僕の変わった癖

 嫌いな食べものや、点数が悪かった答案など、自分の気に入らないものはなんでもトイレに流してしまう男の子の話しです。少年っぽさを楽しんでいただけたら幸いです。そんなに長くないので、最後までお付き合いください。

 1

去年の夏は、ぼくにとっては、すぅぅぅごく、いやぁぁぁな、夏だった。最後のボスまでやっとこさ来たところで、セーブデータが消えた時のショックって言えば分かりやすいかな? あの夏、ぼくは、それに似た、だけど、何十倍も深く心がえぐれるような悲しみを体験したんだ。
 何度か泣いちゃったくらいだよ。でもさ、仕方がないだろ? 一生懸命頑張ってやってきたことが水の泡になっちゃった時ってさ、誰でも悲しいと思うし、その努力が自分のためじゃなくて、人のための努力だったら、なおさらだろ? ぼくが少しくらい泣いたことは許してほしいな。
 この話は、少年漫画みたいに、全部全てがまるっとうまくいく話じゃないけど、最後まで聞いてほしい。とにかくぼくは、どうしようもなく話したいんだ。誰かに話してこの切ない気持ちを捨ててしまいたんだよ。だからお願いだよ。
 だれそれに告白されたけど断ったとか、好きな子とジブリとかディズニーの映画を観に行くことになったとか、夏休みの宿題がもう終わったとか、そんな自慢話よりはずっとマシだと思うからさ。


 2

 去年の夏休みの初めに、どんぶり一杯の汗をかくぐらい嫌な夢をみたんだ。それはね、ぼくの家のトイレから(とはいっても、今住んでる所ではなくて、前に住んでた世田谷区の2DKのアパートのことだよ。ちなみに今は、新潟の母さんの実家に住んでるんだ。とてもいいとこだよ。新潟は、片田舎だから、そんなに不便でもないし、東京みたいに朝も夜もうるさくない。駅にゲロを吐きながら倒れてる人なんていないしね)、物音がするんだよ。それは、凄い音だよ。洗濯機が脱水してるみたいな音を立ててさ、ガタガタいってるんだ。おそるおそるトイレをのぞいてみるとさ、トイレから緑色の液体がブクブクって湧き出てきて、まわりに漏れてるんだよ。そのスライムみたいなとろみのある液体が噴き出る力に押されて、便器の蓋がある周期でパカッと口を開けるんだ。そのたびに、強烈な悪臭が、ヘドロを濃縮還元したみたいな臭いが、するんだ。それから、便器にヒビが入って、便器の揺れがどんどん激しくなっていく。そのヒビも木の根っこの成長の早回し映像みたいにどんどん増えていく。そして、トイレが崩れそうになった時に、蓋がバンっとはじけ飛んで、中から、緑の液体にまみれたグチョグチョの手が飛び出してくるんだ。
 初めてその夢を見た時は、そこで目が覚めた。
 どうしてこんな夢を見たのか、すぐに分かったよ。ぼくには、へんな癖があってさ。自分の気に入らないものは、例えば、二十八点の数学の答案用紙とか、甘く煮た人参とか、ぼくの気にいったキャラクターが失恋する恋愛漫画とかさ、そういったものを、何でもかんでもぜーんぶトイレに流しちゃうんだ。だから、あんな夢の見たんだろうね。だって、その飛び出してきたドロドロの手にはさ、ぼくが初めてトイレに捨てた金魚が握られてたんだから。握られた拳の人差し指と中指の隙間から尻尾が出てたんだ。
 ぼくの、お父さんとお母さんはさ、ぼくのこの癖をほんとに嫌がっていたよ。たしかにそのせいで何度も《クラシアン》のおじさんを呼ぶことになってお金がかかったのは事実だけどね。親ってのは、ほんとに嫌だよ。子供のことを、心底子供扱いするんだからさ。ぼくは、子供といったってもう中学二年生だ。十四歳だよ。アメリカ式にいったら、ティーンエイジャーだ。ぼくはこんなことも知ってる。そんなぼくが、何の意味もなく、自分の気に入らないものをトイレに捨てる癖を治せないでいると思ってるんだよね。小学生のときの癖を治せないでいる中学生なんているもんか! まあでも、今でも時々鼻をほじっちゃうことはあるんだけどね。


