宝くじに当たった男 最終章

全7章による 宝くじに当たった男 最終章です。

 最終章 夢は果てしなく 

アキラは久し振りに東京のマンションに戻った。
東京に戻って一番先にすること……それは男、山城旭、決まってます。
さっそく旅館探しを始めるのか 偉い! 
ところが最初に電話を掛けたのは美代ちゃんだった。
まあ当然と言えば当然だ。将来の夢へ絶対に欠かせない人だから。
「もしもし美代ちゃん……ぼっ僕です。只今帰ってきましたあ~~」
「……もしもし失礼ですが、お掛けお間違えじゃありませんか」
「え? あの~~~山城ですが。浅田美代さんではないですか」
アキラは一瞬、番号を間違えたかと思った。
しかし携帯電話の番号は間違いなく記憶されている。
確かに美代ちゃんの声だったような?
「ハイわたし、浅田美代ですが。あの山城さんって方は存じ上げません」
「え~~僕ですよ。忘れたのですか?」
「ハイ忘れました。勝手に一人で旅に出て行った人なんか知りませんわ。ですから山城アキラさんなんて方は存じ上げません」
「あっいや、別にそんなつもりではゴメン怒らないで」
「いいえ許しません。私より大事なことがあるんでしょう」
「いや私の一番大事な人は美代さんです。本当です。怒らないで下さい」
「じゃあ本当かどうか、食事をご馳走してくれたら考えるわ」

なんと言う事はない、美代に少し意地悪されただけだった。
その日の夕方、二人は池袋の東口サンシャイン通りにあるイタリアン系のレストランで待ち合わせした。パスタが美味いと評判の店だ。
アキラが約束の六時三十分より十分ほど前に窓際に席を取った。
アキラは確かに旅の間、あまり連絡していなかった。
考えてみれば、旅に出て居る間は新しく出来た仲間と盛り上がり美代の事はそっちのけ状態になっていた。
美代の冗談の中にも本音が潜んでいたことは間違いない。
さてどうして機嫌をとるか考えていた。
そして数分して、益々清楚な服装が良く似合う美代が現れた
「お久し振りアキラさん」
電話の対応とはまったく違う態度だった。
思わずアキラは立ち上がって美代の為に椅子を引いてくれた。
うん? アキラもなかなか女性に対するのマナーも覚えて来たようだ。
アキラが立ち上がると周りの人は、つい見てしまう。
天井に頭がぶつかるのじゃないかと思うほどの長身は人の目を引く。
周りの客達には、アキラ姿がまるで大富豪の令嬢専用ボディガードのように映った。
確かにアキラの方は野獣的でボディガードには向いている。
アキラの風貌をみたら誰も寄ってこない。ただ一見では怖い感じだ。
しかし外見とは別に中身は素晴らしい好青年であるが他人は知る由もない。

「ご無沙汰しました美代さん。本当にごめんなさい」
「うっふふ冗談ですわ。アキラさんどんな顔するか見たかったのよ」
「良かったぁ機嫌直してくれなかったら、どうしょうかと思いましたよ」
「でも旅は良いとしても、ちっとも電話くれないですもの」
「すいません。つい色々とありまして、でも沢山の収穫がありました」
「その収穫って? アキラさん私には相談してくれないんですもの。聞いたわ。アキラさんの夢を真田さんから。私は聞いてないし淋しかったわ」
「いや考えたんですけど、美代さんとのデートにそんな話が似合わないと 思って、つい言いそびれてしまいました」
「そんな妙なとこに気を使わないで下さい。恋人同士だったら相手の事をなんでも知りたいものでしょう。だから少し淋しく思ったの」
アキラは頭の中を蹴られたような衝撃を感じた。
なんでも話せる相談する。それが恋人と言うものなのか。
女性との付き合いのないアキラは改めて女心を知った。
ただ労わるだけじゃなく、自分の心を伝えてこそ本当の愛なのだ。
やはり美代は素晴らしい人だ。
「ごめん。これからは何でも相談するよ」
「ハイその方が嬉しいです。早速ですけどアキラさん旅館をやってみたいのでしょ。私も凄く興味があるわ。女性にしか出来ない事もあるでしょ」
美代が初めて旅館に興味を抱いた。アキラもまさか美代そう思っていてくれるとは想像もして居なかっただけに嬉しかった。
これでは将来、美代は女将さんになってくれるのかなと、ふっと思った。
「あら何を考えていらしゃるの? 嬉しそうな顔をしているわ」
「あっ、いいえ何も」とは言ったが綺麗な瞳に見つめられドキッとする。
今、思った事を見抜かれたのかとアキラは苦笑いした。

能登に行っている間に美代の言葉使いと態度が些か違う。
それを感じとったアキラは美代ちゃんとは言えず自然と美代さんとなっている。

「美代さん。僕の旅も無駄じゃなかったような気がします。その旅でね、熱海で旅館を経営している人と知り合って、懇意にして貰っているんですよ。以前話した、その旅館は松の木旅館と言うのですが、そこの主人と親しくなりまして今ではその家族と旅館の従業員の人達も親しく付合いさせて貰い暫く旅館の手伝いをしていたんです。今度一緒に行って見ませんか」
「もうアキラさん。その話は何度も聞きましたわよ。でもちっとも紹介して下さらないから行きそびれたでしょ。でも優しいから誰にでも好かれし人徳ですよね。アキニさんは」
「あれ~~そうでしたっけ。今度は間違いなく紹介しますから」
 今日の美代はいつものお淑やかな美代ではなくビシビシと攻めてくる。
 
美代は優しいと言ったが知らない人はアキラの優しさを知らない。
優しさを知るまでは、その怖い外見をクリアしないと誰も分からない。
「えっ優しいんですか俺が、いや僕が」
「ええ、とっても優しいわよ」
「それは誉め過ぎですよ。あの~都合が良い時で結構ですけど熱海に行く日はどうします」
「熱海は行った事はありませんが西伊豆なら何度も行っていますわ。だから熱海は早く行ってみたいです。アキラさんの都合は? 私は来週の土曜日なら宜しいですよ」
「本当ですか。あっあの旅館の人達に紹介したら喜んでくれますよ。ハッハハ」
アキラは思わず照れ笑いをした。
二人で温泉に行こうなんて言えば誤解を招きかねない。

その辺は美代も心得ていた。アキラなら紳士だと信じているからと。
「でも私なんか行って、ご迷惑をかけないかしら」
「とんでもないですよ。みんな歓迎してくれますよ」
「ハイじゃあ楽しみにしていますわ。その松の木旅館さんでアキラさん評判を聞くのも楽しみだわ。ふふっ」
「美代さん意地悪だなあ、でも少なくても子供には好かれていると思いますよ」
「子供さんって? その旅館のお子さんですか」
「ええ子供と言っても中学生で男の子と女の子なのですが、とても可愛いんですよ。そうだお土産を忘れないようにしないと、どんなの買って行こうかな」
「あら子供さんのお土産、アキラさん今から一緒に買いに行きません」
二人は食事を終えて、お土産を買うにデパートに繰り出した。
その二人のうしろ姿は幸せに満ちていた。
日曜日の朝、アキラの愛車ランドクルーザーに美代を乗せて熱海に出発した。
今日の美代は普段見慣れない服装をしていた。
なんと初めて見るジーパン姿だ。
清楚なお嬢様から何処にでも居る若い女の子に変身していた。
アキラは相変わらずラフな服装だが長身にピッタリと似合う。
着こなしも、なかなかのものだった。
後から見たら均整のとれた男らしく逞しく感じるのだ。ただ後からだが。
出来れば前を見ないでと付け加えて置こう……
車は湘南バイパスを左に海を見ながら走る。
アキラは滅多に高速道路は使わない。
ゆっくり走るとその地方の景色を楽しみたいらしい。
車の窓を開けると潮風が心地良い。
六月にしては晴れていて夏を思わせる日差しが強い。
「アキラさん気持いいわねぇ。やっぱり海は最高ですね」
「あっあっそうですね美代さん」
「ねえアキラさん旅館を選ぶとしたら、どんな場所と思っているのですか」
「そりゃあ海が見える場所が良いですよ。ただ僕の予算からして廃業した旅館物件を探さないと無理ですかね。ただ廃業した旅館を手入れしてオープンしても以前の悪いイメージが残っているし、折角オープンしても繁栄するのか難しいですよね。かと言って条件の良い場所に新築なんて言ったら規模にもよりますが五億円いや十億円でも駄目でしょうね」

「まあ、そんなにですか。銀行の融資ではそれなりの担保と実績がないと難しいと思いますわ。私の勤めている銀行も査定が厳しくなりましたから」
美代は別に落胆するような事を言うつもりはないが、現職の銀行員だ。
ここでお世辞を言って期待を持たせるような事は返って酷と思ったからだ。
可愛い美代も、融資の話が出た途端に一人の銀行員になっていた。
「そうですよ。簡単に旅館をやりたいと言っても問題は山ほどありますから でもまだ若いですから一つ一つクリアして行けば楽しいですよ」
「私もそう思います。例えは良くないですがゲームだと思って難問をクリアして行けば……私もそのゲームに参加出来ますか」
美代はゲームに参加すると言った。旅館経営をゲームに置き換えてサラリと言ってのける美代の真意は。
アキラの驚きは後にして、車はやがて熱海市内に入った。
熱海の海岸添えから繁華街に入って坂道を登ると松の木旅館が見えて来た。
「わあ! 素敵な旅館ですね。落着いた感じで老舗てっ感じがしますわ」
時々、浅田美代の語尾が上流階級の言葉に聞こえて来るが何故だろう?
今のアキラは上品な言葉を使う女性だなとしか受け取っていなかった。
いずれ浅田美代がどんな環境の家で育ったか明らかにされるだろう。

「さあ美代さん着きましたよ。いま女将さんに挨拶に行ってきます。ちょっと待っていて下さい」
そう言ってアキラは旅館の裏口の方に入って行った。
アキラと一緒にオーナーの宮寛一と女将の貞子が笑顔で出て来た。
「まあ遠い所をお疲れ様です。アキラさんには本当に世話になっているのですよ。さあさあ中に入って下さい」
女将が美代へにこやかに話かけた。宮寛一も同じくニコニコと話かける。
「どうもどうもお疲れさまです。どうぞどうぞ中へ入って下さい」
やっぱり似た者夫婦、言う事が同じだ。
松の木旅館のオーナーと女将は、浅田美代を心より歓迎してくれている。
アキラも美代もそれは充分に感じとれた。
「紹介します。こちらは浅田美代さん東京の方で親しくさせて貰ってます」
「初めまして浅田美代です。素敵な旅館ですね。山城さんからはこちらの皆様のことを色々伺っております。外国の方ならきっと、こちらの旅館なら日本の文化に触れられる気分になるでしょうね」

「えっ外国人ですか?」
女将とオーナーの宮寛一は何か感じるものがあった。
挨拶の返事も忘れて女将と寛一は顔を見合わせた。
アキラもそれは同じだ。一瞬、場が静まったことに、美代は何かいけない事を言ったのかと。
「あの~~私……何か失礼なことを申し上げたのでしょうか」
寛一が慌てて否定した。
「あっいいえ申し訳ありません。我々が考えもしなかった事をお聞きして、正直ハッとしました。いやあ参考になります」
美代が挨拶に合わせて思ったままの事を言ったのだが。
アキラも其処までは考えが及ばなかった。
それを没頭でズバリと言って退けた。
美代は、失礼なことでは無さそうだと安堵したが自分の言ったことに、三人は明らかに様子が変わったことは確かだが。
美代は怪訝な顔でアキラを見る、それにアキラは応えた。
「美代さんは今、凄いヒントを与えてくれたんだよ。それに宮さんと女将が気づいたと思うよ。ねえ女将さん」
「ええ、アキラさんの言う通りです。いま熱海は昔のようにお客さんが来てくれません。特に若い方は古い旅館は余り足を向けてくれませんし浅田さんに外国の人ならと言われて正直ドキッとしました。そんな事は考えもしなかったわ。なんとかして東京方面のお客に来てもらおうと、日本人を対象にしか考えてませんでした。私達のような日本旅館なら年配の方が喜んでくれるとばかり考えてましたのよ。考えて見れば外国人の宿泊は皆無でしたから」

