掌編集

病棟

男は目を醒ますと病院のベッドに横たわっていた。
ゆっくりと頭を起こして、周りをくるくる見回す。
すると、ベッドのすぐ横のテーブルに丸形のランプが置かれていた。
ぼうっとしたランプの光がほのかに部屋中を照らす。
男はそこでふと自分の置かれている状況に気づいた。
(一体私は今までここで何をしていたのか!)
男はなにがなんだかわからなくなっていた。その証拠に記憶の地層を辿っても
、手がかりとなる情報は何一つ出てこない。ただわかるのは自分の体に生命維持装置らしきものがつけられていることだけだ。取り外されていないところを見ると、どうやらリビングウィルの誓約はしていなかったようだ。しかし自分が何者かいまだに思い出せなかった。
じれったくなった男はそのふさふさの蓬髪を無性にかきむしった。
髭はむさくるしいくらい乱雑に伸びきっていた。男はその髭の毛束のひとつを引き抜いてみた。たちまち自身の薄汚い白色の毛が取れた。
「私はいつから…こんなに毛が白くなっていたのだ…」
しゃがれた割れ鐘声で小さくつぶやく。どうやら男は自分の年齢すら覚えていなかったようだ。
「妻は一体どこにいるのだ…」
男の顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
そうして男は決心したこの病院を出ようと、まず手始めに男は生命維持装置のコセントを抜き、病棟の通路へ出た。通路は異様なまでに寒かった。そして薄暗かった。
そういえば今は何月だったのか、そんなことを思いながら男は慣れない足取りで病棟内を歩き回った。通路沿いに続く病室を何度も素通りし、階段を何度も降りようやく受付のフロアまでやってきた。受付はやけに閑散としていた。まるで廃墟のようにひっそりしていた。
「廃墟?」
男が突然素っ頓狂な声を上げる。そういえば先ほどまで見てきた壁もところどころ傷んでいたり、
床もみしみしと音を立てていた。男だけがこの荒廃した病院に取り残されたいのだ。
しかし何のために?
男はありったけの知恵を絞り必死に考えた。しかし有力な考えに辿りつくことはなかった。男はひどく絶望した。自分だけがこの世界に取り残されている得体の知れない化け物のような気がして仕方がなかったのだ。
「妻は」
そうしきりにつぶやく。何もかも忘れ去ってしまった男だが、妻のことだけはしっかりと覚えていた。男は何かを思い立ったのか受付を素通りし、通路の一番奥に見えるトイレに向かった。洗面台に備えつけられた鏡をしきりに何度も見る。
そこで、男は初めて自分の変わり果てた姿を見て滂沱の涙を流した。そっと妻子の顔を思い浮かべた。自分の年齢から考えるに生きていれば丁度85歳となる年だった。突然男の顔が蒼白になった。奇跡的な生還ではあったがどうやらまだ病の快方には至らなかったようだ。
男は生命維持装置を外したことを心底後悔した。
刻一刻と心臓の拍動回数が短くなってくる。終末世界で男は呆然と佇立する。
妻は、とそう言い残し絶命するのだった。

掌編集

これに関しては説明する必要がないですね。
ただ今の自分の心境を忠実に現したまでです。
最近嫌なことがありすぎて、死んでしまいたいと思うことがよくあるんですよ。
自分もこの登場人物のように朝、目が覚めて世界が終っていたら楽に死ねるんでしょうね。
もっともこの人は重篤な病で死んだだけみたいですが(笑)

掌編集

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-25

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