*星空文庫

子役戦争

てっかまき 作

  1. プロローグ
  2. 第1章 発端
  3. 第2章 クランクイン
  4. 第3章 勝者と敗者
  5. 第4章 陰謀
  6. 第5章 オンエア
  7. 第6章 出る杭
  8. 第7章 米沢敗れる
  9. エピローグ
  10. キャスト

※この物語はフィクションです。実在する人物・団体名とは関係ありません。

プロローグ

 ――その光景は異様であった。

「今度取れたお仕事のことでお話が」
 男は直立不動で話した。
「何だよ」
 女は眉間にしわを寄せ、少し面倒くさそうに尋ねた。
「実は今度のお仕事は脇なのです。主演は経験の無い新人をオーディションで取ると」
「私に新人の脇をしろってか。何でそんなクソみたいな仕事取ってきた?」
 女の表情は穏やかだが語気は強い。男は少し面食らった。
「それが……。全日テレビがどうしてもお願いしたいと。ギャラを5倍出してもいいと」
「5倍? ……たぶん裏に何かあるな」
 女は少し考えながら言った。
「ええ、何かしら目的があるものかと……」
「主演に新人を使うのは今売れてるやつを使うよりはそっちのほうがかえって私がOKしやすいだろうということだろうけど、そこまでして私を脇にしたい理由がわからんな」
 少女は鋭い目つきで爪を噛みながら言った。
「私個人としては受けないほうがよろしいかと。いくらなんでも怪しすぎます」
 それを聞いた少女は少しのあいだ上を向いて考え、読んでいた雑誌に目を落とした。
「いや、受ける。受けてやるよ」
「しかし、少なくとも全テレの意図が明らかになるまでは……」
「私が受けると言ったら受けるんだ。言うとおりしろ」
 女は雑誌に目を落としたままだが、語気を強めて言った。
「はい……。かしこまりました。……では失礼致します」
 男は深く一礼して楽屋を出て行った。

「ふふっ……。面白そうじゃん。この私を新人の脇に回すことに何の意図があるのか、見せてもらおうじゃないか全日テレビさん」
 女は誰も居ない部屋で不敵な笑みを浮かべた。

 それは横柄な態度の女優とマネージャーの会話。ごく普通の会話であった。

 普通である。――女優が9歳であることを除いては。

第1章 発端

 藤沢麗奈(れな)。小学3年生。勉強はロクにできない。運動オンチ。絵は下手くそ、歌はオンチ。顔もスタイルも取り立ててカワイイわけでもない。普通。髪型も無難なボブカット。地味で目立たない。いわゆる落ちこぼれの小学生である。
 だが彼女は他の子どもとは違ったところが1つあった。

「子役事務所に所属していること」

 彼女の夢は一流の女優になることであった。夢をかなえる為に奮起して事務所オーディションを受け、合格を貰ったのは1ヶ月前の話である。彼女が受かったのは「児童劇団ブリエ」最近出来たばっかりの弱小事務所だ。それでも彼女は嬉しかった。女優になる道の第1歩を踏み出せたのだ。一生懸命レッスンをこなす日々。演技指導の他に、ダンスや歌もやらなければいけないから大変である。麗奈は元来運動も歌も苦手なので1ヶ月間毎日怒られてばかりいた。
(あたし、やっぱり向いてないのかなぁ……)
 麗奈は1ヶ月にしてもう心が折れそうになっていた。そんなとき事務所の社長から声を掛けられた。

「連ドラの主演のオーディションを受けてみないか?」

 麗奈は一瞬固まった。(何を言ってるんだろうこの人は)と思った。しばらくして社長が何を言ってるかはようやく理解したが、それでもその意図は理解できなかった。
「あ、あたしがですか? でもまだ入って1ヶ月だし……。お世辞にも上手いとはいえないし……オーディションの経験なんかないですよ」
 それを聞いた社長は軽く笑って言った。
「最近はフレッシュな新人の需要が増えてきていてね。いわゆるベテラン子役たちはもう露出しすぎて飽きられてるんだ。正直な話、君は才能があると思うよ。事務所が全面的にバックアップするから挑戦してみないか?」
 麗奈はしばらく考えた。
(まあ、100%落ちるだろうけど、勉強にはなるだろうからいいか)
「やってみます」
「よし、じゃあ早速申し込みをしとくから」
 社長は笑いながら社長室に戻っていった。
「ああ、そうだ忘れてた」
 社長が小走りで戻ってくる。
「今日からマネージャーを付けるから」
「マネージャー?」
「そう。加藤を君のマネージャーにする」
 加藤健。ブリエの職員でマネージメントを担当している。入社1年で一番キャリアの浅い職員であった。
(マネージャー……。なんか芸能人っぽくてステキ……)
 麗奈はボーっとそんなことを考えてニヤニヤしている。
「ん? どうした」
「あ、いえ、ありがとうございます」
「がんばってくれよ。うちの事務所の期待の新星なんだからな」
「はい! がんばります!」
 麗奈はこれからの展開に期待を抱いていた。だが麗奈はこれが途方も無い苦難の始まりだとは全く思っていなかった。

※※※※※

 その夜、麗奈の家。ほいほいと「受けます」などと言ったものの、書類選考の履歴書を書く段階で麗奈は死ぬほど悩んでいた。
 名前、生年月日、年齢、血液型、学校名、学年、住所、電話番号、メールアドレス、身長体重、家族構成、……ここまでは良い。簡単だ。

 趣味・特技……。

(どうしよう。特技なんてないし、これといって趣味ってものも……)
 麗奈は頭を抱えて考えていた。
(そうだ。テレビ鑑賞とかどうかな。ドラマのオーディションだし、印象いいかも)
 麗奈は"テレビ鑑賞"と書いた。次は写真を貼る欄である。全身写真と上半身の写真だ。これも大丈夫だ。写真屋さんに行って撮ってもらった。麗奈は慎重に歪まないように写真を貼り付けた。

 部活・サークル活動……。

(ううう……。これは誤魔化しようがない……)
 麗奈は仕方なく"無し"と書いた。そして麗奈に最大の難関が立ちはだかる。

 自己PR……。

(PRするとこなんか無い……)
 麗奈は死ぬほど考えた。知恵熱が出るかと思うぐらい考えた。しかし出てこない。何も浮かばない。いつの間にか時間は23時を回っている。
(いいや。どうせ落ちるんだし適当に書いちゃえ)

『ドラマ「炭酸水はゼロカロリー」の米沢愛綾(まや)さんのお芝居を見て、あんな風になりたいと思いました。がんばります』

 ――全くPRになっていない。しかし、麗奈は満足して、さっさと書類を封筒に居れ、寝てしまった。しかし、この適当に書いた書類がなんと通過してしまうのだった。

※※※※※

 場面は書類審査通過後の面接会場に飛ぶ。
「麗奈ちゃん。そんなにキョロキョロしちゃだめだよ」
 そう声を掛けたのはマネージャーの加藤である。
(何この人数……。こんなにオーディション受けるの?)
 面接会場は人でごった返していた。見渡す限り子ども、子ども、子ども――。そして、親、親、親――。年齢制限が8歳~10歳ということもあり、同年代の子ばっかりだ。あちこちで親が子どもに挨拶の練習をさせたり質疑応答の練習をさせたりしている。
 人をかき分けて受付に行くと1枚のA4紙を渡された。文章がびっちり書いてある。
「あの……。これって」
 麗奈は恐る恐る受付の女性に尋ねた。
「面接時にこのセリフを演じてもらいますので、よろしくお願い致します」
「えっ……」
 麗奈は改めて文面を見た。
「あの……。加藤さん」
「なんだい?」
「こんな長ゼリフやったことないんですけど」
 麗奈はぎこちなく笑いながら言った。
「まあ、麗奈ちゃんらしく演じればいいよ」
(何なの、その適当な返事は)
 麗奈はムッとしながらも会場の隅のほうで練習を始めた。しかし、なんどやっても噛んでしまう。
(ダメだ……。できない)
「あの、噛んでしまうんですけど、どうしたら良いですか?」
 麗奈は加藤に尋ねた。
「…………噛むのはダメなことだから、途中でやめてちゃんと謝るんだよ」
「はぁ、わかりました」
 そうこうしているうちに名前が呼ばれ、ついにオーディションが始まってしまった。
 麗奈と加藤が面接室に入り、まず目に入ったのはずらりと並んだ8人の面接官である。おそらくドラマのプロデューサーや演出家といった偉い人達であろう。反対側に目をやると他に6人の子どもとその親が椅子に座っていた。
(あ、他の子と一緒にやるんだ)
 麗奈はちょっと考えながら椅子に座った。
(そうよね。あんな大勢を1人ずつやってたら日が暮れちゃうもの)
「では、1人ずつ挨拶をしてもらえますか? では、そちらから順番に」
 麗奈は一番最初であった。
(え、あたしが最初? 最初ってやだなぁ)
 麗奈はそんなことを思いながら立ち上がり、
「あ……。あの……。藤沢麗奈と申します。よろしくお願い致します」
 と言いながら深々とお辞儀をした。麗奈が座ると次の子が立ち上がる。
「鳥羽直美です。9歳です。よろしくお願い致します」
「川島真希です。10歳です。よろしくお願い致します」
「道木怜南です。8歳です。よろしくお願い致します」
 次々と子役たちが挨拶をしていく。
(しまった! 年齢を言わなきゃいけないんだ)
 麗奈はちくしょうと思ったが後の祭りだった。
「では、次に事前にお渡ししたA4の紙を見ながら演じてもらえますか? 最初は藤沢さんから」
「は、はい……」
 麗奈は立ち上がるうと面接官の後ろに設置されたカメラに気がついた。
(あれでカメラ映りをテストするのか……)
 麗奈はコホンと咳払いをすると紙を見ながらセリフを言い始めた。途中まではスラスラ言っていたのだが途中でやはり噛んでしまった。
「あっ……。噛んでしまいました。ごめんなさい」
 その瞬間、室内の空気が凍った。
(あれ? なんかまずいことした?)
 麗奈は振り返って加藤を見た。すると加藤が一瞬ニヤリと笑ったように見えた。
「……もう一度、最初からやって頂けますか?」
「は、はい……」
 麗奈はもう一度最初から読み始めたが、やはり4行目ぐらいで噛んでしまった。
「すみません。また噛みました」
 麗奈は深くお辞儀をした。
「……わかりました。座って結構です」
 麗奈はしょぼんとして座った。次は直美と名乗った子が読み始めた。直美はすらすらと読み始めた。そして卒なく最後まで読んだ。
(あたしが言うのもなんだけど、めっちゃ普通)
 麗奈は自分が噛みまくったことも忘れてそんなことを考えていた。
 次は真希と名乗った子の番だったが、ものすごく緊張しているのか紙を持つ手が震えている。真希はセリフを読み始めたが噛みまくりだった。しかし真希は読むのをやめない。結局、真希は6回噛んで最後まで読み終えた。
(あの子には勝った。だって噛んだのに謝ってないもの)
 麗奈は密かに心のなかで勝ち誇った。次は怜南と名乗った子の番だった。しかし、怜南の手に紙はない。なんと怜南はA4にびっしり書かれた長台詞をすべて暗記していた。怜南が演じ始めると明らかに室内の空気が変わった。
(な……。なにこの人、めちゃくちゃ上手い。まるで別人になったみたい)
 怜南の演技はまるで役が乗り移ったかのようだった。もちろん噛むことなどなかった。面接官たちからどよめきが起こった。
(終わった……。この子が起用されるな。ま、いい記念になったからいいや)
 麗奈はすっかり緊張が解けて足をぶらぶらさせたりしていた。そのようにして最後の子までセリフ読みが終わった。
「では次に親御さまに質問いたします。子どもさんの芸能活動に対してどのような支援を行っていますか? ……では藤沢さんのお父さまから」
「私は藤沢の父ではありません。マネージャーです。本日は藤沢の親の代役で参りました。藤沢の親は藤沢の芸能活動に非常に非協力的でして、金銭的な支援以外は行っておらず、本日の面接にも来るのを拒否しました」
 面接官たちからどよめきが起こる。麗奈の親は芸能に全く興味が無く、リビングにはテレビも無い。麗奈の部屋にはあるが。お小遣いを貯めて買ったのである。よって、麗奈の芸能活動にも非協力的で、金銭的な支援以外は全く行っていなかった。
「ちょ、ちょっと少々お時間を頂けますか?」
 面接官の1人がそう言うと8人が集まって何やらひそひそと話し始めた。
(なになに? これ何が起こってるの?)
 しばらくすると面接官たちは何事もなかったかのように元の席に座った。
「では、川島さんのお母さま、お願いします」
 そのようにして最後まで一通り親が答えて面接は終わった。

 帰りの車の中、面接が終わった開放感で麗奈の機嫌は良かった。
「ねえ、加藤さん。あたしの面接どうでした?」
「さあ、良かったんじゃないですか」
(何なの、その適当な返事は)
 麗奈はムッとしてその後は加藤とは口を利かなかった。

※※※※※

 面接を受けてから2週間後が経った。未だ合格通知は来ない。
(ま、落ちるのわかってるからどうでもいいけど)
 麗奈はベッドに寝っ転がって漫画を読みながらそんなことを考えていた。
 チャララーチャラララララ~♪
 携帯の着信音がなった。
(誰だろう)
 画面を見ると"加藤健"と書かれている。
「はい。何ですか加藤さん、今日はレッスンはお休み……。は? はあああっ!?」

 麗奈は電話を切った後、茫然自失としていた。
(い、いま確かに言ったよね。合格したって。間違いないよね)
 麗奈はもう一度加藤に連絡した。
「あ、もしもし? 加藤さんですか? さっき合格って言いました? はい。それ、間違いじゃないんですか? はい。間違いない?」
 麗奈は挨拶もせずプツッと電話を切った。
「ふふ……ふふふふ……」
 麗奈は不気味に笑っている。
「いやったあああああああああああ!!」
 ありったけの大声を出して麗奈は喜びの声を上げた。
「やったぞおおおおおお!! これで女優になった! 女優になった! どうしよう。このドラマでブレイクしちゃったりしたら。大スターになっちゃったりして。道を歩いてたら"サイン貰えますか"とか言われたりとか。ひょっとして藤沢麗奈と米沢愛綾どっちが子役No.1かとか論争になっちゃったり……」
「何してんの、あんたは!!」
 母親が部屋に飛び込んできた。
「1人で部屋で騒いで!! うるさいじゃないの!!」
「ねえママ! あたしオーディションに合格したの! これで女優になったのよ! テレビに出るの! 主演で! どうする!? 大スターになったらギャラが……」
「大スターだか女優だか知らないけど静かにしなさい!!」
 そう言うと母親は部屋を出て行ってしまった。
「なんだあれ……」
 麗奈は母親の態度にムカムカと怒りが湧いてきた。
(ぜっったいママにギャラはやらない!! あんなにそっけないんだから。そのときになって後悔しても知らないから!!)
 もうすでに麗奈は大スターになった気でいた。これから厳しい現実が待ち受けてるとも知らずに。

※※※※※

 麗奈は事務所で合格通知書を受け取って意気揚々と家に帰ろうとしていた。帰る前にトイレに行こうと廊下を歩いていると社長室から怒号が聞こえた。何やら社長が怒鳴っている。麗奈はドアの前に立って聞き耳を立てた。
「一体どういうことなんだ!」
 社長室に怒号が響いた。加藤はおろおろするばかりで何も言わない。
「お前何やった? 何であんな奴が受かるんだ!」
「な、何もしてないです。どういうわけか合格してしまって……」
 社長は顔を真っ赤にしている、
「共演はあの米沢愛綾なんだぞ! 失敗したらうちの事務所ごと潰される!」

(よ、米沢愛綾……!?)
 現在、子役界の頂点に君臨する子役女優である。麗奈はそれを聞いて心臓がバクバクし始めた。

「でも、それならどうしてうちからオーディションに出したんですか?」
「あの番組のプロデューサーが俺の大学の先輩なんだよ。幅広い中から人材を選びたいからお前のところからも出してくれって言われてな。断りきれなかったんだよ。だから1人だけ出しますって言ったんだ」
「で、藤沢を選んだと」
「そうだ! いちばん落選しそうなやつを選んだんだ!」

(落選しそうなやつを選んだ……?)
 麗奈の表情が曇る。

「こうなったらもうドラマを成功させるしかない。お前は藤沢のマネージャーからはずす。代わりに橋本をマネージャーにする」
「はい……。わかりました」
 社長は机の上にあった携帯でどこかに電話をかけている。
「橋本か? 俺だ。今日からお前を藤沢のマネージャーにする。そうだ。今日からだ。甲斐先生を藤沢専属にして毎日特訓させろ。他の子役は適当で構わん。いいな?」
 社長は携帯を切った。
「藤沢を呼べ」

 麗奈は慌ててドアから離れて廊下の曲がり角に隠れた。そしてさも今通りかかったように見せかけた。
「あ、麗奈ちゃん。ちょうどよかった。社長が呼んでるよ」
「はい」
 麗奈は社長室に入った。
「改めて合格おめでとう。麗奈」
 麗奈は何も言わない。
「ん? どうした?」
「いえ……。ありがとうございます」
「前にも言ったように今回は事務所としてお前を全面的にバックアップする」
 麗奈は何も言わない。
「今日から橋本がお前のマネージャーだ。いいな」
「もう行っていいですか?」
「ああ、いいぞ」
 麗奈は社長室から出て行った。
(許せない……!)
 さすがの麗奈もはらわたが煮えくり返っていた。
(絶対、ドラマ成功させてやる!!)
 麗奈は密かにやる気に燃えた。

※※※※※

 合格通知を貰ってから3週間。ブリエのレッスン場に麗奈の悲鳴が響いた。
「つ、疲れた……。先生、ちょっと休ませて……」
「ダメ! もう一回最初からセリフ言って! いくわよ! よーい! はい!」
「ひー」
 麗奈は毎日地獄の特訓を繰り返していた。先生が作った台本を繰り返し繰り返し練習するのだ。セリフの言い過ぎでノドから血が出るほどであった。
「ダメ! 感情がこもってない!」
「全然ダメ! 藤沢麗奈が出てる!」
「感情を爆発させて!」
「そこはもっと静かに!」
「動きがぎこちない!!」
「ふーじーさーわー!!!!」

「はい! 10分休憩!」
 先生はそう言うとツカツカと控室に帰っていった。
「は~、つかれた……。こんなことがあと1週間も続くの……?」
 麗奈はレッスン場のロビーの椅子に寝そべって休んでいた。そこにちょうど橋本が通りかかる。
「あ、橋本さん」
「なに? 麗奈」
「あのー、今お時間いいですか?」
「ちょっと講師の先生と話してくるから5分ぐらい待ってくれる?」
「はい」
 橋本智子。25歳。ブリエで一番キャリアの長いマネージャーである。と言ってもブリエ自体が設立から間もないため、マネジメントのキャリアは3年ほど。お世辞にも仕事が出来るとは言いがたい。風貌は痩せ型で黒髪のミディアムヘア。黒縁のメガネをかけており、神経質な印象を受ける。
 5分後、橋本が講師との話を終えて麗奈のところに来た。
「なあに?」
「あのー、クランクインまであと1週間しかないんですけど」
「それがどうしたの?」
「あの……。ドラマの台本ってまだ届かないんですか?」
「ああ、台本なら今日届いたわ。帰りに事務所に取りに来なさい」
 橋本は腕時計を何度も見ていらついている。
「顔合わせっていつですか?」
「このドラマでは顔合わせも本読みもしないそうよ」
「ええっ! そんなことってあるんですか?」
 顔合わせとは文字通り出演者とスタッフが一同に介してお互いの役割を確認しあうこと、本読みとは台本を片手に口頭だけでセリフの掛け合いをしてみることである。
「私は今まで聞いたことないわね」
「そんな……」
「でもいいんじゃないの? 向こうがいらないって言ってんだから」
「そ、そんなもんですかね」
 会話が終わると橋本はツカツカと玄関から出て行ってしまった。
(なんか……すっごい不安なんだけど)
「藤沢!! 10分以上経ってんのに何やってんの!!」
「は、はい!!」
 麗奈は慌てて先生の元に走った。

※※※※※

 その夜、麗奈の家。
「これって……本物よね」
 麗奈はベッドの上に寝そべって1冊の本を持っていたが、自分がその本を持っていることが信じられなかった。表紙に"小石の太陽"と書いてある。今回のドラマのタイトルである。小学3年生の恋愛模様を描いたラブコメ学園ドラマであった。
「ほんとにあたしドラマに出るんだ……」
 今になって実感がひしひしと湧いてきた。台本をぺらっとめくってみる。そこにはクレジットが書いてあった。

 藤沢麗奈//桜井ひなた//相模恵梨香 猪俣香織 ――

(ううっ……。あたしの名前が一番最初にある)
 麗奈はそれだけで感無量であった。自分が全国ネットの連ドラに出て、しかも主演なのだ。ついに子役デビューしたのだ。麗奈はしばらく自分の名前を眺めてニヤニヤしては枕に顔をうずめて手足をバタバタさせるということを繰り返していた。そのうちだんだんと気分が落ち着いてきたので、改めてクレジットを読み進めてみた。
 読み進めてみると上記メインの子役4人の後に大人の俳優の名前が何人か並び、そのあとで端役の子役の名前がずらずらと並んである。
(これ、確か一番最後の人が一番偉いんだよね)
 麗奈はクレジットの一番最後に目をやった。

 ―― 海老名芳雄//鈴菜さおり////米沢愛綾

(ま、愛綾ちゃんが一番最後……)
 麗奈の顔は引きつっていた。
(海老名芳雄さんと鈴菜さおりさんを抑えて一番最後って)
 麗奈はもう一度指でクレジットをなぞって確認してみた。
(この子、本当にあたしと同級生なのかな……)
「はぁ」
 麗奈は呆然としていた。
「いけない、いけない。覚えないと」
 そう独り言を言うと麗奈は起き上がって机に向かい、セリフを暗唱しながら覚え始めた。

 読み始めて2,3ページ目に差し掛かったころ、コンコン、ガチャッ。不意に部屋のドアが開いた。
「ちょっと、あんた何やってんの」
 母親である。
「何ってドラマのセリフ覚えてんだけど」
「1人で部屋でブツブツ言ってるからびっくりしたじゃないの」
「そんなこと言われても」
「ドラマだか何だか知らないけどびっくりさせないで!」
 母親はバンとドアを閉めた。
「はぁ、何でうちの親はこうなんだろう……」
 麗奈はやる気をなくしてしまった。

第2章 クランクイン

 全日テレビが保有しているスタジオ、町田制作スタジオに1台の車が止まった。中から出てきたのは麗奈と橋本である。
「麗奈、キョロキョロしないの」
 麗奈は緊張していた。テレビ局のスタジオなどに来たのは初めてである。橋本と麗奈は楽屋口から入り、廊下を歩いていた。
「あの、橋本さん……」
「なに?」
「あの……大丈夫でしょうか」
「なにが?」
「あたしが主演でいいんでしょうか?」
「はぁ?」
 麗奈はビクビクして立ち止まった。
「いまさら何言ってんのよ。ほら行くわよ」
「は……はい」
「私は他のマネージャーさんにご挨拶してくるから、あなたは先に楽屋に行ってなさい」
「はい」
 麗奈は楽屋を目指して廊下をとぼとぼ歩き始めた。
「あった、ここだ」
 ガチャっとドアを開けるとそこは大部屋であり、端役の子役たちが大勢いた。中に入ると全員が麗奈のほうに注目する。
(ここは主演としてしっかりご挨拶しないとね)
「あの、わたくし今回主演を務めさせて頂きます、藤沢麗奈と申します! みなさまどうぞよろしくお願い致します!」
 大きな声でそう言って深々とお辞儀した。楽屋がしーんと静まり返る。
(あれ? あたし何か変なこと言った?)
 そのとき1人の子役女優が近づいてきた。
「あなたが芸歴1ヶ月で主演取ったって子?」
「あ、いや書類審査のときは1ヶ月でしたけど今は芸歴3ヶ月で……」
「ふん、どっちでも一緒よ。せいぜいその天才ぶりを発揮して下さい。主演女優様」
 その子役女優は嫌味ったらしくそう言うとぷいっと向こうに行ってしまった。
(な、なに今の……)
 麗奈が困惑しながら楽屋の奥に行こうとすると。
「おい! お前、主演だからって調子に乗んなよ。一番後輩なんだから入り口のとこにいろよ」
 子役男優の1人が麗奈を怒鳴り散らす。
「あ、はぁ……すみません」
(なにこの人達……)
 見たところ全員が麗奈をすごい目つきで睨んでいる。
「ふっ、適当にやろうぜ、こんなクソドラマ。どうせコケるに決まってんだから」
「そうよね。こんなの一生懸命やっても疲れるだけだわ」
(わ、わざと聞こえるように言ってる)
「あ、あの、あたしトイレ行ってきます」
 麗奈はそう言うとそそくさと逃げるように楽屋を出た。
「ふぅ~、何なんだろ、あの人たち」
 そう言いながら麗奈はトイレに行こうとしたが道に迷ってしまった。
(あれ、トイレってどっちだっけ)
 そのとき、1人の子どもが向こうから歩いてきた。年齢は麗奈よりちょっと上だろうか。
「あ、すみません。トイレってどっちですか」
「トイレは~、あそこを~右に曲がったところよ~」
 なんだかほわ~んとしたしゃべり方をする子である。
(あれ、何かこの人どこかで見たことある)
 麗奈は瞬時に記憶をたどった。そしたら、すぐにピンときた。
「ああ! ピノ美ちゃんだ!」
 その子どもは、いきなり麗奈が大声を出したので、一瞬びっくりして目を丸くしたが、やがて微笑むと
「そうよ~。ピノ美よ~」
 と優しく言った。
「"炭酸水はゼロカロリー"録画して何度も見ました。あたし"炭酸水"を見て女優になりたいって思ったんです」
 この子役は桜井ひなたという。最近、頭角を現してきた実力派であった。年齢は11歳。モデル出身で背が高く、顔はハーフのような堀の深い、端整な顔立ちをしている。純日本人であるが。米沢愛綾主演のドラマ「炭酸水はゼロカロリー」で主要人物を演じ、一躍脚光を浴びる。その役が「ピノ美」という名前だったため、現在でもピノ美というアダ名で呼ばれる。
「え~、うれしい~。ありがと~。あなたも子役なの~?」
「はい、藤沢麗奈と申します。よろしくお願い致します」
「あ~。あなたが主演の子ね~。私は共演の桜井ひなたよ~。よろしくね~」
「はい、こちらこそ、お願いします」
「じゃあね~」
 桜井は軽く会釈すると廊下を歩いて行ってしまった。
(よかった。良い人もいるんだ)
 麗奈はいい気分でトイレに入った。

※※※※※

 男性と橋本が何か話している。
「わかりました。そういうことでしたら」
 男性は米沢愛綾のマネージャー田代智和である。
「では、藤沢を連れてまいりますので」
「お願いします」

