アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~武王の御子~
ハローハロー、漆黒猫でございます。
アルスラーン殿下にお姉様がいらしたら、バージョン。
アルスラーン殿下の女体化バージョンではございませんので、念の為。
今回はヒルメス様と、タハミーネ王妃にもお出まし頂きました。
特にタハミーネ王妃・・・。
ウィキ先生に『ホントは子供想いなのよ?』的な事を伺って、アニメ・漫画・OVA共に中途半端な知識しかない漆黒猫は、マジかよとか思いましたが。
バダフシャーン公国に関しては色々捏造出来そうな気配はしております。
梟にクチバシで突っつかれて弄ばれる・・・もとい、遊ばれるカマキリの構図は、
カワイイよね、うん。
アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~武王の御子~
宴の喧騒が鎮まっていく。
『あの』ボダンですら、彼女の美しさに視線を奪われていた。
「ごきげんよう、イノケンティス7世陛下。
今宵は宴へのお招き、感謝申し上げます。」
旧バダフシャーン公国領の名産は、今も昔も変わらない。数百年の伝統を誇る装身具の技。繊細な手編みレースと、複雑高度なカッティングを施した宝石類だ。
ルシタニア特産の生地を使った、バダフシャーン風の伝統衣装。パルス風のすっきりした化粧と、バダフシャーンのレースにアンティークジュエリー。
ソレらのどのアイテムよりも、彼女の銀髪と紅眼は美しかった。
「流石に・・・、タハミーネ殿の娘御よな。
大国の姫たるに相応しき品格と申すべきか。一流の品がよくお似合いじゃ。」
「恐縮ですわ、陛下。
陛下のお傍に、パルスの女は母1人で充分でございましょう。わたくしはパルス領が一、バダフシャーンの装いで御前に参上致しました。
お気に召して頂けましたなら、幸いでございます。」
「うん、うん。余は満足である。
我が祖国・ルシタニアの織物も、使ってくれているのだな♪」
「御意にございます、陛下。
お見立ては、ギスカール公に。流石は陛下の弟君、ご趣味が良うございます。」
「うん、うん♪ 弟は昔から、そちら方面にも造詣が深いでな、」
王都エクバターナ、夜。
臣下の慰労の為、国王の名で開かれた宴の冒頭。交わされた『傀儡』と『虜囚』の会話を、陰で聞いていたヒルメスは舌打ちしたい気分だった。
何だこの穏やかな空気は。
彼にとってイノケンティス7世という男は、あくまでも傀儡で・・・まぁヒルメスが何もせずとも、この男は最初からお飾りだったようだが。教養というモノを知らぬ卑しい蛮人、の筈だった。パルスの神聖な王宮には、本来入れる筈のない無能な男。
それに、あの姫。
崇敬する父・オスロエスの仇・アンドラゴラス
そのアンドラゴラスが溺愛していたという、タハミーネの娘。あの無骨な男に我が侭放題に育てられたからには、もっと。礼節を弁えぬ蛮族に、世界の全てであった筈の王宮を踏み荒されて、きっと。蛮族の実質のリーダーに、女の誇りを打ち砕かれ、夜毎慰み者となり、無理矢理に抱かれて、さぞ。
地獄を見てきたようなカオで、怯え切っていると思ったのに。
そのカオを見て、嘲笑ってやるつもりだったのに。
「盃を取らそう。」
「兄者、彼女は酒は・・・。」
「良い、良い、弟よ。姫があまり酒を嗜まぬ事、この兄は聞き及んでおるぞ。何せタハミーネ殿の娘御は、未来の我が娘であるからな。」
「兄者、未来の義妹でもありますぞ。」
「はは、そうかそうか、妹でもあり、娘にもなるか。面白いの♪
盃の中身は、余の好物、砂糖水じゃ。余と同じ濃さは大概の者には不評でな。姫の中身も多少薄めてあるから安心せよ、未来の妹よ。
ささ、取るが良い。」
「ありがたく、頂戴致しますわ、陛下。
イアルダボード神と陛下の御代に、栄光を。」
手の中の酒杯に、ヒビが入るだけで済んだのは僥倖だろう。お飾りとはいえ国王の冠を戴いている者が、身内(予定)に盃を与えようとしているのだ。ソレを不満として盃を砕いたとあらば、不敬では済まされぬ。
人の良い笑顔を浮かべる、イノケンティス王。
常に眉間に皺を浮かべているギスカール公が、その皺を緩めて微笑し、大事そうに姫君の華奢な肩を抱き寄せている。
