*星空文庫

BAR Bush Cloverの日常 ~ ジューンブライド

nikolaschika1185 作

 九州、沖縄地方で梅雨入りが宣言された。もう少しすると、梅雨前線が日本中を覆うだろう。これからしばらく続く鬱屈した日々は、視点を変えれば、迫ってくる酷暑への準備と捉えることもできる。時に激しく、時に穏やかな森羅万象に思いを巡らし、同化していく境地に達することができれば、人生はなんて豊かになるだろうか。

 今にも雨が振り出しそうな空を見上げ、雑考を重ねた。

          *

 カウンターに、一組のカップルが座っている。今月の終わりに結婚式を控えていて、今はその準備に追われているらしい。今日は、その骨休みとのことだ。

「六月に結婚式ですか。ジューンブライドですね! 憧れるなあ」

 チカは、グラスを丁寧に磨きながら、二人に話しかけていた。

「そういえば、何でジューンブライド、っていうんですかね?」

 チカの疑問に、二人も何故だろう、と首を傾げている。

「いくつか説はあるみたいですけどね。一番綺麗な説は――」

 ここまで話し、三人の目が集まるのを待ってから続けた。

「ローマ神話が由来と云われていますね。ローマ神話に出てくる、結婚を司る『ユーノ』という女神がいるんです」

 私は店内ポップ用のホワイトボードを持ち出し、そこに『JUNO』と書いた。

「綴りはこうです。何か連想できませんか?」

 数秒の沈黙を挟んだ後、チカが分かった、と叫んだ。

「『JUNE』、英語で六月ですね!」
「その通り。六月の語源はユーノにある、という説です。結婚を司るユーノに守護された六月に、結婚式を挙げるカップルは、きっと幸せになる、そんな言い伝えです」
「へえ、なるほど!」

 三人は満足げな顔をして、大きく頷いていた。

「さて、そんな話をしたところで、次の飲み物は任せてもらえますか? ジューンブライドの話をしたから、それにちなんだカクテルを作りますよ」
「いいですね。えーと、ホワイトレディかな?」
「半分は当たりです。せっかくですから二杯、別のものにしますよ。少々お待ちください」

 そう答えてから、バックバーからいくつかの瓶を取り出し、カウンターに並べていった。

          *

「はい、お待たせしました。ホワイトレディと、もう一つは私のオリジナルです」
「淡い黄色が美しいですね。いただきます!」

 白を男性が、黄を女性が手に取り、同時に口に付けた。男性は予期した味に、会心の笑みを浮かべているが、女性は驚愕の表情をしたかと思うと、再度グラスを口に付けた。

「これ、何ですか! ホワイトレディに似ているんですけど、とてもコクがありますね!」

 女性の驚きに興味を持った男性が、どれどれとグラスを交換し、口に付ける。

「確かにホワイトレディの味わいなのに、奥行きが凄い! これ、グランマルニエ使っていますね?」
「正解です。流石ですね! あと、ジンも、風味を強くするために、オレンジの皮をインフュージョンしたものを使っています」

 ホワイトレディとほぼ同じレシピだが、コアントローをグランマルニエに変える。これは決して珍しい組み合わせではなく、サイドカーやXYZでも、同じようなアレンジは見られる。ただ、これだけの事で、確かに奥行きが変わる。

「名前は何と云うんですか?」

 女性の問いには直接答えず、チカに目配せすると、チカは大きく息を吸い込み、二人の方を向いて話し始めた。

「私が名付けたんですが、『シェルマリア』にしました。フランス語で『親愛なるマリア』という意味です」
「マリア、って誰?」
「オーストリア大公、マリア・テレジアです。マリア・テレジアはオレンジキュラソーをこよなく愛した、と云われています。フランスで作られたオレンジキュラソーを好んだマリア、という意味です」
「なるほど!」
「加えて……」

 チカは、軽く上気した頬を、クールダウンさせるかのように小さく深呼吸した後、話を続けた。

「マリア・テレジアは、その当時にしては珍しく、初恋の人と恋愛結婚し、夫の死後は、夫を想い、慎ましく、一説によれば喪服のまま過ごした、と言われています。ホワイトレディが、ビクトリア女王をイメージした、と云われていますし、そのアレンジカクテルもちょっと結婚と結び付けたかったんです。お二人のような、幸せなカップルにぜひ出したい、と思っています」

 チカが話を終えた後、数秒間静寂が訪れたかと思うと、劈くような拍手の音が鳴り響いた。

「ありがとう! 最高の祝福だよ」
「本当に! 嬉しいわ」

 二人の賞賛を受け、チカのクールダウンした頬は、再びみるみると赤くなっていった。

「あ、そうだ、シェルマリア、ウェルカムドリンクにしましょうよ!」
「おお、いいな! 最後のピースが埋まったよ」
「ぜひ! ああ、そうだ。新郎がシェイクするレセプション、絶対喜ばれますよ! 私もお手伝いに行きます!」

 会話が盛り上がっている三人の笑顔を見て、ふと思う。美味しいお酒が、笑顔を生む。醸成した考えが、美味しさに深みを与える。深みは人に包容力をもたらし、それは、豊かな刻を作り出す。ああ、豊かの一面はこんなところにもあるんだな。

 豊かさに思いを侍らす機会に恵まれたことに感謝しながら、チカに請われ、男性にカクテルの手解きをする準備を始めた。

『BAR Bush Cloverの日常 ~ ジューンブライド』

『BAR Bush Cloverの日常 ~ ジューンブライド』 nikolaschika1185 作

BAR Bush Cloverの日常シリーズの単行本未掲載作品です。 今回はジューンブライドとカクテル、という話です。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2016-02-17
CC BY-NC-ND

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