女将は途中で話を止めて、美代とアキラにお茶を勧めニコリと微笑む。
「あらあ、私本当に失礼な事を申し上げたのかと思いました。私は素人ですから、どうしても客の側から見てしまいますので」
そこにオーナーの寛一が口を挟んだ。
「いや一番大事な事は、お客様が何を望んでいるかと言うことです。私達は外国人なんて滅多に泊まってくれませんし、来ても英語か苦手で対応仕切れないから来なくてもと思っていました」
アキラはその話を聞いていて相槌を打った。
「美代さんの言った事は俺にもいや僕にも成る程と思ったよ。そうだ宮さん、これからは旅行社に外国の斡旋を頼みましょうよ。それにホームページを作って外国の人にアピールしたら受けるよ」
「ホームページですか……どうも私たち夫婦は、そちらは苦手で」
「あのう私で良かったら作ってみましょうか、ただある程度の資料などが必要ですけど。それと英語が苦手でも英語が得意な学生さんならバイトで充分対応出来ると思いますわ」
初対面だと言うのに、もう美代は話題の中心人物になっていた。
宮夫妻も、初対面と言うのも忘れて外国人の受け入れに夢中になっていた。
「それは有り難いです。あっいやいや初対面の方にいきなり失礼ですよね」
「いいえ、私もそう云う事が好きですからお役に立てれば構いませんわ」
浅田美代は宮夫妻に気に入れられたようだ。
そんな、いきさつから意気投合した四人の話が盛り上がった所へ一人の板前が慌てたように部屋に入って来た。
「兄貴~~水臭いじゃないですか、どうして一声掛けてくれないですかあ」
それはアキラが北海道までの旅の道中で面倒みてやった山崎恭介二十六歳だった。
「おう恭介! 元気でやっているか、おお~なかなか板について来たじゃないか。そうだ美代さん恭介は板前の修業中です。それを松の木旅館に預けていたんですよ」
美代はポカンとした。
アキラを兄貴と呼ぶこの男は一体アキラさんの何なのだろうと、そんな知り合いが居るとは初耳だ。
「ああ、美代さんにまだ言っていませんでしたか。この男は山崎恭介と言って松の木旅館で板前の見習いをしていて、旅の途中で拾って来たんです」
白衣のまま立って話をしている恭介に女将の貞子は言った。
「恭介くん、そんな所に立っていたら失礼でしょ。座ってお話しなさい」
「あっすいません女将さん。つい兄貴いやアキラさんが帰って来たと聞いて慌てて飛んで来たんです。仕事が終わってからね兄貴」
「まあ恭介くんたら、余程アキラさんが帰って来たのが嬉しいみたいね」
女将は我が子を叱るように優しく恭介に注意したが、どうやら恭介は女将や主の寛一に気に入られているようだ。
「まあまあ浅田さん遠い所、お疲れでしょうから少し休んでから、またゆっくりお話しましょう。先にお部屋にご案内しますね」
「あっハイお世話になります。じゃアキラさんまた後でね」
美代はアキラに微笑み、女将の後に続いた。
部屋に残ったのは主の宮寛一とアキラの二人だけだ。
「アキラさんも隅に置けないなあハッハハ、友人を連れて行くとは聞いて居たけど、女性だと一言も聞いていませんよ。しかも美人。それにしてもしっかりしたお嬢さんだ。アキラさんも人を見る目が高いねぇ」
寛一はアキラの彼女と決め込んでいた。それも嬉しそうに。

「宮さん茶化さないでくださいよ。でもこんなに歓迎してくれて美代さんもきっと喜んでくれると思います。ありがとう宮さん」
「なにを言っているのアキラさん。私はね本当に嬉しいんだよ。弟と言っては失礼だが、家内も私もそう思ってるんですよ」
「またまた宮さん。涙が出るような事を言わないで下さいよ」
そこまで言われて、さすがのアキラも照れていた。
「処でアキラさん。旅館経営計画の方はどうなっていますか」
「色々と周って来ましたが、旅館に必要な基礎的な事ですが、まず露天風呂ですか、飯坂温泉に良い所がありました。林の中に露天風呂があり自然と調和した感じが良かったですね。小鳥もさえずりも情緒がありましたね」
「そうですか、うちの松の木旅館も露天風呂を考えなくてはいけないかな。何せ街の中だから露天風呂から眺める景色が隣のビルではねぇ」
「いいえ素人の俺が言うのもなんですが、美代さんが言っていた外国人の斡旋を優先したらどうですか。外国人の人は共同風呂と言うのは慣れてないし、大半の人は室内風呂を利用すると考えられます。和室にもっと日本風の物を取り入れるとか、料理も外国人にも食べられる日本料理の工夫とか、浴衣も良いのですが、人に依っては抵抗もあるでしょう。ガウンとか何点か好きな物を選んで貰うとか」
アキラは旅を続け、いろんな旅館で感じた事を外国人の立場に立って淡々と語った。
宮寛一は「なるぼと」と何度も頷いた。
「いやあアキラさん。色々と勉強していますねぇ流石ですよ」
「とんでもないです素人がプロに向って偉そうに語って、ただ客の側から 感じたままに言っただけです。外国人に関しては想像ですから」
二人は熱く旅館の話をしている所へ、まもなく食事が出来るのでアキラに風呂に入ってからどうかと聞いてきた。
アキラは大浴場に向かった。松ノ木の旅館の大浴場は二十人ほどが一度に入れる。このクラスの旅館にしては大きい方だ。
夕食は美代と二人だけの食事となった。
その美代の浴衣姿はなんとも女の色気を感じる。日本女性の見本のようだった。アキラは美代の浴衣姿に、ただただウットリするだけだった。

「あら なあに? アキラさんジロジロ見て恥ずかしいわ」
「あっいいえ、浴衣姿の美代さんが、あまりにも綺麗なもので」
「まあ~~またお世辞ですかアキラさん」
「いいえ、お世辞なんかじゃありませんよ。思った通りに言っただけです」
そんなアキラの浴衣姿といったら、一番大きい浴衣を用意して貰ったのだが
とても似合うと言う感じではなかった。
特性で作って貰うしかないようだ。大抵の旅館ではMとLくらいしか用意していない。
アキラのように百九十八センチともなると浴衣はおろか、蒲団でさえ足がはみ出てしまう。サービス業の割には特大サイズを用意していない旅館が多い。
せめて蒲団、浴衣は四~五組用意して置けば足りると思うのだが。
これは大きな外国人を対象にしていない事を意味する。
熱海の繁盛期は日本のハワイをイメージした新しいタイプの温泉地だった。
当時は新婚旅行候補一位となった熱海だが、今や古いタイプのリゾートは受け入れなれなくなった。そもそも熱海は外国人を対象にしていなかったのも経営圧迫に拍車をかけている。
ともあれ、初めての旅館で一緒の食事。
アキラに、おかわりのご飯を美代は、おひつから茶碗に入れてくれた。
アキラは新婚さんの気分って、こんなものかなぁと至福の時間を堪能していた。
それにしても優しく、そして上品なしぐさ本当に素晴らしい女性だと思った。こんな俺に夢ではないかと思う程に。
「あの~~アキラさん」遠慮がちに美代が言う
恍惚状態のアキラは美代に声を掛けられ我に返った。
「あっハイ? なんでしょう」
「とても大事な事で、本当は私……困っている事があるのです」
美代は急に下を向いて、悲しげにアキラに助けを求めるように語る。
「えっ美代さんが困っているのですか、その美代さん困らせる奴は誰ですか。場合によっては僕がそいつに言ってやりますよ」
「本当ですか、本当に言ってくれるのですか?」
「勿論です。美代さんの為なら命を掛けても守ってみせます」

アキラは力強く美代にきっぱりと言った。
本当の男として美代を守って見せる。胸を張って言ったのだった。
しかしその相手とは、以外も以外アキラの一番、苦手な相手だった。
「アキラさん……本当ですか? 間違いないですよね」
美代がこんなに真剣に念を押して聞いてくる。どうして。
「もっ勿論です。美代さんが困っているのに僕はほっておけないですよ。相手が例えヤクザだろうが」
「それが……父なのです」
「え~~~! おっお父さんですかあ」
確かに以外な相手だ。いくらアキラでも美代の父では相手が悪い。
「そうなのです。実は父にお見合いを勧められて困っています」
「え~~お見合いですかあ。美代さんのお見合いを止めて良いのですか」
「アキラさん……じゃあ私がお見合いしても平気なの」
それはそうだ。アキラしか止められない。この意味はアキラに分かるのか?
つまりアキラが正式にプロポーズをしてお見合いを断らせる事だ。
アキラは、もはや確信へと変わった美代と結婚したい。
「分かりました美代さん。僕は美代さんが好きです。美代さんが僕の為に縁談を断ってくれというなら、なんでもします」
「嬉しいわ、アキラさん。わたし本当に嬉しいです。ただ父に私が縁談を断るには理由が必要です。つまりその……結婚を約束した人が居ると……」
「あっあの、それってどう言う意味ですか」
「もうアキラさん、それを私に言わせたいのですか?」
流石に鈍感なアキラでも美代が言っている意味が分っている。
「ごっご免なさい。こんな無骨な男で将来も見えない男がプロポーズして良いのか悩んでいました。でもやっぱり美代さんしか僕の嫁さんになる人は居ません。お願いします。美代さん結婚して下さい」
美代は何も言わず下を向いて、止めどもなく流れる涙をハンカチ押さえ嬉しさに肩を震わせて泣き続けた。二人は手を取り合って泣いた。
アキラのゴリラのように怖い顔からガラに合わない涙が止めどもなく出る。

こうなったら、もう全てを美代に話して置かなければならない。
アキラは改めて美代に向き直り言った。
「美代さん……実は僕も聞いて欲しい事があるのですが」
「ハイ? なんでも仰ってください」
「私の家族は母しか居りません。子供も僕だけで父は勝手に家を出て行ったのです。僕が二十才で大学二年の時でした。もう八年になるでしょうか、そんな訳で大学も中退しました。でも父は恨んでいません。夫婦間のことですから、その時の自分には親は勝手過ぎると思いましたよ。ですから僕は家庭という物を大事にしたいのです。美代さんとなら、きっといつまでも暖かい家庭を築けるかと思っています」
「辛い思いをなさったのですね。御両親の離婚って子供には辛過ぎますよね。ただ私は思うのですが、アキラさんが二十才になるのまで離婚を待っていたのは親としての責任を果たしてから、新たな人生を始めたのではないのですか。夫婦間の事は分かりませんが、子供への愛情は変わらないと思いますわ」
「そうですね。その母なのですが僕のマンションから近い所で小さな居酒屋をやっています。つまり居酒屋のおばさんです。そんな母ですけど会ってくれますか」
「勿論ですわ。貴方のお母様にお会いしたいです」

「でも、その前に美代さんの問題を解決しないといけませんね」
「ありがとう御座います。厳格な父ですから、お見合いを断ってもそれなりの理由がないと、その理由はアキラさんだと胸を張って父に言います。母は私の気持を分かってくれると思うのですが父が問題です」
「なんだか少し緊張して来ました。ハハハッ」
話は一気に進み、男アキラの一世一代の出番に武者震いをした。
ここでの一世一代とは、結婚する相手の両親に承諾を頂く時を意味する。
しかしアキラの場合、初対面で尚且つ、見合いを止めて結婚を迫るのである。
「アキラさん急にご免なさいね。もっと早く父に貴方の事を言って置けばこんな事にならなかったのに」
「いいえ例え方が悪いのですが、虎穴に入らずんば虎子を得ずです」
「まぁそれじゃあ私は虎の子なのですか。うっふふ」
「いやあ、ただそのくらいに緊張すると言う事ですよ」
「ありがとうアキラさん。私の家に行く前にアキラさんにも話して置かなければなりませんわ。家族は父と母と私の三人ですが、兄は結婚して近くに住んでいます。父は旅行会社をやっていますの、それで松の木旅館さんの、お役に立てるかなと思いましてね」
しかし美代は旅行会社をやっているとは言ったが規模は言わなかった。
これから沢山、会う機会があるから、いつでも話せると思っていた。

夜の十時が過ぎた頃、宮寛一と女将そしてアキラが旅館の隣にある自宅の広間で、ささやかな歓迎会が開かれた。
山崎恭介を美代に紹介し、その恭介との出会いを語った。
美代との関係は言わずとも分かる筈だと、照れ屋のアキラは親しい友人と伝えただけった。友人どころか二人は永遠の愛を誓ったばかりだった。
しかしその愛を実らせるには、まだ大きな壁が立ち塞がる。
「宮さん、恭介は調理人としては、どうなんですか駄目なら、いつでも辞めて田舎に帰るように言って下さい」
「ハッハハアキラさん逆ですよ。出来ればいつまでも居て欲しいくらいですが、アキラさんが旅館を始めたら、そこの料理長になるんだと口癖のように言ってるんですよ」
「恭介、悪いけどなぁ遠慮させて貰うぜ。恭介の不味い料理じゃ客が来なくなるからなぁ。ヘッヘヘ」
「アニキ相変わらず口が悪いんだから嫌になるよなぁ、でも俺ぜったいにアニキから離れませんからね」
そんな恭介とアキラのやりとりを、美代は改めて思った。
誰にでもこんなに好かれる男を自分が選んだ。間違いないと確信した。
美代は外国人斡旋の話と、ホームページ作成の話を宮夫妻に、東京に戻ってから半月後にまた松の木旅館を訪れると約束した。
翌日の朝の日曜日、宮の息子の信二と娘の舞子がアキラ一緒に庭で遊んでいた。美代は子供と無邪気に遊ぶアキラに目を細めた。
きっといつの日か、アキラさんと私と子供達で遊んでいる姿を想い浮かべた。
そんな二人を恭介は、お似合いのカップルと思っている。
恭介には、その日が来るまで待つようにと約束して熱海を後にした。

アキラと美代が東京に戻ってから一週間が過ぎた。
いよいよアキラ一世一代の大仕事が始まるのだ。
間もなくの運命の日がやって来る。その前に美代の兄との顔合わせだ。
美代には五才年上の兄がいる。二人っきりの兄妹だそうだ。
美代は何かと兄に相談していた。そして先日ついにアキラと交際している事を告げたが両親が進めている縁談を、どうやって断ろうかと兄に相談を持ちかけた。
兄はある程度は理解してくれたが、ただ良い人が居ると言うだけでは親を説得出来ないと言う。
確かにそうだろう。直接会わせてから判断しても貰うしかない。
山城旭という人間を知って貰う必要がある。
まず兄とアキラを合わせる事から始まった。
そんな事情をアキラに話したら、勿論ですと快諾してくれた。
数日後、渋谷駅近くのレストランで待ち合わせた。
ただ兄にはアキラ身長の事は話していなかった。
既に美代の兄は席に着いていた。そこへアキラと美代が入って来た。
美代の兄はアキラを見て仰天した。見た事もない大男だった。
「お兄さま。お待たせ。こちらが山城旭さんです」
紹介されたアキラは大きな体を丸くして挨拶した。

