アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~ペシャワール恋歌~
ハローハロー、漆黒猫でございます。
アルスラーン殿下にお姉様がいらしたら、バージョン。
アルスラーン殿下の女体化バージョンではございませんので、念の為。
今回は『お久しぶりの』アルスラーン殿下ご一行ww
主人公であらせられるのに、申し訳ございません殿下・・・。
ペシャワールでのお話でございます。
キシュワード卿は、真面目で素直で、目上を好きになったら、
崇拝者になりそうなタイプだ・・・と思ったら、いつの間にかヤンデレになっていらっしゃいました。
彼ならば密偵とか使って、王都の様子どころか『姫殿下』のご様子も把握しておられるだろうと。
ダリューン卿は、なまじ自分がハイスペックだから、『あぁ、コイツ1人で出来るな』と思ったら、女性でも放置しそう。女性だからって、良くも悪くも甘やかさない、と。
過保護の権化、てコトは、保護させてくれる子スキー、てコトかな、と。
・・・漆黒猫はダリューン卿も好きですよ、はい。
アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~ペシャワール恋歌~
あの御方に、初めて御意を得たのは15の年だった。
名門出身とはいえ一介の騎士見習いと、義父に溺愛される大国の王女。
身分が違い過ぎるが故の、邂逅だった。
『あなたが、私のお世話役?』
『御意。キシュワードと申します、姫殿下。
お母上が無事、我らが王の御子を産み参らせ、フゼスターン地方から戻られるまでの護衛をさせて頂きます。
何なりとお申し付け下さい。』
『・・・じゃぁ、まずひとつ目の『申し付け』。
私の前で、『タハミーネ』と『オスロエス』の名前を出さないで。2人に纏わる四方山話も禁止よ。父上のお話はアリ。むしろ聞きたい。
良くて?』
『?? 御意に、ございます、姫殿下。』
満足そうに少女が笑う。朝の光の中、クルクルとよく動く、透き通ったワインレッド。
少女の印象的な紅の瞳から、少年は目が離せなくなった。
『嬉しい♪♪
これから宜しくね、キシュワード♪』
跪く15歳の少年の手を、5歳の少女が取って微笑みかける。
あの日、あの時、あの瞬間から。
キシュワードの心は、かの姫の御許に留まり続けているのだ。
パルス歴320年、ペシャワール城砦。
幹部専用飲み会室・・・もとい、予備会議室。あくまで予備の為に、普段はあまり使われないこの一室で、とある深刻な議題が挙げられていた。
ダリューンにナルサス、キシュワード、ファランギースにギーヴ、エラムに、更に王太子アルスラーンにまで臨席を賜るほどの議題。
でありながらバフマン老には内密で、加入して浅いから、というより、『10代女子の』アルフリードには聞かせられない話。
キシュワードとアルスラーンが・・・2人『だけ』がシリアスに深刻なカオをし、ダリューンが何か言いたそうに、しかし口を噤み、エラムが死んだ魚のような目で双刀将軍を眺め、他の面子・ナルサス、ファランギース、ギーヴは笑いをこらえるのが大変、というカオだ。
「状況は把握した、キシュワード・・・。」
「はい、アルスラーン殿下。」
「・・・―――――何を考えておられるのだ、姉上はっ!!
よりによってルシタニアの軍人、それも最高指揮官を夫に『選ぶ』なんてっ!!」
「左様、我らにとってのラスボスではございませぬかっ!
おのれルシタニアの蛮族共め、王妃様は今更としても、誇り高くお美しい姫殿下の美貌にまで惑わされるとは何とも羨ま、もとい、悪辣な・・・!
『姫様の掌の上だとしても』許し難い・・・!!」
「王弟を『毒牙に掛ける』前に、お救いする事あたわなかったは我が不徳!
