リルモア
もう少しな僕と分かってる君の話
恋は届きそうで届かないそんなものだと思う。あとちょっと、数センチを繰り返して故意に恋をする。気がつけばずぶずぶに嵌まっていて抜け出せない。
最早、制御不能。
なんて、臭いだろうか。
でも、そんな僕の初恋だった。
と、センチメンタルに浸ってしまいながら「一言」だけで人の事を呼び出して遅刻する、幼馴染みの事を思い浮かべていた。
「私、思い出巡りがしたい。付き合って!」なんて人の気持ちも知らないで。
ずっと自分の唯一無二だった。
隣に居たのは自分だったと思う。ある意味幼馴染みという永遠の二番目枠ではあったのだけれど。
佳澄が来ないのでそんな逡巡をひたすら自分のなかで繰り返しては飲み込んで吐き出してを繰り返していた。
ずっとずっと、好きだったんだけれど。
「た」と付くくらいだから諦めたのか、とか、元カノか!とか自分に突っ込みが入るものの、違う。
別にただの幼馴染みか明日結婚するだけだ。悪逆非道の暴虐プリンセスが、結婚するだけ。そう。
『結婚、するだけ。』
今更なにも変わらないし、好きって言ったら自分と結婚してくれるとか甘い考えがあったわけじゃない。ただ最後に自分の恋心に決着をつけに、呼ばれたし、来ただけだ、なんて考えながら待つこと5分。
なんども頭によぎる「ここでもう一度告白しとくべきか」なんて思いを飲み込んで更に5分。
「宗太!」
「遅い。」
不機嫌気味になる返事を自分でもあぁ嫌だなんて思うんだけど、いつもいつでもこんな感じ。
「そんなに不機嫌にならないでよー!ごめんって!」
少し長い髪をポニーテールにして、白いワンピースを着た佳澄はこの上なく可愛くて、あぁやっぱり…とは思うものの、人妻には興味は流石に沸かせたらいけない。
「なんで夜9時半集合で遅刻すんだよ」
「1日前だから忙しいんですー」
「ソウデスネ。すいませんデシタ。」
「なんで片言なのよ。」
「いやー幸せそうでなによりですよー。」
「思ってなくなーいっ!?」
わぁわぁ佳澄と言いながら四年前にくぐったきりの大学の門をくぐると、相変わらずの景色が広がって、景色はなにも変わらないのに、他が何もかも変わってしまったことが何となく胸に突き刺さって痛かった。
「久しぶりだねぇ。」
「そうだねー。」
「いやぁ年取ったわ!」
垂らしたポニーテールをぴょんぴょん動かしながら歩くと、四年前となにか変わったかと言われればなにも変わってないような、そんな気がした。
「佳澄さ、幾つだっけ?」
「幾つって…26だけど?同い年じゃない。」
「いや、はやいな、と。」
「ちょ…めちゃくちゃ年食ったみたいでいやなんですけど!?」
「あらぁ…佳澄さん?」
「なんてこったい!」
こうしているとやっぱりなにも変わってない気もしないでもなかった。
この、あと数センチの距離で捕まえられそうな感じもやっぱり、何も変わってないのが悔しい気もしてしまっている自分に気づきながら、いやいや、これは違いますよ?なんてなんども頭の中から声を消す。
「…で、大学まで来て何がしたいの?」
「思い出巡り!」
「はい?」
「だってほら、結婚ってなんだかひとつの区切りな気がするじゃない?だから、独身の私にバイバイしようかなって。」
「……旦那としたら?」
「宗太とやるのに意味があるのよ。」
「なんでだよ。」
「分かんないならいいわよ。」
オレンジ色の階段をたたっと上がると自動ドアの向こうにすっと消えた。
「…なんだよそれ。」
この数センチがやっぱり、わからないなと思いながら佳澄を追って講義棟に入ると佳澄の姿はなく、教室に明かりだけがついていた。
暗い廊下にそこだけの光が浮いて見える。
「宗太、こっち!」
「……ほんと自由人なんだから。」
ドアから頭だけぴょこっと頭を出すとこっちに向かって手を振ってきた佳澄に聞こえないように一言だけ廊下に落としてそちらに向かうことにした。
