喫茶店相談所の事件簿 #2 色付けされた仮面

古き良き鎌倉の街並み。レトロな喫茶店。常連客が謎解きの相談を受け付けます。

鎌倉の街並みと共に・・・。ストーカー被害に遭っている女性は危機的状況。三つの手紙に隠された真実とは。



午前七時。
『新しい朝が来た 希望の朝だ』ラジオ体操の曲を携帯の目覚ましアラームに使用してから三日目が経つが、特に歌詞が好きなので気分のいい朝を迎える事ができるだろうと思ったが寝起きの悪い私には挑戦状を叩きつけられているような気がしてならず、思わず壁に叩き付けようと思うくらいには腹が立った。
学生の頃ならば私も気楽にこの歌を聞き流しているだろう。
しかし、社会人になり二年目に突入した私には希望の朝でなく絶望の朝である。
まだ学生たちは夏休みを満喫しているのだろう。
学生の頃は良かったなと思う私がいるが、学生の頃は講義やレポートに追われていた時に社会人達が居酒屋から笑いながら出てくるのを見て気楽だなと思っていた青い自分に今なら往復ビンタができる自信があった。
長い栗色の髪が蒸れて暑苦しく、汗ばんだ肌にくっつきチクチクする。
私はシャワーを浴びるため寝ぼけ眼をしながらバスルームへと向かった。
シャワーを浴びバスタオルを巻いただけの姿で適当にトーストを焼きジャムを塗り口に運ぶ牛乳で流し込むと洗面台に行き髪のセットや歯磨きを済ませ着替える。
白のワイシャツにタイトスカート、ニーソックスを履き準備を終わらせる。
私は誰もいない部屋に「行ってきます」と挨拶をして玄関から飛びだした。
神奈川県鎌倉市の本日の気温は三十五度の真夏日和だ。
私の勤める会社は北鎌倉にある家庭教師専門の派遣会社である。
幼馴染みの朝比奈詩穂も一緒に勤めている。
私の担当は、鎌倉市でも有名な桜川家の三姉妹の文系科目だ。桜川家は花鳥風月の四大名家の一つで苗字に花鳥風月を表す文字が入っているからだそうだ。
タイムカードを押し、本日の日程を調べるためデスクに向かう。
席に着くと隣から声をかけられた。
「春奈、おはよう」と詩穂が言う。
「おはよう」と私も返す。
詩穂は、短い黒髪に眼鏡をかけ青と白のノースリーブシャツにパーカーを羽織りデニムのパンツを履いていた。
「今日もよろしくね」と詩穂が言う。
「こちらこそ」と言って二人で笑う。
詩穂とは小学生からの付き合いだった。
そして、詩穂は三姉妹の理系を担当している。
一年前は私が一人で三姉妹を教えていたが、
さすがに学年も違う三人の五科目を担当するのは大変で課長にお願いをしていたのだ。
しかし、桜川家は各方面に影響力があるらしく元は舞美が孝助の辞めた後、私に白羽の矢を立てた事が発端だ。
そして、会社に一報があり私が担当者に選ばれた。
なので、三姉妹と面識があり私とも面識がある人物は詩穂しかいなかった。
彼女は、花奏とも仲が良い。
花奏は剣術をしており運動系の方面に自覚はないが影響力を持っていた。
私はフェンシングをしており、詩穂は弓術をしており有段者だ。
私も詩穂も学生時代に大きな大会で優勝していた。
武術は違えど武人としては理解できる部分があったのだろう。
休日によく三人で買い物に行くこともある。
私と詩穂は今日の日程を調べるが、二人とも桜川家に拘束されているので場所の移動は特にない。
しかし、三姉妹の時間割が存在している。
詩穂と話し合い、どの順番でどれを重点的に教えていくかを話し合う。
しかし、舞美も優姫も学業優秀な生徒だ。
問題は花奏だ。
運動方面に優秀であるが、学業方面には疎い野生児のような娘だ。
男勝りで気が強く体力がある、何より美人だ。
男子にも女子にも人気がある次女。
しかし、頭が悪い。
神は完璧な人間を作らないというのは本当らしいと常に思う。
午前九時。
私と詩穂は、席を立ち桜川家へと向かう。
少し早いが途中でティータイムをしてから行くことにした。
桜川家の最寄駅は片瀬山で住宅街のため飲食店がない。
昼食と夕食はいつも桜川家で頂いており、三姉妹の両親とは何度も面識があり親戚のように扱ってもらえて私達も遠慮なくさせて頂いている。
ただ良家、名家というのは作法に煩く、私も詩穂も指導を受けたことがあった。
今では、すっかり作法を身に付けている。
北鎌倉駅に向かい鎌倉女子学院の近くの喫茶店に立ち寄る。
新聞社が目印の喫茶店だ。
穂花の紅茶が一番好きだが、長谷駅まで行くのは時間的に難しい。
ここの紅茶も美味しいので文句はなかった。
席に着き私はアッサムティー、詩穂はブレンドコーヒーを頼んだ。
向かいに座る詩穂が言う。
「そういえば、七里ヶ浜学院で起きた話なんだけれど」
「なに?」
「先生が一人辞めるらしいよ」
「本当?」
「なんとか山先生っていう数学の若い先生。何があったかは知らないけれど」
「舞美ちゃんに聞いたら教えてくれるかな?」
「どうだろ・・・でも何か知ってるかもね、舞美は情報通だし」
「情報通というより情報が集まってくるだけでしょ」
「かもね」と詩穂は笑って言う。
「春奈、もしかしたら喫茶店相談所と関係あるかも」
「何で?」
「この前、そんな話が出たじゃない」
「そういえば・・・そうね」
確か、花奏が何か言っていた気がする。
「私達も何か相談されそうな気がするよ」
「なぁに、予言?」
「勘かな」と詩穂は微笑む。
詩穂の勘はよく当たるのを今までの経験から知っていた。
「私も春奈も喫茶店相談所のメンバーらしいじゃない」
「そうね、あの子達が勝手に言ってるだけだけれど」
「あと、コノミさんもメンバーだよね」
「このみ姉さんか・・・経営者だっけ?」
「違うよ、経営コンサルタント。鷲島建設の顧問コンサルタントだよ」
「そうそう、そんな感じの仕事だった」
鷲島瑚乃海は、私と詩穂、孝助の一つ年上の先輩で中学の時からお世話になっている私も羨む美女だ。
鷲島家は鎌倉四大名家の一つであり、日本でも有名な大手建設会社である。
桜川家のように芸術面や政界面の仕事ではなく、建築や経営などで優秀な御家である。
建設会社だけでなく、飲食やアパレルなどの『衣食住』の経営を主にしている。
そして、鷲島瑚乃海は正直に言うと女王だ。
人を巧みに使い、人の得手不得手を理解し的確な指示を出す。
そして、よく褒める。
ただ褒めるのではない、仕事の結果とその人の一面を同時に褒める。
褒められた人は、自分を見てくれていた事実と結果を出した事への努力も褒めてくれる。
嬉しい限りだ。
しかし、失敗や挫折をした者には辛辣だ。
もう、頼らないと期待しないと不要だと冷徹に冷酷に非情になる人だ。
だから、周りの人は優秀で魅力的で居場所と存在価値を与えてくれる彼女に見捨てられないよう褒められようと努力する。
そうして人を巧みに操る恐ろしい人だ。
だが、それ以上に恐ろしいのは孝助の姉であるさやかだ。
瑚乃海はさやかの真似をしていると前に言っていたが、あの人は女王でなく女帝だろう。
五手六手先を読み、どのような事にも対処ができる。
瑚乃海 曰く「もっとも気高く女神のような人」らしく心酔している。
私も、瑚乃海姉さんは友人として付き合う事には問題ないし人生の為にもなる。
しかし、さやかさんは駄目だ。
自分の全てを見透かされている気がしてならない。
「そろそろ行くよ」と詩穂が言い立ち上がる。
「了解」と私も倣う。
私達は、取り留めのない話をしながら片瀬山に向かう。
詩穂の予言が当たる事を知らずに


