Anacraycia

Anacraycia

Anacraycia」

 一人の少女が走っている。

 誰のために?

 一人の少年が泣いている。

 何のために?

 アナクレイシア―――――――この世界に来る者は、みんな知るのである。

この世界の隠された部分を。
 己の本当の姿を。
 涙がこの世界に落ちる瞬間を。
 命を懸けて守るべきものを。

 扉が開かれたとき、人は未知の世界に足を踏み入れる。

 そして世界は動き出す。


━━━━━━━━大世界、「アナクレイシア」へ。




~◌~◌~◌~◌~◌~◌~◌~~◌~◌~◌~◌~◌~◌~◌~~◌~◌~◌~◌~◌

 むかーしむかし、とってもむかし、
一匹の闇の生き物が、とても美しい花に恋をしました。
しかしその花は禁じられた場所に咲いていて、立ち入ることは禁じられています。
それでも獣はスキを見ては花に近づき、一緒になって風に吹かれたり、匂いをかいだり、ウットリと、それはそれは、一日中見ても見飽き足りないぐらいでした。


 しかしある日、禁じられた場所に入ったことがばれてしまい、獣は花のそばへ寄ることを二度とできなくされました。

 怒った獣は、禁じられた場所の中にあるたくさんある本の中から、一冊の本を盗みました。

 すぐに獣は罰を与えられました。



 ――――その本の中に永久に閉じ込められたのです。

~◌~◌~◌~◌~◌~◌~◌~~◌~◌~◌~◌~◌~◌~◌~~◌~◌~◌~◌~
 「plologue(プロローグ)」


「あっちへ行けよ!」

 大柄な少年がわめいていると、こっちでは
「ちょっと踏まないでよ!そこ!」
と金切り声を上げている年頃の女の子がいる。
 と思うと、誰にも注意を向けずに椅子に座り、ぶ厚い文学書を読んでいる細身の少年がいて、そしてその中に小っちゃな10歳ぐらいの女の子が人形を抱いてトボトボ歩いてる。

 ある春の休日に、室内にいるそれぞれがまるでバラバラな子供たち、(彼らはいとこなのだが)今日は年に一回ある、アーニーおばさんと、バスコおじさん、リヒテンおじさんと、コルトニーおばさんの一家が子供たちを連れて集う日だった。

 ここはゴットリーフ家。
彼らの祖父にあたるゼンガルト・ゴットリーフじいさんが住む屋敷なのである。
 そして今、一年ぶりに集った家族と家族は、父親たちはたばこを吹かし、お母さんたちは世間話に明け暮れ、子供たちはお互いしかめっ面をしていた。
 なぜなら一番年長のドミーリィは自分が年上なのをいいことにいばり、他の子に対してまるで優しくなく、態度も横柄であり、同じ年で、やはり年長のシェーリーンと折り合いが悪かった。一番ちっちゃい女の子のルーシィがそばに来ても、
「お嬢ちゃん、おトイレはあっちだよ。」とかいって馬鹿にして喜んでいるしまつだった。同じ年齢のシェーリーンは15歳で、ドミーリィがうるさいたんびに舌打ちしてイヤホンを耳につめこんでいた。今夜からしばらくここに泊まらなければいけないことを、まるで、アルカトラズ刑務所にでも閉じ込められたかのように考えているかのようだった。部屋の隅ではメガネの少年が騒音を気にせず読書をつづけている。本の表紙はこうだ、
「シェークスピア ハムレット」
 少年はアシュレイという名前の14歳で、子供たちが集った日には必ず本を読んでいた。というより、誰もアシュレイが本を読んでいる以外の行動を見たことがなかった。ドミーリィは、「あいつは本以外に友達いないんだよ。だから楽しんでんのさ、アッチの世界でな」と言って指を頭の所でクルクルさせたがアシュレイはピクリともしなかった。アシュレイが本以外のものに興味があるのか、親も知らないにちがいなかった。最後はキョトンとしながらウサギの人形をかかえて部屋を歩いているルーシィ。カールしてる髪がかわいい女の子で、ボーっとして部屋を行ったり来たりしてたが、同じ女の子のシェーリーンも一目見てガムをプウとふくらませて、またケータイをいじりだし、ドミーリィの近くにいけば、「なんだよ!そのウサギをシチューにしてやろうか?」などと言われ、アシュレイに関しては、ルーシィに気づいているのかも疑わしかった。


 さて、そんな中ルーシィは今日もいとこ達から無視され、お気に入りのウサギの人形をぶら下げ屋敷をおそるおそるブラブラしていた。屋敷は全体が木でできていて、歩くとどこからか、ミシミシギシギシ乾いた音が響いてルーシィの背筋を凍らせた。
ゼンガルトの屋敷は広大で部屋数がたくさんある。他の部屋はむやみに入るなと言われていたが、屋敷は静かで、他の部屋に入っても誰も気づかなかった。しんと静まりかえった重そうなドアの向こうには、恐くても触ってみたくなる古いものでいっぱいだった。鹿の首の壁掛けや、古い木でできた家具、アンティークに、誰が読むんだろうって本。(もっともアシュレイは唯一初日から眼を見開き、猫のように狙っていた。ルーシィはアシュレイが少年のように目を輝かせ、立ち止まって見とれていたのを見たときがある)さらには夜になると歩き出しそうな鎧やら、ビンに詰まった変な薬とか、様々なアンティーク。一日かかっても見終えることのできないほど、この屋敷は古いものであふれていた。もっともシェーリーンやドミーリィは興味もなく、古くさいと思っているようだった。
 
ルーシィが長い廊下を歩いて行くと、白い猫が歩いて行くのが見えた。屋敷で飼っているソフィアだ。ルーシィはなでようと思いかけ寄っていった。するとソフィアは奥の方に逃げていってしまい、ルーシィはそれをさらに追いかけていった。
「あれ?」
 気づくとソフィアの姿はなく、つき当たりの重い木でできた大きな扉の前にいた。部屋の前は暗く、見るからに何か出そうだ。ルーシィは一人だと恐いので、こっちまで来たことがなかった。だから、この時はじめてこんな部屋があるのを知った。この部屋の扉は他の部屋と何か違う。何か特別のような気がした。ルーシィは周りを見、誰もいないのを確かめると、ドアの取っ手をつかんだ。

 ギィ~

 開くとそこには、他の部屋のようにテーブルと棚などがあったが、他の部屋にないものが置かれていた。どうやら来客に使うのではなく、物置に近いらしい。変なお面やらトランク、どっかの衣装、金ピカのステッキ、宝石。ルーシィは部屋の中を手でものを触れながら歩いていった。ルーシィはボーッとしていながらも、想像性が豊かで、ルーシィの頭の中であらゆる世界が指輪一つで生まれ、動き出し、冒険がつくり出された。ルーシィは顔を輝かせながら衣装を顔で触れ、指でなぞり、恐そうな鎧の剣の冷たい感触に背筋を冷たくさせた。窓のそばに行くと、本棚に入れられずにテーブルに一冊の本がのっていた。ぶ厚くて、古っぽい本だ。ルーシィは本は読まないが、(読んでもらうのは大好きだが)窓の光を反射させ、キラキラ光る本を美しいと思った。ルーシィはうっとりとして本へ近づいた。本を触れようとしたとき、

「ニャアッ!」

「キャッ!」
 ソフィアがどうやって入ったのか、いつの間にかルーシィの足下へ飛びついた。
「はあ~~、何よ?おどろいたじゃない!」
ルーシィはソフィアに軽く指を指し、先生のように怒る真似をしたが、ソフィアは知らん顔で前足をなめていた。そこへ誰かが通り過ぎる音がした。
 
この部屋にいると怒られるかもしれない・・・

 ルーシィは子ども心におびえた。使用人の中のゴールトさんは要注意だ。ゴールトさんというのは、真面目で、黙々と仕事をこなす、屋敷と祖父の世話をする人で、ルーシィや子ども達は皆、彼を恐れていた。
 ゴールトさんに見つかりたくはないので、ルーシィは皆の所に戻ることにした。ドアまで来てソフィアを呼んだ。
「おいで」ソフィアを呼んで自分も部屋を出ようと思ったが、ルーシィはドアノブをつかんだまま立ち止まった。何かを考えるかのように黙ったままルーシィは部屋の中を眺め、もう一度外の様子を確かめた。そして、ちょっと考えたあと、最後に部屋の中へタッタッと走っていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「みんな、夕食よ」
 ママたちが子どもたちを呼び、みんなが降りていった後、ルーシィのいた所には

     ぶ厚い茶色い本が置かれていた。


 「一人目」



 夕食が終わると子どもたちはまた、各自元の部屋に戻った。つまらなさそうにしてたドミーリィは、目ざとくルーシィの大事そうに抱えているものに目をつけた。意地の悪いドミーリィはそっとルーシィのもとへ近づき、そして、
「おーっと、ルーシィ何を読んでいるのかな?俺が読んでやるよ!」と本を取り上げた。ルーシィは跳び起きて、「やめて!返して!」とぴょんぴょんとびはねている。
「へへーん!」と言ってドミーリィが本を開く。本を開いたドミーリィは笑うのをやめ、拍子抜けしたように
「・・・・何だコレ?何も書いてねえじゃねえか?」と言った。うるささにイライラしたシェーリーンも二人の方を向き、ドミーリィに
「・・っさいな!アンタやめなさいよ!ルーシィ相手に。本に何々も書いてないわけないじゃない・・・」とドミーリィの持っている本をひったくった。
「・・・・アレ・・・・・ホントに何も書いてない・・・」と本をパラパラとめくった。
「ルーシィ・・・なんでこんなモン見てんだ?」とドミーリィが拍子抜けしたように言った。
「ホント、こんなぶ厚い本なのに何も・・・ない・・・どこにあったの、これ?」
「えっと・・あの・・・」とルーシィが口ごもる。
「ちょっと待って、表紙に何て書いてある?」シェーリーンが本を閉じ表紙を見た。
「えーと、ア・・・ナ・・クレイ・・シア?」
その瞬間ずっと下を向いて本を読んでいたアシュレイがバッと顔を上げた。
「アナ・・クレイシア?誰だよ作者?聞いたことねえぞ?」
「アンタ本のタイトルなんか言えるんだぁ?」とシェーリーンがバカにしたように聞き、ドミーリィが言い返そうと振り向いた時、
「うわっ!・・・・・・・・・・何だよ?」とドミーリィが驚いた。いつの間にかアシュレイが三人のトコに来たのだ。シェーリーンも振り返りびっくりしていると、アシュレイは黙って手を出した

「?」

「・・・して」
「・・え?」ドミーリィとシェーリーンが聞き直す。
「貸して・・・その本」
三人は黙って口をあんぐり開けた。アシュレイが口を開いたのは初めてだった。シェーリーンは無意識にアシュレイの手に本をのせていた。目でアシュレイを、口をあんぐり開けたまま見つめていた。まるでヘビがラップを歌い出したのを見たような顔つきだ。ドミーリィもその点、一緒だった。しかし、気を取り直してドミーリィは口を挟んだ。
「おめえ、なんか知ってんのかよ?」パラパラと本をめくりながらメガネを光らせるアシュレイにドミーリィは聞いた。アシュレイは
「・・・昔、ある本で読んだことがあるんだ・・・」アシュレイは本から目を上げずに語り出した。



「その本の作者はドクター・ドリーマンっていって、心理分析医なんだけど、彼の本の中で紹介されているある変わった少女の話がある」アシュレイは本を調べながら、不思議な話をしだした。
「その少女が連れてこられた時、ドリーマンがあらゆるテストをしても、少女に異常は見られず正常だった。少女の親は、少女が現実じゃない話をすると言って相談しに来たんだけど。ってここまではいい?」蕩々と語り出したアシュレイをドミーリィとシェーリーンは口をあんぐり開けたままコクンと頷いた。アシュレイが三言以上しゃべったのをはじめて目にしたのだ。アシュレイはそんな二人に気にもせず話を続けた。
「ドリーマンは少女に聞いた」

「君は最近夢を見るかい?」
「見ないわ」
「夜はよく眠れる方?」
「あんまり」
「では何をしているのかな?」
「・・・・・・旅をするの」
ドリーマンは少女に夢遊病の症状があるのか探っていたのだが、話はそこから大きくなる。
 ある時、自由時間に少女が描いてた絵をドリーマンが見せてくれと言った。するとそこには驚くほど良くできた地図が描いてあった。しかしそれは地球のどこでもない、見たことのないものだった。ドリーマンは聞いた。
「すごいなあ、君のつくった世界かね?大したもんだ」
「いいえ、ちがうわ」
「え、でもこの地図にはニューヨークもイタリアもないよ。君の世界だろ?」
「いいえ、ちがうわ」
「じゃあ、どこなの?」
「・・・・・アナクレイシアよ」

そこで、アシュレイは話をいったん切った。ドミーリィたちは顔を見合わせた。アシュレイの持った本のタイトルに「アナクレイシア」とある。
「じゃあ、その少女がこの本を・・・」
「いや」アシュレイは否定した。
「話は終わらない。ドリーマンも最初そう思ったんだ。少女のつくった物語のような世界だろうって。ドリーマンは少女とよく、アナクレイシアの話をするようになった。気候は?名前は?住んでいる人は?少女はスラスラとそれらに答えた。話していくうちに、ドリーマンは怖くなってきた。少女の話があまりに正確で細かかったからだ。まるで、目の前で触れてきたかのように。

そんな中、カウンセリングを続けるうち、ある日少女が失踪する。ドリーマンも事情聴取される。少女はどこへ消えたのか?誰も少女を見つけ出すことはできなかった。ドリーマンはある時、少女の書いた紙片に目をとめる。それはアナクレイシアについて少女の書いたもので、ドリーマンにはわけがわからず取っておいたものだ。そこにはこう書かれていた。

 
 ①向こう側と名前。
 ②もし誰かを出したいならひとり。
 ③三回以上行ってはならない。



他にも書いてあったみたいだけど、ドリーマンは三つ目のルールみたいなものに目をとめた。そして、非現実的な話だけど、ドリーマンは少女の話がもしかして本当だったら少女が消えたのは・・・・」

みんな無言のままシェーリーンの横でドミーリィがゴクリと唾を飲み込んだ。

「その後、ドリーマンは発見するんだ、少女の枕元にあった一冊の本を。そこに書かれていた本のタイトルが・・・・」

『「・・・アナクレイシア・・・・」』

四人は同時に言葉にした。その名前を。そして沈黙が四人を包んだ。

「・・・・うわ~~~~っ!」背筋がゾクッとしてドミーリィは声を上げて足をダンダンと踏み鳴らした。シェーリーンは冷や汗が流れるのを感じ、ルーシィはシェーリーンにしがみついた。

アシュレイはメガネごしに三人を黙って見た。ドミーリィがもう冗談ではないことを三人の様子で察すると(アシュレイが冗談を言うのが想像できるか?)いつも空口を叩いているくせにおとなしくなった。シェーリーンが
「じゃあ、この中にそのコが消えたっていうの?」と本をアシュレイから取り、そして空白のページを恐る恐るパラパラとめくった。
「・・・・わからない」
「なーん・・」
「でも、タイトルは一緒だし、」
「よっく考えたらよ」ドミーリィが口を挟んだ。「お前が読んだのだって何かの本だろ?だったら他にも読んだヤツはいっぱいいるワケだから、それで読んでこのコト知ったヤツがさぁ、面白がってこの本つくったかもしんねーじゃん。中、空白にしてよ。」
シェーリーンとアシュレイはドミーリィの方をジッと見ながら、こう思っているかのようだった。
(確かに。コイツのような奴がいれば・・・)

