かなしみのない世界

グロテスクな表現が多々あります。苦手な方を含め、読む際はご注意ください。
ハッピーエンドではないと思われます。

かなしさは空の上にはない。

空が青いというのが本当なのかと疑問に思ったとき、それを確かめることはないのだろう、と彼は漠然と思っていた。
空は青いという言葉を語る口を信用するしかない。本当は空が黒かろうと赤かろうと、そんなことを自分の目で確かめる必要もないのだろう。
だから彼は、偽物の空を再現するときに、ただただ映像と絵をもとに作り上げた。
本当は知らない。
もしかしたら違うかもしれない。
それでも、悠久に似た時間を過ごそうとするには、それはちょうどいい時間つぶしだった。
だから、自分で疑似的な空を作りながら、彼はぼんやりと思っていた。
本当の空は、どんな色をしているんだろう?と。
牢獄のようだった。
そして我が家のようであった。
けれどたくさんの人を惑わす知識の森が、焼かれてしまうまで。
そんな日は来ないと、その日まで、彼は漠然と思っていた。
ただただ、楽しく本を読み、それ以外を忘れて生きる惰性的な日々が続くのだろうと。
なぜか、思っていた。
全てが灰になった時、ああ、と彼は座り込んだ。
来ないと思っていた日が、来てしまって。
見あげた空が、ほんとうに青くて美しくて。
ああ、本当に、空はあおいと。
彼は、憎しみに涙した。
「・・・まあ、僕がいうのも非常に難だろうし、むしろ僕がそんなことを言うのは求められてはいないのだろうし、とはいえ、僕は思うんだ」
あ、ごぉっという悲鳴のような断末魔を耳にしながら、彼は美しい夜空を見上げた。
濃紺の空はぽっかりとくりぬいたような白い月が煌々と輝いている。その光に照らされた彼は、色の白い肌をさらして空を見上げていた。
夜の闇にも似た、紺の髪を後ろで乱雑にまとめている。ひょこひょことはねるその髪の間からのぞく青い瞳は、魔力という見えざる力を行使しているために、ぎらぎらと光っていた。
旅人姿の青年は、はじめて見たという顔をしていた。まるで幻想的でうつくしいものも目の前にいるかのように、空を眺めている。
しかしそんな青年の姿そのものが、まるで人ではないようだった。
闇夜に浮き上がる姿は月からの使者のように人間味をかいている。
人の呼吸音もない。
獣の息遣いさえ潜む、静かな森。
そんな森の中で力を使い、瞳を青くする化け物がそこにいた。
それはまさしく人ではなく、化け物と称する方が正しいような姿だった。
「いつみても、空は美しいし、ほんとうにほんとうに、腹立たしいなあって、思うんだよ。僕はこれまで本当に空が青いなんて思わなかったし、むしろそんなことは本当に本当にどうでもよかった。空が青かろうが、黒かろうが赤かろうが、たとえ緑であっても、僕には関係がなかったし」
心底、どうでもよかった、と彼は無表情につぶやく。
「でもまさか、本当に空が青いなんて思わなかった。夜は暗くなるなんて、それが本当だなんて思わなかった。こんなに、目を奪うなんて知らなかった」
はあ、と息を吐き。