私と詩穂は桜川家に着き、長女の舞美と三女の優姫の家庭教師を行い夕食をご馳走になり会社へと帰社する。
簡単に進行具合を確認する。
私も詩穂も三姉妹と同じく七里ヶ浜付属学院の出身のため学院のレベルと進行手順は心得ている。
事務仕事を終えると詩穂は終わっているのか頬杖をつきスマートフォンを操作していた。
「終わった?」
恐らく待っていたのだろう。
「終わったよ」と応えると詩穂は手提げ鞄を持って立ち上がる。
私も倣い立ち上がる。
タイムカードを押し、まだいる同僚に挨拶を済ませ外に出るとむわっとする熱帯夜特有の熱気が肌に纏わりつき軽く汗が出る。
「暑い」と詩穂が不機嫌そうに呟く。
昼間の暑さより、夜の暑さの方が嫌なのだろう。
詩穂は、腕時計を見てから私に顔を向け言う。
「何処かで呑んでいかない?」
「いいけど・・・居酒屋はちょっとね」
前回はいつも行くBARが移転したため居酒屋に行くと若い学生たちが賑わっており煩くて仕方がなかった。
しかも、しつこくナンパをしてくる三人の学生には腹が立った。
一発殴ってやろうかとさえ思ったくらいだ。
向かいに座る詩穂も、黙って無視をしていたが「うるさい・・・」と小さく呟いた時は苛立っている私も怖いと思った。
詩穂は、顎に指を当て考えると口を開く。
「お酒の置いてあるカフェならどう?」
と言った。
カフェならば静かに呑めそうなので否定することはない。
「いいわね、何処にあるの?」
「鎌倉駅」と詩穂は応えるが、私は少し固まった。
鎌倉駅は、孝助の最寄駅である。
しかし、それは杞憂におわり私達は鎌倉美学というカフェに来ていた。
カウンターとテーブル席があり、四人掛けのテーブル席に座る。
「何かあったの?」と私は向かいの詩穂に言う。
「何かって?」
「詩穂から誘ってくるのが珍しくてね」
「まぁ・・・ちょっとね」と微笑む。
怪しい・・・と心で呟く。
詩穂は、お酒を進んで飲む娘ではない。
弱くはないが、お酒より珈琲が好きな娘だ。
そんな彼女が誘ってきたのには何か理由があるのだろう。
すぐさま浮かんだのは、私達二人の共通する友人の寺岡孝助だ。
孝助なら呼んでもおかしくない。
私は、御手洗いに立つか迷っていた。
詩穂にはバレたくないし、けれど孝助が来たらあからさますぎる。
そんな私を見て詩穂は心を読んだのか言う。
「孝助君は来ないよ」と笑って言う。
「えっ・・・・別に孝助なんて思ってないわよ」
「なんか、そわそわしてたから」
「してないわよ」と努めて冷静に応える。
「もし、私が孝助君を呼んでいたら私も御手洗いに立って、お化粧直すよ」
「う・・・」
どうやら看破していたようだ。
しかし、孝助君は来ないと言ったからには誰かが来るのだろう。
このみ姉さん?
考えていると、入り口のドアベルが鳴り詩穂が呼んだであろう人物が来た。
「お久しぶりです。先輩方」と大学時代の後輩である宮原雪絵がいた。
整った顔立ちで長くウェーブのかかった黒髪をシュシュで纏め肩から前に流している。長袖のワイシャツの上から赤と青のチェックのストールを羽織り、デニム生地のロングスカートの姿でトートバッグを肩から提げている。優雅な佇まいから清楚なお嬢様のような雰囲気があった。
宮原雪絵は、私たちと同じ横浜の国立大学を出ており学科は違うがよく大学の行事やプライベートでも遊んでいた。
私達が四期生の時の新入生であり、現在は彼女が四期生のはずだ。
確か、教育人間科学部に所属していた。
詩穂が私の横に座り雪絵に席を譲る。
怪しい・・・と私の心で警報が鳴る。
詩穂は何か理由があり私を呑みに誘った。
そして、何か理由があり雪絵が来た。
そして、その理由の結果で詩穂は私の隣に座った。
まるで三者面談のようである。
詩穂はウェイターを呼び紅茶を二つと珈琲を頼む。
やはり呑むつもりはないらしい。
向かいに座る雪絵は、おどおどとしながら俯き上目遣いでチラチラと此方を伺っている。
恐らく、無言でいる私達が気になるのだろう。
詩穂は普段から物静かな娘だが、私は話すことが好きなので何の理由も無く黙ることは少ない。
しかし、考えている最中は黙するしかないのだ。
頭の中で、詩穂の『理由』を推理していると紅茶と珈琲が運ばれてきた。
そこで、詩穂の理由は雪絵の『相談』だと気付く。
私と詩穂は喫茶店相談所のメンバーだ。
朝、そんな話が出たと記憶している。
つまり、雪絵からの相談は朝にはわかっていたのだろう。
雪絵は顔を上げ「ご相談があります」と言った。


私は、ちらりと隣に座る幼馴染みを横目で見る。
視線に気づいた幼馴染みはドヤ顔で笑う。
私がいつ気付くのが試していたのだろう、直前になるまで気付かなかった私は愚かと云わざるえない。
詩穂は私に構わず言う。
「何の相談?」
相談内容は聞いていなかったのだろう。
雪絵はおどおどして彼方此方に視線を彷徨わせる。
「あの・・・」と呟いてから「私、ストーカーの被害にあっているんです」と言った。
「何ですって」と私は怒気を込めて言う。
ストーカー・・・痴漢やセクハラに続く女性の敵であり悪魔の下僕。
自らの色欲を愛と宣い女性を恐怖感と不快感
に陥れる最悪の魔物だ。
詩穂は目を細め「死刑ね」と呟いている。
「それを私達に相談したいの?」と確認のため訊く。
「はい・・・。お世話になっている方から喫茶店相談所を勧めてくれて、春奈先輩や詩穂先輩も相談所の人だと聞いたので」
大学の人・・・喫茶店相談所が設立したのが私達が大学の四期生の頃だった。
けれど、殆どが孝助が担当して私達は時々サポートをしていたくらいだったと思う。
「最初は、その人に相談したのですが事件の解答を出してくれるのは此方だと伺ったので」
ますます解らない・・・。
私は詩穂を横目で見ると目が合い、詩穂は首を横に振った。知らないらしい。
「誰から聞いたの?相談所のこと」
「羅刹女さんです」
「誰?」
羅刹女という知り合いもいないし、喫茶店相談所のメンバーにもいない。
「よくお世話になったと伺っています」
私と詩穂は顔を見合わせる。
よくお世話になった羅刹女。
イメージに合うのは、このみ姉さんだが彼女なら自ら手を差し伸べ相談に乗るだろう。
「昔、相談に乗った人かもしれないね」と詩穂が言う。
確かに私達は同窓生の相談に乗ったこともあり、大学院に進んだ人もいる。
私は推理を止めて紅茶を一口飲み口を開く。
「話してみなさい。喫茶店相談所として解答を出してあげる」
詩穂も頷いて雪絵を見る。
雪絵は何度も礼を言い本題に入る。
「ストーカーがいると気付いたのは三ヶ月前でした。最初は三日に一度に尾行のような事をされていたのですが、いつの間にか毎日に変わっていきました。それと変な手紙も届くようになりまして・・・」
「変な手紙?」
雪絵はトートバッグからクリアファイルを取り出し「これです」とテーブルに置く。
クリアファイルには便箋が複数入っていた。
詩穂が受け取り横から覗き込むと乱雑な字だった。
一枚目の便箋を詩穂が音読する。


『私は貴女の理解者です。しかし、貴女は私の姿見つけることも声を聴くこともないでしょう。何故なら私は透明だからです。貴女の全てを見せて頂きます』

「何よこれ・・・」と私は便箋を読み呟く。
戦慄する。可笑しい狂っていると言われても仕方がない内容だった。
「あと、もう二つあります」
そう雪絵が言うと詩穂が一枚目をテーブルに置き二枚目の手紙を音読する。

『あなたの愛は僕の愛。いつも見ているから安心して。この前は僕を見て泣きそうになったよね。嬉しいよ僕も嬉しくて涙がでるんだ。僕は奥手だから見ていることしかできないけれど、必ず君の前に参上するよ』

