花廓(はなくるわ)

どこかの国のどこかの町、仄雪という遊廓街にある、花廓(はなくるわ)という奇妙な店___そこには花のみ食らう女郎が侍る。女だけの世界、女だけで廻るこの店の、女と女のちいさな噺をぽつぽつと。

依花と葵

お味は如何でございますか、と、聞いてしまってから馬鹿なことをしたと思った。あまりにも無責任、無慈悲な問いだ、愚かだった。激しく後悔し、あわてて弁解をはかろうと息を吸ったそのとき、問われた当の本人はくすり、と笑った。くるくると鈴が鳴るように澄んだ声がはねる。

「何をそんなに慌てているの、馬鹿ねえ」
「まことに失礼いたしました……も、申し訳なく……」
「ああ、やめて頂戴よ、別にどうとも思っていないのよ、本当に」

ふふ、と微笑んで、皿の上の竜胆(りんどう)を手に取る。やさしく、いたわるように、その細くしなやかな指が茎をすべるのを、見つめずにはいられなかった。その一連の動作の、なんとなめらかなことか……。刹那、もし自分があの花であったなら、という気を起こす……あの指で優しく撫でられたら、そうして花弁を千切られ、ゆるやかにその赤々と燃える口へ運ばれ、ふくらかな唇で食まれ、白い歯の上で、ゆっくり、ゆっくりとすり潰されてしまえたら……。
いや、なにを考えているのか、すぐに頭を冷静に、現へ引き戻す。私の愚かな問いでこの御方を困惑させてしまった罪は重い、早く謝罪と弁解を述べねばならないのだ。しかし、いや、本当に無意識にこぼれた問いかけだったのだ、当然のように毎日運ぶ皿の上の花々、下界に生きていたならば決して目にはせぬ光景、もうそろそろ見慣れてきたと思っていたのに、普段ならば剣山の上で黙って死にゆく花が、傀儡女(くぐつめ)たちの口の中へと消えていくのだから、そう、あまりに自然に行われる『花を食う』という事実に、思わずはたらいた問いだったのだ。

「申し訳ございませんでした……!処罰はなんなりと……」

無様に額を畳に擦る私はさぞ醜かろう、こんな美しい人の前で何ということをしているのだろう、しかし、こうするほか謝罪の方法を思いつかなかったのだ。

依花(いはな)や、私はおやめと言ったのよ。聞こえなかったの?」
「し、しかし……」
「仕様の無いことよ、だって私の食べているものは(これ)なんですもの……味ねぇ。悪くはないわ」

でも、と呟いて、ひとつ花弁を口に含み、咀嚼……咀嚼をする……こくり、細い喉が動く。

「今日の竜胆は、なんだか淋しい味がする。深く何処かへ隠れた愛を孕んだ淋しい味」
「淋しい、愛の味ですか」

思わず問うと、いいえ、と彼女は首を横に振った。

「愛の、淋しい味よ、依花」

やさしく持ち上がった口の端、見惚れてしまうその姿。
儚い、あまりに儚い、触れたら壊れてしまいそうな危うさ、深く藍を湛えた涼しい目元、長く艶めく黒い髪、ちらとのぞく白い(うなじ)、すり抜けてしまいそうに澄んだ肌、打掛を羽織っていて尚、隠しきれぬ滑らかな女の身体、すらりと伸びる腕___指___。
どうしようもなく突き上げる激情、心臓をぐわりと掴み離れぬ痛み、息が乱れる、いけない、判っている、しかし、止められぬ、この、この胸の高鳴り、感情の大きな波よ。こんな浅はかな支配欲の中で貴女様を愛でる自分がいる___愚かだ___どうしてこんな人に恋慕の情など抱いてしまったのか___。あられもなく、好いている、愛しているだ___(くるわ)に囚われた哀しい傀儡女の貴女を___!