 3

「今度トイレがつまったら、あんたをトイレにつめこんでやるからね!」
 ぼくのお母さんは、ぼくがトイレをつまらせると必ずこう言うんだ。今まで何度このセリフを聞いたか分からないよ。ほんとに、汚い言葉だとは思わない? 世の中の女性は、絶対に、こんなことを言わないよ。ほんとに嫌になっちゃうよ。
 それに、お母さんは、ほんとにぼくのこの癖にすごく敏感なんだ。普通に用をたした時や、お父さんがトイレを使った時なんかはなにも言わないんだけど、ぼくが残ったカップ麺のスープとか、使わなくなったTポイントカードとか、食べ飽きたお母さんの得意料理のソーセージと玉ねぎの塩コショウ炒めとか、そういったトイレに本来流すべきじゃないものを流した時は、その瞬間に、怒鳴り声を上げるんだ。まるで、トイレの流れる音で聞き分けているみたいなんだよ。ほんと、驚いちゃうよ。
 でも、誰でも、これに似た経験はあるんじゃないかな? 母親ってのは、とにかく子供の悪事に敏感なものだろ?
 まるでナマズみたいに敏感なくせに、ほんとに大事なことには、盲目なんだよね。トイレになんでも流しちゃうぼくを、馬鹿だとか、おかしいとか、できそないとか、言ってさ。ぼくのほんとうの気持ちなんて、ちっともわかっちゃいないんだからさ。


 4

 お母さんやお父さんは、口癖みたいに、「お前はおかしい」とぼくに言うんだ。
 親が自分の子供にそんな事を言うかな、普通。でも、ぼくは、全然、あたまにきたりなんかしていないんだよ。なんでかっていうと、ある部分では、ぼくのあたまがおかしいのは、あたっているからさ。ぼくは、朝起きて鏡を見るといつも思うよ。ぼくは、どうかしているんだろうなって。肌は青白くて、アバラが浮き出るくらいガリガリで、目の下には冗談みたに黒い隈があるんだ。学校の連中は、残酷でさ、ぼくのその病的な容姿を、イジッてくるんだ。だから、そのストレスに耐えきれなくて、時々ぼくは、気が狂ったみたいにふるまっちゃうんだよね。例えば、教室のゴミ箱をぶちまけたり、消火器を窓から投げたりね。他にもたくさんあるんだけどあんまり言いたくないな。昔の自分の行動ってのは、思い出すだけで耐えられないくらい恥ずかしいものだろ? 
ぼくは、確かにおかしんだよ。それは、たしかなんだ。ある部分においてはね。
 時々、どうしてぼくはおかしくなったのかって考えるんだ。最近その答えが、わかってきたんだ。きっとね。問題は睡眠にあるんだよ。だって、最近は、たっぷりと眠ることができているから、気分はいいし、友達もたくさんできたんだから。今ぼくが暮らしてるお母さんの実家は、夜になると虫の鳴き声が聞こえるんだ。クーラーなんていらないくらい涼しい風が窓から入ってきてさ。その風に風鈴が揺れる音がして。とにかくぐっすりと眠れるんだ。夢なんて必要ないくらいにね。
 昔は、今と違って、どうしようもないくらい寝不足だったんだ。だから、いつも気分が悪かったし、おかしな行動をしてしまったのかもしれないって思うんだ。とにかく、眠れなかったんだよ。とくに、隣の部屋から、お父さんとお母さんの喧嘩の声が聞こえてくるときなんかさ。


