〈コトバ〉と〈こころ〉の間には・・・・。

 いつものように,自習棟の隅の死角のベンチで,コロッケパンの袋を開けようとしたとき,彼はこう切り出した。
「perfect humanってなんか気になるよね?」
 また始まった。彼の〈コトバ〉へのこだわりが。一日に最低一回は出るこの手のこだわりに僕は,「またか」と半ばうんざりする。昨日もそうだった。「大放送って気になるよね?」と切り出した彼は,ほとんど独白のように三〇分ほど大放送という言葉への違和感を語った。言語よりも数式に親和性を感じるぼくには,いささか苦痛に感じるひと時だ。
文学部の大学院で院生をしている彼が,言葉に関心を持ち,こだわるのはよくわかる。事実,そんな彼に敬意というか畏敬の念すら持っている。しかし,そのこだわりを,僕に一方的に話すことだけはどうにかしてもらいたい。最初の頃はなんとか興味を持って聞いていたけれど,このごろは食傷気味というか辟易するようになった。なんとかして彼の独白を遮り,他の話題に移ろうとするが,一度スイッチが入ってしまった彼を止めるのは至難の業だ。特に,気弱な僕には。
彼が言うには,perfect humanというのは違和感に満ちた言葉であり,概念であるという。動画サイトで中田敦彦氏らのパフォーマンスを見て以来,もやもやしている。そもそも,ここでいうperfectさとは何か。恐らくこれを唱道する中田氏らは,中田氏を全知全能の神として崇め奉るためにperfectという言葉を用いているのだろうが,今一つこの言葉の内実がわからない。何を以てperfectなのか。もやもやする。もしかしたら,perfect  humanとは象徴天皇制の議論につながるのではないか。現在の日本では,godではないにせよ,perfect humanではあるわけだ,天皇は。であるから天皇は象徴なのだと。Perfect humanという言葉を通して,象徴天皇制の政治思想史の議論はできないものか。そうすれば,現行の天皇制の課題について理解が深まるに違いない・・・・・。
僕にしてみれば,彼の言っていることが正直どうでもよかったし,その論理の飛躍ぶりにかえってもやもやして仕方がないのだけれども,それは黙っておく。彼はプライドが高そうだから。僕が思うに,彼がこだわっているのは,言葉ではない。〈コトバ〉だ。あくまでも〈コトバ〉であって,言葉ではないのだ。それは,大文字の言葉と小文字のコトバの差異とも言えよう。まあ,僕のこの考えも観念的で思いつきの域を出ないのだけれど,なんとなくそんな実感がわく。

二年前だろうか。学内の喫茶室で,彼はむしゃくしゃした表情をしていた。
「言葉にこだわりすぎなんだよ,あの人は。」
そして言うのだ。
「仕事は仕事だろうが。」
どうやら,彼は他者の言葉へのこだわりには嫌悪感を示すようだ。詳しく話を聞いてみると,こういうことだった。
とある財団の外部研究資金獲得のために,申請をしなければならず,その方法について先輩のGさんに話を聴きに行った。そこで,何気なく世間話をしていたが,その世間話の最中に彼はいらっとしたらしい。
「先輩は先月博士号を取得されましたが,現在はどのようなお仕事をされているのですか?」
すると,そのGさんはこう言ったという。
「仕事って何?」
彼は意外な質問に思わず面喰ったという。
「仕事って・・・・。現在の職業というか職務内容というか・・・・。」
「最初からそう言ってよ。今は博士特別研究員で働いているの。」
それから,仕事という言葉が出るたびに,「だから仕事って何よ?」と責められたという。もともと,彼女の知識人ぶった態度に嫌気がさしていた彼は,これ以上関わるのはやめようと決意したという。

「仕事ぐらいわかるだろうよ。馬鹿じゃないのか。あいつ。」
そういって悪態をつく彼の態度に,僕は正直,ざまあみろという気持ちが生じていたのを覚えている。日頃コトバにこだわってばかりだからだ,当然の報いだ,と。同時に,何だか彼が可哀そうにも思えてきた。彼女は,言葉というか専門用語に注意を払う人なのだろう。故に,仕事という言葉一つとっても,ゆるがせにはできなかったのだ。そんな彼女の気持ちもわかるが,しかし,それではコミュニケーションが破壊されてしまうではないかとも思う。僕はそんなアンビバレントな気持ちを抱きながら,喫茶室のクリームソーダを飲んでいた。

「僕がなぜ彼女に怒っていたかようやくわかったよ。」
そういってきたのはそれから一年が過ぎたころだった。
彼が言うには,怒りの原因は,彼女への近親憎悪的な感情からだという。言葉の正確性を気にするあまり,コミュニケーションを破壊してきたことに罪悪感を抱いていて,それが彼女への近親憎悪的感情を持つに至った,と。彼にはしかるべき存在の女性がいるにはいたらしいが,そんな態度をとっていたからか,一か月で別れたという。その時の言葉を未だに忘れないと彼は言う。
「あんたみたいな言葉の偏執狂,一生結婚できないわよ!」
彼によれば,一生結婚できないというその言葉よりも,むしろ言葉の偏執狂という表現に悩んだという。悩むべきポイントが違う気もするが,それ以来,コミュニケーションには慎重になったという。そういえば,彼はコトバにこだわることがあっても,人を傷つけたり,話が進まなかったりことは一切ない。コミュニケーションは意外にスムーズなのだ。あのコトバへのこだわりも,害がないと言えば害がない。ただあの独白を長時間聞かされるのが苦痛なだけで・・・・。

それから,一ヵ月経ったある日。何気なく学内の文芸誌を読んでいると,見慣れた名前があった。それは,彼の変名,深田早苗で,その内容は小説だった。その自己紹介文にはこう書かれていた。

【これまで言葉に悩み,傷ついてきましたし,言葉で人を傷つけもしました。しかし,それでも僕は言葉にこだわります。僕はその言語実践の可能性を創作活動に見ました。どうか,僕の言語表現に借りたナルシシズムの発露をお楽しみください。】

彼らしい,ある種諧謔に満ちた表現で頼もしく思った。どうやら彼は小説執筆にブルーオーシャンを見出したようだ。
言葉というものはあいまいだ。故に,イメージを無限大に膨らませられる。しかし,彼の場合,それは学問の場というより,創作活動の場で活かされるものなのだろう。その豊饒な解釈の海に彼は勇躍飛び込んでいったのだ。

そんな彼の小説のタイトル。

【〈コトバ〉と〈こころ〉の間には・・・・】

                           〈了〉

〈コトバ〉と〈こころ〉の間には・・・・。

〈コトバ〉と〈こころ〉の間には・・・・。

〈コトバ〉は複雑で,あいまいで,時に人を傷つける。しかし,それでもコトバにこだわらずにはいられない彼は,創作活動に活路を見出す。言語表現エッセイ風掌編小説。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-24

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