 麗奈は楽屋のドアに一番近いイスにちょこんと座ってじっとしていた。
 スマホで暇は潰せるのだが緊張しているのと楽屋の雰囲気がピリピリしているのとで、とてもそんな気にはならなかった。
 ふいに楽屋のドアが開いた。子役たちは一斉にそちらを見る。入ってきたのは橋本である。
「麗奈、行くわよ」
「え? もうリハーサルですか?」
「違うわよ、ご挨拶に行くの」
「ご、ご挨拶?」
「共演の米沢愛綾さんにご挨拶するの」
「え!? い、今からですか?」
「そうよ。早くしないとリハーサルが始まっちゃうでしょ」
「で……でもまだ、心の準備が……」
「いいから来なさい!」
 橋本はそう言うとドアから出て行ってしまった。
(どうしよう……怖い……)
 麗奈は恐怖のあまり泣きそうになってしまった。
「あら、米沢さんにご挨拶に行くの? さすが主演女優様ね。わたしたちなんてあの方に近づくこともできないのに。素晴らしいわー」
 米沢に挨拶に行くと聞いて子役たちの嫌味はさらに倍増した。麗奈は完全に子役たちの憎悪の対象となっていた。
(ここにいるのも怖い……)
 麗奈は逃げるようにドアから出て行った。

 麗奈は橋本を追いかけて別の楽屋の前に来た。ドアの横に「米沢愛綾 様」と書いてある。そこには橋本と田代が居た。
「こちら、米沢さんのマネージャーさんの田代さん」
「田代と申します。よろしくお願いします」
「藤沢麗奈と申します。よろしくお願いします」
 麗奈は深く頭を下げた。田代智和。36歳。米沢愛綾から絶大な信頼を置かれる敏腕のマネージャーであった。東京大学卒業であり、頭が切れ、いつも冷静沈着である。顔つきは精悍で、スポーツ選手と言われても違和感が無い。いつもグレーのスーツに身を包み、米沢からいつ呼ばれても良いように待機している。
「このたびは米沢にご挨拶して頂けるということで、お気持ち感謝いたします」
「いえ、こちらこそ」
 橋本が頭を下げる。
「そこで、1点だけお願いが」
「お願い?」
「くれぐれも"愛綾ちゃん"とだけは呼ばないようにお願いします。必ず"米沢さん"と呼んで下さい」
 橋本と麗奈は顔を見合わせた。
「も……もし呼んでしまったらどうなるんですか?」
 橋本は恐る恐る聞いてみた。
「良くて米沢はこのドラマから降板……」
「わ、悪ければ……?」
 田代は沈黙したまま何も答えない。麗奈は足が震え始めた。とんでもないところに来てしまった。そう思った。
「では、どうぞ」
 田代が麗奈をドアの前に促す。
「麗奈、しっかりね」
 橋本は不安そうである。麗奈はゴクッと生唾を飲み込むと、震える手でドアノブを掴み、ゆっくりと回した。

 部屋の中に入ったとたん、麗奈は固まってしまった。ほんの2メートルほど先に米沢愛綾が座っているのだ。あの、いつもテレビで見てる米沢愛綾が。赤いパーカーに、裾ほどきのスキニーパンツ。ワンレンのロングヘアをポニーテールに結い、テレビで見るような愛らしい少女の面影は無く、まるで男の子のような風貌であった。
 米沢はソファーに座って足を組み、スナック菓子を食べながら、雑誌を読んでいる。いつもテレビで見るあの笑顔はない。冷めた目つきで麗奈には目もくれず、雑誌を読み続けている。その威圧感たるや凄まじいものがあった。
(げ、芸能人オーラが凄すぎて動けない……)
 麗奈は何も言えず、立ち尽くしていた。そのまま何分過ぎたであろうか。だんだんと麗奈は緊張と恐怖で頭が朦朧としてきた。
「あ、あ、あの……」
 朦朧とした意識の中でついに第一声を切り出した。その声にも米沢は反応しない。雑誌を読み続けている。
「あ、ああ、あたしは、このたび主演と……主演を努めさせていだ……いただきます」
 麗奈は上ずった声で噛みながらやっとのことで声を振り絞った。
「藤沢麗奈と……も、もうします」
 麗奈はまるでマリオネットの糸が切れたようにカクっとお辞儀をした。本当なら「よろしくお願いします」と言わなければいけないのだが、麗奈は言ったつもりで忘れてしまっていた。
(で、できた……! これでいいはず!)
 米沢は無反応。完全無視である。相変わらず雑誌を読みながら、お菓子を食べている。麗奈の方には目もくれない。麗奈はゴクッと生唾を飲み込んだ。
(な、何か失敗しちゃった……!? ど、どうしよう……)
 麗奈はまた固まってしまった。そのまま、また何分か経過した。麗奈はもうこの場を去るしか選択肢が無かった。米沢に無視された落胆とこれからの撮影への不安で絶望的な気持ちだった。麗奈がドアノブに手をかけたそのとき。
「飲み物」
 米沢が一言だけ言葉を発した。麗奈はとりあえず振り向いたが気のせいかなと思った。米沢は相変わらず雑誌を読みながらお菓子を食べている。気のせいかと思って麗奈は再びドアノブを掴んだ。
「飲み物でも飲んでけば?」
 今度は確かに聞こえた。確かに米沢はそう言った。麗奈が振り向くと米沢は冷たい目つきで麗奈を見ていた。

※※※※※

「あそこにいると虐められるだろ?」
 米沢はオレンジジュースを用意しながら言った。
「あ……はい……」
 ソファーに座っている麗奈は小さく答えた。
「子役同士の嫉妬ってものすげえんだよ。何されるかわかんねえから気をつけろよ」
「……ありがとうございます」
 米沢が話しかけてくれてようやく麗奈は緊張が解けてきた。米沢はオレンジジュースと何かが盛られた皿をテーブルの上に置いた。
「どうぞ」
「……ありがとうございます」
 麗奈はテーブルの上に置いてあるものを見た。
(なにこれ? 漬物……?)
 皿に盛られたものはどう見ても奈良漬けであった。
「あ、あの……これ」
 麗奈は無理やり笑顔を作りつつ尋ねた。
「ああ、奈良漬けだよ。それがどうした?」
「い、いえ、いただきます」
(オレンジジュースに奈良漬け……)
 麗奈は奈良漬けをポリポリ食べた。……よく漬かった奈良漬けである。
「はは……おいし」
「そうだろう? オレンジジュースには奈良漬けが一番だよ」
「実はあたしもそう思ってました」
 麗奈は最大限おべっかを使った。
「何年生?」
「3年生です」
「私も3年だ。奇遇だな。というより3年生をオーディションで選んだのか。芸歴は何年だっけ?」
「あの……3ヶ月です」
「オーディションと練習に費やした日数を引くと実質1ヶ月か」
「はい……」
 米沢はふぅとため息をついた。
「そら緊張するわな。3ヶ月前まで私の事テレビで見てたんだからな」
「はあ……」
「だが主演がそんなにガチガチだと困る。全員の士気にかかわる」
「……どうしたらいいでしょう?」
「子役の世界は大人の芸能界と違って完全に実力勝負だ。なぜなら大抵の場合オーディションで配役が決まるからだ。私ぐらいになるともうオーディションは受けないが、芸歴3ヶ月で主演というのはおかしいことでも何でもない。そんなとこに引け目を感じる必要はない。私が出来る限りフォローするから大船に乗ったつもりでいろ」
「わ、わかりました」
「ところで……、オーディションは書類審査と面接か?」
「はい」
「書類には何て書いた?」
「……えーっと、米沢さんの『炭酸水』を見て、あたしもあんなふうになりたいと思って受けたとか、そんなこと書きました」
「……面接には誰が付いていった? ママか?」
「いえ、うちの両親はあたしの芸能活動に興味がなくて、来てくれないので、事務所の方と一緒に行きました」
「……普通オーディションでは親も審査されるんだが、親が来てないことを聞いたときの審査員の反応は?」
「なんか審査員同士でこそこそ話していました」
 米沢は爪を噛みながら何か考えている。
「実技もあったか?」
 麗奈は何で米沢がここまでオーディション内容を聞いてくるのか理解に苦しんだ。米沢ならオーディションなんかいっぱい受けてきたはずなのに。
「ありました。A4の紙に書かれたセリフ。ものすごい長ゼリフで、それを渡されて、演じました……」
「上手く出来たか?」
「いえ、最初にやったときは噛んじゃって、途中で"すみません"って謝って……」
「"最初に"ってことは、やり直しさせられたってことか?」
「はい。でも2回目も噛んじゃって、また途中で謝ったらもういいですって言われて。……でも、なんで噛んだのに合格したのか不思議で」
「噛むのは別に悪いことじゃないさ。噛むのはな。そこで悪かったのは……」
 コンコンコン。部屋にノックの音が響いた。
「失礼します」
 入ってきたのは田代である。
「なんだ?」
「……藤沢さんがそろそろヘアメイクと衣装合わせの時間ですので、お暇させて頂きたいとマネージャー様が」
「そうか。……行っていいぞ。主演としてしっかりな」
「はい。ありがとうございました。よろしくお願いします」
 麗奈は深く一礼すると、楽屋を出て行った。誰もいない楽屋で米沢は爪を噛みながら一人で何か考えていた。

(なんか……すごい良い人じゃん米沢さん)
 楽屋を出た麗奈は上手くやっていけそうだという手応えを感じていた。外には橋本がいて、麗奈を見るなり走り寄ってきた。
「麗奈! どうしたの!? なかなか出てこないから心配したじゃないの!」
「だって、飲み物飲んで行けって米沢さんが」
「いいから、さっさと楽屋に戻って! もう時間ないんだから!」
 麗奈は手を引っ張られて自分の楽屋に戻った。

「珍しいですね。新人と仲良く話すなんて」
 楽屋で米沢の後ろに立っている田代が話しかけた。米沢は化粧鏡の前でスタイリストからヘアメイクを受けている。
「主演女優様とは仲良くせんわけにはいかんだろ」
 米沢はため息を付きながら面倒くさそうに答えた。
「印象はどうでした?」
「さあな」
 米沢は大きなあくびをした。

※※※※※

 楽屋ではみんなヘアメイクや衣装合わせをしていた。麗奈は主演なので専属のスタイリストが付く。主役級である麗奈、米沢、桜井以外の無名子役はみんな自前の衣装である。自前の衣装を大量に持って来て衣装さんがその中からイメージに合うものを指示し、それを着て撮影に臨むのである。
 麗奈が衣装を整えて全身鏡でチェックしているとドカッと何かが背中にぶつかってきた。なんだと思って振り向くと、無名子役の女優の1人が麗奈を睨みつけていた。
「痛いわね! 気をつけなさいよ!」
 そう言って子役はぷいっと向こうに言ってしまった。
(またか……)
 凡人たちの嫉妬やイジメにも何となく慣れてきた。
「ねーねー、麗奈ちゃーん」
 後ろから声がしたので振り向いたところ桜井が居た。桜井も芸歴や実績がまだ少ないのでこの大部屋の楽屋で一緒である。今回の子役の中で個室を貰っているのは米沢だけである。しかもソファーとテレビと冷蔵庫付きの。
(格差社会ですなぁ)
 そんなことをボーっと思っていると、桜井が目の前で手のひらを振って、
「おーい、うふふ」
 と軽く笑った。
「あっ、はい。なんでしょう」
「ねー、奈良漬け食べたー?」
「奈良漬け……。はい……。頂きました……」
「キャッハハハハハ。オレンジジュースと?」
「はい……」
「キャハハッハハハハ」
 桜井は腹を抱えて笑っている。
「あー、おかしい~」
「桜井さんも食べたんですか?」
 そう言うと桜井はしかめつらをした。
「もう、愛綾ちゃんの楽屋はこりごり~」
「こりごり?」
「『炭酸水』のときに~どれだけ奈良漬け食べさせられたか~」
「あはははははは」
 麗奈は今日初めて心から笑った。
「もう~、一生奈良漬けはいい~」
「ははは……大変だったんですね」
 そんな話をしているとガチャっとドアが開いた。中に入ってきたのはADであった。
「では、みなさーん! お願いしまーす!」
「はーい!」
 元気よく返事をするとみんな楽屋からスタジオへと出て行く。
「ね~。いこいこ~」
「は、はい」
 桜井に促されて麗奈は緊張しながらスタジオへと赴いた。

※※※※※

 ここにいる子役たちはみんな芸歴5、6年はある。ドラマにも映画にも何作か出ている。もちろん端役ではあるが。みんな特段緊張してる様子も無く、前室で待機している。前室は狭いので子役たちでひしめいている。その中で麗奈だけはガチガチに緊張していた。
(大丈夫、最初はリハーサルなんだから。失敗しても監督さんが何とかしてくれる)
 そう自分に言い聞かせていた。
(米沢さん、どこだろう?)
 前室を見回してみたが米沢の姿は無い。座れば少しは落ち着くかと思って、ソファーに座ろうとしたそのとき、
「おいお前! 何座ろうとしてんだよ。一番後輩なんだから立ってろよ」
 子役男優の一人が麗奈に詰め寄った。
「緊張しておしっこでも漏らしたぁ?」
 子役女優の一人が憎まれ口を叩いた。
『ギャハハハハハ』
 前室が悪意に満ちた笑いで埋め尽くされる。麗奈はしょぼんとして隅っこでずっと立っていた。そのうちADが呼びに来て全員スタジオに入ることになった。

※※※※※

 スタジオは小学校の教室をそのまま再現したようなセットである。このスタジオは小学校の撮影専門のスタジオで、常にこの教室セットが常備してあるスタジオであった。しかし実際の小学生である麗奈には少し違和感があった。小学校の教室と言えば黒板の上に標語が貼られていたり、後ろの壁にみんなの書道や絵の作品が飾られていたり、黒板の右端に日にちと日直の名前が書いていたりするものだが、そういう細かい物が一切無いのである。まるで作り立ての教室をそのまま使ってるような感じなのだ。本来なら小道具さんが用意するのだがなぜか用意されていない。
(実際の小学校とはだいぶ違うけどこれも演出なのかな)
 麗奈が不思議そうにあたりを見回していると、
「米沢さん入られまーす!」
 とADが叫ぶ声が聞こえた。スタジオ内に一気に緊張が走る。子役たちも緊張した面持ちで全員直立不動である。ツカツカツカと音を立てて田代を引き連れた米沢がスタジオに入ってくる。笑顔は無く真剣な表情で既に仕事モードに入ってるようだ。スタジオ内に入った米沢はあたりを見回してセットを確認している。一瞬、米沢の眉間にしわが寄った。麗奈はそれを見逃さなかった。
(あ、やっぱり米沢さんも変だと思ったんだ)
「何してる! 米沢さんの出番はまだだいぶ後だろ!」
「で、でも……」
 ADが演出家にどやされている。
「……私が入るって言ったんですよ」
 米沢がクールに答えた。
「他の子役のお芝居も見ておこうと思いましてね」
 演出家は一瞬固まった。
「そ、そういうことでしたら……おい! さっさと椅子を用意しろ!」
 演出家はADに怒鳴り散らした。米沢はADが用意したディレクターズ・チェアにドカッと腰掛けた。そして右手を軽くうえに上げると田代が無言でミネラルウォーターを渡す。米沢はミネラルウォーターのフタを開けると一口飲んだ。
「じゃあ、望結ちゃんと愛菜ちゃんと福くん、あと星蘭ちゃんと花音ちゃん、あとは哉汰くん、立ち位置を確認するのでこっちに来てね。あとの子は待機で!」
「はーい!」
 無名子役たちが演出家の指示通りそれぞれの立ち位置にたつ。
「そこら辺に適当に立って。そうそう、それでいいよ」
 演出家の指示は明らかにぞんざいであった。その様子を米沢は注意深く見ている。
「では本番行きまーす!!」
 ADが叫ぶ。
「え!?」
 麗奈は思わず大声を上げた。米沢の目つきがより一層鋭くなる。子役たちの間でもどよめきが起きている。
「……何のつもりですか? 最初はドライでしょう?」
 米沢が静かにADに指摘する。ドライとはドライリハーサルのことで、カメラを回さずに演技だけを確認するリハーサルである。
「このドラマは子どもたちの自然なやり取りを全面に押し出すつもりでして、リハは一切行いません」
 横にいたADが米沢に説明する。
「……カメリハも?」
「はい」
「ランスルーも?」
「……はい」
 米沢は鋭い表情のままである。カメリハとはカメラリハーサルのことで、役者の演技を撮るのに最適なカメラ位置を探すリハーサル、ランスルーとは本番と同じ環境で全部通しでやってみるリハーサルである。
「リハ無しでどうやってアングルを?」
「そ、それは……」
「……アングルを犠牲にしてでも自然さを追求するんですよ」
 そばにいた演出家がフォローした。
「大人の上手な役者さんならそれも可能かもしれませんが、ほとんどのキャストが子役なのにそれが出来ますかね?」
「今回のキャスティングは精鋭を集めてるので大丈夫ですよ」
「演技指導も無し?」
「はい」
 米沢は腕組みをして首をかしげ何か考えている。
「ではカメラ回りまーす!! ……よーい! はい!」
 無名とはいえ子役たちもさすがに精鋭と呼ばれるだけある。セリフは完璧に覚えており、すらすらと掛け合いを演じている。そんな中、麗奈はガクガク震えていた。
(いきなり本番! いきなり本番! いひない本番!)
 麗奈は子役たちの掛け合いなど全く目に入らずそればかり考えていた。その麗奈の様子を米沢がじーっと見ている。
(どうしよう……。あたしもうダメ……。助けて……。神様……)
 そんなことを考えてるうちに麗奈は米沢と目があった。米沢がちょいちょいと手で"こっちに来い"のサインをする。麗奈は腰が砕けそうになりながらやっとの思いで米沢のところまで歩いた。麗奈がそばまで来ると米沢は椅子から立ち上がった。
「……座ってろ」
 米沢の声はいつもより大きく聞こえた。
「え……で、でも……」
「いいから座れと言ってる」
 さらに声が大きくなる。
「は、はい」
 麗奈は椅子に腰掛けた。
「田代。水を」
 田代が米沢にミネラルウォーターをもう1本差し出す。
「飲め」
「……ありがとうございます」
 麗奈はフタを開けると目をつぶってゴクゴクと飲んだ。
「ぷはっ……はあ、はあ」
「あんまり飲み過ぎるとおしっこ行きたくなるぞ」
「は、はい」
 立ちっぱなしと緊張で喉がカラカラだったからか、水を飲んで少し緊張が和らいだ感じがした。
「……主演なら堂々としてろ。全員の士気に関わる。……と言っても無理かもしれんがな」
「は、はあ……」
 そうこうしてるうちに子役たちの掛け合いは終わった。
「カットォ!」
 演出家がカットをかけシーンは終わった。この後は演出家や他のスタッフがモニタで演技をチェックし、OKかNGか出すのである。子役たちもモニタで自分の演技をチェックしている。
「……はい、オッケーでーす。では、次のシーン行きまーす」
 米沢は目を細くして首をかしげた。また別の子役たちが立ち位置につく。
「ではカメラ回りまーす。よーい、はい!」
 カメラが回り始めると子役たちは掛け合いを演じ始めた。
「あれで精鋭か……」
 麗奈は米沢のほうを見た。米沢は真剣な表情で子役たちの芝居を見ている。
「え、でも、あの子たちものすごく上手いと思いますけど」
 米沢は何も言わない。
「カットォ!」
 演出家が叫ぶ。その後でモニタで演技チェックをする。
「……はい、オッケーでーす。はい、次のシーン行きまーす」
「……あれで一発オッケーか」
 米沢は嘲るように笑っている。
「では次は麗奈ちゃんと米沢さんのシーンです。米沢さん、よろしくお願い致します」
 麗奈はビクッとした。とうとう、とうとう来てしまった……。出番が……。麗奈と米沢は演出家が指示する位置につく。
「あ、あの……監督さん」
 麗奈が演出家に対して小声で声をかけた。
「なに?」
「あの……上手くできるかどうか不安なんですけど……」
 麗奈は勇気を振り絞ってその言葉を口にした。
「ああ、大丈夫、大丈夫。適当にやってくれればいいから」
「は、はあ」
 米沢はそのやり取りを冷たい目で見ている。
「ではカメラ回りまーす、よーい、はい!」
 その瞬間、スタジオ全体の空気が一変した。ピーンと張り詰めた一点の乱れもないすさまじい緊張感で場が支配された。
 ……米沢である。米沢が役に入った時の威圧感、存在感、集中力のあまりの凄まじさに全員が息を飲んだ。
(息が苦しい……)
(肌がピリピリする)
(やばい、おしっこ漏れそう)
(吐きそう……)
 子役たちは初めて見る米沢の演技に恐れおののいていた。
(……これが、これこそが私が憧れた全力の米沢愛綾よ~)
 桜井は得意げである。戦慄したのは大人たちも例外ではなく、
(やばい、手が震えてマイク落としそう)
 ガンマイクを手に持っている音声さんは思った。
(ううう、怖いよ)
 そう思ったのは女性ADである。
(いつ見ても恐ろしい子だ……)
 ベテランの演出家ですらそう思うほどであった。そんな中、平気な顔をしてる人物が一人いた。麗奈である。
(セリフはきっちり覚えてきたから大丈夫……だと思う)
 そう思った麗奈は覚えていたセリフをすらすらと言い、米沢と掛け合いを始めた。しかしながら麗奈はド下手糞もいいところである。棒読み以前に滑舌が悪く何を言ってるのか全くわからない。そんなとき、麗奈がセリフを思いっきり噛んでしまった。
『あー、いま噛んだでしょー。噛んだ噛んだ。キャハハ』
 米沢のアドリブであった。麗奈は台本に載ってないことを言われて固まってしまった。
『そんなことで噛んでどーすんのよ。たかし君に告白するんでしょ?』
『でも……たかし君、直美ちゃんのことが好きって噂だし……』
 米沢が自然に元の流れに戻して事なきを得た。
「カットォ! ……米沢さん、さすが一流女優ですね」
「どうも」
 演出家の褒め言葉に軽く挨拶する米沢。
「ばっちりオッケーです」
「なに? モニタチェックは?」
「あ、いえ、米沢さんは完璧でしたので……」
「私は良くてもこいつは?」
「大丈夫です。完璧でしたので」
「……勉強のために見たいんですけど?」
 米沢は揺さぶりをかける。
「あ、いや、その、時間が押していますので……ははは」
「……」
 米沢は憮然としてディレクターズ・チェアに再び腰掛ける。麗奈も何となく米沢の隣にいた。米沢のそばにいると安心するのだ。次は哉汰、愛菜と呼ばれた無名子役2人と桜井のシーンである。
「ではカメラ回りまーす! よーい! はい!」
 放課後の誰もいない教室で桜井と愛菜が窓から夕日を見ている。
『夕日がキレイだね』
『うん』
『君たち!』
 そこに哉汰が入ってくる。
『蓮キュン!』
 桜井が愛菜の後ろに隠れ、手鏡を見て髪を直し始める。そこで桜井がハッとして、愛菜の前に出て愛菜の胸ぐらを掴む。
『ここで待ち合わせか!』
『はあ!?』
『逢引か!!』
『はーあ!?』
 しばらく間が空いた後、
「カットォ!」
 演出家は米沢の顔をチラッと見た。
「はい、オッケーでーす。モニタ無しでいいです」
「今日はこれで上がりでーす! お疲れ様でしたー!」
 このシーンが最後であり今日の撮影は無事に終わることができた。
「監督」
 米沢が演出家に声をかける。
「は、はい。なんでしょうか?」
「これから3ヶ月間。……よろしくお願いします」
 米沢は鋭い目つきで監督を睨んで言った。
「あ……はは。こちらこそ」

「お疲れでした~」
「お疲れ様でした」
『お疲れ様でした~』
 みんな一気に緊張感が解けてガヤガヤと楽屋へと戻っていく。
「あの、いろいろとすみませんでした」
 麗奈は申し訳無さそうに米沢に謝った。
「……フォローするって言っちまったからな」
 米沢はクールに答えた。
「おい、行くぞ」
「は、はい」
 米沢と麗奈はもうすっかり姉貴と妹分のようであった。

※※※※※

「ちょっと何やってんのよ!」
 米沢と麗奈が楽屋に帰ろうとした矢先、大きな声が撮影終了後のスタジオにひびいた。
「す、すみません!」
 怒鳴っているのは無名の子役女優の1人。謝っているのは新人と思われる女性のADであった。
「大事な衣装になんてことするのよ! これ自前なんだからね!」
 どうやらスタッフに飲み物を運んでいたところぶちまけてしまったらしい。
「あんたの給料から弁償してもらうから!」
「は、はい……」
 子役はツカツカと楽屋に戻っていった。それをちょうど見ていた米沢と麗奈。
「おい、ちょっと一緒に来い」
 米沢が麗奈に付いてくるよう促す。
「え? は、はい」
 米沢と麗奈は落ち込んでいるそのADに近づいた。米沢が声を掛ける。
「渡辺さん……ですよね?」
「はい?」
 すっかり落ち込んでしまっていたADはポカンとしていた。
「お名前、渡辺さんじゃなかったでしたっけ?」
「は、はい、そうです。渡辺と申します」
「以前、お仕事をご一緒したときにお話したので覚えていたんです」
 それを聞いた渡辺ADは驚いた表情を見せた。
「お、覚えていてくださったんですか……!?」
「失敗なんか誰にでもあるもんですよ。私も新人のころは怒られてばっかりで」
 麗奈は優しい口調でしゃべる米沢をじっと見ていた。
「ほら、この子も新人なんです。な?」
 米沢はヒジで麗奈の脇を小突く。
「あ、そうです。あたしもまだ入ったばっかりで、いつも怒られてばっかりで。一緒にがんばっていきましょ? ね、渡辺さん」
 麗奈はとりあえず米沢にならって優しい言葉をかけた。それを聞いた渡辺ADはポロポロと泣き出してしまった。
「ありがとうございます、私のような者に優しい言葉をかけていただいて。がんばります」
「わーたーなーべー!! ちょっとこっち来い!!」
 先輩ADが遠くで呼んでいる。
「は、はい!」
 渡辺ADは涙を拭くと急いで先輩ADの元へ走っていった。

「……優しいんですね」
 楽屋に戻る途中の廊下で麗奈は米沢に言った。
「誰が? 私が?」
「はい」
「フッ……さっきのダメ女の話か?」
「だ、ダメ女?」
「あれはあいつが局ADだから優しくしたんだよ」
「で、でもいくら局の社員さんだからって新人さんなんかに媚びても……」
 米沢は立ち止まって麗奈の顔を間近でじっと見た。
「子役にとって一番大きな壁はなんだ?」
「一番大きな壁?」
 米沢は麗奈をじっと見ている。麗奈はアゴに手を当てて少し考えた。
「ブレイクすること……ですかね?」
「バカかお前は。ブレイクなんぞ個人の資質と運だろうが。子役なら誰でも直面する重大な壁があるんだよ」
「な、何なんですか、それ」
「……年齢だよ」
「年齢?」
「子役ってのは可愛い子供だから需要があるんだ。年齢が上がって可愛く無くなってきたら誰でも需要は激減する。そのときを乗り越えれるかどうかが大人の女優になる最大の壁と言ってもいい」
 麗奈は圧倒された。途方も無い現実を突きつけられた感じがした。
「もう1つ質問する。収録現場で一番偉いのは誰だ?」
「それは……ディレクターさんとか監督さんとか……」
「そうだ。では、私たちが子役の壁にぶち当たる頃、おそらく5~6年後。監督やディレクターになってる奴は誰だ?」
「あ!」
「そう、ADだよ。だから私らは特にADを大事にしなきゃいけない。いまADにいる奴は私らが苦しいときに監督になってる。そして私たちが大人の女優になるころにはプロデューサーになってる。スタッフや共演者に媚びるのは子役の基本だが私らにはADが一番大切なのさ」
「じゃ、じゃあ、あの怒鳴り散らしてた子役の子は……」
「まず消えるだろうな」
「はあ~」
 麗奈は感心しきりだった。米沢の凄さを垣間見た気がした。二人は再び楽屋に向けて歩き出した。
「……でも、よく名前まで覚えてましたね」
「ああ、今まで仕事をした人間は全員顔と名前を覚えてるからな」
「え!? 全員覚えてるんですか!?」
「ああ、共演者はもとよりプロデューサーからADに至るまで全てな」
「ちっこい制作会社の人とかも?」
「そうだよ」
「な……何人ぐらいになるんですか、それ」
「さあ、人数はわからんけど、たぶん何千人とかじゃないか?」
 麗奈は絶句した。とてもではないが人間わざとは思えなかった。
「あとで私の楽屋に来い。話がある」
 そう言って米沢は自分の楽屋に消えていった。

