アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~黒豹の瞳に映る青~
ハローハロー、漆黒猫でございます。
アルスラーン殿下にお姉様がいらしたら、バージョン。
アルスラーン殿下の女体化バージョンではございませんので、念の為。
今回のお話は、アニメにて、ジャスワントさん殿下沼加入記念。
記念に病に倒れて頂きました(笑)。
ジャスワントさん視点。
で、今はまだツンツンで、大事なのは殿下だけで、
他の人間は肩書や能力でしか認識してない、かも知れないな、と。
という訳で、殿下サイドオールキャラなのに個人名が殆ど出て来ないこの不思議。
ていうか『サリーマ姫』てどんな人ですか誰か教えて下さい。
すンごい美人、て事くらいしか、当方知らんのです。
アルスラーン殿下が、イイ子過ぎる程のイイ子になった気がしますが。
殿下ならアレくらい、普通に言いそうだ・・・。
さりげなくファランギースさんに医者スキルが追加されてますが。
神官とかって、基本、そういうのも兼ねてるのかなと漠然と。
アルスラーン殿下一行の健康管理は、エラム氏とファランギース殿が担っていると信じてます。
最後にザンデ卿がイイ目?を見てますが・・・事情は前作参照で。
ギスカール公のリア充。
漆黒猫が目指すのは、あくまで『王弟陛下の』リア充ですから・・・!!
護符を護符たらしめるのは貰った方の認識次第。
カーラーン卿みたいな堅物っぽい御方が、
ロマンチックな謂れのある宝石入り護符をくれる、という破壊力。
それでは、お楽しみ頂ければ幸いでございます。
アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~黒豹の瞳に映る青~
『ラーニエ。』
王宮に来たばかりの頃、6歳のアルスラーンはいつも泣いていた。
『また意地悪されたのね。
大丈夫。姉上が仕返ししてあげる。』
王と王妃の庇護の無い幼い王子は、侍女侍従の、格好の不満の捌け口だったのだ。それとは別に政治的に『王太子』を疎む者も多く、更に市井で育った身には『王宮』という特殊な場所での生活自体、なかなか慣れる事が出来ず。
コレで泣くなと言う方が無理な話だろう。
寂しかったし、怖かったし、辛かったし、帰りたかった。
アルスラーンにとっての『帰る場所』は市井の、ニセモノの親だったと教えられた『乳母夫婦』の、あの家だった。
もう誰も居ないのだとしても。
『ラーニエ。私の愛しい、大事な弟。
大好きよ、あなたは良い子、自慢の弟だわ。』
泣く度に、フォルツァティーナが抱き締めてくれた。同じ場所に座って、肩を抱いて、頭を撫でて。繰り返し、泣き止むまで。
優しい声で『好き』と言い続けてくれた。
『ラーニエ。あなたに『護符』をあげる。
私とお揃いよ。』
ある時、フォルツァティーナが首飾りをくれた。自分が首許に掛けている、同じ物を見せながら。華奢な鎖の先に付いた小さなガラス管には、キラキラと輝く、青い砂のようなモノが入っていた。
その砂は『アクアマリン』という名の宝石を砕いたモノだった。水場の近くでしか採れず、交易大国パルスでも希少な宝石なのだと。そう知ったのは、随分と後の事だ。
『この護符が、ちゃんと護符として機能する関係になりましょうね、私たち。』
他者と触れ合った時の肌の温もり。心臓の音の心地良さ。微笑と嘲笑は違うという事。
守られている、という安心感。
全て、あの『姉』が教えてくれたのだ。
シンドゥラでラジェンドラとの一件を片付けた後、アルスラーン一行は一路、キシュワードに留守居を任せていたペシャワールへと帰還した。
褐色翠眼の新たな従者に驚いた双刀将軍だったが、彼の誠実さはすぐに見抜き、笑顔で肩を叩いて歓迎してくれた。その日の内に部屋も整えてくれたのだが。
真新しい寝台を、早速『病床』として使う事になろうとは。
「ジャスワント、大丈夫か?」