不甲斐ない弟をお許し下さい、姉上・・・!」
「増えたのは姫殿下の罪科に非ず、王弟の罪科。
事皆すべて、『王弟が』悪いっ!!」
「あの、アルスラーン殿下、キシュワード様・・・。
『侵略国の悪の司令官に、一方的に屈従させられる姉君様の不遇を嘆く会』ですよね? 今の話は。」
「いや、微妙に違うぞ、エラム。」
『あの御方がそんな大人しい訳がない。』
「・・・・・・・。」
言葉を一致させ『おぬし、判っておるではないか。』『いやいや、殿下こそ。』と妙なアイコンタクトを交わす主従に、エラムの目の死人度が上がる。
そうする以外にどう対応したら良いのか、というカオをする可愛い養い子の様相に、ずっと堪えていた軍師がとうとう笑い出した。
「判る、判るぞエラム、そなたの気持ちっ♪
まぁ姫殿下を存知上げぬお前が、そんな顔をするのも無理はない。だが殿下とキシュワード卿の反応も、俺には判るのだ。
見よ、この『内政手腕』の数々を。『美貌だけが取り柄の、寝台の上で泣き暮らすしか能のない、軟弱な姫君』。いっそあの御方がそのような姫君であったなら、ルシタニアもさぞ事が運び易かったろうに。」
「文官、というか、政治家の事績を拝見しているかのような・・・。
勉強になります。」
「うん。よく読み込み、覚えておくと良い。
当然の事ながら、戦とは勝利が基本だ。が、負ける事、大敗を喫する事もある。今の我らのようにな。そのような仕儀にどう、立ち居振る舞うべきか。
ここにその一例が書いてある。
今の我らのように、兵を募って奪還の狼煙を上げる事も大事だが、このように内側に在って、国の基本、『形』を保つ事もまた大事。
姫殿下は、その事を能く自覚しておられるのだ。」
「はい、ナルサス様っ。」
少年エラムは、敬愛する師・ナルサスの言葉を受けて真剣な瞳で『報告書』を読んでいる。『大好きな姉』の恋愛ネタに大打撃を受けたアルスラーンとは大違いだ・・・まぁ、こちらの症状はただのシスコンだし、ナルサスが後で読ませるだろう。
そう、シスコン。ソレが問題。
事の起こりは、キシュワードの持っていた『報告書』だった。彼は国境警備の任があって動けこそしないものの、自慢の鷹・スルーシとアズライール、それに密偵をフルに使って、陥落した王都内部の様子を全て把握していた。タハミーネ王妃の軟禁、イノケンティス王の求愛、アンドラゴラス王とアルスラーン王太子の行方不明に・・・フォルツァティーナ姫の、王弟ギスカール公とのロマンスも。
私室から出て来ない王妃に代わって、城内の秩序を保つ為、良き求心力となる姫殿下・・・は、良いとしても。
フォルツァティーナ姫が、ギスカール公の専属通訳として働いている事。
彼との仲は満更一方的という訳でもないらしく、『ティーツァ』『カール』と愛称で呼び合い、城下への視察にも同行し、彼の腹心にも公認されている事。
その他諸々、下手をすると、王の安否や王都の様子よりすら、詳しく書かれていたのだ。どうせデレないに決まっている王妃や、むさ苦しい武王の行方、当然のように虐げられる民の様子より、密偵も麗しの姫殿下を見ていたいのかも知れない。
『敵国の軍総司令と姫君の、人に言えない一夜から始まるラブロマンス』とか。
まるで何処ぞの薄い本・・・もとい、お伽噺のようではないか。
『キシュワード。
このような苦境に在って、他に考えるべき事、学ぶべき事も山のようにあるのは判っているのだが・・・知っているのなら、教えて欲しい。
王都におられる筈の姉上は、今、どのような状態にいらっしゃるだろうか。』
『殿下・・・。』
『私などより、余程聡明な御方だから・・・でもやはり心配で。
姉上には後ろ盾が無い。母上は、イノケンティス7世の庇護を受けていると聞いた。父上は・・・自力で何とでも出来る御方だ。でも姉上は、どう過ごされているのか。
衣食住の世話役は・・・暗殺の危険から守ってくれる者は居るのだろうか。』
王太子として大勢を俯瞰すべき責任を感じつつ、それでも、斬り捨てきれぬと。最愛の姉を案じる王太子の姿。
この時点では、エラムの目はまだ死んでいなかった。姉想いの弟。アルスラーンのそんな姿に、臣下として芽生え始めていた忠誠心が更に熱くなるのを感じたものだが。
