竹島

竹島

 私は竹島が好きだった。
 いや、今でも好きだ。

 しかし仮に、何が好きかどこが好きかなどと問われると、答えに窮する。
 理由は自分でもわからない。
 ただ何となく、この島が好きなのだ。

 私が初めて竹島に行ったのは、まだ幼稚園にも上がる前、おそらく三歳の頃だったと思う。
 祖父と祖母と三人で、祖父の車で日帰りの小旅行に行った時だった。その頃、まだ妹は生まれていなかった。
 詳しいことは忘れたが、午前中三ヶ根に行き、午後から竹島に行ったのだった。その日は波が高く、橋を渡るとき少し怖かったことを覚えている。
 「四国の方に台風が来とるみたいね」と祖母が言った。
 「ここでこんなに荒れとるだったら、渥美の方はもっとすごいかもしれんな」と祖父が言った。
 あのときの二人のそんな言葉と、腹の底に響くような波音は今でも覚えている。

 二度目に行ったのは、私の記憶に間違いがなければ幼稚園の年長の頃だったはずだ。
 両親に連れられて西浦の温泉旅館に泊まりに行った時だった。その時には妹も生まれており、私は家では「お兄ちゃん」と呼ばれるようになっていた。
 電車で行ったのだが、どういう経路で行ったのかは忘れた。ただ、帰りに吉良吉田の駅で蒲郡線から三河線に乗り換えたことを覚えている。その当時はまだ碧南-吉良吉田間が廃線になってなかったのである。

 その後も二回ほど行ったのだが、小学校三年から四年に上がる春休みのある日、私の運命を大きく変えたある事件が起こった。それがきっかけで、それ以来毎年この時期になると、必ず竹島に来ている。故郷を遠く離れて久しいが、今年もこうして一人やって来たのだった。

 国道二四七号を走って来てもよかったのだが、結局今回は電車にした。とくに理由はない。ただ何となくである。
 久しぶりに東海道線に乗った。快速ではなく普通に乗った。急ぐこともない。今の私はもう、時間を気にする必要もない。
 車窓から見る風景は、そこかしこに春の気配が感じられる。早咲きの桜が花を開きつつある。
 ふとつぶやいた。
「本当はこんなはずじゃなかった」と、安っぽいが当を得た後悔の言葉を心の中で何度も反芻する。
 。その気になればもっと早く行くこともできるのに、こうしてあえてゆっくり行く気になるのはどうしてだろうか?
 それはたぶん、私なりのちょっとした反抗のようなものなのだろう。もっとも、反抗といっても誰か相手がいるわけでもない。ただ何となく漫然とこの世に対して拗ねているだけなのだ。
 そしてそれはまた同時に、今の自分自身を疎んでいるともいえる。

 通勤帰りだろうか、金山の駅で大勢の人が乗って来た。
 不意に、小三の時に担任だった柴田先生が言っていたことを思い出す。
「昔、この駅は東海道は停まらなかったのよ。名鉄も今より少し離れていて別の駅だった。随分変わったわね、このあたりも」
 その柴田先生とも、もう長いこと会ってない。私の妹が五年生の時の担任だったが、その秋にどこかお金持ちの御曹司と結婚し、三学期が終わると同時に退職した。名古屋のどこかで幸せに暮らしているという噂を聞くが、もう長いこと会ってない…

 やがて刈谷の駅に着くと、電車は暫く停車した。快速の待ち合わせをするという。そっちに乗り換えた方が早いのだが、私はあえてそのままこちらに乗って行くことにする。
 くどいようだが時間はたっぷりあるのだし、あせることもない。
 やがて発車すると、程なくして野田新町に停まる。そういえば、この駅ができたのは何年のことだったか。西岡崎とどちらが先だっただろうか?

 岡崎で再び暫く停車し、快速を待ち合わせる間、何の気なしに車外に出てみると、夕日は西の空に落ち、辺りは夕闇に包まれている。
 竹島に着く頃にはすっかり夜になっていることだろう。だが、私は急がず、ゆっくり行くのである。

 夜の闇の中、山間の路線を電車は走り抜け、やがて蒲郡駅に着いた。
 電車を降り、改札を通り、南側の名鉄の方に出る。
 既にとっぷりと日は暮れ、辺りは夜の闇に包まれている。駅前ということで街の明かりもそれなりにあるにはあるが、やはり都会と比べると少ない。そして、さらに暗い海の方へと向かう。
 相変わらず車の通りが多い国道二三号を渡り、暫く往くとやがて、海にこんもりと浮かぶ小さな島と、そこに通じる橋が見えてくる。
 竹島だ。

 ゆっくりと橋を渡る。
 正面の神社には入らず、右手の遊歩道にも行かず、左手にそれる。
 海岸沿いにしばらく進み、森の中に入る。
 森の中、普段誰も来ることがない一角に小さな岩があり、小さな穴がある。
 人間には通れないが、今の私は難なく通れる。
 穴の中に古い小さな骨。
 私の左腕の骨の一部だ。
 これが、現在この世で確認できる私の唯一の体だ。

 私が柴田先生に殺されたのは小学四年に上がる春休み。先生が手を染めていた麻薬密売の秘密を、偶然知ってしまったからだった。
 私は、誰にも言わないから命だけは助けてほしいと懇願したが、許してもらえなかった。
「君は隠し事ができないから、きっとどこかで漏らすに違いないわ」と先生は言った。
 通知表に「裏表がなく素直」などと書かれ、保護者面談で「うそをつけない正直な性格」などと言われたことを思い出した。
 助からないと覚悟した私は、その代わり三つだけ約束してくれと頼んだ。
 一つ目は、苦しくないように一思いに殺してほしいということ。
 二つ目は、私の死体は竹島に埋めてほしいということ。
 三つ目は、毎年一回だけでいいので、私の遺体に花を供えてほしいということ。
 先生は「約束は守るわ」と請合ってくれた。
 しかし、その約束は一つとして守られることはなく、全てあっさり反故にされてしまった。

 中途半端な量の薬物を投与された私は、三・四日ほど苦しみもがいて死んだ。
 その死体は豊橋の港から無造作に捨てられた。
 そして先生は花を供えるどころか私のことなどあっさり忘れてしまった。

 私はしばらく行方不明として捜索されたものの、死体が見つかることはなく、やがて友達や家族にも忘れられていった。
 だが、私は先生が破った約束のうち、二つ目だけは数年後に部分的だが偶然かなえられた。
 海で朽ち果てた私の体のうち、左腕の骨が一本だけ、竹島の海岸に流れ着いたのだ!
 それを一匹の小動物が穴に持ち込んだのであった。

 それ以来、人知れずひっそりと竹島に眠る腕の骨。
 少し動物の歯形がついた小さな尺骨。
 これからもずっと、この骨はここにあり続けるだろう。

 私は竹島が好きだった。
 いや、今でも好きだ。

竹島

竹島

“私”はただ独り、竹島へと向かう。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-30

CC BY-NC-SA
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