 5
 ぼくの両親は、仲がとにかく悪いんだ。ぼくが中学に入った時くらいかな。急に喧嘩が増えたんだよ。毎晩、毎晩、飽きずに喧嘩をしていたよ。寝ているぼくの部屋まで聞こえる声でさ。
「あんたと結婚したことが、人生最大の汚点よ」
 だいたい喧嘩の始まりは、母さんのこのセリフだった。
「ああ、そうかい。俺にとったら、お前との結婚は、立派な結婚詐欺だぜ!」
 そして、だいたい、お父さんはこう言うんだ。
 それから、長い時間二人は、口論するんだ。酷いときなんか、外が明るくなってもまだ悪口を言い合ってた時もあるんだから。
 それよりも、ぼくが一番嫌だったのは、夕食の時だよ。二人は、会話をすることもなく、黙々とご飯を食ベるだけなんだ。ぼくは、なんか、学校であったこととか、面白いテレビ番組の話しとかするんだけど、どっちもてんで聞いていないんだ。ぼくが話すと、数秒遅れて、お母さんが「ああ、そうなの」っていうだけ。会話はそれだけ。これが何よりも辛かった。
 二人の関係はさ。まるで、爆発寸前の火薬みたいなもんだったよ。絶対に火が引火しないように、誰かが見守ってなくちゃいけなかったんだ。もちろんこの場合、その誰かは、ぼくなんだろうね。

 6

 ぼくは、ある日、お母さんに呼び出されたんだ。二人だけで、外食に行くことになった。外食って言ったら、ぼくとしてはすごく楽しいことの一つなんだけども、その日だけは、その真逆でほんとに居心地が悪くて、何にも喉を通りそうにない感じだった。これだったら、家で、もう死ぬほど食べ飽きてる、ソーセージと玉ねぎの塩コショウ炒めを食べてる方が、ずっとマシだと思ったくらいだよ。
 メニュー表をぼくが見ていると、母さんが「どうして、あんなことをしたの? いくら無邪気な子供のふりをしたって、許されることじゃないわ。どうして、お父さんのワイシャツをトイレに流そうとしたりしたの? 怒らないから、正直に教えてちょうだい」そう言った。
 ぼくのお母さんは、ほんとに嘘つきなんだ。このときも、怒らないからって言って、もうすでに顔は怒ってるんだもんね。
 ぼくは、その母さんの質問を、「このハンバーグおいしそうだね」とか「サラダセットにしてもいいかな?」とか「料理名がいちいち長いね」とか言ってごまかそうとしたんだけど、もちろん無理。ほんとにあの時は、大ピンチだったよ。
「お母さん。ごめんよ。わざとじゃないんだ」
 お母さんの圧迫感から、結局僕は、こんな理由にならないことを言ったんだ。
「あなたは、ほんとに、おかしいわね。どうしていいのか、人生経験の薄い私にはわからないわ」
 お母さんは、ほんとに怒ってる時は、ぼくのことを『あなた』と言うんだ。気分が悪いよ。
「ごめんよ。ぼくは、おかしいんだ。なんとなく、お父さんのワイシャツをみてたら、捨ててしまいたくなったんだよ。よれよれだったし、なんか臭かったからさ。ワイシャツくらいまた買えばいいじゃない。そんなに高いものじゃないし」
「私は、そう言うことをいってるんじゃないのよ」お母さんは、そう言って、ぼくからメニュー表を取り上げた。「確かに、ワイシャツはまた買えばすむ話だわ。だけどね。あなたのそのいき過ぎた言動に問題があるのよ。いつまでも、そうやって、あなたより小さい子供みたいなになんでもかんでもトイレに流してしまうことは、とても深刻なことなの。分かる?」
 ぼくは、この時は、頷いただけだった。だけど、ほんとは、わめき散らしたかった。ほんとのことを、ぼくがワイシャツをトイレに流したほんとうの理由を、全部ぶちまけて、楽になりたいと、そう思った。でも、ぼくは、頷くことしかしなかった。やっぱり、ぼくは、ある部分ではおかしいんだろうね。
「お母さんはね。あなたが、心配なの。あなたのためを思っているのよ」
 子供のため、かい?
 そんな、誰もが納得する常套句を、都合のいい使い方してほしくないよね。子供だって、親のために、そう思っているよ。気づいてないよな。お母さんは。
 お母さんの説教は、一時間もニ時間も続いた。その後に、ぼくはチキンライス、お母さんはぺペロンチーノと生ハムのサラダを注文したもんだから、お店を出たのは、随分遅くなってからだった。この時は、うんと疲れたよ。チキンライスも味がしなくて、パサパサで喉を通らないしさ。消しカスを食べてるみたいだった。
 それに、いやぁぁぁなことっていうのはさ、たいがい一回じゃ終わらない。一度に、いくつもやってくるもんだよね。
 家に帰ると、お父さんが、神妙な顔つきでさ、まるで、今を逃したら、十年は真面目な顔なんてできないぞって感じで、ぼくを待っていたんだ。
 それから、さっきお母さんに聞かれたこととまったく同じことを聞かれてさ。げんなりだよ。
「なあ。お前は、いったいどうしたって、言うんだよ。昔は、そんなに悪い子じゃなかったはずだぞ」お父さんは、言った。
 リビングには、ぼくとお父さんだけだった。お母さんは、まるで自分だけが疲れてるみたいな顔して、さっさと寝ちゃったんだ。
「反抗期かもね。ほら、ぼくって今14歳だし、ちょうどそんな年頃だろ?」
「お父さんが子供の頃はな、そんな生意気な口を父親にきいたら鼻血が出るまで殴られたもんだぞ」
 なら、お父さんもそうしたらいい。ぼくを殴ったらいいよ。でも、できやしない。わかってるんだ。お父さんに、そんなことはできやしないんだ。
「お父さんは、できれば、お前を叱りたくない。わかるな? どうか、いい子でいてくれないか?」
「いい子かい? そういう父さんはどうなんだい? 母さんの香水は、柑橘系だよ。あんなに甘い匂いはしない」
 ぼくは、なるべく冷たく聞こえる言い方でそう言った。お父さんには、こたえたかもね。きっと、お父さんは、この時に、初めて、ぼくが、トイレに物を流していた理由も、お父さんのワイシャツを流そうとした理由も、理解したはずだからね。
 ずっと、お父さんとお母さんは、ぼくのこの行動を反抗期に良くある、親を親と思わない態度だとか、暴言だとか、暴力行為だとかの一環と思っていたのかもしれない。でも、違う。違うんだよ。
 ほんとうは、この日、全部ぶちまけてしまいたい衝動にかられたんだけど、ぼくは、必死にそれを胃におさめて、布団にもぐった。ほんとに言いたかったよ。あの香水の匂いがプンプンとするワイシャツをトイレにぶちこんだ理由をさ。