私も詩穂も渋い顔になりつつ、詩穂が三枚目の手紙を読む。

『君は素晴らしい。美しい君は素敵すぎる。部屋にお邪魔したけど綺麗に片付いているね。僕のイメージ通りだよ。君が遅く帰ってくるのは知っているから美味しい夕飯を作っておくよ。また遊びにくるね』

手紙を読み終えると、雪絵はトートバッグから黒い機械を取り出した。
「これが、部屋の中から出てきました」
それを見て詩穂が目を細め言う。
「小型カメラだね」

想像以上だった。
このストーカーは、雪絵に愛されていると錯覚し部屋にまで侵入したのだ。
しかも盗撮までしている。
恐怖が冷や汗となって背中を伝い、ぶるりと震えた。
私は雪絵を見て言う。
「警察には行ったの?」
「はい、何かあったら連絡するようにと言われたのと対策グッズを紹介されました」
つまり、相手にされなかったのだろう。
ふと、隣を見ると詩穂は手紙を見比べていた。
「どうしたの?」
「これ・・・変」と詩穂は言う。
「変って何がよ」
「書き手の心象が違う。一つ目は上から目線で『あなたを知りたい』って書かれている。もう一つは、『愛し合おう』と、最後のは『構って欲しい』と書かれてる」
「どういうこと?」
「予想だけど、ストーカーは一人じゃないのかも」
それを聞いて雪絵は驚いた顔をする。
「同一人物が書いたものじゃないの?」
「それにしては、印象が違いすぎるし視点も違う」
「視点って?」
「一つ目は、自分は透明だから見つからない事を前提に話している。二つ目は見つけて欲しいを前提に、三つ目は受け入れてもらうことを前提にしている。考え方が全然違う」
「どうやって対処するのよ」
「一番いいのは、異性が側にいることかもね」
そう言って詩穂は雪絵を見る。
所謂、彼氏の存在のことだろう。
「付き合っている彼氏はいるのですが半年前からレポートや就活で忙しくて会えなくて電話で相談をしたのですけれど、やばくなったら連絡しろと言われました」
「何よそれ」
彼女が怖い目にあっている時に呆れてしまう。
隣の詩穂は顎に指を当てて考えていた。
私は一つの解消方法を思いつく。
「雪絵、今日から私の家に泊まりなさい」
「でも、ご迷惑では・・・」
「こんな悍ましい状態で貴女を野放しにして襲われたらもっと最悪よ。いいから泊まりに来なさい」
「ありがとうございます」と涙声で頭を下げる。
すると隣の詩穂が言う。
「代役を立てましょう」
「代役?」と私は首を傾げる。
「つまり、彼氏の代役よ」
その言葉に、ある人物が即座に浮かぶ。
「それって、アイツ?」
「正解」と詩穂は笑顔で言う。
「春奈、私も貴女の家に泊まるわ。話しをもっと聞きたいもの」
私は渋々頷く。
「彼氏の代役って誰ですか?」と雪絵が言う。
詩穂は、微笑んで「秘密よ」と言った。



私は、詩穂と雪絵を伴い鎌倉駅から江ノ島電鉄に乗り最寄駅の由比ヶ浜駅に降り立つ。
駅から徒歩10分ほど歩くと私の住むマンションに着く。
エレベーターで七階に行き玄関ドアを開ける。2LKの間取りで角部屋である。
二人をリビングに案内しダイニングテーブルのイスに座るよう伝えお風呂の準備をする。終えて戻るとキッチンに行き冷蔵庫から缶ビールを数本取り出す。
「お風呂入らないの?」とリビングのダイニングテーブルに腰掛け詩穂が言う。
「少し呑むだけ、酔わないわよ」
私は缶ビールを持って「呑む?」と言うと、詩穂は首を横に振る。
雪絵にも視線を送ると「頂きます」と応えたので缶ビールを渡す。
「珈琲はないの?」
「珈琲はないわね。紅茶ならあるけど」
そう言うと詩穂は渋面を見せる。
「やっぱり私にも頂戴」
「はい」と一本渡す。
私はプルタブを開け仰ぐ。
「豪快ね」と呆れた声音で詩穂が言った。
「いいのよ、これくらいでないと」
明日から夏季休暇に入るのだから酔い潰れてもいいだろう。
ふと気になった事を言う。
「いつから相談を受けていたの?」
「なんで?」
「できすぎているなって」
詩穂もわかっているのだろう。
私が違和感を感じているのは、そこだった。
相談を受けるのは珍しいことではないが、夏季休暇を明日に控えている時に相談を受けた。
私は雪絵を見る。
雪絵は缶ビールを両手で包み言う。
「詩穂さんが、今日からなら相談に集中できると仰ったので・・・」
「へぇ」と私は詩穂をジト目で見る。
「仕事しながらだと難しいでしょ?」
詩穂は悪びれずに言う。
確かに仕事しながらの相談は難しい部分もあるがそうではない。
「雪絵、どうして今なの?」と私は言う。
よくわからないのか雪絵は首を傾げる。
「どうして、もっと早くに相談しなかったの?」
私が違和感を感じている『できすぎている』部分だ。
内容が内容のわけだ、警察にはあしらわれ彼氏も真剣になってくれなかった。
「信頼できる人がいなかったので・・・」
と雪絵は呟く。
「そうではないわ」と私は即答する。
「三ヶ月も前から被害にあっていて、こんなになるまで相談しなかったの?」
「それは・・・春奈先輩達が忙しいと思っていまして詩穂さんに伺ったら明日からは夏季休暇だと聞いたので・・・」
私は、首を傾げる。
何かおかしい。
「身の危険は考慮していないね」と詩穂が言う。
身の危険・・・。
そこだった、ストーカーの一部は部屋に侵入までしている。
それなのに、私達が夏季休暇に入るまで待とうと思うだろうか?
『できすぎている』と思うのはそこだ。
詩穂の応えに雪絵は俯いて応えた。
「本当に身の危険を感じたら彼氏に言おうと思いまして・・・でも、特に何もなかったので」
この娘は甘い、人の心変わりや予期せぬ行動は突然やってくるのだ。
結果的に無事ではあったが、その考え方は危ういと思う。
私は缶ビールを飲み終え新しいビールのプルタブを開ける。
それを見て詩穂は顔を歪めるが、飲まないと怒りが治らなかった。
詩穂は私を無視して言う。
「雪絵、明日は人に会いに行こうと思うのだけど予定はある?」
「いえ・・・大丈夫です」
詩穂はそう聞いて嬉しそうに頷く。
「ねぇ」と私は詩穂に訊ねる「本当にアイツに頼るつもりなの?」
「その方がいいわ」
詩穂は溜息を吐いて言った。
「でも、私達で何とかできると思わないの?」
「どういうこと?」
「私にだって武術の心得はあるわ、それに推理だって詩穂ほどでないにしろ出来るわよ」
「今回は推理でなく戦略よ」
「どっちにしろ私が役に立たないというの?」
「違うわよ、ただ人数が多い方がいいだけの話よ。貴女がどうだという話しではないの」
「でも・・・」
「もし嫌なら来なくてもいいわ。家でゆっくりしていなさい」
私は俯いて黙るしかなかった。
すると詩穂は私の頭を撫でて言う。
「春奈、私は貴女の事を知っているわ。対等でいたいのでしょう?でも事が事なの、今回は目を瞑ってほしい」
私は何も言わず頷いた。
悔しいのだ。私は、彼と詩穂と対等でいたい。
けれど、私は二人に勝てる気がしない。
劣等感と敗北感が常に心の奥にある。
そして、人と比べる物事だとその二つが心の奥から這い出して心と身体の全体に巡り蝕んでいく。
お風呂のお湯貼りのアラームが鳴る。
詩穂は立ち上がり「順番にお風呂に入りましょう」と言った。
私はいつの間にかテーブルに突っ伏し寝てしまっていた。


