うぇるかむ!ニャンズ・ハウス 

第1章  ~ショタ誕生編~

 云っておくが、これはショタコンの物語ではない。心して読むように。

 僕は横山将太。三十八歳、普通の会社員だ。

 それは突如として、僕の洋々たる前途を遮る最大級の災難という名のもとに降りかかった出来事だった。

 季節は春。少し肌寒く感じる雨の夜。仕事を終え、帰路についた僕。
 確か、時間は午後九時を過ぎていたと思うが、正確なところは記憶が欠落してしまった。
 朝の天気予報は曇りのち雨。急に落ちてきた大粒の雨に、やっぱり降って来たかと思いつつ、コンビニの軒下で鞄から黒っぽい折り畳み傘を取り出し、広げた。
 今日は木曜日。
 あと一日仕事が残っていると思うと疲れが足にきた。決して元気よく歩いてはいなかっただろう。
 ちょうど歩道側の信号が青になり、僕は横断歩道を渡り出した。そう、目の前の歩行者信号は確かに青だった。
 眩いばかりの光と、タイヤが路面に擦れてギャギャギャッと響く鈍い不協和音。傘をさしていたので僕自身、視界は決して良くなかったが、その不協和音が僕の方に近づく気配がした。
 光と闇、そして鈍い音が雨の音を掻き消しクロスする刹那。その後は何も覚えていない。

 気が付いたとき、僕は何処かの建物にいるらしかった。
 初めは何が起きたのか分からなかった。
 急いで記憶を辿った。
 ああ、車だ。もしかしたら、事故に巻き込まれたのかもしれない。此処は病院だろうか。何処も痛くはなかったが、骨折でもして運び込まれたのだろうか。目を開けた記憶が無い割に、なぜか、周りの様子が見て取れた。

 家族が泣いている。
 妻の小枝子、息子の穣司、十三歳、私立中学一年、娘の星羅、九歳、小学三年。三人とも声をかけるのが憚られるくらい抱き合って嗚咽を漏らし大声で叫んでいる。
 救急センターらしき室内では,医師や看護師さんが大勢、指示を出したり器具を持ってきたり、大声で僕の名前を読んだり頬を叩いたりしていた。

 と、意識が途切れた。次に目の前に現れたのは、白い布だった。
 嗚咽を漏らす人、泣いているふりをしている人、お喋り盛りの人。部屋の中に何人いただろう。家族は勿論のこと、会社の社長や先輩・同僚、なぜか近所のスピーカーおばさんまでが駆けつけていたようだ。部屋の中だけでなく、待合室にも何人駆けつけているらしく、声が聞こえた。

 お医者さんらしき人が、僕の家族に告げた。
「残念ですが、横山将太さんは、二十三時九分、お亡くなりになりました」

 またもや、みんなの泣き声だ。
 なんだって?今、誰のことを言ったんだ?横山将太って。僕?

 これまでの出来事を総合すると、どうやら僕は、とある年月の、とある雨の晩、運悪く車に轢かれ命を落としてしまった・・・らしい。

 僕には全部聞こえているよ!
 だから死んではいないよ、生きているよ!
 何かの間違いだよ!
 誰か、聞こえないの?
 僕の声が!
 でも、なんのリアクションもない。このまま僕が死んだことになってしまったら・・・どうなるわけ?
 もしかしたら、この後に僕を待ちうけるのは火葬じゃないのか?地獄じゃあるまいし、悪いこともしてないのになんで火攻めに合わなきゃいけない。
 そう、僕からは、みんなが見えていたし聞こえていたから、自分が三途の川を渡ってしまったと理解していなかったのだ。いや、わかっていたとしてもきっと信じなかっただろう。
 だから僕は、足掻いた。もがいた。なんとかして生きている事を知らせなきゃと必死だった。
 ああ、どうしよう・・・諦めかけた。
 そうして、僕の意識は途切れてしまった。

 次に目覚めたとき、僕は生きていた。息をしていることを確かめた。前は息をしているかどうかまでは確かめなかった。いかん、いかん。人間、パニックになると、咄嗟にしなければいけないことを忘れてしまうらしい。

 これからは忘れないようにしないといけないな。
 父親たるもの、子供たちの手前恥ずかしい。こんなことではいかん。さあ、今度こそ家に帰れるぞ。
 さ、みんな、一緒に帰ろう。

 と、周りを見渡した。病院だとばかり思っていた白い壁はなかった。目の前にあったのは、とてつもなく大きい花だった。こんな変な花、あったか?新種か?気候変動による変化なのか?いや、テレビか何かのイタズラ番組収録に違いない。こんな大きい変な花、見たことも触ったこともない。
 でも、なんとなく蒲公英に似ているような気がする。気のせいだと思うけれど。 それにしても、妻や子供たちは何処にいるんだろう。

 青い空が広がっている。どうやら病院からは退院したようだ。青空の下、僕は歩き出した。・・・しかし・・・だな、思ったように前に進まない。とにかく、その、蒲公英みたいな花、いや、森をかき分けていくのに、とても時間がかかった。
 此処は一体何処なんだ?僕が事故に遭った場所の近くにある病院じゃなかったのか?
 あ!あそこにあるのは、いつも本を立ち読みしていたコンビニ。看板に見覚えがある。デカいけど。看板デカくすると売上げ良くなるんだろうか。なんか、店もデカくなってる気がする。やっぱり何かのお笑い番組ネタかもしれない。
 テレビに映るのも悪くないな。どれ、行ってみるとしよう。

 ・・・ドアが動かない。って、自動ドアだろ、直せよっ!
 それにしても、なんで人の足しか見えないんだろう。巨人のぬいぐるみ着たドッキリ番組か?店から出てきた巨人の子供が「可愛いっ」って。デカい手で撫でられた。
 おいおい。大人をからかうな。
 次に巨人の店員が来た。僕を追い払うような仕草だ、なんで追い払う!客だぞ、僕は!
 しかし、なにか変だ。おかしい。っと、光の加減で、コンビニのドア部分が反射した。いつもなら、こういう時は自分の姿が映る。何の気ないふりして、髪型やネクタイ直したりするもんだ。
 どれ、今日の僕はどんな格好してるんだろう。
 ・・・いない・・・いない、いない、いない!!

 なんでだよ!
 僕、幽霊になったわけ?
 ホントに死んだの?

 あ、でも。
 さっき「可愛い」っていわれた。店員に「あっちいけ」ってやられた。みんなには見えるんだ、僕の事。なら、幽霊ではないな。
 きっと、自動ドアに何か細工してあるに違いない。よし、再トライ。また、店員に追い出された。「ダメだよ~」って。店員のお姉さん、怒ってはいなかったけれど、いい年したオヤジに言う言葉じゃないだろう。
 また、さっきのようにドア部分が反射した。今度は目を見開くだけ見開いてよーく見た。・・・そこにいたのは・・・・。

 トラ猫だった。それも、超可愛くないハンブサな子猫。

 なんでっ!
 どうしてっ!
 イケメンだった僕が、ハンブサな猫っ!

 僕は思いっきり、気が遠くなった。まだ夢の中にいるんだろうか。なんかまた、パニック状態になってきた。落ち着け、僕、横山将太!これじゃ家に帰ったって、誰も気付きゃしない。野良猫扱いされてしまう・・・。その上、この半端なく可愛げのない顔。

 ああ、どうしよう。
 ああ、どうしよう。

 兎に角、僕の家はひとつしかない。行くだけ行こう。そんでもって、家に入れてもらえなかったら・・・野良猫生活か・・・。できるかなぁ。野良猫だぞ、青空生活だぞ?できるのか?僕に?今からもう、心配だ。
 いや、できるだけの努力をしよう。まずは、僕が父親だってわかってもらえる努力だ。其処からしか始まらないさ。
 しかしだな、僕が夫だって・・・わからないな、妻の小夜子には。でも、子供たちはきっとわかってくれる。普通の猫より超縮小版なのが気になるけど、普通に戻るかもしれないし。戻るわけないか。なんでだよお、なんでこんなになってんだ。そうだよ、まだ夢の中なんだ、きっと。

 確かここのコンビニをまっすぐ行って、次の角を左に曲がって。そのまま100メートルくらい歩いて右に曲がれば僕の家だ。急げ、急げ、僕。しっかし、この格好だと足が短いから、いくら歩いても進まない。ああ。腹が立つ。

 ふと思い出した。猫なら走れるじゃないか。よし、走ろう。あら、あっらら?今まで二足歩行してた僕が四つん這い?なんか、違和感バリバリー。もうやだよー。

 と。
 目の前に黒猫降臨。
 さっき子供の声が聞こえたってことは、人間語はわかるらしい僕。猫語もわかるんだろうか。っと、相手にその気はないらしい。「グギャッ」飛びかかってきた。必死に逃げる僕。

 とにかく、何が何でも家に帰らなくちゃ。危なく道を間違えつつも、どうにか家の前まで辿り着いた。でかっ。こんなにデカい家だったっけ?普通の二階建ての家だったぞ。
 ああ、みんなに会ったらどんな顔すりゃあいいんだ。お、誰も僕とは気づかないか。
 ただの野良猫にしか見えないだろう。なんか、だんだん、だんだん、だんだん、かなーり心配になってきた。
 家に置いてくれるかなぁ。どうせなら、家の中に入れて欲しいなぁ。で、目覚めたら人間に戻ってるっていう、それがベスト。
 しっかしまあ、今更ながら、なんで猫っ!
 イヤ、他の動物に比べれば猫はまだいい方かもしれない。
 熊だったら・・・怖くて考えたくもない。
 猫から変身できないまま、庭に入った。妻の小夜子が手入れしている庭は綺麗だった。なんだっけ、庭の、んー。
 あ、思い出した。ガーデニングだ。
 妻が丹精込めたガーデニングの数々が目に入る。ああ、こんなに細かく手入れし綺麗にしていたのかと驚く。しかし・・・すべてがデカい。なんだっけ、なんかの童話に出てきたような話だ。
 あ、う、んー。思い出せない。
 庭は、冬になると此処にイルミネーションを追加して、それはもう、綺麗なクリスマスになる。家族で毎年それを楽しみにしながらクリスマスを迎えていた。今年も見ることできるのだろうか。・・・不安・・・めちゃくちゃ・・・不安・・・。

 家の玄関前に来た。開いていない。非力な子猫が自分で開けられるわけもない。超能力猫でもないし、化け猫でもないのだから。
 小夜子ときたら、どこにいったんだ。穣司も星羅も、どこ遊び歩いているっ!
 お父様のお帰りじゃ。早う戻って参れ。
 綺麗な庭をもう少し上から見たくて物置に上ろうとする僕。小型の物置は高さ1.5mほど。しかし、登れない・・・。一所懸命トライするが、やっぱり無理。仕方なく、玄関前にあったダンボール箱の上でうたた寝するのだった。ああ、段ボールって温かい。
 神よ、感謝します。

 そんなとき、「あら!」と妻の小夜子の声がした。続けて、穣司と星羅の声もする。
「子猫がいる!」
 三人揃っての大合唱だ。
 そんな家族に、必死に訴える僕。
「僕だよ、わからない?」
「わかってよ、将太だってば」
「お前たちはわかるだろ、パパだよ!」
 ミャウミャウ鳴く声しか人間たちには聞こえないらしい。僕の心の声は、家族に届かない。
 小夜子が怖いことを言う。
「困ったわねぇ。野良猫よ。此処に居ついたら庭が荒らされるかもしれないわね」
 僕はニャウニャウ、反論する。
「そんなことするか!お前の宝物だろうが!」
 そのとき、先刻の黒猫がやってきた。あまりのふてぶてしさに、げんなりする家族。
 小夜子が、またまた恐ろしいことを言い出した。
「その猫も追い出しましょう。もう来ないように」
 っと、子供たちが言い出した。
「お父さんが死んでからすぐにこの子猫にあった。何かの縁かもしれないよ、飼おうよ」
「そうだよ。生まれ変わりかも。首輪つけて、家の中で飼えば庭も荒れないよ。飼おうよ」
「あたしたちが二人でお世話するから。お願い、お母さん」

 ありがとう、我が子らよ。やっぱりお前たちは僕の子だ。それにしても、小夜子、お前は冷たい奴だなぁ。昔からそうだったよ。合理的っていうか、何というか。

 なんだかんだと三人で論争していたが、最終的に小夜子が折れたようだった。
「仕方ないわね、じゃあ、お世話はあんたたちが責任もってやるのよ」
 おおお。神よ、仏よ、再びの幸運に感謝します。我が家でまた暮らすことができるなんて。
 猫姿だけどな。
「お父さんの部屋にトイレとベッド用意するね」
「今からペットショップ行ってくる。首輪やご飯もいるし」
「着替えていってらっしゃい」

 二人が出かけると、小夜子は僕を拾い上げた。
「そっか、将太さんが居なくなってから現れたから、お前はショタだ。それにしても、面白い顔だね、お前は。将太さんとは似ても似つかないわ」
 なんで伸ばさない。小夜子、お前のそこが、昔から不思議だった。でもって、僕と似てないって、不細工な猫ってことだろう?
 そうだな、コンビニのドアだけじゃ十分じゃないけど、ハンブサだった記憶はある。
 人間時代の僕は、自慢じゃないけど美男子という部類に属していた。身長は百八十センチを超え、若い頃にはモデルのスカウトさえあったくらいだ。
 それが今や、ハンブサ子猫。
 似ても似つかないという小夜子の表現は的を得ている。三十八にもなれば容姿は衰えるに決まっているけれど、ハンブサよりはマシだろう。どうしてハンブサになったのか、誰か教えてくれ。

 小夜子に許しを得て、やっと家に入ることが出来た僕。
 安堵の溜息・・猫は溜息をつけない。なんかこう、調子が狂っちゃう。家の中はなんだか線香臭い。
 一体僕は、亡くなってから何日経ったのだろう。と、その晩に和尚さんと親戚や近しい友人たち、会社の上司と同僚が来た。
「ショタはこの部屋から出ないの!」
 星羅は9歳だ。
 余りに早い父親の死を受け入れることができたのだろうか。
 しかし、出ちゃダメ?星羅が言うのだから仕方ない。みんなに挨拶したいけど、我慢だ。お経を唱える声と、合掌しているらしい声が響く。どうやら今日は僕の四十九日らしい。四十九日ってのは、今生の死と来世の生との中間の期間なんだそうだ。は?中間の期間ということは、今日を過ぎたら僕はどうなるんだ?せっかく猫になってまで、此処に帰ってきたというのに。

 来世の生は、もう決まってたでしょ。目を閉じたあの時に。
 だから今、こうして猫なんでしょうが。
 いいよ。人間に生まれ変わらなくていい。猫としてこの家でみんなを見守ることにしたから。生まれ変わったら、また逢おうねなんて、クサーイ台詞はいらない。僕は泥臭くても、今の家族と一緒に笑って泣いて、そんな生活が出来ればそれでいい。

 っと。あのふてぶてしい黒猫が、急に目の前に降ってわいた。
「おおおおっ」
 驚く僕。
「驚いてんじゃねぇ」
 凄む黒猫。
「な、何の用だ」
 尻込み、というより、逃げかまそうとしている僕を睨んでる黒猫。
「俺はジョーイ。この世と来世のマッチングを生業としてるのさ」
 へー、そんな商売あったんだ、っと、ここで気が付いた。

 猫の言葉が解る!いや、コイツが人間の言葉で話してるのか?どっちにしても、すげぇことだ。と、ボンヤリしていたら、ジョーイの猫パンチが炸裂した。
「お前がこの世で暮らしたいのはわかった」
 一応、お礼言わなきゃ。
「ありがとう」
 年貢とか納めないといけないのかな。ビビる僕。
「いや、納めるとかそういうモンはなんもねぇ」
 ど、どうして僕の心の声が聞こえたんだ?
「橋渡し役っていったろうが。そこらの猫と一緒にすんな」
 立ち上がってガッツポーズのジョーイ。
「ま、それはいいとしてだ」
 ジョーイの話が続く。

 猫として生きるからには、猫としての寿命があること。
 それは人間の年齢とは違い、早々に過ぎていくものであること。
 人間たちにわかる言葉で話しかけることはできないこと。
 人間の夢に入り込み、横山将太に戻って話すことが「可能な場合」があること。
 人間の夢に入ると、僕自身の寿命が短くなること。
 寿命が来たら、ジョーイが迎えにくること。
 だから自分と再度会うまでに、思い切り生き抜け、ということ。

 それだけを言い残し、ジョーイは消えた。

 僕は話を半分しか聞いていなかったような気がした。でも、いつかジョーイが迎えに来ることだけはわかった。
 心構えじゃないけれど、決めた。いつジョーイに会ってもいいように、その日その日を大切に生きようと。
 ショタと名付けられた僕は、正式に横山家の猫として迎えられた。「ショタ」とチョコで名入れした猫用ケーキが僕を待っていた。へぇ、猫用ケーキってあるのか、初耳だった、猫なんて興味もなかったから。
 かつて自分が書斎として読書や仕事を片付けた部屋だ。懐かしい。ただ・・・小さな手に何もかもが巨大で、触るのにも一苦労。以前のように触って何かしらしようと試みたが無理だった。
 子供たちは、机の傍らに猫用ベッドを備えつけてくれた。思い切って、机の上にジャンプしようとしたが、チビすぎて無理だった。早く成長しないかなぁ。でも、成長すればするほど、早く寿命がくるらしい。
 ああ。ジレンマ。

 僕が感じただけだろうか。母と子供たちだけになった我が家は、何か寂しげだった。
 僕だって、そんなに家族と話したわけじゃない。帰りだっていつも遅かったし、夜はほとんど子供と話していない。妻とも、その日あったことをさらりと聞くだけで、長話はしなかった。休みの日だって、子供たちと妻だけで出かけさせたことがよくあった。
 仕事もあったし、疲れていたし。夏休みとかお正月だけだ、父親らしいことをしたのは。家族サービスというヤツだ。
 本当に、済まないことをしたと今更ながらに反省する。反省だけならナントカだってできる、か。

 僕の没後、家のリビングには小型の仏壇が供えられた。仏間が無いのも理由だったけれど、子供たちが父親と一緒に、と願ったらしい。僕はみんなと一緒に居たくて、 猫用ベッドの端を歯でしっかり噛んでずるずるとリビングに引っ張って運んだ。みんな驚いて書斎に戻そうとするけれど、ミャウミャウ鳴いて抵抗した。戻されればまた、ずるずる引っ張った。みんな、根負けしたようだった。
 リビングの仏壇前に置いた猫ベッドの中が僕の定位置になった。

 そういえば、色々な人が弔問に訪れてくれた。親戚一同はもちろんのこと、会社の上司や同僚、大学時代のサークル仲間、高校や中学校の同級生などなど。
 その中でも、頻繁に訪れては妻の悩みを聞いてあげている男がいた。
 会社の同僚、岩本憲明だった。大人しいし、優しい奴だ。
 岩本は、バツイチのやもめ暮らしだ。なんでも、前の妻はDV妻との噂でもちきりだった。煙草を押し付けられた跡が生々しい手首とかで、彼はシャツを捲り上げたことがない。休みの日に来ると、子供たちに玩具やお土産を買ってきてくれた。
 子供たちは恐る恐る受け取った。何故喜ばなかったのか、結構高い玩具だったのに・・・。
 それから半年が過ぎたある日の夜、ご飯を食べたあと、妻が子供たちをリビングに呼んだ。僕は例により猫ベッドの中だ。妻は、なんだかいつものような覇気がない。 いつもは目を閉じて眠ったふりの僕だけど、この時ばかりは片目を開けた。
 妻は、唐突に「岩本と結婚したい」と子供たちに話した。一瞬、場の空気が凍りついた。誰も何も、口にしなかった。僕も、さすがに驚いた。まだ半年。僕がこの世から去ってまだ半年。妻にとっては、もう半年だったのだろうか。

 ちょっぴり、寂しかった。

 子供たちは母を無視し、何も言わずリビングを後にした。しかたない、まだ中学一年と小学三年だ。大人の気持ちや家庭の事情など、わかるはずもあるまい。
妻が台所に戻って片づけをしていた。猫ベッドから出て台所にいった。

 小夜子は、とても哀しそうな顔をしていた。
「気にしてくれるの?」
 小夜子は哀しそうに笑った。奴と結婚したいのだろう、岩本はいい奴だし、反対する理由もない。ただ、半年・・というのが、ちょっと気にかかるだけだ。

 僕はリビングの猫ベッドに戻った。そこに、娘がやってきた。猫ベッドごと持ち去ろうとしたらしいが、半年経って、僕は大きくなっていた。たぶん、三キロ近くあったと思う。猫になってから食欲が凄くて、腹が出た。当然、娘がベッドごと僕を持つのは無理だった。娘は猫ベッドを諦め、僕だけを抱っこして自分の部屋に篭った。娘お気に入りのブランケットを畳んで段ボールの箱に入れ僕の猫ベッド代わりにしてくれた。優しい子だ。
 それにしても、まだ九歳の子。それも父親が亡くなって半年しか経たない日に聞かされた母の再婚話。どんな気持ちで聞いたのだろうか。
 僕は、眠ることもできずに娘の心を推し量った。正直、わからなかった。
 それは十三歳の長男も同じだが、彼は水泳、それも背泳のアスリートを目指していたから、まだ目標があったに違いない。ペットボトルを額に置き、落とさず泳げるトップアスリートの大ファンだった。地元のクラブでは不満だと常々漏らしていた。

 長男が長女の部屋に顔を出した。
「ショタ、連れてきたか?」
 小さな頃から、小さき者や弱き者を苛めたり嫉妬してはいけないと、二人に教えてきた。と同時に『お兄ちゃんだから我慢しなさい』長男に対し、絶対にそれだけは言わなかった。妻が言うと、すぐに嗜めた。何度でも嗜めた。長男は好きで最初に生まれたわけではない、大人の都合でお兄ちゃんになっただけだ。小さき者を守るのは鉄則だが、我慢とそれは違う。僕が解りやすく言葉にしたからか、うちの子供たちは、とても仲が良かった。

 って、思い出し笑いしそうになってから気が付いた。
 もしかして、穣司、お前の指示か。なら猫ベッドごと、お前が僕を持てばよかったじゃない。妹をこき使うとは、失礼なヤツだ。でも、二人とも猫である僕の事を忘れていない、それだけはわかった。
 ふたりは段ボールに寝そべる僕を見て、
「なあ、ショタ」
「ニャー」
「半年で新しい父さんってどう思う?」
「そうだよ、お母さん、お父さんの事忘れちゃったのかな」
「ニャニャニャッ」
「お前もそう思うか。イヤだよな」
 いや、イヤとは思ってないから。亡くなって半年なのが気にかかるだけだから。岩本はホント、いい奴なんだよ。酒飲んでも人間変わらないし、タバコはやらない、ギャンブルもしない。趣味はなんだったっけな、忘れた。

 僕はいつまで生きられるかわからない。猫は人間に比べて短命だ。だから、家族みんながそれぞれに幸せを掴んでほしいと思っている。

 それぞれに、悩む日々が続いたようだ。僕も悩んだ。夫ではなく、父親として。

 ところで、猫も実は夢を見る。先日、夢にジョーイが出てきたので心臓が止まりそうになった。夢の中でジョーイは僕に言った。
「悩むな、寿命に響く。人間の格好になってみんなの夢に渡ればいいじゃないか」
「悩んでも寿命って縮むのか。ところで、夢に渡るなんて、そんなことできるのか」
「俺の最初の言葉、忘れていたろう。夢に渡れる「可能な時」があるんだよ」
「それってどういう時なんだ?」
「まずは、相手の幸せを願う時、だな。今回は可能だ、行けよ」
「すまん、ありがとう、ジョーイ」

 早速、まず妻の小夜子の夢に渡った。小夜子は、半年で心変わりしたわけではないようだった。いや、岩本を金蔓にするつもりでもないようだが。
 再婚せずに自分が働いて子供たちを養い続ける勇気がないこと、お金の面ではなく、心理的余裕の面で、だ。どんなに待っても想っても、将太さんが帰ってくることはない。半年経って、ようやくそれがわかったこと。このまま哀しみを背負って子供たちの前で笑うのがとても辛いこと、自分はしばらく笑えそうにないこと。
 新しい父に子供たちの前で笑って欲しいこと、将太さんがみんなの前で笑うことが多く、怒ったことがないように。岩本になら、それができそうだと思ったこと。

 小夜子が僕の死をそんなに悼んでいるとは思いもよらなかった。結構厳しい妻だったぞ、お前は。いや、僕がグータラしていたからか。

 事実、女独り身で働き、父親の役割と母親の役割をモノの見事に演じ切ることは難しい。子供を怒ってばかりではいけないし、ほったらかしでもいけない。疲れて帰り ご飯を作り、疲れて眠るだけの生活。そんな生活を妻には望まない。家のローンも、僕が亡くなったら相殺になるよう保険に入っていたし。子供たちの学資保険も入っていたから大学も通わせられるだろう。生命保険も十分なくらい入っていたはずだ。仕事をしてもしなくてもいいくらいに。
 何より、明るく元気でいて欲しい、それだけだ、小夜子に望むのは。

 独り身を貫き、旦那の保険金を取り崩したり、ちょっとしたアルバイトをして生きる女性も多いだろう、健気な選択だと思う。どちらの選択も間違ってはいない、僕はそう思う。それぞれが事実を受け止めつつも笑顔で暮らせることこそが、残された家族にとって一番なのだから。

 その後、暫く小夜子は再婚話をしなかった。岩本も訪ねてこなかった。もう秋も深まってきた。
 そういえば、年末恒例、クリスマスイベントがあるじゃないか。あれをやらないのは寂しい、ぜひ見たい!
 小夜子はその後も庭だけは丹精込めて手入れしていた。天国の僕に見せてあげたい、と1回だけ呟いたことがある。そうだよそうだよ、見せてくれよ-。というわけで雑誌にクリスマス特集が載っていたりすると、僕はそのページに陣取ってクリスマスイベントを強調した。
 妻であろうが、子供たちであろうが、ミャウミャウ鳴いて呼びつけた。
 みんな、やっとやる気になったらしい、庭のイルミネーション飾りが始まった。

 そうだ、岩本の夢に渡らなくちゃ。
 岩本は、DV妻から解放され、もう結婚はこりごりと思っていたようだ。
 しかし、先輩の奥さんや子供さんが悲しむのを見たときに思ったのだとか。こんな素晴らしい家庭を築いた先輩はすごい。先輩の奥さんの哀しみも聞いてしまった。僕 で良ければ、先輩の代わりになれないだろうか。子供さんたちの前で笑ってあげられないだろうか。 でも、子供さんたちの反対が根強いようだし、今は顔を出せる状況ではないようだ。同居まで望むつもりはないし、別に籍を入れようとか結婚しようとかまで思わない。それでも、僕は先輩の奥さんが可哀想で、可哀想でならない。 年月を重ねれば哀しみは消えるのだけれど、楽しめるはずのいくつもの季節は、もう戻らないのだから・・・。

 僕は夢の中で岩本にけしかけた。
 フランス婚でいいじゃないか。入籍しないで同居する=おフランス婚だ!
 純粋に相手を認め合う外国の結婚観もいいと思わないか?お前に秘策を伝授してあげよう。横山家の、あの家のトラ猫ショタを崇めろ。可愛がれ。ショタは将太。
 子供たちは親父の生まれ変わりと思っている。だから、ちょっとショタが引っ掻いたくらいで怒るなよ。必ずやショタはお前に幸福をもたらすぞ。あ、ショタが好きな猫エサと玩具教えるから、買って行け。
 坊主憎けりゃ・・じゃないな、なんだっけ、忘れた。まず周りを味方につけろというじゃないか。そんな感じの言葉、あったよな?どうも僕は諺に弱い。

 翌日、その通り、岩本は買い物をしてきてくれた。・・・単細胞だったんだな、お前。僕はシメタ!とばかりに猫ベッドにゴロゴロ、ご飯ガツガツ。玩具に飛びつき岩本と遊んだ。何が悲しくて後輩と猫遊びせにゃならん、と思いつつ、家族のため。ガッツだ、僕!
 ショタが懐いたおじさん。それが子供たちの反応だったようだ。ショタ=父親の生まれ変わりと信じていた子供たちは、岩本に心を許すようになってきた。
 お互い手探りではあったけれど。

 小夜子はまだ、今後を決めかねていたようだ。岩本は、籍を入れないフランス婚を提案した。自分は戸籍上の家族ではないけれど、みんなを支えたいと。

 それを陰から聞いていた長男、穣司。早速パソコンで意味を調べたらしい。へえ、そんな形があるのか。なら、俺たちなんて呼べばいいんだ?憲明さんか?いいな、それも。
 娘の星羅は、まだ実父の僕の事を引きずっていた。呼ぶならパパが良いけど、まだ呼ぶ気になれない。おじさんが良い人っていうのはわかった。ショタがあれだけ懐いているから。でもおじさん、独り暮らしなんだよね。独りのクリスマス、寂しいよね。
 今度のクリスマスは、みんなでお祝いしよっか。