主君の下問に、ニッコリ笑顔で『報告書』を差し出したキシュワードの口許が、うっすら吐血している時点でエラムたちは気付くべきだった。
この後の2人の、ゲシュタルト崩壊に。
「姉上・・・姉上の交渉能力なら王弟の秋波など、いくらでも躱せましょうに・・・。
躱して『後見』だけ巻き上げる事など、幾らでも出来ましたでしょうに・・・何も実際に『対価』まで払わなくったって・・・!!」
「10歳という年齢差に、王族と騎士という身分差・・・。
コレが無ければ私だって・・・あの時とかあの時とかあの時とか、もっと頑張っていれば違う結果があったかも知れぬと思うと・・・。
掻っ攫っていった相手が、ルシタニアの蛮族かと思うと・・・。」
「だいたい父上が、いつまでも嫁にも出さず、婿も迎えずに手許に置いておくから・・・。
いくら可愛いからって、からって・・・! いや、私の姉上は三国一可愛いけれども!! 性格も良い分、母上よりもアレだけれども!! 才能溢れる姉上の事、発揮できる場を提供できる男がお目に適ったのかも知れぬけれども・・・!!」
「才能を発揮という事なら、このペシャワールこそ・・・というか、このキシュワードこそ、姫殿下なくして存在出来ませぬものを・・・。
国王陛下の仰せのまま、西の国境、東の砦と駆け回り、武勲を挙げる度に『姫殿下のお耳にはどのように届いたか。』『何か私の事は言っておられただろうか。』と気にする日々・・・。さりとて手紙下さいとか言える立場でもなく・・・。
今だから言えるが、アルスラーン殿下のお傍に控えられるダリューン卿が羨ましかったものだ。私もあのように、姫殿下のお傍に控えられたらと。
ホンット、心底、羨ましかったのだからな。」
「はぁ・・・。」
「そのアルスラーン殿下のご機嫌は、如何ですかな。
そろそろシスコン世界からお戻り頂けるとこのナルサス、感謝の極みなのですが。」
「シスコン世界・・・自覚はあるが、姉が10人居るそなたから言われると堪えるな。」
「恐縮です。
報告書に書かれているのは姉君様の事だけではございません。生の情報に接して、公平に検分出来るのが王たる御方の瞳でございます。」
「うん。」
打ちひしがれたキシュワードの矛先が、親友に向きかけた辺りでナルサスが別の水を向ける。アルスラーンが師に寄っていってエラムと並び、素直な瞳で見上げる様は、傍目にも可愛らしい。美男美少年師弟悦・・・ではなく。
自分もこんな弟子が欲しいと思わせる・・・でもなく。
ナルサスの出色な点は、政治・軍事の知略と並んで人の師としても優れている所だ。弟子の才をよく見極め、必要なタイミングで上手に、適度な助言をする。その子が受け入れ易い言葉で。
ただ頭が良いだけの男には、出来ない芸当だ。ファランギースなどは、絵の道などさっさと諦めて、学習塾でも開けば良いのにと思うのだが。彼の弟子たちは、未来のパルスに大きな光をもたらしてくれるだろう。
今のエラムや、他ならぬアルスラーンのように。
「王都で疫病が蔓延しそうになったと・・・。
ほとんど、姉上お1人で対処なさったとか。」
「はい。可能な限り、都市戦を避けるべき理由のひとつでございます。
都市部で戦闘がある。兵が死ぬ。死体が放置される。腐る。そうするとどうなるか。
人の住む場所には獣が寄りませぬから、死体は延々、放置され続けます。
そうすると死体から病の元が出て、生きている者にまで伝染致します。『疫病の蔓延』の始まりですね。発病まで早い所で、水晶熱で2週間ほど、遅いと、群青病で2か月ほど。
所詮は病と侮られますな。
せっかく戦勝を重ねて快進撃していても、背後で疫病が始まれば総崩れ。平時でも産業に打撃を与え、国が傾く元になった事例もございます。
群青病をはびこらせると、後々まで物笑いになりますぞ。『2か月もの間、民を無為無策で放置した。』と。」
「ソレは確かに、笑われても仕方ないな。
しかしナルサス、医学書まで焼いたルシタニアが、よく王都に医師団を受け入れたな。それもトゥラーンの。」