自己嫌悪の溜め息を吐きそうになって、『シンドゥラの黒豹』は途端に激しく咳き込んでしまった。息が出来ない。咽が焼けるようだ。
黒衣の騎士が案じ、寝台の傍に膝をついて気にしてくれる。故郷シンドゥラで『猛虎将軍』と称えられた男の背後には、楽士と自称『軍師の妻』の顔もあった。
大丈夫だと頷くと、安心したように離れていく。
赤髪の女山賊が、ぬるくなった額の手拭いを手桶に浸して冷やしてくれる。
高熱が苦しいジャスワントの身には、心地良い冷たさだが。時節は冬、彼女には冷た過ぎるだろう。事実その指先は真っ赤に染まっていた。
それでも彼女は手首まで冷水に浸け、しっかりと芯まで手拭いを冷やし、丁寧に畳む。
「はい、どーぞ。
今だけだからね、熱が高いのは。もう少ししたら嘘みたいに下がるって、医者も言ってたから。もう少し、辛抱してね。ジャスワント。」
「・・・・・・。」
彼が小さく頷くと、優しく笑って矢作りに戻っていく。
山賊の頭領の娘という事だが、そういうカオは10代の娘だ。シンドゥラの一般家庭の娘と何ら変わらない。
ペシャワールに帰還した・・・ジャスワントにとっては『到着した』直後、彼は高熱に倒れた。本当に、自分でも驚くほど『倒れた』のだ。立っていられなかった。
留守居役だった将軍と握手を交わしたその場での事だ。
驚いた双刀将軍は、すぐに軍医を呼んだ。軍医の診立ては『カラッカ熱』。パルスの風土病で、まぁ、風邪のようなモノだ。致命の死病だとか、そういう大袈裟なモノではない。
この地に初めて来た異国人で、体力が落ちていたりする者が、たまに。1割未満の確率で罹る事があるかな、程度の軽い病である。
その『1割未満』に、今回はジャスワントが選ばれてしまった訳だ。
高熱、咽の激痛、関節痛。
症状も、今まで経験してきた病と大差ない。・・・誰かに甘えたくなるという厄介極まりない、『症状』も。
(マヘーンドラ様・・・。)
義父と慕った世襲宰相の面影が、脳裏をよぎる。
「辛い事が重なったり、環境が激変したり。
疲れたんだろう。ゆっくり休めばいいさ。」
内心を見透かしたように、楽士がニヤリと笑う。王太子にもらったという琵琶を爪弾く、その手が紡ぐのは優しい旋律だ。
耳に心地良くて、痛みが和らぐ気がする。
黒衣の騎士が王太子の傍を離れているのは、新参のジャスワントにも珍しい光景だ。が、軍師とその待童、それに女神官が護衛に付いているから問題ないと笑っていた。病に倒れた仲間を守るのも、臣下を大切にする王太子に仕える騎士として、当然の忠義だと。
女神官が『ジン』に『そう』言い付けているから、悪いモノも近寄らない筈だとも言っていた。
内側からの悪寒はやまないが、確かに身の回り、表層は包まれているかのように暖かい。冬なのに。コレは、『そういう』事なのだろうか。シンドゥラには『ジン』という考え方がないから、ピンと来ないが。神官というのは、ただの肩書ではないのかも知れない。
仲間。守る・・・守られる。
マヘーンドラ直属の間者として、常に単独行動をしてきた。孤独を感じる事もなく。
そんな自分が、彼らの『仲間』に成れるだろうか。
「エラムです。」
病人を憚ったのだろう、控えめなノックの音がして、待童が入ってくる。軍師と女神官、それに王太子まで一緒だ。
携えてきた盆には、温かい粥が乗っていた。
「そろそろお昼ですので、昼食をと・・・。
食欲はあるか、ジャスワント。」
頷いて、ゆっくりと身を起こす。正直あまり食欲は無かったが、この待童の気遣いを無碍にしたくなかったのだ。
ジャスワントの事を未だ信用していないのも、でも信用しようと、ジャスワントに目を凝らしてくれているのも判るから。口調が一定していないのも、過渡期だからだろう。
ペシャワールに来るまでの行軍中、彼の作る料理は確かに旨かった。今の胃袋で、ちゃんと消化できるか自信は無いが。
「っ、」
当然のように匙に掬って口許に持ってきてくれる、待童の仕草に戸惑いながら。
一口食べて、驚いた。