花廓(はなくるわ)……ひっそりと立ち並ぶ店の多いこの仄雪の遊廓街でも、もっとも珍しい女郎を取りそろえた店はおそらくこの花廓だろう。ここで傀儡女として侍る女たちの食らうものは、花、のみであある。故に、食らった花の香りを日ごと纏うもの、食らう花によってまるで別人に変わるもの、目元の色さえも違って見えるものもいる。彼女らが放つこの世の者とは思えぬ気配は、きっと花を食らうその行為からきているのだろう。この廓で働くものは女のみ、下女も支配するのも女、無論傀儡女は皆女である。あまりにも狂気じみているほどに徹底されたこの店を、一部の変わった趣向を持つ男共は、一度はまれば堕ちるのみの、地獄の園、と、呼ぶ。花のみを食らうということは、美しさと引き換えに命を削る所業に他ならないのだ……皆、姿はそのままに、脆く、儚く、枯れて散り逝くのだ。本物の花より、いっそう美しいままで。

そんな地獄の園の傀儡女の一人に恋をした私は、さしずめ花に惹かれた虫とでも言ったところか。それも下女の身分で___そもそも女でありながら___どうして___いくら思考を重ねようとも、判らぬことがこの世には在るのだと痛いほど知った。厄介すぎる、この、恋焦がれる思いを、胸の内にくすぶらせながら。

「依花?顔色が良くないわ……風邪でも拗らせたかしら」
「いいえ、葵様……!申し訳ありません」
「今日は早く上がらせてもらいなさいね。私からも言っておくから……長いこと御相手させて、ごめんなさい」
「そんな、勿体無い御心遣い……有難う存知奉ります」
「もう、そんなに畏まらないでちょうだいよ、依花」

不意に抱き寄せられる身体、ふわりと香る得も言われぬ香りに噎せ返りそうになる。やさしく、やさしく抱きしめられ、封じ込められ、身動きなどとれなかった。抵抗する術も___理由も、なかった。ああ、なんて無防備な御人だろうか___目の前の女が、貴女様に獰猛な恋心を飼った愚か者だとも知らずに___けれど、あたたかい、心地いい、やさしい、抱擁___。

「私はお前が大好きなのだからね、あなたは自分を大切にしてくださいな」

可憐な鈴の声が、優しさを吐き出す、が、途端にそれは牙をむき、私へ突き刺さる凶器へ変わる。意味のすれ違っていることなどわかっているのに、そんな言葉で、言葉の小さな戯れで、私の心臓は無様にも高ぶり踊っているのだ。やっとのことで絞り出した言葉は、「有難うございます」と、ただ一言感謝を述べるだけだった。

嗚呼、一体私の中の焔をどうしてやればよいのか。鋭い刃のように狂気を孕んだ優しい言葉に、ただの一度もそれが共存することはないとわかっていて、にわかに希望を見出し生きる、この危うい日々を、一体いつまで続けるつもりなのか……私は……。


                                             竜胆の花言葉「淋しい愛情」

えりかと梅

きい、きい、と無機質に金属音だけが響く。果たして今は朝か夜か、光の射さないこの部屋にいては、もう知る術もない。冷たい、と思っていた鉄の格子も、握り続けていたせいか、生あたたかい温もりを感じるまでになっていた。ふと、目を落とすと視界に飛び込んできたのは、真っ赤な布地に金の糸で巧妙に施された鶯の刺繍……高級な着物の種類など私にはわからない、ただ、美しい、としか形容出来ない着物を纏わされ、人形のように籠で(うずくま)る自分の哀れさに、また涙が溢れそうになる。
 鶯……その刺繍の鶯は、大きく自由に羽を伸ばし、今にも飛び立とうとしている。馬鹿げている、わかっているけれど、その羽を伸ばして己のままに羽ばたこうとする様を見ていると、どうしようもなく、羨ましく___恨めしく、感じてしまうのだ。いつになれば、此処から解放されるのか。地に足をつけ歩けるのか。己の命ずるままに生きて行けるのか……何度目になるかもわからぬ問いを頭の中でかき回すことしか、出来なかった。それでも尚、この暗闇から抜け出したいその一心で、開くはずもない南京錠を、心許無い指でなぞるしかなかった。

と___聞こえる、小さな足音___。

 思わず息をのむ、来た、来た、あの人が、帰ってきた、ということは、今はもう朝方、仕事を終えて、あの人が帰ってきた___すり足の音はどんどん大きくなる、まるで頭の中を齧られるように、その足音に侵食される、恐怖と焦りと___実態のわからぬ不安に、がりがりと齧りとられるように、同時に今にもはじけそうに高鳴っていく鼓動___!