 クリスマスイヴ。子供たちは揃って小夜子と岩本の前に出ると、僕を高々と持ち上げて宣言した。
「おじさんを、我が家のクリスマスにご招待します!」
 岩本は涙を流して礼を言った。小夜子も、笑いながら泣いた。お前ら、泣くか笑うかどっちかにしろ。全く子供の前でみっともないったらありゃしない。でも、素直に嬉しかったんだと思う。僕は猫だから涙を流せないけど、胸にジーンと響くものがあった。
 クリスマスを盛大に祝ったあとは、すぐに正月だ。今年は正月飾りを飾れない。僕が逝った年だから。
 クリスマス当日、子供たちは小夜子と岩本のフランス婚を承認した。年末の忙しい中、岩本は横山家に引っ越してくるための準備に追われた。大晦日の除夜の鐘を聞きながら、やっと片付け終わったようだった。小夜子は、僕が使っていた部屋を使うよう勧めたが、岩本が断った。
 先輩の在りし日々を忘れたくないから。子供たちが、何より貴女が僕に気兼ねなく接することができて、先輩が夢でOKしてくれたら、そうします、と。

 うん、岩本、いい心掛けだ。とはいえ、暮らす部屋が無いじゃないか。リビングで寝るわけにも行くまい。子供たちの手前、小夜子の部屋には入れないだろう?恥ずかしいだろう?なら、僕の部屋を使うしかないじゃん。と、伝えたいんですが。僕は。
 え?また夢に行くの?ジョーイの話じゃ人間の格好で夢に入るのは寿命使うとか。
 仕方ない、岩本。お前の夢に侵入してやるよ。書斎を使え。その代り、僕を今後も崇めてくれ。

 フランス婚はしばらく続いた。
 小学校辺りでは父兄のお姉さま方が何やらひそひそやっていたようだが、小夜子は僕と岩本の二人に敬意を表していたので、噂など気にしなかった。
 娘は何かもめて周囲から苛められると、こう嘯いて周りを圧倒していたようだ。
「知らないの?外国じゃ当たり前のことなんだって。うちの親、カッコいいから」
 さすが小夜子似だよ、星羅。

 中学校ではそんなこと話にも上らない。父兄の関心は、専ら、誰が何処の高校を受験するか、だ。横山家では、長男穣司は水泳部の有名な高校への進学を決めていた。
 元々、背泳のタイムが良かった穣司には、県内外の私立校から続々とオファーが来た。
 その中でも信頼のおける指導者がいる高校に決めた。寮生活になる。三年間、ほとんど帰ることもないだろう。
 夢は、五年に一回開かれる世界大会の水泳の部で優勝することなのだそうだ。

 そんなこんなで二年余りが経ち、娘が小学六年生になった。
 僕も3歳になりました。
 娘は、私立中学を受験したいという。小夜子は金銭的な面から、無理だと告げた。星羅は、がっかりした様子で部屋に引き籠った。
 おい、小夜子、岩本。
 受験させてやれ。
 でもって、この機会に籍入れろ。結婚話とかそういうのになると、地方のジジババは五月蝿い。
「こんな時期にそんな話するもんじゃねぇさ」
 これは12月と1月、3月、8月、9月に当てはまる。
 十二月は師走で忙しいからだろうが、あとは弔いの月だからだろう。今は四月。丁度いいじゃないか。小夜子と岩本は籍を入れ、岩本が横山を名乗ることにしたようだった。
 すげえ、自分の姓を捨てて僕の姓になるなんて。
 なんかちょっとこう、しっくりこない部分もある。
 夫の姓を名乗った妻と結婚し、妻の姓を名乗る。
 ああ、わからなくなってきた。養子扱いなのか?やっぱりわからない。

 っと、受験話がまだ収束してないぞ。引き籠ってぶーぶーしてるのかと思えば、星羅は必死に勉強していた。成績を見てもらって、私立中学校に行きたいことを実証するつもりのようだ。
 僕は、岩本と妻にひたすらゴマをすった。
 毎日のように、すってすってすりまくった。勉強の話になるたびゴマをすり「ニャー」、喧嘩をすれば仲裁に入り「ニャー」兎に角、鳴きまくった。
 あるとき、岩本が呟いた。
「ショタがこれだけ鳴くってことは、将太先輩が認めてあげなさいって言っているのかも」
 小夜子も、はっと気が付いたようだった。
「そういえば、ショタがこんなに鳴いたことなかったわね。そうなのかもしれない。将太さんなら、行かせてあげろって言ったと思う」
 そうだよ、僕なら絶対に受験させる。
 合格するかどうかは別として、チャンスがあったらトライするのが鉄則だ。
 何もしないでタラレバするのが一番嫌な僕。さ、ご両人よ、腹を括れ!
 結局、娘は私立中学受験を許され、それから猛烈に勉強しまくった。兄も遠くの高校にいて、猫の僕としか話せなかったし。僕を傍らに寝かせ、勉強に飽きたかと思うくらい勉強したようだ。

 猫になったものの、僕は人間時代と変わらぬ時間帯で生活していた。朝の起床から始まり、朝食、昼も欲しかったのに猫は一日二回の食事で済むなんて言われて、昼抜き。夕飯も人間時代と同じ時間、就寝時間も同じ。時々、夜十一時頃、星羅の部屋から物音がする。
 星羅の部屋いつでも明るかった。勉強もいいけど、身体を第一にしろよ。
そんな僕の願いも一緒に神様に届いたのだろうか、翌春、見事娘にも春がきた。
 合格おめでとう、星羅。僕は一所懸命、星羅の頬を舐めた。
「ショタ、ありがとう、きっとお父さんも喜んでくれてるよね」
 星羅は呟いた。
 うんうん、今現在、リアルタイムでめちゃくちゃ喜んでます。言葉にできず残念です、はい。

 人間男性でも三十歳を過ぎると余り自分の年など気にしなくなるものだが(あれ、僕だけ?)子供たちのそれと言ったら、あっという間に姿かたちが変わっていく。
 時間の過ぎるのは人間たちばかりではない。僕はもう四歳になった。人間でいくと・・・成人か?青年?どっちかわからないけれど、身体は、るんるん調子。台所のカウンターから冷蔵庫の上に飛ぶのが趣味だ。
 ひゃっほーっ!
 あとは、本も読めるし、新聞もOK。家電プッシュボタンも押せる、話せないけど。あ!ちっちゃなコンパクトデジタルカメラならシャッター押せるようになった!僕はコンデジで世の中を捉えよう。そのくらいかな。さすがに重い家電は動かせない。掃除機とかね。あと僕でもできるような訓練を模索中だ。

 星羅が中学に入学したと思ったら、次の年は穣司が高校二年生。五年に一度の世界大会水泳の部出場に向け、ひたすら練習に励む毎日だった。あちらの都合の良い時だけ、メールが来る。こちらからしても返信は無い。だから、好きにさせている横山家の面々。
 高校のインターハイや国体などではそれなりの成績を残していたようだが。僕が穣司の成績を新聞で確認しようとすると、岩本の奴、乗られると思って閉じてしまう。
 この・・・すかぽんたんがっ!!!
 仕方ない。新聞入れからずりずり引き出し、床に広げて読むとしよう。彼の目標は、あくまで五年に一度の晴れ舞台なのだ。それに至るまでの栄光を、勇姿を、僕が見ないでいったい、誰が見る。まあ、家族はみな見ているが。
 だから僕も見る権利があるんだ! と自分で自分を納得させて、新聞を読む猫になった。
 小夜子も岩本も星羅も、びっくりしたようだ。

「ショタが新聞読んでる」
「寝てるんじゃないの」
「いや、活字を目で追ってる」
「まさか」
「字の読める猫っているの?」
「たぶん、いないと思う」
「すげー。テレビに出せる」
 ・・・出るか、アホ。
「無理だよ、喋らない限り読んでる事証明できないよ」
「そっか。残念だな」
「意味、わかってんのかな」
「いつもスポーツ欄開いてるよ」
「兄貴のこと、心配してるんだ」
「かもしれない。そりゃそうだ、可愛がってくれたし」
 ・・・いや、息子だから。
 言いたい放題の三人は放っておくとして、だ。
 今回は残念ながら世界を目指すことはできなかったようだけど、次があるさ、穣司!

 イベントのない年は平和な横山家。
 思い出したが、岩本の趣味はカメラだった。やもめ暮らしでお金持ちだったのね。
 凄く高価なカメラやレンズを、何台も持っていた。う。羨ましい。
 ああ、僕もカメラは嫌いじゃなかった。小夜子の手前買わなかったけど。岩本のカメラは外国産の超高級品と、国産メーカー2種。ふふふっ、カメラ好きな人は、どこのメーカーか当ててごらーん。
 でもね、非常に残念なことがある。猫が近づいたら、カメラ内部に毛が入ってしまうような気がして、僕は書斎に行けなかった。どんなレンズをどのくらい所有しているか見たかったのに。
 残念至極とは、こう言うことを言うのだろう。

 で、岩本と小夜子はたまに旅行しながら、沢山写真を撮ってきた。岩本の腕前は相当なものだった。あのカメラを使うに相応しい腕、といったら失礼だけど。写真って、カメラが良いから良く撮れるのではないからね。被写体への想いが強ければ強いほど、良い写真が撮れる、と僕は思っている。岩本の、小夜子への愛がヒシヒシと伝わる写真だ。
 小夜子、幸せ者だよ、お前は。
 だから・・・岩本に「シワ写すな」というのは止めてくれ。お前の笑いジワ、本当に可愛いんだから。

 それから五年が過ぎた。
 五年の間に、僕は様々なことを修得した。まず、パソコンの入力。電源くらいなら指で「エイッ」と押せるのだが、キーボードの入力ができない。一所懸命考えて、方策を編み出した!指をすぼめて爪を出し、コツンと打つ。人間時代のように早くは打てないし長い文章も無理だ。しかし、ワンフレーズで言いたいことは伝わるはず!が僕の信条だった。
 家族に内緒で岩本の書斎に入りこんだ。岩本は僕のパソコンに上書きしたくないからと、自分のパソコンを使っていた。僕がいくら使っても、誰も気づかないという寸法なのだ。
 よっしゃー。練習するぞー!
 テレビの録音や新聞読みなどお手のもの。スマホはダメだった。爪が引っ掛かり画面を流そうとすると液晶を壊してしまうのだった。猫にスマホを与える家もないから、実害は無かったのだが。

 それにしても。光年矢の如し、だっけ?昔から諺に弱い僕。早いものだ、月日が過ぎてゆくのは。今年はイベント続きの年になる。まず、大学に進学した長男、穣司。今 年は五年に一度の世界大会がある。また、長女、星羅は大学受験。
 かあああっ。
 気が抜けないっていうか、心配っていうか。見てられないっていうか、でも指の間から見ちゃうっていうか。とにかく、心配で心配で眠れないショタパパ、九歳なのである。

 娘は、見事第一志望の大学、それも法学部に合格した。桜は満開だ!
 勉強した甲斐があったよね。夜も寝ずに頑張ったんだ。偉いぞ、星羅。星羅は合格通知を僕にも見せてくれた。
「ほら、ショタ。合格したよ。天国のお父さんにも伝えなくちゃ」
 お父さんは、目の前で伝えられていますよ。合格祝いに、星羅の指をペロリと舐めてあげた。星羅は人間の父親に見せるような顔をして、嬉しそうに笑った。
 おい、星羅。岩本にも合格伝えろよ。
 お前、なんだかんだで、ちょっとあいつに冷たいだろう。あいつはあいつなりにお前を心配してフォローしているんだ。特に金銭面なんて、あいつが居なかったら子供二人私大なんて、無理っ!小夜子は稼ぐって言葉を知らないし。
 少しはアルバイトでもして岩本を助けてやれよ、小夜子。

 といってる間に、季節は移り変わり夏が来た。
 あああっ。五年に一度の世界大会。緊張するっ。ジョーイが来ないかも心配だけど、それより穣司の方が心配だよ!
 確か、穣司は今回も日本代表には選ばれたはずだ。試合は何時なのかな、また新聞見なくちゃ。で、人間たちに不審がられながら、またもや新聞記事をチェックする 僕なのだった。今回もテレビ中継するようだ。観なくちゃ。
 星羅が夜中でも観てるはずだ、二階に行こう。
 
 ・・・あれ?ちょっと。上手く登れないんですけど。ふらつくんですけど。
 その様子を見た星羅がいう。
「ショタ、もう9歳だからお祖父ちゃん間近だもんね」
 なぬ?猫の九歳は祖父さんなのか?ちょっとショックが大きい僕。いやいや。猫の十一歳からだか十三歳からの缶詰あるだろう。テレビCMで観たぞ。あの年になったら祖父さんと自負するわい。とはいえ、体力が無くなってきましたー。ワンコのように散歩するわけでもないし。
 というわけで。星羅が気を遣って、リビングのテレビを見せてくれた。テレビの真ん前に陣取って、僕は穣司を応援した。頑張れ!行け!もうすぐだ!もう少しだぞ!
結局、穣司は四位に終わった。メダルを逃して悔しかったことだろう。メダル候補と言われ、家にもマスコミが押し掛けていた。小夜子は答えられず、岩本が「すみません」とインタビューを遮った。
 よし、岩本。グッジョブ。

 穣司。今回は惜しかったな。残念だけど、この次にまた、行けるかもしれないじゃないか。要は、体力と気力だよ。
 そんなことを思っていた僕。大会が終わると、珍しく穣司が家に戻ってきた。
「ショタ、元気だったか?なんだかしょぼくれたな」
「9歳だもん、もうお祖父ちゃんだよ」
 星羅が僕に容赦ない言葉を投げつける。
「俺、水泳止めようかな・・・」 
 穣司が弱音を吐いた。
それでいいのか?今止めて後悔しないのか?僕は、穣司の前に香箱座りして、じっと穣司を見つめた。立ち上がった僕は穣司に近づき、ペロリ。穣司の頬を舐める。
「ショタ、ありがとう。悔いあるままじゃ終われないな。やるよ、最後まで」

 僕の想いが伝わったのか、少し元気が出たようだ。そのまま彼は大学の寮に戻っていった。穣司の挑戦は続き、星羅も大事な時期に花を添え、夢を追っている。
 僕自身、何もしているわけじゃないけれど、すごく満足だった。子供たちの成長がこんなに嬉しいなんて、思ってもみなかった。

 また季節は流れに流れた。僕は十四歳。ヘロヘロ祖父ちゃん猫になった。でも、まだジョーイは来ない。まだ皆と居られると思えば、身体の不具合なんて気にもならなかった。
 ただ、よく吐いた。苦しい時が結構あった。声が枯れて鳴くこともできなかった。
 心配した星羅が、動物病院に連れて行ってくれた。ギャアアアアッ!熱を計るのに、体温計お尻から入れるな!
 他にも、なんだかんだと検査された。何回も注射され、血液を採られた。
 実は僕、小さな頃から注射だけは嫌いだったんだ。金輪際、病院は勘弁してくれ。
 
 そうそう、今年は再び、五年に一度の世界大会があるのだよ。穣司はどうしているだろう。
 星羅は大学院法学研究科とやらに進学した。どうやら法律を極めたいらしい。
 二階には上がれなくなった僕。勉強するとき以外は、星羅から僕のところに来てくれる。
「ショタ、あたしね、司法試験受けようと思うの」
 キョトン?
 司法試験って、あの、凄く難しいって噂の、あの試験?
 星羅、お前は昔からチャレンジャーだった。またしてもお前のチャレンジは続くんだな。僕が応援するよ。やりたいことを精一杯やればいい。

 さて、夏を目の前に、僕はなんだかトイレが近くなった。水を飲む量も多くなった気がする。喉が渇いているのかな。今までになかった感覚だ。それでも、夏前だからだと自分を納得させ、水をがぶがぶ飲んだ。そうこうしている間に、五年に一度のドキドキシーズン。聖なる闘いの火ぶたは切って落とされた。

 色々な競技があって日本中が声援に沸いたけれど、僕の興味は専ら水泳だった。長男は二十七歳を迎えていた。たぶん、これが選手生命最後の大会だ。どんな結果でもいい。穣司自身が納得する結果であれば。僕は前よりも低く枯れた声で「ニャ、ニャ、ニャ」と応援した。勿論、家族全員がテレビにくぎ付けだったし、メディアも何社か来ていた。
 星羅がパンチを繰り出した。
「いっけぇ~、兄貴!」
 最後の最後、三位決定戦はもつれにもつれた。僕は目も悪くなってきていたから、穣司が速かったのか、それとも相手だったのか見逃してしまった。たぶん、同時くらいだったのだと思う。
 暫く順位の電光掲示板は動かなかった。
 動くまで、どのくらい経ったのだろう。
 ガッツポーズをした選手が目に入った。穣司なのか?僕はとっても心配で、家族たちを見た。みんな、ポカーンとしている・・・と、星羅が小さくガッツポーズを決めた。
 勝ったのか?三位に入ったのか?どうなんだ?
 結果は、タッチの差で四位だった。
 悔しかっただろう。哀しかっただろう。でも、穣司は満足げだった。穣司の握り拳が、僕にはガッツポーズに思えた。
 メダルは逃したけれど、家族は口々に健闘を褒め称え、メディア対応は星羅が行っていた。さすが法律家を目指すだけはある。堂々とした面持ちで兄の栄光を称え、他選手への賛辞も忘れていなかった。
 成長したな、星羅。

 試合後のインタビューで、現役を引退し、指導者として再出発する決意を表明した穣司。穣司自身は、故郷に戻りたかったらしい。高校で教鞭をとれる免許があったから、高校の水泳部コーチを希望しているのだそうだ。


 久しぶりに、穣司に会える。僕の身体は今一つ動きが鈍い。ちょっぴり食欲もない。でも子供の凱旋に勝るものは無い。凱旋会場へは、星羅が連れて行ってくれた。「猫バッグ」なるものに入れられ、「会場内では大人しくね」との申し渡し。
はい。わかりました。
 星羅が呟いた。
「ショタ、痩せたね」
 うーん、体重計に載ってないからだけど、痩せたかな。そんな気もする。

 次の年、穣司は正式に帰ってきた。
 暫く学校の水泳部で教えた後、競技系のコーチになるかどうか決定するのだという。うん、今まで頑張ってきたんだ、その誇りを若い世代に伝えてやってくれ。
 あ、忘れてた。今年は娘の司法試験があるんだった!気合が入ってる星羅。
 絶対受かるからね、って僕に何度も言う。どうしてそんなに司法試験に拘るのか、僕には良くわからなかった。

 ある晩のこと。リビングで眠る僕の横で、穣司が星羅に話しかけていた。
「親父の敵討ちか」
「そうだよ、絶対に許さない」
「そうだな、許さねぇ」
「今も、のうのうと暮らしてるんだよ。ひき逃げしといて」
「車そのものが見つからなかったからな」
「たぶん、海にでも落としたんでしょう」
 ポン、と肩をたたく穣司。
「それでも、親父がいいって言う程度にしとけよ。優しかった親父だ」
「わかってるよ。ショタと同じ」
「ショタ、元気ないな」
「うん、腎臓悪いみたい。こないだ病院連れて行ったら、もう永くないって」
 突然、星羅は涙を流した。あらら、こないだの病院は検査だったのか。痛かったもんな。そうか。もう永くないか。
 ジョーイ、あの黒猫が来るのも間近か。
 だけど、せめて、星羅の試験結果を聞くまでは此処にいたい。喜ぶ顔が見たいな。
 猫だから、泣けない。
 鳴けるけど、泣けない。
 悔しい、死ぬってやっぱり悔しい。
 家族と居られないって悲しい。寂しい。僕は悲しんでいる顔を見られたくなくて、まるっと蹲っていた。

 その夜、ついにジョーイが来た。ジョーイに聞いた。
「もう行かなくちゃいけないのか?お願いだ。もう少しだけ待ってくれ」
「身体がもたないだろう、苦しくないか」
「もう少しだけ我慢させてくれ。娘の試験結果が知りたいんだ」
「わかった。結果がどうあれ、試験の合格発表の日、迎えに来る」

 試験の発表日まで、あと一週間。僕は家族の皆にお別れを言わなければならない。

 小夜子。子供たちを励まし育ててくれてありがとう。十五年間、よくやってくれた。君と出逢えて子供たちを授かり、本当に良かった。
 心から礼を言うよ。
 小夜子は寝相が悪いから夜は近づきたくない。すまない、小夜子。せめて、起きているときにと思った。台所で「ニャニャ」っと鳴いてお礼を言った。
 岩本とケンカするなよ。あいつは大人しいから。大事にしてやってくれ。

 星羅。ショタと呼んでいつも可愛がってくれてありがとう。十五年、ずっと一緒に居てくれてありがとう。僕のために、仕事を選ぼうとしているなんて知らなかった。
 自分の幸せも掴むんだよ、それが僕の願いでもあるのだから。
 星羅は、試験結果が発表になるまで落ち着かない様子だった。そうだよな、なかなか難しい試験と聞く。大丈夫、星羅ならきっと正義への道を切り開いていくさ。星羅が僕のためにリビングに座っていてくれる。星羅に寄りかかって、頭を膝に付けた。鳴きたかったけど、鳴けなかった。そのまま、星羅が動くまでそのまま、僕は膝にもたれていた。

 穣司。目標のために何年も頑張ったな、お前の精神力は大したものだよ。父さんはお前を本当に誇らしく思う。母さんと妹を助けてくれてありがとう。
 穣司は何か申し訳なく感じているようだった。自身が高校に行くまではあんなに元気だった子猫が、戻ってきたら病になってしまったからか。
 そんなことはないさ、自分を責めるな、穣司。だんだんお祖父ちゃんになれば病気にだってなるもんだ。おまえ、帰ってきたときにはいつも抱っこしてくれたじゃないか。
 水泳で鍛えた筋肉が、ムキムキで気持ち良かった。ムキムキの筋肉を、ペロペロと舐めて感謝の気持ちを表した。

 岩本。悪いな、最後になって。横山の姓を名乗ってまで家族を支えてくれてありがとう。お前が居てくれたおかげで、皆が飢えることなく希望を持って前に進むことができた。小夜子が泣くこともなくなった。本当にありがとう。
 猫のショタが亡くなっても、皆を支えてやってくれ。お前には感謝の言葉しか浮かばない。
 本当にありがとう。
 でも、少し悪戯してやろう。
 今は皆から「お父さん」て呼ばれている岩本に。だから、足をカジカジかじってあげた。「ギャーッ」奴が悲鳴を上げたのは言うまでもない。

 試験発表の前日、もう一度僕は家族四人の夢に飛んだ。猫のショタは本当に横山将太、つまり僕だったんだぞ、すごいだろう!その上で、みんなに礼を言った。ショタを可愛がってくれてありがとう。人間の横山将太も、猫のショタも、もうすぐ旅立つ。永遠のお別れだ。みんな、元気でいて欲しい。明るく過ごしてほしい。それだけが僕の願いだ。
 小夜子も、穣司も、星羅も、岩本までが夢の中で涙を流し悲しんだ。

 そうして、試験発表の日がやってきた。ジョーイが来るのが先か、星羅が来るのが先か。僕はドキドキしながら待っていた。先に僕のところに来たのは・・・。星羅だった。娘は、僕を抱っこして、辺りを燥ぎ回った。ああ、どうやら合格したようだ。

 同時にジョーイが現れた。
「おい、行くぞ」
「わかった」

 みんな、ありがとう。
 僕は、最後まで家族を愛することができた、とても幸せな一生だった。
 猫だったのがちょっぴり残念だったけど、猫だからこそ分かったことも多かったし。
 さようなら、みんな。
 僕は、家族みんなの顔を想い浮かべながら、今度こそ、永遠の眠りについた・・・。

第2章  ~カフェ開店編~

 僕はショタ。

 昔は人間だったけれど、天に召されて生まれ変わり、一匹の子猫になった。
猫になった事は人生最大のショックだったけれど、家族のいる家を探し必死で走り、家族の前で一生懸命鳴いて、漸く飼ってもらう許しを得た。横山ショタと命名された。
 そう、家族と暮らすことができたのだ。家族は、終ぞ僕だと気付くことは無かったかもしれない。それでも、家族の中で暮らすことができて、僕は小さな幸せを感じる毎日を過ごすことができた。
 それから十四年だったかな、十五年だったかな。結構長生きして大往生ってやつを経験した。どこからが大往生のラインか判らないが、十五年前後なら猫として大往生と言っても差し支えは無いだろう。
 
 それでだ、大往生した僕はまた何かに生まれ変わることになったらしい。ここの線引きが良くわからないのだが、人間時代に悪行三昧の輩は、生まれ変わることはできないのだそうだ。この世と来世のマッチングを生業とする、ふてぶてしいブサ猫、黒猫ジョーイが言っていたから、たぶん間違いないのだと思う。

 さて、今度は何に生まれ変わるんだろう。
 人間かなあ。
 犬かな。
 鳥かな。
 モグラは陽に当たれないからパスしたいなあ。
 
 暗く、長い、長いトンネルの先に光がぼんやりと見えてきた。さ、急ごう。トンネルの中ではゆらゆらと身体が流れていくみたいな感覚で、自分が何に生まれ変わったのか見当もつかなかった。生き物であることに間違いはないようだが。時間の感覚も良くわからなかった。ゆっくり、ゆっくりと時感(とき)が僕自身を育みながら流れていくように感じた。

 いくらか眠っていたのだろうか、気が付くと、目の前にキラキラと光る虹色の門が見えた。建造物ではないし、俗にいう虹のアーチでもない。光が反射して逆U字の門を象り、その門をくぐって現世に飛んでいく仕組みのようだった。飛ぶとはいっても、実際に飛ぶのではなく、一歩を踏み出す、といった感じか。人間の赤ちゃんなら「オギャー」と泣くように。

 さて、だんだん門をくぐる順番が近づいてきた。
 そう、ここには沢山の生まれ変わるべき霊珠があるらしい。霊珠とは、善き魂の総称だそうです。それが皆で並んで順々に門をくぐる。順番を侵そうなんて不届きモノはいない。そんな根性あったら、生まれ変わり組に入れないはずだから。

 あと五人、あと四人、あと三人・・というところで、前の前にいた霊珠が滑り落ちていった。どうやら、早く生まれ変わりたい衝動に駆られ、前の霊珠を押し倒したらしい。不届きモノがいるとは知らなんだ。自己中心に値する罪だな。いざ順番が来たその時に、罪深き霊珠は門内と門外の狭間に堕ちていくという罰が待っていた。それを見た後ろの霊珠たちは大人しくなった。驚いたのだろう。
僕だってびっくりして、後ろにいる霊珠にぶつかってしまった。声にならない声で「御免なさい」と謝った。後ろからはすごく柔らかく温かい風が流れてきた。許してくれたらしい。

 さて、とうとう僕の順番が来た。
 狭間に堕ちないで門外に出ることができるだろうか。心配だったが、順番が来たものは仕方ない。するするというよりも、よちよちと少しずつ進んだ。すると、ふわりと浮遊したような感覚と、青い光と言ったらいいのだろうか、ちょっと表現が難しい、よく夜の楽街(まち)に光るイルミネーションの青よりも彩度がない青白さ、といった表現が適切かもしれない。かといって、眩しいような白さではなく、落ち着いた色調の世界が僕を包んだ。そして、僕は眠りに就いた。


 目が覚めた僕は、辺りを見回した。
 青空がある。草木がある。すぐそばに建物が見える。
 人間でないことだけは確定だ。
 人間なら、病室で産まれるから青空が見えるわけがない。
 
 そうか。また何か動物に生まれ変わったんだ。それも、青い空が見える動物に。
 さて、と・・・ここでハタと気が付いた。

 生まれ変わるときは、前世の記憶を失くすとジョーイに聞いた。何故、僕は僕が僕であることを知っているのだろう。人間であったことも、今、人間でないことも知っているのだろう。何か不具合でもあったのだろうか。
 ジョーイも居ないし、誰も教えてはくれない。まあ、自分が何者であったとしても、過去の記憶があって悪いことはないだろう。まずは、今の自分がどんな種類の生き物であるか、それを確認する作業が僕を待っていた。

