BAR Bush Cloverの日常 第8話 Milky Way (期間限定公開)
煌々と照っていた太陽の光を、厚い雨雲が一気に覆ったかと思うと、突如として激しい雷雨が地表を襲った。アーケードの中は一時的に停電し、昼なのに薄暗い状況になっていたが、それぞれの店頭に、ずらり並ぶ売り子たちは、停電を逆手に取ったセールストークを繰り広げ、活気はより一層増している。
八月の六、七、八の三日間行われる、仙台七夕祭り。色とりどりの七夕飾りが、駅前から、勾当台公園までの道のりに咲き乱れていた。
七夕飾りは、一般的な短冊のほか、吹き流し、巾着、投網、屑籠、千羽鶴、紙衣といった、七つの構成要素から成り立っている。それぞれに意味があるが、その意味を知らずとも、華やぎながらも、厳かな気持ちになってくる。
私は、仙台駅前から、ハピナ名掛丁に入り、クリスロード商店街、マーブルロードおおまち商店街、ぶらんどーむ一番町商店街、一番町四丁目商店街という、それぞれに名の付いたアーケード街を通り抜け、勾当台公園までの約1.7キロメートルを、一時間ほどかけて、ゆっくりと歩いた。
毎年のことながら、藤崎の飾りは豪華だし、色彩豊かなかまぼこの鐘崎の飾りも、実に見事だ。
その中で、プロサッカーのリーグ、Jリーグに参入しているベガルタ仙台の飾りが目に入った。
これを見ると、仙台という街に、七夕という文化は、しっかりと根付いているな、と改めて感じる。ベガルタ仙台の名前は、織姫と彦星が住む星――こと座ベガとわし座アルタイル――に由来している、というのは有名な話だ。七夕由来の名前を掲げ、優勝を目指し邁進する姿に、心揺さぶられる仙台、もしくは宮城県関係者も、多く居ることだろう。
勾当台公園に着く頃には、先ほどの雷雨が幻だったかのように、再び強い夏の日差しが、空を支配していた。
「夏、まっさかりだな」
公園内に立ち並ぶ出店で、一杯の生ビールを注文し、暑い中の散歩に付き合ってくれた喉にご褒美を与えた私は、開店準備のため、店に向かった。
*
「マスター! 遅いよ!」
店に入るなり、サトミの声が響いた。七夕を堪能しすぎて、約束していた時間より十分ほど、遅い出勤になってしまったからだ。
「ごめんごめん。お土産買ってきたから、勘弁してよ」
「あ、ひょうたん揚げ! うーん、しょうがないなあ、許してあげよう。今日だと、結構並んだでしょ?」
「まあね。でも、あの前を通ったら、買わずにはいられない、という感じだからね。ちょっとまとめて買ってきたよ」
「ありがとう! いただきます!」
サトミは、早速ひょうたん揚げにかじりつき、あっという間に一本を平らげ、二本目に取り掛かっていた。
*
「あ、そうそう。さっきお客さんが来たんだけど、どうもマスターの知り合いみたいだったから、開店前だったけど通しておいたよ。どうやら夫婦みたいね。とりあえずジントニックを出しておいたけど」
「もう来たか。聞いていた時間より、一時間ほど早いな」
私はすぐに着替え、店へと出て行った。
「お待たせ、ケン。早かったな。少し七夕を見ていて遅くなったよ」
「外は夕立かと思ったら、すぐに灼熱地獄だろ? 早く涼みたくてきたら、そちらの子が看板出していたんだ。話しかけたら、入れてくれたんだよ」
「なるほどな。ユカリさんもよく来たね。仙台にようこそ」
「結婚式の時はありがとうございました! 七夕祭り、初めてなので楽しみにしてきましたよ」
このカップルは、四月に大宮の氷川神社で、結婚式を挙げたばかりの夫婦。ケンはミキちゃんの兄貴だ。その奥さん、ユカリさんと、結婚式の時のお礼を兼ねて、仙台に遊びに来る、という連絡が数日前にあった。
「仙台名物は、何か召し上がりましたか?」
「昨日の夜は、『利久』で牛タン、今日の昼は『うまい鮨勘』でお寿司をいただきました! 牛タンは厚いのに柔らかくて、とても美味しかったですし、お昼はまんぼうのお寿司を初めて食べました!」
「堪能したようで何よりです。ケン、ミキちゃんは元気かい?」
「ああ、あいつ、お前にお礼しておいて、って云っていたな。今度、仙台に遊びに行く、とも云っていたぞ」
「新社会人、元気にやっているんだな?」
「多分ね。電話の声が弾んでいたから、楽しそうにしているんじゃない?」
この前は、少し寂しげな様子もあっただけに、一安心だ。
「そうそう、この前はカクテルのプレゼント、ありがとうございました。ホワイトレディ、でしたっけ? とても美味しかったです!」
「お店の人が快諾してくれましたからね」
「ユカリ、感極まって涙ぐんだからな。あの時、説明してくれたヴィクトリア女王の話、本当なのか?」
「白いウェディングドレス、は実話らしいね。ホワイトレディの名前の由来かどうかは諸説あるみたいだけど」
