宗教上の理由 第八話

まえがきに代えた登場人物紹介
田中真奈美…両親の都合で親戚筋であるところの、とある山里の神社に預けられる。しかしそこにはカルチャーショックが満載で…。
嬬恋真耶…本作のヒロイン(?)である美少女(?)。真奈美が預けられた天狼神社の巫女というか神様のお遣い=神使。フランス人の血が入っているがそれ以外にも重大な秘密を身体に持っていて…。真奈美の遠い親戚だと知らされていたが実はいとこであると判明。
嬬恋花耶…真耶の妹。容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能とあらゆる面で完璧な少女だが、天真爛漫で、性格も良い子なのでみんなから好かれている。
嬬恋希和子…女性でありながら宮司として天狼神社を切り盛りしている。真耶と花耶のおばにあたる。実はおっちょこちょい?
田中麻里子…真奈美の母。腰の持病が悪化して入院、現在リハビリ中。真奈美を神社に預けたのはそのためなのだが、ついでに真奈美の男嫌いを直そうと画策していたことが発覚。
霧積優香…ニックネームは「ゆゆちゃん」。ふんわりヘアーのメガネっ娘。真耶の親友で真奈美にも親切。農園の娘。

 外に飛び出すと、あたしはひた走った。行き先もきめず、ただやみくもに走った。希和子さんと真耶が追いかけてくるのが分かる。でもあたしの方が足は速いのですぐ差がつき、二人の姿はどんどん遠くなる。
 やがて真耶が地面に倒れ込むのが分かった。そして、
「うわあああああん」
と、大声で泣き叫んだことも分かった。一瞬速度を緩めたが、止まるわけには行かなかった。ごめん真耶。今日のあたしは止まるわけにいかないんだ。
 と、その時。
 一台の車が、あたしの前に立ちはだかった。窓から顔を出したのは、さっき建物の中でガイドをしていたおばさん。
「おだやかじゃないわね。詳しいことはわからないけど、いきなり飛び出してくなんてね。どうしたの?」
一杯言いたいことはあったが、走って息切れしている上にどこから話していいか整理がつかず、
「もう神社には戻りたくないです」
としか言えなかった。でもおばさんにとっては、その一言で十分だったようだ。
「そう。分かったわ。私たち村人は真耶さまをお守りするのが役目だから、今すぐここを離れるわけには行かないけど」
運転席から下りてきたおばさんは、携帯を取り出しつつ、助手席のドアを開けた。
「乗って待ってて。連絡付けたらすぐ送っていくわ」
 携帯でどこかに電話しながら、おばさんは来た道を戻るように走っていった。そして真耶のかたわらにしゃがんで、慰めているのが車の窓越しから見えた。おばさんと希和子さんによって優しく起き上がらされた真耶は、支えられるようにして家の中へと消えて行った。
 おばさんは車に戻ってくるとハンドルを握り発進。あたしのことを責めることもなかった。それにしても、さっきと随分なキャラのかわりよう…。
「そりゃそうよ。この村の人間はね、神の子様を守るためなら命がけなんだから」
ああそうか。神様って村を守るのが役目なんだから、村に住む人がそのお使いである真耶を大事にするのは当たり前だし、害を加える者がいれば全力でそれに立ち向かうのも自然だ。
 でもそうだとすれば、あたしは村人みんなの敵ってことになる。このおばさんだって、内心あたしのことを良くは思っていないのだろう。
 やがて到着したのは、とある農園。そして。
 出迎えてきたのは、ゆゆちゃんだった。