「ルシタニアが遠征軍だから、という理由も大きいのでしょう。
端的に申せば、兵数が限られているのです。隣国マルヤムに駐屯させている数を含めても、約30万。確かに膨大な兵数ですが、水晶熱が本格的に猛威を振るえば、30万程度、ふた月保ちますまい。
早くに始まり、強力な感染力で延々と長引く。それが水晶熱の恐ろしい所でございます。
兵数維持。その為にルシタニア上層部は、トゥラーンに借りを作る事もやむなしと考えたのかも知れません。」
「ふた月・・・。
パルスはその辺り、対策が弱いのかも知れぬ。私が知る限り、エクバターナで疫病が流行した事は無い。だが・・・地方はどうだろう。
ナルサス、おぬしが知る限りで良い、エクバターナ以外の都市や村で、その手の病が流行った事はあるのか? 対策が遅れた事は?」
「ご心配なく、殿下。
パルスは交易国家でございます。人の出入りが多い代わり、その人々がもたらす病の元に対しても耐性が高い。旅人の為の医療施設も整っております。
流行しないのは、目下の対策が充分機能しているから、とお考え下さい。此度の王都の件は、特殊な状況下での例外です。」
「そうか・・・良かった。」
「対するトゥラーンは、略奪が産業として認められている国です。ルシタニアとは別の意味で蛮族と言われる事の多い国ですが、学問水準は低くございません。
荒事を自ら起こしているような国ですが、遭遇率が高い分、例えば疫病のような人知で抗しがたい事への対応能力は、パルスよりも高いかも知れませぬ。
隠密部隊の一角として、国王直轄の医師団が設立されているとも聞き及びます。
此度の水晶熱蔓延に、実際に姫殿下が招聘なさったのはその医師団だとか。当然ながら、本人たちは正規の兵站部隊を名乗っていたそうですが。」
「え・・・。
ナルサス様、今サラッと仰いましたけど・・・それはつまり、姫殿下はトゥラーンの国王直轄医師団を動かせる、って事ですよね?
姫殿下は秘密裏に、トゥラーンの後援を得ていると?」
「『得ている』と、思わせるのが姫殿下の狙いだろう、エラム。
実際は『主要構成員との交流がある』程度だと思うが。
姫殿下はかねてより、トゥラーンの医学に興味をお持ちだった。純粋に学問としてな。
外国の医学書を原文で読むような御方だ。アンドラゴラス王は姫殿下に甘いから、ねだられればトゥラーン出の医学者に進講をお命じになるくらいはしただろう。
その中に、『パルスの姫君をトゥラーンの為に利用せんと近付いてきた』国王直轄医師団の構成員、が居ても、おかしくはない。」
「そして、その構成員を逆に利用なさっていても、おかしくはない。
あの姫殿下なら。」
「ダリューン様?」
「排他的なルシタニアの渦中にあって、医師団への扉を開けさせる交渉能力。
かねてからトゥラーンと繋がりを保ち続ける政治的人脈。
疫病の蔓延を予測する危機管理能力に、直後というタイミングに、医師団が到着するよう手配する実務能力。
そのトゥラーンに王都での略奪も、ルシタニアとの対立もさせず、医学的援助だけを引き出して、速やかにパルス領から撤退させる指揮能力。
王都から殆ど出た事のない19歳の姫君に、持ち得る代物ではない。
かの姫殿下に我々からの心配など不要だろう。何でもお1人でこなしてしまわれる。」
「ほほぅ、ダリューンよ。
かの姫殿下に対し、我らが王太子殿下のご器量が劣り奉るとでも?♪」
「揶揄うなナルサス。
あれだけの才、普通は王位のひとつも欲するところを、かの姫殿下にはソレが無い。無いのは解るが、ではその発想が何処に向かうのか。何を欲しておられるのか。
全くもって、見当がつかん。
まことに不敬な物言いながら・・・『不可解な姫殿下』。かの姫を言い表す言葉が、俺にはソレしか思い浮かばぬのだ。」
「良き事ではござらぬか、ダリューン卿。
姫殿下の深遠なるご配慮、我ら臣下の察せられる処に非ず。他方、国王ご一家の中で、姫殿下が最もアルスラーン殿下を溺愛なさっている事もまた、周知の事実。」
「それは、確かに・・・ブラコンを公言なさっているくらいですから・・・。」
「我ら武人の務めは、王太子殿下を奉り、王都を奪還して姫殿下を守り参らせるのみ。