姫君が盃を飲み干すと、出席者の誰からともなく、祝福の拍手が沸き起こる。ギスカールの腹心・ボードワンとモンフェラートも和やかに手を叩いていた。
反吐が出る。
「おのれ、フォルツァティーナ・・・簒奪者に育てられた、魔女の娘が・・・。」
「銀仮面卿・・・お言葉ですが、その立ち位置でそのお言葉は説得力に欠けるかと・・・。
柱の陰から熱い視線。
まるで片恋のようですぞ。」
「サームよ、おぬしは意外と毒舌だな。」
「申し訳ありません。
クバードと話が弾む姿が意外だと、周りにはよく茶化されておりました。」
「・・・・・・。」
渋面になったヒルメスはそれ以上咎める事はせず、黙ってその場から離れた。この茶番のような宴の、熱の届かぬ所に身を置きたい。
傷口が塞がったばかりで、まだ本調子ではないのだろう。あるいは侵略者たちの晩餐に、万騎長としての誇りが疼くのか。サームもヒルメスの後ろに従った。
カーラーンは今、アルスラーン捕縛の任に出ている。
彼女の『愛しい弟』の。
「なぁサームよ。」
「はい、ヒルメス殿下。」
言いかけて、ヒルメスは口許を歪める。
風通しの良い塔の上に出て、なお気にかかるのは、やはりフォルツァティーナの事だった。コレではまるで、サームの言う通り片恋ではないか。
自分はいつからツンデレになった・・・否、そうではなく。
「あくまで『敵の情報収集の一環として』訊く。
あの女が奥座敷で遊ばせておけば満足するような、そこいらの姫君と違う事はよく判った。武芸はアンドラゴラス仕込みだというし、認めよう、あの女は俺の敵対勢力に成り得る。
敵として脅威に成り得ると判断したからこそ、情報収集が必要だ。
この理屈は、論理として破綻しておるまい?」
「はい、殿下。
ちなみにヒルメス殿下のツンデレ具合も破綻してません。」
「私はツンデレではないっ。
サーム、おぬしから見た『フォルツァティーナ姫』とは、どのような女か。情報を寄越せ。」
「一時はオスロエス王の娘分でもあられた姫君です。その時分には、ヒルメス殿下の義妹君にあたられました。
殿下もお話になった事があるのでは。」
「1年足らずと短かった上に、ひと月足らずで、父上が離宮に離してしまわれた。
俺は武芸の鍛錬に夢中だったし、タハミーネが嫌いだった事も手伝ってな。殆ど顔も見に行かなかった。まともに言葉を交わした覚えはない。」
そう、ぼやくように呟いたヒルメスの顔には『惜しい事をした。』と大書されている・・・本人は無自覚な所がまた。
当時、まだ下っ端だったサームは直接は見ていない。が、それとなく話は聞いていた。老ヴァフリーズから、『オスロエス』の名を聞いただけで姫が機嫌を損じる理由を。
ヒルメスは、知らなくて良い事だ。
「・・・ダリューンなどは戸惑い、恐れている風ですらございました。姫殿下の才覚よりも、ご気性の方が気になったようで『何をお望みか、御意を測りかねる時がある。』と。ヴァフリーズ老が婚姻をチラつかせた時など、顔が引き攣っておりました。
ですが私から見た姫殿下は、少し違います。」
「ほぅ、どう違う?」
「孤独を知る御方、と。」
「・・・・・・。」
「その大人びたご気性から、同年代の友など望むべくもありませぬ。
ただでさえあの御方は、何もせずとも敵が多い。
旧バダフシャーン公国の復活や利権を望み、傀儡とせんと欲する者。美しさに目が眩んで、城の暗がりに引きずり込もうとする者。王女という地位に取り入ろうとする者。逆に父王に取り入りたくて、機嫌を取ってくる者。
タハミーネ王妃への嫉妬や怨嗟を口にする者まで引き受けさせられる始末。それでいて、当のタハミーネ王妃には忌避されておいでだ。
そのような孤独に放り込まれた御方が、敵に翻弄される事なく、対等に渡り合える天稟(てんぴん)をお持ちだった。むしろ臣下としては喜ぶべき事かと。
弟君を盾にするでもなく、姫殿下は城内でたったひとり、ずっと戦い続けておられました。見えない敵と。王妃との地味な対立も含めて・・・アンドラゴラス王が溺愛なさったのは、そういったご事情をご存知だったから、という部分も大きいと思います。
武を重んじるアンドラゴラス王をして、後ろ盾にならねばと思わせる、そのような孤独を内に秘めた御方です。常に凛とした緊張感を纏っておられ、父王陛下以外の余人に、『王女としての顔』以外を見せた事のない方です。
