蒼い青春 十六話 「秘密」
登場人物
・長澤博子☞被曝し、白血病に犯された17歳の少女。 清らかで優しい性格で、数々の災難の中でもまっすぐに生きてきた。
・河上剛☞23歳の若手刑事。 また博子の恋人でもある。
・園田康雄☞27歳の若さにして警部補であり、また剛の先輩でもあるやり手。 少々荒いやり口から「横須賀署のハリー・キャラハン」と呼ばれていたが、怪我が元で刑事を引退、探偵業を営んでいる。
前篇
剛は机の上に置かれた手紙を見て、全てを悟った。 茶封筒に書かれた「剛へ」と言う三文字は、紛れもなく園田の字だったからだ。
「拝啓、河上剛刑事へ」 そんな彼らしくない出だしからその手紙は始まっていた。 「手紙なんざ書いたこともないから何を書こうか迷っています。 我ながら恥ずかしい。 まずはじめに警察を辞めたことを許してほしい。 俺は組織の人間ではいられない。 しかし警察に居れば必然的に組織の人間にされてしまう。 俺は小さい男だ。 俺は組織の人間になることが怖かった。 組織の一部になるならと、俺はいっそのことそこから逃げ出してしまったのだ。
俺は弱い人間だ。 お前に顔を見せれば、俺はきっと警察を辞める事が出来なくなってしまう。 だから手紙をよこした。 しかし勘違いはしないでくれ。 俺は決して、闘いから身を引いたのではない。 あくまでも、どんな形であっても闘い続けるつもりだ。
例え足が無くなろうと、拳銃を撃てなくなろうと、必ずあいつをあげるまで、俺は闘い続ける。 お前さんも博子さんをどうか幸せにしてやれ。
親愛なるお前の先輩 園田康雄」
剛の頬を伝った大粒の涙が、テーブルの上に落ちる。 まるで小学生が書いたような感情むき出しの手紙だが、それが園田らしかった。
蛯原が死に、園田も今や死んだも同然だ。 全ては剛に任された。 憎き怪人を捕まえ、博子を安心させてやらねばならない。 園田からの手紙を丁寧に折って胸のポケットにしまい込んだ剛は、彼との約束を果たすため腰をあげた。
「河上刑事、だね?」 廊下に出た剛に後ろから声を掛けたのは、木村茂則だった。 剛の顔が一気に怪訝になる。 「もう園田先輩はいませんよ。 何の用です?」 「いや、実はねぇ、園田君の居所が分かったんだ。 あのアパートはもう売っぱらっちまって、今は千代田区の平河町ってとこで探偵やってるらしいんだ。 これが住所なんだがね。」 そう言って木村はポケットから綺麗に畳まれた一枚のメモ用紙を取り出し、剛に渡した。 開いて見ると、そこには木村の丁寧な字で園田の住所が細かく書いてあった。 「君は園田君の一番弟子だ。 きっと彼も君に会いたがっている。 やはり彼は横須賀署の人間だったんだ。 それを無理やり引き込もうとした私がバカだったよ。」 そう言うと木村は、剛の肩をぽんと軽く叩いて、廊下の向こうへと消えて行った。
後篇
「剛さん、どうしたのいきなり誘ったりして?」 朝早くデートに誘われた博子が、乗った電車の中で剛に尋ねた。 まだ時間も早かったからか、車内はがらんとしている。 「君を驚かしてやろうかと思ってさ。」 そう言って意味ありげに笑って見せる剛。 「ふーん。」 静かな車内にガタンゴトンと言う音だけが響く。 二人は何も話さず、じっと窓の外を見つめていた。
「園田探偵事務所?」 電車から降りて少し歩いたところに、目的の事務所はあった。 ボロボロの木製のドアに掛けられた看板の上に、赤い文字で「隣の『紋』に居ます。 園田」 事務所の隣には「紋」と言うコーヒーショップがあって、どうやらそこに居るらしい。
「おお、よく来たな!」 紋のドアを開けて入って来た二人を見て、園田康雄は声をあげた。 椅子から立ち上がると、不自由な足で近づいて剛と握手を交わす。 「やあ、博子ちゃん。 よく来たね。」 そう言って今度は博子とハグをする。 「まあ、座れ。 拳さん、コーヒー2つ。」 園田は二人をテーブル席に座らせてコーヒーを注文すると、自分も席に着いた。 「また一体どうして、ここがわかったんだ?」 すっとんきょな顔をして尋ねる園田に、剛が答える。
「木村人事官が、教えてくれたんです。 先輩も会いたがってるだろうって。 先輩のことを警視庁に引き込もうとした自分が馬鹿だったって。」 剛の言葉に、沈黙が走る。 「木村さんが言ったのか?」 「ええ。」 「そうか・・・。」 園田は深々と考え込むようにまた黙り込む。 「うっ。」 園田が小さく声をあげる。 「どうしたんですか?」 博子が園田に気付いて声を掛ける。 「いいや、大丈夫。 ろくに歯磨きしてなかったから、歯肉炎になったらしいや。」 そう言って笑って見せる園田の歯茎から血が流れているのを、剛は見逃さなかった。 こんな症状が出て居たのは園田だけではなかった。 博子もまたそうだったのだ。 この前に会ったっ時に、歯茎から血が出るのと悩んでいたのだ。 博子は剛の知る限りではきちんと歯磨きをしているようだし、果たして本当に彼の言う通り歯肉炎などなのだろうか?
「ねえ、剛さん、どうかしたの?」 博子に声を掛けられ、剛はハッと我に返った。 「いいや、なんでもないよ。 それより先輩、何でこんな所で探偵やってるんですか?」 「お前、『探偵物語』知らねえのか?」 「知ってますよ、服部刑事でしょ?」 「ああ、『探偵物語』と言えばここ、千代田区平河町だろ?」 「へえ、そうなんだ。」と博子。 「博子ちゃんも探偵物語知ってるんだ。」 「びっくりしました?」 「ああ、驚いた。 なんだかコーヒー飲んだら、熱くなってきちゃったなあ。」 そう言ってジャケットを脱いで腕をまくった園田を見て、二人はハッとした。 彼の腕に青紫色のあざがあったのだ。 いつか素子が五郎に話していた、そして博子にもあった「白血病のあざ」なのだ。 そんな二人に気付いて、園田は何気なく腕を隠す。 不安になったのは剛だけではなかった。 博子自身にも、園田と同じ症状が現われていたからだ。 しかし二人が同じ病気になるような接点は見つからない。 ずいぶん前に五郎が言っていた「血液性の病気」なのか? 剛も同じことを考えていた。 歯茎から血が出る、青あざが出るなどと言った症状が、白血病の症状によく似ていると考えたのだ。 しかし、仮にそうだとして、二人が白血病にかかる接点とは何か? 沈黙の店内で、鳥の鳴き声だけがいつまでも響いていた。 つづく
蒼い青春 十六話 「秘密」