空を往く
[1]
僕の家にあった飛行機は、幼い僕にはあまりに大きなものだった。広過ぎるコクピットと強く重たいエンジンは全く僕の手に負えるものではなく、父ばかりが上手に操縦する様を見て、僕なんかは全く必要の無いお荷物ではないかと思われたから、僕にはあの機体は苦痛でしかなかった。僕は格納庫で毎日のようにはしゃぐ兄と父をよそに、滑走路の端っこに座って、空ばかり眺めていた。白く柔らかい陽の照る風の凪いだ日も、陰惨な雷鳴が轟く灰色の日も(こういう日には父の大きな傘を借りていた)、僕はそこで文字通り限界まで遠くを、気が遠くなるまで見つめていたのだった。夕方になると兄がそんな僕を迎えに来て、呆れたように言ったものだった。「そんなに熱心に見つめていると、いつか溶けちまうぞ」と。
どちらかと言えば僕は、自分で機体を飛ばすよりも、助手席に座って翼の下に広がる景色を見ている方が好きだった。僕の家にあった飛行機は翼が胴体より上に付いていたから、上空はほとんど見えなかったのだけれど、それでも僕はあれに乗って遊覧することに十分な満足を覚えていた。誰か操縦の上手い人――――例えば、晴れて国で一番の戦闘機部隊に入った僕の兄とかが滑らかに飛ばしてくれていて、僕はその傍らで、永遠に空から世界を眺めていられたらと夢見ていた。僕は飛行機を扱うのがあまり得意ではなかったけれど、相変わらず空は大好きで、いっそ兄が言ったように、できることなら空そのものになりたいとさえ願っていた。僕はクリアな日も、ダーティな日も、どんな季節のどんな時間の空も心から愛していた。それぞれの良さがある、なんて月並みな表現では言い表しきれない。空には常にかけがえのない世界の一瞬が、最高の音楽と共に映し出されている。
そういうわけで、どうにか一通りの訓練は終えたものの、僕が自分から操縦桿を取ることは滅多に無かった。僕はいつだって誰かが見せてくれる空を心待ちにしていた。そうした方が色々なものの本当の姿がじっくり見えてくると信じていた。春の空が見せる少しぼやけた陽光の広がりも、刻一刻と海へ沈んでいく夕陽の染み入るような輝きも、菫色に染まった空にぽつりぽつりと灯り始める、白く青い小さな星々も、僕にとっては瞬きの間も惜しいほどの芸術だった。僕はパイロット(時によって父だったり、兄だったりした)にどこへ行きたいと注文を付けることはなかった。僕はその時見えるものを追うことばかりに夢中で、それ以外にはとても気が回らなかった。パイロットは真摯な眼差しを前へ向けながら、そういう僕を訝しんでいた。「自分の自由に飛べないなんて、俺だったら考えられないけどな」――――しかし僕には、自分がその時味わっていた以上の「自由」が想像できなかった。
兄が遠国で撃墜されたという知らせが家に来たのは、夏の終わりのことだった。
湧き上がる入道雲とやや湿り気のある大気、そして街中の屋根という屋根がジリジリと焦がされていくような、嫉妬じみた強烈な日差しが印象的な午後だった。僕はいつも通り何をするでもなくただただ空を眺めていた。ちょうどカラス同士の激しい諍いが庭の真上で繰り広げられており、一羽がもう一羽の尾を千切るべく、ぐるぐると円を描きながら飽きることなく相手を追い回していた。追う一羽がいつの間にか追われる一羽となり、それがまた逆転したりして、戦況は目まぐるしく変化した。結局、最初に仕掛けた一羽が案外呆気なくもう一羽を縄張りから追い出して、戦いは決着した。僕はそれを見届けてからようやく、見慣れない制服の郵便屋が垣根越しに呼び掛けてきていたことに気が付いた。郵便屋は素っ気なく僕に一通の葉書を託すと、そそくさとまた日の照り返す道を去って行った。僕は手渡された葉書を何も言わずに母に届けた。その晩帰宅した父は遅くまで格納庫で機体をいじっていた。僕はその物音を聞きながら、滑走路でいつまでも天の川を眺めていた。