「何だよ?」ドミーリィがキョトンとして言った。
「てか、ルー。コレどこにあったの?」シェーリーンが話をだまって聞いていたルーシィに聞いた。
「ん・・・・」
「おじさんたちには言わないから、言ってみ?」
「えーと、あの、ずーっと廊下の先の、先の方にある、暗くて、剣とか、服がいっぱいあるトコ・・・」
「物置?ゴールトじいさんが入るな!って言う所でしょ?」
「うん、そう!」
「うーん・・・」それだけじゃ確かめようもなく四人は黙ってしまった。この屋敷には確かにそこら辺にない十九世紀、十八世紀とかの珍しい物がたくさんあった。だから、少女の消えた本ぐらいあってもおかしくない・・・。ドミーリィが
「と、とにかくよ、その本あんま触んねえ方がいいぜ。下手に関わりたくねえ」と切り出した。みんな同感だった。しかしシェーリーンが口を開いた。
「・・・ちょっと待って、本の中は真っ白なのよ?異世界と女の子の失踪、そして目の前には重そうな、古びているけど中はまるごと真っ白な本。この話、考えてみるとおもしろくない?」
「お前、正気かよ!?」
「だって考えてみなよ?この本が関係してるとしたら、どうやって消えたの?どこへ?なぜ?考えてみると謎だらけで、そして誰もそれを解き明かす者はいないんだよ?」
「その本、見てみろよ?」ドミーリィが静かに言った。「俺もウソとか、デタラメな話だったらいくらでも平気なんだけどよ、その本、明らかに百年以上前のだろ?その色といい、古さといい、何かマジくせえんだよ。なんか関わっちゃいけねえ気がする・・・」
「だったらアンタ、女の子はどこに消えたと思うの?」
「そりゃ、その本の呪いかなんかで、その世界へ引きずり込まれたんじゃ・・」
「ちがうかもしれない」シェーリーンは言った。「実は悪魔の本で、魂を奪われたのかもしれない。宇宙人に連れ去られたのかも。それとも、その医者が連続殺人鬼で、彼女を連れ去って殺したのかもしれない」
「お前がサイコなヤバイやつだってことはよくわかったよ」
カッとなってシェーリーンは言い返した。
「アンタこそ、さっきからビビって家に帰りたいんじゃないの?ホラ、ママとパパならあっちにいるよ?」
「なっ・・・!」
「やめて!」ルーシィが泣きそうな声で叫んだ。シェーリーンはまだ何か言いたそうにしていたが、ルーシィの泣きそうな顔を見てやめた。すると、ずっと指をアゴに当て考え事をしていたアシュレイが口を開いた。
「どうやって入ったんだろ?」
「え?」ケンカしていた二人もルーシィもアシュレイの方を振り向いた。アシュレイが口を開くと何故かみんな何をしゃべるか気になってしまう。まあ、それだけしゃべらないのだが、普段。
「さっき僕が言った話をまとめるとこの本、『アナクレイシア』によって少女が失踪したとすると、シェーリーンのいうような事も含めてこう考えられる。

①少女の話の通り『アナクレイシア』という別世界がある。
②それとは別の何か。

だが、僕は本も直接読んだし、こっちの(本を振ってみせた)説のが可能性は高いと思う。そうなるとだ、

①アナクレイシアは『本の中』の世界。というのと、
②アナクレイシアは『本とは別の世界』。の二点が考えられる。

それは憶測でしか測れない。直接行った人しかわからないからね。そこで全ての謎を解きたいなら方法は一つしかないことになる。それは・・・」

『『『直接行くこと』』』

アシュレイが言う前に三人の声がそろって答えた。それを聞いてアシュレイが言った。
「そう」
「アナクレイシアの世界、少女の行方、全て憶測だ。確かめる方法は一つしかない。直接行くこと。そこで問題は一つしかない。『どうやって行くのか』だ」そこでアシュレイは話を切った。四人ともうーん、と黙ってしまった。シェーリーンが口を開いた。
「呪文か何かあんじゃないの?アシュレイあんたさっき言ってた医者の本に何かのってなかったの?」
「・・・・・・近いことは書かれていたが、直接入ることはやはり書かれてなかった」
「何だよ近いことって?」ドミーリィが聞いた。
「・・・・・・・」アシュレイは黙ったままだった。
「・・・・?」ドミーリィが不審に思っているとシェーリーンがアシュレイから本を引ったくって調べ始めた。ルーシィも「貸して!貸して!」とせがんでいる。ルーシィが嫌がるのを無視して叩いたり、中をくまなく調べたり、しまいには「Open sesami(開け、ゴマ)」まで言ってみたがダメだった。みんな、何も発見できず疲れてしまった。アシュレイはまた黙って考え事に夢中だし、シェーリーンは疲れて黙ってしまった。ドミーリィはまた、ルーシィに本を渡さないという意地悪に熱中していた。ルーシィもさすがに返してほしいらしく必死だ。シェーリーンがイライラしてまた止めようとした時、目の隅にドミーリィの捨てたジュースのビンが転がっているのが見えた。
「っ!危ない!」と言ったと同時にドミーリィの足はビンを踏んづけ、すごい音と共に本は宙に舞った。

ドッシーーーーーーン!

「・・・いってえ・・・!」
ドミーリィは転び、ルーシィも巻き添えで倒れてしまっていた。
「ルーシィ大丈夫?」といってシェーリーンがルーシィを起こすと、シェーリーンは叫び声をあげた。

「ああ!血が出てる!」
ルーシィの鼻から、ぶつけたらしく血が出ていた。それを見てルーシィは泣き出した。ドミーリィがまずいと思ったらしく、ちょっと離れたところでオロオロしていると、
「ちょっと!ティッシュ持って来なよ!あんたのせいなんだから・・・ああっ!」とシェーリーンが話の途中で大きな声をあげた。口を開けたまま、大変なものでも見たかのように何かを見ている。そしてシェーリーンの見ている方にアシュレイもドミーリィも振り向くと、そこにはテーヴルの上に倒れたインク壺とインクを大量にかぶった本があった。
「あああ!」ドミーリィがヤバイというように頭を抱えて大きな声をあげた。本は何万円もしそうだ。もしかしたら十万ぐらいするかも・・・やべえ、小遣い何年か没収されるかも・・・。
「バカ!早くティッシュとタオル!」それを聞いてドミーリィとアシュレイが取りに出て行った。ルーシィの方はとりあえず頭を上の方に向かせて鼻をつまんでるようにさせ、シェーリーンはテーブルの上の本をインクの中から取りだした。
「あ~~~~。やっちゃったな、コレ」本は真っ黒なインクでぐっしょり濡れてしまっていた。全部ドミーリィのせいだ。拭いても真っ黒になるだろう。一応水も持ってこよう。「ちょっと待っててね、ルーシィ。あいつら遅いから、アタシがちょっと拭くもの取ってくるから。そう、鼻の付け根押さえといてね」と言って、頭を撫でて出て行ってしまった。

「う・・・」
 一人になったルーシィは鼻の付け根を押さえながらしばらくじっとしていたが、本の様子を見ようと、上を向きながらテーブルへと歩いていった。痛みよりも、こっちの本が汚れてしまったことの方が何倍も辛かった。また涙が出てきた。本はシェーリーンによってテーブルのはしのキレイな所に置かれてはいたが、やはりインクで濡れてベトベトだった。中の方もインクが染みてしまっていた。
「もう!」くやしさでいっぱいになりながら本の損害を確かめていると、ルーシィの鼻血がポトっとページの上に垂れてしまった。
「あ!」しまったと思って、ルーシィは血の落ちた部分を手でこすった。もう血の跡はなかった。
「?・・・あれ?」と不思議に思っているとルーシィの前に何か見えた。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━本には文字が浮かび上がっていた。


「To be, or not to be」



 ページには確かに文字があった。

ページの真ん中に「What’s your name?」とだけ。ルーシィが目をパチクリさせて他のページを開いても文字はなかった。さっきまで何にも書かれてなかったのに。また鼻血が落ちた。そしてスッとページの中に消え、字はますますはっきりと浮かび上がった。そしてその文字には何か、魅せられる何かがあった。ルーシィは字に見とれた。そしてうっとりとして見てる中人差し指をいつの間にかテーヴルのボタボタこぼれるインクの海にひたすと、それをゆっくりとページの上にのせた。

・・・・・・声がする・・・・・・誰の声?・・・・わからない・・・・なんだろう・・・・だれか・・・・呼んでる・・・・だれ?・・・・あ・・し・・・あたし・・・・あたしの名前は━━━━━━━━。

「はあ、どうすっかな・・・」」
 そこへアシュレイとドミーリィがため息をつきながら帰ってきた。テーブルにかがんで何かやってるルーシィを見つけ、ドミーリィは悪びれもせず声をかけた。
「よーう、ルーシィ!」
 ルーシィが振り返った。ドミーリィはルーシィを見て黙った。そして手に持っていたものを床に落とした。アシュレイも、持ってきた物を床に落とし、まるで時が止まったかのようにどれくらい時がたったかわからないが、二人が凍りついてるところへシェーリーンが帰ってきた。
「あ!・・・、あんたらどこいってたのよ!もう、アタシが持って来ちゃったじゃない!・・・・・どうしたの、アンタ?座りこんじゃって、アレ?ルーシィは?」ドミーリィは黙ってゆっくりとテーヴルの方を指差した。指先が微かに震えていた。
「?」シェーリーンが不審に思っていると、黙って立ち尽くしているアシュレイが口を開いた。
「消え・・・消え・・・・消え・・た・・・・・・」瞬きもせずにハアハアと息が荒い。
「はあ?ルーシィいないの?どこかティッシュ探しにいったんでしょ?おーい、ルーシィ?」と言って部屋の外を見てみたが物音一つしない。戸口で立ちつく尽くしている二人をよそにシェーリーンは水の入ったバケツを持って中に入っていった。
「あ、あれ!?」シェーリーンが声をあげた。
「ちょっと、ちょっといつの間にキレイにしたの?この本」とシェーリーンがびっくりしたように言ってきた。アシュレイはハッと気がついてテーブルの所まで急に歩み寄った。テーブルの上にのった本はさっきまでのインクが嘘のように消えていた。そのかわりテーブルの方はそのままで、インクが相変わらずテーブルの端から床へ滴り落ちていた。
「・・・・・やっぱり・・・」アシュレイがつぶやいた。
「え?」シェーリーンは本をじっと見つめて深刻な顔つきをしているアシュレイの顔を見た。
「連れてかれた」
「え、誰の話よ・・・」
アシュレイはしばらく黙って言いづらそうにしていたが、口を開いて
「ルーシィが・・・」とポツリつぶやいた。
「・・・・・・」しばらく返す言葉を失ったシェーリーンは次に何を言えばいいのかわからなくなった。次から次へ言葉が浮かんだ。

━━━━━━━「は?あんた何言ってんの?」
「はいはい、あーおもしろい。ドミーリィまで加わっちゃってバッカみたい。くさいわよ、あんたのその演技。ホラ、ルーシィ出ておいで!」
「あんた頭大丈夫?」
「んなわけないじゃん?じゃあ空飛ぶ絨毯出してみなよ?」━━━━━━━━━━━━

 ドミーリィまで一緒になったドッキリだったら、あんなヤツにからかわれてたまるかと思い、笑って軽く受け流そうとドミーリィの方を振り返ると、ドミーリィは座ったまま恐怖の表情でまばたき一つせず、いまだにテーブルをずっと見つめ続けていた。
「・・・・・コレ」アシュレイは本をシェーリーンの顔の真ん前に持ち上げて見せた。インクの消えたキレイなページの上に一カ所だけ文字が書かれていた。子どもの書いたような文字で
        Lucy   と書かれていた。
「ルー・・・シ・・・・ィ・・・」シェーリーンはつぶやくように言った。背中に氷を当てられたように冷たいものが走った。
「・・・目の前で消えたんだ・・・」
シェーリーンはアシュレイの言葉を聞きながら目を見開いた。
「・・・ウソ」
「・・・・僕だけじゃない・・・ドミーリィも見てる・・・・」そう言ってアシュレイはドミーリィを指差した。シェーリーンも振り返って見てみると、ドミーリィはいまだに震えていた。
「どう・・・・すんのよ・・・」シェーリーンは声を荒げた。「どうすんのよ!ルーシィいなくなっちゃって・・」問い詰めるような口調のシェーリーンに、アシュレイは思い出すように、静かに説明しだした。声が少し震えていた。
「ボクたちが戻ってきた時・・・テーブルの所にまだルーシィがいたんだ・・・」
「で?」
「僕たちに反応してルーシィが・・振り返ったんだけど・・」そこでアシュレイは言葉を切った。
「振り返って・・・え、何よ?」シェーリーンは急に止まったアシュレイの話に眉を寄せた。
アシュレイは言いづらそうにしていたが、言葉を押し出すように、一言一言ポツリとしゃべりだした。
「その時には、顔が・・・」アシュレイはシェーリーンの視線を外すように下を向いて静かにいった。「頭半分消えてて・・・・・」
「・・・・・・。」シェーリーンはアシュレイのその説明に、その光景を思い浮かべ背筋がゾッとする感覚を覚えた。「・・・ドミーリィ、あんたも見たの?」ドミーリィは親指の爪を噛んだまま返事をしなかった。
「ドミーリィ!」
「見たよ!」とシェーリーンを睨みつけた。その瞳には涙がたまっていた。「・・・うるせーな!」ドアから動かずドミーリィは大きな声で答えた。
「・・だからって、だからって・・・どうしようもねーだろ・・・あんなの・・・」
「だけど、助けなきゃ・・・」
「どうやって?」ドミーリィは爪をかじりながら意地悪く聞いた。
「・・・・・・。」シェーリーンは黙った。
「おじさんたちに話してみるとか・・・」
「信じるわけがない」すぐさまアシュレイが冷静に答えた。
「だって・・・その光景見たんでしょ?ルーシィが消えるとこ。だったら・・」
「あの人たちが信じるわけがない・・・」アシュレイが頑なにシェーリーンに言った。「大人ってのは」何かを思い出すかのように横を向き顔をしかめ、アシュレイは続けた。「こり固まった頭の固い人間だ。子どものたわ言だとか言って馬鹿にされるのがオチだよ」三人は黙った。シェーリーンはイライラして大きな声で言った。
「なによ・・・結局誰もルーシィのこと助ける方法もないみたいに、もう助ける気もないんじゃないの!結局アンタも・・」
「一つ方法はある」激昂するシェーリーンを前に冷静にアシュレイはさえぎった。ドミーリィも耳をそばだてている。シェーリーンは黙った。
「方法と言えるわけでもないけど、本を見て」
「は?」
「本だよ。コレ」アシュレイはまたシェーリーンに本を掲げて見せた。
「・・・・・・。」
「コレ」と言ってアシュレイは本の真ん中を指した。
「名前が書かれてる」シェーリーンは目を細めてページの真ん中にある文字を見た。「おそらくはルーシィが書いたものだが、さっき言った話覚えてる?」
「・・・・さっきって、」シェーリーンはアシュレイが突然話し出して、三人で黙って聞いてた光景を思い出した。「あの医者の?」
「そう。その話で、少女の話の中にアナクレイシアのルールみたいなのあっただろ?」
「あ・・あっ・・・た!あった!確かに」

━━━━━━━━━━━━[名前が必要]━━━━━━━━━━━━

 シェーリーンはさっきの話を思い出した。
「しゃあルーシィは、名前を書いたから消えたってワケ?」
「そう考えるのが妥当だと思う」シェーリーンはちょっと黙って考えてからアシュレイに言った。
「もしかして、あんたの言ってたルーシィを助ける手段って・・・」
「そう。正確には助けるではなくなるけど、ルーシィがいると思われる場所に向かう方法は一つ。入ることだ」シェーリーンは口を開けて押し黙った。何か言いたいが、何を言っていいかわからず口がパクパクと動いた。
「アンタ、正・・」
「誰が入ンだよ?」ドミーリィが部屋の入り口から割って入った。アシュレイとシェーリーンが振り向いた。
「お前馬鹿じゃねえの?ルーシィだって生きてんのかよ?消えちまってどこにいんのかも知らねえ、わけのわかんねえ場所に行けんのかよ?ディズニーランド行くのとは違うんだぞ?安全じゃなく、しかも帰ってこれない確率しかねえんじゃねえのか?もしかして宇宙の果てか、海の中かも。それともただ消えちまうのかも知れねえ!どこにも行かず。行ってどうにもなんないとこにお前行けんのかよ!」今まで黙って、たまっていた恐怖と困惑と共に、ドミーリィは一気にぶちけた。シェーリーンは、確かにドミーリィのいうことは理解できると思った。友達のために、自分はトラの檻やマフィアのアジトに入れるかと考えたら、死ぬかもしれないトコに飛び込めるだろうか?しかも、そこにいるかどうかも確かではないのだ。でも・・・。
「ア、アタシが・・」
「ボクが入る」アシュレイがドミーリィに静かに答えた。
「・・・あ?」ドミーリィはアシュレイを見た。シェーリーンもしゃべりかけてた口を開けたままアシュレイを見た。
「今来なければ後に来る。後に来なければ、今来るだけのこと」
「は?」ドミーリィもシェーリーンも何を言っているのかわからずアシュレイを見た。アシュレイは微かに微笑んで説明した。
「シェイクスピアだよ。『来るべきものは、今来なくてもいずれは来る。━━━━今来れば、後には来ない━━━後に来なければ今来るだけのこと━━━肝心なのは覚悟だ』」そこまで言うとアシュレイは本をテーブルのインクのこぼれていない、きれいな所に置いた。そして続けた。
「『いつ死んだらいいか、そんなことは考えてみたところで、誰にもわかりはすまい。所詮、あなたまかせさ』」そこまで言い終わるとドミーリィ、シェーリーンの顔を見た。
「今日、この言葉について考えてたんだ」
「シェイクスピアだかなんだか知らねえが、俺は後を選ぶね」とドミーリィは吐き捨てるように言った。
「後に来なければ今来るだけのこと」と言ってアシュレイはペンを取って本に署名した。ドミーリィとシェーリーンは「あっ!」と驚いて止めるひまもなかった。



 「Ashray」



 最初その本の名前を耳にした時、それは雷撃のような感覚に似ていた。

何か〈運命〉というものを感じたことがあるだろうか?━━━━たとえば、親と同じ境遇に置かれている自分をある日発見するとか、何度断っても同じものが巡ってきたり、自分の意思を超えた〈何か〉が存在し、僕らを試しているような、背筋が冷たくなる━━━━あの〈感覚〉。

 まさに、その瞬間の僕がそれだった。

 うるさいドミーリィの声に、いつも僕はイライラするから極力聞かないように、自分の中からシャットアウトするようにしてたんだ。いつものように本の中に集中しようとしていた時、耳に入れないようにしていたドミーリィの声は、誰ひとり口にすることがありえない名前を口にした。

「アナ・・・クレイ・・シア?」

僕の背筋に冷たい戦慄が走った。━━━ソレが何だかわかるかい?
実在するのか?嘘だ・・・・!僕の手は震えた。

 僕は一年前にソレの存在を知った。ふと手に取った本はドリーマン著「向こう側の夢」心理学に関する本だった。内容は普通の心理を超えた、今までドリーマンが接してきた患者の、心理学の常識を超えた病理の経験談といった内容だった。特に興味を引いたのが、後半大部分を占める少女Cとのカウンセリング談だった。ドリーマンによると、少女はいかなる精神病にも属さず、今まで過去の症例に見たことがないタイプだった。正気じゃないのか。正気といわれれば正気なのだが、話は少女の語る世界「アナクレイシア」へと移り、カウンセリングもすべてそこ中心になっていく。そしてドリーマンはカウンセリングが進むにつれ、恐怖を覚える。「アナクレイシア」の世界。その緻密ぶり。少女の話の正確さ。そして極めつけが━━━━━━━少女の失踪・・・。

その後、まるでホラームービーか何かのようにドリーマンが少女の枕元に「アナクレイシア」と題名のある本を手にして終わる・・・・。

 僕はこの本を読んだ時、妙な感覚に襲われた。自分の論理的思考が、この話を否定しているのに、本を終わりまで閉じることができないでいた。まるで少女の世界「アナクレイシア」に憑かれたドリーマンのように。僕もこの話に心の中では否定しながらも、惹かれる引力に逆らえないでいた。

 あれから色んな本や図書館を探してきたけど、「アナクレイシア」及び、少女に関わる事件に関係のあるものは一つも見つからなかった。時間が経つにつれ、他のことに気が移るようになったけど、その事に関することはいつも頭から離れなかった、そして一年に一回の集まりで、関わることのない相手から「アナクレイシア」の名を耳にする。
━━━━━これは〈運命〉じゃないだろうか?