私はルシタニアが嫌いです。
ですが、そのルシタニアの支配を助け、あまつさえ王弟と情を交わすあの御方の行動を・・・売国奴と罵る事は出来ませぬ。
今の城内の秩序が、姫殿下の自覚ある行動で保たれているのも事実。
王弟がいかようにしてか姫殿下の孤独を埋めたのなら、姫殿下が『そろそろ自分の幸福が欲しい。』と仰るのを、お止めする言葉を持ちません。」
「ふん・・・アンドラゴラス一辺倒かと思っていたが、そうでもない、か。
近付き方によっては、俺の役にも立つかも知れんな。」
「御意。
姫殿下の、アンドラゴラス王への忠誠心は本物と存知ます。ですが、国の枠に捉われぬ、自由な発想のできる御方でもあられます。
王弟への接し方が、その証左。
アルスラーン殿下への情も、本物ではありましょうが・・・言葉を巧みにすれば、戦力を引き出す事も不可能ではないかと。
ヒルメス殿下におかれましては、一度、膝を詰めてお話になってみては。」
「そうしよう。」
「・・・・・・。」
即決ですか、そうですか。
思慮深いサームはニッコリ笑顔を保ったまま、敢えてツッコまなかった。
「サーム、段取りはおぬしに任せる。
近日中にフォルツァティーナと内密の話が出来るよう、取り計らえ。城外でも構わん。」
「かしこまりました、ヒルメス殿下。」
サームが頷いた時、中庭に動く人影が見えた。
イノケンティス7世との歓談はひと段落ついたのだろう、ギスカールとフォルツァティーナが、供も連れずに2人だけで噴水に腰かけている。
流石に声までは聞こえないが、ご両人の楽しそうな表情は見て取れた。
薄布とレースを幾重にも重ねた、バダフシャーン風の伝統衣装。立った彼女が両手を真っ直ぐ広げてクルクル回ってみせると、ステップに従って、薄布が花弁のように舞い踊る。
10枚以上の花弁が一息に花開く様は成程、美しい。
『未来の王弟妃』の可憐な姿を、当の王弟は目を細めて穏やかに見つめている。
「戦い慣れしているのは、まことのようだな。」
「ヒルメス殿下?」
てっきり主君も、彼女に見惚れているのだとばかり思っていたが。
サームと同じように彼女を見下ろしていたヒルメスの、その視線は見惚れる、などという色めいたモノではなかった。
長身の彼を見上げれば、真剣な瞳で目を細めている。警戒と感嘆、その両方が宿った瞳だ。
「アレは戦士の足運びだ。四方八方、何処から剣戟を向けられても対応出来るよう訓練された者の動きだ。
華美を売りにする舞姫のモノではない・・・強いて言うなら、剣舞を舞う者、特有の動きといった所か。王はあの姫を、小規模戦闘の端、くらいになら連れ出した事があると報告は受けているが・・・例えばサーム、おぬしのような剣士の動きとも、当然、騎兵の動きとも違う。
アンドラゴラスめ。愛娘と言いつつ、一体何を教え込んでいたのやら。」
「・・・・・・。」
心の何処かで、少しだけ安堵している自分が居る。
サームは最初からヒルメス=銀仮面卿の配下だった訳ではない。カーラーンに守られたヒルメスが、地下水路から王宮内部に侵入した時。エクバターナ城司として、カーラーンとヒルメス、両方と剣を交えた身だ。
彼に重傷を負わせたのはヒルメスで、直属の部下が欲しかった彼に助命・手当され、ルシタニアを追い出す事を条件に彼の軍門に下った。
カーラーンが見込んだ器。信じた正当。
女の尻を追いかけるのみに留まられては、困る。
「既に夜風の寒い季節にございます、ヒルメス殿下。
お部屋にお戻りなさいませ。」
「そうだな、サーム。」
ルシタニアを追い出したら、姫殿下はどうなさるのだろう。あの王弟と共に落ちて行かれるのだろうか。
あるいはまた、慕う『姉上』の選んだ夫が敵国の首魁だと知った日には、王太子は。
一瞬だけ心によぎった懸念を、サームは身の内に押し殺した。
「ごきげんよう、銀仮面卿。
私、あなたが嫌いなの。お手伝いはしかねるわ。」
「・・・・・・。」
コレが彼女の、第一声。
仮面越しにでも、ヒルメスの表情が引き攣ったのが判る。サームと、任務から戻りたてのカーラーンが深々と溜め息を吐く。ギスカールが珍しく大笑いし、控えていたボードワンとモンフェラートが控えめに苦笑する。
当のフォルツァティーナは、嫌味の欠片も無い『育ちの良いお嬢様』の笑顔でヒルメスを見上げていた。
