アイデンティティ

この間ふと、15年くらい前までは、指先で画面を触って操作するうすっぺらい板みたいな携帯が世の中に普及するなんて思ってなかったし、そんな代物想像することすらできなかったなぁ、と思ったのと、保険証の裏に人生で初めて臓器移植の意思表示をしたのがこれを書き始めたきっかけです。初めてのSFで、ぼんやりプランしか立ててない。頑張って完結させたいと思います。

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 そんな危なっかしいところに立って、落ちたらどうするの。

 そう言われるまで後ろに人がいたなんて気が付かなかった。
 俺は50階建ての屋上から、はるか下に蠢く人や車や清掃ロボットたちを見下ろしていた。ここから見たらどれが人でどれが人じゃないかなんて、よくわからない。
「落ちても大丈夫かもしれない」
「ふーん、あなた生身っぽいのに」
「今時生身っぽくても義体化されてるやつなんてざらだろ?」
「まあね」
「で、あんたは…」
 振り向いた俺は驚いた。かすれた声からは想像できないくらいの美人が立っていたから。
「あんたは…」
 腰に手を当てて、長い髪を風にひらひらさせて立っている。目が大きくてちょっとつり目で、華奢だ。
「私はDRC910414Ⅱで揃えてるわ、この壊れた喉以外はね」
 型番を聞きたかったんじゃないんだが。
「やっぱり揃ってた方が、なんだかんだ言って良いわね。それが聞きたかったんじゃないって思ってる?」
「まさか脳もやったのか」
「違うわ、やるわけないじゃないあんな非人道的なこと。ただの勘よ」
「非人道的って…」
 彼女は少し笑って首をかしげる。
「身体のほとんどを挿げ替えているのに、今更非人道的も何もないだろうって思ってるでしょう」
「…それも勘?」
「そうね、ここからも勘よ」
 彼女は何故か嬉しそうに俺に近づいてきた。俺が彼女の手を握るのを待っているみたいに右手を伸ばして。
「あなたがここから身を投げて完遂できるかわからない自殺をしてみようとしてたのなら、そんなことやめて私とお茶しましょう」
「お、お茶?」
「緑茶が嫌ならコーヒーでもいいわ」
「そういう意味じゃない」
「あら、失礼。勘が外れた」
「それに、自殺しようとしてたんじゃないよ。俺はここが好きなだけ」
 ふぅん。
 彼女はそう言って、俺の手を取った。


 50階建ての屋上から、今度は地下3階のカフェである。
 しかも普通のカフェではなく、ジャンクパーツ専門店兼カフェだ。
「意外と男っぽい趣味だな。えぇと」
「アンナ」
「…アンナ、俺はイヴだ」
「よろしくイヴ。女みたいな名前ね」
 アンナは、店先から奥のカフェスペースまでの通路にところ狭しと並ぶパーツたちを眺めながら言った。
「ここに並んでいるのはみんなゴミ同然の、使えるか解らないようなパーツなの。でも私、自分の最新型の身体よりここのパーツたちの方が好き。この目玉も、足も、腕も、みんな温かみがあると思わない?」
 アンナの指がそっとパーツに触れる。
「でも、一度誰かに使われたものもあるんだろ?俺はなんか気持ち悪くて、嫌だな」
 他の誰かの身体にくっついていたものを使うなんて、グロテスクだ。
「そうかしら、私は『遺伝』っていうの、憧れるんだけどな。ひと昔前の人間みたいな」
 ああ、そういうことか。
 俺たちは、ほとんどの人間が子供の頃に義体化を済ます。顔も好きに変えられるから、親と顔立ちが全然似ていない人なんてたくさんいる。義体化が普及し始めたのは、俺たちの親が高校生くらいの頃だったそうだ。今は、怪我をしない、しても取り換えれば問題ない、故障以外の病気にはほぼかからないのが当たり前の時代だ。
「遺伝ってそういうことじゃないと思うけど」
「知ってるわよ。でも、誰かから受け継ぐ、という意味では共通しているでしょ?」
 彼女はそう言ってジャンクパーツの棚から離れ、奥の二人用のテーブル席についた。くいくい、と俺を手招きする。
「さぁイヴちゃん、あなたのことを教えて頂戴。どうして自殺なんかしようとしたの?」
 ちょっと、声がでかいよ。
 俺は慌てて席に着いて、カウンターでグラスを拭いている店主の方を盗み見た。良かった、聞こえていなかったらしい。
 ふふふ、と笑うアンナ。
「とりあえず、なんか頼もうよ」
「いいわよ、何かあった方が話しやすいのなら」
「だから、そういう深刻なやつじゃないんだ。みんな思ってるようなことだよ、なんていうか…何が違うのかなって思ってさ、その…」
「人間とロボット?」
「そう、いやそうじゃない。人間同士が、何が違うのかなって。ときどきさ、型番が一緒なら同じ人間なんじゃないかって思うことがあるんだ」
 っておい、話聞けよ、お前が聞いてきたんだろ。
「マスター、私アイスコーヒーシナモン入りで、イヴは?」
 すっかり呼び捨てだし。
 俺はアンナが持っているメニューをひったくった。
「うーん、じゃあ…俺も同じので」
 そういえば自然に着いて来ちゃったけど、こいつこそ何であんな所にいたんだろう?
 まぁいいか。

