寂しがりのうさぎ

かくして彼女と出会った

「えー、うさぎという動物はですね、実に時速60キロから80キロ程度で走ることができます。天敵は猛禽類や小中型の肉食獣、声帯を持たないために非言語コミュニケーションを大切にしています。大きな耳は聴力の鋭さの象徴となる一方で、視力は他の動物に劣り・・・」
 このうさぎの説明を聞いて、うさぎとは実にかわいい生物だと思えなくなってきている。
「またうさぎは食糞行動という行動をとります、これは自分の肛門に口をつけて直接糞を食べることを指します。そうやって食物繊維を再消化するのです。」
 うげぇ、きったねぇ。
 志してうさぎのことを学んでいる訳ではない僕にとって、この話は楽しくないどころか不快ささえ感じる。うさぎを見て汚いという感想しか持てなくなる日も遠くないのだろうと思うと不憫でならない。
 カランと音がしてついそちらを見ると、恥ずかしそうにした女の子がいた。定規を拾い上げると周囲をキョロキョロと見渡し、集中できない様子でまた前を向いた。なにを探しているのかはわからないが、彼女を観察している方が授業を受けるよりは楽しかった。
「うさぎの特性は定期考査にもよく出題されるのでしっかりと復習しておくように、また来週実習がある人は続けて講義があるからなー。」
 大きく分厚い眼鏡で頬骨まで隠したような男は、50代半ばであろうに昇進の話は上がっていないようだ。
 大きくため息をついてノートを片付ける。彼の眼鏡と同じく、大きく分厚い参考書は少し冷たい。シャーペンの芯を詰めたのはいったいどのくらい前だったことか。必要最低限しかない荷物を抱え講義室を出ようとすると、彼女もノートを抱えていた。彼女の鞄は何が入っているのか気になるほどに膨らんでいて、小柄な体に見合わなかった。
 まだ当分立ち上がらなそうな彼女を待つのは気が引けて、後ろ髪を引かれる想いで何度も振り返った。それが彼女にも伝わったのか、ついに目があってしまった。気まずいまま目もそらせない。ああやめてくれ、そんな風に見ないでくれ。
 大きな瞳に目を奪われているうちに、彼女はこちらに向かってきていたらしい。
「もしかして、知り合いですか?」
 彼女の質問の意図が読めず、困惑の表情で対応すると、どうやら自分の勘違いだと思ったらしい、急に恥ずかしそうにうつむいた。
「すみません、こっちを見てるんだと思って、もしかして知り合いなのかなって、思ったんですけど。」
「あ、違うんです、知り合いじゃないです、たださっき文具落としてたなーって、つい見ちゃってただけで。」
 途端に真っ赤になった顔でこちらを見上げ、見てたんですか、と小さな声で呟いた。どうやらさっきの彼女は探し物をしていたわけではなく、周囲に注目されていないかが気になっていたらしい。つまり失言であったわけだ。
「いや、別に理由があった訳じゃなくて、うさぎの話がなんか辛くて、それで人間観察をして紛らしていたというか。」
 こうなったら事実を述べるしかない、彼女に変に避けられるのはいたたまれない。
「うさぎ、お嫌いなんですか?」
 きょとんとした顔の彼女は黒目がちで、パーツが真ん中にきゅっと寄りその顔の作りは女性らしかった。
「嫌いじゃないよ、でもこうやって生物の生体を知れば知るほど、可愛いなって思ってた動物たちの可愛くない素顔を知ってしまってがっかりはするかな。」
「そうですか?私はむしろ可愛さ爆発しそうです!」
 満面の笑みの彼女は本当に動物が好きだと伝わってきて、自分がこの講義を受けていることに罪悪感さえ感じた。その一方で、ころころと表情の変わる彼女に一段と興味がわく。
「あの、もしこのあと講義がないのなら一緒にお昼ごはんとかどうですか?私、今日ひとりなので、友達が終わるまで待ってるのも暇ですし、よければ。」
 いかにも思いつきで楽しそうなことを考えたという表情で話す彼女はあどけなく、可愛らしい。それは誰かにどことなく似ている気がするが、有名人であろうか、誰なのかわからない。
「暇です、よろしくお願いします。」