[2]
僕が本格的な飛行訓練を受けるために軍に入ることにした理由は、兵隊になりたかったからではなかった。僕は単純に、空の上からもっと「自由に」空を眺めてみたいと思ったのだった。墜ちた兄の魂が僕を空へ引き上げているのだと母は恨めしげにこぼしたけれど、僕の中に兄の血が一滴たりとも混ざっていないことは、何よりも僕を乗せて飛ぶ飛行機たちがよく知っていたことだったろう。あの頃の僕は兄とは違い、機体とは決定的に別の生き物で、ともするとアレルギーすら起こしかねない異物だった。僕は飛びたかったのではなく、あくまでも空を見に行きたかったのだ。旅立ちの日に父は、見慣れた顰め面で「操縦桿に齧りつけ」と何度も僕に言い含めた。僕は父が少しでも安心してくれることを願って、良く飲み込めないまま神妙に頷いた。
戦況の関係で訓練は急ピッチで行われた。当然兄がいた頃と比べて兵隊の質は落ちていっていたが、それに変えてもなお、たくさんの兵隊が必要とされていた時期だった。故に元々ある程度の操縦ができる僕のような者は、多少腕に問題があったとしてもすぐに戦地へと送られた。僕が最初に送られた基地は激戦地のど真ん中にあった。そこでは新人が完璧に整備された戦闘機に乗せてもらえることは稀であり、僕らは半ば運に任せて飛ぶことを強いられた。国で伝えられていた以上に行く末思わしくない戦争だということを僕はその場所で初めて知った。同期の友人が一人、また一人と火の粉を撒いてあえなく散っていく中で、最後に僕だけが残されるのには半年もかからなかったと思う。僕はパイロットの誰もがそうしていたように、毎日神経を削って尖らし、すり減らして、また削って、それこそ命を削ぎ落とすようにして飛び続けた。生き延びることができたのは才能のせいでは決してなく、僕の飛ぶ筋にたまたま死神が通り掛からなかっただけのことだったろう。僕は当時のことを詳細に覚えているが、語ろうとするとそれと同じだけ詳らかに、恐怖と苦痛を思い出す。
コクピットの中は常に目まぐるしい場所だった。いくつもの計器がひっきりなしに働いていて、僕はそれらの針を追ったり、キャノピーの外を見たりで、常に大忙しだった。もちろんゆっくり空を見ている暇なんてあるわけもなく、だが迂闊に計器の仕事ばかりにつられているわけにもいかなかった。僕は喰らい付くようにガラスの向こう側を睨んでいた。別れ際の父の言葉の重さは日に日に実感できるようになっていった。僕の目はいつしかすっかり機体の一部と化していた。僕の神経は操縦桿を通じて翼の端々まで伸びていった。そうでなければ僕も飛行機も飛べなかったのだ。僕は整備不十分の戦闘機の中で、父が優秀なパイロットであったわけは、何よりあの家の飛行機を心から愛していたからだと知った。機体とパイロットは一蓮托生だ。綺麗に飛ぶには心が添わなくてはならない。例え兄のような天才でなくとも、翼は必ず僕と共にある。では僕の心はどこにあるのか。空か。コクピットか。それらは分かたれなくてはならないものなのか。僕は答えが欲しくて、飛び続けた。
