*星空文庫

Aurcus Online Story by.緋苑

緋苑 作

  1. 『序章』
  2. 『第一章 魔物の蠢動』 (一) 力を持つ者
  3. 『第一章 魔物の蠢動』 (二) 緊急入港の報告
  4. 『第一章 魔物の蠢動』 (三) 能力には義務が伴う
  5. 『第一章 魔物の蠢動』 (四) 精霊より与えられし物
  6. 『第一章 魔物の蠢動』 (五) 戦争の代価
  7. 『第一章 魔物の蠢動』 (六) ガレリアの灯火
  8. 『第一章 魔物の蠢動』 (七) ソード・オブ・オルクス
  9. 『第一章 魔物の蠢動』 (八) 入団試験
  10. 『第一章 魔物の蠢動』 (九) 街の人々
  11. 『第一章 魔物の蠢動』 (十) 王国軍の推察
  12. 『番外編 王国軍兵士エラルドの秘密』 (一)
  13. 『第一章 魔物の蠢動』 (十一) 魔物の足跡
  14. 『第一章 魔物の蠢動』 (十二) 暴れる魔物
  15. 『第一章 魔物の蠢動』 (十三) 精霊の雫
  16. 『番外編 王国軍兵士エラルドの秘密』 (二)
  17. 『番外編 王国軍兵士エラルドの秘密』 (三)
  18. 『第一章 魔物の蠢動』 (十四) 魔物の巣窟

『序章』

この人物に関する文献は極めて少ない。

出自も、生い立ちも不明。

ただ一説によれば、二十代の頃
当時セタ=グリア島と呼ばれていた地に
居住していたはずなのだという。

現在ではどこにあったのかも不明だが
この島には貿易の中継点として
様々な人々が住み着く都市があったそうだ。


島の繁栄に終わりを告げたもの。

それは、闇の勢力の襲来だったという。

当時としては珍しくもない話。

自警団は瞬く間に壊滅。

本土からの救援は望むべくもなく、
人々は逃げる先もないまま虐殺されていった。

かくしてセタ=グリア島は、
人類史から姿を消すこととなったのだ。


ただ、港近くにいた一部の人々は
出港準備中だったいくつかの船に収容され、
島からの脱出を試みたという。

かの人物もまた、これらの船に乗っていたのだ
と、ある仮説の支持者達は主張している。

名前も性別も、実在したかも不明な人物。

しかし、この説を主張する文献によれば……

かの人の名は……

『第一章 魔物の蠢動』 (一) 力を持つ者

 潮の匂いと雨の匂いと……血の臭い。
 揺れる視界の中で足を踏み出す。ギィっと軋み、今にでも割れそうな木製の床。かすかに荒波と船体の激しくぶつかる音が聞こえ、その衝撃なのか支柱に掛けられたいくつものランプがカタカタと鳴る。それだけでも、外の嵐の強さが目に見えるように分かる。
 わたしは、目の前に立つ謎の女にゆっくりと近づいた。
 足下まで隠れる丈の長い真っ白な礼服のようなものを着ており、肩には鳩らしき鳥がとまっている。両手で神秘的な杖を握っていて、なぜか女の周りだけ外気が遮断されたような変な感覚を覚える。
 女の二歩前で足を止めると、女はかすかに微笑んだ気がした。その顔は白い仮面で隠されていて、実際のところ微笑んだかどうかは分からないけれど。
「ヒオンさん。いい嵐ね。ごきげんよう」
 鈴のような凛とした声。
 どうしてわたしの名前を知っているのだろう。
 そう思ったが、わたしもこの女の名前を知っている気がした。
「この船では、あなたが一番強そうね。武術の腕に覚えがあって?」
 わたしは自分の背に背負っていた剣の(つか)をちらりと横目で見て、ゆっくり頷いた。
「そうでしょうね。……でも、流石に襲い来る闇の勢力を、すべて打ち払うには、あなたでも厳しそうね」
 ゴクリと唾を飲み込む。
 その通りだ。だからこんな悪天候の中、こうしてこのぼろぼろな船で逃げ落ちようとしているのかもしれない。
「今外からこの船は攻め込まれようとしている。多分あなた達はここで死ぬ……。他の船員達も皆死ぬ。ふふっ」
 女は口元を手で隠しながら上品に笑う。何が面白いのか理解ができず、女の不気味さに鳥肌が立つ。
「ねぇ、でもそれだけ手練の戦士なら、力について考えたことはありそうね。力には責任が伴う」
 口元の手をまた杖にかけると、女は強めな口調になる。
「今もしあなたに、闇の勢力を打ち滅ぼす力があったなら、この船に乗った人たちが魔物に殺されて死ぬのは、看過したあなたのせいよ」
 看過したわたしのせい。看過した……?
 女はくすっと笑った。
「まぁいいわ。面白そうだから、今回だけ、私があなたに一時的に力を貸してあげる。襲い来る者たちに勝てる力を。返事はいらないわ」
 女はコッと靴音を鳴らして一歩近寄ってくると、その手に持っていた杖をわたしに向けた。
 思わず両手を上げて身構えてしまう。
「私の勝手で、あなたの意思はすべて無視して力を貸す。だから今回だけは、何があっても私のせいにして良いのよ」


 気づいたらわたしは、甲板の上で剣を握り、土砂降りの中をぼーっと突っ立っていた。
 足下には見たことのない魔物の死体が三体転がっている。
 ──わたしが、やったのだろうか。
「おいおい、あんた一人でほとんど倒しちまったじゃねーか。一騎当千もいいところだ」
 陽気な声がしたほうを振り向くと、バンダナを巻いた男が頭をかきながら近づいてきた。この船の船長、たしか名前はヴェルカントといったはずだ。
「なんというか……信じがたいが、幸運って奴がアクィラ号に来たんだな。こんな御伽噺(おとぎばなし)みたいな奴が本当にいるとは」
 朽ちた魔物たちを見渡して苦笑する。
 どうやら本当にわたしがやったみたいだ。今になってやっと剣の重たさが手にどっしりと伝わってきた。背中の鞘に剣を戻す。
「あぁ、こいつは少ないが礼だ。是非受け取ってくれ」
 ヴェルカントは思い出したように笑うと、ポケットの中から何枚かの金貨を取り出し、わたしの手のひらに押しやった。
「いえ、あのっ」
 自覚がないものだから、礼を受け取る義理はないのだ。金貨を握らされた手をヴェルカントに戻すが、ヴェルカントは首を振ってわたしの手を押し返した。
「本当に、何と言ったら良いやら。そうそう。他の船は……」
 はっとして二人で周囲を見渡したが、それらしき船影は見えなかった。
「あーあ、周りの船、一隻も残ってねぇか」
 ヴェルカントが残念そうにつぶやくと、また頭をぼりぼりとかいて苦笑する。
「機雷なんかばら撒くから、魔物どもに目をつけられて、大量に押し寄せられたんだろうな。となると、つまりは……」
 そうつぶやいて、ヒビの入ったマストを見上げた。わたしも一緒に見上げる。今にでも折れてしまいそうだ。
「このアクィラ号だけが、精霊のお恵みに預かったってこと……か」
「……そうですね」
 奇跡に近いことだ。精霊は本当にいる。きっと。
「船長!どこのものかは分かりませんが、船着場が見えました!」
 船首で双眼鏡を手にした船員がこちらに声を張り上げた。他の船員達も声を上げたり抱き合ったりして喜んでいる。
「そりゃいい。海じゃないどこかには、辿り着いたわけだ」
 よかった。わたしもほっとして、ヴェルカントと顔を見合わせて笑う。
「さぁて、船着場に寄せて碇を下ろせ!」
 ヴェルカントは大声で指示を出す。船員達がどたどたと慌て出し、また船体が大きく揺れる。
 暗い雲が広がる先の海岸線に、うっすらと大陸が見えた。
「どうやらここが、俺達の新しい岸辺のようだ」


商船アクィラ号のみが大陸へ落ち延びた。

この人物が本当に歴史の渦中に投げ込まれた
あの人なのかは、誰にも分からない。

逸話(いつわ)の主は、無名の旅人だったのか、
ダンジョンの冒険者として後に活躍したのか、
アリーナの覇者たる戦士として名を馳せたか……

ただ一つだけ、確かな事がある。

この後、激動の時代が幕を開ける。

『第一章 魔物の蠢動』 (二) 緊急入港の報告

 船から降りると、しっかりとした足場の港に思わず驚く。
 ふと視線を上げると高い外壁があり、真ん中に大きな門がある。広い国なのだろうか。
 ヴェルカントは碇の具合を確認したあと、腰に手を当てて難しい顔をする。
「海まで凶暴な魔物で埋め尽くされちまってる。しばらく出航は見合わせだ」
 わたしを見て悲しそうな表情をして笑った。
「まぁ、ひとまずは命あってのものだねか。板一枚下に死が待ち構えているのが、船乗りの宿命だ。今回は……ちょいと規模が大きかっただけなんだろうよ」
 船を見上げる。ぼろぼろの船。ここまでわたしたちを運んでくれたことに感謝しかない。
 ……ありがとう。心の中でそうつぶやく。
「さて、アクィラ号はガタガタだし、どこから手をつけるかね……。ひとまずは救援……、それと生き残った船員達の飯の確保だな」
 ヴェルカントがお腹をさする。
 わたしも少し小腹が空いたかもしれない。ここの国ならではの特産品はあるのかな。振り返って外壁を見やる。
 なんだかんだ初めての大陸に、少し胸が熱くなっていた。
「これから船を修繕する以上、金はいくらあっても足りるもんじゃなし、幸いここは気候の良い南部で、ガレリア大平原もあるから、ある程度は自給自足だ。つっても色々荷下ろししないと、このままじゃいつ沈むかもわからん」
 船内の積荷や木材などをせっせと港に運び出している船員達。あっという間に木箱が山積みとなる。
「悪いが、もしよかったらあんた、ちょいと手伝ってもらえるか?」
 船員達たちが一生懸命働いているのに、わたしだけ何もしないのは少し気が引けていたので、手伝いをさせてくれるのは嬉しい。喜んで頷く。
「わたしでお役に立てるなら」
 ヴェルカントが、ぱっと顔を輝かせる。
「助かるよ」
 そう言って外壁のほうを指さす。
「そこにいる、兵士達に救援を求めて来てくれ。あとは『モデスト』って名前の船乗りに、飯の確保をするよう伝言して欲しいんだが……あいつ、どこほっつき歩いてるのか……」
 やれやれと手を振り、ため息をつく。
「まぁ人探しも兵士の仕事だし、救援要請ついでに、それっぽい船乗りの居場所もあの兵士にたずねてきてくれ。俺は荷下ろしにつきっきりになるんでな」
 そう言って腰につけていたロープを緩めると、肩にかけてニカッと笑った。
「わかりました」


 近づくとまた一段と高く見える外壁に、足を止めて驚く。これも魔物の侵入を防ぐためなのだろうか。ここまで高くしなければならない現実にため息が出る。
 門は開いており、奥に華やかな噴水が見えた。
 自然の豊かな町みたいだ。こんな時代だからこそ自然を大事にする人が増えてきていると、さいきんニュースペーパーで読んだ。とてもいいことだ。
 門の開閉レバーのすぐそばで、衛兵らしき男がカメラを手にしてうろうろ歩き回っていた。
 重そうな鎧を着ているので、ヴェルカントが言っていた兵士で間違いなさそうだが、男のあまりの落ち着きの無さを見て少し心配になってくる。
「昨今は魔物に邪魔をされて、ガレリアに入港する船は、近距離船に限られていたのだがな……」
 ほら、なんかぶつぶつひとりごと言ってるし。尚のこと不安だ。おそるおそる近づいてみる。
「す、すみませーん……」
 わたしに気づいたのか、衛兵がバッとこちらを見る。その迫力に思わず後ずさってしまう。
「緊急入港した船の乗員か。予定外の入港の理由を説明してくれるか?」
 もしかして怒ってらっしゃる……?
 わたしは慎重に今までの経緯を話した。
「……そうか。道理で海が魔物ばかりで荒れているわけだ。闇の勢力に操られたか……」
 衛兵が顎に手を当てて、うーむと唸る。
 と、また急にバッとこちらを見るので、またもや後ずさってしまう。
「いや、よく無事に辿り着いた。そうか……セタ=グリアが落ちたか」
 落ちた、という衛兵の言葉が頭の中を反芻し、足下に目を落とす。
 ──もうわたしには帰る場所がない。
 故郷の懐かしい風景を思い出す。記憶の中の平穏な景色がだんだんと真っ赤な色に染まっていく。
 突然ふっと足下が暗くなり、目を上げるとすぐそばに衛兵の心配そうな顔があった。
「おわああっ!?」
 慌てて五歩ほど後ずさる。近いわ!
「うん、どうした?他に何か聞きたいことでもあるのか?」
 そうだった。衛兵への報告は済ませた。あとヴェルカントから頼まれていたことはもう一つ。
「モデストという方を探してます。見かけませんでしたか?」
「あぁ、お前が乗っていた船の船員か。そういえば一人、入港してすぐ街の中へ入って行ったのがいたな」
「本当ですか!」
 うむ、と相槌を打ってちらりと後ろの門の向こうを見やる。
「確か……この門をくぐって、左側へ進んだ先の門の方へ行ったはずだ」
 わたしも一緒になって門の中を覗く。
「……って見当たらないな」
 相当足の速い人なのだろうか。それとも好奇心旺盛なのかな。
「門の近くにいる『ヌンツィオ』って奴に聞けば見かけているかもしれん」
 噴水の奥に、かすかに同じような鎧を着た人が立っているのが見えた。そこかしこに衛兵がいるみたいだ。
「ありがとうございました」
 あまりに挙動不審だったために心配だったが、話してみれば意外といい人だ。この国に少し好感が持てた。
 門をくぐるととても綺麗な広場で、思わずわあっと足を止めて関心してしまう。
 そこかしこに緑が広がっており、空気が澄んでいるように感じる。苔が生えていて歴史を感じさせる建物の町並みも、地面に彩られている不思議な文様も、どこか味があって素敵だ。自然も歴史も大事にしている国なんだと思うとなんだか嬉しくなる。
 と、突然背後でパシャリとシャッターを切る音が聞こえ、びくっと振り返る。先程の衛兵がこちらにカメラを向けており、わたしの視線に気づくとサッと慌ててカメラを後ろ手に隠した。
「珍しく見たこともない船が来たと思ったら、闇の勢力に追われて辿り着くとは……いよいよ深刻な事態だ」
 誤魔化すように真面目なひとりごとを言いながら顔を背けるので、わたしは熱くなり衛兵に食ってかかる。
「今撮りましたよねっ!絶対撮りましたよね!?」


 裕福そうなきらきらした格好をした人や、本を片手にフードを目深まで被った人。わたしと同じく剣や弓を携えている人。パンが盛られた籠や買い物袋を持った親子。たくさんの人が行き交っている。
 屋根の下で声を張り上げ、道行く人にアプローチをしているのはおそらく商人だろう。商人の周りには、たくさんの人が集まっていた。
「ガレリアは鉄の産地だ。おかげで昔から戦には滅法強かった。無論その相手が闇の勢力になったところで、それは変わるまい」
 そんな町の様子を熱心に見ていたわたしに、衛兵のヌンツィオさんは教えてくれる。
 鉄の産地というより、どっちかというと薬草の産地のイメージだ。
「ガレリア大平原の再奥には、巨大な木が一本生えている。あれはガレリアを保護していると、昔から信じられている。今も昔も、あの一帯だけは変わりがない」
「巨大な木……」
 どれくらい大きいんだろう。
 魔物にもやられず、戦でも荒れない。そういう昔から変わらない場所があるのは、すごくいいことだと思う。人々の記憶のままの場所。
「うん?ここに誰か来なかったかって?」
「ああ、はい。そうです」
 そうだった。思わず話が脱線してしまっていた。
 ヌンツィオは腕を組んで首を捻る。
「うーん……ここは結構人が通るからな。正直それだけ言われても分からんぞ……。もう少し具体的に、探したい奴の特徴を言ってもらえるか?」
 そう言われても、わたしもモデストという人を知っているわけではないのだ。服装や体型を教えることはできない。
「船員なんですけど……」
 申し訳なさそうに言う。もうこれしか言えない。
「ああ、さっき入港した船の船乗りか?確かにそれらしい奴が一人、この門の先へ向かっていったな」
 通じたああああ!そんなに目立つ人なのかな、モデストさんって。
「この先は『ガレリア大平原1』だ。恐らく、まだ遠くへは行っていないだろう」
 後ろの門を親指でくいくいと指す。
 門の奥の壁にはランプが灯っており、その先のガレリア大平原までほんのり明るく続いていた。

『第一章 魔物の蠢動』 (三) 能力には義務が伴う

 たくさんの緑の葉が、風に乗ってブワッと吹き付けてくる。
 視界の先、端から端まで広がる平原。そこかしこに黄色やピンクの花が愛らしく咲いており、白い蝶々がおいかけっこをしている。
「あれは……なに?」
 一番目についたのは、くねくねとした緩やかな坂道に沿って立っている、いくつもの崩れ果てたアーチ状の建造物。
 門だったのだろうか。今ではもう門の形はしていないけれど、表面に不思議な文様が刻まれているのがここからでもよく見えた。あの文様は、噴水のあった地面に彩られていた文様に少し似ている。
 雲の間から照りつけてくる、眩しい太陽の日差しに手をかざす。先程の船上での大嵐が嘘のような天気だ。
 ふと見ると、すぐそばの岩にあぐらをかいて座っている男の人がいた。清々しく広がる青空を見上げている。
 頭にはバンダナ。ヴェルカントと似たような服を着ていたので、同じ船に乗っていた船員かもしれない。
 いや……もしかして、あの人がモデストさんか?
 男の人がわたしに気づくと、施すように坂道の向こうを指差した。
「ここから……いやまぁ俺は凄く目が良いから、あんたの目じゃ見えないかもしれないが……ここからずっと行ったところに『幸福の木』っつーでかい木があってな。あれがどれくらい(もや)がかかって見えるかで、大体こう……空気の湿り気っつーか、まぁ天気の具合が分かるんだよ。船の上ほど敏感になる必要はないけど、確認しておいて損はしないしな」
 幸福の木。先程ヌンツィオさんも言っていた巨大な木のことだろうか。
 わたしは靄とかそういうもので天気の具合は分からないので、普通に尊敬してしまう。船乗りはみんなこういうものなのか。というか目良すぎにも程がある。わたしには、この平原を囲う岩しか見えない。
「モデストさん、ですよね?」
 モデストさんは上げていた手を下ろすと、首を傾げた。
「うん?ここで何してるかって?ここは明日の天気を計るのにちょうど良いんだよ。三年前に寄港した時、気づいてな」
 そう言って、また澄み渡る綺麗な青空を見上げる。黒い鳥が心地良さそうに飛び回っていた。
 答えないということは、おそらくモデストさんで合っているんだろう。
「うん?あんた……闇の勢力を追い払った英雄か」
 モデストさんはわたしを上から下まで眺め渡し、腕を組む。
「え、英雄っ!?」
「みんな、あんたのおかげで助かった、って言ってるよ。凄く強かったって」
「そんなことないです。全然」
 褒められて少しだけ照れてしまう。思わず手をぶんぶん振る。でも、わたしも記憶がないものだから素直に喜べない。
「それで、俺になんか用があるのか?」
「はい。ヴェルカントさんから頼まれ事を」
 モデストさんは、納得したように頷いた。
「あぁ、飯の調達ね……」
 なぜわかった。以前もヴェルカントに食料の調達を頼まれたことがあるんだろうか。しいて言うならば食料係ってところかな?
「しかしここ、南部とはいえガレリアなんだよな。俺ガレリア近郊でうろつくのは嫌なんだけど、どうしたもんか」
 不機嫌そうにため息をつくので、申し訳なくなる。
「あぁ、いいよ。根無し草になっちまったあんたに言っても仕方ない。しっかしあんたも大変だな。故郷がなくなっちまったんだ」
 そう人にずばりと言われてしまうと、自分で悶々と悲しんでいたときよりかなりへこみ、重く実感してしまう。
 でも、この人もヴェルカントさんも、逃げ仰せているときに仲間の船員を何人か失ったはずだ。みんなそれぞれ失くしたものは違えど、その代償はかなり大きい。ぽっかりと空いた穴は、そう簡単には塞がらない。
「まぁガレリアはでかいから、探せば何かの食い扶持(ふち)は見つかるだろうけどよ。居場所や足場を確保するまでが大変だろうな。だからと言って、船乗りはお勧めしないぜ。なかなか大変なんだよ、これでもな」
 へへっとモデストさんは苦笑したあと、真剣な目でわたしを射抜いてきた。
「……なぁ、俺見てたんだよ。あんた、不思議な女の人と話してただろ。あの船室で」
 不思議な女の人……。
 思い出そうとして頭を抑える。そうかもしれない。記憶が曖昧だが、真っ白な女の人とやり取りをした。それで、たしか……。
「変な力を借りてた」
 モデストさんの言葉に頷く。
 ──今回だけ、私があなたに一時的に力を貸してあげる。襲い来る者たちに勝てる力を───
 鈴のような声を思い出す。
「それで、戦って、あんなに強かった。そりゃ、あんたが戦ってくれたおかげで、俺達は助かったけど……」
 モデストさんが目を逸らして、言葉を濁す。
「でも、あれあんたの力じゃないんだろう?皆あんたがとてつもなく強いと思って褒め称えている。でもそれは嘘だ。嘘の名声だ」
 嘘、という言葉がひどく心に突き刺さる。そのとおりだ。
 自分の力ではない力で誰かを守ったところで、最終的に得られるものは、風に舞わずに積もり残った灰みたいな真っ黒い感情と偽りの関係だけだ。
「俺は……嘘ついたり、ずるしたりするのは、どうかと思うんだよ。そりゃ、あんたが嘘で名声を得たって、俺が損するわけじゃないけど」
 モデストさんが疑心に揺れた目でわたしを見上げる。
 自分の信念を貫き通す人なんだろう。だからこうして、他人の嘘や悪行にもきっと過敏になるのだ。
「もしあんたがこの辺の魔物を討伐できるくらい本当に強い、ってなら別だけどさ。例えば『ゴブリンファイター』とか……。でも嘘をつくなんて、弱い奴のすることだろう?」
 ぐっと怖気づいてしまう。
 モデストさんに信用してもらうには、本物の力を見せつけるのが手っ取り早いのかもしれない。不思議な女の人から借りた力ではなく、わたし自身の力を。
「わたしも、嘘はつきたくないので……。これからは自分自身の力で戦います」
 モデストが目を見開かせた。
「へぇ……言ったな?」
 口元を上げて、興味顔になる。
「じゃあ、この『ガレリア大平原1』にいる『ゴブリンファイター』を五匹倒してこいよ。もし出来たなら、俺の経験から得た良いことを、一つ教えてやるよ。処世術(しょせいじゅつ)ってやつだ」
「処世術?」
「これからこんな世の中で生きていくのに、処世術はいくらあっても損はしないだろう?」
 そう言うモデストさんに背を向け、鞘から剣を抜く。
 ゴブリンファイターはそこかしこで散歩をしていた。


