騎士物語 第一話 ~田舎者とお姫様~

序章その一 田舎者

 ガタゴトと、一応そうだとわかる程度の道を馬車が行く。
 首都から十キロくらいしか離れていないのだが、方角的に山しかないからか、別の街へと続く道が完璧に整備されているのに対してこの道はただの悪路だ。
 ただ、随分前に商人から車輪の軸に取りつける板バネをもらって、それを使ってみてからはそんな悪路も気にならなくなった。商人の顔から察するに、まだまだ実験段階の商品という感じだったのだが……これはなかなか優れものだ。今度会ったら使い心地を伝えようと思うし、そもそも次に会った時に感想を聞かせてくれと言われている。
「だっはっは! 見ろ、街が見えてきたぞ!」
 オレの横で手綱を握る男が……いや、手綱を握る男の横にオレが座っていると言った方が絵的には正しい。とにかくそいつは何が面白いのかわからないが笑いながらそう言った。
「酒! 肉! 女! 首都のはレベルが高いからな! ったくよー、たまらねーな大将!」
 うひひと笑う男とそんな男を呆れ顔で見るオレ。この馬車の乗客はこの二人だ。

 男の名前はフィリウス。豪放磊落を形にしたような男だ。オレが何度か縫い直しているボロいズボンとよれよれの靴を履き、無地のシャツを着てちょっと短いローブを羽織った筋骨隆々のガッチリした中年オヤジ。
 そしてオレの名前はロイド。自分で自分の説明は難しいのだが……フィリウスが言うには抜けた顔をしている……らしい。オレもまた、ボロい上下を身にまとっている。この前十六になった。

 パッと見、オレとフィリウスは親子とかに見えそうだがそうではない。オレは、この時代にはそんなに珍しくない「盗賊に家族を殺されて一人になった子供」だ。
 今から六……ん? 七年か? んまぁ、それくらい前にオレは天涯孤独となり、空腹に頭を支配され、誰かを殺そうだなんて思った事も無い子供がガラスの破片を手にしてたまたま通りかかった馬車を襲った。
 見事に返り討ちにあったオレは何故かその馬車の御者に拾われ、今に至る。んまぁ、御者と言ってもフィリウスしかいなかったわけだが。
 オレを一殴りで気絶させたフィリウスはオレが目覚めるとリンゴを一つくれた。夢中になってそれをかじるオレに、フィリウスはこう言った。

「腹を空かせた子供が盗賊みたいになるのはよくある事だし、大将と同じ目に遭ったチビッ子は山ほどいるだろう。だが大将にはそいつらと一つ違う点があった。」

 リンゴを飲み込み、少し落ち着いたオレは自分が何故助けられたのかを疑問に思い、フィリウスの次の言葉が気になってその強面を見つめた。

「大将が最初に襲ったのが俺様だった。」

 意味が分からずに首を傾げるオレの頭にだははと笑いながら手をのせるフィリウスはこう続けた。

「チビッ子に襲われるのは初めてじゃないが、初心者に襲われたのは今回が初めてだった。どうしようもなく濁ってるのをわざわざ清めようとは思わないが、まだ輝きのある目をそのままってのは後味が悪い。ま、理由なんざ後付けなもんで、結局俺様が大将を助けた理由なんざこの一言に尽きる。」

 運命とか天命とか、そんな感じの言葉を一瞬期待したオレだったが、フィリウスはニカッと笑ってこう言った。

「なんとなくだ!」


 あれから六……ん? 七年だったっけか? オレはフィリウスと行動を共にしている。フィリウスが何をしている人なのかと言うと、たぶん傭兵……という感じになるのだろう。あっちこっちを適当に旅して町の宿や野宿で夜を過ごし、路銀に困ったらそのムキムキを活かして賊退治とかをしてお金を稼ぐ。オレと会う前から長い事そういう生活をしているみたいなのだが、フィリウスは狩りもまともにできないし、弓も銃も使えない。
 オレには多少経験があったけど、それはしっかりと準備をして臨むもので、旅先でするような即席な感じのやつはしたことがなかった。ただ……これは才能なのかなんなのか、オレは釣りが上手い。糸を垂らして五分も過ごせばどこであろうと魚が釣れる。もちろん、魚がいる所で。
 そんなオレとフィリウスなので、たまぁに足の鈍い獣を狩れた時以外はその辺のキノコとか果物とオレが釣った魚で道中の腹を満たす。だから街が近づいて……酒とお、女はわからないが、フィリウスが肉と叫ぶのには共感できる今日この頃だった。

「止まりなぁっ!」

 広めの草原を横切るオレたちの馬車の前に、いきなり男が飛び出した。急に止まったせいで荷台の荷物がガラガラと崩れ、オレも落ちそうになる。そんなオレの首根っこを掴んで元の位置に座らせたフィリウスは驚きもせずに目の前の男を見ていた。
「へへ、状況……わかってるよな?」
 気が付くと馬車は同じような若い男たちに囲まれていた。人数は五人。全員が剣やら斧やらの武器的なモノを持って――ん? なんか一人だけ変な武器を持っているな。なんだありゃ。
「こっちの田舎道は田舎モンが首都で一旗あげようっつって呑気に来るわけで、おれらにとっちゃカモなわけよ! さ、馬車ごと置いてけや。」
 こういう連中は盗賊と呼ばれ――いや、この規模ならただのチンピラか。襲う理由みたいのをわざわざ教えてくれたそいつは、だけどこういう事に手慣れた感じだ。
 ……盗賊に親を殺されたオレが武装した連中に囲まれても冷静でいられるのはフィリウスのおかげだ。
 理由は単純、フィリウスが強いからだ。世の中、馬車で旅をしていればこういう連中にはそこそこの頻度で出会うのだが、その度、フィリウスが全員を返り討ちにしてきた。
「ほー、さすが首都の近くだな。」
 手綱を放り投げ、荷台に手を伸ばすフィリウス。馬車から降りたフィリウスの手に握られていたのは身の丈もあるばかデカい剣。
「お前らみたいのでもソレを拾えるってわけか。」
「んな……んだよ、そのデカい剣は!」
 チンピラがビビる。無理もない、ムキムキの男が大剣片手に立っているのだから。
 ただ、フィリウスの……剣術と言うのか、剣の扱いは雑で達人とは呼べない。そのデカい剣をただただぶん回すだけなのだ。んまぁ、その筋力は素直にすごいのだが。
「大将!」
 ……今更だが、フィリウスはオレの事を名前ではなく大将と呼ぶ。
「俺様はあの変な武器を持ってる奴をやっから、他の弱そうなのは任せたぜ。」
「えぇっ!?」
 思わずそう口にするオレ。しかも「他の弱そうなの」はそう言われてカチンときている。自分は戦わないのに煽るなよ……
 四人か……でもまぁ、フィリウスがオレに任せるって言ったんだし、たぶんオレでも何とかなるのだろう……
「あぁん? まだガキじゃねーか! 舐めやがって!」
 オレは少しドキドキしながら馬車を降り、荷台に置いてあるオレの武器を手に取った。

 フィリウスと出会って少し経った頃、フィリウスはオレに剣の使い方を教え出した。と言っても構えとか握り方とかではなく……フィリウスはオレに剣の回し方を教えた。
「俺様は不器用だからぶん回すしかできねーが、大将は釣りも上手いし器用そうだからな。」
 回すというのは、剣をドリルみたいに回すのではなく、草を刈る回転ノコギリみたいに回すってことだ。果物ナイフを渡されてそんな事を教えてもらっていた頃は、オレに芸でも仕込んでお金を稼ぐのかと思っていた。んまぁ、フィリウスの助けになるならいいかと思い、オレは真面目に練習した。
 だけどいつまでたってもナイフでのジャグリングは教えてくれず、代わりに回す剣がどんどん大きくなっていった。果物ナイフからちょっと細身の包丁、そして護身用の短剣へ。どんどん重たく、回しにくくなっていくその謎の練習を、オレは首を傾げながらも続けた。別にやる事もなかったし。
 そして、気持ち細めだけど普通の大きさの剣をクルクル回せるようになった頃、フィリウスはオレを盗賊との戦いに放り込んだ。回す事しか教わっていないオレは、しかし後ろでニカッと笑うフィリウスを若干恨みながら無我夢中で敵に突撃した。そして気づいた。オレが学んでいたのは剣術だったのだと。
 そこそこの長さの剣を、持つところを中心にグルグル回すとかなり大きい円を描く。短剣程度なら円の面積も小さいし、何より打ち合ったら確実に弾かれて短剣は手から離れる。だけど普通の大きさの剣がそこそこの速さで回っていると結構な威力になるし、そんな高速回転する刃物には中々近づけない。
 フィリウス曰く、攻防一体の曲芸剣術なのだとか。

「なんだ……? クルクル剣を回しやがって。もしかしてお前ら旅芸人か?」
 そう言われるのにも結構慣れてきた。
 初めて盗賊との戦いに放り出され、相手の剣を結構軽々と弾き飛ばし、逃げていく盗賊の背中を我ながら不思議な気分で見つめたあの日から、フィリウスは本格的にオレに稽古をつけ始めた。剣術の次は体術だとかなんとか言いながら。
 だから今のオレは……自分で言うのもなんだけど、それなりに戦う力を身につけている。
「ひぃっ!」
「うわぁっ!?」
 手にしていた武器を飛ばされたり切断されたりしたチンピラたちはそそくさと逃げて行った。まだ一人戦っているのに置いて行ったな……
 オレは回転を止めて回していた剣を見る。フィリウスには最終的に両手、つまり二本の剣を左右の手で回せるようになれと言われている。残念ながらそこまでは至っておらず、利き腕ではない左手では果物ナイフ程度の大きさを回すのが精一杯だし、両手同時となると左手はまず回らない。
 まだまだだなぁなどと一端の剣士みたいに思いながら、オレはフィリウスの方を見た。
 フィリウスは大剣を構えてニカッと笑い、対する変な武器の持ち主は疲労しながらも周囲に氷のトゲみたいのを浮かせている。

 これもこの世の中じゃ珍しくない。ただの魔法だ。
 スポーツと同じで、誰でもできるけど上に行けば行くほど努力と才能がモノを言う世界……それが魔法。魔法生物みたいに身体の中に魔力を生む器官を持たないオレたち人間は、皮膚を通して空気中のマナという魔力の源みたいなものを取り込み、きちんとした手順……魔法陣とか呪文を唱えて魔法を発動させる。
 皮膚を通してマナを取り込むから……変な話、身体の表面積が大きいほど一度に取り込めるマナは多くなる。子供よりも大人の方が良くて……例えばやせっぽっちよりはデブがいいというなんとも変な事になっている。んまぁ、だからといって世の中デブだらけってわけでもないのだが。

 オレは使えないけど、魔法を使うのは良く見る光景だからそれはいい。だけど……あの変な武器、なんか光ってないか?
 さっきからオレが変と言っているのは、妙にゴテゴテした装飾のついた短剣だ。ありゃ回せないなってくらいにゴテゴテしていて、飾るための武器って感じだ。
「だっはっは! お前、ソレとの相性が合ってないな! いくら強力な武器だからって、んな水の中で火を起こすみたいな事してたら意味がないぞ!」
 大剣をぐぐっと構え、例え盗賊でも人は殺さないフィリウスはいつものセリフを今回も叫んだ。
「出直してこい!!」


 そんなこんなで首都に到着したオレたちは、とりあえず食事ができる店に入って数週間ぶりの肉を頬張った。
「だっはっは! そんなにがっつかなくても、またすぐに食えると思うぞ!」
 口いっぱいの肉と肉汁を堪能したオレはスープでそれらを腹に流し込む。
「すぐに? なんだ、しばらくここにいるのか?」
「ああ、大将はな。」
「?」
「ただの気まぐれだったんだが、案外と見込みがあるんで色々教えたら――だっはっは! もっと先が見たくなってな!」
「何の話だ?」
「大将はここに入学するんだ。ま、この時期だと編入か。」
「編入? ……セイリオス学院……って、騎士の名門校じゃねーか!」

 騎士。そう呼ばれる人たちがいる。元々の意味は馬に乗って戦う人の事を言ったらしいが、今はそうじゃない。階級的な話をすると、由緒ある血を持つ人々の頂点が貴族とか王族なら、そういう血を持たない普通の人々の最高階級が騎士になるだろう。
 階級の話だけをするとただのお偉いさんみたいに聞こえるが、騎士はシンプルに実力で与えられる称号だ。というのも、騎士の仕事というのは、街や高貴な方々を危険な魔法生物やさっきのチンピラみたいな賊とかから守る事なのだ。
 オレが育った所は地方の小さな村だし、フィリウスと一緒に旅したのは辺境や秘境と呼ばれる所ばっかりだからそういう煌びやかな世界についてはあんまり詳しくないのだが、騎士の中にもランクみたいのがあって、一番上ともなると王族の護衛を任されたりするから新聞とかにも顔が出たりして有名になる。それに、それくらいになるとそこらの貴族なんかよりも扱いが上になることもあるらしい。
 まさに庶民の出世コースで、地方の子供たちのほとんどが将来は騎士になると言うほどだ。だけどそう簡単な話ではないし、騎士の世界にも貴族みたいな家柄とか名門ってのがある。

 今の時代、人々が恐れるのは凶悪な魔法生物や犯罪者だが、昔は悪い人というわけでもない相手を恐れていて……要するに色々な国で戦争が起きていた。そして大抵、貴族や王族は奥にふんぞり返り、実際に武器を持っていたのは所謂庶民だった。つまり軍に所属する人や、流れの傭兵……高貴な血ではない方々が武勲をあげていったわけだ。
 そして現在、そういう戦争の英雄をご先祖様に持つ家はそれを誇りとし、また自分たちもそうあろうと騎士を目指す。
 何を言いたいかというと、騎士の学校に入る人間の大部分は騎士の家系ってわけだ。たまに地方から出てきた人が入学を希望し、周りとの圧倒的な実力差で騎士の学校を去るという事もあるらしい。
 そう、まさに今、オレがそうなろうとしている。

「いやいやいや、何でいきなり……ていうか、こういう所に入るにはそれなりの家柄とかそういうのが必要だろ! お金もないし、そんなオレらが入学するなんて無理だろ!」
「馬鹿言うな大将。入学するのは大将だけだ。俺様は入学しない。」
「わかってるわ! そうじゃなくて――」
「心配するな! ここに推薦状がある! この俺様のな!」
「フィリウスの推薦になんの意味が――しかも名前間違ってんじゃねーか! 誰だよ《オウガスト》って!」

 色々と文句を言った気がする。この馬鹿中年オヤジだとか筋肉馬鹿だとか。終いには……オレが嫌いになったのかとか、我ならがそれっぽい文句を真剣に言ったんだが、フィリウスはケロっとした顔でオレを引きずり、学院の前まで連れてきた。
「ほれ、お前の服と武器。ちゃんと二本回せるようになれよ! アレは二本で一つだからな!」
「ちょちょちょ――」
「夏休みの頃、また会いに来る! あ、つってもあとひと月かそこらで夏休みか。まー適当に様子は見に来るぜ! それじゃーな!」
「待て――おい、フィリウス!」
 こうしてオレ、ロイド……ロイド・サードニクスはかの名門校、セイリオス学院の校門の前に置いて行かれた。

序章その二 お姫様

 あたし、エリル・クォーツには守りたい人がいて、その為に目指してる人がいる。

 守りたい人はあたしの二番目のお姉ちゃん。クォーツ家の兄弟姉妹の中、いっつも兄さんや姉さんにいじめられてた末っ子のあたしに唯一優しくしてくれた人。ただ優しいだけじゃなくて……とっても、心の強い人。そんなお姉ちゃんからは色々なモノをもらったし、教えてもらった。
 そのお姉ちゃんは、今すごく危ない状況になってる。元々そういう可能性はあるって言われてたけど、一番目の姉さんが賊に襲われて命を落とした事でそれを強く実感した。
 そして一番目の姉さんが死んだ事で、二番目のお姉ちゃんは一番目の姉さんの仕事を引き継ぐことになってしまった。もちろん護衛はつくけど、死んだ一番目の姉さんにだって護衛はついてたわけで……だから安心なんてできない。
 だからあたしは……末っ子だからクォーツ家の面倒な仕事には関わる事のないあたしはお姉ちゃんを守る騎士になろうと思った。

 騎士として、あたしが目指してる人はクォーツ家に仕えてる一人の女性騎士。
 昔は騎士と言えば男だったみたいだけど、魔法技術が発展した今は女の騎士も男と同じくらいいる。
 その女性騎士はすごく強くて、だけど気取らずに上品で……目指すと同時に憧れてる騎士。あの人みたいな騎士になってお姉ちゃんを守る。それがあたしの目標。

 だからあたしはセイリオス学院への入学を希望した。もちろん家族からは猛反対された。クォーツ家は守る側ではなくて守られる側だとか、身分を貶めるとか言われたけど、最終的にはお姉ちゃんのおかげで入学の許可が出た。
 なんだか最初の目的と矛盾してるような気もするんだけど、一番目の姉さんの仕事を引き継いだことで、お姉ちゃんの……こういう言い方は嫌なんだけど、家の中での発言力――みたいなモノが大きくなってて……初めは心配そうな顔をしてたけど、あたしが決めた道ならと、あたしを応援してくれた。
 でもそれで終わりじゃない。家の許可が下りても試験をクリアしないと入学はできない。試験はもちろん戦闘技術を見るモノ。護身術としての格闘技は教わったけど、戦う訓練っていうのはしてこなかったあたしは猛特訓した。
 騎士と言えば何かしらの武器を持ってるのが普通で、なんでもいいんだけど、あたしは不器用でどんな武器もしっくりこなかった。だからあたしは、いるにはいるけど数は少ないスタイルで騎士を目指す事にした。

 そして今から二か月前に、あたしはセイリオス学院に入学した。どこの学院も大抵は寮生活になるから、あたしはできるだけお姉ちゃんの近くにいれるっていうのと、名門って言われるここなら強くなれると思ってセイリオス学院を選んだ。
 名門っていうのは伊達じゃなくて、あたしと同じ年のはずの新入生たちは当たり前みたいに自分の武器を振り回してた。
 特訓したとは言っても小さい時から稽古を受けてる騎士の家の子たちには全然届かない。だけどあたしにはその子たちとは違う特技があった。それが魔法。
 クォーツ家は確かに守られる側だけど、魔法は普通に便利だし、それに魔法を使う生活っていうのが優雅で上品っていう考えが上の方にはあるから、あたしも小さい頃から魔法の勉強をやらされた。
 そりゃあ騎士の家の子も魔法の使い方くらい学ぶだろうけど、たぶん、あたしの方がよっぽど厳しく魔法の指導を受けてきた。優雅たれ、上品たれって散々言われてきたんだから。
 未熟な戦闘技術にちょっと先取りしてた魔法を追加して、あたしは同級生と同じくらいの強さにはなった。

 でも同級生と同じになる事が目的じゃない。こうしてる今も、お姉ちゃんは危険と隣り合わせで仕事をしてる。あたしは早く強くならなきゃいけない。
 一つでも多くの戦いを経験する。一つでも多くの戦術を学ぶ。戦いの歴史が騎士の強さだって、憧れの騎士は言ってた。
 もっとたくさん、もっと強い人と、もっと、もっと、もっと――

 あたしの家の事はすぐに学院の生徒たちに知られた。別に隠してもなかったし。
 最初は下心丸見えの連中ばっかり集まって来た。そんな連中にイライラしてたら、段々と寄って来る人はいなくなって、逆に距離を取られるようになった。
 場違いなお姫様。戦闘好きの戦闘狂。センスの無いあだ名をいくつもつけられた。だけどそんな事はどうでもいい。強くなれさえすればそれでいい。

 だけど変な所でその影響が出た。生徒同士の模擬戦がこの学院では認められてて、あたしは片っ端から他の生徒に模擬戦を挑んだ。
 でも全然意味がない。初めの頃はお姫様扱いで手加減されて、今となってはあたしの挑戦を受ける生徒なんて一人もいない。あたしが強いからとかそういうわけじゃなくて……もっと嫌な理由で誰もあたしの相手をしてくれない。

 強くならなきゃいけないのに――強くならなきゃお姉ちゃんを守れないのに。
 先生との戦いは禁止されてるから……あたしは戦う機会を、強くなるチャンスを失った。経験が積めない。戦術を知れない。強く……なれない。

 誰でもいいから……あたしを強く――だからあたしと――

第一章 田舎者の曲芸

 なんてこった。どうしてこうなったんだ。それもこれも全部フィリウスのせいだ。
「なんだよあの格好……田舎モンじゃんか。」
「ボロい服……ちょっと臭くない?」
 オレはいつもの格好でいつものように剣を握っているだけだ。いつもと違うのは、周りにギャラリーがいる事と、戦う相手が盗賊とかチンピラじゃなくて女の子だって事。
「どうしたのよ、構えなさいよ。あんた剣士なんでしょ?」
 目の前の燃え盛る女の子は既に戦闘態勢。
「……うぅ……」
 オレは半分ヤケクソに、剣を回し始めた。


「どういうことか説明してもらいたいな、少年。」
「……何をですか?」
 オレとその人の会話はそんな感じに始まった。普通ならこんなにきちんと対応はしないみたいなのだが、オレが持ってきた推薦状が気に入らないらしく……オレはその人の前で縮こまっていた。
 話は十分くらい前に遡る。

 フィリウスに置いて行かれてからたっぷり五分くらい立ち尽くしたオレは、どうにでもなれ的な感じで、校門の……警備の人? 守衛さんっていうんだっけか。んまぁ、そんな感じの人に……それでも「入学希望です!」だなんて恥ずかしくて言えないからフィリウスから貰った推薦状とやらを黙って渡した。
 渋い顔でそれを受け取ったその人は電話で一言二言会話した後、校門を開けてくれた。
 指差された方向におっかなびっくり歩いていくと、なんか豪華な建物の前で遠目でもわかるくらいに偉そうにしている金髪のにーちゃんが不機嫌な顔で立っていた。
「……物乞いなら他をあたれ。」
 まだ会話する距離じゃないのに、遠くから声を張り上げて金髪のにーちゃんはそう言った。オレの格好からそう言ったんだろうけど……失礼な奴だ。
 オレはムッとし、推薦状を突きだしながら前進する。すると突然、推薦状が何かに引っ張られてふわりふわりと金髪のにーちゃんの手に渡った。
「わざわざ羊皮紙まで使って……手の込んだことだな。ったく、いるんだよ。貴族とかじゃない庶民が進む所だからって推薦状に親の名前書いてやってくる奴とかな。田舎モンにはそういう風に認識されるのかもしれんが、その実態は――」
 金髪のにーちゃんはぶつぶつ言いながら推薦状を眺めていたのだが、突然目を丸くして推薦状とオレを交互に見だした。
「は……? はぁ? はぁっ!? んなわけあるか! いや、でも……ちゃんとサインに魔力が込められてるし……この魔力、かなり腕の立つ奴の魔――いやいやいや!」
 偉そうな金髪のにーちゃんは一人で百面相を繰り広げ、二、三分変な踊りを踊った後、オレを建物の中へと案内した。
 両開きの豪華な扉の前、金髪のにーちゃんがノックすると金髪のにーちゃんを三倍くらい偉そうにした偉そうな声が聞こえてきた。
 入ると、正面にあるデカい窓からの逆光を受けて顔色が暗く見える髭の長いおっさんが座っていた。いや、じーさんか。
「学院長、実はこの物乞――少年がこれを持って現れまして……」
 推薦状を受け取ったじいさんは上から下に目を動かし、そして一番下で止まった。
「!? 《オウガスト》じゃと……!?」
 ……よくわからないが、この二人はフィリウスの適当な偽名に驚いていたようだ。
「どういうことか説明してもらいたいな、少年。」
 偉そうなじーさんだけど、実際迫力はあってオレは気持ち縮こまる。
「……何をですか?」
「もしもこれが……いや、このサイン……つまり少年を推薦した者が本物であれば、これは相当に大事なのじゃ。少年は……《オウガスト》を知っておるのか?」
「いや……えっと、たぶんそれ偽名です。それをオレにくれたのはフィリウスっていう中年オヤジで……」
 じーさんがピクリと目を細めるのに対し、金髪のにーちゃんは首を傾げる。
「フィリウス? 誰だそれ。」
「……《オウガスト》の本名じゃ。」
「うえぇっ!?」
 金髪のにーちゃんが驚愕する。いや、だからそうだって今言ったし……
「ちなみに少年、《オウガスト》……いや、フィリウス殿の容姿を教えてもらえぬか?」
 殿!? あんなオヤジに殿!? 似合わないなぁ……
「えぇっと……ボロいローブとボロいズボンとボロいシャツを着てて……ムキムキで……髪は短くて黒くて……あ、デカい剣を持ってます。フィリウスの身長くらい――あ、フィリウスって二メートルくらいあるんですけど……あとは得意料理が丸焼き……そうだ、いびきがすごいです。あとは――」
「もうよい……」
 段々と容姿から外れていった説明にじーさんが険しい顔でそう言ったから、オレは再び縮こまる。
「いや、そもそもこのサインに込められた魔力からして間違いはないと思うのじゃが……」
 じーさんと金髪のにーちゃんが気持ちの悪い事にアイコンタクトで頷く。そしてじーさんはオレにこう言った。
「……推薦状は確かに本物じゃろう。じゃがそれだけでは入学を許可できぬ。少年の実力が入学に足るか否か。その剣、飾りではないのじゃろう?」
 じーさんはオレが私物の入った袋と一緒に持っている二本の剣を指差した。最終的に二本同時にと言われて二本もらったが、今のオレは一本しか使えない。
「少年の剣術、少し見せてくれんか?」
「……誰かと戦えって事ですか?」
「構えるだけで良い。そう……あの《オウガスト》が推薦するのであればそれなりのモノであるはずじゃからな。」
 意味は分からないが……構えるだけか。オレは何となく、嫌いな人間のリストに入った金髪のにーちゃんを敵だと意識して身構えた。そしてオレはいつも通りに剣を回す。
「んなっ!?」
「これはこれは……」
 部屋の中に剣の回る音が響く。
「少年、その剣術は誰に教わったのじゃ。」
「フィリウスからです……」
「……おそらくじゃが……二本同時に回せと言われておらぬか?」
「! そうですけど……今は一本しかできないです……というかこの曲芸剣術って有名なんですか?」
 オレがそう言うと、ぶはっと吹き出したじーさんは突然大笑いした。オレも驚いたが、金髪のにーちゃんもびっくりしていた。
「はっはっは! そう、そうじゃったの! 《オウガスト》――かの《オウガスト》はそれをそう呼んでおったな! うむ、認めよう。少年の入学を許可する。良き騎士となれ。」

 その後はなんだか流されるままだった。
 別の部屋に移動させられたかと思うと触った事もないくらいに良い生地でできた白い服を渡されて着替えろと言われた。
 見事な肌触りに感心しているとなんかよくわからない小物が入った箱をもらい、そのまま違う部屋へ。
「人数的に空きがあるのはここだけだ。お前は今日からこのクラスの一員だ。」
 金髪のにーちゃんはそこまで言うと扉をノックし、中でしゃべっていた女の人を呼んだ。金髪のにーちゃんと女の人がチラチラとオレを見ながら何かを話す。
 良い予感は一つもしない……オレはこれからどうなるんだ……?



 その日のその時間、あたしのクラスは騎士の歴史の授業をしてた。昔の誰かが何をやったなんて興味はないんだけど、時々昔のすごい騎士の戦い方とか武器が紹介されるから、それだけを楽しみにあたしは授業を受けてた。
 そしたら突然教室にノックの音が響いた。先生は何事かと扉を開いて……そこにいる誰かに何かを言われて、教室から外に出た。
 数分後、先生は一人の男子を連れて戻って来た。
 見るからに新品の制服を着たその男子は、いきなりサーカスのステージにあげられた観客みたいにそわそわしながら先生の後ろを歩き、そしてあたしたちの方を向いた。
「あー……えーっと……お前ら、編入生だ。」
 一瞬教室が静かになって……すぐに騒がしくなった。
「え、どういう事ですか、先生!」
「こんないきなり!? 何か訳ありですか!?」
 それぞれに質問を飛ばすクラスの連中たちに対して、先生は静かにグーにした手を上に挙げる。それを見た途端、みんなは再度静かになった。
「私だってさっきいきなり言われたんだ。こいつが誰かなんて知らねーよ……おい、自己紹介しろ。」
「じ、自己紹介? なんか学校みたいですね……」
「あ? ここは学校だろうが。」
「? 学院じゃ……」
「どっちも大差ねーよ! てか同じだ!」
 クラス中が笑い出す。本人はどうして笑われたのかもわかってない感じだった。
 クラスの男子と比べても背が高い先生と同じかそれよりちょっと上くらいだから身長は結構ある。変にとんがらせたりおでこを出したりしてない、そのまんまの黒い髪に、その……それなりに整った顔をしてる。べ、別にカッコイイとか思わないけど、キザな事を言ったりしても様になりそうな男子。だけど本人の「間違ったとこに来ちゃった……」っていう表情がそういうのを台無しにしてる。なんていうか、残念な男子だった。
「んで、お前はどこの誰なんだよ!」
「オレは……オレの名前はロイド・サードニクス……です。」
「だそうだ。サードニクスんちのロイドくんだ。とりあえず……上の方、いくつか空いてる席あんだろ? どっかに座れ。私は授業をしたいんだ。」
「はぁ……」
 言われるがままにトボトボと段をあがってくる突然の編入生。入学した時に貰う小物入れみたいな箱を持ってるから、本当についさっき来たって感じ。
 あたしは一番上の段の隅っこに座ってるから、あがって来るその男子をなんとなく見てた。そして、その男子が持ってる二本の剣が目に入った。
 そうだ……入って来たばっかりのこの男子なら、あたしの事なんて良く知らないし……戦ってくれるかもしれない。

 しばらくすると鐘がなって休み時間になった。今日は歴史の授業が午前中最後の授業だから、この休み時間はつまりお昼休み。
 あたしはすぐに立ち上がった。そんなあたしを見て嫌な顔をする先生と、編入生を取り囲もうとするクラスの連中が立ち止まるところが見えた。
「まじかよ……さすが戦闘狂……」
「来たばっかの子にいきなりとか……うわぁ……」
「おいクォーツ! 私は昼飯を食べたいんだ!」
 クラスの連中のヒソヒソ声……あと先生の大きな声が聞こえたけど気にしない。
 あたしは、その男子の横に立った。



 鐘がなった。見ると机の上にお弁当を広げる生徒が目に入った。という事は、今は昼休みなわけだ。
 授業の内容はチンプンカンプンだったが、この雰囲気は懐かしく感じた。フィリウスに会う前はもちろん、オレだって学校に通っていた。その頃をなんとなく思い出したのだ。
 オレは学院ってのは……こう、なんか学校とは違うモノだと思っていたのだが、この黒板に向かう感じとか鐘とか、オレの知っている学校と同じだった。んまぁ、オレが通っていた学校は教室がこんな階段みたいにはなってなかったけど……
 それでも、これからこういう所で生活する……んだろう、たぶん。入学は許可されちゃったわけだし、これがオレの日常になるのだろう。そう思うと少し不安だったけど、こういう見慣れた感じを見つけられたから少し安心した。
 フィリウスが何でオレをここに入学させたのかはよくわからないが……フィリウスの事だから考えがあるのだろう。たぶん。
とりあえず昼休みらしいし、まずは昼飯を食べて落ち着こう。
 あ、でもオレお金を持っていな――

「あんた。」

 いきなり剣を質にいれるわけにはいかないよなぁと考えていたら、結構近い距離からそんな言葉が聞こえた。いつの間にかオレの横に誰か立っている。それに気づき、横を見て最初に目に入ったのはスカートだった。白くて、黒いラインの入ったオシャレ? なスカート……あ、いや、これは制服か。
 街の学校じゃそういうモノを着るって聞いていたが……みんなが同じ服ってんで軍隊みたいな服を想像していたのだが、案外と良い服だ。生地もいい。
 この学院の制服は白が基調らしいのだが、スカートから視線を上に向けていくと次に目に入ったのは赤だった。これは……髪の毛だな。
 そしてようやく一番上に視線を持ってきたオレは、自分の横に立っているのが女の子だという事に気づいた。いや、スカートの時点で気づけよって感じだが、あんまり見ない服だからすぐに女の子の服って事につながらなかった。
 オレの横にいつの間にか立っていた女の子は相当可愛かった。それとも美人って言うのが正解なのか……とにかくそんな感じだった。腰くらいまである赤い髪の毛と……なんて言うんだろうか。女の子の髪型には詳しくないからあれだが……ポニーテールのポニーテール部分を頭の横にくっつけたような髪型をしていた。両側につければバランスがいいと思うのだが、その女の子は向かって右側にしかついてなかった。
 そんなちょっと間違えたポニーテールになっている赤い髪の毛はただの赤色と言うよりは炎と言った方がしっくり来る感じだ。
 加えて瞳の色も髪と同じ炎の色。これは純粋に……きれいだと思った。
 そしてそんな燃える色合いを際立たせるのが白い肌。あ、別に具合が悪そうとかそういうんじゃなく、きれいって意味の白い肌だ。
 そういう、良い感じの女の子なのだが……その表情はえらく不機嫌そうでムスッとしていて、可愛い顔が台無し――うわ、可愛い顔が台無しだなんて初めて思ったぞ……

