秒速十メートルの伝言

萌芽つゆり

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 この地球上には七十億の人間がいるという。
 その中で、一体、どれくらいの割合のひとが――「はじめまして、私は死神です」と挨拶してきた男の言葉を信じるだろうか。

「花江季久さん。残念ながらあなたの余命はそんなに長くなくてですね。心残りなく死んでいただく、そのためのお手伝いをしに参りました」
 男は、胡散臭い笑顔を浮かべながらあたしに名刺を手渡した。真っ白な長方形のそれには黒い字でこう書かれてある。
 死神No.444
 担当業務・葬送準備、その他事務
「しに、がみ……?」
 あたしは訝しげに眉をひそめながら、名刺と、目の前に立っている男を交互に見た。
 中肉中背。喪服のような黒いスーツ。漫画やゲームで描かれているような、骸骨だったり、足まで覆うフード付きの黒いマントを着ているわけでもなければ、背丈よりも大きな鎌も見当たらない。出会い頭に変なことを言われなければ、この辺りが住宅街であることから、セールスマンにも思っただろう。
 これが家のインターン越しであれば無視も容易いが、足を止めてしまった上、ご丁寧に名刺までもらってしまった。あたしの家はこの道の先だし、かと言って、今さらUターンしたあとに遠回りして帰路につくのも面倒だ。家まで残り数百メートルというところで頭のネジがイカれたこの変な男に遭遇するなんて本当にツイてない。今日の星座占いは一位だったのに、と心の中だけでため息をつく。
 見たところ手ぶらだし、適当に話を合わせていれば満足してどっかに行ってくれないかな。
 だが、怪しいひとに『余命が長くない』なんて言われたらちょっとくらい気になってしまうもので。あたしは思わず問うていた。
「あの、なんであたしが?そんな深刻な病気なんて持ってませんけど」
「余命あと僅か、と言われて真っ先に浮かぶのは確かにそれでしょうね」でもね、と男が続ける。「あなたがたくらいの年代の死因の第一位、なんだかご存知です?」
 はぁ、あたしは気の抜けた声で相槌を打った。「自殺ですか?」
「不慮の事故です」
「フリョノ、ジコ?」
「考えても見てください。あなたが今朝牛乳を飲みながら学校に出かけるまで見ていたニュースに、事故の報道が何件ありましたか?或いは、テレビ欄だけ目を通してお父様に手渡された新聞の中に、事故の記事が何件載っていたかご存知ですか?」
「……そんなの知りませんけど」
 あたしがそう返すと、男は少し考えるような素振りを見せた。「ふむ、あまりピンときませんか」
 なら話を変えましょう、ヤツは顔をずいと近付けてきた。間近で見ると、男にも女にも、若いようにも、そこそこ年をいっているようにも思える。美白を通り越した白すぎる肌、特徴らしい特徴のない無個性な顔立ちには、うすら寒いものを感じた。「国内の一日平均の事故死者数は約十二人、大体二時間に一人の割合で亡くなっている計算になります。どうです?少しは他人事ではなくなりましたか?」
「いや、なんとも……」
 言葉を濁しながら、あたしは助けを求めるように視線を泳がせた。
 アブなそうな人だとは薄々分かっていたが、触らぬ神に祟りなし、君子危うきに近寄らず、変に首を突っ込まないほうがよかったと内心舌打ちをする。あの時、面倒でも適当に流して迂回すればよかったのに……あたしの馬鹿。
 その時だった。
 たまたま近くを通りがかった親子連れと目が合った。母親の方はあからさまに避けようとしていた(まぁ反対の立場だったらあたしも同じような態度をとるだろうから何も言えない)が、園児服を着た子どもがあたしを指さしながら言う。
「ねぇ、ママ。あのおねーちゃん、ひとりでおはなししてるよ?」
「シッ!」
 子どもの手を引っ張るようにして慌てて走っていく姿と、あたしを不思議そうに見ているまん丸な瞳と、それから目の前で相変わらずニコニコと笑っている男を順番に見たあたしは、目をしばたたかせた。何度か瞬きをし、目をこすってみるが、確かに男は存在している。
 だが先ほどの子どもは確かにこう言ったのだ、独りで話していると。ということは、あの子にはあたししか見えなかったということになる。
 そんなの、ありえない。
 だって、彼は、二本の足でしっかりとアスファルトの上に立って……――そこであたしはあることに気付いた。
 男には影がない。
 恐る恐る下げていた視線をあげる。「ようやく信じてもらえましたか?」と男が笑っていた。