 報告しに行くとモデストさんは飛び上がって驚愕し、岩から転がり落ちそうになった。慌てて腕を掴んで引っ張り上げる。
「え……、ほ……本当に倒してきたって言うのか!?」
 いいから早くちゃんと座りなさい。危ないから。
 モデストさんはまた岩の上に姿勢を正してあぐらをかくと、ふうっと腕で額の汗を拭った。
「凄いな……あんた、力なんか借りなくても、そのままで十分強かったんだな。そういや言ってたな、あの女の人。この船であんたが一番強いとか何とかって」
 言ってたような、言ってなかったような。あまり思い出せない。
「あんた……このまま、もっともっと力を追い求めるのか?」
「こんな世の中ですから……。力はいくらあっても無駄ではないです」
 モデストさんは腕を組んで、うーんと唸った。
「そのつもりなら、最初に約束したように、一つだけ俺の経験談を話すよ」
 そう言って、岩の隣に座るよう示した。そこに静かに腰を下ろすと、モデストさんはゆっくりと語り始めた。
「俺もあんたほどじゃないけど、有能でいたくて色々身に着けてきたんだよ。フカ退治なんかだったら、俺のがあんたより上手いと思うぜ」
 フカというのはサメのことだ。フカ狩りとも言う。フカは船乗りや漁師にとって最大の敵だ。
「でもよ、俺はそのせいで代理のフカ退治を押し付けられちまったんだ。同じ船に乗ってた、ろくにフカ退治できない飲兵衛(のんべえ)の代わりにな」
 思い出して腹が立ったのか、モデストさんは舌打ちをする。
「あいつ金がないからって空約束して、漁師から酒をせびっちまったらしいんだ。漁場のフカを狩って、漁を楽にしてやるって。漁師達あれで荒れっぽい奴らが多いから、約束破って怒らせたら殴り倒される。で、酔いがさめたら俺に泣きついてきた。あの嘘つきが自分で撒いた種じゃねーかと思ったけど、船長がやれって言いだしてよ。能力には義務と責任が伴う、だからやれって」
 なんだか前にも、似たようなことを誰かが言っていた気がする。
「ずるい話だ。結局あいつは酒を飲めたけど、俺は労力を損した。あんたも気をつけろよ?力なんてあっても損するだけなんだからよ」
 そうだろうか。少なくとも力がなく何もできず何も守れず、ただただ自己嫌悪に陥っていくよりはずっとましだと……そう思う。
「なぁ……さっきの話だけどよ。俺は納得しなかったけど、でも船長だけでなく司祭様も、騎士様も、偉い人らは言うんだ。能力には責任が伴う、って」
「言いますね」
「……もしあんたが『それでも船長の言うことが正しい。力には責任が伴う』って思うなら……。つまり、俺の忠告なんて聞く気がないならもう一つだけ俺の話を聞いてくれるか?」
 モデストさんは、わたしの力を認めてくれたみたいだ。認めてくれたからこそ、わたしは言いたい。
「幾多の方々が言うように、わたしも力には責任が伴うと思います。もし無駄な労力になったとしても、誰かのために使ったことに変わりはないです。それは、名声や権力よりも……大事なことだと思います」
 モデストさんはフフッと肩を揺らして笑った。
「そっか……あんたもそう言うんだな。じゃあ、あんたが俺の代わりに、船長の頼んだ飯の準備をするんだ」
「はっ?え?」
 どうしてそうなるんだ!食料の準備はあなたの仕事でしょうが食料係!
「なんでかって?あんたにはその力があって、俺はそうしないと死ぬかもしれないからさ」
「死ぬ……?」
「……実は三年前ガレリアに寄港した時、俺はこのガレリア大平原1の奥の方で、とんでもない化け物に出会っちまったんだ」
「化け物!?」
 大袈裟に反応してしまう。
「おもわず護身用のナイフぶっ刺して逃げてきたけど、でっかい爪を持った日本足で人間みたいに歩く化け物だった」
 ナイフぶっ刺して逃げたって、随分アバウト。というか強い。
 それに、そんな化け物がこの先にいるんだと考えると少し腰が引ける。
「あの化け物がもし、まだ俺の事を覚えてたら、報復に襲われるかもしれない。だから俺は、この門の近くより先へは行かない」
 フンっと、モデストさんが子供のような頑固口調で言う。そういう理由なら仕方が無いのかもしれない。
「『ゴブリンファイター』が倒せるあんたなら『ベルクヴォルフ』が落とす肉を集めるのが、食料収集には一番効率が良いだろう」
 辺りを見渡すとベルクヴォルフは、遠くの誰かが焚き火をしたあとらしく木枝が積まれているあたりに集まっているのが見えた。
「五個もあれば足りるはず。あんたはあの化け物と会ったことがないから出来るはずだ」
 この人化け物怖がりすぎ。精悍そうに見えて実は臆病なところがあるんだな。
 よしっと立ち上がり剣に手をかけると、モデストさんはまた真剣な目で言ってきた。
「あんた……能力に伴う義務を、果たそうと思うか?」


 ベルクヴォルフの肉を五個持っていくと、モデストさんは圧巻して口をパクパクさせた。
「本当に……持ってきて……くれた、のか。……ありがとう」
「いいえ」
 それでは、とお辞儀をする。
 頼まれ事は済んだ。一度ヴェルカントのところへ戻ろうと思い、来た道を引き返そうとすると、背中に慌ただしく声がかけられた。
「あぁ、待ってくれ!少しばかりだが、礼をさせてくれ」
 走ってきたモデストさんは、金貨を一枚渡してきた。
「ありがとうございます」
「あんたは……選ぶんだな。力を持つ者の世界を……。自らの義務を果たし、精霊の恩寵(おんちょう)を受け取る生き方を」
 眉を寄せてそう聞いてくる。
「……はい」
 曖昧に返事をすると、モデストさんは腕を組んでその場に座りこんだ。
「……なぁ、俺がさ、昔船乗りになる、って決めた時の話をして良いか?」
「え?」
 また語り出すの?てか、ここ道だから!
 そんな慌てふためくわたしの様子もお構い無しに、モデストさんは目を瞑って話し出した。
「あの時、反対してたはずのお袋が路銀を用意してくれてさ。格好悪いし、恥ずかしいと思ったし、何より反対してたじゃないか、って言ったけど、それとこれとは別だって言うんだ」
 路銀とは、旅に出るために必要なお金のこと。旅費のことだ。
「俺が望んだことをするために、出来る力があるなら何であれ、それをやるつもりなんだってさ。勿論悪事には手を染めないけども、さ」
 いいお母様だ。
 モデストさんが目を開けて青空を見上げると、その目を細める。
「さっきあんたから受け取った食料も、お袋から受け取った路銀も、俺がフカを狩れた能力も、それに伴う義務を果たすためにあったのかな」
 義務、とはまた少し違う気がする。きっと、各々の意思と信念の成り行きだ。
「なぁ、もう一つだけ話をして良いか?」
 おしゃべり大好きさんだな。そろそろ飽きてきたので適当に頷く。
「俺がここまで来たのは、武器下げてうかうか大平原に入っていく奴を見かけたからなんだ」
「衛兵さんじゃないんですか?」
 そう聞くと、鎧は着ておらず、ローブを着た旅人のような男だったと言う。
「ここの魔物は、大概の奴は大人しいけど、武器を持っていくと刺激して警戒させるしな。さっきその男に追いついて話もしたんだ。奴さん何でも、魔物達を少しでも減らすために討伐してくるつもりなんだってさ。出航時間直前の合図の鐘が鳴るまでやるって」
 この先に化け物がいるということもきっと話したのだろう。
「危ないからやめとけっつったら俺を臆病だって言いやがったから、それ以上は止めなかった」
 はっきり言う人だ。
「例の魔物のせいで当分どの船も出航は無理だ。出航時間を知らせる鐘なんて、絶対鳴らない。せいぜい時間を読み誤って長居して、体力を浪費して怪我して反省すりゃ良いって思った」
 おいおいおい。なんだかため息が出てきた。
「でも……あの時俺には、あいつを助ける力が、危ない目に合わせないための知識があったんだ。なぁ、あんたが言いに行って来てくれないか?」
 そうだ、モデストさんはこの門の付近にしかいられない。化け物に見つかる恐れがあるので、ここから先へは進めない。
 もうじき日も落ちる。暗くなれば尚更危ないだろう。
 不安そうなモデストさんを見て頷く。
「わかりました。代わりに知らせてきます」
 モデストさんは、ぱっと安堵の表情になった。
「ありがとう。これをあんたに頼むのが俺の義務だったのかな。あんたも俺も、力に合わせた義務を負ってる」
 そう言いながら、モデストさんは立ち上がった。
「でも、その義務は神様が……精霊が与えた物だから、きっと精霊はあんたに報いるはずだ。前にあんたの居場所の話しただろう?」
 故郷のことだろうか。
 違う。このガレリアでの新しい居場所のことだ。
「確保するのが大変だろうな、って前は言ったけどよ、あんたなら、精霊の意思に従い続けていたら、きっと、なんとかなるよ。つまりさ、ここから先、俺みたいに弱い奴らをさ、助けて回っていったら……きっとどっかで道は開ける、って」
 アクィラ号が助かったのは精霊のおかげだとついさっき思ったが、これから先の進むべき道も、ガレリアでの居場所も、精霊が導いてくれるのだろうか。
 果たしてそれは、自分の意思によるものなのか精霊の意思によるものなのか混同がつくのだろうか。
 そう考えふけっていると、モデストさんが隣で笑った。
「あぁ、そうだ。船が出ないから、って伝えてほしい奴の名前は、確かアレクシオって奴だ」
 アレクシオ。うん、覚えた。
「それじゃ、頼んだ」
 そう言ってモデストさんが手を上げた。その姿を見やったあと、続く坂道を登り出す。

『第一章 魔物の蠢動』 (四) 精霊より与えられし物

 道に沿って坂を登った先に、ローブを着た男が魔物を短剣で討伐していた。かなり手馴れている様子。
 声をかけると、短剣を腰に掛けて律儀に一礼をしたあと、足下の動かなくなった魔物を見下ろしてため息をついた。
「近頃は、人間を襲う魔物が特に多く目撃されている……まるで三年前のようだ」
 さっきから誰もが三年前と口にしている気がする。
 名前を尋ねると、男はアレクシオと名乗った。モデストさんが言っていた名前だ。
 精霊、とアレクシオがつぶやいて宙を見る。
「世界は精霊の加護に満ち溢れている。しかし闇の力は、現れてからその勢いを強めるばかり。レヴァリアは神に見放されたのだろうか……」
 なんだか難しい話をするので、顔をしかめつつ出航の鐘が鳴らないことを教える。
「うん?船は魔物が多すぎるせいで出ない?」
「そうです」
 アレクシオがまた一礼をした。
「……忠告痛み入る……が、何故それを教えようと思った?」
 モデストさんから頼まれた伝言の話を詳しく話すと、アレクシオは腕を組んで興味深そうに頷いた。
「そうか……先ほどの男から、そんな話を……。そしてお前は先を考えるのではなく、ただ弱き者達を助け続けるのか」
 それは、あなた自身が自分のことを弱き者と言っているのとなにも変わらないんじゃ……。この国は小難しい人が多いなと、先程の衛兵や船員の顔を思い出して笑う。
「精霊から与えられた義務を果たす。それを私に実践しているだけ。己の身は精霊が、必要な時に、必要なものを与えてくださる……。だから心配せず義務を勤めればよい、とは精霊堂の教えだったな」
「精霊堂……?」
 初めて聞く言葉に首を傾げると、アレクシオは丁寧に教えてくれた。
 ここからずっと北の山脈を超えた先、そこに要塞都市があるのだという。その国では、精霊を信じ祈りを捧げ、平和と奇跡を願っている者が数多くいるという。
 精霊を称える観念、それが精霊堂。おそらく宗教のようなものだろう。
「俺は北を旅した。精霊信仰の厚い国への旅だ」
 今教えてくれた、要塞都市の国のことか。
「だが、その国でも神を身近に感じることはできなかった……。すべてに満ちる精霊の力が闇に飲まれているということだろう」
 旅の記憶を思い出したのか、アレクシオは切ない表情をして空を見上げた。
「世界は精霊の力に満ち溢れている。厚き信仰による精霊の加護を求め……俺は光のペレト神に祈りを捧げ続けているのだ」
 そう言ってアレクシオは空に向かって、雲の向こうに向かって、手を伸ばす。
 ペレト神、また初めて聞く言葉。それも宗教なのだろうか。
「だが、光あるところには闇。逆もしかりだ」
 腕を下ろし、アレクシオの真剣な眼差しがこちらを向く。
「君、どうか闇の力に飲み込まれてしまった魔物を倒し、闇の力を秘めたアイテムを集める手伝いをしてはくれないだろうか。神の信頼を取り戻す、大事な一歩なのだ」
 なにかを心に決めたいんだろう。グッと引いてしまう。わたし、押しにはとても弱い。
「構いませんよ」
 神の加護を知り、神の信頼を取り戻したい。
 そういう熱い想いはどこから来るのだろう……と、微笑んだアレクシオを見て思う。
「協力してくれるか。ありがとう。君に精霊の祝福があらんことを」


 ちょこまかと走り回るイビルシャドウをなんとか捕まえ、腐った葉を三枚アレクシオの元へ持っていく。
「おぉ、ずいぶん早く集めましたな」
 嬉しそうに受け取るアレクシオ。こんな葉が果たしてなんの役に立つのか……。
 そうだ、とアレクシオは申し訳なさそうに手を合わせた。
「魔物討伐の任務を少し手伝ってくれないか」
 そういえばこの人は、魔物を討伐するためにこの平原に来たんだっけ。
「僅かな数とはいえ、少しでも魔物を減らす事は意味の無い事では無いだろう」
 それには同感だ。ぶんぶん頷く。
 それに二人でやれば早いだろう。日が落ちる前に、できるかぎりここら辺一帯は片付けたい。


 ゴブリンファイターをいくらか倒し額の汗を拭っていると、目の前を小さな少女が走っていった。
 二つに結んだ金髪を揺らし、ぱたぱたと必死に何かを追いかけている。と、少し向こうで盛大にずっこけた。
「えええっ、大丈夫ですかっ!?」
 慌てて駆け寄って手を差しのべると、その手をパシッとはたかれた。自力で起き上がった少女は、赤くなった鼻をさすりながら睨みつけてくる。
「キアーラになにかご用?」
 わお。まるでなにもなかったかのような素振り。
「いえっ、怪我ないですか……?」
 少女の強がりっぷりに、思わず苦笑してしまう。
 少女はつんと顔を背けてわたしの言葉を無視すると、その場に正座をした。可愛らしいピンクのワンピースのしわを整える。
「お天気いいときは、キアーラここにくるのよ。暗くなるまえに帰りなさいって言われるけど明るいからへいき。キアーラこわくないもん」
 キアーラちゃんというらしい。見た目からして七、八歳くらいだろう。 こんな小さな女の子がこんなところに一人で来るなんて……。危ないにも程がある。化け物も出るって言うし。
 そんなわたしの不安をよそに、キアーラちゃんは向こうで魔物を討伐しているアレクシオを指差した。
「キアーラ、あのおじさん見てたのよ。なんだかむずかしいお話ばっかりしてた」
 してたよね。わたしも散々聞いた。
「『ひかりとやみ』がなんとかって『かみはレヴァリアみすてた』とか」
 口に指を当てて、うーんうーんと難しそうに唸る。
「キアーラよくわかんないけど、あのおじさん、まものをいじめてるよ?おかしいと思うな……」
「おかしい……?」
 魔物を友達感覚で見てるのかな、余計に危ない。
 キアーラちゃんは、そうだよおかしい、と怒る。
「だって、だって、ママの焼くパンは、小麦でできて……小麦はレヴァリアにあって、レヴァリアはみんなのためにあるんでしょ?」
 さっきもアレクシオが言っていた『レヴァリア』。レヴァリアはどこかの国、いや、どこかの大陸の名前なのだろうか?
「『せーれい』さんいるよ。目にはみえないけど、キアーラのまわりにいーっぱい!」
 腕を大きく広げ、くりっとした瞳で訴えてくる。
「ね。あなたもてつだって!『せーれい』さんをさがそうよ!」
「ええっ、わたしも!?」
 キアーラちゃんは立ち上がって、わたしの腕をぐいぐいと引っ張り、傍にいたイビルシャドウへと施す。


 引かれるがままにイビルシャドウを倒す。そのイビルシャドウから得た月の花を渡すと、キアーラちゃんは飛び上がって喜んだ。
「やったぁ!」
 月の花を大事そうに胸に抱えたキアーラちゃんは、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら続けた。
「キアーラ、考えてたのよ。『せーれい』さん、さがしてもさがしてもなかなかみえないの」
「精霊さんは元々、目には見えないんじゃないでしょうか?」
 励ますように言うと、キアーラちゃんは動きを止め、口をとがらせた。
「みえないならいないのかな。いるならみえるのよね。『せーれい』ってそもそもなんなのかな?」
「ええと……」
 なんだろう。神か?天使か?幽霊か?改めて聞かれるとわからない。精霊は精霊だ。
「キアーラよくわかんないけど、たとえばママの焼くパンは、小麦でできて……でも、小麦はパスタにもなるよね」
「パスタ美味しいですよね!」
 飯の顔で相槌を打つと、キアーラちゃんも飯の顔で頷いた。ママの作るパスタは美味しいんだよ、と嬉しそうに教えてくれる。
「おなじものから、できてても…みためも味もちがうの。『せーれい』さんもきっとおなじだね!火の『せーれい』さんとか、ひかりの『せーれい』さんとか!」
「火の精霊かあ……」
 とっても強そうだ。
 キアーラちゃんは、またわたしの腕を引っ張った。楽しそうに飛び跳ねる。
「もっともっと『せーれい』さんさがそうよ!だって、きっとどこにでもいるよ!」
「よーし、探しましょう!」
 釣られて意気込んでしまうと、キアーラちゃんはバンザイをして喜ぶ。
「たのしみだね!『せーれい』さんたくさん!」
 ……あれでも、精霊ってどうやって探すんだろう……見えないのに。


 とりあえず頼まれていたもの。ベルクヴォルフから取れた光の葉を、近くの荷車に座って待っていたキアーラちゃんの元へと届ける。
「わぁ!本当に取ってきてくれたんだね。ありがとう」
 そう言って、さっきの月の花と一緒に、ぬいぐるみを抱くみたいに優しく抱えた。
 そうそう、と尋ねてくる。
「『せーれい』さん、みつかった?」
「いえ……まだ見つからないです」
 残念そうに答える。騙しているみたいで申し訳なくなる。
 キアーラちゃんは、一瞬悲しそうな表情をしたあと、またパッと明るくなった。
「『せーれい』さんてどんなひとかな?わくわくしちゃうね!もうすぐ、みつかるよね!」
 その純粋な憧れと可愛さに、思わず笑みがこぼれる。
「きっと見つかります!」