『これは、昔々、とはいってもわりに最近のことだけれど、バカな一人の男が初恋を終えたそれだけの話。』
「……なんて、モノローグをつければ少しはましに聞こえるかな?」
「せんぱーい、御託はいいんで話をつづけてくださいよぅ?」
目の前に居るのは昔々好きだった女ではなくこの上なく生意気な若い、後輩の女の子。
「しゃべるのやめるぞ?残業するのしんどぃんでぇ、なんかはなしてくださ
ぁい(はーと)って言ってきたのはあんたでしょうよ、宇崎さん。」
「なんですか、その頭の悪そうなしゃべり方。」
「宇崎さんだけど!?」
「ひどいですねー。で、なんですか、その切ない恋の物語、って。続けてくださいよ。」
「まぁ、他人の話とでも思って聞いてくれたら良いや。」
ライド式のドアを開けて中にはいると、長机に腰かけて足をぶらぶらさせる、そんな佳澄がいた。
「なっつかしー」
ぶらぶらさせた足を机に止めて、佳澄が机をぽんぽんとたたく。
その動作一つ一つにやはり可愛らしさを感じつつ、とりあえず気持ちをもう一度飲み込んで尋ねる。
「なにがよ?」
「ここほら、私らの入学式後のオリエンテーションの会場じゃない。忘れたの?」
「あぁ、そっか。」
答えはさして重要だったわけではないらしい。
机からぴょんっと飛び降りるとパタパタと机の間を駆け抜けて、こっちだっけ?あれ?と呟き机をさわる彼女を見ながらやっぱり悲しいくらい何にも変わんないんだな、変わったのは自分かなんて思う。
「そっちじゃなくて佳澄の席はそっちだったろ。」
「宗太は?」
「たしかこっち?」
「残念でした、そっちですー」
「悠は?」
「……ん?」
答えはない。聞こえなかったのかと思って、もう一度尋ねる。
「旦那さん、は?」
「なんてよそよそしい。」
そっちが誰々でーなんて楽しそうに言っていたのをやめて、こっちをじっと見る彼女に気持ちを見透かされそうで目をさっとそらす。
「帰ろうか。」
佳澄にそう声を掛けると、電気を消して講義室から出るように促した。
「宗太は、さ。」
ドアに手をかけようとした俺に佳澄からの声が降る。
「……何?」
外の明かりが佳澄にかかって彼女だけがすこし、明るく見えた。
「……左様なら、の語源覚えてる?言語の一般教養で習ったやつ。」
「なんだっけ?」
「左様であるならば仕方がない。だからあなたと別れましょう。これが語源だって話。」
覚えてる、それは僕にとっても興味深い話だった。
一年の一般教養で聞いた話だったと思う。もううだるくらい暑くて授業がだるくて飛ぶやつが増えてきてた。
そんな中教授が言った左様なら、の話。
景色が、あの日に遡る。
「みんな暑くてだれてるみたいだし、ここでてきている、このAdieuと、Au revoir.の違いを説明して、授業を終わりにしたいんだけど、中西佳澄さん、違い分かるかな?」
「永遠か、その場限りかの違いです。」
「ありがとう、じゃあ本多宗太さん、どっちがどっちだか、分かるかな?」
「…えっと…佳澄、なんだったっけ。」
「アデューが永遠、宗太それ前回の小テストの範囲だけど」
佳澄になにいってんの、バカなの?なんてにやにやされながらぼそっと返答を先生に返した。
「…………Adieuが永遠の意味です。」
「はい、そうでしたね。では安藤悠さん、左様ならとさよならの違い、わかりますか?」
「…なにか違いましたか?」
「左様ならとさよならです。」
教室に少し笑いが起きて、悠が黒板に書いてくれませんか?なんて堂々と返すのを見て佳澄が笑っていたのを覚えている。
「ほんと悠面白いよね」
「ん?」
「中西くん。」
「……あぁ。」
「左様なら、とさよならです」
「漢字とひらがなですかね?」
「そのまんまですね」
「中西くん、多分意味の違いだと思う」
「…………わかりません」
また笑いが起きてだるい空気が悠によって動かされるそんな感じがした。
僕は僕でなんとなく佳澄の笑顔に居心地の悪さを感じていたのだが。