「来たばっかりでここの校則も知らないと思うから、教えるついでにあんたに挑戦するわ。」
「……はい?」
「あんたに模擬戦を申し込むって言ったの。」
「モギセン……?」
 オレはよくわからないので助けを求めて視線を女の子から外して周りの生徒たちに彷徨わせる。すると目の合ったキリッとした女の子が口を開いた。
「模擬戦というのはつまり手合せって事だよ、編入生くん。」
「手合せ……稽古をつけるみたいな感じですか?」
「ちょっと違うけれど……そんな感じだな。」
「要するに。」
 横に立つ赤い女の子が口をはさむ。
「あんたとあたしが戦うってことよ。」
 ムスッとした顔でオレを見下ろす赤い女の子。この子と戦う……
 そうか……さすが騎士の学校と言ったところか。たぶん、いつでも生徒同士で競い合えるようなルールがあるんだ。そして今、オレはこの子に挑戦されたわけだ。
 昼飯を食べようとは思ったけど、実はさっき食べたばっかりな事に気づいたし、そうなるとやる事のないオレは――
「……別にいいですけど……」
 と言った――のだが、すぐにやっちまったと思った。オレみたいなのが騎士を目指す人と戦ってどうにかなるとも思えない。
「じゃ、そこでやるわよ。」
 赤い女の子はそんなオレの後悔も知らず、窓の外を指差す。外には気持ちよさそうな芝生の中庭があって、何故か真ん中あたりだけ芝生がなかった。
 なるほど……あそこが闘技場みたいな所なんだな。
「行くわよ。」
「ちょ、ちょっと待った!」
 すごく戦いたくなくなったオレはとっさにそう言った。赤い女の子がオレを睨む。
 ああ……もう逃げられない感じだ。か、覚悟を決めろオレ……
 あ、でもこの服で戦うのか?
「あー……オレ、この服、着慣れてなくって。動きにくいから着替えていい……でしょうか?」
「……いいわよ。」

 そうして数分後、素晴らしい肌触りの制服をたたんで肌触りの良くない、だけど落ち着くいつもの服を着て中庭に出た。
 何故か、中庭にはたくさんの生徒がいた。ギャラリーってやつか。
「お姫様が編入してきた奴に挑むんだと。」
「うわ、容赦ねーなぁ。来たばっかなんだろ?」
「え……まさかあの男子がその編入生なの? なんなの、あの服?」
「物乞いかしら。」
 また言われた。そんなにダメか、オレの私服。
 色々言われて若干気分が沈んできたが、オレを待ち構える赤い女の子の姿を見てそんな事は気にならなくなった。
 女の子は腕を組んで待っていた。別に服は変わっていないのだが……燃えている。
 あの良い感じの女の子には似合わないけどあのムスッとした顔には似合う、両手両足に装着された……何と言えばいいのか、鉄でできた手袋と靴的なモノ。甲冑の頭の部分とか胸とか腰につける部分をとっぱらって手足の部分の装備だけ残した感じの格好なのだが……その装備から火が出ているのだ。
 腕を組んでいるからその火はもろに顔とかにあたっているのだけど、本人は平気な顔をしている。あれは……ああいう魔法なのか?
「あー……んじゃ始めるぞ。」
 オレと赤い女の子の間にさっきの先生が立った。なんか機嫌が悪そうだ。
「私がやめっつったらやめて、勝ちっつった方が勝ちな。」
 なるほど、この手合せ……模擬戦は先生が審判になるわけか。
「ほんじゃ、両者構え。」
 赤い女の子が構える。武器は無く、火を吹いている手足の甲冑だけを身に着けている。そしてあの構えは……たぶんパンチやキックの格闘をするポーズだ。
 これはまずい。どうしたもんか。
 オレは今まで相手の武器を弾き飛ばすことで「勝ち」って状態を作ってきたから……赤い女の子みたいに身に着ける武器相手だとどうすればいいのかわからない。
 ん? というか待てよ?
「あ、あのー……」
 オレは恐る恐る赤い女の子に話しかけた。赤い女の子はムスッとしたまま「なに?」という風にオレを見る。
「み、見た感じ格闘技? 的なモノで戦うんだと思うんですけど……その、その格好でやるんですか?」
「……問題ある?」
「いや、だって! その装備からして……キックとかもするわけなんですよね? その格好でキックはまずいんじゃないかなーと……」
 そう、赤い女の子の服はさっきと変わってない。つまりスカートなのだ。スカートでキックは……まずい。
 赤い女の子は自分の服をチラッと見て、そしてオレをさらに睨む。
「心配しなくていいわよ。どうせ何も見えないんだから。」
「へ? でも……」
 オレがおどおどしていると赤い女の子はさらにムスッとして少し声を荒げる。
「どうしたのよ、構えなさいよ。あんた剣士なんでしょ?」
「……うぅ……」
 オレは半分ヤケクソに、剣を回し始めた。それを見たギャラリーは……面白い事に二種類の反応を見せる。
 一つはいつもと同じ。
「? なんだあれ。まさかあいつ、サーカスの奴なのか?」
 という、笑い声が混じる馬鹿にした反応。こっちが大多数だった。
 そしてもう一つ。
「な……」
 何をやっているんだ? という感じではなく、オレの曲芸剣術を知っていて、その上でオレがそれを使う事が予想外というような反応。
「これは驚いたな。」
 後者の反応をした内の一人である先生がそう言った。
「それを使える奴がまだいるのか、んな古流剣術……ま、いいや、始め!」
 周囲の反応はともかく、オレの相手である赤い女の子はオレの回る剣を別に気にも留めずに走り出した。もちろん、オレの方に。
 中庭のこの闘技場っぽい場所の端と端にオレたちは立っていて、間の距離は十メートルくらい。その距離を比較的普通の速さで走って来る赤い女の子――だったんだが――
「えぇっ!?」
 半分くらいを走り終えた時、突然赤い女の子の足元が爆発した。そしてその勢いに乗って赤い女の子がかなりの速さで迫る。
「うわわわ!」
 そのままの速さで打ち出されたパンチ。オレはビックリして横に跳ぶ。だけど再び赤い女の子の足元が爆発し、間髪入れずにオレの方に飛んでくる。爆発の勢いで少し高めに飛んだ赤い女の子は、足の装備が吹き出す更なる爆炎の勢いに乗り、空中で一回転しながらオレにかかと落としを放つ。
 その一撃を何とか回避したオレは、避けた直後にすごい音と共に赤い女の子の足が地面にめり込むのを見た。
 そうか、爆発しているのは足元じゃなくて足の装備か。走り出す瞬間とか、キックを打つ瞬間に爆発させる事で……地面を砕く程の威力を得るってわけだ。
 たぶん……パンチの方も。
「っ!!」
 などと、赤い女の子の技について考えていたらいつの間にか迫られていた。
「はぁっ!」
 目の前で放たれる、文字通り爆速のパンチ。しかもそのパンチは炎を尾に引いていて、手を避けても炎が回り込んでくる。それを避けようとして大きくのけぞるオレに、赤い女の子はキックを放つ。
 オレと赤い女の子は結構身長に差がある。だけどオレの顔まで届くキックが放たれた。普通なら、それはさっきオレが心配したこと……即ち、スカートの中が見えるというアレになるのだが……赤い女の子の言う通り、何も見えなかった。
 何故ならオレの視界は、炎で埋め尽くされていたからだ。
「くっ……!」
 そのキックをなんとか避けたと思ったら、パンチとキックの猛攻が炎の中からオレに迫る。
 攻撃が放たれる度に尾を引く炎が周囲に舞う。言い換えれば、炎を出している手足の装備よりも後ろが見えないという事だ。
 スカートどころか赤い女の子の姿がまるっきり見えない。次の攻撃が予測し難い。しかもその一撃は物凄く速くて、威力も高い。
 良くできているというか何と言うか。これが騎士を目指す人の力か……!
 オレはただ剣を回し、弾くこともできない赤い女の子の攻撃をひたすら避けた。
 どうすればいいのか。たぶんもっと離れて見れば、赤い女の子が炎に包まれているだけで、例えば遠くから攻撃できるのなら問題はない。
 だけどオレの武器は剣だし、フィリウスみたいに剣を思いっきり振ったからってすごい風が起こるわけでもない。オレも、攻撃するには近づかないといけないのだ。
 でも近づけば近づくほどに赤い女の子は見えなくなり、攻撃する余裕もないくらいの猛攻が迫る。
 どうすりゃいいんだ……



 剣を回し始めたから何事かと思ったけど、いつも通りに戦ってみれば何てことはなかった。確かに身のこなしは中々みたいで、結構よく避ける。だけどそれで手一杯って感じで反撃もしてこない。 
 この勝負は時間の問題。そう思ってたんだけど……あたしはある事に気づいた。
 この編入生は、炎まで避けてる事に。
 火を出す魔法を習う時にいっしょに習うのが熱から身を守る魔法。自分で出した炎で火傷とかしないようにするモノで、火を出せるなら誰でも使える。
 そして、全部で十二種類の系統がある魔法だけど、その全系統の初歩は学院に入学して五日目くらいで習う。あたしはもう家で全部やってたけど……とにかく、普通に入学して普通に勉強してればあたしの炎を避ける必要なんかない。
 すごく高度な魔法で生まれた炎ならそんな初歩の耐熱魔法じゃ防げないけど、あたしのこれはそんなにすごい魔法じゃないから……同級生なら誰でも防げる。
 ま、あたしだってそういうつもりで炎を出してるわけじゃないから、熱でのダメージなんて考えてないんだけど。
 ともかく、炎を避けてるこの編入生は、要するに魔法が使えないんだと思う。ちゃんとした家柄がありそうにも見えないから、たぶん習ってもいない。
 だけど――だけど問題はそんな事じゃない。
 時間の問題だと思ったけど……全然当たらない。というか、始まってから今まで結構攻撃してるのに一発も当たってない。かすっても……いない。
 炎を避けるっていう余計な事をしてるこの編入生に、あたしは一発も……!
「……! なんでっ!」
 思わずそういう声が出た。
 もしもあたしの技の攻撃範囲に炎を含めるなら……それはたぶん、この編入生が持ってるくらいの剣を振り回すのと同じような範囲になる。
 攻撃範囲は剣のそれだけどパンチやキックみたいに細かく、手数が多い。そんな剣術の達人が振る連続切りみたいな攻撃を、たまにギリギリだったりするけど全部避けてる。
 この編入生……「避ける」っていう技術で言えば……ううん、もっと言えば体術っていう点で、あたしよりも遥かに格上だ。
「! このぉっ!」
 攻撃の速さを上げるあたし。そんなに筋肉のない……普通な感じのあたしが地面に穴をあけるくらいの攻撃を打てるのは、魔法で生んだ炎を使ってガントレットやソールレットの中で爆発を起こし、その時の勢いを推進力にして速さと力を増してるから。
 だけどこれは爆発の威力を上げ過ぎるとあたしの腕や脚にも負担がかかる。
 今のあたしの全速力での攻撃。だけど相変わらず避けられる。
 それに……なんて言うのか……避けられるのもそうなんだけど……
 なんか狙いがズレる……?

「やめろっつってんだろが!」

 突然、あたしのパンチが止められた。ビックリして前を見ると、先生があたしのパンチを手の平で止めてるのが見えた。
「ったく、お前は周りで炎をボーボー出すから外の音が聞こえにくいんだよ。言っとくが、これって欠点だかんな。」
「何で止めるのよ! まだ勝負は――」
「私がやめっつったらやめろって言っただろ。それに理由はちゃんとある。」
「……なによ。」
「このままじゃいつまでたっても勝負がつかないんだよ。今のおまえじゃ一日中やってもあいつには当てらんないし、あいつはあいつでお前を攻撃する方法が無い。」
 あたしは編入生を見る。もう剣を回すのはやめてて、なんでか知らないけどビックリした顔をしてる。
「加えて言えば、私が昼飯を食う時間が無くなる! おら、さっさと散った散った!」



 見えなかった。赤い女の子の攻撃に集中してたってのは確かにあるけど、気づいたらオレと赤い女の子の間に先生がいて、地面を砕くパンチを片手で止めていた。
 ビックリしたのはそれそのものじゃなくて……そういう事ができる人が、フィリウス以外にもいるって事にビックリした。
 あの炎が騎士を目指す人の実力なら、今の一瞬がそんな人たちを育てる人の実力だ。

 模擬戦は先生の「散った散った」で終わり、普通に昼休みだし、先生が言うように昼飯を食べる時間だからか、ギャラリーは思い出したようにどこかへ走って行った。お弁当を持ってきている人がいたから給食当番だったって事はないだろうけど……あんなに急いでどこに「散った」のやら。
 その後、腹の減っていないオレは着心地の良い制服にゆっくり着替え、若干迷いながらのんびりとさっきの教室に戻って来た。既に何人かの生徒が戻ってきていて、あの赤い女の子もいた。
 昼休みが何分あるのか、次の授業はなんなのか、それを誰かに聞こうと思い教室の中を見回したんだが、何故かみんなオレと目を合わせようとしない。
 そう言えば聞いたことがある。街の学校じゃ誰かを無視したりするのが流行りらしい。何が面白いのかよくわからないが、街の流行は大抵理解できないし……んまぁ、いいか。
「すまないな。」
 諦めてさっきの席に座ろうと段をあがっていると、途中で誰かが話しかけてきた。
「ざっと分けて二つの理由から、みんなは君と距離を取っている。」
 その人はさっき模擬戦の説明をしてくれたキリッとした女の子だった。いや、女の子と言うとイメージが合わないかもしれない。どっちかと言うと女性か。
 長い……いやホントに長い黒髪――うん? 濃い青かな。んまぁそんな感じの髪でその長さは床に届きそうなくらいだ。結んだりはしていなくて、まっすぐに伸びた髪の毛はさっきの赤い女の子とは違う意味できれいだった。手入れされたきれいさとでもいうのか。
 でもって頭にハチマキ……じゃないな。これは確かカーテン……カー……あ、カチューシャだ。確かそんな名前のモノをつけている。色が白だから髪との関係でえらく目立つ。
 服装は……んまぁ、制服なのだが、赤い女の子を見た時と印象が違って見える。何かが……あ……ああ、む、胸……か。い、いやらしい話だけど、フィリウスが「うひょー」って喜びそうな……感じだ……
 まとめると、同級生だから同い年のはずなのに三つくらいは上なんじゃないかと思う大人びた女性だった。
「あー……さっきはその、模擬戦の事を教えてくれてありがとうございます。」
「別にあの程度、礼をもらったらお釣りを返さなければならないじゃないか。」
 ふふふと笑う女性はオレの方に手を出してきた。
「わたしはローゼル・リシアンサス。よろしく。」
 一瞬、騎士と言えば女性の手にはキキ、キスなのか!? と思ったのだが……んまぁ、普通に握手だよな。
「オレはロイド・サードニクス……ってさっき言いましたね。」
 軽く握手をし、女性が促しながら座ったのでオレも座る。オレと女性は通路を挟んで向かい合った。
「確かにさっき聞いたが、ただの自己紹介と名前の名乗り合いは別物だよ。それと、敬語は使わなくていいぞ。わたしと君は同い年なのだから。」
「そうです――そ、そうか。えぇっと……ちなみになんて呼べば……?」
「なんでもいいぞ。」
 ローゼル・リシアンサス……「リシアンサスさん」じゃ言いにくいから……
「じゃあ、ローゼルさん――かな。」
「? 敬語ではなくなったのに呼ぶ時には「さん」をつけるのか?」
「……何となく。オレの事は大将――いや、ロイドで。」
「うむ。」
 ローゼルさんはニッコリとほほ笑んだ。うん、やっぱり「さん」をつけないと。そうでないといけない気がする。
「えぇっと、ローゼルさん、さっそくで悪いんだけど……お昼休みってあと何分?」
「あと十五分というところだな。ちなみに次の授業は魔法の実技だから五分前になったら移動した方が良いな。」
「魔法の実技!? オレ何もできないんだけど……」
「そうみたいだな。さっきの模擬戦でも火を避けていたし。」
「?」
「その内わかるさ。まぁ今日は初日だし、君は見学という感じじゃないだろうか。」
「おお、よかった。」
「しかし編入するならするで、何故あんなお昼前の時間に来たのだ?」
「ここへ入学するように言われたのが昼前だったから……」
「? 何やら複雑な理由がありそうだな。まぁ、それはまた今度聞くとしよう。」
 そう言うとローゼルさんは優雅に立ち上がった。揺れる髪からいい匂いがする。
「あれ? まだ五分前じゃあ……」
「わたしは授業の準備をしなければならなくてな。先に行くよ。教室の場所は――」
 その時、ローゼルさんはふといたずらっ子のように笑って赤い女の子の方を見た。
「君が戦った彼女に聞くといい。魔法の実力はトップクラスだから、一緒に授業を受ければ勉強になるかもしれないしな。」
「そうか。ありがとう。」
 ローゼルさんが教室を出た後、オレは一番上の段の隅っこに座っている赤い女の子を見る。相変わらずムスッとした顔でオレの方を見て――ん?
「!」
 オレと目が合うと赤い女の子はプイとそっぽを向いた。
 あれ、オレの事を見ていたような……何でまた……あ、まさか勝負がついてないからか? 再戦を申し込まれたらどうしよう……とか、そんな事を思いながら段をあがり、オレは赤い女の子の横に立った。
「あ、あのー……」
「……なによ。」
「え、えっと……ローゼルさんから、あのー……次の授業の教室に、あなたに連れて行ってもらえと言われまして……」
「…………別にわざわざあたしが連れて行かなくても、誰かの後をついて行けば教室にはつけるわよ。」
「そ、それと! あなたの魔法はトップクラスだから……その、参考になるよって言われたんです。オレ、魔法は全然だから……えっと……」
「……勝手にすればいいわ。」
 赤い女の子は机の中から教科書みたいなのと筆記用具を引っ張り出してスタスタと歩き出す。オレは慌ててその後についていった。



 午後の授業。要するに今日、最後の授業。魔法の実技はあたしにとって初歩のおさらい程度の内容だ。この学院に来て初めて魔法を習う人もそこそこいるから授業は本当に最初っからやるんだけど、それで言うとあたしは一年生で習う分はもう家でやってることになる。
 ま、それでもあたしが苦手な水系の魔法とかも一からやれるから全部ムダって事にはなんないんだけど。
 だけど今日は全然授業に集中できなかった。あたしの斜め後ろにあの編入生が座ってるからだ。
 本人が言ってた。魔法は全然って。
 それは……もしも魔法が使えてたなら、あれほどの体術を身につけてるこいつとあたしではまるで勝負にならなかったって事。軽く避けられて、軽く反撃されてた。
「っ……!」
 入学してから今までにやった模擬戦は……ほとんど手を抜かれてたし、今じゃ誰も相手にしない。だからあたしは、本気の模擬戦というのをやったことがない。
 そしてたぶん、編入生は何も知らないで戦ってたからあたしの家柄を気にして手加減って事はないと思う。だから……今日が初めての本気の模擬戦。そして見せつけられた、圧倒的な実力の差。
 あたしって、まだ全然だったんだ。これじゃあ……こんなんじゃ十二騎士なんて――



 今日の授業は終わったらしい。それを待っていたみたいに、魔法の実技の教室を出ると金髪のにーちゃんがいた。
「来い。」
 連れて行かれたのは教室がある建物の一階の隅っこにある小さい部屋。
「本当なら寮で生活するんだが、お前は今日突然だったからな。部屋の準備が全然できてない。とりあえず今日はここで寝ろ。」
「はぁ……」
「それとこれな。」
「? なんですかこれ。教科書?」
「入学した時に配られる……ま、この学院のルールとかが載ってる本だ。学院の地図も載ってるし、ほら、箱渡したろ? 色々入ってるやつ。あの小物の使い方も書いてあっから、読んどけ。んじゃな。」
 そう言って金髪のにーちゃんは出て行った。
 部屋はちょうど、オレがいた村の学校の宿直室みたいな広さの――というか宿直室なんじゃないか? ここ。
 オレはとりあえず、たたんである布団に寄りかかりながらもらった箱をひっくり返して小物を並べる。んでもって金髪のにーちゃんがくれた学院の説明書を読む。
 本を読むなんていつぶりだろうか。そんなオレだからいきなり最初から最後まで読むのはちょっときつかった。だから目次を眺めて、まずは「学院での生活」ってところを読むことにした。

 学院は基本的に寮生活。敷地内に寮があるらしく、そこで暮らすみたいだ。とは言ってもカンヅメじゃないみたいで放課後とか休みの日は出かけてもいいみたいだ。
「休みの日に遊びに行く場所が首都って……すごいな……」
 フィリウスとあちこちまわっていた時も大きな街にはあんまり行かなかったから、こう……オシャレというか賑やかというか、そういう所をグルグルと歩いてみるというのは楽しそうだ。
 次に読んだのはご飯についての説明。朝昼晩と三食あって、基本的には学食を使うらしい。んまぁ、寮の部屋には台所もあるみたいで、そこで三食作っていいとも書いてある。ついでに言うと別に外で食べてもいいらしい。ただし、昼だけは敷地内で済ませること……
 ん? 学食? 学食ってなんだ? 文字から考えるに食べ物がある場所なんだろうけど……なんだろう、タダでご飯をもらえるのかな……
「んー……ああ、そういうわけじゃないな。お金を払う……ん? カード? ああ、この白いのか。そういや目次に「カードの使い方」ってのがあったな。」
 なになに、月単位で学院から生活費が支給され――まじか! うわ、結構な額……
「……さすが名門。んまぁ、そうやって未来の騎士を立派に育てるんでしょうなぁ……」
 んでそのお金はカードにチャージされ――カードにチャージ?
「要するにこの白いカードがお金の代わりになるのか? 貨幣とか紙幣はもう地方にしかないのか?」
 んまぁいいか。ここじゃこれがお金。よし。
「ついでに……これが学生証……これが学院のバッヂ……これが――」

 それからしばらくの間、オレは小物の説明を読みふけった。気が付くと外は暗くなっていて、腹が鳴りだした。
「ああ……んじゃそこら辺で何か採って――ってそうじゃない。学食とやらに行ってみよう。地図地図……」
 夜だっていうのに、街灯がきっちり整備されているおかげで道には迷わな――いや迷ったんだけど、広い敷地内をグルグル歩いてようやく学食ってのに到着した。
 たぶん、お昼休みに「散った」ギャラリーはここに移動したんだろう。
 しかし、これはつまり食堂だな。学食とかいう知らない言葉は使わないで……ああ、学院の食堂で学食か。なるほど
「おお、広い。机とか椅子がたくさんある。図書館みたいだな。」
 本の代わりにいい匂いが漂う。さて……
「問題はこのカードの使い方だ。」
 オレは、あの赤い女の子が言ったように誰かについて行ったりすればカードの使い方――つまりこの学食でのご飯の食べ方を見られると思っていたんだが……なんか人が少ない。
「――って、もうこんな時間だったのか!」
 学食の中に置いてある時計を見て、オレは初めて今の時刻を知った。もう十時前だ。夕飯時をとっくに過ぎている。
 ど、どうしよう……ん? あれは……
 広い学食を見回していると、結構見慣れたモノが目に入った。そう、赤い髪の毛だ。隅っこのテーブルにポツンと座っている。
 また誰かのマネをすれば的な事を言われるかもしれないが、今はほとんど人がいない。きっと教えてくれるだろう。

「あ、あのー……」
 オレが話しかけると、赤い女の子はムスッとした顔でオレを見て、さらにムスッとした。
「……なによ。」
「えぇっと、これ! これの使い方がわからなくて……教えてもらえたらなーっと……」
 赤い女の子は軽く周囲を見回す。食べている人や片付けている人はいるけど、今からご飯をゲットしようとしている人はいない。
「…………ついてきなさい。」
 大きな村とか街で見る自動販売機みたいな機械まで連れて来られ、この学食の仕組みを教わり、食器を片づける場所とかを指差してもらったオレは、そこまで説明してスタスタとさっきの席に戻る赤い女の子にお礼を言って機械の操作を行った。
「なるほど、ここに残金が――残金? あ、そうか。なんかよくわからないけど、このカードの中にお金が入っているんだったな。んでそこから使った分が引かれると……」
 外の店でも使えるらしいんだが……便利だけど怖いな。これ無くしたら終わりじゃないか。財布みたいに重みもないし……盗まれても気が付かないぞ、こりゃ。
「首から下げたりした方がいいかもなぁ……」
 そんな事を考えながら、オレは「から揚げ」という何だかうまそうなモノを買った。買ったと言ってもお店の人がいるわけじゃなくて、ボタン押したらガションガション音がしてチーンって料理が出てきた。中はどうなっているのやら。
「……」
 もちろん座って食べたいんだが……これだけ空いてる席があると逆に困る。
 あ、そういえば赤い女の子、見たとこまだ食べ始めたばかりみたいだし……よく考えたら名前も聞いていない。話をしながら食べよう。
 再び、一人でポツンと座っている赤い女の子のところへ行く。
「あ、あのー……」
「……なによ。」
「ご、ご一緒してもよろしいかなーと……」
「……なんでよ。」
「ちょ、ちょっと話がしたいというか……あ、いや、と言っても名前が聞きたいだけなんですけど……」
 オレがそう言うと、赤い女の子はさらにムスッとした。
「……なんでよ。」
「せっかく戦った相手だし、ほら、オレにとっちゃ入学して最初の相手だったわけだし……あ、あと、魔法が上手みたいだから……色々と教えてもらえたらなぁ……とか。い、いや、後ろのはついでというか、できればで――」
「エリル・クォーツ。」
 オレがわたわたしていると赤い女の子はそう言った。
「えぇっと……?」
「あたしの名前。エリル・クォーツ。」
「エリル・クォーツ……さん。あ、オレはロイド・サードニクス……って知ってるか。なんか、さっきもこんな会話したな。」
 オレがローゼルさんとした会話を思い出していると、赤い女の子――クォーツさんは少し驚いた顔をしていた。
「あんた……知らないの?」
「え? 何を?」
「クォーツよ。クォーツ家!」
 赤い女の子が怒った……とはちょっと違う顔で声を荒げた。
「? あ! もしかして名門騎士ですか!? す、すみません、オレそういう……どこの家がすごいとか知らなくて……」
 クォーツさんは目を丸くする。
「……あんた、この国の王の名前は言える?」
 それは流石に……と思ったけど、出てこなかった。一応学校の授業で習ったはずだが……もう六か七年前の事だ。それにここ数年、新聞も読んでないし……
「…………すみません。オレには……遠い世界の話だったし、政治とかわからないし……」
「……」
 オレがそこまで言うと、何か……こう、複雑な顔になる。だけどそんな読み取りにくい表情の中に、どこかホッとしたような感情が見えたような気がした。
 いや、気がしただけだけど。
「あ……あの、ここ座っても?」
「……! い、いいわよ、別に……」
 ムスッとした顔的に断られると思っていたんだが、クォーツさんは許してくれた。オレはクォーツさんの向かいに座り、はしを持つ。
「いただきます。」
 から揚げ……おお、肉だ肉。ん、うまい! なんかジュワっとした! 白飯と合う! こっちはなんだ? スープ……なんだこのスープ、うまい!
「……」
 オレがもりもり食べている前で、クォーツさんは自分の前に置いてある料理に手を付けずにオレを見ていた。料理が冷めるんじゃないかと、オレはクォーツさんに話しかける。
「あのー……クォーツさん? 食べないんですか?」
「……え? た、食べるわよ!」
 クォーツさんが食べているのはシチューだった。そういえばそういうのもご無沙汰だな。今度はそれにしよう。



 信じられない。あたしの前でから揚げを食べてる男子は、王の名前を知らないと言った。王の名前を知ってるのなら、その苗字とあたしの苗字が同じって事に気づく。大抵は苗字を言うだけであたしがどういう人間なのかみんながわかった。
 だけどこいつはわからなかった。下手すれば二年生とも戦える体術を持っていて、魔法を使えれば一番上の三年生とだって戦えるかもしれない。あたしよりも騎士に近いこいつは……それなのに守る相手の名前を知らないと言った。
 じゃあなんでこいつは――
「……あんた。」
「はい?」
 ご飯を口に入れる直前の姿勢で止まる編入生。
「王の名前も知らないような奴が、なんで騎士を目指してるのよ。」
「……別に目指しているわけじゃないんですけど……」
「はぁ?」
 あたしが思わずそう言うと、編入生ははしを下ろして困ったような顔で答える。
「いや、オレは今日いきなりここに入れって言われて……」
「何よそれ、誰に言われたのよ。親?」
「オレの命の恩人に。」
 あたしはドキッとした。べ、別にそういう意味じゃなくて……その一言の時だけ空気っていうか、雰囲気が変わった。だけどそれはやっぱり一瞬で、すぐに……なんていうか、すっとぼけた顔に戻る。
「フィリウスは……あ、その恩人なんですけどね。盗賊に家族を殺されたオレを拾って育ててくれたんですよ。剣もフィリウスに教えてもらって、正直なんでそんなもの教えてくれるのかわからなかったんですけど……でも他にやる事なかったし、せっかく教えてくれるんだから教わっとこうと思って。」
 フィリウス……フィリウス? どっかで聞いた気がするけど……その恩人がこいつに剣術を教えたのなら、たぶんそいつは結構な達人。
「あんた、剣を習ってどれくらいになるの?」
「えぇっと……六、七年ですかね。」
 長……くはないわ。騎士の家に生まれた子なら物心ついた時から訓練を受けるものだから、軽く十年は超える。
 それでも……一年とちょっとしか体術はやってないあたしじゃ……そうね、こいつに勝てるわけはないわ……
 だけど――
「つまりあんたは、守りたいモノがないのに騎士を目指すって言うのね。」
「……んまぁ。」
「それ、少しイライラするわ。」
「えぇ?」
 あたしは、あたしの目的を思い浮かべながら編入生を睨みつける。
「騎士っていうのはね、何かを――誰かを守る人の事なの。ただ強いんじゃそこらの……賊と変わらないわ。将来的に貴族とか王族を守る……守りたいから、騎士を……」
 あたしはそう言いながらも、この学院にいる全員がそうじゃない事を知ってる。あたしはお姉ちゃんを守るために騎士を目指してるけど、家が騎士の家だから仕方なくとか、一般の人でも高い地位を得られるからとか、そういう理由でここにいる人を知ってる。というかそういう人ばっかりだわ……
「確かに、今はいないですけど……」
 あたしがさらにイライラしてると編入生が口を開いた。
「でも、それって今クォーツさんが言ったみたいに、将来的に誰かを守ろうとしている人と大差ないと思いますよ。今はいない。」
「そんな屁理屈……」
「……たぶん、クォーツさんには今、いるんですよね。守りたい人が。」
「……そうよ。」
「それで今、その人を守るために強くなろうとしている。もう守りたい人がいるのに、自分が無力だって気が付いたから。」
 あたしは、不意にあたしの焦りを指摘されて頭に血がのぼった。
「なによそれ……遅いって言いたいの!? 気づくのが遅いって!?」
 あたしはテーブルを叩きながら立ち上がる。編入生はそれにビックリして怖がっているような顔になる。だけど……恐る恐る続きを言った。
「そ、そうです。クォーツさんはちょっと出遅れた感じなんだと思います。そしてオレは……気づく間もなく手遅れだった。」
「!」
 さっきこいつがさらりと言った……家族を殺されたって話。一人だけ生き残ったこいつがどう思ったか……それはきっと、あたしが間に合わなくてお姉ちゃんを守れなかったらって考えてしまう時に感じる焦りが、現実になってしまったときにあたしが感じる事……
「んまぁ、要するにオレみたいに手遅れにならないように、クォーツさんみたいに出遅れないように、みんな今頑張っているんじゃないですかね。」



 我ながら何を言っているのか。騎士になる理由とか、ましてや他人のそれなんてさっき入学したばっかりのオレの頭の中にあるわけがない。だけど、真剣な顔で真剣に怒るクォーツさんを見ていたら真面目に答えなきゃいけないと思い……そしたらそんな事を言っていた。
 でもたぶんその通りだ。剣を教わっている時、フィリウスの役に立てればいいなと思った事はある。もっと言えば、恩人を守れればとも。んまぁ、そんな必要がないくらいにフィリウスは強いのだが。
「そんでもって、一回手遅れになったオレは、二度とそうならないように……ここに入れられたのかもしれません。」
 クォーツさんに言うというよりは、自分に対してそう呟く。
 そうだ……そう考えると、フィリウスがオレを鍛えた理由もそれだとわかる。将来できるかもしれない、守りたい人を守れるように。
 オレが二度と後悔しないように。
「……」
 オレの、オレ自身の考えをまとめる為の呟きを真剣な顔で聞くクォーツさんを見て、急に恥ずかしくなったオレは少し話題をそらす。
「ま、まぁ、でもオレは、貴族とか王族みたいな遠い人たちよりも、もっと身近な人を守りたいですけどね。」
 これまた我ながら変なそらし方をしたなぁと思ったけど、クォーツさんは真面目な顔でその話題を引っ張り上げる。
「……一般市民……とか?」
「ちょっと違いますね……もっと近い人……できるかわからないですけど、オレに……その、奥さんができたりなんかして、子供が生まれたりなんかした時に、そんな家族を守りたいですね。」
 うわ、今日一番の恥ずかしい事言ったなぁ、オレ。
「ぷっ。」
 恥ずかしさを紛らわそうとから揚げの横に盛り付けられた野菜を頬張っていると、クォーツさんが顔をふせた。
「恥ずかしい事言うわね、あんた……」
 う、やっぱりそう思われたか。
 というか、ムスッとしてない顔初めて見た――いや、顔をふせてるから見えてはいないんだけどたぶん――
「でも……それはあたしと同じだから、笑ったらダメよね。」
 そう言って顔をあげたクォーツさんは、ニッコリと笑っていた。そしてそれは、ムスッとした顔よりもクォーツさんにしっくりくる表情だった。
「それにしても、あんたの体術はすごかったわね。そのフィリウスって名のある騎士か何か?」
 妙にスッキリした顔になったクォーツさんは、シチューを一口食べると、そのままの笑顔でオレに話しかける。
 や、やっと恥ずかしい話題から外れた……
「い、いえ。ただの中年オヤジですよ。クォーツさんこそ……魔法の事全然わからないからすごいのかどうかもわからないですけど……すごかったです。」
「なによそれ。と言うか、その呼び方やめてくれない? あんまり家の名前で呼ばれるの好きじゃないのよ。あと、敬語も。あんた、敬語に慣れてない感じで違和感。」
 敬語をやめろと言われたのは今日二回目。しかし理由は今回の方が図星で若干しょんぼりする。
「わ、わかった。じゃあ……エリルさん?」
「エリルでいいわ。あたしも……ロ、ロイドって呼ぶから。」
「ロは一つなんだが……」
「わかってるわよ!」
 なんだか雰囲気が柔らかくなったクォーツさん――エリルとオレは食べながら会話を楽しんだ。
 話してみると、エリルは初めの印象とは……何と言うか真逆の女の子だった。良く笑う人だ。