そしてルシタニア王弟ギスカールとやらを、この双刀で細切れにするのみ・・・。」
「キシュワード様、目が怖いです。」
エラム少年の冷静なツッコミでも、双刀将軍のヤンデレっぷりは収まらないらしい。
練兵を見て欲しい、と呼びに来た部下に気さくに対応する傍ら、アルスラーンに敬礼して言ったのだ。
『報告書の件はあまり気になさいますな、アルスラーン殿下。姉君様もお年頃故、いつもの気紛れの延長でございましょう。
王弟の首は必ずや、このキシュワードめが。姉君様に触れた不届きな両手も、切り取って殿下の御前に捧げてみせましょうぞ。』
『あぁ、うん。首を刎ねるだけでいい、かな・・・。』
双刀将軍の爽やかな笑顔と楽しげな足取りが、彼を知る者にはいっそコワい。
キシュワードの気配が完全に消えてから、最初に笑い出したのはやはりギーヴだった。腹を抱えて机を叩くほど大笑いしている。
「いや~、あの鷹の兄さん、実に面白い♪
見た目やら経歴やら、どんな堅物かと思いきや『姫殿下に下心ありまくりの崇拝者』とは。ダリューン卿の過保護が健全に見えてくるから不思議だ。」
「俺は過保護じゃないし、誰がどう見ても健全だっ。」
「いいか、エラム。
ダリューンのように過保護な大人にも、キシュワード卿のようにヤンデレな大人にも、ギーヴのように軽薄な大人にも、なるんじゃないぞ。」
「はい、ナルサス様☆
ナルサス様のように、別行動中に女の子が増えているような大人にもなりません☆」
「え? おいエラム、まだ怒ってるのか、アレはな、」
「あはは・・・私はどんな大人になろうかな・・・。」
「男どもの申す事でお心を煩わされますな、アルスラーン殿下。報告書から、事実は見えても姉君様の真実は見えませぬ。」
「ファランギース。」
「城門が閉じているとはいえ、王都に人の出入りが絶えた訳ではありませぬ。王都で水晶熱が広がれば、いずれ地方にも広がり、何処におわすとも知れぬ弟君に害為すは必至。
『使えるモノ』は全て使って、城門の内で病の拡散を食い止める。
王都から動けぬ姫殿下にとって、それが唯一可能な『弟君の守り方』だったと心得ます。」
言いたい放題に騒いでいた男たちが、はたと口を閉じた。
『姫殿下苦手』『姫殿下怖い』を公言しているダリューンが気まずそうなカオをし、淡々としたファランギースのセリフが黒衣を突き破って深々と、その逞しい胸に刺さっているのが判る。
「トゥラーンに借りを作ったのは姫殿下も同じ。
疫病に乗じて、民を巻き込んでルシタニアの要人を暗殺する道もございましたものを。病終息に専念なさったのは、一重に姉君様の情け深さの証でございましょう。
フォルツァティーナ姫殿下は、アルスラーン殿下の信じた通りの御方。
姉にまで背を向けられたなどと、努々、思われませぬように。」
「・・・6歳で王宮に呼び戻された日、対面しても父上からは一言もお言葉を賜れず、母上に至ってはお顔も見せて下さらなかった。
姉上だけが『会いたかった』と抱き締めて下さった。手を繋いで母上のお部屋に参上した道すがら、ずっと上機嫌で、ずっと私の顔を見つめ続けていらしたのを覚えている。
あの温もりが、偽りだったとは今でも思っていない。」
「殿下。」
「王弟への愛情が、ハニートラップの可能性も真実の可能性も、両方あると思う。他の何かである可能性だって。
取り敢えず、そんな簡単に『捨てられた』とは思えないよ。ソレなら、王太子として父上に見限られた、という話の方が余程現実味がある。
心配してくれてありがとう、ファランギース。
やっぱりファランギースは、何処か姉上に似ている。ティーツァ姉上とファランギースが並んで話をしている所が見てみたいな。」
「勿体ないお言葉です、アルスラーン殿下。」
血の縁に薄い子。
というのが目下のファランギースの、アルスラーンへの素直な感想だった。本人に非など何もない。欠片も無い。むしろ、標準より余程『イイ子』だと思う。国とか政治とか王族だとか。そういう事を抜きにして、こういう子供こそ、幸せになって欲しい。こういう子供が幸せになれる国が、良い国なのだと思う。そう思わせる子だ。