故郷で義父が作ってくれた粥の味と、よく似ていたから。
美味でもあるが、それ以上に・・・懐かしい。
「喜んで貰えたみたいで、良かった。」
「・・・・・。」
少年の方こそ嬉しそうに、安堵したように笑う。
シンドゥラ軍の兵士に、アイツは無表情だと。ジャスワントは、自分がそう陰口を叩かれていたのを知っている。そのジャスワントの機微を、この王太子の従者たちは、表情だけでよく汲んでくれる事に今更ながら気が付いた。
マヘーンドラが作ってくれた粥。隠し味は、故郷でしか採れないアレだった筈だが。
「うわー、ホントに美味しい。」
「つまみ食いなんて、はしたないぞ、アルフリード。
隠し味に『ウーラ』っていう木の根を使ってるんだ。」
「木の根っこを食べるの? 根菜とは違うの?」
「違う、らしい。大木になると樹高100mは軽くいくらしいから。大き過ぎて扱いづらいから農園は無いそうなんだけど、森に行けばいくらでも生えてるから、シンドゥラではよく食べられてるんだって。
シンドゥラを出る前に、ラジェンドラ王子・・・陛下に訊いたんだ。ジャスワントの好物は何か知ってますかって。顔見知りみたいだったから、知ってるかと思って。
好物は知らないけど、そういえばマヘーンドラ宰相が『ウーラ』を常備してると。そう聞いた事があるって言ってた。あんなモン森に行けばいくらでも採れるのに、なんでわざわざ常備するのかって、不思議だったんだって。
柔らかい先端を、ヘロヘロになるまで煮て、すり潰して、粥に入れると美味しいっていうのは王宮の料理長に聞いたんだ。シンドゥラの病人食の定番らしい。
という訳で、作ってみました。シンドゥラ風病人食。
『ウーラ』は料理長に分けてもらった高級品です。」
「簡単に言うけど、アンタのハイスペック家事能力あっての再現よね。」
「あくまで『風』だからな?
パルス伝統の麦粥に、ウーラを突っ込んだだけだぞ?」
「でも美味しいよ。で? 何でわざわざ、ラジェンドラ『王子』に好物を訊いたり、料理長から病人食情報を仕入れたりしたの?」
「ソレは勿論、ナルサス様が。
『異国からの新しい仲間が、疲労やら心労やらで『カラッカ熱』に罹るかも知れない。』って。『お前に出来る事を出来るようにしておきなさい。』って。」
「やっぱり? やっぱり??♪♪
きゃー♪ 流石ナルサス、冴えてる♪ 優しい♪♪」
「ナルサス様にくっつき過ぎだっ。」
キャッキャといつものドタバタを繰り広げる『自称妻』と『秘蔵っ子』。苦笑して呆れながら宥める『軍師』。
ジャスワントは気付いていた。軍師は『何をせよ』と、具体的な指示を出しはしなかったのだと。
決して快く迎えるのではない、信用し切っていない『仲間』相手に何が出来るか。したいのか。真面目に考え『故郷風の粥』に辿り着いたのは、少年の優しさだ。
「ジンが申しておる。
おぬしの熱は、今日中に下がるであろうと。」
「・・・??」
枕辺に寄り、悪い汗にベトついて自分でも心地の悪い髪を撫でてくれながら。
女神官が満足そうに微笑んだ。40度近い高熱に侵された頭では、反論もままならないが。
「ほぅ、神官殿はそのような事まで判るのか。」
「判るとも、軍師殿。
わし自身は人の技としての医療技術しか持ち合わせぬ。手をかざしただけで傷が癒えるような異能は持たぬでな。
が、ジンの声を聴き、ジンに守らせる事は出来る。
病はただの化学反応。別に悪魔だの邪霊だのが起こしている訳ではなく、薬で治せる代物じゃ。ジンにはな、その『状態』が視えておる。今どのような状態で、その苦しみがいつ頃終わるのか。外から医者が診るよりも正確にな。
今のジャスワントの体、解熱剤は効かなんだが、栄養剤は効いたようじゃ。
ジャスワント。おぬし、幼き頃より薬の効きにくい体質であったろう。解熱剤はおろか、毒薬劇薬の類も効きにくい体であった筈じゃ。
サリーマと申したか。亡きマヘーンドラ殿の娘御の代わりに毒をあおって、腹を下す程度で済んだ事があったそうじゃな。」