 「狭いところでごめんね? あ、布団寒くないかな?」
そしてここはゆゆちゃんの部屋。おばさんは観光協会の人だから村内の観光施設は頭に入っている。だから観光農園であるここの存在も知っているし、そこの娘が真耶と友達であることも、天狼神社を信仰する村の住人としては常識。たぶんそういうことだ。そして同じく観光と縁のあるペンションの娘である苗ちゃん。彼女が真耶のもとに赴き、精神的フォローをすることになった。
 子どもにそういうケアを任せる大人というのも相当だと思ったが、大人から信頼されるだけのことはあって、ゆゆちゃんは優しくしてくれた。走って汗かいてるだろうからという理由であたしを沸いたばかりの風呂に入れてくれて、パジャマも貸してくれた。もちろん夕食もごちそうしてくれたし、今夜は泊めてもらえることになった。その優しさは嬉しかった。でも反面、苦痛でもあった。
 あたしのママはリハビリのため温泉病院に入院、その間あたしは親戚のやっている神社に預けられることになった。そこにはあたしと同い年の女の子がいる。そう聞いてあたしはこの村にやってきた。
 ところが。そこにいたのは女の子みたいな男の子。その子である真耶とあたしは遠い親戚どころかいとこ同士。しかも初対面と思いきや実は幼い頃に出会っており、そのときの事件が元であたしは男嫌いになった。そしてその男嫌いを克服させるためにあえてその事実を伏せてあたしと真耶を出会わせるという策略が仕組まれていたのだ。
 男嫌いの原因にあえて引き合わせることによるショック療法、あるいはそれとは別に、まずは男らしくない男の子から慣れさせようという作戦。なるほど確かに理にかなっているかもしれない。でもそれをやらされる方の身にもなってほしい。ましてや騙し討ちのような形で。というかむしろそれこそがあたしのムカつきの原因だ。男嫌い克服作戦をやるならやるで最初から言ってくれればよかったのに。
 思い出すと腹が立ってくる。でも今はそれよりも、真耶のことが心配だった。きっと今もまだ泣いているに違いない。自分のことも心配ではある。真耶を守るためなら命がけと断言したガイドのおばさん。それはこの村では普通のことなのだろう。そして真耶を泣かせたあたしが、村の人々にとって「敵」だと思われても仕方ないだろう。
 うつむいていると、目から涙がこぼれ落ちそうだ。でも泣きたくはなかった。あたしは涙を流すのが嫌い。昔からそう。でももしかしたらこれも、真耶におしっこを浴びせられて泣きじゃくった記憶を封印したいため無意識に避けているのかもしれない。
 「真奈美ちゃん、平気?」
ゆゆちゃんがあたしの落ち込みように気がついたのか、心配そうに言った。でもあたしは真耶を泣かせた張本人だ。確かに原因を作ったのは昔のママ達かもしれない。けどそれをことさら騒ぎ立てておおごとにしたのはあたしだ。つまりあたしは理由はどうあれ真耶を悲しませ苦しませた。真耶の親友であるゆゆちゃんがあたしを憎むとすれば当然だし、そうなったら仕方ない、自分が悪いのだと思っていた。
 それなのに。
「事情はわかったけど、ひどい話だよね? もし真奈美ちゃんが真耶ちゃんちに戻るの嫌なんだったら、ずっとここにいていいからね?」
ゆゆちゃんはあたしの両手を握ると、じっとあたしの目を見つめてそう言った。正直嬉しかった。でも素直にうんと言っていいのか? 確認せずにはいられなかった。
「ありがとう。でも、いいの? あたし真耶を困らせてるんだよ?」
「なんで?」
「ゆゆちゃんが真耶の味方するのはいいと思うよ。昔からの友達でしょ? なのにあたしはいきなり横から割り込んできて、好き勝手言って…」

 ぱん。

 べらべらと喋り出したあたしの頬をゆゆちゃんが軽く叩いた。いや叩いたんじゃない。駄々をこねる子どもをなだめるように、ゆゆちゃんの右手があたしの左頬をゆっくりなでた。。
「そんなこと言っちゃダメ。友達に、期間が長いとか短いとか関係無いでしょ? それに言ったでしょ? 真奈美ちゃんが困っていることがあったら力になる、って」
えっ? そんなことあったっけ? しばらくあたしは面食らった。でも記憶をたどるとそれらしき出来事は確かにあった。更衣室事件のときだ。でも。
「それって確か、あたしが真耶のこと嫌ってて、でも少しずつ慣れていって欲しいからそのための協力はするよ、って話じゃなかったっけ?」
「そうだったっけ? よく覚えてないや」
と言ってゆゆちゃんは舌を出し、思い直したように付け加えた。
「あ、でもね、これは思ってたよ。友達同士いがみ合うのは見てて悲しいな、って」

