病は血から

「吸血鬼でも体調崩すんやな。」
「そりゃ、血を吸う以外は普通の人と同じだもん。」
 西日がカーテンの隙間から突き刺さる部屋に、二人女子高生がいる。片方は寝巻のまま布団に入り、片手を額に当ててぐったりしている。もう片方は制服姿のまま枕元に座り、桃缶を皿に開けている。座っている方は海野遥佳という人間、ぐったりしている方は山井翠という吸血鬼である。
翠の顔は真っ白に色を失い、しかし血走った目は白目が黄ばんでいる。明らかに普通の人ではないが、それは病気のせいなのか、吸血鬼だからなのか、遥佳は黙って考えながら桃をフォークに刺し、汁が布団に垂れないよう皿と一緒に翠の口元に持っていった。
「親は相変わらず午後おらんの。」
「お父さんもお母さんも丁度さっき家出たところ。」
「てことは昨日の夜も翠しかおらへんかったんやな。」
「…昨日は、ごめん。」
 〝昨日のこと″を翠が口にすると会話がまた滞った。
「今日学校来なかったのって、ほんまは体調不良とかじゃなくて、私に会いたなくてサボっただけと違うかと思ったけど…。」
「そんなんじゃないって!ちゃんと謝りたかったんだけど、どうしてもしんどくて。」
 昨日二人に何があったのか。夕方、二人で駅からそれぞれの家に帰る途中に通る公園でのことだ。
「もしも私が吸血鬼だって言ったら、遥佳は私のこと嫌いになる?」
 突然の告白だった。当時、自ら吸血鬼であることを名乗り出る者は珍しかった。しかし、ジッと目を見つめてくる翠の表情と不安げに揺れる声を、遥佳は嘘だと思えなかった。
「その、私は別に、翠が吸血鬼でも全然構わへんというか、その、何で急にそんな話したん?」
 遥佳は一瞬何と言うべきか迷ったが、結局素朴に疑問をぶつけてみることにした。翠は遥佳の言葉を聞くと何かを言おうとするかのように口を開いたが言葉は出ず、そのまま俯いて黙ってしまった。ジリジリと時間が過ぎていく。
遂に翠が口を開いた。
「私、薬で吸血衝動抑えてて、吸血鬼だってずっと隠してたんだけど…最近ずっと遥佳の血を吸いたいって気持ちが抑えられなくて。」
 そう言うや否や、翠は遥佳の体に身を寄せると彼女の両肩に手をかけ、背伸びをして自分より少し大きい遥佳の耳元まで顔をもっていった。遥佳は急なことに混乱し、何よりいきなり血を吸われることを嫌がったのだろう。何やら喚き散らして、最後は半ベソをかきながら翠を引き離そうとしたが、片田舎の公園に助けは現れず、翠は聞く耳を持たなかった。遥佳の首筋に一瞬チクリとした痛みが走り、ゆっくり体中の力が抜け、視界は暗転してゆき――
 ――目が覚めると顔を覗き込む翠と目が合った。遥佳は翠の膝を枕に公園のベンチで寝かしつけられていたらしい。辺りは真っ暗になっている。そこからは大喧嘩だった。
「何で急に襲って来たりしたん!」
「襲ったって…そんなことしてない!」
「急に首に噛み付いて人の気失わさせといてどこが襲ってへんねや、このアホンダラ!」
「だって吸血鬼でも構わないって遥佳が言ったから…。」
「何の断りもなく噛み付くやつがおるか、ボケナス!」
 終いには翠が泣き出し、会話もままならなくなったところで遥佳は翠を置いて帰ってしまった。噛まれた所は腫れてて痒いし、頭はクラクラするし、一人の帰り道は腹立たしさばかりがぶり返しただろう。しかし一晩も経てば冷静さも帰ってくる。公園での出来事の間に見せた、普段は見られない色々な表情を思い出してなお、いつまでも怒り続けるほどしつこい性質を遥佳はしていなかったのが幸いだった。
「昨日はさ、怖かったん。急に翠が豹変してもうたんか思うて。でも、翠が吸血鬼でも構わへんってのは、嘘とちゃうんやで。だから、これからはちゃんと説明して。私にも翠の気持ちが分かるように。」
「ごめんね…ありがとう…。」
 薄ら涙を見せながら翠は答えたが、桃を頬張っている姿が感激を些か台無しにしている。
「ええねん。ほんでな、何で急に私の血を吸いたくなったん?薬で抑えとるとか言うてたやん。」
 翠は桃を口でモゴモゴさせるばかりで何も言わない。ようやく口の中が空になると、一呼吸おいてから「分からない」と弱弱しい声で答えだ。