 僕は足を踏み出した。

 ソレが巨大な深淵だと、
━━━━━━━━━━━━その時気づくべきだった。



 「Domierie」



 テーブルに置いてあるふきんを取りに行く時、世界が変わるなんて信じらんなかった。

TVで、どっかの大統領がチェンジと言ってた時だってそうだ。欲しかった物は手に入らないし、小っちゃなお菓子の抽選クジも当たらない。今日もあいかわらず、世界はちっぽけな子どもを押しのけて回り続け、どっかで銃がイカレたみたいに撃ちまくられ、俺のお袋と親父は罵り合いを始める。

 消えろ、全部消えろ。

耳を塞いでもガラスの割れる音が消えない。親父が酔っ払ってるせいだ。何でも壊しちまう。お袋も気違いみたいにわめき立てる。やめりゃいいのに。何言ったってアルコールが抜けるわけでもねえし、コップだって、もしかしたら運良く割られずに済んだかもしれない。(そんなことめったにないが)ああ、クソ。神様、何だってアルコールをつくりなさったんだよ。カリカリした両親を下さったことに感謝します。夜の闇の中、家族のカン高いノイズだけが聞こえる。救急車のサイレンが突然鳴り出したのを聞いた時みたいに心臓がドキッとする。時々、あまりにもこの家に嫌気が差して、瞳に涙が盛り上がることがある。ちくしょう。泣きたくないのに。ロシアのストリートチルドレンのドキュメントを見た時がある。なぜ家出したのか聞かれた子どもたちが言ってた。
「親に殴られる」
「アル中だ」
「ヤク中だ」
 俺にはヤツらの気持ちがわかった。━━━━━━家にいたくない。そんな家がどんなものかを。
眠れない夜の両親の叫ぶような怒鳴り合いが、どんなに心臓を引き裂くかを。
耳を塞いでも消えやしない。しかし、家を出て、━━━━━━どこへ行けばいい?

 夜、外をうろついてたことがあったけど、子どもに行くトコなんかありゃしねえ。真っ暗な世界。途方に暮れるしかない世界。

 俺は何も信じない。全部下らねえんだ。教師だって助けてくれるわけじゃない。俺らに点数つけるだけだ。寸法測ってチョンってなわけだ。だから俺は大人も信じねえ。自分だって信じない。信じれば救われる?ハッ!だったら、ウチのフロのボイラー直してくれよ。この間、親父が酔っ払ってた時壊しちまって、修理代のことでまた罵り合ってウンザリだ。

 だから俺はテーブルでインクをこぼしちまってフキンを取りに行ってた時、その時が、世界が変わる2分半前だと言われても、信じられるわけがなかった。
 高そうな本にインクこぼしちまって、マジあせってフキンを何枚か手当たり次第に引っつかみ、バケツらしきものを探した。けど、見当たらなかったんで、隅にあった花びんから花抜いて、水を入れ、ルーシィんトコへ戻っていった。となりのアシュレイはぶっちょう面してやがる。お気に入りの本を汚され、メッチャ怒ってやがる。いーじゃねえかよ。真っ白だったんだぞ?何も書いてねえんだし。

んで、部屋に着いた時、俺の世界が、

 いや、━━━━━━━俺たちの世界が変わるとは、誰もわからなかったはずだ。


 「よーう、ルーシィ!」
ルーシィが振り向いた。心臓がドキン!とくいを突き刺されたみたいな感覚がした。顔が半分なかった。振り向いたルーシィの姿は何か言おうと口を開いて、そして何も言わないまま、ゆっくりスウッと消えていった。何か転がる音がした。俺の持っていた物が、いつの間にか床に転がっていた。気づけば、アシュレイも手に持っていた花びんを落として、俺の真後ろで立ち尽くしていた。目は恐怖に見開いている。まばたき一つしない。背筋が風邪の時みたいに急にゾクゾクした。殺人現場で、血だらけの包丁を持った男を見た気分みてえな。自分がもう、安全な場所にいない。そんな感覚。その時は俺だけじゃない。アシュレイも思ったハズだ。誰だって思ったハズだ。ルーシィのことなんか考えなかった。考えられなかった。己の命の危険。

━━━━━━━━━━━怖い━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ただ、ただ怖かった。圧倒的な恐怖。殺されるかもしれない恐怖。初めて目の当たりにした、自分のまる裸の無防備な命。ドックドックドックドック、・・・・!ヤべぇ・・・すげえ早さで心臓鳴ってる・・・助けて、神様!でも俺は知っていた。神様なんかいないって。もうこの本から逃げられないって、俺はもう心の奥底でわかってたハズだ。逃げられない力を。

今までの世界が崩れ落ちた時、「信じない」って思いながら、俺の身体は信じらんないくらい震えていた。

 ━━━━━━━━━━━━━━━誰でもいいから助けて欲しかった。



 「文字」



 アシュレイは心臓がドクドク打ってるのを感じた。そして体が消えていくのを待った。

「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
アシュレイはうっすら目を開けた。本は依然としてテーブルの上で、ルーシィと、すぐ下にアシュレイの名が書かれてある他は何も変わりがなかった。
「なんで消えねえんだよ?」ドミーリィが驚いて言った。まだ完全に緊張が解けてはないが、少しホッとしたようだ。アシュレイも自分の手をかざしてみたが、透けていく様子もない。
「じゃあ、なんで・・・」シェーリーンが不思議そうに眉を寄せてつぶやいた。
「・・・・・・なんでだ?」アシュレイは自分の予想が外れ、新しく考えを巡らせた。「ルーシィは署名して消えたんじゃないのか?・・・・・部屋からボクたちが消えた時、何があった?」
三人とも黙って真剣に考え始めた。
「・・・何か特別な呪文みたいなのを口にしたとか・・・」
「アブラカダブラか?」ドミーリィが馬鹿にしたようにフンと鼻で笑った。またシェーリーンがドミーリィに言い返して二人が言い争いを始めている時、アシュレイはテーブルに両手をついて考えていたが、煮詰まって顔を上げた。本に、何か手がかりがないかとペラペラとページをめくってみた。
「あんたこそ、何も思いつかないくせに、人のこと馬鹿に出来んの?」
「うるせーな、俺は関わりになりたくないだけだよ!」二人はうるさく言い合って、お互いをけなしていた。シェーリーンがまた言い返そうとした時、
「・・・・・いた」
「へ?」アシュレイが何か言って二人は振り向いた。アシュレイは本をかぶりつくように見ていた。目がらんらんと、異様なものを見るように真っ白なページを凝視していた。
「・・・・・ルーシィは・・・目を・・・覚ました・・・」アシュレイが二人を見ずに言った。
「えっ!」シェーリーンとドミーリィはルーシィが部屋にいたのかと思って部屋を見渡した。しかし、相変わらず何もなかった。がっかりしてシェーリーンは、こんな時にそんなたちの悪いジョークを言ってる場合じゃないでしょと、アシュレイに文句を言おうとした。
「アシュレイ・・何言って・・」
「アナクレイシアが始まってる・・・」
「はあっ?」ドミーリィとシェーリーンはテーヴルに急いで近づいた。
「文字が・・・」アシュレイは本から目を離さず声を震わせて言った。「文字が・・・動いてる・・・・・」そう言って二人に本を見せた。二人は本を見つめた。
「始まってるんだ・・・いつの間にか何気なくパラパラとページをめくってたら・・」
「何言ってんだよ?」ドミーリィが気持ち悪いように言った。
「へ?」アシュレイは驚いて二人を見た。二人は黙ってアシュレイを見ている。「だ、だってホラ!!ページに文字が、さっきまで真っ白だったのに!」そう言ってページを指差した。二人は眉を寄せている。シェーリーンが言いにくそうに言った。
「アシュレイ」
「え?」
「・・・・・・・アシュレイ。・・・・見えないわ。・・・あたしたちには。あんたがさっきから差してるページ・・・」そして言いづらそうにしていたが、最後にポツリと言った。「真っ白よ」顔は恐怖で固くなっている。ドミーリィは後ずさりしながらゴクリと唾を飲んだ。アシュレイは背中と胃の中が、急に冷たくなったような気がした。そしてゆっくりと本へと振り向いた。文字はまだ動いていた。
「僕・・・だけなのか?」二人はコクンとうなずいた。アシュレイは、流れ落ちる冷や汗を感じながら考えを巡らせた。

 署名はしたが消えなかった。
しかし今は本に文字が見える。僕だけ。
署名したら、とにかく本の文字が見えるようになるってことだ。一つだけわかる。

 この本は危険だってことだ。

「マジで見えてんのかよ?」ドミーリィが静かに聞いた。
「・・・ああ。しかも、ゆっくりと綴られていってる。書かれているんじゃなく、・・・・・誰かが書いてるみたいに」ドミーリィがそこに誰か、書いてる者がいるかのように後ずさりした。
「ねえ、さっき『ルーシィが』どうのこうのって・・」シェーリーンがアシュレイに聞いた。
「ああ。やっぱりこの本とルーシィは関係ある。ページの始まりがこうなんだ・・・」

 そういってアシュレイはアナクレイシアを読み始めた。



 「アナクレイシア」



 ルーシィは目を覚ました。

━━━━━━何だろう?ずうっと眠ってたみたいに頭がボーッとする。━━━━━あれ・・・・あたし・・・・━━━━━━

 ルーシィはいまだに眠りが足りないかのように重いまぶたをを開けようとしたが、ウトウトとした気持ちよい眠りの力に負けて目を開けることができなかった。起きなきゃ・・・・起きなきゃ・・・・、と思っていると、手が何かに触れた。

━━━━━ん?・・・何だろう?━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

なんか、カサカサして冷たい。そういえば、さっきからなんとなく寒い。急にブルッと震えがきて、ルーシィは手に触れたものを確かめようと、目を開けた。緑に混じった茶色のもの、それが無数にあった。ルーシィは手に触れたものを握りしめた。目の前に降り注ぐ茶色いもの、風、ザワザワという音、冷たい空気━━━━━━━━━━━━━━━ルーシィは目を見開いた。

 ルーシィは震える指で、自分が今触っているものを確かめた。
「・・・・・ドコ・・・?・・・ここ・・・・」手の中から砕けた葉っぱが風に舞って散らばった。

ルーシィは落ち葉の上からゆっくり立ち上がって、地面が歩きなれてないように二度ほどよろめいた。周りは薄暗い。近くでカラスが老婆のような声で鳴いている。風がザワザワと不吉な音色を立ててルーシィをおびえさせた。

「・・・シェ・・シェーリーン?ドミー・・・リィ・?・・・ア・・・アシュレイ!」ルーシィは震える声で呼んだ。底なし沼に飲み込まれるように声はこだまして消えていった。カラスが笑うように鳴いた。


 ルーシィは森の中にいた。
ルーシィの何十倍もありそうな木々が、数え切れないほど生い茂り、ルーシィに、木々の間からちょっとだけ顔をのぞかせる空が、もう辺りが暮れかかっていて、夜が近いことを教えた。ルーシィは泣きそうな顔で記憶を辿った。

━━━屋敷にいて・・・ドミーリィがいて、シェーリーンがいて・・・アシュレイと一緒に何かしていた・・・・えっと・・・そうだ!何か考えていた・・・・なんだっけ・・・?・・・うーん・・・なんでかボンヤリしてうまく思い出せない・・・・・あたし寝ちゃったんだっけ?・・・なんだっけ・・・何かあった・・・・。

 ドミーリィのいじわるな顔、シェーリーンの叫び声、そして・・・光・・・。

頭がズキズキした。鼻もいたい・・・。インク!そうだ、転んだ、そして・・・・、
そこからルーシィは思い出すことができなかった。風にヒラヒラと落ち葉が舞う。ルーシィは周りを見渡した。屋敷の方を探そうと思ったが、周りには屋根どころか、人の気配一つない。ルーシィは背中がゾッとして大きな身震いをした。
「・・・・・・・あ・・・ぁあ・・・あ・・ぅ゙あ゙あ~」ルーシィは涙をボトボトこぼしながらしゃがんで泣きじゃくった。
「・・ああ・・ぅひぃ~~~~~ん、ああぁあ、おか、お゙母ざあ~~ん・・・!」森は容赦なく冷たい静寂で、ルーシィの泣きじゃくる声を夕闇の世界に響かせた。ルーシィは何度もお母さん、お父さんと泣き叫んだ。そして泣きながら当てもなく歩き始めた。
「ひ・・・ひぃーーーん・・・」赤ん坊は泣く。本能なのだ。子どもにとって泣くことは、言葉であり、行動である。相手に知ってもらう言葉を持たない者の、どうしていいかわからない者のメッセージなのだ、涙があふれる顔を、両手でくしゃくしゃにしながらルーシィは歩いた。木の根っこにつまづいて転んで、また一段と激しく泣きじゃくった。屋敷の方を当てもなく、ただ絶望的に歩いていた。木の間のクモの巣に顔が引っかかり、ルーシィは叫び声をあげた。


 森は残酷にも夜になることでそれに答えた。



 「三人目」



 「・・レイ・・・アシュレイ!」
「え・・・?」アシュレイははっと気がついて振り向いた。目の前には心配そうにしてるシェーリーンと、不審そうな表情のドミーリィが、アシュレイの顔をのぞき込んでいた。
「・・・・・・・?」アシュレイは二人の様子が変なのに気がついた。ドミーリィが眉を寄せながらしゃべりだした。
「・・・なに、『どうかしました?』・・・って顔してんだよ?・・・いきなりルーシィの話始めやがったと思ったら、まるでルーシィを目の前で見てるかのように、ずらずら取り憑かれたようにしゃべって・・・」ドミーリィは気味悪そうにしながら、アシュレイの周りに何かいるかのようにアシュレイの後ろに目をやった。「・・・・俺たちに話している感じじゃないしよ・・・」
「・・・・・・」
「大丈夫・・・?」シェーリーンが心配そうに、黙りこくって汗をかいてるアシュレイに声をかけた。
「・・・・僕は・・・・どのくらいしゃべってた・・・・?」シェーリーンとドミーリィは顔を見合わせた。
「・・・10分ぐらいだと思うけど・・・」アシュレイは何か考えているように、下を向いたまま黙った。アシュレイは記憶がなかった。この10分間の・・・。そして二人は、空白の本を読み続けるアシュレイを、恐怖の表情で眺めていたのだ。