 すぐにわかった・・・。
 下を見たら手があった。
 手を見たら、猫の手だった。
 それも、前と同じトラ猫。
 また猫かよ~。というのが本音だったけれど、そこはまあ、猫の一生を知っているから別に痛くも痒くもない。用心すべき食べ物も知っている。
 ただし、青空ということは野良猫なわけであって、僕は野良生活を体験したことがただの一日もなかった。前は自分の自宅に走り家族に会い、すぐに家の中で飼ってもらえたからだ。お風呂も入れてもらったし、ご飯ももらった。トイレは家の中だった。
 
 ここが何処なのか、さっぱり、ちっとも、まるっきり判別不能。
 歩いてその辺を散歩するしかあるまい。野良猫生活への不安で一杯だった。
 手を見る限り、まだ子猫だったし。

 どうやって食べ物を盗ればいいのだろう。確か、猫は雑食だと聞いた。餌をあげたお礼に、雀とか蛙とかが玄関前に置かれていると噂に聞いたことがある。
 ということは、其れ等は餌というわけだ。肉系が駄目だったら、草でも食べよう。自宅にいたときも猫草というものを無理矢理食べさせられていた。なんかその辺の草でも食べればいいんだろう。なんとかなるかどうかわからないけれど、兎に角、一歩進んでいかなければ。折角また命と心を授かったのだから。
 とはいえ、道は厳しかった。茨の道、といっても過言ではないくらいだ。肉食系にはありつけず、草を食べれば下痢をする。
たまにコロリとしたご遺体は、他の先輩猫たちが目を光らせながら食べていた。それでも、三日ほどはお腹が空かなかったのだが、四日目にはかなり状況は差し迫ったものに変化(へんげ)していた。ちくしょー。スーパーに入って猫餌、猫缶は開けられない。ドライフードの箱を齧ろうか、とさえ考えたくらいだ。
 
 泥棒という罪を働く勇気もなく、何を食べればいいのか本当に困っていた。歩みは段々よろよろとよろめいたものに変わりつつあった。気付いたことといえば、此処は僕の自宅付近ではなく、別の町だということくらいだった。だんだん、意識が遠のいてきた。混濁といったらいいのか。
 何故かわからないがジョーイの顔が浮かんだ。

 その時、周囲が騒然となった。先輩猫たちが一斉に何処かへ去って行く。何があったのかわからなかった。僕は動ける体力もなかったから、そのまま其処で蹲っていた。
 近寄ってきたのは、どうやら、保健所とかそういうお役所関係の車と人だった。猫とか野良動物を回収する委託の車なのだろう、捨て猫野良猫一掃作戦。みんな纏めて、はい、保健所へー、動物センターが貴方をガス室へ誘いまーす、という流れだ。
どうりで元気のいい先輩猫たちは皆逃げ出したわけだ。
 
 僕はもう、逃げ出すことが出来なかった。走る体力が無かったのだ。委託回収の人たちは、僕を動物というよりもモノ扱いしているように感じられた。向こうはどう思っていたか知らないが。網で捕まえられ、車の中にあるケージという大きなカゴに入れられた。何匹か捕まった猫たちがいた。ほとんどが僕のような子猫だ。大きな猫は逃げてしまうのだろう。今日の収穫は、どうやら僕を含め十数匹。一日でこんなに捕まるのかとびっくりだった。ほとんどが雑種の子猫だが、ロシアンブルーとペルシャの 純血種が二匹混じっていた。飼い猫から置き去りにされ、捨てられたのかもしれない。で、昔の僕よろしく何でも与えられ育ち外での生き方を知らない彼らは、餌を取れず体力不足となったに違いない。
 そういえば、星羅たちが話していた。春と秋は子猫シーズンだと。
 周りが皆子猫だということは、今は春か秋なのだと。風の冷たさはあるけれど、陽射しの柔らかさからして、今は春だと推測した。子猫は普通母猫と一緒だ。何かで逸れない限り、僕のように悲惨な目に遭うことは無いだろう。それとも、母猫が居ないときに揃って子猫だけが捕まったのかもしれない。
 気の毒だが、自然界は厳しい。僕も含めて。

 保健所らしき建物に着いた。
 ケージが何処かの部屋に運ばれた。人々が集まってきた。誰かわからない。職員の人なのか、外部の人なのかも僕には判別不能だった。その人たちは、僕たちのことをじろじろと眺めていた。
 結局、僕たちには少しばかりのご飯が与えられた。それでも、何日も食べていない僕からすれば神の手からご飯がもらえたような気がした。その晩から、猫部屋みたいなところで何日か過ごした。気が付くと、雑種でないロシアンブルーの猫とペルシャ猫、彼らはいつの間にか姿を消していた。周りの猫たちが喋っているのが聞こえた。今回は猫語が理解できた。
「たぶん、あいつら何処かに貰われていったのさ」
「いいよな。俺たちはあと数日で動物センター行きだろう」
「ここは動物センターに着いたら、すぐガス室に送るっていうからな」
「送らないところもあるのか?」
「あるらしい」

 耳を広げて会話を聞いてみた。概要はこうだ。

 どうやら、この自治体では回収した動物たちを総て動物センターに送り、飼い主を募ることなく、すぐにガス室で殺処分するらしい。猫や犬などの小動物がその対象になる。
 それに対し、すぐガス室に送らない自治体があるのだという。まず、犬や猫などの保護団体と連携し、生きるのが難しい犬猫或いは狂犬病の犬は殺処分となるが、生きていける犬猫は保護団体に預けられ、そこで里親を探すのだ。里親とは、ペットショップで犬猫を買うのではなく、野良犬野良猫等を拾い育ててくれる人たちを言う。

 ちなみに、そういう里親制度なりを使って殺処分ゼロを目指している自治体は、日本中を探せば結構あるらしい。殺処分ゼロを達成した自治体もあったという。そういった自治体は、殺処分にもガス室を使わない。外国の死刑囚のように、注射などを使い苦しまない方法をとるのだそうだ。反対に、毎年何千匹もガス室に送って窒息死させている自治体は相当数に上る。
 というところだ。

 僕自身人間の時代もあったわけだから、そんな怖い方法を取らなくても済む方法を考えてみた。自治体だって、好きでアウシュビッツみたいなガス室に送っているわけではないだろう。注射液ってのは往々にして金がかかる。見ろ、インフルエンザ予防接種なんぞいくらかかるやら。あれを何千匹に打っていたら財政破綻してしまうわ。
 それなら子猫減らす方法考えた方が早い。そうだよ、野良猫親世代にオペすればいいのさ。そうすりゃ子猫が減る。ガス室で苦しむ子猫も減る。どっかの外国では殺処分せずに保護されてるって聞くぞ。
 日本もそのくらい動物愛護に関心のある国であって欲しいものだ。今の日本を顧みれば、動物愛護に関してなら先進国よりは後進国の部類かもしれない。
 食べないからまだいいって?
 そりゃあキミ、動物を食べる習慣は、ある意味文化なのだよ。
 誰だって食べるときには感謝の念を忘れない。「いただきます」と。
 感謝の念をもって腹を満たすのと、ガス室でガスに満たされるのでは、「満たす」の言葉こそ同じだけど意味は正反対じゃないか。
 小さき者を愛せる、弱き者を愛せる、それでこそ何事においても先進国として威張ることができると思うのだが。
 間違っているか?

 にしても、やはりガス室送りは勘弁してほしい、イヤだよ。
 第二次世界大戦時、悪に纏わる権化の下、怯えながら連行された人種がいるという。彼らは悪いこともしていないのに、人種が違うというだけでガス室に送られ最期を迎えた。僕らもひょっとして同じじゃない?
 人間じゃないからガス室送りで最期って。
 生きる権利を侵害しないで欲しい。
 人間だって動物だって、地球という生命体が生きることを許してくれた命なんだから。あ、僕は地球生命体説を唱えている。恐竜も栄えたけれど、地球に害を為したから全滅した。人間だって、地球に害を為すようなら、いつか滅する運命なのかもしれない、と。

 ああ、そんなことを今、力説してる場合じゃない。
 やだよ、やだよ。どうせなら保護団体に譲渡して里親探ししてくれよ。
 ほら、こんな僕でもどっかの誰かが拾ってくれるかもしれないじゃ・・そんな都合のいい話もないな。
 幸先の悪い生まれ変わりだなぁ、と溜息を漏らす僕、ショタなのであった。
 ショタ、か。
 人間時代の名前が将太だから、猫になってショタになった。懐かしい名前だ。もし、誰かが飼ってくれるなら、またショタと呼んで欲しいものだ。

 数日が過ぎた。
 大きな車がやってきた。ケージの中の動物たちは皆、鳴き喚いた。動物センターに移送されるからだ。数日間、ご飯は死なない程度に。お風呂もなし。汚いままでガス室か。このまま、天に召されるのか?僕はそのために生まれ変わったのか?
 そういう運命もあるかもしれないけど、一発逆転、ドラマやマンガのような展開を望んではいけないのかっ?
 
 ああ、なんてこった。
 ああ、なんてこった。
 
 子猫で何の力もない僕。抗うこともできず、ケージごと車に移された。そしてドアが閉まり、中は真っ暗になった。まるで、ここにいる動物たちの未来色のようだった。 皆、ガス室を思い打ち拉がれ、声を出すことさえ無くなった。何時間揺られただろうか。信号待ちではない、車が止まったのが解った。動物センターに着いたのだろう。
 
 動物センター。
 なまじ噂に聞いていたからか。僕にはやはり第二次世界大戦中の捕虜収容所に思えた。そんでもって、センターの中にケージが移されてからがまた怖かった。僕たちは子猫。他に、大人の猫や犬が沢山いたのだ。
 ぎょえー。
 この人、いや、この犬猫さんたちと幾日かご一緒するんで?ご飯は一匹ずつ最後まで食べさせて貰えるんですかい?ここにきて大人猫だけ一人食いなんて、それは無いっすよ。天に召される運命体なら、みんな同じ条件でないと不公平っス。
 僕も含め、怯えビビッていた子猫軍団。

 でも、意外や意外、大人の犬猫さんたちはみんな優しかった。
 そうか、大人犬さんたちは狂犬病予防があるからかなり厳しいだろうけど、大人猫さんなら逃げかますのは簡単だったはずだ。子猫たちを守るため逃げられず一緒に捕まったのかもしれない。だからなのか、僕たち子猫軍団にとても優しくしてくれた。みんなで怯えながらも、一夜を明かした。
 二、三日経っただろうか。いつガス室に行くのかと思うと、考えるのを止めたくなった。

 現実は厳しかった。ついに、一部の犬猫たちのガス室送りが決まった。
 職員が一匹ずつケージからだし、優しく抱っこして頭を撫でながらガス室に連れて行く。ケージから出された子は、抱っこの瞬間、皆ガタガタと震えた。
 次は誰?次は誰?その繰り返しが続き、ガス室が一杯になると鳴き叫ぶ声が建物内に反響した。しばらくすると、その声は止んだ。
 泣けなかったけど、悲しくて、悲しくて、怖くて、怖くて。この国の動物愛護精神の欠如に腹が立った。
 犬猫をガス室に送るなら、人間も同じように送ってみればいい。
 たぶん、ガス室の怖さや辛さを知っている国の人々は、ガス室を絶対に使わないだろう。
 原子爆弾を投下され被害の甚大さを知っている人々が、原子爆弾を使いたくないと思考するのと同様に。

 今更、何をいっても避けようのないこの運命(さだめ)。それなら、いつの日にか人間に生まれた際には、動物愛護に勤しむ覚悟をもって最期の時を迎えようじゃないか。
 神よ。僕の運命を託そう。

 と、周囲がまた騒がしくなった。ガス室第二弾か。いや、猫声の種類が違うようだ。
 何事かと耳を澄ませた。人間の声が聞こえた。
 あっちゃー。前世でもショタとして人間の言葉理解度120%だったけれど、またもや同じ構造になっているらしい。
 動物センター職員以外の人間が何人かいるようだ。
 何だろう、と思っていたら、扉が開いた。僕たちのケージの方に女性が近づいてきた。
「はい、こちらにいる猫たちを全て引き取る意向です。自治体との覚書もあります」
「猫だけでいいですね」
「犬は定期的に譲渡会を開いているでしょうから、後程。我が団体は、猫保護中心に保護活動を続けています」
「全部連れて行くんですか。三十匹ほどいますよ」
「ええ、すべて。犬については他団体とコンタクトをとってから連絡します」
 職員がケージを開け、僕の隣の子猫を引き出した。その子は、人間の言葉が解らないからガス室に連れて行かれるのだと思ってガタガタ震えた。女性が声を掛けた。
「大丈夫よ、みんなでお家に行こうね」
 それでも、彼の震えが止まることは無かった。

 センターにいた猫たちすべてが、別の綺麗なケージに移され、車二台で小一時間ほど移動した。もう少し早く来てくれれば良かったのに。そしたらガス室で虹の橋送りにならなくて済んだ子が沢山いたはずだ。
 今更言っても仕方ないけど、「たられば」を豪語したくなる僕だった。
 先に虹の橋に行ってしまったみんな、今度は幸せに生まれ変わってくれ。


 さて、そうこう考え汚い身体をぐにゃぐにゃさせているうちに、どこかに車が停車した。そこには、猫たちが保護されている施設があった。
 びっくり。
 こういう団体、本当に存在したのね。
 で、みんな忙しそうに働いている。ご飯を準備したり、お風呂に入れたり、トイレを掃除したり。
 そうそう、保健所から動物センターに至るまでの何が困ったかって、トイレだよっ!
 自治体の猫トイレが汚いのなんのって。いや、あれはトイレと呼ぶには余りにお粗末な代物だった。そこらへんで勝手にやってね状態。僕のように人間として生まれ人前で排泄したことの無い猫にとって、あんなトイレは拷問に近い、いや、拷問だ。
 ご飯が少しなのは我慢できたけど、トイレだけは本当に酷かった。せっせと綺麗にしてくれているところを見ると、此処はそんなこともなさそうだ。
 センターから着いた猫軍団も、最初お風呂に入り汚い身体をさっぱりと綺麗にしてから、夕飯を食べた。
 ご飯を食べ安心したのか、僕は瞼が重くなってきた。猫に瞼なんてあったっけ・・・などと考えながら、夢の世界に誘われていくのだった。

「・・・本当に、幸せな処に来たと思うか?」
 夢の中で声が聞こえた。
 あまりにリアルな言葉だったので声のする方向を振り向いた。

 其処にはジョーイがいた。
「・・・本当に、幸せな処に来たと思うか?」
 ジョーイは繰り返した。

 僕は聞き返した。
「どういう意味だ?」
「そういう意味さ」
「じゃあ、此処は幸せな場所じゃないっていうことか」
「いや、全てが不幸なわけじゃない」
 ジョーイの言い方はいつも勿体ぶっていて、わからん。
「半々みたいな言い方だな」
「まあ、飼い主や引き取り主によるってのは何処も同じだけどな」
「なら、運によりけりじゃないか」
「その運が問題なんだよ」
 
 ジョーイの目が見開かれ、はっきり言って・・・もの凄くブサイクだった・・・。
「明日、此処に二人の引き取り手がくる。どっちも保護団体だ」
「で、何がどうなるんだ」
「一人は問題ない。もう一人は、かなり悪質な奴だ」
「何か裏でもあるのか」
「まあな」
「教えてくれよ」
「やだ」
「なんで」
「さっき、ブサイクって言った」
 そうそう、ジョーイは心の中で思ったことが読めるのだ。
「あ。腹の中が解るんだったな、ごめん、ごめん」
「しゃーねぇな、悪質なヤツの手口、教えるか」
「頼むよ」
「一匹程度かな、各団体から引き取るのは。その後虐待して身体を不自由にしてから『私この子を保護しました、こんな状態だったんです、どなたか治療費を寄付してくださいますか、こういった子が沢山いるんです』って、虐待後の写真をブログに貼って金をせびるって寸法よ」
「詐欺じゃないか」
「そうさ、それも極めて性質が悪い。人間の結婚詐欺のが余程マシさ、死なない分にはな。ああ、相手を殺した結婚詐欺も結構あったな、イヤだねぇ、人間は」
「どうやって見分ければいいんだ」
「教えられねぇ」
「冷たいな」
「俺の生業知ってるだろうが。こうやってリークするだけでも、知れたらお目玉さ」
「そうなのか。じゃあ仕方ないな」
「お前は引き下がりが清々しいから気に入ってんだ。もう一言、加えてやる」
「虐待で寄付金詐欺。さあ、誰に相談する?」
「相談できる人間なんていないよ」
「アホが。何のために前世の記憶繋いでんだ」
「あ!そうか!」
    
 そう、僕の娘は司法試験に合格した。
 僕が無くなった日だから覚えている。悪い奴を捕まえるような素振りだったから、もしかしたら検事になっているかもしれない。寿命はちょいと縮むけど、猫たちの危機だ!星羅の夢に渡るぞ!
「でもさ、ジョーイ。夢に渡るには可能な範囲があった気がするけど」
「幸せを届ける、不幸をなくす、みたいなもんだ。今回は黄泉の魔女退散だから、行ける」
「そういう意味もあったのか。ありがとう、ジョーイ。星羅の夢に渡ってみる」
「おうよ。不幸な猫が減るといいな、の前に、明日はお前が引き取られる可能性もあるから気をつけろ」
「どうやって気を付けるんだよ」
「わからん、俺も実物を拝んだことは、ねえからな」

 まったく、肝心な部分だけは必ずはぐらかす奴。
 でもいい奴だ。わざわざ夢に来てくれた。
 ジョーイは現世から来世にかけてのマッチングを生業とするブサ黒猫だ。御免、普通ならブサカワと言ってあげたいけど、お世辞にも言えない奴の顔。おっとっと、聞こえたらまた蹴りが入りそうだ。

 明日はどうやら勝負の日になるらしい。明日だけではなく、毎日がそうなのだろう。どんな人間が貰ってくれるかわからない。いい人もいれば、先ほどの話まではいかなくとも虐待を繰り返す人だっているだろう。本当に、いろんな運命があってその糸は複雑に絡まり合っている。運命の糸に何かしら色がついていたとしても、解すのは容易なことではないだろう。人間の社会は面倒にできているからな。
 っと、さっき俺の隣に寝ていた猫がいた、同じようなトラ模様だ。はた目にはあまり見分けがつかないかもしれないが、肉球がピンク色なのが相手のトラ猫だ。僕の肉球は茶色&黒だったっけ、と思って起きてみたら、向こうも起きてこちらを睨んでいる。つーか。かなり意地悪してきやがる。ご飯を隠したり、毛布を汚したり。ははーん、そうか。自分が幸せな処に行きたいのだろう。大丈夫だ、トラ猫希望の人が来たら俺は隠れるからさ。幸せになれよ。はて、トラ猫なのになんで肉球がピンクなんだろう。

 っと、こんなガンの飛ばしあいしてる場合じゃない。
 星羅の夢に飛ばなくちゃ。昔の親父姿なんて今更恥ずかしいけど、仕方ない。今晩決行だ。星羅はかなり忙しいらしく、こちらに眠りの念が届いた時間が遅かった。真面目に仕事に取り組んでいるんだな。
 さて、寝入ったところで、夢に飛ぶぞ。おーい。
「星羅、元気にしてたかい」
「あ、お父さん!いつも若いね、あたしもお父さんの歳に近くなったよ」
「そうか、あれから大分経ったんだな」
「ところでどうしたの?」
「お前にお願いがあって。ショタみたいな野良猫たちのことだ。保護団体から猫を引き取り、虐待して酷い身体にしてからブログに載せて『寄附を募る』という詐欺を働いている女がいるらしい。ブログには必ず酷い状態の猫しか載せないそうだから、もしかしたら分かるかもしれないと思ってさ。でも、忙しそうだな」
「大丈夫、あたし、念願の検事に成れたから。一緒にお仕事手伝ってくれる同僚さんもいるし、今いる部署がとってもいい雰囲気なんだ。何かの折に話してみるよ。場所が分ればばもっといいんだけど、調べてみる。インターネット検索でヒットするかもしれないし」
「ありがとう。お前は昔から優しかった」
「お父さんが優しいから。お父さんを目指して生きてるんだ」
「岩本にも優しくしろよ」
「わかってるよ。お母さんと仲良しだから、それだけで幸せそうだよ。前のDV妻の話聞いてさ、手首見せられて泣いちゃったよ。今ならあたしが捕まえて罪に問うてやるところだ!」
「岩本、泣いてたろ」
「うん」
「みんなに伝えてくれ、幸せにって」
「わかった、お父さん、ありがとう。夢で逢えただけで幸せだよ」

 ふう。夢へ飛ぶのは半端なく体力消耗する。それでも、久々に星羅の顔を見た。随分キャリアっぽくなってきた。あの様子じゃ、仕事一筋に脇目も振らず歩いているに違いない。たまには脇を見ろよ、大切な証拠があったりするもんだ。
 小夜子も岩本も仲良くやっているようだ、良かった。話には出なかったけど、たぶん穣司も指導者として日々悩んでいることだろう。
 自分が泳ぐより、指導する方が悩む。相手をよく観察して、直してあげないとタイムは伸びないからな。
 ああ、久しぶりに人間になった気分。ちょっとした幸せに浸ることが出来た。

 問題の、「翌日」がやってきた。
 何をどうすれば虐待詐欺者を見分けられるのか、見当もつかない。僕自身、最初は汚い格好にしようかと考えたけど、それはそれで汚いからいいや、と気に入られそうだし、余りに可愛いキラキラオーラだと、不幸を願う女の怨念に取り込まれるような気がする。
 どちらにせよ、相手を見ないことには決断を下せない。もしか、今回は僕でない子がいくかもしれない。それでも、今日来る二人の女性は、必ず顔を忘れないでおく。どちらかが詐欺犯罪者だから。
 周囲のスタッフは、結構緊張しているようだった。それもそうだろう。何十匹とお世話していて、一匹でも幸せになってもらえないと後が閊える。なるべく多く引き取ってくれる別の保護団体はいい協力者なのだろう。
 ジョーイに言わせれば、どの団体にも、何がしかの裏ルートがあったりするのかもしれない。あいつは突拍子もないことを、急にさらりと言ってのけるから怖い。命があるのかないのかさえ、わからない。不思議な奴だ。
「代表、いらっしゃいました」
 スタッフが保護団体代表に耳打ちすると、代表が客に向かって話し出した。
「ようこそ、遠いところ足を運んでいただき感謝します」
 すごく上品な女性だ。この人はどっちだ?良い人に見えるが。
「いいえ、とんでもない。今日は幸せにしたい猫ちゃんを探しに来たところです」
「今日はいかほどお考えですが」
 瞬間、女性の目が浮付いた。
「先日急に病気の猫を保護したばかりなので、今日は一匹にします。トラ猫がいいわ」
 
 僕は、ピーンときた。
 病気猫を保護し、トラ猫一匹を欲しがる、コイツが詐欺師だ!
 隠れようとした矢先、運悪く見つかってしまい、あの肉球ピンク猫と一緒にその女の前に突き出されてしまった。うひゃー、生命の危機!その時僕はどういう顔をしていたがわからない。たぶん、挑戦的な目をしていたのだと思う。おかげさまで、貴女の顔は一生忘れないほど見つめました。はい。
 一方、肉球ピンクくんは可愛がってもらいたいがためか、一所懸命に愛嬌を振りまいた。さ、虐待女は生意気猫と愛嬌猫のどちらを選んだのだろうか。

 選ばれたのは、愛嬌猫くんだった。
 愛嬌が決め手と代表に話しているのが聞こえた。
 しかし、何故だろう。愛嬌ある子を虐待するより、ぶっきらぼうを虐待するよな、普通。虐待詐欺犯人に聞けないからだけど、なぜ肉球くんを選んだのか、マジ知りたい。
 虐待詐欺犯人と肉球くんは、すぐに旅立っていった。肉球くん、無事を祈る。虐待されそうになったら逃げるんだぞ。

 さ、今日はもう一人お客さんが来るらしい。
 目に留まれば此処から卒業、そうでなければもう少しご厄介になるということで。あまりデカくならないうちに卒業したいです、ハイ。
 午後になり、僕たちがご飯を食べ眠くなった頃、その客はやってきた。
「代表、お見えになりました」
「ああ、こっちこっち。ったく、時間守んなさいよっ。午前の予定だろうが」
「いいじゃん、猫たち寝てるんだしぃ。無理に起こして連れてけっていうのー?」
 眠ろうと思ったけど、やめた。さっきとは違う、この片やフレンドリー、片や喧嘩腰という、一見摩訶不思議な二人の会話。妙にショタアンテナが反応した。
 薄眼を開けて、人間たちを観察しちゃえ。
 どれどれ。片方は僕たちをセンターから引き取ってくれた人だ。それにしても、何という変わり身の早さ。言葉使いの荒さ。女はコワイなあ。
 もう片方は、男性の声に聞こえたんだが、男性らしき物体はいない。いや、声は正しく男だ、喉仏の奥からの、あの独特の響きを感じる。でも、眼中に入ってきたのは 女性の格好。スカートまでは穿いてないけど。
 あ、いや、噂には聞いたことがある。いまどき珍しくもないだろう。たぶん、きっと。僕の周りにはいなかっただけ。
 所謂「オネエ」だっ!
 うわっ。でも、きちんと化粧してるし、すらりとしててスタイル抜群。胸が無いのがちと惜しいが。まあ、その辺は、ねぇ。下手にオペしない人も増えてるみたいだし。こういう人たちって、足にスネ毛あるんだろうか。
 僕としては、ツルツルのカモシカ足を思い浮かべるのだが、綺麗なお顔にスネ毛ざらざらだったら、百年の恋も一発で冷めるわなぁ。

 って、「オネエ」に恋してどーする。
 今は、この二人の関係を探るのが僕のミッション。さて、なんだかんだと言葉の暴発はあれど、この二人は仲良しだ。代表さん、さっきの余所行き声より明らかに2トーンくらい声低いし。人間って自然体になると声が低くなるから。元妻、なんか嫌な言い方だけど、人間時代の妻の小夜子は怒ると3トーン低くなった。超絶怖かった。 
 小夜子の話は脇に置いておこう。
 代表とオネエの話を聞かなければ。

「彩良ちゃん、アンタいつまでNPOの代表続けるの、もう年でしょ」
「あんたに言われたかないわよ、歩夢(あゆむ)。まだアラフォーだよ、あたしら」
「ちょっと!歩夢(あゆみ)って御呼びなさい!それよかアンタ、他にもいろんなとこでこき使われてるんでしょ。そろそろ隠居しなさいよっ」
「隠居とはなんだ、このエセオネエ。後を託せる人間出てきたら譲るから」
「エセとは何よ、女のババアは聞き分けなくなると可愛くないわよっ」
「あ、それよかさ、今回のあの女、追ってね」
「任せて。ちょっとアンテナ張ってみるわ。盗聴器とカメラつけたいとこなんだけど」
「それは犯罪でしょ」
「聖司は?何とかする方法ないのかって聞いたらいいじゃなーい」
「ここ一ヵ月音沙汰なし。たぶん、家出」
「ちょっと、冗談でも、縁起でもないこと言っちゃダメよ!」
「まあ、あいつが検事とか警察とかそっち方面なら挙げられる確率高いんだけどな」
「そこは無理よー。アタシが不意打ちであの女の住所に行ってみるから」
「何回も居場所変えながら詐欺してる女だからさ、十分注意しなよ」
「大丈夫よ、アタシ、男だもーん。力の強さは半端ないしぃ、オネエの団体あるから協力求められるしぃ。今日だって、午前に向こうが来ると踏んで顔合わせ無いようにしたのよ」
「嘘つけ、寝てました、って顔に書いてあるよ」
「失礼なババアね、アンタって」
「その件は兎に角、任せたわ。あたし動けないからさ、面割れたし」
「ラジャー♪」
 女性の方が毒づいている。
「それって、死語?」
「わかんなーい。いいの、日本人くらいよ、流行り廃り気にするのって。そんでもって、みんな揃って同じ格好して同じ髪型して同じ体型して。ブキミ―――っ!」
「言えてるかも。っと、今回のニャンズ・ハウスだけど、どんくらい入居戸数ある?」
「えーっとね、借り上げたのは六階建てのマンションよ。部屋数は三十戸かな。三LDKが主ね。二LDKの単身用もあるけど。一階に動物病院とカフェ入れてくれるって約束取り付けたわ。犬猫の飼育は二匹までOK」
「全室、借りることできたんだ」
「うん、聖司の名前出したら貸してくれたのー」
「あんた!聖司の名前出すなって言ってんだろが」
「成り行きよぉ。ま、悪い取引じゃないから、お互いに」
「あんたは、男だってばれないように振舞ってくれればそれでいい」
「地でいられるもの、簡単よぉ」
「あああ、なんで男のあんたがあたしより余程女らしいんだ?」
「そんなことより、彩良。今ここに何匹くらいいるの?今回三十戸プラス1階がカフェだから。全部で六十匹くらい移動掛けるかもよ」
「カフェで六匹くらい?で、個別に二十五戸で大体五十匹、シェアの依頼が五件で十匹。いや、足りないな。隣町の動物センターに話付けといて。来週引き取りに聞くからって」
「オッケー。じゃあ、この子たちは来週マンション下のカフェに・・・六十匹もカフェに連れてくのは無理ね」
「ああ、此処でのんびりしてもらって、それからにしよう。動物センターで怖かっただろうからさ。シェアの件はすぐに契約できるけど、あとはカフェか此処に居ながら、暮らすところが決まればいいでしょう」