「先ほど本多くんが言ってくれたよ、Adieuと、Au revoirの違いと左様なら、とさよならの違いはいっしょなんですよ。」
「…永遠かその場限りか?」
「そうです。ありがとね、中西くん」
どうもどうもといった感じでまわりに愛想をふるまう悠によくつづくなぁと思ってしまう僕はやっぱりこの時から悠には勝てなかったんだろうなんてふと、考えてしまった。
「さようならの語源は接続詞「さらば、つまり、そうであるならばです。そのさらばが左様ならばにまで遡り、また『そうならなければならないならば』に変わりました。」
淡々とした教師の声が響く講義室に似合わない、重々しい話が響いた。
「別れ話になった恋人も『そういうことならしょうがない。あなたとの関係はあきらめて別れましょう。』なんて気持ち、『別れることは避けることが出来ないなら私はあなたの言うことを左様ならば、と受けとりましょう』なんて気持ちも含めて「左様なら」と言っていたのかもしれませんね。」
講義室に響く先生のあなたを貴女に脳内で変換しながら、結局は隣で「そうなんだ」と頷く佳澄に置き換えて結局は諦めなくてはならないから左様ならと僕はいう羽目になるんだろうと思ったのを覚えている。
…思えば確かこの時が悠のことを中西君から初めて佳澄が悠と呼んでいた瞬間だったかもしれないなんて思った。
「…宗太は覚えてない?」
「あれだろ。だから恋人と別れるときはさようなら一言で伝わるものだったってやつだろ。」
「そう。」
佳澄がこっちに向けていた目をそっと外に背けて続ける。
「じゃあね、やまたね。とは左様なら、の重みは違うんだよって。」
「そうだったな。」
「だからさよなら、と左様なら、は少し違うんだよ何て言ってたのも覚えてる?」
「言ってたな」
じゃあさ、と彼女の口が動く。
嫌な予感が、する。
「続きのある物語にはさようなら、は使えないよね。」
「もちろんそうだね。」
「宗太は左様ならとまたね、どっちを選ぶの?」
佳澄が柔らかくふっと笑う。
答えが見つからない自分の顔が見えない。
「結婚が決まったって聞いてから宗太は連絡をくれなくなったよね。」
「…まぁほら人妻だからな。」
「ちゃかさないで。私はさ、君のことが好きだったんだけど。君はどう思ってたの?」
言葉がでない。喉に張り付く。
やっと絞り出した声が君に届くか届かないか位で音になる。
自分を見つめる佳澄の視線が当たる。
「俺さ、永遠の二番手だと思ってたの」
「…うん。」
「僕は悠の代わりじゃなかったの?」
「痛いところつくね。」
「万に一つの可能性だったんじゃないの?」
「そうだったね。」
「友達以上恋人未満って言ってたのは佳澄サンじゃないですか。」
しまうはずだった何かが溢れ出すのを感じるから多分もうなんか止まらないんだろうな、って思う。
自嘲的な声が止まらない。
佳澄がすっと窓の方を向くと白いワンピースがふわっと翻る。
そこだけ時が止まったかのような錯覚を僕に引き起こす。
「…言ったね」
「狡くない?終わりも僕が選ばなきゃいけないの?」
声の届くか届かないかの距離はまるで本当に佳澄と僕の、いつもの距離だ、と思った。
それが心に痛いのだ、とも思った。
相も変わらず自分のこの手は佳澄にはとどかない、これが歯がゆいのだと。
所詮、二番目。そんな声が内に響く。
「あの時もちゃんと言ったよ。私は狡いよ、って。それでも良いって言ったのは君じゃない?」
自嘲的な笑みすらも好きだと思えてしまう自分が嫌で心が痛い。
佳澄は床のゴミを目で数えて、現実逃避する、そんな僕に続けて声を落とした。
「私は左様ならを誰に言ったらいいのかな?」
「佳澄」
「これでめでたしっていったらいい?」
「佳澄…」
「お姫さまは、王子さまと結婚して、幸せにくらしました、めでたしって?」
髪が風にふわりと浮く。