「これはしたりだな。」

 しばらく会話し、カードとか箱に入っていた小物類の使い方を教えてもらっていると、オレたちが座っているテーブルの横に誰かが立った。
「……ローゼル・リシアンサス……なんであんたがここにいるのよ。」
 エリルが嫌な奴が来たという顔で見たのはローゼルさん。
「宿題をしていたら甘いモノが食べたくなってな。シュークリームでも買ってこようとここに来たのだ。しかしまぁ、こうも上手くいくとは思わなかったよ。」
「何の話よ。」
「一般の生徒とは少々事情が異なるロイドくんなら、君と仲良くなれるのではと思ってな。仕方のない理由もいくつかある事ながら、クラスを任されている者としては君の状態をなんとかしたいと思っていたのだ。」
「状態? ああ、そう言えばエリルはいつ見ても一人でポツンとしてるな。」
 そこまで言って、そういえば本人の前だという事を思い出す。エリルは頬を膨らませて怒っているのか恥ずかしいのか悔しいのかよくわからない顔をした。
「え、えぇっと? そんな状態のエリルにオレをぶつけたってことは……え、じゃあローゼルさんはオレを……利用した感じ?」
「そういう事になるだろうか。申し訳ないとは思っているが、しかし結果がこれならば、わたしも君も満足ではないだろうか。」
 申し訳ないとは言っているけど悪びれもしないローゼルさんの態度に、逆にスッキリするオレはそのまま理由を聞いてみた。
「でもなんでエリルは……その、一人に?」
「? 彼女の名前は聞いたのだろう?」
「クォーツ家……でもオレ、どこの家がすごいとか知らないから……」
「これはこれは。それじゃあロイドくんはこの国の王の名前も知らない感じかな?」
「またそれ――いや、でも知らない……」
「なるほど。では教えておこうか。」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
 何故かエリルが焦る。
「心配するなエリルくん。一度仲良くなったのならそれはその程度では崩れないよ。ロイドくん、この国の王の名前は……本当はもっと長いのだが、ざっくり言えばザルフ・クォーツという。」
 ザルフ・クォーツ。言われてみればそんな名前だったような気が――ん? クォーツということは……
「……エリルはお姫様?」
「次そう呼んだら燃やすわよ。」
「お、おう……」
 ムスッとした顔で睨まれはしたが、オレの我ながら薄い反応を見て、エリルはなんだかホッとした顔になり、ローゼルさんは驚いていた。
「あんまり驚かないのだな。」
「だって……そんなにすごいんだぞーっていう前フリをされていたら驚くモンも驚けないし。そうか……でも確かに王族ならみんな畏れ多い感じで近づかな――実はオレって結構失礼してる……?」
「……大丈夫よ。」
 エリルは何故か嬉しそうだった。
「たぶん、ロイドくんは今の王の孫がエリルくんなのだと勘違いしているだろうから訂正するが――」
「? 娘とかじゃ……」
「おいおい、今の王は今年で七十になるのだぞ? 娘なわけはないだろうに。」
「そ、そうなのか……」
「そして、正確には今の王の弟がエリルくんのお爺様にあたる。つまり大公の家の生まれという事だ。ま、それでも十分にやんごとなきお方ではあるのだがな。」
 そう言いながらローゼルさんは隣のテーブルに腰かける。んまぁ、テーブルだから寄りかかるってのが正解かもしれないが。
「そんな理由で、エリルくんは妙に丁重に扱われ、周りには下心の見える騎士の家の子らが集まったのだ。それがエリルくんには良い事では無く……冷たい態度をとっていたら、彼らは手の平を返し、今度は何故王族が騎士に? なんて場違いな。という感じに距離を取ったということだ。何とも陳腐な話だが、集団ではありがちだ。残念ながらね。」
「……なんであたしの事をあんたがそんなに詳しく話すのよ。」
「なに、ここ数日のわたしの悩みがこれだったからな。君の現状を何とかしたいと。解決しそうで何よりだ。」
 ――!! フィリウスが喜びそうなむ、胸の下で腕を組むものだから余計に強調されてドキッとするポーズになって……ニッコリとほほ笑むローゼルさん。大人の余裕もあふれる感じで、エリルと話しているのを見ると先生と生徒という関係にすら見えてくる。
「ちなみに、君も距離を置かれているからな、ロイドくん。」
 急に話のメインになったオレはたぶん、素っ頓狂な顔をした。
「そういえばさっきもそんなことを……それってどういう……?」
「理由は二つ。一つは君があんな格好をしたからだ。庶民とはいえ、皆騎士の家の出だ。誇りある人々が、まるで物乞いのような格好の人物とは関わろうとしないよ。」
「ローゼルさんもそう思いますか……」
「ああ。中々にみすぼらしい。」
 言っていることは辛辣なのに顔は笑っているローゼルさん。オレは結構ショックを受けていたが、エリルはそんなローゼルさんを意外そうな顔で見ていた。
「ローゼルさんって結構言う人なんだな……」
「うむ、わたしも驚いている。」
「えぇ?」
「いや、わたしだって周囲の顔色をうかがって、できれば良い評価を得ようとしている人間さ。だから本当は面倒なクラス代表も引き受けた。」
「は? あんた自分で立候補してたじゃない!」
 エリルはわけがわからないという顔でローゼルさんにつっこむ。
「えぇっと、クラス代表って? 学級委員的な?」
「まぁ……クラスの役割とか他のクラスとか、諸々は次の機会にでも詳しく話すよ。とりあえずは……うむ、学級委員でだいだいあっている。」
 似合いそうだもんなぁ……学級委員。
「そんなわたしだが……何故かな、君の前だとそういう嫌らしい気づかいをしないですむというか……何だろうな? 君が明らかに着慣れていない制服とおどおどした感じで教室に入って来たからだろうか。」
「……要するに気を張る必要もない感じの……格下……?」
「そんな感じだな。」
 あははと笑うローゼルさん。だけどその笑顔を割と真面目な顔にパッと変えて話の続きをしゃべる。
「もう一つの理由は、君が……少なくともわたしたちのクラスでは群を抜く体術を披露したからだ。」
「え、そうなの?」
 オレはふとエリルを見る。オレの体術とやらを目の当たりにした本人はムスッとした顔でこくりと頷いた。
「エリルくんは初めの頃、クラスの全員に模擬戦を挑んだからな。彼女の攻撃がどういうモノかみんなが知っている。」
「……そっちは全然本気でやってくれなかったけど。」
 エリルがそっぽを向く。
「無茶を言わないでくれ。王族とわかっている相手になかなか全力は出せないさ。」
 なるほど、エリルとローゼルさんは戦った事があるわけか。
「そんな感じに、エリルくんの技はみんな理解しているから……それを炎まで避けて終始避け切った君に驚き、実はすごい奴なのではと警戒しているのだ。」
「? あれ? その言い方だと炎は避けなくてもよかったみたいに聞こえるんだけど……」
「ああ、実際は無駄だ。魔法を少しでもかじれば耐熱魔法を覚えるからな。入学式から二か月経った今、この学院にエリルくんの炎を避ける者はいない。」
「そんな……」
 あんなに頑張ってかわしたのに……みんなはあの熱さを防げるのか……
「そんなにしょんぼりするな。だからこそなのだ。それでもなお避け切った事がすごいのだ。今の自分たちよりも格上な君がえらく格下の身分かもしれない。要するに距離を測りかねているのだな。」
「そう……か。」
 オレは嬉しく思った。フィリウスに教えてもらったモノがすごいと褒められたのだ。教わって良かったと思うし、やっぱりフィリウスはすごいのだ。
「……というか、今度服買おう……せっかくお金もらったんだし。」
「それがいい。次の休みにでも、街の案内を兼ねて出かけようか。」
「ちょ、ちょっと! なんであんたが誘ってんのよ!」
「ん? やっとできた友達をいきなりとられるのは嫌かな?」
 ローゼルさんが意地悪な顔でそう言った。
「ば、ばか言わないでよ! 誰がこんなんと友達よ!」
「えぇっ!? オレ、もうエリルとは友達だなぁと……そうか、まだか……」
「ち、違うわよ! そうよ、友達よ! て言うか友達とかそういう事を口で言わないでよ、恥ずかしいわね!」
 エリルは顔を真っ赤にして立ち上がる。
「ほら、もう遅いんだからあんたたちも部屋に戻りなさい!」
 スタスタと……昼間見た「スタスタ」よりはかなり元気のある「スタスタ」で学食から出て行ったエリルを見て、ローゼルさんが呟く。
「やっぱりな。彼女は本来ああいう人なのだ。君が来てくれて良かった。」
「はぁ……」
「これでわたしも堂々とクラス代表を名乗れるし……そうだな、わたしにとっても君が来てくれたことは良かったかもしれない。」
「そうかな……」
「また明日、今度は君の話を聞きたいな。その剣術とか。」
 そう言ってローゼルさんは……ふらっとあの機械の前に行き、シュークリームを買ってから学食から出て行った。

 何はともあれ、いきなり放りこまれた騎士の名門校、セイリオス学院だったけどちゃんと友達もできたし、何とかなりそうだ。


 しかし次の日、さっそく壁にぶち当たった。
「何でこの俺が一生徒を起こしに行かなぁならんのだ!」
 と言って金髪のにーちゃんが宿直室的な部屋の扉を開いた時、オレは顔を洗ってさっぱりした顔でいた。
「ん、起きるの早いな。ちょうど良かった、来い。」
「え、まだ朝飯も食べてないんですけど――」
「いいから来い! 学院長がお呼びだ!」
 学院長? ああ、あの髭のじーさんか。

 ちゃちゃっと制服に着替えさせられたオレは金髪のにーちゃんに連れられて昨日この学院で最初に入った部屋にやってきた。
 つまり、学院長室。どうやらあの髭のじーさんが学校でいうとこの校長先生らしい。
「おはよう、ロイドくん。よく眠れたかね。」
「んまぁ、屋根と壁と何より布団があるので……」
 そんな事を言いながら部屋に入ると、何故かエリルがいた。
「? おはよう、エリル。」
「おはよ――う、うっさいわね!」
「えぇ……」
 なんか怒られはしたが緊張の学院長室に友達を見つけてホッとしたオレは、エリルと一緒に髭のじーさんの前に並ぶ。金髪のにーちゃんは髭のじーさんの横。
「さて、エリルくん。学院側としてはなかなか君の身分の扱いに困っていての。君自身も他の生徒と距離を取っていたようじゃから、君の希望通りにしていた。」
「……今さらそれが何よ……」
 エリルがムスッとする。というか校長先生だよな……エリルため口……
「しかし聞いたぞ? このロイドくんとは仲良くなったそうじゃないか。正直半信半疑だったのじゃが……今の挨拶を見て確信した。これなら問題なかろう。」
「はぁ?」
 エリルがそう言うと、次は金髪のにーちゃんが――オレの方を向いて口を開いた。
「ロイド、お前の部屋が決まった。」
「え? ああ、寮ですか。もう準備できたんですか。」
「掃除する必要もなかったからな。」
「そうですか。」
 気持ち悪い事になぜかニヤニヤしている金髪のにーちゃんが髭のじーさんを見る。じーさんはこくんと頷いてこう言った。

「という事で、エリルくんのルームメイトをロイドくんにする。」

「はぁっ!?」
 いきなり大きな声を出すエリルにオレは驚く。しかしなんだ、ルームメイトって。
「そう驚くことはあるまい。寮の部屋は元々二人で一つじゃ。」
「ななな何言ってんのよ!」
「正真正銘の王族であるエリルくんのルームメイト……これはなかなかに気を使う人選じゃ。エリルくんに合う身分の者など、この学院にはおらんしな。しかしロイドくんなら、既に仲が良いようだし、気心の知れた相手が一番じゃろうて。」
「あの、オレには何の話をしてるのかさっぱり……」
「要するになロイド、お前は寮でクォーツ嬢と同室っつーことだ。」
「同室?」
 オレはエリルを見る。見られたエリルはオレを見ると顔を真っ赤にする。
「……んまぁ、いいですけど。」
「良かないわよ! 何がいいのよ!」
 エリルに襟を掴まれて前後に振られる。朝飯を食う前で良かった。
「だ、大丈夫だエリル。オレ、妹いたし。」
「欠片も大丈夫じゃないわよ!!」
「話は以上じゃ。ほれ、朝食に行くと良い。」
「ちょ、ちょっと!」
 オレとエリルは金髪のにーちゃんにぐいぐい押されて廊下に出された。すぐに振り返ったエリルが扉を開けようとしたが、びくともしない。
 同室……んまぁ、友達と一緒なら色々と楽しそうだ。
「よろしくな、エリル。部屋がどれくらいの広さか知らないけど、オレ荷物少ないからそんなに邪魔には――何で今、このタイミングで手に炎を?」
「うるさぁーーーーい!」
「うわ! やめろ! オレ、耐熱魔法使えな――熱い! 熱いから!」



「……ホントに良かったんすか? マジもんのお姫様の同室が物乞――あんな田舎もんで。」
「何を言うか。エリルくんからすればこの学院の全員が物乞いじゃろうて。」
「いや……まぁそうすけど――って学院長、今すごい事言いませんでした?」
「うん?」
「…………それに、もしもクォーツ嬢に何かあったら……その、男女的な問題とか、普通に賊の襲撃とか。何かあったらとりあえず何やかんや理由つけてあいつが問題になって、同室にあいつを選んだ学院長が色々言われますよ?」
「心配はないじゃろう。」
「何でですか。」
「彼は、あの《オウガスト》が推薦した子なのじゃぞ?」
「でも《オウガスト》って、酒好き女好きの馬鹿丸出しってんで有名な奴ですよ?」
「しかし、彼には多くの信頼が集まっておる。他の十二騎士からもの。他人を不幸にはしない男じゃし、あれでいて意外とキッチリしとるのじゃよ。」
「学院長の信頼も厚いんすね。」
「そりゃ、教え子じゃからの。」
「うえぇ!?」
「……君の言う男女的な間違いは起こらんだろうし、賊の方も大丈夫じゃ。この学院の警備体制もそうじゃし、彼は相当強いぞ? いざとなればエリルくんの騎士として活躍できるじゃろう。」
「ロイドがですか? 確かに、あの剣術を使えるのはすごいっすけど……」
「ふふふ。あの剣術の真価を、君は知らんのだな。」
「?」
「入学式からそろそろ三か月になる。時期で言えば、一年生にアレを支給する頃じゃろ?」
「イメロの事すか? いや、確かにあれがあるとかなり強くなりますけど……」
「中でもあの剣術と風のイメロの相性は抜群じゃ。」
「?? 全然わかんないんすけど……」
「ふふふ。楽しみじゃな。」



 あり得ない。あのじじいは何を考えてるのよ!
 確かに、あたしの家柄的にルームメイトを決めにくいのはわかるわ。なかなか決まらなかったから一人がいいって言って二人部屋を一人で使ってたのも事実よ。
 でも……仲が良いからって男子!? いくらなんでも――いくらなんでもよ!
 それに仲が良いって言っても昨日の今日よ! 実は真逆の性格で今日中に絶交するかもしれないのに!?
 …………なんか……絶交って考えて何でか嫌な気分になったわ……
「あんなにしゃべったの久しぶりだったわね……」
「? なんか言ったか?」
 学食。朝からシチューを食べてるロイドはホントに何にも思ってない顔であたしを見る。あたしとルームメイトで――というか女子とルームメイトで何とも思わないのかしら。
「あんた、あたしとルームメイト……同室で嫌じゃないの? 女子からしたら男子といっしょなんて信じられないけど、男子からしてもそうじゃないの? それともラッキーとか思ってんじゃないでしょうね!」
「い、いきなり怒るなよ……ビックリした……」
「……で、どうなのよ。」
「……同室って事はなんかもう、四六時中いっしょって事だろ?」
「! 何考えてんのよ!」
「いや、そういう事じゃなくて!」
 わたわたとスプーンを振るロイドは軽く咳払いをする。
「せっかく騎士の学校、しかも名門のセイリオス学院に入ったんだから立派になりたいし、昨日のエリルとの会話でオレが騎士になる理由も見えたし、今はその、オレ、ちゃんと騎士になりたいんだ。だから、そういう事に気づかせてくれて、他の誰よりも騎士を目指している人と同室ってのはいいことだと思うんだよ。」
「……」
「それに単純に……友達と一緒ってのは嬉しいしな。」
 あたしは顔が熱くなるのを感じた。にこりと笑うロイドの顔が見れない。

 ホントにもう、恥ずかしい事をすっとぼけた顔で言う奴だわ。

第二章 変な優等生

「うん、こんなところではないかな。」
 放課後、オレたちの部屋を真っ二つにするカーテンを見て、ローゼルさんは満足そうにそう言った。
「あんた、なんでこんなモノ持ってるのよ。」
 カーテンをめくり、向こう側から顔を出すエリル。
「何かの時に何かの理由でもらったのだ。こんな大きなカーテン、部屋の窓にも大きすぎるからな。しかし何かに使えるかもと保管していたのだが……こういう形で役立つとはな。」
「へぇ……だけど新品みたいだし、丁寧に保管してたんだなぁ。」
「そ、そうだ。わたしは昔から物持ちがいいのだ。」

 オレたちが何をしているのか。それを説明するには少しばかり話が戻る。


 オレがセイリオス学院に入学した次の日。まだ教科書とかを揃えていないオレはエリルの隣でエリルの教科書を見せてもらっていた。
 途中から入学したという事に加えて、オレ自身騎士になるための勉強なんてしたことないから授業は大方チンプンカンプンだった。だけど丸い文字でちょっと意外なくらいにキレイにまとめられたエリルのノートを覗く事で、ちょこちょこと理解できるとこもあったりした。
 んまぁ、理解できるとこってのはフィリウスが前にそんな事を言っていたなって思い出した内容で……それを考えるとフィリウスは初めからオレを騎士にしようとしていたのかもしれない。
 それでも、六、七年ぶりに頭を使っているオレは結構いっぱいいっぱいだった。
 そんなオレに対し、今日のエリルは変だった。いやまぁ、昨日会ったばっかりの相手に対して昨日と違うから変って判断するのはちょっと早い気もするが……たぶん変だ。
 オレと目が合う度に顔を赤くし、オレの足をゲシゲシと踏んづけるのだ。この着心地のいい制服といっしょに慣れない革靴をもらい、オレはそれを履いているわけなのだが、昨日の今日で既に使い古された靴みたいに汚れてしまった。
 だけどまぁ……革靴って硬いし、踏んづけられるとその度に柔らかくなるような気もするからいいのかもしれない……そう思って別に怒りもしないでいると踏んづける回数が倍になった。

 こんな風にエリルが変なのはたぶん、今日の朝にオレがエリルの同居人になる事になったからだと思う。学院長室を出てからこうなった。
 昔、オレは妹と同じ部屋だったし、今の私物も少ない。エリルを困らせる事はないと思うのだが――あ、まさかあれか? エリルは……こう言うと怒るけどお姫様だから、部屋が物凄く豪華になっていて最早オレのスペースが無いのかもしれない。
 そして今、部屋を片付ける方法を一生懸命考えている……とか?



 どうしてあたしがこんなにドキドキ――イライラしなきゃいけないのよ!
 でも、だってしょうがないじゃない! だ、男子と一緒の部屋なんて初めてだし……って言うか、その相手が昨日と変わらずにボケッとしてるのがむかつくわ!
 しかも今日は教科書がないからってずっとあ、あたしの隣にい、いるし! 変に意識しちゃって顔が見れな――べ、別にそういうんじゃないわよ!
「エリルくん、朝からどうしたのだ?」
 授業と授業の合間、ローゼルがあたしに話しかけてきた。
 ローゼルはこのクラスのクラス代表をしてる。だからなのか知らないけど、みんなが距離を取るのに一人だけ、時々だったけど話しかけてくる奴だった。
 成績優秀で運動もできて……真面目な優等生って感じ。先生からも信頼されてて、クラス代表に立候補した時も先生がローゼルならいいと言ったくらいだった。丁寧で品のある……どうでもいいけどあたしよりも王族とか貴族が似合う。
 だけどそんなローゼルの意外な一面っていうのを昨日見た。
 誰に対しても平等に、尊敬の態度で接するローゼルがズケズケと毒を吐いた。ローゼルが「みすぼらしい」なんて言うの初めて見たわ。
「君は実は元気のある活発な人物だとは思っていたが……何も授業中に百面相をしなくても良いと思うぞ?」
「うるさいわね……」
 チラッと隣を見る。ロイドはいない。トイレにでも行ったのかしら。
「そんなにロイドくんが気になるのか? 彼ならさっきふらっとどこかへ行ったぞ。恐らくトイレだろう。」
「き、気になんかしてないわよ!」
「……」
「な、なによ……」
 ローゼルが顔を近づけてくる。そして小声でこう言った。
「昨日言ったが……わたしは人の顔色を伺うのが日課でな。」
 目の前にあるローゼルの顔はなんかいじめっ子みたいな悪い顔だった。
「な、なによそれ。ていうか、あんたキャラが変わってるわよ……? クラス代表のローゼル・リシアンサスはどこ行ったのよ……」
「ロイドくんに話した時に君もいたわけだし……君に対してももういいかなと思ってな。それより、何か隠し事があるみたいだな?」
「べ、別に何も隠してないわよ!」
「そうか? まぁ、すぐにわかると思うが。」
 顔を離してくるっと後ろを向いたローゼルは、教室に戻って来たロイドに近づく。
「! あいつ!」
 ロイドとちょっと話をした後、ローゼルはあたしを見た。
 てっきり、さっきの顔をもっと凶悪にした顔がこっちに向けられると思ったんだけど、ローゼルはへの字の口に半目っていうもっと変な顔をした。


「相部屋……か。」
 午前の授業が終わって、あたしはいつもみたいに学食に行った。ちょっと恥ずかし――くないわ! 全然恥ずかしくない感じであたしはロイドと向かい合ってお昼を食べようとした。そしたらロイドの隣にローゼルがそんな事を言いながら座った。
「なんであんたが来るのよ!」
「そんな事はどうでも良いだろう。問題は君たちの事だ。」
 なんでかわかんないけど、ローゼルは真剣な顔だった。
「まず現状を把握しようか。エリルくんの部屋は一番近い部屋だったな。」
「……そうよ。」
「ん? 何に近いんだ?」
 ロイドはスパゲッティを食べながらそう言った。ちなみにそれと一緒にリンゴジュースが並んでる。子供みたいって言ったら好きなんだとニッコリ笑った。
 そんなお子様ランチみたいなメニューのロイドの質問に、ローゼルはロールキャベツを食べながら小声で答える。
「……ロイドくんが住む事になるエリルくんの部屋は、入口に一番近い部屋なのだ。」
「寮の入口に近いって事か?」
「正しくは、女子寮だ。」
「そういえば地図には寮が二つあったな。そうか、男女でわかれて――ってオレだめじゃんか。」
 そうだわ。そうよ! 自分の部屋にこいつが来るって事ばっかり考えてたけど、元々女子寮に男のロイドが住むってどうなのよ!
「そうだが……学院長が決めた事なのだろう? あの人はなかなかにユーモラス溢れる人のようだが、ただ面白そうというだけで君たちみたいな状況を作る無責任な性格でもないだろう。きっと君たちを一緒にする事にはそれなりの理由がある。となるとこれはもう決定事項、君がエリルくんと同室になる事に変更はない。」
「? 別にオレは嫌じゃないからいいんだけ――うわ! なんで今オレのスパゲッティを一口奪ったんだ、ローゼルさん!?」
「……エリルくんの部屋は入口に一番近く、寮の各部屋にはお風呂もトイレもある。大浴場に行こうとしなければ、ロイドくんはエリルくんの部屋よりも奥に入らずに生活できる。女子寮に男子という色々な問題は薄皮一枚セーフというところだろう。」
「セーフじゃないわよ!」
 あたしがそう言うとローゼルは大きく頷いた。
「そうだ。他の女子生徒はセーフだがエリルくんはそうじゃない。何とかしなければならないのはこの点だ。」
「そうかな……オレ、昔は妹と一緒の部屋だったから女の子と一緒の部屋でもなんとかなると思うんだ――うわ! なんで今オレのジュースを一口飲んだんだ、ローゼルさん!?」
「ロイドくん。君が妹さんと暮らしていたのはいつで、妹さんはいくつだ?」
 あたしはドキッとした。ローゼルのその質問はロイドにとって……
「……大丈夫だよ、エリル。」
 あたしと目が合ったロイドは……一瞬なんかすごく優しい顔になってからそう言った。
「? どうしたんだ?」
「なんでもないよ。えっと、六……七年前だな。一つ下の妹だった。」
「……それでは初等学生ではないか。いいかロイドくん。その歳の女の子と今の……わたしたちくらいの歳の女の子を同じだとは思わない事だ。色々と気になりだすのだから。」



 色々と気になる歳……たぶん、これが「年頃の」って奴だ。フィリウスがよくオレに「年頃の男に出会いの一つも提供できない俺様を許せよ、大将。」と言っていた。酒場で大人の女の人の肩に腕をまわしながら。
 言われてみれば、フィリウスに会ってから今まで同い年の女の子というのには縁がない。あっちこっちを転々としているオレとフィリウスが酒場以外で女の人に出会うとすれば、村ですれ違うとか見かけるとかそういうレベルだ。
 あ、そういや一人いるな。よく会うあの商人はオレと同い年くらいじゃなかったか?
 んまぁそれでも、年頃の女の子と今みたいな距離間で会話する事はほとんどなかった。きっとオレには、その辺の理解が足りていないのだろう。
「……わかった。えっと……これからは色々と気を付ける。」
「そうしてくれ。」
 ローゼルさんはふふふと笑いながら丸まったキャベツを食べた。見た事ない料理だな……おお、中には肉が入っているのか! 野菜と思いきや意外とボリュームのある料理らしい。次はあれだな。
「……ロイドくん。」
「ん?」
「そんなにわたしの口元を……み、見つめるな。」
「いやー……おいしそうだなぁと。」
 オレがそう言うとエリルがオレの靴を踏みつけながら――
「ななな、なに言ってんのよ! こんなとこで!」
「えぇ? おいしそうって言っちゃダメなのか?」
「――!!」
 エリルが顔を真っ赤にする。なんか今日は赤いエリルしか見ていない気がする。
「エリルくん……ロイドくんはこのロールキャベツの事を言っているのだと思うぞ?」
 ローゼルさんがそう言うとエリルは一瞬固まって、顔が料理に入るんじゃないかというくらいに顔をふせた。
「君がこんな勘違いをするとはな。このロイドくんが女性の唇を美味しそうだなんて言う男に見えるか? 相部屋の話のせいでそちら方面の想像が膨らみがちなのはわかるが――」
「う、うっさいわね!」
 状況がわからないオレはとりあえずリンゴジュースを飲む。
「話がそれたな。要するにだ、ロイドくん。わたしには君が女子寮の大浴場に突撃するようなファンキーくんには見えないし、エリルくんの勘違い像のような人でもないと思っている。だから女子寮とはいえ、エリルくんの部屋という位置なら大丈夫だと信じている。」
「そ、その信頼は嬉しいけど……昨日会ったばっかりなのに?」
「わたしは人の顔色を伺う事が日課であり、特技は人となりを推測する事だ。かなり信頼できる割合で……君はいい人だよ、ロイドくん。」
 いい人。なんかローゼルさんに言われると妙に嬉しいな。
「だからなんとかするべきはエリルくんの部屋の中だ。放課後、対策を講じるとしよう。」
「色々と助かるよ、ローゼルさん。」
「気にするな。」
「でもローゼルさん。」
「うん?」
「ローゼルさんの言うところのいい人のオレから、なんでスパゲッティを奪ったりしたんだ?」
 オレがそう聞くと、ローゼルさんは心なしか血色のいい顔になり、目を丸くする。そんでもってオレが手に持っていたリンゴジュースを奪って飲み干した。


 やっぱりチンプンカンプンな今日の授業を終えて迎えた放課後、オレはエリルの部屋に移動するために宿直室に置いていた私物を取りに行く。ちなみにエリルは鐘がなるや否や猛ダッシュで教室から出て行った。
 私物を手に持ったオレが地図を回しながら寮の場所を探していると、なんか大きな荷物を持ったローゼルさんがやってきた。
「やはりな。エリルくんは先に部屋に戻ったか。ついてくるといい、案内する。」
「ありがとう。まだ全然慣れなくて……何か知らないけど、それ持とうか?」
 ローゼルさんが何か言う前にオレがその荷物を奪うと、ローゼルさんは……なんて言えばいいのかわからないけど、とりあえず嬉しそうな顔になった。
 オレたちは広い学院内をトボトボと寮に向けて歩き出す。
「しかし、先生方が使う宿直室は初めて覗いたな。」
「ああ、やっぱりあれ宿直室なのか。」
「中には研究熱心な先生もいるからな。気づいたら夜遅くになってしまった先生の為にあるらしいのだが……ま、大抵は個人の研究室を持っているから基本的には使われない。」
「研究? 騎士の……戦術とか?」
「いや、主に魔法の研究だ。戦闘用、日常用問わず、魔法はまだまだ進化する分野と言われている。」
「……あんまり進化されるとオレが追いつけなくなる……」
「ふふふ、面白い事を言う。だが実際問題、十二系統の基礎の授業はもう終わってしまったからな。先生に補習を頼むか……せっかくだからエリルくんに教わるかだ。」
「そう言えばエリルって魔法がすごいってローゼルさん、言っていたけど……そんなに?」
「ああ、すごい。王族だからわたしたちの誰よりも早く魔法の勉強をしているのだが……わたしたちが習っていない事を既に習っているからすごいわけではなく、わたしたちと同じ事をしているのに結果が異なるからすごいのだ。」
「……才能があるって事? 魔法には魔法の才能があるって聞いたことあるけど、具体的にどういう才能なんだ?」
「才能か。確かに、呪文や魔法陣の仕組みを理解したり、改変したりするにはそれなりの知識とそこそこのひらめきが必要だからそういう才能もあるにはある。が、エリルくんの場合は才能と言うよりは体質だな。むしろ、一般的に魔法の才能があるというのはその体質を持っているという事をさす言葉だ。」
「体質?」
「ふむ……ロイドくんは魔法をどこまで知っている?」
「えぇっと……空気中のマナを皮膚から体内に取り込んで、それに呪文とかをかける事で魔法に変える……くらい。」
「より正確に言えば、自然物が生み出すマナを皮膚を通して体内に取り込み、それを呪文や魔法陣などで魔力という、魔法器官を持たないわたしたちでもマナを扱えるようにした状態に変え、それに意思やイメージをのせる事で魔法と成している。」
「お、おおう……」
「魔法器官を持つ魔法生物であれば、体内でマナを生み出してそれをそのまま使用できる。人間にはそれがないわけだが……昔の人たちがそれでも使いたいと願い、生み出したのが魔法というモノだ。ここまではいいかな?」
「……放課後なのに授業を聞いている気分だ。」
「ふふふ。だが知っておくべきだろうし、寮までまだあるから雑談と思って聞くといい。」
「わかった……うん、そこまでは理解できた。」
「よろしい。なんとか自然物が生み出すマナを使う事で魔法を使えるようになったが、元々マナを使う生き物ではないわたしたちにとって、魔法を使うというのは身体に負担のかかる事だ。呪文や魔法陣にはそういう負担を軽減する仕組みが組み込まれているのだが……強力な魔法を使ったり、魔法を短時間にたくさん使ったりすると身体機能に支障が出始め、最悪死に至る事もある。」
「死!? そうだったのか……」
「滅多にないがな。可能性はあるという話だ。」
 オレとローゼルさんの向かう先に、なにやら豪華な建物が見えてきた。たぶん、あれが寮だ。
「だが今言った可能性、その確率は人による。人間の身体は基本的に同じ構造だが、筋肉の付き方や神経の速さで運動能力に差が出るだろう? それと同じで魔法も個人によってその負担に差が出る。マナの魔力への変換効率などもな。」
「なるほど。つまり……なんかわからないけど魔法を使うのに適した身体を持った人間がいるってこと?」
「そうだ。ちなみに言うと、君の言った通り理由もよくわかっていない。だが魔法を人よりも上手く、長く、効果的に使える体質の人間がいる事は確かだ。」
「それがエリルって事か。」
「そうなるな。もしかしたら君もそうかもしれないぞ?」
「うーん、だと嬉しいけど。」
「そうだな。まぁそれはそうだったら良しとして、今言った体質の話で言うともう一つ、これは全ての人が当てはまる体質というのがある。」
「全ての人が?」
「得意な系統、不得意な系統さ。」
「……そういえばさっき十二系統って言っていたけど……系統ってなんだ?」
「ん? そうか、君はそこからか。簡単に言えば魔法の種類……属性だな。全部で十二あるから、十二系統。」
「十二……それしかないのか。」
「大元を分類するとな。それに、さっきの話に戻すが全部を上手に使える人はいない。得意不得意があるのだ。」
「エリルみたいな体質の人でもか。」
「ああ。それとこれとはまた別の話なのだ。どんな人にも必ず一つ、他の系統よりも上手に扱える系統というのが存在している。これも理由がわかっていないのだが、あれもこれも得意というケースは無く、必ず一つだ。逆に、不得意なのは人によって数が変わるのだがな。」
「え? じゃあ、一つ以外全部ダメってのも……?」
「あり得る。だがその場合、唯一使える系統の得意さ加減が普通の得意の数倍になるらしい。」
「へぇ。十二系統って、何があるんだ?」
 話の流れとしては変じゃないと思うその質問に、ローゼルさんは意地の悪い顔で答える。
「十二系統を今ここで教えても、一度に覚えられないんじゃないか?」
「…………たぶん、無理。」
「ふふふ。得意な系統を見つける際に全ての系統を使ってみる事になるから、その時に覚えるといい。まぁなんにせよ、明日の為に今日一通りはやってみる事になるだろうがな。」
「そう……なのか?」
「おや、今日の授業を聞いていなかったのか?」
「?」
「まぁいいさ。その辺りも含めてエリルくんに聞くといい。」
「そうするよ……見たところ、エリルは火が得意なのかな。」
「そうだ。エリルくんの得意な系統は第四系統の火。それに第八系統の風を少し加えてあの爆発する手足の魔法が出来上がっている。実はあれ、結構な微調整が必要な高等魔法なのだ。」
 なんか知らない単語がいくつか出てきたな……んまぁ、それもおいおい教わるのだろう。
「ちなみにローゼルさんは?」
 オレがそう尋ねると、ローゼルさんは横を歩いているオレの前に手の平をつきだす。するとローゼルさんの手の平の上にトプンと水の玉が出現した。
「第七系統、水だ。」


