風呂

やまないシャワーの音を聞くたびに、貴斗(たかと)はいつも悲しくなる。
風呂場から延々と聞こえてくる、水の流れる音。電波が入らないラジオのノイズそっくりの忌々しい音。
貴斗はたまらなくなってリビングを飛び出し、脱衣室へ駆け込んだ。
和穂(かずほ)くん」
白く濁ったすりガラスの向こう側に、無言で座ったまま、お湯を浴び続ける愛する人の影。今すぐ扉を開けて抱きしめてしまいたくなるのを必死に堪えて、もう一度声をかける。
「和穂くん、なにしてるの。お湯出しっぱなしだと、電気代かさむんですけど」
精一杯の明るい声で、貴斗は言った。和穂の返事はない。悲しみがこんなにもひしひしと伝わってくるのに、不釣り合いなほど姿勢のいい和穂のシルエットが、貴斗をますますやりきれない気持ちにさせた。
和穂は、時々こうしてお風呂で泣く。とめどなく流れるシャワーのあたたかさで、涙も声も全部隠して。
ひどく不健康だと、貴斗は思う。そんなことで文字通り水に流してしまおうなんて、冗談にもほどがある。柔らかくあたたかいはずのお湯が、無数の冷たい槍となって、和穂の心をみるみるうちに穴だらけにしてしまうような気がした。
けれど、今夜も貴斗は、孤独な絶望を貫く恋人を前に、どうすることもできない。悲しみの濁流にのみ込まれてゆく和穂を、きっと救い出すことはできない。だから、せめて手の届かないところへ流されてしまわないように、ありったけの愛でせき止めて。心地いい温度と共に、和穂が泡になって消えてしまわないことを、切に願って。
貴斗は、すりガラスに右手を置くと、そのぼやけた横顔にそっとキスをした。
「たった一言も、添えてあげることができなくて、ごめんね」
ゆっくりと向きを変える影。シャワーの音が止み、にわかに静寂が訪れる。
どうして。やがて、吐息混じりの儚い声が、そう訊いた。
「どうして貴斗まで泣いてるの」
さあ、どうしてかな。
ようやく聞こえた和穂の声が、想像していたよりもずっと、震えてはいなかったからかもしれない。

風呂

風呂

【Twitter】#創作BL版深夜の真剣お絵描き60分一本勝負 より、お題「風呂」

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更新日
登録日
2016-01-19

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