「私はあなたが『誰』なのか、知っている。
私はあなたが『誰』を父上と慕っているのか、知っている。
私はあなたの『父上』に、嫌悪と憎悪を捧げている。
だから、私はあなたに協力などしない。したくない。どんな甘言を弄されても。どれだけ膨大な利が、約束されていようとも。
ただ1人、ギスカールの言葉が引き出された時だけは、その限りではない。
どう? 完璧な論理でしょう?」
「もう良い、黙れ。」
「カール、面倒な仕事を5分で終わらせたわ♪
褒めて褒めて♪♪」
「あぁ、よくやった、ティーツァ。」
所は王弟の執務室。
まぁ自分はともかく彼女は自由に外出出来ない身の上だし、城内の何処か無人地帯での密談、という展開は予想していたのだが。
何故、居る。
パルスの王族同士が話そうという場に、何故、仇敵ルシタニアの王弟が。
重ねて『面倒な仕事』扱いされたヒルメスの頬に、青筋が浮かぶ。その青筋には、目の前で仲睦まじい姿を見せつける2人、両方への怒りも込められていた。
ギスカールの逞しい胸に正面から抱きつき、甘える銀髪の美女と、そのフォルツァティーナの頭を撫でて子供にするように甘やかす壮年の男。
彼女がアンドラゴラスの『娘』だという事を差し引いても、王族である事に拘るヒルメスには不快な光景だった。王族の夫婦とは、もっとビジネスライクであるべきものだ。彼の父と母とがそうであったように。
ギスカールは全て見透かしたカオで苦笑している。悪人のカオだった。
「おぬしたちの狙いは判っている。俺に隠れてティーツァ個人に接触しようとした理由も、俺たちの同席を渋った理由もな。
銀仮面卿がパルス人である事など、最初から知れていた。
俺の望みは、このままパルス全土を支配する事。
おぬしの望みは、王太子アルスラーンではなく自分がパルス国王として即位する事。
最初から正反対の望みだ、互いに妥協点など無い。
ソレも最初から、知れていた。まぁ、目的が一致するうちは、必要に応じてティーツァを貸し出してやるさ。アンドラゴラス王に出て来られたくない、アルスラーン王太子にエクバターナ入りされたくない。その点は一致しているからな。」
「お前はそれでいいのかっ?! 何を考えている、ティ」
ヒュッ・・・・!!
ヒルメスの頬に一筋、紅が走った。
「お前に愛称を呼ばれるなど、怖気が走る。
『フォルツァティーナ』。フルネームで呼びなさい、オスロエスの息子。」
「!!」
開き切った瞳孔に、投げナイフの腕前・・・いやそれよりも。
オスロエスの息子。
今、彼女はヒルメスの事をそう呼んだ。では、全て知っているというのか。パルス王家の闇を。もしやアンドラゴラスの『実子』であるべき、正式な手順を踏んで王太子にまで冊立された、アルスラーンの出生までも。
ならば、余計に。否、だからこそ。
ヒルメスが、奥歯をギリッと噛みしめる。
「フォルツァティーナ・・・貴様、一体何を考えている?」
「『何を考えているか判らない子』、『薄気味が悪い、あっちへ行って。』。子供の頃から散々言われたわ、母上に。
今更あなたに言われてもね。
カールはそういう事、言わないから好き。」
「ギスカールと俺との器量の差を、そんな些末事で測るか。というより、それを本人両方を前にして言うか。歯に衣着せぬを通り越して、歯が浮くわ。」
「別に器量の話をしたつもりはないけどね。それと、こういうのは本人不在だと途端に陰口になる。反論できる状態の本人の前で言うから、意味があるのよ。
銀仮面卿。
『王の王たる証左は、血筋に非ず。ただ政治の正しさによってのみ証明される。』。
有名な史書の一節で、私の好きな言葉よ。
『出生がどうであろうと』、アルスラーンは私の弟。父アンドラゴラスが王太子と認め、そう育てた・・・母上などではなく、私が。
父の跡目は弟のモノよ。父が暗殺に失敗した従兄に渡すくらいなら、ルシタニアに渡す方を選ぶ。死者に生者の国は創れない。」
「狂信者にも、正気の国は創れまい。」
「ギスカールは狂信者ではなくてよ。」
「お前の弟は、この都には入れない。」
「いいえ、必ず来る。あの子にはその器量がある。
侵略者の手を借りねば帰国もままならない、仮面が無ければ素の自分ですら居られない。そんなあなたとは違うの、あの子は。」
「そうして次は『あの子が勝つ』か?