「・・・・・・。」
彼女は『ジン』と、一体どのように語らっているのだろう。
驚いて頷くと、女神官は優しく苦笑した。
「あと、3回じゃ。」
「??」
「おぬしの頑強さは、別段、前世の徳だとか、そのようなモノではない。
常の鍛錬と、生まれついての耐性。それ故じゃ。そして、ジンが申しておる。おぬしの体が『あの時』と同レベルの猛毒に耐えられるのは、あと3回が限りじゃと。
4回目。体に入れれば、命は無いぞ。」
「・・・・・・。」
では、3回までなら可能なのか。この王太子の為に、毒をあおる事が。
3回。
ちょうど、自分が彼に命を救われたのと同じ回数だ。
チラリと銀髪の王太子に流した視線を、幸い、女神官は気付かなかったようだった。
「流石は我が麗しのファランギース殿♪
幼き頃より、見えぬモノを視る目をお持ちで?」
「・・・生まれた時より、な。
赤子の頃から、常人には何もおらぬように見える虚空に、両手を彷徨わせてはキャッキャと声を上げている子であったと。そう伝え聞いている。
両親がミスラ神殿に入れたのは、その様を恐れたからだと。」
「それは・・・失礼した。」
「構わぬ。己が身の上を、不幸とは微塵も思わぬ故。
暗愚な血縁に育てられて己を卑下して育つより、己が力を誇りながら神官としての英才教育を受けて育つ方が、余程わし自身の為じゃ。
ミスラ神は軍神じゃ。軍の傷病者の為の病院も、夫の勝利を祈願に来た妊産婦の為の産院も神殿に併設されているような神じゃ。
医療に関しては結構な高水準と自負しておる。
医療実習も神官や神官見習いの仕事の内でな。学ぶうちに、ジンを見るだけでなく、患者の状態をジンから直接聴く術を身に付けた。会話が出来るようになった。
そのお陰で今、わしは殿下がお怪我をなさっても、それを癒やすお手伝いが出来る。
ソレの何処が不幸と思えようか。」
「カッコイイ・・・♪♪
あたし、ファランギースのそういうトコ大好き♪ 憧れる♪♪」
「そうか。
アルフリード、わしもそなたの、真っ直ぐで情に厚い所が好ましいぞ。」
女性陣2人の華やかな笑顔は、それだけで場が明るくなる。
女神官の診立て通り、ジャスワントの熱は午後の内に下がった。
「起きて大丈夫なのか、ジャスワント。」
「アルスラーン殿下。」
沐浴してさっぱりした体を、テラスからの夜風で冷ましていたジャスワントは慌てて膝を折ろうとした。マヘーンドラと共にガーデーヴィーに仕えていた頃は、そうしないと叱責されたものだ。かの王子は、下位の者が己の前に立つ事を許さない人だった。
アルスラーンは違う。
王子として育てられながら、直臣たちの平伏を嫌うのだ。顔が見えないのが寂しいと。
今もジャスワントの手を取って、横に並び立たせる。
「流石にファランギースの診立ては正確だ。熱は下がったようだね。
気分は悪くないか?」
「お心遣い、恐縮です。その・・・大丈夫です。」
「そう? ならいいけれど・・・。
カラッカ熱は、後遺症の残るような病ではない。それでも無理はいけないよ、ジャスワント。気分が悪くなったら、すぐに休息して欲しい。」
「ありがとうございます。
・・・殿下は、変わっておられる。」
「よく言われるよ。
ギーヴや、エラムにも言われた事があるのだ。」
「・・・・・。」
あの2人ならば言いそうだ、真逆のカオで。楽士は飄々と苦笑しながら、待童は戸惑った顔で諫言風に。
ジャスワントの視線の先で、銀髪の少年は過去を懐かしむように微笑んだ。
「私には姉が居る。
私が『変わっている』のは、6歳まで下町で育てられたからだと思っていたけれど、最近になって思うのだ。『あの』姉上に育てて頂いたから、今の私があるのだと。」
「姉上、様。」
ジャスワントにとって、マヘーンドラが『父』ならポスト『姉妹』は彼の娘であるサリーマだろう。姉だとか妹だとか、そういう捉え方をした事は無いが。