個人的な彼の考察

 初めて話した男と、昼食に焼き肉にいく。
「やっぱり焼き肉はカルビですねぇ。」
 至福の表情でそんなことを言いながら、ほとんど知らない男と昼食を食べているシチュエーションは最近流行りの映画か、二流小説家の代表作にでもありそうなものだが、残念ながら現実である。
「そうですか?僕はやっぱりホルモンですね。」
 ネイビーのブラウスにスキニーデニムを着た私は、焼き肉に来たところでなんの支障もないとはいえ、お昼から焼き肉は少し抵抗しておくべきであっただろうか。
 グレーのパーカーに赤いリュック、黒いデニムの彼は初対面の私との昼食に焼き肉を提案してくるような男だ、私を異性と認識しているかすら怪しい。それでも手慣れた様子で車道側を歩き、自ら扉を開け、お店の手配までしてくれるのだからわからない。レディファーストという言葉を実践する男も、そしてそれを受けるのも初めてなものだから判断がつかない。
「あの講義を楽しく受けられるなんて、よっぽど動物が好きなんですね。」
「はい、動物園のスタッフになるのが夢なんです。」
 微笑みながらうなずく彼はやはり手慣れていて、女の子にモテそうだなぁと考えながら夢について話した。
「私、小さい頃に祖父母に連れられて初めて動物園にいってから動物に夢中で、両親にわがままを言ってはいろんな動物を飼ったんです。犬に猫に蛇、熱帯魚に豚にインコに、それからうさぎとか。そうしてやっぱり動物園のスタッフになりたいって夢にいきつくんです。」
 熱心にこんな話をする相手を、私は持ち合わせていない。だからこそかもしれないが、初代面の相手に少々話しすぎてしまっただろうか。彼の顔色をうかがうと、微笑みながら頷いていて、目が合うと目尻にシワを寄せた。
「ここは出しますよ。」
 だからたくさん食べてくださいと言い、店員にホルモンの追加を注文した。
「じゃぁお言葉に甘えて。」
 サーロインとタンを注文し、
「昼間からビールはだめですよね。」
 と真顔で呟いた。

彼女を気になりだしたのはきっとこのせい

 いつになく空が高く感じたある日、昼間からぐだぐだとビールを飲んでつぶれた彼女を自宅に連れ帰ると、お約束のごとく玄関でギブアップし唐突に酔いを覚ましたのは夕方4時頃のことだった。
「本当にごめんなさい本っ当にごめんなさい。」
「いいよ全然、気にしてない、慣れてるし。」
 嘘。全然慣れてない。いや、もっというなら、姉が酔いつぶれて帰ってくることがしばしばなためにこういった事態には慣れているが、相手に関して言えば姉以外は初めてであり、決して慣れているわけではないのかもしれない。
「でも、本当に、他所様のお宅でもどしてしまうなんて、申し訳ありません。」
 恥ずかしいのか、それともまだ酔いが覚めていないのか、彼女の顔はいつも以上に赤い。申し訳なさから丸い目を決して床から上げようとせず、スカートをぎゅっと掴んでいた。
 やっぱり、似てる、誰かに。
 萎縮しているせいかより一層小さく感じる。その愛しさは、必ずしも友に抱く感情ではない。それどころか、まるで恋心のようである。もし本当に恋心の一端であるならば余計に、そんなふうにならないでほしい。面倒をみたがる僕にとって、手のかかる子はある意味大好物のようなものだ。
「おわびに何か、あ、ダスキンとか呼びます?」
 ダスキンとはまさしくDUSKINのことで、きれいに掃除をしてもらおうという魂胆なのであろう。
「いや、ダスキンなんて。玄関だし、気にしてないよそのくらい。だからもう少し普通にしてもらえないかな?それがおわびってことで。」
 ぱっと上げた彼女の顔はけして明るくなく、さらに申し訳なさが加速した感じだ。じっと見つめると下を向いて、そうですよねわかりました、ときゅっと唇を結んだあと、いつものきょとんとした真顔を向けた。
「そこは笑顔かと思ったよ。」
「えっ、こんなタイミングで笑うなんてありえませんよ、漫画じゃあるまいし。」
 普通は笑わないのか。カルチャーショックのような感覚を受け、沈黙をしておく。彼女の対応はなにかと辛辣で、冷静なところが多くあるような気がする。そうかと思うと、酔えばハイテンションになったり好きなものの話を細かく話したりと熱烈な性格も覗かせていた。
 なんとなく、それは本当になんとなくなのであるが、真顔の彼女はお酒のせいかやけに色っぽく艶っぽい気がした。
「じゃぁ今日は泊めてください。」
「は」
 聞き間違いではなかろうか、まさか女性が付き合ってもいない男の家に泊めてくれなんて。返す言葉が見つからず、彼女の様子をうかがうと、なにかに気がついたように慌てた。
「ち、違いますよ、下心とかではなくて、単純に泊めてほしいだけです、こう、お泊まり会的な!」
 男とお泊まり会なんてする女性がどのくらいいるのかむしろ知りたい。なんていう状況なんだ。でもそれを否定、拒否することは申し訳なく、渋々承諾した。