「初めてお目に掛かります。山城旭と申します。美代さんとはある事が切っ掛けで交際に至り、一年半くらのお付き合いをさせて頂いて降ります」
「こちらこそ、美代の兄で浅田智久と申します。妹がお世話になっています」
智久から見た第一印象は外見とは裏腹に、礼儀正しく如何にも美代を大事にしているか分かった。一方のアキラは緊張の連続だった。
今回は挨拶程度で終ったが、兄の智久は力になってくれると約束した。
こうして兄の応援を受けた二人は勇気百倍となった。
後は兄とアキラと美代と三人で父に直談判しかないと踏み切ったのだ。
その段取りを兄がしてくれたが、アキラの身の上は伏せてあった。
それとは別に、アキラも美代の本当の姿を知らない。
まだ知らせる段階ではないと美代と智久は考えていた。
ただ親には、妹が友人を連れて行くから会ってやってくれと伝えただけだ。

アキラの想像では浅田美代の父は小さな旅行代理店を経営していると思っていた。それでも居酒屋の息子とでは引け目もあったが。
確かに裕福な感じのお嬢様風には思えたが、その想像を遙かに超えていた事に後でアキラは驚く事になるだろう。
兄の計らいで、いよいよ美代の両親と会う事が決まった。
美代と待ち合わせた場所は、小田急線、成城学園前駅の北口だった。
成城と言えば大田区の田園調布に並んで高級住宅街で知られている。
あの映画(男はつらいよ)で寅さんが虎屋に訪ねて来た娘を、田園調布生まれと聞いて
「農家の娘さんか、ボツボツ田植えの季節だ。お百姓さも大変だね」
と、その田園調布から家出して来た娘と虎屋一家を笑わせるシーンがあった。
田園調布と肩を並べて、もう一方の高級住宅街は世田谷区の成城である。
どちらも渋谷から川崎寄りに位置し繁華街とは異なるが、それだけに住み心地が良いらしい。
美代は成城学園前駅でアキラの車を待っていた。
アキラはその駅の前に車を止めて美代の姿を探し……居た!
今日は一段と清楚な淡い空色のワンピースを着ている。実に清々しい。
一方のアキラは落着いた黒に近い紺色の背広を見事に着こなしている。
今日は髪もいつもより短く、清潔な感じで決めて来た。

「アキラさ~ん。こっちですよ」
美代はアキラの車を見つけて手を振った。
「どうも美代さん、でもやっぱり緊張しますね」
と無理な笑顔を作る。
美代を助手席に乗せて美代の案内で五分ほど走った。
さすがは成城と言われるだけがある。
何処の家も最低百坪以上で屋敷と言った方が相応しい家ばかりだ。
アキラも随分立派な家ばかりだなあと思っていたが。
「あっそこの家ですよ」
と言われた家は同じ高級住宅でも際立つ、まさに超高級住宅だった。
門には『浅田大二郎』と書かれてあった。
なんと自動的に門が開いて中庭だけでも百五十坪もあろうか、まるで公園だ。
中央には噴水が日差しを浴びて虹を作っている。

一面芝生で敷き詰められた両隣は花壇で花が咲き乱れている。
その先に家というよりも館と言うべくか大きな建物がある。
その正面に女性達数人が並んで二人を待ち受けていた。
アキラは美代をお嬢様育ちかな、とも思ってはいたが、しかしアキラの想像とは桁外れに凄い家で度肝を抜かれた。
建物は洋館と純和風住宅二棟に別れているが、屋根付き渡り廊下で繋がっているようだ。
その中庭の右側が駐車場になっていて来客用として二十台は楽に置けるくらいだろうか。左側は立派な日本庭園になって、その中央に大きな門があった。
もう見るからにアキラは圧倒された。『大変なことになった』
アキラは度肝を抜かれた。俺みたいな者ではつり合いが取れない? 
居酒屋を営む母の息子には「お嬢さんと結婚させて下さい」なんて言える訳がない。
とんだ高値の花だ。身の程知らずだった。正直逃げだしたくなった。
それもその筈、浅田ツーリストと云えば日本でも三本の指に入る超大手旅行会社であり傘下の子会社も二十社以上もある大企業の創始者の父を持つ、お嬢様だった。
アキラはやっと浅田で思い出した。毎日のように流れる浅田ツーリストのCMを知らない者は居ない。そこのお嬢様と知った。
―――怖いもの知らずのアキラも完全に臆してしまったのか?―――

駐車場に車を停めてアキラは黙り込んでしまった。
そのまま動こうとしないアキラ。
車から降りようとした美代は、アキラの様子がおかしいので声を掛けた。
「どうしたの。アキラさん?」
「みっ美代さん……まさかこんな凄い家のお嬢さんだなんて、僕にはつり合わないですよ。美代さんにはもっと良い人が」
美代は信じられない言葉を聞いた。別人のように自信を失っている。
「アキラさん……熱海で私に言った言葉はなんだったのですか! 私はアキラさんと結婚したいのです。アキラさんは嘘を言ったのですか?」
美代の表情が一変した。今まで見たこの無い厳しい顔だ。
「嘘じゃありません! 僕には美代さんしか居ません永遠に」
「それならつり合わないとか仰らないで下さい! 私だって大人です。誰に反対されようとアキラさんしか居ません。例え今日これから両親に反対されても私は家を出る覚悟まで決めています」
アキラに全てを託したのに、私をしっかり捉まえてと強い意思表現なのだ。
大きな屋敷を見て圧倒された自分が恥かしかった。
それなのに自分を見失い情けないと思った。
「でも……僕なんかと結婚したら苦労しますよ。社交的なマナーも知らないし、ただの成金です」
「アキラさん。あの強いアキラさんは何処へ行ったのですか? どんな相手でも、物怖じしないアキラさんじゃなかったのですか」
今まで見た事もない美代の凄い剣幕だ。
今にでもアキラの頬を引っ叩くのじゃないかと思う程だった。
アキラも美代の剣幕に驚きと共に自分を取り戻した。
ここが一世一代の正念場ではないか。男だろうアキラと言い聞かせた。

「美代さん。分かりました本当にこんな俺でいいのですか。御両親の前で結婚したいと伝えて良いのですか」
俺とアキラは言った。僕だなんて飾っては居られない。本来の自分に戻った証拠だ。
美代はアキラの覚悟を決めたような言葉に、ほっとした顔をする。
「勿論です。私はアキラさんと一緒に生きて行くと決めたのです。だからいつものアキラさんに戻って下さい。そして私を守って下さい」
「分かりました。もう落ち込んだりしません。絶対に美代さんを守り幸せにします」

アキラは人に負けたのではなく、巨大な資産の力に一時的に飲み込まれてしまった。
完全に我を失いかけていたが、美代に叱咤され生き返った。
しかしこの屋敷は、かつて日本のドンと言われた総理大臣の屋敷のような訪れる人々を圧倒せずには要られない雰囲気が漂っていた。
それもその筈である『浅田ツーリスト株式会社』
日本でも三本の指に入る大手旅行会社で毎日のようにテレビCNで放映され誰一人知らない者はいない。

そんな時、メイド達であろうか四人ばかり笑顔で二人の前に近寄って来た。
「お嬢様、お帰りなさいませ。先程からお兄様がお待ちですよ」
「あらそう。分かりました。え~とこちら山城旭さんです」
「山城さま、いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
緊張したアキラは、こうなったら天皇陛下だろうと誰だろうと同じ人間なんだ。あの福沢諭吉の言葉を思い出していた。
〔人の上には人を作らず、人の下には人を作らず〕人間誰もが平等なんだと。
門を潜り二十メーターほど歩いた所に玄関があった
そこには三十前後であろうか青年が出迎えてくれた。勿論、美代の兄だ。
「やあいらっしゃい。先日はどうも改めて美代の兄、智久です。改めてどうぞ宜しく」

 美代は兄の家に来る前に昨夜、兄の家に行き相談していた事だ。
 だから今日は少しリラックスして話が出来る。
その智久の家と言うより屋敷が相応しいが。勿論、大二郎は隣の和風の屋敷で、その隣は智久の洋風の家と別れている。
親子でも好みが違うと建てる家も違ってくる。
大二郎は和風好みで、息子夫婦は洋風好みで、それに合わせて作ったそうだ。
美代は渋谷近くのマンション住まいと、それぞれ独立していた。
美代のマンションからタクシーでも十五分と掛からない距離だ。

「やあ美代、なんか心配ごとでもあるのかい?」
「お願いお兄様。なんかアキラさん動揺してしまって、このままでは、お父様と対面しても、一喝され追い返されそう気がしてなりません」
「そんなに彼は動揺したのか? 信じられん。でもどうしで浅田家の事を言ってなかったのか」
「それも考えました。でも家柄ではなく本当の私自身を見て欲しかったの」
「それは分るが……大丈夫だよ。彼はそんな柔な人間じゃないと思うよ。まぁいざとなったら助け舟を出すから心配するなよ」
美代の兄は三十一歳で美代より五歳年上で子供も一人いた。
それが昨夜、兄と話した出来事で、美代も少し安心していた。
笑顔で美代の兄に通された部屋は三十畳もあろうか大きな洋風のリビングだった。アキラはまたしてもヒビリそうになった。
そのリビングにあるソファーを勧められ、美代とアキラは隣同士に兄の智久はテーブルを挟んで向いに腰を下ろした。
「先日は何かと相談に乗って頂き、ありがとう御座いました。今日は美代さんから招待を頂き厚かましくも来てしまいました。宜しくお願い致します」
「話は妹から伺っております。厚かましいだなんて、とんでもありません。むしろ妹が無理矢理あなたに来て頂き、迷惑じゃなかったでしょうか」
「まあ、お兄様ったら無理やりじゃないわ」
「いやあ悪い、そんなつもりじゃないのだが。ハハハッ失礼しました」
智久は緊張したアキラを見てリラックスさせようと気を使っているようだ。
「いいえ、おかげで気が楽になります。ありがとう御座います」
そこへ二人のメイドが紅茶とケーキなどをテーブルに並べて深くお辞儀をしてから部屋を離れて行った。
「処でお兄様、お義姉様と沙織ちゃんはねお出かけ?」
「ああ実家に沙織を預け、なんでも学習院時代の友人達と帝国ホテルで食事するとか行って出かけてるよ」
学習院とか帝国ホテルとかアキラとは次元の違う世界に聞こえた。
「山城さん、ゆっくりして下さい。実は昨日、妹から全てを聞きました。あの銀行強盗の時に貴方が命がけで助けてくれたそうですね。それ以来、美代は貴方の名前は出さなかったのですが貴方の事をことあるごとに私に語るんですよ。その時からなのですかね、美代が貴方を意識し始めたのは、一途な妹ですからね、兄の私としてはなんとかして妹の恋を実らせてあげようと思っています。ぶしつけで申し訳ありませんが、山城さんはどのようにお考えですか?」

智久は単刀直入に話を切り出した。アキラは大助かりだ。
細かく美代との馴れ初めから順を追って話していては息が詰まりそうだ。
アキラにとっては正に助け船だ。大きな体をやや小さくして。
一度、美代の顔を見てから、智久に向って言った。
「ハイ、最初に美代さんとお会いしたのは偶然というか、あの事件の時でした。まだ僕が警備員に配属され間もなくの出来事でした。私の対応の悪さで美代さんに怪我をさせたにも関わらず美代さんは僕の会社の社長に、お礼をわざわざ言いに来てくれたのです。失態を犯した僕は解雇されると思っていましたから、美代さんの助言で救われました。その時から、なんと礼儀正しく優しい方だと思いました。それからお付き合いさせて頂いて一年半が過ぎました。そして僕は美代さんに結婚を申し入れました。美代さんも快く受けて下さいました。僕はこんな男ですが美代さんの為なら命をかけて幸せにします」

アキラの話が途切れたところへ美代が話しを付け加えた。
「お兄さま、本当は私の方から結婚したいと伝えたのよ。お見合い話が出てこのままでは、お見合い話が進められては困ると思ったの」
「山城さんの気持は良く分かりました。なにせ父は厳格な所があって妹もこのままでは山城さんを失いかねないと思ったのでしょう。妹からは山城さんは何事にも動じない逞しい人だと聞いております。失礼ながら今日の山城さんは少し緊張なさっておられるようです。それも妹への気遣いからだと思いますが、それが良く伝わってきます。私も安心しました。貴方なら妹を幸せにしてくれるでしょう。どうかこれからも宜しくお願い致します」

なんとこの兄は、そんなに人を見る目があるのか?
若干三十一才で浅田ツーリストの取締役部長に席を置くそうだが、いずれは社長である父の後を継ぐ器であろう。その兄がアキラを認めてくれた。
そしていよいよ美代の両親との対面となった。
父は和風好みで智久夫婦は洋風好みだ。
それならと洋風、和風の家を作り、渡り廊下で繋がっていると云うのだから、なんと贅沢な作りだろうか。
そのリビングから兄の智久に案内されて、広大な屋敷の中を五分ほど広い廊下を歩いただろうか、その部屋は二十畳ほどの和室で大きな茶褐色に光輝く座卓が置かれてあった。
障子が大きく開けられて、日本庭園が見えて池の淵には紫陽花が二人を励ましように瑞々しく咲いていた。
アキラと美代は、その座卓に用意された座布団に正座した。
兄の智久は美代の少し斜め後ろの座卓から離れた所に座った。
まもなくメイドが一礼して入って来て、お茶と茶菓子を五つ用意して静かに一礼して部屋を出ていった。

入れ替わるように流暢に和服を着こなし、還暦を少し過ぎたであろうか、貫禄のある紳士が現れた。その後に美代の母であろうか、いかにもこの屋敷に相応しい落着いた色の和服で入って来た。
一瞬アキラを見たように感じた。娘が連れて来た男を少しでも早く確認したかったのだろうか。全員が席に着いた所で進行役を勤めるつもりだろうか智久が紹介した。
「お父さん紹介します。美代がお世話になっている山城旭さんです」
「はっ初めてお目にかかります。山城旭と申します」
その返事には答えずに美代の父、浅田大二郎は黙って名詞をアキラの前に出した。
なんと無言の威圧である。アキラは両手で受け取り目を通した。
〔浅田ツーリストグループ㈱代表取締役 浅田大二郎〕
日本全国と海外にいくつの支店を置き、更に二十数社の子会社を傘下に置く一流企業の社主ある。
 