 あのー。話が長すぎて、概要説明大変なんですけどー。
 といいつつ、要は、だ。
 僕たちは、どこかの貸マンションで誰かに飼われたり、カフェで人間の「お・も・て・な・し♪グループ」やるわけね?それまでは、此処に居ればいいのか。
ふむ。
 ジョーイ、僕はどうやらヤバくない方のグループに入ったのかもしれない。それにしても、午前に来たあの女、右の口角辺りに黒子が二つ並んでいた。すっげー目立った。
 もう、二度と忘れない。

 目が冴えて、漸く、生きているって実感が湧いてきた。
 此処、何処だろう。大体の匂いと音から察するに、どこかのビルをワンフロア借り切ったような感じ。かなり広い。上下階からも声が漏れ聞こえてくることから、数階分の フロアを借り切って犬猫保護事業に使用している、といったところか。ワンフロアって、場所にもよるけど結構な金額だと思う。大丈夫なのかな・・・。

 彩良と呼ばれたアラフォーさん、口はかなり悪いけど頭の良さそうな人だ。なかなかの美人だし。あのオネエと話しさえしなければ綺麗な人で通じるだろう。その他に沢山いる女性や男性、学生さんたちはボランティアさんか。みんなの名前を覚えるのはちょっと大変そうだから、お世話をしてくれる人とか目立った人だけ覚えようと思う。
 みな、猫たちの幸福を夢見て汗を流しているんだろう。
 とても素敵で綺麗な汗だと思う。

 僕が若かった頃は、兎に角、一流高校、一流大学、一流企業。3高とか言われて、背が高い、学歴が高い、給料が高い、だったかな。女性は夢を見たらしい。はあ? つーか、3高に釣り合うのは4良+αだろ。顔良し、スタイル良し、頭良し、性格良しで自立心旺盛な女性。最高でしょう。
 あら、僕としたことが。おほほ。

 なんでこんなに人間くさーい話にばかりなるんだろう。僕は今、子猫で、これからも猫として暮らすわけで。猫たちと仲良くなった方がいいのかなと思いつつ、なーんか近づけないんだよねえ。こう、なんというか、何を話題にしたらいいのかわかんない。
 ハイ、それが総てです。だってさ、人間なら「今日は晴れですね」とか「今日は寒いですね」から会話に入れそうなものでしょう。猫に「晴れてるね」って、天気の話しても会話が成り立たない気がする。
 そんなどーでもいい理由から、何故か自分から他の猫たちに近づかない僕、ショタなのである。

 そういえば、みんな名前あるんだろうか。ないよな、普通は。名前つけてあげたーい。でも、さっきの彩良代表とかオネエさん、歩夢と書いて本名はあゆむ、自称あゆみの彼、いや彼女が付けるのかな。僕も混ぜて欲しいなー。
 あーあ。人間語話せたら良かったのに。解るだけなんてつまらん。自分だけ置いてけぼり、そんでもって枯れてしまうようで、尚更つまらん!
 しかたないか。いつまで経っても、僕は猫。
 少し猫らしく思考する方法でも考えよう。まずは、寝方からだ。伸びて寝るクセ、直そ。

 此処のビルらしき建物に来て一週間。あの日一緒に来た連中は皆元気になった。子猫たちは跳ねまわり、大人猫さんは、作法や生きることへの対処法を教えてくれた。やはり、外の世界で猫が生きるには、自分の力で食べ物を見つけるか、人間がご飯くれるのを待つしかないらしい。僕は、どこかで二匹組でマンションに入るなら、大人猫さんと一緒になりたかった。子猫たちとも仲良くなった。みんな、此処で満足いく生活が出来ているから喧嘩も起きなかった。というか、喧嘩しようものなら彩良が来てふわふわベッドからふわふわベッドにぼよーんと投げられたのである。それがまた心地よくて、みんな喧嘩したふりをして彩良を呼ぶのだった。

 なんだかんだで一ヵ月が過ぎようとしていた。
 6階建てのマンションとやらに移る時期が来たようで、人間たちが品定めにやってきた。何でも、マンションに入るには猫二匹を飼うことが必須なのだそうで、転勤族の家族や、単身男性、高齢のご夫婦などがいた。それぞれに、猫が飼いたくても飼えない状況があるらしい。
 転勤族は、毎回転勤先でペット可マンションに出逢えるわけもない。飼ってから、次の転勤先住居がペット不可で捨てられる犬猫も多いと聞く。それなら最初から飼わないのが正解だ。こういった条件で猫を貸してくれるマンションは早々ないから、子供の小さい転勤族にはオススメの猫付マンションだ。
 単身男性は哀しいもので、どれほど本人が優しかろうと、単身男、というだけで世間の目は冷たい。どんなに動物が好きでも譲渡は、ほぼ無理だ。ペットショップがあるけど、可哀想な猫を助けたいという、本当に心根の優しい人だっているんだ。
 高齢世帯は、自分たちに何かあったら飼うのを我慢してしまうことが多いらしい。そうだよなぁ。自分の前世を振り返っても、自分に何かあったら、と今なら思う。人間時代は思ったことは一度もない。決して威張れることではないが、残された家族を心配して自分を気遣ったことは、ほんの数秒もない!
 自慢にもならんわ。

 結局、ハンブサが逆に悪目立ちする僕は、引き合いが無かった。大人猫さんも今回は引き合いが無かったようだ。殆どの猫たちは誰かの部屋に移ることに決まり、僕と大人猫さんを含めた六匹が猫カフェにて「お・も・て・な・し♪グループ」に専属契約と相成った。
 ハンブサとはいえ、そんなに可愛げないかな、僕。
 鏡が見たい。どっかにないかしら。
 あ、ボラさん、ボランティアさんのことだよ、ボラさんの子が手鏡持ってる。突撃!鏡の反射が気になる振りして、自分の顔を覗きこんだ。
 ・・・・・ショック。
 これじゃあ、引き合いが無いわけだ。肉球くんが連れて行かれたのも納得だ。
 だって、三白眼で逆蒲鉾型の眼だぞ?キャラクターグッズにあったぞ、こんな顔。
 可愛くない・・・。
 これじゃジョーイが怒ったのも無理ないよ。たぶん、「お前の、その顔に言われたかねぇ」なーんて思ってたに違いない。
 まあ、せめて仕草で可愛らしく・・・できるわけないだろう。こうなったら、前世のように、カフェの中で新聞とか雑誌を読ませて貰おうっと。それはそれで、楽しく生活できるかもしれない。会社時代も営業経験あるし、お初のクライアントでも笑顔でにっこり、が僕のモットーだった。あ、ダメだ。猫が笑えるわけなかろう。

 僕たち60匹余り御一行は、またもやミニバン3台に分かれマンションへと移動した。今度の移動は30分くらい。比較的近かった。
 そういえば、保護ビル、外に出るときに「ちらっ」と見やった。四階建てのビルで1階が倉庫と駐車場になっていた。ということは、あそこは丸々保護ビルだったわけだ。周辺の長閑な景色を見ても、此処は都市部の郊外だろう。ワンニャン声がするからには、相当人里離れるか防音設備バッチリでないと、それこそいがみ合いになるのだろう。仕方ないじゃん、これが僕たちの話す方法なんだから。営業経験がそろばんの玉を弾く。チーン。それでも、ビルひとつ借り上げるには結構かかると思う。 並の人間一人でできるはずもなし、寄附とかそういう方法で運営しているのかもしれない。
 人生、本当に色々な生き方があるのだとつくづく感心した。

 ああ、着いた先の事も教えないと。
 六階建てのマンションです。って、わかってたか。ごめんなさい。
 で、一階に僕らが集う猫カフェと、お隣には動物病院が入っているそうです。2階から六階までは二・三LDKの賃貸マンションらしいです。僕は残念ながら入れません。
 で、建物名が・・・ニャンズハウス。これまたケッタイな名前ですな。入居者のみなさま、どっかで住所書くとき恥ずかしくないのかしら。ああ、また人間の心配だよ。
 カフェのところにデカく看板が掲げられていた。目立つ。キュートな黒猫が一匹だけ、で、「うぇるかむ☆ニャンズハウス」
 
 でかっ!
 あ、子猫の僕が見たからでかいのか?いや、そんなことないな。かなり目立つぞ、この看板。隣の動物病院が目立たないじゃないか。いいのか?獣医師さん、怒ってしまわないのか?と、また人間の心配。まあ、僕の居場所は安泰のようだし、いいよね。
 
 車から降りた彩良さんが皆にゲキ飛ばして猫たちを移動させていく。マンション組はお隣の病院やカフェへ、カフェ組は勿論カフェへ。カフェ組の猫たちはすぐに落ち着いた。マンション組は隣の動物病院やカフェのコーナーなど使えるものを総動員して契約していた。契約主に抱っこされ、落ち着か居ない様子の子もいれば、満足した様子の子もいた。当たり外れがあるし、相性もあるからね。

 契約の注意事項などが聞こえてきた。
 初めのひと月は週一でボランティア巡回があること。ひと月の間に何か不具合があれば猫を戻し退去するか、カフェから別の猫を引き取ること。契約満了あるいは臨時退去時は、猫を引き取るかカフェに戻すか選択することが出来る。
 だそうだ。
 ふーん。もしかしたら、僕もマンションで飼われる可能性があるわけだ。どっちでも対応できるようにしとくけど、カフェの方が気楽かもしれない、なーんて思ったり。やっぱり終の棲家を見つけたい、と思ったり。その時々で気分はコロコロ、猫の眼のように変わるのだった。

 ようやく契約が終わり、仲間たちはそれぞれの部屋に散らばっていった。殆どが2匹1組だから、寂しくはないだろう。それに、何かあれば鳴いて緊急を知らせてくれるはずだ。人間たちは知らないのだ。猫は緊急時鳴いて周りに危険を知らせるんだぞ。え?知ってた?兎に角だ、僕たちに死角なしってとこさ。
 気になるのは、肉球くんのこと。
 あの女、必ずやるに決まってる。
 どうにかして女の実態掴まないと。
 歩夢さんが追ってるみたいだから、この辺に住んでいるのだろうか。
 ああ、なんとももどかしい限りだ。

 っと、カフェのテーブルに、パソコンがあった。キーボードが付いている。
 にやり。
 遊ぶふりをして、パソコンに近づいた。で、ポチッとな。パソコンを起動した。人間たちは掃除やらに忙しく、今日はまだカフェも開店していないので、誰も僕に気付く者 はいない。へへ。文章ソフト起動しちゃえー。ポチッ。で、自分の名前を打ち込んでみる。
「ショタ」
「ショタ」
「僕はショタ」
 ほーほっほっほほ。横山家で修業した甲斐があったわい。あんときも家族に見つからないよう書斎のパソコン使うの大変だったんだから。よく岩本は気付かなかったものだ。
 っと、後ろで悲鳴が上がった。
「チョット――――大変だわよっ?」
 歩夢さんの声だ。
「猫がキーボード叩いてるの!」
「まさかー」
 ・・・やばい・・・。
 ぞろぞろと周囲の人たちが集まってきた。
「マジっすね、歩夢さん」
「でっしょ―――――――――っ!!!」
「この猫、自分はショタって宣言してますよ」
「ああら、可愛いな・ま・え♪」
 ブルブルッ、悪寒がする。
「たまたまなんでしょうけど、この子はショタにしましょうか」
「彩良は?どこでアブラ売ってんのよ、あの子」
「代表は病院スタッフとの打ち合わせです。もうすぐ戻りますが」
「そう、貴方達も大変ね、あのババアにこき使われて」

「誰がババアだって?誰がこき使ってるって?」
 
 あ、彩良さんが来た。
「何でもないわよ~、彩良。そうそう、このハンブサちゃん、ショタにしましょ」
「ハンブサ?あらま、どっかのキャラそっくりな顔だね。なんでショタよ」
「だって、自分でパソコンに僕はショタって、打ち込んだんですもの」
「嘘つけ」
「アンタってば、人を嘘つき呼ばわりするのもいい加減になさいな、周りにお聞きなさい」
 周囲の証言から、歩夢さんの言葉が本当で、僕がキーボードを触って名前を打ったことが知れてしまった。
「ウケるな、お前、ショタか。よし、その根性に免じてショタと命名する」
 
 周囲から拍手が沸いた。
「ところで、歩夢(あゆむ)、あの女の情報掴んだ?」
「ムキーッ!あゆみと御呼び!」
「どっちだっていいじゃん。状況は?」
 誰も僕に注目しなくなった。そこでまた・・するするとパソコンの方へ向かう。画面は先ほど名前を書いた状態のままだ。
 そこで、何行か付け足した。
「肉球シンパイ」
「犯人は口角に二つの黒子あり」
「横山星羅」
 
 またもや後ろで悲鳴が上がった。高い音と、地の底から響くような低い音。二つの悲鳴は共鳴するどころか、不協和音となって僕の鼓膜を直撃した。あ、倒れそう。
「犯人て、こないだの?」
「ねえ、彩良。ショタのいう口角に二つの黒子って、覚えてる?」
「覚えてる。顔全体目に焼き付けたから。肉球って、こないだのトラくんか」
「横山星羅って誰のことかしら?」
「わかんない、ショタ、横山星羅で検索したらヒットするか?」
 僕はニャニャニャッ!っとぐるぐる回った。

 彩良さんは、僕に替わってパソコンをいじり始めた。
「検事だって。ショタ、この人に詐欺のこと知らせればいいの?」
 また、ニャニャニャニャッ!ぐるぐる回る。イエスの合図だと気付いて欲しい。
「そうか、でもちょっと遠いとこだな。ショタっていえば解ってもらえるかな」
 ニャ――――――――――――!っと長鳴きした。
「ショタは人間みたいだなあ。よし。まずは証拠集めしないと」
 彩良さんが、犯人と思しき人間のブログやサイトを次々見ていく。すごい。八~九ほどのブログやサイトで偽名の上に寄附を募っている。しかし、写真の撮り方が総て同じアングルだったし、光加減や背景も同じ場所だ、間違いなく同一のカメラ及びレンズでの撮影と考えられる。この写真がどのカメラで撮られたかわかれば、かなり相手を追い詰めることが出来るのだが。
 
 あ!肉球くんが!見るも無残な顔になってしまった・・・。
「ちっくしょう、やられたか。行ってくる」
「譲渡前の写真持ってお行きなさい。それと、今回も写真撮ってくるのよ」
「まだ、あのアジトにいるといいけど」
 彩良さんは飛び出していった。そのあとを獣医師さんが追いかけて行ったことは言うまでもない。
 夜、ようやく片づけも終了し開店を待つばかりになったカフェ。僕たちはご飯を貰い各々ベッドに行く時間だった。お風呂は今度から隣の動物病院で入れてもらうことになった。獣医師さんが数名と、看護師スタッフが数名、二十四時間営業の病院らしい。器具を揃えた車もあって、往診可能、ちょっとした傷の手当くらいならできるらしい。ま、オペは清潔でないとできないから、どういう設計の車なのか、そこまではわからない。
 
 犯人宅に行った彩良さんと獣医師さんは、なかなか帰ってこなかった。僕は、肉球くんのことが心配だった。あんなに苛められ虐待されるなんて、あり得ない。どうしてあんな非情で無情な仕打ちができるのか?金儲けのためなら何をやってもいいのか?
 どうして僕が選ばれなかったかは分かった。ハンブサで目に特徴があったからだろう。虐待し写真に撮ったとしても、全部顔を潰さない限り片目だけでも、譲った側から見れば僕だと判ってしまったはずだ。
 
 ベッドに行ったものの。入って眠れるわけもなく。彩良さん、今日はビルに帰るのかな。カフェの支配人は歩夢さんだった。うん、男とバレない限りは歩夢さんの方がしなやかな身のこなしと言い、礼儀正しさと言い、客のあしらいも上手そうだった。歩夢さんは基本カフェで寝泊まりするらしく、自分のベッド作りのため奥にいっていた。
 と、急にバタン!と物音がした。暗かったカフェ内に灯りが燈った。
「ちっくしょ―――――――――!!」
 彩良さんの声だ。どうやら、逃げられたか白をきられたか、そのどちらかだろう。奥から歩夢さんが出てきた。
「遅かったわね、どうなったの?」
「白きられたよ、トラ猫なんてその辺に転がってるからさ」
「ピンクの肉球は?珍しかったじゃない」
「焼かれてたよ、歩くことすらできなくて、余りに可哀想でさ・・・」
「まあっ、鬼畜にも劣る卑劣な行為じゃない。で、連れて帰ってきたの?」
「うん、取り敢えず寄附渡して譲り受けた。今隣で聖司が診てる」
「なんですって?寄附要求されたの?」
「あの女だよ、そう簡単に引き渡すわけないさ。仕方なく、と最初は思ったけど、トラがあの子だって判別できれば逆に有利になるかもしれないと思ってさ。録画と録音もしてきたし」
「肉球くん、足は大丈夫なの?」
「火傷だからね、しばらく歩くのは大変みたいだけど。それより顔の怪我が酷くて」
「録画と録音できたならよかったわ、聖司はなんて?」
「渡す前に血液取ったからDNA検査できるって。あとは、逃げられないように包囲しないといけない」
「あら、それなら大丈夫よ」
「盗聴器?カメラ?どっちにしてもヤバイでしょうが」
「ううん、あの女の指紋、寄附明細書や譲渡書に残ってるし。あとはねー、とっておき」
「とっておきってなんだ」
「教えなーい。だってぇ、彩良怒るんだもーん」
「怒るようなことすんじゃない!」
「ま、アタシの包囲網から抜け出るのは無理だってことよ」
「そうだろうな、あんたに目ぇつけられて逃げ遂せた奴、見たことない」
「伊達にこの世界に生きてるワケじゃないのよ、アタシたち」
「あーあ、あの女も年貢の納め時ってわけだ。でも、悔しいよ」
「そうね、肉球くんには申し訳ないことしたわ。ショタだったら逃げたかもしれないのにね」
 そうだな。僕だったら逃げる。でも鬼婆を前にしたら、逃走無理。絶対無理。
「あいつもその辺、感じ取ったんだろう。顔だけで選んだわけじゃないと思う」
「兎に角さ、DNA鑑定待ちましょう、さ、遅いから今日は此処に寝なさいよ」
「げっ、オネエと一緒?」
「失礼な。アタシは病院で寝るわよ。奥にベッドあるから、ほら、行きなさい」

 僕も目を閉じた。今日はいろいろあって、疲れた。

 翌朝、彩良さんが起き、歩夢さんと獣医師の聖司さんが病院からカフェに来た。
 急展開といえば急展開、想像に難くない出来事といえば想像に難くない。いずれ、引き渡した時点で虐待は防げなかったと思う。渡すべきではないんだ。猫がネギ背負ってやってくるとはこのことだ。あ、鴨です。ごめんなさい。
 黒子の女は、猫が金蔓に見えているだろう。そして、虐待に至上の喜びを見出すサイコパスかもしれない。たぶん、人格障害に属するサイコパスなのだろう。
 サイコパスの心理も、これまたよくわからん。なったことないし。想像も出来ない。

 っと。
「違うトラかもしれない」
「あの子じゃないの?」
「いや、あの子に間違いないはずなんだ。しかしDNAが一致しない」
「どうして?」
「わからない」
「じゃあ罪に問えないの?」

 どうやら、なんか手違いがあったらしい。黒子に逃げられる前に証拠を掴まなければならないってのに、どうしたっていうんだろう。
 カフェの猫たちは怯えていた。あの女を皆見ていたからだ。次は自分があの女に貰われていくのではないか、そんな不安で仲間たちは何時になく不安な声で鳴いた。
 そりゃそうだ。元人間の僕でさえ、怖い。サイコパスなんて相手にしたこともないし。でもなあ。星羅に捜査頼みたい。仲間たちのためにもサイコパスを殲滅したい。
 僕って人間時代から不幸な役回りだったのかもしれない。ま、仕方ない。結局、見て見ぬ振りが出来ない性質なんだよ、昔っから。
 しょうがないわな。パソコンどこだー。お。あった。またパソコンに乗って電源ポチリ。待つこと一分、文章ソフトを立ち上げる。今度はだな・・・。
「ショタ 行く」
「現行犯 逮捕 一番」
「ショタに 首輪 発信機」
「写真の場所 特定せよ その後 黒子のとこに行く」
「黒子 女 サイコパス」
 暗号文解読したらこうなりましたみたいな、独特のショタ文字。

 人間たちは憔悴しきっていた。流石に、昨日の今日じゃなあ。でも、僕の提案を見てくれよ、おい、こっち見ろ!僕は思いっきりニャー!と鳴いたが反応が無い。
 なんだってもう、アラフォーなら、もう少ししっかりしろ!
 人間たちに近づいて、自分の手指を舐め、パソコンの方をガン見した。何回も同じ行動を繰り返し、ついには人間たちの袖口を引っ張ってパソコンを見せようと頑張って歯を食いしばった。
「どしたの、ショタ」
「ショタ、またパソコン見てるわねぇ、言いたいことあるのかもよ」
 獣医師の聖司さんはお初なので昨日のパソコン事件を知らない。
「なんで猫がパソコン見てるから言いたいことがあるって解るんだ?飛躍しすぎだろ」
「自分の名前自分でつけたから」
「は?」
 そうです、僕は自分で自分の名前を付けた、世界で初めての猫です。
 すごいでしょ。実際は付けたじゃなくて、名乗った、ですけど。
 読者のみなさんは、忘れんといてください。
 
 三人をようやくパソコンの前に引き寄せた。三人とも唖然としていた。暗号解読文状態の文章だったからか、漢字があったからか。どちらなのかは謎だ。少なくとも、普通の猫とは思わなかったろう。
「ね?今日は誰も触ってないんだよ、このパソコン。ショタの計画が書いてあるねえ」
「昨日よりグレードアップしてるじゃなぁーい?ナイスよ、ショタ!」
「お前ら、よく普通にしていられるよな。猫が考える内容じゃねぇだろが。驚けよ」
「だって、この子が打ったんですもの。この子ならこのくらい考えかねないわ」
「そうそう。昨日は『犯人は口角に二つの黒子あり』って打った。猫じゃないって思った」
「だから。猫がどうして漢字打てる?どうして接続詞つけられる?無理だろう」
「じゃあ、ショタはなんだってのよ。説明しなさいよ、獣医の聖司さん!」
「ロボットじゃねえの?今から診察するわ。向こう持ってく」
 
 キミキミ。持っていくだなどと、モノ呼ばわりは止めてくれたまえ。非常時だから時間を取りたくないのだよ。診察してる暇があったら、作戦考えろ!黒子の女を絶対に逃がすんじゃねぇ!そのためこっちは身体張る覚悟してるんだぞ!
 と、動物病院に連れて行かれた。カフェからドア開閉で行けるようになっているらしい。ふーん、前世、病院に行ったのは年をとって腎臓悪くしたときだけだった。病院は相変わらず嫌な臭いがするから嫌いだ。
 っと、肉球くんがいた。僕は話しかけた。
「キミ、僕と一緒にいたことあるよね、ほら、黒子の女がトラ猫欲しいって」
「え、わかんない、僕は路上生活していたから。その時会ったかな」
「そうなのか?保護された経験はないの?」
「ないよ、ずっと青空生活。でも捕まって拷問された」
「大変だったな。これからは青空できるかどうかわからないけど、優しい人たちがケガを直してくれるしご飯もくれる。まず、身体を治すことだ、大事にしてくれ」
「ありがとう」
 
 なんと、肉球くんではなかった。知らせたかったが、この医者、僕の言葉まるっきり信用してないし。この・・・あほんだらっ!
「あー、どしたー。ああ、あの猫か、昨日レスキューしたんだけどな、DNAが違った」
 僕は必死にパソコンの方を向いたり、前足をくるくる回して何か訴えたそうな素振りを見せた。
なのにガン無視された。ヘボ医者!
「今度こそ尻尾捕まえる。お前、DNA二個分取らせてくれ」
 それはいいけど。腕の当たりだったかな、ちくっと二回。注射は嫌いな僕、ショタ。
「さ、さっきの続きだ。あの猫と何か話したんだろう。今パソコン持ってきてやるよ」
 おお。お主、なかなか弁えておるではないか。パソコンの電源もソフト立ち上げも聖司くんがしてくれた。
 早速、僕が指を動かす。
「あのこ、別の子」
「路上生活 青空生活猫」
「肉球くんは行方不明 黒子女宅に急行せよ ショタも行く」
 聖司くんは、獣医師だから動物の体の構造や頭の構造も良く知っている。だからこそ、僕のようなイレギュラーが信じられないし、あってはならないことなのだろう。一歩間違えば、「猫の惑星」になっちゃうもーん。
「お前、どうやってキーボード打ってるんだ?」
 
 肉球で打てるわけなかろう。爪だよ。普通は隠れてる爪を、外側を締めることで真ん中の爪が少し出るようにするのさ。本を捲るときも同じ要領。聖司くんは僕の右手の指と爪をまじまじ観察して、納得したようだった。
「なるほど、爪か。あとはこの余り人間臭い言葉の数々だな。猫も人間の言葉を覚えるのか?いや、それほどの知能は持っていないし、脳にもそんな分野は見あたらないはずだ」
 どーでもいいじゃん。僕はイレギュラーなんだから。早く、早く黒子捕まえに行こうよ!
 僕がジタバタし始めたので、聖司くんはどうやら察したらしい。
「ああ、わかった。黒子女の家に行こう」
 
 カフェの開店は来週だ。彩良さんと歩夢さん、三人と一匹で黒子捕獲作戦会議。
「写真はね、森のくまさん公園で撮られてる。それも一番奥にあるところ。時間からすると、朝イチくらいだね。午後になると人が集まる公園だから。朝は散歩の人が表を通るくらいで奥に行く人は少ないんだ。だから、明け方に虐待して弱ったところを写真に撮ってる可能性が大きい」
「そうだな、ブログのこの顔だと、余りに元気がない。ま、虐待直後の猫なら皆こうなる。ショタにGPSつけるのか」
「アタシお手製の非常ベルにする。結構綺麗な音が鳴るから、一旦手を放すはずよ」
「なんだそりゃ。歩夢(あゆむ)、あんた遊んでないか」
「いっつも失礼なババアねっ。兎に角、三~四人のグループに分かれて片や公園付近の明け方時間に作戦決行。あとは、朝方家に帰るでしょうから、そこで抑えて確保する作戦と、かな。もしどっちも空振りに終わったら、ショタを譲渡する形で契約するの。逃げないようにするために。ただし、契約書に細工しておくわ」
「あんたは悪知恵しか働かないのかっ!」
「サイコパス捕まえるのに悪知恵で何が悪いわけ?同等でしょ、何事も」
 うん、どっちも正論かもしれない。悪知恵だとしても、サイコパスを捕まえないことにはね。ただし、証拠不十分で釈放ってのが一番性質が悪い上に、詐欺の立件だから刑務所も入るかどうかわからない。日本中のどこに黒子女が出現するのか、それは誰にも予測できないのだ。こういうのは顔を晒して「この人に預けてはいけません」と報道して欲しい。でないと、僕たち青空生活組は安心して眠れないというものだ。

 森の熊さん公園チームが現場に入った。夜中から二人一組で公園内をそれと無く巡回する。仲良しカップルのふりをした男女だから、犯人はさほど重要視しないだろう、というのが我々?カフェ側の考えだった。しかし、現れない。別のチームが朝早くに黒子女宅を監視する。出入りの様子はない。室内で虐待すれば血が飛ぶ。女の居宅は賃貸だったから室内で行動を起こすはずが無い。どこか、保護と称し捕まえた猫たちを閉じ込めている場所があるのかもしれない。
 結局、何回かトライしたものの空振りに終わったため、方針を転換し僕が契約し保護されることになった。歩夢はGPS機能付首輪をつけてくれた。絶対にはずせないのだという。無理に壊そうとすると非常ベルが鳴る仕組みなのだそうだ。ベルが鳴ると一旦手を放すだろうからその隙に僕が逃走する、というシナリオだ。果たして、どんな結果が待ち受けているのか。今は誰にもわからない・・・。
って、二度と外れない首輪?太ったらどうするんだよっ!

