを心配した看護師さんが発見して、それでも儀式をやろうとして、羽交い締めにされてようやくあきらめたというのだから。
「真耶ちゃんが引き受けてくれるのは知ってたわよ? それにあたしたちの分まで罪をキレイにしてくれると信じてたし。それだけの力があるのよ神使さまって。でも、そういう問題じゃないでしょ? 学校に五分遅刻しても十分遅刻しても同じだと分かってたって走るでしょ? それと同じよ」
 要は儀式をやろうという気持ちの問題よ、とママは笑う。負けた、って感じだ。こうなったらすべて許してしまおう。でもそれはそれとして。
 「ところでさ、ママ? 最初あたしたちのこと、遠い親戚って言ってたよね。でもいとこ同士だなんて、思いっきり近いじゃん! ちょっとそれは無理があるんじゃない?」
「嘘はついてないわよ?」
悪びれずにママが返事した。
「ほら、距離が遠い」
ずるっ。とんちだか頭の体操だかじゃないんだからさ。と思っていたら。
「おばさまー、それは違うと思いますよー?」
おおっ。珍しく真耶がダメ出しをしている。よし、がんばれ!
「確かにうちは山の中ですけど、新幹線の駅まで出れば東京まですぐですよ?」
ずるずるっ。いやそういう意味じゃなくてさ。この子は時々ピント外れなこと言う天然体質だから困る。

 「あ、真奈美クン? どう? びっくりした?」
夜になって、真耶のお母さんこと、いねさんから嬬恋家に電話があった。みんなかわりばんこに話をして、最後にあたしにも順番が回ってきた。
 「びっくりしましたよー。真耶がでっかい桶の水全部かぶったときにはどうしようかと」
「でも無事終わったから良かったじゃない? あ、ちなみにね」
思い出したようにいねさんが言った。
「真耶クンね、外のトイレでも男女共用のだったらいいんだよ。気づいてた?」
あ、そうか。外ではトイレを控えている真耶だけど、それは本当は男なのに女子便所に入るのは神の子という立場ではあまり良くないって理由。でも例えばコンビニとかだと男女一緒のトイレも多いから、そもそもどっちに入るかって悩む必要はない。
「その気になればいくらでも探せそうなものですよね?」
あたしは率直な感想を言った。
「うん、そう。コンビニなんてあちこちにあるもんね。それに事前に調べたり、何度も行ってる場所ならどこにトイレあるか覚えてもいいよね。でもね?」
 いねさんの口調が急に優しくなった。
「あの子、自分のために予定を変えられるとかって嫌がるの。真耶クンでも使えるトイレがあるところにルートを変えよう、とかそういうのね」
「なんでですか?」
その理由は本当に分からなかった。
「だって他の人がしたいことを我慢しなきゃいけないかもしれないでしょ? 自分のために誰か損したりするのが嫌なの、真耶クンは」
真耶らしいな。他人に面倒かけるくらいなら、自分が我慢する。男女兼用トイレのために予定を変えるくらいなら、おむつまでしてヘンタイの汚名も引き受ける。
 立派だと思う。でもちょっと不満でもある。だって。
「…それくらい、あたしだったら気にしないのに。それに、少しくらい甘えてくれたり迷惑かけられたりしても構わないのに」
それが、友達でしょ? って。でもいねさんはいっそう優しい口調になって、こう言った。
「思い切り大きな迷惑したじゃない、真奈美クンも」
まぁそうだけど。真耶に男嫌いにさせられたって。あと苗ちゃんやゆゆちゃんは、自分のおうちの仕事が忙しい中儀式に付き合った。真耶はこれも気にしていたかもしれない。
「だからね、そのぶん普段は、迷惑掛けたくないから自分が我慢するってこと。それって一回転して、みんなに甘えてるってことでしょ? 甘えて欲しいというみんなの思いを、ちょっと我慢して? っていうことだもん」
 おおっ。
 甘えていいのに甘えないというワガママを認めてもらうという甘え。それには、気づかなかった。口をぽかんとしているのに気づいたか、いねさんは電話をこんな言葉で締めくくった。
「真耶クンには、神使という仕事は自分にしか出来ないという誇りがあるんじゃない? 私も、誇りに思ってるよ? だからこれからも、真耶クンに甘えさせてあげてもらえると嬉しいな。じゃあね」
 そっか。真耶が神の子をやり続ける理由って、自尊心もあるんだね、きっと。だったらあの子のプライド、大事にしてあげなきゃね。

 結局、あたしはママと一緒に住むことに決めた。ちょっとしか無い荷物は先に送り、あたしは連休明け最初の週末、単身ひいおばあちゃんの家に向かった。なぜ一人かって? 希和子さんは法事で不在なのでひいおじいちゃんが迎えに来ると言ってくれたがお断りした。一人での移動は慣れているし、おセンチな気分になっているところを見られたくなかったから。もっとも、いざ当日になってみると全然実感が無かったし、自分はそういうアッサリした性格なんだと再認識した。
 真耶もあたしのことを送ると言ってくれたが断った。これは自分がと言うよりは、真耶が大泣きするだろうと思ったからだ。長くいればいるほど別れが辛くなるし、だったらサクッとバイバイしちゃったほうがいいだろう。なにせ学校でのお別れ会でも一番号泣していたので、これ以上泣かせては喉が潰れてしまう。
 そのかわり、真耶と花耶ちゃんがあたしを見送りするために巫女装束を着てくれた。ハレの日にはちゃんと巫女としての正装をしよう、と。そういえば一度もこの格好を見たことがなかった。真耶が巫女装束でいるのはそれだけ珍しいことらしく、近所の子たちが群がってくる。それらに丁寧に対応する二人。いつの間にか目的が変わっているが、まあいいや。こういう賑やかな中ならしんみりする間もなく出発できそうだ。
もうバスの時間だ。あたしはドライにじゃあねと言うと、石段を降り始めた。今日は真耶も泣かない。花耶ちゃんと並んでニコニコしながら手を振る。でもホッとした反面、泣き虫真耶が涙の一つも流さないのは変だなとは思った。
 いつも通りにバスは停留所にやってきて、いつも通りに走り出す。見慣れた風景が窓ごしに流れてゆく。今日でこの景色ともお別れと思えばしんみりしなくも無いが、でもたかだか一月余りしかいなかったのだ。
 古びた家並み。唐松や白樺の林を抜けると一面に広がる畑。その向こうにそびえる山々。ひときわ大きな姿の火山は村のシンボル。今なお雪をかぶっている。
 村の中心街が近付いてきた、といっても高が知れたもの。今までと変わりばえしない家並み。少し離れた高台にあるのがあたしたちの通った中学校。