弟が戦うのは、お前の夫だ。ソレを高みの見物とは、王妃以上に悪趣味だな。」
「あんな出来損ないとっ、」
「それくらいにしてもらおうか、銀仮面卿。
俺の妻をイジメると、こうなる。」
「・・・人望もある、か。
バダフシャーンが残っていたら、さぞかし良い女王になったのだろうな、お前は。」
笑い混じりにギスカールに窘められ、ようやく気付くとボードワンとモンフェラートが殺気立っている。彼らが今この瞬間、剣の柄に手を掛けてるのは、ギスカールではなくフォルツァティーナの為なのだ。
彼女の細い体を後ろから抱き締め、顎を華奢な頭に乗せる。寛いだ仕草に見えるが、ギスカールの青い瞳は炯々と輝いていた。剣呑な光だ。
「2人共、俺の妻が大好きでな。制止するのも骨が折れる。
仕事の話をしよう、『銀仮面卿』。
要人を1人、殺して来い。
聖堂騎士団の騎士団長、知っているな? 名をヒルディゴという。奴は最近、気に入った異教徒の女を複数、寝台に招いて風紀を乱している。
現実問題、目に余るし、背教以外の何物でもない。我が神の教えには、『同じ教えを奉る異性と以外は寝てはならん。』という条項があるからな。
奴が寝台に女を引き込んでいる時を狙って、殺せ。おぬしの飼っている魔導士ならば容易かろう。」
「俺をパルスの王族と知って、なお、蛮族同士の抗争に駆り出そうというか。
不敬な。」
「おぬしがパルスの王族なら、俺はルシタニアの王族なんだがな、『銀仮面卿』。
ついでに言わせてもらえば、ルシタニア軍内部での、おぬしの後見人だ。」
「・・・・・・。」
「命令に服すか、否か。
選べ、ヒルメス。」
「・・・・・・服す。」
「よく言った、ヒルメス王子。働きに期待している。
腹心を失う痛手は、腹心を持つ者にしか解らぬものだ。お互い、臣下を大事にしようではないか。」
「どの口が言うか、ルシタニアの悪党め。」
騎士団長ヒルディゴは大司教ボダンの腹心。周知の事実だ。ソレが背教した上で、魔導士に不可解な死を与えられればどうなるか。
この件を、王弟ギスカールは最大限に使ってボダンを追い落とすだろう。この男が半端な所で手を緩めるとは思えない。あの大司教の失脚は明白だ。
ふと、彼の腕の中で守られている、『未来の王弟妃』に目が留まる。
「・・・・・。」
「言っておくが、ティーツァは改宗済みだぞ。」
「・・・知っている。」
ソレが表面上のモノである事も。
隙が無い。今は。
妙な敗北感と割り切れなさを抱えて、ヒルメス主従は執務室を後にした。
「疲れたか、ティーツァ。」
後ろに倒れ込むようにして、ぐったりと体重を預けてきた『妻』の背中を。
ギスカールはしっかりと抱き締め直して、耳元で労わった。両掌で両の瞼を押さえた彼女は、口許だけは穏やかに微笑んで小さく首を振る。
銀仮面卿が、16年前の暗殺未遂を辛くも逃れた『オスロエスの息子』ヒルメス王子だという事実。彼を一目見た瞬間から、彼女は気付いていた。
そして思い出したのはヒルメスの正体だけではない。オスロエスからの暴力、かの王への恐怖も、また・・・まがりなりにもギスカールの配下である『銀仮面卿』に、『未来の王弟妃』が、今日まで親しまなかったのはその『せい』だった。
『会いたくなかった。』
『銀仮面卿』に対する彼女の本音は、その一言に尽きる。父と慕うアンドラゴラス王への怨嗟なら、幾らでも聞き流す胆力は持っている。だが・・・同じ『義父』でも、フォルツァティーナに塗炭の苦しみを与えたオスロエス王は、彼女にとって今でもこの世の害悪一切の象徴だった。
外側からの恐怖には幾らでも耐えられるが、内側からの恐怖というものは、消耗する。
事実、フォルツァティーナの出した声は低く弱り、掠れていた。
「平気・・・ラーニエの肩持って、ごめんなさい・・・。
怒った? カール。」
「いや、全く響かんな。」
上出来な程だと、ギスカールは思う。
先々の事を考えれば、この辺りでひとつ、銀仮面派に釘を刺しておく頃合いだったのだ。王弟妃が王弟の部下に、一目(いちもく)もしないで居る訳にもいくまい。