 僕が黒子女のアジトに潜入するためには、まず、こちら側に丁重に迎え入れ、その後奴を泳がせなくてはならない。彩良さんはあらためて黒子女にわかるよう、譲渡会開催チラシを黒子の自宅周辺にポスティングした。僕は一旦、保護ビルに移動した。
 譲渡会までに、アジト探しが本格化した。僕のGPSがあればすぐにわかるが、その前に捉われた猫たちを解放できるに越したことはないから。
 ボラさんの中で写真やパソコンやら機械関係に詳しい学生さんがいた。彼の見立ては、公園という、街中での虐待が可能かどうか怪しい、というものだった。やがて 彼は写真が合成されたものであるという事実を掴んだ。背景は合成、要は公園がフェイクだったということだ。
 では、写真を撮った場所はどこなのか。その学生さん曰く、山の中とか人里離れた場所でなら、どれだけ虐待の声がしても目立たない、写真も撮れるだろうとのことだった。みんなは、周辺にある小高い丘、山などを中心に、動物たちを保護できるスペースがありそうな場所を探した。まさか、一匹連れすぐに殺め、また一匹などという真似も出来まい。何処かにある程度保護しておける場所が必要なはずだ。

 歩夢がやっと見つけた。
 歩夢は超不思議人間で、もしかしたらどっかのご子息なのかもしれない。今回使ったブツ・・・航空写真。どっからそんなもん入手できるってんだ!地図情報は高値で 取引って相場が決まってるの!
 それなのに、航空写真たあ、いいご身分じゃねえか。
 あ、僕も彩良さんみたいに口が悪くなってきた。
 いかん、いかん、僕はノーマルに生きることをモットーにしている。
 ううう、それはこの際どっちでもいい。アジトの場所、何処だったのだろう。みんなが歩夢を囲んでいて見えない。悔しい、ニャッ!と鳴いた。
「あら、ショタ。アンタのいくとこ、分かったわよ」
「こんなとこに、こんなものがあったとはね」
「昔建てられたんでしょう、結核病棟として。でも結核収束の報を受け機能しないまま放置された、ってとこかしら」
 今でも結核は終息なんてしてないぞ。みんな、ちゃんと新聞読め!
 廃墟と化した病院跡地が舞台だった。なんか、すごーく嫌な予感。何かこう、嫌なオーラっていうか、空気っていうか、悍ましさを感じる。なんだろう、嫌だなあ。

 そんなこんなで、譲渡会の日。来た来た。黒子女。こないだ寄付をせしめて味を占めたのか。スタッフが代表に案内した。
「先日はどうも。今日は大口が入ってしまいまして。この子しかいないのですが、如何でしょう」
「あら、そうでしたの。こちらでも病気の子を保護したばかりなので一匹と思って伺いましたの」
「もしよろしければ」
「ええ、それでは連れて帰りますね」
「いつもの契約書にサインをお願いします」
「はい」
 黒子女は、契約書を読むことなく印鑑を二枚押し、自分の分を一枚バッグに仕舞った。車にカゴが入っていた。
 う・・・血の臭いがする・・・。
 酔いそう、ゲロ吐きそう・・・。
 それでも踏ん張って、息を止めながら、吸う時だけは一瞬で、何とかアジトまで辿り着いた。
 中は、血の臭いやら汚物の臭いやらが充満し、息すらできないほどの惨状だった。
 猫たちは居た。元気な子は一匹もいない。みな虐待されどこかに傷を創り、死なない程度のご飯が床にばらまかれ、トイレは無かった。
 肉球くんを探した。・・・いた!痛々しい姿に変わり果てていたが、確かに彼だ!みんな気の毒に。こんな状態の中で、息を引き取った子も多かったろう。ガス室以上の拷問だった。
 
 僕の首輪に着いたGPS発信機で、正確な位置を割り出し、今頃救助隊がこちらに向かっているはずだ。僕はおいといて、肉球くんが居れば罪を詳らかにできる。
 僕は・・・虐待されたくないです、痛いのいやだもん。
 っと、黒子女がカゴから僕を取り出した。
「おまえの顔は判り易いな。ブログに載せたら、ばれちまう。仕方ない、顔ごと潰すか」
 
 なんですって――――――――――――――っ!あら、オネエ言葉。
 いくらハンブサだからって、酷いよ――――――――っ!
 
 スコップの長いようなものを持ってきた黒子女。逃げられないように、部屋の真ん中にある柱に括りつけられた僕。
 かなり、ヤバい状況、だよね?

 いざ、顔を潰そうとした黒子女。
 でも、僕が小さくて床に武器が当たってしまい、思い切り顔面を叩けないようだった。そこで女は、低めにできた鉄の棚みたいなものの上に僕を乗せ、スコップを真横に振る作戦にでた。
 僕だって黙って虐待されるわけにはいかない。身体を捻じったりよじったり、必死に武器から逃げようとした。と、ガチン、と音がして、顔のほんの5ミリ手前でスコップが止まった。うっわ。運良かった。次はもうないわ。
 楽観的な言葉に聞こえるだろうけれど、かなり僕は焦っていた。今の「ガチン」が何の音かさえ忘れたほどだ。
 首輪の音だった。僕は顔が小さいから横を向いた瞬間、首輪に武器が当たったらしい。
「なんだよ、この汚ねえ首輪」
 うわー、サイコパス、本領発揮――――――――――――――――!
 そうだ、思い通りにならないだろう、その首輪があると。外したくなるだろう。僕の想像どおり、女は躍起になって首輪を外しにかかった。僕の首を絞めるわけにはいかない、ブログに写真を載せる必要があるのだから。

 く、くるじい・・・助けて・・・。
 余りに粗っぽく首輪を外そうとして中に手を入れるから、本当に首が閉まるかと思った。次の瞬間、けたたましいサイレンの音が建物内を覆った。
 一旦手を放したのは確かだったが、身体はロープでぐるぐる巻きにされていた。もう、逃げられない。サイレンの音も気にせず、女は再びスコップを手にした。近づいてくる。どうする、僕!
 
 その時だった。虹の門をくぐった瞬間のあの光が見えた。
 何が起き、僕がどうなっているのかさえ、わからない。
「ぎゃあ―――――――――――――――――!」
 何処かに堕ちていくように黒子女の声が段々と小さくなり、やがて消えた。
 一体、どうなったんだ?

「よう」
 ジョーイ!来てくれたんだ。
「ハンブサ、潰れなかったぞ。どこも痛くねえだろ」
「もう、どうなることかって心配したよ。首輪のベルが空振りしちゃったから」
「あはは、あのオネエ、おもしれえ」
「黒子女は?どうなったんだ?」
「生きてるよ。ただ、精神に異常を来した。もう、話すことも考えることも、できねえ」
「詐欺の立件は無理か」
「まあな。こっちでも、この人間は昔っからマークしてた、堕とすために、な」
「どうして今まで放っておいたのさ」
「こいつをここに連れてこられる猫がいなかったんだよ」
「へ?じゃあ、僕がその役回りだったわけ?」
「そういうことだ」
「人間界では色んな奴がいる。俺たちが罰したい奴らも山ほどいる、でもな、俺は外界じゃ手出しできないんだよ」
「何故?キミはすごく強い力を持っているように思えるけど」
「それなりには、な。ただ、自分の力を自分の好きには使えないのさ。契約でな」
「契約?」
「おおお、いけね、喋り過ぎた。さ、もうすぐ人間たちが来る。ロープ外してもらいな」
「ジョーイ、いつもホントにありがとう」
「おうよ、またな」
 
 ジョーイが消え、あの虹門空間の消滅と同時に、血生臭い現実が目の前を覆った。ベルは鳴ったままだ。
 黒子女は失神していた。僕は、間一髪、スレスレ逆転勝利で虐待から逃れたことに感謝した。神様仏様。感謝します。
 それから十分ほどして、彩良、歩夢、聖司たちのチームが現場に駆けつけてくれた。歩夢は、自分の首輪が役に立たなかったことを雰囲気的に悟ったようで、僕を抱きしめ、大泣きしていた。
 聖司は黒子女の脈を取り、救急車を呼んだ。
 彩良は他のチームメンバーとともに、怪我したまま閉じ込められていた猫たちをレスキューして、動物病院へ急行した。

 結局この事件は新聞沙汰となり、「動物愛護詐欺事件、犯人謎の最期」みたいな見出しが出ていた。テレビまで来たかもしれない。あ、来た来た。そいえば僕は隠れていたんだ。
 犯人謎の最期って、まだ息はあるはずだけど。黒子女はジョーイの言った通り、廃人と化していた。ジョーイの力で堕ちたのだと思う。これまでも思ってきたけど、ジョーイって本当に凄い力量(ちから)の持ち主だ。
 人間一人、廃人ですよ?

 僕のカフェ暮らしも、事件の後遺症というか、あまりのことに少し寝込んだけど、どうにかこうにか始まった。
 テレビの影響か、ハンブサくんとして一部に熱狂的ファンがいる。
 でもみんな、僕はハンブサじゃなくて、ショタだから!!

 暇になるとパソコンいじったり、新聞や雑誌を捲りたくなるけど、お客がいる間は禁止されている。
 そりゃそうだよな、漢字をパソコンで打てる猫なんつったら、別の意味で客が殺到するわ。猫の好きなお客さんに来てほしい、このカフェ。
 物見遊山の一見さんは「ごめんなさい」なんだ、猫たちのためにも。

 夜になってカフェが閉まると、歩夢と色々話をしたりする。筆談ならぬ、パソコン談。あの日、どうして黒子女が廃人になっていたのか、結局医者でもわからなかったそうだ。詐欺したお金は、戻ったのやらどこに行ったのやら、詳しく聞いていない。あ、ただ、横山星羅さんに頼んだからね、と歩夢が念を押してくれた。くるくる回ってお礼したさ。
 それにしても、世にも稀な詐欺事件ではあったが、警鐘を鳴らしたという点では発生するべくして発生した事件なのかもしれない。保護すると言いながら虐待する例はほとんど表に出た試しがないから。
 ジョーイの世界でも、それを狙ったのかもしれない。ジョーイの事は言ってない。黙っているべきだと思うし。
 僕以外の猫たちにも、ジョーイが見えるのだろうか。今日はみな寝ちゃったから、明日聞いてみよう。

 さ、今日はここまで。眠りに就くとしよう。


 猫が好きな人も、ハンブサ猫のショタに逢いたい人も、またのご来店をお待ちしています。

 ハンブサ顔のトラ猫ショタが、事件解決に奔走する!
「うぇるかむ!ニャンズハウス!」

第3章  ~正体不明の猫たち編~

 僕はショタ。

 人間から生まれ変わって猫になり、生まれ変わって、またもや猫になった。
 それも、人間時代には、『かなり』美男子だった僕が、ハンブサ顔のキャラ猫として。

 前世は家族の元で何一つ不自由なく、可愛がられて過ごした僕。本当に幸せな15年ほどを過ごしたものだ。
 生きると掛けて、過酷と解く。
 今回は、生まれ落ちて以来、過酷の連続じゃないかと思うくらい、悪い意味で刺激的な毎日を送っているのが現状だった。野良猫の生き様とは、それだけ過酷を極めている。
「自然は雄大だ」という人がいる。
 そう、自然は雄大かもしれない。しかし同時に野生の動物に対し刃を向け続けるのも確かだ。雄大だと笑っていられるのは人間だけだと、今は理解できる。
 それでも、僕はまだラッキーだった方だ。

 現在は、とある猫カフェで「お・も・て・な・しサービス」しながら働いている。
 ニャーと鳴いて、おもてなし。くるくる回って、おもてなし。
 って、みんな、僕たちの一挙一動に黄色い声を上げる。じろじろと見る。
 わかる、わかるさ、それが僕たちに与えられた使命なのだから。それでも、おもてなしを簡単に考えていないか?
 僕たちの一挙手一投足は、綿密な計算の元に成り立っている。普通の野良猫っちなら、7匹もの猫がいれば井戸端会議が始まってもおかしくない。しかし、カフェではそんな行動など見られない。何故か?
 猫同士、時にはすれ違いざまの会話やアイコンタクトで「カウンター右端の青年に声かけろ」とか「子供がいるから猫らしく燥いで見せろ」とか、色々と情報交換し合いながら、さも自然にその行動が行われたかのように振舞っているのだ。
 どうだ、みんな。知らなかっただろう。

 カフェ猫は、ご飯にも寝床にも困らない。
 それを差し引いても、接客業は大変なのだ。
 触られたくないのにベタベタ頬ずりするオバサンや、飴を持った手で毛を触る子供を注意しない親がいる。オバサンはまだ許せるが、飴の坊や、頼むから止めてくれ。 飴のべとべとで其処彼処の毛がねっとりと絡まって、しまいには一気に抜けちまうんだよっ!
 親は何処にいるんだ!ドアホ親は!といえたら、どれだけ胸がスッキリすることか。
 といった具合に、接客とはいつも時代も、どんな動物であれ、大層気を遣うモノなのである。
 
 現在は僕の他にも六匹の猫たちが、「おもてなしサービス隊」として、店を巡回パトロールしている。先ほども述べたように、人間からみれば、好き勝手に移動しているように見えるだろう。
 チッチッ。違うんだな、これが。
 猫を間近にしたい、目の前でみたいというその視線を察知し、素知らぬふりをしながらそこへ向かう。
「キャー、来た!」
 その言葉が、おもてなしサービス隊の点数にもなるのだから。
 
 それでも、点数によってご飯の量が変化するわけでもなければ、寝る場所を区別されたりはしない。家猫とは違って、内職をしているようなもの、ただ、それだけだ。

 しかし、先日のように、狂喜めいた事件に巻き込まれることだってある。
 あの詐欺女は大変だったよ。
 僕が出動していなかったら、解決しなかったとジョーイが言っていた。

 ジョーイ。この世と来世をマッチングする黒ブサ猫。
 
 おっと、奴はいつ現れるか分からないから悪口は言っちゃいけない。何せ、奴は僕たちの心の中を読んでしまう不思議な力を持っている。
 それだけじゃない。ジョーイはただの案内猫とは到底思えない。
 だって、詐欺女の魂を現世から抜いてしまった。これだけでも、奴が到底侮れない種の猫であることがわかる。
 ただ、どうやらジョーイが見える、ジョーイのことを認識できるのは僕だけらしい。他の猫たちに聞いてみたが、誰も知らなかった。
 何故、僕にしか見えないのか。
 今のところ、それは、まったくもって摩訶不思議、謎の範疇だ。

 あれから半月。
 事件らしい事件もなく、カフェでのおもてなしサービスは続いている。
 休日は毎週水曜日。

 嬉しいことに、先日の事件を通してカフェオーナーのあゆむ、いや、こう呼んだら怒られる。あゆみオネエが僕の娘に、「ショタがいる」ことを知らせてくれた。
 人間時代の家族が、時間を作っては僕の顔を見に来てくれる。娘は勉強に勉強を重ね、念願叶って今や検事として活躍している。頼もしい限りだ。
 息子は水泳の指導者として、苦悩し疲れたときなどに、たまに顔を見せる。僕の顔を見るだけで、父親に応援されているような気分になるのだとか。今の僕でも、何かしら家族のためにしてあげられることがある。
 それだけでも、生まれ変わった甲斐があるというものだ。
 だから、この命を大切したいと、僕は心底願ってやまない。

 そうそう。
 この猫カフェは、6階建ての賃貸マンションの一階にある。それらのマンションでは、猫仲間達が、臨時の飼い猫として暮らす。そちらを仕切っているのが動物愛護団体の彩良さんだ。猫を終生飼えない人々に向けてのサービスなのだという。転勤族などが主流のため、猫によってはマンションとカフェを行ったり来たりする場合もある。一応全室借主がいるようだから、今カフェにいるのは7匹だが、転勤時期になるとカフェの猫たちは増える。
 僕がいうのも可笑しな気がするけれど、人間社会とは奇奇怪怪だ。カフェに戻ってきた猫たちによれば、可愛がってくれる人ばかりではないし、円満な家庭ばかりでもない。猫たちに守秘義務はない。人間にそれらを話せるはずもないのだから。

 僕がパソコンなどを通じて人間と会話できることが知れてしまった。
 だから、彩良さんたち人間は、猫たちに危険が及びそうな場合、僕に知らせろと猫たちに言い含めている。
 あ!今そこで笑ったキミ!
 猫が人間語を理解していないとでも?
 違うんだなあ。知らないふりをしているだけで、実のところ猫は人間の言葉を理解しているのだよ。ただ、犬さんのように従わないだけ。従属しないだけなんだ。

 そういうわけで、事件の臭いがすると、僕にお鉢が回ってくる仕組みが整えられた。
 あゆみさんや彩良さん、彼女たちは本当に猫のことを気にかけてくれる。
 隣の動物医者、聖司だけは別だが。聖司は、ことある毎に僕を観察したがるから苦手だ。放っておいてくれ、僕のことは。
 みんな、結構怪しい匂いのする人間だけれど、僕たちへの処遇はきちんとしている。動物愛護団体も機能しているようだが、4階建てだったか、愛護センターから移されたビル。いくらちょっと距離があるとはいえ、あのビルを借り切るなんて尋常な賃料ではないはずだ。血縁の資産か、よほどの篤志家でない限り、まともに払えるとは思えない。
 動物マンションだって、最初一括借り上げした際には莫大な賃料を支払ったことだろう。そのあとは順調に居住が保持され空き家もないようだから、プラスマイナスゼロ、といったところか。
 猫カフェだって、平日の昼間など、閑古鳥が鳴く日もある。夕方以降や休日はまあまあお客さんも来てくれるから、売り上げは、賃料や各種経費を賄えるほどしか手に入るまい。
 それでいて、自分たちの生活も僕たちの生活も成り立っているのだから、ただのオカマや、ただの俗人アラフォーであるわけがない。悪い人間でないことは承知しているが、彼女らの背景については杳として謎であり、調べる術もない。
 まあ、隣の動物病院は評判がいいようで、ひっきりなしに動物患者が訪れる。聖司たちの腕や誠実さが、ペットの飼い主さんたちを安心させているからだろう。そう、今や病院だって、信頼関係で成り立つ時代なのだから。

 今の時代、ペットと呼ばれる動物たちは、大事にされているのがわかる。いつか雑誌で読んだことがあったな。ペット産業は1億円もの利益を生み出すと。
 僕は今、猫生活を謳歌しているから、特に気に掛けるような話題でもないけれど、不幸な動物が増えるペット産業だけは排除願いたいものだ。そうなることを信じてやまない。

 さて。
 今日も開店時間近づいたようだ。
 あゆみさんが口笛で洋楽のバラードを口ずさみながら、床にモップをかけている。
 カフェの開店時間は、朝の10時30分だ。遠方からのお客さんや、近所の奥様層などが訪れやすい時間帯を模索中、といったところで、たまに不定期な時間帯になったりもする。
 あゆみさんは、俗にいうオネエ=オカマ人間だが、摩訶不思議な人。何かしら連絡を受け取ると、ボランティアさんを掻き集めたり、彩良さんに連絡を取ったり、隣の動物病院に駆け込んだりと忙しい。
 突如として姿を消すこともあり、ボラさんがいなかったりすると、「ごめんなさい、また来てね」の猫型不定期休業看板の登場と相成る。今日は、どうなることやら。

 カフェが開店して間もなくのことだ。
「こんにちはー」
 お客さんだ。30代前半くらいか。伸びやかな声で、とても愛想が良い。目鼻立ちもすっきちとした今風の顔立ち。サラサラの長い髪に、ほっそりとしていてモデルさんかと見間違えるくらいだ。
 しかし、僕は二度目に猫として生を受けてから、何かこう、預言じゃないけれど、嫌な雰囲気であったり、どうしても進みたくない道であったりと、危機回避能力が備わっているような感覚に捉われる場面がいくつかあった。その度パソコンやらを使って人間たちに知らせたものだが。
 え?その割に叫んでばかりいたって?
 そんな呟き、聞いたことがないって?
 いや、その。あまり他人様には心の内を話さないだけだ。
 実はそういう時もある、くらいに考えてくれ。
 
 今日も、そのお客を見た瞬間、背筋がぞくっとし、寒気がした。思わず毛が逆立ち、身体をブルブルッと震わせたほどだ。
 もしかしたら、また、虐待者か?
 勘弁してくれ。

 その女性は、大きなカバンをもっていた。カウンターのところにカバンを置くと、あゆみさんに声を掛けた。
「オーナー、実はお願いがあるんですが」
「いらっしゃいませ、どういったご用件でしょう?」
 あゆみさん。少しだけ小首を傾げ、にっこりと微笑む姿は女性そのもの。姿勢、手つき、爪の先に至るまで日々修練を怠らず、オネエ道を邁進している。
 はは、並の女性より、女性らしい所作。
 これで、声さえ低くなかったら、喉仏さえ見えなかったら、完璧に女性なんだが。
 本人もその辺は充分に理解しているようで、外部に対しては声を二オクターブくらい上げ、なおかつ、夏でもくしゅくしゅしたタートルネックのカットソーを欠かさない。喉仏が上手く隠れるよう、色々と工夫しているらしい。
 
 怪しげな女性は、声を小さくして告げた。
「猫を預かって欲しいんですが」
 あゆみさんは、顔色一つ変えずに応対する。
「まあ、何かお困りのご事情でもあるのかしら?」
「実はこれから海外出張がありまして。一週間ほど留守にするんですが、ペットホテルにいったら予約で一杯だと断られてしまったんです。それで、以前こちらのカフェや動物病院のことを雑誌で拝見したものですから、もしかしたら置いてくれないかなと思いまして」
「基本的に、お預かりはしていないんですよ」
「そうですか・・・」
 残念がる女性。
 海外ねえ、それにしちゃあ、荷物が少なすぎるんでないかい、お嬢さん。事前に荷物を送っているとか、向こうに本拠地があって御身だけが向かうならまだしも、こちらで猫を飼うような生活なら、日本が本拠地だろう。事前に荷物とは言うが、外国の郵便などは結構当てにならないものだ。空港でさえ当てにならない。荷物が消えたり、他の人間の荷物をわざと間違えて掴まされたり。中には麻薬入りのキャリーケースが自分の物になっていることすらあるんだからっ!
 なのに、キャリーケースの一つも持たず、猫の入ったカバン一つで海外一週間。
 胡散臭いこと、この上ない。

 どや?あゆみ?
 僕は、ちらりとあゆみさんを見る。あゆみさんも僕の方を見た。
 皆で決めたルールではないのだが、僕が「気に入らん」と言う場合、後ろ足で右耳と左耳をそれぞれ交互に掻くことでみんなに僕の気持ちが伝わる様、先日取り決めを行ったばかりだ。
 早々に、後ろ足で右耳を掻く。

 猫をほったらかしにはできないだろう。
 この女性が、猫を迎えに来るかどうかはわからない。それでも、一週間、路頭に迷えとは言えない。
 そのへんは、あゆみさんも了解しているはずだ。
「それでは、お隣の動物病院でお預かりするということで如何でしょう。隣で健康診断を受けて、その後はよしなにお取り計らいいたします。相応の病院費やお食事代は、前金でお支払いくださいませ」
「ありがとう!」
 女性は安心したように笑って、住所と氏名、携帯の番号を書き、携帯番号をあゆみさんが確認したあと、お金を支払った。健康診断付き、6泊7日猫ホテル、いや、病院代金。〆て4万円也。ま、妥当なところか。

 僕はその光景を傍で見ていて、女性のゆっくりとした動きが気になった。
 4万も払って預けていくくらい大事な猫がカバンにいるなら、早く出してあげないと苦しんじゃないのかしらん。
 果たして、僕の小さな予想は当たっていたようだ。ロシアンブルーと呼ばれる品種の大人しそうな猫が、カバンの隅から顔を出した。息が苦しかったようで、外に出たときには伸びと深呼吸を繰り返していた。

 おおっ、なんという毛並みの良さ。グレー色の身体に青みがかった瞳。
 気品にあふれ、凛とした佇まい。
 七色のオーラがロシアンブルーを包み込んでいる。昔でいうところの『後光が差す』というやつか。

 大人しい猫種だと聞く。頭がいいとも聞く。
 いいなあ。僕みたいなハンブサ顔の半猫みたいな種と違って、純血種なのだろう。
 どうせ生まれ変わるなら、純血種が良かったゼ。

 じっと僕が見ていることに、ロシアンくんは気付いたらしい。
 にやりと笑われた。
 ・・・笑う?猫が?見間違いか?
 僕が場所を変え、角度を変えて、また見る。
 向こうが気付く。そしてニッと笑う。

 ・・・コイツ、猫じゃない。

 聖司じゃないが、猫は笑えないと聞いた。口角とかの角度で笑っているように見えることはあっても、猫が笑うなどあろうはずもない。こちらは観察するため場所を変え、角度まで変えたんだ。二回も偶然が続くわけがない。
 あゆみさんに知らせておきたかったが、今は無理だ。
 ロシアンくんが病院に健康診断に行ったら、「ロシアン 二度 笑った 不気味 ショタ」とパソコンにメモを残そう。

 しかし、その作戦は実現しなかった。
 ボラさんがヘルプに入ったり、お客さんが入れ代わり立ち代わりで、パソコンの前に立つことは無理だった。こういうときほど、時間の流れは早い、いや、早く感じるものだ。隣の動物病院から、ロシアンくんはこちらのカフェに戻ってしまった。

 僕がパソコンで文字を打っても、普通の猫さんなら何をしているのかわからないだろう。
でも今、ロシアンくんの前でそれをすべきではないと、僕の第六感が告げている。
 僕の他にカフェに住む猫さんたちは、先週動物センターからレスキューされた黒白ハチワレの「エルライトくん」(通称エル)、こちらも先週レスキューされた、そっくりな双子の白黒ハチワレ「キラライトくん」(通称キラ)、先月まで転勤族とご一緒していた黒猫「ジャック・ジルくん」(通称ジジ)、前からカフェにいるサビ猫「ミルキーちゃん」(通称ミー)、これまた以前からカフェにいる茶トラ猫の「茶々丸くん」(通称チャチャ)カフェでおもてなしサービス隊を統括指揮する大人三毛猫の「ハナミズキさん」(通称ハナさん)、そして僕の7匹だ。
 以前からいるミーちゃん、チャチャ、ハナさんの3匹は、僕が変なことをやって、ピンク肉球のトラ猫くんを助けたらしいことは知っている。人間とどうやら話せるらしいことも知っている。でも、あれ以来、僕等の中でもそれは秘密事項だ。
 マンション組の猫たちには教えていない。

 たぶん、自分たちが選ばれなかった悔しさなんだと思う。マンション組は、皆が幸せな生活を送っているのだろうと僕たちは思っていたから。だって、彩良さんたちや聖司たちが、定期巡回や抜き打ち巡回に歩いていたもの。マンション賃貸借契約条項の抜き打ち巡回は、確か合鍵で入って猫の状態を確認するものだったはずだから、猫へのモラハラでもない限り、身体的な虐待は見抜けるようにしていたはずだ。

 でも、マンションから帰ってきた猫たちに話を聞く機会もあったし、またすぐマンションに行く猫もいた。そんな彼らからマンションの内情を聞いたりしたものだが、先月マンションからカフェに来たジジには、誰もマンションの内情を聞かなかった。ジジに聞こうとすると、露骨にイヤな顔をするから。余程聞かれたくないことがあるのだろうと、心中を察するしかなかった。

 先週レスキューされた双子猫のエルキラ兄弟は仲が良い。いつも2匹一緒だ。挨拶くらいしかしないけど、このまま2匹一緒に飼ってくれる人がいればいいのに、と思う。兄弟が引き離されるのは可哀想なことだから。

 カフェ常連のミー、チャチャ、ハナさん。
 3匹も言う。
「新入りの前では、事件でも起きない限りむやみやたらと力を見せるべきじゃない」
 そう、仲良くしていても、していなくても、僕の力は極力秘密に、ということだ。元々のカフェ組しか知らない秘密。あの事件の際、僕が寝込んでいる時に当時のカフェ組は一致団結、約束したのだそうだ。
 カフェから一般家庭にお引越しした子もいる。ホントの家族になれたのだ。素晴らしいことだ。
 え?僕にも家族がいるって?
 まあ、それはそうだけど。僕はここの生活が結構気に入っている。前回の生まれ変わりで家族と一緒に15年ほど暮らし、猫たちの介護は大変なのだと知ってから、今は尚更帰りたいと思わない。
 だって。僕の介護を妻だった小夜子が・・・するわけがない。小夜子は、結構冷たい。小夜子は元来そういう女だ。娘の星羅ならまだしも。でも、星羅は毎晩忙しいから迷惑を掛けたくない。
 そういう事情も相俟って、僕はこのカフェ生活を満喫することにしたのだ。