 そう。
 あの日、ゆゆちゃんからメールがあった。
「身勝手な言い分なのは分かってる。でも、真奈美ちゃんなら真耶ちゃんと仲良くなってくれると信じてるよ」
という内容だった。そうだった。最初からゆゆちゃんは、あたしのこと友達だって思ってくれてた。だから真耶とも友達。友達同士いがみ合うのは悲しい。それは苗ちゃんだって、真耶だって変わらなかったはずだ。
 「ねえ、もしかして自分が、神の子に仇なす者とでも言われて、石でも投げられるとでも思ってた?」
いきなり核心を突かれた。ゆゆちゃんはこういうことに察しが良いみたいだ。
「しないよ、みんな。一見敵に見えても本当はみんないい人。だからきっと分かり合える。冷たく突き放したり、やっつけるんじゃなくて、優しく包み込む。それがこの村のやりかた」
だから真奈美ちゃんも心配ないよと、ゆゆちゃんは言う。ああ、なんか分かる。だって今まさにゆゆちゃんがしてくれていることじゃない、それって。
 「ちなみに、なんでそうするかわかる?」
ゆゆちゃんに問題を出された。あたしは数秒答えに困った。でもそこでクイズにもならないくらいアタリマエのことでしょ? という顔で答えを言われてしまった。
「神の子様が、それを望むから」

 いつの間にかあたしたちは眠りについていた。気がつけば朝。
 カーテンの隙間から差し込んでくる陽射しで目覚めた。すでにゆゆちゃんはいない。作物を植えるシーズンで忙しいと言っていたので、もう畑に出たのだろう。あたしに気づかれないようこっそり抜け出したみたいだ。
 ちなみに、
「なんなら、ここにずっと住んでもいいよ?」
と、ゆゆちゃんは言ってくれているが、
「でもそのときは、畑仕事は手伝ってね?」
とあとで付け加えられた。まあそりゃそうだ。そして同時に、あたしが真耶たちとヨリを戻して神社に戻ると信じているってことだ。そうでなければ、
「こき使うから覚悟してね?」
なんて冗談は言わない。
 それにしても、真耶どうしてるかな。苗ちゃんもついてるし、さすがにもう泣かないとは思うけど、まだ落ち込んでないかな。いやきっと落ち込んでるよな。連絡しなきゃ。でもどう言って連絡しよう。

 とか何とか思っているうちに着信があった。
「真奈美ちゃん? おはよう! えっとね、すぐ戻ってきて!」
唐突だった。普段はおっとりのんびりしている真耶が、早口で要件をまくしたてている。まだ声が枯れ気味なので、やはり相当泣いたのだろう。
「ちょ、ちょっと落ち着いてよ、そりゃ帰るつもりではいるけど、一体どうしたの? そんなに慌てて」
ついつい勢いに押されて帰ると宣言してしまったがそれはさておき。何があったのだろう?
「…母さんが、来てくれるって!」

 そしてゆゆちゃんの家で待つこと数時間。
 おそらく、希和子さんかあたしのママのいずれかが、真耶のお母さんに相談したのだろう。あたしと真耶がいとこだとすれば、真耶のお母さんとあたしのママも実なのか義理なのかは知らないが姉妹ってことになる。それに何より真耶にとっての一大事なのだから、報告はあって当然だろう。
 真耶と真耶のお母さんが迎えに来てくれることで話はついていた。結果的にゆゆちゃんのお世話になったのでお土産を持ってきたいとのこと。わざわざ東京からやってきたうえ、余計な出費をさせちゃったので悪い気がする。
 ただ、畑から戻ってきて作業をしていたゆゆちゃんに事情を話すと、
「良かったじゃない? 帰るキッカケができたんだから」
そのとおりだ。あたしは微笑みながらうなずいた。
 まもなく一台の車がやってきた。助手席にキラキラ光る金色の髪が見えた。真耶だ。ということは運転席にいるのが真耶のお母さんということになるのだろう。車はそのまま助手席をあたしの方に向けた形で停車し、真耶が降りてきた。
「真奈美ちゃんおはよう。少しは落ち着いた?」
「あたしは大丈夫。それより真耶だって目の下が腫れてるよ? 自分だってさんざん泣きまくったのバレバレだよ?」
あたしは正直に真耶の顔を見た感想を言った。まず他人の心配からはじめるあたりがいつもの真耶だ。安心した。
 と、その時。
「突然来ちゃってごめんなさいね。あ、はじめまして。真耶の母です」
と言いながら運転席から降りてきた女性。

 あーっ!