アキラは自分の心に呼びかけた。今こそが自分の真価が問われる時だ。
相手がどんなに偉い人間だろうが、天皇陛下ほどじゃあるまいと今のアキラは冷静だ。いま自分は試されている。びびって堪るか。
それとも名詞を見て身の程知らずが、尻尾を巻いて帰れと言っているのか?
名詞を見て確かに驚いた。全国に知られる大手の旅行会社の社主だ。
その名詞を見せて動揺した処へ大二郎は一撃を加えるベき言葉が続いた。
「山城さんでしたね、美代の兄智久から伺いました。娘が世話になっているそうですが、実はいま娘との縁談が進められいましてね。申し訳ないのですが、恋人と言うのでしたら娘の縁談に差し支えます。縁談が決まったらその時は御友人として式に出席して頂く分には歓迎しますよ」
流石に口は達者だ。やんわりとそしてズバリと遮断されてしまった。
その父の態度を見た美代は怒り覚え、父に向けて何か言いかけた時……
アキラは美代に笑顔を向けて、美代が言いかけた言葉を制した。

「いいえ僕は美代さんと友達として付き合っているのでは有りません。美代さんといずれ結婚したいと考えております。美代さんも承諾してくれました。美代さんを幸せにします。命がけです……今すぐとは申しません僕と言う男を見てから、美代さんとの交際そして結婚を認めて下さい」
アキラは座卓から少し体を引いて大二郎に土下座をした。
そのアキラの姿を兄の智久は見て、更に父と母の反応を見比べた
美代の母、美静は冷静にその様子を見ている。アキラを観察しているようだ。
しかし美代は、私の為に土下座までして父に頭を下げる姿が眩しかった。
当然だと言う風に、大二郎は土下座するアキラを横目に、お茶を一杯啜る。

美代はハラハラして、これではアキラに失礼過ぎるのではと父の態度に苛立っている。アキラはまだ土下座したまま頭を上げようとはしない。だが大二郎は、そ知らぬ顔をして用が済んだら帰れと言わんばかりだ。
堪りかねた美代は、父の態度に怒り立ち上がろうしとした。
その時、兄の智久は小さな声で「美代!」と声を掛けて顔を横に振る。
それは、もう少し待てと言う意味だ。大二郎は湯飲み茶碗を置き語った。
「山城くんだったね……君が頭を下げたからって大事な娘を簡単にどうぞ、なんて言える訳がないだろう。しかも初対面だ。君の身上も知らんし娘は私の宝だ。娘を幸せにする為の縁談に君が口を挟むのは失礼ではないのかね」
アキラは少し顔を上げて大二郎の目を見つめて、ゆっくりと話し始めた。
その姿は、お殿様にお目通りが叶って、お願い事をする町民のようだった。

「失礼は重々承知で伺います。僕が美代さんに恋をすることは間違っていると言うのですか、お父さんが美代さんの幸せを願うなら美代さんの意見も聞いてやって頂けませんか、お願いします」
「ほう随分と自信があるじゃないか、君が私より娘の心が分かるのかね」
「いいえとても、お父さんには及ぶものではありません。ただ親の愛と僕の愛は違います。僕は生涯に渡って美代さんを愛し続けます。失礼ですが、お父さんの愛から僕がそれを一生引継ぎたいのです」
「君も妙な理屈を付けるじゃないか、親が亡くなったら誰が美代を面倒みるのかとでも言うのかね」
「極端に言えばそうですが、夫婦とは永遠に喜怒哀楽を共にするパートナーです。美代さんの御両親がその手本のように思います」

ヌケヌケと大二郎夫婦を持ち上げたが、しかしゴマ擂りには聞こえなかった。
大二郎は思った。この男はただの木偶〔でく〕の棒ではなさそうだ。
しかし口にこそ出さないが、大会社の一人娘をどこの馬の骨とも分らない奴に簡単に嫁がせる訳には行かない。
親として娘には幸せになって欲しい。そう願うのも当然のことだ。
しかし娘が好きな人間から引き離して良いものか、もしかしたら娘から一生恨まれるか知れない。
これは誰でも味わうであろう娘が可愛さ故の心の葛藤である。
親のエゴと世間体もあり、上流階級の娘は上流階級の家に嫁ぐのが当たり前。そうとも思っている。
だから認める訳にも行かない。流石の大二郎も少し言葉に詰まった。

少し間が空いた処で美代が口を挟む。
「お父さま私は真剣です。アキラさんと一緒に居たいの。アキラさんしかもう私には見えないわ。お父さまの気持は嬉しいけど私は大人よ。充分に一人で飛び立てるわ。今すぐとは言わないけど私達を認めで下さい」
静かに聞いていた母、美静は初めて口を開いた。
「山城さん、もうどうぞお顔を上げてください。貴方の気持は承りました。しかし今ここで結論が出せる問題でもありませんので,私達家族で改めて相談したいと思います。主人も突然のことで失礼を申し上げたと存じますが、父が娘を思う気持だけは、お察しあげください」

「いいえ失礼だなんて、お父さんお母さんとしては当然の事ですから僕の方こそ突然来て失礼を申し上げました。ただ僕の偽りのない気持を聞いて頂いただけで有難いと思っています」
その緊張の時間がどのくらい過ぎただろうか、取り敢えずアキラも両親も本音で言った。初対面で大事な話だから互いにギコチないが。
そこで兄の智久が区切りの良い所で美代に目配りをして。
「お父さん。初対面でこの問題は簡単に結論だせる訳もないし、何よりも美代の気持ちを第一に考えましょうよ。僕達は山城さんを庭の方にでも案内しますから、どうかご検討ください」 
上手く美代の兄が収めた。今日は挨拶程度でと云う事だ。

父、大二郎はそれには応えずに母、美静と席を立って去っていった。
アキラは両親に深々と一礼して二人が和室から出て行くのを見送った。
兄に連れられて出た庭とは、なんと日本庭園とは一変した風景だった。
一面の芝生が敷き詰められ、周りはが花のガーデンになっており、其処には十人も座れるようなテーブルセットが置いてあった。
少し遠くにはテニスコートも見えて、その右となりにはプールも見える。
その奥にはパターゴルフ用だろうか、綺麗に刈られた芝生が美しい。
これが財閥というものなのか、庶民とはまったく違う世界だ。
テーブルに三人が着くと、手際よく先ほどのメイドが冷たい飲み物を持って来る。

それが浅田家では日常的なことである。
ここで働いているメイド、調理人、運転手、広大な庭を手入れする人々を含めたら軽く十人を越えるだろう。
そんな人達に払う人件費、パーティーには臨時に一流シェフに来て貰うそうだ。そんな維持費だけでも年間一億円近いのではないだろうか。
庭を眺めながらアキラはふっと思った。
「アキラさん、先ほどは父が失礼なことばかり申し上げて、お許して下さい」
「とんでもないです。突然来て美代さんをお嫁に欲しいと言われたら普通は その場で門前払いですよ。それに僕の話を一応聞いてくれました。有難いと思っています。お兄さんには何かと手配して下さり本当に有難う御座います。」

「いやいや父も人の親ですから貴方の気持を試したのかも知れませんよ。私からの印象では山城さんに、良い印象を持たれたと思っています」
「えっお兄様は本当にそう思っているの? お父様たっら失礼過ぎるわよ」
まだ美代は父の態度に怒りが収まらないようだ。
でも兄の考えに美代は驚く。兄にはそんな風に写ったようだ。
父の態度からして俄かに信じ難いが少し視界が開けたようで美代は目を輝かせた。
それから三人は学生時代の部活の話とか、砕けた話に花を咲かせた。
ともあれアキラは生涯最大の試練の第一日が終ったのだった。
その翌日からアキラと美代は結婚作戦を二人で練った。
早速、美代は父と母の説得にあたっていた。
特に美代は父に対しての攻撃は凄かった。説得というより脅迫めいていた。
アキラとの結婚を認めないなら家を出で父とは一切連絡をしないと脅した。
あのお淑やかな美代が、これまで両親に一度も逆らった事ない娘の態度に父は折れた。
取り敢えず見合い話しは取り消されたが逆に父から、もっと良い人を紹介すると念の入れようだ。
父と子のバトルは一進一退の攻防戦に入っていた。
数週間して美代の兄夫婦からアキラと美代が自宅に招かれた
兄の妻、浅田香織も暖かく迎えてくれた。
美代から聞いた話では、その香織も財閥の令嬢だという。
そんな所へ居酒屋の息子が、義弟として付き合う事になるのだろうか?
まだ二才の美代の姪にあたる女の子は可愛かった。
アキラは、ああこれが家庭なんだなと、ふと美代の兄夫婦が羨ましく、またそんな家庭が欲しいと思った。

 もうこれで美代の兄智久夫妻に招かれたのは何度目なのだろうか。
 馴れと言うものは人をリラックスさせる。
 アキラは宝くじに当るまでの過程を語って聞かせた。
 競艇場で知り合った易者の真田小次郎のこと、三億円が当り、どうして良いか分らなくなり旅に出た事。
怪しげな女との珍道中、坂本竜馬の子孫がヤクザなっていたが、親しくなったとか。熱海温泉宿の主人と知り合いになり其処で働いたなどと、まるでドラマのような話に兄夫妻は大喜びした。
 智久の妻、香織までもがアキラのファンになっていた。
確かにアキラのやって来たとはドラマのように面白い。
流石に今回は北海道で暴走族崩れのヤクザ達十人近くを相手に暴れ廻った事は言わなかった。
 知らぬ間にみんなアキラの魅力に引き込まれて行くようだ。 

 そしてと美代の話がなかなか好転しない事に智久はある作戦を提示した。
父としては家柄を気にするのは仕方がないし、何処の財閥を例に上げても財閥同士の縁談は普通だ。若い二人が愛だとかなんとかで結婚を認める訳には行かない。そこで後ろ盾になる人物次第では変ってくると読んだ。
もし適材な人が居れば話が進むかも知れないとアキラと美代に提案したのだった。アキラと美代は顔を見合わせて浮かんだ顔はただ一人。大手警備会社の社長、相田剛志だった。あの人なら立派な後ろ盾なってくれる。
「ええ一人居ります。美代さんと僕の理解者で面倒見てくれました」
「ほう美代と共通している人が。いいね。どんな方ですか?」
「あのう西部警備と言う会社の社長さんなんですが、ご存知でしょうか」
「西部警備ってテレビのCMなどで有名な……確か社長は相田剛志さん」
「ええそうです。良くご存知で」
「知っているも何も、うちの大のお得意さんですよ。会社の慰安旅行とか功労者への家族ごとの旅行招待と従業員を大切にしている社長さんですよ」
「そうですか、僕もどういう訳か、相田社長に直接声を掛けられ入社したいきさつがありまして」
「ほう、やはり山城さんは人を惹きつける魅力があるようですね」
「とんでもありません。偶然ですよ」
 しかし智久は決して偶然ではなく、アキラは確かに何を持っている。
我が妹ながら人を見る目は確かなようだ。将来大物の器を秘めていると感じた。

 ともあれ共通の知人で、奇遇と言うかアキラの人脈と言うのか、まさに福の神みたいな人が居たのだ。数日後アキラは相田剛志とコンタクトを取って再び、美代と一緒に料亭を二人で向った。勿論、あの易者の真田小次郎も同席する事になっていた。
「やあ山城君に浅田さん元気でやっているかな」
「おいおいアキラ! 最近めっきりと来なくなったと思ったらそう言う事かい」
小次郎に早速ジャブを喰らった。アキラは小次郎の冷やかしが嬉しかった。
今日は無理だが、また居酒屋でふざけながら飲みたいと思った。
「どうも社長に、とっつ、いや真田さん。今日は時間をわざわざ割いてもらって、ありがとう御座います。それで今日お願いにあがったのは僕と美代さんの事なのですが」
それは言われるまでもなく相田と真田は分かっていた。

 「ふんふん君達の願いならなんでも聞いてあげましょう」
 相田社長は、まるで自分の子供のように目を細めている。
「それでですね社長、そして真田さん。実は私達は結婚したいと考えております」
「ほう、やっとその気になったか。おめでとう。私も真田先輩もどうして居るのかと気を揉んでいた処だ」
「ええ、それが私の父がなかなか認めてくれないのです」と美代。
「それだけ貴女が大事なのでしょう。お父上の気持ちは良く分かります」
「実は私の父は『浅田ツーリート』という会社をやっております。私の兄に相談したら後ろ盾になってくれる人が居れば話が進むのが早いのではと言われ、相田社長の名前が浮かんで、兄も相田さんはうちの大のお得意さんだと申しまして」
「なに? 貴女が浅田ツーリストの、お嬢様だったんですか……いやあ驚いた。 確か貴女のお父上とは何度かゴルフで御一緒させて頂きましたよ。それは好都合だ。山城君の人柄は私が説明して上げましょう。そうだね、お父上の都合に合わせて私と山城くんとで、お邪魔させて貰いましょう」