翌日の午前十一時
私と詩穂は雪絵を連れて長谷駅に降り立った。
向かう場所は『喫茶店 穂花』である。
あいつには何のアポイントも取っていないが大丈夫なのか気になり詩穂に訊ねる。
「孝助君ならいるみたいよ。この前に会った時に八月は暇だって言っていたもの」
あいつは、前は私達と同じ家庭教師専門の派遣会社に勤めていた。
しかし、彼は別の家庭教師の派遣会社に勤めることになった。
私達は収玄寺を通り過ぎ長谷観音前の交差点を通過し、いも吉館鎌倉大仏店の路地を右折し道のりに進むとモダンな建物が目に入る。
私達は入り口のドアを開けるとドアのベルがカランと音を立てた。
カウンター奥に立つマスターに会釈をし窓際の四つ目のテーブル席には既に寺岡孝助が煙草を吸い読書をしていた。
私は真っ直ぐ孝助の席に向かい見下ろすと、孝助は文庫本から顔を上げ私を見ると顔を歪める。
「早いのね孝助」
「そうか?」と文庫本に視線を落とし言った。
「何か聞いてる?」
「何が?」と孝助は質問を質問で返してきた。
「詩穂から何も聞いていないの?」
私の質問に顔を傾げる。
「何も聞いていないが、どうしてだ?」
後ろを振り返ると真後ろに詩穂と雪絵が立っていた。
「こんにちは孝助君」と詩穂が挨拶する。
「おう」とだけ孝助は応える。
「実は、孝助君に相談があるの」
その言葉を聞いて孝助は嫌そうな顔をする。
「先日、優姫からの相談を受けたばかりなのだが」
「相談は必ずしも一人とは限らないわよ。悩みと価値観は一人一人違うものなのよ」
「まぁ座れよ」と孝助が促す。
雪絵を孝助の向かいに座らせ私は空いている孝助の左隣に座り、詩穂は雪絵の隣に座った。
詩穂はお冷やとおしぼりを持ってきたマスターに珈琲と紅茶を二つ注文した。
無言の時間が過ぎ注文の品が運ばれると孝助は口を開いた。
「それで、相談って何だ?」
孝助はジト目になり投げやりに言った。
「この娘・・・私達の母校である横浜の国立大に通っている宮原雪絵さんよ」と詩穂が紹介する。
紹介された雪絵は孝助に会釈をするも孝助は黙って雪絵を見て煙草を吸っている。
そして、雪絵もじっと孝助を見つめ言う。
「あなたが・・・コウスケさんですか?」
「あぁ、寺岡孝助だ」
孝助が応えると雪絵は萎縮したのか俯いてしまう。
そのせいで、気まずい空気が流れ場が沈黙する。
孝助は耐えられなかったのか口を開く。
「お前達でなんとかできんのか?」
「やれることはやるつもりよ」と詩穂が即答する。
「なら何故、俺に相談する」
「頭は多い方が策も練りやすいでしょう」
「でもな・・・」と孝助は渋るように言った。
「貴方の務めだと思うけれどね」
詩穂は含みのある言い方をした。
それを聞いて孝助は大きくため息をした。
詩穂は喫茶店相談所と孝助について何か知っているように聞こえた。
「策ねぇ」と言って孝助はこちらを見る「どんな相談内容なんだ?推理でなく策略は珍しい相談だが」
「私から説明するわ」と私が孝助に言う。
私は孝助に昨日、雪絵から受けた相談内容を語った。
三ヶ月前からのストーキング、三人のストーカー、三つの手紙。
警察は動かないことを語った。
彼氏のことを私は敢えて口にはしなかった。
同情かもしれないが、彼女を蔑ろにするような人を彼氏とは言えないと腹が立ったからだ。
そして手紙は、雪絵が持ってきていたので現物を孝助に読ませた。
孝助は途中から額に指を当てグリグリしながら考え始めた。
恐らく、何かしらの推理をしているのだろう。
彼の癖である。
推理が落ち着いたのか口を開く。
「引越しはできないのか?」と言った。
「その・・・」と雪絵は言い辛そうに口籠り続ける「貯金があまり無くて」
「親は?」
「共働きですが生活費の仕送りと学費を工面してもらっているので、あまりお金の話はしたくありません」
まぁ、そうだろう。
お金の話は特に神経を使う。
生活の全てを補うのはお金である。
大学の維持費も大変であるが、彼女は大学生だ。
しかも、教育人間科学部ならばアルバイトよりも勉学に励む方を優先しないとついていけないだろう。
彼女の両親が甘いとは言い切れない。
良い学校に進学するのは親としては嬉しい事だ。
未来の投資として、自分の子にはお金の心配をさせず勉学に集中し立派な会社に就職して欲しいと考えるのは親心というものだ。
彼女が甘え過ぎていると考えるのは、一つの解答ではあるが私が親なら生活費の工面までする。
だから彼女は、贅沢をしない。
正確には、遊ぶ時間が少ないのが事実だろう。
人一倍勉学に励み、予習復習をしレポートを細かく作り上げなければ心理学部は厳しいと聞く、時間を作ろうと思えばできるのだろうが金銭的余裕も少ないのであれば勉学に集中するしかないのだろう。
けれども、雪絵は真面目な娘だった。
夏休みには本屋でアルバイトをしており、今でも週に3日ほど出ているそうだ。
しかし、引っ越しは難しいと私も思う。
社会人の私達はならまだしも、学生には厳しいと思う。
フリーターや勉学より遊びを優先する学生ならば何とかなるだろう。
しかし、雪絵の性格では難題だ。
ただでさえ真面目で優しい彼女は身体が壊れるまで働いて大学の勉強もいつも通りするだろう。
心配を掛けまいと無理を重ねるのが雪絵の悪いところであった。
相談をするようになっただけ、少しは警戒心も解けたのだろう。
隣の孝助は額に指を当て考えていた。
「どうしたの?」
「いや、この三つの手紙の共通点を見つけてな。何かできないか策を練ってた」
「共通点って?」
孝助は私をちらりと見てからテーブルに置かれている三つの手紙を指さして言う。
「この手紙には彼氏さんが出てきていないんだ」
その言葉に、私も含め詩穂も顔が強張る。
私も詩穂も雪絵も彼氏のことは伝えていないからだ。
「どうして詩穂に彼氏がいるとわかったの?」
「まずハートのネックレスだ。それは、前にネットで見たことがあるんだが、美女と野獣とローズベルシアのコラボペアネックレスだ。それと、着ているパーカーから見えるのストラップは携帯電話のだろう、鞄に入れず服に入れているのは連絡が来ても直ぐに返事が出来るようにするための癖だ。極め付けは左耳たぶの痣だ。ピアスで出来た痣には見えないから恐らくはキスマークだろう。耳を弄る恋人は多いしな」
孝助はそう言って一息つく。
「どうだ?」と問うと「正解です」と雪絵は応えた。
「よく見てるわね」
「たまたまだよ」と孝助は素っ気なく言う。
「それで策は練れたの?」と詩穂が言う。
詩穂は孝助が彼氏を言い当てる事に驚いていないようだった。
「彼氏に会うことだ」と孝助は言った。
「でも・・・」と雪絵は口籠る。
私は雪絵の代わりに言う。
「雪絵は彼氏に会えていないのよ、半年も前からね連絡は取れてるみたいだけれど」
「なら、連絡を取って会えるようにしてくれ」
「やってみます・・・」と小さく応えた。
雪絵は自信がないのだろう。
私でも仮に彼氏がいて、半年も連絡のみで過ごすのなら捨てられたと思ってしまう。
「それで、どうするの?」
「会うのはできれば夜がいいな、彼氏さんは同じ学部か?」
「はい」
「なら、ノートを貸して欲しいと言って会う口実を作れる。それで終わりだ」
「ストーカーに目撃させるってこと?」
「その通りだ」
「上手くいくとは思えないのだけれど」
「いや、進展はあるだろう」
孝助は何かに気づいているようだった。
「あと、雪絵さんの番号を教えてくれ」
そう言ってメモ帳とボールペンを渡す。
「LINEでいいじゃない」
私は呆れた声を出す。
「阿保、こういうのも大切なんだよ。住所も欲しいな」
「は、はい」
雪絵はメモ帳に名前と住所、携帯の電話番号とメールアドレスを書いていく。
「アンタね・・・」
孝助も雪絵のような大人しい娘が好みなのだろうか?
「どうぞ」
雪絵はメモ帳とボールペンを孝助に返すと、孝助は頷いて鞄に仕舞う。
「今日はこれで解散しよう」
孝助の言葉で本日は解散となった。