 7

 その夜、ぼくは、例の悪夢を見た。
 でも、今度は、トイレからヘドロにまみれた怪物が、手が出てきたところで終わらなかった。緑の怪物は、ズルズルとゆっくり上半身を出すと、トイレの床に爪を立てて、体を引きずるように、便器から出てきた。酷い悪臭だった。それは、週末の駅にぶちまけられたゲロを連想させた。油や胃液が混じったような臭い。少しアルコールの匂いもする。ぼくは、恐怖のあまり動けずに怪物が便器から出てくるのをジッと見ていた。怪物が起き上がろうとした時に、ぼくは、勇気を奮いたたせて、トイレを出ると、ドアを閉めた。それから、自分の部屋に戻ると、布団を頭までかぶった。グチャリ、グチャリ、怪物の足音が聞こえた。テーブルが倒れる音や、食器が割れる音、古いエアコンのような唸り声も聞こえた。ぼくは、なぜだか、布団からでて、自分の部屋のドアを少しだけ開けて、リビングを覗いた。すると、まるで体が崩れるのを恐れているかのようにゆっくりと動く怪物が見えた。よく見ると、怪物の体には、今までぼくがトイレに流してきたものが見え隠れしていた。頬のあたりに食べかけのフレンチトースト、喉には、二十八点だった数学の答案用紙、肩には、お父さんの財布から抜き取った大量の名刺。胸のあたりには香水のたっぷりついたワイシャツ、股関節のあたりに、プラチナの指輪、それから、全身に、大量のお母さん特製ソーセージと玉ねぎの塩コショウ炒めが混じっていた。
 その怪物は、ゆっくりとした足取りで、両親の寝室に向かっていった。ぼくはドキッとした。てっきりぼくを狙っているのかとばかり思っていた。そっちは駄目だ! 怪物は、ゆっくりと両親の寝室に手をかけた。それだけは駄目だ! ぼくは、勢いよく部屋を飛び出した。そこで目が覚めた。
 漫画か映画みたいに、布団をはいで跳ね起きた。まるで寝小便でもしたみたいに布団が汗で濡れていた。そのとき、ぼくは、なんとなく、その怪物の正体がわかった気がしたんだ。