「世界が本当に、本の半分以上の事実をもとにできるなんて」

思わなかったな、と彼はすこしだけ目を細めた。
「だから、僕は空が嫌いだ。世界が嫌いだ。悪が嫌いだ。勇者が嫌いだ。為政者が嫌いだ。知恵を持つものすべて、灰に還れ」
そう言ってから、彼はようやく火を囲んだ向こうにいる少女に目をとめた。
伸び放題の髪に、足と手には黒い鉄の塊が見える。
白い布きれのような服は泥と埃にまみれて汚れていた。
少女は諦念と絶望に光を失っていた目を大きく見開き、青年を見つめていた。
亡者と称されそうな生きているだけの少女は、その目にひとらしい感情を混ぜている。
怯えとも、恐怖ともつかない混乱した少女の緑の目が青年を見つめる。
青年はにたり、と顔の筋肉を溶かして笑った。
細めた青い瞳が、まるで飢えた獣のように少女を笑う。
その哀れな汚れた少女に対しているようでいて、あるいは含められた視線をあざけるように。
ただ、無邪気に。
ひっそりと。
嗤う。
「美しさも醜さも、僕が感じているという点で、全ては同一だよ。感情の根源はどこにある?名のつかぬ激情に、判別ができるというのか?まったく、全てが無意味で、くだらなくて、そして有意義するんだな」
「たすけてくれたすけてくれたすけてくれたすけてくれ、だ、ず」
ぐしゃり、と彼の意思に沿って、大ぶりな剣が、助けを乞うた男の首を切り落とした。
ごとり、と落ちる首を、彼は笑いながら見下ろした。まるで置物の何かのように、丸い頭部と胴体がわかれて落ちる。
逃げようとした男の首は後ろから切り落とされていた。
ふわり、と空中に浮かぶ数十本もの剣は、すでにどれも赤黒く濡れている。
白い月がそんな剣さえも煌々と照らしだした。
そうすれば滴る液体が、美しい赤色をしているとわかる。
夕暮れのような、あるいは赤い花を煮詰めたようなその液体は、ぶしゃり、と男の首から吹き出した。
青年はスプリンクラーのように降り注ぐ生温かい液体を浴びた。
旅で薄汚れたコートやマントに赤い血がしみこむ。くしゃくしゃとした髪は降り注いだ赤い雨によって頬に張り付いた。
まるで紅の水の中からはい出たようだった。ぽたぽたと滴ってゆく液体が、泣くように零れ落ちていく。
しかし殺人に青く輝く瞳は少しも笑わない。
つまらないと飢えた獣の色をのぞかせる凶暴性が、チロチロと燃えていた。くすぶるその青い瞳は、彼が呪うように吐き捨てる空と、同じような色をしている。
白い肌の上を、赤い水が淫靡な曲線を描いて滴り落ちていく。
ぽた、と頬を伝い、顎から滴り落ちるそれは、涙のようだった。
「つまり、生きるのも死ぬのも、全ては同じで大差がないことなんだ。まあ、こんな僕に言われたくはない事実だろうけどさ。だって僕は神の所有物と化してしまった哀れな人間なわけだからね。だから僕、死なないしね、あはは」
場にそぐわないほど晴れやかに笑い、けたけたと、彼は足元を見やった。
死体。
死体。
あたりには、彼の剣で殺された人間がもはやただの肉塊となって転がっていた。切り落としてしまった腕や足は、人形の部品のようだった。
壊れてしまったからと、直せば元に戻ってしまいそうだ。
ぶつぶつとちぎれた断面は、鮮やかな色とりどりの花をおしこめたようだ。赤と白と桃色のような、散らされた花びらが混ざってしまって分けられそうにはない。
「それで、僕は腹が立ったし、気にくわないから全部皆殺しにしてみたんだけど、やっぱりイライラするし、やはりどうにこうにも、理不尽をぶつけるしかないようなんだな。あはは、意味なんてないわけだ。だけど同時に、殺してもイライラするし、殺さなくてもイライラするということが理解できた。いやはや、有意義な殺戮だったね」
にっこり、と青年は笑い、首をかしげた。
「それじゃあ意味のあることなんてないわけだから、つまり有意義も無意味も等しく降りかかるというのものだ。あはは。つまらない。文字の中にあった知識と、現実がこうも同じようだとは思わなかったよ。知識を得ることは有意義で、そして等しく無意味だ。新しい発見はないなあ。世界が存外つまらないものだとは思ってもみなかった。ははは、すべて灰に還れ」
笑っているようでいて、その声は少しも笑っていない。
硬質な声は全てを拒むように、この世界への呪詛を吐き捨てる。
歌うようなその言葉全てが、青く瞳を光らせる化け物の呻り声だった。
「あ、ぁの・・・」
両脇に死体が積まれた少女は、こらえきれなくなったように美しい声を上げた。
すべてを惹きつけてやまない美声に、青年はにい、と口元を緩めただけだった。
「な、なぜ、わたしを・・・ころさないんですか・・・」
甘い声に、青い瞳の化け物はにやにやと笑った。
まるで、目の前に獲物が落ちてきたと言わんばかりに、目を細める。
緑の色をする瞳に感情はない。浮かべていた恐怖も、困惑もそこにはなかった。