2

 昨今の亡者は現世に未練を残し過ぎなんですよね、と死神(おとこ)は言った。
 そういうものを持っているとね、成仏できないんですよ。
 あ、成仏できないって意味わかります……んー、あの世にいけないとかじゃあなくてですね、端的に言ってしまえば輪廻の輪に戻れないってことなんですよ。それに関してはご自身で検索するなり、本でも読んで調べてみてください。
 説明しろって言われても困るなぁ。なんせ、いろいろと仕組みが複雑でしてね。細かいこと言うと宗教戦争が勃発しちゃいそうですから。
 大事なのは、未練があると成仏できないってことと、成仏できない亡者――まぁ、タマシイってやつですね――は現世に留まってしまうってこと。分かりやすく言えばユーレイになっちゃうってことです。
 こうなると上的にかなり面倒というか、厄介なんですよねー。一応ね、私たちもお役所仕事なんで。書かなきゃいけない書類の量はバカにならないし、サービス残業だって当り前。てんてこ舞い。もう猫の手も借りたいくらいの大忙し状態になっちゃうわけでして。
 それを防ぐために、つまり、心置きなく死んでもらうために、全力でサポートさせていただくのが私の使命なのです。

「――意味わかんない」
 昨日の言葉を思い出して吐き捨てるように呟いた時だった。
「何が分からないの?キっちゃん」 
 隣りから声を掛けられ、はっと我にかえる。そうだ、今は放課後の教室で勉強をしているところだった。
 見ると、首をかしげている友人の祥子の姿があった。あたしは誤魔化すように笑いながら、開いたまま、さっきからちんぷんかんぷんで解けない数学の問題をシャーペンの先で示す。「これ、わかんないなーって」
「あ、その問題か。これはね、公式の使い方にちょっとコツがあるんだけど……」
 そう言いながら、まるで模範解答でも見ているようにすらすら計算していく。
 小学校の時習字を習っていたらしい祥子の字は、たとえ数字や記号でも、大人っぽくてキレイだ。あたしの丸っこい字が恥ずかしくなるくらい。祥子はあたしの字が可愛くて羨ましいと言うけど、可愛い字が役に立つのなんて、プリクラか、何かをデコる時かくらいなものだろう。
 次の問題も同じように解くからね、と言われたので解法を参考にしながらやってみる。すると、何から手を付けていいか分からなかった問題が、まるで足し算や引き算のレベルに思えてくるから不思議だ。
「祥子って、ホント人に教えるのうまいよねー。さっすが将来のセンセー」
「そ、そんなことないよ……。キっちゃん飲み込み早いから……」
 ぶんぶんと顔を振りつつ、言葉尻になるにつれて身体も声も縮こまらせる祥子。この友人は、どうやら褒められ慣れていないらしい。
 と、その時だった。
「そうそう、こんなトリ頭にでも理解できるように教えてる妹尾がスゲーんだって」
「今なんて言った、和真」
「いや、実際そうじゃんか」何か含んだように笑いながら言う男子生徒はあたしの幼馴染みだ。片手で潰したペットボトルをゴミ箱に投げ入れる。外れたら「ダッサー」って笑ってやるつもりだったのに、それは、綺麗な放物線を描いてゴミ箱の中に入っていった。
「大抵の人間は、教科書と、授業を真面目に受けてさえいればヨユーで分かる問題だからな、それ。そんくらいでつまづいてるようじゃまた赤点とるんじゃねーの?」