 そんなこんなで寮に到着。教室のある校舎と大きさ的には変わらないでかい建物で三階まである。んまぁ、この学院の生徒が全員暮らしているというのなら、これくらいは当たり前か。
 そんな寮の――女子寮の前に突っ立っているオレを、出入りする女の子が怪しいモノを見る感じで視線を送って来る。だけどそのオレの横にローゼルさんがいる事を確認すると、「まぁ大丈夫か」という顔で通りすぎていく。
「別に校則でそう決まっているわけではないのだが、基本的に女子寮は男子禁制だ。入れるとすれば、今の君みたいに女子の同伴がある場合のみ。」
「えぇ……じゃあオレは自分の部屋に帰る時、いつもエリルと一緒じゃないと――っていはいいはい! なんれほっへをふへふんは、ホーヘフはん!?」
「エリルくんの部屋はそこの入口からすぐの所だ。まぁ、それよりも奥には入らない方が良いだろう。」
「……お姫様のエリルの部屋がこんな玄関から近いとこって……いざって時、賊とかに侵入されやすいんじゃ……」
「賊か。仮にこの女子寮に侵入する事のできた賊がいたとするなら、そこまでの賊相手には一階の入口側だろうが三階の角部屋だろうが関係ないだろうな。ならば、逆にこちら側がすぐに助けに行ける場所にいて欲しい所だ。」
「? どういう事?」
「外からこの学院に侵入してここまで来るにはいくつものトラップを超える必要がある。上級の魔法使いがようやくその気配に気づけるほどに巧妙に隠された、それでいて強力な魔法の罠をな。それに、この学院には学院長がいるのだから、そうホイホイと賊も入れないさ。」
「あのじーさんってそんなにすごいのか?」
 オレがそう言うとローゼルさんがふふふと笑った。
「学院長は元々名のある騎士でな。結構なお歳だからもう武器は振るえないが、それでも魔法の技術は衰えていない。ここに侵入するという事は、一つの伝説と戦うという事なのさ。」
「伝説……」
 あの髭のじーさんがか。んまぁ名門の校長先生ならそれくらいはおかしくないか。ああ、学院長か。
「そもそも、この学院には現役の騎士の警護がある……賊の侵入なんてないだろう。」
「え、騎士が守っているのか?」
「何も偉い人を守るだけが騎士ではないさ。将来の騎士を守りたいという騎士もいるのだ。」
「そうか……」
 将来の……未来の騎士を、守る騎士か。


「エリルくん、わたしだ。それとロイドくん。入っていいかな?」
「……い、いいわよ。」
 寮の中は外見通りに豪華で、廊下とか照明とかがそれっぽい感じにデザインされている。どこかのお高いホテルのようだ。
 そんな寮の、入ってすぐの扉を開けてオレとローゼルさんは中に入る。
「……結構広いんだな。」
 扉を開けると台所や……たぶんお風呂場とかが左右に並んでいる短い廊下があって、その廊下の先には広い空間があった。
 正面には大きな窓があって部屋の中はかなり明るい。今は夕方だけど、それでも日が沈むまでは電気をつける必要がなさそうだ。部屋の真ん中には大きなテーブルが一つ。床は絨毯だからベタッと座って夕飯でも食べる用だろう。そして机とベッドとタンスみたいのがセットになって左右の壁際にそれぞれ設置されている。つまり、ここに住む二人の人間は左右にそれぞれのスペースを持つという事だ。
 エリルはその左側のベッドの上で何故か正座しているから、左側がエリルのスペースなのだろう。机の上には教科書とかが並んでいて、ベッドの周りもこじゃれているし、タンスの上には時計とかの小物が並んでいる。壁にはフックみたいのが打ち込んであって、そこにエリルの……あの鎧の一部みたいな装備品がぶら下がっている。右の壁には無いから、あれは後付けか。
 色々なモノが視界に入るが……全体的に、色合いが赤色だ。
「じ、じろじろ見るんじゃないわよ! あんたはあっち!」
 エリルが指さした方、つまり右側がオレのスペース。当然だけど何も無いのだが――
「ふむ。」
 そう言ってローゼルさんがツカツカと右側に歩いて行く。ベッドを叩いたり空のタンスを覗いたり、机の引き出しを開けてみたり……何をしているのだろうと眺めていると、ローゼルさんはニンマリしながらエリルを見る。
「使われていた形跡があるな。二人部屋の一人暮らしを満喫していたと見える。」
「いいでしょ別に! 誰もいなかったんだから!」
「ああ、わたしも別にそれは何とも思わないが……元々ここにあった荷物はどこへ行ったのかと思ってな?」
 そう言ってローゼルさんが視線を移す。その先を追うと、入ってきた時は位置的に見えなかったのだが、部屋の玄関側の壁にはクローゼットのようなモノがあった。
 このクローゼットも左右についているから……つまりここで暮らす人には机とベッドとタンスとクローゼットが与えられるわけだ。
「エリルくん。もしかすると、今そのクローゼットを開けると雪崩が起きるのではないか?」
「ななな、なに言ってんのかわかんないわね! そ、それよりもロイド! 荷物を片付けちゃいなさいよ!」
「ああ。」
 オレは手にした私物……風呂敷に包んである服とか小物をタンスの中にばらまき、二本の剣を壁に立てかけた。
「引っ越し完了――なんだエリル、そんな変な顔して。」
「……あんた、荷物は少ないって言ってたけどホントにそれだけなの?」
「何を言っているんだ、エリル。オレはつい昨日まで馬車で旅をしていた男なんだぞ? これくらいなもんだ。」
「じゃ、じゃあそのまだ持ってる大きな荷物はなんなのよ。」
「ああ、それはわたしのだ。」
 ローゼルさんはオレからその大きな荷物を受け取ると、オレのベッドの上でそれを広げた。
「なによそれ。」
「カーテンだよ、エリルくん。」
 そう言ってローゼルさんが広げたカーテンは……一体どんな窓につけるものなのか、物凄くでかかった。
「これを部屋の真ん中にひくのだ。若干圧迫感を感じるだろうが、これで一応個々のスペースを分けることができるだろう?」
「おお、なるほど。つけてみよう。」
 真ん中のテーブルを端によせ、椅子にのって天井にピンを打ち込み、カーテンを走らせる。普通に天井に穴をあけているんだが、二人は特に気にもせずに作業を進める。
 三十分後、部屋を真っ二つにするカーテンが出来上がった。
「うん、こんなところではないかな。」
 少し部屋が暗くなった感じはあるが、カーテンの向こう側は全然見えない。
「あんた、なんでこんなモノ持ってるのよ。」
 カーテンをめくり、向こう側から顔を出すエリル。
「何かの時に何かの理由でもらったのだ。こんな大きなカーテン、部屋の窓にも大きすぎるからな。しかし何かに使えるかもと保管していたのだが……こういう形で役立つとはな。」
「へぇ……だけど新品みたいだし、丁寧に保管してたんだなぁ。」
「そ、そうだ。わたしは昔から物持ちがいいのだ。」
「うん、ローゼルさんはそういう人のような気がする。」
「そ、そうか。」
 ローゼルさんはクリクリと髪をいじりながら玄関へと向かう。
「さて、二人で暮らすとなれば色々と取り決めが必要だろう。その辺り、じっくり話合うといい。何かあったら呼んでくれ。わたしは二階の一番奥の右の部屋だ。夕飯時にまた会おう。ではな。」
 そういってローゼルさんは出て行った。



 カーテンを開いてテーブルを真ん中に置いて、あたしとロイドは向かい合った。
「じゃ、じゃあルールを決めるわよ。」
「ああ。まずはエリルがいびきをかくかどう――いはい!」
「なんでいきなりそういう話になんのよ! かかないわよ、失礼ね!」
「いたた……ローゼルさんといいエリルといい、なんでほっぺをつねるかな……」
 ローゼルがほっぺを? また似合わない事してるわね……
「いやぁ、フィリウスがすごくうるさかったから……おかげで商人から耳栓を買ったくらいだ。」
 そう言いながらさっきタンスの中にばらまいた中から耳栓を見せてくるロイド。
「……あんた、そういう趣味があんの?」
「え?」
「それ、なんでハートマークが描いてあんのよ。」
「えぇ? だってこれが街での流行りだって言われたんだけど……」
「そんなのが流行った事なんかないわよ。残り物を掴まされたのね、きっと。」
「えぇ……」
 これから色々話し合うと思って……その、結構緊張して座ったのにロイドがそんなんだから気が抜けた。夕飯にはまだ全然早いし、あたしは紅茶でも飲もうと思った。
「紅茶飲むけど、あんた飲む?」
「あ、頼む。」
 あたしは茶葉を置いてる棚を開く。家のせい――ううん、単純にあたしが好きだからだけど紅茶の種類は結構そろってる。あたしはお昼の事を思い出してアップルティーを選ぶ。
「エリルは料理――しないか。」
「答える前に納得するんじゃないわよ!」
 いつもなら温めるけど、今はいいかと、棚から出したティーポットに茶葉を入れる。
「だって、昨日は学食で夕飯を食べていたじゃないか。そういやなんであんな時間に?」
「……別にいいでしょ……ただ――」
 そこから先、あたしがしゃべったことはそんなに話題にしたくない事のはずだった。だけどあたしは……後で思えばビックリするくらいに普通にしゃべった。
「誰もあたしの近くに座ろうとしないし、あたしもそう思わないから混んでる時間をさけてるだけよ。」
 ティーポットにお湯を入れ、砂時計をひっくり返す。しばらく待つから、あたしは廊下の壁に寄りかかって横目でロイドを見る。
 喜んで会話を続けたくなるような話題じゃないんだけど、ロイドはこの話を続けた。
「ああ……ローゼルさんが言っていたあれか。」
「そういうこと……もう慣れたからいいけど。」
「慣れ……か。それでも――」
「……なによ。」
 ロイドの方に顔を向ける。対してロイドはあたしから視線をそらして、部屋の天井を見る。
「一人はさみしいよ。」
 何か悲しいモノを思い出すような、遠くを見るような顔。
 まただ。フィリウスっていう恩人の話をした時の顔。いつもすっとぼけた雰囲気のこいつは時々曇る。
「でもまぁ、もう大丈夫だな。」
 ケロッと戻ってあたしを見るロイド。
「なにが大丈夫なのよ。」
「だって、要するに今まではエリルに友達がいなかったってだけの話だろ? ならもう平気だ。」
 ――! え?
「朝昼晩の三食だけに限らず、たぶんこれからずっと――」
 ――! ――! ま、待って――
「エリルの友達はここにいる。」
「――!!」

 何? 何これ?
 熱い。息がしにくい。心臓の音がうるさい。
 ロイドの笑う顔が見れない。
 朝に感じたのとは比べ物にならない。

「? 大丈夫か、エリル。」
「だだだ、大丈夫よ!」

 全然大丈夫じゃない! 変よ、何か変!
 お、落ち着くのよあたし! 深呼吸よ!

「エリル?」
「――!!」

 いつの間にか目の前にいてあたしの顔を覗くロイドの顔――!!

「みゃああああっ!」
「だあーっ!!??」
 思わずロイドを突き飛ばす。ロイドは両手をバタバタさせながら床にしりもちをついた。
「なんだ、どうした!?」
「あ、ああああんたがまたと、友達とかなんとか恥ずかしいこと言うからよ、バカ!」
「そう言われてもなぁ……伝えておきたい事はそう思った時に伝えた方がいいぜってフィリウスによく……」
 のっそりと立ち上がったロイドは何かに気づいて指を差す。見ると砂時計がそろそろ落ち切りそうだった。
「……座ってなさい。今入れるから。」
 あたしはなんか知らないけど震える手で紅茶を入れた。
「紅茶か。いつもはフィリウスが入れるティーパックだからなぁ。んお? 良い匂いだ。」
「アップルティーよ。その……あんたリンゴジュース好きとか言ってたから……なんとなく。」
「ありがとな。でもこれ、リンゴは入ってないんだろ?」
「これはね。本当にリンゴを使うのもあるわよ。」
「へぇ……うん、うまい。」
 まだ正面からは見れないロイドとあたしは外を見ながら話す。
「……よく出てくるけど、そのフィリウスって何者?」
「? だから中年のオヤジ……」
「そうじゃなくて……どんな人かって話よ。例えば……あんたはその人と旅してたって言うけど目的とかはないの?」
「旅の目的? 知らない土地に行って……飯を食って出ていく?」
「なによそれ、何もしてないじゃない。」
「たぶん、ただの放浪なんだよ……だけどフィリウスはすごく強くて、エリルが前に聞いたみたいに、どっかの騎士だったって言われても信じられるかな。」
「イメロを持ってたの?」
「いめ――なんだそれ?」
「……知らないのね……明日にでも先生から説明されるわ。」
「え、今教えてくれないのか?」
「だって明日配られるのよ? 現物を見ながらの方がわかりや――あんた聞いてなかったの? 今日の魔法の授業。」
 今日はみんなが、明日イメロをもらえるって聞いて喜んでたのに。
「聞いてたと思うけど……耳に入って来る言葉が全部意味わからんからなぁ……」
「あっそ……」
「そうだ。魔法と言えば……えっと、十二系統? をエリルに教えてもらえばいいってローゼルさんが言ってたぞ。もう授業ではやっちゃったとこだからって。」
「……べ、別にいいけど……十二系統くらい。」
「おお……やっぱり人に教えられるくらいにすごいんだな、エリル。」
 本当に感心した顔で拍手するロイド。
「バ、バカじゃないの? あれくらい誰でもできるわよ。ローゼルにだってね。」
「そうなのか……というか……あれ? そういえばふと思ったんだけど……今まで友達がいなかったエリルはまぁそうとして、んじゃあローゼルさんはどういう立ち位置だったんだ? 二人、仲良いだろ?」
「いちいち友達がいないって言わなくていいわよ! ローゼルは……あたしも正直わかんないのよね……」
「えぇ?」
「何度か話はしたけど、あんな感じじゃなかったのよね……別に仲良いわけじゃないし、悪いわけでもなくて……クラスの一人ってくらいよ。クラス代表だからなのか、みんなが避け始めてからも話しかけてきたけど……」
「? でも昨日今日と結構しゃべってたよな。」
「……あんたに、じゃないの?」
「でも教室で話しかけられたりしてたじゃんか。」
「……そうね……」

 そのあとしばらくローゼルの謎について話したあと、あたしとロイドは学食に向かった。ちょっと気乗りしなかったけど、大抵の生徒が学食に行く時間……今まであたしが避けてた時間にあたしたちはやってきた。
 初めは周りの視線が気になった。だけどロイドがあたしの手を握って――
「何手握ってんのよ!」
「どわ! い、いや妹はいつもこうやってオレが引っ張ってだな……」
「誰があんたの妹よ!」
 久しぶりに魚を頼んだあたしとロールキャベツを手にしたロイドは空いてる席を探す。やっぱり混んでる時間だから、誰かの隣でないとダメっぽ――
「ん、ローゼルさんだ。」
 そう言ってロイドは一人でパンをかじってるローゼルに近づく。
「おや。座るかい?」
「ありがとう。」
 ローゼルの前に二人並んで座るあたしたち。ローゼルはパンの他にグラタンを食べてた。
「あんたの相方はどうしたのよ。」
 あたしにロイドっていうルームメイトできたみたいに、学院の生徒は全員寮で誰かと相部屋。だからローゼルにもそういう相手がいるはずなんだけど……
「彼女は今……説明しづらい状況でな。部屋にいる。仕方なくつい昨日までの誰かさんみたいに一人で夕食を頂いていたのだが、君たちが来てくれて嬉しいよ。」
「あんたはいちいち……ホントにあんた、ローゼル・リシアンサス? まだそのキャラに慣れないんだけど。」
「わたしも、顔を真っ赤にしてあたふたしている君にはまだ慣れない。」
「べ、別に赤くなんてなってないわよ!」
「なんだ。やっぱり仲いいんじゃないか。」
 ロイドはナイフでロールキャベツを切って、中を見て感動しながらそう言った。
「ふふふ。ロイドくんは、もう十二系統は教えてもらったのか?」
「あとで教えてもらうけど……よく考えたらそんな寝る前にちょちょっとできるモンなのか?」
 あたしが答える前に、ローゼルが答える。
「初歩はな。別に使えるようになる必要はとりあえずないのだ。初歩の勉強は今度ゆっくりするといい。一先ずイメロをもらう明日までに一通り経験して得意な系統を把握できればそれで。」
「またそれか。いめろってなんなんだ?」
「ふふふ、明日先生が説明してくれるさ。」
「それもまただな……」
 ロイドは不満気だけど、正直イメロは口で説明するのがめんどくさい。背景とか仕組みとか、どうせなら現物を目の前にして説明を受けるべきだと思う。
 特に、騎士とか魔法についてほとんど知らないこいつには。
「しかしそうか。この後やるというのであれば、わたしもお邪魔しようかな。」
「はぁ?」
 あたしがそう言うとローゼルはまた意地悪に笑う。
「おや、やはり二人っきりがいいかな?」
「ななな、なに言ってんのよ! バカじゃないの!」
「なら決まりだな。お風呂の後にやろうではないか。」
「? お風呂前じゃないのか? 魔法の練習するんだろ?」
「武術や体術とは違うからな。魔法はどちらかと言うと精神の影響が大きい。お風呂に入ってさっぱりした状態というのは魔法を使う際には良い方向に働くのだ。」
「なるほど……おお、肉汁が!」
 口いっぱいにロールキャベツを詰め込むロイド。それを眺めるローゼル。
 ……? なんかローゼル、嬉しそうね。


 ご飯を食べて、少し部屋でゆっくりしてからお風呂に入ろうと思ってたらすぐにローゼルがやってきてお風呂に行こうと言った。
「今ならすいている。少しエリルくんと話したい事があるのだ。ロイドくんは部屋のを使うといい。わたしたちは大浴場に行く。」
「ちょちょちょ、何よいきなり。」
「? まさか二人仲良く部屋のお風呂に入る予定だったのか?」
「んなわけないでしょバカ!」
 部屋のお風呂の使い方をロイドに軽く教えて、あたしとローゼルは大浴場に移動した。
 大浴場は文字通り大きなお風呂なんだけど、そうは言っても寮の女子全員が入れるほど大きいわけじゃない。だけど部屋風呂派と大浴場派の二種類がいるからそんなにギューギューづめになる事もほとんどない。
 それにローゼルが言ったように、まだ微妙に夕飯時の今はすいてる。パッと見た限り、中には二、三人しかいない。
「食後すぐのお風呂だが、まぁ仕方ない。」
 広いお風呂に二人、並んで身体を沈める。
 今思うとお姉ちゃんもそうなんだけど、何を食べたら……その、そんなに大きくなんのかわかんない。違う生き物なんじゃないの?
「エリルくん。」
「な、なによ。」
「そんなに物欲しそうに見られてもこれはあげられないぞ。」
「誰が物欲しそうよ!」
 胸の下で腕を組むローゼルにお湯をかける。だけどお湯はローゼルを避け、ローゼルの横にパシャッと落ちた。
「……さすが水使いね……」
 ローゼルの得意な系統は第七系統の水。勉強も運動も、そんでもって魔法もできるローゼルは先生にセンスがいいと言われるほど。結構制御が難しい氷への変換も難なくこなす。
 美人で……ス、スタイルよくて頭もよくて……それで水と氷の使い手。一年の間じゃ『水氷の女神』とか呼ばれてる。
 そんな奴が、クラス代表だから話しかけて来るだけと思ってた奴が、今あたしの横であたしと一緒にお風呂に入ってる。悪い顔しながらあたしをからかういじめっ子みたいな女になって。
「……それで、なんなのよ。話があるんでしょ。」
「そうだ。君とロイドくんの初夜が心配でな。」
「しょ!? 何考えてんのよ、変態!」
「? 単純に、最初の夜というだけの意味合いなのだが。」
 そう言いつつも意地の悪い顔でにやけるローゼル。
「紛らわしい言葉使うんじゃないわよ!」
 あたしは顔の半分をお湯に沈めた。
「まぁ、あのロイドくんが寝込みを襲うとは思えない……というかまず無いだろうな、彼の場合。だから、少なくともわたしは心配していないが、君はどうかと思ってな。」
「…………別に……」
 ローゼルが変な事言ったから変な想像が頭の中をグルグル走り回る。だけど、さっき友達だって言って笑ったロイドを思い出すと、そんな想像がただの想像だとわかって別に不安にもならな――
「んん? どうしたエリルくん。いきなりお湯に潜って。」
 な、なに考えてんのよあたし……ふ、不安に思いなさいよ、心配しなさいよ! だだだ、男子と同じ部屋で寝るのよ!?
「……でも……」
「うん?」
 それでも、やっぱり。
「たぶん、大丈夫よ……」
 頭からずぶ濡れになったあたしを、ローゼルは……昼間見た、口をへの字にした変な顔で見た。近くで見ると……ちょっとムスッとしてる風にも見える。
「朝は百面相で悶々としていたというのに、今は随分と落ち着いているのだな。」
「ど、どうでもいいでしょ! ていうか、ついでだから聞くけど!」
「?」
「なんであんたはこんなにあたしを心配してんのよ! あたしとあんたは仲良くお風呂に入る仲じゃなかったでしょ!」
「確かに。つい昨日――いや、二日前まで、わたしは君の事を場違いなお姫様だと思っていたよ。他の生徒と同様にな。意地っ張りで頑固者で輪の中に溶け込めないとんがった赤い人だ。」
「い、意地っ張りじゃないし頑固者じゃないわよ!」
「明らかに煙たがられているのに自分の姿勢を崩さずに前進して一人ぼっちになった君が意地っ張りの頑固者ではないのだとすると、意地っ張りの頑固者とは一握りの英雄のような存在に与えられる称号か何かという事になるな。」
「あんたねぇ!」
 あたしはローゼルを睨みつけるけど、ローゼルはすまし顔。
「それでも君はお姫様。この状況は色々とまずいから、何とかならないか。先生にそう相談された時は心の底から面倒くさいと思ったものだ。」
「けんか売ってるでしょ、あんた。」
「そんな時彼がやってきた。そう、つい昨日やってきた彼はたった一日で君と仲良くなって先生から頼まれていた事を解決してくれた。初めは何も知らない無知な……使い勝手の良さそうな男子がやってきたと思ったのだがな……見ていると不思議な気持ちになり、話してみるととても心地よい。何も知らない、何も理解していないからではきっとなく、全てを理解していたとしても……お姫様である君や成績優秀で美人な高嶺の花であるわたしにも今と変わらぬ態度で接してくれるだろうと思える安心感。」
「あんた、いい性格してるわね……」
「そんな彼を見ていたら、いつもムスッとしていた君が表情豊かに顔を真っ赤にしていた。間の抜けたロイドくんとより赤くなった君。君たちといるととても落ち着くのだ。」
「……」
「ロイドくんを見習ってこっぱずかしい事を言うが、わたしは君の友人になったつもりでいる。これはそうであると思っていいのだろうか?」
 ローゼルは、先生たちに見せるような優等生の優等生っぽい笑顔じゃなくて、女の子としての笑顔をあたしに向けた。
「……なんであたしの周りはこんなんばっかなのよ……好きにすればいいじゃない。」
「ああ、そうさせてもらう。もっとも……」
 気持ちのいい笑顔を一瞬で黒い笑顔に変えるローゼル。
「君はすでに、わたしの中では友人以上のちょっとした存在になっているようだがな。」



 昨日は宿直室のシャワー。今日はお風呂。二日も連続でお湯を浴びるとはなんて贅沢なんだとしばらく感動していたが、明日からもこれが続くと思うと喜びが倍増した。
 日中着ていた服で寝る事がしょっちゅうだったオレだが、今日オレが着ていた服とはつまり制服。さすがにあれを着て寝るのはダメだと思い、オレはオレの私服を寝間着にすることにした。ローゼルさんあたりに「また物乞いか?」と言われそうだが、しかしオレはこういう服を二着持っているだけだからどうしようもない。二つの内、洗濯してからまだ一度も着てない方を身に着け、オレはベッドの上に座った。
 エリルと紅茶を飲んでいたこともあって今はカーテンが開いている。壁を背にして座るとエリルのスペースが視界に入る。これが女の子の部屋か! と思いはするものの、壁にかけてある鎧の一部のせいで昨日の燃えて爆発するエリルを思い出し、そんなウキウキ気分は失せていく。
「……」
 何とは無しに、オレは壁にかけてあるそれを手に取る。ごつい装備だが、オレには小さくて手が入らない事に少し驚く。こんな小さな手であんなパワフルに……
「あ、そうだ。今日はあれをサボっているな。」
 お風呂に入る前に気づけば良かったんだが……んまぁ、今となってはそれほど汗もかかずにできる。


「何やってんのよ。」
 ベッドの上で、フィリウスに一日一回やるようにと言われたオレの日課をやっているとエリルがローゼルさんと一緒に戻って来た。
「また物乞いか? ロイドくん。」
「寝間着になるようなのはこれしかなかったんだよ……」
 エリルとローゼルさんは寝間着だ。エリルは……オレは服の種類についてはさっぱりだから何とも言えないが、ふんわりして袖とかにふりふりしたのがついているフンワリしたピンク色の服で、下はスカート――あ、いや、上と一体だから……えぇっと、確かワンピースだかツーピースだか、そんな感じのあれだ。
 んでローゼルさんは……これはわかる。パジャマだ。水色に青色の水玉のパジャマだ。
「ロイドくん。そんなにじろじろ見られると恥ずかしいのだが。」
「な! ロイドのスケベ!」
「えぇ! 見てるだけでか!」
「そしてロイドくんは何をやっているのだ? ベッドの上で棒なんかクルクル回して。もしやあの剣術の修行か?」
「そんなところだ。この棒はフィリウスがくれた練習用の棒でな。剣よりも回しやすいんだ。」
「しかしロイドくん、ベッドの上であぐらをかきながら両手で二本の棒を高速回転させている光景というのは曲芸を通り越して気味が悪いぞ。」
「な! 両手で回せるようになるまで大変だったんだぞ! んまぁ、まだこの棒じゃないとできないけど……いつかは二本の剣をクルクルと回せるようになるんだ。」
「それで、あんたのそれはあとどれくらいで終わるのよ。」
「あと九百ってとこだ。」
「は? 九百……回転ってこと!?」
「一日一万回転が日課だ。あとちょっと待っててくれ。」
「一日一万か……もはや君の手がどう動いてその棒が回っているのか見えないくらいだが……その数を毎日なら納得というモノだな……」
 数分後、オレは棒を置いて部屋の真ん中のテーブルの近くに座った。横にはローゼルさんで正面にエリル。
「よし、そんじゃエリル。オレに魔法を教えてくれ。」
「わたしはところどころ手伝ったり付け加えたりしよう。ではエリル先生、よろしく頼む。」
 オレとローゼルさんがエリルの方を見ると、エリルはちょっと照れながら授業を始める。
「……とりあえず、十二系統を細かく説明するわ。」
「細かく?」
「十二系統は大きく分けて三つのタイプに分けれるのよ。」
「お、割り算だな? 一つにつき四系統だろ。」
「均等じゃないわよ、バカ。一つ目のタイプは強化。これに分類されるのは第一系統の……そのまんま、強化の魔法よ。」
「強化……というと何だ?」
「例えば……あんたの剣に強化の魔法をかけると、すごく頑丈になったり切れ味が増したりすんのよ。」
「自分の身体に使えば、運動能力を上げることもできるのだ。最もポピュラーで得意な系統がこれでなくともある程度使えてしまう、簡単な魔法だな。」
「えぇ? それじゃあその強化が得意ってなったらガッカリだな。」
「そうでもないさ。強化を得意な系統とする者は通常の何倍もの効果を持たせる事ができる。上級の騎士ともなれば、空気の硬度を上げて武器にしてしまうくらいだ。」
「空気が武器? イメージわかないな……」
「いつでもどこでもどんな形の武器でも取り出せるって事よ。しかも元が空気だから目に見えない。」
「うわ、それはやばいな……」
 重さが無いだろうから自分の腕力だけでなんとかする事になるのだろうけど、それでも――例えば物凄く長い剣を空気で作ったらそれだけでやばい。
「二つ目のタイプは自然。これには第二から第八までの系統が分類されるわ。」
「雷、光、火、土、闇、水、風の七つだ。それぞれ順番に数字が与えられているから、大抵は第二系統の雷とか、第四系統の火という言い方をする。」
「エリルとローゼルさんはここに入るわけか。エリルが火でローゼルさんが水。」
「そうよ。このタイプの魔法は人によってできるできないが分かれるタイプで、全部ある程度使える奴もいればどれも全然って奴もいる。」
「傾向として、この自然を操るタイプの魔法を得意な系統として持つ者は他の自然の力もそこそこ使える場合が多い。」
「てことは、二人は他の自然の力も結構できるってことか。」
「あたしはメインが火で、サポート的に風を使えるわね。他のもそこそこ使えるけど、騎士としての戦闘に使えるのは……今はその二つね。」
「わたしは戦闘に使える使えないで判断すると水しかできないな。他は初歩ができる程度だ。」
「へぇー……結構人の差が大きいんだな。」
「特訓すればどの系統もかなり昇華させる事はできるがな。相当大変だ。」
 つまり、全部の系統を使ってやろうって欲張って修行する頑張り屋さんを除けば、大抵は自分の得意な系統を磨いて強くなるってのが騎士なわけだ。
「そして残りの第九から第十二系統に分類されるのが……事象とか概念って呼ばれるタイプ。」
「事象? いきなり難しいな。」
「強化や自然に比べると特殊なのだ。そのせいか、魔法を使う者の割合で言えば、概念タイプを得意な系統とする者は少ない。」
「レアモノって事か。それでどんな魔法なんだ?」
「第九系統が形状、第十が位置、第十一が数で……第十二が時間よ。」
「形状と位置と数と時間? 変な面子だな。」
「だが、戦うとなれば侮れない系統だ。形状は文字通り物の形を操る。硬いモノをグネグネと曲げたりするのは勿論の事、生き物の身体までいじれる。自分の腕を増やしてみたり――」
「ケガしたり、例え腕や脚を失っても元の形に戻すって方法で再生できるわ。」
「……えらくトリッキーな戦いになりそう――っていうかなんで二人とも、さっきから戦う事を想定してるんだ?」
 素朴なオレの疑問は、二人にとっては当たり前の事だったらしく、エリルはあきれ顔でローゼルさんはふふふと笑う。
「あんたね……騎士っていうのは誰かを賊とか魔法生物から守る人なのよ? こんな便利な魔法って技術を使わない悪者なんかいないし、魔法生物はもちろん魔法使うのよ?」
「ああ……なるほど。」
 言われてみれば、魔法を使う奴が一人もいない賊にオレとフィリウスは襲われたことがない。
「話戻すわよ。次の第十系統の位置は場所を操る魔法。何十キロもの距離を一瞬で移動できたりするわね。」
「おお、便利だな!」
「戦いで使えば、なんの予備動作も無しに相手の背後にまわることができる。」
「おお……やばいな……」
「すごい人は自分以外のモノを触れずに移動させることもできるわ。相手を一瞬で空高くに移動させたり、地面の中に埋めたり。」
「最強じゃんか……」
「そこまでできる奴なんて数えるくらい……っていうか一人しか知らないわ。」
「い、いるのか。そんな奴が一人……怖いなぁ……」
「それで……次の数はそのまんまモノの数を操るわ。」
「……あんまりすごそうじゃないな。」
「ふふふ。数を得意な系統とする騎士は大抵、遠距離武器の使い手になると言えばその恐ろしさがわかるかな、ロイドくん。」
「遠距離……あ、まさか弓とか銃か!? 矢とか銃弾の数を増やせるのか!?」
「そうよ。銃で言えば弾の数は無限だし、撃った後に数を操れば一回撃っただけで十とか二十の弾丸を相手に放てるのよ。」
「うわ……単純にやばいな。」
「ふふふ、随分とボキャブラリーの少ない事だな。さっきからやばいしか言っていないぞ?」
「だって……やばいし。」
「まだ一番やばいのが残っているがな。」
「じ、時間か?」
「第十二系統、時間は……一番特殊な系統よ。これを使える奴ってのは必ず時間を得意な系統としてる奴。そうでない奴は絶対に使えない系統。」
「加えて、時間を使える者は他の系統がからっきしになるという特徴もある。」
「? つまり……時間を使える奴は時間専門って事か。」
「そうよ。しかも割合的には一パーセントにもならないくらいに使える奴が少ないの。時間を使えるってだけで名前が残るくらいよ。」
「そんなにか! てことはやっぱ……すごい効果を持った魔法を使えるんだろ……?」
「文字通り、時間を使える者は時を操る。相手の時間を遅くして一方的に攻撃できたり、大きな傷を負っても自分の時間を戻して治したり、子供に戻れたり老人になれたり……世界の時間を進めたり止めたり戻したり。」
「神様だな、そりゃ。」
「でも、歴史上そこまでできた時間使いはいないわ。そもそも、時間は使うマナの量が尋常じゃないから軽々と使えないし。」
「ふぅん……となると、一番バランスいいのは二つ目の自然だったりするのかな。応用も色々できそうだし。」
「そうかもね。さ、次はあんたの得意な系統を調べるわよ。」
「お、おお! 何するんだ?」
「初歩の魔法を使ってみるだけよ。第一系統なら……そうね、ペラペラの紙を固くしてみたり、第二系統なら指先に電気を出してみたり。」
 そう言いながらエリルが調べるのに使うんだろう、色んな小物をテーブルの上に並べた。
 自分の得意な系統……どの系統も面白そうだからどれでもいいような気もした。だけど……なんとなく……
「風……」
「え?」
「オレ、得意な系統が風だったらいいな。」
「なんでよ。」
 ふと思い出す、オレの恩人の背中。オレに戦いを教えた中年のオヤジは、剣の一振りで爆風を引き起こし、敵を吹っ飛ばしていた。
 あの大剣と比べればオレの剣は小さい。それにあの豪快さは真似できないし性格的にも合わないと思う。だけど憧れている。オレも、あんな風にできたら――
「……なんとなく、かっこいい。」
「……あっそ。じゃあ風からやってみるわよ。」