 なんだかんだと、時間が過ぎた。
 閉店時間を迎え、店はライトの大部分が消され暗くなり、おもてなしサービス隊はそれぞれ自分の寝床に行く。あゆみさんがテーブルや床、カウンター周りを掃除して、隣の動物病院でシャワーを浴びたのち、カフェに戻り、店の奥に仕込んだベッドで御就寝。あのあとロシアンくんにも変わったところは見られず、猫注意報発令中のまま、僕等は眠りに就いたのだった。

 翌朝六時。
「ぎゃ―――――――――――!」
 他ならぬ男性の悲鳴で、僕は目を覚ました。嘘つけ、猫は夜型だろう、夜行性だろうと思ってるでしょう。
 そうだよ、猫は基本、夜行性。昼はコンコン寝たり起きたりだけど、夜はピカーンと目が輝き、ブツを漁る。
 それでもねえ。僕は、元々38年も人間として暮らし、その後15年も人間の心を秘めた猫として暮らし、そのまた数年後に人間の心を持った猫として、この世に生を受けたわけだから、なかなか猫の性質に慣れないのさ。どうしても人間の暮らしに近くなってしまうわけ。
 と、こんな講釈、垂れ流してる場合じゃない。
 あゆみさんが叫ぶのは、まあ、慣れたことではあるけれど、今日は叫びの種類が違っているような気がする。

 どうしたんだろう、一体。
 叫び声に反応し、近づくおもてなしサービス隊員たち。
「誰よ!アタシの宝物をこんな姿にしたのは!」
 
 あー。それ。いいじゃん、別に。

 あゆみさんの宝物とは、海外でゲット、いや、お友達になった男性とのフォトブックだ。写真が中から取り出され、滅茶苦茶になっている。破れたり、しわが寄ったり。僕には興味のない代物なので、踵を返してベッドに戻とうとした。大体、元データはパソコンにあるじゃないか。
「ちょいまち、ショタ」
 極道の方と思しき、地の底から這い出るが如く低く怖い声が、後ろから僕を呼ぶ。
 なぜだ。あゆむ、もとい、あゆみさん。僕が何をした。
 仕方がない。僕は、くるりとうしろを振り向く。
「アンタ、なんか見なかった?パソコンのデータ、消えてるんだけど」
 え?そんな馬鹿な。それで僕が第一容疑者というわけか。
 それでも僕はやってない。
 首を横に振る。
「そう。じゃあ、なんか変な情報掴んだら、アタシに絶対報告しなさい、わかった?」
 怖い。こいつ、マジ元極道の世界に生きていたのかも。
 ついつい、首を縦に振る。
  
 うっ、後ろから視線を感じる。猫じゃない、動物じゃないような不思議な視線。何だろう。今まで感じたことの無いような、もやもやとした中から放たれている視線だ。たぶん、僕にしかわからないだろうその視線は、一体何処から僕の背中を射ているのか。
 猫たちをくるり、と見回す。
 そう、一番簡単な方法。

 誰も僕が感じた不思議視線で見ている子はいない。慌てて目を逸らす子もいない。可愛い表情で僕を見ていたのは、来たばかりの双子猫エル、キラと、険しい表情のジジ、そして、別の意味で摩訶不思議さを醸し出すロシアンくんだった。
 エルとキラが僕に話しかける。双子猫だけあって、声までシンクロしている。
「キミ、今、首を縦に振っていなかった?」
「いや、見間違いじゃないかな。僕は欠伸をしただけだよ」
 ずらっと言ってのける。この際、少々汚い手だが、本当のことを言わないに越したことはない。
「そうか。猫が首を縦に振るなんて聞いたこともないよね、キラ」
「そうだね。もう一度、寝ようよ。エル」
 エルキラ兄弟は自分のベッドに戻って行った。

 険しい表情だったジジは、僕とエルキラの会話を聞いて、プイ、と横を向いた。何が気に入らないか分からないが、僕としては、藪をつついて蛇を出すような真似だけは避けたい。あゆみさんには申し訳ないが、写真データは諦めてくれ。

 ところが、ロシアンくんが近づいてきた。
「ねえ、僕たちって、首振ったり回したりできるの?」
「まさか。ああ、でもその子によって特技があるからね、出来る子もいるかもしれない」
「キミには、その特技があるのかな」
「いいや。僕には特技が無いんだ。この顔をお客さんに覚えてもらうくらいかな」
 ロシアンくんがじーっと僕を見つめる。先ほどの視線とは違う、猫らしい視線だ。
「うん、確かにハンブサだ」
「キミは綺麗な顔立ちだからいいけど、そうハッキリいわれるとショックだな」
「悪いね、僕は正直なのが取り柄なんだ。ところで」
「なんだい?」
「あのジジ、黒猫の。あの子は、いつからここに?」
「先月だったかな」
「そう。塞ぎこんでいるね。あっちの双子はいつ来たの?」
「先週、野良猫たちをレスキューしたとき、ここに来たみたいだ」
「レスキュー?」
「人間たちが、野良猫たちを救ってご飯とかベッドをくれるのさ」
「そんな世界があるのかい?」
「キミのように血統書がついてお店で飼い主を待つ猫とは育ちが違うからね、僕たちは」
「すまない、そういう意味ではないんだけど」
 ロシアンに謝られて、ふと気が付いた。
 どうして人間と猫の間をそんなに訝るのだろう。普通なら猫と人間にある距離感というヤツで、猫は猫の世界を生きるはずだ。
「金を捨ててまで猫に尽くす人間などいない、といった顔だな」
「まあ、そうだな、人間をどこまで信用するか、そういった価値観の違いというヤツだ」
「キミは飼い主を信じていないということか。なら、猫を買うこともお金を捨てるのと同義であるということか」
 ロシアンが貴公子のような顔をして尋ねる。
「キミはどうして、お金の価値観が解るんだ?」
 ストレートパンチが飛んできた。カウンターを用意しておかなかったのが歯がゆく感じられたが、パンチ自体は軽く凌いだつもりだ。
「野良猫は何事にも飢えているのさ」

 ロシアンくんの一面が見えた。金に価値観を見出す、またはそれに近い感情を持つ猫など、通常はいない。やはり、ただの猫では無いようだ。こうして外見で判断する限り、普通の猫のように見えるが、何か種の違う獣臭さが漂う。それがなんなのか、今は判別がつかない。

 その日は、朝からあゆみさんの機嫌が超絶悪かったこともあり、店内はお通夜ムード一色だった。それでも、お客さんがくれば、あゆみさんはコロリと態度を変え接客する。僕たちもそれに倣い、おもてなしサービスを開始する。
 が、お客がいなくなった瞬間、あゆみさんの視線は猫たち全体に及ぶ。
「ちくしょう。誰がやりやがった。見つけたらお仕置きじゃ済まさねえから、覚悟しとけ」
 あゆみは怒ると、本来の男性言葉に戻る。
 今日はあゆみじゃなくて、本名の歩夢(あゆむ)だ。
 くわばら、くわばらっと・・・。

 その日はハナさんからの指示の下、あゆむを刺激しないように心掛け、一日の接客サービスを終えた僕たち。
 ああ、疲れた。ただでさえ接客には気を遣うのに。
 あゆむは、まだ気が収まらないらしい。
 さっさと掃除を済ませると、何処かに行ってしまった。その夜、カフェに人間の姿は無く、僕等はあゆむのデカい鼾や寝言を聞かずに、ぐっすりと身体を休めたのだった。

 翌日明け方、またもや叫び声が聞こえた。猫たちの誰かだ。
 今度は何が起こったんだ?
 ハナさんが起きてきた。皆のベッドを巡回する。
「どうしたの?このキズ!」
 ハナさんの仰天した声。
 僕も遅ればせながら、そちらの方向へ向かう。皆もぞろぞろと声の方向に向かっていた。
 僕の目の前に現れた光景。
 エルキラ兄弟が鳴いている。
 よく見ると、キラの右後ろ脚がナイフか何かで切られたようだった。真っ赤に染まった猫シーツが僕等の真表に広がっていた。
 キラが痛い痛いと叫び、エルも釣られて鳴いている。

 歩夢はいない。
 何でこんな時にいないんだ。

 ハナさんの事情聴取に、エルキラは揃って答えた。
 明け方にぼんやりとした意識でいたエルキラ。そこに、誰かがやってきた。そして、キラの後ろ足を傷つけると、風のように去り、姿を隠したという。
「エルは相手を追わなかったの?」
 ハナさんが聞く。
 そりゃそうだ。
 兄弟がケガをしたのもさることながら、僕なら咄嗟に犯人を追う。カフェの中は、ある種密室なのだから。
 エルは、これまでそういう経験が無かったので、驚きのあまり足が竦んだという。まあ、気持ちはわからないでもないが、少しは根性を見せてくれ。
 一番近くにいたのだから、冷静になれば瞬間的に目撃だってできただろうし、相手を追って色艶くらい覚えることができただろう。
 それにしても、7匹しかいないカフェの中で、仲間に悪さをすれば人間に知れる。そんなリスクを冒してまでキラを襲う必要があったのか。それとも、キラが何かを見たとでもいうのか。

 考えあぐねる僕の前にハナさんが来た。
 隣の動物病院に知らせたいという。普段、確かこちら側から内鍵がかかっているはずだ。さて、どうやって知らせたものか。
 病院側の扉前に立つ。病院は24時間営業だから、お医者もいるし看護師さんもいる。扉前には、いつもと違って何故かダンボールが貼り付けられていた。ガリガリと爪を立てたが、向こうに音は届かなかったようで、誰も現れない。
 病院との間には、小さなガラス窓があったのを思い出した。よじ登るにはちょっと難儀だったけれど、何度かトライして、やっと下から飛び移った。頭を押し付けるふりをして身体を皆から隠し、コンコン、コンコン、と右足でノックするように窓を叩いた。
 
 昨晩の当直医は聖司だったらしい。聖司がこちらを見た。
 コンコン、コンコン。またノックする。
 聖司が何か気付いたようだ。こちらに近づいてきて僕を見た。僕は招き猫よろしく、来い来いという仕草をする。聖司は一瞬、どんぐりのように黒目の瞳孔が開いたが、すぐに異変を察知したようだった。
 姿を消したかと思ったら、カフェ玄関の扉が開いた。聖司が姿を現した。

 猫たちが一斉に鳴く。
 聖司は僕以外の6匹を見て回った。そして、キラの傷に気が付いた。
「なんだ、こりゃ。ナイフのような傷口じゃないか。どう見ても猫同士の争いでできる傷じゃないな」
 僕も近くまで寄っていたので、聖司は僕を振り返る。僕は、わからないといった風情で首を横に振った。
「兎に角治療する。歩夢はまだ帰っていないか。カウンターにメモ残していくぞ」
 周囲の人や猫たちが聞いたら、薬臭い男の独り言に聞こえたに違いない。
 でも、聖司が僕に対して、わざと呟いたのは一目瞭然だった。旧知のカフェ仲間は、理解したと思う。
 僕は、ニャッと鳴いて知らせた。
「承知した!」
 キラだけを連れて、聖司は内鍵を開け、隣の病院に姿を消した。
 僕は、カウンターに移ってメモの内容を見た。
「キラ負傷、治療のため病院に移す。万が一に備え内鍵は開けておく。猫同士の喧嘩ではない。詳しくは、ハンブサに聞け」
 聞け、って。おい、聖司。新参者の前で僕にパソコンで会話しろと?犯人が外から入ったのでない限り、6匹の中に犯人がいる可能性だってあるんだぞ。僕が人間語を話せるなんて知れたら、マズイじゃないか。
 どうしてそこまで頭が回らないかな。アホ聖司!

 9時近くになり、歩夢がカフェに帰ってきた。
 メモを見て、驚いたように僕を見る。僕をガン見するでない。歩夢よ。
 歩夢は、他の猫たちに気取られぬよう、店に置いてある落書き帳のようなノートに、さささと何かを書き込んだ。そして、僕だけに見えるよう書き込みを脇にずらす。
「密室で傷害事件発生なの?」
 僕は素知らぬふりで落書き帳の傍に寄る。
 右足を一回、前に出しカリッと手すりを爪で引っ掻く。
「じゃあ、まさかこの中にキラ傷害犯がいるってこと?」
 もう一度、爪で引っ掻く。
 断定はできないが、誰も入ってきていない以上、そして猫同士の喧嘩も起きていない以上、現段階ではその線が有力だ。
「アンタとエルキラ除いた5匹が容疑猫かしら?」
 何とも答えようがない。僕が犯人でないのは確かだが。小さく、カリカリ音をならした。
「ごめんね、アタシ、昨日のことで頭に血が昇ってたのもあるんだけど、別件で動いてるのよ。こないだのロシアンママ、空港で搭乗手続きした形跡がないのよ。おかしいでしょ?」
 やはりそうか。
 ロシアンくんは、何らかの意図をもってここに潜入したとしか考えられない。それが悪しき感情かどうか、そこまでの区別はつきかねた。
「彼が犯人かしらね?」
 僕は何も答えない。だって、証拠がないから。
 あゆむも僕が答えないことで、犯人の目星がないと踏んだようだ。
「目星はついてないのね、わかった。少し様子を見ましょう」
 
 その後、あゆむは隣とカフェを往復し忙しそうだったが、『キラは軽傷。大丈夫よ』と、メモで知らせてくれた。
 ボラさんにヘルプを出して、いつもどおりカフェは開店した。双子猫を目当てにきたお客さんは、とても残念そうだったが、酷い怪我ではないと聞いて皆、安心したようだ。
 六匹の猫たちは身の危険を案じ悲しそうな声で鳴くこともなく、カフェ内では、一応の落ち着きを取り戻しつつあった。夜8時の営業時間が終わり、あゆむはカフェ内の掃除や売り上げ計算など、実務に追われている。

 僕は、のんびりムードを装いつつ、他の猫たちを観察していた。
 ミーちゃんとチャチャが傍に寄ってきた。そして小声で話し出す。
「ね、あたしエルキラにベッドが近い訳じゃないけど、おかしな物音が聞こえたのよ」
「おかしな、音?」
「そう、何かを引きずるような音」
「傷を付けた凶器かな」
 チャチャも頷く。
「僕も、ちらっとだけど聞いたよ。何の音だかわからないけど。ガツン、ガツンって」
「何か匂った?」
「匂いはなかったね」
「そうかあ。何かまたわかったことがあったら教えてくれよ」

 ハナさんは自己防衛手段をとるように、みんなに御触れを出している。頼もしい先輩猫さんだ。僕等にとっては母親のような存在だし。
 ジジにも話しかけたようだが、プイ、と無視されちゃった、と嘆いていた。ジジは本当に何も話さない。昼間のおもてなしサービスさえ無視して寝ている時がある。あれじゃ、夜に起きてしまうよ。何がそんなに気に入らないのかわからないけど、チームワークなんて人間みたいなことが出来る訳もないけど、稼いでナンボの世界だろうが。稼がず寝とるヤツに出すメシはねえ!と一言言ってやりたい衝動に駆られ、喉元までその言葉が出かかったが、止めた。
 僕が口を挟んだところで、行動は直らないだろう。ハナさんが話しかけても無視するのだ、所詮、犬や猿と違って、猫同士群れることが無理なのだから。

 動物病院で治療を受けたキラは、帰りたいと鳴きまくったらしい。こちらでも閉店するや否や、エルが大きな声で鳴きはじめた。仕方がない、動かないように、夜だけキラを戻そうということになったようだ。
 毛布に包まれたキラが戻ってきた。エルは嬉しそうに擦り寄った。二匹は狭苦しいベッドに一緒になって眠り出した。ご飯食べなくてお腹空かないのかな。
 他の子も、ご飯を食べ終えるとウトウトし始めた。
 店内は、夜の帳とともに静かになった。あゆむを除いては。
 あゆむが僕に近づいてきた。落書き帳に何か書き込む。どん!と目の前に出す。
 あの、あゆむくん。猫は普通ド近眼と言われてますが、僕はね、違うんですよ。
 人間時代同様、視力は裸眼で一・五あるの。凄いでしょ。
 だから・・・そんな近くで見せられたら、反対に目がチカチカして見えないんじゃっ!
 と、パソコンを使って訴えるわけにもいかず、はたまた文字を書くこともできず。げんなりしながら、後ずさりして目標物の落書き帳と目の位置を調整する。どれ、何と書いたんだ?
「カッターの刃が新しい。猫ベッド掃除するふりして古いの探したら、ジジのところにちょっと黒ずんだ跡が付いた刃があったの。犯人はジジかしら?」
 カッター?って、あのカッター?
 なるほど、あれならスパッと切れるし、カッターそのものを引きずれば音も出る。ガツリとしたのは、刃を折っていたのか。
 それにしても、ジジのベッドに古い刃、それもどうやら血が付いていると。何とご丁寧な犯人だろう。もしジジだとしたら、自分のベッドに隠すか?凶器を。そのままエルキラのベッドに置きっぱなしで済むはずだ。
 人間の殺傷事件なら指紋を取ったりDNAを取ったりするけど。
 あ、DNA。
 犯人が人間なら手袋でも嵌めて指紋がつかないようにするだろうが、猫が手袋を嵌めるはずもなく。ましてや、2足歩行で右手にカッター刃!とはいかないだろう。多分、刃を口に銜えて移動したはずだ。
 ああ、パソコン打ちたい。

 僕は、病院側のドアに走って、開けろ開けろといわんばかりに、ガリガリダンボールを引っ掻いた。
 あゆむが追ってくる。そして座りながら呟いた。
「アンタなら何かあったらここをガリガリすると思ったのよ。段ボール準備してて正解だったわあ。でなきゃ、ドアに傷付けた猫としてお仕置きモノだからね」
 うっ。そうだったのか。危ないな、段ボールがあろうがなかろうが、ガリガリするところだった。ま、それはこの際脇に置いておこう。急がなくちゃ。

 あゆむは、隣の病院に通じるドアを開けた。スタッフさんに声を掛ける。
「聖司は?」
「出かけてますけど、これから戻るって電話ありましたから、そろそろ戻ると思います」
「待たせてもらっていいかしら?」
「どうぞ」
 歩夢は聖司が診察に使うデスクに座った。ここは数名ワンニャンドクターがいるので、ドクターごとに仕切り壁がある。あゆむは聖司が使っているパソコンをいじるふりをして、パソコンを立ち上げた。
 ソフトを立ち上げ、僕に入力するよう、キーボードを指差し合図する。僕はあゆむの膝に乗り、姿を見られないよう皆に背を向けさせて二足歩行スタイルになる。いや、実際に二足歩行はできないけど。まあいい。ちょっと辛い姿勢ではあったが、DNAと打ち込んだ。
「カッター刃 DNA 誰か 銜えた」
 
 歩夢が小声で囁く。
「なるほど、あの古い刃に犯人のDNAがあるかも知れないってことね?」
 頷く僕。
 そこに、聖司が戻ってきた。
「おい、歩夢。何やってる」
「アラ、お帰りい。聖司」
「何だ?今度は」
「ショタがね、コレからDNA取り出せないかって」
「DNA?」
 あゆむは、猫たちのベッドからカッターの刃が見つかったことを話し、犯人ならぬ犯猫の正体を探るのだと聖司に力説する。
「あのな、あゆむ。ドラマの見すぎ。そりゃ血を取ってDNA鑑定は出来るさ。こないだの事件みたいな時なら。でも唾液でDNAは俺達じゃむりだよ。それこそ科捜研のお出ましさ」
「科捜研ならできるわけ?」
「たぶんな。猫のケガで科捜研が来るなんて、あり得ねえけど」
「外注してるんでしょ、DNA鑑定」
「ああ。ま、まさかお前、こっちの外注にそれ混ぜろっていうの?」
「何よ、協力できないの?」
「俺は仮にも動物病院の医者であって、探偵とか刑事とか警察じゃないぞ」

 歩夢の声が、極道のそれに変声する。まるで、ジキルとハイド状態だ。
「わかったわ。自力でなんとかする」
 歩夢の声を聞いた聖司の額から、タラーリと汗が噴き出した。歩夢も聖司も、お互いに顔を引き攣らせ、睨みあい、いや、歩夢が蛇で聖司が蛙状態になっている。歩夢が怒ると余程怖いらしい。
 やはり。歩夢、キミは元極道か?いや、極道の息子か?極道の息子がオカマってのも、なんかサマにならない話だが。
 お二人さん。
 何でもいいから、DNAを採取する、または鑑定する手段を探してくれえ。

「歩夢。病院としてそれを出すわけにはいかない。でも別口として外注先に頼んでみるわ。ただし、出来るかどうかはわからんぞ」
「協力ありがとう」

 その時だった。
「ギャ――――――――――――ッ、ギャッ、ギャッ、ギャッ。ギャ―――――――――」
 間違いなく、カフェ内部から聞こえた。断末魔のような猫の叫び声だ。
 僕たちは二人と一匹でカフェに駆け込んだ。誰かケガをしたに違いない。どこだ、誰だ。あゆむと聖司が二手に分かれベッドを探す。
「ジジがいないわ!」
 歩夢の声と共に、僕はベッドから離れ床に降りた。血の臭いが酷い。
 いたっ!
 ベッドから離れたカウンター脇の人目につかない場所に、ジジが倒れていた。
 ニャニャニャッと鳴いて知らせる僕。
 あゆむと聖司もすぐに気が付き、カウンター脇に急いだ。
「傷が深い!下手したら危ない!緊急オペだ!」
 歩夢はジジをみるなり、座り込んで泣いてしまった。
 抱きかかえることすらできないくらい、傷が深く、犬猫用の担架を車から持ってくる。
「早くしろ!」
 聖司が他のドクターとスタッフに準備を急ぐよう伝える。
 その間にも、床には延々と血が流れ続け、ジジの身体から生命の命綱が流れ出ていく。まるで、これまでの罰をジジに与えるかのように。

 ジジの緊急手術は、困難を極めたようだった。歩夢は病院には入らず、境のドアを開けたまま、じっと手術が終わるのを待っていた。
 初めは、やはりカッターの刃で腹を深めに切り裂かれたものと断定し、傷口を縫合しようとした。ところが、ジジが猛烈に暴れる。不審に思いX線を撮ったところ、あの 細かいカッターの刃が1個ずつ折られ傷口から3個ほど、めり込んでいた。
 いや、違う。
 わざと、故意に、悪意があって、めり込ませた。だから三回、ジジは叫んだのだ。

 とても猫にできるような手口ではない。昼間来て隠れた人間の仕業か、或いはサイコパス猫。そう、猫にもサイコパスがいるとしたら・・・。
 通常、サイコパスは人間にだけ存在すると考えられている。
 無慈悲で嘘つきなエゴイストたち。
 しかし、その研究は、未だ終結をみていない。今この時も、サイコパスによる犯罪は後を絶たないと聞く。サイコパスによる犯罪を未然に防ぐ手だてもなく、サイコパスを探すことすらできない、まして、薬による治療など不可能に近いだろう。
 そのサイコパスたちと、星羅は日々闘っているのだ。
 先日の猫虐待黒子女が、ちょうどサイコパスそのものだったのを覚えているだろうか。

 ああ、話が脇に逸れた。
 動物は本能的に生きている。そう決めつけているのは人間だけだ。動物にサイコパスがいないと、どうして断定できようか。
 ジジの手術は、聖司たちに任せるしかない。僕に出来ることといえば、祈ることくらいだ。
 しかし、犯人が誰で、なぜ、どのようにジジをあのような姿に至らしめたのか、それなら考えることが出来る。犯人を捕まえるべく行動することが出来る。
 
 僕は、病院前のドア付近にいる歩夢に向かい、ニャニャーニャニャーと鳴いた。そして、店内であゆむが履いているサンダルを噛んで引きずろうとした。
 早く!早く!僕らにも出来ることがあるんだ!
 
 あゆむは放心状態だった。
 そこに、動物病院から電話を受けたらしい彩良さんが駆けつけた。カフェ側からドアを開け、中に入ってきた。
 僕は彩良さんに向け、思い切りニャーッと鳴いた。
「早く犯人を!」
 彩良さんは、僕を見て事の重大さを感じたようだ。病院との境に佇む歩夢の肩に手を掛けこちらを振り向かせると、思いっきり平手打ちをした。二回、三回。
 漸く歩夢は我に返ったようだ。
「彩良。アタシ・・・・」
「馬鹿やろう!オペは聖司に任せとけ!あたしらがすべきことがあるだろう!」
「だって・・・」
「だってもクソもないだろ?早くジジをあんなにした奴捕まえるんだよ!ほら、ショタだってそう言ってる!」
 ニャーッと大声で鳴く僕。

 カウンターの血はそのままに。
 もう、メモでやりとりする時間が惜しい。
 僕はカフェのパソコンを立ち上げ、メモ機能を使って思いついたことを書いていく。
「サイコパス猫 ジジ三回鳴いた カッター刃 もっと折られてる可能性あり」

 あゆむと彩良さんは、再び二手に分かれ、猫たちを起こしながらベッド周りを探る。カッターの刃は、どこからも見つからなかった。ジジに刺し込んだもので最後だったのだろうか。いや、どこからくるものかわからないが、僕の感が違うと叫んでいる。
 猫たちも怯えベッドから離れられずにいた。初め、あゆむたちはみなを一緒にしようと提案したが、僕が反対した。
「犯人 紛れて また刺すかも 危険 明るくして」

 閉店したカフェ内が、明るくなる。
 猫たちを一匹ずつ明るい場所へ連れて行き、ジジの返り血か何か浴びていないか、普段と変わったところはないか、徹底的に調べた。
 時間をかけ、何回も見たが証拠になるようなものは見つけられず、みなをベッドに戻す。歩夢は完全に、ロシアンくんを疑っている。飼い主も怪しかったから、当然と言えば当然なのだが。

 ロシアンくんの顔を見た。
 考え込んでいる。
 卑劣なことをして楽しんでいる顔には見えない。
 他の子たちもそうだ。ミーちゃんやチャチャは怯え、ハナさんもどうしたらいいか分からない様子だ。

 そんな僕の目に飛び込んできたのが、エルキラだった。二匹とも怯え鳴いている。キラがケガを負わされ包帯姿、いや、毛布姿で帰ってきた。二匹はずっと一緒。僕は、何気なく彼らの足を見た。右後ろ脚の包帯・・・段々と上に視線を移す。何か違和感があった。そうだ。包帯を巻いているのは、エルにしか見えない。怪我をしたキラではなく、エルが包帯を巻いている。
 これは、どういうことだ?
 あの毛布はどこへ行った?なぜ別の子が包帯を巻いている?包帯に、まさか何かを隠しているのでは?