私達三人はマンションに戻り雪絵には彼氏に連絡を取るようにした。
電話に出なかったので仕方なくメールで済ませた。
数分後にメールの返信があり了承してもらったようだ。
雪絵は先にシャワーを浴びてもらっている。
私と詩穂はその間に昼食を取るべく宅配ピザのチラシを見ていた。
「どうしようか?」と私が呟く。
「私は辛いのでも平気よ」
「そうじゃなくて、雪絵よ」
「運良くいけば今夜にでも決行できるわね」
「本当に孝助の策で大丈夫かな?」
「私にも彼の考えは解らないけれど、何か思いついたからだと思うわよ」
「けれど、昨日詩穂が言っていた彼氏の代役の件はどうするのよ?」
「あれは、無くなったわよ」
「えっ?」
「雪絵が断ったの、知らない男性と一緒にいるのは恥ずかしいし緊張するからって」
「優姫ちゃんのようなこと言うのね」
心理学部なら将来はカウンセラーや学者になるのに大丈夫なのか心配になる。
「それで、孝助君の策を聞いてから考えようと思ったのよ」
「それで、孝助の案に乗ったのね?」
「そうね、ここなら安全なのだし平気よ。いざとなれば春奈も私もいるし」
「まぁ、そうよね」
私は幼い頃は剣道を習い、中学からフェンシングを始めていた。
大学の二期生の時に引退した。
幾つも賞を貰い、部屋には幾つかのトロフィーとメダルが飾ってある。
風呂場からドアの開閉音がしたのを聞いて詩穂がシャワーを浴びるため立ち上がる。
詩穂はリビングを出て行くときに「マルゲリータでお願い」と言った。

午後九時になり、私と詩穂、雪絵は横浜の常盤公園に来ていた。
ここのダスト広場で、雪絵は彼氏と待ち合わせをしていた。
常盤公園は横浜国立大学が近く私と詩穂、孝助も学生の頃は時々来ていた。
先輩のこのみ姉さんとも来たことはあった。
特に詩穂は常盤公園にある弓道場で練習をしているので思い入れも深いと思った。
私と詩穂は雪絵から離れたベンチに腰掛けて様子を伺い、雪絵は水飲み場の近くに立っていた。
腕時計を見ると九時十分になっていた。
彼氏の来る気配はなかった。
詩穂は隣でタリーズのコーヒーを飲みつつハンカチで汗を拭いている。
時折、「彼氏遅い」「彼氏許さない」と小声で聞こえてくるのが怖く私は詩穂を見ないようにしながら雪絵に視線をやる。
周囲を見渡すと私達と更に離れた位置にあるベンチに人が座っていた。
黒の上下のジャージに頭にはadidasのロゴの入ったタオルを巻いている。
ジョギングをしていそうな格好である。
しかし、私は直感した。
あの人物の視線は雪絵に止まっている。
あれは、雪絵のストーカーの一人だ。
「春奈・・・あんまりジロジロ見ては駄目、気付かれるわ」と詩穂が小声で言う。
「そうね」
私は、ストーカーから目を離し詩穂を見る。
「私達は、ここに休憩に来た学生よ。あなたなら何をする?」
詩穂が何を言いたいのか解らずに首を傾げる。
私達は、とっくに社会人であり納税者だ。
学生ではないと否定しようとして止まる。
詩穂は役柄を言っているのだろう、私と詩穂は横浜国立大学の学生で休憩に来ている役だと気付く。
「そうね、雑談かしら」
私は少し笑って言う。
「無難な選択ね」と詩穂も笑って返した。
数分後、ダスト広場に若い男性が走って来た。
一直線に雪絵に向かうのを見て恐らく彼が彼氏なのだろうとわかった。
男性は、雪絵と少し会話をしてノートを渡すと謝罪のつもりか手を挙げて去っていった。
私は、ふとストーカーのいたベンチに目をやると居なくなっていた。
私は立ち上がり詩穂に言う。
「少し見てくるわ」
私の言ったことを理解し詩穂は頷いて「気をつけてね」と言った。
私は彼氏を追って走ると彼氏はゆっくりと歩いていた。
「ちょっと待って!」と声をあげると彼氏は振り返り私を見た。
私は彼氏に追いつくと息を整える。
「貴方、宮原さんの彼氏さんでしょ?」と言う。
私を訝しげに見て「そうですけど」と応えた。
「私、あの子の友人で相談に乗っているのだけれど」
私の言ったことを理解したのか、気まずそうに顔を背ける。
「貴方、彼氏なのに何で助けてあげないの?」
「それは・・・今は忙しくて」
「それでも、彼氏のつもり?雪絵がどれだけ怖い思いをしているかわかっていないの?」
「雪絵は俺を信用していないですよ」
「信用?」
「まだ、俺は雪絵を抱いていない」
いきなり何を言い出したのか、私は目が点になった。
「何を言っているの?」
「アイツと付き合って二年も経ちますがキスしかしていない」
「だからって信用と関係ないでしょっ、あの子にはあの子の付き合い方があるのよ?」
「それでもだ、何回デートしても俺には身体を委ねない。俺もレポートやバイトで忙しいのに時間を何とか作ってやっているのに、『そういうこと』は婚約したらしたいって聞かないんだ」
「貴方・・・雪絵を何だと思っているの!雪絵の身体が目当てだったのっ?」
「そうじゃない・・・でも、彼氏として男として『そういうこと』は付き合う事の範疇だと思います」
「それで、雪絵が身体を委ねないから距離を置いたと言うのね?」
「そうです」
この男は、女の子を何だと思っているのだろう。
確かに、男女なら『そういうこと』をしたいと考えるのは当然のことだ。
けれども、できないから距離を置くのは間違っている。
私は腹が立った。
孝助や詩穂には短気だと言われているが、女として許せないと思った。
私が怒鳴ろうとした矢先に彼氏の後ろから「小林くん」と女性の声がした。
彼氏は後ろを振り返りとウェーブがかかった茶髪の女性がいた。
「小林くん、その人は誰?」
彼氏の名前が小林なのだろう。
「美香・・・この人は、雪絵の友人でノートを貸すときに一緒に来ていたんだ。それで進路について色々聞いてたんだよ、待たせてごめんな」
「そうなの・・・」と美香は私を訝しげに見る。
「帰ろうよ、アイス買っていこ?」
「そうだな」と小林は応え私を見る「それでは失礼します」
そう言って二人は歩いていく。
美香は自然に小林の腕に抱きついた。


私がダスト広場に戻ると詩穂と雪絵はベンチに座り雑談をしていた。
私が近づくと詩穂が私を見る。
「どうだった?」
「・・・・・・特に何もなかったわ、ストーカーも出なかったし」
私は彼氏の小林の事に気づかれぬよう慎重に応える。
「追いついて話をしたら、できるだけ雪絵には怖い思いをさせたくないって言っていたわ」
そう言うと雪絵は嬉しそうな恥ずかしそうな顔をして両手を合わせる。
「けれど、今は就活やレポートで忙しいから私達が側にいて欲しいってお願いされたの」
そう言うと雪絵は落ち込んだ顔をする。
「でもっ、私達がしっかりと守るから安心して」
「はいっ」と雪絵は応えた。
詩穂はじっと私の顔を見ていた。
私達は公園から移動し国道16号線にあるカフェバーの『ユズリハ』に来ていた。
カウンター席と壁際に四人掛けのテーブルが三つほどある小洒落た喫茶店であり、学生の頃によく利用していた。
テーブル席に座り、私はダージリン、詩穂はアイスコーヒー、雪絵はカフェモカを注文した。
詩穂は公園からずっと黙っており恐らくは私の嘘に気付いたのかもしれない。
雪絵は彼氏の小林が、自分を心配してくれていると知って少し上機嫌だった。
雪絵は彼氏との思い出や性格、趣味嗜好を嬉しそうに語っている。
すると、思い出したのか雪絵は私達を見て言う。
「あの、一度家に戻ってもいいですか?着替えを取りに行きたいのですが」
確かに私の家に寝泊まりをするのなら着替えは必要だろう。
「そうね、私も一緒に行くわ」
「近いので平気です。何かあればすぐに連絡します」
そう言って立ち上がり店を出て行った。
詩穂はようやく口を開く。
「春奈、本当はどうだったの?」
「・・・別の彼女がいたわ」
「やっぱりね」
「やっぱりって?」
「私が男でも、雪絵のような綺麗な子が彼女だとしても半年も会わないのなら別の彼女を作るわ」
「そんな・・・」
「春奈は夢を見過ぎよ、誰にだってうつろいはあるのよ」
「それでも、私は納得できないわ」
そう言うと詩穂はため息をつく。
「春奈は誰にでも理想を押し付けすぎなのよ。孝助君にもそれで失敗したのを活かしきれていない」
「孝助のは違うわ、あれはアイツが勝手にやったことだもの」
「そうね・・・けど失望はしたのでしょう?