「ではまた明日。良い夜を過ごすといい。」
 そう言ってローゼルが、意地悪な顔じゃない、口をへの字にした変な顔で帰ってった。
 ロイドとローゼルと話してたせいでもうそれなりの時間。あたしたちは真ん中のカーテンを引いて寝る事にした。
 いつもより狭く感じる部屋だけど、ベッドにもぐれば気にならない。寝っ転がった時に見える風景は何も変わってない。だけど――
「……寝れるわけないじゃない……!」
 すぐそこ。歩いて数秒のところにロイドがいる。それだけであたしは死にそうだった。

 ロイドの得意な系統探しは一瞬で終わった。だってロイドのそれはロイドがそれがいいって言った風だったんだから。
 大雑把にしか見てないからあれだけど、たぶんロイドはローゼルと同じタイプで得意な系統が特に得意って感じ。他も一応できるだろうけど使うのは風だけになると思う。
 風……火と相性がいい風――

「――!!」
 ベッドの中でじたばたする。
 そうだ、あいつはどうなのよ。静かだけど……まさか、あたしがこんなに――こんなになのにグーグー寝てんじゃないわよね!
 あたしは、あとで思うと大胆な事をしたと思うんだけど、ベッドから抜けて、カーテンをそっと引いて、ロイドの方を覗いた。
 まだ何もないロイドのスペース。本人は布団にくるまってグーグー寝てた。
「……むかつく……」
 鼻でもふさいでやろうかとベッドに近づくあたしは、布団の隙間から何かが飛び出してるのが見えた。
 脚……手? にしては細いわね……
 部屋は暗かったけど、飛び出してるそれが月の光を反射したのを見て、あたしはそれが剣だって事に気づいた。
「まさか……」
 あたしはロイドが自分の剣を立てかけた壁を見る。剣は二本あって、一本は鞘におさまってるんだけど、もう一本はその鞘しかない。
「……」
 あたしはそっと布団をめくった。そしたら、布団からはみ出してる抜身の剣をしっかりと握ってる手が見えた。
 どうして? と一瞬思ったけど、ロイドの寝間着を見て思い出した。こいつは、つい昨日のお昼前まであっちこっちを放浪する旅人だった。
 武器を持って、魔法を使って、悪い事をする連中っていうのは今の時代たくさんいる。この街……首都みたいな大きな街なら騎士もいるし何も心配することないけど、そうじゃない場所じゃ話は別。
 たぶん野宿もしてたんだと思うけど、寝てるところを賊とか野生の生き物に襲われるなんてよくある話……だから、例えそうなっちゃったとしてもすぐに反撃できるように武器を手にして眠る。
 あたしにとっては変な光景でも、ロイドにとっては普通。
 あたし……ううん、この学院の誰とも、根本的に違う人生を歩んできた男の子。
 それでもって、この学院の誰よりも実戦経験がある。もしそうじゃなくても、少なくともあたしたちよりは緊張感のある人生を送って来た。
 こいつが騎士になったら、きっと変な騎士になる。こいつが言ったみたいに、大切な人を守れればいいっていう……家族とか、愛する人だけの騎士。
「きっとバカにされる。変な騎士って言われる。でも守られる側からしたら、もしかしたらそういう騎士が一番うれしいのかもしれないわね。」
 あたしは自分のベッドに戻る。さっきまでのドキドキが嘘みたいになくなった。むしろ今までよりも……
「……おやすみ、ロイド。」
 一人でそう呟いて、あたしは目を閉じた。

第三章 騎士の証とお買い物

 時に野宿をする事もあったオレの朝は日の出と共に始まる。その時期、その季節の日の出の時間に目が覚めるようになっているオレの身体は、例え久しぶりのフカフカ布団の中であってもその機能を維持した。
「だいぶ早いな……」
 金髪のにーちゃんにもらった学院の説明書に載っていた学食の開店時間までまだかなりある。とりあえずは……
「そうだ、顔を洗おう。やっぱり蛇口があるってのはいいな。」
 川とかの近くで寝れば朝起きて顔を洗う事もあったけどそんなのは稀だったし、大抵は寝ぼけ顔で二人そろって馬車の上だった。
「……エリルはまだ寝てるのかな……」
 カーテンの向こうから動いている気配はしないからたぶん寝ているのだろう。でもなんとなく、エリルは朝の鍛錬とかしてそうな気がするからその内起きて来るかもしれない。
 フィリウスが言うに、女の子の朝は忙しいらしい。鏡の前でしばらく過ごすようだし……ちゃちゃっと顔を洗った方が良さそうだ。
 オレはぺたぺたと踏み心地の良い絨毯を歩き、カーテンの向こう側を見ないようにして洗面所に入る。昨日お風呂を使う時にエリルからある程度の事は教えてもらったし、実際に使う時にも色々試したからオレは既に洗面所マスターだ。
「こっちをひねると……おお、お湯が出た!」
 お風呂場じゃない、ただの手を洗ったりするだけの蛇口からお湯が出る。これはすごい事だ。
 んまぁ、季節的にはそろそろ夏だから冷たい水をかぶるのが普通なのだが……この建物の中の温度は春というか秋というか、なんかちょうどいい温度になっているからあんまり関係ない。
 単純にお湯を出してみたかったというのもある。
「――ぷは。朝からお湯か……贅沢だなぁ……」
 かけてあったタオルで顔をふく。すると――

「……」

 洗面所のドアが開き、エリルが入って来た。オレは何か怒られるかとドキドキしたのだが、エリルは口を開かない。オレは恐る恐る朝の挨拶をする。
「お……おはよう……?」
「……」
 反応が無い。というか物凄く眠そうな顔だ。目は半分もあいていないし、光が無い。
 要するに、起きたばかりの寝ぼけ顔だ。
「……」
 オレの横……というか後ろあたりまで来たエリルは、両腕をクロスさせて自分が来ている寝間着のスカートの部分を掴んだ。
 そしてそのまま、眠たげにノロノロとスカートをたくし上げていった。

 エリルの寝間着は上からすっぽりかぶる感じの服だから、この動きはつまり……脱ごうとしている。何をしようとしているのかはわからないが、オレがここにいるのに服を脱ごうとしているということはどういう事か。いや、そんなの顔を見ればわかる。
 ものすっごく寝ぼけているのだ。

 そのまま見ていたいという欲もあったのだが……靴を踏んづけられたりいきなり突き飛ばされたり……そしてその延長にはきっとあの爆発する鎧攻撃があると直感したオレは、太ももあたりまでスカートをたくし上げたエリルの手を掴んだ。
「……」
 ものすっごい寝ぼけ顔がオレを正面に捉える。
「エ、エリル……落ち着くんだ。そして起きるんだ、エリル……」
「……」
 ぼんやりとエリルの目に光が灯る。
「…………」
 ぐんぐんと開かれるまぶた。
「…………――」
 それにつれて赤くなっていく顔。
「―――――――――!!!」
 わなわなと開く口。そして――
「みゃああああああああああっ!!!」
 オレは洗面所の外に蹴り飛ばされた。


 起きてからしばらく経ったけど、それでも学食の開店時間はまだ先。だから着替える事もないんだが、普通に制服の方が着心地がいいから、オレは上着とまだイマイチ結び方がわからないネクタイを身に着けずにシャツとズボンでベッドの上に座っている。
「……エリル、大丈夫か?」
 カーテンの向こうにオレは話しかける。洗面所から出てきたエリルはカーテンの向こう側に入ってから音沙汰ない。
「あー……と、とりあえず、エリルが朝にシャワーを浴びるタイプってのはわかったし、寝起きがすごく悪いってのもわかったから……もう大丈夫……だぞ?」
「どのへんが大丈夫なのよっ!!」
 シャッと開かれるカーテン。たぶん二十分ぶりくらいに聞いたエリルの声と見るエリルの顔は怒っていた。ちなみに服は……なんだろう、なんかスポーツする人が着る感じの長袖長ズボンの服だった。
「ああああんた、あ、あたしの……み、みたの!?」
 ふと反芻されるエリルの脚。
「……オレが見たのは太ももまで――」
「みゃああああああっ!!」
 炎をまとったエリルの蹴りがせまる。しかしここで避けるとオレの布団が炭になる。だからオレはフィリウスに教えてもらった……えぇっと? なんとかっていう技でエリルの脚を捉え、そのままエリルが来た方向に勢いを戻した。
「なに上手にいなしてんのよ! 燃えなさいよ!」
「む、無茶を言うなよ……」
「じゃあ記憶だけでも燃やさせなさい!」
「もっと無茶だ……」
「大体なんであんたはそんなに冷静なのよ!」
「れ、冷静じゃないぞ。これでもあのまま見ていたい欲と戦ってだな――」
「――!! 変態! 死ね!」

 その後、燃え盛るエリルから家具を守る防衛戦を繰り広げ、朝っぱらから全力の戦いをしたオレたちは数分後、それぞれのベッドに大の字に転がった。
「お、落ち着いたか、エリル。オレも……その、悪かったよ。でもこう……予想できない力と運命的な偶然が必然的にこう……」
「……もういいわよ……」
 ムスッとした声ではあったけど、エリルがそう言ったのでオレはホッとする。
「こ、今後はこういう事がないように気をつけるから……」
「……あたしも……悪かったわね。」
 なんとなく事が落ち着いたところで、オレはふと疑問に思った事を尋ねた。
「でも……あんな眠そうなのになんであんな時間に起きたんだ? 起きちゃったってわけじゃないんだろう?」
「……日課よ。朝は鍛錬してんの。」
 おお、予想通りだ。
「あたしは……魔法はいいかもしれないけど、身体を動かす技術はみんなより無い。だから修行するの。あたしは強くなって――」
「守りたい人がいるんだよな。」
「……お姉ちゃんよ。二番目の。」
「……家族か。」
 オレがそう呟くと、エリルはバッと身体を起こしてすごく申し訳なさそうな顔をした。
「……気にしなくていいよ。というか二番目? エリルって兄弟いっぱいいるのか?」
「……一番目の姉さんと二番目のお姉ちゃん、あと二人の兄さん。」
「五人兄弟! 多いな。」
 オレも身体を起こし、エリルの方を向く。
「でも一番目の姉さんは死んだわ。賊に襲われてね。」
「……悪い。」
「……あんたが謝らないでよ。でも……そのおかげって言うと一番目の姉さんにあれだけど、あたしはあたしの家がそういう狙われやすい家なんだって理解した。そして一番目の姉さんの仕事を引き継いで、危険な目に遭う可能性が高くなっちゃったお姉ちゃんを守るために、あたしは騎士になるのよ。」
「そういう事だったのか……」
 だからエリルは色々と焦っている感じなのだ。もしもエリルが立派な騎士になる前に……そのお姉さんに何かあったらエリルは――たぶん。前のオレになる。
「オレ……魔法の事とか、ここでの生活とか、たぶん色々エリルの世話になると思う。」
「なによいきなり。」
「だからさ、その代わりっていうか……オレに出来ることがあったら言ってくれ。エリルがエリルの目標に到達するのを、オレは手伝いたい。」
「……ありがとう。」
 オレとエリルは互いに笑い合った。そして、エリルはその後ふと思いついたように両手をパンと叩いた。
「じゃあロイド。あたしに体術を教えなさいよ。」
「? オレが?」
「一昨日の模擬戦の時も今も、あんたはあたしの攻撃を全部避けたり防いだりした。たぶん、同学年じゃダントツで、もしかしたら二年生にも通じるくらいにあんたの体術はレベルが高いのよ。」
「……ローゼルさんも褒めてくれたけど……よく考えたら騎士の家の人とかって小さい頃から修行しているんだろう? 時間で言ったら十何年ってところで、オレがフィリウスから教わったのは六、七年だぞ?」
「長ければいいってわけじゃないわよ。単純に……そのフィリウスって人がそこらの騎士とは比べ物にならないくらい強いのか、教え方が上手なのか……とにかく、あんたがすごいのは確かよ。」
「……エリルがそう言うなら……わかった。教えられることは教えるよ。」
「じゃあさっそくやるわよ、庭に出て。」
 そう言ってエリルはあの鎧を装着して窓を開けた。この建物は外から部屋が覗かれないように高い木に周囲を囲まれていて、窓からはその高い木と、木と建物の間に広がる芝生が見える。オシャレな机とかが何個かあって、確かに庭だ。
「……そこ、使っていいのか?」
「むしろそういう目的で使う人の方が多いわよ。たまに屋外パーティーとかやるらしいけど。」
「へぇ……というかその……なんかスポーツやる人みたいな格好でやるのか?」
「ジャージよ……制服着て修行なんかしないわよ。」
「悪かったな。これしか持ってないんだ。」
 靴を履いて庭に出る。朝日が気持ちいい。
「でも……その、ジャージってのにその鎧の一部は合わないな。」
「鎧の一部?」
 エリルは一瞬意味が分からないという顔をして、そして自分が装備しているモノを見た。
「……確かにそうだけど……これはこれ単体よ。こっちの手のがガントレット。足のがソールレットよ。」
「ガントレットとソールレット……なんかカッコイイな。」
「ちなみにあんたの剣は……ガードが無いから変だけど、バスタードソードだと思うわよ。」
「ガード?」
「握るところと刃の所の間につく……ほら、飾りとかが付く場所。」
「ああ、そういうのはないな。」
「あれもフィリウスって人が?」
「そうだ。くれた。」
「つまり、あんたの強さは全部フィリウスって人から教わったモノなのね。」
「……自分にはできないけどオレならできそうって言っていたけどな。」
「なによそれ。」
 そんな雑談をちょいちょいしながら、オレとエリルは朝っぱらから二回目の戦いを始めた。



「……どうして君たちは朝からそんな、「いい汗かいたー」というさっぱりした顔なのだ?」
 朝の鍛錬の後、いい感じにお腹がすいたあたしたちは学食で朝ごはんを食べてた。入学してからずっとやってきた朝の鍛錬だけど……今日ほど充実したっていうか……朝ごはんが美味しくなるくらいに頑張ったのは初めてだった。
 ロイドがいるから――いいえ! 教えてくれる人がいるからね! やっぱり我流じゃ限界があったのよ、そうなのよ!
 と、とにかくそんな感じにおいしい朝ごはんを食べてたらローゼルが口をへの字にして、あたしの前に座ってるロイドの横に座った。
「あ、おはようローゼルさん。」
「おはよう。昨晩は眠れたか?」
「うん、宿直室の布団よりもフカフカだったし。」
「それは良かった。わたしは君が消し炭になっていないかと心配であまり眠れなかったよ。」
 そう言ってローゼルはあくびをする。
「大丈夫だ。消し炭になりそうだったのはオレのベッドだし、それは起きてからだったから。」
 ロイド! 余計な事を!
「ほう……興味深いな。何があったのだ?」
「えぇっと……エリルがぼぶっ!」
 朝の事をペラペラしゃべりだしたロイドの口にあたしはパンをねじ込んだ。
「どうだっていいでしょ! ほ、ほら、今日はイメロをもらう日じゃない!」
「まったく誤魔化せていないが……まぁあとでいいだろう。実際、わたしも含めて今日は一年生の誰もがソワソワしている。」
「へぇー、イメロってそんなに良いモノなのか……」
 イメロの事を全然知らないロイドがパンをもぐもぐしながらそう言った。
「騎士の必需品的だったりするのか?」
「必需品というか……騎士しか持つことを許されていない。だから言い方を変えれば、騎士である事の証だ。」
「おお……そりゃ大事な物だな。」
「勿論、それ以上の意味がある。今日はイメロの使い方や規則についての話だけで一日が終わるしな。」
「え、じゃあ今日の授業はイメロだけ?」
「そうだ。そのかわり、いつもより少し早く終わるがな。明日は休日な上に授業が早く終わり、かつイメロももらえる。今日はなかなか嬉しい日なのだ。」
「? 明日休みなの?」
「なによあんた、曜日感覚ないの?」
「今までは曜日も何もなかったからなぁ。そうか休みか。なら服を買いに行こう……」
「そういえばそう言っていたな。では明日街に出よう。」
「だからなんであんたが当然みたいに!」
「エリルくんはロイドくんがいない間にクローゼットの中を整理するといい。」
「余計なお世話よ!」



 オレとエリルとローゼルさんがいるクラスの担任の先生というのは、つまりオレとエリルの模擬戦の審判をしていたあの先生で、結構授業毎に先生が変わるらしいこの学院だからイメロの授業をしてくれる人はどんな人なのだろうと思っていたのだが、結局担任のあの先生だった。
 どうやらイメロについてはそのクラスの担任の先生が説明するらしい。
「うーっし、授業始めんぞ。」
 まだ数えるくらいしか見ていない担任の先生。
 ヒール……だったかな? かかとが高い靴を履いているけど、それを差し引いても女の人にしては背が高い。黒いパンストに黒いタイトスカート、胸元のボタンを一、二個外した白いブラウスの上にまた黒いジャケット。そして茶色い髪の毛を頭の後ろでくるくるっとまとめて眼鏡をかけている。
 ……服なんかにはうといオレが服の名前を知っているのは、前にフィリウスが「こういうのが俺様的にはたまらねーのよ! わかるか、大将!」と言われて、わからないと答えたら小一時間ほど解説された事があるからだ。下手な図解付きで。
 まさに……フィリウスの言う所の「女教師」な格好をしている。
 んまぁ、そんな格好なのにエリルとの模擬戦に目にも止まらぬ速さで割り込んでエリルのパンチを止めたんだから、やっぱりただ者じゃない。
 口調も乱暴で、結構ガサツな感じが逆に強そうに見えるというかなんというか。
「……おい、サードニクス。」
「ほえ、あ、はい!」
 先生に呼ばれたからとりあえず起立するオレ。
「上から下まで、そんな熱い視線を私に送るな。」
「はぁ……すみません。」
 じろじろ見ていたのが気に障ったのだろう。そう思って謝ったのだが、ローゼルさんからは怖い目で見られ、エリルには足を踏まれた。

「さて、今日はお前らが待ちに待った日だ。今日、お前らにはイメロを渡す。」
 先生がそう言った瞬間、みんなの歓声がわきあがった。だがそんな大騒ぎも、先生がすっと挙げた拳の前に沈黙した。
 先生の拳には何の意味があるのやら。
「お前らは既にイメロについてかなり詳しいだろうから、今更説明すんのもだるいが……そういう騎士の当たり前をまったく知らない奴がこのクラスには一人いるし、それにイメロを渡す時には使い方とか注意事項を説明する事が私らの義務であり、お前らにはそれを聞く義務がある。」
 いつもは立っている先生が、今は教卓の椅子に腰かけている。本当にめんどくさそうだな。
「そもそもイメロとは何か。簡単に説明してみろ、リシアンサス。」
 先生が呼んだのはローゼルさんの苗字。呼ばれたローゼルさんはすっと立ち上がる。
「はい、先生。イメロ、正式名称イメロロギオは魔法の効果を増幅させる装置の名称です。」
 ? なんかいつもと雰囲気の違うローゼルさんだな。
「その通りだが……意識や自覚っていう面から言うと満点はあげられない。リシアンサス、もっと別の言い方をすると?」
「はい。イメロは魔法の――威力を増幅させる装置です。」
「そうだ。確かに、正確には『効果』を増幅させるモノだが、ここはあえて『威力』っつー単語を使う。座っていいぞ。」
「はい。」
 ローゼルさんの口調がなんか違う。いや、目上の人と話すわけだから敬語にはなるだろうけど……なんかそれ以前に別人みたいだ。
 これがエリルの言う、優等生ローゼルさんか?
「イメロは魔法の威力を増幅させる。初歩の初歩の魔法でも十分な効果を持ったモノにする便利な道具だが……日常生活で使うには増幅率が高すぎる。だから使われるのはもっぱら戦闘。だから『威力』なんだ。」
 結構大事な事をしゃべっているはずなのだが、ついには先生、頬杖をつき始めた。
「騎士として、誰かを何かから守るには力が要る。そしてイメロはその力を与えてくれる。だが残念、イメロは別に騎士でなくても使える。そう、悪党でも。」
 頬杖をついていない方の手をすっと挙げる。すると先生の手に電流が走った。
「これは第二系統の雷魔法において初歩中の初歩。ただの帯電だ。だが――」
 パーに開いていた手をグーにした瞬間、先生の手から天井に向かって雷が走った。教室の中が一瞬物凄く明るくなり、雷鳴が轟く。クラスのみんなが息を飲む。
「イメロを使うとこういうクラスの魔法になる。大して魔法の勉強をしてないド素人でも街を潰せるくらいの力を手に入れる。これは脅威だ。絶対に、悪党の手に渡してはならない。わかるか、サードニクス。」
「……あ、はい。」
「……義務とは言ったが、半分お前のために話してるようなもんだ。しっかり聞けよ。」
 すごくだらけた態勢でそう言われたが、その眼は真剣そのものだった。
「だからイメロには決まりがある。ここみたいな騎士の学校で所定の教育を修了した者にのみ、イメロは渡される。そしてすぐに、そいつしか使えないように魔法をかける。正式な騎士の見習いになって初めて手に入れる事ができ、かつそいつ専用となるわけだ。」
「……先生。」
「なんだ、サードニクス。」
 半分オレのためなら、オレが分からない事はガンガン質問しようと思った。というか、それが目的のような気さえする。
「えっと……ちゃんとした人に渡されるってのはわかりましたけど、もしも騎士の見習いに悪い奴がいたら……?」
「そいつが悪党だと判明した時点でイメロを渡した者によってイメロを破壊される。そういう仕組みになってるんだ。お前らの場合は学院長な。」
「……じゃあ渡した人が悪者だったら戦うしかないんですね。」
「そうなるな。ま、さすがにその辺の人選は慎重に行われる。ちなみに言うと、イメロを持った状態で人々の害になる存在と認識された場合、そいつはS級の魔法生物として扱われる。全ての騎士が総力をあげて、そいつを殺す。」
「な、なるほど。」
「だから、イメロを持つって事に相応の責任感を持て。それは騎士の証であると同時に、災厄を生む可能性だ。」

 イメロを持つ上での心構えみたいなものを話した後、先生はイメロそのものの説明に入った。


 昔、魔法生物を見て人間もマナを使いたいと思い、その結果魔法という技術が生まれた。だけど人間の使う魔法には欠点があった。
 一つ目は身体への負担。元々魔法――マナを使って何かする生き物ではない人間が、体内にマナを取り込んで魔力に変えて……なんてことをしているわけだから、身体に良いわけはない。
 二つ目はマナの量。体内にマナを生む器官を持っていない人間は、自然が生み出したマナを使う。その総量は膨大だし、生み出され続けるから無くなるってことは心配していない。
 だけど例えば、ある人がある場所ですごい魔法を使ってその場にあるマナを使い尽くしてしまうと、そこでは一時的に魔法が使えなくなる。そしてこういった理由から、ある一定量を超えるマナを必要とする魔法は人間には使えない。
 魔法生物なら身体に負担なんてかからない。そんでもって体内にマナを生む器官がある上にそれをためておける種族もいたりして、時間をかければ大規模な魔法を発動できてしまう。

 一つ目はしょうがないとしても、二つ目はなんとかできるんじゃないか。そんなこんなで初めはマナを生み出す装置を作ろうという研究が行われたんだけど、結局作れなかった。
 だけど代わりに、その研究の過程でイメロというモノが生まれた。
 確かにイメロはマナを生み出す装置だった。だけど当初目指していた、どの系統にも使えるあのいつものマナではなく、一つの系統にしか使えないマナを生み出した。
 強化のマナ、雷のマナ、光のマナという風に、その系統専用のマナを生み出す装置になったイメロだったけど、それでも十二種類作れば目指していた物と同等になる。研究者はそう思った。
 だけどイメロが生み出すマナで起こした魔法は、何故かとんでもなくその効果を増大させた。使う系統が限られた分、その系統の魔法をより純粋に表現するから……研究者たちはそう考えた。
 何にせよ、人工的にマナを補充できる事には変わりがないし、効果が増大するなんてむしろいいことだと研究者たちは喜んだが、実際に使ってみるとそうでもなかった。
 例えば火の魔法で料理を作るとする。いつものマナを使って火を出したなら、その温度や大きさ――火加減は発動させた人の思いのままに調節できた。だけど鍋を何十分も煮込むとかなると、その間ずっと魔法を発動させ続けるのは結構辛い。そうだ、こういう時こそ効果を増大させるイメロの出番。ちょっとのマナで大きな火が得られるのなら身体への負担は減る。
 しかしどうしたことか。イメロが生み出した火のマナを使って火を出すと料理が丸焦げになる。魔法を発動させた人ができる限り魔法の威力を小さくしてロウソクサイズの火を思い浮かべても、料理を半分炭にしてしまった。
 そう、イメロが生み出した専用のマナで発動させた魔法はその効果が大きくなり過ぎる上に調節が難しく、日常生活は勿論、制御が困難となれば大きな力が必要な工場などでも危なくて使えないし、研究の現場にも向いていない。大規模な魔法発動は確かに可能になったが、その使い道はほぼ攻撃に限定されてしまっていたのだ。
 そんなモノを必要とする者がいるとすれば、それは強力な魔法を使う魔法生物と戦うことのある騎士以外にはありえない。

 そんな昔話を経て、イメロは騎士の持つべき物、騎士の証となった。

 イメロは、言ってしまえば綺麗な石だ。それを思い思いに加工したりなんなりして装飾のように自分の武器に取りつける。これが一般的なイメロの付け方らしい。
 どうして武器に取りつけるのか。それはイメロの起動方法に関係がある。
 イメロが専用のマナを生み出すためには系統それぞれで定められた何かをイメロに与える必要がある。
 わかりやすいのが自然の力を操る第二から第八系統のイメロ。例えば火なら、火のイメロに火をあてればいい。自然の火でもいいし魔法で出した火でもいい。とにかくイメロに火をあてることで、火のイメロは火のマナを生み出す。
 水のイメロならイメロを濡らす、雷のイメロなら電気を与える。そんな感じでイメロを起動させるのだ。
 だから……そう、例えばエリル。エリルが使うとしたら火のイメロであり、それを取り付けるとしたらガントレットとソールレットを装備してあの爆発攻撃をする時に火が噴き出る場所だ。初めの一回は自然のイメロで火を出し、次からはイメロが生む火のマナを使って火を出す。その火でまたイメロがマナを生む。そういう使い方をするのが一番効率がいいから、大抵武器に取りつけるのだ。


 イメロの解説が終わり、オレたちはそれぞれの得意な系統に合ったイメロをもらった。オレの場合は風のイメロ。起動のさせ方はイメロに風を当てる事。
 風のイメロは大抵武器の先端や刃の真ん中あたりに取りつけるらしい。そうすれば、武器を振る度にイメロがマナを生み出し、強力な風の魔法を使えるからだ。
 オレは……そこまで聞いて自分の剣術の意味に気が付いた。
「オレの曲芸剣術って……」
 オレがイメロを手にボーっとしているとエリルとローゼルさんが同じ事に気づいたらしく、ちょっと驚いた顔で近づいて来た。
 今オレたちは校庭にいる。もらったイメロを早速使ってみようという事だ。
「ねぇ、ロイド。あんたのあのクルクルってまさか……」
「風のイメロに常に風を与える事で風のマナを生み出し続ける……という意味があるのではないか?」
「オレもそう思った……」
「ああ。それで正解だ。」
 オレたちが集まっているのを見て、先生がやってきた。
 ? どうでもいいけどオレ、先生の名前知らないな。
「正解とはどういう事ですか、先生。ロイドくんの剣術に心当たりが?」
「ん? 勉強熱心なリシアンサスでも知らないか。まー無理もない。サードニクスのそれは古流剣術だからな。」
「古流剣術?」
「言っとくが、伝統ある剣術って意味合いじゃない。昔の馬鹿が考えた馬鹿な剣術って意味だ。」
「……と言いますと?」
「どうすればイメロに効率よくマナを生み出させることができるのか。大量のマナを早く作れればそれだけ強力な魔法をバカスカ使えるって事だからな、昔の騎士はそればっかり考えてた。例えばクォーツの火。」
 先生がエリルのガントレットを指差す。
「例えばその装備に油を塗ってみたり、火打石を仕込んでみたり、とにかく早く、定量的に、簡単に、イメロに火を与える方法を考えたわけだ。」
「無茶苦茶ね……」
「その通りだ。だがイメロが開発されてすぐの頃はそんなもんだった。その時に生まれた、風のイメロに対する効率のいい剣術ってのが、サードニクスの剣術なんだ。」
「……剣をグルグルと、速く、そして構えている時も回していれば大量の風のマナを生み出す事ができる……そういう思想ですね?」
 ローゼルさんが若干呆れた顔でそう言った。
「そういう事だ。だが剣は回すモノじゃない。重いからそんな早く回せないし、そもそも無駄に疲れる。馬鹿な剣術さ。だが――」
 突然、先生がオレの手を握る。
「この手はそれを可能にしている。馬鹿な剣術ではあるが――もしも実現できたならこれ以上に風のイメロと合う剣術は無い。サードニクス、お前はそういう剣術を身につけているんだ。ほれ、回してみろ。」
 もらった風のイメロを先生が貸してくれた簡単な留め具で刃の真ん中あたりに取り付ける。そして、オレはいつものように剣を回した。
「……えっと……?」
 自然が生み出したマナが目に見えないのと同じように、イメロが生むマナも目には見えないということなので、当然何か変化があるわけではないのだが――
「これはすごいな。」
 一人、先生だけ驚いていた。
「先生、何がすごいのか……わたしたちにはわからないのですが……」
「ん? ああ、それは仕方がない。イメロを長く使ってるとなんとなく、感覚的ではあるんだが自分の周囲に今どれくらいのマナがあるかってのがわかるようになる。今日もらったばっかのお前らに気づけって言う方が無茶だ。」
「すると先生には今、ロイドくんが生み出している風のマナが感じられるということですか?」
「ああ……正直とんでもない量がものすごい早さで生み出されてる。このペースなら……そうだな。家を丸ごと吹き飛ばせる竜巻をいつまでも出現させ続けることが出来る。ま、使用者への負荷を無視すればって話だが。」
「あのー……そんなにいっぱい風のマナを作って大丈夫なんすかね……自然がおかしくなったりしませんかね……」
 オレが恐る恐るそう聞くと、先生は笑った。
「心配ない。確かにイメロが生み出すマナは自然界にはないマナだが、空気中に存在する圧倒的な量の自然のマナがそれを中和する。どんなにたくさん作っても二、三日すればきれいさっぱりだ。」
「それよりロイド、あんたなんか魔法使ってみなさいよ。」
 そうだ。マナは魔法に使うモノだ。イメロは魔法を使うための道具だ。
「……って言われても昨日エリルに教えてもらった風の魔法しか知らないぞ。」
「丁度いいんじゃないの? あれは初歩の初歩だから、風のマナで威力が増幅してもそんなに大変な事にはならないだろうし。」
「なるほど。」
 しかし剣を回しながら魔法を使うのか。えぇっと? まずはこう、手の平に空気の渦を作るイメージ――って右手はダメだな。左手で……
「あ、少し待ってくれロイドくん。」
 オレが風をイメージしているとローゼルさんがそう言って五歩くらい下がった。
「あんた何してんの?」
「うん? これから風が巻き起こるのだ。わたしは恥ずかしいから下がる。今日のエリルくんが勝負下着だと言うのなら別にいいが。」
 言いながらローゼルさんは自分のスカートを軽く抑えた。それを見てエリルもその事に気づき、キッとオレを睨みつけた。
「バカロイド! 変態!」
「とばっちりだ!」

 魔法を使うには、まず皮膚を通してマナを体内に吸収する。これは皮膚で息をするイメージ。全身で周りの空気を感じ取り、溶け込む感じ。
 この段階ではまだマナが体内に入っただけで何も感じない。ここから呪文を唱えてマナを魔力に変える。んまぁ、と言ってもオレがやろうとしているのはエリルがいうところの初歩の初歩だから呪文はない。だから必要なのは風のイメージ。
 空気の流れ、小さな渦。

「むん!」
 オレは意気込んでそう呟く。身体の中からスゥッと何か、力強いモノが抜けていく感覚。放たれた魔力はオレのイメージにしたがって風に――
「……あれ?」
「……ん? もしかしてロイドくん。今、魔法を使っているのか?」
「い、一応……」
「はぁ? 何も起きないじゃない。」
 そう、風の一つも起きない。
「まじか。」
 何も起きない状況で、これまた一人、先生だけ驚いていた。オレたちとは違う感じに。
「これは……さっきよりも驚きだな。なるほど……その剣術を扱うという事は回転を――」
「ちょっと、何が起きてるのか教えなさいよ。」
「……クォーツ、一応私は先生なんだぞ? まぁいいが。よく見てろ?」
 先生は校庭に落ちていた小さな石ころを拾い上げ、それをオレに向かって投げつけた。投げたと言っても軽く放った程度だから別に避けようとも思わずにその石ころを見ていると――