「そっかー。まあええわ。この話は一端終わりにしよ。そんなことよりな、今日――。」
 それから暫くは学校であった事を遥佳が話してみせたり、他愛もない会話を努めてし続けた。
 外の様子も暗くなり、桃缶も空になった頃。いい加減遥佳は帰らなくてはならなかった。翠は遥佳を見送ろうと一緒に立ち上がったが、よろめいて遥佳に抱き着く形になっていしまった。
「無理せんでええよ、別に。」
「でも、どちみち鍵かけなきゃならないし。」
「…吸血鬼ならさ、血吸ったら体調良うなるなんてことあらへんかな。」
 態勢を立て直そうとフラフラと立つ翠を見て遥佳はそう言うと、左腕の袖を二の腕までまくり上げてみせた。
「ちょっとだけなら、飲んでもええよ。ちょっとだけな。」
 翠は初め「でも…」と言って躊躇っていたが、遥佳は何も言わず頑なに二の腕を翠の顔の高さまで持ち上げ続けた。
 遥佳は腕を持ち上げている間、一度も翠の方を見なかった。見ない方が良いかと思っていたし、見たくないとも思っていた。だから翠が噛み付く瞬間の様子を遥佳は知らない。ただ、腕を掴まれる感触と公園で味わったような痛みを一瞬感じたので、翠が噛み付いたことはよく分かった。スッと腕の感覚がなくなり、耳を澄ますとギュルギュルと血を吸い出す音が聞こえる。翠は一心不乱に遥佳の血を吸っていたのだが、遥佳には見なくても十分伝わっただろう。
 実際には一分くらい、遥佳の体感的にはもっと長く、翠の体感的にはもっと短い時間が過ぎた。腕が軽くなったことを微かに感じ、吸血が終わったことを遥佳は悟った。翠の方を見てみると、不安げに遥佳を見上げている。口の周りは赤くなり、心なしか血色がよくなっている気もする。腕は噛まれた所で血が滲み出ている。遥佳が翠にガーゼを貰って巻きつけながら、「私の血、美味しかった?」と聞いてみると、翠は不安げな表情のままゆっくり頷いた。
 翠が再び口を開いたのは遥佳が家を出ていく瞬間であった。
「また、血、飲んでいい?」
「たまにならな。あとは二人っきりの時やな。」
 そう言って遥佳は手を振りながらドアを閉めた。
 次の日、翠はまたしても学校を休んだ。その上、さらに気掛かりなことが遥佳に訪れる。昼休みにふと携帯を見てみると、市内の大学病院からメールが来ている。不審に思いつつ中身を見てみると、「山井翠さんの病気に関してお伺いしたい」云々とある。何が起きているのか分からないが、翠の病気についてと言われて行かないわけにはいかない。
放課後病院に着き、受付でメールの件を話すと、間もなく病室へと案内された。まず目に入ったのは年太り・丸眼鏡・白衣着用のオッサンであった。ベッドの横で腕組みをして立っている。ベッドの中には翠が寝転がっている。腕から色々な管が伸びている。先に翠が遥佳に気付き、それからオッサンも遥佳を見る。
「君が海野さんですね。山井君の担当医の原田と言いまず。ちなみに私も吸血鬼です。こんな小汚いのもいるんですよ。」
 原田が人間か吸血鬼かは初見じゃ分からないが、お喋りであることには遥佳は確信が持てた。少し甲高いトーンでベラベラ喋る。
「君と話したいことがあったから呼ばせてもらったんだけど、山井君は吸血鬼であることを隠しているからね。学校も親御さんも介さず呼び出すために山井君からアドレスを聞いてメールさせてもらいました。驚いたかも知れないが、申し訳ない。」
「いえ、そんなことないです。それより、お話って。」
 原田は初めこそにこやかだったものの、本題に入ると少し険しい表情をしてみせた。
「山井君に聞いたら、彼女は海野さんの血を飲んだとのことだったんだけど…ああ、首に噛み跡があるね。その吸血のことなんですが、海野さんの血液型、って分かります?」
「たしかAだったと思うんですけど…。」
 医師は汚い横文字で何やら手に持ったカルテに書き込んでいる。それから大きく息を吐いてから再び話し始めた。溜息にようにも聞こえる。
「吸血鬼っていうのはですね、血を吸うこと以外は基本的に人間とあまり変わらないんですよ。その吸血っていうのは、簡単に言うと輸血みたいなもので、つまり違う血液型の人から血を吸うと、血が壊れて貧血状態になる。ザックリ言うとね。」