個人的な彼の考察 2

「カレーくらいなら作れますよ!」
 自信ありげに話せるのは、きっとそれが私の大好物であるからで、けしてカレーなら大体誰でも食べられるだろうという目論見が見栄かくれしているわけではない。
 彼の家に泊めてもらおうと思ったのは、自分の思いが真実か見極めようと思ったからである。
 一つ目に、私は彼のことが恋愛対象として好きである、ということ。
 二つ目に、彼も同じ気持ちなのではないかと思っていること。
 どちらも私にとっては重要案件で、自分の不確かな想像で片付けられないものである。ましてや彼の心中を読みとくなどもってのほか。
「痛い思いはしたくないし。」
 ぽそっと呟いてみたが、彼には聞こえていないようだ。
 彼の家は実に生活感があったが、汚いわけではない。冷蔵庫の中身も、この年頃にしてはちゃんと自炊をしてるんだろうなと確信が持てるほどに様々な食材が揃っていた。
 カレーの材料とは、一般的にじゃがいも、人参、たまねぎ、肉といったところだろうか。しかし残念なことに、この冷蔵庫はじゃがいもを持ち合わせてはいなかった。仕方なく、さまざまや具材を細かく切って、キーマカレー風にしようと思う。あくまで”風”とつくのは、キーマカレーの正式な状態を知らない上、それではないと言いきれるからだ。
 彼が、じゃぁお願いしますともカレー食べられますとも言っていないことに気づいたのは、随分あとになってからだ。



     *



「実は今、すごくうれしい。」
 じっとこちらを見つめて、カレーに視線をおとした。
「カレー、好きなんですよ。でもカレーって難しいなってずっと思ってて、作ったことないんです。」
 これだけ生活感のある家にすんでおきながら、カレーも作れないとは意外。
「じゃぁ、今度作ってみてくださいよ。急になんでもなくなりますよ。」
あえて淡々と告げて、つくったら食べさせてください、むしろいっしょに作りましょう、というニュアンスを完全に抹消する。これにどう返してくるかで、彼の気持ちの傾き具合もおおよそわかるものだが、彼の顔色も声色も、彼そのものがまったく変化しなかったので、私も何でもない顔をし続けた。
彼は静かに、いただきます、といって、まるでサプライズで誕生日を祝ってもらった小学生が、おっかなびっくりプレゼントを開けるときのような顔でカレーにスプーンを近づけた。カチャン、と食器同士がぶつかる音がして、カレーのみを掬い上げると、一気に口に運ぶ。スプーンを口に持っていくというより、口からスプーンに近づいたと表現した方が正しいような動作で、彼は一口目を頬張る。そして作り手には最大の誉れの表情の彼が、こう言う。
「至福。」
この表情は、少なくとも私がここ数回の彼との時間の中で見たものとは格段に違う、雰囲気で、形で、音で、においであったのだ。
ここで試しに、小さな賭けをしてみる。
「あなたのために作ったんですよ。」
ああ、私は今、一体どんな表情をしているのであろうか。明け透けな言い方になっていないだろうか。彼はどんな反応をするだろうか。どんな声で、何を、話すのだろうか。
ぐるぐると廻る思考を止められないまま、ついしたを向いてしまった瞬間、しまった、と思った。こんなことを言っておきながら急にうつむくなんて、気があることを丸出しにしているようなものじゃないか。
彼の顔なんて、見られたものじゃない。

確信とは今まさに得ようとしているものである

今、目の前の彼女に期待をしてもいいのだろうか。
「あなたのために作ったんですよ。」
そういった彼女はいつもと変わらず、真ん丸な黒い目をじっと向けた。そしてすぐにうつむき、唇をきゅっと噛んだ。
なんだこれは、期待していいのか。
彼女と知り合って少しばかり経ち、彼女を気になり始めた少し前から、たった今変化し、この行動で確信に変わりつつあるのだが、なにせ彼女からのイエスサインをみつけていないため、いいように捉えている可能性も否定できない。
「そっか。」
それより言うことがあるだろうに、なんといっていいのかがわからない。なんて言うのが正解だろう、なんと続ければ間違わないだろう。
「それは、いいように捉えていいこと?」
賭けだ。
「もしそうなら、こっち見てくれないかな。」
彼女の首筋は見るからに赤くて、返事なんて待たなくてもいいくらいであった。それでも彼女から聞きたい。
珍しくテレビをつけていなかった室内はとても静かであった。いつものニュースキャスターは見えない。でもそれはこの場合は好都合であった。