机に座り、僕に背を向けていた佳澄が心底気だるそうにこちらを振り向いたのに、今度は自分が息を飲む番だった。
口が動く。
『これで答えでしょう?』
声はない。
でもまるでサイレント映画のようなワンシーンが自分の息の根を止める、そんな気がした。
「佳澄、このままでも別に…」
「…宗太」
佳澄が机から降りて床に足をつく。
たったそれだけの動作に相変わらず見とれていた。だから、こっちに来る佳澄の動きに反応するのが、少し遅れたんだと思う。
「さよなら。」
扉が閉まる音が聞こえた。
僕に残ったのは君の声の残響と白いワンピースの影。それから扉の閉まる音だけだった。
「左様なら、か。」
答えにならない答えが左様ならなら、これはなんとなくハッピーエンドなのかもしれないな、なんてひとりごちて、僕の初恋はおわったなんて、勝手にエンディングをつけて笑うことにした。
「それだけですか!?」
「それだけだよ。」
「結婚式に乗り込んで略奪ー!とかは?」
「ないない。小説じゃないんだから。結局結婚式には呼ばれてなかったし。」
「味気なーい。先輩勇気なーい。」
「韻踏むな。無駄に語呂がいいな。」
「…でも先輩、結局相手の佳澄さんから言われたのはさよならだったんですか?左様なら、だったんですか?」
「それは内緒です。」
「えぇー!?」
「まぁ、神のみぞ、知る。ってことで一つ。」
「……左様なら。」
後輩の呟いた左様ならが、あの日の自分の左様なら、に似ているようなそんな気がして僕はそっと笑う。
全部嘘だったかもしれない、長い僕の白昼夢だったのかもしれないと、僕はやっぱり今でも捨てられないまま、答えを探しているなんて、そう思ったある深夜の残業の日の戯れ言。
嘘つきウサギと初恋の回顧録
「嘘つきウサギと初恋の回顧録」
最初の印象は、確か「変な人」だった。
これは、私、宇崎 咲の回顧録である。
「一回の宇崎 咲です。よろしくお願いします。」
「どうも、三回の旧田です。」
「この子がほら!橘君の従妹のうさぎちゃん!」
「…佳澄先輩、うさぎはやめてくださいよー」
「じゃあうーちゃん!」
「……もういいですそれで…」
悠にいの薦めであんまり行きたい大学もあった訳じゃないし、で決めた大学で出会ったちょっとうざい先輩の友達。それが、旧田先輩だった。
別に一目惚れしたわけでもなく気がついたら恋に落ちていた、そんな感じ。
しばらく旧田先輩とはなんだかんだ会いはするけど声をかけられず多分視界の端にいる程度の子だったと思う。
いつだって、旧田先輩は佳澄先輩を目で追っていたから視界の端に入っていたかすらも定かではない。
『そういうこと、ね。』と私が気づくのに半期もかからなかったのは多分ずっと旧田先輩を見ていたからで、好きな人の好きな人は結局分かってしまうものだからだと思う。
「ねぇ悠にい、旧田先輩ってさ、佳澄先輩とつきあってんの?」
「無いと思うけど…つーか咲、うちに入り浸んなよ。家帰れよ。」
「帰るのめんどいんだもん。えーじゃあ旧田先輩って佳澄先輩のこと好きなの?ねー、どうなのよ、悠にい。」
いつもの如く悠にいの家でごろごろしながら作戦会議という名の入り浸りを開催していた。
「いや、それもないんじゃないかねー。多分。あったら困るわ俺。あのさ、咲、せめて大学では悠先輩か、橘先輩で頼むわ、最近佳澄にいじられるから。」
「…………佳澄?」
思えば最近佳澄先輩を呼ぶ呼び名が御坂さんから佳澄に変わっていたような気がして思わず聞き返してしまった。
ぶわってなんか嫌な感じがする。
「え?」
「悠にい、佳澄って呼んでるの?先輩のこと。あれあれー?なんかあったの?」
「なんかって…んもねーよ。」
あ、やっぱり分かりやすい。多分これも、『そういうこと、だ』と気づくのに全く時間はいらなかった。
「…佳澄先輩のこと好きなの?」
「好き…っていうか…あれはうちの彼女です。」
「まじで!?いつから!?」
「ちょいまえ。あんだけ佳澄と仲良くしてて気づかなかったのかよお前。」
