戦国BASARA 転生ver. 後編
前編の続きです。
戦国BASARA 転生ver. 後編
あの人のピアノは、私にとって揺り籠だった。
『ピアノを教えて欲しい。』
そう言った・・・伝えたのは、私がまだ失語を患っている頃だった。その手話も、あの人が教えてくれたモノだった。
あの人は意外そうに目を細め、ゆっくりと瞬きした。
『ピアノ、かね? 構わないよ、音楽療法という言葉もあるくらいだ。君が自分の記憶と心を取り戻す、良き一助となるだろう。
早速、腕の良い音楽療法士を手配しよう。』
『いいえ、叔父さま。私はあなたから習いたいのです。』
そう、手話で伝えた時の、あの人の驚いた顔ときたら。恐らく一生忘れないカオのひとつだろう。
『・・・構わんよ、私の巫女姫。
私の音で良ければ、いつでも教えてあげよう。』
泣きそうなカオで笑う、そういう表情を『せつない』と表現するのだと。
6歳の私は、まだ『思い出して』いなかった。
鴉之津家のグランドピアノは、当主の弟の自室にある。むしろ、そこにしか無い。
2台目を買おうとすると、『あのヒト』が機嫌を損じるのだ。
「叔父さま、カワイイ姪と連弾して下さいな。
ヨーロッパでの買い付けが長引いたせいで、しばらくご無沙汰でしたでしょう?♪」
「構わんよ、私の巫女姫。
一曲目はいつも通り、クラシックで良いのかね?」
「叔父さまのご随意に♪」
『・・・・・・。』
恙無く終えた、夕食の、後。
キラキラした瞳で『叔父さま』を見上げる鶴姫=鴉之津・水晶(あのつ・みなき)=当主の養女と、余裕綽々、男の余裕を見せつけるように笑いながら『カワイイ姪』の車椅子を押し、自室に連れ込む、もとい、連れて行く、松永久秀=鴉之津・千臣(あのつ・かずおみ)=当主の実弟。
食堂に残された男たちは、曰く言い難い表情を見合わせた。
「見慣れたって言や見慣れたが・・・。
それでも謎だよな。鶴の奴、梟に懐き過ぎじゃね?」
政宗の遠い目に、皆が皆、全会一致で深く頷いている。『賢妹の絶対的味方』『日の本一のシスコン兄貴』、あの毛利元就までもが、だ。
義妹に迎えた幼女を鴉之津家に預けて以来、伊達政宗=雪輪・蒼維(ゆきのわ・あおい)はちょくちょく屋敷に顔を出す。泊まりにも来る。今夜のように。本当はいっそ下宿したい所なのだが、ソレは流石に今生の親が許さないらしい。
彼の目下の恐怖は、義妹・地璃(ちり)姫が、自分より『父性愛の塊(と書いて毛利元就と読む)』に懐いてしまう事だった。
変な警戒をされている当の毛利元就=鴉之津・智晶(あのつ・ちあき)もまた、やさぐれた瞳で遠い目をしていた。
「我が賢妹は6つの頃、心を病んでおった故。自我崩壊というか、記憶喪失というか。生まれた時は覚えておった前世の記憶すら、鴉之津家に来た時には忘れ去っておった。
業腹だが、その水晶を救ったのが松永ぞ。アレは『精神科医としては』優秀故な。
精神科医と患者。
音楽の師と弟子。
部門経営者とその後継。
そして『義理の』叔父と姪。
コレだけ条件が揃っておって、水晶が懐かぬ筈はあるまい。」
「『義理の』叔父と姪っ!
ソレが一番いかがわしいっ! 響き的にっ。愛憎ドロドロのエログロミステリー小説が一本書けるだろ。護衛との三角関係ネタすら使用可とか、どんだけドロドロだっての。
むしろオレが読みてぇわ。」
「書いたら殺すぞ、独眼竜♪ 右目が不在とて、羽を伸ばせると思うなよ、小童が。」
「政宗殿・・・そのネタは使用『不可』でござるよ政宗殿・・・。
今生の姫にとって、松永殿は毛利殿と並ぶ『別格』でござる故・・・某の入る隙間など、お2人の間にはございませぬ・・・。
三角関係とか・・・とか・・・っ、むしろ別の意味で某が読みたい・・・っ、」
「ソーリー、お前はお前でドロドロなんだな、兄弟。」
滂沱の涙と共に肩を震わせる真田幸村=紫乃鈴・昴星(しのすず・こうせい)。彼は彼女の専属護衛『兼』婚約者、の筈なのだが、『叔父さま』べったりな彼女は、久秀が帰って来るとそちらを優先してしまうのだ。
そうして久秀本人の『邪魔するな』オーラとも相俟って、『睦まじい叔父と姪』の背中を後ろから見守るしかない、と。
「ある程度は許してやれ、『昴星』。」
こと『この問題』で、冷静に苦笑している、いられるのは、彼女の兄の片割れだけ。長兄たる豊臣秀吉=鴉之津・鷹峰(あのつ・たかみね)だけだろう。
「鶴姫にとっては『ポスト大谷』といった所なのだろう。前世、師として懐いていた大谷に会えない寂しさあり、実際、松永に恩義を感じる部分もあり、とな。」
「秀吉公・・・。」
「俺など『アレ』が血縁上、実の叔父なんだぞ?