 だいぶ寄り道をしてしまった。
 アレクシオの元へ戻ると、アレクシオはちょうど伸びをして羽を休めていた。
「調子はどうだ?」
 ぐーっと腕を伸ばしながら聞いてくる。
「あらかた片付きました」
 腕を下ろすと、向き合って一礼をした。
「ありがとう。君に精霊の祝福があらんことを」
 あなたにも、と礼を言う。
「闇の力は強い……。神の信頼が必要なのだ。そして、これはその第一歩。さて……それが正しいのか……それとも」
 訝しげに口ごもるアレクシオ。
「しかし、私と君と根底にある志が同じなのは確かなのだろう……」
 なにを言ってるのか理解ができず、頭の中が混乱する。
 まあいい、と言ってアレクシオはひとりでに頷いた。
「これで少しでも被害が減らせればいいのだが。しかし魔物の活動は活発化してきているようだ」
 そう言ってわたしの後ろを見やる。
 見ると、先程片付けた場所に、もう魔物が二、三体湧いていた。
「魔物による被害が多発し、国民は遠出ならびに夜間の外出を禁じられている。生活が制約されているせいか依頼が山積みだ。簡単なものから、厳しいものもあるが、どれも大切な願いだ」
 アレクシオは感慨深く目を瞑る。
 そうか。生活がしづらいのは誰でも同じだろう。だからこそ国民一人一人の意見や願いは、なかなか聞いてはもらえない。
 それをこの人は、少しずつでも聞いて叶えてやっているのだ。ただの旅人だというのに。
「できるだけ早く遂行したいと考えている。君、もう一つ頼まれてはくれないだろうか?」
 関心したわたしは、真剣に頷く。
「もちろんです」
 アレクシオは後ろを振り向いた。岩壁で狭くなった向こうへ道が続いている。
「この先の平原2にいる旅の商人に、この薬草を届けてくれたまえ」
 ポケットから出した小さな巾着を、わたしは預かる。ほんわりと苦い香りが漂う。
「以前、頼まれていた分を、ようやく集めることが出来たのだ。民の手元に必需品が滞りなく届くには、民の物を売る商人の入荷が順調でなければならないからな」
 生活必需品は大事だろう。何かあった時のために、いつでも手元に。
「ではよろしく頼む。商人の名はダミアノといったはずだ」


 続く道を辿って行くと、突然服を後ろに引っ張られた。
「おわわっ」
 振り向くと、揺れる金髪。
 キアーラちゃんが鼻をすすりながら、赤い目で見上げてくる。
「キアーラちゃん……」
 キアーラちゃんは眉を寄せ、俯いてぐずる。
「キアーラ、わかんなくなっちゃった。『せーれい』さん、みえないんだもの。わかんないことってあるんだね」
 精霊は信じる者にしか見えないのか。純粋な気持ちだとしても、疑うだけで、もうその姿を現してはくれないのか。
 キアーラちゃんももしかしたら、北の国へ行けば精霊への見方や価値観が変わるのかもしれない。でもそれは、もう少し大きくなってからのお話。
 頭を撫でてあげると、いじけた顔を上げる。
「キアーラ、あきちゃった。そろそろ、お家に帰らないとママに怒られちゃう」
「そうですね、早く帰らないと」
「あのおじさんに、今まで集めたものぜんぶあげるんだ。持っていってくれる?」
「はい、了解しました。帰り道転ばないでくださいね」
 冗談でからかってみると、キアーラちゃんは顔を真っ赤にして憤慨した。持っていた光の葉でペチペチ叩かれる。
「いろいろいるね!『せーれい』さん!」


 先程の場所へ戻ると、アレクシオは荷物を整理していた。帰り支度だろう。
「俺に用か?」
 背中越しに聞いてくる。キアーラちゃんから受け取った月の花と光の葉を差し出す。
「あちらで遊んでいた女の子が、おじさんにって」
「なんと……少女がこれを俺に?」
 向き直ったアレクシオが、おそるおそる受け取ってくれた。
 これは国民の願いを淡々と一人で叶えていたアレクシオへ、精霊からのご褒美なのかもしれない。そう心の中で思い、温かい気持ちになる。
「不思議なものだ……。少女の話を聞くまで、俺は嘆くばかりだった。神を近くに感じるために自ら苦しんでいた」
 アレクシオは祈るように目を瞑った。
「神はレヴァリアを見放されたのではない。少女の言う通り、世界はいつでも神の加護に満ち溢れ、見えない均衡に保たれているのだ。神は今も闇と抗う力を自分達に与えてくれる。精霊堂のある要塞都市では、支配される側と支配する側に同じ国の民が分かれていた。しかし、純粋な心を忘れることさえなければ、運命はともにあり続ける」
 アレクシオが目を開ける。もう迷いがなく、なにかを心に決めた顔をしていた。
「幼い少女が純粋に精霊を信じるように、自分も精霊、神の存在を疑ってはいけなかったのだ。闇に侵されるならば、この命を絶とうとも思っていた。だが、少女が俺を生かしてくれた。これも運命であり、神の加護である」
 アレクシオは屈みこんで、荷物と一緒に置いていたランプを取ると、わたしの手に握らせた。
「キアーラという少女に感謝の気持ちと、このランプを渡して欲しい。少女が無事、家路を辿れるように。これからどれほどの闇に覆われても彼女の行く先を照らすように。頼んだぞ」
 キアーラちゃんの純粋な想いが、アレクシオの心に響いたのだろう。
 人の想いが人の想いを変える。そうして世界は成り立っている。簡単そうに見えて、実はとても難しいこと。
 

 まだ遠くまでは行っておらず、ふらふらと遊びながら歩いていたキアーラちゃんの背中を見つける。
 気配に気づいたのか、振り向いたキアーラちゃんが嬉しそうに笑う。
「なぁに?なぁに?」
 もう泣いてはいなかった。追いついて、託されたランプを渡す。
「おじさんがランプをくれたの?」
「はい。キアーラちゃんの行き先を照らすようにと」
「やったぁ。よくわからないけど、キアーラいいことしたんだね!」
 自分の顔と同じくらいの大きさのランプをカタカタと揺すり、無邪気に微笑む。
「ありがとう!これでもう少し暗くなるまで遊べるね!」
 おい!さっさと帰りなさい!

『第一章 魔物の蠢動』 (五) 戦争の代価

 遠くの東の彼方に赤い空が広がっていた。そのせいか、地面の緑がかすかに赤味を帯びている。
 遠くの北の彼方には青暗く渦巻いた空が広がっていた。
 真上の空を見上げると、目がおかしくなるほどの巻積雲(けんせきうん)。いわし雲だ。
 先程よりも開けた土地に来たせいか、この一点に立っているだけでも三つもの違う空が仰げる。心が開かれるような不思議な場所だ。
 かすかに聞こえる涼しい水音のほうに近づくと、サラサラと川が流れていた。透明度が高く、岩肌の模様が透けて見える。渡ってきた海まで続いているんだろう。
 きみきみきみ!とまくし立てる呼び声が急に聞こえ、振り向くと、大きな体を揺すって走ってくる人がいた。
 全身にたくさんぶら下げた金色の装飾品と、貫禄のある白いフルフェイスの整った髭がよく目立つ。
「きみ、話に一口乗らんかね。損はさせんぞ」
「え?」
 なんだか胡散臭い。わたしの目の前まで来ると、膝に手をついてゼーゼーと息を整える。
「旅の商人を続けてきたが……ようやく金の匂いがしてきた。このダミアノ、かならず力を手に入れてみせよう」
「だ、ダミアノ!?」
 この人がアレクシオの言っていた商人か。想像していたのとちょっと違った。名前からして、もっとスリムで若い青年かと思っていた。
 落ち着いたダミアノが姿勢を正すと、わたしを上から下まで舐めるように見てくる。だらだらと冷や汗が滲む。
「ふむ、君は何か儲け話を持っているようだな?そういう顔をしとる」
「儲け話、ですか?あなた宛への発注品なら預かってますけど…」
 持っていた薬草の入った巾着を渡す。ダミアノは少し嫌そうな顔をして受け取ったので、なんだか不安になる。
「あぁ、あの発注していた薬草か。いや助かった」
 助かったって顔ではなかったけど……。
「生活必需品なんぞ、大して儲からん面白みのない商品じゃが、投資の元手は地道に稼がなければならんからな。あぁ、いやその……正義のためには重要な仕事だ。うむ」
 口ごもりながら曖昧に話すので、思わず苦い顔をしてしまう。もしかしてこの人、守銭奴ってやつ?ダミアノが後ろ手に大事そうに握っている袋を見て思う。
「さてと。薬草が入荷できたので早速だが、予約を入れていた客の所へ持っていかねばならんな」
 そうつぶやいて、ダミアノはわたしに手を招く。
「あぁ、きみ、きみ、ちょうど良いじゃないか。客に薬草を届けるという地味で面倒な……」
「地味で面倒?」
「じゃない。あー、その、正義のために重要な仕事をしてもらいたい」
 ダミアノは慌てて視線をぎょろぎょろとあちこちに動かす。
「客はこの先におる、剣の練習をしとる少年じゃ」
 赤い空が広がっているほうを指差した。
「お代はもう受け取っておるから、集金はしなくていい。簡単な仕事だろう。どうかね?」
 今日はよく頼まれ事をされる日だ。頼まれ事をされるのは嫌いではない。それに、アレクシオの大事な気持ちが篭った薬草が、きちんと国民の手元に届く末を見届けたい気もした。頷いて返事をする。
「いいですよ」
「おぉ、きみは実に良い選択をするな。ちなみに客の名は、確かジージといったはずだ」
 ダミアノは空いているほうの手で握りつぶしていた紙を広げて、そう言った。


 道の脇に柵が添えて建てられており、道には魔物が入ってこれないようになっていた。安心して歩ける。
 ランプが吊るされた街灯もその道に沿って四本立っている。その先に、体格には似つかわしくないほどの大きな剣をしきりに振っている少年がいた。近くの岩山に、本や薬品が広げて置いてある。
 わたしに気づくと、少年は剣を岩山に立て掛け、爽やかに微笑んで挨拶をした。慌てて、こんにちはと返す。
「ボクは、つい先日まで図書館の司書をしていたんです。といっても、任されていたのは書架の整理や雑用ばかりですけどね。ガレリアは鉄の国ですが、魔道関係の蔵書もけっこうあるんですよ。エドモンド王が、学問の援助にも力を入れてくださるお陰です」
 へぇ。本を読むのは好きなので、王都に戻ったら是非とも図書館に寄ってみたいものだ。
「また本に囲まれて過ごしたいとは思いますが、闇の勢力がいる限り、ボクはあくまで戦いに参加しますよ。ボクもソード・オブ・オルクスの一員となって、闇の勢力と戦うつもりなんです。三年前のようなことは、もう見たくありませんから……」
 そう言って少年は目を伏せた。その瞼の奥に、三年前の光景が深く刻まれているのだろう。
「ひょっとして、薬草の配達ですか?ボク、剣に慣れなくてすぐ怪我をするものだから、まとめて予約しておいたんですが」
 顔を上げた少年が、わたしの手の巾着を見て聞いてきた。
「はい。……あ、もしかしてあなたがジージさん?」
 そうです、と答えたジージは恥ずかしそうに笑った。
「あぁ、やっぱり。助かりました。さっきも地面に足を引っ掛けてしまって、見てください。この擦り傷」
 所々破けつたれている服の袖を捲り、赤くなった傷が顕になる。
「わっ……痛そう」
 手で口元を覆ってしまう。ジージは、あははと頭をかいて陽気に笑った。
「早くティナのように強くなって……ボクもみんなと戦えるようになりたいです」
「ティナ?」
 誰だろう。凛々しく心にすっと通る名前。
 ジージは目を輝かせて頷いた。
「ボクを奮い立たせてくれたのは、ティナです。ティナは勇敢なんです。彼女も三年前に家族を失っているのに、それを嘆き悲しみ続けるようなことはしない。ボクも早く戦力となれるよう練習してるんです」
「憧れてらっしゃるんですね」
  ジージは照れくさく頬を染めた。
「まだ一体も倒せてはいませんが……早くソード・オブ・オルクスの一員となるために、こうやって毎日素振りをしているんです。しかし、思うように動けなくて……とにかくいろんな戦い方を教わりたいんです」
 そう言ってジージは、わたしの背中の剣に目をやった。
「そうだ。あなた、戦いに慣れてそうですね。どうかボクに戦い方を見せてもらえませんか?」
 わたしの戦い方で参考になるかな。少し不安になってしまうが、そのきらきらした目には弱い。
「いいですよ。……でも、治療しながら見ててください」
 わたしの言葉でジージがハッとし、手に持っていた薬草の巾着と、風に触れたままの腕の傷を交互に見て笑う。
「はい。よろしくお願いします!」
 傍にいたゴブリンファイターを手軽に二体倒して見せると、岩山に座っていたジージが大きな拍手をした。
「あなたの戦い方を見て、なにか掴めそうです」
「本当ですか。それならよかった」
 参考になったみたいでほっとする。
「ボク、記憶力だけはいいので、あなたの動きは覚えたんですが……自分でやってみるとなにかが違うんですよね」
 ジージが腕を組んで唸り出した。
「うーん」
 わたしも一緒に唸る。経験量の問題か、体力の問題か。どうしてだろう。
 と、ジージが申し訳なさそうに顔を上げた。
「どうかもう一度ボクに戦い方を見せてもらえませんか?」

 今度はジージも一緒に剣を持ち、わたしがゴブリンスカウトを倒す傍で、わたしの動きを見様見真似しながら素振りをした。
 八体倒したところで岩山へ戻り、どさりと座り込む。
 人に教えながら戦うってけっこう体力も気力も使うものだ。でも隣のジージはもっとへばっていた。紅潮した顔をタオルでごしごしと拭いている。
「見事な戦いぶりでした。まるで、あのティナみたいです」
 そう言ってくるジージ。
「そうなんですか?」
 また目を輝かせて頷かれる。そのティナという方に、よほど憧れているんだろう。
「はい。ありがとうございました。そうだ。ボクはもう少しここで剣の練習をするので、まだ王都には戻れません」
「まだ練習するんですか!?」
 ジージが、へへっと笑う。
 すごい努力家だ。そんなへばってる中練習したら、また怪我してしまいそうで心配になる。
「ガレリア王都に向かうなら、ニコレッタを手伝ってあげてくれませんか。彼女、日が暮れるまで薪を集めないといけないんです」
「薪集め……ですか」
 長く激しい戦いで、国民は厳しい生活を強いられているんだろう。アレクシオも言っていた国民の依頼が溜まっているのも、きっとそのせいだ。
「ニコレッタはいつも祈りの木の近くにいるはずなんですが、探してみてください」
「わかりました。お手伝いしてきます」
 拳を握ってみせると、ジージも拳を握った。
「はい。よろしくお願いします!」


「きみ、気になっとるだろう?なぜ、商人のわしがこんな場所にいるか」
「いえ、べつに……」
 大平原の奥へ向かう途中で、また商人のダミアノと遭遇した。手をひらひらと振るが、ダミアノは構わず続けた。
「魔物達により断絶された陸の孤島へ、物を届ける……わしは正義の旅の商人なんじゃ。危険であっても、そこに求める声があり、それが大きければ大きいほどに、行商の価値がある」
 そんな正義のヒーローみたいに言われても……。ダミアノがわたしの前に指を突き立てた。
「いいかね。ガレリア製鉄の時代は終わりだ。あの製法は、もうノーザンケープの方までも伝わってしまっておる」
「ノーザンケープ?」
 ここから北の、さらに北にある街らしい。どれくらい遠いのだろうか。
「ここは自然が豊かだ。新しい交易品となる物も見つかるかもしれん。そうすれば、イナカ者には高く売れ…ごほん。困っている人々もおおいに喜んでくれるだろう」
 さっきから思っていたけれど、この人本音がだだ漏れすぎる。わたしの中の聞かなかったふりスキルが上達していく。
「さぁさぁ!まずは情報だ。王都では聞けん。あそこは人が多すぎる」
 ダミアノが俯いて考え込み、思い出したようにわたしをビシッと指差した。着けている装飾品がチャラチャラと鳴る。
「おお、そうだ。なんとも弱そうな少年をさっき見かけたな。おそらくはガレリアの民。きみ、彼を探して話を聞いてきてくれんか!」
 弱そうな少年?
「ジージのこと、ですか?」
 ダミアノが何度も頷いた。
「おお、おお、期待しとるよ!」
 弱そうな少年でジージが真っ先に思い浮かんだことに、少し申し訳なく思えた。


 ジージは中腰になってベルクヴォルフと睨み合っていた。なにしてるんですか。
「え?ボクを探してたんですか?」
 きょとんとしたジージに、ダミアノの知りたがっていることをかいつまんで話す。ジージは姿勢を正して、わたしに向き直った。
「なるほど……ガレリアのお話ですか。なにからお話しましょう」
 うーん、と考え込んだあと、探り探りで語り始めた。
「ガレリア領は、南西の火山活動の影響を大きく受けています。火の精霊の恩恵により、肥沃(ひよく)な土地であり続けてきたのです」
 火の精霊!本当にいるのか。キアーラちゃんの想像は本物だ。
「大地から鉄を掘り、火によってそれは道具となりました。戦いのための武具作りが盛んですが、昔はガレリア製鉄の農具もありました。こう見えて、農業大国でもあったんですよ」
 へぇ。わたしの薬草の産地ってイメージは、意外と的を射ていたのかもしれない。これだけ自然が立派なら、やはり農業は盛んだろう。
 だが陰ったジージの顔を見て、次に繋がれる言葉が予想できた。
「ただ、戦争が続き、魔物が出没してからは、かつての小麦やぶどう畑は、すっかり放置されてしまっていますけどね」
 農業が盛んだったのは昔の話。勿体無いと思った。これだけ気候にも自然にも恵まれているというのに。
「ボクの働いていた王宮の図書にも多くの文献が残っていましたよ」
 寂しそうに笑うジージ。変わっていくガレリアを、その目でずっと見守ってきたのだろう。


「おお、おお、話を聞いてきてくれたかね!」
 近づけられるその目には金しか写っていない。あまりの差に呆れながらも、ジージに教えてもらったことを伝える。ガレリアはかつては農業大国であったこと。
「なになに……闇の勢力が侵攻してきて以来、すっかり放置されている小麦やぶどう畑か」
 顎に手を当てて、ふむふむとつぶやく。
「あとで王宮の図書へ寄って、文献も少しあたってみるか。いや、これはしかし、いいことを聞いたな」
 続けて、ダミアノは語り出した。
「きみ、ギルドというのは知っとるかね」
「ギルド?」
「生業を同じとする者たちが集まり、互いに助け合おうといろいろな取り決めを設けるんだ」
 聞いたことはある。さいきんギルドというものが格段に増えてきているとニュースペーパーで読んだ。闇の勢力に乗じて騒ぎを起こしているギルドもあれば、進んで悪行を取り締まるギルドもある。
「商人ギルド、鍛治ギルド……きみのような人たちも集まればそういうものになるだろう」
 ふーん、と相槌を打つ。わたしには縁のない話だ。まだこの国にはこれっぽっちも慣れていない。
「商人ギルドに加入していれば、各地を行商することも容易くなる。これは事実だ」
「あなたも、商人ギルドの一員なんですか?」
 そう聞くと、ダミアノは首にかけていたペンダントを示すように見せた。十字架が入っている。商人ギルドの証なのだろう。
「だが厄介なのは、商人ギルドは会費を取る上に各土地の商品の値段を決めてしまう。ガレリアワインの相場も、たかが知れている」
 けっきょく食らいつく問題はお金なのね。
「だが、同じワインでも高く売る方法がある。『付加価値(ふかかち)』というやつだ。わかるかね」
 付加価値とは、あるモノに有る価値と、それを生み出すための元になるモノの価値の差である。
 つまりは、何らかのモノを使って新しいモノを生み出すと、元々のモノ(A)よりも高価値なモノ(スーパーA)になるということ。有るモノの生産過程で新たに付け加えられる価値、それが付加価値。付加価値には、深層心理と高額な金が付き物だ。
「……もう少しこの辺りを調べたいんだがな。見てのとおり、魔物がうようよしとる。どうだ、報酬をはずむから魔物どもを追い払っちゃくれんか」
 このとおり、とダミアノは拝むポーズをして見せた。しぶしぶ頷く。


 近場にいたベルクヴォルフを三体狩ると、ダミアノは自身の蓄えた髭を撫でながら関心した。
「おお、おお、邪魔なヤツらが消えたのぉ!助かったわい!きみ、なかなかやるな。……ん?なにかついてるぞ」
 そう言って、わたしの肩元に手を伸ばして何かを取ってくれた。
「あ、ありがとうございます」
 ほこりかな、と思ったけれど、その何かを手のひらに広げて凝視したダミアノは瞳を輝かせた。
「こ、これは……!おお、おお、わしも運が巡ってきたな……どうだ、きみ、もう少しわしを手伝ってみんかね?」
 なんだいきなり、どうしたんだ。
 その何かと交換するように、ダミアノは袋から金貨を取り出すとわたしにくれた。そして手のひらをわたしに近づけて見せてくれた。赤茶色の薄っぺらいものが乗っている。
「きみが魔物を倒してる時に、衣服についたんだ。見たまえこれを……樹皮(じゅひ)だよ。はがれた樹皮が、魔物の体に付着していたに違いない」
「樹皮?でもここら辺は……」
 辺りを見渡す。ここら辺は樹なんて一本も生えていない開けた平原だ。ダミアノも同じことを思ったのか、興味津々に頷いた。
「ほかの場所では見たことのない樹皮だ。わしの見立てでは、これは加工すれば、いいコルクになるだろう」
「コルク?って、あのコルク?」
 ワインの瓶を想像する。
「瓶のフタの役割をする栓だよ。ガレリアでも一部しか生えない貴重な樹だ。おそらくは、魔物の通る道に生えているんだろう」
 物知りだ。さすが守銭奴なだけあって、高価値なものには知識が生き滞っているのだろう。
「これの生える場所が分かれば一財産……少しでもガレリアのワインが高級な品に変化する。宝だ。宝の山が眠っている……」
 ダミアノの目が完全に黄金色に輝いていた。これはもうダメだ。
「よし、きみ、魔物からこの樹皮を集めてきてくれんかね」
 とは言われても、その樹の生えている場所は分からない。
 そういえばとピンときて、きょろきょろと見渡す。さっきまであまり見かけていなかったゴブリンスカウトが何体かいる。遠くからやって来たのかもしれない。さっきジージと一緒にゴブリンスカウトを何体か討伐した。その時に既にわたしには樹皮が付着していたのかも。
 ためしにゴブリンスカウトを何体か倒してみよう。返事をすると、ダミアノはガッツポーズをした。
「おお、おお、期待しとるよ!」
 