 パシッ

 オレに向かってふんわりと飛んできた石ころは、何故かオレの手前で何かに弾かれたみたいに急に方向を変えてどこかへ飛んでいった。
「あまりに速くてあまりに精度が高いから見えないし感じないが……今、サードニクスは風の渦の中にいる。」
「風の渦? ロイドくんの周りには竜巻が生じているのですか?」
「ちょっと違うな。イメージするなら……シャボン玉だ。うっすい空気の層でできたシャボン玉。しかもそれは高速回転してる。」
「なによそれ。ちょっとロイド、何でそんな高等魔法使ってんのよ!」
「えぇ? 知らないよ……」
「クォーツ、別にこれは高等魔法じゃないぞ。今サードニクスが使ってるのは初歩の風魔法。イメロを使ってるから普通にやれば、お前らのスカートをめくるには十分な突風が生じてるはずだ。」
「生じていませんが。」
「ああ。ひと吹きで終わるはずの風を、何故かこいつは自分の周囲で回転させてるんだ。」
「えぇ? でもエリルが、風の魔法はまず渦をイメージするとこからだって……」
「それは間違ってない。元々は色も形も無い空気だからな、それをイメージしやすいように竜巻みたいな回転する風をイメージするのは正解だ。だがお前のイメージする『回転』が問題なんだ。」
「オレのイメージ?」
「普通の奴がイメージする『回転』とお前のとじゃたぶんだいぶ違う。恐らくその剣術のせいだろうな……『回転』に対する桁外れの具体的なイメージ……速度や精度ってものまでお前はイメージできる。その剣をそこまで自在に回せるお前だからこそできる事だな。普通の奴じゃどう頑張ってもこんな綺麗な球形の竜巻は作れない。」
 ……よくわからないが、オレはなかなかすごい事をやっているらしい。
 そしてそれはこの曲芸剣術のおかげらしい。
 風のマナを作りやすくてなんかすごい魔法にもつながるこの剣術……フィリウスはここまで考えてオレにこれを?
「しかし……これはどのようにして使うのでしょうか。」
 スカートを抑えるのをやめたローゼルさんがあごに手をあてて考えるポーズ。
「今ロイドくんが使っているのは初歩の風魔法。仮にそれをより威力のあるモノにしたなら、そのシャボン玉状の竜巻の威力も増すのでしょう。先ほど先生が投げた石ころを弾くのではなく砕く事も可能でしょうし、シャボン玉を広げればそれは十分に攻撃手段ですが……」
「ああ……それだと、あの剣は本当に、イメロを発動させるためだけに回してる事になる。」
「え、ダメなんですか?」
 オレがそう言うとエリルがオレの右手を指差す。
「だってそれじゃあ、それが剣である意味がないじゃない。ただの棒でもいいことになるわ。それは剣術って言わない。」
「……昔のお馬鹿さんが考えた剣術なんだろ? そういう事もあるんじゃないか?」
「かもしれないけど……それならあんたが最終的に両手で回せるようになる事を目指してる意味は何よ。マナをたくさん作りたいなら片方の剣にイメロを複数つければいい話だし、両手で回す必要はないわ。」
「? 言われてみればそうだな。」
 これはさすがの先生も首を傾げている。
「……まー、今日は別に古流剣術の真価を知る日じゃないからな。とりあえずそれは今度考えるとしよう。サードニクスはうまい事イメロを使えるとわかった。クォーツたちも使ってみろ。」
 先生自身もしっくりこない感じだけど、そう言って先生はスタスタと他の生徒の所に行った。
「……ロイドのが変過ぎて自分のを忘れてたわ。」
「ひどいな……」
「ふふふ、わたしたちも使ってみるとしよう。」
 二人がそれぞれに準備を始めたから、オレは剣の回転を止める。すると、オレの周りで高速回転していたらしい空気が、オレが剣を止めて魔法を使うのを止めた瞬間に周囲に散った。
 突風となって。
「な!?」
「きゃっ!」
 一気にめくれる白い布。奥に見える赤と青。
 そう、二人のスカートが盛大にめくれたのだ。
「あ……えっと……」
 女の子のスカートを覗く……というかめくるという、六、七年旅人だった世間知らずのオレでもそれの嬉しさとやばさは知っているつもりだ。
「わ、わざとじゃないのです! こうなるとは……その……」
 わなわなと震えながら二人がこっちを見る――いや、睨みつける。
 もう見慣れてきた真っ赤なエリルと、少し顔を赤くしてなんかかわいい感じの顔になったローゼルさん。
 何か、何か言わなければ!
「ふ、二人ともその――イメージに合った色でした!」
「忘れろ!」
「死ねバカ!」



 イメロは欲しい数だけくれるらしいから、最終的には両手両足分の四つをもらうと思うけど、とりあえず今日は一個だけ。あたしはそれを右手のガントレットにとりつけた。
 火のイメロを使うにはイメロに火を与えなきゃいけない。別にマッチをすってもいいけど、普通は魔法の火を使う。初めの一回だけはいつものように自然のマナを使って、あとはイメロが生む火のマナを使う。
 小さな火を起こしたあと、あたしはいつもより火を抑えるイメージでガントレットに火をつける。そしたらいつもの数倍の火柱が燃え上がった。
 今まで重いと思って運んでた石が急に軽くなってびっくりするような感覚。軽石を持ち上げた時みたいに、拍子抜けするくらい楽に火を出せる。その気になればもっと強力な火を出せると思う。
 だけど――
「なんか浮かない顔してるな、エリル。どうしたんだ?」
 両のほっぺにあたしとローゼルの手のあとをつけたロイドが燃え盛る炎を熱がりながらそう言った。
「こんなすごい炎を出せるって事は、エリルのパンチの威力もあがるんだろ?」
「……あれ以上あがっても意味ないわよ。」
「そうなのか?」
 あたしは魔法を調節して火の大きさをいつものサイズにする。感覚的には種火くらいのイメージでようやくいつも通り……大雑把な調節しかできなそうだし、確かにこんなんじゃ料理は無理だけど、戦闘となったら心強い……だけどあたしの攻撃は……
「あんたの言う通り、爆発の威力をあげれば攻撃の力も大きくなるわ。でもあんまりあげるとあたしの腕や脚が耐えられなくなるのよ。最悪……千切れるわ。」
「千切れる!? そ、そんな危ない魔法だったのか、あれ。」
「敵に当たるなら別にいいけど、この前のあんたみたいに避けられると爆発の威力はそのままあたしの身体を引っ張る。あたし自身が前に出たり、爆発の方向を調節したりして身体に負担はかからないようにしてるけど……爆発が強すぎるとダメなのよ。」
「そもそも、何故エリルくんはそういう戦い方にしたのだ?」
 あたしが自分の右手を見つめてると、ローゼルがそう聞いた。
「元々体術が得意というくらいしか、そういうスタイルを選ぶ理由が思い浮かばないのだが。」
「……――のよ。」
「ん? よく聞こえなかった。」
「だから! 武器が使えなかったのよ!」
 ローゼルは二、三回目をぱちくりさせたあと、ポンと手を叩いた。
「なるほど。エリルくんは不器用なのだな。」
「わざわざ言わなくていいわよ!」
「んなぁ、エリル。」
 バカにした顔で笑ってたローゼルは、ロイドと目が合うと顔を赤くしてそっぽを向いた。対してロイドはそんなローゼルを気にもとめないであたしの右手を指差した。
「千切れるならいっそこれを飛ばしたらどうだ?」
「は?」
「爆発の威力でこの――ガントレットを撃ち出すんだよ。」
 いつもすっとぼけた感じのロイドはたまに見せる真剣な顔で腕を組む。
「いや、この前エリルに迫られた時に思ったんだけど――」
「迫られた!?」
 そっぽ向いてたローゼルが珍しく――っていうか見た事ないくらい慌てた顔でこっちを見た。
「ま、まさかエリルくん、ロ、ロイドくんを押し倒したり――」
「してないわよ!」
「えっと……この前の模擬戦の話なんだけど……」
「あ……ああ! 模擬戦の話か! 紛らわしい……」
「今の会話でそっちを思い浮かべるあんたが変なのよ……」
 なんかいつもと立場が逆になったあたしとローゼルを不思議そうな顔で眺めるロイド。
「あー……そう、この前の模擬戦でエリルと接近戦をした時に思った事なんだけど、エリルの戦い方って狙ってそうしているのかはわかんないけど、すごいんだよ。」
「!」
 ロイドが言おうとしてるのはたぶん、あたしの戦い方の……評価みたいなものだ。
 セイリオス学院に入るために始めた戦う練習。家では誰も賛成してなかったからあたしは独学で体術の方を勉強した。時々クォーツ家に仕えてる……目標にしてる騎士のアドバイスを受けながら、あたしは今の戦い方を身につけた。
 入学するために学院長の前で披露し、その後は手抜きで戦う他の生徒相手に見せただけ。
 あたしと本気で、あたしの技術と真面目に向き合ったのはロイドが初めてなんだ。
「爆発の力ですごい威力のパンチとキック。加えてガントレットと……えぇっとソールレット? が常に炎を吹き出すからエリルの姿が見えなくなるんだよ。」
「……それは知ってる……ていうか、威力をあげるのと同時に相手の目をくらますって意味もあるのよ。でなきゃ、常に火を出し続けないわ。」
「そうか。あれは狙ってやっていたんだな。でも、たぶんエリルが思う以上にこっちの目はくらまされているぞ。」
「そ、そう?」
「目の前は炎の壁で、そこからいきなりパンチやキックが飛び出してくる。予測しづらいし、予測できてもあれだけの近距離であんな速さだから、わかっていても避けるのは大変なんだ。」
 そこまで淡々としゃべったロイドは突然申し訳なさそうな顔をする。
「――っていうか、別にオレ戦闘のプロってわけじゃないし、自分が教わった技術のちゃんとした意味もよくわかってないから……偉そうにしゃべっているだけだけど……」
「いいわよ。むしろ素直な感想の方がありがたいわ。」
「そ、それなら良かった。えっとな、それで確かに避けづらいんだけど……避けられるんだよ。確かに速くて威力の高い攻撃なんだけど、エリルの腕や脚以上の所には届かないから。」
「……リーチが短いってことね?」
「オレは、ほら、炎まで避けてたからあれだったけど……拳や脚だけでいいならもっと簡単に避けられたと思う。」
「……言うわね。」
「す、素直な方がいいんだろ? もしもエリルの使う武器が剣とか槍とかだったら、あれだけ迫られると大変なんだろうけど……エリルの場合あそこまで迫ってもまだこっちには余裕があるんだ。」
「……それで……ガントレットを飛ばせってことになるわけ?」
「ああ。逆にリーチが短いって思っている分、いきなり飛んできたら避けられないぞ。」
 あたしが……本当の意味で初めて戦った相手が、こうするといいんじゃないかってアドバイスをくれた。これはきっと、すごく勉強になることで、それこそ素直に聞いてみるべきだと思う。
「……ガントレットを撃ち出すなんて聞いたことないわね。でもせっかく……あ、あんたが提案してくれたんだし、やってみるわ。」
 あたしは誰もいない方を向き、ガントレットを浅く装着する。そして右腕を構え、イメロに火を与える。
 どうなるかわからないけど、とりあえず今までと同じ感覚で爆発させようと思う。イメロの力で同じ感覚でも爆発の威力は倍増していると思うから、かなり飛ぶんじゃないかしら。
「行くわよ……」
「おう。」
 火と風を渦巻かせ、爆発のイメージ。
「はっ!!」
 右腕を突きだすと同時に爆破。瞬間、ガントレットは大砲みたいな音を響かせて発射された。思った以上の速さで飛んでったガントレットは何かにぶつかったみたいで、ゴォンという音が遠くで聞こえた。
「ちょ、あたしのガントレット、どこ行ったのよ!」
「あっちだ。行ってみよう、エリル。」
 あたしとロイド、それとローゼルは小走りでガントレットが飛んでいった方に向かう。その先には壁が立ってた。
「あれは遠距離武器を使う者たちが使う壁だな。ほら、壁面に的が描いてあるだろう? おそらくあれにぶつかっ――」
 ローゼルの言葉はそこで途切れた。正直、あたしも言葉が出ないくらい驚いた。
 ぶつかるなんてもんじゃない。あたしのガントレットは、その壁に突き刺さっていた。
「うわ! めり込んでるぞ! あんな遠くから撃ってこの威力か……」
 あたしたちはさっきまでいた場所を振り返る。壁からの距離はざっと二……三百メートルってところかしら……
「なあ、エリル! 火の魔法って手から離れても使えるのか?」
「な、なによそんなワクワクした顔して……できるわよ。今のあたしだと五メートルくらいだけど……」
「じゃあ練習すればもっとできたりするのか?」
「……練習すればね。それが何よ。」
「例えばだけどな? 近距離でガントレットを発射したとして、それでも避けられたりするかもしれないだろ? でも、そのガントレットが相手の後ろから戻ってきたりなんかしたらもうてんてこ舞いだぞ。」
「!」
 飛ばしたガントレットを操作……あたしの腕が千切れちゃうような爆発でも、発射させるなら爆発を抑える必要はない。
 あたしの手が届かない所にいる相手に発射……それを避けて迫って来る敵に近距離戦闘で対応……今のままでもまともに当たれば相当なダメージを与えるくらいの威力はあるはずだから、あたしが格闘で使う時には今まで通りの爆発でいい――はず。
 そうして……ロイドが言った事が本当なら、敵は火の壁の前であたしの攻撃の対応に追われる。そこに戻って来るガントレット……それすらも避けられたとしても、そのすきを逃さずにあたしが攻撃――
 すごい……色んな戦い方が浮かんでくる。あたしが、強くなる光景が見える!
 発射したガントレット……もしも、イメロを使って作れる最大規模の爆発で発射してたらどんな威力だったの? 巨大な魔法生物とだって戦えるかもしれない!
「あたし……あたし、強くなれる……!」
 お姉ちゃんを守る騎士に、あたしは近づける! 今よりももっと!
「よかったな、エリル!」
 自分の目標に近づいた喜びから一転、あたしは、まるで自分の事みたいに嬉しそうにしてるロイドを見て心臓が止まりそうだった。
「――!!」
 何もかもロイドのおかげ。それがあたしの――あたしを――
「――……れ、礼を……言うわ! あ、ありがと……」
「? 何が?」
「な、何って……ア、アドバイスをくれて……よ……」
「わかんないぞ? 思いついて言っただけだし、よく考えたら欠点だらけかもしれない。」
「そ、それでも……ありがと……」
「うん。」
 ニッコリ笑うロイドと、顔が熱すぎてどうにかなりそうで地面を見つめるあたし。

「オホン、コホン!」

 そんなあたしたちの横で、ローゼルがすねた顔でわざとらしい咳払いをした。
「じゅ、順番的に次はわたしの番だ。見てくれるかな、二人とも。」
「ローゼルさんの? そういえばオレ、ローゼルさんの武器とか全然知らないぞ。」
 そう言いながらロイドは壁に突き刺さったあたしのガントレットを引っこ抜く。あたしはそれを受け取って右手に付け直そうとする。でも……なんか手が震えて慣れてるはずなのにうまくつけれない。仕方なく、あたしはガントレットを手に持ったままローゼルの方を向いた。
「わたしの武器はこれだ。」
 ロイドほどじゃ全然ないけど、ローゼルが自分の武器をクルクルと片手で回す。
「? 棒?」
「ふふふ、ちょっと違うよ、ロイドくん。」
 回転を止めて構えるローゼル。真っ白な棒の先端に、三つ叉の刃が光る。
「へぇ。ローゼルさんは槍使いなんだな。」
「トリアイナ。トライデントとも呼ぶか。三つの刃を持つ三叉槍だ。まぁもっとも、普段はこの刃は使わないがな。」
「? どういう事?」
「こういう事だ。」
 ローゼルが刃を上にしてトリアイナで地面をトンと叩く。するとトリアイナの刃がパキンと氷に包まれた。包んだ氷はそのままトリアイナの刃を拡大した感じに刃の形をしてる。
「氷の槍?」
「こうやって使うのだ。」
 ローゼルがトリアイナを振ると先端の氷の刃は一瞬で水になり、振られた勢いで鞭みたいに伸びる。伸びた水はその先端だけを、今度は別の形の氷の刃にしてローゼルの周りを踊る。
 色々な刃にその形を変え、しかもその長さは自由自在。これが『水氷の女神』と呼ばれてるローゼルの武器だ。
「すごく綺麗な武器だなぁ。」
「ふふふ、ありがとう。」
 ロイドにはまだわかんないだろうけど、水から氷、氷から水への変化は意外と難しい。それを一瞬で、しかも自在にできるんだから、やっぱりローゼルには魔法のセンスがある。
「でもこれって……えっと、第九系統の形状? の分野の気もするけど……」
「鋭いな。わたしの身近に形状の魔法を得意な系統とする人がいてな。その人が自分の武器の形を自在に操るのを見てわたしもできたらいいなと思ったのが始まりだ。生憎、わたしの得意な系統は第七系統の水だったわけだが、水と氷を使う事でそれを表現できた。」
「なるほど。」
「これはこれで便利だから使っているが……これだけだと形状のマネだからな。できれば水の特性を利用した何かを使いたい所なのだ。だから――」
 ローゼルは軽く目線を外しながら、少し照れくさそうに言う。
「さ、さっきエリルくんにしたみたいに、わたしにも何かアドバイスをもらえないだろうか、ロイドくん。」
 ……なんでかしら。なんかムッとする。
「そう言われても……特に思いつかない……」
「……そうか……」
 明らかにしゅんとするローゼル。
「あ、でもローゼルさんとも模擬戦したらもしかしたら何か思いつくかもしれない。」
「そうか!」
 明らかに嬉しそうにするローゼル。
「で、では今度戦ってみようではないか。勿論、わたしがロイドくんに対して何かアドバイスできるかもしれないしな。」
「ていうかあんた、とりあえずイメロを使ってみなさいよ。」
 あたしがそう言うとローゼルは今の今までそれを忘れてたみたいな顔をした。
「うむ。では使ってみよう。」
「水のイメロは……えっと、濡らすんだっけか?」
「そう、水を与えるのだ。だからわたしの武器は――」
 ローゼルがトリアイナをひっくり返し、刃とは逆の先端をくるくる回す。そしたらキャップをとるみたいに先端が外れた。
「中が空洞になっていてな。ここに水を入れておくのだ。イメロは内側に取りつける。そうする事で、イメロが常に水に触れるようにするわけだ。」
「えぇ? 何でそんな事を……エリルみたいに魔法で作れば……」
「確かにな。だが何が起こるかわからないのが戦いというモノ。敵にその場のマナを根こそぎ使われたりしてしまったらこちらは水を作れなくなる。そうならないように、だ。」
「おお、なるほど……」
 ロイドが素直に感心してるのを見て、あたしは一つ教えてない事があるのを思い出した。その内授業でも言われるかもだけど、今がちょうどいい。
「ロイド、ちょうどいいから教えるけど……」
「お? なんだ、エリル先生。」
「――! イ、イメロは系統ごとにその使い方が違うってのはさっき聞いたでしょ?」
「ああ。風のイメロは風を、火のイメロは火を、大抵その系統のモノを与えるんだろ?」
「そうよ……だから、イメロは系統によって長所と短所があるの。」
「?」
「今ローゼルが言ったみたいに、水のイメロの為に水を持ち運ぶ事はできるけど、例えばあたしだったらどうなると思う?」
「火……ああそうか。火そのものは持ち運べないぞ。」
「そういう事よ。あんたの風なんかイメロを振り回すだけでいいんだから水よりも楽だわ。」
「えぇ? もしかして風が一番いい?」
「そうでもないぞ。」
 イメロをとりつけながらローゼルが話に入る。
「風とはつまり空気があればいいのだから、水の中とかでなければどこでも使える。が、風は常に動くモノだからな。逆に言うと、イメロを振り回さないと風のマナを生み出さない。」
「と……いう事はえぇっと……そうか。つばぜり合いとかで武器の動きが止まったらマナを作れないのか。」
「別に息を吹きかけても良いのだがな。戦いの最中にそれをやるのは中々大変だ。」
「中には仮面とかマスクにイメロを取り付けて呼吸の度にマナを生むようにしてる使い手もいるわ。」
「ふーむ。イメロは便利だけど、それの発動のさせ方のせいでどうしても欠点とかがあるんだな……模擬戦とかする時は相手にイメロを使わせないってのも大事だったりするのかな。」
「その通りだ――おお! すごいなこれは。」
 イメロをつけたローゼルのトリアイナがさっきとは比べ物にならない量の水と氷を生み出した。
「これなら相当遠くまで攻撃を届かせる事ができるな。今まで出来なかった形にもできそうだ。」

 その後、先生からもっと詳しい説明を聞いて、あたしたちはもらったイメロを自分のモノ専用にした。
 マナを体内に取り込んで魔力にする時、その人固有の色というか波長というか、とにかく魔力には指紋みたいな個人差が出る。それが影響して得意な系統ってのが決まって来るんだけど、それを利用して自分の証明として使う事が結構ある。
 サインとか、自分の名前を書くときに自分の魔力を込める事でそれを書いたのが本人だと証明したりする技術があるんだけど、それの応用でイメロに使う人を登録させる魔法ってのがあって、それをかけた。
「さて、今日の授業はこれで終わりだ。一応、これでそのイメロはお前らのモノだ。私にも使えない。だが、世の中にはそういう魔法を解除できる奴もいるからな。どっかに落としてまずい連中に拾われたりすんなよ。」



 セイリオス学院に来る直前に出会ったチンピラたち。フィリウスが相手をしていたあの変な装飾のついた武器を持っていたあいつ。つまり、あの装飾がイメロだったわけだ。
 今オレの手元にあるイメロはただの石だけど、これを自分好みに削ったりなんなりして自分の武器に取りつける。
 あのチンピラが騎士の学校の卒業生――って事はないだろうから、先生が言ったみたいに生徒――もしくは現役の騎士のイメロをどうやってか手に入れて魔法を解除して使っていたのだろう。
 だけどたぶん……あのチンピラは自分の得意な系統とイメロの系統が合っていなかったのだ。
「珍しく難しい顔してるわね。」
 授業が終わり、部屋に戻って来たオレがそんな事を思い出しているとエリルが失礼な事にビックリした顔でそう言った。
「オレだってシリアスに考える時くらいあるぞ。」
「知ってるけど、あんたが授業の後にその顔するのは初めて見たわよ。大抵チンプンカンプンって顔してるじゃない。」
「しょうがないだろ……チンプンカンプンなんだから。」
 オレとエリルはそんな事を話しながらそれぞれのベッドに座った。授業が終わって部屋に戻ってきてちょっと一息つこうとベッドに座るのは別に変じゃないと思うが、座った位置が同じだったから、オレとエリルは互いに向かい合う事になった。
「……カーテン、いつも引いとくか?」
「……別にいいわよ。寝る時とか……き、着替える時とかだけで。」
「そっか。」
「い、言っとくけど何でもないわよ! 部屋が狭く見えるのが嫌なだけなんだから、勘違いしないでよね!」
「? 何をどう勘違いするんだよ。」
「そ、そんな事より! この後、あんた予定あるの?」
「この後? いや、特に無いけど……」
「それなら特訓に付き合いなさいよ。あんたのアイデアを試してみたいわ。」
「ああ、あれか――あ、いや。もしもエリルが良ければだけど、この学校――学院の案内って頼めるかな。」
「案内? 建物の場所って事?」
「そんな感じ。あと寮の……設備とか? オレも大浴場に行ってみたいし。」
「な! あんた覗くつもり!?」
「男子寮の大浴場です! ま、まぁエリルに男湯を案内してもらうわけにはいかないだろうし、これは誰かに頼むけど。」
「そ、そうよね……ま、どっか行くたびにあんたを連れてくのはめんどうだし、いいわよ。」
「ありがとう。特訓は今度付き合うから。」


 騎士というのはオレがいるこの国だけの存在ではない。他の国にも騎士はいて、だから当然他の国にも騎士の学校がある。一つの国にどれくらいの騎士の学校があるのかは知らないが、一つ確かなのは、その国の首都にある学校はその国で一番の騎士の学校という事だ。
 セイリオス学院はこの国の首都であるこの街にあるわけだから、この国で一番の学校なわけだ。
 よくよく考えてみたら、そんなところにあんな中年の推薦でオレが入れるってのはどういう事なんだ?
「とりあえず学食以外をまわるわよ。」
「おう。」
 フィリウスの謎はまぁ、さておき。そんなナンバーワン学校のここの施設はどうなっているのか。
 エリルが最初に案内してくれたのは図書館だった。
「本か……やっぱり魔法の本とか戦術の本とかか?」
「それもあるけど、普通の小説とかもあるわよ。物語から武器の資料とか兵法とかまで、とにかく色んなジャンルの本がすごい数あるわ。」
「オレの曲芸剣術について書いてある本とかもあるかな。」
「そうね……あるとは思うけど、もしかしたら歴史の本の一部にちょっと書いてあるだけとかかもしれないわね。ていうか、あれの名前って曲芸剣術って言うの?」
「さぁ。少なくともフィリウスはそう呼んでいたけど。」

 次に来たのは訓練所という場所。身体を鍛えるための道具とか、武器をふりまわせる場所とかがあった。
「なんだ、こんなとこがあるなら別に庭でやんなくてもいいんじゃないのか? 鍛錬とか。」
「ここまで来るのめんどうじゃない。」
 言いながらエリルが寮の方向を指差す。すごく距離があるわけじゃないが……すぐそこと言うにはちょっとあるかな? という微妙な距離。部屋の窓から出たところに広い庭があるなら、確かにそっちを使うか。
「派手な魔法とかを使うなら、建物壊したりする心配のないこっちの方がいいわね。この訓練所、そのための魔法がかけられてるから。」
「おお。さすがだな。」
「ちなみに中には工房もあるわ。」
「コウボウ? なんだ、それ。」
「イメロの加工をしたり武器の手入れをする所よ。」
「へぇ。学院じゃ武器の手入れなんかするのか。」
「あんただってあんたの剣の手入れくらいするでしょ?」
「……したことないな……」
「……あんたの剣、刃こぼれがひどいんじゃないの?」
「そうかな……」

 次は闘技場。何かでフィリウスから聞いたけど、確かコロシアムっていう建物だ。ぐるっと円形で真ん中に戦う場所があってそれを囲む感じに観客席がある。
「あんたとあたしがやったみたいな模擬戦はどこでやってもいいけど、何か評価されるわけじゃないわ。だけどここでやるような正式な試合は成績に影響するの。」
「成績? んまぁ学校だし、そりゃあるだろうけど……成績いいと何か良い事あるのか?」
「単純に騎士の階級が変わるし、卒業した時にいい騎士団に入れたりするわね。あたしはあんまり興味ないけど。」
「カイキュー?」
「……もう、あんたは何も知らないのね。いいわよ、説明するから。騎士にだって階級ってのがあるのよ。下級、中級、上級の三段階が。それぞれドルム、スローン、セラームって呼ばれてるわ。」
「えぇ? そういうのがあるのなら、卒業生はみんな下級の……ドリルじゃないのか?」
「ドルムよ。実力が認められれば卒業した時にもう中級って人はそこそこいるわ。いきなり上級ってのは……学院ができてから今までで数人じゃないかしら。」
「ふぅん? ここで戦う――その正式な試合っていうのはいつやるんだ?」
「年二回でランク戦って呼ばれてるわ。夏休み明けと学年末にあるわね。」
「ランク? え、オレらってランクがついているのか?」
「そうよ。ま、今の一年生――つまりあたしたちはみんなそろって一番下のCになってるわ。最初のランク戦で初めてちゃんとしたランクがつくの。ランクがついたらその先の授業はランク毎になるし。」
「そうなのか。んじゃあエリル、オレたちは何ランクを目指す?」
「は、はぁ? なんであんたと一緒にって事になってんのよ。」
「だって同じランクじゃないと同じクラスにならないって事だろ? オレはエリルと一緒のクラスがいいぞ。」
「――! じ、実力が同じくらいなら同じに――な、なるわよ……」
「そうか。頑張るよ。」
「…………あたしも……」
「ん?」
「うっさい! 次行くわよ!」

 そして最後に――
「――って、次で最後? なんか他にもいっぱいある気がするんだけど。」
「あるけどあたしもどういうとこか知らないわ。一年生じゃ入れない場所がいくつかあるのよ。」
「へぇ。学年が上がるのが楽しみだな。んで、ここは何だ? なんもないけど。」
「今はね。不定期にだけど、この場所に外から商人が来るのよ。」
 と、エリルが説明した場所は学院の入口に近い場所にある妙に開けた場所だった。でも商人が来るっていうなら納得の開け方だった。
「でも学院から出れば首都の街だろう? わざわざ商人が来る必要あるのか?」
「……あんたの言う通り、大抵のモノは外でそろうわ。商人が持ってくるのは色んな所をまわって見つけてきた変なモノよ。」
「……それ、商売になるのか?」
「意外と好評よ……主に男子にね……」
「えぇ?」
「その商人が……か、可愛いって有名なのよ!」
 何故か怒るエリル。しかし……
「可愛い商人? という事は女の人か。まさかその商人一人か?」
「? 確かそうよ。」
「そりゃまた危ない商人だなぁ。」
「危ない? なんでよ。」
「可愛い女の人で一人って事は襲われやすいってことじゃないか。賊に。」
「……言われてみればそうね。」
「この学院で商売するくらいだし……実はものすごく強いんじゃないか? その人。」
 そういえばオレとフィリウスがよく会う商人も女の子だった。オレと同じくらいの歳だからこっちも危ないと言えば危ないんだけど……あの商人は大丈夫だと思えたな。なんでだ?
「そ、そういえばあんた、明日服を買いに行くって言ってたわね。」
「? そんな顔真っ赤にして話す事じゃなばば!」
 ほっぺをつねられた。
「あ、あんた一人じゃ街で迷いそうだし、つ、ついてってあげてもいいわよ?」
「? 元からついて来てもらおうと思っていたんだけど。」
「そ、そう……」
「あとローゼルさたたた!」
 またほっぺをつねられた。
「ローゼルも誘うのね……?」
「さ、誘う前にローゼルさん行く気満々だったじゃないか……」
「そうね!」
 そっぽを向くエリル。
「こ、こういうのは人数が多い方が楽しいぞ……」



 ロイドに学院の案内をした後、明日の集合時間を伝えるためにあたしはローゼルの部屋に行った。
「やぁエリルくん。二人で学院内をお散歩していたな。楽しそうで何よりだ。」
 って、扉を開けたローゼルがなんか薄っぺらい笑顔で言った。
「……明日の時間を伝えに来たわ……」
「そうか。しかしそれでわざわざ姫様が来られるとは、畏れ多い事だ。」
「あんたねぇ……」
 今までが今までだったから自分以外の誰かの部屋を見るのは初めてだった。まぁ見るって言っても玄関から奥を覗くってだけだけど。
「わたしの部屋に興味があるようだな。」
 そんなあたしの視線に気づいたのか、ローゼルは申し訳なさそうな顔になる。
「すまないが……相方の件でな。」
「そういえばなんか言ってたわね。風邪でも引いてるの?」
「……そんなところだ。彼女が元気になったら招待しよう。」
 扉の前で長居するわけにもいかないから、あたしは要件を伝えてとっとと自分の部屋に戻る。
 ……今までは誰もいなかったから何とも思わなかったけど、今は扉を開けるとロイドがいるのよね……自分の部屋なのになんか緊張するわ。
「た、ただいま……」
 慣れない言葉を言いながら部屋に入る。
「おかえり。」
 と、ベッドの上でまた剣を握ってるロイドがニッコリしながらそう言った。
「また日課?」
「いや、それはもうやった。ちょっとエリルに言われた事が気になって……」
 そう言ってロイドはあたしに自分の剣を見せてきた。
「刃こぼれ的なモノはないよな、これ。」
「……そうね。」
「でもオレ、これをもらってから手入れ的な事はしたことないぞ? やり方知らないし。」
「……じゃあ、そのフィリウスって人があんたが寝てる時とかにやってくれてたんじゃないの?」
「ああ……なるほど。かもな。」
「でも……あんたに剣術を教えた人が、剣の手入れの方法を教えてないってのも変な話だわ。」
「? んまぁ、フィリウスだからなぁ……ちょいちょいテキトーなところあるし。」
 ロイドはそう言ったけど、やっぱりあたしは腑に落ちなくて、壁に立てかけてあるロイドのもう一本の剣を手に取る。
 普段一本しか使ってないからだと思うけど、そのもう一本は新品みたいだった。鞘に傷一つないし、刃もきれい。
「……意外と重たいのね。これをあんたはあんなに速く回してるわけ……」
 改めてロイドの「回す」技術がどれだけすごいのかってことを実感――あれ?
「この剣……少しだけど魔法を感じるわね。」
「魔法を感じる? 何かの魔法がかかっているってことか?」
「そうよ……」
 あたしは剣をしっかりにぎって集中する。
「……これは……第一系統っぽいわね。でも魔法がかかってるって言うよりは……魔法を発動してるって感じだわ。何これ?」
「発動? その剣がって事か?」
「……どういう仕組みかわかんないけど……もしかしたらこの剣、いつも第一系統の強化がかかってて、だから刃こぼれとかしないんじゃない?」
「へぇ、便利な剣があるもんだ。フィリウスめ、こんなのどこで買ったんだ?」
 便利……いいえ、便利なんてモンじゃないわ。マナを集めて魔力に変える「人」無しで発動する魔法なんて意味がわからない。
 この妙な剣といい、風のイメロを意識した古流剣術といい、レベルの高い体術といい、ロイドがフィリウスって人から貰ったモノはどれもすごいモノだわ。
 ロイドが知らないだけでフィリウスは……あたしが思う以上にすごい人かもしれないわね。