彼女をマヘーンドラの政敵が盛った毒から守った時も、頭にあったのは『マヘーンドラ様の御為』であって、彼女の事は二の次だった。ロクに会話した覚えもないし、自分より年が上なのか下なのかさえ、よく知らない。考えた事がなかった。
ジャスワントにとってのサリーマは、あくまでマヘーンドラの・・・悪く言えば『道具』だったのだ。
「私がどうやら、父上と母上の・・・パルスの国王夫妻の子ではないらしい、というのは話したろう。」
「はい。」
それでも、否、だからこそ余計、浮き彫りになる。
ジャスワントの命を救ってくれたのは、アルスラーン個人なのだと。
「姉上は・・・『パルスの王太子』としての私とは、父上が違う。
母上の最初の夫・バダフシャーン公国最後の公王・カユーマルス公の娘でな。パルス国王とは血が繋がっておられない。コレは公式の事実だ。
承知の上で父上は・・・パルス国王は、実子と『されていた』私より、姉上を溺愛していた。いや、母上と私の間に血縁が無いのならば、姉上も『異父姉』ではないのだろう、な。
母上と姉上は、大変に仲が悪く・・・その母上も、ご自身に向けられる父上の愛情を全身で拒絶していて・・・。
それでいて、息子をもうけた『事にする』とか。
何だかもう、私の『家族』は、誰が何やら支離滅裂だよ。」
「殿下・・・アルスラーン、様。」
この少年が何故、今、このような話をするのか。ジャスワントには推察出来ない。
判るのは本気で落ち込んでいる事。
だがジャスワントには、どう慰めたら良いのか判らない。
だからせめてもの好意の伝え方として、肩書ではなく名前で呼び、不敬かと迷いながら、テラスの縁に置かれた少年の手をギュッと握った。
淡く微笑んだ少年王太子は、ジャスワントの褐色の手をしっかりと握り返した。
「ジャスワント。
今のおぬしは、あの頃の私に少し似ている。6歳で突然王宮に呼び戻され、180度環境が変わって、馴染めるかどうか、どう振る舞って良いのか判らず立ち竦んでいる。
おぬしの場合は、肌色から来る差別や、国が違うが故の風習の違いにも晒されるだろう。キシュワードがそう心配していた。」
「双刀将軍が、そのようなお心遣いを・・・。」
「他の皆も、私もな。
おぬしは真面目だし、なまじ優秀だから1人で抱え込んでしまって、自分を追い込みかねない危うさがある。そう案じていたのはナルサスだった。
マヘーンドラ殿の死から間もない事もある。自罰感情も抜けない内に新しい人間関係に飛び込んで、胸襟を開いて相談できる相手は居るのだろうかと。
ダリューンはそう気を揉んでいた。」
「軍師殿と、騎士殿が・・・。」
「ファランギースは医者らしい懸念をしていたよ。
風土病などに罹るのは、自分が異国人だから。異分子だから。そう思い込んで、心を閉ざして自分から孤立する事になりはしないかと。」
「神官殿まで・・・。」
自分がそんな風に気遣われているなど、考えた事も無かった。
そんなカオで目を瞠るジャスワントに、アルスラーンは穏やかに微笑する。その優しさは、かつての自分と同じ道を今、通っている者に対する優しさだった。
きっと昔、アルスラーンも同じように立ち竦んだ事があるのだ。ジャスワントの心を絡め取る為の口舌ではなく、真実、今の彼と同じ惑いに沈んだ事が。そう思わせるだけの説得力を、煙るような微笑は確かに秘めていた。
そのアルスラーンが今、ジャスワントに1本の首飾りを差し出している。
「殿下、コレは・・・。」
「『お守り』だよ、ジャスワント。
今のおぬしには、目に見える形での『心の拠り所』が必要だと思う。
私がかつて、姉上から頂いたのと同じモノだ。」
王太子が襟から出して見せたのは、まさしく同じ意匠の首飾り。鎖の先の小さなガラス管に、キラキラと輝く青い砂、のようなモノが封入されている。
ただ、色が違う。アルスラーンの砂は深い青、大鷲の飛ぶ空の色で、彼がジャスワントにと用意してくれた首飾りの砂は、目に穏やかな、少しだけ緑が勝った青。
青碧(あおみどり)だ。
何だろう、何処か見覚えのある『青碧』なのに、すぐに思い出せない。