「うわ――――――――っ!」
 彩良さんが大声を出す。
 あゆむの寝床方面だ。僕は急いだ。
 机の中にあったはずのカッターが、バラバラにされていた。替え刃も一緒にしていたらしいが、ない。どうやら、犯人が持ち去ったのだろう。そして、ベッド以外の何処かに隠しているという推測が成立するわけだ。

 彩良さんとあゆむも気付いたのだろう。
 最初はカフェを休業にして猫たちを保護ビルに移す計画を立てていたようだが、僕のサイコパス猫という言葉を聞いて、躊躇し始めたらしい。保護場所で凶行に及ばない保証がないのだから。
 まして、向こうには医療設備が無い。ジジのような大怪我をしたら、命に関わることになってしまう。

 僕は、彩良さんたちをまたパソコン前にひきずるように足を噛んだり爪を立てたりした。
 何度もやって、やっと二人は気付いてくれた。
「ああ、ショタ、悪かったね」
「で、今度はなあに?アンタの預言、当たり過ぎよ」

 僕がまた、キーボードに触る。後ろから突き刺さる視線。
「画面 見えないように 隠して」
 二人が覆い被ることで、画面は見えなくなったはずだ。
「キラ怪我した 包帯と毛布姿で戻った 今包帯してるのエル 毛布ない 凶器もない」

 彩良さんが囁く。
「怪しいってこと?」
 僕はキーボードを叩く。
「猫耳いい メモで話して 双子猫 言い切れない 包帯おかしい 凶器は毛布の中  毛布探す」

 あゆむも、ジジのショックから立ち直りつつあるようだ。
 彩良さんにメモを渡す。
 そうやって、メモとキーボードでの会話が始まった。
「じゃあ、アタシ、毛布を探す。彩良、双子猫の包帯取り替えるふりして、取っちゃって」
「元からカフェにいる子は対象外?ショタ」
「僕のこと  新入りに内緒  たぶんシロ  ロシアン  謎」
「そうなの。ロシアンの飼い主、外国に行くって預けたのに、飛んだ形跡ないのよ」
「それは人間だよね?」
「字も書いたし、お金持ってたし、日本語喋ったわよ」
「国内にいて、何してるんだろう。足取り掴むのは困難だねえ」
「この辺からタクシーに乗ったのは確かだから、片っ端から確認するしかないわ」
「目撃者もいないだろうな」
「また  誰か襲うつもり  間違いない」
「誰が襲われるかわかんないの?ショタ」
「ハナ  ミー  チャチャ  病院ケージで保護  犯人  あぶりだし」
 
 歩夢が鼻に皺を寄せる。
「危ないわよ!カッターも替え刃もバラバラなのよ」
「包帯だって、猫が自分で巻けないよね」
「カフェにきた客が共犯の可能性は?」
「なるほど。あの女は来てないわよね?」
「見てない  来てないと思う  人間共犯  目立つ」
「包帯巻いたとして、ボラさんの可能性は?」
「あり得るとは思うけど。怪我してない脚に包帯巻くボケたボラさんなんて居ないわよ」
「内鍵  締めたフリ  ダンボール  目隠し」
 彩良さんも、あゆむも、気が乗らないようだった。
「ハナちゃんたちを保護するのは何とかなるよ、健康診断って三匹まとめりゃいいから」
「でも、ショタ、あんたが心配だわ」
「寝たふり  ダンボール  突進  人間いると  犯行ない」
「あああ、痛し、痒しよ、アタシにとっては」
「せめてロシアンが善悪どっちか分かればいいのに」
「ロシアン 金銭感覚あり  変な猫」
「金銭感覚だけでいうなら、アンタも同類でしょ。ショタ」

 僕は、言われて初めて気が付いた。
 そうだ、人間のような感覚を持った猫などこの世に存在するわけがない。
 犯猫かどうかはともかく、ロシアンくんは僕に似ている。飼い主がどういう生業なのかわからないけど、ロシアンくんが、ジョーイでいうところの、向こうの猫である可能性は高い。
 しかし、ジョーイのことは内緒だ。
 ゆえに、ロシアンくんの仮定話も禁句だろう。ごめんよ、二人とも。僕にも道義ってものがあるんだ。ジョーイには、先日のサイコパス人間から助けてもらった恩があるんだよ。
 
 彩良さんが決断する。
「じゃあ、明日の晩、決行でいい?」
「アタシは毛布とカッターの在処を昼間中に探してみるわ」
「あとね、ショタのベッドにアタシ特製のベル、付けとくわ」
 ベル?つまりは、鈴だろう?寝返りの度にリンリン五月蝿いんじゃないのか?
「大丈夫♪何かあったらベッドの中央部、押しなさい。わかった?」
 わかったよ。何の仕掛けか知らないけど、僕のためを思ってくれてるのは有難いことだから。

 こうして、その夜は更けた。カフェは一晩中灯りが付いたままだった、隣のジジを気遣いつつ、彩良さんとあゆむが交代で仮眠を取りながら、僕等猫たちを監視した。

 翌日。ジジは、夜通しの大手術を耐え抜き、なんとか一命を取り留めた。
 僕は話を聞きに行けと彩良さんたちに命令され、病院ケージ内のベッドに横たわるジジに話しかけた。
「お早う、よく頑張った」
「俺なんて、死んだ方が良かったんだ」
 ジジが、初めて会話に応じてきた。
「何でだよ。生きてりゃ色んなことがあるさ。善し悪し含めてだけど」
「俺、マンションで暮らした時、飼い猫にしてあげるって言われたんだ。新しく家を見つけて迎えにくるから、って」
「そりゃ、めでたい話じゃないか」
「でも、来なかった。嘘だったんだ」
「そうか、それで塞いでたんだな」
「だからもう、命なんて要らない」
「そういうなって。出会いはどんな形で目の前に現れるかなんて誰にもわからんぞ」
「お前はカフェで悔しくないのか」
「ハンブサだからな。ところで、犯人見なかったか」
「すまん、寝てるところを突然襲われて。俺、マンションにいて腹出して寝るクセついたから、たぶん腹出したまま仰向けに寝てたんだと思う」
「なるほど。それで狙われたのか」
「他に恨みを買う覚えもないし、話さえしたことないから」
「うん、恨みじゃない。無差別に攻撃したと僕は思ってる。早く治せ。これからなんだぞ」
「お前みたいに前向きになりたいよ」
「なれるさ。じゃあ、大事にしろよ」

 開店時間直前。
 カフェの前には「ごめんなさい、また来てね」の不定期休業看板が置かれた。
 ハナさん、ミーちゃん、チャチャくんの三匹は、定期健康診断という名目で隣の動物病院に移された。ケージに入れられて。
 ハナさんが僕に小声で囁く。
「無理しないで。命あっての物種って、人間から聞いたことがあるわ」
 ミーちゃんたちも心配そうな顔をする。
 僕は、答えた。
「大丈夫かどうかわからないけど、カフェを滅茶苦茶にするヤツだけは許せない」
「それでも、みんなでおもてなしサービス続けたいから。生きるのよ、絶対に」
「わかった。ありがとう、ハナさん」

 皆を見送って、僕はカフェに残った。
 命あっての物種、か。そうだな、ジジに言った手前、僕が易々とサイコパスどもに命をくれてやるわけにはいかない。それに、ジジから貴重な話を聞いた。仰向けになっていたから狙われたのだ。そう、野生猫は絶対にお腹を見せない。見せれば敵に塩を送るようなもんだ。
 あれ?なんか違う意味のような気もするが、まあ、いいか。

 病院との境にあるドアが閉まる瞬間、また、何処からともなく、正体不明、以前にも感じた得体の知れない視線が背中辺りを刺しまくる。
 やはり、犯人はハナさんたちでは無い。
 双子猫、あるいはロシアンくん。どちらかが傷害犯に間違いないだろう。今日は人間の気配など、無いのだから。

 カフェの模様替えと称して、歩夢と彩良さんは大掃除を始めた。病院側の座席やテーブルを一箇所に集め、空いた場所にカウンター内のものを移す。歩夢は気付かなかったようだが、彩良さんが勝手に歩夢ルーム(ご本人は別宅と呼んでいるが)も撤去しようと、そちらへ向かう。

 すると、エルキラが、けたたましく鳴きはじめた。
「五月蝿いっ!」
 一喝する彩良さん。
 っと、ドア越しにこちらを覗いている女性が目に入った。

 彩良さんも、人間相手には一喝もできないし、捨て置くわけにもいかないだろう。
 ドアを開けた。
「すみません、今日は休業でして」
「あの、前に上のマンションに住んでいた者です」
「ああ、佐藤さんでしたね、先月お引越しされた」
「あの、うちで飼わせてもらっていた猫は、まだこちらにいますか?」
「申し訳ありません、あのあと、一匹は今、別の居住者さんと暮らしているんです」
「黒猫のほうですか?トラ猫ですか?」
「トラ猫です」
「黒猫は?何処かに貰われて行きましたか?まだこちらにいますか?」
「もしかしたら・・・」
「はい、ジジと呼んでいた黒猫です。元気にしていますか?」
 彩良さんの表情が一瞬曇ったのを、相手は見逃さなかったらしい。
「まさか、亡くなったりしてないですよね?」
「実は・・・」
 彩良さんが事情を説明すると、ぼろぼろと女性は泣きだした。
「あの時すぐに連れていけば・・・」
「隣の病院にいます。お会いになりますか?」
「会わせてください。お願いします」
 女性と彩良さんは連れ立って、隣の動物病院に駆け込んだようだった。女性がワンワン大きな声で泣くのが聞こえた。
 もしかしたら、ジジにも、切望していた『飼い猫』という幸せが訪れる日が近いうちに訪れるかもしれない。ヤツは基本的に寂しがり屋だったのだ。同じマンションに暮らしたトラっちが、またマンション組として引き取られる中、飼い主に約束を破られ、置き去りにされたと思ったのだろう。僕に言わせれば、たかがひと月、なんだけど。

 彩良さんが戻ってきた。
 僕は「しまった」と後悔する。
 今の人間たちのやり取りを見ていて、カフェ内から目を離してしまったのだ。猫たちが動いたかどうかさえ聞き耳をたてていなかった。
 ま、いずれ次に狙われるのは、僕か、残った猫のどちらかだろう。僕の方が不審な動きをしている分、危険と判断しているかもしれないし、何も事情を知らないであろう、残った猫を襲うかもしれない。
 どちらにせよ、今晩が最終決戦だと僕の第六感が体中を駆け巡る。そう、針で身体を突かれるような鋭い視線がそれを物語っていた。

 今日はカウンター周りの模様替えするわーっと勇み労働に励んでいた歩夢が、疲れ果てた顔を見せて現れた。
 メモに何か書いて僕に見せる。もう、隠す必要などないとばかりに。
「毛布発見できず」
 そして、彩良さんがいないのに気付いたようだった。
 おい、さっきの会話聞いてなかったのか。
「彩良?」
 きょろきょろしている。
 仕方がない、僕はベッドから降り、歩夢の足元に近づき鳴いた。
 病院の方を向いて、ニャ―――――――――――っと。まるで犬の遠吠えかと言わんばかりの長鳴きで。
「あら、何かあったの?」
 ニャッ!
 その言葉で、歩夢は何をどう理解したのかわからない。それでも、病院に何かあると感じてくれれば嬉しいのだが。

 僕の心の声が届いたのか、歩夢は客席の机などをよけながら、病院に通じるドアを開けた。ドアは、病院側へ開くようになっている。だって、向こうから緊急で医者軍団が突入したときにお客さんがいたら大変だろう?僕としては引き戸だと有難かったのだが、ビルの構造に文句を言っても始まらない。
 
 歩夢が姿を消した瞬間、背後から迫る視線は強烈に僕の背中目掛けて集中した。今にも攻撃が始まるのではないかと思うくらい。
 僕は踵を返す人間のようにくるりとカフェの方を振り返り、自分のベッドに戻りながらエルキラとロシアンの様子を下から見上げた。

 ここも今日中にベッドを移動させる予定だったはずだが、さて、どうするのだろう。こればかりは人間たちにしか任せられない。
 現在、カウンターの奥、壁に沿った階段状の足場があり、周囲を囲む太い柱の梁を利用して板を打ち付け、猫たちのベッドが並んで丸を描くような形で置かれている。自分のベッドから他猫ベッドに移動するには、一度階段状の足場に戻る必要があった。

 今一度、頭を整理しよう。
 ベッドは、一番奥にエルキラがいて、時計回りに、隣はチャチャ、ジジ、ミーちゃん、僕、ハナさん、ロシアンの順番だ。
 ロシアンはご滞在猫だから、おもてなしサービスには参加しない。自由気儘に動き回っている。
 ジジも、たまにしか参加しなかった。塞ぎこんでいたから、おもてなしサービスなどする気になれなかったのだろう。
 その他は、ハナさんをリーダーに開店時間になると降りてきて、おもてなしサービスに日夜勤しんでいた。昼食時くらいか、自由時間があるとすれば。
 普通に犯人を推測するなら、おもてなしサービスをしていたエルキラよりも、ロシアンの方に傾倒する。何せ、ずっと自由時間だったのだから。
 ましてや、あいつ、笑う猫だ。猫なのに笑う、あり得ない奴。向こうだって、パソコンでキーボード叩く変なヤツって思っているかもしれないけれど。
 お互い様だ。

 エルキラがここに着て十日ほど。ロシアンが滞在し始まってから三日か四日ほど。そうだ、ロシアンのご滞在が始まったその晩から、異変は始まっていた。
 歩夢のお宝バラバラ事件、キラ負傷事件、ジジ殺害未遂事件。
 三件の事件に、どんな繋がりがあるのか、それはまだわからない。

 でも、序章としてお宝バラバラ事件が起こったことは間違いないだろう。歩夢の寝入る深度を計った可能性もある。歩夢ルームに何があるのかを確かめるのが第一の目的だったのかもしれない。そう、いずれ起こすための事件に備え、凶器を探しながら。そして、犯人は見事に凶器を手に入れた。カッターの刃、という猫でも銜えることのできる凶器。それは諸刃の剣にも等しく、一歩間違えば自分の口を切るのだが。
 次に起こったのが、キラ負傷事件。
 一緒に寝ていたはずのエルキラ。キラだけが、右後ろ脚を切られた。どうしてエルは襲われなかったのか。あの時点で、一枚の刃しか持っていなかったのか。そうだ、歩夢が出て行ってからガチャガチャとした音が夜のカフェに響いていたか?
 否。
 やはり、犯人は最初から凶器を隠していたに違いない。
 そして、凶行は起こった。キラの右後ろ脚を切るという形で。僕はエルキラの足元を見た。事件のせいかどうかわからない、二匹とも真ん丸になり、お腹と脚をガードしていた。足元の包帯は見えない。普段からこのような姿で寝ていたのだろうか。猫ってあまり観察したこと無かったけど、足とかお腹全てをガードして寝るんじゃなかっただろうか。
 どうして後ろ足なんて大事な場所を切らせるような寝方をしていたんだろう。二人寝なんだ、そのくらいお互いに隠せそうなものだが。
 ああ、チャチャに聞いておくんだった。何たる失態。日ごろからそういった情報は仕入れておかないと。
 今更悔やんでも仕方がない。
 兎に角、前に進むしかないのだから。
 エルキラが犯人かどうか、それを今の今、論ずるには証拠が無さすぎる。

 証拠という点では、ロシアンも同じだ。
 笑う猫、ロシアン。
 到底、普通に生きる猫ではあるまい。
 彼は自由気儘で何事にも動じない。そう、何があっても。キラ負傷の際にも、ジジ殺害未遂の際も。ただ、黙って考え込んでいるだけ。猫の分際で、右前脚を頬に寄せ、まるで頬杖でもついているかのように。
 預けた人物も謎だった。今は行方が知れない。携帯電話は、引き受けたときだけ繋がったけれど、次の日にはもう、解約されていた。海外旅行といいながら荷物はロシアンを入れたカバン一個。この先迎えに来るかどうかさえ、危ぶんだものだ。見るからに怪しさ超満載の女性だった。
 え?美人だ、モデル体型だと褒めていただろうって?
 ま、まあ。そんなことも、あったようなないような・・・。そ、そうだ。美人イコール好い人とは限らないっていう、いい例さ。人間には違いないだろうけど、二度とここに現れることはあるまい。

 なぜロシアンをここに置き去りにしたのか、それは今のところ分からない。飼い主だったあの女が飽きてカフェに置き去りにしたものか。或いは、誰かに頼まれて飼い主役を引き受けたか。
 飼い主役・・・。
 そうか、誰かに頼まれ、報酬でも貰って、彼女は飼い主役を演じた。
 ロシアンを手放したかった飼い主がいたのか、それとも、ロシアン自身、本当の飼い主など初めから居ない、何処かの組織に属するスパイ、または殺し屋稼業が生業かもしれない。

 今の段階では、それすらも明らかに出来ないが・・・。
 全ては今夜詳らかとなり、決することだろう。

 真の犯人がエルキラにせよ、ロシアンにせよ、僕は僕の居場所を守る。僕の仲間を守る。
 人間時代の記憶を残しこの世に生を受けた僕。其処には何かしらの理由や宿命があるはずだ。
 この人間的思考可能な脳みその構造が、何かの罰だとしたら、甘んじて受けるとしよう。
 ただ、今は、目の前の敵を葬り去るだけだ。
 これで力さえあれば、言うこと無かったのに。超能力的何かとか。例えばジョーイのように。
 そういえば、先の猫虐待黒子女事件の際、ジョーイは姿を見せたけど、今回は夢にさえ現れない。ジョーイの言う、向こうの世界には関係のない事件なのだろう。
 なんとはなしに、あのブサ顔が懐かしく思い出された。


 運命を決する時刻が近づいてくる、段々と陽が傾き、雲が赤みを帯びたオレンジ色に染まって行く。そしてその色は、暗くなりながらパープル系の色へと変化していった。
 やがて、すっかりと陽が落ちた街は、外灯が燈りだし、夜の帳に包まれつつあった。

 結局、彩良さんも歩夢も、カフェに戻ることは無かった。
 いくら明日が定休日とはいえ、窓から見たら吃驚するようなカフェの中。客人用のテーブルや椅子は散乱し、カウンター周りもぐちゃぐちゃ。通りがかりの人が見たら、店主が夜逃げしたカフェに思われること請け合いだ。
 ジジのことで色々忙しかったのだろうが、せめてテーブルと椅子のセッティングくらいはして欲しかった。
 だって、そうだろう?
 万が一、万が一にも僕がここで事切れた際、僕の家族ぐらいは来てくれるだろう。それで乱雑な状況を見てしまった日には、星羅が怒って猫虐待犯人にしてしまうかもしれない。うん。星羅ならやるかも。僕の娘だし。

 それにしても、今夜は長くなりそうだ。
 人間臭く、太陽とともに目覚め、夜は決まった時間に眠りに就く僕には尚更。灯りさえあれば、読書か新聞でも読みたいところなのだが、変な行動第二段として目を引きそうなので、やめておこう。

 ああ、眠くない。
 本当に寝るときは、団子みたいに丸まって寝る僕だけど。
 そう、リスク管理は大事な仕事だろう?人間だって猫だって、底辺は同じことなんだ。
 今日ばかりはリスクに目を瞑り、だらりとお腹を出した格好でベッドに倒れ込んでみる。
 まるで昔の人々が木造で彫ったナントカ像のように、後ろ足の片方を上げ、反対側の前足を招き猫状態にぶら下げて。かなりみっともない姿だったと思う。
 そんな格好でごろんごろんと寝返りを打ちながら、ひたすら僕は待っていた。
 罪という月が満ちるのを待つ囮捜査官のように。

 何時間が過ぎただろうか、僕はウトウトと眠りの世界に誘われつつあった。
 いけない、ガッツリ寝てしまったら、犯人の餌食になるのは必至だ。
 あ。
 でも。
 ・・・眠い。

 一瞬だったのか、それとも数分、いや、数十分。
 僕の瞼は自然に落ち、目の前が見えていなかったらしい。
 つまりは、寝ていたというわけだ。
 ヒタヒタ、カタカタ、変な音が夢現の中で鳴り響く。それでハッと目が覚めた。
 来たのかもしれない。お目当ての音が。お目当ての者が。
 僕は、何の能力もないけど、なんとかするしかない。
 こういうのを「身の程知らずの間抜け、アホ」というらしい。ジョーイに言わせれば、だが。
 仕方ないじゃないか。これが僕の性分なのだ。
 段々、音が近づいてくる。
 カターン、カターン。
 僕は力がないけど、猫並み、いや、三十八歳人間としての頭脳がある。何とかしなくちゃいけない。僕がやらなかったら、誰も手が出せないじゃないか。
 
 夜の真っ暗な店内に、不気味に光る一筋の光が稲妻の如く走った。
「あうっ」
 耳の辺りに鈍い痛みを感じる。
 咄嗟に、ベッドの真ん中を押す。そう、例の鈴だ。
 ・・・ならない。用無してないんでないかい?このエセリンリン!
仕方ない。
「誰だ、お前」

 真っ暗だったはずの店内を、いつの間にか月が照らしていた。
 犯人の姿が浮かび上がる。

「こんばんは~」
 ふっ、この声は・・・。
 やっぱり、コイツだったか。

 白黒ハチワレが二匹。エルキラ兄弟。エルのみが、カッターの刃を口に銜えている。
 キラが喋りたいということなんだろう。
「ほう、新入りじゃないの」
 僕は有りっ丈の虚勢を張る。
「お前ら、なんでこんなことするわけ?」
「何のこと?」
「ジジに怪我させたことだよっ!」
「湿っぽくて腹立つんだもん」
 僕は逆に腹が立った。それも、大いに。
「馬鹿野郎、大怪我したんだぞ、ジジは」
「自分が悪いのさ、キラだって怪我をしたよ」
「あれは自分たちで付けたかすり傷だろう」
「そうだった。忘れてたよ」
 エルは相変わらずカッターの刃をチラつかせ、キラが喋る。
「邪魔なんだよね、キミも」
「僕のことなんぞ、ほっとけ」
「ダメ―、元々の目的はキミだもん」
「どうして僕が目的になる」
「知らない。僕等は従ってるだけ」
「従うってことは、黒幕がいるわけか。どこの人間だ?それとも・・・」
「人間に従う?なんで?なんで僕等みたいな高等な生き物が、人間如きに支配されなくちゃいけない?」
「高等な生き物?何言ってんだ、お前ら」
 
 ヒヒヒ、と笑った二匹。
 段々とその姿が変わってきた。
 可愛かったハチワレの面影は幻だとでもいわんばかりに、目が怪しく緑色に光り、爪が伸び、耳が伸び、二足歩行になった。
 うわっ、こりゃあ僕の出る幕じゃないかも。猫じゃない。怪物だ。
 先ほどまで加えていたカッターの刃も、今は手に持っている。
 二足歩行の彼らは、それを上から振り回し、僕のベッド周りを笑いながら歩いている。僕の身体は至る所にカッター刃が当たり、無数の傷跡が出来ていた。
 
 かなりの危機的状態にある僕、ショタ。
 どうやって、この難局極まりないシリアスな場面を乗り切ろうか、悩んでいる暇はないのだが、妙案も浮かばない。
 その時だった。
 僕の目に何かが映った。
 銀色の細い絹糸(僕にはそう思えた)のようなものがふわりと店内を漂い、こちらに近づいてくる。ちょうど、エルキラ兄弟の後ろ側を漂っていたので彼らには見えなかったと思う。僕は、エルキラが糸に気付かないよう、彼らを直視した。

 それは一瞬のことだった。

 先ほどの糸が、エルキラに上から巻きつくようにひらひらと舞いながら、彼らの動きを封じた。ゆっくりとした動きだったはずなのに、何故か締め付けは一瞬にして終息したのだ。
「ぎゃ――――――っ!」
 二つの怪物が叫ぶ。
 もがけばもがくほど、糸は締り、巻きつく糸は段々と喉元へと近づいていく。

 その後ろから、糸を操り手が姿を現した。なんとロシアンだった。僕は、実際のところジョーイが来たのだとばかり思っていた。
 糸から逃れられないエルキラにとっての、終幕が始まった、と僕は思った。
 ロシアンが、エルキラに聞く。
「ふうん。こういう姿だったのか。初めて見たよ。さ、黒幕を話せ。話さなければ、このまま喉まで糸を伸ばす」
「誰が、お前如きに」
「おやおや。無知な輩はこれだから困る。僕を誰だと思ってるんだ?お前達。クラウス・カルラロイド・ロマノフ。まさかこの名前を忘れたわけじゃないだろうね?」
「クラウス?あの・・・お前がそうだったのか」
「さ、お喋りはここまでだ。話さないなら、このまま糸を伸ばすだけだ」
「ジ、ジョーイに頼まれたんだよ」
 僕は驚いた。
 ジョーイ。
 あの世と現世の使いだと自分では言うが、その実物凄い能力を秘めたやつ。
 そして、何回も僕に道を示してくれたやつ。
 まさか、そのジョーイがこんな卑劣な真似をするはずがない。怪しいことを結構言ってはいたけど。
「ジョーイ?ジョーイ・レンツェル・カフカのことか?」
「そ、そうだ。やつに命じられた」
「で、なぜショタを狙う」
「ジョーイが、邪魔だから片付けろって」
 まさか。邪魔した覚えはどこにもない。
 クラウスと呼ばれたロシアンが、僕の方を向いた。
「で、ショタ。キミはジョーイに邪魔呼ばわりされる覚えがあるのか?」
「ないよ。助けてもらったことなら何度かあるけど」
「ふうん。なるほど。じゃあ、ご本人に登場してもらうのが一番だろうな、ジョーイ!」
 ロシアンが呼ぶと、暗闇からジョーイが姿を見せた。
「俺様の名を出すということは、俺様に恨みがあるヤツということか」
 転瞬、エルキラは、猫の姿に戻り、糸から抜けて逃げようとした。
「おっと。逃がさねえぜ」
 今度はロシアンの糸ではなく、ジョーイが稲妻を放つ。二匹とも意識喪失し、その場に倒れた。魂も心臓の鼓動すらも、何処か他の場所に堕ちたに違いない。
 ジョーイが僕の所在に気が付いたのは、その直後だった。

「よお、久しぶりだな。ショタ」
「本当に。で、どうしてジョーイが黒幕呼ばわりされたんだ?」
「さてねえ、誰かが俺様を追い落としたいんだろう。こいつらは使役された廃猫だ」
「廃猫?」
「向こうの世界の地獄で彷徨っている猫さ。猫にも色々いてな」
「この2匹は、まるで人間のサイコパスみたいだった」
「そういうのが向こうの世界にもいるってことさ。俺様、今回は高みの見物だったけど」
「ジジの大怪我とか大変だったんだぞ」
「あいつに悩みがあったのは確かだ。でも、あのまま自分勝手にしてたら、あいつも地獄行きだったんだぜ」
「そうだったのか?」
「まあな。エルキラは、レスキューされ此処に来ただろ?わざと、この近くをうろついていたんだよ。すべて、お前を探すためにな」
「なんで僕を?」
「俺達向こうの世界にとっちゃ、お前の存在が貴重だからさ」
 ロシアンも頷いた。
「そうだな。ショタ、キミの存在は大きい」
「二人とも待ってくれ。僕の存在ってなんだい?」
「人間であり、人間でない。猫であり、猫でない」
 僕は悲しい気分になった。好きで猫の姿になったわけでもないし、生まれ変わるなら、どんな生き物でも良かったのだから。まして、人間時代の記憶を留めたのは僕自身の希望ではないはずだ。

 僕が気落ちした様子に気付いたロシアンが言う。
「気を悪くしたなら済まない。人間時代の記憶は、留めようとして留まるものではない。そう、選ばれた者にだけ、それが許される。それがキミ、ということなんだ」
「選ばれた者?」
「そうさ。世の中の生物、人間も含めてだが、前世の記憶を持つ者は少ない。必要ないからだ、とされている。しかし違う。昔、人間だったという記憶は良くも悪くも作用する。だから許された者のみが、その力を有する」
「出来ないのは力技だけか。人間を先導することは可能かも。猫教祖とかね」
「そこで、キミを亡き者にしたかったり、反対に仲間に引き込みたい輩が次々と現れる、というわけさ」
「それで、ロシアン、ジョーイ。キミたちはどっちなんだ」
「ぜひ、向こうとこちらの世界を繋ぐ役目を、引き続き担ってもらいたい」
「と、わが世界の主が言ってらあ」
「あるじ?」
「そうだよ、クラウスは向こうの世界の主クラスだ」
「そしてジョーイは将軍、かな。凄い能力だろう?」
「そしてショタ。お前がいないと、向こうの世界からこっちに逃げてきた奴らを捕まえられねえ。今回のように凶悪な奴が逃げることもある。こないだの虐待人間みたいなのも、直接お前が関わらないと、俺たちは手出しができねえのさ」

 正直、驚いた。
 僕が、狭間のような役割を果たしているというのか。僕という狭間を通して、初めてこちらとジョーイやロシアンの世界がイレギュラーに繋がり、関わりが持てるのだという。

 僕は答えた。
「僕がこうして人間の記憶を持ったのには、何かしら意味があるんだと思ってきた。もし、それがキミたちの世界で役立つのなら、喜んで協力しよう。代わりに、サイコパスを黙らせるときは、またお願いするよ」
「任せとけ」
「ありがとう、ショタ。キミを直接見たくてね。ここまで来た。来た甲斐があったよ」

 僕は思い出した。
「キミを連れて来たあの女性は人間なのか?」
「ああ、あれか」
「行方もわからないし、キミを置き去りにしたんだとばかり思っていた」
「ああ、これは人間たちには内緒にしてほしいんだが」
「都合悪いことでも?」
「少しだけ、記憶を操作した。あれは元々猫を飼っては、飽きて直ぐに捨てる女性でね。こちらに来るついでに、ちょっと懲らしめたのさ」
「記憶を操作されていたから、お金も直ぐに出したのか」
「そう。いつもなら、世話が面倒になって、ダンボールに入れて捨ててしまう」
「僕等にとっては、キミが人間に置き去りにされた。これが全てだ。キミはいつの間にか姿を消せば大丈夫さ。外に逃げたと思われるだけだから」
「そう言ってもらえるとありがたい。さらばだ、尊き者よ」
「じゃあな、ショタ」
 
 ロシアンとジョーイは姿を消した。向こうの世界に戻ったらしい。

 僕は、誰もいなくなったカフェを後にして、病院へのドアに急いだ。ドアには小石が一つ挟められていて、閉まらないようにしてあったのだ。万が一あったら病院に逃げられるように。
 みんなに事件の概要と結果を説明した。猫にも、人間にも。
 犯人が双子猫で、今まで犯罪を重ねた猫サイコパスだったということ。
 困ったのが、どうやってエルキラが事切れたか、その原因を説明することだ。事実は、とてもじゃないが言えないし、かといってエルキラには傷一つなく、カフェには魂が抜け鼓動の止まった身体だけがある。
 聖司がエルキラの遺体を運んできた。色々と調べたようだが、答えが出るわけもなく。何らかの理由で心臓発作のような症状を起こしたのだろう、という結論に至った。助かった。こういう時、科学こそが全てを解明する、と考える石頭の聖司は役に立つ。