僕はコクピットの狭さにうんざりしながら、キャノピー越しに望む青が幼い頃よりもぐっと冷たく、鮮やかに感じられることを不思議に思っていた。エンジンの景気良い唸り声に包まれながら――――戦う内に、少しはまともな機体に乗せてもらえることが多くなってきていた――――僕は今や、自分が父の飛行機よりもずっと大きく強力な飛行機を乗り回しているのだと、ふと気付いた。目に映る青の違いはまずキャノピーガラスの質の違いであり、次には飛びまわる高度の違いであり、そしてとりわけ、空を映す僕の目の違いであったことが、理解できるようになった。心の在り処は未だに見つからないながらも、僕の身体は自分が思うよりもずっと早く変わっていっていた。僕は見たことのない空を、知らず知らずのうちに見つけ出していた。
[3]
いつの日も微妙に色相を変えて空は白み、そして赤らんだ。どこからか流れ来る雲たち、熱に浮かれて湧き上がってくる雲たち、そしてマニューバの軌跡に沿って細く伸びる長い飛行機雲が、僕を彩るすべてとなっていた。僕は地上でもやはり延々と空を眺めていたけれど、その目は常に無意識に敵の機影を探るようになっていた。「ここは安全ですよ」そんな後輩の言葉は一向に頭に浸透してこなかった。雲一つない秋の澄んだ空さえ、僕にとってはビリビリと緊張に満ちた空だと思われた。数少ない僕の同輩の一人はそんな空の下、ふと己の足元に目を落とし、路傍に咲いていた真っ赤な花を一輪摘んだ。彼はしげしげとその花を眺めた後、どこか呆けたような表情で花を持った手を下ろしてまた空を仰いだ。僕は黙って同じ空を見つめていた。空っぽの空がぽかんと広がっていた。
敵の戦線は着実に拡大してきていた。勢いづいた敵方はみるみる力を付け始め、初めは両国とも互角と言われていた機体の性能にも、次第にはっきりとした差が認められるようになってきた。もう誰の目にも僕らの敗戦は明らかだった。空にも海にも丘にも、たくさんの迷子の魂が漂い出し、神様を除けば、そんな僕らが本当に帰るべき場所を知っていた人は誰もいなかった。僕ら兵士は戦う他にひたすらに何もしなかった。曲りなりにも紡いできた過去の日々がそうさせていたのか、それとも僕らの心細さが未来を戦場へ縛りたいがためにそうしていたのかわからなかったけれど、僕らは戦って戦って、抗い続けた。少なくとも僕はそうだった。
そう――――僕は戦っていた。
…………氷柱に似た鋭い日差しが薄い雲越しに降りかかっていた。僕は高速で上昇しながら咄嗟に操縦桿を右に倒し、機体をロールさせた。僕はさらにロールし続けて眼下の敵影を背面で認め、降下に転じた。迫りくる濃紺の海に一瞬だけ肝を冷やした。一方で敵は離脱しようと、よりきつい旋回に入っていった。僕は傾いた機体をそのまま急加速・急旋回させ、瞬く間に相手を射程に捉えて撃った。遠心力で遠退く意識などは問題にならなかった。僕は飛行機の魂だった。機銃は無慈悲に敵機の尾部をボロ屑にした。僕は墜ちる相手を見届けることなく体勢を立て直し、猛るエンジンと共に再び上空へと戻って行った。
――――僕らは、戦っていたから。
誰が墜ちた、誰が墜とした。そんな情報は毎日耳に入ってきたけれど、僕はそれを聞いても不思議と敵を憎む気持ちにも、味方を羨む気持ちにもならなかった。むしろ空戦をしている最中に相手のパイロットが見えたりなんかすると慕わしいような気にすらなったし、自分より腕の良い味方のパイロットと一緒になったりしたら、嫉妬よりも先に興味が湧いてきたものだった。彼らがどんな風に生きてきて、どんな空を見てきたのか。僕がその景色の一端にいられると思うと少しくすぐったい感じがした。時折空がぞっとするほど鮮烈な赤に燃えることがあるけれど、あれを目の当たりにした時の気分とよく似ていた。凄まじいものが、否応なしに惹きつけてくる。愛と壮絶が共に発露している、そういう景色だ。