寂しがりのうさぎ

しとしとと雨の降るなか、カラフルな傘に揉まれて肩は滴模様ができていた。履き慣れたパンプスに少し染み込んだ雨が体温と混ざって温い。今日の天気は予報通り雨で蒸し暑く、カーディガンを脱いでしまいたいほどである。
背中に視線を感じて振り向いたが、私を見ているものはいない。その代わりに、通りすぎたカフェの中に彼の姿を見つけた。
「コーヒーの似合うこと。」
私に気づいたのか顔をあげた彼に胸がときめく。少しだけ加速した鼓動に、呼吸がついていかない。久しぶりに全力で50メートル走をしているかんじ。それを体温上昇という形でからだが表現する。
あきらかになにかをしている彼の手元にはパソコンが開かれていて、コーヒーとともに雰囲気をよくさせていた。



* *



いわゆるネトゲと呼ばれる類いのものに興味がなかったのは、おそらく自宅にパソコンがなかったせいと自身の機械音痴のせいである。そのふたつが合わさったならば、どう考えてもネトゲなんてしないものなのだが、目の前のパソコンではそのネトゲの画面を表示しており、良くいうところの勉強の合間の息抜きなのである。大学卒業まではまだ1年弱の時間があるものの、就活もおわり残りの学生生活を楽しく過ごしたいがために早々から卒業論文に取りかかり始めたのだ。数学科を専攻していたため、文章にはまったく縁がなかったせいか言葉につまる。大学生活で得たことならなんでもいいと言われたことも煮詰まった要因だ。
まだ止む気配のない雨脚にぼーっと視線を向けると、見覚えのある黒い真ん丸な瞳を見つけた。小柄な彼女をこの人混みの中から見つけてしまうなんて、自分の目はどうしたものか。
むこうもこちらに気づいているのか、じっといつものように視線を向けている。ためしに手を動かして、こちらに来るよう催促してみる。これで違う人ならたまったものではないが、なにせ彼女を見つけたこの目には自信があった。
「ネトゲは閉じておくのがマナーかな。」
彼女が来ることをいのって、セーブポイントまで急いだ。


* *



パソコンが閉じられ、私の前にあらかじめ頼まれていたカプチーノが届いた。どうやら私の分らしく、にやにやとこちらを見ているので美味しくいただくものとする。
雨脚はよりいっそう強くなり、帰りに肩を濡らしてしまいそうで少し悲しくなる。このカフェからすぐならまだしも、このあと15分は歩かなくてはいけない。
「最近、どう?元気にしてた?」
この言葉でお察しいただけるであろう、私たちはここ最近会っていなかった。定期的な連絡は取り合うものの、それはあくまで近況報告であって詳細については語られていないのだ。
理由は一言でいうなら短期留学のためであった。そこそこに成績のよかったわたしたちは、専攻していた科目でそれぞれ短期留学生として選出され、2ヶ月間の留学をしていたのだ。私はオランダに生物学で、彼はアメリカに数学でそれぞれ留学し、ホームステイをしながらの生活だったため、語学留学も兼ねられていたのだろう。それ以来の再会であったためにこのような言葉から始まったのだ。
「元気だったよ、一応。オランダはきれいだった。ごはんはやっぱり日本食が好きだけど。」
「こっちも毎日脂っこくて帰って来て一番に居酒屋でおひたし食べたもん。」
そんな他愛もない会話が続き、やがて鎮静が訪れる。雨音と店内のBGMが混ざって困惑する。まるで世界にたったふたりになってしまったみたい。
カプチーノの温度がどんどん下がっていく。
「寂しかった?」
どちらともなくそう口にして、お互いにじっと見つめあったあと、各々の飲み物を含んだ。互いにそれこそ意思疏通で、思いが同じであることを示している気がしたが、あえて話始めた。
「うさぎがさびしいと死ぬって、聞いたことある?」
顔はあげなかったが彼が知っているという表情なのがわかる。
「あれは嘘ですって生物学でちゃんと知識とともに習ったけど、私には信じられなかったの。だってうさぎにも寂しさや孤独はあると思うし、そのせいでストレスが溜まり食欲が落ちて衰弱していく子も実際いると思うから。」
ああ、こんな言葉で伝わるだろうか、いっそ言わなければよかっただろうかと反芻した末、そろりと視線をあげると。

寂しがりのうさぎ

私はうさぎより猫派です

寂しがりのうさぎ

生物学で偶然一緒になったふたりの男女の変化しゆく関係を描いた作品

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-30

Copyrighted
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  1. かくして彼女と出会った
  2. 個人的な彼の考察
  3. 彼女を気になりだしたのはきっとこのせい
  4. 個人的な彼の考察 2
  5. 確信とは今まさに得ようとしているものである
  6. 寂しがりのうさぎ