「そういやお前、傷だらけだな」
 聖司に言われて気が付いた。そうだ、結構カッター刃で切られた場所があった。幸い、深く刻まれた傷はなかったけれど。
「包帯巻いたら、眼しか出ないぞ。こいつ」
「ハンブサどころか、ミイラじゃない」
「ミイラ猫が芸をするのもまた一興か」
 おいおい。けが人を前にして言うことか。

 ロシアンは、騒ぎの最中に逃げ出してしまったことも話した。
「あら、向こうのドア、開け放しておいたかしら?」
「かもしれないよ。ジジのことでバタバタしてたし」
「あら、どうしましょう。あの子自分で食べていけるわけないのに」
「前の飼い主に会ったかもしれないから、いいじゃない」
「それは期待薄よ。ロシアンの飼い主、どうやら捨て猫常習犯だったらしいの。見ちゃった、こないだ猫捨てるとこ。もち、捕まえて延々と説教したわよ。てめえみてえなドアホにゃ、猫飼う資格なんざねえんだよ、今度見たら締めんぞ、ワレぇって。ほんの少しだけ脅しちゃった」
 あの、歩夢の極道声。うむ。余程の人間でなければ、もう猫を飼おうとはしないだろう。あの声で締めるぞとか言われたら、極道の方々にぐるーりと取り囲まれるイメージが露骨に浮かぶ。
 聞いてないからわからないんだよ!マジ、物凄く怖い。なんとかシネマの世界なんだぞ。

「ロシアン、そのうち戻ってくるかもしれない、わかんないじゃない」
「ならいいけど・・・」
 みんな、一匹の猫だけど、こうして命の心配をしてくれる。有難い話だ。
 歩夢と彩良さんが、思い出したようにカフェの方を見る。
「そういや、カフェん中、散らかってんじゃないっけ?」
「そういえば、テーブルとかセッティングした覚え、ないわねえ」
「さ、今日はテーブルと椅子片付けて、開店準備しないと」
「ジジ、良かったね。マンションの飼い主さんがお迎えに来てくれたんでしょう」
「少し入院するけどね」

 ジジを見舞い、お祝いをいった。
 やつも自分の勝手さを恥じていた、大丈夫だ、これなら堕ちたりしないだろう。幸せになれよ、ジジ。

 再び始まる、僕たちにとっての安寧の日々。そう、静穏の日常。
 
 数日後の朝、開店前の店先で、歩夢の声が聞こえる。
「あら、あんた。騒ぎに吃驚して出て行ったって聞いて心配してたのよ」
 店先を覗き見る。
 そこには、ロシアンブルーの猫が大人しそうに佇んでいた。
 僕に向かい、にやりと笑う。
 出た、ロシアン。いや、クラウス・カルラロイド・ロマノフ。

 笑っていることにも気付かない歩夢。ロシアンを撫でた。
「さ、おいで。可哀想に、アンタの飼い主帰ってこないのよ。アンタ、このまま、ここで暮らしたらいいわ。みんなと一緒にね。そうだ、名前付けてあげなくちゃ。ロシアンブルーだから、ロシアンの『ロッシ』にしましょ」

まあ、妥当な名付けだろう。クラウスなどという本名を名乗れるわけもなし。僕がそちらを気にしているように、他の子たちも気にしている。一気に四匹も猫たちが減ったカフェは、とても人口密度が低く、肌寒いような空気に包まれていた。
 ロッシは皆に温かく迎え入れられた。ハナさんが早速、おもてなしサービスのイロハを教え、一日の流れを説明する。

 説明を聞き終えたロッシが、僕のベッドに近づいた。
「しばらく、ここで世話になることにした」
「え、ここじゃ芸もするよ。おもてなしサービス隊として。主たる者、いいのかい?」
「別に向こうを統率しているわけじゃない。芸だったら、笑うから大丈夫さ」
「いや、それは止めた方が賢明だと思う」
「そうか?いずれにしても、任せろ」
 言葉どおり、凛々しい姿のグレー猫は、たちまちカフェの看板になった。
 ハンブサ?もう、お払い箱ですよ・・・。


 猫が好きな人も、ショタに興味のある人も、是非、またのご来店をお待ちしています。

 ハンブサ顔のトラ猫ショタが、事件解決に奔走する!
「うぇるかむ!ニャンズハウス!」

第4章  ~ハウス界隈の人間模様編~

 僕はショタ。

 人間から生まれ変わって猫になり、生まれ変わって、またもや猫になった。
 それも、人間時代には、『かなり』美男子だった僕が、ハンブサ顔のキャラ猫として・・・。

 野良猫として生まれたがゆえに、自力で食糧調達の憂き目に遭い、生まれて間もなく動物センターに連行された。彩良さんたちに救われなかったら、あのまま、動物センターのガス室で苦しい最期を迎えていたことだろう。

 僕は思う。
 人間の中には死刑に反対する人も多い。人権としてそれは認められるべきかもしれないし、それ自体にとやかくいうつもりもない。
 しかし、動物、僕たち猫にだって生存権はあると思う。
 なのに、人間の勝手な都合で捉えられ、ガス室に送られ、アウシュビッツ収容所のような場所で、ガス殺処分の恐怖に苦しみ、もだえ苦しみながらこの世を去る犬や猫がどれだけ多いことか。
 死刑反対と言う人間は、動物の生存権まで考えてモノを言っているのか。死刑になるからには、それ相応の罪を犯したはずだ。
 一方で、僕たち犬猫は、罪も犯していないのに、病気の仲介をしているわけじゃないのに、理由もなく捉えられる。猫の嫌いな人間も多いからか、それは知らない。
 それでも、この世に生まれたのが人間か、その他の生物だったかだけの違いで、ここまで差別されていいのかと常々疑問に思っている。

 僕は、人間の皆に伝えたい。
 ガス室の恐怖を。
 そこに連れて行かれる瞬間の、あの心臓の鼓動を。

 アウシュビッツのような施設が復活したら、世界中の多くが「人権問題」として取り上げ、議論の的になるだろう。
 果たして、その対象は人間だけでいいのだろうか・・・。
 意味あって、人間以外の生物が地球上に暮らしていると思う僕は、間違っているのだろうか。

 とまあ、お堅い話はここまでにしよう。
 現在僕は、とある猫カフェで「お・も・て・な・しサービス」に勤しんでいる。
「おもてなしサービス隊」のメンバーは、サービス隊を統括指揮する大人猫のハナミズキさんこと通称ハナさん。サビ猫のミルキーちゃんこと通称ミーちゃん。茶トラ猫の 茶々丸くんこと通称チャチャくん。ロシアンブルーの、ロシアンこと通称ロッシ。

 ここだけの話、ロッシは普通の猫じゃない。

 笑う。

 いや、突っ込むべきは其処じゃない。
 ロッシは、「向こうの世界」と呼ばれる異世界に住んでいる。クラウス・カルラロイド・ロマノフ。向こうの世界じゃ、主(あるじ)クラスなんだそうだ。相当の地位にあるらしいのは確かだ。クラウスの名が、本名なのかさえ分かったものではない。
 はは、偽名だったりして。

「偽名に決まってるだろう」
 急にロッシの声が聞こえる。

 ぎょえっ。真後ろにターゲット、じゃない、お仲間が。
「や、やあ、ロッシ。気付かなかったよ」
「猫たる者、背後からの奇襲に備えなくてはならない」
「僕、猫らしく無い猫だからさ」
「確かに。猫らしくはないな」
 ロッシは真面な奴には違いないが、ちょっと俺様傾向がある。いや、ナルシストといった方が合っているかもしれない。
「僕はナルシストじゃないよ。俺様なのはジョーイだろう?」
 あああ、向こうの世界の連中は、心が読めちまうんだと。おかげさまで、僕の考えることがいちいちジョーイやロッシに分かってしまう。少し黙っててほしいものだ。
「黙っているじゃないか。人間にキミの本性告げるわけじゃなし」
 少し静かにしろー!
 でもって、本性ってなんだ、本性って。

 僕はただ、人間の思考回路が働いて、人間とある程度意思の疎通が出来るだけだ。
 猫たちとだって話すことができる。
 だから結構な確率で、猫絡みの事件に巻き込まれやすいだけのことだ。
「そりゃ、キミの本性そのものが為せる技だろうに」
 ロッシの口ぶりは容赦がない。

 向こうの世界に言わせれば、僕は狭間のような役割を果たす力を持っているのだという。向こうの世界から逃げた犯罪猫達や、こちらの世界で猫絡みの犯罪に手を染める輩を排除するため、僕の力は必要なのだという。
 とするならば、僕のような力を持つ者が、非常に少ないのだろうという予想が付く。
 僕は力と言っても武力とか妖力は持ち合わせていないから、いつもジョーイが助けてくれていた。ジョーイもこの世と来世の橋渡し役、なんて自分では言っているけれど、多分、嘘だ。
「そ、嘘だよ。彼は将軍クラスって言ったじゃない」
「ロッシ。僕の心の中が読めてしまうのはキミのせいじゃないと思う。でも、心が自動で読めるわけじゃないだろう。少し休めよ」
「大丈夫。僕の体力は無限大だから。僕らは寝なくても良い存在だしね」
 マジすか。
 僕なら無理です。
 人間時代同様の睡眠時間保たないと、おもてなしサービスできません。ただでさえ、人間が一日朝昼晩と食べるところを朝晩の二回に減らされ、腹が満たない僕。
「僕は基本食べなくて済むから、キミにあげるよ。ただし、太らないようにね」
 ロッシ。良い奴だけど、やっぱりひとこと多い。少々・・・むかつく。

 人間万事塞翁が馬という諺があるらしい。
 僕は何故か、人間時代から諺には全く脳が反応せず、この言葉の意味も、実は良く理解できていない。
 確か、人間の吉兆・禍福は変転し、予測できない。それゆえに吉兆・禍福の毎に、安易に喜んだり悲しむべきではない、ということらしい。
 要は、いちいち細かいことで一喜一憂するな、ということなんだろうか。

 その意味で正しいとするならば、実は僕、この諺は猫にも当てはまると思っている。
 ライオンやトラなどは、同じネコ科でも、ある程度群れて暮らすらしい、犬や猿のように序列があるのかどうか、知らないのだが。
 え?人間だったくせに、それもわからないのかって?
 いやあ、面目ない。
 知らない。

 僕はねえ。
 生物という教科に興味なく生きてきたんだ、人間時代には。学校の成績も、生物だけは下駄を履かせてもらったくらいだ。『下駄を履く』の意味?若い諸君は知らなくてよろしい。
 兎に角だ。猫になってからかな、生物とは何か、とか、周囲は何をする人ぞ、とかいって周りをよく観察するようになったのは。マーケティングとかは仕事で齧ったことがあるから、なんとなくわかる。説明しろって言われると、辛いけどね。
 で、思った。
 観察は、難しいけど楽しい。
 今、おもてなしサービスを通じながら行う人間観察ほど、面白い物は無い。目下、僕らが熱中している話題というか、遊びというか。
 推理観察ゲームというヤツだ。
 お客さんが来て、みんなでおもてなしをする。カフェの営業時間が終わったら、一番気になったお客さんのことを細かく観察し、皆であーでもないこーでもない、とやるわけだ。
 それは、お客に限らない。
 人間全般に当てはまる。

 そうでーす。彩良さんや歩夢(あゆむ)、もといあゆみさん、聖司たちのスタッフさんも、全てターゲット。
 前から怪しい素性だと思っていたんだ。ぜひ、皆の考えが聞いてみたいところだ。

 まず、動物愛護団体の代表、彩良さん。
 彼女は代表ということであちこち駆けずり回って猫を保護し、四階建てほどのビルを借り切って保護場所に充てている。サラリーマンしていた僕の記憶から換算すると、ビルの賃料は何十万、いや、何百万単位になるはずだ。
 以前にも僕の考えを述べたかもしれないけれど、血縁の所持物件か、余程のパトロンがいないと、活動が続かないのは目に見えている。ボランティアさんが働いてくれるから、月々のお給料までは考えないとしても、猫達にかかる経費だってバカにならない。

 カフェの猫仲間たちは本人に聞けよと言うが、いやいや、助けてもらってご飯まで貰っている身の上で、
「あんた、パトロンいるんっすか?」
 などと正面切って聞けるわけもなかろう。
 怒ってガス室送りにはしないまでも、喧嘩始めたら怖いんだ、彩良さんは。
  
 彩良さんは一般の人とは喧嘩しない。
 唯一喧嘩するのは、カフェオーナーの歩夢くらいか。

 この歩夢が、これまた不思議な人物で。
 オネエなんだが、怒ると極道或いはナントカシネマ張りの声で怒鳴る。こいつはマジもんじゃねえか?と思うくらいだ。
 ドッカーン。
 爆弾が投下されたのと同じですね。
 投下される前に、危険を察知して逃げる。これが僕等の常套手段だ。
 ロッシは、さすが向こうの世界で修羅場を潜り抜けているだけあって、この怒鳴り声にも動じない。
「だって、キミ。人間一人廃人にするなんて、赤子の手を捻るより簡単だから」
 ロッシ。
 キミもかなり極道な猫だと思う。


 歩夢(あゆむ)が本名だけど、あゆむと読んだら、極道の嵐が吹き荒れるのは必至だ。あゆみと呼べば、機嫌が直る。
 本当に、見かけは女性そのもの。
 元々色素の薄い顔立ちではあるが、しなやかな髪の毛は、かなり明るい色に染めていても眉やまつ毛との色差を感じさせない。まあ、化粧のなせる技もあるのだろうが、僕が見る限り、厚化粧というわけでもない。本当に元々から外国の血が混じっているように感じられる。
立居振舞には一瞬たりとも気を抜かない。頭のてっぺんから爪先まで、どうしたら女性力を高め保持できるのか、そればかり考えているような気もする。

 でも、そればかりじゃない。
 カフェを不定休にして消えていくときもある。
 彩良さんの手伝いもあるようだが、そればかりではないらしい。たまに電話が入るから。
 そのときの歩夢は、地声だ。それも、とても丁寧な言葉を使う。女性的な要素は一切封印して、男性として話しているとしか思えない。

 電話が来ると、まずそうやって丁寧に話をしたあと、すっかりオネエ言葉に戻ってボランティアさんのヘルプを探し、ヘルプが確保できれば店は継続。確保失敗の折には「また来てね」の不定期休業看板が店先に立つわけだ。
 どこへ行くモノやら、間違っても色物やフリフリモノは身に付けない。質素に、モノトーンを基本とした格好に着替えて、付け爪を外し髪を束ねてから、店を後にする。
 窓から眺めるその後ろ姿は、凛として歩いているものの、何処となく寂しげな背中だ。
 
 僕が思うに、あれは、実家からの電話だと見た。
 男にとって、実家からの電話ほど面倒な物は無い。
 中味が何であれ、ハッピーな呼び出しなど年に1回あればいい方だ。
 ふっ、大学卒業し結婚後、何回もそういう呼び出しを受けた僕だからこそわかる、歩夢の心理状態。
 用件は人それぞれだから、わからないけどね。

 もう一人、近くにいる人間といえば、聖司だ。
 彼は、隣の動物病院に勤務する獣医師だ。
 勤務とはいっても、ほぼ中心的な役割を担っている。
 スタッフシフト管理や万が一の場合に備えたマニュアル作成、役所関係書類の作成など、あらゆることを一人でやってのける。
 それでいて、医術にも長けているから動物からも飼い主さんからも、スタッフさんからも厚い信頼を寄せられている。

 が。僕と聖司は、永遠に交わらない線の上を歩いているようなものだ。
 聖司が、僕の存在を認めようとしない。
 人間の思考ができる猫などいない、それが彼、聖司の持論だ。近頃はいくらか譲歩してくれる時もあるが、基本的にヤツは僕に与しない。
 まあ、僕としては、僕たち猫に必要な時、彼が働いてくれさえすればいいから特に異論もなく、殊更声にしたいこともなく。

「僕もヤツは苦手だ。あいつ見てると、笑い掛けたくなるんだよ」
 ロッシ。
 お願いだから、これ以上聖司を挑発するのは止めてくれ。

 あ。
 そういえば。
 僕は彼等の名字さえ知らないような気がする。
 いや、聞いたけど忘れたのかもしれない。人間時代は名前を忘れないよう心掛けたものだけど、猫になると名前だけ覚えればいいや、って思ってしまう。
 郷に入れば郷に従え。
 え?違う?あれ?どこが違うんだ?
 やっぱり僕は諺が苦手だ。
 
 まあ、名前さえ覚えれてば別に苦労もないし、いいかあ。
 カフェ組の他の猫たちも、人間たちの過去とか背景とか、わかってないようだ。
 そうだよね。猫にとって重要なのは、ご飯を与えてくれる、寝床を与えてくれる誰かなのであって、それが人間だろうが鬼だろうが関係ない。僕のように、彩良さんたちがどういう背景を持っているかなんんて、気にする方がどうかしている。

 でも、聖司はそれなりに収入を得ているはずだからいいとして、動物愛護団体の設立や猫カフェはそんなに儲かる仕事ではあるまい。
 僕が亡くなった歳と同じくらい、アラフォーの彼等がどうしてそこまで猫に拘り、情熱を燃やし前に進んで行けるのか。正直、僕は不思議でならなかった。


 その答えは、突然僕の目の前に言霊という形で姿を見せた。
 3人が閉店後のカフェで語り出すのが聞こえた。
 耳を澄ませた。

「お疲れ、歩夢。大変だったね」
「マジ疲れたあ。イヤなのよね、あそこ行くの」
「おいおい、実家だろう。そんなに嫌なのか」
「当たり前じゃない。アタシみたいな異端者が居ていいとこじゃないんだから」
「異端者ねえ。伊集院の御曹司でも悩みは尽きないってことか」

 僕は耳を疑った。伊集院の御曹司?もしかしたら、何社もの系列会社を持つ、あの伊集院商事のことだろうか。更に耳を澄ます。

「はあ、あんた幸せ者ね。御曹司がどうしてこんなとこでオネエ生活してると思うの」
「知らん」
「これでも一応勘当された身なのよ、ね?彩良」
「勘当されたかどうかは別として、うちに来たときは驚いたな」
「あの頃は半端なく荒れてたからねえ。八神の門を叩きたくなったわけよ」

 八神一門といえば、任侠の世界じゃ有名処じゃないっすか。極道といえばいいんですね、素直に。
 で、もしかして、彩良さんは其処の娘さんだということですね。

「そういや彩良ん家で聞いたんだけど、お前マジ極道になるつもりだったって?」
「オネエが極道すんのかい、ってオヤジサンに笑われたの。今でも思い出す」
「家に暫く居て下働きしてくれたからね、そっち方面の流儀には慣れたでしょうが」
「とっても勉強になったわ。金持ちのそれとは違う、任侠の世界だったもの」
「俺は金持ちになりたかった」
「聖司、あんた・・・」
「金のない辛さは嫌というほど味わったよ。伊集院のおやっさんに会ってなかったら、今の俺は無い。底辺でジタバタしていたかもしれない」
「そんなことないでしょ。アンタ前向きだもの。奨学金でも何でも借りて勉強したはずよ」
「田舎から出てきた俺にどこまでできたと思う?たかが知れてらあ」
「あたしら、トライアングル関係だもんね」

 おい、彩良さん。トライアングルいうたら三角関係やないか。あんたたちほど三角関係という言葉が似合わない人たちもいないだろう。

「オヤジサンのところで初めて彩良に会って、猫の保護活動しないかって誘われて。保護場所で獣医学部からボランティアで参加してた聖司に会って」
「俺の身の上話を聞いたお前が、伊集院のおやっさんに引き合わせてくれた」
「パパはね、本当はアタシに会社を継いで欲しいのよ、今でも。でもアタシがこんなんで結婚する気も毛頭ないから、聖司に会ったとたん、後継者を聖司に決めちゃったのよねー。正しくは、アタシの妹を聖司の婚約者として現在婚約ちう」
「女探す手間、省けたじゃん」
「まあな。歩夢の妹、滅茶苦茶美人だし。歩夢を見てるから、立居振舞もきちんとしてるよな」
「アタシと違うのは、身長と声だけよ」

 なんとなくだが、三人の関係性が見えてきた。
 彩良の家は、任侠の世界に生きるモノたちが集っているのだろう。そして、実家を勘当され荒れ果てたオネエの歩夢が、何かの縁でそこに現れた。極道目指すつもりが、彩良の猫保護活動に無理矢理駆り出され、そこでボランティアの聖司にあった。自分たちの境遇を話しあううち、三人は意気投合し、歩夢は極道から猫保護の道へ、聖司は獣医師から将来的には伊集院の後継者に、ということで将来的に方向転換するということか。なるほどね。

「まあ、たまたまうちで持ってたビルが一気に空く、っていうから保護場所として確保できたけど」
「彩良んとこのオヤジサンは、彩良にすごく甘いもの」
「だからあたしは強欲なんだよ。絶対に猫を助けるんだ、って思っちゃうしね」
「それに俺と歩夢が付き合わされてる現実はあるな」
「あら、あたしの保護活動があったからこそ、あんたたちが出逢ったんでしょうに」
「そりゃそうだ」
「そうね、アタシも彩良に出逢って、彩良の家で色々教わって、やっと家に戻る決心ついたからねえ。ついでに聖司の医院開設代、援助してもらえたしさ。親と解り合えたわけじゃないけど、金のことも含めて、やっと少しは冷静に話せるようになったかな」
「このビルも、歩夢の家から出資してもらって借りれたし。失敗できないね、歩夢のためにも」
「おう。絶対に結果出して見せる」

 ふうん。そんな関係性だったのか。あまりにカラーの違う三人だから、いままで関係性も見えなかった。

 僕なんて、ホント、普通に生きてた。
 高校行って、大学行って、就活して、企業入って社内恋愛の末、小夜子、あ、元妻ね。元妻ってのも何か生き別れたようで嫌だけど。実際、生き別れかな、向こうもまだ生きてるし。小夜子と結婚して子供たちも生まれて、さあこれからも、って時に、車と喧嘩しちゃったのさ。鉄の塊と一戦交えて勝った人間なんていないだろ。熊なら勝てたかもしれないけど。
 いや、別に熊になりたいわけじゃない。
 ああ、こうやっていつも話が飛んでしまう。

 要は、ついてない人生だった、ということさ。やりたいことも見つけられず人間を止めてしまったのが残念でならない。
 だから、この三人には、やりたいことを存分にやって欲しいと願っている。
 少しだけ、おもてなしサービスで手助けになればいいな。

「人間とは、かくも深き友情で結ばれるものなのか」
 隣でロッシが涙目になっている。
「いや、この三人は特別変わった人生かもしれないよ。それでも、応援したいね」
「そうだな、僕がおもてなしサービスでにっこり笑えば反響を呼ぶはずなんだが」
「いや、ロッシ。別の意味で聖司から目を付けられるから止めてくれ」
「そうなのか?」
「そうだよ、聖司はノーマルな人間だから、僕たちみたいな不思議猫を認めない」
「僕は至ってノーマルな猫だと思うけど。僕たちは。キミの顔がハンブサなだけだろ」
「顔の問題じゃないよ。この世界の動物の理から、ちょっとはみ出しているんだ、僕等は」
「難しいな、こちらの世界は」
「そうかもしれない」

 三人は、時にのんびりと過去を振り返り、時に熱く未来を語り、お互いにエネルギーを注入し合ったように見えた。

「じゃあ、俺、病院に戻るわ」
「アタシ達も片付けて、あとはお仕舞よ」
「お疲れっ、みんな!」

 隣り合った病院へのドアに近づく聖司。
 やれやれ。今日は僕への攻撃もなかった。一安心というものだ・・・。
 何か、今、僕の横を通り過ぎた・・・。
 ぎょえ――――――――――――っ。
 ロッシが、果敢にも、いや、無謀にも聖司の前に立った!
 出るのか?あのにっこり笑い。
 出すのか?あのかなり無理したようにしか見えない口元を曝け出すっていうのか?
 
 笑った。
 あうぅ・・・。やってしまった。
 ロッシは以前から聖司をからかうことに一種の喜びを感じそうだと言っていた。
 ドSじゃないんだから、止めてくれ。心臓に悪い。
 これでロッシ、キミも僕同様、ある種、聖司のモルモットとなり、たまに頭弄りたいとか言われるようになるんだ。
 覚悟してくれ。

 聖司は、といえば。
 わなわなと震えている。そりゃそうだ。
 僕みたいな猫の他に、笑う猫まで出たんだから。
 獣医師としては、有るまじきものを見ていることになるよね。
 散々な目に遭ったねえ、聖司。
 一刻も早く、忘れることさ。どんまい、聖司。

「おい、ショタ」
 え?誰だい?僕のこと呼ぶのは。もう寝る時間なんだけど。
「おい、呼んでるのがわかんねえか、ショタ。俺だよ、聖司だよ」
 な、なんで僕が。なんで呼ばれるのさ。
 聖司がくるりとこちらに向き直る。
「お前。今の、見たか?」
 僕は急いで首を横に振る。
「じゃあ、知ってたのか?」
 聖司が僕を持ち上げ、自分の目線まで近づけた。
ナントカシネマチックなあの目の怖さ。
 止めてくれえ。

 僕はまた、首を横に振る。
「ほう、知らなかったってか。そういやあ、こないだの双子猫襲撃事件のときも、ロッシは無傷だったよなあ。大人しいロシアンブルーにしちゃあ、珍しい」
 僕はもう、袋の鼠の気分だ。どっちに転んでもいいことが無いような気がする。
「お前が言うなら、気のせいかもな」
 僕は一生懸命頷く。
「でも、また笑ったら、お前の頭ん中弄るぞ」
 なんでそうなるの――――――――――――――――っ!
 笑ったのはロッシでしょうに―――――――――――っ!
 弄るなら、ロッシの頭にしてよお―――――――――っ!

 僕は、聖司の元から離れベッドに戻って行くロッシに向かって叫ぶ。
「何で笑ったんだよ!どうして僕がとばっちりを受けなくちゃいけないんだ!」
「いやあ、つい」
「つい、じゃないだろう!あれほどコイツの前で笑うな、って釘刺したのに」
「釘を刺すから悪いのさ。誰しも、行ってはいけないと言われれば言われるほど、それが甘美な蜜に感じられ、そのことを考えずにはいられなくなる。止めさせたいなら、別の表現にするしかないんだよ」
「じゃあ、なんていえばいい」
「一言で言い。『あいつの前で笑ったら、即、あの世行きだから』そういえば良かったのさ」
「そりゃ屁理屈だろう。見ろ、聖司の、あの顔」
「そのうち忘れるさ。僕のことはね」
 僕は目が点になる。
「また記憶操作するのか」
「やだなあ、人聞きの悪い。そうしないと知れてしまうからね。真実は闇に葬るに限る」
 ロッシ、まるで映画に出てくるマフィアかギャングの親分みたいだ。
 
 僕はぐったりとしながら、聖司を見た。
 聖司のギラギラした目と、今にも妖怪に変身しそうな口元が、今尚、僕を見逃すまいと付け狙っている。
 僕は失神寸前に追い込まれそうな勢いで、その場に釘付けになる。

「どうしたのさ、聖司」
「そうよ、ショタが怯えてるじゃない。その子、役に立つんだから大切にしてよ」
「ああ、そうだな。役に立つよなあ」
 聖司の目は、妖怪の一歩手前になっている。
「ホラ、離してあげなさいって」

 歩夢のレスキューで、漸く聖司の魔の手から逃れた僕。
 ロッシを見た。
 おおお。なんということだ。
歩きながら、今度は彩良に媚び売ってやがる。
 さすが、向こうの世界の俺様ナルシストは、やること為すこと、超大胆だ。

 ロッシ。
 聞いてくれ。この世界は、極道やらマフィアやら、妖怪に満ちている。
 僕はね、この世で一番、妖怪が苦手なんだよ・・・。

 猫が好きな人も、ショタに興味のある人も、またのご来店をお待ちしています。

 ハンブサ顔のトラ猫ショタが、事件解決に奔走する!
「うぇるかむ!ニャンズハウス!」

うぇるかむ!ニャンズ・ハウス 

うぇるかむ!ニャンズ・ハウス 

  • 小説
  • 長編
  • 冒険
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 第1章  ~ショタ誕生編~
  2. 第2章  ~カフェ開店編~
  3. 第3章  ~正体不明の猫たち編~
  4. 第4章  ~ハウス界隈の人間模様編~