※※※※※

 楽屋に戻った米沢は既にメイクを落とし、撮影用にほどいていた髪をいつものポニーテールに結わえて、私服に着替えていた。米沢はソファーに座ってじっと考えている。
(ずさんなオーディション、ベタでクソな脚本、小道具が何もない手抜きのセット、顔合わせも本読みもリハもモニタも無し、適当な演出、声が入っても注意しない、主演は大根、他の子役もピノ美以外は下手くそ……)
 米沢はスマホで電話をかけた。
「もしもし? ちょっと来てくれ」
 程なくして田代がノックして入ってくる。
「失礼します。何でしょうか?」
「……全テレはどうやら意図的に駄作を作ろうとしてるみたいだ」
「今回のドラマですか?」
「ああ。で、全テレがなんでそんなことするのか、その目的が知りたいんだが」
「うーん、そうですねー」
 田代は少し考えた。
「……私の知人に全テレの報道局のプロデューサーがいるんです。確か今回のドラマのプロデューサーと同期入社だったと思います。彼に局の目的について私が個人的に聞いてみるというのはいかがでしょう」
「普通に考えて、緘口令が敷かれてると思うけど」
「同期入社ならライバル意識が強いでしょうから、相手の仕事を邪魔したい気持ちもあるでしょう。酒でも飲ませて焚きつければ吐くんじゃないですか」
 米沢は腕組みをして考えている。
「よし、それで行こう。頼む」
「かしこまりました。すぐに動きます」
 田代は楽屋を出て行った。
「ふうー」
 米沢はため息をついた。
「私が役に入ると初めての子役は大抵ビビって固まるんだがな……」
(類まれなる天才かそれとも単に鈍感なだけか……)
「ふわ~あ、どっちでもいいや」
 米沢はあくびをすると寝てしまった。

※※※※※

「あの~」
「あのー!」
「あのーー!!」
「米沢さん!!!」
「ふぁ……?」
 米沢が目を開けると目の前には麗奈が立っていた。
「う~ん……なんだよお前。何か用か?」
「何か用かじゃないですよ。米沢さんが呼んだんじゃないですか」
「……そうだっけ? まあいいや、座れよ」
 麗奈は憮然としてソファーに腰掛けた。米沢は撮影前と同じようにオレンジジュースと奈良漬けを用意すると、テーブルの上に差し出した。
「で、話って何ですか?」
 麗奈は奈良漬けをポリポリ食べながら言った。
「……今の子役界は厳しいぞ」
「え?」
「もうすでに子役ブームは終焉の段階に入ってきてる」
 麗奈は不安そうな顔をしている。
「今の子役ブームを起こしたのが誰か知ってるか?」
 子役なら知らない人は居ない。
「米沢さんです」
「そう。私の『炭酸水はゼロカロリー』がきっかけだ。だが……もう視聴者は飽きてきている」
「子役にですか?」
「ああ」
 重苦しい沈黙が場を支配した。2人とも深刻な表情をしている。
「今は上手くブームに乗ったトップ集団たちが上にひしめいていて、さくらとかピノ美とか実力派がポツポツ出てきてる状況だ」
 麗奈は黙って聞いている。
「ブームで子役が増えすぎたことで過当競争が起きてるんだな」
 麗奈は浮かない表情で俯いた。
「あたしなんかがそんな世界でやっていけるのかな」
「……やっていけないと思う理由は何だ?」
 麗奈は顔を上げた。
「そ、それはお芝居も歌もダンスも下手くそだし」
「上手ければ売れると思ってるのか?」
 麗奈はきょとんとしている。
「たとえばさくらはそこそこ芝居は上手いし歌も上手い、だがブレイクというには程遠い状況だ。ピノ美もそうだ。『炭酸水』で評価されたにも関わらずブレイクしなかった」
 麗奈は再び俯いた。
「上手いからといって売れるとは限らない」
「じゃあ、もう今からブレイクすることは出来ないんですね……」
 麗奈は絶望的な気持ちになった。自分の夢が粉々に壊れた気がした。
「……ま、今からこの世界でやっていくなら、現状を見つめてやれることやれってこった。それだけ言いたかった」
「はい……。じゃあ失礼します」
「気落ちして、撮影に支障を出さないようにな」
「はい……」
 麗奈は肩を落として自分の楽屋に帰っていった。
「ふぅ~」
 米沢はソファーの背もたれに寄りかかって上を向き、ずっと何か考えていた。

第3章 勝者と敗者

 クランクインから10日が過ぎた。麗奈もようやく収録に慣れてきたようで緊張することも無くなってきた。
 今日は多摩川スタジオでの収録である。ここには主人公の家のセットがあり、麗奈と米沢が家で遊ぶシーンを取るのだ。
 町田制作スタジオが学校のシーン専門だったのに対し、このスタジオにはいろいろなセットがあり、他のドラマやバラエティの収録も行われている。
 麗奈の入り時間は10時。学校を欠席しての収録であった。ドラマ収録が始まってから麗奈はろくに学校に行っていない。子役の宿命であった。麗奈は9時30分に橋本の車でスタジオに到着した。
「じゃあ、しっかりね。麗奈」
「はい」
 そう言うと橋本は車で去っていった。通常、超売れっ子の子役でも無いかぎりマネージャーは多数の子役の面倒をまとめて見る。したがって子役の個人的な身の回りのことは親がやることになるのだが、麗奈の場合、親が何もしてくれないので現場では一人であった。
 スタジオの楽屋口から入ろうとしたそのとき、
「おい。早いじゃないか」
 後ろから米沢の声がした。
「あ、米沢さん、田代さん。おはようございます」
 まだ入り時間に余裕があることもあり3人は楽屋には行かず、休憩スペースに座ってコーヒーを飲んでいた。すると、
「お願いします! 準レギュラーでいいんです!」
 そう叫ぶ声が廊下を曲がった先から聞こえてきた。
「おい」
「え、あ、はい」
 米沢は麗奈を連れて廊下を曲がった先に行ってみる。そこでは12~13歳ぐらいの男の子役が
 どうやらバラエティ番組のプロデューサーと思われる人物にすがりついていた。
「もう半年も仕事が無いんです! このままじゃ……」
「ん~。でも、それは君の都合だしねぇ」
 プロデューサーの反応は冷たい。
「じゃ、じゃあせめてゲストで……」
「斉藤くん……。残念だけど君を出演させるわけにはいかないんだ」
「そんな……お願いします! 何でもします! おねがいしますうう!!!」
 子役はついに泣き崩れてしまった。
「あ、俺もう時間だから。じゃあね」
 プロデューサーはそう言うと何事も無かったかのように立ち去ってしまった。
「ううう~うう~……」
 子役は床に膝をつき手をつき泣き伏している。その様子を米沢は無表情で、麗奈は驚いた表情で見ていた。
「……おい」
 米沢はわんわん泣いている子役を見たまま麗奈に声をかけた。
「はい」
 麗奈も子役を見たまま答える。
「見せたいものがある。来い」
 米沢はそう言うと泣き伏している子役の横を通りすぎて行ってしまった。麗奈は少し躊躇したあとなるべく子役を見ないようにして後を追った。

 米沢と麗奈は歩きながら話している。
「あいつは歌で大ブレイクした奴だ。知ってるよな」
「はい。とてもキレイな声ですよね。あたしもCD買いました」
「でも声変わりして声質が変わったらあの様だ」
「それで最近テレビで見なくなったんですね……」
 麗奈はやるせない気持ちだった。すごい世界だなと思った。そうこうしてるうちに米沢はとある楽屋の前で止まった。
「ここだ」
 ドアの横には"杉浦可憐 様"と書いてある。
(杉浦可憐ってあたしたちより3つ先輩の人気子役の一人じゃん)
 麗奈はそう思った。だが、この後、可憐の衝撃的な姿を見せられることになるのだった。米沢はノックもせず、静かにドアを開けた。6畳ぐらいの和室の楽屋。その真ん中に可憐は背中を向けて体育座りで座っていた。
「しゃーぼんだーまとーんだ♪やーねーまーでーとーんだ♪」
 可憐は一人で歌っている。
「やーねーまーでーとーんーで♪こーわーれーてーきーえーた♪」
 麗奈はポカンとしていた。米沢はやるせない表情でそれを見ている。
「な、何なんですかこれ」
 麗奈は米沢の顔を見て言った。
「……年齢の壁にぶち当たって、将来への不安から壊れた」
 麗奈は唖然として再び可憐を見た。
「仕事のときはしゃんとなるんだけどな。楽屋に戻るといつもこうやって一人で歌ってる」

 ……場所は米沢の楽屋。2人は重苦しく黙りこんでいた。
「……あの、ちょっと不思議なんですけど」
「何がだ?」
「仕事がなくなったら普通の子供に戻ればいいだけなんじゃないですか?」
 米沢は何も言わない。
「別に子供の仕事が無くなったからって生活が脅かされるわけじゃないんだし」
 米沢は大きくため息をついた。
「……まあ、鳴かず飛ばずの木っ端子役ならそうかもな」
「え?」
「売れっ子になってみんなからチヤホヤされ続けた子どもが、いまさら普通に戻れると思うか?」
 麗奈は何も言わない。
「今まで学校もろくに行ってないのにいきなりその中に放り込まれる。誰もチヤホヤしてくれなくなって存在意義も夢も否定されて、他の売れっ子には嘲り笑われプライドを粉砕され、望まない環境で一生過ごさなくちゃならない。売れっ子が消えるのはこの上ない苦痛なんだよ」
 麗奈は何も言わない。
「だからみんな消えまいとして必死になる」
(……あたしは本当にここに来てよかったのかな)
 麗奈は俯いて考え込んでいた。
 トントントン。ガチャッ。
 ドアが開いた。開けたのはADである。
「あ、よかった。麗奈ちゃんここにいた。麗奈ちゃんだけ出番ですのでお願いします」
「あ、はい。すぐ行きます」
 麗奈は足早に楽屋を出て行った。米沢は誰も居ない楽屋で大きくため息をついた。

※※※※※

「お疲れ様でした~」
 今日の撮影は終わった。麗奈はこれで上がりである。すでにクランクインから3週間が経過した。収録は順調に進んでいる。駄作の収録が。
(あ~今日も疲れたなぁ)
 麗奈はスタッフにあらかた挨拶を済ませた後、トボトボと楽屋に向かって歩いていた。すると後ろから聞き慣れた声がした。
「おい、お前、この後予定あるか?」
 米沢である。
「いえ、あとは帰るだけですけど」
 麗奈は振り向いて答えた。
「私がこのあとバラの収録だから見ていけ」
「えっ、米沢さんバラエティもやってるんですか?」
「普通はやらないんだが、今日は宣伝だよ。"炭酸水はゼロカロリー"のDVDが出るからその宣伝で出るんだ。見に来い」
 それを聞いた麗奈は固まった。
「で、でも今日は久しぶりに家族で外食……」
 米沢は麗奈を鋭く見つめた。
「家族で外食なんぞいつでもできるだろ。私がバラに出演するなんてめったに無いんだ。見ていけよ」
「は、はあ……」
 麗奈はこっそり帰っちゃおうかなと一瞬だけ思った。
「現場は全テレタワーだ。必ず来いよ。帰ったら殺すからな」
「は、はい……」

※※※※※

 場所は全テレの米沢の楽屋。座っているのは米沢と麗奈である。米沢は既にヘアメイクを終え、衣装に着替えていた。ドラマの撮影終わりに一旦麗奈と別れた後、麗奈が楽屋に来てからヘアメイクと衣装を整えたのである。髪はオールバック風に上げて結わえ、衣装は花がらのパンツにチェックのシャツ、黒のジャケットであった。米沢はソファーに座って真剣な表情で台本を読んでいる。
「バラエティにも台本なんてあるんですね」
 向かいのソファーに座った麗奈は米沢に尋ねた。米沢は何も答えない。米沢が本気で本を読むときの集中力は凄まじいものがあった。いったん読みだすと本の中に入り込んでしまい誰もそれを妨げることはできなかった。
 麗奈はもう1冊予備に用意された台本を手にとった。
『しゃべらず007』
 台本の表紙にはそう書いている。
(いつも見てる番組だ……)
 ページをめくると出演者が書いてある。ゲストの項目に米沢の他にもう一人名前が書いてあった。
『ゲスト:米沢愛綾、川島さくら』
(川島さくら……?)
 麗奈はどこかで聞いた名前だと思い、少し考えた。
(あ、そうだ。『赤い十字架』のここあ役の人だ)
 ペラペラとページをめくっていくと番組の進行が書いてある。
『スペシャルゲスト007 ゲスト:トシandカツ』
(トシandカツってあのなんでだろ~♪なんでだろ~♪の人か)
「ふぃ~」
 米沢は一通り読み終わったようで、台本をポンとテーブルの上に投げると自分の肩を拳でポンポンと叩いた。
「あの……」
「ん?」
「このスペシャルゲスト007ってあらかじめわかってるんですね」
 米沢はフッと笑った。
「当たり前だろ。本番では知らないふりするんだよ」
「へぇ~」
 米沢は再び台本を手に取るとパラパラとめくり始めた。
「さっきお前がここに来る前に打ち合わせしたんだよ。この人が来ますって」
「あたしがここに来る前って……米沢さんそんなに早く来たんですか?」
「いいや。お前が来る15分ぐらい前かな。楽屋入りしたの」
「そんな短時間で打ち合わせって終わるもんなんですか?」
 米沢は再び台本をテーブルに置いた。
「私はバラは慣れてるから、スタッフも信用してるからな。そんなに細かく打ち合わせはしないんだ。『台本通りやりますので。はい、お願いします』そんくらいだよ」
「いま読んだだけで台本覚えたんですか?」
「だいたいはな。バラはそんなに厳密にはおぼえなくていいから。基本的には私らはバラのプロではないからこっちから何かする必要はない。MCの芸人さんとFDが出すカンペの言うとおりやってりゃいい」
「ほー」
(この人と共演して良かった。すごく勉強になる)
 麗奈は今回のドラマのキャスティングに感謝した。
「まぁ、目立つためにたまにこっちからハプニングを入れる必要はあるけどな」
「ハプニング?」
「そう。子供らしい笑えるようなことするんだよ。意図的にな」
「言い間違えたりとかですか?」
「言い間違いは基本だな。基本だけどタイミングとかどう間違えるかとか色々奥が深いんだこれが」
「難しそうですね」
「難しいよ。基本的にある程度キャリアのある子役がカメラの前で素で間違えたり変なことしたりというのは無いと思っていい。あったとしたら全部わざとだ」
 麗奈は真剣に聞いていた。それと同時にワクワクしてもいた。
(米沢さんがどうやってバラエティやるかこれから見れるんだ……)
 そう考えると心が踊って仕方なかった。
「あたしはドラマでよかった……。バラエティ難しそう」
 麗奈は安堵していた。とてもではないが自分に出来そうに無いと思っていたからだ。
「バカ。これからお前もバラの仕事ガンガン来るよ」
「えっ……」
「番宣ってのがあるんだよ。ドラマの宣伝のために出演者がバラに出るんだ。主演のお前は必ず呼ばれるよ」
 麗奈の心に急激に強烈な不安感が漂い始めた。
「ど、どうしよう……。あたし一人じゃそんなこと出来ない……」
「お前一人じゃないよ。お前だけじゃ数字取れないだろ。私も一緒に必ず呼ばれるから」
「そ、そうなんですか?」
 麗奈は米沢にすがりつくように尋ねた。
「ああ。私がフォローしてやるから大船に乗ったつもりでいろ」
「よかった……」
「ただし」
 米沢は麗奈をぎょろりと睨んだ。
「さんまさんがバラエティは戦場だとよく言ってるが、そのとおりだ。子役にとっても戦場だ。バラで目立つと知名度が上がるからな。……それだけは肝に銘じとけよ」
「は、はい」
「今日、一緒に出演するさくらは芝居はそこそこの奴なんだが、バラがぜんぜんダメダメな奴だ」
「そうなんですか?」
「ああ。バラの経験が圧倒的に少ないんだ」
「へぇ」
「私とさくらの違いをよく見てろ。ぜんぜん違うことがよくわかるはずだ」
「……はい。よく見ます」
 コンコンコン。3回ノックがなった。ドアを開けたのはADと思われる男である。
「米沢さんお願いしまーす」
「はーい、すぐ行きまーす」
 ADはすぐに扉を閉めて駆け足で去っていった。
「さて、行くぞ。お前はスタジオの裏でスタッフと一緒にモニタ見てろ」
「はい」
 米沢と麗奈は楽屋を出てスタジオへ急いだ。

※※※※※


「しゃべらずセブンゴールドフィンガー!」
 名倉がタイトルコールをかける。すでに収録は始まっている。MCは7人。上田、有田、福田、徳井、名倉、原田、堀内。いずれも売れっ子の芸人であった。ゲストが出てくるドアの後ろでは米沢とさくらが待機している。
「さくら。今日、私調子悪いから、フォロー頼むわ」
 無論、本当は万全のコンディションである。米沢のさくらつぶしであった。
「えっ……調子悪いの?」
「ああ。風邪気味でな。頭回らないんだ」
 さくらはニヤけるのを抑えるのに必死だった。米沢はさくらの顔をチラッと見る。ほんと単純なやつだなと米沢は半ばあきれた。扉の先では収録が進行している。
「さあ、ではゲストの方お招きいたしましょうか」
 上田が行ったところに、FDがカンペを出す
「今日のゲストは大物女優二人組です? それはすごいねー」
 それを聞いた瞬間、観客からどよめきが起こる。
 セットの裏のモニタでスタッフと一緒に収録を見ていた麗奈は大物女優という一言に絶望感と孤独感を感じた。やっぱり米沢は自分とは違う世界の人間なのだと。
「それでは本日のゲストはこの方々でーす!」
 上田がそう言うとゲスト用の扉が開く。
「こんにちはー!!」
「キャー!!」
 米沢とさくらが手を振りながら出てきて、観客が一斉に沸いた。米沢はいつもとはまるで別人の笑顔である。
(す、すごい。顔つきからしてぜんぜん違う……)
 スタジオ裏の麗奈は米沢の変貌ぶりに寂しさなど一気に吹っ飛んでしまった。
「本日のゲストは米沢愛綾ちゃんと川島さくらちゃんでーす!」
「キャー!! かわいい~!!」
 観客の歓声は鳴り止まない。
(出てきただけでこんな歓声浴びるもんなの……?)
 麗奈は改めて米沢の力を実感した。
「あれ、君は?」
 麗奈は一人のスタッフから声を掛けられる。
「あっ、えっと、その……ちょっと見学に……」
「見学?」
「あの……米沢愛綾さんに連れられて……」
「あ! 思い出した! 君、あれじゃないの? 3ヶ月でドラマの主演取ったって話題の」
「は、はい。藤沢麗奈と申します。よろしくお願いします」
「勉強に来たんだ?」
「はい。米沢さんに勧められて……」
「いやー、いいねー。感心だねー」
 一人のADが男に駆け寄ってくる。
「小野さん、ちょっといいですか」
 小野と呼ばれた男はADと何か話している。
(小野? あれ、さっき見た台本に名前が載ってたような)
 麗奈は肩に下げていたカバンから台本を取り出した。米沢の楽屋からこっそり持ってきたのだ。
 "プロデューサー:小野隆晴"
(プ……プロデューサーさん!?)
「ああ、ごめん、ごめん。話の途中で」
「い、いえ、あの、プロデューサーさんですか?」
「そうだよ。小野です。よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
「立って見てると疲れるだろ。ここ座っときなよ」
「あ、ありがとうございます」
 麗奈は小野が差し出したパイプ椅子に腰掛けた。
「麗奈ちゃんも今度ぜひ、うちの番組出てよー」
「あっはは……ぜひお願いします」
 小野はそれを聞くと笑いながらスタジオの奥へ消えていった。
 スタジオではどんどん番組が進行している。
「どっちが……愛綾ちゃんが年上?」
 上田が二人に尋ねる。
「あのー同じ学年なんですけど……」
「あ、同級生なの?」
「はい」
「何年生?」
「3年生です」
「でも、芸能界は愛綾ちゃんが先輩?」
 米沢はさくらを見る。
(先輩の私は言いにくいからさくらに言ってほしいけど、言わねえだろうなこいつ)
 案の定、さくらは米沢の顔を見るだけで何も言わない。
(わざと私を困らせてるのか、それとも単なるバカか。わからんこいつは)
「あの……言いにくいんですけど、私が先輩です。私が4歳のときで、さくらちゃんは5歳のときです」
 米沢がへこへこと頭を下げ、軽く笑顔を作りながら言った。
「あー、1年先輩か。そうだよねー。自分で言うの先輩風ふかしてるみたいでやだよねー」
「さくらちゃんそれ言わないとダメだよ。先輩に気を使わないと」
「ご、ごめんなさい」
「クスクス」
 さくらは観客から失笑を買った。
(ふん、ざまあみろ)
 米沢が心の中でさくらに悪態をつく一方、セットの裏では麗奈が首をかしげていた。
(あれ、米沢さん3歳で入ったって言ってなかったっけ? これも何か計算があるのかな……)
 麗奈は考えたが、米沢の意図がわからない。
「改めまして本日のゲストは米沢愛綾ちゃんと川島さくらちゃんでーす」
 上田が号令をかける。オープニングは終わってここからはイスに座ってトークである。
「今度、DVDが出るんだって? どんなドラマなんだっけ」
 有田が米沢に振る。
「あのー、『炭酸水はゼロカロリー』っていうドラマの……」
「炭酸水はエロカロリー?」
 有田ボケる。
「炭酸水は! ゼロカロリー! ですよ」
 米沢ツッコむ。
「あーなるほどなるほど、炭酸水はエロカロリーでいいんだね?」
「違いますよー! 炭酸水は! エロ……あっ」
「キャハハハハハ」
「自分で言っちゃったー」
 米沢は自分で爆笑しながら口元を押さえる。
「これクレームすごいぞ」
 徳井がクレームを心配する一方、スタジオ裏の麗奈は驚いていた。
(こ、これか! いまのわざとなんだ……。本当に間違えたようにしか見えないけど……)
 事前に知っている麗奈ですら半信半疑だった。それほど米沢のテクニックが優れていたのである。
「テレビに先に出始めたのは愛綾ちゃんのほう?」
(これもさくらに言ってほしいなぁ。でも言わねえだろうなぁ。バカなんだか計算なんだか)
 米沢はいちおうさくらの顔を見てサインを送った。さくらは目を見開いて米沢の目をじっと見るだけで、何も言う気配がない。
「また言いにくいんですけど……そうです」
「だからいわないとダメだって、さくらちゃん」
「ま、またごめんなさい」
「ギャハハハ」
 観客は爆笑している。
(バカのほうだなこれは)
 米沢は笑顔を作りつつもさくらに呆れていた。
「じゃあ、愛綾ちゃんの活躍とかさくらちゃんは見てたりした? テレビで」
「はい、見てましたすごい女優さんだなって思って、そのとき私はテレビにぜんぜん出れてなかったので私じゃ勝てないなって……」
(いまのお前は下克上する気まんまんだがな)
 米沢が心のなかで悪態をつく一方、麗奈はモニタから目を離さない。
(一見普通の会話に見えるけど。何かあるのかな)
 麗奈はこの間にも米沢とさくらのすさまじい応酬があることに気づいていなかった。
「学校では何が流行ってるの今?」
 上田が米沢に振る。
「私は逆立ちが」
「ええ~っ」
「えー、逆立ちが流行ってるの?」
「はい」
「あの壁を支えにしてやるやつ?」
「いえ、何もないところで」
「そんなの流行るんだ」
 すごい答えにスタジオが沸いた。
(たしか米沢さん普通に逆立ちできるよね。楽屋でやってたし。逆立ちするだけでいいのかな)
 スタジオで唯一麗奈だけが笑っていなかった。
「じゃあ、ちょっとやってみて、ここ真ん中で」
「でもあたし、下手なんですぅ。できないかもしれない」
 米沢は手を床についた。
「いきますよー、えいっ」
 一瞬、逆立ちの状態になる。
「おおーっ」
 ごろん。
「あっ」
「キャハハハハハ」
「なにそれ、でんぐりがえりしただけじゃん」
 スタジオは沸き上がっている。
(わ、わざと失敗した……! しかも失敗の仕方が自然で、たぶん事前に知らないとわからない)
 前のめりで見ていた麗奈は後ろの背もたれにドサッと寄りかかった。
(これはすごい……。これはすごすぎる……。ここまで米沢さんしか目立ってない)
 麗奈は茫然自失としていた。
「さくらちゃん何かある? 流行ってること」
「あのー、スマホのゲームが……」
(あ、これ、あたしでもダメってわかる。地味だもん)
 麗奈は両膝に両ヒジをついて前のめりで食い入るように見ていた。
「去年なんか辛かったこととかある?」
 上田が米沢に振る。
「ブレイクダンスの先生が怖くて辛かったです」
「え? なに? ブレイクダンスなんかやってるの?」
『ええーっ』
 観客が沸き立つ。
「はい、ちょうど1年前に始めたばっかりで」
「じゃあ、ちょっと前にでてやってもらおうか」
「えー。まだ全然できないかもしれない」
(うっそだー。3歳のときからやってるって言ってたじゃん)
 麗奈は半ば呆れ気味であった。米沢の言うことが全部ウソなのである。FDがカンペを出す。
『曲あります』
「え、曲あるの? じゃあ行きましょうか、お願いします!」
 英語のブレイクビーツの曲がかかる。ここで米沢は9歳にしては非常に上手なダンスを披露した。
「おおーっ!! パチパチパチパチ」
 大喝采である。
「すげえ」
「すごいねー。これダンスも天才なんじゃないの?」
「いやー、それほどでも」
 米沢のダンスが凄すぎてみんな笑うしかなかった。
(曲があるってことは事前に言ってたんだ。たぶん打ち合わせのときに)
 麗奈は食い入るように画面を見つめていた。米沢の一挙一投足が全て計算であるような気がした。
「さくらちゃん、辛かったことなんかある?」
「運動会で1位になれなかったことが辛かったです」
「なるほど、それは辛いねー」
(わかる……。2人の違いが。米沢さんは常にアクションと一緒の意外なエピソードを話している。さくらさんは話すだけで終わりだし誰にでもあるようなエピソード)
 麗奈は2人のやり方の違いを分析するのに夢中になっていた。この数時間の収録を見てるだけで、自分がどんどん成長していく感じがした。
「はい、ではここでスペシャル企画まいりましょう! スペシャルゲスト007!」
「パチパチパチ」
(トドメださくら。死ね)
「さあ、それでは、参りましょう! 今日のスペシャルゲストはこの方です」
 上田が号令をかける。カーテンの向こうに居たのは赤ジャージと青ジャージである。
『ジャジャジャジャーン♪ジャッジャッジャッジャッジャンジャン♪ジャンジャンジャンジャンジャカジャカジャーン♪』
 聞こえてきたのは聞き慣れたような懐かしいような、あのメロディである。
「なんでだろ~♪なんでだろ~♪なんでだなんでだろ~♪」
「なんでだろ~!!」
『ジャカジャカジャカジャカジャカジャーン♪!!』
「来ましたー! トシandカツのお二人でーす!」
「わーパチパチパチ」
 客席から歓声が上がる。米沢もさくらも満面の笑みを浮かべている。もちろん演技である。ここでFDがカンペを出した。
『さくらさんのギターあります』
「さくらちゃんギター弾けるの? すごいねー」
(え、ギター? 上手かったら米沢さんやばいかも……)
 麗奈は不安になった。しかし、さくらの方はギターと聞いて表情が一変する。
(気づいたかさくら。お前が大恥をかくことに)
 米沢はニヤリと笑った。スタッフがさくらにギターを渡す。子供用のクラシックギターである。
「じゃあ、これで、さくらちゃんはギター持ってこっちで……」
 上田はさくらを青ジャージが居るステージの端のほうに連れて行く。そして、ここで上田はさくらを叩き潰す恐るべき言葉を口にした。
      