「お梅や、えりかぞ」

毬の弾むように明るい声、喜びに満ち満ちている、そうして間もなく開かれる襖。

「只今戻った、お梅や、いい子にしておったかのう」

眩しい。突如射した光に目がくらむ。そして、身体はそれを拒んでいるのに、当然のように口から滑り出る……

「おかえりなさいませ……えりか様」

主人を迎え入れる、犬の、言葉。
見上げれば、派手な化粧を施した傀儡女が___えりか、が、立っている。名の通り派手な顔つき、大きな瞳は、一度捕えられたらニ度と逃げることは出来ぬ、と語りかけるように私を追う。

「またそのように怯えた顔なぞしおって……」
「そんな……怯えた、だなんて……」
「おお、おお、その顔……まるで夕立に襲われた子犬のようじゃなあ」

そういってほほ笑む姿は、美しい、が、しかし、明らかな狂気を孕んでいる。格子の隙間からその細い腕をすべり込ませて、私の頭をやさしく撫でる___鳥肌が、立つ。

「お梅や……もう皆寝静まった頃じゃ……どれ、錠を外してやろう」

絢爛な袖から現れる鍵は、先刻どれだけ足掻いても開かなかった南京錠を、いとも容易く外してしまった。鉄の、無機質な、音が響く。

「お梅、近う寄れ」

病的なほどに白い腕が、こちらへ伸びる。あれほどまでに出たかったこの籠から……今は出てはいけない、出たくない、身体が動かなくなるのだ。いけない、動かなくては、また、嗚呼、酷い目にあう、わかっているのに、震えて、身体は、それをしない。一体どんな顔をしてこの人と対面しているのだろうか、どれだけ無様な顔をしているのだろうか、不格好に身体を折り曲げて籠に蹲っているのだろうか、ああ、違う、はやく、はやくこの人の手をとって、籠の外へ出ねばならない、出ねば、出ねば、出ねば……!

「梅や」

名を呼ばれ、顔をあげたその時___ぱぁん、と___乾いた音。ちかちか、目がくらんで、右頬が熱くなる、じん、と、口の中が熱くなる、そうして遅れてやってくる、突き刺さるような、痛み、内頬の肉がちぎれた、血の味、と、痛み。ようやっと、ああ、頬をぶたれたのだと頭が理解するころには、じんじんと後引く気持ち悪い痛みが顔の半分を占めていて……大変なことをしたと、気がつく。

「のう、梅。おまえはまだそのように逆らうか」

低い、声。光射さないこの部屋で、気味悪く、ぬらりと輝く、その人の瞳の色は、瑠璃の色。

「えりか、さま……」
「わらわの言うことがわからなかったとは言わせぬ」
「申し訳、」

ぱぁん。

乾いた音。今度は即座に理解できた、殴られた、頬を、殴られたのだと。

「安い謝罪など求めておらぬ……」

着物の襟首をひっつかまれ、途端に浮く身体、籠から引きずり出される、足が格子に引っ掛かり擦れる音、痛い、視界に飛び込んでくる、褪せた畳の色。

「い、た……っ」
「躾が悪いのう……育て間違うたか……」
「わたくしは、」

刹那感じる、柔らかな布の音、と、感触、それは首に巻きついている、鮮やかな金色の帯、

「梅……おまえは可愛い子じゃのう……」
「う、あ……っ」
「判るな……?わらわはおまえを愛しているのじゃ……判るな……?」

絞まる、首が絞まる、目の前がちかちかして、紅、青、黄、色とりどりに、視界を犯していく、身体の力が抜けていく、喉からせり上がる、甘いような、酸っぱいような、塩辛いような味___苦しい___苦しい___くらくらして、必死に身体が酸素を求めて、くらくらと、廻りだして___。