 8

 ぼくがまだ、ランドセルを担いでいた頃は、ぼくの両親は仲が良かった。月に一度は、三人で外食に出かけていた。夏休みとか、冬休みには、都内だったけど、ホテルに泊まったりしてさ。まるで遠方から来た人みたいに東京観光したりしてたんだ。そしてなにより、一緒にご飯を食べているときなんかさ、三人で下らない話をしていたんだ。今年は、どこの野球チームが優勝するとか、月九ドラマの今後の展開だとか、今年の大河ドラマがどうだとかさ。まあ、それがなんだって思うかもしれないけど。ぼくにとったら、それが一番大切なことだったんだよ。
 とにかく、ぼくらは、幸せ家族だったんだ。こんなこというのは恥ずかしいけど、でもきっとそうだったんだ。確かに、あの頃のぼくたちは、みんな良く笑ってたからね。
 でも、喧嘩をちっともしないってわけでもなかったんだよ。ぼくが小学二年生のときに、初めてお父さんとお母さんが喧嘩しているところを見たんだ。それから数年後には、ぼくは嫌というほど、二人の喧嘩を見ることになるんだけどね。
 あれは、七月の終わりごろで、ちょうど梅雨が終わって、アスファルトが溶けるくらい暑い日だった。上北沢駅の周辺で小さなお祭りをやってたんだ。ぼくが、お父さんにおねだりして、そのお祭りに連れて行ってもらった。ぼくは、とくにお祭りが好きってわけじゃなかったんだけど、そのときはどうしても行きたい気分だったんだ。
 そこで、ぼくはお父さんにお願いしてさ。りんご飴とか、お好み焼きとか、たこ焼きとか、買ってもらってさ。あと、ケバブみたいなのも買った気がするな。たくさん食べたあとに、最後に、金魚すくいをして帰ったんだ。ぼくは金魚を、二回やって、やっと一匹つかえたんだ。
 お母さんに自慢しようと思ってたんだけど、予想外に、お母さんは、お父さんがぼくに金魚すくいをさせたことを怒ったんだ。
 お母さんの言い分はこうだった。そのとき二人は共働きで(お父さんは保険会社で働いていたし、お母さんはデパートのエレベーターガールとして働いていた)、面倒をみれる人がいないし、なによりうちには水槽がない、そんな環境では、この金魚をすぐに殺してしまう。
 お父さんは、それに対して、今日の所はコップかなんかに入れておいて、水槽は後日買いに行けばいい、面倒をみると言っても、一日に数回餌をあげるだけだからできないことはないと言った。
 二人の喧嘩は、どんどん話がそれていって、お母さんは、昔の話を持ち出して、文句を言いだして、お父さんは、言い方が気に食わないとか言いだして、収集がつかなくなっていったんだ。
 なんだか、そのとき、ぼくは、とっても不安な気持ちなったんだ。二人が喧嘩しているのをはじめて見たっていうのもあると思うけど、なんだか、このまま家族が崩壊していくんじゃないかってそんな気がしたんだ。だから、ぼくは、慌ててトイレに駆け込んで、金魚を流したんだ。
 そのおかげで、二人の喧嘩はおさまった。まあ、もちろん、そのあとぼくが泣いても許されないくらい怒られたんだけどね。
 あの時のことをさ、懐かしく思うよ。ずっとずっと昔のことのようにさ。


 9

 ぼくは、お父さんのことも、お母さんのことも、とっても良く知っている。お父さんの財布の中身も、引き出しの中身も、持ってる服の種類もだ。もちろん、お母さんのことも同様に、知っている。だから、変化があったらすぐにでも気がつく。これがぼくの仕事だ。
 学校から帰ってきてからお母さんが帰って来るまでの一時間、ぼくは、毎日、家の隅々をチェックしてまわる。お父さんのタンスの中にお父さんの趣味とは違う服はないか。ベッドにお母さんのものとは違う髪の毛はないか。お母さんのジュエリーボックスに新しい指輪やネックレスがないか。お父さんのスーツの内ポケットに名刺が入っていないか。とにかく、隈なく探す。
 そして、見つけたものをちょっとずつ、ちょっとずつ、テストの答案とか、嫌いな食べ物に紛れ込ませて、トイレに流すんだ。そうすることで、ぼくは、自分の家族を守ってきた。ずっとね。だけどね。家族ってさ、子供がどうこうできるものではなかったんだよね。