 わたしの腕の中にある樹皮を見ると、ダミアノは飛びつくように奪い取った。
「おお、おお、いっぱい集まったのぉ!わしには見えるぞ。このダミアノが宝の山を手に入れ、瞬く瞬間が……むわっはっは!」
 好奇に満ちた表情で天を仰いで笑う。ゴブリンスカウトで合っていたが、全てのゴブリンスカウトに付いていたわけではなく三枚しか取れなかった。それでもダミアノはこの喜びっぷりだ。
「見ておれ。ガレリアの商人たち。わしはこの樹皮で王都の商業権を買ってくれるわ!」
 苦い顔をしてその様子を見ているしかなかった。コルクだけでそんなに儲かるものなのか。ワインそのものが効果な品でなければ意味がない気もするが。そこは悪知恵が働くのだろう。
「あとは安いワインを大量に仕入れるだけだ。きみ、最後の仕事だ。ガレリア王都に行った時に、王都の商人に伝えておいてくれ。ワインを大量に買いつけるから用意しておけとな!」
「上手くいくといいですね」
 上手くいくさと高らかに笑い、鼻歌交じりに樹皮を布巾で包み始めたダミアノ。その背中を見てため息をついたあと、赤い空へと続いている一本道を見やった。果てしなく続いている。これは相当な距離を歩くことになるぞ。
 グッと拳を握って気合いを入れた。

『第一章 魔物の蠢動』 (六) ガレリアの灯火

 そろそろ足が萎えてきた頃、前方に夕日で赤く染まった大きな木が見えてきた。
 あれが、このガレリアを保護していると言われている巨大な木だろう。たしか……。
「祈りの木」
 そう口に出すと、より一層大きく感じた。これだけ立派に育っていれば誰もが縋って祈りたくもなるはずだ。神や仏や精霊に祈るのと同じように。
 その祈りの木を囲うように平原が広がっており、所々にテントが張ってあった。ここから真っ直ぐ進み急斜面を下ると、祈りの木の根元まで続いていた。根元には小さな空洞があり、中には木の椅子や木箱やランプが乱雑に置かれている。誰かが住処にしていたのかもしれない。魔物から逃げ仰せた旅人か、それともこの祈りの木を調べていた研究者か。
 頭上でカサカサと音がし見上げると、木の中腹に人工の橋が添えられており、その橋の上に人影が見えた。ちょうど側に立て掛けてあった梯子を登ってみる。
 綺麗な髪を一つに束ねた女の人が、薪を抱えながら眉間に皺を寄せていた。
「ソード・オブ・オルクスの方々のお陰で外に出られるけれども、王国軍の方々のような統率がないというか、責任感がないというか」
 そうひとりごとを言っていた女の人がわたしに気づくと、苦笑いをして咄嗟に手を振った。
「……ああ、あなたに言ってるのじゃないのよ?」
 バサバサバサッ。急に手を上げたため、持っていた薪が足元に散らばり落ちた。あららら、と慌てて拾い集める。
 薪を抱えていた時点で確信がついていた。おそらくこの方がニコレッタだろう。わたしも拾い集めるのを手伝いながらジージのことを話すと、ニコレッタは目を見開いて固まった。
「……え?ジージに頼まれて?」
「はい。薪集めを手伝ってあげてと」
「わざわざありがとう」
 そう言ったあと、またニコレッタの眉間に皺が寄った。
「それにしても、見ず知らずの方に頼むだなんて、ジージったら、もうあの寄せ集めの集団に感化されたのね」
「寄せ集めの集団……?」
 どっかのギルドだろうか。さっきからよく耳にする、ソード・オブ・オルクスというもののことだろうか。首を傾げた私を見て、ニコレッタが慌てて手を振った。
「ああ、あなたに言ったのではないのよ?」
 バサバサバサッ。また落とす。


 落とした薪を全て拾い集めると、近くのベンチまで移動した。もう既に集めておいたのであろう薪がたくさん積んであり、その上にまた積み上げていく。手をパンパンと叩きはらうと、ニコレッタは微笑んだ。
「魔物は闇を好むの。だからあたし、薪を集めているの。火をくべ続けなければ、恐ろしい魔物が街に近づいてきてしまうのよ?」
 大変な仕事だ。こんな大事なことを一国民がやっているのだ。ニコレッタの笑顔がどこか切なそうに見える。
「夜になると門が閉ざされるから、日暮れ前に街へ戻らないと行けないのだけれど、あたし一人では充分に集められないの。ねぇ、あなた。薪を集めるのを手伝ってくださらない?」
「もちろんです」
 ジージにもお願いされた。それに誰かにお願いされなくても、こんな一生懸命なニコレッタの姿を見たら手伝わずにはいられなかっただろう。
 ニコレッタが薪を集めている最中に襲ってくる魔物をわたしが追い払う、という作戦になった。ニコレッタは時々、淋しそうに祈りの木を見上げていた。
「あの時、魔物さえ現れなければ、ガレリアの街も平和だったわ。これもすべて人間同士で戦い続けてきた報いなのかしら。今では、図書館の司書をしていたジージまで剣を握っているのよ?」
 ジージの剣の扱い方はだいぶ危なっかしかった。本来は剣なんて持つべき人間ではないのだろう。それなのに剣を握るのは……こんな荒れた時代だから。ニコレッタも本来は薪集めなどしなくてもいいはずだ。
 ジージが専門書を得意気に紹介する隣で、ニコレッタが楽しそうに相槌を打つ。そんな日常を送るべきはずなのだ。
 ふぅ、と腰に手を当てて体をほぐすニコレッタ。二人でやったからか順調に進み、先程の倍は薪が集まった。
「大薪を集めることがわたしの日課であり仕事なの。手伝ってもらえてありがたいわ」
「どういたしまして」
 笑い合ったあと、ニコレッタがふと夕日を仰ぐ。ゆらゆらと生き物みたいに浮かんでいて、どこか幻想的な雰囲気がある。
「日が暮れるまでもう少し時間があるわ。ハーブを集めるのを手伝ってくださらない?」
「ハーブ?」
 そう聞き返すと、先程登ってきた木の根元のほうを指差した。驚いた。さっきは気づかなかったが、よく見るとそこらじゅうに草花が生えている。
「ガレリア領は本来、自然の恵み豊かなのよ。魔物のせいで衰退してしまったけれど……。かつてはガレリアの頑丈な農具で、多くの田畑を耕していたの」
 たしか衛兵のヌンツィオさんが言っていた。今も昔も、あの一帯だけは変わりがない、と。この大平原3だけはまだ自然の恵みが変わらずに残っているのだ。
「今では……日の出てる間だけ、こうして野草を摘むことしかできなくなってしまったけれど……」
 ニコレッタがぽつりぽつりと話す。二つ返事でOKすると、ベンチに置いていたカバンから、採るべきハーブの見本を出して見せてくれた。
「よろしく頼んだわよ?」

 採れたハーブからはニコレッタと同じ、優しい香りが漂っていた。
「ハーブ集めを手伝ってくださってありがとう。少しでもお礼ができたらと思うわ」
 金貨を何枚かいただいた。
「わあ。ありがとうございます」
 ああそうだったわ、と思い出したように手を叩いた。
「薪を集めていて気づいたのだけれど、この辺りには毒キノコが生えているようね」
「毒キノコ……ですか?」
 思わず警戒して辺りを見渡してしまう。
「それも食べられるキノコとよく似た、とても紛らわしい種類の毒キノコだわ。よくこの毒キノコを間違えて取って、食中毒を起こす人がいるのよ」
 それは危ない。ニコレッタが困ったように、木を挟んだ向こう側を振り返った。
「先ほどあちらの方でも、食材を集めている人を見かけたのだけれど、忠告しないと危ないかもしれないわ」
「そうですね、食べてしまってからじゃ遅いです」
 ニコレッタが頷く。
「申し訳ないけれど、あなたが彼女に毒キノコのこと、忠告してきてくださらない?」
「了解しました!」


 野菜やキノコがたくさん入った籠を持って、鼻歌を歌いながら歩いている少女がいた。少女がわたしに気づくとにっこり微笑んだ。
「こんにちは!」
 少女は、コルネリアと名乗った。採れたての野菜を自慢げに見せてくれる。所々魔物に食い破られた痕があるが、色が濃くて美味しそうだ。
 毒キノコのことを教えると、コルネリアが大袈裟に驚いた。
「えっ!?毒キノコですか?」
「はい。危ないのでキノコは採らないほうがいいかもしれません」
 籠の中のキノコを見る。赤や黄色の色とりどりなキノコだ。コルネリアが、あわあわとキノコを取り出して見比べ始めた。
「あぁ、言われてみれば、いくつかキノコも拾っていたんですが、きちんと確認はしてませんでした。危ないところをありがとうございます」
 えへへ、と恥ずかしそうに笑い、キノコを籠にもどす。
「今、兄の無事を、この祈りの木にお願いしてたところです」
「お兄さん?」
 はい、と元気よく頷いたコルネリアは、遠くのテントを指差した。鎧を着た人が魔物と対峙しているのが見えた。
 よく見るとその魔物は、二本足で人間みたいに歩いていた。……て、あれがモデストさんの言っていた化け物じゃないのか?たしかに大きくて凶暴そう。だが、鎧を着たコルネリアのお兄さんは、いとも簡単にその化け物を蹴倒してしまった。
 わたしの隣で、わーいとコルネリアが拍手をして誇らしげに笑う。
 モデストさんが臆病だっただけか、コルネリアのお兄さんが桁外れに強いだけか、勝手に想像上の化け物に怯えていた自分が恥ずかしくなった。今度わたしも戦ってみよう。
「王国軍兵士の兄は今度、王子のいらっしゃる戦地へ遠征するんです。北の方では、まだ激しい戦いが続いているみたいです。王子も兄も無事帰ってきて欲しいです!」
「そうですか……」
 それはとても心配だし不安だろう。そうコルネリアの心境を悟ったが、当の本人はけろっと笑っていて呆気にとられてしまう。
「私、兄が旅立つ前にいろいろしてあげるつもりなんですよ!」
 健気だなあ。いい妹さんだ。思わず関心してしまう。
「あ、そうだ!兄の得意料理を作ろうと思ってたんですけど、お料理の材料を集めてきてもらえませんか?」
 そう言いながら近くのテントに駆け寄り、既に置いてあった薪の上に簡易鍋を置いて火を点ける。どうやらここで料理を作るつもりらしい。
「いいですよ。すぐ採ってきます」
 コルネリアは嬉しそうにはにかんだ。
「待ってます!」
 
 ベルクヴォルフのけもの肉を、コルネリアは慣れない手つきで一口大に切っていく。見ているこっちが手に汗握りはらはらする。指切らないでね。
 透明なスープに緑の野菜がぐつぐつと煮える。その鍋の中へお肉を投入すると、コルネリアは一息ついて火照った顔をぱたぱたと手で仰いだ。料理って難しいですね、と苦笑する。
「兄は我が家のシェフなんです!」
「そうなんですか。お料理上手なんですね」
 コルネリアはぐっと手を握ってみせた。
「兄がいなくても大丈夫なんだって思えるような料理が作りたいです!兄が安心して発てるように」
 辺りに食欲をそそるいい匂いが立ち込めた。できた料理をご馳走してくれるそうなので、またあとで来る約束をした。


 夕日が半分まで地平線に沈んだ頃、ニコレッタの様子が気になり先程の場所まで戻った。ニコレッタはベンチに座って、火が灯った薪を見つめていた。パチパチと火が燃え移っていく音が辺りに響く。
「そもそも、ソード・オブ・オルクスなんて出来なければ……」
「ニコレッタ?」
 静かに近づくと、ニコレッタが顔を上げた。
「あら聞いてらしたの?ごめんなさい、何でもないわ。そうだ、あなたちょうど良いわ」
 なにか思いつめていたことを振り払うように話題を変えると、カバンの中から分厚い本を取り出した。難しい言葉で表紙が飾ってある。
「この薬学の本を、ジージって子に渡していただけません?もともと借りていた本で、返さなければ返さなければと思っていた物だから……」
 わたしも小さい頃によくあった。借りたものをずっと返せずにいて、返せる機会がないまま月日が流れてしまう。返せるチャンスが少しでもあるうちに返してしまうのが一番だろう。
「わかりました、しっかり届けてきます」
「ありがとう」
 ニコレッタが安心したように微笑む。
「冒険者の方が本を持っていけば、本を読む暮らしの大切さを見直すかもしれない……」
 その期待のこもった一言で、了承したことを後悔した。ジージに剣の扱い方を教えた張本人が届けて、それで本を読む暮らしの大切さを見直すはずがないのだ。
 ニコレッタには、ジージに剣を教えたことは内緒にしておこう。

 長い道のりをまた引き返すと思っていたが、大平原3を出てすぐのところでジージと再会した。もう剣の練習はしておらず薪を集めていた。おそらくニコレッタの手伝いだろう。わたしの姿を見つけると、嬉しそうに手を振ってくる。
「はい?ボクに何かご用ですか?」
「ニコレッタが、これをジージに渡してと」
 抱えていた本を差し出すと、ジージは首を傾げた。
「これをニコレッタが?あぁ、ありがとうございます」
 曖昧に返事をして受け取った。
「ボクしょっちゅう怪我してしまって、同じ薬草を使うにも、薬学をちゃんと復習してからの方がいいですもんね」
「え?」
 貸したことを覚えていないのか、ニコレッタからのプレゼントだと勘違いしているらしい。そんなに借りていた期間が長かったのかな。
「そうじゃなくて、ええと……」
 弁解しようとしたが、ジージが本を見つめて淋しそうに微笑んでいた。その表情がどこかニコレッタに似ていて、なにも言えなくなってしまう。
「彼女やあなたには、本当に世話になりっぱなしです」
 そうつぶやくと、思い出したようにパッと顔を上げた。
「聞いてください!ボク、ついに自分の剣で魔物を倒せたんです!」
「え、本当ですか!?おめでとうございます」
 へへっ、とジージが赤くなって頭をかく。
「まだ一体だけですが、コツを掴めたみたいです。これは、ソード・オブ・オルクスの一員になれる日も近いですよね!」
「ソード・オブ・オルクス……」
 ニコレッタがたしか、寄せ集めの集団だと言っていた。あまりいい印象ではなかったが。
「それでですね、このちょっとした成長を伝えたい人がいるんです。薪集めのニコレッタです」
「ニコレッタに、ですか?」
 ジージが頷く。
「彼女は、仕事のついでに毎日ボクを平原まで見送ってくれて、仕事が終わっても、ボクが戻ってくるまで待っていてくれるんです。いつも心配ばかりかけてしまって……。ニコレッタにはとても支えられています」
 足の爪先に目を落としたあと、真っ直ぐな目を向けられる。
「だからこそ、彼女を喜ばせるためにも、このことをニコレッタに伝えて欲しいんです」
 二人は兄弟みたいな仲だと思っていたが、もしかしたら恋仲なのかもしれない。でもニコレッタは言っていた。本を読む暮らしの大切さを見直してほしいと。それはジージの目指している剣を扱うこととは正反対の暮らしではないのか?悶々と考えながら、重い足でニコレッタの元へ戻った。
「なにかしら?」
 話を切り出しにくく、揺らぐ声を出す。
「その……。ジージが、ついに魔物を倒したそうです」
 ニコレッタが目を見開いて黙り込む。その目には涙が浮かんだ。
「ニコレッタ!?大丈夫ですか!?」
「…ごめんなさい。ジージのこれからを思うと悲しくてしょうがないの」
 両手で顔を覆い、伝う涙を隠した。
「魔物を倒せてしまったなら、彼は、これからさらなる危険に晒されるようになるわ。もし、あのソード・オブ・オルクスに間違ってでも入ってしまえば、ジージは間違いなく命を落としてしまう……」
 ソード・オブ・オルクスの一員になりたい、とジージは言っていた。二人の真っ直ぐな想いがぶつかることなくすれ違っている。
 なにも慰めの言葉が見つからず、隣に座ってニコレッタの震える細い肩を撫でてあげることしかできなかった。
 しばらく鼻のすする音と、薪の焼け落ちる音だけが静かにこだます。泣き止んだニコレッタの顔は、泣いたせいか夕日のせいか真っ赤に染まっていた。
「お願い。ジージには、泣いてたことは言わないで。彼、せっかく元気になったんだもの……」
 胸の前で両手を握り、そうつぶやいた。
「ただ闇の勢力を恨み、ソード・オブ・オルクスをねたましく思うだけなのよ。だって、王国軍なら、そう簡単に入れないでしょう?」
 儚げに微笑み返され、ハーブの温かい香りがかすかに鼻腔をくすぐる。
 ニコレッタは目尻をゴシゴシとこすると、木を見上げた。わたしも一緒に見上げる。てっぺんが見えない大きな大きな木。
「あの大きな木が見える?ガレリアの民は『祈りの木』と呼んでいるわ。あたしのおじいさまのおじいさまの……さらに古い時代から、ガレリアの民に大地の加護を約束し続けてきた木よ」
「大地の加護……」
 ニコレッタが頷いた。
「ガレリアは豊かな土地柄、薬草もよく採れるのだけれど、祈りの木の根に生えるものが特に効果も優れていると言われているわ。魔物が増えてからは、薪を集めながら薬草を採ることも多くなったの」
「薬草は大事なものですもんね」
 そうなの、と膝の上に広げていたハーブに目を落とす。
「だいたいは、商人さんや王国軍の方々に渡すのだけれど、たまにティナさんにもさしあげてるの」
「あ!」
 ジージが言っていた名前だ。
「あのソード・オブ・オルクスの一員なんだけれど、ジージの恩人だから……」
 わたしの反応に、ニコレッタは遠い目をした。
「三年前の出来事以来、塞ぎ込んでいたジージがようやく普通に話せて、元気になったのもティナさんのお陰。魔物に一矢報いるんだって毎日外に出るまでになったわ。とはいえ、もともと王宮図書の司書をやっていた子だから戦いなんて素人同然。その足取りとか手つきは、危なっかしくて見てられないんだけれど……。こんな時代だもの、止めることはできないわ」
 わたしも同じ気持ちでジージに戦闘を教えていた。ジージの目は真剣で、ただただ真っ直ぐだったのだ。
「寄せ集められた方々は知らないけれど、ティナさんには感謝してるの。少しでもお役に立てたらと思うわ」
 そう言ってニコレッタは笑った。
 憎んでいる集団に属している人一人に恩を抱いているのは、さそがし複雑だろう。ましてや大事な友達が、その集団に憧れていることも。
「ねぇ、あなた。ガレリア王都に行くのならティナさんに届けてくださらない?」
 今まで出会った人々が口にしていた三年前の事柄がずっと気になっていた。そのティナという人に会えば、もしかしたら詳しく聞けるかもしれない。ジージやニコレッタに聞くのは、どうしても気が引ける。
 ニコレッタはカバンから薬草の入った巾着を出し、ハーブも一緒に入れて差し出してきた。
「じゃあ薬草を持って戻って頂戴」
「はい。了解です」
 しっかり受け取る。
「あぁ、もしかして他にここですることがあるかしら?もし他に用がないのなら、今ならすぐに王都に戻れる手段があるのだけれど……」
「あ、ちょっとだけ用があります」
 コルネリアの料理をいただく約束をしていたのだ。もう出来上がっているはずだろう。
「そう。それなら干渉はしないわ。もし戻るのに楽したいなら、後であたしに仰って。巡回馬車の乗り合い所まで案内するから」
「馬車っ!?」
 思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、ニコレッタがくすくすと笑った。
 馬車なんて通ってたのか。散々歩いてきた疲れが、今になってどっと出てきた。


「お料理の材料ありがとうございました!へへ……おいしくできませんでした!どうも、お料理が苦手で……」
 素直にそう言うコルネリア。おそるおそる熱々のスープを口に含むと、苦いような甘いような複雑な味がした。不味いのが顔に出ていたのか、コルネリアが必死で謝って水を分けてくる。
「兄は全部食べてくれましたが、やっぱりちゃんと美味しく作りたいです!一人なので、時間もあるし。がんばらないと!」
 優しい兄弟だ。
「でも裁縫は得意なんですよ!兄の服を作ったりしてますし」
「裁縫ですか」
 たしかに、料理より裁縫のほうがどこか似合いそうな雰囲気かも。
「あ、そうだ!兄にお守りを縫おうと思って、祈りの木の葉やハーブを集めてるんです!手伝いもらえますか?」