「あ……が、っ……ぁ゛……」
「えりかはそちがだいすきじゃ」

やさしく微笑む姿は、人間のそれでは無い。
獣のように獰猛で、化け物のように陰湿で、母のようにあたたかく、愛のように優しい……。

「えり……か、さま……」

言わねばならない、この苦しさを抜け出すには、これしかない、そう、これは自分を守るため、守るためと言い聞かせながらも、すんなりとそれを身体が受け入れるようになってきていることを、私は知っている、当然のように吐き出せることを知っている、それに感情が伴おうとしている恐怖も、知っている、しかし、言わねばならない、言わねばならぬのだ___ただ一言、それだけで放たれるのだから___。

「あいし、て……おり、ます……っ……」

けだもののような貴女は優しく微笑んで、帯を緩めた。
身体に全てが戻ってくる、色、光、酸素、くらくらと、受け入れきれない全てが圧縮されて戻ってくる。
思わず倒れ伏し、咳き込む。この感覚にも、慣れ始めている自分がいる。

「わかっておるぞお梅や……愛している……」
「えりか、さま……」

やさしく頬を撫で、愛しげに抱擁する貴女は、泣きたいほどにあたたかい。

「そちにも花をもらっておいたのじゃった……蘭蕉(かんな)を……」

くらくら、くるくる、遠のく意識の中で聞こえた花の名、蘭蕉……かんな……。

「疲れた、か……お梅……ごめんね……」

普段の気丈な言葉遣いがふと消えて、優しい女の言葉へ変わったとき、ふつ、と途切れて暗闇へ誘われた。

「あいしている」

と、悪魔の呪文のように鳴り響く、甘美な言葉だけが、頭の中をくらくらと廻り廻っていた。


                                                  蘭蕉の花言葉「永遠」

双子のおはなし

浅黄と萌黄

「あなた おんなじ目をするわね」
「あら あなたこそ おんなじ髪色」
「そういうあなたも おんなじ声ね」
「あなたの手 おんなじ大きさだわ」
「あなた 私とおんなじくらいおしゃべりね」
「うふふ おんなじくらいね」
「あなたったら 唇までおんなじかたち」
「ええ あなたとおんなじ色」
「……」
「……」
「私たち よく似ているわ」
「ええ とてもよく似ている」
「素敵ね」
「素敵ね」
「鏡を覗いているようね」
「あなたと私は鏡同士」
「そうね」
「そうよ」
「よく見て」
「ええ」
「……」
「……」
「おんなじお顔ね」
「うふふ、おんなじお顔よ」
「おかしいわね」
「本当 変なの」
「私たち ぜんぶ一緒ね」
「ええ ぜんぶ一緒よ」
「私たち ずっと一緒ね」
「ええ ずっと一緒よ」
「どこへも行かずにそばにいる」
「もちろんよ」
「あなたが好きよ 浅黄」
「あなたが好きよ 萌黄」
「ふふふ」
「うふふ」
「ずっと一緒」
「一生一緒」
「うれしいわ」
「ええ うれしいわ」
「二人手を取り合って」
「末永く生きていきましょう」
「ふふふ」
「うふふ」
「ずうっとね」
「ずうっとよ」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「また明日」
「また明日……」


影谷時臣の証言

ありのままお話したところで、どうせ僕は殺されるのでしょう?ならば、いやですよ、話しません。しかし、お奉行様は仕事が早くていらっしゃる。昨日の晩に起こった事件の犯人を、翌朝には捕まえて仕舞われるとは。……ああ、やめてくださいよ、物騒な。僕は痛めつけられるのは得意じゃあない。……僕は、ただ自分の芸術を穢すようなことはしたくない、それだけですよ。では、あなた方は、自らが好み、気に入って、高い金を払ってやっとのことで手に入れた宝物を、どこの誰とも知らぬ男に、無下に扱われ、酷く罵られても、全く、憤りを感じないと?怒りは起こらないと?……はは、ずいぶんと、寛容な方々だ。さすがにお奉行様は、こうして町の平和を守っているだけある!……どうしてそう、かっかするのです。折角褒めて差し上げたというのに。
……はァ。わかりましたよ。いいでしょう、そんなお優しくて無教養で愚かなあなた方に、特別に僕の気に入った芸術作品のお話をし、そうしてあなた方に美徳たるものが何か、教えてさしあげよう。おっと、まだ話を始めてもいないというのに、そう怒ってはずみで僕を殺さないで下さいよ。