「よし! じゃあ、愛綾ちゃん一緒に踊るか!」
      
「え!?」
 麗奈は思わず叫んで椅子から立ち上がってしまった。周りに居たスタッフ達がなんだ? なんだ? といった感じで麗奈を見ている。
(うそ……。ここで米沢さんが踊ったら米沢さんが全部持っていくじゃん……)
 米沢は軽くペコペコお辞儀をしながら笑顔で舞台の中央に出てくる。
「さくらちゃん、好きに弾いていいからね」
 上田は適当な感じでさくらにいった。さくらは当然今までに練習した曲した弾けない。そのことが前提であった。
「では聞いていただきましょう! なんでだろうー!!」
 青ジャージが掛け声をかける。
『ジャジャジャジャーン♪ジャッジャッジャッジャッジャンジャン♪』
 青ジャージがギターを弾く横でさくらも弾く真似をするが、弾けないのでボーンボーンと間抜けな音を出すだけである。そのうち音が邪魔なのでマイクの音を切られた。
「なんでだろ~♪なんでだろ~♪なんでだなんでだろ~♪」
 米沢は赤ジャージと一緒に踊った。全力で。全身全霊を込めて。昆布の真似の踊り。手を腰に当ててニワトリのように歩き、カメラに近づいていく踊り。さくらの表情は晴れない。愛綾のバックバンドのような扱いなのだ。完膚無きまでの完敗である。カメラの前に赤ジャージと米沢が交互に顔を突き出す踊り。一見、何気なく踊っているように見えるが無論米沢は振り付けをしらない。赤ジャージの踊りをみて瞬時にそれを飲み込んでいるのだ。もちろん笑顔も忘れない。9歳の小さな女の子が赤ジャージと一緒に、昆布の真似をしたり、ニワトリの真似をしたり、カメラの前に顔を突き出したりしているのだ。それはそれは可愛らしい、幸せな光景だった。観客たち、そしてテレビの向こうの視聴者たちは思わず顔がほころんでしまったことだろう。
『ジャカジャカジャカジャカジャカジャーンジャン!!』
「ワーワーパチパチパチパチパチパチ」
 客席の大歓声は明らかに愛綾に向けられたものであった。
(信じられない……。こんなに圧倒的なの……?)
 麗奈は茫然自失として、ぐったりとイスに腰掛けていた。米沢が勝って安心したこともあるが、全力で集中して収録を見たことによる疲れもあった。
(でも……それよりも……米沢さんカワイイ。あの踊りはかわいすぎる……)
 麗奈も米沢の踊りに魅了されていた。

※※※※※

 収録後、米沢は麗奈を連れて楽屋に向かって歩いていた。
「ありがとうございました。すごく勉強になりました」
「ふふっ」
 米沢は軽く笑った。
「圧倒的でしたね」
「ふん……くぐった修羅場の数が違うんだよ」
「でも運が良かったですね。さくらさんがギター持って来てて」
「お前わかってねえな。さくらがギターなんか持ってきてるわけ無いだろ」
「え?」
 麗奈は驚いて米沢の顔を見た。
「台本にトシandカツって書いてあったからな。打ち合わせのときにスタッフに言ったんだよ。『さくらはギターが得意だからギターやらせたらどうですか』ってね」
「じゃ、じゃあ初めから米沢さんが全部持っていくことが決まってたってことですか?」
「そうだよ」
「はぁ~」
 麗奈は米沢の知謀にただただ感心するしか無かった。
「まあ、スタッフが私の言うことを採用するか。ここに子供用ギターがあるか、というのは賭けだったから、運が良かったことには変わりないけどな」
「なんというか……用意周到ですね」
「言っただろ。バラエティは子役にとっても戦場だと」
「あ! そうだ!」
 麗奈は思い出したようにちょっと大きな声を出した。
「なんだよ。びっくりするじゃねえか」
「そういえば1つだけわからないことがあったんです」
「なんだ?」
「米沢さん確か3歳からこの世界に入ったんですよね? なんで収録のときに4歳って言ったんですか?」
 そうこうしているうちに米沢の楽屋についた。
「それはな……」
 米沢はドアを開けながら言った。
「3歳からって言うとさくらと芸歴の差が開き過ぎるだろ。こっちのほうが大先輩になるとハードルが上がるじゃねえか。先輩なら出来て当たり前ってな。かと言ってさくらと同じ芸歴にすると、さくらの出方次第で嘘がばれるおそれがある。だから4歳にしたんだよ」
「はぁ~、なるほど」
 二人はソファーに腰掛けた。米沢は二人分の飲み物を作り始める。
「あ、あたしやりますから」
 麗奈はあわてて米沢を制止した。
「いいって。座ってろ。お前手際悪いから見ててイライラすんだよ」
「すみません……」
 麗奈はしょぼんとしてソファーに腰掛けた。
「でもさくらさんって気さくでいい方ですよね」
「いいやつ? あいつが?」
「はい。スタジオに入ってから始まるまでに少し話したんです。さくらさんのほうから話しかけてくれて、初めて会ったのにとても感じのいい方でした」
 米沢はオレンジジュースと奈良漬けを二人分テーブルの上においた。
「馬鹿だなお前。あいつが良い奴なわけねえじゃねえか」
 米沢はニヤニヤ笑いながら言った。
「え? でも話した限りでは……」
「まあ、外ヅラだけはいいからな、あいつは」
「本当はどんな感じなんですか……?」
「ネットオタク。悪質なな。いつもパソコン持ち歩いててな」
「悪質なネットオタク? なんですか、それは……」
 麗奈はポリポリと奈良漬けを食べながら言った。
「ネットに気に入らない奴の悪口を書きまくるんだよ。今ごろあいつ、楽屋で私の悪口を書きまくってるよ」
 米沢は大笑いしながら、オレンジジュースを一口飲んだ。

※※※※※

 さくらの楽屋。6畳ぐらいの和室の楽屋である。
 そこには机の上にノートパソコンを広げ、スマホのテザリングでネットに繋げながら、
 鬼の形相でカタカタと物凄い勢いでキーボードを叩くさくらの姿があった。

『糞沢さんの大根演技中の顔しわしわw よく9歳であんなしわできるよなびっくりだわw 3+7=9www馬鹿だよな一桁の計算が出来ないとはw こんな馬鹿より川島さくらのほうがよっぽど頭いいし演技もできる。ポン酢も炭酸水~も全部わざとらしい過剰演技いわゆる大根。ドラマで滑舌が悪いのばれてしまって、そろそろ消えるんじゃねえかと俺は思ってきている。所詮頭が良いとか演技がうまいとか、全部勝手に周りが偽装して作ったもの馬鹿で滑舌悪くて歌も下手、顔もしわしわ不細工、背が低いから可愛く見えるかもしれんが成長不良。これが現実』

 さくらは力を込めて送信ボタンを押した。

※※※※※

「そんなことしても何の意味もないのにな」
 米沢は奈良漬けを食べながら笑っている。
「米沢さんのこと尊敬してるって言ってたのに……」
「そんなもんテレビ用の嘘に決まってんだろ。あいつが憧れてんのは松嶋菜々子だよ」
「そんなもんなんですか……」
「そんなもんだよ。ある程度売れたら他に売れてる子役なんぞ商売敵でしかないんだから、尊敬するなんてことはありえないよ」
「あの……ちょっとすごい失礼な質問していいですか?」
 麗奈は米沢の顔色を伺いながら尋ねた。
「なんだよ」
 米沢はオレンジジュースと奈良漬けを交互に食べている。
「あの……今売れてる米沢さんとか本山さんとかさくらさんとか、ちょっと変というか、普通の子供じゃないというか……」
「物心ついたときから芸能界なんていう腐った世界にいるんだ。おかしくなって当然だろ」
 米沢は鼻で笑いながら答えた。
(あたしもおかしくなっちゃうのかな……)
 麗奈の心に不安がよぎった。

※※※※※

 しゃべらず007の戦いからしばらく経ったある日の収録後。場所は多摩川スタジオ廊下。
「すみません。毎回ご迷惑をかけて……」
 麗奈はへりくだって米沢に言った。麗奈と米沢はスタジオから楽屋へ向かう廊下を歩いている。
「最初はみんなそんなもんだよ」
「そうなんですか」
 米沢は歩きながらため息をついた。
「正直、お前がうらやましい部分もある」
「うらやましい?」
「ああ」
 麗奈は不思議そうに米沢を見ている。
「私はお前みたいにしょっぱなから上に駆け上がったわけじゃないから」
「そうなんですか? てっきり『妹ポン酢』でいきなり脚光をあびたのかと……」
「違うよ。私がこの世界に入ったのは3歳のときだ。5歳で『妹ポン酢』に出るまでは鳴かず飛ばずだった」
 麗奈は黙って米沢の話を聞いている。
「ぜんぜん仕事が貰えなくてね。オーディションに100回も落ちて……」
「100回!?」
 麗奈は驚いて立ち止まってしまった。米沢も少し後に止まって麗奈のほうに振り返った。あの米沢愛綾にそんな不遇の時代があったとは。
「毎日泣いてばかりいた。ひゃく何度目かのオーディションでやっと1本だけドラマの仕事がもらえたんだ」
「それがブレイクのきっかけですか?」
「いいや。撮り終わってオンエア見てみたら、公園で遊んでる後ろ姿がちょこっと映ってるだけでね。大泣きしたよ」
「そうだったんですか……」
「その後もCMの仕事とか単発ドラマのちょい役の仕事を何個か貰ったけど、ぜんぜんブレイクのきざしもなくて……」
 麗奈は俯いた。
(あたしが……あたしなんかが、こんな世界に来て良かったんだろうか……)
「そんなときに『妹ポン酢』のオーディション受けてみないかって言われたんだよ」
「それで受かったんですね」
「そう。それに受かって今に至るってわけ」
 最後の言葉は麗奈の耳には入ってなかった。麗奈はまるでヘビに睨まれたカエルのように固まっていた。米沢を見て。いや、米沢の後ろにいる人物を見て。
 米沢も麗奈の表情の変化に気づいた。麗奈は自分の後ろにいる何かに怯えていた。米沢は後ろを振り向いた。そこに立っていたのは米沢と犬猿の仲である本山歩美であった。
 廊下に緊張が走る。米沢と本山は目を合わせたまま動かない。麗奈はただただ固まるしかできなかった。
「あ、歩実さん。向こうから行きましょうか」
 横にいたマネージャーらしき男が本山を連れて引き返そうとした。本山は何も言わず、右手を上にあげてマネージャーを制止した。ツカツカツカと本山は米沢の方に近づいてくる。……いや、米沢のほうに近づいているのではなかった。本山は無言で無表情のまま米沢の横を通り過ぎ、麗奈の横まで来た。
「あなたが3ヶ月で主演取ったって子?」
 本山は冷たい表情のまま横目で麗奈を見て言った。
「あ……はい。藤沢麗奈と申します。よろしくお願いします」
 麗奈は本山の方に向き直り、深くお辞儀をした。
「今日はもう上がりなの?」
「え? あ、はい。ちょうど今おわったところで……」
「今から私の楽屋に来れる?」
「はい?」
 麗奈は本山が何を言ってるのかわからず、きょとんとして聞き返した。
「私の楽屋に来てほしいって言ってるの。お茶ぐらい出すわよ」
 そう言って本山はツカツカツカと廊下を歩いて去っていった。そして、後ろからマネージャーが米沢に一礼し、小走りで追いかけていった。
「あ……あの……」
 麗奈は恐る恐る米沢に声をかけた。
「呼ばれたんなら行けば?」
 米沢は麗奈に背を向けたままぶっきらぼうにそう答えた。そして、米沢もツカツカと自分の楽屋に帰っていった。麗奈は呼ばれたのに行かないのも悪いと思い、本山の楽屋に向かっていた。
「どこが本山さんの楽屋だろう……?」
 麗奈はそう呟いてあちこちの楽屋に貼られている名前を見ながらうろうろしている。ちょうどそこに一人のADらしき男が通りかかった。
「あの、すみません。本山歩実さんの楽屋はどちらでしょうか?」
「え? 本山さん? 本山さんなら突き当りの右だよ」
 麗奈は深くお辞儀をしてこう言った。
「ありがとうございます。助かりました。田中さん」
 ADはきょとんとしている。
「なんで俺の名前を?」
「あの……しゃべらず007の現場に見学に行ったときに他の方が呼んでるのをお聞きしたので……」
「たったそれだけで覚えてくれてたの?」
 ADは驚いた顔をしている。
「はい。一生懸命お仕事をされてる姿が、とても印象的だったもので……」
「えー、そうかなぁ。結構サボってるけど」
 彼はちょっと嬉しそうに笑った。
「麗奈ちゃんも今度ぜひ007に出てね」
「ありがとうございます。では、失礼します」
 麗奈は改めて深くお辞儀をして、足早に本山の楽屋に急いだ。
(ADには媚びまくる……と)

※※※※※

 本山の楽屋の前に着いた麗奈は呼吸を整えてから3回ノックした。
 トントントン。
「どうぞ~」
 中から明るい声が響く。楽屋に入った麗奈は本山を見る前に瞬時に部屋の中をチェックした。
(米沢さんと同じぐらい豪華……)
「本当に来たのね」
 本山はにっこりと笑って立ち上がった。本山歩美。麗奈たちと同じく9歳。米沢と双璧をなすと言われている子役女優No.2である。主要キャストとして演じたドラマが瞬間最高視聴率50%という値をはじき出し、いちやく脚光を浴びる。米沢とは対照的に、ワンレンのロングヘアをサイドに流し、服装も女の子らしい。
「失礼します」
「どうぞ、座って」
 そう言って本山は飲み物を用意し始めた。
「あ、どうぞお構いなく」
「安心して。私は奈良漬けは出さないから」
 軽く笑いながら本山は言った。
「あ、はは……」
 麗奈は何も言えず、ぎこちなく笑うしかなかった。本山はコーヒー牛乳を2杯手に持ってソファーに座った。
「どうぞ。こっちのお菓子も食べていいから」
「いただきます」
 麗奈はストローに口を付け冷たいコーヒー牛乳を一口飲んだ。
「で、あのご用件は?」
 本山は真顔になってコーヒー牛乳をストローでかき回している。
「あの女にこの世界の嫌なことばかり吹き込まれてない?」
「はい?」
「芸能界は怖いとか、黒いとか、そんなこと言われてないかなと思って」
 麗奈はちょっと考えた。
「言われてない……こともない……かもしれないですけど」
 どこで発言が米沢の耳に入るかもわからないから首をかしげてそう言うしかなかった。
「あの女、あんたのこと潰す気よ」
「えっ……」
 麗奈は固まった。
(あんなにあたしに良くしてくれてる米沢さんがあたしを潰す……?)
「あの……それはどういう?」
「気づいてないのね。まあ、あの女は新人いびりのさじ加減だけは得意だから」
「新人いびり?」
「そうよ。あなた気づいてないかもしれないけどいびられてるわよ」
 麗奈は困惑した。とてもじゃないがいびられている感覚は無かった。
「そ……そうは思えませんけど……」
「能力のありそうな新人に上手く近づき、この世界の黒い部分、嫌な部分だけを誇張して見せて怖がらせ、辞めさせる。あの女の常套手段よ」
 麗奈は必死に考えていた。そういえば自分はもう、
(あたしは芸能界に向いてないのかも……)
 と考え始めている。
「思い当たる部分があるんでしょ?」
 麗奈は何も答えない。
「あの女はそうやって目ぼしい新人を潰して、自らの地位を保ってきた」
「そんなことしなくても米沢さんが新人にやられるなんてこと……」
 本山はふふっと笑った。
「わかってないわね。あの女は高橋かおりの二の舞いを恐れている」
「高橋かおりさん……?」
「知ってるでしょ。あの女の前に子役界のトップにいた女」
 さすがに無知な麗奈でもその顛末は知っている。子役なら知らない人間はいない。
「米沢さんにその座を奪われて消された……」
「そう。あの女は物凄い勢いで階段を駆け上がってトップにいた高橋の仕事を全て奪い尽くし、一気に葬り去った」
 麗奈は黙って本山を見つめている。
「同じことが、今もう一度起こらないとも限らない」
 麗奈は何も言わない
「ふふ、この世界には楽しいこともいっぱいあるわよ」
 本山はコーヒー牛乳に口を付け言った。
「例えばイケメンとか」
「イケメン?」
「ね、この世界には日本中から選りすぐりのイケメンが集まってくるの」
 本山の目はらんらんと輝いている。
「あ、ああ、そうなんてすか……」
 麗奈は引きつった笑いで答えた。
「イケメン嫌いなの?」
 本山は不安そうに尋ねた。
「いや、嫌いってことは……ないですけど」
「イケメンとブサメンどっちが好き?」
 麗奈は若干引き始めている。
「それは……ブサイクよりは……カッコイイほうがいい……かな」
「でしょ、でしょ。イケメンのアイドルとか俳優さんとかと共演してね、LINEのIDを交換して、メールするの。そしてね、お食事なんかに行ったりして、遊園地に行って、だっこしてもらって、それから……」
 本山のイケメン論は延々と続いた。
(あたし……この人苦手かも……)
 上っ面の相槌を打ちながら麗奈は思った。

※※※※※

(すっかり遅くなってしまった……)
 あれから30分も本山の『男遍歴』の話を聞かされ、麗奈はげんなりしながら廊下をトボトボ歩いていた。ボケーッと歩いて気づいたら米沢の楽屋の前にいた。
(米沢さん、もう帰っちゃったかな)
 麗奈は力なく3回ノックしてドアを開けた。中には米沢がいた。今まさに身支度をして帰ろうとしてるところであった。米沢は麗奈の顔をひと目見て何の話をしたかわかったようで、
「イケメンの話は楽しかったか?」
 クククッと笑った。
(あたしあの人嫌いです)
 喉まで出かかったがすんでのところで飲み込んだ。
「……正しい判断だ」
「え?」
「あいつの悪口は言わないほうがいいよ」
「……あの方そんなに怖いんですか?」
「私を潰せる奴がいるとしたら、あいつぐらいだからな」
「あの……前から不思議だったんですけど……」
「なんだ?」
 麗奈はちょっと戸惑った。今から言おうとしている言葉を言っていいものかどうか。
「ここだけの話にしてやるから言え」
 米沢は少し声を潜めて言った。麗奈はコホンと咳払いをして、
「……本山さんって主演作品もありませんし、受賞歴も無いし、出演した数も他のトップ子役さんたちに比べて少ないほうですよね……」
「そうだな」
「なのになんで米沢さんの次なんですか?」
 米沢は鋭い目つきで麗奈を見た。
「……2013年に芸能界で何が起こったか知ってるか?」
「2013年? えーっと、何だろ……」
 麗奈は本当は知っているのにこのときに限ってど忘れしていた。
「米沢旋風だよ」
「あ!」
「……あたしが大ブレイクした年だ。炭酸水でな」
「それが本山さんと関係あるんですか?」
 米沢は腕組みをして壁に寄りかかり、宙を眺めた。
「あいつはその気になればあの旋風をいつでも再現できる。……事務所の力を使ってな」
「ってことは?」
「わざと今の位置にいるんだよ。そういう戦略を取っているんだ。私と対等になろうと思えばいつでもなれる。だから2番めなのさ」
 麗奈はまだ良くわからなかった。
「あの、あたしはブレイクできるなら、したほうがいいと思うんですけど……」
「それがそうでもないのさ。早くブレイクすると出突っ張りになる。そうすると飽きられるのも早い。私も2013年のときは分単位のスケジュールで仕事に追われていた。24時間、どこかのチャンネルに必ず出ていた。だからアンチが増えた」
「はー、そういうもんですか」
「ああ。だからすんでのところで仕事をセーブしてギリギリ今の地位をキープしたんだ。私の芸能人生も割りと危ない橋をわたってきたんだよ」
 麗奈は黙って米沢の話を聞いている。
「本山の事務所はタレントを育てるのが上手いから、細く長くやるつもりなんだろう。ま、それが正しいとも限らんけどな。私のように大ブレイクして早めに盤石な地位を築いたほうがいいのかもしれん。どっちが正解かはわからんし、どっちも正解かもしれん」
「そうなんですね」
「お前も、仕事の選び方は慎重にやるこった。……もし今後が続くならな」
 米沢はそういって男物のかばんを背負うと部屋を出て行った。
(……もし今後が続くなら)
 麗奈の心には不安感が渦巻いていた。

※※※※※

 数日後……多摩川スタジオにて。
「まずいですよ! やめましょう、ね!?」
 本山のマネージャーは本山の腕を掴んで諭した。
「何がまずいの? 9歳の女の子が9歳の女の子に会うだけ。ただそれだけよ」
「そ、それはそうですが、事務所の都合ってものが……」
「共演しなければいいんでしょ。楽屋で会うのまで禁じるなんて狂ってるわ」
「と、とにかくやめて下さい。私が上から怒られてしまいます」
「黙ってればわからないわよ。邪魔するとあんたのこれまでの失敗を全部上に言うわよ」
 本山のマネージャーは絶句した。
「5分で済ますから。あなたはここで待ってなさい」
 そういうと本山はドアノブをグッと掴み、勢い良くドアを開けた。

 部屋の中に居たのは米沢である。米沢は一人で楽屋のソファーに座っていた。例によって本を読んでいる。今日はドラマの撮影なのだが、今は麗奈が一人のシーンを撮影中のため、米沢は楽屋で待機しているのだ。本山はしばらく米沢を冷たい目で眺めていた。やがてツカツカと向かいのソファーに近づき、何も言わずドカッと座り、足を組んだ。
「あんたに会おうとすると、マネージャーが過剰反応して困るわぁ」
 本山はあさっての方向を見たまま言った。米沢は何も答えず本を読み続けている。
「あんた、またいつものやり方であの子を潰そうとしてるんでしょ?」
 本山はあさっての方向を見たままである。やがて、米沢はスッと立ち上がると黙って冷蔵庫のほうに足を進め、オレンジジュースを用意し始めた。
「あ、私は奈良漬けはいらないから」
 本山はクスクス笑いながら言った。米沢は黙ってオレンジジュースを用意すると、本山の前にダンッと乱暴に置いた。そして、再び何も言わずに本を読み始めた。
「あんたって本当に本の虫よねぇ。そりゃ男が寄り付かないはずだわ」
 本山はバカにしたような口調で言った。
「……何か用か?」
 米沢がようやく口を開く。しかし本に目は落としたままである。
「将来の見込みの無い子まで念入りに潰す。子役界No.1のお方の地位への執着心は素晴らしいわぁ」
 本山は半笑いで言った。
「……何が言いたい?」
 本山は真顔になり、じっと米沢を見つめる。
「あんたが何もしなくてもあの子勝手に消えるわよ」
 米沢は何も言わない。
「楽屋で話してみてわかったわ。全然ダメよあの子。華が無いし存在感も無い。このドラマが1クール。その後でまあバラを1クールで一巡するかもしれないわね。その後はフェードアウト。持って半年ね」
 米沢は何も言わない。
「ま、あんたも新人潰しに必死になるより自分の心配したほうがいいんじゃない? 最近、ネットで演技がわざとらしいとか言われてるらしいじゃん」
 本山はクククと笑いながら言った。米沢は何も言わない。
「案外、あんたも早く消えるかもね」
 これは本山の本心ではない。米沢が消えるなどあり得ないと本山も思っている。本山が叩いた憎まれ口であった。それを言い終えると本山はスッと立ち上がり、ツカツカとドアまで歩き、ノブに手をかけた。
「……残るよ」
「え?」
 米沢は本に目を落としたまま言った。本山は驚いて振り向いた。
「あいつは残る。そして上がってくる」
「はっ、冗談でしょ」
「少なくとも……」
 米沢は本を置きゆっくりと立ち上がった。そして本山の目をじっと見て言った。
「お前はあいつに追い抜かれるだろう」
 本山の表情が一変する。米沢と本山はお互いに鋭い目つきで睨み合ったまま動かない。掛け時計のチッチッチッチという音だけが聞こえている。
「ふん、バカなことを……」
 そう言って本山は勢い良くドアを開け、乱暴にドアを閉めて出て行った。

 米沢はドサッとソファーに座り、宙を眺めた。
「私も危ういかもな……」
 そう呟いた米沢の表情はなぜか嬉しそうであった。

第4章 陰謀

 その晩……ピコピコピコピコン♪米沢はLINEの音で目が覚めた。時計を見ると午前1時である。
(誰だこんな時間に……)
 スマホを見るとこう表示されてあった。
『田代智和』
 米沢は通話を拒否し、寝返りを打って再び目を閉じた。
(……明日殺してやる)
 ピコン♪
(……なんなんだ)
 米沢はスマホを見ると、LINEのメッセージが表示されていた。
『全テレの目的が明らかになったので、いち早くお話しようかと』
 米沢はそれを見るとこちらからLINEの通話をかけた。
「……お前殺されたいのか?」
『す、すみません。ターゲットと今日一緒に飲むことができたのですが、なかなか吐かなくてこんな時間に』
「で? 全テレの目的は何なんだ?」
『米沢さんに作った借りをチャラにしたいのだそうです』
「私に作った借り?」
『ええ、今年の1月期に出演した「学校ごっこ」の件で』
「あのとき私に泣きついてきたのをチャラにしたいってことか?」
『そうです。そのため意図的に『小石の太陽』をコケさせて米沢さんの責任にするつもりだと』
「なら主演のほうがいいだろ。なんで脇にしたんだ?」
『主演だと米沢さん自身が持ってる潜在視聴率で数字が取れてしまうので、それを避けるためだと。だからあえて脇にして出番を少なくしたそうです』
「……天下のキー局が1回タレントに借りを作っただけでそんなにビビることか?」
『おそらく、「あの方」の介入を避けたいのだと思います』
「あー……私への弱みを突かれて『あの人』に支配されたら困るってことか」
『そうです』
「そんなに『あの人』が怖いのか?」
『ターゲットが言うには全テレ上層部は、ほんの些細なことでも『あの方』に弱みを見せるのは避けたいと考えてるようで』
「ふうん。スポンサーのほうが怖いと思うけどね私は。……まあいいや、目的はよくわかった」
『ドラマが脇で一度コケるぐらいならお仕事に支障は出ませんのでご安心を』
「いや、成功させる」
『は?』
「『小石の太陽』は成功させる。全テレの陰謀を潰す」
『そ、それはどういう?』
「潰すと言ったら潰すんだ。もう切るぞ」
 米沢は通話を切ると掛け布団の上にポンと放り投げた。
「……そんなに『あの人』が怖いなら、お望み通り『あの人』を介入させてやるよ」
 米沢は不敵な笑みを浮かべた。