 アキラと美代は顔を合わせて「宜しくお願いします」と頭を下げた。
 今ではアキラと美代を子供のように可愛がっていた相田は快く引き受けた。
 アキラと美代はホッと胸を撫で下ろし相田社長に御礼を述べた。
「処で山城くん、その旅館計画はどうなっているのかね。そちらも楽しみにしているのだがね。旅に出て成果はあったのかね?」
「あぁハイ、色々と見て周り勉強にはなりましたが、安くていい物件があれば検討したいと思っています。美代さんとも相談しながらですが」
「ほうそうかい、こりゃあ両手に花だなあハッハハ」
 その話に黙って聞いていた真田小次郎が口を挟んだ。
「そうだアキラ、人には運と言うものがある。それを掴むも逃がしも自分次第だ」
「ハッハハとっつあん。占い師が言うんだから間違いないや」
 と、つい、いつものアキラがそこに居た。アキラは慌てて口を塞いで真田に頭を下げて照れ笑いした。
アキラに相田社長、真田小次郎そして美代は大笑いしたのだった。
その後、アキラは美代の招待を受けて何回か浅田家を訪れた。その度に軽い挨拶はしてくれたが、まだアキラを認めた訳じゃないようだ。

 それから更に数週間後に美代の兄、智久の計らいで西部警備社長の相田剛志と共にアキラは浅田家を訪ねた。
アキラは少し緊張気味だ。相田社長を後見人として、お願いしたのは良いが美代の父、大二郎はどう受け止めてくれるのだろうか。
だが相田社長は浅田ツーリストの大事なお得意さんだ。
無下に断ることも出来ないだろうが、
しかし大のお得意様だろうと、大事な一人娘だ。父としての意思は曲げないだろうか。
 今日は相田社長と運転手付きの高級車で浅田家に行く事になっていた。
 アキラは、こんな高級車に乗るのは初めてだ。後部座席は広く運転席との間に仕切りがあり、運転手には聞こえないようになっている。運転手に用がある時はマイクのスイッチを入れれば会話出来るようになっている。
 この中で商談する事もあるのだろうか? 相田社長が何処かボタンを押しとテーブルがせり出し、隣には小さな冷蔵庫が付いていた。
「山城くん、何か飲むかね」
と言って冷蔵庫の扉を開くとワイン、ウイスキー、お茶、珈琲、紅茶と揃っていた。
せっかく薦めてくれたのに断るのも悪いと思い珈琲をお願いした。
相田社長はお茶を取り出し飲んだ。
「社長、今日はお忙しい体を僕の為に開けて下さり誠に恐縮に思ってます。こんな高給車に乗るのも初めてだし、それと一番驚いたのは美代さんが浅田ツーリストの娘さんと知り、そのお父上にいきなり結婚を考えてますと切り出しものですから、もう美代さんのお父上が立腹するのは無理もないですね。とうとう私一人ではどうにもならなくなり相田社長まで担ぎ出す結果となり本当に申し訳ないです」
「何を言う。君らしくもない。まっ心配しないで。それより私はこういうは嫌いじゃないよ。なんか君の父親代わり見たいな気分でね。まっ今日は楽しい日になりそうだ。ハッハハ」
「社長……嬉しいです。本当の父のように思えてなりません」
「しかし山城くんとは縁があるようだね。と言うより君の噂を聞き興味を持ったのだが、実に面白い青年だ。真田先輩とも知り合いとは驚かされたよ。先輩は、あいつは大物になると占いに出たと冗談とも本気とも取れない事を言っていたが、どうやら先輩の占いは間違いなさそうだ。まさか浅田財閥の令嬢と恋仲だなんて流石の私も度肝を抜かれたよ。やっぱり大物の器なのだろう。ハッハハ」
「そ、そんな。小次郎さんのお世辞ですよ。器と言っても体格だけですから」
そう言っては見たものの、悪い気はしなかった。やがて車は目的地に着いた。

 いつものよう正面入り口の自動ドアが左右に分かれて車を駐車場に停める。
 そこには、美代と美代の兄夫妻、浅田社長の秘書であろうか、いかにも頭が切れそうな三十代の女性が出迎えてくれた。
 運転手が降りて後部座席のドアを開けようとしたが、その運転手に秘書は軽く会釈して自ら車ドアを開けた。
 すかさず智久が深く頭を下げて相田社長に挨拶をする。
「相田社長、今日はお忙しいのにわざわざお出で下さりありがとう御座います」
「いいえ、お気遣いなく。浅田社長はお元気でおられますか?」
 そんな会話の中、アキラと美代の目が合った。互いに口を開かず軽い会釈を交わした。
 通された部屋はアキラが最初に訪れた部屋だ。それから相田社長と兄の智久と秘書が、あの大きな和室に向かった。
それとは別に美代はアキラを別な部屋に案内した。プライベートルームだろうか浅田家にしては少し狭い部屋だが、それでも十二畳ほどはある。オーディオプレヤーに少し大きめなスピーカーだけ置かれて壁には一枚だけ油絵が飾られてある。
 そして壁に沿ってソフアーとテーブルが置かれてあった。
 静かな音楽が流れるなか二人はソフアーに腰をかける。
計ったように以前来た時とは違うメイドが、二人の側のテーブルに飲み物を置く。
「アキラさん、緊張なさっています。これから相田社長と父は知り合いでもありますから雑談をしてから私達の話しを切り出し事になると思います。後は兄が上手く取り合ってくれると良いのですが、それまで此処でお待ちになって」

 一方、智久が相田社長と美代の父、大三郎の間に入り改めて挨拶を交わしてた。
「これはこれは西部警備さんの相田社長には大変お世話になっております」
「いいえ浅田社長、今日は仕事の話で来たのじゃありませんから、どうぞお気遣いないように願います。まさか浅田さんと、このような縁で会おうとは確か、お嬢さんは(まごころ銀行)さんにお勤めでしたね」
「はあ……そうですが、娘が相田社長と知り合いだと、昨日でしたか長男に聞いて驚いていた処ですハイ」
「今日は誠に差出がましいとは存じましたが、そのお嬢様の件で伺いました」
そう言って向い側に座っている智久の方に目を向けた。
 智久は心得たようにアキラと相田の関係、あの銀行強盗の一件、そして相田社長が二人の仲を取り持ってやりたいと思っている意向を父の大二郎に順を追って説明した。
智久の説明が終えてから、大二郎は大きく頷き口を開いた。
「確かに銀行強盗の時は驚きました。美代を助けたのも山城くんだそうですね。娘を社会勉強の為と思い銀行勤めを許したのですが、もう辞めなさいときつく言いましたが娘は辞めませんと言う事を聞きません。しかし山城くんが相田社長の所の従業員だったとは知りませんでした。それも相田さん自ら雇い入れたそうですねぇ」
「その通りです。まあ本人の前では言いにくいのですが、あの通りの体格は一見、怖そうに見えますからね。ハッハハ」
同じように感じていたのか、大二郎と相田は思わず相槌を打った。

「いやあ私も娘が連れて来た時には正直、驚きましたよ。失礼ながらゴリラのような男と結婚したい言われて本当は即座に帰って貰いたい気分でした。しかし娘が好きになった相手ですから一応は話だけでも聞いてやろうと思いましてね。それが正直なところです」
「まあ山城君には悪いけど確かに第一印象は良くありませんがね。しかし不思議なのですが、なぜか魅力的な所がありましてね。彼の人柄に惹かれて大勢の知人と言うのか、彼の応援団と言うのか沢山の仲間がいますよ。私も今では彼のファンですが」 

「ほう相田社長もそう感じましたか。彼は人を惹きつける何かがあるようですね。でも最初の出会いが悪かったですね。なにせ初対面で娘と結婚を考えてますと来ましたからね、まぁ後で聞いた話ですが娘に見合いを勧め、焦った娘がこれでは手遅れになると彼を連れて来て直談判されるよう仕込んだようです。娘としても彼がどの程度本気なのか試したところもあったでしょう。当の山城くんは冷や汗ものだったでしょう。正直、怒りもありましたが滑稽に見えて来ましたね。親としては良い所に嫁がせてやりたい一心でした。処がここに居る長男の智久までも、いつの間にか山城くんと美代を応援する側に回っていましたよ。確かに彼は不思議な魅力を持っています」
「それはもう浅田財閥のお嬢さんですから財界関係の方々とのお付き合いもありますからね。お気持ちは良く分ります。浅田さん少し予断ですが彼は宝くじ三億円を当てたんですよ。これも恵まれた彼の運命でしょうかね。しかし若い彼には物凄いプレツシャーが掛かったのでしょう。仕事を辞めて全国の旅に出たそうなのです。処が偶然に旅で知り合った旅館経営者に、こともあろうに一週間後に五千万を融資したそうですよ」

「ほう? それは初耳ですね。まるでドラマのような展開ですなあ。金の有り難味は充分、分っているだろうが、それをポンと出して上げるとは見上げた人物ですなぁ」
「えぇその通りです。それで彼は旅館を自分でやってみたいと思うように なったそうで、熱海にある旅館なのですがね、もう彼はその旅館には皆から好かれて、それで今一人、北海道から板前修業として連れて来て、その旅館で働いていますが、彼が旅館経営を始めたら、何がなんでも彼の下で働きたいと言って、その時期を待っているそうですよ」
「そうなのですか、お話を伺っていると彼に関わった人間がみんな彼に惹かれて行くようですね。不思議な魅力を持った人間もいるものですね」

山城旭と言う男、何かとてつもなく人を惹きつける魅力を持っているようだ。美代が惚れるのも少しは納得出来たようだ。
 改め大二郎は外見で人を判断してならないと思い知らされた。日本でも有数の警備会社の社長も惚れこんだ云うから本物だろう。
大二郎と相田社長の話は雑談を交えながら二時間も続いた。二人とも日本では有名な大会社の社長同士、貴重な時間であっただろう。そんな貴重な時間をアキラと美代の為に使ってくれた。
 浅田社長と相田社長は共に日本有数の企業家である。しかし業界が違うため付き合いは挨拶程度でしかなかった。
 二人はどうやら意気投合したようで、新たな友人が出来たと喜んだ。それを引き合わせてくれたのが、アキラだった。
「いやあ相田社長のお話を聞いていると飽きませんなぁ。それも山城くんの武勇伝、もっと聞かせて下さいよ」
「本当に山城くんは面白い男ですよ。北海道で十人もの不良を相手に、巻き込まれた男を助け、その男は今では兄貴と慕っているそうで、また能登では漁師や旅館業経営者と意気投合し旅館経営する時には応援してやると、日本国中に彼のファンが居るようですよ」
「相田社長も山城くんに惚れる訳が分かりました。一日中彼の話を聞いて飽きませんなぁ。ハッハハ。いや実に人間味溢れる男なんですなぁ、美代も凄い男を見つけたのだ。山城くんはもしかしたら我々を越える大物かも知れませなぁ」
「まったくです。底知れない魅力を持った男です」

 大二郎には山城旭に娘との結婚を反対する理由が見つからなかった。
上流階級の人間は上流階級と付き合えば、全て上手く行くと思っていた。
自分の考え方は武士の時代のようだ。家柄ばかり考えていた。
勿論それは悪い事ではないが、新しい風を入れるのも悪い事ではない。
特に山城旭のように若くて勢いと魅力ある力が必要かもしれない。
別に浅田財閥の身内となっても我が社のグループの一員とする訳でもない。
またそうしてくれと云っても彼は自分の決めた道を歩みたいというだろう。
ともあれ娘の美代が幸せなられでいい。
私の娘だ。娘が選んだ男を信じたい。
一見、恐ろしい程に大きくヒグマかゴリラかと思うほどだが人間として、これ程まで沢山の人から好かれる人物が居るとは、なんと素晴らしい事だろうか、外見に拘らずアキラの魅力を大二郎も認め始めていた。
『彼が娘婿? 面白い事になりそうだ。悪くない』
我が娘、美代を今は褒めてあげたいと大三郎は思った。
人を惹きつける彼の魅力は商売をする上で大きな戦力となるだろう。
この男なら将来、きっと大物になるのではと大三郎は予感した。

 (かくしてアキラと美代は、全ての障害が取り払われた)
 
 いや、まだ問題がひとつ残っていた。アキラの母、秋子だった。アキラの恋人、浅田美代を引き合わせなくてはならないのだ。
つい先日、美代の父と母から二人の結婚を許す承諾を得たばかりだ。そして今日は九月一日アキラの二十八才の誕生だった。
数日前にアキラは母、秋子に電話を入れて置いた(大事な人を連れて行く)と伝えていた。
母、秋子はその電話で察しがついたようだ。
思えばアキラも二十八才。あまり息子には感心を示さない態度で接して来たが息子の誕生日を忘れる事はない。大切な人と言うからには恋人と云う事だろう。あの息子が……物好きな女性も居るものだ。水商売とかアバズレ女でない事を祈るだけだ。
居酒屋のおばちゃんだが、息子の顔だけは立ててやろう待ちわびていた。
アキラは美代を連れて赤羽の母が経営する居酒屋に夕方に訪れた。
いつものように提灯の明かりが灯っていたが、提灯が新しい?