 僕があの店へ通い出したのは、ほんの半年前のことだったと思いますよ。僕はもとより、風俗などにはさらさら興味はなかったが……彼の志雅氏……志雅清之氏が、とある廓から女を身請けなさったと御伺いしましてね。それも、その廓は少し変わっていて、娼婦は皆、植物の花のみを喰らって生きながらえており、体臭はもちろん、汗や尿までもが甘い香りを放つ、異形の存在ときた。一体如何様なものかと気になったもので……。
……ああ、何から説明すれば、あなた方のような凡俗にもわかっていただけるのか。僕の芸術、僕の信仰。僕は美の忠実な下僕でありながら、美を理解し求める崇高な存在であること……僕が愛するのは、あなた方のような凡俗な人間であるとしても持ち合わせている、その皮を一枚剥ぎ取った内側に潜む血肉……艶めかしく隠れているそのはらわた……真に人間の美しさを映し出すそれに、長い間恋焦がれてきたのです。禁忌でしょう、背徳でしょう、何と、それの甘美なことか……!
……何て顔をなさるのですか。ほら見たことか、僕の信仰は誰にも理解され得ないのだ……神よ。嘆かわしいことです。……僕は、美を愛している。神もまた、美を愛し、求め、生み出し、慈しむ。僕は誰よりも神に愛されうる男でしょう。この腐りきった国の現実、無意味に生まれ、果て、それを繰り返すこの世、その中で、僕は神と等しく、美への価値を見出しているのです。信仰に気付き、哀れにも膝をつき額を地に擦り付け、僕は美への忠誠を誓っているのです。僕のような男であればこそ、この無為に廻り続ける時代の中で救われる……そうは思いませんか。しかしね、あなた方がそのような顔をするように、これは凡俗には、あまりに解し難く、罪深く、崇高な信仰なのです……。
六歳のとき、初めて本物のはらわたを見ました。それは人間のものではなく、近所をうろついていた猫のものでしたがね。うちは老舗の仕立て屋で、大きく立派な裁縫鋏がたくさんあったもので、僕はそのうちのひとつをこっそり持ち出して、猫の腹を裂きました。そのときの悦楽、幸福、奮い立つ我が身!あの甘き死の刹那……今も忘れられない。でも、母は部屋中に飛び散った肉片や血を見て、悲鳴を上げて崩れ落ちた。そうして、同じように、血にまみれた僕の手や、顔や、それをまじまじと見つめて、僕がやったかどうか、尋ねた。幼いながらに、母は深く絶望しているのだと理解しましたよ。その時は、何故、母がそんなにも悲しい顔をするのかわかりませんでしたが……今思えば、幼い息子が生き物を殺したのだから、当然でしょうね。母は静かに涙を流しながら、部屋を片付けていました。僕は思ったのです。母を絶望させてはいけない。悲しませてはいけないとね。ならば、母に知られなければ、それでよいのではないかと思った。当然でしょう!あなた方が、いけないとわかっていながら女遊びをするのと同じことだ。あなた方に僕を侮辱する権利はない。それに、僕がやっているのは、そんな下賤で低俗なことではない!美への圧倒的な信仰心!崇高な芸術の創造だ!あなた方は凡俗なうえに、それらを見たことがないから、あの幸福、美しさを知らないだけだ。僕は、そんな恐れも越えて、勇気ある信仰に何の躊躇いもなく、この身を捧げることが出来る。それこそ、真の幸福を見極め、神に愛されるための行いだからだ。
それで、僕の信仰と美への興味、それが僕をあの廓へと導いたのだ。美しいものを喰らい生きているならば、その真の姿もきっと美しかろうと思ったのです。僕が初めて訪れたとき、引き合いの間で会わされたのは、萌黄という遊女でした。ずいぶんやせ細って、顔は美しいがいまいちパッとしない。少々期待外れでしたよ。ところがね、この女の素晴らしかったのは、双子だったというところです。双子で、花を喰らい娼婦をしているなんて、御伽のような話があるだろうか。そっくりそのままの美しさが、肩を並べて生きているなんてことがあるのだろうか。僕は歓喜に震えた。美しいものが、二つ同時に手に入るかもしれない、とね。そうして翌日、早速訪れて、片割れの浅黄という女と会いました。萌黄よりは多少ふくよかに見えましたがね、同じ顔、声、身体……本当に瓜二つでしたよ。それからは毎日のように通いつめましたねえ。