毎月第三土曜日のお茶会

 ドレスコードは決まっていないが、ティーカップは各自持参で。カップの色は何色でも可。材質問わず。ただし花柄であること。
 お茶菓子を持っていく必要はないが、他人に薦めたい自分の好きな本をかならず一冊持ち寄ること。ジャンルは問わない。けれど、文学的魅力のない本だと判断された場合はその場でお引き取り願われる。文学的魅力があるかないかを判断するのは、エノキダさんという女性である。四十代半ば、バツイチ、二十歳になる娘さんがひとり。
 花柄のティーカップで紅茶を飲み、おいしいクッキーを食べながら、他人に薦めたい自分の好きな本(けれども、文学的魅力がある本)を紹介するというお茶会を主催しているのが、そのエノキダさんなのだった。
 文学的魅力がある本、ない本とは、どういうものなのか。
 はじめてお茶会に参加したとき、エノキダさんに訊ねてみたことがある。わたしはそのとき、幼少の頃から大好きで何度も読み返している絵本と、水色の小さな花がリボンやレースと共に描かれたティーカップを持って行ったのだったか。
「これはギリギリセーフってところかしら。次は純粋に花だけが描かれたティーカップを持っていらっしゃい」
 絵本はエノキダさんの云うところの、文学的魅力がある本に選別されたようであった。海外の作家が描いたもので、わたしが生まれる何十年も前に出版された絵本である。絵本のくせに絵が可愛くないところが好きなのだ。登場する動物に愛らしさが感じられない。
「言葉で説明するのは難しいわね。だって直感だもの。わたしが文学的だな、素敵だなと思った本が文学的魅力のある本。ない本というのは、総じてセンスが悪い。わたしの感覚ではダサいに分類されるやつね」
 こういう人なものだから、エノキダさんのご近所からの評判はよろしくなかった。
 わたしはエノキダさんのそういうところが好きなものだから、お茶会には頻繁に足を運んだ。一ヶ月に一度行われるエノキダさんのお茶会で、ここ一年ほど毎回参加しているのはわたしと、それと、エノキダさんの二十歳になる娘さんだけであった。
 エノキダさんの娘さんはエノキダさんにそっくりな顔立ちをしていながら、性格はエノキダさんと真反対で、誰かの好きな本を文学的魅力がないとすぱっと言えてしまえる無神経さが、娘さんにはない。大きな丸いお皿に敷いたレースペーパーの上に、四角いオーブン皿から焼き立てのクッキーをざざっと流し入れるエノキダさんを優しく咎めるのがエノキダさんの娘さんで、
「クッキーが割れちゃうよ、おかあさん」
と言いながらにこにこ笑っているのが、エノキダさんの娘さんであった。
 わたしはまるで子どものようなエノキダさんと、お母さんみたいなエノキダさんの娘さんのやりとりを、エノキダさんの娘さんが焼いたマドレーヌを食べながら見守り、エノキダさんが少々乱暴に扱うエノキダさんお手製クッキーの甘い香りに腹を空かせる。
 今日のお茶会に持ってきたフランス人作家の詩集はエノキダさんの御眼鏡に適ったようで、エノキダさんにぜひ貸してほしいとお願いされた。わたしは嬉しくって、それならば同じ本をプレゼントしましょうかと言ったら、それはいいわとばっさり断られた。
「誰かが読み重ねた本だからいいのよ。何度も繰り返し読まれた本って、持ち主の魂が宿っている感じがして好きなの。美しいわ。本についた指の垢も、持ち主のつけた本の癖もね」
 真ん中の赤いイチゴジャムが宝石のように輝くクッキーを、エノキダさんは好きではないと零しながらもお茶会に欠かしたことがない。
 今日、わたしが用意したティーカップはエノキダさんが云うところの「純粋に花だけが描かれたもの」ではなくて、花を啄む小鳥も描かれているのだけど、エノキダさんからは何も言われなかった。
 エノキダさんがぱくぱくクッキーを食べ始める。
「ひとりでお皿抱えないでよ、おかあさん」と、娘さんが穏やかな口調で注意する。
 わたしは口の中に押しこんだ残りのマドレーヌを、紅茶で一気に流しこむ。

毎月第三土曜日のお茶会

毎月第三土曜日のお茶会

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-15

CC BY-NC-ND
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