「ただいまぁ~お袋」
 なんと客は一人も入っていない。秋子はアキラの大事な人の為に臨時休業にしていたのだった。
アキラに続いて美代が入る。やや緊張気味の顔をしてノレンを潜る。秋子は美代と目が合うなり
「良くいらしゃいましたね。アキラの母です」
と、にこやかに挨拶した。
[初めまして浅田美代と申します」
「まあまあ、そんな所に立っていないでお座りなさいよ」と気遣う母
秋子は内心驚いた。水商売でもアバズレ女でもない。しかも上品で綺麗だ。
「ごめんなさいね。本当は二階に上がって頂きたいのですが、狭くて居間と寝室兼用なもので、居酒屋の奥座敷しかなくて」
「いいえお母様、急にお邪魔して、どうぞお気使いなく」

 秋子は嬉しさが込み上げて来た。こんな綺麗なお嬢さんがアキラの嫁さんになってくれたら。作る料理にも自然と力が入った。
やがて心のこもった料理がテーブルに並べられた。
「居酒屋の料理で大した物ではないので、お口に合うかどうか」
「とんでも御座いません。お母様の心のこもった、お料理ですもの有り難く頂戴致します」
「母さん、料理も嬉しいけど、改めて紹介するよ。まごころ銀行さんに勤めている浅田美代さんだ。考えてみればもう二年近くの付き合いになるかなぁ」
「そうなのです。銀行強盗があり私が犯人に抑えられた所をアキラさんが助けてくれたのです。それが縁でお付き合いさせて頂いて降ります」
「まぁそんな事があったのですか? アキラはそんな事を一言も言ってなかったのに」
「言える訳がないだろう。心配するからな黙って居たんだよ」
「本当にアキラさんは優しい方なのですよ。そしてとても魅力的です」
「まぁアキラがですか? ともあれこんな綺麗なお嬢さんが。お前には勿体ないよ」
「そんな、お母様。私の方こそアキラさんとお付き合いする資格なんてあるのか、お母様に認めて貰いたくて来ました」
「とんでもありません。こんなアキラですが宜しくお願いします」
「美代さん、せっかくだからお袋の料理を頂きましょうか」
それから二時間ほど食べて語り合った。秋子は夢のような気分で過ごした。
「実は母さん、俺、美代さんと結婚の約束したんだよ」
「え~~結婚の約束までしたのですか?」
「申し訳ありません、お母様。本来ならお母様のお許しを頂いてすれば良かったのですが、私の両親も私達を認めてくれました。順序じゃ逆になり申し訳ありません。どうかこんな私ですが、お認め頂けますでしょうか」
なんと上品で可愛い娘なのだろうか、夢なら覚めないで欲しいと願った。
「いいえ、私には異存などあろう筈がありません。ただ貴女のよう上品なお嬢さんが、こんな息子で宜しいのですか」
「それって、私を認めて下さるという事でしょうか?」
「認めるも何も美代さんさえ宜しければ宜しくお願いします」
アキラは心から喜んだ。母のこんな嬉しそう顔を見たことがない。
いずれ双方の親と会うことになるだろうが、後に一流企業とお嬢さんと知ったら母は腰を抜かし事になるだろうか、アキラの嬉しい心配があった。

 そしてついに山城旭と浅田美代の結婚式の日取りが決まった。来年の五月三日、その日は美代の二十七才の誕生日にあたる。
つい一週間前に、二人の結納が交わされた。都内の大きなホテルで勿論、仲人は西部警備株式会社の社長、相田剛志である。
美代の提案で結納は身内だけでやって欲しいと両親に頼んだそうだ。
本来はそうなのだが財閥なだけに黙っていたら何人呼ぶか心配だった。
確か結納は滞りなく終ったが、その結納の二日前にアキラが美代の家系を説明した時に秋子は尻込みして気持の整理が付くまで結納を伸ばして欲しいとダダをこねた事をアキラは思い出しいた。

「母さん、美代ちゃんを気に入ってくれたかい」
「ああ母さんは、まだ夢を見ているようだよ。あんなに綺麗で上品なお嬢さん見た事がないよ。育てた親御さんも立派な方だろうね」
「うん。それなんだが、母さんテレビを見て知っているだろうが、浅田ツ―リストのコマーシャル見た事があるだろう」
「それはね、毎日コマーシャルやっているからね。それとどういう関係があるんだい?」
「俺の彼女、浅田美代さんと言ったら分るだろう」
「浅田美代さん……浅田ツ―リスト……? まさかあの浅田ツ―リストのお嬢さんじゃないよね」
「それがそこのお嬢さんなんだよ。驚いたかい」
「なぁ! なんだって! そんな財閥のお嬢さんとお前が結婚するというのかい。相手の親御さんが許す訳ないだろう。ああやっぱり夢だったんだ」
秋子は途方もない話だと落胆した。
「いや承諾してくれたよ。俺が以前勤めていた西部警備の社長さんで相田社長が仲人をしてくれる事になったから大丈夫だよ」
「西部警備ってあの有名な? そんな社長さんがなんでお前の知り合いなんだ?」
「それがひょんな事から社長にスカウトされて西部警備に入社したんだ。なんでこんな俺を面倒みてくれるのか知らないけど、そういう事だよ」
「お前って男は本当に私の子なのかい? いつの間にそんな偉い人とお付き合い出来るにようになったんだろうね。やっぱり夢じゃないの?」
確かに信じられない事ばかりだが、間違いなく浅田美代がアキラと結婚するので承諾して頂けますかと言った。
「夢じゃないよ。夢じゃないから俺自信も驚いているけどね」
「嗚呼どうしょう。母さんこれから財閥の人と付き合って行くのかい。大変な事になった。ああ無理だよ、母さんは」
そういってアキラを困らせた。その母も腹をくくったか最期は開き直って相手が財閥の両親でも、堂々した母親役を務めてくたれ。。なんとか説得してやっと結納まで漕ぎ付けたのだった。いま感がえると、お袋の驚く顔を思い出しと笑いが止まらないアキラだった。

 浅田家にも認められたアキラは、美代を母秋子と引き合わせた。母も美代も互いに好感もてたようだし万々歳なのだが。 
しかしアキラには大きな問題があった。なにせアキラは無職だ。いくら何でも、一流企業の娘を無職の男が迎える訳にも行かない。
ましてや浅田家としても余りにも立場ない。そこで兼ねての夢である旅館経営に乗り出し事にした。その話を美代と相談した。
「ねぇ美代ちゃん、俺って無職でしょう。無職のまま結婚では美代ちゃんも御両親も立場がないでしょう。それに俺も情けないし、そこで予ねて夢った旅館をやってみたいと思うけど、どう思う?」
「私は賛成よ。松ノ木旅館を見ていて感じていたの。今のアキラさんにとってそれが一番でしょう。う~~ん。そうなると私が女将さん? なにか面白そう」
「そうかい賛成してくれねるかい。そうと決まったらと言いたい処だけど資金が足りないし、安い中古物件を探し改装するにしても改装費だけで今の資金が消えてしまいそうだし」
「父がね、伊豆に三軒の別荘を持っているの。その一番古い別荘が西伊豆の宇久須にあるのよ。最近は殆ど使っていないし、お父様に相談してみるわ」
「それはいけないよ。お義父さんに甘える訳には行かないよ」
「でも場所も温泉地だし海も目の前なのよ。アキラさんの探している場所としては最適でしょう。まかせて明日にでも相談してみるわ」

 アキラは拒んだが強がりを言っていては何も始まらないし反対出来なかった。
 翌日、美代は早速父と掛け合っていた。
「山城くんが、いやもう息子となるからアキラくんでいいか」
珍しく大二郎はご機嫌だ。大二郎もアキラが無職なのを心配していた。
それ以前に西部警備の相田社長がアキラは旅館業に興味を持っている事は聞いていた。美代の提案にそれは良いと喜んだ。
「お父様、本当にあの別荘を改装しても良いのですか」
「ああ、美代が結婚したら何処かひとつ別荘をあげようかと思っていた処だ。他にも必要とあれば協力するぞ。何がいい?」
「いいえ、今の処はそれだけで結構です」
「遠慮するな。たった一人の娘だ。欲しいものなら何でもいいんだぞ」
「ありがとう、お父様。大丈夫よ。アキラさんなら絶対に成功し逆にお父様にプレゼントのお返し出来る日が来ると思うわ」
「ああ期待しているぞ。相田社長も言っていたよ。彼は大物になるとね。うんうんこれからが楽しみだ。ハッハハ」

 かくして話はトントン拍子に進んだ。アキラは早速、大二郎にお礼を述べ。きっと成功させますと誓った。
改装費用や運営資金まで提供してくれとるとまで言ってくれたが、そこまで甘えられないと、約一億五千万円でやってみると、やんわり断った。すると隣で聞いていた美代から文句を言われた。
「アキラん。アキラさんが自分の力でやりたい気持ちは分るわ。でも開業前に従業員の方達は最低でも一か月位の準備期間が必要よ。料理だって何度も作って試食しなくてはならなの。せめて改装費用くらいはお父様に甘えましょう。
お願い。お父様の顔も立ててあげて」
そう云われれば、甘えるしかない。これで美代の申し出に反対したら意地を張っていると思われる。有り難く申し出を受ける事にした。
 浅田家所有の西伊豆は宇久須にある海岸添えにある大きな別荘を改装して旅館にする事が決まった。結局、この改装費に一億近くの費用を掛ける事になった。普通なら小さな旅館が新築で出来るほどの金額だ。勿論、大二郎が娘とアキラとの夢を叶えさせてあげたい一心でだが。浅田大二郎は、和風好きとあって旅館改装にはピッタリの物件だった。まさにアキラが理想とする旅館に近い場所である。アキラの資金一億円と、それに母をあげるつもりだった一億円だが、やはり母は受け取とらない。代わりに無料招待してくれと言う事だった。つまり母は、好きな時に宿泊を無料で受けられるのだ。母親の特権か?
松ノ木旅館の宮寛一が、なんとかメドが付いたので借りた五千万を返すと言って来たが、無理しないでと三千万だけ返して貰った

 松ノ木旅館の景気が良くなったのは美代が約束していた外国人斡旋が見事に当り、松の木旅館の繁栄に繋がった。
 勿論、美代が兄に働きかけて、浅田ツーリストが大々的に松の木旅館を取り上げ多くの外国人観光客にアピールしたからであった。問題だった外国人を受け入れは、英語など数ケ国語が堪能な学生アルバイトを雇い入れた。これがまた噂になり、まさに松の木旅館始まって以来の大繁栄となった。宮寛一夫妻は、それはもうアキラと美代は神様のようだった。
しかしその神様カップルは忙しかった。
十一月に入り改装の準備にアキラと美代は、西伊豆は宇久須の別荘に来ていた。
出来るものなら、年の暮れ前に開業したかったのだか、それは余りに日が短か過ぎて、結局は四月に開業予定を立てた。期間は五ヶ月弱しかない。

別荘を改装するのだから、最初から建てるよりは時間が掛からない。
問題は経営のノウハウだ。ある程度アキラは勉強して来たが外から見ると中から見るでは全く違うものだ。
婚約も決まった今、美代は銀行を退職しアキラと共に旅館経営の一歩を踏み出したのだ。
しかし案ずるよりは産むが易しだった。アキラの取り柄は、何も体格だけではなかったのだ。最大の武器は人脈だ。
取り巻く人達に愛されているアキラ。その人脈達が今アキラの為に立上ったのだ。
アキラの婚約が整い、たちまち噂は各地の友人達に広がった。アキラが知らせなくても大富豪の浅田グループの一人娘に婿に家柄も何もないただの大男が決まったと週刊誌で話題になり全国に知れ渡ったのだ。
浜松から四国まで珍道中を繰り広げたヤクザの女房で松野早紀や土佐に住む竜馬隊という渡世人を率いる坂本愛子、また能登の漁師の繁さんや同じく能登で旅館を営む前田秀樹などからお祝いの手紙などが届いている。

 アキラがいよいよ旅館を始めると聞き、真っ先に宮夫妻が飛んで来た。やはり此処は本職から経営術を学ぶのが一番だ。
勿論、第一に経営のノウハウを伝授指導役は宮寛一夫妻だ。宮寛一に対してアキラは神様である。それだけではない人間的に魅力溢れた男だ。一度は旅館を畳むしかないと思った。畳んだら残るのは借金の山となる。
 もしかした一家心中まで覚悟しなくてはならなかった。今では借金も間もなく完済出来るところまで来た。みんなアキラのお陰だ。だからアキラの夢を成功させて上げたい。それが何よりの恩返しだと。
アキラが築き上げた友情と云うか魅力というか、そんな話を聞きつけ各地から集まってくる。
なんと次に駆けつけたのは、高知から竜馬隊を率いる坂本愛子のヤクザ、いやヤクザは失礼かな。テキ屋業が相応しいかも知れない。
別名、的屋とも書く。どうしてもヤクザ=テキヤと一緒にされるが全部が全部とも言えない。立派に商法として成り立っている。
お祭りや縁日には欠かせないのが出店。たこ焼き、お好み焼き、綿雨、とうもろこし焼きなど定番だ。最近ではクレープなど流行に合わせて様変わりして来た。高知の竜馬隊はテキヤ業や地域に密着した商売で街では慕われている組織だ。
その坂本愛子が応援に名乗り出たのである。

 そして、あのヤクザの女房だという怪しげな女? 松野早紀だ。そうアキラが振り回された女だ。
ヤクザの主人から逃げたのに、しっかりと元の鞘に納まっているから不思議。アキラのあの大活躍は一体何だったのだろうか?
親友の坂本愛子が二人の仲を取り持もって、やっぱり親友はいいものだ。
しかしここから、もうひと波乱? 改装工事を竜馬隊で引き受けたいと気持ちは嬉しいが、しかもソレと? 分かる人達が工事をして暑いと言って脱げば立派な彫り物が現れる。客商売だ、後々に噂になれば開業と同時に閑古鳥が鳴く事になりかねない。
しかしそれはアキラの早とちり、高知独特の和風的要素も取り入れた。確かに西伊豆には無い一風なかなか良い雰囲気の旅館になる筈だと言う。勿論、坂本愛子はアキラが心配する業者は、それ専門の高知でも有名な職人達だ。
なにも竜馬隊の連中が改装工事をする事はないと言うのだ。
坂本愛子と怪しい女、松野由紀はアキラと美代を心から祝福してくれた。
「お久し振りね、山城さん。その切はありがとう御座いました。あの長旅のドライブ楽しかったわ」
そう言ってニヤリと松野早紀が笑う。