本当に幸福だった。彼女らの真の姿を如何にして暴くか、そればかりを考えていられた!僕は低俗なあなた方と違って、彼女らを取って食うようなことは一度もしなかった。そんなことではなく、食事や、談笑を重ねた。もっぱら、彼女らは本当に花しか喰うことはしなかったですがね。それもあって、全く僕のことは警戒していないようでした。実によく慕ってくれましたよ。まるで兄と妹のように。時には笑い、時には悩みを聞き、家族のようにあたたかな時間を過ごした。……もちろん、そんなことが僕の真の目的ではない。こうして親しくなったのは、彼女らのはらわたを覗くため、それだけのためだった。……僕には策など無かった。無くてよかった。それほどに親しくなっていたから……。
あの日は、実に良い月でね。浅黄がいつものように、「さだ様、月が綺麗ですね」と笑えば、萌黄が「さだ様、良い月ですわ」と応える。そうして僕は、「君達も負けず劣らず美しい」と決まった文句を口にする。彼女らは当然僕の腕の中へやってくる。非常に、平和で、いつもの通りに過ごしていた……。しかし僕はふと思ったのです。この美しい月と共に彼女らの真の姿を見たいとね。そこで、僕は彼女らの隙をつくる為に、まずは萌黄に酒を持ってくるように頼みました。月夜にぴったりな酒を、とね。素直に出ていった萌黄を見送り、僕は浅黄に接吻をしました。それまで、恋人ごっこのようなことは1度もしてこなかったので、酷く驚いていましたが……浅黄は淫売な女でした。流石は娼婦と言いましょうか。愚かにも、より深く、もっと、と求めて……煩わしかったが、隙は十分に出来たので僕は良しとしました。離れてみると、顔を赤くして、惚けたようにとろんと瞳を潤ませて、全く、あれは売女のほか、何者でもありませんでしたねぇ。僕はそのまま彼女をそっと抱き締めて……隠し持っていた小刀で、彼女の腹を一突きにした。浅黄は小さく呻いたあと、僕を見ました。助けを乞うように、憐れな顔をして、僕を見ていた。僕は次に、一度腹から小刀を引き抜いて、胸を突きました。さぞ痛かったのでしょう、小さく息を吐いて、ぜェぜェと喘ぎながら、浅黄は涙を流しました。そうして襖の方を見やって……何かを言おうとしていましたね。何を思ったのか、僕には推測出来ませんでしたが……暫くして息絶えました。この時に気がついたのですが、人の死に様も実に美しいものですね。月の良さも相まって、非常に美しい作品に仕上がっていました。鮮やかな浅黄色の着物に、赤い血片が踊って、実に美しい最期だった……。間もなく、萌黄が戻ってきて、彼女は浅黄の死体を見てさぁッと青ざめました。酒瓶を取り落とし、酷く震えていたようなので、抱き締めて慰めようとしましたが、強く拒絶をされてしまいましてね……しかし、そこからは浅黄と同じように小刀で刺して、浅黄の隣に並べてやりました。それにしても、双子の死に様は、月夜に照らされてこの上なく美しかった!僕は久しい貴族の晩餐会に訪れたような気持ちで、彼女らの着物を剥き、真白の肌を眺めました。そうして、小刀を突き立てたあの瞬間……赤い粒が宝石のように、ぷつ、ぷつ、と膨れ上がって、やがて線になり、ぱっくりと割れて……中から、美しい、赤色が現れた……!あぁ、もう、ここからは語るのも惜しい!少女の小さなはらわたは、駒鳥の羽の如く軽く、しなやかで艶めいていた!手触りは遠い国からやってくる、高価なシルクのそれを超えるほど素晴らしく、鮮やかな赤色はきっとどんな立派な画家にも描くことは出来ない!そうでしょう……それは僕にしか知り得ない、特別な作品だったからだ……。僕は夢中になってそれに接吻し、頬擦りをし、また接吻を繰り返して、彼女らを慈しみました。生まれて初めて、あんなに満たされた気分を味わいましたよ……実に、素晴らしい夜だった……。しかし、朝になれば、彼女らは只の女へと還っていく。その前に廓を後にしなくてはと思い、夜明け前には鴉羽の家へ戻りましたよ。
……こうして話してみると、どうにもこんな幸福な美に恵まれてしまった僕は死んでも良いのかも知れませんね。さぁ、僕の芸術、美への信仰……ご理解頂けましたか?……は、はは、間抜けヅラだ。まぁ、無理もないでしょう。あなた方、凡俗には、ね。



