殺人者
女の幽霊が街灯の下に立っていた。
雨はぎりぎりまだ降り出していなかった。
私は俯きつつ、急ぎ足で幽霊の横を歩いて行った。
アスファルトの上に落ちる街灯の明かりが住宅街をしんみりと白く照らし出していた。
一年前、この近くの家で強盗殺人があった。
父親の留守中に、母親と生まれたばかりの娘が残虐に殺されたのだ。
犯人はまだ捕まっていない。
私は寒い、寒いとひたすらに念じつつ、星一つ無い重い雲に覆われた夜空を仰いだ。
女はおそらく今も恨めしげに私の背中を眺めていることだろう。
頭の潰れた娘をどこへ置いて来たのかは知らないが。
彼女は満足するまでずっと一人で立ち続けているつもりなのだ。
私はくっ、くと押し殺した声を漏らして笑った。
人が人を殺す時、何を考えているのかというのは計り知れない。
人は人として振る舞うことで人となる。
そもそも、それだけでも実に犯罪的な行為だと私は思う。
些細な嘘と流すにはあまりにも業が深かろう。
多くの場合はあどけないほどに、偽りの自覚が無いのだ。
私は暗闇の中を歩いて家まで帰った。
この帰り道は、私が私自身でいられる本当にかけがえのない時間であった。
あの幽霊は私の分身だった。
振る舞わなかった己の、私の唯一の軌跡であった。
私に殺されることによってあの女がようやく人から解放されたというのは何とも皮肉で、
味わい深いことだった。
家に帰ればまた私は失われてしまう。
だが拘束と解放の間にある快楽は、きっと本来誰にでも備わっている。
私は家へとひたすらに歩いた。
妻子が待つ明るい我が家へと、黙々と。
終
殺人者