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 俺とアンナは2時間ほどカフェで話した後、病院に向かった。アンナの壊れた喉を治すためだ。俺は特に病院に行く必要はなかったが、アンナがついて来いと言うので何となくついて行った。
「そう、じゃあイブも両親の面影は身体のどこにも残ってないのね、私と一緒だわ」
「どうだろう、もしかしたら残ってるかもしれないけど、俺は知らない。アンナ、危ないから降りたら?」
 アンナは先程から、地面に絶対に触れないで病院まで行く、というルールを自分に課したらしい。ポストやガードレールの上をぴょんぴょん飛び跳ねて移動している。
「いいの、どうせこれから病院に行くんだから怪我したって大丈夫よ」
 それもそうだけど、そうじゃなくて下着が見えそうなんだが。
「下着が見えること、気にしてくれてるの?」
 アンナはいたずらっぽく笑う。
「それも大丈夫、どうせ機械の身体よ。極論を言えば、誰の身体を見たって同じことでしょう?」
 真横を車が通り過ぎるのを気にも留めていない。
「この身体が壊れたら、父と母がまた新しいものと交換してくれるわ、いくらでも。お陰で私はいつでも美しい姿でいられる」
 アンナは、街中に転々と設置されたオブジェの上で、まるでランウェイを歩くアンドロイドモデルのようにくるりと回った。
 俺はその姿を、確かに美しいと思う。
「優しい両親だね。羨ましいよ」
「優しいけれど…優しいけれど、ときどきいない方が楽かもしれないと思ってしまうときがある」
「どうして」
「自信が無いの、親の優しさが怖いときがあるのよ。気が付いたら私の身体は義体化されていて、両親に似ているところは一つもない。私のことを醜いと思ったから義体化したのかしら、両親の理想の娘として生きるために?そのままではなぜいけなかったの?」
「きっとそういうことじゃない。怪我や病気の心配を減らしたかっただけさ、大事な娘ってことだよ」
「そうかしら」
 そしてアンナは黙りこんでしまった。
 アンナの悩みは、俺にはよく解らない種類のものだ。身体のメンテナンスについていつでも気にしてくれる両親がいるなんて、それだけで幸せなことのように思える。それに、50階建ての屋上で俺の自殺(じゃないけど)を止めておいて自分の怪我を気にしないなんて、なんだかちょっと気持ち悪い。自殺を止めた正しさが、急に気持ちの悪いものに変わるような気がする。
 自分は傷ついても構わないけれど、他人は傷ついてはいけないと本気で思っている人なんて、本当にいるのだろうか。

 俺たちは黙ったまま歩き続け、ついにアンナは地面に触れることなく病院に辿り着いた。
「じゃ、この擦れた声、治してくるわ」
 そう言ってアンナは処置室に消えて行く。喉のパーツ交換だけなら恐らくそんなに長い時間はかからないだろう。
 俺は待合室で雑誌でも読んで待つことにした。
 適当な雑誌を手に取り、ソファに座る。こんなに技術が発達したというのにゴシップ誌は消えて無くならない。不思議なものだ。あの若手美人女優は実は人間ではなく完全アンドロイドだった、とか、あの人気ドラマの脚本は、ローズという名の業界内で極秘に開発された執筆用AIが書いていた、とか、眉唾ものの記事がたくさん掲載されている。どうでもいいような記事を暇つぶしの為に読んでいると眠くなる。俺はいつの間にかウトウトと眠りかけていた。

 

アイデンティティ

アイデンティティ

50階建ての屋上からだと、人もロボットも、意識の無い機械も区別が付かない。ある人にとって、そういう場所が不安から逃れられるような唯一の場所となった、少しだけ未来のお話。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-13

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