ギスカールとしては他の算段でも良かったのだが・・・。
オスロエスの亡霊を恐怖する弱さを、知ってなお、『対等に渡り合ってみせるから』と向き合う事を選んだ彼女の毅さ、健気さの方が、彼には愛おしい。
尊敬を込めて、ルシタニア王弟はパルスの姫の銀髪に軽く、口付けを落とした。
「お前の複雑な胸中は知ってるんだ、コレで諸手を挙げて支持されたら、かえって『ハニートラップか』と疑いたくなる。
ただ・・・勝つのは、俺だ。
勝って野心を実現し、俺に惚れ直させてやる。」
「うんっ。」
守ってやりたい、庇護を与えてやりたい、という感覚とは、少し違う。
彼女が蹲っている、立ち上がれずにいる闇を、知っている。嘘を塗り重ねてきた、パルス王家の闇。遺言のように付き纏っている、バダフシャーン公家の闇。周囲の大人に押し付けられた闇。弟を守る為、防波堤となってきた闇の、全てを。
その闇の中に、せめて一緒に浸かってやりたい。孤独にしたくない。1人くらい、純粋に彼女の為だけに、彼女の傍に居る男が居てもイイじゃないか。
この感情の正確な名を、ギスカールは知らない。
「来いよ、ティーツァ。俺の愛しい、専属通訳殿。
溜まってる書類を全部捌く。早めに終わったら、城下の『視察』に行くから付き合え。」
「わ~い、視察デート♪♪」
気遣うルシタニア王弟の温もりに、応えてパルスの姫に、儚くも穏やかな笑みが宿る。思えばこの繰り返しが、立場の正反対な2人を近付けたのだ。
モンフェラートとボードワンは、瞳を和ませて自主的に仕事に戻っていく。
ギスカールにはギスカールの苦しみがあり、腹心2人はソレを知っている。主君の選んだ伴侶が、虜囚同然の敵国の姫君だと知った時は驚愕したが・・・あの常識人なギスカール公が、と。
いつからか笑わなくなった王弟の、笑みを取り戻したのがこの姫だというのなら。
フォルツァティーナを『主君の妻』と仰ぐのに、何の異存も無かった。
「お前の娘にしては、随分とよく喋る娘だった。」
「・・・・・・。」
パルス王宮・離殿(りでん)。
実の娘の話をしているというのに、沈黙を守るタハミーネの冷徹さに流石のヒルメスも嘆息した。偽りの息子・アルスラーンに情が湧かないと言うのは、解らぬでもない。それでも違和感は拭えないが。だが、血を分けた娘だと確証が取れているフォルツァティーナに対して、この反応の薄さは何処から来るものか。
この離殿は、王宮内部に在って後宮とは違う。
静寂を好む王妃に甘い武王が、王妃の為だけに増設した『離れ』。庭園の中に部屋があるような、そんな妙な造りになっている。
本当に、妙だ。この『家族』は。
「賢しげによく話し、進んで敵陣の中を泳ぎ回り、自分の意思で剣を取る。
お前とは正反対だな、『魔女』よ。」
「・・・・・・。」
また、沈黙。
四阿の女主人は、拒絶の姿勢を崩さない。思えば父・オスロエスとの短い結婚生活中も、この女が言葉を発するのを殆ど聞かなかった。いつも、父の方が一方的に話しかけ、機嫌を取っていた。聞き及ぶ所によると、アンドラゴラス相手でも似たようなモノだったらしい。常に受け身で冷淡、それでいて、行方を眩ます事もなく、この離殿に行けばほぼ必ず居るし、会える、と。
まるで、離殿に付属した生き人形だ。
「男に応える感情があるだけ、お前よりマシか。
ギスカールが言っていた。『王妃が纏うのは、男を取り殺す死者の気配。姫が纏うのは、男女を問わず生命力を引き出す、生者の気配だ。』と。多少は判る気がする。」
今度は返事を期待していなかったので、いっそ人形に語り掛ける気分で開き直り、構わず言を継ぐ。
イリーナは今頃、どうしているだろう。彼女の故国・マルヤムもまた、ルシタニアに滅ぼされた国。彼女は怒るだろうか。ルシタニアを利用しているヒルメスを。
「出来損ない、と、」
王妃の美しく整えられた眉が、ピクリと動く。
「あの娘が、お前をそう呼んでいた。一瞬だったが。
親子の仲が険悪な事など、見れば判る。俺には関わりもなき事だが・・・妙に耳障りに残ってな。何故だ? フォルツァティーナは、何故お前を『そう』呼んだ?」