悟りでも開かねば、『アレ』の血縁者などやっていられんわ。」
「ご苦労、お察し申し上げます、秀吉公・・・!」
ほんの少し脳裏を浚っただけで湧いて出る幼少時からの残念な記憶に、秀吉は遠い目を通り越して悟った瞳を開眼するしかない。
ちなみに元就言う所の『部門経営者とその後継』とは。
超の付く巨大複合企業である藤翠堂グループは、絵画やら骨董品やら、そういう芸術品の売買などにも手を出しているのだ。オークションで取り扱われるような、その手の芸術関連部門を一手に取り仕切っているのが当主の弟=今生の久秀である。兄当主の養女、義理の姪である鶴姫は、ゆくゆく、同じようにその部門を一手に取り仕切る事になっていた。
次代の担い手、長兄・鷹峰=秀吉の支え手の1人として、事業経営にも参画する事となる。一朝一夕に身に付く事ではない。久秀が鶴姫に構い付けるのは、それについての諸々を教え込む為、という実利もあるのだ。
ちゃんと勉強してンのかコイツら、というツッコミは、飲み下す方向で。
前世、骨董品の優れた目利き、収集家として名を馳せた梟。
高利貸し・毛利家の姫として骨董品の扱いに長け、質流れ品の鑑定眼については兄・元就以上とも評された鶴姫。
今更勉強する必要あるのかこの鳥類ズ、というツッコミも、黙殺する方向で。
久秀が普段、鴉之津の屋敷に不在がちなのは、海外のオークションやら何やらを飛び回って、仕入れに励んでいるからだった。
まぁ9割方趣味な上海外の知人連中に前世同様迷惑をかけまくっているのはヒシヒシと伝わってくる為、家中に於いて労う者は皆無なのだが・・・彼女以外は。
そういう所も、彼にとって彼女が特別な理由なのだろうとは、思う。
「あの野郎のイカレた変態趣味に、地璃が巻き込まれねぇようにしねぇと・・・。」
「ならば政宗よ、充分に留意致すのだな。
あの梟め、このようなモノを我に渡して寄越したぞ?」
食卓の上をスライドさせて、人の悪い笑みと共に元就が渡してきたのは細身のペンダント。トップの石は瑠璃、ラピスラズリだ。
他人事の筈なのに、元就が黒炎を背負っている。
「鴉之津と紫乃鈴、共通の護身仏である薬師如来が彫ってある。ソレがある限り、アングラの人間に対しても藤翠堂グループとの繋がりが瞭然となる。身分証のようなモノぞ。
今日日の本に戻って来たばかりの自分より、面倒を見ている我か、義兄の政宗から渡してやるが良かろうと。『当主の実弟』殿はそう申しておった。
彫刻は精巧、地金は18金。誘拐されても、質屋にでも売れば金になり、帰途に着く為の交通費が得られるという訳だ。瑠璃は根強い人気がある石ゆえ、そんなに相場も変動せぬしな。
持っておいて損はあるまい? 同じデザインで水晶は紫水晶を、桜紫は苺水晶の首飾りを持っておる。
そなたから、妹に渡してやるが良い。」
「サンクス・・で、アンタは何でブラックモードだよ?」
「あの梟が地璃姫に優しくするのが、水晶の為だからに決まっておろうっ。
イジメるのは論外だが、『本人の為』以外の理由で子供の頭を撫でるような大人が、我は大嫌いなのだっ。」
「安定のヤンデレ親父クオリティ・・・。」
「我の事を申している場合か?
まぁ水晶大事なあの梟の事だ、地璃姫が傷付けば水晶が泣くと、知っていて傷つけるような真似はすまいが・・・我がせぬような、使い捨てギリギリのぞんざいな扱いをする可能性は捨て切れまい。」
「ソレは確かに・・・。」
「我の意識はどうしても、『娘』の桜紫に向きがちぞ。
あの男の巧妙さは変わっておらぬ。妹に好かれたいのであろう? そなたがしっかり見ていてやらねば、誰が守ってやれると申すのか。」
「よぉっしゃぁぁぁぁっっ!!!
流石に父性愛の塊、ガキに関して『だけ』はイイ事言うぜっ♪ じゃオレは、今からカワイイ妹の顔を見てくるなっ♪」
「おぉ、行って来るが良い。迅速な行動は良き事よな。」
政宗をニッコリ笑顔で食堂から送り出した元就は、彼の気配が完全に消えてから、ブラック全開で呟いた。
「こんな夜分に5歳児の部屋を訪れて、せいぜい迷惑がられるが良いわ。
そして明日にでも、我が地璃を慰める。そうすれば地璃はますます我に傾倒致す。よし、完璧な策ぞ。」
「あまり政宗を弄んでやるな、元就。」
「秀吉。」
「お前のシスコンとは方法が違うが、伊達は伊達なりに妹の為に懸命なのだ。
弄ぶだけ弄んで、横から攫うような真似は感心しない。」
「承知した。秀吉が申すならそう致す・・・♪」
秀吉に穏やかに窘められて、速攻で180度、言を翻す元就。フワッフワかつバッサバサに揺れる九尾の狐の尻尾が見えるようだった。
前世、戦国乱世のあの頃から『こう』なのだ。元就は基本、秀吉の言う事なら何でも容れてしまう。『覇王』改め『狐使い』状態だったし、ソレは今でも変わっていない。
キラキラした瞳で秀吉を見上げる元就に、元就に優しく笑みかける秀吉に。2人の無理も矛盾も破綻も何もなく調和した様子に。
ひとり、幸村だけが侘しさを囲っていた。
フッと目覚めると、鶴姫の身は久秀のベッドの中だった。
より正確には掛け布団の上に丸まった鶴姫の華奢な体に、久秀の上着が肩から着せかけられている。普段からラフな格好というモノをしない彼の上着は、当然の如くブランド物のスーツだった。
よくある事だ。話が弾むあまり、いつの間にか寝入ってしまうなど。
だから鶴姫は驚かない。睡魔に蕩けそうになる頭で、机に向かって仕事する久秀の背中をぼんやりと眺めていた。
「起きたのかね、私の巫女姫。」
「・・・松永、さん・・・。」
「もうしばらく眠っているといい。そのうち真田が迎えに来るだろう。」