 丸岡ソフィア!

 丸岡ソフィア。
 運動音痴で引っ込み思案だったのを直そうと決意、周囲の勧めで小学校の時から児童劇団に入る。テレビ等への出演は恥ずかしいという理由で一貫して拒否し続けるが、劇団にはお稽古事のつもりで中学卒業まで在籍。このときの様子を覚えていた、当時劇団で講師をしていた映画監督に声をかけられ「お世話になった恩返しのつもりで」高校在学中に銀幕デビュー。フランス人とのハーフであることからソフィアという芸名が付けられる。
 最初はチョイ役のはずだったが、演技に対する勘の良さと努力家である点がスタッフに評価され、やがて重要な役を任される。完成した映画は賞を総ナメにしその最大の功労者は彼女とまで言われる。
 高校卒業後の活躍が期待されていたが大学に一般入試で合格。私立の文学部では最も難しいと言われる学部で、同じくその大学の文学部を卒業した戦後を代表する国民的女優以来の快挙と話題になる。
 大学でも演劇学を専攻。学業優先のため残した仕事は少なかっが、写真集が出ればベストセラー入り、CDを出せばチャート一位、唯一主演したドラマは単発ながら視聴率三十パーセント越え、幾つか出演した映画はすべて国内外の著名映画賞に軒並み入賞。ただし自身がライフワークと語っていた週一回のラジオ番組以外にレギュラーでの仕事は無く、CM出演も皆無。
 四年間の大学生活の末、卒業が確定。今度こそ本格的な活躍が期待されたが、卒業の日の夜、突然マスコミ各社にファクシミリが送られた。芸能活動を無期限休業すると。理由は。

 結婚。

 以来、彼女がマスメディアに出てくることは一切無くなった。突然の引退についていろいろな憶測が流れたが、すぐさま収束したのは彼女の品行方正な振る舞いが業界全体に知れており、スキャンダルめいたことなどありえないという見方が圧倒的だったためだと言われる。

 以上、インターネット百科事典からなのだが、ここで問題。今のプロフィールに一か所だけ間違いがあります。どこでしょう。
 ヒント。あたしが初めて天狼神社に来た日、真耶は自分の中にフランス人の血がどれくらい入っていると言ったでしょうか。
 そう。「フランス人とのハーフ」というのが間違い。真耶は八分の三フランス人の血が入っているので、そのお母さんは四分の三がフランス人。

 あたしの家のリビングに、一枚の写真が飾ってある。向かって左側にパパとママ、そしてママの腕に抱かれた赤ちゃんのあたし。向かって右側には夫婦らしい男女。こちらの女性の胸にも赤ちゃん。そして母親と赤ちゃんの髪は金色で、青い瞳をしている。
 この女性のことをママに聞いたことがある。
「この人だあれ?」
「この人は、ソフィアさんと言ってね、ママの大事なお知り合いなの。昔は映画とかにも出ていたのよ?」
と言って、そのソフィアさんが出ている映画のDVDを見せてくれた。小柄なのにパワフル。でもおしとやか。喜怒哀楽の表現は見ているこっちもつられるくらい豊かで、そして美人。こんな人がママの知り合いだなんてすごい、と思った。
 が、しかし。
 知り合いは知り合いでも、あたしのおばさんだったなんて! しかもあたし、それに気づかず十ニ年間生きてきただなんて!
 いや、よく考えたら気付きそうなもんだけどさ。だってただの「お知り合い」の写真をわざわざ額に入れて飾ったりする? しかも赤ちゃんは金髪。真耶も金髪。真耶が一応親戚だってことは事前に知らされていたんだから、そこで気づいてもいいじゃない? ああ、あの写真の子が真耶だったんだ、って。
 でもさっき言ったでしょ? インターネット百科事典に誤りがあって、ハーフと書いてあるけど実はクオーターだって。あたしは最初から真耶の母のことを「四分の三フランス人」って聞いてたから、インターネット百科事典のその項目とは結びつかなかったんだよ。くそうにっくきインターネット。あそこに書いてある「事実とは限りません」うんぬんの注意書きの重要さを身をもって感じたよ。
 そういえばママに写真のことを聞いたとき、赤ん坊のことも聞いたのだった。この子はだあれ? と。ママは、
「この子はね、天使さんよ」
とだけ、答えた。
 なるほど、実際は天使じゃなくて神使だったけど、神様の使いには変わりなかったわけだ。