※※※※※

 翌日、撮影終了後。多摩川スタジオ、米沢の楽屋。
「……じゃあ、あたしはドラマをコケさせるために起用されたってことですか?」
 麗奈はしょぼんとして言った。
「そういうことになるな」
 米沢はあっけらかんとして言った。
「グスッ……」
 麗奈は泣きそうになっている。
「泣くな。全テレの意図はどうあれお前は主演に選ばれた。お前を見てる視聴者がいるんだぞ。主演として最後まで全力を尽くせ」
「はい……」
 麗奈はいちおう返事したが心は晴れない。
「今日は飯をおごってやるから、荷物持って駐車場で待ってろ。田代の車で家まで送ってやるから」
「ありがとうございます……」
 麗奈は肩を落として楽屋から出て行った。
「しかし、どうしましょう? 全テレの意図がそうなら我々にはどうしようも……」
 横に立っている田代が言った。
「田代、銀座の例の寿司屋あるだろ。あそこまで私らを送れ」
「ま、まさかあの方をお呼びするおつもりですか!?」
「全テレが権力に物言わせてふざけた事するならこっちもあの人出すしかないだろ」
「それは危険です。あの方と全テレが全面戦争になれば米沢さんも無事では済まない可能性が……」
「たぶん戦争にはならねえよ。あの人は自分の利益になることじゃないと本気出さないから」
「しかし……」
「もう飯食う約束はしてるから、ドタキャンしたらお前のせいになるんだが、いいのか?」
「ひっ……! すみません! すぐにお車を用意します!」
 田代は逃げ去るように楽屋を出て行った。
「……さて、覚悟しろよ全テレ」
 米沢は不敵に微笑んだ。

※※※※※

 田代は黙って車を運転している。
「あの……どこに行くんですか?」
 麗奈は恐る恐る米沢に尋ねた。
「寿司は嫌いか?」
 米沢は前を向いたまま麗奈に言った。
「え? お寿司? 大好きですけど……。お寿司を食べに?」
「ああ。銀座だ。美味いぞ」
「でも、あたし……お金持ってないんです。お小遣い少なくて」
 米沢は横目で麗奈を見た。
「金なんかいらないよ」
「でも、そんな高いとこでおごってもらうのは何だか……」
「おごるのは私じゃないよ」
 米沢は鼻でフフンと笑った。
「じゃあ田代さんが?」
 米沢と田代は両人ともブフッと吹き出した。
「あっははは! こいつにそんな甲斐性あるわけないじゃん」
 米沢は腹を抱えて笑っている。
「私もお小遣い少ないんです」
 田代は苦笑いしながら運転を続けた。
「じゃ、じゃあどなたが??」
 麗奈はわけもわからずきょとんとしている。
「今日は会食だ。会うんだよ"あの人"と。全テレの陰謀を潰すためにな」
 麗奈はまだよくわかってない様子で何も言わない。
「とにかく付いてくりゃわかるよ。お前はただ寿司食ってりゃいいんだ」
「は、はぁ……」
(何だかよくわからないけど銀座のお寿司おごってもらえるならいいか)
 麗奈はそのように気楽に考えることにした。
「あの……ひとつわからないこと聞いていいですか?」
「なんだ?」
 米沢は車の窓を見たまま尋ね返した。
「『学校ごっこ』のときの借りって何ですか?」
「ああ、全テレが窮地に陥って私に泣きついてきたんだよ」
「どういうことですか?」
「本当は別のドラマをやるはずだったんだが主演女優がドタキャンしたんだ。急遽、新しい企画として『学校ごっこ』が上がったんだがそんな付け焼き刃では脚本で数字取るのは期待できない。だから数字持ってる私に泣きついてきたのさ。どうか出て下さいってな」
「へぇ」
「全テレとしては10行けば御の字だと考えてたんだろ。でもフタ開けたら17.6も取ったから慌てたんだろさ。私が全テレの英雄みたいになっちまったからな」
「そういうことだったんですか……」
「全テレの偉いさんも馬鹿だよな。今回こんな小細工するなら『学校ごっこ』をコケさせたほうがまだマシだったろうに。全テレも長くねえだろうな」
 米沢は窓の外を見たまま嘲るように笑った。
(芸能界って数字で全てが決まる厳しい世界なんだな……)
 麗奈は改めて実感した。到着したのは銀座でも超一流の高級寿司店であった。
「では私は車の中でお待ちしておりますので」
 田代がそう言うと、米沢は勢い良く車のドアを閉め、
「行くぞ」
 と肩で風を切って歩き出した。
「はい」
 麗奈はちょっと駆け足で米沢の後を追った。

 小さな看板が静かに光り、ひっそりとした佇まいの入り口を通り抜けると、着物を着た上品な雰囲気の仲居が現れた。
「いらっしゃいませ、米沢さま」
 仲居は丁寧にお辞儀をした。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
 そう言うと仲居は米沢と麗奈を奥に案内した。
(か、顔パスなんだ……)
 麗奈は仲居が名前も聞かずに自分たちを通したことで改めて米沢の力を実感した。
「もう東さん来てる?」
 米沢は仲居に尋ねた
「いえ、まだいらしておりません。先ほどお電話で連絡がありまして、少し遅れると米沢さまにお伝えするようにと」
「そうか。ありがとう」
(……東さん? 東幹久さんかな。でもなんで東幹久さんが?)
 そうこうしてるうちにエレベーターの前についた。仲居がエレベーターのボタンを押し、3人でエレベーターの到着を待った。
「あの……東さん……って」
 麗奈は恐る恐る米沢に聞いてみた。
「東恭一郎さん。知ってるだろ?」
 米沢はエレベーターの階数表示を見上げたまま答えた。
「東恭一郎さんってあの日本一のお金持ちの方ですか?」
「そうだよ」
「な、なんでそんな物凄い人とお食事するんですか?」
 そうこう言っているうちにエレベーターが到着した。3人はエレベーターに乗り込んで3階に向かった。米沢と麗奈が通されたのは6畳の和室だった。立派な床の間に、高いのか安いのかすらわからない掛け軸。部屋の真ん中には黒塗りのテーブルがあり、周りには座椅子が4つ並んでいる。米沢は下座の片隅に座った。麗奈も米沢の隣に座る。
「ふっ……座り方ぐらいは知ってるんだな。上座に座ったら笑ってやろうと思ってたよ」
 米沢はニヤニヤしながら麗奈をからかった。
「それぐらい知ってますよ。馬鹿にしないで下さい」
 麗奈はむくれて少し語気を強めた。
「お飲み物は何になさいますか?」
 仲居は2人に優しく尋ねた。
「私は烏龍茶で」
「コーラってありますか……?」
「コーラぁ?」
 米沢は驚いた表情で横にいる麗奈を見た。
「はい、ございますよ」
「じゃあコーラでお願いします」
「おまえ寿司食いながらコーラなんてよく飲めるな」
 米沢はあきれた様子でテーブルに肘をつき手に顎を乗せた。
「あたし食べる時はいつもコーラ飲むんです。カロリーゼロのやつ」
「白ご飯にもコーラ?」
「はい」
「……変なやつ」
 そんなことを言っているうちに飲み物とお通しが出てきた。お通しはわかめのおひたしであった。
「……おまえ何食うの?」
 米沢はわかめを食べながらぶっきらぼうに麗奈に言った。
「どうしよう……こういうとこ来たこと無いからわかんない」
 米沢はため息をついた。
「2人とも"おまかせ"で」
「かしこまりました」
「あっ、ちょ、ちょっと待って下さい。わさび抜きって出来ますか?」
「わさび抜きぃ?」
 米沢は驚いた表情で横にいる麗奈を見た。
「はい、できますよ」
 仲居は少し微笑んで答えた。
「じゃあ、あたしのはわさび抜きでお願いします」
「かしこまりました」
 仲居はふすまを開け、丁寧にお辞儀をして下がっていった。
「おまえわさびダメなの?」
「はい。もう、ちょっとでも入ってるとダメで」
「わさび抜きの寿司なんか食べて美味いのか?」
「美味しいですよ」
 米沢は首をかしげた。
「あの……そんなことより、東さん……が来る前に食べても大丈夫なんですか?」
 麗奈は恐る恐る尋ねた。
「大丈夫だよ。あのオッサンそんなこと気にしないから」
 米沢はパクパクわかめを食べている。
「東さんとそんなに親しい間柄なんですか?」
「ああ。以前雑誌で対談したことがあってさ。私の大ファンだったらしくて。そのときにLINEのID交換してちょくちょく話してるんだ。いろいろと私の芸能活動をバックアップもしてもらっててさ」
「はあ~」
 麗奈はただただ感心するしかなかった。同じ9歳の女の子が日本一の富豪に気に入られ「オッサン」と呼ぶ間柄で、バックアップしてもらっている。その事実が信じられなかった。そうこうしてるうちに注文した寿司を仲居が運んできた。
「ごゆっくりどうぞ」
 そう言って仲居は静かにふすまを開け、下がっていった。
(こ、これが銀座の一流のお寿司……)
「何ボケーッとしてるんだ? 食えよ」
 米沢からそう言われて麗奈はハッと我に返った。
「ご、ごめんなさい。あたし回らないお寿司なんて初めてで」
「回るも回らないも同じだよ」
 的を射ているのか射てないのかわからないようなことを言いながら、米沢は寿司をガツガツ食べ始めた。
 麗奈はまずイカにしょうゆをつけ、恐る恐る口に運んだ。
(うっ……お、おいしいぃぃぃ。弾力と舌触りがぜんぜん違う。こんなに美味しいの? 一流って)
 麗奈は恍惚とした表情を浮かべている。
「最初はイカか」
 米沢が横目で見ながらボソッと言った。麗奈はもう米沢に構っている余裕は無く、頭のなかが「おいしい」の4文字でいっぱいだった。
 次に麗奈が選んだのはトロであった。
(うわぁあ! とろけたぁぁぁ! 脂! 脂の味があああ~口いっぱいに~)
「えー、2番めにトロ~?」
 米沢は茶化すように言うが、麗奈はそれを完全無視である。次に麗奈が選んだのはウニである。
「3番目にウニね。へー」
「もう、うるさいなぁ! 何なんですか。いちいち人の食べ方見て」
「ふふふっ……別に」
 米沢は烏龍茶を片手に笑った。その光景はごく普通の小学3年生同士の楽しそうな会話であった。場所が高級寿司店であることを除けば。
 麗奈が3貫目を食べ終わったころ、ふすまが静かに開いた。2人がそちらを見ると仲居が膝をつき、廊下のほうを向いていた。
「こちらでございます」
「おー、ありがとー」
 案内されて豪快に挨拶し、のしのしと入ってきたのは一人の男である。身長は170センチぐらい体重は65キロぐらいの中肉中背。ビジネスショートっぽい短髪に太い黒縁のメガネ。麗奈はその人物のことは雑誌やテレビで見て知っていた。投資家、東恭一郎。その人である。年齢33歳にして資産は2兆円以上。巨大芸能事務所グループ、エクスティングの100%株主。政界、官界に幅広い人脈を持ち、芸能界まで足を伸ばすため、最大派閥のエクスティンググループを乗っ取った男。乗っ取りの際、徹底抗戦を訴えていたエクスティング前会長が突然自殺し、その10日後に会長の息子が自殺、所属していたタレント3人が行方不明になっている。世の中の人間はみんなそれが自殺や行方不明だとは考えていない。そのような経緯もあり、現在では芸能界で東を恐れない人間はいなかった。麗奈は一瞬恐怖したがその風貌を見て呆気にとられた。お世辞にも高級とはいえないジーパンに色あせたTシャツ。その上にところどころほつれた黒いジャケット、綿製だろうか。肩にはこれまた貧相な綿製と思われるトートバッグを下げている。年齢の割には見た目は若い。一見25~26歳にも見える。そのため貧乏な学生ですと言われても疑わない、いやむしろそっちのほうがしっくり来る風貌であった。
「遅いですよ。何やってたんですか?」
 米沢はむくれて東に言った。
「いやー、ごめんね。ちょっと2chに面白いスレがあったもんで」
「はぁ? 2ch? いいかげんそういうのやめたら?」
 米沢は呆れ果てて箸を置いてしまった。
「あら、今日はお友達も一緒なんか?」
「あ……あたし、子役の藤沢麗奈と申します。よろしくお願いします」
 麗奈は座椅子からおりて一歩下がり膝をついて丁寧にお辞儀をした。
「あーいいよいいよ。そんな堅苦しくしないで。愛綾の友達なら俺の友達だから」
「ほら、今度ドラマで共演する子ですよ」
「あー! あれか、芸歴3ヶ月で主演取ったっていう……」
「そう。それですよ」
「知ってる知ってる。マスコミは君の話題で持ちきりだよ。一躍大スターじゃないか」
「い、いや……それほどでも……」
 麗奈は嬉しいような怖いような複雑な気持ちであった。東は待っていた仲居にビールと寿司を適当に握ってくれと頼み、タバコに火を付けた。
「子どもの前でタバコ吸うのやめてくださいよ」
 米沢は煙を手で払いながら煙たそうに言った。
「大人みたいなもんだろお前らは」
 東はプカーと煙を吐き出している。
「体は子どもですよ。女優は体が資本なんですからやめてもらえませんかね」
「……俺ってほら無駄話嫌いだからさー。単刀直入に要件を知りたいんだけど」
(いつもあんたの無駄話で長くなるんじゃないか)
 米沢はそう思ったがこれ以上口に出すのはやめといた。
「今度のドラマの件でご相談が……」
「全テレが君らを潰そうとしてるってか」
 米沢は面食らった。
「何で知ってるの?」
 東はプカーと煙を吐き出し無表情で宙を見つめている。
「芸能界で起こってることは全て俺の耳に入るようになっている」
 その男のその一言には数々の謀略でのし上がってきた黒いフィクサーの貫禄があった。
(相変わらず恐ろしい男だ……。この男だけは敵に回してはいけない)
 米沢は珍しく冷や汗をかいた。その横で麗奈は肩をすくめて震えていた。
「そっちの子はともかくお前は問題ないだろう愛綾」
 東はビールを飲みながら淡々と言った。
「コケたら必ず私の責任になりますよ」
 東は米沢の顔をジーっと見た。
(もっと素直になったほうがいいぞ愛綾)
 東はフッと笑った。
「……そうだな。そうなるだろうな。全テレか」
「なんとか潰したいんですけど、力貸してくれませんか?」
 東は寿司を食べながら考え込んでいた。
「……まあ、お前の頼みなら、貸さんこともないが」
「具体的にどうすればいいですか?」
「全テレは意図的に駄作を作って数字を下げようとしてるんだろ? なら話は簡単だよ。こっちは数字を上げればいいんだ」
「数字を上げる? どうやって?」
 米沢はきょとんとしている。
「……視聴率の会社にお金を渡すってことですか?」
 麗奈は恐る恐る尋ねた。
「お前、恐ろしいこと思いつくな」
 米沢は驚いた顔で麗奈を見つめた。そのやり取りを聞いた東はハッハッハと声を出して笑った。
「そんな面倒臭いことはしないさ。もっと簡単で早い方法がある」
 2人ともわけが分からず頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「そうか。君らはまだ生まれてなかったもんな。知らないのか。1998年に起こった東亜テレビの視聴率買収事件を」
「視聴率買収事件?」
「東亜テレビのプロデューサーが視聴率のモニタ世帯に制作費から金を流して買収したわけよ。うちの番組を見てくれってな」
「でもモニタ世帯なんかどうやってわかるんですか?」
 麗奈は寿司のことなど完全に忘れて東に質問した。
「探偵を雇って調べた。俺らもそれと同じことをすればいいのさ」
 米沢と麗奈は顔を見合わせた。
「第1話の放送はもう1週間後だけど今から家を調べていて間に合うのか?」
「調べる必要はない。もう把握してるから。1000世帯全てな。各家庭に金を流すルートも構築してある」
 米沢と麗奈はこれまでに東が何をしてきたかすぐに察した。
「操作してたのか。これまでも」
 東はプカーとタバコの煙を吐いたまま何も答えない。和室の中に重い沈黙が流れたが、そのうち東はニコリと笑って口を開いた。
「何%にでも出来るぞ。100にも出来る。さすがにそこまでしたら丸わかりだからやらないけどな」
 東は豪快に笑いながら言った。2人はただただ呆然とするしか無かった。
「君のデビュー作で初主演作だからパーッと行こう。30ぐらいにするか」
『さ、30!?』
 2人は声を揃えて叫んだ。無理もない。空前の大ヒット作と言っていいレベルである。
「でもそんなことして大丈夫なのか?」
「大丈夫って何が?」
「訴えられたりとか……」
「バレたら広告の連中からは訴えられるかもな。まあ、そうなったとしても君たちまで影響は及ばないから。そっから先は大人の世界だよ」
 東はフフフと笑った。
「まあ、そういうわけなんで数字の件は心配しなくていいよ」
「あ……あの、ちょっとトイレ行ってきます。すみません……」
 麗奈は震える声で小さく謝って和室の外へ出た。そしてふすまを閉めた途端にトイレに向かって猛ダッシュした。女子トイレに入り、個室に入ったとたん……。
「クハッ……」
 麗奈は笑いを吹き出した。
「クッ……くふふふふふふふ……」
 麗奈は手を口で覆い小さく笑った。本当は大声で大はしゃぎして笑いたいのだが、外に笑い声が出ないように我慢した。
(30!! あたしのドラマが30!! 米沢さんでも取ったことのない数字!! これを機に大ブレイクしちゃったりして……そして超売れっ子になって、敏腕のマネージャーを顎で使って、キレイな服を着て、米沢さんみたいに広くて豪華な楽屋で……)
 そこにはもう真面目で正義感の強い藤沢麗奈の姿は無かった。完全に東の提案した黒い謀略の虜となっていた。
(連ドラの主演もたくさん来るだろうなぁ……映画とかもいいな……あっ、舞台とかもやってみたいかも。歌のオファーとかも来るかなぁ……バックダンサーをたくさん従えて武道館でダンスとか)
 次の瞬間、妄想を続けていた麗奈はハッと現実を突きつけられた。
(30%取ってブレイクしたとして、本当にその後に続けられるの……? 本山さんは50%以上取った……でも、その本山さんですらその後が続かなかった……。あたしみたいなの……すぐ消えちゃうだろうな)
 麗奈はこの世の終わりのような顔をしてトイレの鍵に手をかけた。そのとき、一つのアイデアが麗奈の頭にひらめく。
(そうだ、本山さんと同じやり方をすればいいんだ。巨大事務所に入れば……何とかなるかも)
 麗奈は悪い頭をめいっぱい回転させて考えた。
(今日、東さんと会ってる。これはチャンスかも。東さんがいるエクスティングに入れれば……。東さんの力は絶大だし、上手く取りいれば米沢さんみたいに色々めんどうみてくれるかも……)

※※※※※

 場面は和室に戻る。東は平然とビールを飲んでいるが、米沢は箸をおいてむくれていた。
「東さん、いくらなんでも30というのはやり過ぎじゃないですか?」
 東はフフッと笑った。
「……将来のライバルが増えるのは困るってか」
 米沢は不満そうな顔で東を見たまま何も答えない。
「わかってるよ。30になんてしない。せいぜい10だろ」
 米沢はそれを聞いて安堵するとともに首をかしげた。
「何でわざわざ30なんて馬鹿げた数字を出したんですか?」
「さぁな」
 米沢は東の顔を見てピンときた。
「……麗奈の反応を見た?」
 それを聞いて東はちょっとだけ口を歪めて笑った。
(反応を見たのはあの子だけじゃないよ愛綾)
「あいつトイレ長いな。何やってんだろ」
 米沢はいらいらして言った。
「吐いてるか、笑ってるか……それとも落ち込んでるか、どれかだろな」
 東は軽く笑った。そんな話をしているうち、ふすまがさーっと開いて麗奈が帰ってきた。
「すみません」
 麗奈は平然と座椅子に座った。
「さて、話も終わったし、そろそろお開きにするか。帰って2chの続きが見たいんでな」
「今日はありがとうございました」
 米沢は東に丁寧にお辞儀をした。東と米沢が立ち上がろうとしたその時、
「あ、あのっ」
 麗奈が東と米沢を制止した。
「なんだい?」
「あの……あたしをエクスティングに入れていただけないでしょうか」
 それを聞いて東の目つきが鋭くなった。米沢も鋭い目つきで麗奈を見ている。
「あの、系列事務所の小さいとこの末席でいいんです」
 東は表情を変えず、タバコをくわえて火を付けた。
「……今の事務所が不満か? ブリエだろ?」
 東は当然のように麗奈の所属事務所を知っていた。
「今の事務所であたしは最下位だし、今回のドラマのオーディションも落ちそうだからってあたしが推されたんです」
「落ちそうだから推された?」
 東はふふっと笑った。
「つまりあれか。君のとこの社長は何らかの理由でオーディションに人を出さざるを得なくなった。でもデカイ仕事に関わるのが怖くて君を推したってわけか」
「そうです」
「それが不満ってか。そんな小さい事務所ですらのし上がれないダメ子ちゃんを俺がわざわざ裏口入学させると思うか?」
「それは……」
 東の言うことは正論であった。しかし、ここで麗奈は恐るべきことを口にする。
「……ここに入ってからの一連の会話。ぜんぶ録音しました」
「な!?」
 これにはさすがの米沢も驚いた。思わず声が出てしまった。
「あたしはいざという時のために普段から危ない会話はスマホで録音するようにしてるんです。もしエクスティングに入れて頂けないならば一切の会話を世間に公表します」
(この……馬鹿が! 死にたいのか!)
 米沢は一瞬のうちにそう思った。助け舟を出そうかとも考えたが、自らが巻き添えになる可能性を考えると何も出来なかった。和室は凄まじい緊張感で満たされていた。9歳の少女が闇のフィクサーを脅迫しているのである。東は鋭い目つきで麗奈の目を見つめている。麗奈も東の目を見つめたまま目を離さない。そのまま何分経ったであろうか。やがて、東はフッと微笑んだ。
「お手上げだな。そんなことされちゃ、さすがの俺もおしまいだ」
 米沢は東のこの反応を見て安堵した。とりあえず命を取る気は無さそうだと。
「……入れて頂けるんですか?」
 麗奈は緊張と興奮のあまり顔が紅潮している。
「ああ。でも、どうせ君を入れるんなら系列とかケチ臭い事は言わないよ」
 それを聞いて米沢は少し驚いた。
「エクスティング本体のクラス2でどうかな? 8つあるクラスのうち2番めだ」
「そ、それで結構です! ぜひ、お願いします!」
「果たしてあそこのクラス2でやっていけますかね? 麗奈が」
 米沢は真剣に東に訴えた。嫉妬から言ったのではなく、麗奈を心配しての発言だった。
「お前は黙ってろ愛綾」
 一喝されて米沢は黙った。本来なら話題の子役が巨大事務所に入るのは米沢にとって脅威なのだが、なぜか麗奈に対しては悪い気はしなかった。
「せっかくだから、この場でもう決めちゃおう。酒が入ってるから明日になると忘れてるかもしれんしな」
 そう言って東はトートバッグからスマホを取り出した。
「……あ、もしもし? 俺だけど。明日、クラス2に入れてほしい子がいるんだけど。藤沢麗奈って子。ほら、あの3ヶ月で主演取ったって話題の子がいるだろ? あの子を明日引っこ抜け。明日中に契約済ませろ。いいな? ……オーディションなんか無しでいいんだよ。俺が入れろって言ってんだから入れろ」
 そう言うと東は電話を切った。
「これでいいかな?」
「あの、あたしは別にいいですけど、明日すぐとか出来るんですか?」
 麗奈は困惑した表情で尋ねた。
「出来るよ。そっちの事務所の契約破棄してこっちの契約書にハンコ押すだけじゃん。違約金とかあったら俺が払ってやるよ」
「もし、うちの社長がやだって言ったら……」
「その時はブリエを潰すさ。まあ、たかが主演にビビる社長なら俺の名前出すだけで何でも言うこと聞くと思うがね」
 東はトートバッグから名刺を取り出し、麗奈に手渡した。金属製の固い名刺である。
「何か言われたらこれ出しな。まともな頭のやつならみんな素直に従うから」
 麗奈はあっけに取られるしか無かった。米沢はクククと笑った。
「さて、帰ろうか。2chが見たい」
「……あの、すみません。ちょっとトイレ」
「ずいぶんとトイレが近いじゃないか。お腹でも壊したか?」
「い、いえ、ちょっとコーラ飲み過ぎちゃって……」
 そう言うと麗奈は足早に和室を出てトイレのほうに駆けていった。
「……今度は笑ってるパターンだなあれは」
 東はクスっと笑った。

※※※※※

 帰りの車の中で米沢は窓の外を見つめていた。時間は午後8時を回っている。麗奈はうつむいたまま何も話さない。麗奈の背中は汗がびっしょりだった。いまごろになって足がガクガク震え、止まらない。
(とんでもないことをしてしまった……あれで良かったのかな)
 麗奈は後悔と期待が入り混じった複雑な心境であった。
「……お前、怖くないのか?」
 米沢は窓の外を見つめたまま、麗奈に尋ねた。しかし、麗奈は震えたまま何も答えない。
「あの人を面と向かって脅迫する人間なんて初めて見たよ。敵対したら人殺しでも何でもやる男だぞ?」
 麗奈は震えながらか細い声を絞り出し、答えた。
「……あの場で死んでも良いと思った」
「え?」
 米沢は麗奈のほうに顔を向けた。
「あたしは……東さんの言うとおりダメ子で……例え30%取ってもいずれ捨てられるから……東さんの大きい事務所に入って……コネを作って……それで生きていくしか……どうせ女優になれないなら……生きてる意味ないから……」
「ふん……本山と同じやり方か」
 米沢は少しニヤッと笑った。
「しかし、お前、よくとっさに録音なんてしてたな」
 それを聞いた麗奈は深く俯いた。
「……録音なんてしてないですよ」
 米沢はフッと笑った。
「嘘です。録音なんて。とっさに嘘ついたんです。あの場では……それしか思いつかなくて」
「そうだと思ったよ。お前がそんな手際がいいわけないもんな」
 米沢は再び窓の外を見た。
「あの東恭一郎を……ハッタリで動かしたってか……」
「はい……」
 米沢は少しだけ笑った。窓のほうを見ながら。
「……これからは愛綾ちゃんと呼べ」
「え?」
「愛綾ちゃんって呼んでいいと言ってるんだ。何度も言わせんな」
 米沢にできる最大限の敬意の表し方だった。
「ありがとう……愛綾ちゃん」
 麗奈はにっこりと微笑んで米沢の背中を見つめた。
「あっ!?」
 麗奈が急に大声を出したので米沢はビクッとした。
「なんだよ? びっくりするじゃねえか」
 米沢は上ずった声で麗奈に尋ねた。
「あたし、結局、お寿司3貫しか食べてない……」
(死ぬ一歩手前だったのに寿司のこと考えてんのかよ)
 米沢は笑いながら、やはり麗奈が大物になると確信した。