冗談はやめろよ、とドミーリィはもう言えなくなっていた。流れ出る汗が、冷たくすべり落ちていった・・・。アシュレイは記憶を辿っていった。

 アシュレイはルーシィを見ていた。
まるで目の前に見るかのように。ルーシィのおびえ方も、泣き声も、肌の震えまでわかるほど。あれが現実じゃないなんて・・・。あまりにも鮮明だった!風の匂いまでわかるかのようだった・・・。ルーシィはどうなったのだろう?ルーシィの絶望が、今もアシュレイの中に残っていた。
「何かあったの?」アシュレイの様子を探るようにシェーリーンが聞いた。アシュレイは振り返ってシェーリーンを見た。うまく説明できそうにない。アシュレイは本を見た。文字はアシュレイを待つかのように途中で止まっている。
「ルーシィを・・・・・見た」ドミーリィはアシュレイを黙って見つめた。
「おめえが見たってのは・・・・アレか?ルーシィが森の中で泣いてる・・」シェーリーンは振り返って本の方を見た。相変わらず何も見えない・・・。
「本で読んでたトコ?」アシュレイは答えようと、質問してきたシェーリーンを見た。
「ルーシィの姿が見えたんだ・・・なぜかは知らないけど・・・。僕が気を失っている間、僕はソレを(と言ってアシュレイは本を目で指した)読んでたらしいけど、あれは夢なんかじゃない・・・絶対に」アシュレイの話に、二人とも黙った。
「でもよ、お前読んでたんだぜ?どこにも行かず、消えないで。・・・・様子は変だったけどよ・・」
「ルーシィはどこにいるの?」シェーリーンがさえぎった。アシュレイはちょっと考えて答えようとした。
「森の・・」
「それは本の物語でしょ?本当のルーシィはどこにいるの?」
「?」アシュレイはシェーリーンの聞きたいことがわからず混乱した。
「アシュレイ、あんたはその本読んでルーシィが森の中にいるって言ってたわ。でも、本の文字でしょ?ルーシィは・・・・・どこにいんのよ?」
「ちょっ、二人ともあの本読めばわかると思うけど、」アシュレイは説明した。「本を読むと、ただの文字じゃないんだ・・・・・何ていうか、その、目の前にルーシィがいて、自分が目の前でそれを見ているかのように、同じ場所にいるかのように見せられるんだ。あれを見たら・・・」アシュレイはさっきまでの光景を思い出すように言った。「僕の話がウソだとは言えなくなるはずだ」ドミーリィもシェーリーンも黙って下を見た。
「・・・・ルーシィは森にいる、それは確かだと思う」
「じゃあ、実際にいるワケ?どこの国だかもわかんない所に飛ばされたってこと?・・・本の中に取り込まれたのかと思った・・・」
「ちょ、ちょっと待て」ドミーリィが割り込んできた。「なあ、結局ルーシィはどこにいんだ?」
「???」アシュレイとシェーリーンは顔を見合わせた。
「だから、森の・・」
「いや、そうじゃなくて、森なのはわかったけどよ、それ・・・『現実の中』なのか、それとも・・・」シェーリーンは金づちでで頭を殴られたかのような気がした。
「ちがう世界・・・だと思う・・・・」アシュレイが下を向いたまま静かに言った。三人とも死んだように黙りこくった。シェーリーンがテーブルに黙ったまま近づいていった。
「・・・何すんだよ?」ドミーリィがシェーリーンに聞いた。
「・・・・名前書くの」
「ばっ、お前、正気かよ!?」シェーリーンがキッと怒った顔でドミーリィの方を向いて言った。
「あたし達が助けないで誰が助けんのよ!・・・あたしがルーシィだったら、今頃、世界の終わりの気分よ、何もしないアンタみたいな奴が、助けようとすらしないなんて知ったらなおさらね!」ドミーリィは言い返そうと思ったが、言葉が出てこなかった。
「シェーリーン」アシュレイがシェーリーンを止めようと声をかけた。
「アンタが言いたいコトはわかってる。危険は承知のうえよ。でも、━━━━やるしかない。そうでしょ?」そう言ってシェーリーンはテーブルに近づいていった。アシュレイは止める術もなく、立ったままシェーリーンの行動を見てるしかなかった。シェーリーンは本を見て、そして目を閉じ深呼吸した。そしてゆっくり息を吐いた。
「はあ~~~~・・・」緊張がいつまで経っても消えない。シェーリーンは両手で顔を叩きながら自分に言い聞かせた。

━━━━━やるしかないわよ、シェーリーン。でも、帰ってこれなかったら「あたしのいない世界」はどうなるのだろう?お母さんはきっとあたしがいなくなったら、おかしくなってしまうかもしれない。ただでさえ、離婚して生活大変なのに・・・。

シェーリーンはいつも口うるさくて、敬遠してる母を思い出し心がくじけそうになった。でも「いけない!」と気を取り直し、ゴクリと唾を飲み込みペンを取った。そしてルーシィの斜め上に、とがった字でシェーリーンと書いた。

 ━━━━━━なぜか自分がいけないことをして、
一文字ごとにこの地上から自分が引き離されていくような気がした。



 「Shaelehn」



 現実感がない。

なんかさあ、時々思うんだよね。「アタシって何?」とか。
ママはいつも働いて、疲れちゃってるから迷惑かけらんないし、パパは5歳の時にアタシたちを置いて出て行っちゃった。学校ではいつも、女の子たちは陰口と流行の話。男の子はHな本を見たり、ゲームやサッカーに夢中で、こんなちっぽけな集団の中でイジメたり、イジメられたり、点数つけ合ってさあ、アタシはそういうのホント、「下らない」って思う。だから、適当に話合わせたり、笑ったり、流行の話したりするけど、正直、そんな嘘くさい自分に疲れちゃう。時々このメンドくさい世界のゴタゴタした全てを、たまった洗濯物と一緒に洗濯機に放り込み、消えてなくなるまでくったくたに回しまくってやりたくなる。

宇宙人はいるんだろうか?
幽霊はいるんだろうか?
━━━━━━アタシはいるんだろうか?━━━━━━━━━━━━━━━

 学校から帰ってきて、今日もおなじみの冷凍食品を冷凍庫から取り出す。CMで明るくしゃべりかけるマスコットキャラが描かれた袋には、これ以上ない笑顔で、「3分で明るい食事!」とセリフが書かれていた。

「ウソツキ。」

世の中みんな、偽りばかりに見えない?政治家も、大人も、先生も、クラスメイトも、親たちも、パパも。この冷凍食品と一緒。表面だけニコニコしてる。中身はわからない。大統領もTVではニコニコしながら、裏じゃ子どもたちに爆弾振りまいてるんでしょ?アタシ知ってるんだから。女の子たちだって、誰か一人いなくなったらその後すぐさまそのコの嫌なトコ言い始めるし、明るく見える世界の裏側は、とてもとても暗い世界(DARK WORLD)だ。

アタシはアタシがわかんないよ。アタシはみんなのこともわかんない。パパの気持ちも、ママの気持ちもわかんない。神様がいるのかもわかんない。信じてた「大人たち」がはたして本当に正しいかどうかもわかんないことを知ったとき、何を基準に「正しい」ってわかるの?
人殺しの大統領なんて信じないし、汚いことしてる、どうせアタシたちのコトなんか考えてない政治家も信じない。テストしか興味ない教師もサヨナラ。私という人間に点数つけるの?どうせロクな点数取れないアタシは不良品?

授業も何のタメ?とか思っちゃうんだよね。だって使わないじゃん?数学とか、何年にフランス革命とか。何のタメかも説明しないで、命令聞くロボットじゃないっつーの。
学校の担任はロバルト先生っていう、いかにもマジメですって感じの、メガネをかけた、やせ細った、声の小っちゃな内気そうな男なんだけど、十六世紀の絵画の説明をしてるような授業だった。みんなケータイいじったりしてるし、これじゃ何のタメに覚えんのかわかんないよ。とにかく、大人ってのは説明しないよね。自己完結ってゆうの?自分の中で言い分が決まってて、こっちの話聞こうともしないじゃん。ウザ。

 だからあの時、あたしの現実感のない世界にアレが現れた時、ルーシィが消えるまで、アタシはまるで現実感がなかった。

うるさくて、中身六歳児のガキないとこと、根暗で、感情のないロボットみたいなメガネ君。ふわふわとして、何にも苦労してませんって感じの小っちゃな女の子、そして、その中に放り込まれたウンザリしているアタシ。
もう、ただでさえ最近イライラしてるのに、こんな所に数日いたら発狂してしまうにちがいない。

アタシは行きたかった。どこかへ。ここじゃない、どこかちがう場所へ。

 アタシの爆発しそうなフラストレーションに神様も重い腰をあげて下さることにしたのか、アタシの願いは聞き届けられた。たまりにたまった不平、不満と共に。
そして戻りたくても戻れない世界にアタシは、いや、アタシたちは引きずり込まれることになる。

慈悲深い神様は、その時こう言ったのかもしれない。

「OK、シェーリーン。我慢も人生なんだよ?イージー、イージー、TAKE IT EASY。そんなにカリカリすんなよ?OK、OK、わかったよ、オーライ。そんじゃ願いを叶えてあげよう!LET‘S TRY!・・・ここじゃないトコがいいんだね?OK。ノープロブレム」そして満面の笑みで、こう締めくくったのかも・・・。

━━━━━━━━━━━━「GOOD LUCK!」((これでも 喰らえ!))



 「三人目(つづき)」



 三人は緊張して三十秒ほど誰もしゃべらなかった。シェーリーンは聞こえるほど大きく息を吐いた。緊張しすぎて息をすることができなかったのだ。

━━━━━とりあえず、消えなくてよかった!━━━━━━━━━━━━━━━
ドミーリィも安心したようだ。しかし、次の瞬間みるみるシェーリーンの顔が蒼ざめていった。目を見開いている。ドミーリィが見ると、シェーリーンはテーヴルの上の本を見ながら、銃を突きつけられた人の表情になった。
「・・・・・・。」アシュレイも見た。

 アシュレイが本を読みかけた時、シェーリーンが金縛りにあったように立ち尽くしたまま、アシュレイの続きを読み始めた。



 「森」



 ルーシィは森をさまよっていた。

もはや月のわずかな光だけが足下を照らしていた。もう八回も転んだルーシィは、汗と涙と土で、ドロドロになってあちこちすりむいていた。泣きすぎて頬と目がヒリヒリした。そして鼻をグスングスンいわせながら、夜道をちょっとずつ歩んでいた。が、しかし、歩けど歩けど見える光景は木と木と木。お腹もすいた。足もいたい。もう歩けない。変な虫がいっぱいいる。いろんな生き物の鳴き声がさっきから聞こえてきて、それが森に響き渡るたびにルーシィはビクッと身を震わせた。

 屋敷は一体どこなのだろう?
デパートで迷った時も同じ気持ちになったが、今度のはそれ以上だ。ルーシィは「もう、明日はないんだ・・・」「もう、お母さん、お父さんに会えないんだ」と思い、また泣きはじめた。足の痛みと転んだ痛み、お腹の空腹、一人ぼっち、すべてが一緒になりルーシィは「えっぐ、えっぐ・・」と嗚咽をこぼした。その時、ルーシィは何かガサッと背後で動く気配を感じた。
「!」
泣いてる顔を上げ、後ろを振り向いてみると、茂みと闇で何も見えなかった。
「・・・・・・。」

━━━━━恐い犬出てきたら、どうしよう・・・━━━━━━━━━━━━━━━
ルーシィはみるみる蒼ざめた。疲れきった足で立ち上がると、安全な場所を見つけようと歩きはじめた。が、ルーシィが移動するとまた、音がした。ルーシィはまた、後ろを振り返った。立ち止まると森の奥でフクロウか、何かの鳥がホーホー鳴いているのが聞こえるだけでシンとしていた。また歩きだすと、また物音がした。

「やっぱり、何かいる!」

ルーシィが立ち止まると物音も止まり、歩きだすと、また茂みがガサガサすれる音がした。ルーシィはうろたえて速度を速めた。物音はますます速くルーシィに合わせてついてきた。
「や、・・・やーだーーーーっ!」泣きながらルーシィは逃げる場所を探した。今やもう走っていたが、悲しいかな、いかんせん子どもの足、そんなに速くなかった。ガサガサとついてくる何かを振りきれず、ルーシィは「もうだめだ!」と思い、近くの茂みに飛び込み、隠れて息を潜めた。背後から物音が近づいてくる。
「はあっ・・はあ!・・・」走ったせいで息が荒くなったルーシィは、息の音がバレないように震えながら口を両手で抑えた。物音は立ち止まった。ルーシィがどこに行ったか探しているようだ。

ドキン、ドキン、ドキン、ドキン、ドキン!

口を抑えながらルーシィが━━━早く行け、早く行け━━━━━━と心で念じていると、物音はガサガサとまた、ちがう方向へ去って行った。

「はあ・・・」息を止めてた両手を外してホッと大きく息をついた。━━━よかった・・・・━━━━するとガサッと後ろで物音がした。ルーシィは一度心臓が本気で止まったと思った。物音は後ろからルーシィの方へ近づいてくる。

ガサガサガサッ!

ルーシィは近づいてくる物音にびっくりしたせいで茂みから出てしまっていた。物音はもう、ルーシィのすぐ後ろに来てしまった。

ガサガサガサッ!

「もうだめだ!!」

 ━━━━━━━━━━━━━━━ルーシィは瞳を閉じた。



 「A Hard Day‘s Night」



 頬に強烈な痛みが走った。

「・・ぃっ・・た・・・!」反射的に左頬を押さえ、一瞬何が起こったのかわからなかったけど、次の瞬間には頭にカッと血が昇って、殴られた怒りが湧き上がってきた。目の前には眉をひそめたアシュレイがいた。
「な、何すんのよ!」アタシは頬を押さえながら、大罪を犯した者、この「アタシ」を叩いた者、とんでもない罪を犯した大犯罪者を責めるように叫んだ。女の子を叩きやがって、誰にも叩かれたことなんかないのに!
「大丈夫?」アシュレイは心配そうに聞いてきた。

━━━ハ?よりによって叩いといて、叩いた相手に言うセリフがそれ?銃で撃っといて「ケガない?」って聞くワケ、あんた?
「ハア?あんたねえ・・!」アタシがこの怒りをぶつけてやろうとした時に、アシュレイはかぶせるように言ってきた。
「なんか、止まらなかったから・・・」
「は?」一瞬ワケがわからなかった。そして考えを巡らせ、
「あっ!」一瞬にして思い出した。

━━━━━━━アタシ・・・・意識トンで・・・た・・・?━━━━━━━━━━━━

ワケがわからない。どのくらい自分を失ってた?そして、ルーシィは・・・
「あ・・・ア、アタシ・・・ルーシィを・・・・・・見た・・・・。森の中・・・・夢じゃない・・・夢じゃ・・・。アタシ・・・ルーシィになったみたいに・・・。ア、アタシ、どのくらい気を失ってた?ルーシィは・・」
「落ち着いて」アシュレイが両肩をつかんで、混乱しているアタシの話をさえぎった。「僕も見たからわかる。今、現実で五分くらいシェーリーンは気を失ってた。シェーリーンの話だと、ルーシィは森の中をさまよってて、何かに遭遇したみたいだ。そこまでで終わってる・・・」

アシュレイの話を聞きながら、ひとつひとつ思い出していく。
そうだ、森の中、ガサガサという動くものの気配、びっしりと生えた木々、光を遮断してしまう空の生い茂った葉、森の暗闇、様々な気味の悪い鳴き声、ルーシィの震える小さな肩、「はっ・・はっ・・」という息づかい、そして・・・・逃走、迫る危険・・・・危険!そうだ!ルーシィが危ない!
「ああ!」さっきの状況を思い出したアタシは、思わず声を上げた。「そう!何で止めちゃうのよ!ルーシィが今危ないの!わかるでしょ?何かに追われてて・・」
「シッ!」アシュレイは興奮したアタシの話をさえぎって口に人差し指を当て、静かにしろという仕草をした。
「?」アタシがワケがわかんない顔して、キョトンとしていると、ドアの外でコツコツという足音がした。
「!っ」誰か来る!アシュレイはアタシと視線を合わせ、小さく頷いた。じっと黙ってたドミーリィもアタシらを見つめ、そして何か指差した。
「?」アタシが何を言いたいのかわかんないでいると、
「バカ!本だよ、本!」と小さな声で隠せと言ってきた。
「あ!」やっと気づいたアタシたちは急いで本をベッドの中に隠し、汚れたテーブルを身体で見えないようにして何気ない様子の体勢をよそおった。