 「ねえ、散歩でもしない?」
そのソフィアさんから誘われた。ゆゆちゃんのご家族に挨拶してすぐ帰るつもりだったらしいのだが、せっかくだからお昼を食べていってと勧められたのだそうだ。実際時刻は昼近いしお腹も空いていた。ちょうどいいのでお言葉に甘えることにしたんだそうだ。それにはあたしも異論はない。
「あ、はい。えっとそれじゃ、真耶、ちゃんも…」
と返事したそのとき、玄関の中から手を振る真耶の姿が見えた。
「あたし優香ちゃんと遊んでるねー。苗ちゃんも自転車でこっち向かってるみたいだしー」
ああなるほど、あたしが話しやすいように席を外してくれたってことか。

 とは言うものの。
 真耶のお母さんってことは、やっぱり真耶の味方なわけで。あたしが当初真耶を避けたり嫌ったりしていたことが知れたら、あたしに対していい感情は持たないはずだ。というかある程度昨日の事件の詳細は知らされているからこそ今日来てくれたのだろうし。そもそもお母さんはあたしに神社に戻るよう説得したいのか? あるいはワガママ言うなと叱るのか?
 「あ、緊張しなくていいよ? あなたをどうこうしようって思ってるわけじゃないから」
あたしの心配をよそにソフィアさんは優しく話しかけてくれた。あたしはちょっと安心して、農園から別荘地へと続く白樺のトンネルを並んで歩く。
「びっくりしたでしょ? 初めて真耶クンと会った時」
ええ、まあ、とあたしは曖昧な返事をした。一応完全に気を緩めはしないほうがいい気がする。ソフィアさんは構わず続ける。
「そりゃそうよね。だって真耶クン、ヘンタイさんだもんね」
 えっ?
 実の母が、子どもを「ヘンタイさん」と言った。
 「だって最初会って男の子だって分かったとき、そう思ったでしょ? 男の子なのにスカートとか女の子の服着て喜んでるんだよ? ヘンタイさんでしょ? お近づきにはなりたくないわよね」
ううう、否定できない。できないけど。でもあたしが真耶を毛嫌いしていたことを責められるかと思っていたらむしろ同意に近いことを言われるなんて逆に戸惑う。
「あ、分別のつく大人の男の人が女の人のカッコやる分にはいいと思うのよ? テレビの世界とかにけっこういたし、そういう人ってたいがい良い人なのよね。あの世界の場合、生活のためそうしてるって人も多いよね。ほら、奇抜なカッコすればみんな注目するでしょ? そこで自分が伝えたいことを広めればいいわけだし。もっと多くの人に健康で美しくなって欲しいとか、教育に対して意見があるとか、そういうの広めたいために女の人のカッコとか言葉遣いとかしたりして」
でもね、とソフィアさんはニヤリとしながら言った。
「真耶クンまだ子どもだもんね。タチ悪いよね」

 いやいやいや。
 このまま認めちゃうのはなんかヤダというか、確かに出会いは波乱含みだったけど今はそうじゃないよ、ということを是が非でも伝えたい。
「で、でもそれは神の子としての使命とかあって。ほ、ほら、真耶もいろいろ苦労してるし」
「どんな?」
「え、えっと例えば、外ではトイレ行けないとか」
「それでおむつしてるんでしょ? やっぱりヘンタイさんだよ」
と言ってくすくす笑うソフィアさん。あーっ墓穴掘った! そうじゃないだろあたし! 思わず頭をかきむしって何と言おうか何と言おうかと慌てていると、
「うん、でも確かにおしっこが普通にトイレにできない事情のある人がおむつを使うのは当たり前だよね。そんなことのために変な目で見られるとか絶対おかしいよ」
そう! それが言いたい! だのになんで、ヘンタイさんとか言うんだろ?
「でもね、確かに病気とかでおむつしてる人とかもいるけど、真耶クンの場合趣味ではいてるのとおんなじようなもんでしょ? やっぱヘンタイさんだよ」
「いや、趣味じゃないって! それが、神社の決まりなんだから! あ、あと、あたしにおしっこかけたのだってご利益みたいのがあると思ってやったことだし、あ、おしっこかけたって言うのは…」
「やっぱり、真奈美クンはいい子だ」