 一方、リムジンは首都高を走っていた。座席で東恭一郎はウィスキーをロックで飲みながらスマホをいじっている。スマホに表示されているのは2chまとめブログである。
「俺の下の名前不憫すぎワロタ」というスレを東は見ていた。

『いいか? 言うぞ? 言うぞ……言いたくないけど…… 禿次』
『ハゲ』

「わっはははははは」
 東はそのくだらないスレを見て大笑いした。
「やべ……スマホずっと見てたら車酔いしてきた……」
 スマホをトートバッグに仕舞った東は背もたれに寄りかかり、タバコに火を付けふーっと一息ついた。そして少し笑みを浮かべながら宙を見て、小さな声で呟いた。

「……本当に録音してたら殺してたよダメ子ちゃん」

 外には雨がぱらついていた。

第5章 オンエア

 麗奈がエクスティングに移籍してから3日が過ぎた。麗奈は車の中で小林と話していた。
 小林恵美。麗奈の新しいマネージャーである。橋本とは違い専属であった。29歳。非常に敏腕で将来の幹部候補として有望視されている。非常に容姿端麗な女性で、最初、麗奈は事務所所属のモデルさんだと間違えたほどであった。黒のパンツスーツに身を包み、颯爽と業務をこなす。
「……明日は『小石』の番宣の収録がありますので」
「ええっ……番宣ってことはバラエティですか?」
 麗奈が恐れていたバラエティへの出演がついに決まってしまった。
「そうです。『ぐるアル』への出演です」
「ど、どんな出演なんでしょうか」
 麗奈はドキドキして尋ねた。
「詳しいことは打ち合わせで言うそうです。スタジオ出演ではなくVTR出演らしいので、そんなに出演時間は長くないと思いますよ」
「あたし一人での出演ですか?」
「いえ、米沢さんがご一緒だと」
 麗奈は胸を撫で下ろした。米沢がいれば何とかしてくれる。
「それからCMの仕事が3本入ってます」
「えええ、もう仕事取れたんですか?」
「はい」
(すごい! エクスティングってすごい!)
 麗奈は感動していた。改めて自分が芸能人になったのだと実感した。
「何のCMですか?」
「1つはお茶漬けのCM。1つはカレーのCM。もう1つは味噌のCMです」
(食べ物ばっかり……わたしってそんなによく食べそうな感じするのかな)
 麗奈は少しだけ落胆した。
(どうせなら、雑誌モデルの仕事とかそんなのが良かったな……ま、贅沢は言ってられないか)

 場面は田代の車の中に移る。米沢も田代と話していた。
「……明日は『小石』の番宣の収録がありますので」
「何の番組だ?」
 米沢はふわ~あとあくびをしながら尋ねた。
「『グルある』です」
「あのハゲ芸人の番組か。どうせまたくだらねえことやらされるんだろうな」
 米沢はうんざりした様子で窓の外を眺めている。
「しかし、不思議ですね」
「何がだ」
「全テレは数字を落とそうとしているのに番宣をするなんて」
「さすがに番宣無しじゃあからさま過ぎるだろ。スポンサーの手前もあるしな」
「なるほど」
「少し寝るから話しかけんなよ。少しでも話しかけたら殺すからな」
「は、はい……」

※※※※※

 麗奈と米沢は2人一緒に打ち合わせをしていた。田代と小林も一緒である。
「おふたりには番組の企画で50m走をしていただきます」
 ディレクターがさらっと言った。
「50m走ね。わかりました」
 米沢は慣れた様子である。
(どうしよう。ロケって初めてだ……)
 麗奈は不安そうにしている。
「では打ち合わせは以上です」
「えっ、それだけですか?」
 麗奈はあまりに打ち合わせが簡単なので拍子抜けしてしまった。
「はい。ざっくり言えば以上です」
「あたしバラエティ初めてで、もうちょっと詳しく教えてもらいたいんですけど」
(あーあ、めんどくせえなぁ)
 米沢は早くロケを終えて帰りたかった。
「そうですね。スタジオゲストがおふたりのVTRを見て何秒で走れるか当てるという企画です。 仲良く楽しそうにやってもらえればそれで結構ですよ。学校での体育の授業のノリで結構です。 あとは、何かモノマネぐらいはやってもらうかもしれませんね」
「ええっ、モノマネ……? そんなのできない……」
(モノマネか。何やろうかな)
 米沢は数あるレパートリーの中から何をやるか考えている。
「似てなくても結構ですので、何か考えておいて下さい。……それではよろしくお願いします」
 打ち合わせは10分で終わった。
「ね、ねえ、愛綾ちゃん、何のモノマネすればいいですかね」
「適当にやりゃいいよ。面白くなかったらどうせカットされるから」
「は、はぁ……」

 収録が始まった。出演者は2人の他に仕切り役の芸人が1人である。他はスタッフだけ。
「では本番行きまーす。5、4、3……」
 ADが手でキューの合図を送る。
「ピッタンコちぃーっすのコーナー!」
「パチパチパチパチ」
 2人は笑顔で拍手をした。
「さあ! 今日はですね。米沢愛綾ちゃん藤沢麗奈ちゃんのお2人が50m走をしてもらうということで、どうですか、今日の調子は」
「うーん……」
 2人は顔を見合わせる。
「私は絶好調です!」
 米沢はガッツポーズをして元気よく答えた。
「あたしは……わかんないです」
「わかんない? 調子悪いの?」
「あの……調子良かったことがないです」
「あっはははは、しっかりしろよ! いちばん元気いい年ごろだろ!」
(こいつなかなかいい受け答えするじゃん)
 米沢は感心した。
「じゃあ、ちょっと走る前に2人にモノマネでもやってもらおうかな」
「えー、恥ずかしい」
 米沢は恥ずかしがるふりをした。
「愛綾ちゃん、何やる?」
「じゃあ……小和田常務が土下座するシーンのモノマネを」
「あはははは、それもう聞くだけで面白いんだけど」
「じゃあ行きますね。……はあ……はあ……はあ……うあああああ!」
 米沢は小和田常務そっくりに顔をくしゃくしゃにした。
「ぎゃははは」
「くっ……くううっ……くうっ」
 震えながら膝に手を掛ける。
「あっはははは」
「シーッ……シィィーッ……くううううううう……」
 そして震えながら膝をつき手をつき土下座をした。
「はははは……やばい腹痛え。なにこのクオリティの高さ」
「ありがとうございました」
 米沢はニコッと笑顔を作った。
「芸人の世界に来てほしいよ」
「うふっ……どうかなぁ?」
「じゃあ、次、麗奈ちゃん何やる?」
(どうしよう……何も思いつかない)
 麗奈はオロオロするばかりで何もやらない。
「ん? どうしたの?」
(さて、何をしてくるかな)
 米沢はあえて打ち合わせで答えを教えず、麗奈を試していた。
「じゃあ、愛綾ちゃんのモノマネを」
「えっ」
(こ、こいつ何やる気だ)
「おっ、いいねいいね。やってみて」
「おい、マネージャー、さっさとやれよ、殺すぞ、てめえ」
「ギャハハハハハ」
(何てことするんだ、こいつはあああ!!)
 米沢は心の中で叫んだ。
「えっ、愛綾ちゃん普段からそんな感じなん?」
「や、やだなあ、そんなわけないじゃないですか。もう、麗奈ちゃん変なことしないでよ」
「はははは、そうだよね、愛綾ちゃんは言いませんね、そう言うことは」
 さすがに見かねた芸人がフォローした。
(こいつ後で殺してやる)
「えっ、こんなことしていいの? 大先輩じゃないの? 何年先輩?」
「あたしのほうが6年後輩です」
 麗奈が察して答えた。
「6年先輩のモノマネを本人の前でやるって芸人でもなかなかやらないよ。しかもあんな嘘モノマネを」
「えへっ」
 麗奈はペロッと舌を出した。
(こいつ、だんだん乗ってきたな。ふざけんなよ)
「あーあ、楽屋呼び出しだな、これは」
「でも、本当に普段からあんなかんじだよね?」
 麗奈は米沢に振った。
「ぜんぜんあんな感じじゃない!」
 米沢は怒っている振りをした。
「あははは、麗奈ちゃんその辺にしとかないと干されるよ」
 芸人は大笑いしている。このあと50m走をしてロケは終わった。記録は米沢が8.8秒、麗奈が11.5秒であった。そのあと、麗奈は米沢から1時間の説教を受けた。

※※※※※

「グルある」のロケから4日後の月曜日、いよいよ「小石の太陽」第1話の放映日である。麗奈は緊張した面持ちでテレビに向かう。夜9時、オンエアが始まった。
(すごい! 本当にあたしが映ってる)
 麗奈は感慨深い気持ちでオンエアを見ていた。しかし、ストーリーが進むに連れてだんだんと麗奈の表情が暗くなっていく。
(なにこれ、こんなにひどいの?)
 正直言って空前絶後と言っていいほどひどい内容であった。
(なんか、恥ずかしい。こんなのに出て今後仕事が来なくなったりしないかな……)
 麗奈は不安な気持ちでいっぱいで茫然自失としていた。

 米沢の家。米沢はノートをつけながらオンエアを見ている。
(こりゃひどいな。つーか、視聴者から苦情すごいだろ。そんなに東さんが怖いのかよ)
 米沢はノートを閉じてベッドに寝転がった。
(見ても無駄だ。こんなの何の参考にもならん)
 米沢はそのまま寝てしまった。

 本山の家。本山もオンエアを見ていた。
(なにこれ、あの麗奈って子、ひどい演技じゃない。棒読みだし滑舌悪いし。こんなのが私を超えるなんてちゃんちゃらおかしいわ。っていうか内容もひどすぎない、これ。さすがにあの2人が可哀想になってきたわ)

 桜井の家。桜井はオンエアを見ていなかった。自分が出てる作品は恥ずかしくて見ないのだ。
(~♪、今ごろオンエアされてる時間だな~)
 桜井はとんでもないものがオンエアされてるのを知らなかった。

 さくらの家。さくらは2chの実況板で実況しながら見ていた。
「これ、もう米沢は消えるな。これからは川島さくらの時代」
「米沢もう終わりだろ」
「米沢の演技下手だな」
 さくらはニヤニヤしながらそんなことを書き込んでいた。

 翌日。午後3時15分。視聴率が出る時間である。毎日、翌日の3時に出るのだ。コンコンコン。ノックの音が3回響いた。入ってきたのは例によって田代である。
「何だ?」
 米沢はソファーに座って本を読みぶっきらぼうに答える。いつもの光景である。
「第1話の視聴率の結果が出ました」
「で、いくつだ?」
「15.8」
 米沢はフッと笑った。
「5.8はご祝儀か」
「これから下がるでしょうか?」
「だんだん下がって10に落ち着くだろ。……もういいぞ」
「はい。失礼します」
 米沢はバッグからスマホを取り出した。そして立ち上がり、東にLINEの通話をかけた。
「……あ、もしもし? 私です。視聴率の結果見ました? ……見てない? 15.8ですよ。東さんのお陰で上手く行きそうです。……え? いや、銀座の寿司屋で視聴率操作してくれるって言ったじゃないですか。……は? 忘れてた? じゃあ操作してないんですか? ……じゃあ第2話からはやってくれますよね? ……え? めんどくさい? ちょっと待って下さいよ。約束がちが……切りやがった、あのクソオヤジ」
 米沢はソファーにドサッと座り、天を仰いだ。
(いくら私でも脇であの内容で15.8は取れない)
「あいつ……あのクソ脚本と演出で15.8も取りやがったのか」
 米沢は目をつぶって何か考えている。そのときガチャっとドアが開いた。ノックもせずに入ってきたのは麗奈である。麗奈は鬼のような形相でツカツカと米沢に歩み寄るとテーブルをバン! と叩いた。
「一体どういうことなんですか!?」
「何がだ?」
 米沢はめんどくさそうに尋ねる。
「30にするって言ったじゃないですか!? 30にしないとあたしの超売れっ子の夢が……」
「何わけのわかんないこと言ってんだよ」
 米沢は小指で耳をほじっている。
「どうせ愛綾ちゃんが15にしろって言ったんでしょ! あたしが30取るのが嫌だったんでしょ! 愛綾ちゃんのバ……」
「操作してないんだとよ」
「は?」
「いま東さんに連絡して確認した。視聴率操作はしてない。15.8は素の数字だ」
「な、なんで……? 操作するって言ったのに?」
「め、ん、ど、く、さ、い、んだとよ」
 米沢は怒りをこめて語気を強めた。
「めんどくさい……?」
 麗奈は茫然自失としてソファーに座り込んだ。
「どうするんですか……?」
「どうするって最終話まで数字取り続けるしかないだろ」
「そんなことできるんでしょうか?」
 米沢はしばらく考えている。
「……案外できるかもしれんぞ」
「え?」
「お前ならな」
「そ、そんなバカな……」
 麗奈は引きつった笑いを浮かべている。
「ま、やるしかないんだから覚悟決めろよ。奈良漬け食うか?」
「いや、いいです……。失礼します……」
 麗奈は肩を落としてトボトボと自分の楽屋へ戻っていった。麗奈が出て行ったのを見ると米沢はスマホで田代に電話をかけた。
「すぐ来てくれ。話がある」
 程なくしてコンコンコンとノックの音がし、田代が入ってきた。
「失礼します。……ご用件は?」
「麗奈の学校の生徒とブリエの子役、それからエクスティングで麗奈と接点のあった人間、それぞれを調査して、麗奈の評判を調べてくれ。出来るか?」
「……それぐらいなら探偵を雇えば出来ると思いますが、事務所の経費では落ちません」
「金は私が出すよ」
「それなら問題ありません。さっそく手配します」
「それからな。第1話の放送中の視聴率の推移が知りたい。データを持ってきてくれ」
「かしこまりました」
 田代は足早に楽屋を出て行った。ガチャッ。田代とほとんど入れ違いで誰か入ってくる。本山である。本山は鬼のような形相でツカツカと米沢に歩み寄るとテーブルをバン! と叩いた。
「一体どういうことなのよ!?」
「何がだよ?」
 米沢はうんざりして尋ねる。
「あんた何やったの!?」
「だから何がだ?」
「数字よ! あんなバカな脚本と演出で15.8なんてあり得るわけないわ。どうせまたあんたあの成金とつるんで何か悪どいことしたんでしょ!」
「何もしてねえよ」
「え?」
「数字は何もいじってない」
「嘘つかないで!」
「あー、じゃあいじったってことにしとけば?」
 米沢はあくびをしながら本を手にとった。
「……あの子の実力だけでこの数字を出したってこと?」
「私は脇だから、主演の力なんじゃないか?」
「そんなバカな。無名の新人が初回で、しかもあんな棒演技で15.8なんて取れるわけ……」
「現実は現実だ。言っただろ。あいつは伸びると」
 本山はしばらく唖然とすると黙ってツカツカと楽屋を出て行った。
「……早いな。もう少し遅咲きかと思ってたが」
 米沢は誰も居ない楽屋で呟いた。

※※※※※

 第1話放映日から1週間後。麗奈が一人のシーンを撮影している間、米沢は黙ってA4の紙を見つめていた。第1話放映中の視聴率の推移のグラフである。見事なまでに右肩上がりであった。米沢は背もたれに寄りかかり目をつぶって何か考えている。コンコンコン、ガチャッ。入ってきたのは田代であった。

「探偵の調査結果が出ましたのでお持ちしました」
 田代はA4用紙で50ページほどの調査結果のまとめ資料を米沢に手渡した。米沢はバララッとページをめくり真剣な表情で読んでいる。

※※※※※

 学校の生徒の声(同じクラス)
 Q.藤沢麗奈さんのことをどう思いますか?
「好き。いつも失敗ばかりだけど何か憎めない」
「ちょっと好き。なんとなく」
「嫌い。私がDVD貸したら落としたとか言って返してくれなかった」
「大好き。話しかけると楽しい」
「好き。失敗してるのがカワイイ」
「何とも思わないけど、なぜかいつも見てしまう」
「嫌い。失敗ばかりで見ててイライラする」
「嫌い。弱虫のくせに男子に人気がある」

 Q.藤沢麗奈さんはどういう人ですか?
「真面目な人。成績は最悪だけど、いつも熱心に勉強している」
「正義感が強くて優しい。前に私がイジメられたとき、『私を代わりにイジメていいからこの子をイジメないで』と言って助けてくれた」
「タフな人。どれだけ失敗してもめげない」
「ときどき凄いことをする。クラスの給食費が無くなったとき、『先生の管理が悪いせい。先生が弁償するべき』と詰め寄ってお金を出させた」

 統計:好き=76.8% 嫌い=14.8% どちらでもない=8.4%

 学校の生徒の声(違うクラスで藤沢の顔と名前を知っている子)
 Q.藤沢麗奈さんのことをどう思いますか?
「好き。前に同じクラスだったときに見てて可愛かった」
「好き。顔はあんまり可愛くないけど雰囲気がかわいい」
「好き。クラスマッチのときエラーばかりして面白かった」
「嫌い。私の好きな人を取った」
「あんまり話したこと無いけど悪い感じはしない」

 統計:好き=56.4% 嫌い=7.8% どちらでもない=35.8%

 児童劇団ブリエの子役の声
 Q.藤沢麗奈さんの演技をどう思いますか。
「下手。でも何か他の子役と違うところがある」
「すごく下手。見てて恥ずかしい」
「下手。棒読み。でも何か見てて楽しい」
「上手い。惹きつける演技をする」
「下手。間が悪くて掛け合いがしにくい」
「普通。4ヶ月ならあれぐらいだと思う」
「下手。基本中の基本である泣く演技が出来ない」
「すごく下手。リズム感悪すぎてセリフの抑揚が変」
「下手。表情のメリハリが無くて気持ちを表現できてない」

 統計:上手い=5.6% 下手=81.2% どちらでもない=13.2%

 Q.藤沢麗奈さんに華や存在感はあると思いますか?

「無い。地味」
「無い。影が薄すぎる」
「ある。地味すぎて逆に存在感がある」
「無い。人を惹きつける魅力がない」
「どちらでもない。地味だけどごく普通の子の役なら逆にハマるのでは」

 統計:ある=3.7% ない=91.4% どちらでもない=4.9%

『小石の太陽』を見たエクスティング関係者の声
「まだ経験不足だがポテンシャルは感じる」クラス2責任者の声
「演技が最悪なのはもちろん、存在感が無いのが痛い。あれでは主役でも脇でも光らない」演技レッスン講師
「他にいくらでも道はあるから自分に合った道を見つけるべきでは」俳優
「本人は楽しんでやっているようなので良いと思う」俳優
「伸びると思う。素朴な演技が素晴らしい」女優
「ちょっとセリフ回しに癖はあるが掛け合いがしにくいということはなさそう」女優
「表情の演技がダメ。完全に形だけの演技をしていて、気持ちがこもってない」俳優
「メンタルが強く、努力家なのは凄いアドバンテージではないか。演技の技術は訓練をつめばある程度にはなる」女優


※※※※※


「田代」
「はい」
「今すぐノートパソコンとネット環境用意できるか?」
「私がいつも持ち歩いている物でよろしければ」
「ちょっと貸してくれ」
「はい。すぐ持ってきます」
 米沢は一通り結果に目を通すとバサッとまとめ資料をテーブルの上に投げて目を閉じた。……何か深く考えている。コンコンコン、ガチャッ。
「失礼します。パソコンをお持ちしました」
 田代はテーブルの上にノートパソコンとモバイルwifiルータをセットする。
「ありがとう。下がっていいぞ」
「はい。失礼します」
 米沢は目を開けるとノートパソコンをカタカタしはじめた。開いたサイトは2ちゃんねるの実況板である。
「小石の太陽」のスレを開こうとしたが既にDAT落ちしており見れなかった。
 ちょっと考えたあと米沢はグーグルで「小石の太陽 2ch」で検索し、まとめサイトを開いた。米沢は爪を噛みながら真剣に書き込みを見ている。

※※※※※

「きたあああああ」
「はじまた」
「きたあああああああ」
「始まった」
「はじまった」
「予告見たけど主演の子がひどいぞ」
「なにこの昭和の映画みたいなテロップww」
「テロップクソワロタww」
「テロップwww」
「いきなり主役の説教シーンから入るのかよ」
「いきなり演説www」
「ラブコメで演説ww」
「棒読みww」
「主演の子下手くそすぎワロタwww」
「こんな演説する小学生いるかよww」
「主演の子が棒読みすぎる」
「愛綾ちゃんまだー?」
「米沢先生まだかよ」
「他の子役もひどいな」
「これ主演の子素人だろww」
「はよ米沢先生出せや糞ドラマ」
「きたああああ」
「先生きたあああ」
「先生きたああああああ」
「米沢先生きたあああ」
「米沢先生」
「先生登場」
「米沢先生きたー」
「きたあああああああああああ」
「米沢先生おおおおおおお」
「俺の嫁きたああああ」
「ハッチ」
「ハリウッド女優きたあああああ」
「先生きたああ」
「先生の存在感すげえ」
「ハッチきたーーー」
「先生かわいい」
「あのね、米沢愛綾だよ」
「先生すげええええ」
「神演技きたあああ」
「先生すごすぎ」
「先生の迫力www」
「最初から全開だな先生」
「画面が一気に華やかになってワラタ」
「先生早退www」
「先生がああ病気にいいい」
「なんで早退」
「先生もう終わり?」
「もう先生出ないの?」
「まだ出るだろ」
「ひなたきたあああ」
「ピノ美きたあああ」
「先生とピノ美以外演技クソだなw」
「愛綾ちゃんしか見所ないな」
「米沢愛綾だよ~」
「なんでこんな子起用した……?」
「主演の子ひどすぎだろ」
「全員ひどいよ何か掛け合いの間がおかしい」
「愛綾ちゃんペロペロ」
「先生が出てなかったら見てないわ」
「ピノ美」
「ひなた可愛すぎ」
「ピノ美足なげええ」
「ひなたとセックスしたい」
「もう無理チャンネル変える。さいなら」
「なんだこのクソ展開」
「演出が臭すぎ」
「怖い曲が」
「なんでこんなとこでこんな怖い音楽なの?」
「BGMぜんぜん合ってないワラタ」
「史上まれに見るクソドラマだな」
「先生周りのレベルが低くてやりにくそうだな」
「時計塔のように生きろってなに」
「はぁ? なんだ今のセリフ意味不明」
「時計塔ww」
「時計塔のように生きろww」
「意味わからん」
「めちゃくちゃすぎ」
「これ面白いじゃん」
「用務員がホームレスにしか見えんww」
「これ用務員酔っ払ってるだろww」
「用務員ww」
「よくこんな汚い俳優探してきたな」
「先生かわええ」
「米沢先生だけが唯一の良心」
「先生の変顔ww」
「先生www」
「クソワロタwww」
「愛綾ちゃんの顔ワラタ」
「米沢先生の顔芸すげえええ」
「おい今スタッフうつったtぞww」
「いまスタッフ映ったwww」
「スタッフきたああああ」
「スタッフwww」
「どんだけ手抜きなんだよww」
「なに今の……」
「用務員のギャグつまんねえええ」
「つまんね」
「つまらん」
「何だ今のww」
「笑点のピンク並につまらん」
「米沢先生が出ないシーンはつまらんな」
「いちおう泣き演技はできるんだな」
「すげえ泣いてる」
「目薬だろ」
「これ目薬だよ。さっき端っこでさしてたるのが映った」
「目薬wwwまじかよww」
「目薬www」
「いまどき目薬なんて使うのww」
「マジで起用した理由がわからん」
「ちょwwピンで抜いてるのに見切れてるぞ」
「カメラワークひどすぎww」
「カメラww」
「見切れてるwww」
「なんだこれww」
「僕達の冒険はこれからだワラタ」
「僕達の棒受園はこれからだww」
「冒険はこれからだwww」
「ジャンプの打ち切りかよww」
「早くも打ち切り宣言ww」
「これで終わり?」
「オワタ」
「終わった」
「オワタ」
「もう来週から見ないわww」
「ひどすぎて逆に面白いかも」
「第1話から展開がクソすぎ」
「クソドラマだな」
「先生の出番少なすぎ」
「主演の子がひどい」
「5話で打ち切りと予想」
「もっと米沢先生出せやクソ全テレ」
「カメラワークおもろすぎ」
「あれ主演の子コネで入れただろ」
「藤沢麗奈」
「藤沢このドラマ終わったら消えるだろうな」
「エクスティングだし消えねえだろ」
「なんでエクスティングに入れたんだろうな」
「主演の子降板させて先生を主演にしろよ」
「なんで先生が主演じゃないの?」
「先生が主演だったけど脚本見て事務所が拒否したんだろ」
「エクスティングがねじ込んだと予想」
「エクスティングに入ったのは1週間前だろ。その前は小さいとこだよ」
「麗奈たんめっちゃ好みや」
「主演の子が地味すぎ。先生の存在感がありすぎて喰われてる」
「ピノ美の出番増やせよ」
「先生とピノ美以外いらんわ」
「これどういう基準でキャスティングしてんだろうな」
「数字どれぐらい行くだろうな」
「5%と見た」
「20は行くな」
「8.3ぐらいだろ」
「全テレ終わったな」

※※※※※

 コンコンコン。ノックが3回響いた。ドアを開けたのはADである。
「米沢さんお願いしまーす」
 米沢はなにも答えず、パソコンを見ている。
「あの、米沢さん……?」
「すぐ行きます」
「あ、いえ、もう時間が」
「すぐ、行きます」
「あ、はあ……では、お願いします」
 ADは首をかしげながらドアを閉めた。米沢は上を向いて目をつぶり、何か考えている。やがて目を開けると颯爽と楽屋を出て撮影現場へと足を運んだ。

※※※※※

 第1話放映から1か月後。いつもの楽屋。米沢は1枚のA4用紙を真剣に見ていた。第5話までの視聴率推移である。

 15.8-14.4-20.8-18.2-24.5

 視聴率は落ちるどころか上昇している。
(やはり、そうか……。あいつ……)
 米沢はスマホを取り出すと田代に電話をかけた。
「もしもし。パソコンとモバイルルータ持ってきてくれないか?」
 しばらくすると、いつもの3回ノックの後、田代がパソコンを持って入ってきた。
「すまん。ありがとう」
「いえ……。では、失礼します」
 米沢が開いたのは例によって2chである。今度はテレビドラマ板の"小石の太陽スレ"であった。