「はい・・・。」
人工の強い光を好まない久秀は、自室の明かりにはシェイドランプを愛用している。光源の周りに敢えて不透明なシェイド(仕切り)を立て、柔らかい光にするアレだ。今生の久秀はシェイドランプがお気に入りで、スタンドライトもメインライトも全てコレで統一していた。
眠りに落ちた彼女の為だろう。今は、天井のメインライトを切り、机上のスタンドライトだけを点けて作業している。
「・・・・・・。」
うつらうつらと半睡眠状態で広い背中を眺めながら、鶴姫は思う。やっぱりこの人は優しい人だと。確かに優しいだけの人ではないが、冷酷なだけの人でもない。気紛れだが徹底していて、気に入った相手は度を越して寵愛し、その優しさは解る者にしか解らない。
接する際の苦労度など、正直言って鶴姫には、兄・元就と大して変わらないような気さえしているのだ。総合的な『扱いにくさ』では、むしろ兄の方が上に思う。有象無象に対して、久秀は無関心故に『静和』『放置』『利用』のいずれか・・・大概は『静和』。元就は『嫌悪』か『利用』の二択なのだから。
「松永さん・・・。」
「何かね、巫女姫。」
彼は彼女を、『巫女姫』と呼ぶ。今生、神の声も聴こえなければ、先見の瞳もなく、海神の加護など欠片も示せない彼女を、巫女と。前世、複数持っていたどの名前でもなく、今生の名前でもなく。
どうしてなのかと、問えば簡潔明瞭な言葉が返ってきた。
曰く『君が、私の聖域だからだよ。』と。深く突っ込むと蛇が出そうで、沈黙を決め込んだ彼女を彼はただ、笑って見守っていた。
ただ・・・。
今でこそ神と対話は出来ずとも、過去、対話し得た魂を持つ彼女である。鶴姫の第六感は、今でも人より数段、優れていた。
微睡みながら、爆弾発言が出来る程度には。
「何か・・迷ってませんか?」
「・・・何か、とは?」
案の定、久秀の手が驚いたように止まる。
「ん~・・・・・感じるんです。空港にお迎えに行った時から、何となく。
人物に、関する事。陸よりも海に縁深い人・・たち? それなのに、感じるイメージは船とか港よりも、銃なんです。それも小さなハンドガンじゃなくてマシンガン。
銃口は、藤翠堂グループには向いていません。
ですが・・・薬師如来を持つ者に向いている。
松永さんが迷っているのは、その情報に不確定要素があるから・・・鷹峰兄様・・・秀吉公に不確定情報を提供しても良いモノか、どうか。そこなのでは、と推察します。
合ってますか? お答え合わせして下さいな。」
「『薬師如来を持つ者』、か。巧い表現だ。」
問う前と、変わらぬ穏やかさで苦笑すると久秀は、鶴姫の枕元に座り直した。
丸まって、横たわったままの、無防備な彼女。
背を向けてベッドサイドに横座り、体をズラして、大きな『男』の手で鶴姫の頭を撫でる。手櫛を通すような久秀の撫で方に、悪意はない。
透明な翠眼に見上げられて、三白眼気味の黒い瞳が僅かに細められた。それもまた、微笑に見える・・・『私の前ではよく笑って下さるんですよ?』との鶴姫の言葉を、政宗などは『フィルターっ!!』と一言で斬って捨てたものだが。
シェイドランプ特有の光に照らされ、陰影の濃い彼の表情はとても意味深に見えた。
「結論を言えば、姫の答えは全て的を射ている。認めよう、私は確かに迷っている。
今回の買い付け、私が東欧の某国に行っていたのは知っているね?」
「はい、『叔父さま』。」
地璃姫の出身・チェコではないが、歴史深いとある小国だ。美景で知られ、アンティークにも定評がある。
そこで、出会ったのだという。久秀は・・・新たな『前世仲間』に。
「『2人共』、日の本の人間として生まれていた。
商社の警備部に所属する、半軍人のような立場でね。生活拠点も日の本。外国に居たのは、商社の取引が行われていて、その警備の為だと言っていた。勿論、合法の取引だよ。
合法ながら、扱っているモノがモノだから狙われ易いのだとか。」
「民間商社で、半軍人レベルの警備が必要な、狙われ易いモノ・・・。
確かあの国は・・・レアメタルの主要産出国でしたか。」
「ふむ、私の巫女姫は、相変わらず勘が良い。
その通り、商社で扱っているのは、レアメタルだよ。某国で産出したアレを直接買い付け、工業用に国内に輸入し、販売する。
『あの2人』の部署は、取引の安全確保担当、という訳だ。」
「菊羽セキュリティの自家版、という訳ですか。」
「そういう事だね。
輸入は勿論、某国内部での運搬も水路や海路で行っていた。
『彼ら』の使用武器は、君も感じた通り『銃』だよ。『姉』と『弟』の2人組でね。少々荒っぽい、傭兵まがいの戦い方をしていた。」
「戦ったのですか?」
「防衛戦に徹した事は、前置いておきたい所だ。
最初、勘違いされてしまったのだよ。向こうも完全な形で、戦国乱世のあの時代の記憶を持っている。平和的に街を散策している私の顔を見て、咄嗟に『敵』と断じたらしくてね。何の含みも無く、私と出会う筈がないと。
先手必勝とばかりに銃撃された。
酷いと思わないか? 私にだって、他国でも評判の美景を目に焼き付ける自由はあると思うのだが。」
「あはは・・・ノーコメントで☆」
「ファーストコンタクトは、そんな感じでお互い最悪だったよ。まぁ、私も『あの2人』に対して無罪は主張しないが。
さて、ここで少し整理してみよう。
いくら『骨董品の買い付けに来ただけだ』と説明しても信じない、頑固さ、頑迷さ。
銃、カラクリ、海、傭兵。ソレらと縁深い、男女ペア。
加えて『松永久秀』に、終生、警戒心を抱き続けていた。