 時々あの日のホテルで夜の出来事が脳裏に浮かぶ。
 酔った勢いで由紀に迫られた時のことだ。アキラは酔いつぶれて事なきを得たが、久しぶりに再開した時も親友愛子の隣に居るのにアキラの顔を熱く見つめて、舌をペロリと舐めまわした仕草にアキラはぞっとした。
まるでアキラを喰い損ねたような舌だった。
「へっへへ松野さん。旦那さんは一緒じゃないですか」
「もうそれはいいじゃない。あら、山城さん。以前とは違うはねぇ。婚約なさったでしょう。それも大財閥のお嬢様だとか。羨ましい」
「なっ何を言ってんですか」
「うっふふ、まだ初心な所が残っているじゃない可愛い」
「止しなさいよ早紀。お祝いに来たんでしょう。もう若い子には目がないだから」
そう言って親友の坂本愛子が嗜めた。
その二人からプレゼントがあると言われた。
せっかく職人を連れて来たから露天風呂に滝を作るというのだ。
温水をポンプで汲み上げ高い所から落し其処か滝のように露天風呂に落としそうだ。
その下に入れば滝湯としても楽しめるし、また上に汲み上げれば、ろ過される仕組みで衛生的にも良いが効率的でもある。
そしていよいよ改装工事が始まった。
坂本愛子の計らいで格安の値段で改装工事を引き受けてくれのだ。
関東にはない魅力のある独特の旅館になるそうだ。
特にアキラが力を入れていた露天風呂は、あの和倉温泉の海の側で夕日が見える露天風呂だ。ここも同じ夕日が沈む露天風呂だ。お客様も満足してくれるだろう。
それから三週間後、一番先に露天風呂が出来あがった。
「うわー素晴らしい。見事です。本当にありがとう御座いました」
「いいのよ。その代わり何時の日か貸切でお貸し願い出来ないかしら。若い衆も山城さんの旅館なら喜ぶと思うし」
「それは勿論大歓迎ですよ。お待ちしています」
坂本愛子と松野早紀は露天風呂の完成を見届け満足して帰って行った。
アキラは結婚式には是非来て下さいと感謝し別れを惜しんだ。

それから一週間後、真田小次郎も視察に来てくれた。
「ようアキラ順調に工事が進んでいるようだな。夢が叶ったなアキラ、俺も嬉しいよ」
「なんだい、とっつあんらしくない。突っ込みはないのかい。ハッハハ」
「そういつも言ってらないよ。目出度いのだから素直に喜ばないとな」
「なんかペース狂うなぁ。それより、とっつあん風呂入ろうか」
丁度、視察に見えた真田小次郎に最初の試し湯として入ろうと声を掛けた。
「ほうアキラいいんじゃないか。うんうん俺が一番風呂か。本当に入っていいのか」
「勿論だよ。とっつあん。俺も入るからさ。おっとこれもサービスだぞ」
アキラは小さな木で作った小舟を浮かべた。その中には日本酒と酒の肴が入っていた。
「お~~~アキラ嬉しいしいね。いゃあ極楽とはこの事だ。いいよ最高だ」
アキラの粋な計らいだ。アキラは分っていた。この小次郎と出会わなかったら自分の人生はどうなっていたか、そしてどれだけ励まされたか。
アキラは小次郎とこうして露天風呂入るのが夢だった。

工事も順調に進んで来た。それに合わせて従業員も集めなければならない。
まず板前は一人決まっている。山崎恭介だ。ただ一人ではどうにもならない。やはり後三人から四人必要だろう。それに仲居さん。これは何人必要か、これは宮さんの奥さん、つまり松ノ木旅館の女将さんに相談するのが一番だろう。
次に料理の仕入れ先を決めなければならない。やはりこれも宮さんや女将さんに聞くの良い。それに魚介類はあの能登の漁師、繁さんだ。優先的に新鮮な魚を輸送してくれると言う約束を交わしていた。問題は輸送に掛かる時間とコストなども考慮しなくてはならない。勿論、この駿河湾では伊勢海老でも有名な所だ。
日本海と駿河湾で獲れた新鮮な魚介類も確保出来れば、日本海と太平洋と両方の海から仕入れる旅館は売りになるだろう。他に細かい事は宮寛一と奥さんが手配したくれと約束してくれた。

工事が進む連れ、客室のテーブル、布団、座布団、タオル、浴衣、数えればキリがない。
アキラも美代も改装工事が進むつれ寝る暇もないほど忙しくなった。
東京には二ヶ月も帰っていない。浅田家の別荘は伊豆に三ヶ所あるそうだが。
その一軒が現在改装中の旅館。そしてもう一軒は兄、智久夫妻の別荘は戸田にあるらしい。戸田村も現在沼津市と合併したが四十一件のホテル、旅館、ペンション、民宿があり富士山が間近に見える温泉で有名な所だ。
二人は其処の別荘を借りて通っていた。ここからだと車で四〇分と掛からないで行けるから便利だ。
そして最後の一軒は父、大ニ郎の別荘であり伊豆の下田ある。
大型クルーザーを置いてあり、娯楽施設も完備している。
大事なお得意さんを此処に招待とか、家族でも使用している。
大ニ郎は娘も結婚するのだから娘にも別荘を与えるつもりだったが、それが現在改装中の旅館となった。勿論、可愛い娘だ。新た別荘が欲しいと言えば用意してやるつもりだ。結婚祝いにクルーザーを買ってやると言われたそうだが、美代は、若いし何よりも旅館を始めたら当分時間に余裕がないと断ったそうだ。旅館業が成功し子供が生まれたらお願いしますと。
資金面は改装工事費が浮えた為、運転資金として一億五千万円は残っている。
大ニ郎には改装費を出して貰ったが、それが義父としての面目も保たれ、その義父や儀母、義兄とは日に日に信頼関係は深くなり、今では我が子と弟のように可愛がってくれた。お金を出して貰い信頼関係が強くなるとはこれ以上の事はない喜びだ。

 宮寛一は伊豆の山、一山を超えれば熱海から宇久須に来れるので一日置きにアキラと美代の工事現場に来ては、何かとアドバイスをしてくれた。こうして着々とアキラの夢が実現へと向かっていた。
慌ただしい月日が過ぎ、独身最後の新年を迎えた。今日は一月三日浅田家恒例の親戚だけによる新年会が行われる。
勿論、アキラと母、秋子も招待された。アキラは上流社会に慣れない母を心配したのだが、何故か今日の母はウキウキしているのだ。そんな母を愛車に乗せて行くつもりだったのだが実家の屋敷で待つ美代が、アキラの母の為に浅田家から高級車を廻したのだ。和服の秋子にはアキラの愛車ランドクルーザーは確かに不釣合いだ。
その秋子が経営する居酒屋の前に運転手付の高級車が停まった。
初老の運転手はアキラと秋子に深々と頭を下げて後部ドアを開けて
「お迎えに上がりました。アキラ様お母様どうぞ」と来たもんだ。
アキラ様と下の名前で呼ぶところなんか、完全に身内扱いであった。
これも美代の配慮であろうか、気持ちが悪い訳がない。
これには秋子も、すこぶるご機嫌であった。
秋子の、着物の着こなしといえ、運転手への対応も何故かサマになっているの。車の乗り方も上品だ。母にいったい何があったのか?
薄い茶系の着物に小さなバラの花が施され、お袋とは思いない気品があった。
アキラに似て五十六才の女性にしては長身の百七十センチもある.。
やがてその黒塗りの高級車は浅野家の豪邸に到着した。
今日は来客が多いようで、二十台の駐車スペースは全部埋まっている。
そういとう時の為か、テニスコートが臨時駐車場になって既に沢山の車が停めてある。
しかし殆どが高級外車で、しかも運転手付きのようだ。

車から降りると真っ先に美代が駆け寄ってくる。
「お母様、明けましておめでとう御座います」
流石は上流界の娘、品が漂っている。アキラよりも母の秋子に先に挨拶する。
そんな二人を見てアキラは微笑んだ。
新年会々場は七十人程度座れるだろうか、まるでホテルの結婚披露宴のような部屋だった。
今日は美代と兄の智久夫妻が次々とアキラ親子を親戚に紹介する。
しかし今日の母秋子は、一体どうしたのだろうか?
まるで皇族のお妃のように気品に溢れていた。
会釈の仕方その動作、言葉遣いまでも気品があった。
アキラは目をパチクリするばかり。本当に俺のお袋なのだろうか?

 やがて新年会が始まり豪華な洋和風の料理が並べられた。なんと母はナイフとフォークを手馴れたように動かし、食べ終えると、さりげなく口にハンカチを軽く当てて周りの人達ににこやかに微笑む。
 アキラは、この母はという人は何処で入れ替わったのかと思う程だった。
 もう上流社会で何年も生きて来た人のようだ。
 一方のアキラも、浅田財閥の一員になったのだから社交的な付き合いが出来るように、マナーや言葉遣いなどアキラなりに美代に恥をかかせないように勉強はして来たが、余りにも母のそのサマが決まり過ぎていた。
新年会の宴も後半に入った所でアキラと美代が呼ばれた。
正面には舞台のようになっており美代の父、大ニ郎が来客に挨拶した。
「本日は新年会でありますが、お目出度いついでに私の娘、美代の婚約が整いました事をご報告申し上げます」
そこで言葉を一旦切って大ニ郎が手招きをしてアキラと美代を呼んだ。

会場はお~と一瞬どよめく。百九十八センチの大男が現れたからだ。
「皆様、本年五月に婚姻を行なう娘の美代と山城旭くんです。こんな大男が私の息子となりますが、どうぞ皆様お見知り置き下さいませ」
アキラと美代は少し照れくさそうに頭を下げた。
会場からは割れんばかり拍手が沸き起こる。
この場では二人は語る事もなく、頭を下げるだけで終った。
浅田家の親戚、友人、知人ばかりの新年会だが既に浅田家の一員となったアキラであった。

新年会の宴も終り、アキラの母と美代の両親と兄夫婦と言葉を交わす。
「本日はお招き頂きありがとう御座いました。こんな息子ですが、どうぞこれからも宜しくお願い致します」
秋子は深々と頭と下げた。百七十センチと長身ながら和服が良く似合う。
とても居酒屋の女将には見えない。それに美代の母が応える。
「いいえこちらこそ、素晴らしいご子息をお持ちですね。なんと言うのかアキラさんは人を惹きつける魅力が溢れています。今では私どもは心底喜んでおりますのよ」
「そんな事もありませんですよ。ただ大きいたけですから」
そして夕方、宴も終り美代や美代の両親達が車の側まで来て、見送ってくれた。
やっと母の経営する居酒屋まで帰って来て、居酒屋の戸を開けた途端に。
「ああ~疲れたあ~。アキラお水を頂戴!」と居酒屋に女将に戻っていた。
まるでシンデレラ姫が十二時を迎えた時のように魔法が解けたようだ。
「かあさん? い一体どうしたんだい」
「何が? いつもの母さんだよ。そう見えないのかい」
「ああ驚いたよ。確か昔に言っていた事を思い出したよ」

「母さんだってね。若い頃は女優を夢見た事があるんだ。劇団に入って頑張ったけど夢に終わったのさ、でもあな頃覚えた演技は今でも健在だよ」
「じゃあ、あれは演技だって言うのかい?」
「まさか多少は社交場に出た事があるけど、実はそんな時の為に社交マナースクールに、この二ヶ月せっせっと通ったのさ。お前が、とんでもない人と結婚する事になったからねぇ。お前に恥じをかかせる訳にもいかないだろう。それに相手にも失礼になるし、母さんも苦労するよ」
「ほんと御免よ。まさか大財閥のお嬢さんとは思わなかったし」

「本当だよ。美代さんは出来た人だけど、お前を認めて下さる御両親も立派な人だね。これからも付き合いが続くたろうし、シンデレラと居酒屋女将と掛け持ちで忙しくなりそうだ。ハッハハ」
いやはやなんと、強かなお袋だろうか、改めてお袋の凄さを実感した。
そんな輝いたお袋が今日は眩しく見えた。
「処で旅館の方はどうなっているんだい。社長さんの別荘を改装して旅館にするんだろう。それにしてもどれだけ大きな別荘なんだろうね。大財閥の人って私達庶民に想像つかないよ。まぁこうなったら絶対に成功しておくれよ。人が足りなくなったら母さん、応援に行くからね」
「母さん、大丈夫だよ。お袋もまた老人という程の年でもないし母さんが今の居酒屋で常連さんと楽しくやってくれよ」
「ああ、こんな私でも常連さんは私と飲みながら話をするのが楽しみだといってくれるしね」

「でも十年もしたら流石に年だし伊豆に来て一緒に住もうよ。その頃には俺達の子供も大きくなるだろうし孫と一緒に楽しんでくれ」
「なんか夢みたいな話だねぇ。旅館が開業したら母さんを泊めてくれるかい」
「当たり前じゃいか、美代ちゃんも歓迎してくれるよ」
「ああ楽しみだね。もう何年も温泉に行ってないし嬉しいな。でも安くしてくれよ」
「ハッハハ母さん何を遠慮しているだよ。一番豪華な部屋で何日泊まって無料だよ。そう一生無料だよ。それで親孝行出来るなら安いものさ」
そんな会話をしていて母秋子は涙を浮かべていた。
夫が勝手に出て行って途方にくれた時期もあった。
収入が途絶えアキラが通っている大学の学費も払えなくなり、アキラにも苦労を掛けた。
更に不景気の煽りを受けアキラも仕事を点々とするしかなかった。
秋子は知り合い人から空き店舗を借りて細々と居酒屋をやって来た。
一生これからも侘しく居酒屋を続けて行くのかと涙を浮かべた事を思い出していた。
ともあれ息子だけでも幸せになってくれればと望んでいたのに、前途洋々の人生が開けたのだ。今、その幸せを噛み締めていた。