思い出せない事が切なくて、切なくなる理由すらも判らなくて。ジャスワントはギュッと、両の掌を固く握り込んだ。
「これを下さった時、姉上が仰っていた。
『今はまだ、コレを護符だなどとは思えまい、中に青い砂が入っているだけの只のガラス管にしか見えないだろう。』と。
『でもこの先、いつか。苦境に立たされて、誰にも頼れなくて、辛い時。コレを見て姉を思い出してくれたなら。思い出して心を強く持つ事が出来たなら。
その時やっとこの首飾りは護符に成れる、互いを思い出して心を強く持てるような姉弟に成ろう。』と。
色々と型破りな御方でな。
今振り返れば、私が父と母の子でない事も、ご存知だったのかも知れぬ。
そう思える節が、幾つか在る。」
「!! だとするならば、知っていて黙っていた、という事では?!」
「だとしても、構わぬと思っている。」
「殿下・・・。」
「あの支離滅裂な『家族』の中で、王宮で孤立していた私を唯一、姉上だけが守ってくれた。守ろうとしてくれた。
その事に、違いは無い。
私がもらった『母親的な愛情』は、全て姉上ひとりが注いで下さったモノなのだ。父親的な愛情はヴァフリーズや万騎長たちがくれた。
私にとって『家庭』とは『たまに祖父が遊びに来てくれる母子家庭』のようなモノだった。
14年。
もし、姉上が私に正統が無い事をご存知だったなら、という注釈が付くが・・・。
最長で、14年。長かったと思う。私は何も知らずに、ただ、姉上の庇護を享受していた。私がもっとしっかりした子供であれば、姉上も口を噤まずに済んだかも知れぬ。
私は『騙されていた』とは絶対に思わぬ。
それより・・・『黙って口を噤まれていた』事より、『私の不甲斐なさが口を噤ませていた』事の方を、申し訳なかったと思うのだ。
姉上おひとりに全てを背負わせてしまった。共有して差し上げられなかった。」
「殿下・・・アルスラーン様。あなたは・・・『イイ子』過ぎる。
あなた様の方こそ、我慢なさっておられるのではありませんか? たとえ理屈が『そう』でも、感情の方は簡単に納得出来ぬ。それが人というモノです。
泣いても詰っても良いのです。
ダリューン卿やナルサス卿の前で泣き喚く事が出来ないと仰るならば、私の前でも・・・新参の私の前なら、格好をお付けになる必要もございますまい。
誰にも申しませぬから。」
「ありがとう、ジャスワント。
だが、『人間的な愚かしい感情』ならば、私の中にも在る。ほぼ確実に血縁が無く、それもきっとロクでもない理由で王太子に据えたのだろうと・・・そう予測していても。
きっと今この瞬間再会したとしても、優しい言葉など掛けてはもらえないだろうと・・・そう判っていてさえ、私は父と母が・・・心配だ。
アンドラゴラス王とタハミーネ王妃の身を案じている。父の斬首された生首など見たくないし、母が望まぬ相手の寝台に侍らされるのなど、想像したくもない。
父でも、母でもないのに・・・。
王宮で優しくされた事など、一度もないのに。本当に・・・未練たらしい。」
「殿下。」
アルスラーンは泣きそうな顔で背を丸め、祈るように両の掌を握り締めると、5cm程度の小さなガラス管を大事そうに包み込んだ。
年若い主の肩を抱きながら、ジャスワントはガラス管を内包し、固く握り締められた拳を見つめていた。
今この瞬間、『コレ』は『ガラス管』などではない。アルスラーンにとって、まさしく心を守る『護符』なのだ。
彼に『コレ』を与えたのは、彼の『姉』。
やがて激情が去ると、アルスラーンは深い溜め息を吐いて背筋を伸ばした。穏やかに長身の従者を見上げる。
「ジャスワント。
おぬしにとっても、今のコレは只のガラス管だろう。
だが・・・煮詰まって、自分は孤立していると感じてしまった時。コレを見て、私を思い出して欲しい。『私たち』を。
その時初めて、この『ガラス管』は『護符』に成る。
私はおぬしと、そういう『仲間』になれたら一番嬉しい。