ついでに言うなら『姉』の方は、前世と同じく、随分と男前な気性を醸成しているようだった・・・まともな会話にはならなかったがね。
さて、君もよく知る人物だ。誰と誰だと思う?」
「ソレ、もう答え仰ってるようなモノですよ、松永さん。
『姉』が雑賀の孫市姉様、『弟』が長曾我部元親公。
珍しく松永さんが『迷っている』原因は、孫市姉様の方なのでしょう?」
「正解だ。あぁ、私の愛しい姪っ子は物分かりが良くて助かる。
ただ『あの2人を見つけた』というだけなら、何の問題もない。グループ後継たる『鷹峰』に、内密の報告書を書いて済ませるだけだ。
問題なのは、雑賀孫市。彼女が未だに『織田の縁者』を恨んでいる、という点だよ。」
「蘭丸君、ですか。」
「あぁ。まず間違いなく、問題を起こす。孫市の方が。」
森蘭丸。
かつて魔王の子と呼ばれ、織田信長に寵愛されていた小姓。『謀神』に対して鶴姫がそうしたように、同じく『魔王』に対して弓兵として仕えた少年。
信長が倒れ、奥州に流れ着いた後は縁あって政宗の味方となったが、ついに臣従はしなかった。終生『信長様』と『濃姫様』を敬愛し続けた故に。
政宗に、というより、小十郎の妻となった鶴姫に従う形で、自主的に護衛していた。色々と彼女に親近」感を覚える部分があったらしい。
『二君に仕えず』を地で行った蘭丸の生き方は、同じく織田に臣従していた事のある家康や利家などには、随分と賞揚されたものだ。
信長に殺されかけた事のある義弘も遺恨を流し、同じ酒を飲んだ中、唯一、『彼女』だけが・・・雑賀孫市だけが、冷たい視線を送り続けていた。元親だの家康だの慶次だのがハラハラしながら押し留めていたから、それに伊達の縁者として政宗が認め、目を光らせていたから。だから、彼らの顔を立てて、首を獲るような真似はしなかっただけだ。
それだけの事。思えば脆い首輪だった。
「蘭丸君の方は、紫乃鈴一門によく馴染んでるんですけどね・・・。」
「だろうね。彼は元々、無垢で人に二心を持たない少年だから。そういう人間は好かれるのも早い。」
今生、日の本の一般家庭に生まれた蘭丸を見つけたのも、他ならぬ鶴姫だった。穏やかな生活に疎外感を感じ、孤立を深めていた彼を、紫乃鈴家に誘ったのも。彼は『水晶』や桜紫、地璃姫同様、薬師如来を彫刻したペンダントを身に付けている。彼の石は琥珀だった。
『紫乃鈴』とは、そういう家なのだ。
広くは鴉之津家に仕える者、全てを指す。警備は勿論、メイドも執事も料理人も。広義的には、全てが『紫乃鈴』だ。狭義的・便宜的に、特に菊羽をはじめ警備の者たちを指す、というだけの事である。
行き場の無い者に『紫乃鈴』の名と戸籍、居場所を与えるのも、古くから『鴉之津財閥』が担ってきた、影の役割だった。
「今生、どのような環境で生まれ、どのような生き方をしてきたのかは知らない。
私に向ける目が、随分と荒んでいたのが気になるが・・・私の事は『魔王の茶飲み友達』と認識しているらしい。そんな彼女が、『魔王直属の臣下』と顔を合わせたりなどしたら。どうなるかは自明だろう。」
「長曾我部さんの方は、どのようなご様子でしたか?」
「特定の誰かを恨んでいる様子は無かったな。私の事も、前世同様さ。警戒はしても、遺恨としては溜まっていない。
『姉』の状態を暴走と見て、危ぶんでいるようだった。止めたいが止め切れない、という、ね。『今生の』過去に、彼が彼女に引け目を感じる、何か事件のようなモノがあったのかも知れない。」
「ではやはり、孫市姉様の方ですね・・・。
承知致しました。私の方で、お2人の事を調べてみます。孫市姉様の敵意が今でも『織田家』に向く理由。」
「お願いするよ、私の巫女姫。
この件を一任して良いかね? 『鷹峰』や『智晶』、他のメンバーに伝えるかどうかも含めて、全て君が采配し給え。」
「かしこまりました、承ります。」
あっさり頷いた鶴姫は、笑みを深めて久秀の片手を引き寄せ、両の掌で包み込むと、自分の頬に添わせる。それはまるで、久秀の手を温めようしているかのようで。
こういう時いつも久秀の顔には、困ったような、だが静かで、優しい表情が広がるのだ。
「私もじきに、『紫乃鈴』姓になります。紫水晶のペンダントが、その証。
『紫乃鈴』の者は皆、『そう』であるより他に行くアテなど無い身。私を含めて、ひとつの大家族のような集団。その絆は強く、深いモノ。
嬉しいです。蘭丸君を、『紫乃鈴・瑚珀(しのすず・こはく)』を守れる事が。」
「・・・妬ける話だ。」
恐らく本気で言っているのであろう台詞に、鶴姫が柔らかく苦笑する。
『森蘭丸だった紫乃鈴瑚珀』は、齢10歳になったばかりの少年なのだ。『鴉之津水晶』が16歳、そこから更に20歳年上の36歳になる、『鴉之津千臣』が嫉妬するなど大人げ無いにも程がある。
鶴姫が何かフォローするより先に、『紫乃鈴昴星』が扉をノックする音が聞こえた。
などという会話が、この義叔父姪の間で交わされた数日後。
「なぁ、鶴姉ちゃん・・・。」
「見ちゃいけません、蘭丸君♪」
「・・・オレ、形だけでも謝るべき?」
「ダメ。ぶっちゃけ蘭ちゃん悪くないから。
悪くないし悪いと思ってないのに、『ゴメンナサイ』はイケない事です。」
そして鶴姫は、曰く言い難い表情で気まずげに自分を見上げてくる弟分に、黒い笑顔で美しく笑いかけた。ニッコリと。爽やかに。
一言の許に切って捨てる。兄と、前世で姉と慕ったヒトを。その関係性を。
「全力で放っておきなさい。あの人たち、蘭ちゃんをダシに不完全燃焼の痴話喧嘩を再燃焼させたいだけなんだから。」
「ヲイ最愛なる賢妹よ、しっかりはっきり聞こえておるのだが?
誰と誰が痴話喧嘩だと?」
「しっかりはっきり聞こえるように申しましたっ。そして対象は『当然』、兄様と孫市姉様です。違うと仰せならばお訊ね致しましょう。
兄様が孫市姉様を厭われる理由を、お聞かせ下さいませ。」
「コレが『紫乃鈴瑚珀』を憎む理由が気に入らぬ。」
「孫市姉様が兄様を厭われる理由をお聞かせ下さい。」
「この男が『森蘭丸』を庇護する理由が気に入らない。この男のロリショタぶりが歓迎出来ない。この男の引きこもりっぷりが我慢ならぬ。この男の、引きこもりで身体虚弱なクセに、術理でも武器でも策謀でも徒手でも最強に近い強さが許容できぬ。体格貧相なクセに格闘技すらソコソコとか虫唾が走って苛々させられる。
あぁ、姫を労わる点だけは評価してやるが。
まぁそんな所だ。とにかくこの男の全てが気に食わないのでな、挙げるとキリがない。」
「ヲイ、無知野蛮にして蒙昧なる銃使い。」
「なんだ、オクラ病全開の『日輪の申し子』。」
「何ぞオクラ病とは?!
否、ソレより何ぞ『ロリショタ』とはっ。人聞きの悪い事を申すでないわ、せめて政宗のように『父性愛の塊』と呼べっ。大人になったあの子らとて、ちゃんと慈しんでおったわっ。強くて何が悪いっ?! 訳判らんわっ!
あと、格闘技で最強は秀吉であろうっ。三成にでも斬滅されてしまえっ!!」
「っ、そうやって、要所要所で伴侶の惚気ネタを織り込んでくるっ、お前のそういう所も、私は大っ嫌いだっ。」
「片恋ならばいざ知らず、正式な伴侶を慈しんで何が悪いのかっ! そなたのそういう超の付く意味不明さが、我は大嫌いだっ。
まったく、コレだからそなたとの会話は疲れるのだ・・・。
同じ女でも、『愛姫』との理性的な会話が懐かしいわ。」
「何をっ?! 何故『愛姫』? 何故毛利当主が、伊達当主の正室の名を出すっ?!」
「?? そなたの反応するポイントが本気で読めぬわ。
アレは良き女であったぞ。博識で、理性的で、頭の回転が速い。武芸はからきしであったが、内政に才を持ち、武家の女としての覚悟もあった。
訳判らん事でギャーギャー鴉の如く啼き喚く雑賀の頭目とは大違いだ。
あぁ、我が友の魂魄は今、何処を彷徨中か・・・。」
「くぉぉのぉ・・・鴉はお前だ、毛利元就っ!!」
そのまま小学生レベルの口喧嘩に墜落していく、かつての英雄たち。今の会話で何となく、鶴姫の言いたい事が判ってしまった蘭丸は乾いた笑顔になってしまう。
所は都内某所のコンサートホール。
藤翠堂グループが社会福祉事業の一環として建てた、最新鋭の音楽堂だ。近日に落成式典が開かれる予定になっている。音楽の殿堂という事で、式典中に何人かの歌姫が歌声を披露する事になっていた。
内の1人が、人気絶大ネット歌姫・ハンドルネーム『星晶(しょうき)』であり、出資者の一人娘でもある『鴉之津水晶』・・・鶴姫という訳だ。
『星晶』は完全フルフェイス歌姫。ネットの世界でも珍しい程、顔出ししない事で有名だ。今日は元就と蘭丸・・・紫乃鈴セキュリティが誇るSランクSPを2人伴って、一足先に歌声を録音する為に来た。
そこに、どういう経路を辿って知ったものか、『孫市姉様』・・・雑賀孫市が花束を持って控室を訪れた。今生での再会祝い、と。
かくして、『雑賀孫市』は鉢合わせ『してしまった』。
『森蘭丸』と・・・それ以上に、『毛利元就』と。
「前世でさ、『ビジネスパートナー以上・幼馴染み未満』って聞いたぜ?
西海の鬼から、だったかな。」
「だからこその不完全燃焼、なのよ。」
蘭丸の耳打ちに、車椅子に座したまましみじみと返す鶴姫。この問題に関しては、彼女としても苦笑するしかないのだ。
孫市に片恋されているのは自分なのだと、兄・元就が気付くのはいつの事か。
否、孫市自身にその自覚が無いのだから、ただでさえ己への好意に鈍い彼が気付くはずも無いのだ。
秀吉(今カレ)と愛姫(自分より距離の近い女)の名前に過剰反応する時点で、鶴姫には一目瞭然なのだが。孫市が許容できるのは、元親(元カレ)の名前までだろう。
そしてツンデレ元就はツンデレ孫市の無自覚なデレを自覚しない。
「そんなに寂しいなら、『愛姫』の代わりに私が友となってやろうか?
どうせ今生とて、友人など1人も居ないのだろうが。」
「無理であろ。
そなたは我の友には値せぬ。」
「なっ、」
「前世、我と愛とは秀吉と半兵衛の如き間柄であった。身分の上下を問わず腹蔵なく語り、同じ人間に慈愛を掛け、同じ目的に邁進する。
それは我が『恋愛的な意味合いで』女嫌いであり、愛が政宗一筋で、且つ、仕事に関して男脳であったからぞ。
そなたも大概、男じみた脳ミソではあろうがな。前世の恨みを薄れもさせずに持ち越し、しかも信長本人が不在だからとて、その仇が寵愛した、息子とも言うべき子供に殺意を向けるとは。
この件に関してのみ、やる事が大っ概、陰湿でエグイのはどうした事か。
前世、曲がりなりにも7歳までを幼馴染として過ごした我なればこそ。嘆かわしき事この上なし。事ココに至ってはこれ以上の過ちを犯さぬよう、徹底的に邪魔してやるより他に、『幼馴染み未満』としての責務の果たし方はあるまい。」
「いっ・・、」
「い?」
「陰湿でエグイのはお前だ毛利ィ――――――っっ!!!!!」
鶴姫に持って来た筈の花束を、思いっ切り元就の顔面に投げつけた孫市は肩を怒らせて出て行ってしまった。確かに彼が軽々と避ける様など見ても、面白くはあるまい。
彼女の無言の予測通り軽々と避けた元就は、更に足元に転がった花束を、身軽く拾い上げる。
何の躊躇も感興も無く、ゴミ箱に放り込んだ。一瞥すらもしない。
「兄様・・・。」
「毛利、アンタさぁ・・・。」
「ついでに申せば、『先代を信長が殺した』というアレの唱える怨嗟自体、我には筋違いに思えてならぬのだ。
戦闘職種が戦闘で死んだ。その戦闘相手が、たまさか織田の魔王であった。
それだけの事であろ。あの乱世、よくある事だったではないか。冷静ぶって、実は誰より、元親より単純・純粋で感情的。本人すら自己暗示のように『自分は沈着冷静に動ける人間だ』と思い込んでいるから尚タチが悪い。
自己分析を誤る人間は好かぬ。」
淡々とした白皙の美貌に、孫市への憐憫は欠片も浮かんでいない。
前世に於いて、孫市、元就、そして元親の3人は幼馴染みであった。元就が7歳までの話だ。彼が7歳までは、安芸と四国で元就と元親とが行き来し合い、四国に重要拠点のひとつがあった雑賀の末端であった孫市も、元親の護衛的な意味合いで付いて回っていた。互いに文通も盛んだった。
身体虚弱で、7歳まで女として育てられ、自身も女と信じて疑わなかった元就と。
男という自覚はあったものの可愛いモノが好きで、姫若子などと揶揄された元親と。
最強傭兵集団『雑賀』の幹部候補で、幼少から銃の才能を発揮していた、活発な孫市。
3人で遊ぶ様は、完全に男女が逆転しているように見えた、らしい。
その辺り、鶴姫も蘭丸も人伝えに聞いた程度だが。ちなみに元就は、『桜風(はるぜ)』という姫名すら持っていて、家臣はじめ周囲からソレで呼ばれていた程、徹底的に『お姫様としての』英才教育を施されていた。
ソレが今や・・・。
『身分違いな上に元親の許嫁扱い』な『春風姫』への、屈折に屈折を重ねた『孫市少年』のヅカ的片恋心理も。
『先代が殺されたっ! 一緒に復讐してっ!!』と訴えて『は? こっちは中国統一に忙しいんじゃボケェッッ!!』と返された『裏切られた感』も(ちなみに元親には復讐の同道を願ったりはしなかったらしい。)。
『優しい笑顔が素敵な幼馴染み』が日々『冷笑すらも美しい謀り神』と化していくのを止められず、その上、彼は自分の事を『使える駒』としてしか見ていない。元親より近くで、元就が陥穽を弄して安芸と毛利家を保ち、地方を統一していく・・・不必要なまでに買い集めた怨嗟をBGMに。『駒』としてその尖兵となる以外道の無い『無力感』も。
一生『実質独身』でいるつもりかと心の何処かで安心していたら、知らぬ間に秀吉という伴侶を得ていた、その『無意識レベルの口惜しさ』も。
鶴姫からすれば、全て、概ね、薄っすらと、何となく、理解出来てしまうのだが。
「ホンッッット、誰が悪いって訳じゃないんですけどね・・・。
強いて言うなら、時代が悪かったとしか。」
拗れに拗れまくった結果の終着点が、花束を投げつけたり、投げつけられた花束をゴミ箱にポイ捨てしたり、という関係な訳だ。
一巡りして平和的な着地点というか、子供っぽいというか。
「?? この件に関して、『悪い』のは孫市であろ?
森蘭丸、否、紫乃鈴瑚珀。孫市が銃を向けてきたら、ちゃんと応戦せいよ? そなたは既に紫乃鈴の一端を担う駒。精鋭部隊『コンサート』の『ブルーアンバー』なのだ。そなたの敗北は、紫乃鈴一門、ひいては鴉之津一門の敗北と心得よ。
孫市のそなたへの攻撃は、いずれ秀吉が率いる筈の、鴉之津家に対する攻撃でもある。
『殺されてやるべきか』などと迷うな。全力で防げ、『ブルーアンバー』。」
「りょーかい、『博物学者』♪」
殊更サバけた声音で笑い、複雑な心理を隠してみせる蘭丸に。元就は穏やかに笑み返すと、黙って頭を撫でてやる。前世の事まで理解し赦す、赦された気分になれる穏やかさは、確かに元就が子供にだけ見せる優しさだった。政宗に『父性愛の塊』などと、畏怖の念すら込められる理由である。
ちなみに。
『ブルーアンバー』は蘭丸の、『博物学者』は元就の、『コンサート』実行部隊として動く時のコードネームである。
『日輪の下で青く輝く』石を名に入れ、守護石として与えたのは、他ならぬ元就だ。
「あれ? 桜紫から直電・・と、メール?
ロクな用事じゃねぇ気がするな・・・。」
鶴姫に『紫乃鈴一門に馴染んでいる』と評された通り、蘭丸を受け入れている者は元就や鶴姫当人だけではない。
既にして半眼で仕事用のスマホに出た蘭丸は、実際、すぐに語調を荒げる事になる。
主にツッコミ的な意味で。
「はい、こちらブルー」
『ハローハローなのですよ、あーおこーはく~~♪♪♪』
「ラリってんじゃねぇよ、『桜水晶』っ。
てめ、まさか任務中に酒飲んでんじゃねぇだろうな? そっち『蒼維様』と地璃の護衛中だろ? 石田と真田は? 一緒なんだろうな?」
『ぷっぷくぷー、『青琥珀』は心配性なのです。
お酒飲んだら、桜紫の体はカビだらけになってしまうのですよ。後でメンテが大変なのです。黒将兄様と昴星兄様はちゃんとご一緒なのですよ。
それより青琥珀、青琥珀の『オトナの男』な意見が訊きたいのです。』
「オトナの・・・って、待て桜水晶。オレはその質問を聞きたくないイヤな予感しかしねぇ。
石田か真田か独眼竜に訊け。」
『仕事用のコレじゃなくて、私用の方のスマホにメールを送ったのですよ。文字無しの動画オンリーのヤツなのです。
今春物のお洋服のお買い物中で~♪ 超可愛いスプリングコートを見つけたのですよ。買っちゃおうかなって♪』
「あぁうん、買えば?」
『地璃ちゃんとお揃いにしようと思うのですよ。』
「うん、すれば?」
『どの色が似合います? 試着して動画撮って送ったんで、今すぐ見て今すぐ返事くれると桜紫、超嬉しいな♪』
「知るかっ!
しかも『パーチェ(ラテン語で「平和」)』って、女の子限定のブランドじゃんっ。」
『おおっ、流石青琥珀なのです、ブランド名だけで取扱品目を当てたのですよ♪
それで? 青琥珀は、桜紫と地璃ちゃんに何色のコートを着て欲しいですか?』
「何のセクハラだよっ、オレの享年も精神年齢も知ってんだろ?! 5歳児と6歳児の服なんか指定したら、オレが幼女趣味のロリコンみたいだろうがっ。
セクハラ反対っ、相談窓口に訴えるぞマジでっ。」
『むぅ~、頑固ですね青琥珀は・・・。
せめて地璃ちゃんの色だけでも、どの色が似合うと思うか教えて下さいなのですよ。地璃ちゃん、ピンクに惹かれてそうなのに、断固としてベージュなんですもん。
別にベージュが悪いとは言わないのですが・・・ピンクにしない理由が自虐的というか。』
「うっ・・・地璃の奴、ほっとくと一番地味な色ばっか選ぶからな・・・。
つかこのデザインだと、ピンクが一番似合うとも思えないんだけど。お前がピンク着せたいだけじゃね? 色までお揃いとか?」
『うっ・・・否定は出来ないのです。』
「お前もたまには『桜色』以外も着ろよ、桜水晶。
このコート、地璃はレモンイエロー、お前はパープルスカイな。こんだけ答えさせといて、それ以外買って来たら殺す。」
『はーい♪ 青琥珀もたまには黒以外を着るべきだと思うのですよ。
なので青琥珀には、このサンセットオレンジを買っていきま~す♪』
「要らねぇよ女物のコートなんかっ!!」
蘭丸が叫んだ時には、既に電話は切れていた。
一瞬の沈黙。
「夕陽の赤か・・・意外と似合うかも知れぬな。」
「要らないってっ。あとブランド名知ってたのは、アレが桜紫のお気に入りだってだけだからっ。何か、地璃と自分両方に似合うデザインが多いとかっ、中間色だのサイズだのが豊富だとかっ?! 聞いて知ってただけだからっ。
本気で誤解されそうで怖ぇよっ?!」
「安心せい。そなたに女装趣味だの幼女趣味だのが無い事は存知ておる。
強いて言うなれば・・・10年後のそなたと桜紫の関係が見ものよな。」
「いやいやいや、ナイから。アイツがアンドロイドじゃなく、人間だったとしてもナイから。あの性格じゃヨメの貰い手なんて、」
「フフフフフ♪」
大人げなく蘭丸の・・・未来の『義息子候補』のほっぺたを抓る元就。
鶴姫も苦笑していた。
東欧はチェコから日の本へ、そして奥州は雪輪家から関東は鴉之津家へ。環境がクルクル変わる中で、5歳のヤルミラ・ミゼロヴァー・・・日本人名『雪輪地璃』。彼女に必要だったのは、安全が保証された環境の他にもうひとつ。完全に対等で、心底信頼できる同世代の相手。鴉之津家や雪輪家への不満すら表に出せる相手。
つまりは、友人だ。
ソレを重々承知していた元就は、メンタルケアの一環として2人のエージェントを付けた。それが桜紫と、蘭丸=瑚珀。
溺愛する『娘』にして、自慢の『作品』。人型護衛アンドロイド『桜紫』。
前世、同じ時代を生き、時に刃を交えて、魂レベルで人間性を見極めた『森蘭丸』。
この2人に、『客と思うな、仕えるな。』と敢えて言い含めて、傍に居る事を『許した』。友人とは、命令されて機嫌伺いに参じる者に非ず。地璃姫の傍に居たくなければ、居なくても良い、と。
この作戦は中々の効果を発揮し、彼女は『自分の意思で地璃の傍に居る事を選んだ2人』と友誼を結ぶ事が出来た。そうして他の『紫乃鈴』の出来た仕事もあって、地璃は『義兄』政宗=雪輪蒼維と仲良く買い物が出来るまでに日の本に馴染んできた、という訳だ。
実は結構、地味にレアな奇跡である。
「『星晶』様。録音室の準備が整いました。」
「判りました。只今参ります。」
呼びに来たスタッフに従って、鶴姫は疾うに暗譜していた楽譜集を閉じた。元就と蘭丸も彼女に続く。
サンセットオレンジのコートならきっと、地璃と桜紫、少女たちのどちらにも似合うだろう。
鴉之津家の音楽室(のひとつ)は、食堂に隣接している。
中央に鎮座し、彼女が来るまで半ばオブジェと化していたハープを弾けるのは鶴姫だけだ。一体誰が置いたものか、人の背を優に超す巨大なサイズは、オーケストラかオペラでも開かなければ使わない、使う機会の無いプロ仕様。ダブルアクション・ペダル・ハープと聞いて、すぐに形が思い浮かぶ日本人は珍しい筈だ。
『家族』内で自分しか関心を持たないそのハープを、爪弾きながらいつも、鶴姫は考えるのだ。
前世、師と慕ったヒトの事を。
琵琶が大層な得手だった。弦楽の音を好んだ。
大谷刑部吉継。彼がこの洋竪琴を見たら、きっととても喜んでくれるだろうに。
「済まなかったね、私の巫女姫。手間を取らせたようだ。
『彼ら』と『彼女』の再会の場に、君が居合せてくれたのは暁幸だった。」
「それは別に、構わないのですけど・・・。
私たち藤翠堂グループの情報統制を、簡単にすり抜けるルートがある。とても、危険な事と思います。」
「雑賀の頭目は、公開している訳でもない君の予定を把握して、ピンポイントで花束を持って来た。それ自体は純粋に君への好意かも知れないが・・・。
情報網の穴を探す必要があるな。私たちがわざとリークしたならともかく、接触する気の無い相手に向こうの都合で近付かれたくはない。
今回は偶然、雑賀の頭目だったから、まだ見極めも付いた。だが、次の『相手』も同じとは限らない。」
「はい、『叔父さま』。」
従順に、呟くように返して、鶴姫が俯く。弦を爪弾く指先が、僅かに震えた。内心をありのままに表現できる程の奏楽の腕前。内心が乱れている時には、それも善し悪しだ。
震えを重ねる鶴姫の音に、その指先に。
傍らに立つ久秀が、静かに片手を添える。
「大丈夫だよ、私の巫女姫。」
「松永、さん・・・。」
「前世、君は毛利家に守られていた。
今生、君は鴉之津家に守られている。兄共々ね。
薬師如来が君を守るだろう、『水晶』。闇は、君に跪く存在でしかない。」
「はい。『千臣叔父さま』♪」
久秀を見上げ、フワッと微笑う。安心した笑顔で、信頼した瞳で、光が灯るように。彼の前世を、業を知りながら、そんな表情を向ける女性は鶴姫だけだ。
彼女と兄・元就には、逃れられない暗黒がある。前世そうだったように、今生も。2人には、警戒し、いつか戦わねばならぬ濁った暗闇が。
前世は、制する事に成功した。今生、一度は逃げおおせる事に成功した闇は、だがじきに2人に追いついてくる筈だった。
一瞬たりとも怯える姿を見せない元就程には、鶴姫は強くなれない。・・・彼も、秀吉の前では違うのかも知れないが。
鶴姫には、久秀の業が必要だった。幸村の闇も。皮肉な事に、心優しく聡明な彼女を真に守護できる存在は、光明や正義よりも暗黒や流血、剣戟の音なのだ。
昔から、そうだった・・・前世でも。
「桜紫ィッ!! てめ、待ちやがれっ!」
「フフフッ♪ 色的にはよくお似合いなのですよ、青琥珀♪」
「マジで女物買ってきやがってっ! せめてソコは別のブランドの似た色だろっ。」
「着てみて下さいなのです、是非♪」
「着るかっ!」
桜紫、地璃、瑚珀。『子供たち』は夕食前だというのに、買ったばかりのスプリングコートを持ち出してはしゃぎ回っている。
『蘭丸』の精神年齢は、『瑚珀』の肉体に影響されているのだろうか。彼はそうして『子供らしい』姿を見せる事がよくある。反対に地璃姫の精神は日々、子供らしい活発さを取り戻しているようで、最近は部屋を駆け回る姿も増えた。
ただ、未だ言葉は発していない。
「水晶ねーさまっ♪」
「あらあら、桜紫、地璃ちゃん。可愛らしい事ね。
蘭ちゃんは? それ着ないの?♪」
「着ねぇよっ。」
「水晶姉様、お歌を歌って下さいな。
桜紫は姉様のお歌が聴きたいです♪」
「そうね、お夕飯の後でね。」
「水晶、と、梟と吾子らも一緒か。
疾く参れ。夕餉に遅れてはならぬと申したであろう。礼節を弁えよ。」
「とーさま、父様♪」
元就の説教も何のその、捨て駒も黙る『氷の面』の謀神も、溺愛されている自覚のある『娘』には怖くも何ともないらしい。
無邪気に腰に纏わりついてくる愛娘を、元就も苦笑して抱き上げてやる。2人の後ろ姿を、物言いたげに黙って見上げている地璃の手は、政宗が引いてくれる。お前も抱っこしてやろうか? という秀吉の目顔の冗談を、苦笑しながら蘭丸が辞退する。
家族と友人に恵まれた、平和な未来への片道切符。
夕食前の、一瞬の肖像。
「・・・・・。」
コレが『残影』になるかも知れない不安を胸に仕舞って、鶴姫もそっと車椅子に手を伸ばした。
―FIN―
戦国BASARA 転生ver. 後編