 「ありがと。真耶クンのこと、かばってくれて」
もともとやさしい雰囲気のソフィアさんの顔が、よりにこやかになった。
「そうね、そんなこともあったね。真耶クンが河童さんのお皿におしっこしてたの見たときはびっくりしたよ」
ああ、なるほど。あのときあたしたちを慰めてくれたのはソフィアさんだったんだ。真耶のお母さんだったらあの場にいても普通だし納得がいく。
「でもね、真奈美クンそのとき言ってたよ? 私が真耶クンにダメでしょ? って言ったら、お姉ちゃんをいじめないで! って。そんなに強く叱ったわけでもないのにね」
そうだったんだ。あたし結構気が短い性格だと思ってたけど、そういう人を思いやることも出来たんだ。
 しばしの沈黙の後、ソフィアさんが口を開いた。
「神社の決まりっていうけど、それって世の中にとっては関係ないことでしょ? 変な目で見られるのは当然よね。だから男の子が神の子やるって、そういうのに耐える、ってことなの」
「真耶は、大変だと思います」
あたしは素直な感想を言った。
「それでも女の子やってる真耶クン、偉いと思う」
「…楽しんでる感じもあるけど」
これも素直な感想だ。神様のお使いという重大な使命を負って生きているようにはとても見えないことがよくあるどころか、それがほとんどだ。
 でもソフィアさんは、真耶を褒める手を緩めない。
「逆境を楽しめるのは、強い証拠よ」
そして。
「だから私、ヘンタイさんの真耶クンが好きなの」

 ぷぷっ。
 ぷぷ、くくくくっ。
「ど、どうしたの? 急に笑い出したりして」
思わず吹き出してしまったので、ソフィアさんは少しびっくりしたようだ。いや、だって。
「なんかお母さん、真耶とそっくりだなあって」
いつの間にか真耶のこと、呼び捨てになっていたがまあいいや。
「なんかその、人の褒め方が変っていうか、人と違うっていうか」
「うん、よく言われる。言葉の選び方が変わってるって。人を褒めたいと熱心になるあまり、褒めるトコじゃない場所を褒めちゃうみたいなんだよね、ポイントが人とずれてるっていうか。うふふ」
軽く手をぐーにして、手の甲を当てて笑う。ちょっとした仕草がドキッとするほど可愛い。
 「麻里子クンと希和子クンのこと、許してあげてほしいの。ダメかなぁ?」
突然本題に入った。綺麗さに見とれていたのでちょっと不意打ちに感じた。
「聞いたでしょ? 真耶クンも真奈美クンも神使候補だったからお互い会わせちゃいけない、って話。あれね、十三歳くらいになったら会わせていいのよ?」
神使に選ばれた方に実績ができて、周囲がそれを認めるようになれば、選ばれなかった方もあきらめざるをえない。昔は成人の儀式が終わってのちに会わせていたけど、次第に年齢が下げられてきたのだとか。
「で、真奈美クンも真耶クンも中一で今十二歳でしょ? そろそろ会わせていいよね、って麻里子クンと希和子クンが話し合ったんだと思う。そもそも人間側の都合でできた決まりは、変えてもいいのよね」
 え、そうなの?
「だって昔は、普通の村人は神の子さまに話しかけられなかったんだから。お侍さんとか庄屋さんとか身分の高い人以外の人は、神の子さまのお話をありがたくお聞きすることしかできなかったの。これも聞いたかな? でもね、それは江戸時代が終わって身分制度が無くなったときにやめたの。しきたりって、そういうふうにどんどん変わっていくものもあるんだよ」
ああなるほど。歴史の授業で習った士農工商ってやつ。それは江戸時代に幕府だっけ? それが決めたことだから神様とは関係ないことだもんね。
「神使候補同士会わせないってのも同じ。昔だったら神使の地位を争うとかあっただろうけど、でも真奈美クンは、真耶クンの代わりになりたいと思う?」
…うーん、正直言うと、思わない。大変そうだし。
 そっか、じゃあまだ小さい頃にあたしたちが会っていたことも別に悪いことじゃなかったんだ。要はママたちの取り越し苦労。
「まぁでも、しきたりを変えるってことは勇気のいることだしね。何年も前の麻里子クンたちは相当覚悟したはずだよ。一族の中とかで古い考えの人には反対されるだろうし」
そっか。ママも希和子さんもあたしたちのことよく考えてくれてたんだ。確かにいとこ同士その存在を知らないとかって寂しいことだし、要らなくなった昔のしきたりはどうにかしよう、って思ってくれたんだ。
 あ、でも。
「じゃあなぜ、真耶は今も女の子の姿なんですか? そのしきたりだって変えていいはずなんじゃ…」
素朴な疑問があたしの頭の中に浮かんだ。でもその質問に対する答えはアッサリと、そしてキッパリとしていた。
「ダメ。だってそれは神様が決めたことだもの」
ああ納得。でもよりによって一番大変なことは変えられないんだね。