そして三月いよいよ完成間近に迫った旅館だが、美代と二人で考えた。
その旅館の名前は『美の宿 宝船』と名づけた。
勿論、美は美代の美だ。宝はアキラが宝くじを当て幸運に恵まれた事を意味する。宝船は泊まりに来てくれるお客さんにも縁起が良いと思ってくれるだろう。
工事も順調に進んでいる。広大な浅田家の別荘は旅館に改造しても充分なゆとりがあり、部屋数は十五部屋ある。かなり立派なものだ。
アキラが希望した露天風呂も出来上がった。露天風呂には自慢の湯の滝がある。そこからは駿河湾一望が見渡せ富士山まで見える。そして夕日が素晴らしい。これは能登の旅館で見た夕日が、ここでも見られる。アキラ待望の百点満点の露天風呂だ。これには宮寛一も羨ましがった。
「いゃあアキラさん羨ましいなぁ。露天風呂で夕日。私の所は立地条件が悪く無理だからなあ」
「なぁに宮さん、露天風呂に拘らなくても料理とサービスでお客さんを呼べますよ。お互い頑張りましょう」
「そうだね。外国人のお客が増えたのも二人のお陰だし、宿の良さをアピールすれば客も増えるよね」


その他、細やかな事は松の木旅館の宮寛一と奥さんが考えてくれた。
宮寛一にとってアキラは神様、いやそれ以上の存在なのだ。
またアキラに取っても宮夫妻は心強い人である。
そして浅田ツーリストが松の木旅館を西伊豆旅行プランの指定旅館としてバックアップしてくれたお蔭で開業前から予約でいっぱいとなった。
そんな周りの協力でアキラと美代が望んだ以上の出来栄えになりつつある。
そして美代の父、大二郎も可愛い娘と、すっかり気に云った娘婿のアキラに大きなプレゼンをしてくれた。
旅館の隣に新た二百坪を購入して、その敷地に家を建ててくれると云う。
こんな有り難い援助を断る訳には行かない。
勿論、可愛い娘の為が一番であり親の愛情をアキラがとやかく言える筈もない。

旅館の出来は本当に美しく旅館の入り口は高知の、はりまや橋を思わせる太鼓橋のような真っ赤な色の橋の形をした作りである。
大二郎夫妻と兄の智久夫妻も時々やって来ては近くのホテルで温泉を楽しんで行く。勿論アキラと美代も一緒だ。
もはや結婚前ではあるがアキラも浅田ファミリーの一員となった。
そして開業前日、浅田家は勿論、西部警備社長、相田剛志、真田小次郎、坂本愛子、松野由紀、能登の滋さん、土佐の旅館の前田秀樹一家、沢山の友人や勿論、松の木旅館宮寛一夫妻に従業員など二百人以上がお祝いに駆けつけた。
 勿論、浅田家の面々と浅田グループの重役まで顔を揃えている。
更に新装に伴い旅館の従業員総勢二十人も紹介された。
これでアキラも立派な経営者となる。まだ若干二十九才であるが誰も若造などと思っていない。百九十八センチの体だから威圧感がある.
そうは言っても女将の美代も間もなく二十八才と若く、経験もない。

そこで松ノ木旅館の女将が熱海の旅館組合を通じて経験豊富な、仲居頭を見つけてくれた。一年前まで現役の仲居頭としてやってきた老舗旅館で働いていたそうだが不景気で閉鎖。丁度職が欲しかった事も手伝って、その女性は喜んで引き受けてくれた。これで有力なる助っ人を得た。料理長も同じく、その旅館で働いていたベテランである。
この二人が加わればアキラも美代も鬼に金棒だ。勿論、山崎恭介も板前として入っている。
いずれアキラは恭介を板長、いや料理長にしてやるつもりだ。
更に将来は独立させ自分と店を持たせてあげようとも考えている。
旅館のオーナーとなったアキラと女将となる美代は忙しい。
沢山の来訪客から次々と祝辞の言葉が旅館の大広間に響く。
最後はアキラと美代がお礼の挨拶を述べる。
「皆様本日は、開業披露宴に駆けつけて下さり誠にありがとう御座いました。皆様の期待に応えるように、この若く美しい美貌と才能の溢れる女将と共に頑張って行きますので宜しくお願い致します」
ここで来客は、どっと笑った。まもなく自分の嫁さんになる人を(若く美しい)と持ち上げたのだから。アキラらしいジョークだった。新しい旅館の女将という事で美代は和服を着ている。元々容姿は綺麗だから来客から溜め息が洩れるほど美しい。
アキラのジョークもジョークにならない美しさだ。やや緊張気味の美代がマイクを握り来客に頭を下げる。
「本日は皆様。この度の開業に伴い沢山のご祝辞を頂き誠にありがとう御座います。なにせ若い二人で御座いますが、皆様の応援を支えに頑張って行きたいと存じます。どうぞ皆様、本日は楽しんで行ってください」
こうして無事に式典が終った。

 そして、いよいよ開業初日を迎えたのであった。伊豆の春は早い、伊豆の山々が梅の花で満開になっていた
そんなアキラと美代の開業を祝福するかのように梅の花が祝福してくれた。
小春日和で朝から快晴だった。その青空に数十本のアドバルーンが高々と空に舞う。
あれから三年、アキラは二十九才になって更に成長を遂げた。
いま思えば、たった三年でアキラの人生は大きく変った。リストラ同然に会社を追い出されてブラリと訪れた競艇場だった。そこで小さな運が生まれた。三千円で十倍の三万円の儲けになった。その時に知り合った小次郎が居る。今、振り返れば真田小次郎こそが福の神だったろうか彼と出会ってから常に自分に運が向いて来た。まもなく宝くじ三億円が当たり、そして運命の人、浅田美代と知り合えた。西部警備株式会社、相田剛志や松の木旅館の人々など金では買いない人と人の繋がり、アキラは大きな人脈という財産を手に入れた。その宝くじが当たらなくても、アキラは人と言う財産を手にした事だろう。
そんなアキラに神様はご褒美をくれたのだろうか。
宝くじに当たった人の中には、あぶく銭のように使い果たした人も居るだろう。
しかしそれでは犠牲者〔宝くじに外れた人〕に失礼ではないか。
アキラはその点では、その犠牲者達に応えたのだろうか?

開業から一ヶ月少しが過ぎた。
開業から一週間は本当忙しかった。問題その後、心配した客足は想像以上に泊まり客は途絶える事なく続いている。勿論、浅田家は旅行会社であり美代の兄は『美の宿 宝船』を全面バックアツブしてくれて連日満室状態が続いた。
伊豆のツアーコースに組み入れて団大客が連日押寄せた。
女将として一通りの勉強して来た美代だが、お客様を持てなしだけで精一杯だ。
アキラと言うと支配人兼経営者。以外な事に暇でする事はないのだ。
しかし旅館は忙しい自分だけノホホンとしている訳には行かない。
そんな時、宮寛一がアドバイスしてくれた。
「アキラさん。そう気負わなくても良いですよ。アキラさんがする事は従業員の管理と経営状況、或いは仕入れ業社とのコミニケーションでしょうね。仕入れに支障かあるとお客様に出す料理に影響しますから」
「そうなんですかね。皆は目が廻る程忙しいのに申し訳なくて」
「なあに困った事があったら、なんなりと相談して下さいよ。私の所もお陰で繁盛していますから、少し従業員も増やし家内と私にも余裕が出来ました。暫らく家内と二人でお手伝いしますよ」

アキラと美代と従業員総勢二十二人でも余裕がなかったが、宮夫妻の強力の援護が何よりも嬉しかった。
宮夫妻だけじゃなく松ノ木旅館から数人の応援が来てくれて大助かりだ。
困った時はお互い様と宮寛一は喜んで協力してくたれた。
注文した魚介類は能登の玄さんと前田達が手配し予定通り届く。
沢山の人に慕われ支えられ美の宿、宝船は名の如く華々しく船出した。
結婚式も近づきアキラと美代は一時仕事を抜けなくてはならないが、それも宮夫妻が引き受けてくれた。何から何まで面倒くれくれる二人には感謝しても足りないくらいだ。しかし二人にはなんとして結婚式には出て欲しいのだ。
「アキラさんそれは大丈夫です。少しくらい抜けても今の従業員の皆さんなら問題ありませんよ」
宮は太鼓判を押してくれた。一ヶ月少しだが仲居頭の手腕は流石と思わせるほど見事にこなしてくれていた。

五月三日いよいよ結婚式の当日である。
都内の大きなホテルの控え室でアキラは純白のタキシード姿でやや緊張気味だ。
挙式は、このホテル自慢の広い中庭で行なわれる。
五月晴れの真っ青な空の下。真っ赤な絨毯が敷かれ、正面に外国人の神父が中央に両脇には賛美歌を唄う女性四人が新郎新婦を向かえるばかりだ。
バージンロードの両脇には親族、友人等が手に花ビラを持って待っている。

そしてメンデルスゾーンの結婚式テーマソングが青空の中で天高く鳴り響く。
パパパパーン、パパパパーン、パパパパン、パパパパン、パパパパン
その曲に乗せていよいよ新婦の入場だ。
父に導かれた美代は純白のウェディングドレス姿は参列者が溜め息をつくほど美しい。会場から割れんばかりの拍手。その先には新婦の夫となるアキラが待っている。
新婦に寄り添う父、大三郎だが普段は物怖じしないが愛娘のウェディングドレスを見て目を真っ赤にしていた。
美代は大三郎の腕を取り、父にエスコートされ前に進む。
そこに待っていたのは長身のアキラ、タキシードも特注だが良く似合う。
父からアキラへとバトンタッチ。美代とアキラは顔を合わせニッコリ微笑む。

やがて美しい女性のハーモニーで賛美歌が高らかに春の空に響く。
誓いの言葉、指輪の交換。そして甘いキスが交された。
結婚式も緊張の中で滞りなく行われ後は披露宴を待ちばかりだ。
なんと千人以上も入ろうかと言う室内の大宴会場へと会場が変った。
相手が大企業の令嬢とあっては、小ぢんまりとは行かないのだ。
アキラのお袋、秋子も臆せず堂々と披露宴に望んだ。

来客の中にはテレビや映画でよく見る女優や歌手も居た。
浅田ツーリストはテレビCMを出している関係で芸能関係者も多いようだ。
政界からも元総理大臣までいるから、スケールが大きい。
あれから四年弱でアキラの人生は大きく変った。
会社をクビ同然に追い出され浪人生活を強いられた日々が蘇る。
まさか今、こんな凄い人ばかり集まった場所で祝福されると思わなかった。
宝くじに当ったのも凄い事だが、美代という大財閥の娘と結婚するのも凄い事であった。アキラは運があったのか? いや運を引き寄せ男かも知れない。
アキラと関わった人間は皆アキラのファンになる。魅せる男なのだろう。

西部警備株式会社代表取締役社長(相田剛志)の仲人の挨拶で披露宴は華々しく開宴された。アキラと美代はスポットライトを浴びてケーキカットの儀式を行う。純白のタキシードに着替えたアキラの姿は、その長身にピッタリ似合う。今日ばかりは二枚目に見えるアキラだ。美代も純白のウェディングドレスは招待客に溜め息をつく程に美しかった。
沢山のフラッシュを浴びて、今二人は人生最高の幸せの瞬間を迎えた。

そんな中、アキラの母秋子は二人の嬉しそうな姿を見守っていた。
浅田家とは比較にならない招待客だが、それに劣らないアキラの友人や応援する人々も西武警備の社長、松ノ木旅館経営者。高知の竜馬隊、能登の旅館経営者と立派な方書きを持った面々、二十八歳の若者の人脈は凄すぎた。
秋子は何度も何度もハンカチで涙を拭く姿が人々の心を打った。

そして、あの真田小次郎が羽織り袴姿で隣の舞台に上がり二人を祝福した。
「アキラ! 美代さん。おめでとう! 一世一代の舞を披露するぞ」
そう言って舞台の中央に出た。小太鼓が鳴り響き『高砂』が披露宴会場いっぱいに流れ、真田小次郎は舞った。伊達に年を重ねていない。
その舞いは扇子を巧み捌き見事であった。
会場からは割れんばかり拍手が沸き起こる。

 ♪高砂や 
 この浦舟に 帆を上げて
 この浦舟に 帆を上げて

 月もろともに 出汐(いでしお)の
 波の淡路の島影や 近く鳴尾の沖過ぎて 

 はやすみのえに 着きにけり
 はやすみのえに 着きにけり

 四海波静かにて 国も治まる時つ風
 枝を鳴らさぬ 御代(みよ)なれや
 あひに相生の松こそ めでたかれ

 げにや仰ぎても 事も疎(おろ)かや
 かかる代(よ)に住める 民とて豊かなる

 君の恵みぞ ありがたき
 君の恵みぞ ありがたき♪

山城旭二十九才 いま君は最高の青春を最高の人と結ばれ
最高の人々と巡り合い、最高の人生のスタートに立ったのだ。

いま君は泣いている。人々の祝福を受けて 君は忘れないだろう。
この日の事を新妻美代と一緒に祝福された事を。
人脈は財産、知らぬ間に君の周りは君を応援する人で溢れていた。
宝くじで得た三億円よりも、その価値は遥かに大きい。

沢山の人がアキラの元へやってくる。
いつの間にかアキラの魅力に惹かれて旅館は繁栄する一方となった。
山城旭と美代は後に、この旅館を皮切りに全国にホテルや旅館を広げて行き
今や海外に進出しようかと言う勢いで、経営手腕が冴えて行ったそうだ。
この分だとあと十年したら義父である浅田大ニ郎が経営する浅田ツ―リストグループに並ぶ大企業になるかも知れない。アキラの人脈と経営手腕は、やはり神に選ばれた男だろうか。

 完 
 

宝くじに当たった男 最終章

長い作品にも関わらず、お読み頂き有難う御座いました。
もし、宜しければ感想を落として頂ければ有り難いです。ドリーム

宝くじに当たった男 最終章

  • 小説
  • 中編
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  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-13

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