※※※※※

「あいかわらず内容はひどいままだな」
「もうちょっと良い脚本家に出来なかったのかな」
「でも、お前ら結局見てるんだろ」
「実は主演の子目当てに見てる俺がいる」
「それわかる。あの子、何かいいよね」
「演技は糞だけどな」
「糞だけどなんか見てしまう」
「麗奈たんペロペロ」
「藤沢麗奈ちゃんのファンになってしまった」
「お前らバカだな愛綾ちゃんにはかなわんよ」
「消えろモメサ」
「何がモメサか。あんな大根女優のファンになるなど愚の骨頂」
「麗奈ageうぜえ」
「米沢ヲタが必死www」
「常識的に考えて愛綾ちゃんを主演にすべきだっただろ」
「実質、愛綾ちゃんが主演」
「米沢ヲタうぜえよ」
「もう見るのが苦痛なんだ、クソすぎて。でも麗奈ちゃんを見ずにはいられないんだ」
「謎の中毒性があるよねあの子」
「中毒性なんかないよ。中毒性があるのは愛綾ちゃんのほう」
「米沢ヲタしね」
「このスレでは藤沢を褒めるのは禁止です」
「そんなルール無いです。褒めたら米沢ヲタがファビョるだけです」
「お前がファビョってるんだろww」
「麗奈ちゃんは米沢を超えるだろうね」
「なんか子役スレみたいになってるなここ」
「内容が意味不明すぎて話すこと無いからね」
「でも毎回ハプニングが起こって笑ったけどな」
「第3話でカメラが映り込んだのは笑ったわ」
「麗奈ちゃんの凄さはどんなに下手くそでも人を惹きつけてしまうところ」
「藤沢はすぐに消えます」
「持って一年でしょうな」
「みなさんたまにはピノ美のことも思い出してあげてください」
「エクスティングで消えるわけねえだろ」
「東は役に立たないと思ったら切るよ」

※※※※※

 米沢は一通り読み終わると今度はU-15タレント板を開いた。
 スレ検索で"藤沢"で検索すると"藤沢麗奈part3"というスレが立っていた。レス数は699であった。
(1ヶ月でpart3まで行ったのか)
 米沢はスレを開いた。

※※※※※

「ツイにロケ中の麗奈ちゃんの画像あった」
「本当だ。載ってる」
「出てこないぞ」
「藤沢麗奈 ロケで検索すると出てくる」
「かわええ」
「それ上げたの俺。手振ったら恥ずかしそうに振り返してくれた」
「えーうらやましい」
「恥ずかしそうにってのがいいよね」
「そうそう、麗奈たんは恥じらいがあるのがいい。出しゃばりの米沢とは違う」
「モメサどっか行ってくんない?」
「米沢の名前出しただけでモメサって言うのはどうか」
「清々しいまでの自演だな」
「でもたまに凄いことやるよね。麗奈ちゃんって」
「米沢のモノマネはクソワロタ」
「あれ本人の前でやったからなww」
「米沢は顔が引きつっていた」
「モノマネやったのいつ?」
「2週間ぐらい前のぐるアル」
「こんどCMに出るらしい」
「何のCM?」
「お茶漬けとカレーと味噌だって」
「順調に仕事取ってるな」
「絶対にCM録画せねば」
「まんまでさんまにも出るらしいぞ。テレビジョンに載ってた」
「どうせ米沢がひっついて来るんだろ」
「いや1人で出るらしい」
「うおおおお、絶対見る」

※※※※※

(すごい勢いでファンが増えてる……。本当に私もヤバイかもしれん)
 米沢は爪を噛みながら鋭い目つきでじっと何か考えていた。その額には冷や汗が滲んでいた。

※※※※※

 時間は午後10時。麗奈は早めに布団に入り、撮影でクタクタになった体を休めていた。すぐに意識が遠退き、眠りに落ちてゆく。
「ピコン」
 枕元に置いたスマホから聞き慣れた音が聞こえてきた。LINEである。
(もー、せっかく寝付いたとこだったのに……)
 麗奈は顔をしかめながらスマホを取り、画面を見た。
『明日うちに遊びにこないか?』
 東恭一郎からである。
「東さんの家に?」
 麗奈は不思議に思いながら返信をした。
『どういったご用件でしょう?』
『来てから話すさ』
 返事は決まっていた。断れるはずがないからだ。
『では愛綾ちゃんには私から連絡しておきます』
『いや、君一人でいい。一人で来てくれ』
「あたし一人で?」
 麗奈はますます混乱した。ちょっと考えたが、やはり断れるわけないので、行くことにした。
『何時頃伺えばいいですか?』
『何時でもいいよ。俺はずっと家にいるからさ』
『わかりました。では、撮影が終わってから伺います。住所がわからないので教えて頂けますか?』
 麗奈は住所を教えてもらい、眠りについたが、色々考えて結局一晩中眠れなかった。

※※※※※

「今日は家じゃなくて、この場所に行ってください」
 麗奈は運転席に座った小林にスマホを見せた。
「わかりました」
 小林はスマホを麗奈に返し車を発信させた。
「ふう……」
 麗奈は背もたれに寄りかかり目を閉じた。

「麗奈さん、麗奈さん、着きましたよ」
 次に目を開けたとき車は止まっていた。
「あれ……? ごめんあたし寝てた?」
「到着しましたが、ここは……?」
 小林は巨大なタワーマンションを見上げて心配そうにしている。
「東さんち。呼ばれたんです」
「あ、東さんって、恭一郎さんですか!?」
「そうです」
 小林は驚きのあまり口元を手で押さえている。
「わ、私も同行したほうがいいでしょうか?」
「いえ、呼ばれたのはあたし一人なので、待っていて頂けますか?」
 小林は安堵したような不安なような複雑な気持ちであった。
「あの……どういうご用件で?」
 小林は声が震えている。
「さあ、来てから話すって言ってましたけど」
 小林はまるで面接に来た新卒学生のような顔をしている。
「わ、私に何か不備がありましたでしょうか?」
 麗奈は小林の意図を察して少し慌てた。
「大丈夫ですよ。小林さんはよくやってくれてます」
 小林はそれを聞いて少し安堵した様子だった。
「わかりました……。では、ここでお待ちしておりますので」
 麗奈は車を降りるとタワーマンションの入り口から中に入った。

 中にはフロントがあり、コンシェルジュが3人いた。
 2人は女性で、1人は男性である。
(あの人たちに言えばいいのかな)
 麗奈はフロントに近づいた。
「あの、すみません。東恭一郎さんに呼ばれて来たんですけど」
 3人のうち1人の女性が対応してくれた
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「藤沢麗奈です」
「しばらくお待ちください」
 女性はフロントに備え付けの電話でどこかにかけている。おそらく東の部屋であろう。
「東様。おいそがしいところ恐れいります。藤沢麗奈さまがロビーにお越しでございます」
 女性はしばらく間を空けて通話相手の話に聞き入っていた。
「かしこまりました」
 女性はそういうと受話器を下ろした。
「ご案内いたします。こちらへどうぞ」
 麗奈は女性に付いて行き、エレベーターに乗った。グーンとエレベーターが動き出し、どんどん上に上がっていく。麗奈はふと疑問に思ったことを口に出した。
「あの、このマンションの全部の住人のお客さんを案内してるんですか?」
 疑問に思うのも無理はない。見たところ数百件はある大規模マンションである。3人のコンシェルジュで対応できるはずがない。
「いえ、通常はこのようなサービスはいたしません。ですが、東さまとは特別な契約を結んでおりまして……」
「ああ、なるほど……」
 麗奈は納得した。
(何でもありなんだな。あの人)
 麗奈は呆れるような怖いような不思議な感覚であった。やがて最上階に到着した。すぐ目の前にドアがある。この階に部屋は1部屋しかないようだ。
 女性はドアのインターホンを押した。
「はい」
 以前聞いたことのある男の声がスピーカーから聞こえた。
「藤沢さまをお連れしました」
「鍵は開いてるから通してくれ」
 女性は重いドアをガチャっと開け、麗奈を中に入れた。
「ごゆっくりどうぞ」
 そう言うと女性はゆっくりとドアを閉めた。大理石で出来た広い玄関で靴を脱ぎ、麗奈は家の中に入った。8畳ぐらいある広いホールの床はピカピカに磨かれている。
(どっちに行けばいいんだろ。ここかな)
 ドアを開くと、そこはトイレだった。
(こっちか)
 もう1つのドアを開くとものすごく広い空間に出た。リビングである。見たところ20畳……いやそれ以上ある。しかし中にはテーブルとソファーと液晶テレビがポツンとあるだけで他には何もなかった。ソファーには男が1人座って新聞を見ている。東恭一郎である。毛玉だらけの薄汚いトレーナーとジャージを身に付け頭は寝ぐせでボサボサであった。
「あの……」
 東は小さなその言葉に反応し、麗奈のほうを見た。
「やあ。よく来てくれたね。どうぞ座って」
 そう言うと東は隣にあるキッチンのほうへ行った。麗奈は恐る恐るソファーに腰掛けた。しばらくすると東がケーキとペプシNEXを持ってきた。
「君はダイエットコーラが好きというのは知ってたんだが、どの銘柄がいいかよくわからなくてね。ペプシでよかったかな?」
「あ……はい。どうぞお構いなく」
「さあ、遠慮なく食べてくれ」
「はい。ありがとうございます」
 麗奈は少し考えた。
(食べるべきか、食べないべきか……食べたほうがいいな)
 麗奈はフォークを手に取るとケーキをモグモグ食べ始めた。東はその様子をじっと見ている。
「うちに入ってから調子はどうだい?」
「CMの仕事が3つ取れたんです。東さんのおかげです」
 麗奈はコーラをごくごく飲みながら答えた。
「よかったじゃないか。仕事が取れたのは君に実力があったからだよ」
 東は優しく微笑んだ。
「あの、ちょっと謝りたいことがありまして……」
 東は首をかしげる。
「謝りたいこと?」
「お寿司屋さんで録音した件のことです」
 東はハハハっと笑った。
「本当は録音してないんだろ。それぐらい知ってるよ」
「え……なんで知ってるんですか?」
「顔に書いてあったよ。"嘘です"って。俺を騙すには9歳じゃちっと早いかな」
 麗奈はどう考えていいかわからなかった。録音が嘘だとわかっててエクスティングに入れてくれたのだ。
「まあ、例え録音されて公表されたとしても痛くも痒くもないけどね」
「どちらにしろ、失礼なことをしてすみませんでした」
 麗奈が丁寧に頭を下げると東はちょっとしかめっ面をした。
「いいって。やめろよ。謝るのは」
(この人、正面から媚びられるのは嫌いなんだな)
 麗奈はそう思った。
「で、あの……今日のご用件というのは?」
 そう尋ねられた東は腕組みをして宙を眺めた。
「実はね……米沢愛綾から手を引こうと思ってるんだ」
「えっ……」
 麗奈は手に持っていたフォークをテーブルに置いた。
「どういうことですか?」
「……愛綾から君に乗り換えようと思ってる」
 東は麗奈の顔をじっと見ているが、麗奈は表情を変えない。
「一体どうして? 実力も人気も愛綾ちゃんのほうが遥かに格上なのに……」
「実力や人気なんぞいくらでも作れる」
 東はタバコに火を付けた。
「愛綾はうちの事務所じゃないからね。使うのにいちいちエアロキッズを通さなきゃならない。面倒くさいんだ」
「移籍させればいいじゃないですか」
「それがそうもいかないんだよ。あいつはエアロキッズの稼ぎ頭だからね。おいそれとこちらに渡してはくれないだろう」
「東さんの力を使ってもダメなんですか?」
「うーん……出来ないこともないが、あそこはライトニングに近いからな。あまり連中を刺激したくない」
 ライトニングプロダクションとはエクスティングの次に大きな芸能事務所である。
「もし、あたしに乗り換えるとなったら……愛綾ちゃんを潰すんですか?」
 東は鋭い目で麗奈を睨んだ。
「……君の仕事に害をなす存在であれば、そういうことになるだろうな」
 東は2本目のタバコに火をつける。
「どうだい? 悪い話じゃないだろう? 君さえ同意してくれれば俺が直接君の仕事を管理する。手始めに映画の単独主演と連ドラの主役級2本を決めよう」
(これは罠。乗ってはダメ)
 麗奈は東の意図を見抜いていた。麗奈を試しているのだ。
(この人はやりたいことはどんな手段を使ってでもやる人。愛綾ちゃんを使うのが面倒くさいならとっくに引き抜いてるはず。ライトニングと戦ってでも……)
 麗奈は俯いて考え込んでいた。
(愛綾ちゃんを見捨てるとたぶん心象が悪くなる。でもこのチャンスを逃すわけにはいかない)
「ん……? どうした?」
 東はじっと麗奈の顔を見ている。
「二人一緒にバックアップしてもらうことはできないんでしょうか?」
「君も知ってるだろうけど、子役界はパイが少ないんだ。頂点は常に一つだよ」
(バックアップを受けたいと考えてはダメ。どう言えばこの人が喜ぶかそれを考えないと……)
 麗奈は顔を上げてまっすぐ東の目を見つめた。
「……なんか、がっかりだなぁ」
「なんだと?」
 東の眉間にしわが寄った。
「東さんってもう少し力のある人かと思ってた。東さんならパイを増やすこともできるんじゃないかなぁと。でも、出来ないんですね。そうですか……」
 麗奈はわざと大げさにため息を付いてみせた。東は無表情で3本目のタバコに火を付けた。重苦しい沈黙が部屋の中を支配する。
(これでいいはず)
 麗奈の心臓はバクバクし、汗が吹き出てきた。
(お願い、正解であって……。神様……)
 東は煙を吐き出しながらあさっての方向を向いている。
 やがて……、

「ブー! 不正解!」

 そう言うと東はニヤリと笑ってタバコの火を消した。
「残念だったな。帰れ」
 そう言って東はリビングから出て行った。

 麗奈は無表情のまま帰りのエレベーターに乗っていた。
(よかった。正解だった……)
 そう思って胸をなでおろしていた。
(もし不正解ならその場であたしをクビにするはずだから……)
「ピコン」
 スマホから聞き慣れた音が聞こえてきた。麗奈はスマホを見た。

『ぜひ、また来てくれ。今度は愛綾と一緒にな』

 麗奈は嬉しそうに微笑んだ。

※※※※※

「小石の太陽」は無事にクランクアップした。そして全9話の放映が終わった。最終話放映の翌々日、いつもの楽屋。米沢はスポーツ新聞を読んでいた。「小石の太陽、最終話視聴率52.8%」という大々的な見出しが1面に踊っている。
「ふん……本山に匹敵したか」
 米沢は別の紙に書かれた視聴率推移のメモを横目で見た。

 15.8-14.4-20.8-18.2-24.5-36.8-40.5-40.6-52.8 平均 29.4

「ふっふふ……自力で30取ったじゃないか。夢の30を」
 米沢は1人で笑っていた。コンコンコン、ガチャッ。入ってきたのは麗奈である。
「何だお前、今日休みだって言ってたじゃないか」
 麗奈は少し俯くと、
「愛綾ちゃんにお礼を言いたいと思って」
 とちょっと恥ずかしげに言った。
「お礼? 何のお礼だよ」
「今までのお礼です」
「今までの? お前まさか芸能界やめるとか言うんじゃないだろうな」
「辞めませんよ。せっかくここまで来たのに辞めるわけないじゃないですか」
「じゃあ、何なんだよ」
 麗奈はソファーに座り、テーブルの上にあった奈良漬けをポリポリ食べ始めた。
「クランクインのときから今まで面倒見ていただいてすみませんでしたね」
「お前さ、お礼言うのに奈良漬け食いながら言うやつがあるかよ」
 麗奈の照れ隠しだった。
「……でも、本当に感謝しています。愛綾ちゃんが居なかったらここまで来れなかった」
「ふん、お前がダメダメすぎて放っておけなかっただけだ」
 今度は米沢の照れ隠しだった。
「お前……これから忙しくなるぞ。体には気をつけろよ」
「はい! ありがとうございます!」
 麗奈は笑顔で元気よく言った。
「お礼に良いもの持ってきたんです」
「良いもの?」
「ほら、これ。あたしが手作りで作ったんですよ」
 タッパーに入った奈良漬けであった。
「どれどれ」
 米沢はポリポリと麗奈の奈良漬けを食べた。
「うっ……」
 麗奈は不安そうに米沢の反応を見ていた。
「おええええええええゲロゲロゲロ」
「きゃあああああ」
 米沢は盛大にゲロを吐いてしまった。

「うーん、うーん」
 ソファーに横になった米沢は額に濡らしたタオルを乗せてうんうん唸っている。
「今日の収録は延期にしてもらいました」
 田代はため息をついて言った。
「……あの、すみませんでした。田代さん。こんなことになってしまって」
 麗奈はしょぼんとしている。
「まあ、藤沢さんも善意でやったことですから仕方ないですよ」
 田代は苦笑いしている。
「でも、そんなに不味かったかな。なんでだろ」
 麗奈はちょっと首をかしげた。
「酒粕にダイエットコーラ入れたのがまずかったのかな。そうだ、愛綾ちゃんはオレンジジュースが好きだから今度はオレンジジュース入れてやってみるといいかも」
「お願いだからやめてください、藤沢さん」

第6章 出る杭

 麗奈は代表作にして出世作「小石の太陽」で平均30%最高50%取った子役として一躍大ブレイクした。エクスティングと東のバックアップもあり、仕事は濡れ手に粟状態であった。2015年に子役の労働規制が緩和されたこともあり、麗奈のスケジュールは苛烈を極めた。ある日の朝6時、麗奈は小林の車に乗り込んで仕事に向かっていた。
「今日は午前7時から9時まで雑誌モデルの撮影、9時から12時までCM撮影。12時から1時までは移動で静岡に向かいます。そこで3時までまたCM撮影です。3時から4時までまた移動で東京に戻り、4時から7時までは東亜テレビでバラエティ出演です。7時から10時までは都内のスタジオで歌の収録です。以上で今日は終わりですね」
 小林が今日のスケジュールを暗唱した。
「あ、あの、家に帰れるのは11時ぐらいですかね」
「そうですね」
「あの、ご飯はいつ食べるんですか?」
「昼食は新幹線内で、夕食は歌の収録の休憩時間に召し上がっていただきます」
「ひー」
 麗奈は嬉しい悲鳴をあげた。
「でも、ごめんなさい。あたしのせいで小林さんまで忙しくなってしまって」
「ふふ……気にしないでください。こんなにブレイクしたタレントさんの担当になるのはとてもやりがいがありますよ」
「そうですか。ありがとうございます」
 そのとき麗奈はハッと気づいた、
「あの……彼氏さんとなかなか会えなかったりしないですか?」
 麗奈はおそるおそる聞いてみた。小林は一瞬間を置いてから、
「彼とは別れました」
 と答えた。
「ええっ……あたしのせいですか?」
 麗奈は申し訳無さそうにしている。
「違いますよ。単なる性格の不一致です」
 本当はなかなか会えないことによって別れたのだった。小林は彼氏と麗奈を天秤にかけ、麗奈を選んだのである。
「私には麗奈さんがいるから寂しくないですよ」
「え、そんなぁ」
 麗奈は照れくさそうに頭を掻いた。

 麗奈の演技や歌やダンスは相変わらず最悪のままであったが、
「下手くそなところが子供らしくてかわいい」
「素朴で普通な外見にとても親近感を感じる」
 という声が強く、好感度はうなぎのぼりであった。「日本でいちばん忙しい子ども」として中国やヨーロッパの新聞でも取り上げられた。

「ひーひー、疲れたよぉ」
 夜11時を回ったころ、小林に送ってもらった麗奈はふらつく足で家に入った。明かりはすっかり消えている。
(もうパパとママ寝ちゃっただろうな)
 そう思ってリビングのほうに行くと微かな明かりがチラチラしている。
(あれ、なんだろう?)
 麗奈は扉をそっと開けリビングをのぞき込むと父親と母親がテレビを見ていた。
(えっ! テレビ買ったの!?)
 麗奈は腰が抜けるほど驚いた。
「テレビってのもなかなか面白いもんだな」
「そうね、あなた」
「おっ、また、麗奈のCMが出たぞ」
「ほんと、結構映りがいいわね、あの子」
(パパ……。ママ……。ありがとう……)
 麗奈は嬉しそうに微笑んでからそっと扉を閉め二階の自分の部屋へ戻った。
「あー、しんどー」
 麗奈は倒れこむようにベッドに横になった。疲れてはいるが幸せな気分であった。だがこのとき麗奈は地獄のふちに立っていたのだった。

※※※※※

「ちょっと、麗奈、起きなさい! 大変よ!」
 ある日の午前7時。母親が麗奈を起こしに来る。
「なに~? 今日は1ヶ月ぶりの休みで、しかも日曜なんだから寝かせてよ~」
「いいから起きて、これ見なさい!」
 麗奈はあくびをしながら起きて母親が持ってきた週刊誌を手にした。
「ふぁ~あ、一体なんだって……何これ!?」

『藤沢麗奈、毎日深夜まで渋谷で遊びまくり!』

「あんた、そんなことやってるの?」
「そ、そんなわけないじゃん……だいいち遊ぶひまなんてないよ。毎日小林さんが送ってくれてるでしょ」
「そうよね……。でも、何でこんな記事が?」
「愛綾ちゃんに相談してみる」
 麗奈は米沢にLINEの通話をかけた。
『よう、渋谷で遊びまくりの藤沢さん』
「いきなり、からかわないで! そんなことしてないです」
『わかってるよ、今のお前にはそんな暇ないもんな』
「なんでこんな記事が出たんだろう……」
『売れっ子になるとこれくらい出るもんなんだよ。私も相当やられたよ』
「そ、そうなんですか……」
『ああ、じゃあな。がんばれよ』
 米沢は通話を切った。
「なんだって……?」
 母親は不安そうな顔をしている。
「売れっ子になったら、これくらいの嘘記事は出るもんだから頑張れよって」
「……そう、そういうものなのね。だったらいいけど」
 母親は納得して1階に降りていった。しかし、麗奈は不安でいっぱいだった。

※※※※※

 麗奈の不安は的中した。この週刊誌が飛ぶように売れたのである。マスコミ各社はいっせいに麗奈のバッシング記事を書き始めた。

『嫌いなタレントランキング 1位 藤沢麗奈』
『テレビスタッフに聞く態度の悪いタレント 1位 藤沢麗奈』
『テレビから消えてほしいタレント 1位 藤沢麗奈』
『大物女優M、藤沢麗奈を酷評、「1年以内に消える」』
『藤沢麗奈の大物女優ぶり、「藤沢さん」と呼ばないとキレる』
『藤沢麗奈、米沢愛綾と不仲説、共演NGか』

 バッシングは2ヶ月、3ヶ月経っても止むことは無く、どんどんエスカレートしていった。さらに嘘記事だけではなく自宅の回りに芸能記者と思われる不審人物が現れたり、ひどいときには学校の敷地内に侵入して麗奈の写真を取る記者まで現れた。ここで事態を重く見たエクスティングは麗奈の芸能活動休止を発表する。

 すると今度は、

『藤沢麗奈、芸能活動休止、素行の悪さが原因か』
『藤沢麗奈、東恭一郎の逆鱗に触れる』

 と言った記事が出始めた。イタチごっこである。芸能活動休止を発表した当日、麗奈の家のリビングで小林と麗奈の両親が話している。自宅前には芸能記者たちが押しかけ、騒然としていた。
「わかりました。そういうことでしたら……」
「何があっても絶対に娘さんをお守りしますので」
「よろしくお願い致します」
 エクスティングは麗奈を自宅に置いておくのは危険と判断。麗奈は3日置きに複数のホテルを転々とする生活に入ることになった。小林が家の外に麗奈を連れ出すと一斉にフラッシュがバシバシと焚かれる。
「麗奈ちゃーん! 体調が悪いって本当!?」
「米沢愛綾ちゃんに干されたの!?」
「東恭一郎さんに怒られた!?」
「麗奈ちゃん!! 何か一言!!」
 心ない言葉が飛ぶ中、小林とエクスティングのスタッフに囲まれた麗奈は小林の車で姿を消した。

※※※※※

 ホテル暮らしに入ってから2週間が経過したがバッシングは収まる気配がなく、さらにエスカレートしていった。

『藤沢麗奈、芸能活動休止は父親が逮捕されたため!?』
『藤沢麗奈の母親、娘が稼いだ金でホスト三昧』
『素行不良で干された藤沢麗奈、芸能界復帰は絶望的か!?』
『学校で藤沢麗奈にイジメられた児童、自殺未遂か!』
『藤沢麗奈、喫煙現場が目撃される』

 そして決定的な記事が出る。

『藤沢麗奈の活動休止、俳優Sに貰った大麻吸引が原因か!?』

 麗奈がいる部屋とは別の部屋で小林とエクスティング社長が話している。
「狂ってる……!!」
 大麻吸引の記事を見ながら小林は吐き捨てるように言った。
「藤沢の体調はどうだ……?」
 社長は心配そうに小林に尋ねた。
「かなり精神的に衰弱しています。対人恐怖症と人間不信のような状態で……。ここ数日は食事もろくに食べません」
 社長は頭を抱えている。
「カウンセラーを手配するか……」

 麗奈の部屋。麗奈はひたすら泣いていた。
「うっ……うっ……ううっ……」
(怖いよ。怖いよ。誰も信じられない。もう辞めたい。芸能界なんて入らなきゃよかった。普通に戻りたい。普通がいい。あたしの普通を返して)

 その後、1週間が経過するも麗奈の精神状態は悪化の一途をたどり、とうとう全く食事ができないまでになってしまった。カウンセリングを行うも、思うような効果は出ず、エクスティング内では訴訟を検討する声が出始めた。しかし、訴訟をすると今後の芸能活動に影響が出るとの慎重論もあり内部分裂のような状態になっていた。

 そんなある日、小林が寝てる麗奈の看病をしていると、コンコンコン。とドアがノックされた。小林がドアを開けると、そこには小さな少女が立っていた。米沢である。米沢はツカツカと麗奈が寝てるベッドに歩み寄り、布団を一気にひっぺがした。
「よ、米沢さん!」
 小林は慌てている。
「ま……愛綾ちゃん……」
 麗奈は朦朧とする意識のなかで米沢が来てくれたことに感謝した。しかし……。米沢は冷たい目で麗奈を見下すと、麗奈の胸ぐらをつかみ、乱暴にベッドの上に座らせた。
「ま、愛綾ちゃん」
 完全に目が覚めた麗奈はベッドの上に座り、きょとんとしている。米沢は肩から下げたバッグから包丁を取り出し、ベッドの上に放り投げた。

「死ね」

「えっ……」
 麗奈は米沢が何を言ってるのかわからなかった。
「お前、言ったよな。女優になれないなら生きてる意味ないって。お前、もう芸能界辞めたいんだろ? じゃあ死ねよ。女優になれなかったんだから」
 麗奈はまっすぐに米沢の目を見つめたまま何も言わない。そして、米沢はぐいっと思いっきり麗奈の胸ぐらを掴んだ。
「いいか!? この程度の打撃でへたるような奴が、表舞台にしゃしゃりでてくんじゃねえ!!」
 きょとんとする麗奈。
「どれだけの凡人がてめえのいるところに来たいと思ってるのかわからねえのか!? 私たちは与えられたんだ! 運命の糸を! 誰に石投げられようが、ただひたすらにそれを掴んで登る! お前、そんなこともわからねえで女優になりたいなんて夢見てたのか!?」
 麗奈はまっすぐに米沢の目を見つめたまま何も言わない。
「強き者が弱き者のくだらねえ攻撃なんぞに打ちのめされてたら強き者ではいられねえよ。そんなもんに打ちのめされてるお前は女優じゃねえんだ。だから死んじまえよお前なんか」
 麗奈は無表情だが頬には涙が伝っていた。そのとき。コンコンコン! 早くて激しいノックが部屋中に響いた。小林がドアを開けるとエクスティングのスタッフの1人が激しく息を切らして立っている。
「小林さん! 大変です」
「なに? どうしたの?」
「バッシング記事を書いていた主要な4つの週刊誌の編集長4人が……はあ……はあ」
「その4人が?」