「そうだけど・・・」
「雪絵の事は私達で解決しましょう、彼氏さんの事は追い追い話していけばいいわ」
「雪絵が傷付くと思わないの?」
「黙っていた方が傷付くし、傷も大きくなるわよ。彼氏の分と私達の分ね、あの子の前でいい先輩でいたいのなら早くストーカーを解決して早めに伝えるのが一番よ」
「そう・・・よね」
私は納得できない言葉を吐こうとしたが、何とか呑み込み応えた。
私は詩穂に公園であったことを話した。
それからは気まずい空気が続いたが、雪絵がボストンバッグを持って店内に戻ると少しは和らいだ。
右手にしているリストバンドで額を拭う。
「お待たせしました、どうかされましたか?」
詩穂は首を横に振り「何でもないわよ」と応えた。
「結構な荷物ね」
「はい、事件がいつ解決するかわかりませんし、春奈さんや詩穂さんといるのが楽しいので」
そう言われ、私と詩穂は顔を見合わせ笑った。

翌日の朝、私が起きると詩穂と雪絵は起きており朝食の準備をしていた。
「起きたのね。まだ朝弱いのね春奈は」
私はこくりと頷いて、ダイニングチェアに座る。
まだ、脳が起きていない。
詩穂はテレビのチャンネルを変えるとニュースが流れていた。
すると、緊急速報が流れていた。
『神奈川県横浜市保土ヶ谷区の路上で小林達彦さん(22歳・男性)が鈍器で殴られ意識不明の重体』
私と詩穂は固まった。
早く覚醒した詩穂はすぐさまテレビの電源を切り、キッチンにいる雪絵を見る。
雪絵は料理中で気付いていない事を確認し、私と詩穂は安堵の息を吐いた。
『やられた』と私は思った。
あの時、やはり居たのはストーカーだった。
ストーカーは雪絵でなく小林を標的にしたのだ。
あの時、警告だけでもすればよかった。

私達のせいで孝助の解答は失敗した。




私は朝食を食べ終えると、ピンクのワイシャツとデニムのパンツに着替える。
髪を整え歯磨きを済ますと、買い物に行くと言って外に出る。
詩穂と雪絵には留守番をしてもらった。
私は由比ヶ浜駅から江ノ島電鉄で長谷駅に行き、喫茶 穂花へと向かった。
穂花に着き店内に入ると、孝助は四つ目のテーブルにおり文庫本を読みながら煙草を吸っていた。
私は、マスターに「いつもの紅茶」を注文し何も言わずに孝助の向かいに座る。
「ごめんなさい」と私は孝助に言う。
孝助は私を訝しげに見て言う。
「何をだ?」
「ニュース見たでしょ?あの小林というのが雪絵の彼氏だったのよ」
「なるほどね・・・そうなのか」
孝助はそれだけ言うと文庫本に視線を落とす。
「何も言わないの?私が付いていながらとか、役に立っていないなとかっ!」
「何で俺がお前を責める必要があるんだよ」
「だって、私は小林と会ったのよ。女の子を侍らせていたけど、ストーカーだって側にいて警告もできなかった」
「小林と会ったのか?宮原について何か言ってなかったか?」
「下世話な事を宣っていたわよ、女の子の身体と顔しか興味ないみたいな事を言っていたわ」
少し悪意を込めて言った。
「侍らせてた女の子という奴は知っている奴か?」
「その子は多分今の小林の彼女でしょうね」
「なるほど・・・、ストーカーはどんな奴だった?」
「上下黒のジャージでadidasのタオルを頭に巻いていたわ」
「顔は?」
「遠かったから見えなかったわ、夜だったし」
「そうか・・・ありがとう」と孝助は言った。
私は理解できなかった、お礼を言われるとは思いもしなかったのだ。
「どうして、お礼なんか言うのよ」
「解答が出せそうだからな。明日、詩穂と宮原を連れて来てくれ話がある」
「話って何?」
「だから、解答だよ。喫茶店相談所のストーカー対策のための解答だ」
「昨日、解答を出してくれたじゃない」
「あれは実験だよ。相手がどうでるか調べたかった」
「雪絵を囮にしたの?」
「囮じゃない、囮は彼氏の方だ」
「どういうこと?」
「相手が餌に食いついたって事だよ。まぁ、俺の考えでは相手も同じ考えだっただけだ」
「それって」私は握り拳をテーブルに叩きつける「アンタは彼氏の小林が襲われることもわかっていたってこと!」
「怒鳴るなよ、襲われて重傷になるのは予想外だったが概ねだな」
「何で教えてくれなかったのよ!私が何もできないから?」
私はいつの間にか涙を流していた。
悔しかった、何も雪絵の力になれなかった。
「泣くなよ、それに早くストーカー事件を終わらせたいんだろ?」
「ストーカーの被害が拡大しただけじゃない!解決なんて無理よ!」
「できる」と孝助は強く応えた。
私は孝助の顔を見る。
「できるんだ、それに遅かれ早かれ彼氏は襲われていた」
「どうして・・・わかるのよ」
「彼氏は邪魔だからな」
「何よそれ?」
「すぐわかるさ・・・とりあえず明日だ」
私は、運ばれてきた紅茶を飲んだ。
「それに、春奈は役に立ったさ。宮原を守ったんだろ?」
「守りきれてないわ」
「今、宮原が傷ついていないのは春奈のおかげだろ?」
「詩穂もいるわ」
「詩穂が動くのは、春奈の正義感に引っ張られてだ。お前が動く話題でなければ絶対に動かないよ」
「でも、詩穂の方が役に立っているわ。私は追い抜かれてたのよ・・・立ち位置も密度も」
「立ち位置とかは解らんが、俺たちは対等だろ?お前の正義感に俺も引っ張られた。だから、俺は動くんだよ。劣等感を感じるのはやめろ」
「わかった・・・」
「紅茶飲んだら帰れ、宮原もいるんだろ?
とにかく明日だ。」
私は頷くと紅茶を飲み干し店を出た。
孝助が「金払ってけ」と言っていたが無視をした。
多分、孝助は何かに気づいている。
それで、私の情報で解けるのだろうか?


私はマンションに着くと詩穂と雪絵に孝助から明日来てほしいと言われた事を伝えた。
買い物を忘れていたので、詩穂を連れて外に出る。
由比ヶ浜駅から江ノ島電鉄で鎌倉駅へ行き鎌倉とうきゅうで昼食と夕食の買い物を済ませた。
帰りはタクシーに乗り自宅マンションへと帰る。
ストーカーをどうやって撃退するのか・・・それだけが頭の中を渦巻いていた。
詩穂も孝助がどのような解答を出すか気になっているようだった。
私達はマンションに着き部屋に入る。
雪絵はリビングでテレビを見ており流れているニュースを見て固まった。
雪絵は小林が襲われたニュースだった。
「雪絵・・・それ」と私がリビングの入口から声をかける。
雪絵は此方を振り向き困ったような顔をする。
「春奈さん、これは・・・私・・・どうしたらいいのでしょうか?」
「大丈夫よ、明日孝助が何とかしてくれるから」
私らしくない事を言ったと思う。
「春奈が薦めるくらいだから大丈夫だよ」
詩穂が笑顔で言う。
「そうですよね・・・警察も動いてくれてますよね?」
雪絵は涙ながらに言った。
『警察』というワードに私も詩穂も固まってしまう。
警察が介入する事件を私達は受けたことがなかった。
「警察が動くか解らないけれど、多分動くとは思うよ」
詩穂は雪絵の頭を撫でながら言った。
ストーカーは三人いる。
うちのどれかが犯人で、彼氏を襲ったやつなのか・・・
私は気になって仕方がなかった。