傍に居てあげたい。
臣として力になる、だけでなく。この先、誰にどう敗けて流浪する仕儀と成ろうとも。今以上の孤独に陥らせるような真似だけは、絶対にさせない。
まだ見ぬ『姉君様』が、何を考えていたとしても。男どもになど更に任せておけるか。
ファランギースの忠誠心が倍加した瞬間だった。
夕食後。ダリューンは風に当たりたくなって、物見台に上がった。
ペシャワールに来てから間もないが、夜露を気にせず寝食が摂れる有り難さ、というのを再認識している所だ。武人で軍人。物心ついた時から野営に親しんできたとはいえ、自分はトゥラーン人ではなく、パルス人。定住民なのだと自覚する。
何となく1人で考えたい事があったのだが・・・物見台には、先客が居た。
「キシュワード卿。」
「ダリューン? どうした、眠れないのか?」
肩にアズライールを乗せた双刀将軍の目は、澄んでいた。ヤンデレのヤの字も感じさせない穏やかな瞳に、ダリューンは何となくホッとしてしまう。
「私は、何となく・・・。
キシュワード卿は、アズライールの散歩ですか?」
「あぁ。コイツが外に出たがったものでな。
私も独りで居ると色々と考え過ぎて煮詰まってしまうものだから、気晴らしに付き合っている所だ。」
「・・・・・。」
やっぱりこのヒト、ヤンデレだ。
『考え過ぎて煮詰まる事柄』など、姫殿下の事に決まっている。彼の、アルスラーンへの忠誠心を疑ってはいないが・・・ダリューンとしては複雑な所だ。
何とか自然に部屋に戻ろう、と思案した時、だがしかし出し抜けにキシュワードから頭を下げられてダリューンは飛び上がって驚いた。
「すまなかった、ダリューンっ。」
「え・・・? えぇっ?!」
本当に驚いた。一瞬、本当に足が浮いたほどに。パルス軍は実力至上主義、とはいえ、軍とは縦社会。2歳年上で先に万騎長にも就任していた先輩のキシュワードが、後輩のダリューンに頭を下げるなど。
本来、あってはならぬ事なのだ。下の者に示しがつかず、軍紀が乱れる元になる。
「どうなさったのです、キシュワード卿っ!
お、おもてをお上げ下さいっ! 私が殿下にお叱りを受けますっ。」
「昼間は言い過ぎた。殿下のお傍にお仕えしていたお前が羨ましかったなどと・・・いや、羨望していたのは本音だが、そのような羨望も嫉妬も、お前には関わりなき事。
お前にはお前の苦労があったものを。
私の下らぬ感情、ましてや過去の事など、思っていても口に出すべきではなかった。それを殿下の御前で口に出し、お前を煩わせたのは我が不徳。
さぞ不快であった事であろう。
すまなかった、ダリューン。」
「そのような事、気にしてはおりませんっ。
私の方こそ・・・。
昔の私も、未熟でございました。目の前の殿下にお仕えする事にのみ、夢中になっていた。キシュワード卿が姫殿下に想いを寄せておられる事にすら、気付かぬ程に。
知らずに神経を逆撫でしてしまう事もあったやも知れません。
未熟者のする事と、お許しありたい。」
「私の方こそ、気にしてなどいない。」
顔を上げたキシュワードは、笑っていた。寂しそうな、ほんの僅かな微笑だった。
本当に、真実、フォルツァティーナという女性を愛しているのだと。
一瞬で伝わってくる。そんな微笑。
アズライールの翼が風を打ち、晴れ渡った冬の夜空を旋回している。
今宵は紅き戦星(いくさぼし)の輝きが弱い。
「・・・本当は、判っていた。」
「キシュワード卿?」
何となく2人で夜空を眺めながら、キシュワードの出した声音は静かだった。ダリューンが横を見ると、双刀将軍の表情は淀むでもなく、穏やかに凪いでいる。
「陛下が私を、王都エクバターナに留め置かなかった理由。
勿論、臣として適材適所に配置する、という理由もあっただろうが・・・結局、私の下心を見抜いておられたのだ。
私には、ダリューン。お前のような純粋な忠誠心が無かった。たとえお傍に置いて頂けていたとしても、お前が殿下にお仕えするようには、きっと姫殿下にお仕え出来なかっただろうと思う。
不敬な真似に至らないのは当然としても・・・。