 10

 それは、突然だった。
 お父さんが急に、家に帰って来なくなったんだ。三日過ぎても、四日過ぎても、お父さんは帰って来ないし、ちょっとも帰ってきた形跡すらないんだ。
 お母さんは、そんなことなんにも気にしてないみたいに振る舞うしね。ぼくは、怖くなって、お母さんに、お父さんはどこへ行ったのかと聞いたんだ。
「お父さん? さあ、わたしも知らないわ。麦茶なくなったら、つくっておいてね」とお母さんは、それだけなんだ。なんだか、不安になるよね。
 お父さんが帰って来なくなってから、一週間が過ぎた日だった。ぼくが、学校から帰ると、家に、知らない男の人がいたんだ。二十代くらいの若い男性で、短髪の黒髪で、まさに好青年って感じの人だった。ぼくにも愛想良くしてくれてさ。なんか暑中見舞いとかでもらうようなお菓子をくれたんだ。中身は、すごく高そうなゼリーだった。
 その男の人が、お母さんと何やら楽しそうに話してるんだよ。お母さんは、その人を、友人だと紹介してくれた。なんか、子供みたいに目をキラキラさせてさ。
 ぼくは、そのときに、気づかされたんだよ。ぼくのやってきたことは、まったくの無駄で、腐った肉に消毒液をかけていたのも同じだってこと。臭いでその肉が腐っていることがばれることはないかもしれない。でも、その肉が腐っているという事実は、変わらない。そういうことだよ。
 なんか、ひどく落ち込んじゃってさ、どうでもよくなっちゃんたんだよね。
 ぼくは、その男の人から、高そうなゼリーをもらってすぐに、それをトイレに流したんだ。お母さんは、髪の毛が逆立つくらい怒ったよ。でもそんなこと知らないよね。ぼくは、そういうやつなんだよ。嫌なものは全部、トイレに流すんだよ。
 それを最後に、ぼくは、トイレに物を流すのを辞めたんだ。もちろんそしたらどうなるかは分かっている上でね。


 11

 ぼくは、その晩に、また例の夢を見た。
 トイレから出てきた怪物は、ゆっくりと両親の寝室のドアノブに手をかけて、ゆっくりと捻った。ぼくは、慌てて部屋を飛びだした。その怪物を止めなければ! そう思ったのだけど、体が動かなかった。ひどい臭いはするし、汚いし、とてもじゃないけど、近づけなかった。あと一歩でも近づいたら吐いちゃいそうだったんだよ。ぼくは、寝室のドアが開いて、その怪物がゆっくりと入って行くのを後ろから見ているのが精一杯だった。
 その怪物が、両親の寝室に入って行ったあとに、ぼくは、鼻をつまんで、息を止めて、あとを追って寝室に入った。
 すると突然、吐いちゃいそうなくらい強烈なにおいが、消えた。今度は、あまい柑橘系の匂いがした。あの怪物は確かに寝室に入って行ったはずなのに、そこに姿はなかった。
 でも、ぼくは、ヘドロまみれの怪物なんかよりいやぁぁぁな、気持ちのわるぅぅぅいものをみた。
 そこにはダブルのベッドが二つ並んでいて、それぞれのベッドにお父さんとお母さんが横になっていたんだけど、お父さんの横には、ぼくの知らない女の人がいて、お母さんの横には、ぼくにゼリーをくれた男の人がいた。しかも四人とも裸だったんだ。
 思わずぼくは、そこでゲロを吐いちゃったんだ。口から、緑色のヘドロがドロドロって大量に出てきて、それから、めまいがして、そのヘドロなかに倒れ込んじゃった。でも、お父さんもお母さんもぼくなんか見えてないみたいで、お互いぼくの知らない人と楽しげに話してるんだ。なんだかもう、ぼくはこのまま死ぬのかなって、思ったんだ。そこで目が覚めた。
 この日以来、ぼくはこの夢を見なくなったんだけど、いまでも、はっきりと憶えているよ。あの強烈なにおいとか、お父さんとお母さんの楽しげな声とかさ。ぼくにとって、人生最大の悪夢だね。これだけはきっと、これから先の人生でも、覆らないと思うよ。