 って。

 「真奈美ちゃん、楽しい思い出をありがとう」

 な、なんなの。

 バス通りから見える校庭に、模造紙を貼り合わせた大きな横断幕。そしてまわりには、

 人、人、人。

 うちのクラスに、隣のクラス。家庭科部の先輩たち、先生方も。

 あたしは、泣くのが嫌い。ものごころついてから、人前で泣いた覚えが無い。それなのに。

 涙が、とめどなく溢れてくる。

 そうか、真耶はこのこと知ってたんだ。そしてあたしをビックリさせるために黙ってて、多分あたしが何分のバスに無事乗ったよ、みたいな連絡を入れていたのだろう。
 ありがとう。短かったけど、人生で一番充実した一ヶ月だった。ちょっとしかいられなかったけど、みんな何年も一緒にいたのと同じくらい、大事な友達だよ。

 こっちの学校に通って一週間になる。
 こちらでも真耶たち天狼神社のご威光は聞こえているらしく、初日はちょっとした騒ぎになった。あの神の子様のいとこがやってくるんだって! と。それはまんざらでもなかったし、おかげで早くクラスに馴染めた。
 ママは無事退院。ひいおばあちゃんとひいおじいちゃんも含めた四人で暮らしている。いくら神社の評判が聞こえているとはいえ、ここに神社そのものは無い。だから学校での騒ぎもすぐ収まったし、毎日が平凡に過ぎていく。
 こういうのも、悪くないと思う。あの天狼神社で過ごした日々は楽しくて、めまぐるしくて、時には振り回されたり困らされたりもしたけれど、ぜんぶ結果オーライ。
 でも、すべては過ぎたこと。あたしはこれから、思い出を胸に生きていく。

 はずが。

 「真奈美ちゃん、遊びに来たよー」
「ケーキ作ってきたの、後で食べようねー?」
「とりあえず出かけようぜ? 天気いいからスポーツとか良さげじゃん?」
「早く早くー、遊ぶ時間短くなっちゃうよー、真奈美お姉ちゃんー」

 って、あんたたちー!

 こないださんざ人泣かせといて、もう再会って!

 え、怒ってるかって?

 そうねえ…。

 大歓迎だよ!

(おわり)

宗教上の理由 最終話

 この物語はもともと「人々が普通にその存在を受け入れている男の娘なんてのがいたら面白いのでは?」という思いつきから生まれました。
 そして「男の娘を世間が認める形で実現するにはどのような方法があるだろう、おおっぴらにやるにはどのような条件が必要だろう」と考えた結果、「宗教」が一番手っ取り早いという結論に達しました。『宗教上の理由』というタイトルはそこから来ています。
 男の娘の存在が日常に溶け込んでいる風景。その存在を地域全体がバックアップしている風景。その中で主人公の男の娘がのびのび育つお気楽コメディにするつもりでしたが、その「宗教上の理由」に相当するしきたりとかにいろいろ凝り始めるとそっちのほうが楽しくて、真耶の「男の娘らしさ」が描けたかどうか、と振り返りながら思っています。

 ところで、男脳女脳なんてことを言う人もいますが、ほんとうにそんなものあるのでしょうか? 科学的に確立していないものを無条件に信じることは出来ない性格なので、そこは疑ってしまいます。
 むしろ育てられ方で「男らしさ」「女らしさ」のどっちに触れるかなんて変わるものなんじゃないでしょうか(でなければこんな小説書いていません)。もちろんそれもひとつの説にすぎませんが、言いたいのは、実証が実験が必要な領域で「これはこう」という決め付けを安易にしちゃいけないと思うってことです。
 男らしさとか女らしさとか、そういうのを社会的に押し付けるのもどうかと思っています。ただ一方で悉ことごとくはねつけるのもしっくりは来ません。個人的にはそういう「らしさ」があってもいいのですが、それを実際の性別と切り離したい。言葉遊びのようですが、「男らしい女」「女らしい男」どちらもあっていい。だから、男の娘って自分にとって重要な存在なのです。

 真耶と真奈美を中心とした物語はこれでおしまいですが、続編も思案中です。今度は語り手を代えた新しい展開になるかと思います。引き続き続編もご愛読いただければ幸いです。

宗教上の理由 最終話

前回までのあらすじ:真奈美の過去が明らかにされ、それにまつわるゴタゴタも解決したかに見えた。しかしある朝真奈美が起きると皆様子がおかしい。あたしに内緒で一体何を? いよいよ物語も最終回。真奈美と真耶の関係はどうなる?

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-05-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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