 色んな街に行った事あるが、賑やかで栄えている街とそれほどってわけでもない街の決定的な違いは見てわかる。
「道路が整備されている!」
 そう、道がレンガ的な何かで出来ている。街灯がある。緑はきちんとした花壇とか植木的な何かでしか見ない。
 歩いた時にカツカツと足音がする。これぞ街。これぞ首都!
「ロイドくん。」
「なんでしょうか、ローゼルさん!」
「妙にテンションが高いのは良いのだが、その理由がこんな美人と一緒に街を歩いているからではなくて街が整備されているからというのはどうなのだ?」
「あんた、自分で自分を美人って言ったわね……」
 オレとエリルとローゼルさんは学院の外、首都の……えぇっと? 繁華街? にいた。
 オレは服がなくて、そもそも今日買いに来たわけだから制服を着ているのはいいのだが、何故か二人も制服だった。
「……なんでエリルたちも制服なんだ?」
「ここまで来てその質問するのね……別に校則で決まってるわけじゃないけど、基本的にみんな制服で出歩くわ。」
「学院の生徒という確かな身分証明であり、そして学院の生徒という自慢もできる。他にも人それぞれの理由があるが、結果的に大抵の人は制服だな。」
「……二人がその「大抵」に入るとは思えないんだけど……」
「そうだな。だが、今日はロイドくんが制服だからな。三人で歩いていて一人だけ制服というのは妙じゃないか。」
「そ、そうよ。別に外出用の服が無いとかじゃないわよ!」
「そうだ。服を選べなかったわけでもない。」
「そ、そうですか……」
 何故か二人とも焦った風だがよくわからないから特に聞かない事にする。
「さて、では今日の目的を達成しようか。服は向こうの通りにある。」
 ローゼルさんの案内で、店も人も多くて迷いそうな繁華街を進む。ちらほらと、食べ物屋さん的な店の前で行列ができていて食欲をそそられる。
「ふふふ。服を買った後はぶらぶらしようじゃないか。色々案内しよう。」
「ありがと――ん? あの人だかりは……」
 人が集まっている店は結構あるのだが、その店は看板を見る限り本屋さんだ。流行りの本でもあるのだろうか。
「ああ……《マーチ》の本ね。そういえば近々出るとか聞いたわ。」
「まーち? それ人の名前か? なんか楽しそうな名前だな。」
 オレがそう言うと、エリルが「やっぱり」という顔になり、ローゼルさんが普通に驚いた。
「この前騎士の階級を話したときにそうじゃないかと思ったわよ。あんた、十二騎士も知らないのね。」
「十二騎士? 十二系統の友達か?」
「……間違ってもいないわね……」
「十二騎士というのは称号の事だよ、ロイドくん。」
 驚きはしたけどオレの何も知らないっぷりを笑いながらローゼルさんが説明してくれる。
「? 階級とは関係ないのか?」
「強いて言えば上級騎士、セラームのさらに上だな。」
「……十二人しかなれないのか?」
「そうだがそういう意味合いではないな。十二騎士というのは、世界最強の騎士十二名に与えられる称号なのだ。」
「世界!?」
「騎士は他の国にもいるからな。それら全ての中で一番という事だ。」
「えぇ? でも最強が十二人ってどういう事だ?」
「系統ごとって意味よ。」
「魔法のか?」
「そうよ。どの系統が一番強いかって話は使い手とか状況によって全然違うから、基本的に騎士の強さを比べる時は系統ごとになるの。だから最強が十二人。」
「なるほど……最強の騎士か……」
「そして《マーチ》というのは、第三系統の光を得意な系統とする騎士の中の頂点に立つ者に与えられる称号だ。《マーチ》にも本名はあるが、大抵は十二騎士としての呼び名である《マーチ》で呼ばれる。」
「光使いの中で最強の騎士が《マーチ》……そいつが本を出したってことか、あれは。」
 オレは人だかりのできている本屋さんを見る。
「《マーチ》は自分でも言っているが目立ちたがりなのだ。本を出したり歌を歌ってみたり踊ってみたり……色々な事をやっている。」
「ふぅん……」
 騎士としてドンドン強くなったとして、その最後に辿り着く場所が……十二騎士。
「十二騎士には……どうやってなるんだ? 投票でもするのか?」
「そんなめんどくさい事しないわよ。単純な交代制よ。今の十二騎士と戦って勝てばなれるわ。」
「年に一回、十二騎士に挑める大会があるのだ。世界中からそれぞれの系統の猛者が集まってトーナメントを行い、優勝者は現十二騎士と勝負する。」
「ということは、オレたちもいつかはその大会に出て十二騎士に挑むのか。」
「別に挑まなければならないわけではないが……そうだな。騎士として強くなろうと考えたらそこが一先ずのゴールだろう。」
「そっか。でも良かった。」
「なにがよ。」
「得意な系統が違うから、オレたち三人一緒に十二騎士になれるってことだろう?」
 オレがそういうと二人はやれやれという感じに笑った。
「そうだな。なれるといいな。」
「今のあたしたちじゃ遠すぎる目標ね。」
「目指すのはタダだ。ちなみに、オレたちが十二騎士になったらなんて呼ばれるんだ?」
「エリルくんは第四系統の火だから《エイプリル》、わたしは第七系統の水で《ジュライ》、ロイドくんは第八系統の風で《オウガスト》だな。」
「え、《オウガスト》?」
「ああ。」
 《オウガスト》……フィリウスが使っていた偽名だ。てことはあの中年オヤジ、最強の騎士の名前を使ったってことか。
「? なによ、いきなりニヤニヤして。」
「いや……フィリウスがさ……」
「フィリウス?」
 ローゼルさんが首を傾げる。そういえばローゼルさんには話してなかったかもしれないな。
「フィリウスは学院に入る前までずっと一緒だった人で……オレの恩人でオレの師匠の名前だ。オレを学院に推薦したのもフィリウス。」
「そうなのか。しかし……セイリオス学院に途中から入学できるというのは相当な事だ。そのフィリウスという人は高名な騎士か?」
「どうかな。あー、でもオレが入れたのはフィリウスのインチキのせいだよ。」
「インチキ?」
「フィリウスのやつ、推薦状の推薦者の所に《オウガスト》って書いていたんだよ。誰の名前だよって思っていたけど、まさかそんなすごい騎士の呼び名だったとは――ん? どうした、二人とも。」
 フィリウスの堂々としたインチキを笑い話として話していたオレとは反対に、エリルとローゼルさんは目を見開いていた。付き合いはまだまだ短いけど、こんなにビックリしている顔は初めて見る。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ……え? フィリウスが……推薦書に《オウガスト》って書いたの……?」
「う、うん……だからそのインチキでオレは入学を――」
「そんなわけないでしょ!」
 いきなりエリルが大きな声を出した。
「ど、どうしたんだよ……」
「イメロの時に習ったじゃない。自分の魔力を指紋の代わりみたいにして自分って事を証明する魔法があるって!」
「お、おう。」
「推薦書に書かれる推薦者の名前なんて、まさにそうじゃない! その推薦者が本物かどうかわからないんだから……」
 オレがあんまり理解できないでいるとローゼルさんがかなり真剣な顔で口を開く。
「いいか、ロイドくん。前にも話した通り、学院長は伝説と呼べるくらいの魔法使いだ。魔力の込められていない推薦書なんて論外だから読みもしない。だがロイドくんが持ってきたそれには確かに魔力が込められていて、そこに書いてある推薦者の名前を書いた人物が本人であると認めたのだ。もしも偽物ならロイドくんは入学できていない。名前と魔力が一致していたからなのだ、君が入学できたのは……!」
「……え? じゃあ……」
 さすがのオレもどういう事かわかった。

「恐らく……君の言うフィリウスという人物は……現十二騎士の一人、風の《オウガスト》その人だ。」

 ……フィリウスが? 《オウガスト》? 世界最強の騎士の一人?
 いやまぁ、確かに強いなぁとは思っていたけど……え、そんなにか?
「いや……で、でもただの中年オヤジだぞ? イメロも持ってなかったし……」
 オレがまだ信じられないでいると、ローゼルさんがオレの手を引っ張って本屋さんに入った。そして歴史の本とかが並んでいるコーナーに入り、一冊の本を手に取った。
「十二騎士は全ての騎士の憧れだ。歴代の十二騎士を紹介する本はたくさんある。これはその最新版……ここだ、今の十二騎士の顔写真が載っている。」
 ローゼルさんが開いたページを覗く。十二人の騎士の写真があり、《オウガスト》と書いてある場所に載っている人物は――
「……ちょっと若いけど……フィリウスだ……フィリウスだよ、これ!」
 オレは興奮してそのまま顔をあげた。一冊の本を二人で見ていた状態でオレがそうしたから、顔をあげた時に見えたのはローゼルさんの青い瞳で――
「!!!」
 オレとローゼルさんの鼻が触れた瞬間、ローゼルさんはさっき以上の驚き顔で一気に五歩くらい下がった。
「――! ――!」
 エリルみたいに真っ赤になったローゼルさんは鼻と口を両手で覆っている。そして少し潤んだ瞳でオレを見つめてくる。
 うわ、なんだこれ。なんかすごくドキドキするぞ。
「あー……ご、ごめん……なさい。」
 と、オレがそう言うとローゼルさんは足早に外に出た。オレも後を追い、外に出る。通りの隅っこでしゃがんで何やらワナワナしているローゼルさんと、意味が分からないという顔のエリルを交互に見る。
「……えっと……ロイド、店の中で何があったのよ?」
「……結局フィリウスは《オウガスト》だってわかったんだけど……」
「それで……あのローゼルが顔を真っ赤にしたわけ?」
「いや……えっと――」
「りょ、りょいどくん!」
 なんか発音が変な感じでローゼルさんに呼ばれる。
「い、いったん落ち着こう! ふぇ、ふぇりるくん、別になんでもないんだ! そうだ、何か食べよう、そうしよう!」
「はぁ? まだお昼でもないのに?」
「いいから!」



 本屋に入って出てきたら別人みたいに取り乱してたローゼルは、コーヒーを飲みながら深呼吸をしながらロイドをチラ見しながら段々と元に戻っていった。
 その間、あたしはロイドから写真の事を聞いて、やっぱりフィリウスは《オウガスト》だったってわかったんだけど、なんかそれどころじゃない感じのローゼルのせいでどうでもよくなってきた。
「……もういいわ。今度考えましょう。今日はロイドの服よ、服。」
「お、おう。そうだな、服だ。」
「具体的にはどんなのがいいのよ。」
「どんなのっていうのは別にないんだよな。今日みたいな時に着ていける服と、部屋着と寝間着くらいあればいい。」
「それはそれで探しにくいわね。」
「なら、エリルが選んでくれよ。」
「は、はぁっ!?」
「オレにはこだわりが無くて、それでたぶん、その服を着てるオレを一番見るのはエリルだ。例えばオレが部屋着としてふんどし一丁を選んだら困るだろう?」
「燃やすわ。」
「だ、だろ?」
「わ、わたしも! わたしも選ぼう……」
 突っ伏してたローゼルがいきなり顔をあげた。いつものクールな顔が崩れて……なんか変。
「じゃあ行くわよ……」


 男子の服の良し悪しなんてわからないから、本当にテキトーに……たぶん無難な服を選んだ。ガラも何もない無地な服で……何となく緑色を基調にした服を両手いっぱいに持ったロイドとあたしとローゼルはぶらぶらと街を歩いた。
 屋台でちょっとしたモノを食べ、小物屋さんで妙なモノを眺めて、武器屋さんで最新の武器や情報を得た。
 目的も無くぶらぶらするにはあまりに目的が無さすぎるあたしたちは、お昼をちょっと過ぎたあたりで帰る事にした。どうでもいい話をしながら学院に向かって歩いてると、ちょうど学院の方から先生が歩いて来た。
「おや、先生ではないですか。こんにちは。」
 さすがに元に戻ったローゼルは、前はそれがローゼルなんだなと思ってた優等生モードで先生に挨拶する。
「……一緒にいるところをよく見るとは思っていたが……サードニクス、お前は意外と女ったらしか?」
 今日は休日だから先生も休みのはずなんだけど、何故か先生はいつもの先生としての格好だった。
 ……まー、別に先生の私服を知らないから、これが私服って言われたらあれだけど。
「ど、どうですかね……オレ、ここ数年女の子とまともに会話もしてこなかったですから……そうだとしてもわからないです。」
「冗談に真面目に答えるなよ。まぁいいさ、存分に若さを走らせろ。」
「ちなみに先生はなんでここに? 学校――学院に用事でもあったんですか?」
「……ちょっとな。」
 そう言いながら、なんでか先生はあたしをチラ見した。そして視線をロイドに戻す。
「サードニクス。お前と一緒の部屋の奴はお姫様だ。」
「……? し、知ってますけど……」
「……そうだな。」
 よくわからない事を言って、先生は街の方に歩いて行った。
「なぁエリル。」
「なによ。」
「言いたくなければ別にいいんだけどさ、実際エリルってどれくらいお姫様なんだ?」
「……どういう意味よ。」
「エリルのおじいさんのお兄さんが今の王様で、エリルは五人兄弟の一番下。もちろん、オレなんかからしたら差は明らかなんだけどさ……なんというか、王様からあみだくじみたいにグイグイと離れた場所にいるだろ? エリルは騎士を目指していなかったらどういう扱いをされるような立場なのかピンとこないというか……」
「ふふふ、この世間知らずっぷりが、エリルくんには安心なのだな?」
「な! 別に安心なんかしてないわよ! め、めんどくさくないってくらいで……」
「そう、それだよ。オレが世間知らずじゃなかったらエリルにはどう接するんだ?」
 ロイドがそう言ったのを聞いて、ズズッと心に嫌な想像が漂うのを感じた。
 何かにつけてあたしを優先させて、あたしの為にと顔で語り、薄い笑顔を貼り付け、あたしを見上げる……そんなロイド――
「やめて!」
 あたしが声を荒げると、ロイドはあたふたし出す。
「あ、悪い! いや、いいんだ。こういう話嫌いだよな、エリルは。」
 本当に申し訳ないって顔でそう言うロイドに、あたしはつい――
「あんたは……そのままでいなさいよ……」
 一瞬の間。時間が止まったんじゃないかってくらいに静かな瞬間。そして一気にこみ上げる恥ずかしさに押されて、あたしはロイドに目つぶしをした。
「ぎゃああああっ!?」
 目を覆ってジタバダするロイド。そしてそんなロイドを――ううん、目つぶしをしたあたしを半目で見つめるローゼル。
「な、なによ! 文句ある!? こ、こいつが変な事言うから!!」
「……そうだな。」
 しれっとした顔でしゃがみ込み、地面を転げまわるロイドに顔を近づけるローゼル。
「ロイドくん。エリルくんがどれほどの存在か、今の君ならこう言えばわかるだろう。」
「うう……なんだ?」
「エリルくんのお姉さんは今公務の一部を任されており、そのため彼女には護衛の騎士がついている。そしてその騎士の名は《エイプリル》というんだ。」
 涙目で立ち上がるロイド。
「? 《エイプリル》って……十二騎士の!?」
「十二騎士の一人が護衛につくほどの方を実の姉に持つ。エリルくんはそういう人だよ。」
「な、なるほど……でもそうすると……」
 目をしばしばさせながら、ロイドはこう言った。

「もしもオレが十二騎士になったら、オレはエリルの騎士になるかもしれないんだな。」

 ――!
「んまぁ、エリル自身がそうなったら守る必要もないかもしれててててっ! ロ、ローゼルさん!? 足! めっちゃ踏んでるから!」
 ――! ――!
 なんかもう意味わかんない感情を覚えるあたしを、ローゼルが更なる半目で睨みつける。
「先生の言う通り、ロイドくんは女ったらしかもしれないな。」

第四章 彼の騎士が守る者

 おやつの時間くらいに寮に戻って来たオレたちは、そんな時間だからエリルの紅茶を飲む事にした。そうして一息ついた時、やっぱり話題になったのはフィリウスについてだった。
「十二騎士の一人にみっちり七年間も修行をしてもらった……ロイドくんの体術にも納得できるというものだ。」
「でも……イメロも持ってなかったし、それにあっちこっちを放浪してるだけの十二騎士ってありなのか?」
「それぞれだと思うわよ。《マーチ》だって本を書いてるわけだし。」
「そういう称号を得ているというだけで、全員が全員誰かの護衛をしなければならないわけではないからな。ちなみにイメロについてだが……十二騎士ともなるとイメロなしで規格外に強いから単純に必要なかったのかもしれない。」
「持ってたけど、あんたには見せなかっただけかもしれないしね。」
「そうか……でもあのフィリウスがねぇ……」
「《オウガスト》と言えばその昔、剣の一振りで城を崩したという話を聞いたことあるが。」
「……なんかできそうだな……フィリウスって基本的に、でっかい剣を振り回して突風を起こして、それで相手を吹っ飛ばすってのをやってたから。」
「ほう……やはりすごいのだな、十二騎士は。」
 うんうんと頷くローゼルさんに、オレは何となくこう聞いた。
「ローゼルさんはどうして騎士を目指すんだ?」
「唐突な質問だな。どうして……か。」
「オレはほら、いつの間にかここに放り込まれてさ、でも二度と大事な人を失わない為の力を得られるって、そう思ったから騎士を目指すって決めて……」
「うん? その前に、「二度と」とはどういう……?」
「……そうか。ローゼルさんにも話すよ。」
 エリルには話した、オレの昔話。家族を賊に殺され、一人になったところをフィリウスに拾われて今日に至るオレの話。もう昔の事だし、オレにはフィリウスがいてくれたから今はもう色々と大丈夫だ。だけどローゼルさんは、話を聞き終わると床に額をつけて謝った。
「すまなかった! 知らなかったとはいえ……わたしは君に無神経な事を何度も……」
「あ、頭をあげて、ローゼルさん。気にしてないから……」
「まったくもう……」
 一向にあがらないローゼルさんの頭をペシンと叩くエリル。
「この際だからお互いに話しちゃった方が楽ね。騎士を目指す理由ってものを。」
「エリルくん……」
「そうすれば……あんたがそんな風に謝ったりしないですむわ。」
「……君は優しいが……しかし負けられないな。」
「なんの話よ。」
 その後、エリル、ローゼルさんの順番でそれぞれの理由を話した。エリルのは前に聞いたからあれだったけど、ローゼルさんの理由は……たぶん、同じ理由でここに来た人が他にもいると思うモノだった。
 家がそういう家だから。ローゼルさんがこの学院に入ったのはそれが全てだと言う。
「しかし家の名前を背負っている以上怠けてはいられない。だからわたしは、結構いやいや頑張っていたんだ。」
「……それで、あの優等生モードのあんたと今のあんたがいるわけね。」
「そうだ。だがな、今は……違うのだ。」
「? ローゼルさんも理由を見つけたのか?」
「ああ。つい最近だがな。」
 ドキッとする笑顔でそう言ったローゼルさんはその視線をオレに向けてくる。なんか時々こういう顔になるなぁ、ローゼルさんは。このローゼルさんは見ているとなんかムズムズする……
「なに見つめ合ってんのよ。」
 エリルがオレの顔を両手でつかんで自分に向けさせた。
「み、見つめ合ってなんかないぞ! ローゼルさんの顔を見ていただけで……」
「それを見つめ合うって言うのよ!」
「まぁいいじゃないか。ロイドくんにやましい気持ちはないよ。それに……ほ、本屋でそれ以上の事を……し、したしな。こ、この程度というやつだ。」
 ほんのり赤くなりながら恥ずかしそうにそう言ったローゼルさんだったが、オレはエリルに燃やされる一歩手前だった。
「何したの……?」
「え、えーっと、なんて説明すればいいのか……」
 なんとか誤魔化したい気持ちと何故か正直に話してしまいそうになる変な感覚のまま、オレは謎のジェスチャーをワタワタと披露する。
「……いいわよ、もう……」
 あきれ顔のエリル。オレはワタワタしながら話題を変える。
「そ、そういえばさっきの先生はなんだったんだろうな。学院から出てきたけど……休みの日って先生も休みなんだろ?」
「……基本的にはそうよ。でも寮もあるから何週間かの交代で常に誰かしらいるのよ。でも、今週は先生じゃなかったはずよ。」
「ふむ、どうもエリルくんに関係がありそうだったが……クォーツ家絡みだろうか。」
「まさか……悪い奴らが迫っているとかそういう……?」
「ないわよ、そんなの。」
 当の本人があっさりと否定する。
「あたしは一番下なのよ? 順番的にあたしに公務が回って来る事はないし、だからここにも入れたんだし。こんなあたしをどうにかしたって何もできないわよ。」
「それでもエリルくんはクォーツ家の人間だ。わたしたちには想像のつかない……君の使い道というのがあるのかもしれないぞ? 例えば、君を誘拐して君のお姉さんを脅してみたり……」
「それは……」
 何とも言えない顔になるエリル。たぶん、エリルがエリルのお姉さんを慕っているのと同じくらい、お姉さんもエリルを大切に思っている。実際、ローゼルさんの言った事はあり得るような気がする。



「タイムリーだな。」



 聞き覚えの無い声がした。
 警戒も恐怖も無い、単純に何が起きたんだろう、誰の声だろうっていう疑問で声がした方に首を動かしたあたしは、そこにあたしたち以外の誰かを見た。
 玄関に続く廊下とあたしたちがいる空間の境目くらいにいつの間にか人が立ってる。そいつが……そいつの性別が男だってわかったあたりで、視界の隅から何かが男に向かって飛んでった。
 急に感じる、何かに引っ張られる感覚。
 あたしの視界の中で急激に小さくなる男。
 何かが割れる音。
 気温が変わる感覚。

 気づくとあたしは、寮の庭にいた。

「……え……」
 何が起きたのか全然わかんなくて、あたしは首を動かす。そしたらあたしと同じ事をしてるローゼルが見えた。それもかなり近く――
「――て、ちょ、ロイド!」
 あたしは、いつの間にかロイドに抱えられてた。それはローゼルも同じで、つまり二人そろってロイドの小脇に抱えられて庭にいる。
 お腹にまわったロイドの手がくすぐったい。
「二人とも、大丈夫?」
 あたしとローゼルをおろして地面……庭の草の上に立たせたロイドの顔は緊迫したそれだった。
「ごめん、エリルの武器までは手がまわらなかった……」
「武器? なんで武器――」
 正面を見たあたしは、そこでようやく何が起きたのかを理解した。
 あたしたちは庭にいて、部屋の窓が割れてて、部屋の中に知らない男が立ってる。
 いきなり現れたあの男から、ロイドがあたしとローゼルを連れて距離を取ったんだ。
「おいおい、情報と違うじゃないか。情報は鮮度が命だってのに、あの野郎腐りかけのよこしやがったな……」
 男はそんな事を言いながら、ロイドの剣を持って窓から庭に出てきた。ロイドを見ると、ロイドが今持ってる剣は一本……
 そうか、さっき飛んでったのはロイドの剣だ。あの男に投げつけながら窓から脱出したんだ。
「お姫様は一人部屋。だからこの部屋以外の人間を止めればオッケーだと思ったんだがな。情報にない奴が二人もいる。お姫様の部屋にいるわけだから、護衛の騎士とも考えられるが……その制服はここの生徒のモノだし、歳も若い。護衛って線は……ないな。となると、たまたま居合わせたお姫様の友達か。だがそれも情報に無かった。お姫様は一人ぼっちの学院生活を送っていると聞いていたからな。」
「……よくしゃべるな、あんた。」
 まるで小説みたいに状況をぶつぶつと呟く男に、ロイドがそう言った。
「戦いにおいて、情報は命で現状の把握は最優先事項だ。俺はそんなに頭が良くなくてな、頭の中で物事の整理ってのができないんだ。だから口に出す。」
 男はケラケラと笑う。あたしは改めて、いきなり現れたそいつをじっと見た。
 脚まで隠れる黒いローブを羽織った男。歳はあたしたちより上で、だけどロイドがよく言う中年って年齢まではいってない感じ。ローブの下は黒いって事以外言うことがないよくある格好。
 強いて特徴を言うなら……栗みたいにとんがってる頭くらいかしら。
 特に変ってわけじゃない普通の男。だけどあたしたちよりもずっと……実戦の経験があるんだろうって思える貫録みたいのがある男だった。
「今そこの少年くんが言ったように、お姫様が使うと聞いていたガントレットなどは部屋の中にまだある。そっちの青い少女ちゃんが何の使い手かわからないが、見たところ何も持っておらず、部屋の中に他の武器は見当たらない。少々不安は残るが、おそらくこの場には武器がないんだろう。よって現状、そっちの三人と戦う事になった場合、攻撃手段が魔法だけの二人と武器持ちが一人という事だ。お姫様と青い少女ちゃんは学年そのままの、経験の少ない卵騎士そのもの。魔法を使うと言っても今の俺でも相手ができるだろうし、まず負けない。が、問題はそこの少年くんだな……」
 男がロイドの剣を地面に突き立てながら独り言を続ける。
「俺は気配を消してこの部屋に入った。俺を認識したのはまさに俺が声を発した瞬間だろう。二人は何事かと俺の方を向いただけだったが、少年くんは違った。声を聞くや否や傍に合った剣を俺に投げつけ、俺が驚いている間にもう一本を手に取って二人を抱えて窓に体当たり。そして今、突然現れた不審者とそこそこいい距離を取って対峙できている。その反応と状況判断の早さは、入学して二、三か月のひよっこのモノじゃあない。どっか別口で経験を積んできた者の動きだ。つまり、今の俺にとっては少年くんが一番の問題。」
 ローブの下から両腕を出してやれやれと肩をすくめた男は……直後、とんでもない事を言った。

「学院内の時間を止めている俺で、果たして勝てるかどうか。」

「! 時間だと!?」
 ローゼルが驚いて周りを見る。あたしも同じ様に周囲を確認した。
 寮の庭に誰かがいるってことは少ないけど、今は休日の夕方前って時間。生徒がたくさんいるこの学院で、遊びに行って帰って来た生徒が寮の近くにいる時間帯だって言うのに、あたりは物凄く静かだった。
 寮の建物に目を向けて、他の部屋の窓を見る。窓際に何人か見えたけど、その人たちは固まって動かない。
 まるで時間が止まったみたいに。
「ん? 今のだと誤解するな。正確には学院内の生き物の時間を止めている。全てを止めてしまうと空気までかたまって身動きがとれないし、そもそもそこまで止める事は俺にはできない。」
「……そんな欠点、話していいのか?」
「欠点じゃない、俺の現状だ。そこまでできると俺自身が誤解してしまうと、それは俺のおごりにつながる。強そうな少年くんを前に、それはまずいだろ?」
「変な事を気にするんだな。」
「言ったろう? これは大事なことなんだ。」
 男は両腕を腰の後ろにまわし、そこから二本の短剣を取り出してそれを逆手に構えた。
「そう、俺は第十二系統の時間の魔法を得意としている時間使い。というか時間しか使えない。何かと大量のマナを消費する時間魔法をいつでも使えるようにと、それ用の道具にため込んでいたマナをさっき使った。おかげで学院内の、少年くんら三人以外の人間は動きを止めている。あの厄介な魔法使いも『雷槍』も出てこないわけだ。しかし、そんな大魔法を使っているせいで、刻々と俺からは体力が削られていっている。なんかあっちこっち痛いしな。そんなこんなで、今の俺の実力は入学したての卵騎士くらいのものだろう。それでも経験の差でお姫様は余裕で捕まえられると思って来たんだがな。まさか卵騎士じゃ収まらない奴がお姫様の部屋にいたとは。こんな事ならちゃんと部屋の中を確認して、お姫様以外を魔法の範囲に入れるべきだったが……そもそも学院の敷地には時間を止めないと入れないし、だから大体の位置でお姫様の部屋以外にいる人間を止めたのに。全く、あの野郎がガセネタをよこすからこの様だ。無事に帰れたら絶対にあの野郎――」
「要するに。」
 男の長々とした独り言を遮ってロイドが……ちょっと怖い声を出す。
「あんたは敵なんだろ。エリルを狙ってやってきた。」
「そうだ。お姫様をさらって色々企んでいる……奴から依頼を受けた男だ。」
「なら!」
 ロイドの手の中で剣が回転を始める。そしてロイドはそのまま男に向かって走り出した。
「む、なんだその剣術は? 見た事が無いが――やはり強敵か、少年くん。」
 ロイドと男の戦いが始まった。回転する剣と男の短剣がぶつかってかん高い音が響く。
「予想以上に威力が高いな。これは油断すると一撃で武器を弾き飛ばされるか。」
 あたしがロイドの戦ってる姿を見るのはこれが二回目。だけど、前に見たロイドと今のロイドじゃ全然違う。前見た時、つまりあたしの攻撃を避け続けたロイドは本当に避ける事しかしなかったから攻めるロイドをあたしは知らない。朝の鍛錬で、やっぱりレベルの高い体術を身につけてるんだなって思う瞬間は何度かあったけど、それだって攻めてる姿を見たわけじゃない。
 だからあたしはビックリしてる。
「ロイド……あんた、こんなに強かったの……?」
 回転する剣で相手に斬りかかり、それが避けられても身体の勢いをそのままに自分も回転して鋭い蹴りを放つ。相手の攻撃も、相手の周囲を流れるように移動して、避けると同時に背後にまわる。
 剣劇が響く度に身体の向きがクルクル変わって、男もそれに振り回されてグルグルまわってる。
 剣だけじゃない。ロイド自身も回転してる。相手や相手の武器を中心に円を描く動き。足運びが上手ってのもあるけど……何か……ロイドの動きには浮遊感がある気がする……
「そうか……これだったのか。」
 あたしがロイドの動きに違和感を覚えてると、隣でローゼルがそう呟いた。
「エリルくんとロイドくんの戦いを見ている時、ロイドくんの動きに妙な感覚を覚えた。君もそうだったんじゃないか、エリルくん。」
「……そうね……」
 ロイドとの戦いで感じた事。ロイドの避け方が上手いって事以外に、なんか、あたしの攻撃がちゃんとロイドに向かって行かないって感覚。ちゃんと狙ってるのにいざ攻撃してみるとロイドはそことはちょっとずれた場所にいるみたいな……
「改めて見て、違和感の正体がわかった。ロイドくんの動きが……物理的におかしいのだ。」
「青い少女ちゃんの言う通りだな。」
 ロイドの、かなり速い攻撃に対応しながらあたしたちの会話に入って来る男。
「剣を回す剣術。なるほど、一見すると曲芸だが、その実恐ろしいモノだ。攻撃範囲が広いし、回転する刃物には恐怖を覚える。攻撃も防御もけん制も上手に織り交ぜた剣術だ。そして何よりも、少年くんの動きをサポートする働きがある。」
 回転する剣を今までで一番の力で弾いた男はそのまま後ろに大きく跳び、ロイドの攻撃範囲の外に出た。
「手の平でコマを回すのとはわけが違う。剣という重量物を高速回転させているのだ。当然、相応の遠心力が発生している。少年くん自身にすら影響を及ぼす力がな。剣から受ける力を、時に自分の進行方向に重ねてジャンプの距離を伸ばし、時に逆向きにして空中で自身の挙動にブレーキをかける。まぁ、それ故に動きが円を描きがちで先を読みやすいとも言えるが、円の動きこそ極致とうたう武術も多い。それが真理かどうかはさておき、厄介である事は確かだ。しかし驚くべきは遠心力に動きを合わせているのではなく、動きに回転を合わせている点だな。その時々でその回転は方向を一瞬で変えている。右回転を一瞬で左に、また右に、左に。向きを変えるという事は、一度回転を止める事だというのに、停止状態からトップスピードまでの加速が速すぎてよく見ないとわからないほどだ。」
 また男の独り言が始まったけど、この解説は正直ありがたかった。そう、ロイドの動きの違和感はローゼルが言ったみたいに物理的におかしいって所だったんだ。
 あたしたちは何かモノを投げたら、難しい計算とかしなくてもそれの重さとかから何となく、こう投げたらあの辺りに落ちるだろうなって事が経験的にわかる。それは戦いでも同じで、相手が自分の攻撃を避けるためにジャンプしたなら、着地する場所は何となくわかるもの。だからそこを狙って攻撃したりするけど……ロイドはその「何となく」の予測から外れた場所に着地してくる。だから変に狙いがずれたんだ。
「これ程の高い戦闘技術、一年生のお姫様と一緒にいた事から考えて同じく一年生かと思っていたが、これはもしや上級生か……いや、そうではないな。学院の上級生ともなれば魔法の一つも戦いに組み込むものだが……少年くんは、さっきから恐ろしい量が生成されているだろう風のマナを一切使っていないからな。」
 あたしは男の言葉でハッとする。ロイドが今持ってるのはイメロを取り付けた方の剣。回転してるんだからすごい勢いで風のマナが生まれてるはずだけど、ロイドはそれを使ってない。
 だってロイドは――
「少年くんは、きっとその回転の技術を磨きに磨いていたある日、突然学院に入学したような口だな? 魔法の存在は知っていても使うという事が頭にない。これはまさしく一年生だろう。それも魔法に関しては素人もいいところか。」
 男の独り言が、ロイドの現状をズバリ言い当てた。
「正直、少年くんの技術は高い。今の俺じゃ勝てないだろうが……魔法を組み込めば勝てるだろう。少年くんに、これ以上の何かがなければな。」
 男が走り出す。それに合わせてロイドも動く。二人の距離が近づいてまた剣劇が響くと思ったら、思ったよりも早くそれが響いた。
「なっ!?」
 ロイドが驚きの声を出す。あたしもびっくりした。男がロイドの直前で急に加速したからだ。
「少年くんは動きが速いからきっと目もいいのだろう。だがこれにはついてこられないようだな。」
 攻撃の速さがグンとあがった男。ロイドはさっきと同じように円の動きでかわすんだけど、危なげな瞬間が増えてきた。
 男が言った事を信じるなら、あいつは今、時間の魔法を使ってる。でも学院のみんなの時間を止めるなんてことをしてるんだから、そんなに大きな魔法は使えないはず。ということは――
「ロイド! そいつ、コンマ数秒ずつだろうけど、自分の時間を早くしながら戦ってるわ!」
 あたしの言葉を聞いて、ロイドはこくんと頷き、男は驚いた。
「お姫様は魔法の技術と知識が高いという情報は本当だったようだな。まさにその通りだ。学院内の生き物の時間を止めている魔法は、実際のところ身体への負担がでかい。もってあと数分というところだろう。そんなギリギリの状況で俺が使える魔法といったら、せいぜい自分の時間をほんの少し早める程度。だが一秒にも満たない加速であっても、戦いの中では大きな加速だ。」
 ロイドが振った回転する剣をコマ送りみたいな速さでかわした男は、そのままロイドのお腹に膝蹴りを一発――
「ロイド!」
「少年くんの実力は認めるが――」
 動きの止まったロイドを二本の短剣から繰り出される目にも止まらない無数の斬撃が包み込み――
「――終いだ。」
 一瞬の後、ロイドは大量の血をまわせて倒れた。
「ロイド!」
「ロイドくんっ!!」
 あたしとローゼルの声が響く。庭の草を赤く染めるロイドは倒れたままで……う、動かな――
「よくもっ!!」
 頭が、心の中が暗く、全身から温度がひいてくのを感じてる横でローゼルが走り出す。両手を叩き、氷でトリアイナを作って男に迫った。
「ほう。」
 男はロイドと戦ってたときよりも明らかに余裕のある動きでローゼルの攻撃を避ける。
「はあああああっ!!」
 水と氷を織り交ぜた槍術。『水氷の女神』の猛攻が男を襲うけど、男は余裕の顔だし、何よりローゼルの魔法にキレがない……!
「ローゼル!」
「やあああああっ!!」
 ローゼルの顔は今まで見た事のない顔だった。
 ううん、ローゼルに限らず……こんなに怒った誰かの顔を見るのは初めてだ。
「これはすごい。俺は第七系統の水を使えないから聞いたことがあるだけだが、水と氷の変換はかなり難しいはずだ。それを一年生でこの早さなのだから、青い少女ちゃんも頭一つ抜き出た才能の持ち主なのだろう。だが、技の割に心も頭も燃え盛っているようだな。冷静さがなく、きっとこの魔法にもいつものキレがないのだろう。まぁ、そういう事以前に――」
 身を屈めた男がそのままローゼルの脚を払う。一瞬宙に浮いたローゼルに放たれる鋭い蹴り。
「――っ!」
「戦闘技術がお粗末だ。」
 お腹に食い込んだ男の脚にそのまま蹴り飛ばされたローゼルは庭の端まで飛んでいく。
「ローゼル!」
 転がったローゼルは苦痛で顔をゆがめながらも立とうとするけど、お腹を押さえたまま立ち上がれない。
「俺は別にフェミニストじゃないんだが、それでもやっぱり、標的に含まれていない女を殺すのは気が引けるんでな。そこで寝ているといい。」
 男があたしを見た。
「さっきも言ったが、この状態を維持し続けるのは辛いんだ。だから大人しく俺に誘拐されて欲しい。痛い思いはしたくないだろう? その拳にまとった炎をおさめてくれないか。」
 スタスタとあたしの方に歩いてくる男。とっさに出した炎は、遠くで倒れてるローゼルとピクリとも動かないロイドが視界に入るだけで大きく揺らぐ。
 無理だ……あたしじゃこいつに勝てない。ロイドが勝てなかった相手にあたしが――
 ロイド……ロイドは無事なの? まさか……そんなの……あ、あたしの、せい……? あたしの傍にいたから?
 ダメ……ダメよ。ロイドは……ロイドだけでも……
「わかったわ……」
「エリルくん!」
 ローゼルの声が聞こえた。きっとすごく怒ってるローゼルを見ないまま、あたしは男を睨みつける。
「大人しく捕まるわ。でもその前にロイドを……そ、そのままにしないで! ちゃんと治療して! さもないと、あたしは今から全力で逃げるわ! 時間魔法が解けるまで逃げ回ってやる!!」
「ああ……それは困る。お姫様は炎の爆発を利用した移動を得意とするのだろう? それを逃げの一手に使われるとさすがに追いつけるかどうか……コンマ数秒の加速じゃ無理だろうな。だからお姫様の要求は飲みたいところなんだが……無理な相談だ。」
「なんでよ! 早くロイドを――」