「うっさいバカズマ!今は勉強会なの!邪魔しないでとっとと帰れ!」
 そう言ってやるが、ヤツは、気にしてなさそうにひらひらと手を振りながら教室を出て行った。
 昔からそうだった。運動はできる(正確に言うなら語尾は過去形にするのが妥当だろう。あたしの足は日常生活に支障はないが、運動をするにはもう使い物にならない)が勉強はからっきしなあたしに対し、和真は平気な顔で何でもソツなくこなしてみせる器用な男だった。これで不細工だったら気にも留めないのだが、イケメンかどうかはともかく、それなりに異性からカッコいいと囃されるぐらいの顔面偏差値を持っているんだからいけ好かない。あぁやってからかってくるような一言多い系男が何故人気なのかはあたしの知るところではない。
「にしても相変わらず仲いいねぇ、おキクと和真は。実はあんたらデキてんじゃない?」
 前の席に座っていたゆずりが、にやにやと笑いながらそう言った。飲んでいたジュースはそのせいで気管に入ってしまい、たまらずむせ込む。「へ、変なこと言わないでよ!なんでよりによってバカズマなんかと!」
「ほら、よく言うじゃん。オトコは好きな子ほどいじめたいとかさーぁ、嫌よ嫌よも好きのうちとか」
「なにそれ、意味わかんない」
「……まぁ、男縁のないおキクにはまだ大人な話だったかもね」
 自分の発言に自分で納得するように何度も頷くゆずり。
 と、さっきから勉強に飽きていたらしい円が、目をキラキラ輝かせながら話題に食いついてくる。
「そーいや、二人って幼馴染みだったっけ?」
「え、あ、まぁ……うん」
「それってさ、つまりあれじゃない?少女漫画でお馴染みのさ!ずっとムカつく相手だと思ってた奴に突然コクられちゃうやつ!よくあるじゃん、そういうの!」
「和真から告白?『ずっとお前のことが好きだった!付き合ってくれ!』とか?」
「その展開チョーいいじゃん!ドキドキする!」
「まぁ、彼、顔もそんなに悪くないし、バカじゃないし……、運動神経もそこそこいいし……」
「あれっ、そう考えてみたら和真ってばめっちゃ良物件じゃん!」
 勉強そっちのけで妙に盛り上がる会話に呆れつつも、不思議と悪い気持ちがしていない自分がいることに気付く。面映ゆいというか、胸の中がくすぐったいような。ふわふわとした気持ちはまるで宙に浮いた風船みたいだ。
 そう言えば、顔を合わせたら互いに憎まれ口しか叩かないのに、結構一緒にいるなとか。何だかんだいつも和真の方から話しかけてくるとか。和真があたしに対して淡い気持ちを抱いているなんてありえないなんて内心笑い飛ばしながらも、そうやって一つひとつ些細なことから思い返していくと、もしやという思いがむくむく膨れ上がっているのが分かる。
 と、円が下心が見え見えのオッサンみたいな顔つきで言った。
「あれ?あれあれ?花江サン、実は彼のことが実は気になり始めてきたりなんかしちゃったりィ?」
「ねーねー、祥子さん。祥子さんはどう思う?おキクと和真!」
「もー、二人ともいい加減にしなって!祥子先生困っちゃってるじゃんか、勉強の続きしよ!続き!」

 あの困り顔は話についていけないとか、真面目な彼女がそういう浮ついた話題に興味がなくてとか、そういう意味だと思っていた。
 それが、実は――既に彼とそういう関係にあったから、なんて、想像もつかなかったのだ。