「え、悠にいにはあれが仲良く見えるわけ?見る目ないわー」
「ほら、サキサキとかうーちゃんとか呼ばれてんじゃん、ね?」
「一方的、に、ね!ふぅん、そうなんだ…」
正直チャンス到来とは思った。
悠にいの部屋のベッドでごろごろしながらにやつきが抑えられなかったのは事実だ。いや、まぁ悠にいは私以上ににやにやしてて人の顔なんか見ちゃ居なかったが。
自己紹介から8ヶ月、アクションを起こすには十分な時期だと思った。
「そういや聞いてなかったけどさ、お前いつ宗太に会ってたの?佳澄に紹介してーって言う前から知ってなかった?」
「は?悠にい、まじで言ってるの?多分いったと思うけど。」
「忘れちった☆」
「ないわー…。最初はあれだよ、図書館だよ。悠にいがたまには本を読め!お前は知識が足りない!とかほざいてきたのが最初でしょーが。」
「忘れてたわ、そうだったな。」
そう、最初は「変な人」だった。本当に。
すっごくベタな展開だなぁと今でも思うんだけど、最初は同じ本を同時に取ろうとした、それだった。
「…ごめんなさい!」
「…………『little more』好きなの?」
「え?」
「この本。」
「えっと…」
「別にいいや、今回は持ってって。」
いや、変な人というか…嫌でもなんか、変な人。
この数分に満たない会話の間に目が合ったのはほんの一瞬で、後はやる気の無さそうな顔で手を振って去るまでこの間5分。
あぁ変な人だ。そう思った。
「で、また『リルモア』読んでる訳だ。お前も一途だねー。どんな話なの?」
「んー、恋愛小説。」
「ジャンル聞いてるんじゃないよ。」
「何て言うか帯の通りよ。ほれ。」
「『分かってる私じゃない』って…端的過ぎて伝わんねーよ」
「片思いの女の子の話。本気で好きな人とはなかなか結ばれないってそんな感じ。」
「ふーん。そういうもんかね。」
「悠にいほど嫌味にモテるタイプには一生分かんない話だと思うよー?」
「バカにされてる、俺?」
「その点多分繊細な旧田先輩にはわかると思うんだー!旧田先輩の『little more』の感想聞いてきてよ。」
「人のことバカにする子の頼みは聞きませんー。でも宗太が恋愛小説ねぇ。一番縁遠そうだけど。面白いのかな。咲、貸して。」
「えぇー、読むの?」
「読むから、ほれ。」
「しょうがないなー」
その日は悠にいに本を渡して帰った。(半ば奪い取られたようなものだけれど。)
で、結局帰ってこず1ヶ月がたった。
食堂で呑気にご飯なんか食べてる悠にい捕まえて聞くことにするまでこの間三分。
「悠にい、『little more』返して。読みたい。」
「あああれ?佳澄が持ってったままだわ、佳澄に聞いて。」
「なにそれ、もうしっかりしてよね。旧田先輩の感想は?」
「………あ、忘れた。」
「ほんとに役立たずなんだから、もういい、自分で聞く!佳澄先輩どこ?」
「確か102。次そこだから。」
「分かった。」
かくして苦手な佳澄先輩のところにいくことになったのだった。
赤レンガの階段をたたっとあがって、102教室に向かう。
せめても助けはあんまり食堂からは遠くないこと。
ほんとに悠にいは許しがたい。
スライド式のドアの向こうから佳澄先輩の声が聞こえたので、ああ良かった居た、なんて思いながら開けようとしたときだった。
「…あれ、佳澄『little more』読んでるの?」
「そうそう。『リルモア』良いよね。」
「あんま知られてないけどね。」
「悠から借りたの。面白いなと思ってさ」
「……ふうん。佳澄恋愛小説苦手じゃなかったっけ?」
「なんか私らっぽくない?」
「何が?」
「届きそうで届かない感じが」
「止めてくださいよ、佳澄サン。」
「気まずい?」
「旧田先輩…?」
ドアの向こうから聞こえた声の意味が全くわからなくてパニック信号しかださない脳ミソは本当にポンコツだな、と思った。
え、今なんて?