「……今日、自殺しました」

※※※※※

 編集長4人の自殺は日本中を震撼させた。自殺でないことはみんなわかっていた。翌日の正午、東はタバコを吸いながらコンビニに食べ物を買うために外に出てきた。マンションの外には報道陣が詰めかけていた。
「何だお前らは?」
「あの……ちょっと、お話を聞かせていただきたいなと思いまして……」
「何のお話だ。俺は別に話すことはねえよ」
 東はコンビニに向かって歩き始める。報道陣も付いていく。
「昨日、週刊誌の編集長4人が同時に自殺した件で……」
「なんでそれを俺に聞くわけ?」
「いえ、その……この事件について東さんのご意見を伺いたいな……と」
「ご意見もクソも死にたかったから死んだんだろ。それだけだよ」
「は、はぁ……。しかし、4人同時というのはどう考えても不自然で……他殺ではないかと言う見方も……」
「他殺? あー、言われてみれば他殺かもね。やっぱりアレじゃないの。天罰ってのがあるんじゃないの? 汚い嘘記事で子ども叩いてたろ。それで天罰が下ったんじゃない?」
「て、天罰ですか……」
 東は突然足を止めた。報道陣も立ち止まる。
「もし、今後、藤沢麗奈と米沢愛綾、この2人をバッシングする奴が出たら……」
 東は報道陣のほうを見てニヤァと笑って言った。

「……必ず天罰が下ることになるだろう」

 報道陣たちは絶句した。そして立ちすくんだ。
「俺から話すことは以上だよ。んじゃな」
 東はそう言って手を振りながら去っていった。報道陣たちは呆然とそれを見つめるしかなかった。それ以後、麗奈と米沢の2人を批判するマスコミはいっさい出なかった。

 同時刻、米沢の家。
「お前、本当にもう大丈夫なの?」
 マックで買ってきたバンバーガーをもぐもぐ食べながら米沢が言った。
「はい、大丈夫です。明日から芸能活動再開です」
 麗奈はハンバーガーをもぐもぐ食べながら言った。
「昨日は悪かった」
「何がですか?」
「『死ね』とか言っちまったから」
 麗奈は手に持っていたハンバーガーをテーブルの上に置いた。
「ううん、ありがとうございます。あれで吹っ切れました。もうどんなことがあってもへこたれないです」
 米沢はフッと微笑んだ。その瞬間、麗奈は米沢のポテトをがっつりと取るとバクッと一気に食べた。
「あーっ、私のポテト!」
「フフフ、明日から忙しくなるからたくさん食べとかないとねー」
「このクソたれ! 吐け! 私のポテト返せー!!」

 その後の麗奈の芸能活動は破竹の勢いであった。CM、雑誌モデル、バラエティ、毎日必ずどこかのチャンネルに出ていた。そして映画「あなたの名は」で単独主演を務める。その映画で日本アカデミー賞、ブルーリボン賞受賞、そして数々の雑誌のドラマ賞で新人賞を受賞。さらにもう一つ連ドラの単独主演が決まり、別の連ドラの主役級の出演も決まった。間違いなくいま最も輝いてる芸能人であり、まさに『小石の太陽』そのものであった。

第7章 米沢敗れる

 コンコンコン。素早く3回ノックが響いた。
「失礼します」
 慌てた様子で田代が楽屋に入ってきた。米沢はいつものようにソファーで本を読んでいる。
「今年のタレント知名度ランキングの結果が出ました」
 米沢は本から目を話さず、何も言わない。
「ランキングの中から主要な子役女優の認知度のみ抽出した結果をお持ちしました。どうぞ」
「見るのが面倒くさい。読み上げろ」
「はい」
 田代は右手に持ったA4の紙を見ながら結果を読み上げる。
「第9位、渡谷こはる8.1%……第8位、濱口ここみ8.4%……第7位、桜井ひなた9.7%……第6位、川島さくら15.7%、
 ……第5位、谷川神奈35.6%……第4位、大林星羅40.5%……」
 そこまで読み上げると田代はチラッと米沢の方を見た。米沢は表情一つ変えずに本を読んでいる。
「第3位、本山歩美67.8%」
 それを聞いた瞬間、米沢の本を読む手が止まった。米沢は顔を上げ、まっすぐ前を見ている。田代は読むのをやめて米沢の顔色をずっと伺っていた。
「……その続きは?」
 米沢に急かされて田代は再び紙に目を落とす。
「第2位……」
 田代は自分の緊張を払うように大きく息を吸って深呼吸した。そしてしばらく間を空けた後、意を決してその結果を述べた。その衝撃的な結果を。

「第2位……米沢愛綾88.9%」

 田代は米沢がどんな反応をするかヒヤヒヤしていた。見たところ米沢は前を向いたまま表情を変えない。
「……続きは?」
「はい」
 田代は最後の結果を恐る恐る口に出した。

「第1位……藤沢麗奈90.8%」

 沈黙が楽屋を支配する。掛け時計のチッチッチッという音だけが聞こえていた。米沢は黙って本を置くと、ソファーの背もたれに寄りかかってうーん、と背伸びをした。
「はぁ」
 米沢は首を左右にコキッコキッと動かすと立ち上がった。
「90超えやがったか。あいつ」
「そのようです」
「下がっていいぞ」
 田代はあまりにも米沢の反応が穏やかなので逆に恐ろしくなってしまった。
「いや、待て。新聞を一通り買ってきてくれ。報道が見たい」
「はい、少々お待ちを」
 田代はそう言うと足早に楽屋を去っていった。

※※※※※

 コンコンコン。ゆっくりとしたノックが楽屋に響いた。ドアを開けて入ってきたのは麗奈である。米沢はソファーにかけて興味深げに新聞を読んでいる。テーブルの上には各社の新聞が散乱してあった。麗奈は何も言わず、その様子を無表情で眺めている。例によってチッチッチッという掛け時計の音だけが聞こえていた。
「……米沢敗れる」
 米沢が不敵に笑いながら言った。
「どこもそう言う見出しだな」
 麗奈は表情を変えず、何も言わない。
「今のお前の勢いは全盛期の私以上だ。まあ、この結果は予想していたよ」
 麗奈は一瞬目を下に落としたあと、再び目線を米沢に合わせた。
「……今日、お寿司食べにいきませんか? おごりますから」
 米沢は麗奈の顔を見た。
「もし空いてたらですけど」
「私は空いてるけど、お前は空いてないだろう」
「今日の夜の仕事はキャンセルしました」
 米沢はフッと笑った。
「1つ2つ仕事を切っても、どうってことないってか?」
 米沢はクククッと笑っている。
「……行かないんですか?」
 米沢は立ち上がった。
「天下の藤沢麗奈さまに誘われちゃ断るわけにいかんだろ」

※※※※※

 2人は麗奈が初めて東と会った時の寿司屋に居た。仲居に通されたのはあの時のあの和室である。2人は一瞬固まったが、すぐに米沢が下座に座った。
「愛綾ちゃん……」
 米沢はふうと溜息をついた。
「座れよ早く」
 麗奈は上座に座った。
「お飲み物は何になさいますか?」
 仲居が優しく2人に尋ねる。
「あたしはコーラで」
「私もコーラ」
「えっ」
「かしこまりました」
 仲居は丁寧にお辞儀をして和室を出て行った。
「どうしたんですか愛綾ちゃん。あんなにコーラ嫌がってたのに」
 麗奈は半笑いで尋ねた。
「あー、なんか試してみようと思っただけだ」
 米沢はあさっての方向を向いてバツが悪そうに言った。
「ありがとう。愛綾ちゃん」
「何が?」
「ここで東さんと会ったとき、あたしを呼んでくれたじゃないですか」
「それが?」
「東さんに視聴率操作のことをお願いするだけならあたしは必要なかった。それなのにわざわざあたしを連れて行って東さんに紹介してくれた。あのときエクスティングに入ってなかったら、今のあたしは無かったです」
「フン……単なる気まぐれさ。そんな大層なもんじゃねえよ」
「私がバッシングで挫けそうになったときも、私に活を入れてくれた」
「お礼なら東さんに言えよ。私は何もしてねえ」
 そんなことを話してるうちに仲居が飲み物とお通しを持ってきた。お通しはあの時と同じ、わかめのおひたしであった。二人は顔を見合わせクスクスと笑った。
「ご注文は何になさいますか?」
 二人は笑顔で同時に叫んだ。
『もちろん「おまかせ」で!!』

「うーん、おいしい~」
 麗奈は最高級の寿司に舌鼓を打っていた。
「やっぱりここのお寿司は最高! また来月のお小遣い出たら来ちゃおう」
 麗奈はキシシと笑った。米沢は既に食べ終わり、黙ってコーラを飲んでいる。
「……お前は最初から他のやつとは違うと思っていた」
「はい?」
 米沢は少し俯いて真剣な表情である。
「最初にお前があの楽屋に来たとき、妙な感じがした。普通なら私は新人の挨拶なんぞ無視するんだが、どうにも放っておけないというか、こいつのことをよく知りたいと思ったんだ」
 麗奈は黙って聞いている。
「その後だってそうだ。お前に芸能界の汚さ、黒さを教えたのもお前を潰すためじゃなかった。ただお前を鍛えたかった。お前がどういう成長をするのか。どこまで伸びるのか見てみたかった。正直言って「小石の太陽」がコケるなんてどうでも良かったんだよ私は。私ほどの地位があれば脇で1つ2つコケても全く支障はない。でもただお前の成長が見たかった。だから東さんに会わせたんだ」
 麗奈の箸は止まっている。
「私が新人の世話をするなど通常ならあり得ないことだ。だがお前には不思議な魅力があった。人を惹きつける引力があった。それが、私や東さんを動かしたのさ」
 部屋の中には米沢の声だけが静かに響いている。
「あのドラマだって回を重ねるにつれてどんどん数字が上がっていった。ネットの声を見たろ? 『下手くそだけどなぜか見てしまう』って。それが藤沢麗奈の力なのさ」
 米沢はふうとため息をついた。
「演技力とか可愛さとか、そういったものを全く超越した存在。それが藤沢麗奈だ」
 麗奈はここで初めて口を開いた。
「……愛綾ちゃんはあたしに負けて悔しくないの?」
 米沢は何も言わず颯爽と立ち上がった。
「先に帰るぜ。お前はゆっくり食べてろ」
 和室から出ていこうとふすまに手をかけたその時。
「来月からお前にはしばらく会えねえから」
 米沢は麗奈に背を向けたまま寂しそうに言った。
「……え? なんで?」
 その問いに米沢はしばらく間を置いた後答えた。
「……アメリカに行く」
 麗奈は驚いた。頭が真っ白になってしまった。
「アメリカ? 旅行か何か?」
「いいや」
「どれぐらいの期間会えないの?」
「半年ぐらい」
 麗奈は唖然としている。
「何しに行くの?」
「撮影。映画の」
「アメリカで映画? 誰かの幼少期役とか?」
「いいや。主演」
「主演!? ハリウッドの!? いつオーディション受けたの!?」
「向こうからオファーが来た」
「どれぐらいの規模のやつ?」
「制作費が3億ドル」
「さ……!!!」
 麗奈は箸を放り出して思わずテーブルに身を乗り出した。
「3億!!!?」
 米沢は何も言わない。麗奈も呆然として何も言わない。そのまま沈黙が流れた。やがて、米沢はゆっくりと麗奈のほうに振り返った。そして、冷たい目つきで麗奈を見下したような顔でこう言った。

「その程度で私に勝ったとおもったのか?」

 そう言うと米沢はさっさと和室から出て帰ってしまった。

 何分? 何十分? どれだけ時間が経過したのかはわからない。麗奈は食べかけの寿司を前にして茫然自失としていた。
(あたしが日本の子役界で1位を目指してる間に、愛綾ちゃんは世界から評価されてた……)
 そんなことを思っているとふすまを開けて仲居が入ってきた。
「失礼致します。米沢さまから伝言をお預かりしております」
 麗奈は呆然として仲居にも気づかない。
「失礼ながら承ったままに申し上げます。『今日はお前の祝いだから、私がおごってやる』とのことです。すでにお代は米沢さまより頂いておりますので、藤沢さまはどうぞごゆっくりお召し上がり下さい。……では失礼致します」
 仲居はそう言うと丁寧にお辞儀をしてふすまを閉めた。麗奈はこのとき完全に自分の敗北だと思った。麗奈はしばらく上を向いて目を閉じていた。その口元はわずかに微笑んでいた。そのうち麗奈は目を開けフッと笑った。
「ふぅ~。とりあえずお寿司食べよ」
 麗奈は残った寿司に箸を伸ばした。
「ん~、おいしい~」
 麗奈はなぜか嬉しい気持ちでいっぱいだった。

エピローグ

 少女は男とともに飛行機に乗っていた。
「……東さんが仰ってましたよ。寂しいって」
 男は闇のフィクサーからの伝言を伝える。
「ふん、あの男のロリコンにも困ったもんだ」
 少女は顰め面をして言った。
「あと、アールプロが本気で本山さんを売り出すことにしたようです」
「ふっ……あいつの出現で焦ったか」
 少女は軽く笑った。
「川島さんはバッシングを受けてますね」
「『ネットオタクさくら、毎晩他子役の悪口三昧』って記事か? 飛ばしじゃなくて本当だから仕方ないよな」
 少女はクククと笑った。
「桜井さんは映画の主演が決まったようです」
「あいつは実力も人気もあるやつだから主演が来てもおかしくないよ。遅かったぐらいだ」
 少女は満足げに答えた。
「ああ、忘れてました」
「ん?」
「藤沢さんからの伝言を預かってきたんです」
「なんて言ってた?」
「あの、一言一句そのまま伝えますけど怒らないでくださいね」
「つべこべ言わず早く教えろや。鬱陶しいな」
「で、では言います。『帰ってきたとき、あんたの席はないから。せいぜいチンケな映画で頑張ってこいよ米沢愛綾』だそうです」
「ふっ……ふははははは」
 少女は嬉しそうに大笑いした。

「……帰ってきたとき、日本の子役界はどうなってますかね?」
 男は何気なく少女に尋ねた。
「さあな。あいつが覇権を握ってるんじゃないか?」
 少女は興味なさげに答えた。
「良いのですか? 地位を奪われても」
 男は不思議そうにしている。
「ふん……どうでもいいさ」
 男は少し切ない気持ちになった。
「今まで子役業界はパイが小さいと思われていた。可愛い子どものシンボルはそんなにいらないからな。ところが、あいつの出現で子役界は変わった。パイが大きく広がった。子役がれっきとした俳優として認められたんだ」
 男は黙って聞いている。
「子役ブームが20年に1度しか起こらないというジンクスも崩れた。私が2013年に起こしてからわずか3年でもう一度ブームを再燃させた。視聴者たちが飽きているにも関わらず日本中を魅了した」
 男は黙って聞いている。
「これはすごいことだよ。私にも出来ないことだ。あいつには頂点に立つ資格がある」
「では負けを認めると」
「負け? ……ふっ」
 少女は軽く笑った。

「日本はくれてやると言ってるんだ。私は世界の頂点に立つからな」


 子役戦争・完

キャスト

藤沢麗奈(ふじさわ れな)

本作の主人公。9歳。子役女優。児童劇団ブリエ所属。一流の女優になるという夢を持っているが、まだ事務所に入って1ヶ月の新人。デビュー作は当然無い。米沢愛綾主演のドラマ「炭酸水はゼロカロリー」の米沢の演技を見て女優になりたいと思い、事務所のオーディションを受けた。何をやってもダメな落ちこぼれで、当然芝居や歌などろくに出来るはずも無く、事務所での序列も最下位である。気弱で臆病な性格で、いつもオドオドしているが、ときどき思い切った行動を取ることがあり、経験豊富な米沢ですらビックリすることがある。地味で特徴のない顔立ちでヘアスタイルも無難なボブカット。学校でのアダ名はダメ子。学校でもいつも失敗ばかりして笑い者になっているが、なぜかみんなから人気があり、男子から好きだと言われたこともある。幼い頃から泣き虫の弱虫で怒られてばかりあったが何故か周りに人が集まってきて可愛がられる。そんな子であった。麗奈自身は自分が人気があるのは失敗をするのが面白いからだろうと自虐的に考えている。大人のひとを見るとどの芸能人に似てるか当てはめる癖がある。好物はダイエットコーラ、お寿司。嫌いな食べ物はピーマン。お笑い番組が好きでよく見ている。得意科目はしいて挙げれば国語である。家族構成は父と母。一人っ子である。AB型。父親は大手総合商社の本社勤務であり家庭は裕福である。母親は専業主婦。両親とも芸能には全く興味がなく、家のリビングにはテレビも無い(麗奈の部屋にはある、お小遣いを貯めて買った) したがって麗奈の芸能活動にもまるで興味を示しておらず、金銭的には支援するがその他のことで支援する気はない。


本山 歩美(もとやま あゆみ)

米沢と双璧をなす子役女優No2。9歳。アールプロモーション所属。本来は子役は取らないとされていた巨大事務所アールプロが1人だけ子役を取るとして開催したオーディションで1000倍の倍率の中を勝ち上がった天才。米沢が唯一恐れる存在。全日テレビのドラマ「メイドのムチ」で本山が映ったシーンが瞬間最高視聴率56%という恐るべき数字を叩き出し、一躍大ブレイクした。傲慢で高飛車な性格で、イケメンを見ると目の色が変わり、途端に媚びた態度を取る。事務所の力を利用してイケメン俳優や男性アイドルと共演してはメアドを入手するということを繰り返している。好きなタイプは4歳から63歳までの高身長なイケメン。米沢との共演歴もあるがイケメンとの共演や好きなタイプの事を米沢に知られてからは強烈な嫌悪感を抱かれ共演を拒否されている。そのことが原因で米沢とは犬猿の仲となり、聖子と明菜レベルであると業界内で囁かれている。幼少のころからピアノを学び、ショパンの幻想即興曲、華麗なる大円舞曲、リストの愛の夢など難曲を軽々と弾きこなすレベルである。したがってコンクールでの受賞歴も多数あり、本人は女優になるかピアニストになるか悩んでいる。しかし、ピアノが得意にも関わらず歌とダンスが絶望的に下手くそであり、米沢が上手いこともあってコンプレックスを持っている。好物はスイーツ全般。嫌いな食べ物はにんじん。尊敬する女優は米倉涼子。A型。


川島 さくら(かわしま さくら)

子役女優。米沢よりも後輩。9歳。カルジアンアカデミー所属。5歳のときに松嶋菜々子に憧れて事務所に入った。一説によると役にハマったときの演技力は米沢を凌ぐと言われている実力派。館山テレビのドラマ「炭酸水はゼロカロリー」において米沢と初共演。バラエティが極端に苦手で、米沢にいつも負けている。気さくな性格で藤沢にも明るく話しかける。自らの代表作であるドラマ「赤い十字架」において、「高松ここあ」という役を演じたため、「ここあ」とも呼ばれる。趣味は音楽で歌がとても上手く、クラシックギターやドラムも練習中である。そのことは米沢からは良く思われていない。得意科目は音楽。嫌いな科目は体育。尊敬している女優は松嶋菜々子、堀北真希。好きな食べ物はラーメンである。B型。米沢をとても尊敬していると言葉では言っているが、実は…


桜井 ひなた(さくらい ひなた)

子役女優。11歳。モデル出身で端整な顔立ちとスタイルを持つ。女優歴は2年とまだ浅い。カルジアンアカデミー所属。館山テレビのドラマ「炭酸水はゼロカロリー」で米沢と初共演した。その時の役名が「ピノ美」という名前だったことから出演後もピノ美という愛称で呼ばれている。素はおっとりとした性格だがサバサバした役柄にもちゃんと入り込み、ポテンシャルの高さを見せた。米沢と共演した際、その集中力と演技の凄まじさに圧倒され、それ以来米沢を尊敬するようになった。ウィンドウショッピングが趣味。好物はコーヒー。AB型。


橋本 智子(はしもと ともこ)

藤沢のマネージャー。25歳。横浜市立大学国際総合科学部国際総合科学科卒業。事務所の中では最もキャリアが長いが、事務所自体が設立して間も無いため、まだマネージャーになって3年目であり、仕事が出来るとは言いがたい。独身。慌て者で神経質でせっかちである。楽天家で失敗してもすぐケロッと忘れてしまうところがある。なかなか彼氏が出来ないことに悩んでおり、担当する麗奈に相談したことがある。目が悪く、いつもメガネをかけている。麗奈曰く「アンジェラ・アキを純和風にしてギュッと潰した感じ」東京生まれの東京育ち。A型。


小林 恵美(こばやし えみ)

エクスティング事務所勤務の芸能マネージャー。29歳。慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。マネジメント能力は高く敏腕であり、将来の幹部候補として有望視されている。しっかり者で芯が強く頭がキレる。しかし、想定外のことが起こるとパニクる癖があり、担当しているタレントに「どうしたらいいでしょう」などと泣きつくことがある。モデル並みの容姿とスタイルを持ち、学生時代にミス慶応に選ばれたことがある。麗奈曰く「桐谷美玲にそっくり」モデルや女子アナとしてスカウトされたこともあったが、極度のあがり症であるため断った。しかし、それがきっかけで芸能界に興味を持ち芸能事務所に就職。独身だが広告代理店に勤めている彼氏がいる。福岡県出身で一人暮らし。好物は酒。生まれてから今まで飲み比べで負けたことが無く、何人もの男を潰している。O型。


田代 智和(たしろ ともかず)

米沢のマネージャー。36歳。東京大学工学部機械工学科卒業(首席)、その後、同大学院にて機械工学を専攻し修了。大学院修了後、一流機械メーカーのエンジニアとして就職したが、上司や先輩や同僚たちがみんな馬鹿に見えてしまい、ノイローゼ気味になる。そのような理由から、いっそのこと頭の良さが関係ない分野に進もうと考え、27歳のとき芸能事務所に転職した。米沢の事務所の中でも最も敏腕なマネージャーであり、米沢が信用している数少ない人物の一人である。本来ならもっと出世していてもおかしくないが、米沢の意向によって一タレントのマネージャーに留まっている。神経質な性格で何事もきっちりしてないと気が済まない。本人も米沢のマネージャーをすることにやりがいを感じており、出世は望んでいない。妻と息子が1人いる。家庭内では恐妻家で常に妻に怯えて過ごしている。お小遣い制で毎月カツカツしかもらっていないため、飲み会シーズンなどは金欠になり、米沢に食事をおごってもらうことが多々ある。A型。麗奈曰く「竹野内豊を賢そうにした感じ」


米沢 愛綾(よねざわ まや)

もう1人の主人公。子役界の頂点に君臨するNo1子役女優。9歳。エアロキッズ所属。その知名度は90%を超えるとも言われており、大人のトップ女優をも凌ぐ。今や日本では知らぬ人はいない超大物子役である。全日テレビのドラマ「妹ポン酢」でポン酢好きの妹役を演じ一躍脚光を浴び、館山テレビのドラマ「炭酸水はゼロカロリー」で炭酸水好きの少女を演じて大ブレイク。その後も数々のドラマ、映画に主役級で出演し、ハリウッドにも進出。日本アカデミー賞、ブルーリボン賞など受賞歴多数、ハリウッド映画「street of the creek」にてカンヌ国際映画祭女優賞受賞。大人のトップ女優や大御所俳優を抑えてクレジットの最後に名前が来るなど、芸能界全体においても絶大な地位と権力を持っており、日本史上最強の子役との呼び声も高い。カメラの前では明るく愛らしい少女を演じるが、普段はクールで冷めた性格であり、男言葉で話す。自分以外の子役がカメラの前で目立つとイライラが表に出てしまう癖がある。仕事には常に全身全霊を持って臨み、現場ではモニタチェックを何回も行い、オンエア中は自分の作品を見て悪いところをノートにメモするなど、非常にプロ意識は高い。その類まれなる演技力やバラエティでの面白い受け答えからインターネットでは「米沢先生」と呼ばれ、親しまれている。また、「炭酸水はゼロカロリー」において「ハッチ」という役を演じたことからハッチとも呼ばれる。歌とダンスもプロ級の腕前であり東京ドームでコンサート開いた際には5万人の観衆の中、完璧に生歌とダンスを披露し、世間を驚愕させた。その巨大な権力からエアロキッズ社長も米沢には逆らえない。本山とは本人の意向で共演NGである。理由は本山がイケメン狂いで仕事を合コン代わりに使っているからだそうである。尊敬する女優はアンジェリーナ・ジョリー。趣味はスポーツで球技全般が得意。好きな食べ物は奈良漬け。得意な科目は体育、音楽。O型。私服はボーイッシュな服装を好みスカートは仕事以外では意地でもはかない。ロングヘアであるが前髪が鬱陶しいという理由でいつも額を出したアップかハーフアップにしている。髪を切ればいいではないかと言われると髪は女の命だと謎の論理で逃げる。家族構成は父と母で一人っ子である。父は潰れかけの零細企業の社長で米沢を事務所に入れる金など無かったが、娘の夢のために借金をして事務所に入れた。


東 恭一郎(あずま きょういちろう)

総資産額2兆円を超えると言われる資産家。33歳。岡山大学工学部情報工学科卒業。同大学院電子情報システム工学専攻修了。福岡県出身。24歳のとき情報機器メーカーのエンジニアとして就職する。25歳のとき、100万円を元手にFX投資を始め、類まれなる才能によって連戦連勝を重ね、27歳のとき資産が5億円を突破。その後30代にして日本一の大資産家にまで上り詰めた。金の力によって政界、官界に幅広い人脈を持ち、芸能界にも権勢を伸ばすため、大手芸能事務所エクスティングを殺人と脅迫によって乗っ取った過去を持つ。エクスティング系列は芸能界に存在する他の全ての芸能事務所が束になってもかなわないほどの大勢力であり、東による乗っ取りはその手段も相まって芸能界全体を震撼させ、今や芸能関係者で東を恐れない人間は居ない。敵対する者には嫌がらせや脅迫、場合によっては殺人まで行うこともあり、目的のためなら手段を選ばない危険人物である。東が起こした脅迫事件や不法侵入などには被害届が出ても警察は全く動かず、殺人はどんなに奇怪な死因でも自殺として処理される。どのようにして警察や検察を抑えこんでいるのかは不明。港区のタワーマンションの最上階に住んでおり、愛車はフェラーリFF。好きな食べ物は焼き鳥。独身。O型。麗奈曰く「メガネをかけた及川光博さんを思っきり若くした感じ」

『子役戦争』

『子役戦争』 てっかまき 作

弱小子役事務所に所属する9歳の子役「藤澤麗奈(ふじさわれな)」は歌も芝居もダンスも下手くそなダメ子役。そんな麗奈だが、ひょんなことから連ドラの主演に決まってしまう。そして共演は現在の子役界の頂点に君臨する大物子役女優「米沢愛綾(よねざわまや)」だった。しかし、このドラマはわざとコケさせて米沢を陥れるために作られたもので、麗奈はドラマを駄作にするために起用されたのであった。麗奈と米沢は協力して、巨大芸能プロダクション「エクスティング」の社長「東恭一郎(あずまきょういちろう)」に視聴率操作を依頼する。9歳の女の子2人が仕掛けた壮大な闇の計画は果たして成功するのだろうか。

  • 小説
  • 長編
  • サスペンス
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2015-12-11
Copyrighted

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