「はいよ、お待たせ」
「わー、ありがとー」
僕は、(しゅう)ちゃんから受け取ったコーンスープの缶を両手で包み、しばしその温もりに浸る。秀ちゃんは、「しっかし寒いなぁ」と言って、僕の隣に腰かけた。
浅黒い肌、くっきり二重のたれ目、高くて立派な鼻。僕は、秀ちゃんの横顔が好きだ。サッカーの試合中の星が瞬くような横顔も、本を読んでいるときの眉間に皺の寄った横顔も。そして今、隣でココアの甘い香りにうっとりしている秀ちゃんも。どれだけ見ていても飽きないんだなぁ。僕はコーンスープを握りしめたまま、つい見とれてしまう。
「なに、飲まないの?」
僕の視線に気がついて、秀ちゃんは怪訝そうな顔をした。大好きな横顔がこちらを向いたら、なんだか急に照れくさくなって、僕はあたふたと言い訳を考えた。
「しゅ、秀ちゃん開けてー」
ギリギリ自然な()のうちに僕の口から飛び出したのは、なんとも僕らしい台詞だった。わがままで、でも悪気はなくて、秀ちゃんがいつも呆れた微笑みを浮かべるような。
「はー? お前いくつだよ。つーか俺に頼む前に、せめて手袋を外すという努力をしろ」
ぶつぶつ言いながらも、想像通りの表情で、僕を受け止めてくれる秀ちゃん。代わりにココアの缶を渡されて、「飲むなよ」と念を押された。僕はたまらなく幸福な気持ちになって、秀ちゃんのココアをまるで宝石でも扱うみたいに、大切に大切に両手の中に収めた。
真冬の公園のベンチの上で、秀ちゃんと世界で二人きりになったみたい。
「息が、白いね」
僕は、缶の底にへばりついたコーンを食べたくて、上を向いてめいっぱい口の上で缶を振りながら言った。
「そうだな」
凍てつくような寒さにも負けず、元気に走り回る子どもたちを遠く眺めながら、秀ちゃんが言った。乾いた言葉の響きに、僕は少しむっとしてしまう。
秀ちゃんは、子どもが大好き。将来は、保育士さんになりたいらしい。僕は、優しくて背が高くて大きな背中の秀ちゃんなら、きっとたくさんの子どもたちから慕われる保育士さんになれると思う。だけど、すごく大人げないことだけど、あんまりあたたかい目をしていると嫉妬しちゃうな。だって、まだ秀ちゃんは保育士さんじゃないんだから、今は僕だけの秀ちゃんじゃないか。
僕は立ち上がり、何も言わずに勝手に歩き出した。慌てて秀ちゃんも――自分のと、僕が置き去りにしたコーンスープの空き缶もちゃんと持って――立ち上がる。
「なんだよ、もう行くのか。これからどうする? 駄菓子屋寄る?」
僕は、それには答えなかった。こんなことに腹を立てている自分がどうしようもなくガキで情けなくて、悲しくもないのに涙が出そうで、口も利けない。
「秀ちゃん」
だから代わりに、名前を呼んだ。背中で、「ん?」と不思議がる秀ちゃんの声と、空き缶が――たぶん、鉄のごみ箱に――勢いよくぶつかって弾ける音がした。
「秀ちゃん、秀ちゃん、秀ちゃん」
少しも振り返らずに、僕はまた名前を呼ぶ。
「だから、なんだよ」
背後で秀ちゃんが苦笑するのが分かった。また困らせている。僕はいつだってそうなんだ。
「別に。息が白くて面白いから、遊んでるだけ」
かろうじて絞り出した僕の声は、震えまいとして変につっぱっていた。それが余計に、深く冷たく響いたかもしれない。そんなつもりはなかったのに。なんでもないよって言いたかったのに。
「秀ちゃん、秀ちゃん」
「おい、いい加減やめろよ。子どもたちが見てますよ」
僕は、秀ちゃんの再三の注意も聞かず、うたうように名前を呼び続けた。まるで、たったひとつの歌しか知らない壊れたレコードのように。
愛する人のいとしい名前は、ぼんやりと白い湯気になって、辺りに散っては溶けていく。僕が名前を呼ぶたびに、地球の温度が一度上がるみたい。わけがわからないけれど、頬がみるみる熱を帯びていく。
真二(しんじ)
次の瞬間、呼ばれたのはいとしの君の名前ではなかった。秀ちゃんが僕を呼んだんだ。そう気づいたときにはもう、僕の腕はものすごい勢いで引っ張られていて、唇には柔らかなぬくもりが広がっていた。
「……こっ、子どもたちが見てますよ」
短いココア味のキスのあと、十秒くらい放心して、僕はようやく声を出すことができた。心臓がちょうど教会の鐘のようなめでたさで鳴り響く。
「ばーか、死角だから大丈夫です」
秀ちゃんは、本当におかしそうにくすくす笑った。大きなクジラ型のドームの影になって、僕たちの姿は、どうやら子どもたちからは見えていない。ほっとしたような、悔しいような。僕はカニみたいに顔を真っ赤にして、ただ俯いていることしかできなかった。
「当分は、お前のお守り(おもり)でいっぱいいっぱいだなぁ」
わざと独り言のように言い、何事もなかったみたいに歩き出す秀ちゃんの優しさ。そんなところにも、僕は恋をしているんだ。僕は、溢れかけた涙を拭い、広くてあたたかなその背中を小走りで追いかけた。
「ねー秀ちゃん、手ぇ繋いでもい?」
「ちょーしのんな」
とことん呆れてしかめっ面の横顔も、僕は大好き。世界中で一番、僕が秀ちゃんのことを好き。
そうして、僕は知っている。秀ちゃんのほんとの答えが、僕のかじかんだ手のひらに、すぐに伝わってくることを。

【Twitter】#創作BL版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負 より、お題「冬」

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更新日
登録日
2016-01-19

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