とある春。「あれがうちのエースの…………」基地を行き交う誰かが僕を指差してそう言った。僕はいつかどこかからかっぱらってきた安酒をちびりながら片手を上げて返事し、はにかんで微笑んだ。エースと呼ばれて嬉しかったけれど、その時いたのは、エースかそうでなければ死んでしまうような過酷な戦場だったから、どうにもやりきれなくて僕は空へ目を移した。太陽を背に、高いところを鳥の一団がV字型になって渡っていく様が目に眩かった。山桜の花びらが絶えず舞い散る中、僕は惚れ惚れと鳥たちを眺めていた。不思議と鳥になりたいとは思わなかった。不謹慎な話だが、こんな場所でも僕は、生まれ変わったとしても、もう一度同じ空を飛びたいと願っていた。無数の、ひりついた魂がぶつかり合う空は、他では決して見ることのできない空なのだと本能が告げていた。
[4]
彼、いつかの日に赤い花を摘んで、その次の日に墜ちた青年の部屋に、新しく僕が入ることになった。久しぶりに人員が補充されて急遽部屋の配置換えが行われたためだった。僕は部屋にあった家具の隙間から、彼が出しそびれたものと思しき手紙を偶然に発見した。宛先を見てみると意外にも僕の郷里のすぐ近くであり、僕はそれを見て、途端に家が、幼い頃に眺め続けた土地の景色が恋しくなった。昔溶けたかった空が一気に頭に広がって、それから父の飛行機を操縦する兄の、真剣だけどまるで無警戒な横顔だとか、機体を整備する父の丸まった背中だとかが次々と蘇ってきた。それらは浮かぶ端から初雪のごとく失せていったが、消毒液のように傷痕に沁みた。僕は母へ送る手紙の中にそのことを書かなかった。あるいは花の彼も、あえて手紙は出さずにおいたのかもしれなかった。僕らはあの日から、あまりに遠くまで来過ぎていた。
ある日、僕は後輩を連れて飛んでいた。北方での激戦の帰路だった。どうにか生き残った新人一人を連れて、僕は山間に暮れつつある物悲しい夕陽を眺めていた。眼下には水の張られた水田がキラキラと光っていた。祖国の土地で戦えることを僕は一種の幸運だと思っていたが、無論、本来それは全く喜ばしい状況ではなかった。新人は僕から見ても、まだとてもまともに飛べるようなパイロットではなかったが(というより、熟練したパイロットなどというものはとうの昔に絶滅危惧種となっていた)、それは彼本人にもよくわかっていたらしく、彼は基地へ帰って来るなりその日の晩に拳銃自殺した。あの環境のど真ん中にいなければわかり難い、彼の煮詰まった苦悩は一晩のうちに弾けて消え、あっという間に掃除された。僕は彼を守るべきではなかったのかもしれない。彼の遺書の字は震えていて読めなかった。いずれにせよ僕は、本当には彼を連れて帰って来られなかったのだった。
飛ぶのは怖い。戦うことはもっと恐ろしい。僕にはそれがよくわかっていたつもりだった。自分がいつ制御不能の恐慌状態に陥って、この冷静な世界からはじき出されてしまうのかと怯えながら命を燃やし続けるのは尋常な生き方ではない。僕には自殺した彼を責めることはできなかった。彼の魂にはきっともっと違う居場所があった。自分の魂がどこにあるべきなのか、僕がそれを知れたのはほんの偶然だったと思う。僕はただ自由に空が見たくて昇ってきただけだった。多少の犠牲は…………多少という言葉には大いに語弊があるが…………仕方ないと思っていたけれど、そうして手に入れた「自由」が、僕にとって求めていた以上の価値を持ったものであったということは幸運としか言いようがなかった。僕は戦いながら、幼い頃に焦がれていた空になおも憧れていられた。僕は相変わらず、どんな空も心から愛していられた。