 ゴブリンファイターからラメリノを四個集めてくると、コルネリアはやる気満々で鮮やかな緋色の布と針を取り出した。
 コルネリアが必死にお守りを縫っている間、隣で残ったスープを啜る。魔物にあげるのが一番だが、これだと魔物の口にも合わないかもしれない。
「兄はガレリアが大好きなんです!遠い地で、少しでも王都を思い出してもらえるようにお守りを作るんです。えへへ」
 お兄さんの話を聞きながら、スープと水を変わりばんこに飲み下す。
 途中で、あっ!とコルネリアが手を止めた。
「どうしたんですか?」
「お守りもう少しでできそうです!ただ『幸運の薬草』を入れたくて、ずっと探しているんですけど、見つからないんです」
「『幸運の薬草』?」
「祈りの木の近く、平原のどこかに咲いている小さな薬草なんですが……傷を癒し、心を強くしてくれる効果があるんですよ!」
「へぇ。そんなすごい薬草が……」
「この『幸運の薬草』さえあれば、お守りは完成なんです」
 近場をきょろきょろと歩いて見渡すが、それらしきものは見つからずコルネリアは落ち込む。商人さんから買えないかなと考えていたとき、コルネリアがまた、あっ!と声を出した。
「この平原でほかに薬草を詰んでいる方がいれば、もしかしたら見つけてるかも!どなたか心あたりありませんか?」
 それは考えられる。ここでよく薪集めをしているニコレッタなら見つけてそうだ。
「聞いてきます。ちょっと待っててください」
 コルネリアが拳をあげて、ふんふんと頷いた。
「待ってます!」

「『幸運の薬草』?うーん……。そういえば、さっき詰んだハーブの中にそのようなものがあったような気もするわね」
「本当ですか!」
 期待が膨らむ。先程託された巾着をニコレッタに渡して中を確認してもらう。
 隣に座ってしばらく待っていると、ニコレッタが顔を上げた。
「さきほど、あなたが仰ってた『幸運の薬草』だけれども、やっぱり摘んだハーブの中にあったわ」
「わああ!よかった」
 見せてくれた『幸運の薬草』は、たしかに他のハーブより一回り小さくて丸みを帯びていた。感激するわたしを見て、ニコレッタがくすっと笑う。
「遠征に向かわれるお兄様へのお守りですって?」
「はい、そうです」
 ニコレッタの顔がふと陰った。
「ガレリア王国はなぜ今も人間同士の争いも続けるのかしらね。エドモンド王はなにをお考えなのかしら……」
「人間同士?」
 先程から言っていた戦争というのは、対闇の勢力のことかと思っていたが、ここガレリアでは人間同士の戦争も起こっているのか。ジージやニコレッタやコルネリア、ガレリア国民にとっては悲しいことだろう。
「ああ、ごめんなさい。これが『幸運の薬草』よ。コルネリアさんに届けてさしあげて」
 巾着の上に『幸運の薬草』を乗せて返してもらった。

「兄にお守りを渡せれば、一安心!王子も兄も無事に帰ってこれるように毎日お祈りします。あ、もちろんお料理もがんばりますよ!」
 料理はもっと研究あるのみだね。幸運の薬草を渡すと、コルネリアは瞳をきらきらさせて喜んだ。
「わぁ!ありがとうございます!」
 えへへ、と笑って大事そうに布にくるんだ。
「いろいろ手伝ってくれてありがとうございます!あの、実はもうひとつお願いしたくて!兄に渡すものとは別のお守りを作ったんです」
「別の?」
 コルネリアは、ポケットから淡い青空色のお守りを取り出した。
「見ず知らずの方に渡すには不恰好なお守りですが、幸運の薬草をくれたニコレッタさんに、どうか渡して欲しいんです。多くの祈りを込めて、感謝の気持ちとともに作りました」
「ニコレッタ、きっと喜びます」
「お願いしますね!」
 しっかり受け取る。

 料理をいただくだけの用のはずが、まただいぶ寄り道をしてしまった。夕日が彼方に沈むまでそろそろだった。所々に吊るされたランプの明かりが点々と目立ってくる。
 日暮れ前に王都への門が閉まると言っていたので、急いでニコレッタの元まで走る。
 ニコレッタの手を振る影が見えた。遅いわよ、と怒られながら馬車の乗り合い所まで案内してもらう。
 隣を歩くニコレッタに、コルネリアから預かったお守りを渡した。ニコレッタは目を瞬かせたあと、そっと受け取った。
「コルネリアさんから?ありがとう。嬉しいわ。……ちょうど、渡してあげたい人がいるの」
「幸運の薬草は、ガレリアの民にとって、大きな意味を持つのよ。健康でいられるように、そして、無事故郷へと帰って来られるように祈りを込めた薬草なの」
「素敵な薬草ですね」
 ずっと枯れることなく咲き続けていてほしい。こんなにも誰かを想っている人が、このガレリアにはいる。
「本当は……お守りなんて必要なくなるくらい、平和で静かな生活が来て欲しいのだけれど」
 ニコレッタは足を止めて淋しそうに微笑んだ。ふと祈りの木を振り返る。大きな影がゆらゆらと揺れている。ガレリアの加護。
「コルネリアさんのお兄様も安心して戦地へ行けるよう、これからもガレリアの火を灯し続けるわ。闇の魔物から王都を守り、そして、兵士が、戦士が帰ってくるときに、王都の火が彼らを温かく迎えられるように」
 ニコレッタが、わたしを見て優しく微笑んだ。
「彼も無事でいられるように……祈りを込めて、薪を集め続けるわ」
 その目には温かい火が灯っていた。ずっと消えることのない、どんな嵐にも負けない強い火だ。

『第一章 魔物の蠢動』 (七) ソード・オブ・オルクス

 王都へ戻る頃にはすっかり暗くなっていた。
 けれど街の様子は全く変わりがなく、たくさんの人で賑わい、いくつもの明かりが灯っている。眠らない街だ。
 月明かりが反射してきらきらと光る噴水に見とれていると、後ろに気配を感じた。振り向くと、おへそを出した軽い装備の女性がいた。
「あら、こんばんは」
「こんばんは」
 お辞儀をすると、女の人は首を傾げた。
「見かけない顔ね」
 そう言ってわたしの手にある巾着に目を落とした。
「薬草?」
「あ、はい。ティナさんという方に届けるものです」
「そう……いつもありがたいわ」
「え?」
 急に礼を言われるのでなにがなんだか。と、女の人が笑いながら謝る。
「自己紹介が遅れたわね。わたしはティナ。はじめまして。そして、ようこそ。ソード・オブ・オルクスへ」
「あなたがティナさんでしたか。はじめまして」
 改めて深々とお辞儀をし、薬草の入った巾着をしっかりとその手に渡す。王都に戻って早々会えるとは思っていなかったので一息つく。
「あなたはどこから来られたのかしら?」
 故郷のことと海の魔物とアクィラ号のこと。今までの経緯を順を追って話すと、ティナは納得したように頷いた。
「……あぁさっきの騒ぎの船にあなたも乗っていたのね。話には聞いたわ」
 噴水の後ろの門を見やる。もう門は閉まっていて船も海も見えないが、ヴェルカントや船員さんたちは無事に荷降ろしや修理を終えただろうか。わたしと同じく王都にいるといいが。
「船を襲う凶悪な魔物……。港側の警戒も強める必要がある。しかし人手も足らないこの時期に上層部が納得するか……?」
 ティナが腕を組んで考え込んだ。
「あれ……でも待って?」
 緑色の瞳がわたしを捉える。
「はい?」
「あなた確か、さっきまでガレリア大平原1にいたはずよね?ニコレッタさんの薬草を届けてくれたんだもの」
 ティナが言葉を濁す。
「いろいろとお手伝いしているうちに、ガレリア大平原を回ってました。そのときにニコレッタに会ったんです」
 船員だったり旅人だったり商人だったり国民だったり、この国に来てから本当にたくさんの人の手伝いをした気がする。
 ──精霊から与えられた義務を果たす。そしてお前は先を考えるのではなく、ただ弱き者達を助け続けるのか──
 アレクシオの言葉を思い出す。わたしがこの国に来てからしたことは、全て精霊から与えられた義務だったのだろうか。もしそうだとするならば、わたしは精霊を信じられるのだろうか。
 同じく物思いにふけっていたティナは、視線を一瞬上空へさまよわせたあと、また真っ直ぐこちらに止まった。
「あなた、名前は?」
「ヒオンです」
 ティナは頷くと、一度体勢を変えてから口を開いた。
「ヒオン。あなた……祈りの木まで行って護衛を請け負って回ってたの?」
「護衛とまではいかないですけど、だいたいそんな感じです」
 苦笑すると、ティナは頷きながら目を落とした。
「そう……どうやらあの船を救った英雄とやらがいたという胡散臭い噂……嘘じゃなかったみたいね」
 噂になってるのか。少し恥ずかしい。ティナが口元を抑えて声のトーンを落とした。
「……これは王国軍のヤツらに目にものを見せてやれるかもしれない……」
「王国軍……?」
 問いかけを遮られるようにティナに肩をがっしりと掴まれ、思わず固まってしまう。
「あなたの力が必要とされているわ。そう、ソード・オブ・オルクスは今優秀な人材を求めているの」
「……つまり、勧誘ですか?」
 ティナが頷く。
「あなたにそのつもりがあれば、今度試験を受けてみてちょうだい。その時がきたら、わたしに会いに来て」


 ティナと別れ、夕食でもとりながらゆっくり考えようと思い広場へ行く。割腹のいい商人の周りには相変わらず人だかりができていた。
 試験と言っても何をするんだろう。ティナと怠慢勝負をするのか、恐ろしい魔物と戦うのか、はたまた海底に眠る宝を取ってこいとか、空中都市へと羽を伸ばして領土を拡げてこいとか、そんな感じか。
 いろいろと想像していると、商人からワインを買っている剣士に目が行く。その瓶の中の透き通る赤を見て思い出す。
 たしか大平原2にいた守銭奴商人が、王都にいる商人に伝えてほしいと言っていた。ワインを大量に買いつけるから用意しとけ、とかなんとか。
 思い出してよかったが、こんな無茶なお願いをわたしがしてもいいのだろうか。あの商人の勝手な荒稼ぎにわたしが加担する必要はないだろう。
 ふと商人を見やると幾分か人だかりが減っており、行くなら今がチャンスだった。もうどうにでもなれと思うと足は勝手に動いていた。
 ガレリア王都の商人はボルソと名乗った。あの商人と比べると、とても律義な方で、小皺が浮かぶ笑顔をする商人らしい商人さんだ。
「こちらはガレリア王国正規店でございます」
 ゆっくり見て行ってくださいと、周りに積まれたたくさんの食料を示される。ボルソの背後には、なにかの動物の肉が不用意に吊るされていて少しだけ不穏だ。
「ソード・オブ・オルクスの方々のお陰で、こちらの商人ギルドも、各国との交易を成功させてもらっているのです。お役に立てることがありましたら、いつでも仰ってください」
 ソード・オブ・オルクスはそういう仕事もしているのか。思わず関心してしまう。
 ワインが大量に仕入れられることをおそるおそる伝えると、ボルソは険しい表情になった。やっぱりまずいお願いだろう。
「ワインを大量に買いつける?なるほど……。しかし、まだ熟成にも至らないワインばかりです。仕事を受けてくれる人はいないものか……」
 そのままボルソは、俯いて黙りこくってしまった。伝えるべきことは伝えた。あとは商人同士の問題か。
「あなたずいぶん酒豪なんだね」
 後ろから陽気な笑い声をかけられ、振り向くと綺麗な女性が二人立っていた。
「そんなにワインばっかり飲んでたら頭痛くならない?」
 二人が顔を見合わせて笑うので、咄嗟にぶんぶん否定する。
「いえっ!わたしが飲むわけではないです!頼まれただけで」
「お?そうなのか、びっくりした!」
 赤と白のサンタ服を着た茶髪の女性がけらけらと笑う。その可愛いサンタ服には似合わず背中には弓を背負っている。
 あれ?サンタって、もうそんな季節だっけ?
「そりゃそうだよね、一人で大量に飲んでたらすごいわ。どっかのギルドが宴でもするんじゃない?」
 赤いワンピースを着たもう一人の女性が、思いついたように指を立てて話す。艶が綺麗な銀髪にウサギ耳のカチューシャをしている。ぴょこぴょこしていて可愛い。
「あぁ、納得!」
 サンタ服の女性がポンと手を叩く。
 お金大好きな商人が一人で大金と名声目当てのために買いつけたんです、なんて口が裂けても言えない。
「あなた、見た感じ旅の人?」
「はい。今日着いたばかりで」
「ガレリアはいいところだよ。空気が澄んでる」
 それから二人は楽しそうにガレリアの良さを教えてくれて、だいぶ長い時間立ち話をしてしまった。そして、二人の話を聞きながらわたしは決心が固まっていた。
 ──ソード・オブ・オルクスに入ろう、と。
 ガレリアの素敵なところをたくさん教えてもらったと同時に、ジージやニコレッタの儚い笑顔が頭の中に浮かんだ。彼らのためになにか自分にできることはないかと答えを絞り出したのだ。
 それにこのままガレリアに居ても、なにもすることがないような気がした。まずは居場所とやるべきことを固定することも大切だ。


 二人と別れたあと、わたしは真っ直ぐティナの元へと向かった。何も言わずとも、ティナはわたしの目を見て一度頷くと説明を始めてくれる。
「ソード・オブ・オルクスは、魔物たち含む闇の勢力を討ち滅ぼすもの。とても危険だけれども、世界の命運を背負った組織よ」
「世界の命運……」
 かなり重い言葉だ。
「組織は資格さえあれば、個人の過去は一切問わない。資格は『悪しき力と戦う熱意を持っていること』『精神状態が安定していること』『十四歳以上であること』……以上よ」
 頷きながら指折りし、今の自分に当てはまっているかを再確認する。大丈夫だ。
「ただし、ガレリア支部を任されているわたしからは一つだけ。この条件さえ守れれば、他の資格は目をつぶってもいいくらいよ」
 目を上げると、真っ直ぐな目を合わせられる。
「条件は『自分の身は自分で守れること』。それだけよ」
 強い口調でそう言った。
「ヒオン。あなたに闇の勢力を制す旅に出る覚悟があるならば……。案内役のエルモにそう伝え、その実力を見せてちょうだい」
 ゆっくり頷いてみせると、ティナはふっと表情を緩めた。エルモという方は王都の南西のほうにいるんだそう。
「それじゃあ、よろしくね。ヒオン」


 魔道士エルモは、王都の南門へ続く通路の近くにいた。白と青を基調としたコートを着ており、童顔な頬にはそばかすが浮かんでいる。
「何かご用ですか?」
「ソード・オブ・オルクスの試験を受けに来ました」
 エルモは、ぎょっとして驚く。
「ティナさんに言われて来たのですか?つまり、あなたも闇の勢力と戦う決意を証明するということですね」
「そのつもりです」
 ふむふむと納得し、ティナがいた方向を一度見やったあと、また視線を戻した。
「ソード・オブ・オルクスの試験は、王国軍の兵士になることを考えれば楽です」
 固い表情を解してくれるように、励ましの言葉をくれる。
「王国軍はもっと厳しいんですか?」
「正規の王国軍兵士というのは、幼年学校から長年に及ぶ厳しい訓練を耐え抜いたエリートですからね……。まぁ、戦争が表面化してた時代ならいざしらず……そもそも幼年学校に入れるのは、ガレリア王国の中流階級以上、と決まっていますけどね」
「ふ、ふむ……」
 中流階級以上がなんだって……?難しい話に苦笑すると、エルモは黄色い眼鏡のふちを上げて会釈をした。
「僕は、ソード・オブ・オルクス試験会場の案内役エルモです」
 慌ててお辞儀を返す。
「ヒオンと申します」
 エルモは腰のベルトに挟んでいた手帳をとり、パラパラとめくった。また眼鏡を上げる。
「試験内容について説明させていただきます」
「はい。お願いします」
「魔物との戦闘を想定し、会場内には組織で捕獲した魔物を放っています。会場内には魔法のかかった扉があり、その場にいる魔物をすべて倒さなければ開かない仕組みとなっています」
 エルモが背負っている杖に目がいく。
「試験のコールは、台座を調べて『決意の証』を手に入れること。扉を開け、会場内の奥へと進み続ければ見つかることでしょう。『決意の証』を手に入れたら、魔法でこちらに転送される手はずになっています」
「決意の証……」
 忘れないようにその響きを頭に刻み込む。エルモは微笑むと、パタリと片手で手帳を閉じた。
「試験には万全の態勢で臨んでください。個人で受験しなければならないということはありません。生き延びることを最優先としていますので、仲間を募って参加していただいても構いません」
「仲間……ですか」
 誰も思い浮かばない。ここに来てからは人助けばかりしていて、同じ旅人や戦士とはあまり親しくなっていなかった。
「目的達成のためには、協力しあうことも大切なのです」
 うーん。もしかしたらチームワークや協調性も試されるってことなのかな。
「一人だと厳しいでしょうか?」
 そう聞くと、エルモはにんまりと口元に弧を描いた。ノーコメントだそう。畜生め。
「じゃあ少しだけ時間をください」
「解りました。では準備が整い次第、僕に言ってください」

『第一章 魔物の蠢動』 (八) 入団試験

 そうは言ってもやはりこの時間になると、紙面を賑わせている、お尋ね者のような荒れた人たちが王都に集まってくるのだろうか。想像するだけでも恐い。あまり暗い道は歩かないほうがよさそうだ。
 そこらにいる武器を持った人に片っ端から声をかけようとも思ったが、もしもソード・オブ・オルクスを毛嫌いしている人がいたならそれはそれで面倒なことになる。
 あれこれ考えていると背中をトンッと押された。振り返ると、先ほどの女性二人が笑顔で手を振っている。
「やほ!」
「さっきは話し込んでごめんね」
 いるじゃないか!ここで親しくなった戦士っぽい人が二人も!
 顔が熱くなり感激する。よほど変な顔をしていたのか、二人がおかしそうに吹き出した。
「どうしたの?なにか困り事?」
「なんでも力になるよー!」
「うおおお」
 察しが早い、なんて頼もしいんだろう。
 ソード・オブ・オルクスの試験を受けること、仲間を集めたほうが良さそうなことを話すと、サンタ服のティラナさんことテラちゃんがガッツポーズをした。帽子のぽんぽんが楽しそうに揺れる。
「よし!おいらたちに任せろ!」
「私も手伝うよ」
 ウサギ耳のアオトキシさんことアオちゃんが手を握ってくれて、すごく心強くなる。
「ありがとうございます。お二人とも戦闘は慣れてるんですか?」
「このご時世だからね、女は強く生きなきゃ」
 テラちゃんの背中の弓に付いているヒヨコのストラップが揺れる。ヒヨコ好きなのかな?
「せっかくだから六人で行く?」
「お!いいね」
 どんな戦闘をする際にも大抵は六人で行くんだそう。多すぎず少なすぎずってやつだ。けれどその場合は、個々の立ち回りも重要になってくる。
「待ってねー、声かけてくる!」
 そう言ってテラちゃんはウインクすると、ぱたぱたと走って行ってしまった。アオちゃんが隣で楽しそうに笑う。
「私たちと仲いい人も、今ちょうど王都に来てるの。タイミングばっちりだね」
 数分もしないうちに、テラちゃんは後ろにぞろぞろと三人連れて戻ってきた。その連れを見て思わず呆然としてしまう。
「あの……仮装大会でもあったんですか……?」
 思わず出た本音に、みんなが腹を抱えて笑い転げた。
「あははっ!」
「そう思ってもおかしくないよね」
「おい失敬だな!これは仮装じゃなくて正装だ!」
「どこがだっ!」
 サンタ服に、ウサギ耳に、和装に、花眼鏡に、かぼちゃの被り物。一人一人目立つ格好をしている。第一印象からこれは凄まじい迫力だ。
 ひとしきり笑ったあと、テラちゃんが目尻の涙を拭きながら一人ずつ紹介してくれる。
「一番ましな格好のこちらがヨシュアたん。イズモ地方出身で、今では珍しいサムライさんなんだよ」
 丈の長い和服に身を包み、長い黒髪を一つに緩く束ねた男性が深々とお辞儀をする。腰に携えた二本の細い刀がよく目立つ。
「こんばんは。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!ええと、サムライってなんですか?」
 初めて聞く言葉だ。
「イズモ地方で傭兵として存在していた戦士と言われています。200年前は大勢いたそうですが、今では数える程しかいませんね」
 微笑みながら説明してくれるヨシュアさん。その肩をテラちゃんはポンッと叩いた。
「貴重な存在なのだ。で、こちらがミノアさん。レーム地方のほうでパン屋を開いてる店主さん。顔が広くて、商人ギルドとも交易を持ってるの」
「ワッショイ」
 ミノアさんことミノさんは、低い声で一言つぶやいた。
 びしっと決めた、まるで紳士を醸し出すようなスーツを着ているのはいいものの、一番目が行くのはその頭だ。なんだそれ……桜の木に見立ててるのかな……?桜の形をした眼鏡のせいで表情はよく分からない。ミノさんの頭と眼鏡をじろじろと見ていると、隣でアオちゃんが笑う。
「喫茶トマトさん、私もよく買いに行ってるの。美味しいよ」
「喫茶……なのにパン屋……?」
「ワッショイ」
 ミノさんが頷き、手に持っていた籠からバターロールを取り出してくれる。いただきますと受け取ると、ふわふわしていて、出来立てではないものの温かい香りがする。
 一口食べて驚いた。自然の素朴な味が仄かに広がる。
「美味しいです!」
「でしょでしょ!おいらもよくお店手伝ってるから、今度遊びにおいでー」
 みんなも続いて、ミノさんからパンをいただき食べ始めた。
「で、最後にこちらが」
「ペンペンマルです!ペンギンの王子様と覚えておいてくれれば!」
「その顔でペンギン言うな!」
 テラちゃんがチョップをしてつっこむ。かぼちゃの被り物は、小さな人形サイズのハットがついていて、口元の辺りはギザギザにくり抜かれており妖気に笑っているように見える。目のところが光っていて、よく見えているのか気になるところだ。ペンちゃんは緑の長い尻尾を付けているのも特徴だ。
 ペンちゃんは申し訳なさそうに手を拝んで見せる。
「テラさん、お尻ぺんぺんだけは勘弁して」
「誰がするか!」
 二人でコントを始め、とても楽しくて思わず顔をほころばせてしまう。早々こんなに愉快な仲間に出会えるとは思わなかった。人の縁は未知の世界。