「だってもう死んでいるからな。」

 ……
 …………え?
 今、なんて……
「個人的には前途有望な少年くんのこの先の成長を見てみたいところだが、俺の仕事からすると危険の芽でしかない。だから早めに摘ませてもらった。少年くん……ロイドくんか? 彼はさっき、俺が、この短剣で、殺した。」
 男が見せてくる短剣には血がついてる。ロイドの……血が……
「そんな――」
 脚から力が抜けてその場に座り込むあたし。目の前が真っ暗になってく。
 あたしの……学院に入って初めての……ううん……ずっとクォーツ家の者として育ったあたしにとっては人生で初めての……
 そしてきっと、あたしにとってもう一つの初めての……
 ロイドが……死んだ。



 覚えているのは噴き上がる血。きっと、名のある大悪党でもなんでもない、どこにでもいる安っぽい盗賊。下品な笑い声で、ついでのようにあっさりと、オレの家族を殺した。
 手を伸ばしても届かなくて、落ちていく命もすくえなくて、何もできずに視界が暗くなる。
 気が付けば血の海の真ん中、オレは一人だった。

 フィリウスが力をくれた。そしてこの学院に放り込んだ。
 それはきっと、オレがもう二度と、みんないるのに誰もいない家の中で泣き叫ばないように。
 オレがもう二度と失わないように。

 そして今。見える血はオレのモノで、オレ以外には誰も血を流していない。だけど、失われようとしている。
 ムスッとして、真っ赤に怒って、機嫌が悪そうで、時々ニッコリ笑って――
 出会ったのは数日前。どんなものが好きで、苦手な食べ物はなんなのかも知らない。
 けれどそんな事は関係ない。
 その人はもう、オレにとって――
 だから――

「エリルは渡さない。」

 真っ赤な痛みが走り回る身体を引っ張り上げて立ち上がる。
 剣は握れる。まだ回せる。
 敵も見える。脚はまだ動く。

「オレからもう、誰一人だって奪わせない。」

 へたりこんでいるエリル。ケガはない。
 男はこっちを見ている。まだピンピンしている。
 倒さなければならない。
 だけどさっき負けた。一度負けた。オレには他に無かったか? まだ出していない力は無かったか?
 ある。さっき男が言った。使い方もよくわからないけど、まだこれがある。
 オレにできるのは回転だけ。だからそれも回転させる。回して、回して、回して――

「――驚いた……ってのを通り越して何故だ? ロイドくん、何故君は死んでいない?」
「オレをそう呼ぶのはローゼルさんだ。お前じゃない。」
「さっきの一撃は致命傷だったはずだ……これでも俺は経験を積んだプロ……危険な相手が無防備になったあの瞬間、手元が狂って君が一命をとりとめるなんてことはあり得ない。」

 ローゼルさんがいない。少し首を動かすと、遠くに横たわるローゼルさんが見えた。お腹を押さえているけど、生きている。生きているけど……ケガをしている。

「……よくもローゼルさんを……」
「!? どういう事だ……よく見れば君の傷……浅く――ないか? もっと深く斬ったはずだ、なぜそれだけしか斬れていない? その傷では確かに致命傷ではないが、なぜそれだけしか斬れていない? 魔法か? 魔法なのか? 魔法を使えない素人だと判断したのはミスだったのか? ロイドくん、君は何をした!?」
「風を、回転させるイメージ……」
 剣を回す。感じるわけじゃないけど、風のマナが生まれる。それを取り込んで風の魔法に。
 回せ、回せ、回せ、回――!?
 腕が痛い……手の動きが鈍い……剣がいつものように回せない……
 ……そうだ、どうせ回転しているんだから、風で回そう。
 いつも手でやっていることを風でやるだけだ。



 ロイドが立ち上がった。男は死んだと言ったけどロイドは生きてる。ロイドは生きてる!
 男は信じられないって顔をしてる。でも……そうよ、ロイドはあの十二騎士の弟子だもの。そんな簡単に負けるわけないわ!
「……え……?」
 ロイドが剣を回す。だけどその剣は……宙に浮いてた。高速回転しながら、ロイドの周りを回ってる。
 そしていつの間にか、男がさっき地面に突き刺したロイドのもう一本の剣も回ってて、さらに剣以外のモノも回転しながら回ってた。
 あれはたぶん……ロイドが割った窓のガラスの破片だ。それがまるで一枚の円盤みたいに高速で回転してる。
「なんだそれは……君は風の魔法の使い手だったのか……? ならなんでさっきはそれを使わなかった? それほどまでに精密で高速な風の制御……複数の竜巻をいくつも操っているようなもの……しかも、その回転を一切乱すことなく、一定の速さで……周囲に散らすことなく同じ場所で延々と……それほどの技術を持っていながらなぜさっきは使わなかった? 死ぬような経験をして強くなる人間の話は聞くが、急激に魔法の技術が上達するわけはないし……もしかして俺は、最初から、君のことを測り間違えていたのか? 目の前の情報だけでイレギュラーな君を判断したのは誤りだったのか?」
「エリル。」
 男の話も聞かず、ロイドは真っ直ぐにあたしを見た。
「今、終わらせるから。」
 ロイドの視線が男に移る。両腕をクロスさせ、そして勢いよく開くと、ロイドの周りをクルクル回っていた無数のガラスが、まるで銃弾のように男に向かって放たれた。
「――! たかがガラス!」
 迫るガラスを短剣で弾く。だけど弾かれ、より細かく割れたガラスはその全ての破片が再び回転を始め、円を描いてもう一度男に向かって行く。
「っ!!」
 二本の短剣を目にも止まらない速さで振るってガラスを弾く。だけど弾く度にその数を増やしてく回転するガラスに段々と追いつけなくなっていって――
「!!」
 次の瞬間、男の周り全方位から無数のガラスが迫った。
 だけど――
「っつああああっ!!!」
 男の姿が消え、まるでフィルムの一部を抜き取った映画みたいに一瞬一瞬で場所を移動し、迫るガラスを順に叩き落としてく。
 そして全てのガラスが、回転してもモノを切る事はできないサイズの欠片まで砕かれてキラキラと光りながら地面に落ちていく中、男はその真ん中に現れて大きく息を吐いた。
「ぐぅ! 時間魔法を使い過ぎたか……だがこれで――」
 危ない状況を潜り抜けて安堵する男の横を、一本の閃きが走った。
「何が「これで」なのかわからないが……」
 トスンという音があたしのすぐ横で聞こえた。見ると、ロイドの剣が地面に深々と突き刺さってる。同時に、視界の隅で広がる赤。
「オレの武器はガラスじゃない。剣だ。」
 男が首を動かし、あたしが上を見上げると――

 そこに男の右腕が舞ってた。

「がああああああっ!?」
 男の絶叫と共に、耳の奥で何かが割れる音が聞こえた。そして、男の右腕が地面に落ちた頃、寮の中からいくつかの悲鳴が響き渡った。
 窓際でかたまってた生徒がこっちを見て叫んでる。
「! 時間が解けたんだ!」
 学院内の、あたしたち以外の全員の時間を止めてた魔法が解けた。たぶん、痛みで集中力が切れたんだわ。
 この悲鳴を聞きつけて、すぐに誰かがやってくる。先生や学院長が……!
「ぐ、あああっ! これは、まずい……」
 右腕――があった場所を押さえながら、男はぶつぶつと呟く。
「時間停止の魔法を解いてしまった……ため込んでいたマナを使ってようやくできたこの魔法、かけなおすのは不可能だ……だが今なら……魔法を全力で使える今なら、例え片腕だけでもロイドくんは殺せる……し、しかし魔法が解けた今、彼よりも遥かに手強い連中が数分と待たずにここに来る……ならばお姫様を捕まえてさっさと――いやダメだ。抵抗できないくらいに弱っているならともかく、この中で一番元気なお姫様を片腕で捕まえ、抵抗を抑え、追跡の手を振りはらいながら学院を出ることは不可能……! よって今回は……失敗……!」
 片腕を失ってもまだぶつぶつと情報整理という独り言をする男に寒気を覚えたあたしは、その抵抗の意思として、両手に炎をまとって立ち上がる。
「――ここは撤退だ……」
 あたしをちらっと見た男は、身を屈める。するとその姿は視界から消えた。残ったのはあたしたち三人――
「! ロイド!」
 風の魔法を解いたロイドはふらふらと身体を揺らす。そして倒れ始めたその身体を、あたしは全身で受け止めた。
「ば、馬鹿じゃないの、あんた! そんな身体で慣れない魔法使って――死んじゃうわよ!」
 もっと……違う事を言いたいはずなのに、あたしの口から出たのはそんな言葉だった。
「よ……かった……無事で……」
「何よそれ! 自分の心配しなさいよ! あたしなんて……け、けがの一つもしてないんだから! 無事も何もな――」
 あたしに体重をあずけたままで、ロイドはその腕をあたしの背中にまわした。
「ちょ、ちょっと――」
 いきなりの事にびっくりしたあたしは、ロイドを支えきれずに二人そろってペタリと座り込んだ。
「本当に……よかった……オレ、また……また失うんじゃないかって……」
 耳元に聞こえる、かすれた……ロイドの声。周りに寮生や、学院に滞在してる先生たちが集まる中、ロイドの嗚咽を聞きながら、あたしはそんなロイドを抱きしめた。
「ありがとう、ロイド。」



 女子寮から学院を囲む塀までの最短距離、その直線上を片腕の無い男が走っていた。男の走り方は奇妙なモノで、時折コマ送りされたように姿が消えて離れた場所に再び現れる。
 男の視界に学院の塀が入り、それを跳び越えようと踏み込んだその瞬間、男が着地しようとした塀の上に一筋の閃光が走った。
 響いた――いや、轟いたのは雷鳴。その衝撃を空中で受けた男は学院の方に押し戻される。片腕ではあったが見事に態勢を立て直して着地した男が見上げた先、黒く焦げた塀の上には女が立っていた。
 タイトスカートやヒールなど、あまり戦闘向けの格好とは言い難いその女は、そんな「女教師」そのままの姿であるにも関わらず、雷を帯びた槍を手にしていた。
「逃げられるとでも思ったのか?」
 女は塀から飛び降り、難なく着地。そしてゆっくりと男の方に迫っていく。
「……普通の、そこらにあるような騎士の学校だったなら、時間を止めるなんて面倒な事はしないで正面から突撃して仕事をこなした。だがこのセイリオス学院はそうもいかない……まともに戦ったらまず間違いなく俺が負ける相手が少なくとも三人いるからだ。だから出来るだけ教師のいない休日の、しかも夕方という微妙な時間に襲撃をかけて意表をついてみたのだが……なんでいるのかね、その三人の内の一人が。」
「……よくしゃべるな、お前。」
「あのお姫様が学院に入学……その担任となる者には相当な人物が選ばれるだろうって事は誰でも想像できることだったが、まさか『雷槍』とはね……」
「まさかも何も、私の本職だぞ、教師は。」
「教える相手のレベルが違うだろう、普段は。」
「それはそうだが、私は元々こっち志望だ。それが……もっと上の連中を教えろとか言われて仕方なくやってただけだ。だから、こっちに来れるようになったキッカケのクォーツには感謝してる。でもって――」
 女が槍を構える。それだけで周りの草木は圧倒され、幹がきしむ。
「クォーツ、サードニクス、リシアンサス……よくも私の生徒に手を出してくれたな……えぇ? 『セカンド・クロック』……確か名前は……プロゴだったか? 全世界指名手配のA級犯罪者がこんなとこによくもまぁ。」
「こっちの事はバレバレか。俺も有名にな――」
 男――プロゴが言い終わる前、決してプロゴ自身、構えた女を前に油断していたわけではないのだが――
「また長々と呟かれても面倒だからな。」
 気が付けば、プロゴは女の槍によって大木に縫い付けられていた。
「本当なら殺してやりたいところなんだがな。情報も欲しいし、専門の奴らに任せるさ。」



 目が覚めると、オレはベッドの上にいた。オレの部屋のオレのベッドじゃない、もっと真っ白なベッド。たぶん、保健室的な部屋だろう。
「目が覚めたか。」
 身体を起こしてぼんやりしていると、隣から聞き覚えのある声がした。横にはオレがいるベッドと同じものがあって、そこにオレと同じような姿勢で起き上がっていたのはローゼルさんだった。
「! ローゼルさん……」
「そんなこの世の終わりみたいな顔をするな、ロイドくん。君に比べれば軽いケガだ。傷は無いのだが、蹴られた場所がまだ痛むのだ。まったく、キックの一発でこれだからな、わたしも脆いモノだ。」
「よかった……」
 オレがほっとしていると部屋の扉が開き、見た事はないけど格好から保健室の先生だとわかる人が入って来た。そしてオレを見るとニッコリ笑い、回れ右して部屋から出て行った。
「……何しに来たんだ、あの人。」
「エリルくんを呼びに行ったのだろう。」
「そうか……心配かけたよなぁ……オレは何日くらい眠っていたんだ?」
「ん? 一日も経ってないぞ? 今日は日曜日で昨日は土曜日。要するに昨日の今日だ。」
「えぇ? 自分で言うのもなんだけど、オレ結構重症を負った気がするし、なんか身体の中が軋むくらい魔法を使ったと思うんだけど……」
「ああ……たぶんそれは間違ってない。魔法による疲労はともかく、ケガの方は、それをすぐに治してしまえる魔法使いがこの学院にはいるという事だな。」


 数分後、ベッドの上のオレとローゼルさんの前にパイプ椅子を並べてエリルと先生が座った。
「さてまぁ……とりあえずお疲れ様だ。事務的な連絡からすると、サードニクスが追っ払ったあの男は私が捕まえて然るべき機関に渡した。少なくとも、あの男はもう現れない。でもってサードニクスとクォーツの部屋の窓も修理した。つまり、今まで通りの生活にすぐにでも戻れるというわけだ。そのケガが落ち着けばな。」
「戻れる……?」
 オレは、若干口調を強めにそう言った。先生はオレが言いたい事が初めから分かっていたように、次の言葉を続ける。
「あの男の名はプロゴ。『セカンド・クロック』の二つ名を持つ、世界規模で指名手配されてる悪党だ。依頼を受けて悪事を働く……今回受けた任務はクォーツを拉致する事だったと、そういうわけだ。ちなみに依頼した人間は昨日の内に突き止めて、これまた然るべき機関に渡した。どうだ、これでクォーツを狙う奴はひとまずいなくなった。」
「でも、他にもそういう奴が来るかもしれない――んですよね?」
「そりゃそうだ。なんせクォーツはお姫様だからな。だがそんな事はクォーツが生まれた時から続いてる現状だ。だから私は言った、今まで通りの生活に戻れると。」
 ……お姫様だって聞いた時点でそういう運命にあるって事はぼんやり理解していたけど、ああやって実際に起こると……ひどい現状だ。そしてその事について先生に文句を言ったってどうしようもない。
「……わかりました。」
「よろしい。んじゃ次は二人の現状だ。まずリシアンサスに外傷はない。が、内臓にちょっとばかしダメージが残ってる状態だ。プロゴはプロだ。んあ、シャレじゃないぞ? あいつはそういう奴だから、ただのキックでも的確に相手にダメージの残る場所ってのを狙う。だがまぁ、今日一日ゆっくりしてれば痛みも引くだろう。」
「はい。」
 そうか。ローゼルさんはすぐに良くなるんだな。
「んで次はサードニクス。」
「あ、はい。」
「お前には二つ、ベッドに横になる理由がある――と、思ってるだろ?」
「? はい……その、斬られた傷と……まだ慣れないのに魔法を使い過ぎた……疲労的な何かが……」
「後者はその通り。保険医の話じゃお前は十年近く、魔法を一切使っていない身体だった。イメロを渡した時に使ったとは言え、あんなのは「使う」に入らない。要するにお前は錆びついた水道管に急に大量の水を流した事で、脆くなってたあっちこっちがぶっ壊れたような状態だ。こればっかりは魔法でもどうにもならないから、数日は安静にしてろ。逆に言えば、安静にしてれば治る。」
「そうですか。」
 先生は水道管に例えたけど、実際は身体の中の何がぶっ壊れたのかさっぱりだ。神経的な何かなのだろうか……
「問題は前者、斬り傷だが……そっちはもう完治してる。」
「えぇ!?」
 オレは思わず今来ている服をまくり上げた。包帯の一つも巻いてあるのかと思ったら、傷痕すらない。
「おいサードニクス。私は気にしないが、女の前で肉体をさらけ出すな。」
「あ……」
 見ると、エリルとローゼルさんが顔を赤くして目をそらしていた。
「ご、ごめん……」
「べ、別に……」
「そ、そうだ、気にしていないぞ……」
「えっと……あ、そうか。魔法で治してくれたんですね?」
「違う。お前をここに運んですぐにそうなった。つまり、昨日の内に完治した。私らが何もしなくても。」
「えぇ?」
「サードニクスは魔法の素人だし、そもそも魔法を使える身体じゃなかった。じゃあ誰かに回復を早める魔法でもかけられていたのかと思ったらそうでもない。そうして辿り着いた答えがこれだ。」
 先生が取り出したのはオレの剣だった。
「簡単に言えば、これを持っている時に受けた傷は治りが早い。特に致命傷に対してはとんでもない反応を見せるようで、致命傷が致命傷になる前にある程度治してしまう。」
 持っているだけでそうなるってどういう事だ? と思っていると隣のローゼルさんがオレよりは何かを知っている風に驚く。
「では先生、ロイドくんの剣はマジックアイテムなのですか?」
「そんなところだ。」
「えぇ? というかマジックアイテムって何……」
 オレがそう呟くと、そう言えば何故か普段以上にムスッとしているエリルが答えてくれた。
「第一系統の強化の魔法の中に、物にある特定の性質を与えるっていう魔法があるのよ。それを持ってれば力が上がるとか、毒を無効化するとか。勿論、誰でもほいほい出来る魔法じゃない、高い技術が必要な魔法よ。そうやって誰かが何かの効果を与えたモノを、マジックアイテムって呼ぶのよ。」
「よくできました、クォーツ。この剣はそういう類でな、詳しく言うと、この剣が受けたダメージとこの剣を持っている者が受けたダメージを軽減・修復する効果がある。ポッキリ折れたりしない限り、この剣は……例えば刃こぼれとかは自動で修復する。でもってこの剣を持っている者は傷が深くなりにくく、かつ治るのが早くなる。」
「でも――」
 先生の解説の後、エリルが納得いかないって顔をする。
「その武器から魔法を感じたからマジックアイテムだろうとはあたしも思ったわ。だけどそれ、普通のマジックアイテムとはちょっと違うのよ。なんか、まるでその剣には意思があって自分で――今先生が言った効果を生む魔法を発動してる感じなのよ。」
「その通りだ。マジックアイテムの類とは言ったが、これはマジックアイテムじゃない。もっと高度な代物なんだが……」
 そこで先生は困った顔で気まずそうに話す。
「それ以上とはわかるんだが、じゃあ何なのかと聞かれると私にはわからないんだ。こういう魔法技術は専門外でな。学院長とかにじっくり見てもらわないと確かな事は……」
 先生と、魔法に詳しいエリルにもわからない謎の剣。実際何なのかは今度、調べてみる必要があると思う。だけどそもそも――
「……フィリウス、そんなすごい剣くれたのか……」
 結構軽めに「大将にこれをやろう!」ってくれた二本の剣がそんなすごい物だったって事にオレは驚いていた。
「フィリウスか……サードニクスの師匠だそうだな? でもって、あの《オウガスト》だって?」
「! なんでそれを……」
「学院長が教えてくれた。お前をちゃんと指導できるようにな。」
「指導?」
「お前の剣術は古流剣術だと言っただろう? あの時はそれだけだったんだがな、《オウガスト》の話を聞いて思い出した。」
 先生は、あのプロゴとかいう奴の事とか、オレの剣の事とかを話す時よりもかなり嬉しそうに続きをしゃべる。
「歴代の《オウガスト》の中で最強と言われている騎士がいる。何代も前の《オウガスト》だし、別に歴代全員で総当たりのバトルをしたわけでもないからそれが正しいかはわからない。だが、そいつの記録を読むとそう言いたくなる……そんな《オウガスト》がいたんだが、その騎士が使った剣術がサードニクスのそれなんだ。」
「……馬鹿が考えた馬鹿な剣術を?」
 先生が言った言葉をそのまま言うと、先生はくすくすと笑う。
「そうだ。しかしその馬鹿を貫いた結果、《オウガスト》になった騎士だ。」
「どのような騎士だったのですか?」
 ローゼルさんの質問に対して、先生は待ってましたと言わんばかりの顔になる。
「そいつは、両の手で風のイメロを取り付けた二本の剣を回転させて風の魔法を発動し、その風で落ちているモノから兵士が持っているモノまで、戦場にある武器を片っ端からすくいあげ、回転させ、それを雨あられと敵軍に降り注がせたという。しかもそれら一つ一つを完全にコントロールし、迎撃も防御もかいくぐって、敵に回転する刃をぶつけたとか。文字通りの一騎当千だ。」
「それって昨日のロイドじゃない……」
 エリルがムスッとしながら驚くという器用な顔でオレを見る。
「オレのあれは……無我夢中だったからどうやってああなったのかよくわかんないし……それにコントロールなんて、相手にぶつける事しか考えてなかった。」
「それでもだ、サードニクス。お前のやった事はそいつの技そのものだ。ま、記録によるとそいつは一度に三百以上の数の武器を浮かせたらしいがな。」
「さ、三百……」
「しかし……」
 何故か嬉しそうな先生に、ローゼルさんが首を傾げる。
「《オウガスト》に選ばれた騎士が使っていた剣術というのであれば、真似をする騎士も多かったはず……それにそれほどの武勇を残したのであれば、あの剣術はもっと有名なのでは……?」
 ローゼルさんの最もな疑問に、先生はこれまた待ってましたと答える。
「確かに。当然、そいつに憧れて多くの騎士があれを真似したらしいんだが、どう頑張ってもあの剣術の基礎である「剣の回転」が上手くできなかったらしい。ある程度は練習すれば誰でも出来たんだが、その程度じゃ、複数の風の渦を回し続けるだけの風のマナを生み出せないし、そもそも風だけで剣を回すって事もできなかったらしい。」
「どういう事でしょうか……」
「サードニクスが今、軽々とできているあの回転と精密な風の渦はな、まず回転させる事に特化した筋肉と、回転に対する尋常じゃないほどに強いイメージが必要なんだ。それを今まで別の剣術で頑張っていた騎士がいきなりやろうってのは無理な話だし、ある程度風の魔法を使い慣れていると風の制御の難しさってのを無意識で感じてしまって精密な回転が作れなくなるんだ。つまり――」
 先生がオレをビシッと指さす。
「剣を教わる時、初めて教わった剣術があの古流剣術である事。古流剣術がある程度使えるようになるまで風の魔法を使った事がない事。これが、最強と言われている《オウガスト》を真似するのに必要な条件で――サードニクスはそれを満たしたわけだ。」
「えぇっと……つ、つまりオレは……すごいんですかね……?」
 何だかそう言われているような気がして若干ふざけ気味にそう言ったのだが、先生は大真面目な顔で頷いた。
「ああ、すごい。お前というよりはお前が今まで育ってきた環境がな。何がどうなって今の《オウガスト》に伝説の古流剣術を教わる事になったのかは知らないが……十二騎士なんていうトップクラスの騎士にそれを教えてもらったという点をふまえると、お前は最強の《オウガスト》以上になり得る。」
 そこまで言って、先生は――いつもやる気なさそうに見える先生がすごくいい笑顔でこう言った。
「私は教師だからな。自分の育てた生徒が立派になるのは勿論嬉しいが、元々すごい奴を育てる事ができるってのも嬉しいんだ。伝説の再来――そう呼べるかもしれない田舎者、王家の人間として魔法の英才教育を受けてきたお姫様、そして純粋に才能があって優秀なクラス代表……他にもたくさん……私はこれからが楽しみで仕方ない。」
 先生は立ち上がって伸びをして、オレたちをざっと眺めて出口へと向かった。
「私からの報告的なのは以上だ。あとは友人同士、心配し合うといい。」
「あ、先生。」
 さっさと出て行こうとする先生を呼び止めるオレ。
「ん?」
「えっと……色々教えてくれてありがとうございます。」
「当たり前だ。私はお前の先生なんだから。」
「それで、ついでに教えて欲しいんですけど――」
 オレは、何となく聞くタイミングを逃している事を先生に聞いた。

「先生の名前ってなんですか?」

 オレの、我ながら場違いと言うか流れに合わない質問に、エリルとローゼルさんは「またか」という顔をし、先生は不思議そうな顔をした。
「なんだ。ライラックの奴、教えてなかったのか……」
「らいらっく?」
「お前が私のクラスに来た時に隣にいた金髪の男だ。」
 へぇ。金髪のにーちゃんはライラックって言うのか。
「……聞いてないです。」

「そうか。私はルビル・アドニスだ。改めてよろしくな、ロイド・サードニクス。」

「はい、アドニス先生。」
「あーよせよせ。私はただの先生でいい――いや、がいい。」
「? そうですか。」
 という事で先生は保健室からさっさと出て行ってしまった。


「……さてと。それではけが人二人の前でふくれっ面なお姫様の話を聞こうか。」
 先生が出て行った後のちょっとした沈黙をローゼルさんがやぶる。そしてムスッとしているエリルがオレたちを――オレを睨んだ。
「ロイド。」
「は、はい……」
 エリルに睨まれることは多々あったけど、今のこれはこれまでと種類が違う――そんな気がした。
「あんた何で……あんなのと戦ったのよ。」
「? 何でって……」
 オレが戸惑っているとエリルは乱暴に立ち上がった。
「あんただってすぐにわかったでしょ! あいつが、あたしたちよりも格上だって! どうして逃げなかったのよ! あんたこの剣の力を知らなかったんでしょ!? じゃああそこで死ぬ覚悟だったの!? 実際この剣が無かったらあの時に――死んでたのよ!!」
 エリルは泣いていた。
「魔法だって! できもしないくせにあんなめちゃくちゃな事して! 使い過ぎたらどうなるか……わかって――」
 エリルは顔をうつむけ、その声はかすれていく。
「あんたにとってあたしは友達で、あたしにとってもあんたはそうよ……? でも、会って数日の相手の為に命をかけないでよ……あたしを無視すれば逃げれたでしょ……何してんのよあんた……」
「おいエリルくん。それが君を守ってくれたロイドくんへの――」
 ローゼルさんが厳しい声を出すのを、オレは制する。
 エリルが怒るのは……わかる。例えば立場が逆だったなら、オレもエリルに逃げて欲しかっただろう。せっかく、敵に先手をとって距離を取れたんだ。あのまま逃げても――逃げた方が良かったに決まっている。
 だけどあの時、自分の血の中に沈んでいたオレの頭にあったのは昔の光景。あの瞬間の記憶だった。
 だからだったんだ。オレがあの男と戦おうとしたのは。
「――エリル、オレ言ったろ? 身近な人を守る騎士になりたいなって。あれさ、ちゃんと言うと……自分にとっての大切な人を守りたいって意味なんだ。一度オレが失った、家族みたいに……特別な人を。」
「……それが何よ……」
「いつか、そういう人がオレにできたとして、二度と失わないように力をつける……それがとりあえず、オレがこの学院にいる理由的なモノなんだろうって思ってた。だけど……懲りないよなぁ……もう手遅れだったんだ。」
「手……遅れ……?」

「もうできていたんだ。エリルっていう大切な人が。」

「……!」
「オレ、あの男にやられて……あいつがエリルに近づいて行くのを見た時……家族を失った時の事を思い出したんだ。もう昔の事でさ……乗り越えたと思っていたんだけどな……」
 エリルが連れて行かれる。絶対に不幸になる場所に。
「あの男を前にした時、きっと無意識に考えたんだ。こいつは、オレから奪う男だって。怖かった……もう嫌だって思った……だから、また手遅れにならないように、オレが持っている力を全部出さないといけないって……そう思って夢中だったんだ。んまぁ、今回は巡り巡ってフィリウスに助けられた感じだったけどな。」
 うつむいたままのエリルを、オレは真っ直ぐに見る。
「エリルはそのまま、お姉さんを守る騎士になってくれ。オレはそんなエリルを守る騎士になる。オレの大切な人を守る騎士になる。きっと無茶もするし、エリルにも心配をかけると思うけど、いつか必ず、大切な人を心配させずに立派に守れる騎士になる。その日までは――勝手で悪いけど、我慢してくれないか。今みたいに、怒っていいから。」
「……――によ……」
「ん?」
「何よそれ……た、頼んでないわよ……」
「ああ。でもこれが、昨日今日でオレの目標みたいなモノになっちゃったんだ。もうどうしようもない。」
「そ、そもそも……あたしはあんたに守られるほど弱い騎士になるつもりはないわよ……」
「いいさ。守る相手より弱いなんて話にならないだろう? 頑張りがいがあるってもんだ。」
 オレは、新しく得る事ができた大切な人に手を伸ばす。
「これからもよろしく。で、どうか守らせて欲しいんだ、エリル。」
「……バカロイド……」
 まだ怒っているけど、「この馬鹿はどうしようもないわね」みたいな呆れも混じった顔で、エリルはオレの手を握った。
「言っとくけど……さ、さっきも言ったようにあんたはあたしの――と、友達だし、あたしにとっても――アレだから、あたしもあんたを……ま、守るから――ギ、ギブアンドテイクよ! お、お互いの目的の為になんだから!」
「ああ。」
 手を通して感じるエリルの体温。オレは、この人を守るんだ。



「コホン!」



 相変わらずこっぱずかしい、だけどその真っ直ぐさに自分も後押しされるみたいな。
 負けられないっていう気持ち。
 こいつとならあたしは強くなれるっていう確信。
 守ると言われて感じたうれし――くなんかないわ! 迷惑な話よ……
 なのに……死にそうなくらいに心臓がうるさいわ……

 って、心と身体が温くて熱いモノに包まれてたら、保健室の中に誰かの咳払いが聞こえた。あたしはハッとしてロイドの手を離す。
「二人で熱い志を確かめ合っているところ悪いが……ロイドくん、わたしはどうなのだろうか。」
 ロイドもハッとして、隣に座ってる――ひきつった笑顔のローゼルを見る。
「そりゃもちろん! ローゼルさんだってオレにとっての大切な人で! ロ、ローゼルさんの騎士でもあって!」
「わたしは「も」なんだな……ついでなんだな……」
「そ、そんな事は!」
 意地悪な、だけどちょっと泣きそうな顔のローゼルを何とかしようとあたふたするロイドを見て、あたしは笑う。


 少しずつ暑くなってくるそんな時期。
 あたしはあたしを守るという騎士に出会った。

騎士物語 第一話 ~田舎者とお姫様~

騎士物語 第一話 ~田舎者とお姫様~

筋骨隆々の男のとなり、馬にゆられて田舎道を放浪する青年、ロイドはある日突然、首都にある騎士の学院に放り込まれてしまう。 地方を放浪していた田舎者のロイドは完全な場違い感の中、赤い髪の少女、エリルに戦いを挑まれる! しかしそのエリルも「場違い感」ならばロイドを凌ぐ、本来騎士に守られる側――王族の子だった! 田舎者とお姫様の出会いから始まる、騎士を目指す人々の物語……です。 ※「章」ごとにバラバラにあげていたお話しを「第○話」でまとめたモノです。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-11-27

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  1. 序章その一 田舎者
  2. 序章その二 お姫様
  3. 第一章 田舎者の曲芸
  4. 第二章 変な優等生
  5. 第三章 騎士の証とお買い物
  6. 第四章 彼の騎士が守る者