10
俺は、春奈から聞いた情報で少し気になったこともあり横浜国立大学にいる後輩に連絡を取った。
やはり、宮原雪絵は有名な娘であった。
美人、優しい、清楚と色々と話が出てきた。
後輩の鼻崎は電話口で言う。
『寺岡先輩も、雪絵先輩のこと気になりますかい?』
「いや別に」
『ですよね、あの川島先輩や朝比奈先輩がいるわけですし・・・』
俺は無視して続ける。
「お前はニュース見たか?あの小林って奴は知ってるか?」
『もちろんですよ、雪絵先輩とお付き合いしている爽やか野郎ですよね!しかも雪絵先輩の大切な後輩にまで手を出した最低野郎ですよ』
「後輩って誰だ?」
『三島美香っていう美人さんですよ。前に小林から聞いたんですよね』
「何を?」
『前に雪絵先輩と美香さん、小林の三人で出掛けて雪絵先輩のいないところで口説いたらコロッと彼女にできたなんて言ってました』
「なるほど・・・美香って娘はギャルみたいな娘なのか?」
『全然違いますよ!物凄くいい娘で、清楚ですよ!』
「そうか・・・お前の知り合いで宮原に異常に近付く奴はいるか?」
『結構いますよ、雪絵先輩は誰にでも優しいですし声をかけられると話しをしてくれるので同じ学部だけじゃなくて、俺のいる社会学部でも雪絵先輩の話題は持ちきりですから』
「なるほどね・・・」
『異常っていえば、マヤマっていう奴は異常かもしれませんね。何を話しても雪絵先輩に話が変わっていくんで雪絵ファンなんて渾名が付くくらいですから』
「マヤマか・・・了解、ありがとう」
『寺岡先輩、もしかして相談所復活したんですか?』
「まあね」
そう言って俺は電話を切った。
やはり、犯人はあいつか。
俺は念のため、春奈に連絡をかけた。


11
八月も後半に入ったにも関わらず蝉時雨と太陽の紫外線は弱まることを知らず私達に暑さを教えてくれていた。
午後一時に穂花に来るように指定された私達は長谷駅から歩いて来ていた。
詩穂が途中途中で通り過ぎるタクシーを眺めていた時は「もう少しだから」と声をかけ何とか穂花に辿り着いた。
穂花に入店すると窓際の四つ目のテーブル席に座っていた。
いつもと違うのは、桜川家の長女である舞美が来ていた。
孝助は私達に気付くと手でテーブル席を指した。
舞美は私達に気付いて手を振っている。
テーブルの側に立つと、舞美がショルダーポーチから三枚の紙切れを出した。
「春奈さん!詩穂さん!映画に行きませんか?」と舞美が満面の笑みで言った。
私と詩穂は顔を見合わせる。
「舞美、悪いけれど今日は駄目なのよ」
私は舞美に申し訳なく言う。
「何でですか?」
「これから、孝助の解答を聞かないといけないのよ」
「えー、折角朝から並んだのに」
舞美の持つチケットには『Kawakita Film Museum』と印字されていた。
「いいじゃないか行ってこいよ」と孝助が言った。
「別に解答を聞かせるだけだからな、別の日にお前達にも聞かせてやるよ」
「でも・・・」と私は呟いて詩穂を見る。
詩穂は小さく唸って私を見る。
私と詩穂は逡巡しているのを舞美が頭を下げて言う。
「お願いします、今日ぐらいしか空いている日がないんです」
私は小さく溜息をついて「わかったわ」と応える。
詩穂もそれを聞いて頷いた。
舞美は頭を上げ満面の笑みで喫茶店を出る。
私は孝助に「お願いね」と伝え孝助が頷いたのを見て詩穂とともに舞美の後を追った。


舞美と私達は舞美の学校での話をしながら歩き気がつくと長谷駅が見えてきた。
改札を抜け、ちょうど来た電車に乗り込む。
「何の映画を観るの?」
詩穂は舞美に言う。
すると、少し困ったような顔をして私達から目を逸らした。
「えっと、まだ決めてません。行ってから決めようかな・・・と」
舞美は視線を逸らしながら言った。
「もしかして、孝助君に私達を映画に連れて行けなんて頼まれたの?」
詩穂はじっと舞美を見て言った。
舞美は「えっと」と繰り返し呟いてから頷いた。
孝助は私達を雪絵から遠ざけた。
何のために・・・。ふと、ある考えが浮かび私は言った。
「戻るわよ」
私の言葉に詩穂と舞美は私を見つめる。
「孝助は全部解ったんだわ」
その言葉に詩穂は頷き、舞美は溜息をついた。
私達は次の駅で降り、乗り換え長谷駅に着くと急いで穂花に向かっていた。
穂花の前に着くと俯いて歩いてくる雪絵の姿が見えた。
生気がなく、いつもの凛とした佇まいや温和な雰囲気を失くしまるで魂を取られたかのようだった。
「雪絵!」と私は叫ぶように言うと、焦点のあっていない目で私を見る。
ゆっくりと私に近づき小さく呟くように「すみませんでした。さようなら」と言った。

12
私は、彼に言われたことを頭に反芻させていた。
大通りに出てタクシーを拾い「横浜国大まで」とだけ伝えタクシーは発進した。
寺岡孝助は予想以上に凄い人であった。


13

一時間前

春奈と詩穂が舞美に連れられて喫茶店を出て行った。
「座りなよ」と孝助が声をかける。
雪絵は孝助の向かいに座った。
孝助はマスターを呼び珈琲のお代わりと紅茶を注文し言う。
「上手くいったかい?」
「何がですか?」
「いや、今回の相談が特殊すぎてね」
「特殊ですか?」
「犯人が依頼人というのは初めての経験だからな」
孝助は笑って言った。
「私が、犯人だと言うのですか?」
「あぁ、そうだ」と孝助は頷きと言った。
「だから、上手くいったかと訊いたんだよ」
「私は被害者ですよ。ストーカーにあって、孝助先輩が彼氏に会えなんて言うから彼氏も襲われたんです。それなのに私が犯人だなんて酷いこと言わないでください」
「あの解答を出さなくても、君は自分から彼氏に会って話すと言っただろ?」
「そんな事ありません」
「あるよ」孝助は珈琲を啜り言う「でないと君のプランが頓挫してしまうからね」
「何のプランですか?」
「間山君を囮に三島さんに小林君を襲わせるプランだよ」
孝助が言うと雪絵は目を見開いた。
無言のまま雪絵は孝助を見る。
「俺が気付いたのは三人のストーカーからの手紙だ。ストーカーならあんな手紙を書かない」
そう言うと孝助は持っていた鞄からクリアファイルに入った手紙を取り出し机に並べる。
「どうして・・・」
「確かに、この手紙は君を怖がらせることはできるだろう。けれど、それはストーカーの本分ではない」
雪絵はわからないという顔をして孝助を見る。
「いいかい?ストーカーというのは姿を現さない。だから普通は遠くから見たり聞いたり偶に側に寄る程度だ。それが、ストーキングに繋がるわけだ。愛しているからこそ見守るという事をする。相手に気付いて貰いたいが好意を寄せてくれないと理解し、こういう行動に出てしまう訳だ。悪い事をしている自覚の有無は兎も角、気味が悪いに越したことはないがね」
孝助は新しい煙草に火を点け紫煙を吐いた。
「けれど、この手紙は真逆だよ。好意を伝えているように見えるがただ恐怖を与えているようにしか見えない」
孝助は手紙を指差して言う。
「なら、この手紙を書く理由は何だと思う?」
「ストーカーが痺れを切らしたからではないですか?気付いて貰えないので」
「違うね」孝助は即答する「これは、君にストーカーがいると思わせる装いだよ」
「・・・・」
「狂信と言うのか狂愛と言うのか、そんなストーカーが三人もいるという異常性を周囲に理解させるためのものだ」
「私がそのような事をする理由は何ですか?」
「君の立てたプランでは必ず狂ったストーカーが必要だからだよ」
孝助の言葉で雪絵は黙り込む。
「君のファンだという間山君が今の彼氏なんだろう?元ストーカーの」
「・・・・・」
「だから、プランのために間山君に『逆』に近づいたんだ」
孝助は続ける。
「君の立てたプランは直ぐにわかったよ。この手紙を読んでね。ただストーカー役の彼氏が小林君を襲うと思っていた。三島さんという存在は知らなかったからね」
「だから、私に彼氏に会えと仰ったのですか?」
「まぁね。ニュースになるような怪我になるとも思わなかったし、自分の推理が合っているか確認も取りたかった」
雪絵はあの清楚な雰囲気を失くし俯いて下唇を噛み締める。
「君のプランは凄く良いと思う。ストーカーの偽の手紙を間山に書かせ元彼氏の小林君との待ち合わせ場所にストーカー役の彼氏である間山君を目撃させ三島さんに小林君を襲わせる。もし、警察が出てくれば間山君を差し出し科学捜査が行われれば三島さんを差し出す。それが君のプランだろう?」
雪絵は俯いたまま何も応えない。
「しかし誤算があるとすれば、この手紙だ」
孝助は紫煙を吐き出し言う。
「この手紙は出すべきではなかった」
雪絵は無表情のような気の抜けた顔で孝助を見る。
「ストーカーは本来は無色透明なんだ。見つかってはいけない、聞かれてはいけない存在なんだ。君達が書いた手紙ではストーカーは色が濃すぎる」
「わたしは・・・」
雪絵は肩を震わせながら言葉を出そうとするも、うまく声が出せずにいた。
「最初から君の演技はわかってた。君の本性は醜い」
孝助がそう言うと雪絵はまた俯く。
「これが、俺の解答だ」
そう言うと孝助は冷めた珈琲を一口飲んだ。
雪絵は亡霊のように立ち上がり店を出て行った。