 ギィ

ドアが開く。

「アラアラ、何か・・・じゃましたかしら?」
入ってきたのは三十代後半の、頑張ればまだまだイケるのに、子どもと生活のために仕事が忙しくてメイクとか最近サボってるって感じの人、━━つまりアタシのママだった。
「ママ!」」
「あ、シェーリーン。あのね、明日ね、アーニーとかと話してたら、天気がよかったらみんなでハイキングでも行かないかって話してたんだけど、もちろん行くでしょ?」
「ええっと、あの・・・」答えに困って隣のアシュレイたちを見た。いつも冷静なアシュレイも、メガネを失くしたみたいにあせっている。
「あ・・・、あの、明日はみんなで遊ばないかって今話してたんです!だろ?ドミーリィ?」アシュレイがわざとらしく、二度と見れないような明るさをよそおってドミーリィの方へ話を振った。ママは信じらんないという風に目を点にしてアシュレイを見た。あー、そうだよね、普段だったらアタシも信じらんないよ。さすがアタシのママ。アシュレイがしゃべるとこなんか誰も見た時ないから当たり前だ。まして「だろ?ドミーリィ?」だって!言われたドミーリィもどぎまぎしながらも気を取り直し、
「あ、ああ、そう!たまには四人で何かしようって話してたんだよ、おばさん!」と何とか絞り出すように答えた。ママはキョトンとしながら、まだアシュレイを凝視してた。口を開けそうな勢いだ。が、さすがに失礼になるとやっと気づいたらしく、ドミーリィに答えた。
「あ・・・アラ、そ~なのぉ、まあ、珍しい、じゃなくて、そうよね・・ホホホ、たまにはみんなで仲良く遊ぶのもいいわよね、・・・アラ、ルーシィちゃんは?」アシュレイ、ドミーリィもアタシも心臓がドキン!と鳴ったのがわかった。横目で一瞬目を合わせる。ドミーリィが何か適当に言えと口をパクパクさせてきた。
「あ・・・・ホ、ホラ!トイレか何かじゃない?ちょっと前に出て行ったから・・」
「あ、そう。ふうん。あ、じゃあ明日は一緒に行かないのね?外だから、あっちへ行ってからでも何か、遊んだりできると思うけど」
「うん、いい。明日はなんか、忙しくなる予定だから!」
「あ、そう。・・じゃあ伝えておくわね。あんまりケータイばっかりイジったり、長電話しちゃダメよ」
「わかってるから!・・・るさいな」ママはため息をつきながら、まだ言い足りなげだったけど、アタシは「じゃあ」と言うのも待たずドアを閉めた。ドアに耳をつけ、ちょっと間があってから足音が遠ざかるのを確認してアタシは二人に向き直った。
「ふ~~~~~・・・やっばかった~~~~」三人とも深く息を吐いた。ドミーリィが床に座り込み、頭を抱え、
「おいおいおい、ど~すんだよ、こんなの三日と隠しておけねえぞ?娘さんはどっかの異世界に連れてかれました、なんてルイス・キャロルもマイケルジャクソンだって信じねえぞ」
「何言ってんのよ!アンタだって言ってたじゃない。正直に言ったって信じてもらえないって」
「だけどよ~。バレてみろよ?俺らが何か訊かれんの確実だろ」
「そうじゃなくて!ルーシィ!アタシらなんか別に大したことないけど、ルーシィが大変なの!知ってんでしょ!バカ!」ドミーリィがムッっとして何か言い返そうとした時アシュレイが冷静に間に入ってきた。
「さっき、シェーリーンのお母さんが言ってたよね?明日どっか行くって」
あ、そうだ、確かに。バタバタして隠すのに必死だったから忘れてたけど。
「そうだ、明日ハイキングがどうのって・・・」
「明日はたぶん、親たちで外出するみたいだから、うまくいけば、明日一日ぐらいの余裕は一応、あると見ていい」
「一日!ハッ!」ドミーリィが頭を振り吐き捨てる。
「とにかくだ」アシュレイが無視して話を進める。「ルーシィの動向は掴めているらしいし、まだ望みがあるのに、ルーシィがどうにかなってしまってからでは助けるもなにもない。助けに行く方法もわからない以上、読むしかないよ」
「ハッ!そいつあ、安心だね、ルーシィも。なんてったって、生きてるらしい!動きは掴めてるらしい!だかんな。あー、狂っちまいそうだよ、ココに居ると」
「・・・もう狂ってるさ」アシュレイが聞き取れないくらいの声でボソッとつぶやいた。アシュレイもドミーリィも黙り込んでしまった。
「と、とにかく、さっきのトコだとルーシィが危ないでしょ?続きを読むしかないわ」ドミーリィはチラッと目を上げ、無言で本を見てる。全然乗り気じゃないようだ。でも、それでも何も言わないのは、他に選択肢がないのを知っているから。アタシはベッドに近づき、ぶ厚い本を取り出すと、
「じゃ、・・・読むわよ?」と二人に聞いた。アシュレイが真剣な顔でコクンとうなずき、ドミーリィはゴクンと生唾を飲み込んだ。本を開こうとした時、音が響いた。

 コンコン!

三人ともビクッとなった。━━━━ドアをノックしてる!アタシたちは顔を見合わせて急いでまた、本を隠した。そして、ドアの方へ声をかけた。
「は、はーい。どうぞ」ドアが開くと、その中からおずおずと、中学生くらいの赤毛の女の子が顔をのぞかせた。その顔を見て、真っ先にドミーリィが声をあげた。
「アーキー!」
そう、ドアから顔を出した、どっかの長靴下をはいた少女の物語から抜け出てきたかのような、赤毛の、所々四方八方ピョンピョン飛びだしたこの子はアーキーといって、屋敷の台所とか家事の手伝いをしてるポラーナっていう奥さんの娘だ。夫と一緒に農業をやってて、娘のアーキーは色々と、うるさいポラーナさんに叱られながら、嫌々手伝わされていた。アタシもたまに見かける程度で、あんまりしゃべったことはないと思う。もっともドミーリィはよく馬鹿にしてからかったりしてたけど。赤毛で、いつもごわごわした髪を三つ編みにして、顔にはそばかすがあったので、「ピッピ、今日はマイキーは連れてないのかい?」とか、アーキーを事あるごとにからかい、農家の娘のアーキーはカンカンになって口汚く、「オラ、そんなの飼ってねえ!この糞転がし野郎!」とか言い返すので、またドミーリィが「オラ、だってよ!おいおい、ここにハグリッドがいるぞ!みんな!」とか馬鹿にするので、この時からアーキーは「オラ」って言わないようになったりと、(たまに安心して出ちゃうみたいだけど)とにかく、ドミーリィとは争いが絶えない犬猿の仲だった。まあ、もっともドミーリィをスキなヤツなんていないと思うけど。

そのアーキーが口を開いた。
「あのう・・母ちゃんがでえ所((台所))にあった、バケツとか色々持って来いって言われで来だんだけど・・・」
ん?あ、そうか!さっきインクこぼした時の水差しやらバケツを探しに来たんだ!!
「あー、そうだった!アタシらインクこぼしちゃってさ。それで拭くのに持ってきちゃったんだよね」
「持っでっていいっすか?」
「あー、うん。大体拭いたと思うけど・・・」アーキーが部屋にツカツカと入ってくる。いつもうるさいドミーリィが静かにしてるので、アーキーは顔をしかめた。
「オメー、何してんの?こんなトゴさ座って?」静かにしているドミーリィは逆に変に映ったらしい。
「う、うっせーな!早く行けよ、俺らは忙しいんだよ!オメーとちがって」
「ハア?変なとっつぁんだね、この人も。そこらにすっ転がってるだけのくせによ、どうせ、テーヴル汚したのだってオメーだから」
「う、・・・うるせーな」アーキーの予想が当たってるだけにドミーリィはそれ以上何も言えなかった。フッと馬鹿にしたように笑みを浮かべながらアーキーは、
「やっぱね。ほんと何でもとっちらかしちまうんだから、ウチのクレオパトラのがよっぽどキレイ好きだわな~」と飼っている子豚とドミーリィを比較して馬鹿にしだした。ドミーリィが何か言い返したそうなのを無視して、アーキーはパッパッとバケツと水差し、ぞうきん等を小脇に抱え、
「んじゃ、どぅも~」と言って部屋から出て行った。ドミーリィは面白くなさそうに、「あの、赤髪の長靴下のサルめ」とか何とかブツブツ言っていたけど、アタシはそんなの無視して、靴の音がドアから遠ざかるのを確認しようと耳を澄ませた。すると、遠ざかる男らしい足音の後に、何か別の足音がするのに気がついた。え、こっちに向かって来る!また?
「シッ!」アタシは口に人差し指を当て、ドミーリィのうるさいブツクサ言うのを止めた。
「なんだよ・・・?」ドミーリィが弱気になって聞いてくる。
「誰か、・・・誰か来てる!」
「っ!またかよっ!」別に何も隠したりできないんだけど、なんとなく自然を装おうと、みんなアタフタしだした。ドミーリィは馬鹿みたいにテーブルに手をついて、口笛を吹きだした。八十年代の映画だってもっとうまく誤魔化すだろうに・・・。コツコツという足音がドアの前で立ち止まる。そしてコンコンとノックする音が聞こえた。
「は、はあ~い!」アタシが返事をするとドアが静かに開き、三十代の金髪の髪をひっつめた、神経質そうな女の人が顔を出した。あ、アシュレイの・・・。と、ドミーリィとアタシがたぶん同じコトを考え、黙っていると、当のアシュレイは読んでいた(振りをしていた)本から目を上げ、女の人を見つめ黙っていた。しばらく互いに顔を見合わせて黙っていたけどやがて、女の人の方が口を開いた。
「アシュレイ」アシュレイはなおも黙っている。女の人も立ったまんま何も言わない。クイズ番組だったら失格になってる所だよ?コレ・・・。しばらくしてアシュレイは口を開いた。
「・・・・・・・・・何?」何っつーー短い返事。短っ!これ親子?親子なワケ?アタシは猛烈に心の中でツッコミを入れながら、顔に出さないように我慢していた。横目でチラッと見たドミーリィも手が無意味に動いていた。口も食いしばるように閉じている。どうやらアタシと同じ気分のようだ。アシュレイのお母さんはちょっと戸惑ったようだけど、気を取り直してコホンと一つ咳をして、アシュレイに話しだした。
「コルトニーさんから聞いたと思うけど、明日、ハイキングに行く話をしてたんだけど・・・」
「・・・だったら僕たちは行かない、って聞いた?」アシュレイのお母さんは軽くため息をついて返事をした。
「ええ、聞いたわ。何でもみんなで?約束があるとかで・・」
「うん」ちょっと信じかねるというように、アシュレイのお母さんはアタシの方をチラッと見た。う・・・・。アタシはとっさに微笑んでごまかそうとした。あー、引きつってないかな・・・コレ・・・。
「そう。まあ、残念だけどしょうがないわね」
「?」なんか、アシュレイのお母さんを見ていて、ちょっと変に思った。なんか、話が事務っぽいってゆうか、言葉の割に淡々としてるってゆうか・・・。アタシが二人の距離感を考えてたら、アシュレイが急に話を変えるように話しだした。
「あのさ・・・」
「ん?なあに?」一瞬ためらった後、アシュレイは思いきったようにしゃべりだした。
「今日、みんなでしゃべってたら色々話したいことがいっぱい出てきて、たまには一緒に寝ようってことになってさ、今日、余ってる部屋で一緒に話しながら寝てもいいかな?」壊れたラジオが棒読みするように、一気にアシュレイはお母さんに聞いた。質問している風には聞こえなかったけど。アシュレイのお母さんは一瞬ポカーンとなった。何か探しているように。そして数秒後にやっと、探していた、壊れたラジオが目の前の息子だと脳が理解したらしい。
「あ・・ああ。・・・でもベッドが四つもあるかしら?」
「いや、ドミーリィと僕で、シェーリーンはルーシィと寝るから。奥に客室が二つあったはずだから、そこ借りて寝ようかと思うんだけど・・」
「ええ・・と、い、いいんじゃない?誰も使ってないし・・・」
「うん。じゃあ今日はそっちで寝る」そしてアシュレイはこっちの方を見て、軽く合図するかのようにウィンクしてきた。
「・・・・・あ!」ああ、そうか。ルーシィの・・・。それまで何故アシュレイが柄にもなく、こんな事を言い出したのか、わかんなかったけど、そうだ。四人、いや三人で集まって変に思われないためにはいい案だ。ドミーリィの方をチラッと見ると、わけがわかんないって顔してたけど、しばらくして気づいたみたいだ。
「わかったわ。でもあまり遅くまで起きてちゃダメよ。みんな、それぞれ、もう言ってあるの?ドミーリィやシェーリーンは」
「いや、ウチはどうせ、そういうの気にしないんで」とドミーリィが答える。
「あ、アタシも大丈夫。さっき、言いそびれちゃったけど」
「あら、そう。そういえば、ルーシィちゃんが見えないみたいだけど・・・」一瞬ギョッっとしたが、慌ててたぶんトイレだとアタシがまた説明した。
「じゃ、明日はけっこう早くから出かけるから。夜更かししないようにね」
「わかってるよ・・・」そう言って、アシュレイのお母さんは部屋から出ていった。ふーー、いちいちアセるなぁ。こんなのが何回も続いたら誤魔化しきれるワケがない。それにしても・・・。アシュレイの方をチラッと見る。何か変だよね?アシュレイがいつにも増して、機械的に受け答えしてるように見えた。まあ、いつもそうだからアタシの勘違いかもしれないけど・・・。だって家族なんだし、もうちょっと感情が出るモンなんじゃないかな。そんな思いが頭をよぎったら、そのアシュレイが話を切り出した。
「マズイな・・・、このままじゃルーシィのお母さんまで来ちゃうよ。さすがに、何回もトイレ作戦じゃもたない」
「お前と寝んのかよ?俺」と聞いてきたドミーリィにアシュレイが振り向きもせず答える。
「そうなってるね」ゲェ~~~とドミーリィが舌を出す。
「とにかく、移動しよう」アシュレイが言い出す。
「どこに?」とアシュレイに聞くと、
「奥の部屋に行こう。で、寝る前っぽくして、ルーシィはもう、寝ちゃったことにしよう」とアシュレイが提案してきた。
「はあ?お母さんが来ちゃったらどうすんのよ?」
「枕か何かを丸めて突っ込んでおけばいい。あとは部屋を暗くして、シェーリーンも寝た振りをするんだ」
「そんなの、近づいたらバレちゃうじゃん!」アシュレイは肩をすくめた。あー、そう。アタシの罪を被る危険性は知らないってワケね。
「どっちみち、明日の朝か、夜にはアウトだ」とアシュレイが言うと、みんな一瞬下を向いて黙り込んだ。そう、どっちみち前途は真っ暗だ。これ以上ないくらい。ここにいる三人は、言い逃れなどできないのだ。
「はあ」重くため息をつきながら、アタシは部屋を出ようとした。
「どこ行くんだよ?」ドミーリィが声をかけてきた。
「ママんとこ。今日はルーシィと、奥の部屋で寝るって言ってくんの」アシュレイも本を取り出しながら、
「じゃあ、僕らも奥の部屋に移動しよう」と提案した。ドミーリィはウンザリした顔で、頭を振りながらアシュレイに重い足取りでついて行った。
明らかにあの本と一緒の部屋に居るのが嫌なようだった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 アタシは部屋を出ると、ママのとこへと向かった。今まだ寝室にはいないだろう。リビングルームに行くと、何人か、他のお母さんと飲みながらしゃべっていた。
げ!ルーシィのお母さんだ!アシュレイのお母さんもいたから、たぶん、もう言ってあるだろう。まあ、いいや。
「あ、シェーリーン」ママがアタシを見て、声をかけてきた。
「ママ。あの、もう聞いた?」
「ん、ああ。ええ、聞いたわ。なんか、みんなで寝るんでしょ?今日」
「うん、そう。あっちで寝るから。あ、あとそれから・・・」アタシはとっさに思いついて、ルーシィのお母さんに声をかけた。「みんなでちょっとしゃべってから、ルーシィとアタシで一緒に寝ますんで」
「ええ、聞いたわ。ルーシィは?」グサァ!一瞬、心臓がナイフでえぐられたかのように感じた。アタシはマックの店員みたいに、まるで、大好きなロックスターに向けるみたいな笑顔をアタシの中から必死に探し出してきて、何とか笑顔を顔面に貼り付けた。
「ああ、えーと、みんなでものっすごい盛り上がっちゃって、ルーシィすっごいはしゃいじゃってて、アタシが行くって言ったらなんか、ついでに言っておいてっていわれたんで・・・あは」と何とかアタシが言うと、ルーシィのお母さんは
「まあ。うるさいでしょ?あの娘。ちょっと注意してこないとダメかしら?」と席を立とうとした。
げげげ!0.1秒でアタシは、
「イヤ!イヤイヤ、あの、大丈夫です!ルーシィはもう、全っ然静かなんですよ?もう、居んのか居ないのかもわかんないぐらい!はは・・・は」あ、ヤバい。ルーシィのお母さん変な顔してる・・・。「とにかく、すぐ寝ますんで、今日は。じゃ!」と言って、アタシはすぐに出てきてしまった。あー、ヤバい。心臓バックバクだよ・・・。アタシがため息をつきながら部屋に戻ろうとすると、誰か知らない人の背中が見えた。ん?あ!そうか。アシュレイたちはもう部屋移動したんだ。とすると、この背中は・・・。ヤバっ!アタシは急いで、入ろうとしてた右足を、こっちの部屋から奥の部屋へと方向転換した。あの背中で、あのピチッっと定規で測ったみたいに七・三に分けられた白髪は、屋敷の管理全般をしているゴールトじいさんだ。━━━━━何をやっているのだろう?と思いながら、奥の二つ並んだ部屋の、左の方のドアを開けると、アシュレイがドミーリィを羽交い締めにして、ドミーリィがグエッと舌を出していた。お互い見つめ合ったまま、無言の数秒間が流れた。
「・・・・・・・・何やってんの?」二人とも顔を紅くさせ、オホンッとか咳き込んだりして戸惑いを隠そうとしだした。
「おま・・、急に入ってくるからよ・・」
「はあ・・」ため息をつきながらアタシは言った。「アンタねえ、アシュレイとアンタがプロレスごっこするって、マドンナがサルとチークダンスするぐらい違和感あるから」
「おめ、・・・アシュレイがやったんだぞ?」アシュレイはコホッと咳をして、下を向いて何か調べるフリをした。
「ノックしろよ」とドミーリィが言ってきた。
「あー、だってさっきもだけど、ノックしてもどっちみち、ビックリして動揺しちゃうじゃん?だから、いいかなーと」
「じゃあ、合図決めとこう」アシュレイが気を取り直して提案してきた。
「どういう風に?」とアタシが聞くと、
「じゃあ、・・・・・1・3・1にしよう」
「わかりにくいな・・・」
「最初一回ってほぼないから、その間でわかりやすいかと思って」
「まあ、いいや。とりあえずそれだ。3・1・3な」
「1・3・1よ、バカ!」
「わあーってるよ!冗談だよ、冗談」
「で、」アシュレイが話を振ってきた。「どうだった?」
「え?ああ、言ってきたけど、ルーシィのお母さんが一緒に来ようとしたんだけど・・」アシュレイとドミーリィは、目ン玉が飛び出るかと思うぐらいビクッとして身構えた。
「だ、大丈夫よ!言ってきたから。あの、ルーシィも言ってましたよって。今は、はしゃいでるから来ないけどって」
「どっちみち来るんじゃないかな・・・」アシュレイとドミーリィは心配そうに黙り込んだ。
「それより、」アタシはそんな二人を無視して切り出した。「アタシらが居た部屋あったでしょ?今、あそこに戻ろうとしたら、誰か先に居て、誰だと思う?ゴールトじいさんが居たの!」目と鼻の先に、(といっても、何部屋も離れた廊下の先にだが)何かとうるさいゴールトじいがいると知って、二人は顔を見合わせた。
「何やってんだ?」ドミーリィが急に、小さい声で疑問を口にした。
「何か調べてるみたいだったけど・・・」
「まさか、ルーシィのことが・・・」
「あ、ちがう。・・・アーキーだ」
「へ?」ドミーリィとアタシはアシュレイの方を向いた。
「僕らさっきインクこぼしたろ?それで、バケツ回収に来たアーキーがドミーリィに復讐しようとして、ゴールトじいに言ったんだよ」
「あ!あの野猿め~~~」ドミーリィが歯ぎしりした。
「アンタがかまうから。じゃあ、インク調べてたんだ」
「とにかく、静かにしてた方がいい。こっちに来るかもしれないから」ドミーリィは自分がこぼしたんで、率先して静かになった。アタシも座ろうとしたら、アシュレイが
「シェーリーンも、いったん、隣の部屋に戻った方がいい。ルーシィのお母さんが来るかもしれないから」
「ええっ!やだよ。バレたらアタシ、どうやって説明すんのよ?」
「エイリアンに連れてかれちゃいました。うふ!たぶんまだ、あのオリオン座のあたり飛んでますよ?」ドミーリィがアタシの真似なのか、裏声で架空のルーシィお母さんに話しかける真似をした。「俺だったら、アーキーを喜んで差し出すけどね」アタシが怒って睨むと、ドミーリィはへへっと笑って、懲りもしなかった。ん?気がつくと、目の前に髪の毛みたいのがあった。
「うわっ!何すんのよ?」
「コレ、さっきの部屋に置いてあったんだ。使えるんじゃないかと思って、持ってきてみた」そう言ってアシュレイが差し出したのは、けっこう大きな人形だった。本物みたいにできてるリアルなヤツだ。アタシがアシュレイを見返すと、「ホラ、これ、この髪の色とかルーシィそっくりだろ?」だって。アタシは冷たくアシュレイを黙って見つめて抗議した。アシュレイは気まずそうに目を反らした。隣でドミーリィが人形を持ち、
「アタシ、ルーシィ。エイリアン大好き!」と、裏声で腹話術師の真似をしだした。アタシは三回ぐらいぶっ殺そうかと思った。アタシに助けはないワケね、神サマ。
━━━━つまり、そうゆうことだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 隣の部屋に移り、できるだけそれらしくフトンを詰め、人形の髪だけ出すようにした。うん・・・これぐらいだったら、暗くすればわかんないかも・・・確かに。アタシは細工し終わった後、電気を消して、自分もフトンに入った。アシュレイの話だとこうだ。親たちはまだ起きてるが、明日早いため、一時前には寝るハズだ。だから、それまでは部屋を暗くして、寝たフリをしてやり過ごす。で、みんな寝た時間頃に起きてきて、また本を読み、できれば朝までにルーシィを無事救出、というものだった。ハア。・・・どう考えても絶望的かつ、見込みのない作戦だ。FBIもトムクルーズも真っ青だろう。しかし、アッチの部屋ではどうしてるんだろう?アシュレイとドミーリィ二人きりなんて、政治家とピエロぐらい合わないと思うけど。まあ、今日見た限りじゃ、アタシたち全員道化みたいなモンか。さっき十時過ぎだから、三時間ぐらい寝たフリしなきゃ。なんか、色々疲れたな・・・。とか思ってたら、廊下の向こうから、コツコツコツという静かな足音が聞こえた。
「!」やば、近づいてくる!アタシはできるだけ寝息を立て、深い眠りについてるフリをした。