今すぐでなくて良い。これから先・・・何かあった時。何かに縋りたくて滅茶苦茶に手を振り回した時、無意識にその手に握り込み、おぬしの心を支えたモノが、この『護符』であったなら嬉しいな。
もしかしたらその時、私たちはおぬしの傍に居ないかも知れぬ。
それでもせめて、自分が愛された事があったのだと、思い出してもらえれば。仲間を得た事があったのだと。
私は8年前に姉上から頂いたこの『護符』を見る度に、姉上の温もりを思い出す。
同じように私の、私たちの温もりを思い出してもらえれば。」
「8年間・・・ずっと同じモノを?」
「あぁ。8年間、ずっと。姉上が手ずから首に掛けて下さって以来、外した事は無いよ。剣と鎧以外で王宮から持ち出せた『私物』は、コレひとつきりなのだ。
私はアトロパテネが初陣でな。大仰な儀式で、霊験あらたかな神殿の聖水を掛けられたりするよりも、常に身に付けているコレに触れている方が、余程心強かったのを覚えている。
信頼していた万騎長から突然剣を向けられても、何とか冷静を保てた、実力通りにヴァフリーズ仕込みの剣技が引き出せたのは。
我が身は姉上が守って下さっている、という無意識の安心感故だったと思うのだ。
その安心感があったから、心の何処かで冷静で居られた。アレが無かったら動揺のうちに剣も抜けぬまま、ダリューンが来る前に首を刎ねられていたと思う。」
「無意識の、安心感・・・。」
「本当にその場に姉上がいらした訳ではないのに、おかしいだろう?
それでも。『偽りのない愛情』というのは、最後の最後、極限の土壇場でこそ真価を発揮するモノだと思う。
姉上のお考えは、私にも計りかねる。ただ、与えて下さった姉弟としての愛情に、偽りはなかったと信じている。私がアトロパテネを生き残っている事、ジャスワントの言う『イイ子過ぎる程イイ子』に育っている事が、その証拠だ。
自分で言うのもアレだけどね。」
そう言って、晴れ渡った夜空色の瞳が、悪戯っぽく微笑んだ。
ジャスワントもつられて淡く微笑する。穏やかに。
『きょうだい』の情。
ガーデーヴィーとラジェンドラの兄弟は醜い争いを繰り広げた。その光景を目にして尚この王太子は、恐らくは母親すら違う、血縁など無いであろう『姉』を『姉』と言い切り、彼女から与えられた『ガラス管』を『護符』として大事にしている。
サリーマと、積極的に話をすれば良かった。『きょうだい』には成れなかったとしても、今よりは優しい関係が築けていたかも知れない。
あぁ、思い出した。
王太子が与えてくれるという、このガラス管の中の砂、緑が勝った青色は。
「この、青は・・・マヘーンドラ様の・・・?」
「あぁ。」
短く首肯して、アルスラーンは目を伏せるようにして微笑んだ。
悼んでくれているのだ、この王太子は。ジャスワントにとっては義父であり、主君でも、彼にとっては敵の腹心であった男。マヘーンドラの死を。
本当に・・・この御方は。
「ラジェンドラ殿が、何でもくれると仰るのでな。
『ではマヘーンドラ殿の、笑った時の瞳の色の石を下さい。』とお願いしたのだ。死に顔の濁った色ではなく、生きて幸せに笑っていた頃の瞳と、同じ色の宝石を。
それを小さく砕いて入れたのだが、おぬしの記憶と一致するだろうか。」
「?!」
今度こそジャスワントは驚愕した。
ソレが、このヒトが、敵に勝った時に望むモノなのか。
「おぬしが付いて来てくれなくても、どうにかしてコレは渡そうと思っていた。
おぬし自身が父と慕い、恐らくマヘーンドラ殿もおぬしを息子と思っていたと思う。
この『ガラス管』を『護符』と成す時、思い出すのが私でなくとも構わないのだ。おぬしが挫けずに在れるのならば。
先々私の傍を離れる事があっても、マヘーンドラ殿の事だけは・・・忘れないで欲しい。血縁に依らずあの御方は、死ぬまでおぬしを息子として愛していたのであろうから。
私は父上の、笑ったお顔を知らぬ。
だから、おぬしは、な。私の代わりに、などと言うつもりはないが。