 でも、今回、なんで男であること隠したの? それが一番気になるところだし、腹を立てたところだ。
 ゆうべもいろいろ考えた。あたしとの対面のさせ方に不手際があって真耶の性別について不自然な知り方をしてしまった。まあそれはあたし的には気分は良くないけど、その罪滅ぼしとか、対面して乗り越えさせろとか、そういうことを画策されていたとするなら、そんな勝手な理屈は御免だ。
「でもそうだとしても、真耶が男だって最初に教えてくれても良かったんじゃないですか? 何もこんなドッキリみたいなことしなくたって」
ちょっと口調が乱暴になっていたと思う。それでもソフィアさんは優しく答えてくれた。
「本当は、早いうちに教えたかったんじゃない?」
ひと呼吸置いて続ける。
「誰だって、言わなきゃってことがなかなか言えなくて、先送りにしちゃうこと、あるでしょ?」

 確かにそうだ。テストの成績が悪いとか、花瓶割っちゃったとか。そっか、重要なことだからなおさら言いにくかったんだ。
 自分でも不思議なくらいスンナリ納得してしまった。何なのだろう、一時は煮えくり返るほど腹が立っていたのに、今はママのことを許そうと思っている。
 ソフィアさん、すごい。
 人の心を、一発でひっくり返しちゃったんだ。嘘みたいな話。でも本当。なんだかソフィアさんの言葉って、すごい力があるっていうか、これまでのモヤモヤを洗い流しちゃうみたいな力がある感じがする。
 その力の源は何なのか。その答えは、すぐ解った。
 「でもね」
ソフィアさんが続ける。
「あくまで私は、真耶クンの味方。たとえあなたのお母さんでも、真耶クンが困ることならさせない」
そうだ。お母さんってそういうものだ、たぶん。あたしのママだって、あたしの味方。たぶんそれって当たり前のことだ。でも。
 「それにね。真耶クンは、君が悲しむことを望んでないから」
ドキッとする言葉だった。
「私がなりたいのは、子どもの味方。今回のこと、本当は誰も悪くないと思うよ。でも大人は目の前に降ってきた問題を何とでも出来る。子どもはできない。そういうこと」
いつの間にか白樺の林を抜けて、青空が広がっていた。いつもより、さわやかに見えた。
 だから、もしあたしがママや希和子さんに対してまだモヤモヤしたものを持っているなら、私が言ってあげる。ガツンと、ね。
 そう言うとソフィアさんはぎゅっと拳を握った。
 でも、もう良かった。