 キィ

ドアが開いて、明かりがちょっと漏れてるのを、閉じたまぶたに感じた、アタシは鼻息が荒くなって、心臓が一回ごとにハンマーで鳴らされてるかのように、ドクドク!と鳴って、平常心を保ち、普通の寝息を立てるのに必死だ。
「あら、寝ちゃったのね・・・」小さな声がボソッと聞こえた。
━━━━━ルーシィのお母さんっ!
なぜか聞き覚えのあるこの声は、そりゃそうよね・・・だって、
━━━━━━ついさっき聞いたばかりだもんね!
ただでさえ平常心を保つのに必死だったアタシの心臓は、ルーシィのお母さんの声に、入ってきたのがまるで、サンタがサタンだったかのように引きつけを起こした。ビックリして動揺したアタシの身体はむせってしまった。
「・・ぇ・・エホッ!・・んん・・・」ルーシィのお母さんがビクッとして、動きを止めたのがわかる。
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバい~~~~~~~~~っ!!
アタシはフトンにくるまりながら、殺害現場に来られた犯人のような気持ちで、アタシの横でスヤスヤ眠る、プラスチック版ルーシィが見つからないことを必死で祈った。バック、バックバック、バック!ああ!息が苦しい!アタシは寝息を立てながら、もう気が気じゃなかった。もしルーシィのお母さんがルーシィを撫でたりしにきたら・・・・。ああ、勘弁してよ、もう!

アタシが狂った殺人鬼のように、血走った目でルーシィのお母さんの動向を探っていると、ちょっと開いたドアの所でルーシィのお母さんは入るか、ためらっているようだった。

来るな、来るな来るな来るな来るな、来るな・・・・・・っ!

アタシはもう、フトンの中で奇跡を起こす神の膝にしがみつかんばかりだった。たぶん本当に神さまがこの場にいたら、両足は折れていると思う。そのぐらい必死だった。
「・・・・・・・・。」
アタシの鼻息が荒かったのが幸いしたのか、ルーシィのお母さんはそのまま部屋に入らず、ドアをゆっくり閉めて行ってしまった。

「・・・・は・・は・・・・はあ~~~~~~~~~~っ!!!」アタシは一気に今までためてた空気を吐き出した。遠ざかる足音を聞きながら、とんでもなく汗をかいてることに気がついた。
うわー、手に汗かいてる。起き上がってドアをコソッと開けてみる。ん?誰かいる・・・?ゴールトじいさんだ!まだ部屋をうろうろしているよ。・・・何してるんだろう?アタシはこっそりドアの間からのぞいてみた。ゴールトじいさんはどうも、インクのしみを取るまでは寝ないことに決めたらしい。またバケツやら何やら持ってきて、何かやっている。
「はあ」アタシはため息をついてドアを閉め、ベッドに倒れ込み、目をつぶった。ま、いっか。一時になってないし・・・。てか、さっきのルーシィのお母さんが来て神経を緊張させたせいで、気が抜けた今、張り詰めてた分、すっごい疲れた。あー、やだ。なんでアタシばっかり・・・。ルーシィも心配だが、アタシたちの未来も、どうなっちゃうんだろう・・。明日は・・・・・・、ああ、もう、めんどくさい・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「・・・・リーン、・・・・シェ・・」
「ふぇ?」
「シェーリーンってば!起きなさい!」
「んぇ・・・・何よ・・・もう・・」ものっすごい眠い。何で起こすの?今日学校だっけ?んん・・・アレ、今休みだよね・・じゃ、いいじゃん・・・。
「あとで・・・起きるから~・・・ん・・」
「もう!ママたち行っちゃうから!聞いてるの?夜更かししたんでしょ?もう!」
「もうママ・・・・今日休みなんだよ?・・・休みなんだか・・」ん?・・・ママ?・・ママ?
「らぁーーーーーーーーーーっ!!!」アタシはフトンをはねのけ飛び起きた。起きたアタシにママがビックリして、両手を上げてこっちを見ていた。
「ど・・・どうしたの?」
「ママ!あれ?朝・・・・な、何で・・・・何で?」アタシが混乱していると、
「大丈夫?どこか悪いの?ママ行くのやめる?」と心配そうに聞いてきた。
「え?てか、てか、今何時?」
「七時よ」
「え!一時じゃなくて、七時?」
「何言ってるのよ、当たり前でしょ?もう。ホラ」と言ってママは外を指差した。カーテンの外が明るい。ああ、ステキな朝をありがとう。神サマ。
「大丈夫?ママ行くのやめよっか?」
「だ、だ、大丈夫。なんか、寝ボケちゃってたみたい・・・え、ママたちもう行くの?」
「もう出発なの。ホントは寝かせといてもいいんだけど、一応言っておこうと思って」
「ああ、大丈夫よ。・・・ちょっと遅くまで話し込んじゃったから・・」
「そうよね。ルーシィちゃんも死んだように眠ってるもんね。あんなにアンタが大きな声だしたのに、まるで人形みたいに、ピクリとも」
「あー、ママ。ホ、ホラ、ルーシィは小さいから起こすとかわいそうだから、ね?」
「そ、そうね。じゃ、行ってくるから。午後には帰ってくる予定だから」
「うん。行ってらっしゃい」心臓が破裂した後のような状態で、何とか笑顔をつくってやっと、ママは出ていった。しばらくして、外にしゃべり声と車のエンジン音が聞こえた。アタシはバッっとベッドから飛び下り、隣へと駆けて行った。昨日の会話が瞬間、頭をよぎった。

「ママ・・、」

━━━━━━━━━━━━━━━本当に今日は忙しくなる予定だから。



 「覆水盆に返らず」



 「・・レイ、アシュレイ!」

ん・・・・何だ・・・・?うっ!何かお腹に衝撃が・・・。目をうっすら開けると、クッションでそこら中を殴りつける少女がいた。
「ちょ、・・ちょ、ちょっと!何やってんの?」
「アンタ!何で起こさなかったのよ!」
「はあ?」ワケがわからない。
「朝!」そう言ってシェーリーンが窓の外を指す。瞬間、昨日の色んな事が頭をよぎった。

・・・ドミーリィ、シェーリーン、ボトル、インク、消える頭、ルーシィ、アナ・・・・クレイシア!

外をバッと振り向く。
「っ!・・・・ああっ!」僕は頭を抱え、飛び起きた。な、何でだ?僕はあんなに注意して寝ないようにしてたのに、たとえ寝ても、決めた時間に僕は大体起きれた。隣ではドミーリィが、女性のモデルがポーズを取るかのような格好で、ヨダレを垂らして笑みを浮かべていた。
「ドミーリィ!」シェーリーンがカーテンをシャッと全部開けた。
「あ!」シェーリーンが不思議そうに、こっちに眉を寄せて僕を見た。
「な、何よ?こうしないと起き・・」
「ふ、服っ・・!」シェーリーンが自分の方を見る。
「え?・・・ああーーーーーっ!」シェーリーンは下着しかつけてなかった。ものすごい速さでシェーリーンは部屋から出ていった。おそらく、いつもの寝る時の習慣で脱いでしまったのだろう。とにかく、それどころじゃない!
「ドミーリィ!起きろ!オイ!」
「んん・・・んごぉ~~~~~・・・」ドミーリィは太陽の光をものともしなかった。何て図太いヤツ・・・。シェーリーンが顔を紅くしながら戻ってきた。もちろん服は着ている。僕も顔紅くなってなきゃいいけど。
「お、起きた?」
「いや、全然」ドミーリィの起きる気配のない姿を見た後、シェーリーンと顔を見合わせた。二人とも黙ってうなずいた後、ドミーリィに近づく。
「せーーのっ!」とシェーリーンが言った後、二人でドミーリィの体を押した。

ドーン!

ドミーリィの体がベッドから死体のように落ちて、もの凄い音がした。
「ガ!ゲホ、゙う、ゲホッ!な、何しやがる!」ドミーリィはヨロヨロしながら立ち上がった。シェーリーンは黙って外を指差す。
「なんだよ?」ドミーリィは黙って外を見つめる。そして、「だから何だよ?」と不機嫌そうに聞いてきた。
「朝よ、朝!」
「見りゃわかるよ、生まれたてじゃねえんだから!」
「はあ」ため息をつきながらシェーリーンは首を振る。
「お前マジ、ぶっ殺すぞ?何の嫌がらせだよ?クソッたれ」もともと口汚いが、今は映画の悪役ぐらい軽くこなせるだろう。
「さて、今日は何の日でしょう?」シェーリーンが冷静に聞いた。
「死ね」ドミーリィは解答を吐き捨て、フトンに戻っていった。。シェーリーンが片隅にあった、ぶ厚い本をドミーリィのフトンに投げた。ドスッと重い音が聞こえた。
「うっ!ゴホ・・何すんだ!てめ・・」ドミーリィは投げられた本を手に取った。投げ返そうと手に取った本をマジマジと見つめ、そして「ぅああーーーーー!!」と叫んだ。
「そうよ」シェーリーンはやっとわかったか、と話しだした。「アタシたちは寝ちゃったのよ。誰も起きなかった。もうママたちも行っちゃったわ」
「ルーシィのお母さんは?」すかさず僕は思い出して聞いた。
「大丈夫。まだ気づいてない。てか、朝ウチのママが来ただけ。ルーシィのお母さんは昨日の夜、一回来たけど」
「バレなかったんだろ?」ドミーリィが聞いた。
「まあね。寝てるって思って起こさなかったんでしょ?その後、こっちに来ようと思ったんだけど、ゴールトじいさんが目の前に居て動けなかった」
「やっぱゴールトじいさんか。俺らもそうだと思ったから寝たフリしてたんだ」ドミーリィが言った。
「で、誰も起きなかった」と僕が言うと、三人全員が黙ってしまった。
「ど、どうすんのよ?ママたち、午後には帰ってきちゃうわよ1」
「そんなこと言ったって、とにかく・・」

コンコン!