父と慕った人の笑顔を、忘れないでいて差し上げてくれ。」
「っ、・・・御意・・・。
そのお言葉、その慈愛・・・我が生涯の宝と致します・・・っ、」
「大袈裟だな、ジャスワントは。」
夜空色の瞳を細めて苦笑すると、小柄な王太子は自分より背の高いジャスワントの頭を、背伸びして撫でてくれる。
不覚にも、泣きそうになった。
その温もりに。彼の声の、穏やかさに。
跪かせるのではなく、少しだけ屈ませて。アルスラーンが手ずからジャスワントに首飾りを掛けてくれる。
大事に、したい。この御方が寄せてくれた、想いを・・・この御方を。
心を閉じず、受け止めたい。この御方の許で『仲間たち』が与えてくれる、想いも。
握り締めたジャスワントの手の中で、『ガラス管』の砂が静かに光っていた。
『ティーツァ様。』
彼が呼んでいる。彼から優しい声で、呼ばれている。
私はどうしたら、彼に赦してもらえるだろう。
『我が国には・・・『あなたの国』には、青色の石を首飾りにして贈る風習があるのですよ。乾燥地帯が大半を占める国故、水に乾く苦しみが無いように、と。
姫殿下。あなたに、水の加護がありますように。』
そう言って幼い彼女の細い首筋に、護符を掛けてくれた。
優しくしてくれた人に。
赦されたい。赦して欲しい。
大事な事を、ずっと黙っていた私を。彼の大事なモノを、壊してしまった私を。
「どうなさったんです、ティーツァ様。」
「ザンデ。」
夜の闇の中、寝台の上で。
泣きながら目を覚ました、愛する王女の紅眼にひとつ口付け、彼女の父王を裏切った青年は静かに銀髪を撫でる。
掛け布からのぞいた白い肩に、不覚にも腰が疼いた。
「眠りながら泣いてらした。
夢の中で、誰に苛められたんです? 俺が追っ払って差し上げますよ。」
「いいえ・・・いいの。」
「ティーツァ様。」
硬く練り上げた筋肉に包まれた、彼の胸に。
額を預けて、彼女が返す声は細い。父親に叱られた幼な子のような声だと、ザンデは思った。父王は彼女を溺愛し、終ぞ叱る事がなかった人だと聞くが。
そうだ。彼女に父性愛を与えた者は、かの王以外にも居た。
ザンデ自身の父も、その1人だった。
「カーラーンの夢を・・・見たの。カーラーンが『護符』をくれた時の。
だから・・・いいの。」
「・・・笑っていたでしょう? 俺の父上は。
ヒルメス殿下を選んだ後でも、ティーツァ様に向けた笑顔は・・・それだけは、いつでも本物だったんだって。俺はそう信じてますよ、ティーツァ様。」
「うん。好きだったの。カーラーンの笑った顔が。・・・カーラーンが。
ごめんなさいって、言いたかった。」
「充分です。その一言で、充分ですよ、ティーツァ様。
もう償いはして頂きましたから・・・だからもう、ご自分を責めんで下さい。」
「ザンデ。」
諭すように囁いたザンデは、改めてフォルツァティーナを抱き締め直す。彼女の為に練り上げた筋肉で、鎧(よろ)った体で。
悪いモノ、全てから守るように。
聡明な頭も、華奢な肩も、柔らかい腰も、スラッとした足も。全部引き寄せて、抱き締めて、己が手の中に閉じ込めてしまう。
彼女が『一番好きな人』の許へ、走っていってしまわないように。
「愛してます。好きですよ、ティーツァ様。」
「・・・・・・。」
同じ言葉が、彼女から返ってこなくても・・・こないから。
この逢瀬は王女の『偽りを重ねた時間への罰』であると同時に、幼馴染みの勇将の『彼女の苦しみを癒やせなかった罰』でもあるのだ。
「ずっと・・・傍に居て、ザンデ。
ギスカールがヒルメス卿に勝つまで、ずっと・・・。」
「えぇ。喜んで。
ヒルメス殿下がギスカール公に勝った後も、ずっとね。」
護りたい。このヒトを。この自責から・・・全ての苦しみから。
彼女に必要なのは、水の加護ではない。
剣の加護なのだ。
―FIN―
アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~黒豹の瞳に映る青~