 12

 ぼくが、トイレに物を流すのを辞めてから、二日後にお父さんは、家に帰ってきた。お父さんは、まるで毎日ちゃんと帰って来てましたみたい顔して、何事もなかったかのように、今までの生活に戻ってきた。お母さんは、お父さんになにも聞かなかったけど、お母さんが、どうしようもないくらい怒っているのは、ぼくにはわかった。いや、さすがに、お父さんも、気づいていたんじゃないかな。お母さんの態度といったら、酷いもんだったからね。お父さんのことは完全に無視だし、時々ぼくのことさえ無視するくらいだよ。それに、貧乏ゆすりが止まらないんだ。座ってる時はずっと、してたよ。時間にしたら、一日六時間くらいはしてたんじゃないな。
 でも、そんな生活も長くは続かなくて、お父さんの浮気がお母さんにバレて、ぼくとお母さんが、お母さんの実家に引っ越すことになったんだ。その浮気がばれるきっかけになったのは、香水のついたワイシャツだった。お母さんは、その事をお父さんに問いただすと、お父さんも、あっさり認めちゃったんだよね。きっと、お父さんも、お母さんと離婚したいと思っていたんだろうね。
 ほんとさ、ぼくって馬鹿みたいだなって、思うよ。ぼくが一生懸命になって守ろうとしていたことってのはさ、とっくの昔になくなっていたんだよね。そんなことにも気がつかないでさ。離婚しなければ家族だって思っていたんだよ。違うよね。離婚するずっと前からぼくたちは家族じゃなかったんだよ。お父さんもお母さんも、ずっと離婚するきっかけを探していた。ようは、ぼくは、余計なおせっかいをしていたんだね。水の泡だよ。何もかもね。一度壊れたらもう戻らない。家族ってのはそういうもんなんだろうね。


 13

 今ぼくは、お母さんの実家の新潟県の燕市で暮らしてるんだけど、以前より、ぼくの生活はずっと快調だよ。べつに、お父さんのこともお母さんのこともうらんじゃいない。ほんとうだよ。お母さんは相変わらず、休日にはぼくの知らない男の人と遊びにいってるみたいだけどね。まあ、いいよ。お母さんの自由さ。
 でもね、お母さんは、ぼくに少しは申し訳ない気持ちがあるみたいでさ。新潟に引っ越してきたばかりのときに、お母さんが、ぼくが寝ている所にやってきてさ。
「寝てるかい?」って聞くんだ。
 ぼくは、本当は起きてたんだけど、寝てるふりをしたんだ。あんまりお母さんと喋りたい気分じゃなかったんだよね。
「ごめんね」お母さんが、ぼくの頭をなでながら、鼻をすする音混じりに言った。「あんたに、辛い思いをさせたね。わたしが、まちがっていたのかしらね。ほんとに、ごめんね。人生経験の薄いわたしには、どうしていいものか分からないわ」
 お母さんは、きっと、ぼくに謝りたかったんだろうね。でもね、いいんだよ。お母さん。そんなことは気にしないでさ。嫌な思いは、全部、水に流そう。

僕の変わった癖

 自分が書きたかった雰囲気は書けたかなと思っています。ちなみに、この作品は最後の落ちを思いついて、書きだしたもので、ちょっと話しの展開を急ぎすぎたかなと反省しています。あと、母親と父親のキャラを全然掘り下げていないのも反省点ですね。雑な作品ですが、読んでいただきありがとうございます。

僕の変わった癖

嫌いな食べもの、点数の低かった答案、自分の気に入らないものは、なんでもトイレに流してしまう「ぼく」。母親は、そのことを頭ごなしに叱りますが、「ぼく」がトイレにものを流すのは、ただの悪癖ではなく、理由ありました。そんな話です。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-26

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