ノックがした。銃声がしたかのように、全員がバッとドアの方を振り向いた。シェーリーンとドミーリィが真っ青になっている。だって、親たちは全員行ったハズじゃ・・・。しょうがない。とにかく返事しなきゃ。
「は、はい!」と僕は返事をした。
「あ゙のぅ~」と赤い髪がドアからピョンと出てきた。アーキーだった。「おばよーっス。あのっ゙母ぢゃ゙んが起きでだら、メシだから連れで来いって・・・」
「あ・・・うん、わかった・・。ありがとう、今行くから・・」
「んでば」去ろうとしたアーキーに向かってドミーリィが
「あ、テメ、チクッただろ、昨日のこと!お前マジ覚えてろよ、コッツウォルズ産オラウータンめ!」
「へへーん!」両手の親指を鼻に当て、手の平をヒラヒラさせてドミーリィを馬鹿にしながら、アーキーはドアを閉めた。
「ど、どうする?」シェーリーンが聞く。
「とりあえず、サッと行こう」僕らは降りていった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 いつもは大勢だから、広間でテーブル囲んで食べるんだけど、今日は大人たちがハイキングに持って行った残りのサンドウィッチが台所に並べられていた。台所ではアーキーが洗い物をし、ポラーナさんはせっせと何かを焼いていた。
「あら、起きてきたわね!」
「おはようございます」ポラーナさんに朝のあいさつを返す。内心ではみんなドキドキしているはずだ。「今日はちょうどみんなサンドウィッチ持ってったから、アンタらの分もコレね。そこに余分にパンもあるから欲しかったら、切って食べな。今、目玉焼きとベーコンも焼いてるから」
「はーい」ドミーリィがさっそく食べようとサンドウィッチをつかんだ。僕はちょっと考えがあってそれを止めた。
「?」ドミーリィが眉をしかめた。僕は目で合図してから
「あ、あの!」とポラーナさんに声をかけた。
「ん?何だい?」
「実はルーシィがまだ部屋でボーッとしてて、ルーシィに持ってってやるついでに、コレ、あっちで食べていいですか?」ポラーナさんは一瞬とまどったようだが、
「うーん、今日はまあ、大人たちも出払ってるしね。んじゃ、いいよ。ただ、」と言葉を切り、僕の耳に口を近づけ、「ゴールトさんに見つからないようにね」と言ってウィンクしてきた。
「あ、ありがとうございます。ホ、ホラ!」とドミーリィとシェーリーンをうながした。
「ちょっと待ちな、もうちょっとで焼けるから」
「あ、じゃあドミーリィ、頼むよ」腹がすいているのでドミーリィは断らなかった。
「じゃあ、アタシ飲み物持ってくわね」
「あ、ちょっと待ってで、今流すから」とアーキーが慌てた。
「あ、いいよ、そんな急がなくて」とシェーリーンが気を遣って言った。ちょうどコップを洗ってたらしい。
「ルーシィちゃんも、もう起きてくるんじゃない?」とポラーナさんが何気なく言ってきた。ドミーリィもシェーリーンも、事件を知ってる犯人のように、笑顔が顔から消え、お互いの顔を見合わせた。今、心の中では、そろそろ起きてくるといいなと、心から思っているにちがいない。残念ながら、ルーシィは起きてくることはないんです、ポラーナさん。慌てて僕は、
「いや、たぶん寝ちゃったんじゃないかな。フトンもう一度かぶってたし、まだ子どもですから」
「ふふ、アタシらからしたら、アンタも充分子どもだけどね」
「オラも子どもですけどね」洗い物をしながらアーキーは嫌味を言った。
「ウチゃあね、働かざる者、食わせはしねえって法律があんのよ!」ポラーナさんが口調を変えてアーキーに言う。
「どこさあんだ?その法律?」
「ここだよ!」ポラーナさんが胸を叩く。アーキーがしかめ面をした。
「あ、じゃあ、僕先に持って行ってるから」いつまでもこうしてるワケにはいかない。とにかく、先に行ってるコトにした。パン一斤とナイフ、食器などを持って、ゴールトじいさんがいないのを確認しながら、奥の部屋、ルーシィはいないけど、(ルーシィに持ってきた設定なので)右の部屋に入った。ベッドにはフトンか何かが入れられ、昨日の人形の髪が、本物のルーシィが寝ているようにフトンから出ていた。僕は食器とかを置くと、すぐに見れるように、隣に行って、本だけ持ってきておくことにした。しかし二人はなかなか戻ってこず、僕はなんとなく、もしかしたらとフトンを開けてみた。そこには、生気のない、無機質な人形の瞳がのぞき返しているだけだった。
「ふう・・」メガネを外し、目をこする。しかし、何で目覚めなかったんだろ?僕、目覚めはいい方なのに・・・。しかも、全員目覚めないなんて・・・。とにかく、何か食べよう。警察に言うことになるのか知らないが、今日は長くなること決定だ。僕は慣れない手でパンを切り出した。いつも誰かにやってもらっているので、動作がぎこちない。ルーシィも何か食べれてるといいけど・・・。

 二人が来るのが遅いので、ちょっとパラパラっとアナクレイシアをめくってみた。やっぱり、文字はまだあった。そして、止まっていた。読んだところで。読む者を待つように。あらためてゾッとする。
「と、先に読むとマズいか、」と気づいてそのまま本を置き、パンを切ることにしようと、ナイフで切りはじめた。僕の家じゃあんまり、というか全然、料理などしたことはない。逆にそのぶん、こういう時は新鮮だったりする。ちょっとぎこちないけど、切るぐらい誰でも・・・。
「痛っ!」思い切って切ろうとしたら、思いの外ナイフがすんなり入り、手を切った。切ってもらえばよかったかな・・・。チッ。ドミーリィの「そんなことも出来ねえのかよ」とバカにする姿が目に浮かぶ。指から血がツーっと流れてくる。ティッシュ、ティッシュ・・・、あ、あれか。テーブルの先へ手を伸ばし、ティッシュを取ろうとしたら、血がちょっと垂れてしまった。

あ、ヤバい。アナクレイシアにも付いちゃ・・・、

 ドクン!

身体が急に冷たくなった。な、何だ・・・・。本を見ると、僕の手から垂れたページの上の血が、吸い込まれるように消えていくとこだった。
「っ!しまっ・・」次の瞬間、僕はこの世界から消えていった。

 
━━━━━━━━━━━━━━━哀しみもなく、恐怖する暇もなかった。



「Last Breakfast」



 「ほい、どうぞ」

アーキーから渡された、すすいだばかりのコップを受け取って、ミルクをついでお盆に乗せ、アタシはドミーリィより先に戻っていった。お盆にはコップが四つ乗っていて、カタカタ揺れている。いるハズの四人目の分。
「はあ」とため息をつきながら部屋まで来ると、まだ部屋には誰もいなかった。「あれ?」アシュレイが先に戻ってるはずだけど・・・。ああ、やっぱり戻ってる。パンとかあるもん。
「隣の部屋かな?」アタシは左の方の部屋に行ってみたが、アシュレイはいなかった。てっきり本取りにいったのかと思ったけど・・・。じゃあ、トイレか・・・。とか思ってアタシは右の部屋に戻り、テーブルにお盆を乗せて一息つこうとした。
「ん?」本、あんじゃん。さっきはパンとかの陰で気づかなかったが、本はアシュレイが持ってきたらしくテーブルの片隅に乗っていた。「あ、しかも開いてるし・・」ちょっと見てみようと、本を手に取ったアタシは心臓が止まったように、その場に凍りついた。

「よいせっと!」
ドミーリィが部屋に、ポラーナさんが焼いたベーコンエッグを持って戻ってきた。「さあ、とりあえず食おうぜ!ん?何やってんだ、おめえ?」何かを持って、立ち尽くしてるアタシにドミーリィが声をかける。
「・・・・じまってる・・・・」
「あ?」ワケがわからないという風にドミーリィは眉を寄せた。のどがカラカラに渇いて、くっついてるみたいに声が出ない。アタシは絞り出すように、何とか声を出した。
「ア・・・・アシュレイの」ドミーリィはアタシの持っているモノが何なのかわかった瞬間に、サッと真面目な顔つきになった。
「アシュレイの章が始まってる・・・・・」

ドミーリィは数秒立ったまま、凍りついたようになった。顔が死人のように蒼ざめている。ドミーリィの持っていた料理が、手からこぼれ落ちるように落ちていった。皿は時の流れがおかしくなったのか、それともアタシたちの感覚がおかしいのか、スローモーションのように下に落ちていった。ゆっくりと。そして粉々になった。まるで、アタシたちのように。
・・・床に転がった食べ物、アシュレイが持ってきたナイフ、パン、食器・・・。心臓がヒリヒリする感覚。破滅と死が近くに来て、皮膚を触られてるかのような、その場から、今すぐ逃げ出したいはずなのに、足を動かす気力も、もうない、そんな感覚。ドミーリィは何も言わなかった。アタシは気を取り直して、誰も今の音で来ないように、外を確かめてからドアを閉めた。そして邪魔なものはどけ、テーブルの上にアナクレイシアを置いた。
「おい」ドミーリィが、下を向きながら声をかけてきた。
「何よ?」
「・・・・・・もう、止めようぜ?」
「は?」アタシはドミーリィを見つめた。「何言ってんの?わかるで・・」
「このままじゃ、全員連れてかれるぞ!」ドミーリィはアタシをさえぎって言った。
「・・・・・・。」わかってる。ドミーリィの言い分は、ある意味正しい。でも、このままでいられないのもわかっているはずだ。アタシは無言で本を手に取った。ドミーリィも、もう、何も言わなかった。ただ始まるのを待った、アタシたちは。

━━━━━━━━━━━━━━━運命を待つ罪人のように。



 「禁じられた遊び」



アシュレイは夢を見ていた。

何だろう?心が穏やかだ。最近なかったほど、心がいつになくゆったりとしている。まるで、自分が赤ん坊になってお腹の中にいるように。気持ちのいい、晴れた空の下、木陰で、そよ風の中、眠りについているような。そんな気分。ああ、さっきまで何か、夢を見ていた・・・・ような・・・。思い出せない。ああ、でも、そんなのどうでもいい。まだ、眠りから覚めたくない。
「ん・・・」僕はゆっくり、少しずつ、目を開けた。

 真っ黒な夜の闇が見えた。
「あ・・・アレ・・・?」ここがどこだかわからない。どこだ・・・・ここ・・・・?さっきまでの、胎児のような包まれた幸福感は消し飛び、雨雲が立ち込めるように急に不安が襲ってきた。
「よ・・・夜?・・・」というよりも・・。上半身を起こすと、服についてた何かがカサッと落ちてゆく。「何だ?」何も見えない中、手で身体から落ちていったモノをつかんでみた。レンズごしにうっすら見える、その乾いた感触のモノは、手の中で砕け、バラバラとこぼれ落ちていった。葉っぱ・・・・そ、外?周囲は闇で何も見えないが、空気の感じと匂いでわかる。外に、いつの間に出たんだ、僕?
「・・・・・・。」思い出せない。思考能力が停止しているかのように。ここのことも、歩いた記憶も、えーと、・・・ポラーナさんが真っ先に浮かんだ。砂漠の、消えかかってる足跡を辿るように、記憶の手がかりを辿っていく。ん・・・・。ドミーリィ・・・シェーリーン・・・下着姿、(ここでちょっとアシュレイは顔が赤くなった)台所、歩いて、パンを運び、部屋に戻って、手を切・・・・った・・・・。そして・・・。

そこまで思い出すと、僕は目が覚めたかのように、全てはっきりと思い出した。吸い込まれていく、白いページの上の血・・・。

「と・・ばされ・・・た?」もしかして、僕も・・・。バッと辺りを見渡す。何も見えない。真っ暗な、悪夢のような闇の中、目をこらしても、辺りは木しかない。森・・・。もしかして、ルーシィと同じ・・・。一瞬、ルーシィのさ迷ってた場面が頭をよぎる。遠くで何か生き物が鳴く音が聞こえてきた。頬を、今までかいたことがないような汗がすべり落ちた。「と、とにかく・・」僕は立ち上がって、どこかへ歩きだそうした。
「うわっ!」さっそく木の根につまずいて転んだ。すべり出しは上々だ・・・、どこか明るい方は・・・。しかし、辺りは四方全部、闇そのもので家どころか、二メートル先も見えなかった。電気がないだけで、こんなにも暗くなるなんて・・・。ロンドン周辺に住んでた僕は、いや、今のこの、現代文化の中で、電気は生まれた時から自然についてて当たり前だったし、電気のない世界を、逆に僕は経験したことがなかった。太陽の休んでる間、世界はこんなにも真っ暗なんだ・・・。まさに、死の世界そのもののようだ。とりあえず、どこかへ向かうしかない。僕は一歩一歩、恐る恐る、闇を、手探りで辿るように足を踏み出し、勘だけで(何も見えないので)比較的木の少なそうな、開けた方へと歩いていった。知らない世界の闇の中、心臓だけが冷たくドクドク鳴っている。震えが止まらない。・・・怖い。どこまでも、襲ってきそうな圧倒的な夜の中、急にわかった。これはやってはいけないことだった。僕はでこぼこして、舗装されてない土の上を、ぶつかりぶつかり歩き、ズルッとまた滑って転んだ。どこまでも辺りを覆う真っ暗な闇が、僕を追いかけ、嘲笑っているような気がした。ビクビクしながら、倒れ込んだ僕はまるで、底なし沼に落ちて首まで埋まっていってるみたいに、永遠にこの闇から脱け出せる気がしなかった。よく周りで、廃墟や呪われた家なんてトコに行って得意がってるヤツがいたけど、肝試しだか、根性試しだか知らないが、僕は冷ややかに見ていた。
「コレ、あの家にあったヤツだぜ!」
「スッゲー!うわ、ヤバくねえ?」
「コレ、きっと首締めたヤツだぜ?」
「じゃあ、コレあの死んだ女の人のかな・・・?」
「わ~~~つ!やめろよっ!」

人は死ぬ。みんな死ぬ。それがどうしたってんだ・・・。そう思ってたはずだった・・・。
今、僕にはひとかけらの勇気も残ってなかった。転んだまんま、破けそうな心臓で小鳥のように震えていた。
大人たちがやってはいけないと言うことを、子どもは得意がってやる。なかには悪ぶって、みんなに見せびらかすように。そして触れてはいけないものに触れた時、痛い目を見た子どもは、初めて気づく。これは「やってはいけないことだった」のだと。そして、気づいた時にはもう遅いのだ・・・。そう、これは

やってはいけないことだった。

 死ぬのか・・・僕?
一瞬そんな考えが頭をよぎり、僕は、でかい氷を背中に当てられたようにブルッと身体を震わせた。いけない。考えないようにしなきゃ。誰だって死ぬんだ、誰だって死ぬんだ・・・・。ブツブツ何度もおまじないのようにつぶやいて、自分を落ち着かせようとした。風が吹く。ブルッと寒気がして、また身体を震わせた。もし、違う世界に来たとしたら、地球じゃないとしたら・・・。
━━━━絶対に帰れない!
歩きながら、そんなことを考えてたら、木の根につまずいて倒れた。ああ・・・あ・・・怖い、・・・・怖い。ロビンソン・クルーソーを読んだことがあるけど、ロビンソンもこんな気分だったのだろうか・・・とはじめて真剣に同情した。いや、ロビンソンは独りだったけど、後にフライデーがいたじゃないか。しかも地球だし!・・・むしろカインだろう、この気分は。自分がどこにもいられない、追放の身。神に見放された者。・・・地球はなんて大切なんだろう。故郷とは、家とは、なんて自分にとって、大切なことだろう・・・。

落ち着け、落ち着け、ルーシィだって来てるんだ。ルーシィだって独りでいるんだぞ?しかも危険だったじゃないか、さっき。━━━━━━━そう!僕は助けに来たんだ。

僕はひとりの少女を思い出し、もう立ち上がれないような気がしていた、倒れたままの場所から顔を上げた。そう。僕は助けに来たんだった・・・。むしろ、好都合じゃないか。ルーシィのとこに来れたなら。そう、独りじゃないぞ!僕は自分以外の、大変な目に遭っている人のことを考え、自分の弱った背中を叩くかのように、自分を勇気づけた。それは、風の中の、マッチ一本分の火のような、微かな力しかないようだけど、僕には、砂漠で渇ききった旅人が、水を生命でもすするようにするみたいに、元気を回復させる何かがあった。僕はそれを全身でつかまえ、けっして離さないようにした。人間には希望が必要なのだ。マッチ一本の火でもいい。
━━━━それが一人の人間の生きる力になりえるんだ。

僕はもう一度立ち上がり、歩き出した。


「しかし・・」
誰か人に遭うなんて、ありそうにもなさそうだ。というか、もしかして獣がいるかもしれない・・・よな?僕は、槍で突き刺されたようにドキッとした。・・・そうだよ、人どころじゃない。ここがどんなトコなのかわかってないんだ。地球じゃないんだ、何があるかわからない!下手に何かに近づいたりしない方がいい。そこまで考えつくと、僕はちょっと歩き方を気をつけるようにした。周りに目を配り、(といっても何にも見えないけど)警戒しながら木々の間を潜むように、静かに移動した。ルーシィのことを思い出してから、ルーシィの名前を呼びながら移動しようかと思ったけど、死んだらX‐BOXじゃないんだから、リセットしてもう一回、なんて出来ないぞと思い当たり、やめることにした。死んだら終わり、死んだら終わり、・・・死んだら・・・・・・終わり!だ、だめだ、考えるな。僕も馬鹿だった。いつ来ても大丈夫なように、身を守るものを持っているべきだったと、今さら思った。

 いったいルーシィはどこにいるんだろう?
周りは、動いているものの音がしない。ルーシィがいたら、叫び声か何かがするはずだ。ルーシィだって何もわからず来たんだ。僕だってしっかりしなきゃ!闇の中、立ち止まり、空を見上げる。気温はちょっと肌寒いぐらいなはずなのに、森の中を歩き慣れてないと、得体の知れない場所を手探りで歩いている恐怖で、僕は息が荒くなり、じっとりと、肌に汗をかいていた。
「ハア、ハア・・・」時々、巨大な木の根につまづきながら歩いていると、何か聞こえる気がした。僕は立ち止まり、一瞬ビクッと身を震わせた。何だ!?僕は瞬間的に警戒の態勢をとった。といっても、何も持ってないし、何もできないんだけど・・・。生き物・・・?たまに鳥っぽいものが動いてる物音が木の上でしてるから、そういった生き物の鳴き声か何かと思って耳を澄ませた。
「・・・・・・・。」はじめは何も聞こえなかった。しかし、神経を集中させて、しばらく音を出さないように息を潜めると、微かにだが、何か聞こえた。・・・鳴き声ではないぞ・・・・なんか・・・・声のような・・・・声?人!?
僕は危険とか、今までの警戒を全部忘れて、音のする方へ走るように向かっていった。

 人・・・・人だ・・・・ハア・・・ハア、・・・人が・・・人がいるんだ・・・・っ!!