『忠実な臣下』ではなく、『1人の男』と。姫殿下からそう見て頂きたくて、必死になった事だろう。忠誠心からではなく、恋情で動く家臣。そのような者、まともな親なら娘の傍には置かぬだろうな。
アンドラゴラス王のアルスラーン王太子殿下への接し方は、厳し過ぎると私も思う。時として憎悪しておられるのかと思う程、背筋が凍るかと思った事も1度や2度ではない。その理由を、私は知らぬが・・・。
だが姫殿下に関して言えば、あの御方は確かに『父王陛下』だった訳だ。」
「・・・キシュワード卿。
陛下が戴冠され、最初になさったのは王妃様をお迎えになる事。その次が、オスロエス王が離宮に『隔離』していた姫殿下を、正式に養女になさり、光の下に連れ出す事でした。王太子殿下がお生まれになった時も、神殿を寄進するなど、決して粗略に扱われていた訳ではございません。
私は時々、王が本当にお望みだったのは『家族』ではなかったかと・・・。
本当に時々、そう思うのです。
だからこそ余計、判らなくなる。今のアルスラーン殿下への、厳しさの数々が。『接し方が判らない父親』の範疇を超えている気がして・・・。
私は姫殿下に・・・まぁ隠しようもなく苦手意識がある訳ですが。
姉君様が『正しい愛情』を注いで下さった事が、殿下にとっての一番の救いだったのだとは、私も思います。」
「相変わらず、正直な奴だ。
救い、か・・・僭越ながら、私が姫殿下の救いとなりたい、などと意気込んでいた時期もあったな。結局、その役回りは王弟に取られてしまったようだが・・・。」
「??
姫殿下には殊更な『救い』など不要でしょう。あの御方は、全てをお1人でこなせる御方。唯一、母上様と不仲であられるのは確かに、おいたわしいが・・・。
父王陛下からは実子よりも愛でられ、美も財も才すらも不自由なく、敵から身を守る知性もお持ちでいらっしゃる。
コレで『何』からお救いすると?」
「さて・・・『何』とは、私も言えぬ。何せ私は、父王陛下に姫殿下から遠ざけられていた身だからな。
親しくお話ししたのは半年ほど。タハミーネ王妃がアルスラーン殿下をお産みになる為、フゼスターンの離宮に籠られていた間、姫殿下の護衛をさせて頂いていた時くらいだ。あとは年末年始の王都でのご挨拶と、折節の叙勲や、王への報告くらいか。
思えば短い時間よ。全て足しても1年に満つまい。」
「まこと、ソレでどうして年単位の純愛のモチベーションが続くのか・・・。」
「要らん世話だ。
短時間でも、お慕いするには充分だった。陰からお見守り申し上げていて、いつも思っていたよ。滅多に笑わない・・・心底からの笑顔は、意識して封じている御方だと。
王族という方々は、多少の差はあれ、長じるにつれて自然と感情制御を覚えていかれるものだが・・・。姫殿下の『アレ』は、そういうのとも違うように感じる。
常に臨戦態勢というか、制御しているのではなく封じているというか。
その『敵』がどういうものであれ・・・姫殿下が怯えておられるだけで、実際には居ないのだとしても。姫殿下が敵と思っている相手から、あの御方をお守りしたかった。
ソレが出来る自分になりたかった。
双刀も、他の武芸も。その為に磨いたようなモノだ。」
「そう・・いう、ものですか。」
「そういうものだ。
ダリューン、お前も本気の恋をすれば判るだろう。意中の姫君の1人や2人、居ないのか。黒衣の騎士殿。」
「え、何ですか急に・・・。
姫君と言えば、セリカの姫君とは、我ながらいい雰囲気になったと思いますが・・・。」
「甘いな、青年。
引き延ばす事無く予定通りの日程で帰国できる、離れられる。そういうのは本気の恋とは言わん。何もセリカに限らずとも、顔も実力もあるのだから、知り合う才媛には事欠くまいに。そもそもどんな女性が好みなんだ?」
「考えた事もありませんっ。」
キシュワードが笑う。ダリューンも苦笑する。
晴れ渡った夜空の下、2人はしばらく、20代という年相応の恋愛話に花を咲かせていた。
難しい顔で夜空を見上げていたギスカールは、自分の名を呼ぶ『妻』の、微かな声で室内に目を戻した。