ただ子供が、この事態に困ったように、そこに佇むだけだった。
「殺してどうするんだよ、あはは。変なの」
どか、と彼女の顔の真横を、浮かんでいた剣の一本が通り過ぎた。少しでも動けば首が飛んでいただろう。
少女は声を上げることもなく、ぴしりと体を固めた。
ざかり、と少女の前で燃え盛る炎を挟んで向かい側にいた男は、笑みを浮かべながら足を動かした。
ぼうぼうと燃え盛る赤と橙の炎が、青年を照らす。
ゆらゆらと揺れる光はその男の影を揺らした。揺さぶる影は、青年の存在そのものが不安定だと主張する。少し間違えばはちきれてしまいそうな、水風船が転がっていた。
そんな危うさと鋭さを孕んだ、男というにはまだ若い横顔に落ちる影が揺れる。
赤い水からはい出た青年は、ただの殺人者だった。
いたるところに蝶や花のような赤い模様をまとったコートは黒く変色している。青白い肌には赤い血が滴り、あたりに散らばる肉塊の意志のなさを示していた。
ざか、と青年は、燃え盛る火の中を、躊躇なく歩いた。
不思議と青年はその炎に身を焦がすことがない。
けれどその歩みは、まるで青年の生そのもののようだった。生きながら燃え盛る中を歩く。炭を踏みつぶし、炎をかけわける亡者のごとく、青い瞳の怪物は地獄をあるくように足を動かす。それは傷でもなく、いまだ燃え盛る静かな激情だった。
ざかり、青年は笑みを浮かべながら歩く。
こうこうと燃え盛る炎の熱さなどないと。
あるいは、温度が足りないと。
不思議と少女は、目の前にいる化け物が恐ろしくはなかった。とはいえ少女も諦念と絶望を味わい、意志を忘れるほどの扱いをされている。
ひとがまさしく人間という生物の皮をかぶった恐ろしい化け物であることもよおくわかっていた。
同じ人間でも、少女はまるで違う生き物であると罵るそれに、思考はとうに失われた。
それを考えれば、恐怖が麻痺したのかと、少女は青い目をした美しい怪物を見あげる。
炎の中を歩ききった青年は、興味がなさそうに目を細めた。口元だけが主張する笑みが、機嫌も感情も図らせはしない。
昏い森に現れた怪物は、しかし、美しかった。
醜くなどない。
ただただ、清らかだと錯覚してしまいそうに、澄んでいた。
人の形をした、正真正銘の化け物。
五十数人を、一人ですべて消し去った。そんな芸当をこなす人間を、彼女は今まで見たことがない。
今まで見たすべての化け物はまがい物だった。
ああ、これこそ本当に、偽りなくかいぶつだ、と彼女はまるで宝物でも見つけたように、うっとりと笑った。
殺されてもいい、と彼女は心の底から思った。
だって当然なのだ、自分は卑しい家畜で、目の前にいるのは絶対的強者。すべてを破壊する神のように気まぐれで、おそろしい存在にかなうはずがない。
自分の命などちっぽけすぎて、赤子の手をひねるのと同じなのだろう、と少女は心の底から化け物を慕った。
「言ったろ、殺してどうするんだ。意味がない」
いいえ、と少女は首を振った。
膝をつき、捨てた神に祈るがごとく、青い目の怪物を見あげる。
「わたしは、ころされても、いい」
「選択肢が君にあるのかよ。あはは。勝手に死ね」
青年はにこにこと笑ってそんなことを言った。
どおん、と浮かんでいた剣の一つが、彼の足元に突き刺さる。
「・・・はははは。意味なんてないな。無意味だ。ああ、まったく!無意味だなああああ!ははは!ああ、」
くそ、と青年は空を見あげた。
「・・・意味を見出すことが無意味だ。すべては無意味なのだから。ああ、そうさ。だから、すべて灰へ還ればいいのに!」
少女は首をかしげて、目の前の男の反応を待った。
まるでこの目の前の存在こそがすべてだと言わんばかりの少女に、青年はため息を向けた。
「その目をやめろ。よく知ってるんだよ、その眼。暇つぶしをしたくなるだろ」
男がすべてだと言わんばかりの無知な表情。世界のすべては目の前にあるという緑の瞳。宝石の価値を知らぬ子どもが、ガラスケースを眺めるよう。
そんな瞳を、彼はよく知っていた。
「知れよ。思い知れ。そんな目が、僕の存在が無意味に思えるほど、世界を思い知れ。善と悪を考え、無意味と有意義を悟れ。足りぬ叡智を奪え」
青年は、長い袖に隠れた手を少女に向けた。
少女は、まるでその手が自分を誘うような、そんな気さえした。
知識の果実を差し出すようなその手に、自分の全てを賭けたいと心の底から思う。
ゆっくりと、かがんだ男の手が、彼女の顎をすくった。
間近で見た男の瞳の色の浮かぶ色の正体を、彼女は知る。
それは時折彼女も覚えるそれによく似ていた。
しかし、他人や自分が浮かべるそれの比ではない。
煮えたぎる青く澄んだ炎のようだ。
燃え盛るその美しさに彼女は見とれた。
幻想が目の前に姿を見せていた。
ありもしないようでいて、光る青い瞳は息さえ忘れさせそうになる。