「ソード・オブ・オルクスですか。いい噂をたくさん聞きますけど、全ていいとまでは言えないですね」
 南西門の通路に六人で丸くなって座り込み、もう一度、試験を受ける経緯や試験内容の説明をし直した。すぐ傍らで国民と立ち話をしているエルモが、不思議そうにこちらをちらちらと見てくる。
 ヨシュアさんが感慨深げに腕を組みながらそう言った。テラちゃんは大きな目を宙にさまよわせながら相槌を打つ。
「おいらの友達にもソード・オブ・オルクスに入ってる子はいるよ。ガレリアはまだいいけど、北のほうでは毛嫌いしてる人が多い気がするなー」
「そうなんですか」
 正統な活動ばかりしているわけではないのかもしれない。
「でもいいと思います。ヒオンさんが出した答えですから、それがなにより大切です」
 ヨシュアさんの微笑みで、わたしの中の決断にだんだんと自信がついてくる。
「だなだな!なにかあってもオレらが飛んでくるよ」
「ペンギンなだけに?」
「ペンギン羽ないけど?」
 テラちゃんとアオちゃんの早つっこみでペンちゃんはガクリと項垂れ、また笑いに包まれる。
「そうと決まればっ」
 テラちゃんが立ち上がり、背中の弓を両手に握った。その表情は輝いている。
「行くか!」
「よしっ!頑張るよ」
 アオちゃんも剣を握って立ち上がり、おー!とみんなで拳を突き上げる。
「それにしてもよかったな、海底から宝をとってこいだなんて試験じゃなくて」
 心を読まれたみたいで思わずドキッとする。この話はしてないはずなんだけど……。と、隣でアオちゃんが納得したように頷いた。
「それ私も思った!入団試験って言ったら、早押しクイズか宝探しだよね」
 あ、やっぱりみんなもそう思う?そうだよね、宝探しが無難だよね。


 まさか五人も仲間を連れてくるとは思っていなかったのか、エルモは顔を引きつらせながら試験会場へと案内してくれた。
 会場内に入るなり、ミノさんがピタリと足を止めた。みんなも立ち止まって振り返る。背後の扉はゆっくりと閉まり、外の明るい光が遮られた。
「ミノさん?どうかした?」
「本気を出します」
「……え?」
 一度瞬きをすると、ミノさんの目立つ桜木ヘアーはさらさらの茶髪に。桜眼鏡は黒いマスクへと変わっていた。きりっとした力強い瞳が、揺れる髪の間に覗く。
「お待たせしました」
「変身か!」
 みんなで笑う。
「さっきのはただの変態でしたので、戦闘なら紳士らしく華麗に戦います」
 そう言って、ミノさんは腰を落として剣を構えた。とても頼もしくて思わず拍手をしてしまう。
「オレも変身するかな」
 フフフと意味深げな笑い声が、隣のかぼちゃ頭から漏れてくる。
「よし、さっさと行くよー!」
「おーっ!」
「無視はやめて!待って!」
 女性二人が先頭を突っ走り、ペンちゃんが一番後ろをバタバタと慌てて追いついてくる。


 組織の試験会場は、床や壁が水晶のような青色で統一されており、所々の柱に神聖さを思わせる模様が入っている。
 四つの部屋で区切られており、その間にはエルモの言っていた魔法のかかった扉が下りている。部屋内の魔物を全て倒すと、大きな重たい音をたててゆっくりと上がり、次の部屋へと進める。
 会場内の魔物はそれほど強くはなかった。六人もいるせいかどんどん倒れていき、わたしが剣を振る頃にはもう魔物は泡を吹いていた。
 強い。素直にそう思った。
 おちゃらけた格好はしているものの、戦闘の腕は一般の兵士より格段に上だ。むしろその強さを隠すために、わざとそんな格好をしているのかもしれない。……というのは考えすぎかな。
「あ!これじゃない?決意の証って」
 倒れた魔物から金貨を拾っていると、先頭でアオちゃんが声を上げた。こちらに手を振り回している。
「本当ですか!?これでクリアですね」
 駆け寄ると、三つ目の部屋に入ってすぐ傍らに台座のようなものが置いてあった。かすかに緑色に光り輝いている。
「意外と見つかんの早いなー」
 ペンちゃんが後ろでアクロバティックに宙返りをしながらつぶやく。その靴音がタンタンとやけに響く。
「でもまだ魔物はいますから、油断なさらずに」
 台座を調べている間、ヨシュアさんとミノさんは護衛をしてくれていた。
 決意の証を手に入れると、どこか身体の底から勇気が湧いてくるような不思議な感覚を覚えた。
『ぐぐ……』
 突然どこからか低く擦れた声が聞こえ、みんなで辺りを見渡す。
「……今のなに?ペンさんのお腹の音?」
「オレじゃねぇよ!」
「人の声?」
 耳をすましてみる。しばしの沈黙があったあと、またかすかに聞こえてきた。
『まさか人間がこれほどまでに力をつけているとは……。まぁいい、“それ”はあの方の求めるものではない』
 ふと台座を見下ろすと、緑色の光は消えていてもうなにもない。それと同時に、なにかの重たい気配が消えた。……なんだったのだろう?
「大丈夫ですか?どなたか異常はありませんか」
 ヨシュアさんが刀を構えたまま振り向く。大丈夫、とみんなで顔を見合わせる。
「でも皆さんのおかげで決意の証は手に入れれました。あとはティナに報告に行くだけです!」
「やったね!」
 テラちゃんと手を合わせて喜んでいると、ミノさんが神妙な目で手を上げた。
「待ってください」
「お?」
「決意の証を手に入れたら、魔法で王都に転送されるはずですよね?……転送されてなくないですか……?」
 震える声で語尾を濁した。だらだらと冷や汗が浮き出てくる。
「そう、ですね……」
「不具合かな?魔法が効かなくなったとか?」
「エルモさん寝てんじゃないの?」
 テラちゃんとアオちゃんが顔を見合わせて苦笑する。
「さっきのなにものかの声のせいかもしれませんね……。とりあえず奥にまだ部屋がありますので進んでみましょう」
 ヨシュアさんの提案に、みんなが頷く。


 最後の部屋だけ雰囲気が違った。闘技場のようになっており、さっきまでの青い視界とは打って変わって赤い視界に変わる。壁には、まだ赤黒い血のようなものがべっとりついていて思わず息を飲む。
 奥のほうで猛獣の吠える声が聞こえ、目を凝らすと、なにか大きな化け物がのっそりと起き上がる影が見えた。
「まじかよ……これも試験なわけ?」
「なわけないでしょ!ハプニングだって!」
 ペンちゃんが逃げるように来た道を戻ろうとするが、なぜか扉が閉まっていてびくともしないようだった。わたしたちと化け物だけがこの空間に閉じ込められた。
 姿形がはっきりと見えるまでに化け物がこちらに近づいてきていた。牛のようなツノを持ち、二本足で歩いてくる。手に持っている大きな煌めく斧に気圧され、みんなでじりじりと後ずさりをする。
「どうすんのこれ……」
「ワッショイ……」
「あの斧かっこいいな……」
 ペンちゃんとミノさんは、なんとか扉が開かないかと試行錯誤をする。
 ほんとにどうするの。こんなに大きい魔物と戦ったことなんてないけれど、もしも怪我人が出たらティナたちは責任をとってくれるのだろうか?そういえばまだ夕飯とってなかったしミノさんから貰ったパンしか食べてなかったからお腹空いたなとか、そんな関係ないことを現実逃避のごとくうわ言のように考えていると、ヨシュアさんが刀を構えてスッと前へ出た。牛の化け物を睨み上げる。
「戦いましょう。それしかないです」
「ヨシュアたん、まじ……?」
「だよねぇ。でも初めて見る魔物だし、ちょっとだけワクワクしてきた」
 アオちゃんが跳ねるようにヨシュアさんの隣に並んだ。テラちゃんとミノさんが観念したように苦笑する。
「ワッショイ。前方は任せてください」
 わたしも心を決めて、一度腕を回してほぐしたあとで剣を構える。牛の化け物はもうすぐ目前まで来ていた。歩くたびに重たい振動が足に伝わってくる。
「よよよ、よし!援護は任せろっ!」
 ペンちゃんが後ろで叫ぶ。それを合図に牛の化け物が頭を上げて一層高く吠え、こちらに向かって突進してきた。


──────

今回登場させていただいたフレンド様

♪ティラナ♪さん
青時祇さん
ヨシュアさん
ミノアさん
ぺんぺんまるさん

very thanks.

『第一章 魔物の蠢動』 (九) 街の人々

「あああもう!なんなのあれ!」
 テラちゃんが地面にべったりと座り込んで嘆く。
 最後の部屋にいた牛の魔物『ティミディタス』を倒すと、魔法で王都の広場へと転送された。急にぐったりとして現れた六人を見て、周りにいた人々が驚く。
「皆さん、ご無事ですか?」
「なんとかね。斧振りかぶるんだと見せかけて竜巻起こすとか、まじ怒った。性格ひねくれすぎだよあの牛」
 アオちゃんがぷりぷりと怒りながら、テラちゃんの隣に膝を抱えて座り込む。
「とりあえず、お疲れさん」
「お!ペンさん気が利くじゃんー」
 ペンちゃんが、ボルソから六人分のジェネレートを買って来て一人ずつ手渡してくれる。
「ありがとうございます」
 ひんやりと冷えていて、疲れ火照った身体に染み渡っていく。
「ペンギンって気が利く生き物だったんだね」
「バカ野郎!気が利くからペンギンなんだ!」
「あー、もうツッコむ気力もないわ」
 テラちゃんが瓶を煽りながら、手をひらひらと振って受け流す。
「……なんでやねん」
 そう低い声が静かに響いた。
 ペンちゃんの肩にビシッと手のひらを当てるミノさんを見て、テラちゃんが口に含んでいたジェネレートをブゥゥッと吹き出す。みんなもミノさんを凝視して唖然とする。
「ミノさんがツッコんだ……!初めて見た……」
「初めてツッコまれた……」
 かぼちゃ頭から困惑の声が上がる。
「初めてツッコんでみました。どうでしょう?」
 そう聞くミノさんの目はちっとも笑っていない。マスクで口元は見えないが、おそらく口も笑っていないんだろう。
「どうでしょうって、真顔で言われても……」
「どうでしたか?」
 ミノさんがペンちゃんを覗き込む。
「いやなんか申し訳なくなってきた」
「……ツッコミ王への道は遠いですね……」
 そんなの目指してたのかよ!


「こんばんは。ヒオン」
 ティナがにっこりと微笑んでみんなを見渡し、お疲れ様と言う。
「実力は充分のようね。最後の部屋は魔物も出ないし、余裕だったかしら?ふふ」
「いえ、魔物は出ました」
「あらそう。それじゃあ、任命式ね」
 ティナの嬉しそうな表情がフッと消え、目を見開いて訝しげにこちらを見る。
「……え?魔物は出た?」
「そうだよー。こーんなでっかい斧持った牛!」
 アオちゃんが腕を広げて再現して見せる。
「まぁオレの大活躍でこてんぱんにしてやったけどな」
「あんたは黙ってなさい」
 ティナが困惑し、眉間に皺を寄せて視線を落とす。
「そんなはずは……。あそこは偉大な宮廷魔道士が魔法で結界を張った場所。エルモが案内しない限り、魔法ですべて弾かれ、何人たりとも侵入できないはず。もしかしてべアレ様が亡くなったことで……?」
 口元を隠してぼそりと言った。べアレ様?
 顔を上げたティナが、わたしの肩に手を置く。
「……わかったわ。上層部に報告してみる。ひとまずは、あなたの任命式だけでも終わらせましょう。少し屈んでちょうだい」
 ティナはそう言うと、腰に着けていた剣を引き抜いた。地に膝をつけて屈むと、ゆっくりとわたしの肩にその剣を置いた。刃が鋭く光っていて一瞬焦るも、ティナが目を閉じたので、流されるがままにわたしも目を閉じた。眠らない王都のざわめきを背後に、みんなが見守る気配とティナの息づかいと剣の冷たさが身に染みてくる。

「ペレトの神よ。ここに(うた)う。
血の契約に新たな名を書き連ねよ
ヒオンよ
(なんじ)が命に(かげ)りなきことを
同志の命に限りなきことを
民を守る盾となれ 魔物を討つ矛となれ
礼節を知り、平等たれ
汝が勇ましき心もて 大地に光あらんことを
ヒオン
ペレトの神の御名(みな)において、
我、汝をソード・オブ・オルクスに任命す」

 みんなの気配の他に、なにか別の気配を感じた。おそらくはペレトの光の加護だろうか?
「さて……と、おしまい!」
 その声に目を開けると、ティナは笑顔で剣を鞘に納めていた。
「え、これだけですか?」
 血の契約ってもっと難しいものかと思っていた。互いの血を交換するとか……て、そんなヴァンパイアみたいなことはしないか。
 と、突然背後で拍手が鳴り響き、驚いて振り返る。みんながお祝いをしてくれていた。
「ヒオンたんおめでとうー!」
「ワッショイ!」
「頑張ってくださいね」
「フ……ヒュウウ……」
「いや吹けてないから!」
 一笑懸命口笛を吹こうとするペンちゃんをみんながいじり、また笑いに包まれる空間に思わず笑みがこぼれる。
「ありがとうございます、皆さんのおかげです」
 ティナが微笑んで手を差し出してくる。その手をしっかりと掴んで立ち上がる。
「いい?忘れないでね。なにがあっても自分の命だけは大切にするのよ」
「はい。肝に銘じて置きます」
 力強い声で返事をすると、ティナは微笑んだ。
「ふふ。あなたは、もう立派なわたしたちの『家族』ね」
「家族……」
 その響きに心が熱くなる。と同時に、なんだか気恥ずかしくなってきて思わず頬を押さえる。
「さてと、試験会場についてどうするか、上層部が判断を下すまでの間、さっそく組織の一員として大事な任務を頼んでおくかな」
「大事な任務?」
 いきなりまた凶暴な魔物と戦え、とかではないよね?そんな不安な心中を察したのか、ティナはくすっと笑った。
「『挨拶』よ。旅人同士の挨拶も大切だし、なにより街で何か異変があっても、依頼は向こうから来てくれるとは限らない」
 腰に手を当てて、わたしをスッと正面から見る。
「ソード・オブ・オルクスとしての初仕事よ。街の人間に『挨拶』して来てちょうだい」


 綺麗な半月が頭上で輝いている。
 もうだいぶ時間も遅いため、街の人間への挨拶は明日の朝にすることになった。
 テラちゃんとアオちゃんが行きつけだという小さな酒屋にお邪魔し、みんながソード・オブ・オルクスの入団祝会を開いてくれた。酒屋は他に客はおらず、わたしたちの貸し切り状態となった。
 酒屋の店主はクレアさんと言って、テラちゃんの昔馴染の友人なんだそう。おっとりした見た目とは裏腹に、俊敏な手さばきでお洒落な料理やお酒を作ってくれる。その器用な手で楽器も演奏してくれて、また一段と盛り上がる。
「じゃあヒオンたん。おいらたちしばらくガレリアにいるから、また遊ぼうね」
「すみません、お引き止めをしてしまって」
 ヨシュアさんが苦笑して謝ってくるので、咄嗟に手を振る。
「いえいえ!楽しかったです」
 本当だ。嵐の中逃げ落ちてきた昼間が嘘みたいに楽しい時間を過ごした。今日一日でたくさんのことがあり、故郷での悲しいことや辛いことがどこかへ吹き飛んだかのように今は清々しい気持ちだった。
「私ら、こういうぱーっと盛り上がるの好きなの。お酒が進む進む」
「金は減る減る」
「おい酔っ払いペンギン!夢のないこと言うなっ」
 ペンちゃんはかぼちゃ頭を脱いでおり、真っ赤に火照った顔で笑っている。アオちゃんも赤い顔をしてカウンターにだらけていて、クレアさんに頭を撫でてもらっている。この二人はお酒に弱いのかな。
 一方でお酒に強いのか相変わらず凛々しい表情のミノさんが、小さなカードを渡してくれた。
「うちの店はデリバリーもやってますので、是非ご愛好を」
 喫茶トマトとお洒落にデコレーションされた文字の下に本店を示す地図や電話番号が書かれており、端っこに可愛い女性たちが楽しそうに写っている。従業員さんかな?まるで家族写真みたいだ。
「食べます食べます!お店にも行ってみたいです」
「レームはここから少し遠いからね、いつかあっちへ行く機会があるといいね」
 まだ見ぬ土地に憧れを抱いてしまう。レームという名前に、天然の水が豊かな綺麗な街並みが想像できた。ソード・オブ・オルクスの活動で行けることを願うばかりだ。
 眠気眼のアオちゃんを揺すり起こすクレアさん。その胸元にはヒヨコのブローチが揺れていて、そのまん丸い目と目を合わせてしまう。テラちゃんもストラップを付けていたし、ヒヨコブームがきてるのだろうか。
「またみんなで来てね」
 クレアさんが笑顔で手を振る。そうしてわたしの、ガレリアでの怒涛の一日が終わった。


 朝の王都は夜よりも人通りが少なく、旅人がちらほらと見えるだけだった。朝日に照らされる緑が綺麗だ。ティナから貰った、挨拶にまわるべき人の名前が書かれたメモを見る。ひとまずは、一番近くにいた王国軍兵士エラルドの元へと向かう。
 エラルドは赤と青の輝かしい甲冑に身を包んでおり、かすかに覗く顔は鬼のような形相をしていて思わずたじろいでしまう。
「ガレリア王国軍に何用か知らぬが、ガレリア鉄の味を喰らいたくなければ、気安く近づかぬ様に」
 ガレリア鉄の味?食べさせられるの?
「あ、挨拶に来ました……」
 おずおずと震える声を出すと、エラルド……さんはジロッと冷たい目で見下ろしてくる。
「挨拶だと?ふん。くだらん。貴様、何者だ」
「ソード・オブ・オルクスです」
 あからさまな舌打ちをされて、びくりと怯えてしまう。
「ふん……貴様が烏合(うごう)(しゅう)の一人であろうが、なんであろうが関係はない。闇の勢力の侵出に大義名分を得ている下らん組織だ」
 烏合の衆とは、カラスの集団のことで、カラスが集まっても鳴いてうるさいだけで統一性に欠けるという意味である。ひどい例えようだ。エラルドさんは、腕に付けた大きな盾をガシャリと鳴らして顔を背けた。
「新たな穀潰(ごくつぶ)しか。兵士長より話は伝え聞いている。王の偉大な意志において、貴様らは飯が食えるのだ。貴様らが無事生きていられるのも、我が王のお陰であることをゆめゆめ忘れるな。貴様らの小隊長とやらに伝えておけ。ティナといったか?貴様らの行いは我ら王国軍が監視している。今度、王国軍の邪魔をしたら貴様を牢獄にぶち込むとな」

 次の商人ボルソのところへ向かう途中で、さっきのエラルドさんの怖い顔を思い出す。
「七回……」
 不機嫌な剣幕に圧倒されもはや何を言われているのか理解できておらず、一番聞き取りやすい言葉を頭の中で数えていた。貴様、と言った数を。……我ながら馬鹿だと思う。あと三回は舌打ちされた。
「挨拶に来ました」
 わたしの微笑みに、優しい笑顔を返してくれるボルソ。昨日会ったのを覚えていてくれたらしく、変わらず入荷したばかりの商品を自慢げに紹介してくれる。
 昨日と少しばかり品揃えが違うのは、やっぱり朝一だからだろう。
「お役に立てることがありましたら、いつでも仰ってください」
 ボルソは、お決まりの言葉を言った。

 次に会いに行った司書デメトリオは、細い目に眼鏡をかけていて、立派な白い髭と足下まである白いコートを着ているのが特徴だ。見るからに司書という感じ。
「君、君は……なんだね?」
 ひどく怯えた態度をとられ、先ほどエラルドさんと話したときのわたしそっくりで、こっちまで焦ってしまう。
「あの、挨拶に来ました」
 ソード・オブ・オルクスの名前を出して説明しても、デメトリオは一切表情を変えなかった。どうやら悪く思ってはいないようだ。
「そうか。よろしく。うぅむ、しかし我輩の理論では……レヴァリアがティルナ期に突入するのはミズルナが三度周回する時なのである。闇の勢力がレヴァリアに出現した時期は、天文学的に言ってもペレトとティルナが重なりあった時。破滅を預言する象徴であると見ている」
 ……だめだ。何を言ってるのか全然分からない。


──────

今回登場させていただいたフレンド様

♪ティラナ♪さん
青時祇さん
ヨシュアさん
ミノアさん
ぺんぺんまるさん
k.l.a.さん

very thanks.