「・・・・・・あの娘は、『成功例』ですから。」
「?!」
「わたくしは『失敗例』。
『成功例』には『失敗例』の至らなさが、殊の外、目に付くのでしょう。」
「・・・・・・。」
応答を予期していなかったヒルメスは、しかしすぐに驚愕から立ち直ると、語られた情報を精査した。この辺りの迅速さは幼少時、王族として支配者教育を受けた賜物であろう。
容姿の美しさに於いて、2人の女の間に大した遜色は無い。成功だ失敗だと、差別化して語らねばならぬ程の差は。
元々容姿など、最も男の好みが分かれる分野だ。美女だからこそ、嫌う男も居るだろう。『あの』フォルツァティーナが『自分の容姿は母以上』などと誇るとも思えない。
では、何か。
2人とも、王族だ。
王族としての振る舞いについてならば・・・10人中9人がこう答えるだろう。『王妃様より姫殿下の方が、余程王族としてご立派であられる。』と。
常から王を振り回すだけ振り回し、甘やかさせ、有事に際しては城も民も振り捨てて、城外に逃げ出そうとして無様にも敵将に阻まれた王妃。
陥落するその時まで凛とした威厳で城中の非戦闘員たちを纏め、生き残った僅かな従者たちの命と誇りの為、敵国王に進んで膝を屈し、真っ先に改宗までしてみせた王女。
宰相から王妃の城外逃亡を知らされ、共に逃げるようにと進言された時には、烈火の如く怒り狂って激しく非難し、1人で行けとむしろ自らの手で『叩き出した』。
そんなパルスの姫殿下の気高い行動は、従者たちの崇敬を集めた。今ではルシタニアに怯える者からは拠り処にされ、ルシタニアに牙を研ぐ者からは女主人と仰がれる始末。正反対の派閥の統率も、難なくこなして占領政策に腐心するギルカールを能く助けている。
王族としての出来不出来、という話なら、どちらが『成功例』かは。
火を見るよりも明らかだ。
「不肖の息子はともかく、娘の教育には成功したようだな。アンドラゴラスは。
腐っても神聖なるパルス王家の一員、という事か。」
「・・・あの娘を『教育』したのは、パルス国王ではありません。」
「何?」
問い返しながら、ヒルメスはほんの少し、アンドラゴラスが哀れになった。事ここに至ってすら、この女は自らの夫の事を、名前では呼ばないのだ。息子まで生まれた『事にした』男を、肩書でしか認識していない。
だからといって、あの男を赦す気にはならないが。
ギスカールから与えられた愛情に、柔らかく応えたフォルツァティーナの選択が貴重なモノなのだと。そう再認識はさせられる。
ヒルメスは重ねて問い掛けた。
「アンドラゴラスは、連れ子のフォルツァティーナを王太子よりも溺愛していたと聞いている。学問の師、日常の世話をさせる侍従、全て一流を選りすぐり、欲しがる物は何でも与え、武に至っては自らが師となって鍛え上げたと。
あの男でなくば、誰が『教育』したというのか。
まさか、バダフシャーン公家の人間ではあるまい。あの公国が落ちた時、お前の娘はまだ2歳足らずであった筈だ。
物心ついていたかも怪しいものよ。」
「・・・・・・・。」
「王妃?」
「・・・バダフシャーンの城から、黒い湖が見えるのを知っていますか。
夕暮れにはとても見事に水面が輝いて、あの娘の瞳のような紅に染まるのですよ。」
「・・・・・・知らぬ、し、何が言いたいのかも判らぬが。
この状況で、王女の瞳を落日に喩えるか。正気の沙汰ではないな。」
嘆息したヒルメスは、これ以上会話する気を失って、背を向けた。
アンドラゴラスは嫌いだ。まだ見ぬ小倅・王太子アルスラーンも、『立派過ぎる姉王女』フォルツァティーナも。だが、ただ一点、『タハミーネの家族になってしまった事』だけには、同情してやっても良いと思った。
黒真珠を使ったジュエリーだけを取り分けろ。
夜になって、急に侍女に命じたフォルツァティーナは、同じ侍女に重ねて命じた。
「ディレンディッタ。
これを適当に孔雀石の小箱にでも詰めて、王妃に渡してきなさい。明日でいいから午前の内に、ちゃんと王妃本人を前にして献上するのよ?