僕は顔や、肩にぶつかる木や葉っぱを無視して、転びつまづきながら、痛みが麻痺したかのように進んだ。もう独りじゃないぞ!今までの独りぼっちの恐怖から、まるで無人島に一人でいた者が、誰か別の人間を見つけた時のように、僕は喜んで、どんな人間だって飛びつきたい気分だった。声がするのは・・・・・こっちか!時々、止まって方向を確認しながら、息を弾ませ、木々の間を、木に引っかかりながらも、狂った人のように僕は進んだ。まるで、貴重な、二度と手に入らない獲物を追いかける者のように。声が近づいてくる。・・・・いいぞ!いいぞ!ハア・・・ハアハア、足下をもう、確かめもしないで向かっていたので、何度も転びながらも、もう数十メートルの所にまでせまってきていた。人に会える!声はもう、聞こえる所まで僕は来ていた。それは近づくと、数人が、同時に笑うようにして、陽気に奏でているメロディーみたいに聞こえた。歌だったんだ!僕は息を整えながら歩き出した。火が見える!あそこに人がいるんだ!

そこでぼくはいったん立ち止まって、思いを巡らせた。
さっきまでは、どんな人間でもいい、誰でもいいから、人に会いたいと思っていたのに、今、いざ、目の前にすると急に不安になった。知らない土地、知らない住人、もしかしたら、悪人だってこともありえる。そして僕は知らない人たちから、どんな風に映るだろう?もしかしたら、一人の方がいいんじゃないかと、急に後ろを振り返って、戻ってしまおうかとも考えた。が、戻るわけにはいかない。戻ったって何もない。ええい!第一に大胆、第二に大胆、第三に大胆たれ、だ!
僕は歌の方に近づいていった。そして気づいた。それが英語じゃないことに。


━━━━━━━━━━━━━━━それどころか、聞いたことがない言葉だった。



 「雷鳴」



 「・・あたっ!」

頭に衝撃が走る。何だ?木から何か落ちてきたのか?あれ・・・森・・・。気づくと目の前の床に、きったない靴が一足転がっている。何だ?と不思議に思って、頭をさすりながら靴を見つめ、状況がわからないでいると、
「オホン!オホン!」と声がした。何よ?でっかい咳、わざとらしくしやがって、うるさいっての。そのうっさい方を見ると、ドミーリィがドアを両手で押さえながら、こっちを向いてオホン!オホン!とやっていた。
「何やってんの、アンタ?」アタシが聞くと、ドミーリィは口をパクパクさせながら、小さい声で何か言っていた。「は?」聞き取れなくてアタシは眉にしわを寄せた。
「ア・・・・ヒー・・」
「ハヒー?」
「アーキーだよ!」アーキー?・・・・あ!やば!思い出した。バッとアタシは目の前の本を閉じた。と同時にドミーリィの押さえてたドアから、アーキーが転がり込んできた。軽く顔が赤くなっている。開けようと頑張っていたらしい。アーキーは、目の前にいたドミーリィを睨み、
「こんの、何で押さえてんだ?ハゲ!くだんねことさしやがって!」とまくしたてた。
「何だよ、何しにきたんだよ?」ドミーリィは謝りもせず言った。
「母ちゃんに持ってけってゆわれたから、サラダやら何やら持ってきてやったっつーに、・・・あ!何だい、もう~~~!こぼしちまって・・」あ、やば、そうか。ドミーリィの落とした卵と皿、見つかっちゃった!さっきのを拾いもせず放置してしまっていた。
「オ、オメーが来たから落っこどしちまったんだよ」とドミーリィがバレバレの嘘をつく。
「アホか、オメ。オラ、んふんっ!゙あだしが来で、(アーキーは慌てて言い直した)なーんで皿落っこどすのよ?゙オメーがアホだか・・・あっ!」アーキーが割れた皿を拾い集めながら、ドミーリィに悪態をつこうと振り向いた時、急に手を引っ込めた。
「な、何だよ?」
「ど、どうしたの?」
「゙手ざ切っった~~~~」アーキーが悔しそうに答えた。
「あー、・・・大丈夫?」
「いや、・・・大丈夫っす。こんぐれ、いづものことっすがら」と言いながら、アーキーはドミーリィの方をキッと向き、「オ゙メーのせいだがらな!」と言ってドアの方に戻り「あとでまた来るんで、とりあえず置いどいていーすから」と言って去ろうとしたが、アタシは、
「い、いや。あの、悪いのアタシらだし、自分らで片すから大丈夫。アハハ・・・ハ」と言ってアーキーを帰した。

「ふう」まるで台風が去った後のように、アタシとドミーリィは息をついた。
「なんで、すぐに教えないのよ?」アタシはドミーリィに詰め寄った。
「な、ばか!お前、あの野郎がノックもせずに入ってこようとしたんだぞ?それ所じゃないっつの!」とドミーリィは弁解した。アタシはもっと言ってやりたかったが、こらえて話を変えた。
「ま、アタシも混乱しちゃってたけど」
「そ、そうだよ。アシュレイみてーにしゃべってるオメーの横で、ドアが開きかけんだぞ?俺はよくやったよ。・・・てか、あいつ、アシュレイとルーシィいないことに気づかなかったよな?・・・あいつん中じゃ皿の方が、二人の存在より上なのか?」
「たまたまでしょ?アンタがいるだけで言い争いになるし、ケガしなかったら気づいてたわよ。むしろ、好都合だったかも」
「どうせ、また来るぞ、アイツ」そして二人の前に、手のつけられてないサンドウィッチやらパンが置かれているのが、今さらながら目についた。
「ど、どうする、コレ?」
「食うしかねえだろ・・・。あのサル来たら変に思われるし、それに大変っつったって食わなきゃ、何も考えられねえっての」
「そうよね・・・・じゃあ、食べるか」アシュレイやルーシィのことを考えると気が引けるけど、テーブルの上のサンドウィッチやらサラダなどを見てると、お腹がぐるぐる鳴りそうなのに気がついた。サンドウィッチをつかみ、アタシらは食べ始めた。ドミーリィもアシュレイらのことなどお構いなしって感じで、大喜びでガツガツ食べ出した。そして思い出したように、
「そういやよ、何か変じゃなかったか?さっきのさ」
「ん、何がよ?」アタシは食べながら聞く。
「だから、何っつの?・・・さっきまで、なんかしゃべり方がお前も、アシュレイも、他人目線てか、小説でよくある、アレだよ、『彼は何々を見た』とかのしゃべりだったんだよ」
「ん・・・・」アタシはドミーリィがまだ、何を言おうをしているのかわからず、パンを頬張りながら静かに相づちを打った。
「だからぁ、アレだよ」パンを振り回しながら、ドミーリィは伝わらない話にやきもきしながら、どう言えばいいのか探るように話を続けた。「変わってたじゃんよ、お前のしゃべりの時」
「へ?」うーん、そうだっけな?アタシは少しずつ思い出してみる。えーと、アシュレイの・・・、森で目を覚まし、さ迷って、どこかへ目指して歩いていてって・・・。「わかんないなぁ・・・」
「わかんねえのかよ?聞いてる方は違うんだよ。最初、あの、小説によくある話し方で、さっきのは『僕』だった」
「アンタがさっきから言ってるのって、もしかして、三人称?」
「ああ?んん!たぶんソレ、ソレ!」ドミーリィが思い出したように指を指し、興奮して口に含んだサンドウィッチの欠片を飛ばしながら、うなずいた。
「キャッ!ちょっ、きったないなぁ~・・」ドミーリィはアタシの話など聞こえなかったように、
「だからよ、ずーっと三人称?だったんだよ。さっきまではな。でもって、さっき、オメーが読み始めたら『僕』に変わってたんだよ」
「はあ?本気で?」
「マジだよ、もう一回読んでみろよ?なんか、違和感あったから気づいたんだからよ」
「てか、アタシは最初っから読むと、その人目線になっちゃうし、その場にいるのと変わるんないだって。みればわかるけど。だから、たぶん読む側はわかってないと思う」
「・・・んじゃ、俺だけか?何か違和感あんの」アタシはよくわからず、話を変えた。

しかし、この「違い」がとんでもないことになるとアタシたちは、後でとことん思い知らされることになる。が、この時はドミーリィが変な顔しただけだった。

「あれ、アシュレイってどうなったんだっけ?」アタシは考えを巡らせながらミルクを飲み、ドミーリィに聞いた。
「あー、森でルーシィを探そうとして、んで、物音がして、その方に向かっていった。そして、着く頃、あの野蛮なサル娘が来やがってよ~」しつこくドミーリィがアーキーに話を戻し、悪態をつきだした。
「アレ、最後何かあったよね?」アタシは何か大変なことを思い出したように、ドミーリィに聞いた。
「あ!」ドミーリィは思い出したようだ。
『「英語!」』ドミーリィもアタシもお互いを指差しながら、同じことを思い出した。アシュレイがたどり着いた歌声、その人たちのしゃべってた言語が英語じゃないってトコロで話は終わってた。ていうか、アシュレイは言ってた。これは地球で聞いたことのない言葉だって・・・、ドミーリィの顔をチラッと見ると、ドミーリィも同じことを思い出したのか、黙った顔が少し蒼ざめていた。さっきまで、あんなに元気良く食べてたのに、サンドウィッチを握りしめながら、止まってしまった。
「・・・ま、まだ、わかんないじゃない!隣のクラスにドイツから来た先生いるけど、電話で誰かとドイツ語しゃべってたけど、全然聞き取れなかったし・・」
「アイツがそんな間違いすっかよ。アシュレイは本、色々読んでっから、ドイツ語っぽかったり、他の国の言葉みたいだったら、『聞いたことない』とか言わねーと思うんだけど・・・」アタシは何か言い返そうと思ったけど、強がりに近いと気づいて、言葉を飲み込んだ。
「読めばわかるわよ・・・」二人とも黙って下を向いて、沈黙が流れた。その横で突然、ガラス窓の外がピカッと光った。アタシたちがパッと振り向くと、次の瞬間、大木が裂けるような凄い音がした。

 ピッシャーーン!

いつの間にか、空は灰色の雲に覆われ、こっちの方に暗い色の空がせまってきていた。今にも、雨が降り出しそうな勢いだ。
「いつの間に・・・」なんか、食欲失せちゃったな・・・。ドミーリィも、食べかけのサンドウィッチを皿の上に戻して黙り込んでいたが、急に目を見開いて、
「オイ・・・」と静かに話しかけてきた。
「何よ?」アタシが聞き返すと、外を黙って指差した。
「雨・・・・・」何か思い出したように、ドミーリィはアタシに言った。
「?」アタシは眉をしかめた。
「わっかんーかな!雨だよ、雨!おばさんたち!」
「っ!!」アタシは、まるで、髪の毛に火が燃え移ってるよって教えられたみたいに、一瞬でドミーリィの言いたかったことを理解した。
「あ、ああーーーーーーーっ!!」
「「ハイキング!」 」

そう、雨だ。雨が降ってくるなら、当然、ハイキングは中止だ。そこで導き出される答えは?ハイ、ミス・シェーリーン。

━━━━━━━━━━━━━━━帰ってくる!━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

アタシたちはお互いの顔を凝視した。そしてまた、雷がピカッと光り、アタシとドミーリィの蒼白になった横顔を照らした。そして数秒後、すごい衝撃の雷鳴と共に、玄関のドアが開く音がした。玄関に響く、大勢の、家族たちの聞き覚えがある声。
ああ、誰かこれを夢だと言って下さい。
横では、いつも笑ってふさけているドミーリィが言葉を失い、氷のような顔をして立ち尽くしていた。アタシも、全く同じ気持ちだったからわかる。その感情の名前は。
━━━━━━━━━━━━━━━その感情の名前は、「絶望」だ。


 外で雷がまた光った。

そして、運命のドアを叩くように、雨音が響きだした。



 「嘘つきの羊飼い」



 嘘つきの羊飼いのガキの話を知ってるか?

俺はよく聞かされた。耳にタコができるってほどに。わかってるって。誰にも信用されなくなって、自滅するって話だろ?もう、百万回聞いてるって、はいはい。
そして俺はわかった振りをしながら、心の中では、そのガキはアホだったんだって思った。俺だったら、もっとうまくやる。狼が来たって知るかってんだよ。
俺はこの話が嫌いだ。

 ま、話変わるけどよ、こんな日あると思うか?核爆弾が落とされ、世界が終わる日。んなのあるワケないって?わかんねーよ?SF映画じゃよくある内容(ネタ)だ。じゃあ、宇宙人が攻めて来るってのは?俺は人類最後の日とかって聞くと、ワクワクしちまう。今までのルールが壊れ、それぞれの人間の本当の部分が見えてくるからだ。死ぬ前の本当の姿。じゃあ、コレは?

自分が死ぬ日。

そんなコト、ガキの俺たちにゃ関係ないかもしれない。でも、世界は待っちゃくれないんだ。今日、あなたが死ぬ日です。って言われた日は、どんな気分なんだろう?人は。今までの、世界の秩序ってヤツが意味をなくす日は。今日はまさにその日なんだ。

 隣でシェーリーンが絶句している。外で雷が核爆弾が落ちたみたいにピカッと光り、そして世界の樹を裂いていってるような音を立てている。まるで地面をはがしてるような音だ。
━━━━━━早い。早すぎる。玄関では、帰ってきた親たちが、口々に酷い目に遭った、いきなり降ってくるからとか、ギャアギャア言い合ってる。ヤバい、ヤバいぞ。どうする、どうする、どうする!心臓がまるで、電車の遮断機の降りた時に、線路に足が挟まってしまっている状態のように、すごい速さで鳴っている。
「どう・・・すんだよ!」俺は慌てふためいて、誰に言うでなしに、声を出し、オロオロした。
「えーと、えーと、」と、シェーリーンも意味もなく慌てだした。ベッドの端から、人形の髪がまだ出ているままで、俺はそれを取り出し、持ってみて、意味ないことに気づき放っぽり出した。シェーリーンも皿をどかそうとしたり、窓に行って、「ダメだ!」とブツブツ言って、わけがわかんなくなってる。そうこうするうちに、コツコツと足音が向かってきていることに気づいた。
「っ!!」俺もシェーリーンも音に気づいて、バッと振り向く。目がこれ以上ないほど見開き、飛び出しそうだ。あわわわわわ、マ、マジかよっ!俺はワケもわからず、ドアの方に行き、ドアノブを握りしめ開かないようにしようとした。後ろでシェーリーンが慌てながら、本に近づき隠そうとした。そして慌てすぎてどこかケガしたのか、
「あ、痛っ!」って声が聞こえ、そして本が転がる音が聞こえた。足音がどんどん近づき、そして、ドアの前で止まる。あ、あ・・・あ、もう・・・ダメだ!
「シェ・・・」

振り向くと、そこにシェーリーンはいなかった。いや、正確に言うと、まだそこにはいた。シェーリーンがさっきまでいた俺の後ろには、片手だけが浮いていた。まるで、助けを求めるように、それは俺の方に伸ばされていた。そして、震えて身動きの取れない俺の前で、ひじあたりから徐々に、まるで空気中に溶けていくみたいに消えてゆき、そして俺の数メートル前で、指先も消えていった。

「・・・シェ・・・シェーリーン?・・・・・・・」返事はなかった。
「へ?」雨音だけがザーザーと聞こえる。背筋がゾクゾクする。地面に穴が開いたように力が入らない。俺の方に向けられた白い手・・・・・・。いつの間にか、ドアノブにかけてた手が、すげえ震えているのに気づいた。ドアの外で何かしゃべってるのがわかるけど、何も耳に入らなかった。
神様、嘘だろ?
「・・・・・・・・・。」歯がガチガチ鳴る。ドアノブにかけてた手がすげえ震えてる。

「う、嘘だろぉ~~~~~~~~~~~~っ!!」


 羊飼いの少年はどうなったんだっけ?

━━━━━━━━━━俺は狼に食われた方がマシだと思った。


                             第一部 了。

Anacraycia

Anacraycia

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-12-23

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted