舟旅
舟を浮かべましょう――――――――。
そう、誰かに言われて私は漕ぎ出した。
果てのない旅路へ。
水先案内人は、頼りなく輝く妖精だった。
沖に出て見渡すと、自分の他にも多くの旅人が舟を浮かべていた。
私は霧にかすむ彼らの姿を見やりつつ、のんびりのんびりと水路を進んで行った。
チラチラ光る私の妖精は薄紫色だった。
夜になるとうっすらと白んで、桃色のように見える。
頭上をどこまでも縷々と流れる星の川。
私はその跡を辿って行った。
もっと眠たくなるまで、もっと静かになるまでと、毎晩心地良い祈りを胸に秘めながら。
限りなく凪いだ水面には私と妖精の影だけが映っていた。
…………やがて――――――――。
もう丘がぽつりとも見えなくなって、久しくなった頃だった。
ふいに、ずっと遠くに青い妖精の明かりが見えた。
夕暮れがもうすぐ訪れるという時分だった。
妖精のゆらめく光は今にも菫空に溶けそうで、漕ぎ手の少年の肌はミルクみたいに白く優しげだった。
私は彼を眺めて、これまで出会ったどの旅人にも感じなかった熱を抱いた。
迫る茜色の気配。
私はその最中で、ばしゃりと本物の海に落とされた。
気付けば湿った風と、波と、潮の香と、途方もなく深い黒い海が私の周りにたゆたっていた。
私は押し寄せてきた波にどうと揺られて、冷たい飛沫を浴びた。
濡れた身体と櫂の重たさに、初めて気がついた。
夕空は素っ気なく晴れ渡っていた。
太陽は凄まじく輝いているのに、凍えるような空だった。
妖精はもうどこにもいない。
カモメがひゅうと飛んで行く。
私は揺れる舟の上で、ようやく本物の彼を見た。
夢で見たよりも彼は遥かに逞しく、鳶に似た確かな瞳をしていた。
風が波に逆らって激しく荒んでいた。
彼はつと、波間の私を見やった。
私はそっと手を伸ばし、少し笑った。
ずっと、誰の声もしなかった世界に、彼の声が響いた。
舟旅