神の✕✕✕

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1章 神の箱

2017年3月下旬。
ゆっくりと玄関のドアが開く。
男は靴を脱ぎ散らかし、部屋へ入るやいなやベッドへと倒れ込んだ。
数日前、男は学生時代からの彼女に別れ告げられた。
そして数時間前、解雇を宣言された。
男を支えていたものが、唐突に崩れ去った。
心の支えも、生活の支えも、共に失った男は、ただ呆然と握りしめたスマートフォンの画面を眺めていた。
生気のなくなった声で男は呟く。
「こんな、真っ暗な画面の中にでも閉じこもれたらいいのに。」
人生に絶望した男はゆっくりと目を閉じ、微睡みの中へと沈んでいった。

固い感触に違和感を覚え、目を覚ます。
黒い壁に覆われた長方形のような無機質な空間。
他には何もなく、有るのは自分だけ。
天井も黒、少しの綻びもない完璧な黒。
真っ黒な箱にただ1人、男は閉じ込められた。
意識を完全に取り戻し、冷静に状況を捉える。
しかし、答えなどなかった。
自分以外何も存在していない。
それだけは確かだった。
「これは、俺が望んだことなのかな。真っ暗な空間に閉じこもりたいと願ったから、俺はここにいるのかな。まぁ、どうだっていい。俺はもう、何もしたくないんだ。」
気力を失った男は、ただ目を閉じ続けた。


静寂。


男以外何も存在しない空間、音を鳴らすものなど存在しない。


無限。


時も存在しない。
男は箱に入れられ、体感時間では数ヶ月は経っただろう。
しかし、食事を摂りたくなることも無ければ、トイレに行きたくなることもない。
髪も、髭も元のまま。
自身の時が止まっている。
全てが変化なく、自身の体感時間だけが永遠に進み続ける。


虚無。


動く理由すら何一つない男はただじっとし続けるしかやることはなかった。


虚無。


何年経ったであろうか。
彼女に振られたこと、失職したこと、そんなものはとうにどうでも良くなっていた。
大抵のものは時間が解決する。
閉鎖空間に閉じ込められた男にとって、外の世界のことなど関わりのないどうでも良いことになっていった。


虚無。


感情が薄れ、自身が消え去ってしまうことを恐れた男は記憶の旅を始める。
自身は何で出来ているのか、何を成したかったのか、自身を知り、ルーツを知るための旅を。


男は一般的な家庭に生まれた。
両親と姉が1人、何の変哲もない家族構成。
幼少期も極普通。
幼稚園に通い、公立の小学校に通う。
年相応に少年漫画を好きになり、主人公に憧れる。
「良い人」であった両親を見て育ち、正義感を持つようになった。

現実は漫画のようにはいかない。
少年漫画の主人公のように、特別な力などは存在しない。
憧れだけでスポーツで活躍できる訳ではない。
特別な才能など持ち合わせなかった少年は、気持ちだけは主人公であろうと正義感だけは持ち続けた。
だからこそ、正義感を持とうとしない者とは相容れなかった。
学年が上がるにつれ、敵も増えていった。
正義感だけでは人は倒せない。
喧嘩が強いわけではなかった少年は、衝突が起こる度に負けていた。
悔しかった。
負けたことよりも正義を貫けなかったことが。

時が経ち、少年は大学生となった。
順風満帆な生活を送り、幸せな学生生活を謳歌していた。
映画サークルに所属し、仲間と共に映画作りに勤しんでいた。
同じサークルに所属していた女性と恋に落ち、長らく付き合うこととなる。

大学4回生。
卒業も近づく頃、悲劇が起きた。


両親が死んだ。
交通事故だった。

男が病院に着いた時、母はまだ息があった。
震えた弱々しい手で、男の手を握った。
途切れそうな、か細い声で、母は最後の言葉を発した。
「立派な男になりなさい。きっと....貴方ならできるから....。」
返事をする前に、握った手から力が消えた。
母も息を引き取った。

すぐに両親の葬儀が行われた。
いくら思い出そうとしても、この記憶だけは思い出せなかった。
「いい人」であった両親。
この2人のように「いい人」になろうと、正義感を持とうと生きてきた男にとって、この死は大きすぎた。
自身の柱を失ったことで、何も頭に入ってきはしなかった。

大学卒業後、男は仕事に全てをかけた。
両親の死から逃げるように、ただひたすらに仕事を続けた。
母の最後の言葉。
「立派な男になりなさい。」
男は、この言葉を正直に受け入れる余裕がなかった。
違うと知りながら、聞こえない振りをした。
本当の言葉から逃げるように、ただ上だけを目指し続けた。

どんな汚い仕事でも請け負った。
自身の前に立ちはだかる者は誰であろうと蹴落とした。
男は自分が一番大切にしてきた正義感さえ見失い、盲目に進み続けた。

因果応報とでも言うのだろうか。

自身が蹴落とした者の1人に全ての不正を明らかにされ、会社での居場所を失った。
表面上は経営の不安定化によるリストラとして、会社から追い出されることとなった。

何も見えてはいなかった。
仕事しか考えず、放ったらかしにしていた彼女に去られることは当然の帰結だった。

こうして、絶望した男は今に至る。

両親の死から逃げ、仕事と愛情を失った現実から逃げ、真っ暗な空間に逃げ込んだ。
閉じ込められたのではなく、閉じこもった。
逃げるために。
また目を逸らすために。
自身の正義感などとうに見失って。

全てを思い出した男の、消えかかっていた感情は、マグマように噴き出した。
抑えられない気持ちとなって。

「こんなことが、したかったんじゃない。」

いったいいつぶりに声を発したのであろうか。
自身の内から溢れ出る思いは、声となって発せられた。

「知ってた....。知ってたんだよ!逃げちゃだめだって!でも、俺は安易な道を選んだ。怖かったんだ、また負けるのが。負けて、自分の信じたものが崩れるのが。」

歯を食いしばって、男は叫ぶ。
涙を流しながら。

「母さん、ごめんなさい....。立派な人って父さんや母さんみたいな人のことを言うんだろ?俺は....なれなかったよ。大事なところで逃げちまったんだ。」

振り絞るように、声を出す。


俺は、神に願った。


「神様、聞こえているのならお願いします....!俺が悪かったんです。だから、どうかここから出してください....。俺には、やらなければならないことが沢山あるんです....!チャンスがあるのなら、今度は絶対に逃げません。立派な男に、ならなければいけないんです。だからどうか....お願いします。」

嗚咽混じりの声で、謝り続けた。
声が枯れても、謝り続けた。
ずっと。
ずっと。
ずっと。




気が付くと、自室のベッドに横たわっていた。
目には涙の乾いた跡。
スマートフォンのカレンダーを確認する。
人生に絶望したあの日から、たったの1日しか経っていない。

黙って立ち上がり、外に出る。
死んだ顔で帰ってきたあの日と正反対のように、希望に満ちた目をして。
歩き出す、今度は逃げないように。

神の✕✕✕

神の✕✕✕

願いが叶うことは幸せとは限らない。 願うしかできなかった人々が足掻くお話です。

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-03-11

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