「・・・魔物すら酔うという美声は本当か」

男の静かな声に、少女は首をかしげた。
ただ青と黒を澄ませばなる濃紺のような存在に、自ら身をささげたいと口を開ける。
「あなたが望むのなら、私は歌いましょう」
一度も、自分を虐げる存在には口を開かなかった。
どれだけ乞われても歌など歌う気はなかった。
そもそも自分がこのようになったのは、美しい声のせい。声がよかったから、魔物でさえ惑わすと、噂を呼んだ。そのうわさが、父を殺し母を殺した。自分は奴隷へと身を転じ、歌って旅をするだけの生活はなくなってしまった。
けれど、それだけの厄災を呼んだ声は、化物さえも呼び寄せた。

美しき、青い目の血塗れた化け物を。

「ここでは意味がない。お前の声が魔王を呼び寄せるというのなら、僕は君に用がある」
青年はにこにこと、それでも笑った。
嘲るように。
ひっそりと。
嗤う。
「お前の声で、化け物は呼べるのか」
はい、と少女はうなずいた。
澄んだ怒りの炎をまとう男を、光悦したように見あげる。
「あなたを、よびました」
少女の返答に、く、と青年は喉を鳴らした。
そこでようやく、おかしいと言うように目を細める。しかし同時に憎たらしいと、嫌悪をあらわにした。
愉悦と憎悪が見せる壮絶な顔に、彼女は目を見張った。
彼女の顎をつかむ手に力がこもる。大人の男の手は、少女の柔らかな頬にきつく食い込んだ。

「ぼくはばけものか」

ぱ、と手が離れ、少女は青年の足元に崩れ落ちた。見え上げる男がいびつに口を歪め、そして自分を嘲るのを見た。
「化け物か。そうだな。知識を得た怪物か。ああ、ひととはまさしく化け物だな、そうだ。あはは。まあ、僕、もう人間でもないけど」
けれど、と青年はその眼に浮かべた激情を、そのままあらわにした。
「正しいことなんてない歪んだ知識の宝庫から出た僕が、人間ですらない僕が、じゃあ、どうしたというんだ。世界の真実は本の半分だ。ありもしない知識を得てきた僕が、神に所有された僕が、これ以上何になればいい!」
怨恨と憎悪が彼女を焼き尽くさんばかりに見下ろしていた。
悲しみと苦しみがどこまでも純粋になったような姿に、少女は希望を見た。
正しく化け物の呻り声は、彼女に音楽をもたらすようだった。

「世界よ灰に還れ!すべて消え失せてしまえ!笑うことの苦しみが、なくなればいい!」

彼を苛み続ける業火は、一片の雫も燃やしてしまう。
青年は泣くこともできずに、顔を歪めて世界を厭う。
嫌い、嘆き、消えろと叫ぶ。
どこまでも純粋な、無垢な願いは、しかし聞き届けられない。
「はは・・・まあ、でも、世界はなくならない。灰に還らない。今も美しく醜い。だからあの空の上に、悲しみのない世界があると、かつて僕は語った。けれどその愚かさを、今でも悔いているよ。死にたくなるぐらい」
僕死なないけどさ、と青年は口元から力を抜いた。
「どこへもきえない。かなしみがないなんて、そんなものはうそだ」
彼は息をついて、少女を見下ろした。
問うように、首をかしげては、青い目元を緩める。
「さあ、だから君の声で魔物を呼んでおくれ。この世界を、僕の願いどおり、灰に還して、全てを消すために。僕を呼ぶように、化け物を呼べよ」
狂うた男の戯言を、彼女は受け止めた。
正しく世界は滅ぶべきだと、少女は思った。
絶対強者の男が、彼女のすべてだと悟った。
「はい」
しっかりとうなずく少女を、彼は憎たらしげに眺めた。
くっく、と喉を鳴らして、青い目の狂った化け物は、そうかと嗤う。

「それじゃあ、はじめまして。ニーナ・ラトウィッジと名乗っているものだ。君のことは、ディーヴァと呼ぼうか?」

死なない怪物の男を前に、少女は浮かれながら、はい、とうなずいた。

かなしみのない世界

受けた苦しみもかなしみも、きっとどこへも行かないのでしょう。
復讐ができればいいほうだとも思いますが、しかしよくしたもので、恨みを買うような人生には必ずしっぺ返しがあるようです。
ざまあみろと笑って納得するしかないのかなあ、とそんな風にも思います。

かなしみのない世界

居場所を焼かれた男の話。 死ねない怪物となった男のすることは、これからはじまるようです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
更新日
登録日
2016-01-02

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