 そこまで聞いて、遥佳は翠の体調不良の原因が概ね察しがついてしまった。翠を見ると何だかばつが悪そうな表情をしている。
「それで、山井君はB型なんだけど、もし海野さんがA型なら不一致で吸血すべきではないんですよね。今山井君に出てる症状が、違う血液型を吸飲したときの症状によく似ているのでお伺いしたのですが、どうやら見通しは合ってるようですね…念のために血液型の検査をしたいので、採血させてもらってよろしいですか。」
 遥佳は小声で「はい」と即答し左腕を出したので、原田は遥佳が二度噛まれていることを知った。どうやら二度目に関しては言っていなかったらしい。「きっとAですよ。むしろその方が良い。」と口ではヘラヘラしていたが、顔はさらに険しくなり、注射が終わると翠の方を向いて
「確認しなかったの?血液型のこと教えたでしょ、一応。」
 ときつい口調で問い質した。翠は医師には目を合わせないようにしているのか、反対側に少し首を捻って、
「遥佳は性格的に絶対B型だと思って…。」
 とボソリと呟いた、医師は正に呆れてものも言えないし、遥佳も間抜けな真相を知り思わず「嘘やん…」と口に出す始末であった。
「まあ、数日入院すればすぐに治りますよ。心配なさらず。」
 原田の言葉通り、翠は二日程で恢復し退院した。また以前のように二人で公園を通り下校する。
「絶対B型だと思ったのに。全然A型っぽくないし。」
「まだ言うてるのか、しつこいやっちゃなー。そんなことより、結局何で急に血欲しなったのかお医者さんに聞きそびれて分からずじまいや。…何でなん?何か説明受けへんかった?」
 遥佳の言葉に翠は表情を強張らせ歩みも止めた。そして小さい声で唸った後、振り絞るように喋り出した。
「吸血衝動は『強い興奮状態』に空腹感が重なると発生すると考えられているんだって。私が飲んでる薬は空腹感を抑えることで吸血を防ぐものなんだけど、興奮が強いと衝動を抑えられないこともあるみたいで、つまり、その…。」
「そんなにお腹空いてたんか!」
 顔を真っ赤にした翠が目を丸くして遥佳の顔を見た。満面の笑みを浮かべ、「この食いしん坊が!」とか言いながら呆気にとられた翠の頭をワシャワシャと撫でてくる。
「でもこれから血欲しい時はB型の人探さなあかんで!」
 遥佳は一人歩き始めたが、翠はいつまで経っても突っ立ったままなのに気付き、「走って来いやー。」と大声で呼びかけた。しかし翠の心持はそれどころではなかった。
「何でそんな結論がでるのよ!話聞いてたの!?」
 泣きそうになりながらできるだけ大きい声で叫び返し、全力で駆け出し遥佳に飛びつくと、
カプリ。
「こら、何また噛み付いとるねん、馬鹿翠!また病気になりたいんか!」
「病気になんかならないもん!遥佳以外の人から血を貰ったことなんてないもん!」
「何意味分からんことを言うてんねや!お前がまた病院送りになるって話やろ!B型の血を吸え、この食いしん坊!デブ!」
「他の人の血なんかいらないし、病気になってらまた治せばいいし!私は遥佳の血が、遥佳が――。」
「は?何やて?聞こえへんわ!ちゃんと分かるよう説明せいと前言うたやろ!自分アホの子か!」
 こうして二人で離れろ離れまいの格闘をした末に何とか翠を引き離し、何でまた血を吸おうとするのかを遥佳が問い質したが、翠は要領を得ない返事をするばかりであった。挙句、また遥佳に抱き着いては噛み付こうとして取っ組み合いになるのである。結局、その場は遥佳の手の甲にできた擦り傷の「処置」を翠がすることで手打ちにした。
(おしまい)

病は血から

病は血から

何年か前に書いたやつです。書いた時の記憶があまりないですが、百合が書きたかったのだろうか…?

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-02-02

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