灰色と音色

また今日も彼はそこにいた。これで七日目だ。駅前でギターを下げ、自作の歌を披露している彼の曲に感動しているのはきっとまた私だけだろう。今日もまた別の歌を唄っている。この、サビれた社会を風刺しきったかのようなこざかしげた歌だ。

一週間前、私は通学している私立高校から電車で帰宅している時に、臙脂色のギターケースを背負った彼の姿に目が止まった。…この人はこれから何をするんだろう。いや…きっとさっきどこかのスタジオで活動をしてきたかもしれない、それとも将来有望なアーティストか、私は彼から他の人には感じられない独特なオーラを感じた。この人を尾けよう。そう思った時には彼はドアの前に立って電車を降りる準備をしていた。すかさず私は彼に順じた。ドアが開き、人混みが激しい中私は必死に彼を見逃さないよう追いかけたが、それはそれは体格の素晴らしい男に思い切りぶつかり刹那的に意識を失った。
「大丈夫ですか?」
男は親切な事に心配してくれていたが、正気を取り戻した頃には私は彼を血眼になって探し回っていた。
「大丈夫ですから。」
私はそれだけ言って男を後にした。…あれ、どこにいった?もしかして見失ったか。あの男がいなければ…!私はもう彼には会えないのだと思い、背中を丸めてコンクリートの地面を見ながら駅前の通りを歩いていると、臙脂色のギターケースが目に入った。ーー彼のだ。顔を上げるとやはり彼はいた。チューニングをしている彼の姿を見て、今から始まると思う路上ライブに期待の胸を躍らせていた。歌い始めるのを待っている私を見て彼が、
「初めてなんです。」
一瞬、誰に言ったか分からなかったが周囲を確認すると私しかいなかったのでこう応えてみた。
「楽しみにしています。お一人ですか?」
すると彼は笑顔で言う。
「ええ、実はもう一人いたのですが、俗にいう音楽性の違いとやらで今日からソロでやっていこうとしているんです。」
私はその"俗にいう音楽性の違い"とやらを深く追求しようとしたが、今はただ彼の歌を聴きたかったのでその場では口を塞いでいた。
間もなくして、彼の路上ライブは開演した。客はただ一人、私だけだ。それでも彼は私のため(?)に歌い続ける。一曲目は、女性が一途に男性を想い慕うラブソングで私にはそれはとても濃く洗練されたものに聞こえた。反射的に賞賛の拍手をしていた。すると彼は、
「二曲目ですが次が本日最後の曲になります。」
二曲目にして最後の曲では、スピード感溢れるリズムの良い曲調に仕上がっていた。そんなリズムとは似合わない恋の歌詞に少々違和感を感じたが私はなんだかこの曲が好きだ。ーーいやどうだろう、本当に私は今この曲に感動を覚えているのかな。それともオーラだけに惹かれ下手くそながらに自身の歌を一生懸命に唄っているこの彼に恋心を奪われたのか。間違いなく後者だ。私はきっと彼を好きになったんだろう。うっとりとした顔で見ている私を不思議がって彼は口を開いた。
「あの、どうしました?もしかしてイマイチでしたかね…、やっぱり僕は音楽には向いてないんでしょうね。あいつが僕と別れた時、同時にもう僕も音楽を諦めればよかったんだ。現に今、あなたしか聴いてくれなかった。」
"あなたしか"という言葉に引っかかり、私はネガティヴな発言をやめない彼に少し動揺したが、同時に同情もした。
「そんなことないです。とても素敵な歌でした。少なくとも私はあなたの歌に感動したんですから、私がここにくる間はまだこの路上ライブ、やめないでくださいね。」
そう言った瞬間、別な女性の声が聞こえた。
「竜司、今終わったの?迎えに来たよ。あら、お客さん?良かったじゃない、栄えある初日のライブにお客さんが止まって聴いてくれて。」
彼の名前は竜司、と言うそうだ。でも私はこんな状況で彼の名前を知りたくなかった。まさか彼に、迎えにくるほど仲の良い女性がいるなんて微塵とも思っていなかった。
「いつも悪いね美咲。じゃあ行こうか。…あ、お客さん、明日も待ってますから!」
美咲という女性と手を繋いで、彼はこの場を後にした。彼は無邪気な笑顔で繋いだ手をぶらんぶらんさせていた。言葉も出ず、二人の姿が見えなくなるまで、私は呆然と突っ立っていた。絶えず涙が止まらなかったことは言うまでもない。

あの日以来、私は彼と話していないし、姿も見せていない。なぜ彼は今こんな灰暗い歌を唄っているのか見当もつかないが、あの日以来、お客を前にして唄っている彼を見たことはない。正直、"ざまあみろ"だと思ったことは数回あった。少なからず私は今の彼の目には希望の色は見えない。そしてあの日以来、彼女からの迎えがあった日は一度もない。もしかしたら彼はそんな世の中に嫌気がさしたのか、それとも全く自分の歌が評価されないのに納得がいかないのか、あるいは両方か。だとしても私は、"彼は一度彼自身を見直す必要がある"と思うから今は会わない。
ーーふと空を見た。あいにくの曇り空だったので、今日もまた星空が見れないことに私は悲嘆した。

灰色と音色

灰色と音色

駅で一目惚れをした一人の女性の話 そしてその一目惚れをした相手は歌唄いだった

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-02

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