 二人がキスしているところを見るまでは。

 掌から滑り落ちたスマートフォンを寸でのところでキャッチする。
 心臓が、今にも身体を突き破りそうな勢いで激しく脈打っていた。
 あたしは一度目を閉じ、大きく深呼吸をした。それからもう一度、そろそろと瞼を持ち上げてみるが――二人はやっぱり、キスしていた。
 反射的に近くの女子トイレの中に逃げ込む。
 鏡に映ったあたしは、ひどい顔をしていた。
 心臓が相変わらず激しく胸を叩いている。何で、どうして、なんて興奮した声が頭の中で反響して、シナプスを掻き乱す。
 友人と幼馴染みが実は隠れて付き合っていた、なんて、きっとよくある話だ。あたしは和真の彼女でもないし、ましてや好きなわけじゃないし(まぁちょっといいかななんてさっきの流れで思ったけど、その程度)、祥子と恋人作らない同盟を結んでもいない。二人が付き合おうが、あたしがどうこう言える立場でもない。それは分かっているはずなのに、もう一人のあたしは、ヒステリックに否定して認めようとしない。
 と、教室のドアが開く音がする。小さく聞こえた別れの挨拶の声は和真のものだ。トイレから忍び足で出てみると、彼の後姿が小さくなっていくのが見えた。すると祥子はまだ残っているんだろう。
 ほぼ無意識にドアに伸ばしていた手をひっこめる。
 あたしは、今、どんな顔をしているんだろう。
 どうやって教室に入っていったらいい?何も知らない顔で、見なかったことにして、教室に入って、忘れものを取って、祥子と一言二言話して帰ればいいの?それとも「和真と付き合ってたんだ」って言っちゃう?「言ってくれればよかったのに」とか?――分からない。
 あたしのことなのに、あたしが今考えているはずのことなのに。まるで掬った水が指の隙間からこぼれていくような感覚に陥ったまま、あたしはただそこに立っていることしかできなくて。
 だけど、その答えが出る前に反対側のドアが開いてしまった。
 物音につられてあたしは顔をあげる。祥子が、驚いた表情を浮かべてあたしを見ていた。
「付き合ってるの?あいつと」
 ぽん、と口から出たそれは、自分でもびっくりするくらい冷たくて鋭利だった。
 祥子はすぐに返さなかった。祥子の顔つきがゆっくりと変わっていく。きっと日本語にすれば<驚いた>のままだろうが、表情に含まれたそれは別物だ。「見てたの」、と呟くように震えた声で言った。
 放課後の学校なんて、吹奏楽部の演奏とか、グラウンドから聞こえる野球部の声や、いろいろ聞こえるはずなのに、おかしいことに、あたしの心臓の音がしか聞こえなくて。
 身体が燃えるように熱いが、あたしの肌は汗をかいていない。さっきまでの混乱が嘘みたいに消えた頭の中は、氷のように冷えていた。
「じゃあ、さっきのあれ。一体何だったの?」
「……」黙ったまま視線を逸らす祥子。
「――うそつき」あたしは乾いた笑い声をあげていた。「そりゃそうよね、自分が和真と付き合ってんだから、あたしたちの会話はさぞかし面白おかしく聞こえたでしょうね。それとも、揃いも揃って馬鹿な女って笑ってたの?」
「そ、そんなこと……」
「どーせ、こんな問題も解けないんだって笑ってたんでしょ?違うの?」
 どす黒い感情が詰まった醜い言葉たちが、次々とあたしの口から吐き出されていく。
 ねぇ、待って。待ってよ。
 あたし、こんなこと言いたいんじゃない。こんなことを祥子に話したいわけじゃない。あたしが、あたしじゃないみたいだ。誰か別のひとがあたしの身体を乗っ取って、祥子に耳を塞ぎたくなるようなセリフをぶつけている。
 祥子は俯いたまま、何も言わなかった。
「言い返さないってことは図星ってこと?……サイテーだね」
 吐き捨てたそれが言い終わるが早いか、祥子は、くるりと踵を返して廊下を歩いていった。その強張った背中が階段に消えてしばらくして、あたしはようやくあたしの身体を取り戻した。
 言わなきゃ、ごめんって謝らなきゃ。
 サイテーなのは自分だ。
 あたしは走った。廊下を走り、階段を一段飛ばしで駆け下りて、リノリウムの床を上履きで蹴り上げて。でも、息を切らして昇降口についたときにはもう、祥子の靴は下駄箱の中になかった。
 足が痛い。
 じんじんと痺れるような痛みが筋肉を締め上げている。立っていられなくなり、あたしは思わずその場にうずくまった。
 いつの間にか、外は雨が降ってきていた。 