14
私は春奈先輩たちに見送られた後、タクシーに乗り横浜国大に来た。
頭の中で孝助先輩に言われた事を反芻していた。
見破られた事に憤慨もあるが、それ以上に歓喜していた。
あの人なら「私を愛してくれる」と歓喜した。
私の醜い本性も全て含め愛してくれる。
私を離さないようにしてくれる。
寺岡孝助先輩なら私を離さないでいてくれる。
覚束ない足取りで教育人間科学部のキャンパスに向かうと、煙草を咥えた女性がいた。
「来たか、雪絵君」
私に喫茶店相談所を紹介してくれた「羅刹女」だった。
「見る限り孝助にやられたようだな」
「ふふふ」と雪絵は笑い「とても素晴らしい方ですね」
感情の篭っていない瞳で応えた。
「君に伝えなければならない事なんだが、君はこのままでは終わる」
「どういう事でしょうか?」
「君に見捨てられた二人が君に復讐をしないと思わないのかね?」
「あの二人がですか」
私の狂信者である三島と間山だと直ぐにわかった。
「孝助は甘い奴だよ。君に正しくとどめを刺していない」
「とどめ?」
羅刹女は私に抱きつき耳元で囁くように言う。
それは呪いの言葉だった。
『 』

私は肩を震わせ羅刹女を見る。
頭の中が恐怖に染まるのがわかった。
「私ならそんな事は絶対に言わない。私なら君を救える。君を縛りつけてやれるぞ?」
「あ・・・」
私にはこの人しかいない。
寺岡助教授しか私にはいない。
一瞬にして私は寺岡さやかに狂ってしまった。

15
私と詩穂は、雪絵が去っていった後に穂花に入店し孝助から事の顛末を聞いた。
舞美は、孝助の隣に座りミルクティーを飲み、私と詩穂は孝助に向かい合っている。
「何で雪絵は偽のストーカーを作ってまで、そんな事をしたの?」
私が訊くと孝助は珈琲を飲み干して言う。
「あの子は束縛されたい子なんだ」
「束縛?」
意味がわからないが、隣では詩穂が「なるほど」と呟いていた。
「雪絵は、彼氏に構ってほしかったんだよ。束縛・・・つまり自分だけ愛してほしかったんだ」
「でも、付き合うなら普通はそうじゃないの?」
「違う。あの子は縛りつけてでも側にいたいと思う子だよ」
「どうしてわかるのよ?」
「ストーカーの手紙だよ」
「手紙?」
「あれは、1枚目は間山君が書いたものだ。それ以外は雪絵の書いたものだよ」
「そうなのっ!?」
「二枚目と三枚目が同じ字だからな。汚く書いても癖は出るんだ。そして、あの文はストーカーが雪絵に送ったものでなく、雪絵が小林君に送ろうとしていた手紙だ」
孝助が雪絵に電話番号らをメモ帳に書かせていたのは筆跡を調べるためだったようだ。
「けど、間山って人もよく書いたわね手紙」
詩穂が珈琲を啜り言った。
「間山君は雪絵のストーカーだったからな簡単に書くだろう」
「間山って人はわからないけれど、雪絵の恋人ではないの?」
「今回のプランの為にストーカーだった間山に逆に近付いて恋人になったんだよ」
「雪絵がそんな真似を・・・」
「三島さんも、雪絵に信奉していたようだし小林君を憎んでいたからな」
「でも、三島さんに小林君から近付いて行ったのでしょ、何で三島さんが小林君を襲うのよ」
「そこは偶然だったと思う。雪絵を信奉していた三島さんに雪絵の恋人だった小林君が惑わされ、雪絵と距離を置いたのは偶然だ。だが、雪絵は束縛をしてくれなくなった小林君や恋人を取った三島さん、ストーカーの間山君に復讐しようと考えて行動したんだろ」
「三島さんにも復讐するつもりだったのね」
「あぁ、だから自分を信奉しているのを利用して恋人を襲わせた。警察が動いているだろうし三島さんが捕まるのも時間の問題だろうな」
「雪絵の動機がわからないわ。束縛してほしいからなんて」
私は俯いて応える。
私達が利用されていた悲しみもあるけれど、雪絵がそんな事をするなんて思わなかった。
「『いかに悪人が害悪を及ぼそうとも善人の及ぼす害に優る害悪はない』だよ」
「なにそれ?」
「ニーチェの言葉。春奈と詩穂は雪絵の仮面しか見てなかったんだよ」
「仮面・・・」
「あの子も気付かれないように透明の仮面をつけていたんだけだ」
「私、先輩失格ね・・・あの子の事をちゃんと見ていなかった」
「そんなことないわよ」
詩穂は私の手を握って言った。
詩穂は私の肩を抱きながら孝助を見る。
「孝助君の事だから何かしているのでしょ?」
「羅刹女がやってくれてるさ」
「羅刹女?」
「姉貴だよ」
「じゃあ、相談所を紹介したのはさやかさんなの?」
「それ以外見当がつかないな・・・それに」
「それに?」
「最後には締めをしてもらわないと」
「締めって?」
私が涙をハンカチで拭いながら言う。
「『君は誰にも必要とされていなかった』と姉貴からあの子に伝えて貰う必要があるからな」
「そんなこと言うなんて限らないのに?」
「言うさ。でないとあの子は俺に付き纏うかもしれないしな」
「自意識過剰じゃない?」
「そんな事ないさ。あの子は『愛とは束縛』の言葉を絵にしたような子だからね」
「だから?」
「姉貴は雪絵を手駒にするために言うよ」
「あり得るわね」
そう思うと、雪絵に対する怒りも悲しみも薄れていった。
「でも何で、雪絵が孝助に付き纏うとわかるのよ?」
「それはな、俺があの子の仮面を黒く塗りつぶしたからだよ」
「なにそれ?」
私が真顔で応えると孝助は決まりが悪い顔をしてコーヒーカップを持つ。
しかし、中身が無いことに気付きお冷やを飲んだ。
孝助はこうなると絶対に言わないだろう。
だからこそ、あえてジッと見つめてやる。
そして、視線に堪え兼ねたかのように窓から景色を眺める。
私も詩穂もつられるように外を眺める。
夕焼けの西日が店内に差し込み、私達は無言で眺め黄昏ていた。

喫茶店相談所の事件簿 #2 色付けされた仮面

喫茶店相談所の事件簿 #2 色付けされた仮面

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  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-03-06

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