『第一章 魔物の蠢動』 (十) 王国軍の推察

 最後は試験会場の案内役、魔道士のエルモだ。エルモは昨日と同じく南西門の付近に立っていた。銀髪が相変わらず目立つ。
「うーん……」
 腕組みをしながら眉間にシワを寄せて唸っている。どうしたんだろう?なにか悩んでいるようだった。
「挨拶に来ました」
 そう言ってもエルモは唸ったまま顔を上げない。わたしの存在にも気づいてなさそうだ。
「もしもーし」
 眼前で手を振ってみると、ようやく気づいてくれる。
「挨拶に来ました!」
 エルモが慌てて眼鏡のフチを上げる。
「え?挨拶まわりですか?ああ、どうも」
 わたしの顔を見て、納得したように頷いた。
「なるほど。あなたもソード・オブ・オルクスの一員に……。合格おめでとうございます」
「ありがとうございます」
 お辞儀をし合って握手を交わす。晴れて新しい仲間になったわけだ。先輩に値するのかな。すると、エルモはまた腕を組んで難しい顔になった。
「しかし、弱ったなぁ……ティナさんになんて報告すればいいのか」
「どうかしたんですか?」
 顔を覗くと、エルモはなんでもないように手を振って誤魔化した。
「しかし、あなたも物好きな人ですね。自分から魔物を相手にしようだなんて……。まぁ、あなたにも事情があるんでしょうね」
「事情と言いますか、成り行きと言いますか……」
 気恥ずかしくなって顔が熱くなる。このガレリアでの新しい目的と居場所を探していたらこうなったわけだ。
「僕には、ティナさんやあなたのように事情なんてないんです。人間同士の戦いが怖くて何年も前から書物だけを相手にしています」
 そう言って、そばかすの浮かぶ頬をかいて苦笑した。
「こうやって仕事をくれるティナさんには恩があるんですけど、しかし今回ばかりは……。一つ、お願いできますか?」
 エルモが声を落とし、真剣な目を向けてくる。やはり話す気になったみたいだ。
「実は、さきほど王国軍の方々が試験会場の視察に来られましてね。なんでも、奥の壁が一部崩れていたそうです」
「それってまさか……!」
 飛びつくように反応したわたしを見て、そうですとエルモが頷く。
「渓谷まで続いたその穴から、魔物が入り込んでしまったということです。会場の壁を塞ぎ、封印すれは問題ないだろうとの判断ですね」
 昨夜、最後の部屋で激突した牛の化け物を思い出す。みんながいなかったらきっと勝てなかったはずだ。
「しかし、王国軍の独断で封印するなんてことをティナさんが納得するわけがない」
「そうなんですか?」
 王国軍なら安心して任せられるんじゃないのか?エルモは目を伏せて、重たい息を吐いた。
「見張りの兵士を倒してでも、エドモンド王に直談判(じかだんぱん)しに行こうとするでしょう。そうなってしまうと、今度こそ、彼女をかばいきることはできない……」
 ティナはそんな無鉄砲なことをするのか……。と、エルモがわたしの両手をガシッと掴んでくる。
「お願いします。ティナさんが、できるだけ冷静でいられるように、やんわりと事の次第を報告してきてくれませんか」
「えええ」
 エルモの目は必死で切実さが滲んでいて、思わず首を縦に振ってしまう。
「ありがとうございます。くれぐれも『王国軍』という言葉は避けてください」
「わ、わかりました」
「いいですか。できるだけティナさんを刺激しないでくださいね。ガレリア支部をまとめられるのは彼女だけなんですから!」
 重大な役割だ。そんな器用なこと、わたしにできるだろうか。


「調子はどう?」
「一通り回ってきました」
 王国軍兵士エラルドさん、商人ボルソ、司書のデメトリオ、そしてエルモ。メモに書いてある人への挨拶は全て済ませた。ティナは優しく微笑んで、わたしの肩に手を置いた。
「お疲れ様。だいぶ歩き回ったみたいね。ソード・オブ・オルクスの一員として世界を旅することもあると思うけど、その時は、新しい街や人を見かけたら挨拶することを忘れないでね」
「わかりました」
 全ての事柄は挨拶から始まる。大切なことだ。  ティナは思い出したように目を上げた。
「それにしても……依然として、上層部からの判断は下っていないわ。王国軍は何をするにも閉鎖的で困るわね」
 ……うっ。さっそくその話題が振られるとは思わなかった。まずいなんだっけ、なにを話せばいいんだっけ。とりあえず王国軍という言葉を出さなければいいはずだ。
「あの、そのことなんですけど……」
 ティナが不思議そうに首を傾げてくる。
「試験会場は封印されることになったそうです……。エルモが……ええと」
「……エルモが……?」
 ティナの目が鋭く光り、わたしを射抜いてくる。心臓がバクバク跳ねる。
「どういう経緯で、どうして封印するのか、詳しく教えてくれるかしら?」
 言葉をわざとらしく区切りながら、ティナはにこやかに聞いてくる。その目は、これっぽっちも笑っていない。怖い。
 空に視線を泳がして、慎重に口を開く。
 王国軍は言わない。王国軍は言わない。
「……壁が、崩れていて」
 顎あたりにティナの強い視線を感じ、冷や汗が滝のように流れ出る。とても目を合わせられない。
「壁が崩れていて……ね。試験会場を調べたのは誰なのかしら?」
 王国軍は言わない。王国軍は言わない。
「おっ……え、エルモです」
 エルモすまない。許せ。
「エルモが?」
 明らかに訝しげな声でティナが聞き返してくる。
「もしエルモが、小隊長であるわたしに何の報告も相談もなく、試験会場案内役という自分の持ち場を離れて勝手に調査をしたなら、大きな問題ね。それ以上に、もし会場を封印すると決断を下したのもエルモなら……」
 ゆっくり視線を下げると、ティナの瞼が明らかに怒りを表す動きをしていて、わたしの心臓は更に加速する。
「彼には『たっぷり』とお話を聞くことになるのだけれど……」
 ティナの目がまた鋭く光る。
「正直に言って。会場を勝手に調べて、断りもなく封印を決断したのは、王国軍でしょう?」
「……はい」
「決まりね。今度という今度は、あいつらに思い知らせてやるわ。ソード・オブ・オルクスを軽んじることは、国民の命をも軽んじているということを……!」
 ティナがゆっくりと剣に手をかける。その殺気は凄まじい。王国軍を嫌っていることがとても伝わってくる。だからエルモも必死だったのか。て、まさか斬りかかりに行ったりとかしないよね?
「ああ、もう!心配になってきてみたら!やっぱり言っちゃったんですね」
 エルモが血相を変えて駆け寄ってきた。一応『王国軍』という言葉は一度も言っていない。ただティナが異様に鋭いだけだ。だが、もっと上手く説明できなかったものかと申し訳なくなってくる。
「やはり……。ヒオンに余計なことを吹き込んだのはエルモか?」
 息を整えながらエルモはティナに食いつく。
「余計なことなもんですか。だいたい、経費がまわってこないのだって、ティナさんが向こうに盾突くからじゃないですか……うわわ。あぶない!」
 ティナが、いつ抜刀したのか、剣をエルモに向けている。
「王国軍の言いなりになるなら、この組織が『血の契約』を受けた意味はないわね。だいたい、三年前の出来事だって『関係者以外には教えられない』と言い放つ連中よ」
 声を悲痛に荒らげる。そういえば、ティナは三年前に家族を失っていると聞いた気がする。たしかジージが言っていた。
「そんな甘っちょろい考え方で、闇の勢力を舐めきった態度の連中が上層部にいる限り、世界に本当の平和が訪れるとは到底思えない」
「あなたの気持ちも分かりますけど、今王国軍と事を荒立てても何の得にはなりませんよ」
 エルモが両手を上げた情けない格好のまま、ティナを説得する。
「だいたい、ソード・オブ・オルクスの敵は闇の勢力じゃないですか。剣を向ける相手を間違ってますよ!」
 今も!と付け足し、エルモが助けを求めるように慌てながら、こちらを向いてくる。ティナもつられてわたしを見てくるので、思わず後ずさる。なんですか!
「ね?ヒオンさんも、そう思うでしょう?」
 飛び火はやめてください!ええと……。
「た、倒すべきは王国軍っ……」
 とうとう言ってしまった。
「そうでしょう。ほら、ティナさん。ヒオンさんも、ああ言って……って何言ってるんですか!」
 ごめんなさい、つい思わず。
「その一言が、ソード・オブ・オルクスの人々全員を路頭に迷わせてしまうんですよ?」
 エルモの視線から逃げるように目を逸らす。
 一瞬だけ沈黙が流れると、ティナは黙って剣を鞘に納めた。エルモは安心したようなため息を吐き、そっと手を下ろした。
「要は、表立った対立でなければいいのよね?ソード・オブ・オルクスの相手は闇の勢力であり、王国軍」
 ティナが目を落としたまま続ける。
「王国軍が試験会場を封印するならば、わたしたちも調べるわ。試験会場に魔物が侵入したならば、王国軍より先にわたしたちが追跡する」
 エルモはうなだれている。
「あぁ……だめだ。分かってない……」
 けっきょく、ティナの一番の敵は王国軍と決まっているのだろう。呆れた表情のエルモに指を突きつける。
「エルモは、『王国軍が』これ以上試験会場を荒らさないように見張りを。いい?王国軍の人間が来ても勝手に封印とかさせないで」
 その指がこちらに向く。
「ヒオンは、『王国軍が』調査内容を隠さないようにルミナス渓谷へ向かって」
「ルミナス渓谷?」
「ルミナス渓谷への道はわたしの背後よ。調査員を見つけたら、必ず話をなんでも聞いてちょうだい」
 噴水の後ろ、北門を見る。崩れて空いた穴と繋がった渓谷というのは、ルミナス渓谷のことなのだろう。
「わかりました」
 弁解するべく、そのあともエルモは必死にティナに説得を続けていたが、ティナは頑なに口を閉じていた。

『番外編 王国軍兵士エラルドの秘密』 (一)

Twitterで募った先着13名の方を登場させていただいた完全オリジナルストーリーです。本編とは無関係となりますので、予めご了承下さい。

────

 ティナから連絡が周りいつもの噴水前へと行くと、ティナとエルモの他に見知らぬ顔が十人程集まっていた。皆一様に武器を持っているところを見ると、どうやら街の人ではないらしい。
 ティナはわたしが来たのを確認すると、真剣な表情で頷き、一歩前へ出てみんなを見渡した。
「こんにちは。来てもらったばかりで悪いけど、さっそく本題に入らせていただくわ」
 組んだ腕がやけに細く見えるのは、いつもと違って七分袖のシャツにショートパンツといったラフな格好だからかもしれない。今日は日差しが強く、黙って立っていてもじわじわと汗が滲むほどの暑さだ。
「わたしたちソード・オブ・オルクスの敵は、闇の勢力と王国軍。それはみんなも重々承知ね?」
 わたしたち、ということはここにいる人達はソード・オブ・オルクスのメンバーか。つまりは仲間ということになる。
「いやだから……王国軍は違いますって……」
 隣でエルモがぼそりと指摘するが、ティナは素知らぬ顔で続ける。
「その二つの敵が手を組んだとき、わたしたちはどうなるかしら?」
 二本指を前に突き出し、くっつけて見せる。フッと口元に笑みを浮かべた。
「手を組む……?」
「王国軍だって元々は対闇の勢力でしょう?」
 みんなから上がる声に、ティナは頷いた。
「そう。でも中にはそう思っていない奴もいる。厳しい試験を突破し王国軍として身を隠しながら、陰惨なことを企む者だって一人や二人いるはずよ」
 たしかに、その可能性は否定できない。今まさに荒れているガレリア地方だからこそ、その街を守る役目の王国軍に身を潜めるというのは一番最善な安全策だ。だがどうやら、この逞しい我らが小隊長にはバレてしまったようだが。
「そしてついに本性を晒したのが彼、エラルドよ」
 どこから持ってきたのか、エルモが小さな掲示板をティナの横に置く。そこには、いつもの堅苦しい格好をしたエラルドさんを横から撮った写真が貼ってあった。……おそらく盗撮なんだろう。
 ふと見ると、みんなの顔つきが明らかに変わっていた。エラルドさんといえば、赤と青の目立つ鎧を着ており、いつも王都にいるのを見かける。初めて挨拶をしに行ったときからわたしの中では最悪な印象だ。恐いと言ったほうがいい。それはみんなも同じなのかもしれない。
「いつもは王都中央で見回りをしながら対人戦会場、アリーナへの案内をしているけれど、さいきんはぱったりと王都に姿を見せなくなった。怪しいと踏んで尾行をしてみると、これよ」
 写真の上に更に写真を貼り付けた。平手打ちで貼ったために掲示板が軽く揺れる。その写真には、大きな魔物とエラルドさんが対面して座っている様子が写っていた。
 辺りの空気がざわつく。
「これ、よくガレリア大平原2で目撃されるテュランノスですか?」
 わたしの質問に、ティナは頷いた。
「そう。風貌はリザードマンにそっくりだけど、大きさ強さ耐久力攻撃力では何倍も上回る、平原では一番凶暴で厄介な魔物よ。そいつを手なずけた挙句、芝に座って男同士の密談ですって?冗談じゃないわよ!」
 ティナは腹立たしげに写真をバンッと叩いた。みんなの肩がビクリと飛び上がる。……最後らへんはティナの想像話だったような気もするが……。
 一発いれておさまったのか、ティナは咳払いをし姿勢を正して続けた。
「王国軍兵士エラルド。推定年齢32。未婚の独身者。あの性格だから当たり前ね、常いかなる時も頭の兜だけは外さないという絶対的自分ルールがあるわ。だから、たまにTシャツ短パンに頭だけ兜というまるで変態の格好を目撃されることから、街の人々には良い話題のネタとなっている。また、非常にドジっ子だという情報も聞いているわ」
 ……なんかいろいろと失礼なことをさらっと言ったぞ。
「なにか裏があると思ったのよ。彼、他の王国軍兵士に比べて個性がありすぎるもの」
 ありすぎだ!ドジっ子でよく王国軍兵士なんて務まるな?
 ティナは真剣な表情で目を落とす。
「このままみすみす野放しにしておくことなんてできない。こんな魔物と手を組まれ、挙句に増殖でもされたらたまったもんじゃないわ。早いうちに仕留めておく必要がある。そこで!」
 みんなを期待の目で見渡し、ざっと手を振る。
「各地方に配置していた、この我がガレリア支部の暇人たちに一斉招集をかけた!」
「暇人言うな!」
「感謝しなさい?小隊長直々に仕事を与えてやるって言ってるのよ?」
 みんながぐっと押し黙る。ティナからの仕事は、だいたいが無茶なものばっかりだ。……悪い予感がする。
「作戦はこうよ、各地方チームでガレリア各地に散らばり目立つ行動をとってちょうだい。どこに隠れて何をしているのかは知らないけれど、短気で精悍で街の秩序を重んじ、そしてわたしたちソード・オブ・オルクスを毛嫌いしている彼は必ず姿を現すはずよ。遭遇したチームはすぐに連絡を回しなさい。駆け行ってわたしが仕留めるわ」
 腰にぶら下げた剣の柄を握り、カチンと鞘に収め直す音を鳴らす。
「目立つ行動ってなにすればいいの?」
 ティナは剣と一緒に腰にぶら下げているポシェットから、三つ折りにした紙をピッと四枚取り出して見せた。
「ネタを用意したわ。これを各チーム一枚ずつ、書いてあったことをそのとおりに遂行しなさい。いわば、指令書ね」
 みんなの顔に不安が走る。
「ネタって……一発芸とかじゃないだろうな……」
 そんな声が上がるが、ティナは黙ったままにっこりと微笑んでいた。
 ……ああ、これはなにか裏がある顔だ。エルモも諦めたようにため息をついていた。ティナさんはこうなったらもう手に負えない、と嘆息をついている。
「エルモとヒオンに監視をさせるわ。失敗したチームには、世にも恐ろしい罰ゲームを受けてもらう。作戦開始時刻は正午。さあ、思う存分暴れてきなさい」

 *

 ガレリア地方チーム ルミナス渓谷2

 arcsinh
 Amallia
 真夜中ちゃん
 レクター

 『一定時間毎に出現するスパイトフル五十匹の群れの中心で、一切危害を加えることなくピクニックをしろ』

「あれは!イビルシャドウの亜種じゃないですかっ!?」
 レクターが瞳を宝石のように輝かせ、ふらふらと誘われるようにスパイトフルの群れの中へと入っていく。
「ああ!レクさんが!……て、アークさんまで!?」
「ごめんなさい!ちょっとだけ戯れさせてっ!」
 うさぎのように飛び跳ねながら、arcsinhまでもが群れの中へと突っ込んで行く。
「そうだった、この二人は……!」
 真夜中が参ったと首を振る。さいきん一部でイビルシャドウの愛護活動、いわばファンクラブなるものが広まってきており、この二人もその一員なのだ。
「でも、なるほど……。ティナさんも考えたものだね」
 スパイトフルはそれほど強くはなく、また群れになる習性があるため、武器を握り立ての戦士にとっては良い練習相手となるのだ。なのでその群れの中でピクニックをするというのは、ひどく邪魔で迷惑な行為となるだろう。
「でも二人ともあれだけ好いてるんですから、危害を加えてしまうという心配はなさそうですね」
 弁当箱を胸に抱えたAmalliaが呑気に微笑む姿に、真夜中はため息をつく。
「いや、そういう心配じゃなくてね……」
 Amalliaが小首を傾げる。
「スパイトフルは通常のイビルシャドウと違って警戒心が強いの。こちらから攻撃しないとしても、向こうから攻撃してくる可能性は高い」
「ええ!?」
 Amalliaが飛び上がり、思わず弁当箱を落っことしそうになる。
「五十匹一斉に襲いかかられたら、きっとひとたまりもないはず」
「そ、それって……シート敷くだけでも困難なんじゃないですか……?」
 二人は蒼白しながら、幸せそうに群れの中に埋まるレクターとarcsinhの頭を見つめる。

 *

 フォーゲルブルグ地方チーム テスラの森3

 颯汰
 すーみん
 しゅちゃ
 せねそん

 『墓荒らしをしろ』

「なんてバイオレンスな小隊長だ!僕はついていく奴を間違えたぜ!」
 颯汰が落胆の声を上げながら頭を抱えてうずくまり、その肩をすーみんが宥める。
「諦めて。これが我が小隊長だよ」
「呪われるぞ!化けて出るぞ!魂吸い取られるぞ!?」
「落ち着いて。それはただの妄想だよ」
「なんでお前はそんなに冷静なんだよお!?」
 愉快に笑うすーみんの肩をガクガクと揺さぶり、颯汰は涙目で講義をする。
 いくら天気の良い日でも、ここの森はいつでも薄暗く静けさが広がっている。だが王都と比べて非常に蒸し暑く水場もないため、いつまでもここに長居するのは体力を考慮すればきついかもしれない。速やかに実行するにかぎる。
「でも墓荒らしかあ……。これはいい作戦かもしれないね。遠い昔の偉い人の遺骨が眠る神聖な場所を荒らす行為は、さすがの王国軍だって見て見ぬふりはできないはずよ」
 手でぱたぱたと首元を扇ぎながら感慨深げに言うしゅちゃ。その隣で、せねそんがくすりと笑った。
「もしかしたらエラルドじゃなくて、王が直々に来るかもね?」
「ちょっと!冗談やめて!?」
 しゅちゃは大袈裟に反応し、せねそんに詰め寄る。そんな大事になる自体は御免だ、と。
「でもさ、やるなら思いきりやるべきだね。だってこんなこと二度とできないよ?」
 すーみんがそう言って振り向き、にっこりと笑った。呆気に取られた二人は、やがて同時に一息吐き出すと笑い合った。颯汰を見ると、墓に座り込み観念したように項垂れていた。

 *

 レーム地方チーム エルツィオン旧街道1

 組紐の龍
 kwskマン

 『大声で食べ物の名前でしりとりをしながら、おにごっこをしろ』

「おにごっこか…たしかに走り回るには絶好の場所にござるな」
 崩れ果てた建物がいくつも並んでいる。かつては賑やかな場所だったのだろう、その名残りはまだ豊かに咲き誇っている草花から見て取れた。ここから更に奥へと進めば、その草花は一つも見当たらなくなるのだけれど……。
 二人は日が当たらない崩れかけた壁に背を預け、視界いっぱいに広がる景色を眺める。作戦開始時刻まではまだ時間があった。
「俺さ、ティナが俺たち駒で遊んでるようにしか思えないんだが。わざわざこんなことしなくとも、エラルドはそのうち王都に戻ってくるはずだろ?」
 腕を組み真剣な表情で龍は切り出した。それに同意してか、kwskマンは頷いた。
「そうだよなあ、今日のティナは別の意味で機嫌良さそうだったもんな。ワイらなにかティナを怒らせるようなことしたっけか……?」
「してねえよ。いつも問題起こしてるのはフォーゲルブルグかイズモの奴らだ。仮面かお面か被り物してる奴は大抵アホだからな」
「違いないっ」
 kwskマンはけらけらと愉快に笑う。
「さて、やるか?おにごっこ」
 龍は壁から背を起こし、意気揚々とした目を見せる。
「まあ筋トレにはなるだろうな。やるからには全力でやりまっせ?」
「望むところだ」
 平常運転の冷静な二人だった。

 *

 イズモ地方チーム グランリュクレス1

 隣月
 †Sana†
 ぺんぺんまる

 『川に入りながらハーピーを100匹狩れ』

 激しい水音が響き渡り、たまに冷たい雫が飛び跳ねてくる。圧巻するほどの綺麗な斜面を持った山がすぐ頭上に見え、その山からこの川は流れてきている。深さはそれほどないが、幅は20mを悠々と超える程の大きさだ。
 三人でその白い川を見つめていると、ふいにぺんぺんまるの生唾を飲み込む音が響いた。
「この川、けっこう勢いあるが……もしも流されちまったらどうなるんだ……?」
 明らかに引きつっている顔を上げる。
「そりゃ海へ出るでしょうね」
「どこの海?」
「さあ?」
 明らかに恐がっている様子のぺんぺんまるが面白いのか、Sanaは楽しそうにはぐらかしてみせる。
「流れも早いし、水温も低い。すぐ上がってこられるように一応命綱をつけたほうがいいかもな」
 川の行く先は、日が眩しいせいか霞んでよく見えない。
「で、川に入るのは当然遠距離専門者だろう。この中で遠距離専門は…」
 と、隣月とSanaの目は同時にぺんぺんまるを見て止まった。2人の視線に面食らったぺんぺんまるはまん丸い目をぱちぱちと瞬かせる。
 隣月は額に手を当ててため息をついた。
「……詰んだ」
 Sanaも、やれやれと手を振って笑う。
「ふふ。大人しく罰ゲームを受けたほうが生きながらえそうね」
「だな、ティナんとこ戻るか」
「いやいや待てよ!?オレ見くびられすぎじゃね!?」


 一人王都に残っていたティナは、掲示板の写真を見つめながら笑みを浮かべる口元をそっと隠した。
「さあ、エラルドは一体どこに姿を現すかしら。見物だわ」


 to be continued


───────

今回登場させていただいた皆様

Amalliaさん
arcsinhさん
真夜中ちゃんさん
レクターさん
しゅちゃさん
すーみんさん
せねそんさん
颯汰さん
組紐の龍さん
kwskマンさん
†Sana†さん
ぺんぺんまるさん
隣月さん

very thanks.