3

 夕立かと思っていた雨は一向に上がる気配が見えず、あたしは、雨に濡れながら帰路についた。激しく降っているわけではないが、普通の人なら傘をささないという選択肢は取らないだろう。だからアスファルトを行く人はみんな傘を持っていたし、その中であたしはひどく異質な存在だったはずだ。誰かとすれ違うたび、視線や、雨音に紛れてひそひそと交わされる会話が、濡れた制服の上をなぞっていく。
 あたしは疼くような痛みを抱えながら、足を引きずるように歩いていた。その時だった。
「傘、使わないんですか」
 聞き覚えのある声に、ゆっくりと顔をあげる。
 死神と名乗った男が目の前に立っていた。彼もあたしと同じように傘をさしていなかったが、あたしと違って、少しも濡れていなかった。
「あなたも使ってないじゃん」
「私には必要がありませんから」相変わらずにこにこと笑っている。「最近の現世は便利になったと聞きました。ここまで来る前にコンビニの一つや二つあったでしょうに。風邪をひきますよ」
「いいよ、別に。どうせあたし、死ぬんでしょ」
「あぁ、そうでしたね」
 あっさりと肯定する彼。
 そうやって言われて初めて、あたしは死ぬんだと、ぼんやり思った。
「死ぬ前に何か、やり残したことはありませんか?」
「やり残したこと……」
「何でも構いません。ひとつ、言ってみてください」
 それならこんな濡れ鼠みたいな恰好じゃなくてもっと可愛い服着たかったとか、せめて晴れの日がよかったとか、死ぬ前に彼氏が一人くらい欲しかったとか、お腹空いたとか、寒いとか、いろんな思いが浮かんでは消えていく。でもきっと、これらじゃない。
 脳裏によぎったのは、祥子と和真のキスシーンと――遠ざかる祥子の背中で。
「あたし、喧嘩したの」
 気付けばあたしは、喋り出していた。
「別に長いこと付き合ってた友達じゃないし、親友って呼べるような間柄でもなかったけど。……でも、一緒にご飯食べたり、何でもない話したり、そういうことしてきた子」
 そうでしたか、と死神が相槌を打つ。
「バカなあたしと違って勉強ができて、字も綺麗でさ。……その子が、あたしの幼馴染みと付き合ってたの」
 鼻の奥がツンとする。
 涙なのか、雨粒なのかわからないそれが、頬を伝っていく。
「あたし、幼馴染みとふざけ合ったり、バカやれるような関係が楽しかった。その子と一緒に過ごす時間も楽しかった。だからそういうのが減ったり、なくなったりするんじゃないかって、……あたしがそれぞれと築いてきた何かが壊れるような気がして、それで」
「それから先は、直接彼女に言った方がいいと思いますよ」
 時間もなさそうですからね。
 小さく付け加えられたそれに、はっと振り返る。
 祥子が横断歩道を渡っている。その向こうから、いささか速度を上げ過ぎているようなトラックが見えた。
 その時だった。
 あたしの脳裏にひとつの映像が流れた。
 耳をつんざくようなブレーキ音。嫌な衝突音。
 トラックに轢かれた祥子。血だらけのアスファルトに倒れている祥子の死体。
 あたしは気付けば、唇を開いていた。
「ねぇ、死神。あたしが死ぬのはいつなの」
「それはお答えできませんね」
 そう、とあたしは言った。
「あたしね、中学の時結構いい選手だったのよ。陸上の。――あたしが出した最高速度、あの時の脚を、今のあたしに頂戴」
 走りこみ過ぎて壊れる前、秒速十メートルで走ったあの時の脚なら。あたしはきっと、追いつける。
 あたしは死神を返事を待たずに走り出していた。
 不思議と、足の痛みは感じなかった。それどころか、羽がはえているように軽かった。
 道路には街灯が両脇に等間隔に灯っていて、走る私の脇を、柔らかい光が後ろへ流れていった。こんなに思い通りに走れたのはいつぶりだろう。
 祥子、とあたしは名前を呼んだ。

 ねぇ、祥子。
 あたし、バカだよね。
 和真と祥子が付き合っていようが、あたしらはずっと友達だし、和真とだって仲良くやれるのにさ。
 だから、だから。

「       」

 あたしの身体が、人形みたいに宙を舞う。
 キッちゃん、と泣き叫ぶような祥子の声がする。

 そこであたしの、意識は途絶えた。

秒速十メートルの伝言

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