どんなカオをしたのか、聞かせて頂戴ね。」
「御意にございます、姫殿下。
あの・・・この中には、父王陛下から賜った黒真珠も含まれておりますが・・・。」
「父上は黒がお好きだったから。
でも私は嫌いで、あの女も黒が嫌い。だから、差し上げるの。きっと顔色を変えて喜んで下さる事でしょう。」
「バダフシャーンの黒い湖、か。」
「お帰りなさい、カール♪」
「あぁ。今帰った、ティーツァ。」
会議を終えて、真っ直ぐに妻の部屋に『帰って来た』王弟に、侍女の顔が強張る。いくら均衡を保っているとはいえ、ルシタニアはやはり敵国だった。侍女侍従にとって、総司令官たる王弟は恐怖の象徴なのだ。
蝋燭の淡い光を受けて、鈍く輝く黒玉をひとつ、ギスカールの武人の手が摘み上げる。玉を見下ろし、手の中で転がす様が侍女侍従には獣の舌なめずりに見え、王女には『格好イイ極道さん』の如く見えるのだから、まこと、人の目とは不思議な代物だ。
竦み上がる侍女を横目に、フォルツァティーナは彼の左腕に寄り添った。悪戯っぽく微笑んでいる。
「欲しい?」
「要らん。
お前から『黒い湖』の話を聞いた後ではな。城ひとつ建つ黒真珠も、今の俺には血の塊にしか見えぬよ。」
「ふふふ♪」
大陸公路の要衝でも、海の無いパルスにとって真珠は貴重だ。下手な色石より余程高値で取引され、色の濃い黒真珠ともなれば、城のひとつふたつは容易に建てられる。
そんな高価な宝石を母王妃への進物にする。
ただの優しい行動に見えて、実はあるネタを下敷きにした嫌がらせであり、また、ボダン辺りに徴収されて政敵の資金源になる前に安全圏へ、という現実的な策でもあった。いくらあの狂信者でも、国王の庇護を受けたタハミーネの首許から毟り取る真似は出来まい。同時にタハミーネには、宝石を売り払うという行動力は無い。そもそも、臣ですらない民相手に、王族の装飾品を下げ渡す、という発想が無いのだ。
今のタハミーネは、王弟派にとって『最強の金庫』だった。
間者に聴かれる危険を冒してイチイチ指示を与えなくても、彼女は自主的に頭を回して動いてくれる。世間知らずで頭でっかちなお姫様の、当て推量ではなく。政治の現場を知り尽くした、実効のある策を。
だからモンフェラートやボードワンにも一目置かれているのだ。
ギスカールにとって、本当に『理想の妻』だった。今まで巡り会っていなかった事すら、惜しくなって来る程に。野心実現に、彼女は必須。彼にはそんな確信があった。
肩を抱いて、向かうのは寝室だ。
「さぁ、来てくれ、俺の愛しい専属通訳殿。
先の会議で決まった事を、全て話しておこう。」
「はい、王弟殿下♪♪」
夜が更ける。
闇が濃くなるのと同じ速度で、各陣営の思惑が深まり、糸が絡まって、王宮内部の景色が不透明になっていく。
美しい蝶に過ぎぬ王妃は、じっと傍観しているしかない。傍観していればいい。
鎌を持ち得た、持ち得て『しまった』蟷螂たる王女。
彼女には、戦い続けるより他に選択肢など、無い。
―FIN―
アルスラーン戦記 姫殿下ver. ~武王の御子~