鴉羽の町を行く

「あらお早う」
「まあ、お早うトミさん」
「どうなすったの、そんなに興奮して」
「まあ、お聞きになっていないの?」
「何のお話?」
「んまあ~、大変な事件でしたのよ!」
「え?」
「仄雪の通りに、妖しいお店があったでしょう、ほら、」
「店?」
「ほらァ、あの……名前は忘れてしまったけれど、娼婦が花しか食べないとかいう」
「はあ、あの廓ね」
「そう、そうよ、そこそこ」
「それで、なにがあったんです」
「そこで殺しがあったんですよう!」
「えぇ?」
「まあそれが酷い有様で……」
「ご覧になったんですか?」
「いいえ、まさか!お奉行様に伺いましたのよ」
「はァ」
「町中その話で持ちきりで!」
「それで、どんなふうだったの?」
「まあ、本当に、口にするのも、恐ろしくて」
「あら、無理にとは申しませんわ」
「ぐちゃぐちゃ」
「え?」
「ぐちゃぐちゃだったらしいんですの!」
「……はァ」
「腹が切り裂かれて」
「まァ」
「部屋中血まみれ」
「……」
「はらわたが、えぐりだされて」
「……」
「そこらじゅうで散らかっていたんですって!!」
「……」
「んまァ~、恐ろしい!犯人は、絶対に気が違っていますわ!」
「ええ、そうね、間違いないわ」
「んもう、どうしてそう、あなたは落ち着いていらっしゃるのォ!」
「いいえ、私も、驚いていますのよ、ええ」
「きっと犯人は、今もこの町のどこかで、隠れているんだわ!」
「ええ……」
「まぁ~~~!恐ろしい!早急に、しかるべき罰を下すべきですわ!」
「ええ……殺された方も、おかわいそうに」
「そうなのよォ!それがね、殺されたのは双子だったらしいのよ!」
「じゃ、ふたりも……?」
「ええ、ええ、その通り、まだ15や16の娘さんがねェ」
「何て事を……」
「んまァ、恐ろしい恐ろしい。こんな話は、もうよしましょ」
「ええ……」
「あら、そうだわ、トミさん、この後……」
「私は、いえ、もう帰りますから」
「えぇ?まだ朝早いっていうのに?」
「えぇ」
「またこの前みたいに、仕立てをお願いしようかと思いましたのにィ」
「ええ、それはまたぜひ。息子が、待っておりますので」
「あらぁ、そうお?さだくんはお元気?よろしく言っておいてねェ」
「ええ、大変元気にしておりますわ、ええ。ありがとう、それじゃあ」
「ええ、またねェ!……あぁら、まあ、千代さん!お聞きになりまして?……」

花廓(はなくるわ)

花廓(はなくるわ)

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-25

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自由に複製、改変・翻案、配布することが出来ます。

Public Domain
  1. 依花と葵
  2. えりかと梅
  3. 双子のおはなし