「そうなのか。まあ、いろいろな説があるのなら、ロマンティックな話を信用するのも一興だな」
カクテルの由来は、はっきりとしたものもあれば、諸説入り乱れているものもある。ケンの云う通り、自分の気に入ったものを、自身の信じる説として採用するのも、カクテルの楽しみの一つだ。
「さあ、今日は何を飲ませてくれるんだ?」
「七夕にちなんだ、三日間限定のスペシャルカクテルがあるけど、それでどうだい?」
声を合わせ、「それで!」と云った二人のために、特別なカクテルの制作に取り掛かった。
*
私がカクテルを作り、ケンが紫煙を{燻|くゆ}らしている間、サトミとユカリさんの間で、話が始まっていた。
「いつまで仙台にいるんですか?」
「明日の夕方、埼玉に帰りますが、明日の予定がまだ決まってないんですよ。何処かいいところを教えてもらおうかと思って」
「うーん。そうだ! ユカリさん、『マッサン』観ていました?」
「観てました! あまりウイスキーに興味はなかったのですが、その影響で少し嗜むようになりましたよ」
「ここから車で一時間くらいのところに、ニッカウヰスキーの蒸留所があって、見学も出来るんですよ。案内しますので、そこに行きませんか?」
「わあ、いいですね!」
「じゃあ、せっかくだから、秋保温泉にあるおはぎの美味しい店に行って、定規山に登って三角揚げを食べて、その後ニッカに行きましょう。満足すること請け合いですよ! ということで、ドライバーはよろしくね、マスター!」
ガールズトークで明日の予定を決めてしまい、サトミはこちらに笑顔を飛ばしてきた。明日からは、お店はお盆休みにしているし、二人をどこかに案内するつもりでいたが、一つ、重大な疑問を持った。
「ドライバーってことは……」
「当然、試飲禁止、ね!」
ニッカウヰスキーの蒸留所に行って、試飲禁止とは……。無念、以外の表現が出てこないが、スマイルアサシンのキラーパスを喰らってしまっては、抗うだけ無駄と云うものだ。
「かしこまりました――。明日は、精一杯アテンドを務めさせていただきます」
「けってーい! ケンさん、ユカリさん、今日は飲みすぎないでね」
どんどんと話しが決まっていく中も、私は淡々と作業を進め、カクテルを仕上げた。
「はい、どうぞ。ミルキーウェイです」
桃色のカクテルをロンググラスに注ぎ、最後に星形のレモンピールをグラスの縁に飾った一杯を、二人の前に差し出した。
「ミルキーウェイ、天の川か。確かに七夕っぽいカクテルだな。あまり聞いたことないけど、これってオリジナル?」
「いや、これは1996年に行われたコンクールで、一位になったカクテルだよ。材料はドライジン、アマレット、ストロベリーリキュールにパイナップルジュース。これに、本当はストロベリーシロップを加えるんだけど、今回は、県内の山元町というところで作っている、100%のストロベリージュースを使って、フレッシュさを強調させているんだ」
「色も星の飾りも可愛いですね! いただいていいですか?」
どうぞ、と促すと、二人はグラスを重ね、カクテルを一度、もう一度と、口に運んだ。
「美味しい! 甘酸っぱくてコクがありますね。イチゴの風味も素敵!」
「味わいも名前も、女性向きではありますね。ケンには少し甘いかな?」
「そうだな。まあ、ユカリが喜んでいるから、それでいいけどな」
「あら、ごちそうさま! ケンさんって優しいんですね」
その言葉に、ケンは照れたような、それでいて幸せそうな笑顔を見せた。長年の付き合いだが、こんな顔を見たのは、初めてかもしれない。
よかったな――。旧友が、自身の織姫と出会うことができ、形影一如を体現できている清福を、心の中で祝福した。
*
二人のグラスが空きかけていることを確認し、私は話しかけた。
「次は、明日の予習を兼ねて、ニッカのウイスキーはどうだい?」
「いいねえ。俺はストレートで」
「私はハイボールでください」
「じゃあ、私もハイボール! ね、マスター」
なぜか、サトミも便乗してきたが、今日はお祭り、大目に見よう。
「では、ニッカウヰスキー仙台蒸留所限定の樽出し五十一度を。つまみは、ひょうたん揚げと、ケンには女川町の莫久来、女性二人にはずんだ餅をどうぞ」
宮城県の地の物で埋まった狭い店内は、そろそろ大団円を迎えようとしている仙台七夕祭りに、負けず劣らず、活気づいてきた。ふと外を見ると、七つ飾りが棚引くように、夕日に染まった雲一つない空に浮かんでいた。
今日の夜は、織女と牽牛が出会うことができそうだ――。ベガとアルタイルに思いを馳せながら、話に花が咲いている三人を眺めつつ、グラスを拭き上げた。
BAR Bush Cloverの日常 第8話 Milky Way (期間限定公開)