 ゆゆちゃんの家での昼食は気がつけば大人数になっていた。花耶ちゃんと苗ちゃんがが合流している。もちろん希和子さんもいたが、あたしは特に抵抗感もなく、また弁解や謝罪のたぐいの言葉はどちらからも発することもなく、ただただ今回のトラブルが起きる前と同じ穏やかな空気が流れていた。
 真耶はいつもの優しい表情に戻っていた。きっと苗ちゃんがうまく慰めてくれたんだろうし、あたしと同じようにソフィアさんに説得されたのだろうけど、実はお母さんが来たというそれだけで十分だったんじゃないかな。
 あたしは花耶ちゃんに頭をぽんぽんとなでられながら、わがまま言っちゃダメだよー? と言われた。彼女にも説明があったはずだけど、聞き分けのいい子だし、真耶や希和子さんと喧嘩したあたしを恨んだりは無かったみたいだ。
 ソフィアさんはその日のうちに帰ることになっていた。明日は仕事なんだそうだ。いったん神社まで車で送ってもらったあと、改めてお見送りをした。
 ところで一つ気になることがある。ソフィアさんはなんであたしたちが困っていることを知ったのだろう? やっぱりママか、希和子さんが連絡したのかな?
 と思っていたら、希和子さんが言った。
「しかし相変わらず勘がいいなあ。花耶ちゃんのメール一つで、私たちのたくらみバレちゃうんだもんね」
なんでもあたしたちが病院へお見舞いに行く前日、花耶ちゃんがソフィアさんにメールをしたんだそうだ。みんなで行くよ、と。どうやらそれだけで何かある、と察したらしい。
「やっぱりイネさんには叶わないなぁ」
 イネさん?
 誰?
 「ああ、私の名前いねって言うの。嬬恋いね。初めて知った人みんな真奈美クンと同じ顔するんだよね。くすくす」
あたしのけげんそうな顔に気づいたのか、ソフィアさん改めいねさんがこっちを向いた。真耶や花耶ちゃんと同じ蒼い目。そして金色の髪。どう見てもカタカナっぽい名前のほうがよく似合うと思う。というかソフィアが本名でもおかしくないと思ってたし。
「それなのにさ?」
途端にいねさんが口をとんがらせた。
「事務所の社長がお前の名前は古臭いとか言って、ソフィアとかいう芸名付けられたの。失礼しちゃうよねー、人の名前をさ。せっかく親が国際的に通用する名前にしようって考えてくれたのに」
 え?
 それだったら最近流行りのカレンとかジュリアとかいう名前に漢字を当てて可憐とか樹理亜とかやったほうが良くない?
「ううん? だってそれじゃ英語圏でしか通じないでしょ? 日本語で稲とは豊かな実りの象徴。自ら実りを産み出せる人間になれ、そして稲穂のように人々を豊かで幸せに出来る人間になれという願いがかけられている、と説明すれば世界中で通じるでしょ? 食べ物の何も無い国なんて無いんだから」
ああなるほど。むしろそのほうが英語以外を使う国でも通じそうだ。いねさんも満足そうに笑って言った。
「だから私、この名前大好き」

 もっとも、一見和やかなハッピーエンドといった雰囲気の中。
 車で颯爽と立ち去るいねさんを見送る希和子さんの顔が一瞬曇ったのが見えた。あたしにママの話を告げたあのときと同じ表情だ。そしてそこから連想した嫌な予感は現実のものとなった。

 数日後。
 目覚めると、誰もいない。あれ、今日はあたしと真耶が神社の掃除当番だから早起きしなきゃいけなくて、だいたい真耶が起こしてくれるんだけど…。あ、目覚まし止まってる。
 えーどういうこと? と思いつつ慌ててジャージに着替えると神社の境内へ。一見だれもいないのだが、神殿の裏手に人の気配がある。それを追って行ってみると。

 何やら、見慣れない光景が、そこにあった。

宗教上の理由 第八話

ここに来て真耶の母という新キャラ登場です。もともと母が元女優という設定のほうが、真耶がフランス人の血を引いているという設定より古いです。まぁ我ながら色々欲張りに盛り込んだなとは思います。
次回、最終回、の予定です。

宗教上の理由 第八話

前回までのあらすじ:家の都合で親戚の神社に預けられることになった田中真奈美は、神社の子である嬬恋真耶と出会う。真耶は可愛くておしとやかな、典型美少女タイプ。友達になりたいと意気込む真奈美だったが、実は真耶は「女の子」ではなかった! 真耶の妹の花耶、おばで神官の希和子、同級生の苗(ニャン子)、優香(ゆゆちゃん)、担任の渡辺、部活の先輩ミッキー、篠岡姉妹、そして真耶の憧れの人、タッくん。彼らが織り成すほんわかだけどドタバタ、そして真奈美の常識をひっくり返す数々の出来事に彩られた山村ライフ。 自分と真耶との関係、そして隠された過去について知った真奈美。そのショックと反発心から飛び出した真奈美だったが…。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-04-27

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著作権法内での利用のみを許可します。

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