元々からして、軽やかさが身上の華奢な美人。しっかりした存在感のあるタイプではない。僅かな灯りひとつに照らされ、絹の夜着を纏って寝台の上に身を起こすフォルツァティーナは、いつにも増して儚げだった。
王都を、ひいては国ひとつを、病禍から救った女丈夫(じょじょうふ)には見えない。
敵味方関係なく治療した慈愛の聖女、という冠詞ならば、似合うだろうか。
「どうした、ティーツァ。
横になっていなくて大丈夫か?」
「平気・・・カールこそ、煮詰まってそうな背中だったわ。」
静かに寄って寝台の端に腰かけ、武骨な軍人の手が姫君の頬に触れる。いつもは柔らかく温かい頬が、氷のように冷たかった。熱は異様に高いのに、だ。
悪い熱に潤んだ紅眼が、少しだけ微笑む。途端に酷く咳き込んでしまった。正面から抱き締めるようにして背中をさする彼の肩口に、フォルツァティーナは甘えるように、白い額を凭れさせる。
ギスカールの囁き声は、窘める色を帯びていた。
「俺の事など気にするな。紅の戦星が、輝き弱く感じられただけだ。
ソレよりお前は、もう休め、ティーツァ。」
「リアリストな貴方らしくない・・・私、別に火星が守護星という訳でもないのに。」
「判っている。瞳の色が似ているだけだとは・・・それでも不吉に感じる。お前を喪う前兆のようで。
俺を安心させたければ、喋らず横になっていてくれ。」
子供をあやすように銀髪を撫で、華奢な体を慎重に横たえる。パルスの姫の前髪を、撫でつけるルシタニア王弟の手は労りに満ちていた。
トゥラーンの医師団の撤退、ソレを見届けた直後、フォルツァティーナが倒れた。疫病の発生から終息まで緊張の連続で、流石の彼女にも負担だったのだ。緊張の糸が切れた途端に疲労が押し寄せ、重度の咳と高熱が、もう3日続いている。
仕事があるから付きっ切りで、とはいかないが、ギスカールはこの3日、ずっと献身的に看病していた。医師の見立ては『過労』。休んでいればいずれ収まるとは言われたが、侍女に任せ切りにする気にはなれないらしい。
頻繁に顔を見せ、汗を拭き、髪を梳き、水や果物を手ずから口に運ぶ。夜も護衛するかのように、彼女のベッドサイドで、椅子に座ったまま睡眠を摂るという徹底ぶり。
その姿に、今まで警戒していた彼女付きの侍女たちも、見方を変えてきていた。
体調の悪い時にこそ、男が女をどう思っていたかが透けて見えるモノ。侍女たちは『閨の相手の出来ない姫殿下を放って、王弟は妓楼にでも繰り出すに違いない』と思っていたようだが・・・。
「お・・王弟、殿下・・・。
ご注文の果物が、届きました・・・。」
「ご苦労。そこに置いておけ。明日使う。」
「御意・・っ、あの・・今宵もこちらで過ごされるなら、せめて毛布をお使い下さい。今宵は特に冷えます故・・・。」
「心遣いだけ頂いておこう。
俺は軍人でな。冬の寒空での野営は慣れている。毛布があるとかえって眠れぬのだ。」
「申し訳ございませんっ。」
「別に謝らんでもいい。」
恐怖から逃げるように去っていく侍女に、畏怖される事に慣れているギスカールも苦笑した。最近やっと、まともに会話が成立するようになってきた所だ。
『夫』の手を握ったまま、トロトロと眠りに落ちていく『妻』に、病んだ汗の染み込んだ銀髪に、愛おしげに口付ける。
「俺はいつか、必ず王になる。」
彼女に会うまでは、彼にとって『女』など誰でも良かった。正直『血縁の後継者』が必要とも思っていなかった。ギスカールは自分が王になりたいのであって、自分の子孫に王統を継がせたいのではない。自分の後継者は血ではなく能力で決めればいい。自分が自力で国を獲ったように、自分に認めさせてみせろ、と。
だが、今は。
血縁に興味が無いのは変わらないが、『妻』は彼女以外に考えられない。
「俺が王で、お前が王妃。
そんな国を共に創ろう、ティーツァ。」
自分の為、だけでなく、彼女が一緒に笑い、住んでくれる国。
そういう国の王位が欲しい。
ソレが『今の』ギスカールの野心だった。
自我ばかりだった彼の目に、野心に、他者の存在を容れさせたのは彼女なのだ。
―FIN―
アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~ペシャワール恋歌~