「…なんて悪い彼女だこと。」
「はいはーいどうせ悪い子佳澄ちゃんですよーだ。」
「ないわー」
佳澄先輩は悠にいの彼女で
旧田先輩は佳澄先輩が好きで
悠にいは佳澄先輩の彼氏で
私は旧田先輩が好きで
あれ、会話おかしくないか?と自分で突っ込みを入れられるようになるまで永遠と自問自答のループを繰り返して何度も何度も咀嚼した。
でもやっぱり飲み込めなかった。
「『リルモア』的恋愛と名付けよう」
「なんか汚された気分だわー。ちなみに佳澄読みきったの?それ。」
「いや、読めてない。」
「あら、佳澄さん珍しい。やっぱり恋愛小説はきつい?」
「んーなんていうか、恋愛は虚構じゃだめだよね。恋愛はやっぱりナマモノじゃない?」
「まぁ。確かに。」
「という訳で宗太お願い。要約して!」
「うわぁ、小説における最大のタブーを…」
「そこをなんとか!」
「はぁ、じゃあまぁ。何処まで読んだの?」
「良樹と柚奈が高校入学したくらい?」
「偽恋人の辺りか。」
「あれ終わってちょうどかな…くん?が出てきて柚奈がその子好きになり始めるくらい?」
「奏太な。梓は出てきた?」
「梓…えっとどんな子?」
「奏太の妹。良樹のこと好きな子。」
「あ、うーちゃんね!」
「………あーちゃんなら分かるけどうーちゃんって何?うなんか入ってなくない?」
「まぁ、こっちの話。クラブに梓に似てる子がいるのよ」
「健気な後輩タイプ?佳澄好きそう。」
「そそ。」
「あれだな。良樹と柚奈の偽恋人関係に無理が生じてきてそのあとって感じか。」
「うん。」
「結論言うと柚奈と良樹は別れる。良樹は最初っから柚奈の事なんか好きじゃなかったでしょ?って言われて奏太と柚奈が付き合い始める。」
「ふむ、なるほど?」
「で、そのあと10年たって良樹と梓が出会う。んで付き合ってゴールイン。」
「へえ。」
「梓は柚奈に『酷いことしますね』も、奏太に、『分かってるのは私だけでいいです』も飲み込んでハッピーエンドになるわけなんだけども。」
旧田先輩が饒舌に、いつもより笑顔で本の話をするのを見ながらまるで柚奈って佳澄先輩みたいですね、最低…!
なんて言葉を叫びながら飛び込みたくなる衝動を抑えながらただ講義室のドアの前に私は座り込んでしまった。
「何これ。悪い冗談?夢かなんか?」
ドアの向こうでは悪夢の続きが繰り広げられていた。
「佳澄は結局読みきらなかったけど誰派?やっぱ柚奈?」
「んー、梓ちゃんかなぁ。なんか全部分かってそうじゃない?」
「へえ、てっきり柚奈かと思った。」
「宗太は?『リルモア』どう思った?」
「………んー…」
聞きたくない、咄嗟にそう思った。
せめてその感想くらいは自分で聞きたい。
『佳澄先輩なんかに取られてたまるか』ってそう感じた。
それからふらふらしながらだけど食堂まで戻った。
「佳澄には会えたか?」
「悠にい…」
「あいつ読むの遅いから『まだ読んでない、ごめんね、うーちゃん』とでも言われたんじゃない?」
「…そっか。梓は私か。」
「咲?聞いてる?」
「バカみたい…。」
「…………どうした?」
「悠にい、もう『little more』は返してくれなくていいって、佳澄先輩に伝えといてくれないかな?」
「分かった。どうした、咲?」
「やるべきことがもう分かったから台本はもう要らないかなって。」
「………?」
そう伝えて、そこから帰った。
あれから今まで『little more』は読んでいない。というより、読まなくてもよくなった、という方が正解だろうか?
「やっと答えあわせができますね、旧田先輩。」
「…ん?なんて?」
「いえいえなーんでも?」
「仕事しろ、嫁になったところで部下は部下だからな?」
「なんてひどい旦那さんなんでしょう!奥さん泣いちゃいます。」
「……お前…」
嘘つきウサギ、なんて言わないでほしい。初恋は終わらせない。私は、彼に答えを聞くつもりなのだ。
「ねぇ、先輩。」
「ん?」
「思い出巡り、しませんか?」
リルモア