離陸の合図を受けて、僕はスロットルをフルに入れた。機体がおもむろに滑走路の上を前進し始めると、心地良い緊張が電気的に身体に走った。翼が風を掴む感覚はもう酸素みたいに身体に浸みこんでいた。僕が加速に合わせてゆっくりと操縦桿を引くと、機体は吸い込まれるようにして空へと浮かび上がっていった。機体はたちまちのうちに、輝かしい青の中をまっしぐらに駆け出した。燃料の質が悪いためにエンジンはやや不機嫌だったが、僕は混合比をいじってどうにか怒りを宥めた。僕の愛情は大抵こうやって示された。風は穏やかでひんやりとしていて、まさに遊覧飛行にはもってこいの日柄だった。右手に広がる海は何を語りかけてくるでもなく、ただ切々と永遠に続く波をたゆたわせていた。僕は共に上がって来た後輩たちに無線で伝えた。「――――…………最後に、一つだけ。『操縦桿に齧りつけ』」僕が知っている、唯一の方法だった。
[5]
嵐の海を抜け、火の風を浴びて、僕は戦争が終わるまで飛び続けた。傍らを駆け抜けて行った無数の魂は皆、儚い風となって空の果てへ消えていった。その行方は神様しか知らない。僕は終戦の日も空にいた。何も知らずに飛んだ最後の空はぐずぐずとした、いつまで経ってもパッとしない、薄ぼけた濁った空だった。ついに涙を落とし始めたのは僕が滑走路に着陸したのと同時で、僕はキャノピーに当たる大粒の雫と歪む視界を眺めながら、次に飛べるのはいつだろうかなんて考えていた。僕は急かされて機体から下りると、降りしきる雨の中を兵舎に向かって急いで走って帰った。
――――あとは。
…………スピンからの回復方法について、少し。
どうしてこんな話を急にするのかと聞かれると自分でも困ってしまうのだが、パイロットとなった僕の頭の片隅にはいつも、このスピンのイメージがこっそりと付き纏っていたからとしか答えようがない。実際に経験したことはあまりないにも関わらず、語らずには済ませられないぐらい今も深く印象に残っている。…………スピンというのは、簡単に言えば飛行機がアンバランスに失速した状態で、これに陥ると機体はくるくると螺旋状に旋回しながら、地面に向かってひたすらに落ちていってしまう。回復するためにはまず自分がどちら向きに回転しているかを知り、体勢を整えるだけの速度を取り戻すために、本能に逆らって機首を地面へ下げなくてはならない。冷静さと大胆さが要求される行為で、戦闘中に放り込まれると本当に何もわからなくなる。僕は運良く実技訓練ができたが、最悪な時期にやって来た新人は、座学で説明されただけだったという。僕は「諦めるな」とそんな彼らに告げたわけだが、渦巻きながらなす術なく固い海面に散っていったパイロットのことを思うと、さすがに胸が痛くなる。
…………僕の中には未だにスピンが渦巻いている。吸い込まれそうな空と、愛すべき飛行機と、螺旋。
僕は今、故郷で訓練飛行の教官をしている。戦いのない静かな空を、小さな飛行機で毎日飛んでいる。訪れる誰もがわくわくしながら操縦桿を握り締める。僕は最近、それを見るのがたまらなく好きになってきた。僕は生徒たちに、かつて父が僕にしてくれたような簡単な手ほどきをする。中にはのんびりとし過ぎていて危なっかしいパイロットもいるし、平和な空を飛ぶには少々勇敢過ぎるパイロットもいる。だが僕はそんな彼らが綺麗に(時に僕の目にはダイナミックに映ることもあるが)離着陸を行えるようになっていくのが何より嬉しい。空はいつの日も僕らの上に広がっている。あのビリビリとした魂の記憶をその深い懐に秘めつつ、ひたすらに美しい時を紡いでいる。そして僕はその鮮烈な青や、あるいはくすんだ灰色を、死ぬまで愛おしく眺めよう。――――秋になると飛行場の周りに咲き乱れる彼岸花は、今日も優しく揺れていた。
了
空を往く