『第一章 魔物の蠢動』 (十一) 魔物の足跡

 王都からこんなすぐ近くに渓谷があるとは思わず驚いた。王都の北門を通り、眩しい光の先へ出ると、そのまま山中へと繋がっていた。
 先程まで誰かがいたのか、すぐそばで焚き火をした跡が残っている。焦げ臭い匂いと共に、小さな炎が揺れていた。ちゃんと消火しなきゃ危ないだろうと鎮火するべく近寄ったが、なぜか数匹のイビルシャドウが火に集まって丸くなっていた。まるで冷えた体を温めるかのように。
「寒がりなのかな」
 おしくらまんじゅうのように次々と集まってくる様子を見て、思わず笑みがこぼれてしまう。小さな炎だし、放っておいてもそのうち消えるだろう。それまでの贅沢だ。たくさん温まっておくといい。
 まるで地下空洞のように天井の穴から光が漏れている。その下で、なにやら怪しげな動きをしている影が見えた。ぶかぶかのローブを着た男が腰を屈めて壁を睨んでいる。その壁には、人が五人並んで通れるほどの穴がぽっかりと空いていた。その先は暗くてよく見えない。洞窟か?
「うぅむ……これはこれは、どういうことだろう」
 男は腰を上げ、首を傾げながら壁に向かって何やらつぶやいている。と、わたしの気配に気づいたのか、ぱっと振り向いて呼び止めるように手を挙げた。
「あぁ、そこの人。ソード・オブ・オルクスの方ですね?これまた聞いてくださいよ」
「どうかしたんですか?」
 駆け寄ると、男は上げていた手を遠慮がちに振った。
「いえなに、僕は調査をお願いされたんですがね。これまた興味深いのなんのって……ええ、ええ」
 腕を組んでひとりでに頷く。調査、ということはティナの言っていた調査員で合っているのだろう。調査員を見つけたら必ず何でも話を聞いて、と言っていた。それで?と聞くと、男は関心のある表情で続けた。
「ガレリア王国に魔物が侵入したっていうから驚いたんですよ。しかし、その会場とやらとつながっていた、この穴!穴ですよ!いやぁ驚きましたね」
 この穴がそうなのか。ソード・オブ・オルクス入団試験の際に入った試験会場。その再奥の部屋で、本当はいるべきではないはずの大きな魔物と剣交えた。渓谷から続く穴から侵入したと聞いていたが、まさかこんなに大きい穴だったとは……。これだと何者でも楽々と入ってきてしまうだろう。早めに塞がないと王都にも被害が及んでしまう。
「魔法で守られていた壁は、きれいにくり貫かれてるんです。まるでこう、なにかね、物理的に掘られたとはどうも考えられないんです」
「と、言いますと……?」
「王国軍の人は穴を埋めると簡単に言いますがね、崩れたはずの土も岩も、どこにも見当たらないんですよ」
「え?」
 辺りを見ると、たしかに瓦礫も石の欠片一つだって落ちていない。穴だけが綺麗にぽっかりと空いている。こんな大きな穴を人力で開けるにしても、機械を使うにしても、相当な形跡が残るはずだろう。
 なんとも不思議な話だ。瓦礫をわざわざ処分した?持ち去った?まさか。そんな手間をしていたら、必ず誰かが目撃しているはずだ。
「犯人の仕業だとは思うんですけどね。どう思います?そこの人」
 この男、調査員のフリオは無邪気に微笑んで聞いてくる。
 あまりにもストレートな問いに、わたしは思わず考え込んでしまう。魔法で守られていた壁なのだから、魔法で対応したのかもしれない。魔法でなら簡単に穴を開けることも瓦礫を消すこともできるはずだ。だが、それでも相当な時間を費やすだろう。あと考えられることは……。
「……食べられた、とか」
 わたしの口からやっと出た答えに、フリオは目を丸くし、そのうち腹を抱えて笑い出した。
「……はっはー。これまた奇抜な発想ですね!いやいや、推測の域を出ない中、そういう意見も貴重ですよ」
 食べたとするならば、瓦礫の跡も残らない。みんな胃の中だ。……かなり無茶苦茶な発想だが。
 笑い疲れたのか、フリオは息を整えながら首を傾げてくる。
「食べた……としたならば、そういう摂食生態の魔物が……?」
「そうなりますね。でも考えられると思います。魔物たちがそれだけの進化を遂げていてもおかしくはありません」
 真面目に答えると、フリオは興味深そうに頷いてくれた。そして真剣な眼差しを壁の穴に向ける。
「いやはや、このままでは埒があきません」
 ようやく、フリオは調査員としての本題に入る。
「これほど地形に異常が起こってるんです。周辺の魔物にも影響があるに違いありません」
「そうですね……」
 なにか因果関係があるのかもしれない。フリオの目がわたしを見る。
「お手数ですがね、魔物の身体の一部をちょこっと持って来てはもらえませんか。『ラフレシア』の『はなびら』を七枚お願いしますよ」


「いやはや、助かります」
 フリオはわたしの手からはなびらを受け取ると、ふいに顔をしかめてそれを凝視した。
「これは……うぅむ……いやはや。渓谷の奥でなにか異変が起こっているとしか……」
「なにか分かったんですか?」
 フリオは唸ったり頷いたり曖昧な様子を見せた。かなり熱心に観察している。
「いいですか、そこの人。この線が見えますか」
 そう言って、手にしたはなびらを広げて見せてきた。全体的に濃い紫色のはなびら。その淵を彩っている黄色い線を指差す。
「これは『ラフレシア』の特徴のひとつなんですけどね。しかし、色が問題なんです」
「色?」
「ガレリア王都付近の渓谷では、白色の線をもった魔物しか出ません。この色は、さらに渓谷の奥、奥に生息する魔物の特徴ですよ」
「つまりは、奥に生息している魔物がこちら側に迷い込んできていると?」
 穴が原因なのか、だとしてもこの穴はここから王都へと繋がっているわけだから、直接的に再奥へは繋がっていないはず。やはりここではないどこか別の場所の地形に異常が?……だめだ、頭が混乱してきた。
「……うぅむ……いやはや。因果関係をはっきりとさせるには、もう少しこの穴を調べる必要があります」
 フリオは、はなびらから顔を上げた。その表情はなぜか不満そうだ。
「さらに魔物の身体の一部を持って来てもらおうと思ったんですがね。私の警護に来てるはずの兵士。これがまた態度が悪い、仕事が遅い」
 口を尖らせ、ぐちぐちと連ねた。態度が悪い兵士と言えば、王都にいたエラルドさんが思い浮かぶ。ガレリアの王国軍兵士はみんなあんななのか?
「これじゃあ調査がまるっきり進みませんよ。ひどいでしょう?どう思います?そこの人」
 いやわたしに話をふっかけられても。
「まあ、仕事はしっかりしてほしいですね」
 苦笑して言うと、そうでしょうとフリオは何度も相槌をうって見せた。
「いやはや、このまま待っていてもしょうがありません。お手数ですがね、もう一度、手伝っていただけませんかね?」
 そんな眉間に皺を寄せまくった顔で言われたら断るに断れない。
「いやはや、ありがたい。それでは『ラフレシア』の『大きなはなびら』を五枚お願いしますよ。いやはや、いやはや……。実に興味深い。渓谷の奥で何が起きているんでしょうね」


 大きなはなびらを渡してから数分後、眼下に見えた海岸に降りて散策していると、フリオが神妙な面持ちで調査結果を報告しに来た。サクサクと砂の上を踏む足音が増える。
「いやはや、いろいろと調査をしてみて分かったことがありますよ。渓谷の奥に生息する魔物とも違う特徴を見つけたんです」
「違う特徴?ですか?」
 大きなはなびらを手の上に乗せて見せてくれる。フリオの乱れたローブが、潮風で揺れた。
「あの魔物は確か、このような形状の『はなびら』ではなかったはずなんです」
 あの魔物?とはなんだろう。フリオは空いているほうの人差し指を立ててみせた。
「これは、つまりですよ。闇の力が強まって、その身体的特徴にも影響を及ぼした……という仮説が立てられるわけです」
「身体的特徴……。では、瓦礫を食べるほどに進化した摂食生態の魔物がいるかもしれないという、さっきの考えは……」
 フリオがゆっくりと頷いた。だいたいは的を射ていたわけだ。見た目もそうだが、中身もどんどん変わっていく。今ここ一帯にいるラフレシアと、ここから先へ進んだ再奥にいるラフレシアは、もう全くの別物であるというわけだ。はなびらの色や形だけではない。耐久力、攻撃力、気迫、素早さ、どれも違うと考えられる。それほどに闇の勢力は強まっている。
 フリオが一息吐いた。
「とはいえ、仮説を立てているだけでは、どうしようもないので……。王宮図書から持参した書物を確認しておきたいところです」
 そう言って、辺りをきょろきょろと見渡した。砂浜にうち上がった乾いた海藻や木片に、穏やかな波がかすかに触れる。
 フリオが、砂浜が続く先、アーチ型の岩の影を指差した。王国軍兵士の鎧を着ている人が見える。
「そこの人、お手数ですがね、あのやる気のないベルトランという兵士に預けている私の荷物を持って来てくれませんかね?」
 さっき言っていた、フリオの警護をしている態度が悪いらしい兵士のことか。どうにも苦手なタイプだと思ったが、フリオ本人もあまり関わりたくないんだろう、苦い顔をしていた。仕方なく頷くと、フリオはパッと表情を明るめた。
「いやはや、ありがたい。ベルトラン兵士ですよ。お願いします」
「いやはや、了解しました」
 やばい、うつってきた。フリオは歯を見せて愉快に笑う。
「いやぁ、しかしガレリア王国に魔物が侵入するなんて、実に三年振りですね!あの夜は我々学を志す者にとっても、王国にとっても大きなものを失いました。宮廷魔道士であり、偉大なる医師でもあったベアレさんが魔物に命を奪われましてね」
 悲しむでもなく喜ぶでもなく、真剣な表情で話す。ベアレ様、とはティナも言っていた名だ。
「あのようなことは、もう二度と起こっては欲しくないですね。実に遺憾(いかん)。僕の調査にも熱が入ってしまうわけですよ」
 遺憾とは、期待したように思い通りに事が運ばなくて残念だということ。いやはや、それは関心します。


「なんだって?荷物?」
 第一声からこの重たい気迫である。ほらやっぱり苦手なタイプだ。
 だが兜の後頭部から茶髪がパイナップルみたいに飛び出ていて、それがどこか無邪気さを醸し出しているせいか、エラルドさんより幾分かはましに見えた。あの人は全体的に悪者だ。
「ああ、ちょっと待ってろ」
 低い声でそう言って背を向け、パイナップル頭をぴょぴょことさせながら、岩陰に置いていた荷物を漁り始める。見上げると、岩の隣にはくねくねと曲がった急坂が続いていた。と、ベルトラン兵士は渋い顔を振り向かせた。
「あー……。あんたの言ってた調査員の荷物なんだがな」
 明らかに動揺している目を、明後日の方向に逸らされる。
「今見たら、鞄に穴が空いてたみたいだ。そこの壁際に置いてたから、魔物どもに荒らされちまったらしい」
 よく見ると、たしかに革製の鞄の側面がぽっかり破られていた。壁の穴といい鞄の穴といい、なんなんだ。ここルミナス渓谷には穴があったら入りたいと嘆く恥ずかしがり屋な魔物でもいるのだろうか。
 ベルトラン兵士が舌打ちをし、苛立たしげに鞄に一蹴り入れた。
「ちょ、ちょっとっ」
 腹いせに人の物を蹴るな!
「あぁあ。やってらんないぜ。大体、そんな貴重なもんが入ってるなら、自分で後生大事に持っとけって話だよな」
 重そうな腕を腰に当て、皮肉にもつぶやく。たしかにそれは一理ある。全て兵士に任せっきりにしていたフリオにも非があるだろう。
「なぁ、あんた。手を貸してくれ。魔物が荒らした本かなんか取り戻して、調査員フリオとやらに渡してやってくれ」
 その王宮図書の本がないと調査も進まないわけだし、手伝うしかないだろう。
「何枚破られてそうな感じですか?」
 ベルトラン兵士は、破れてぼろぼろにつたれた本をパラパラと捲る。
「こいつは痕跡から言って『イビルシャドウ』だ。『破れたページ』を七枚手に入れたら調査員に渡してやってくれ。よろしくな!」
 倒す必要はなくとも、イビルシャドウの特徴はちょこまかとすばしっこく走り回るところだ。体も小さいために、捕まえるのだけでもなかなかに苦労する。
 ベルトラン兵士も根は真面目なのか、その重たい鎧を盛大にガシャガシャと鳴らしながら懸命に追いかけていた。

 破れたページを綺麗に挟んで持っていくと、フリオは真っ青になってわたしの手から本をむしり取った。ものすごい速さでページを捲り、本の状態を確認する。
「ああ!レヴァリア暦法の魔物の項がこんなことに!こっそり持ち出したのに……あぁあ」
 落胆の声を上げながら、フリオの目は途方に暮れる。
 こっそり持ち出したのかよ!それは罰が当たったも同然だ。フリオは本をパタリと閉じて、ため息をついた。
「まったく、なんて非協力的な兵士でしょう。聞けばずっと愚痴ってばかりいるそうじゃないですか。ひどいと思いませんか?そこの人」
「いえ、あなたにも十分非があると思いますよ……?」


 本を無事に(無事にとは言い難いが)フリオに返したことを、ベルトラン兵士へわざわざ報告に来たのが間違いだった。明らかに不機嫌な態度で愚痴を聞かされる。
「あぁあ。やってらんないぜ。なんだって俺がこんな腐れ仕事……。ルミナス渓谷の巡視だけならまだしも、変な調査員のおっさんにくっつけられてよ。俺にはもっと輝き溢れる仕事が合うってのに」
「変な調査員……」
 たしかに変な人だったけども。ベルトラン兵士は溜まった息を吐いたあと、岩にぐったりともたれて座った。カチャリと鎧が鳴る。
 すぐそばの波の音が心地よいと感じるのは、空が澄んでいて良い天気だからかもしれない。
「あんた、知ってるか?今度遠征に行く連中は、死にに行く覚悟なんだぜ」
「死にに?どうしてそんなっ」
 なんともないように言うベルトラン兵士の顔を、目を見開いて見つめる。
「なんてったって、王子が何年も遠征の地から戻ってない。つまり、戦況はいまだになんにも変わっちゃいないんだ」
「そうなんですか」
 何年もってことは、既に命を落としてる可能性もあるだろう。ガレリアの未来がどんどん心配になってくる。
「人間同士で戦ってる間にも、闇の勢力はどんどん数を増やしてやがる。これで一体なにを生きる活力にしろってんだよ。なぁ?」
「……へへ」
 そんな怖い顔で話を振られても、曖昧に苦笑して見せるしかない。生きる活力なんてものは人それぞれだ。見つからないのはきっと視野が狭いから。食べ物でも友情でも、こんな綺麗な海の景色を守るためでも、理由ならなんでもいいんだ。小さな幸せはそこかしこに転がっている。
「大体だな。俺って結構才能あると思うんだよな。遠征だって俺を加えておけば、いい感じになる気がするぜ?」
「はあ……」
 全然楽しそうにも嬉しそうにも聞こえない口調で、ベルトラン兵士は続ける。
「間違ってんだよ。マルコのヤツを選出するなんてよ」
「マルコ?」
「あいつは真面目だけが取り得で、仕事なんてできやしねぇんだ。なにをやるにも遅い。兵士なんて辞めちまうべきだよ。なぁ?」
「はあ……」
 それからもベルトラン兵士は、同じ兵士の文句を淡々と言い続けた。
「ルミナス渓谷2にいる兵士マルコに、魔物討伐の任務があるって伝えてくれ。よろしくな!」
 最後にそう言うと、そのまま豪快ないびきをかいて眠ってしまった。せめてマルコという兵士は、根も葉も真面目であってほしい。

『第一章 魔物の蠢動』 (十二) 暴れる魔物

 狭い坂道を下っていくと、開けた空洞に出た。
 長い年月をかけて侵食された砂岩が地層を作り、滑らかな壁が形成されている。圧巻するほどの美しい空間だ。
 渓谷は本来、断層や褶曲(しゅうきょく)によってできる構造谷と、河川や氷河の侵食によってできる侵食谷の二種類に分けられる。ここルミナス渓谷はおそらく後者だろう。
 いくつもの高い石柱が天井に向かって伸びている。その隙間の開口部からは日光の鋭い光線と共に砂がサラサラと降り注いでいて、目が眩い。
「大変だぁ……大変だよぅ……」
 坂道を下りたすぐそばで、まだあどけない顔立ちの少年が頭を抱えてうろうろしていた。白いエプロンをし、その上からベルトを巻いている。なにかに怯えているのか、恐怖で身体を震わせていた。
「あぁぁ……せっかく集めたのに……」
 そうつぶやいた目が、パッとわたしを捉えた。
「ああ……!人だ!しかも強そう!た、たたた、助けてくださいぃぃい」
 情けない声を上げ物凄い速さで駆け寄ってくると、わたしの腕を取って泣き縋ってきた。
「ななな、なんですかどうしたんですか」
 そう聞いても反応はなく、グスグズと鼻を鳴らしているだけだ。わたしの腕を掴む手は小刻みに震えている。放っておくわけにもいかず、そばの石柱に寄りかからせて一緒に座る。傍らには赤やピンク色に咲き誇った可愛らしい花が咲いていたが、葉や茎にはびっしりとトゲが生えており、今にでも動いて噛み付いてきそうな気がした。
 ようやく泣き止んだ少年は、ヴァンと名乗った。赤くなった鼻を鳴らす。
「あんな魔物……い、今まで見たことないよ……」
 途切れ途切れでそうつぶやき、わたしを見上げて眉を寄せた。
「あ、あの……君、強そうだね!ものすごく強そうだね!」
「そんなことはないですけど……」
 真っ向にそう言われると、照れくさくなって頬をかいてしまう。今までいろんな人に強いだとか英雄だとか言われてきたが、未だに実感が沸かないのだ。
 ヴァンは一度俯いたあと、また縋るように目を上げた。
「お、お礼はするから……あの魔物たちが奪っていった『鉄鉱石』を取り返してくれないか……お、ぉお願いだよぅ」
 震える弱々しい声に、いいですよと答えてしまう。ここらの魔物は、まだ渓谷1にいた魔物と同じみたいだった。それほど危険性もないだろう。
 ヴァンは顔を輝かせる。
「え!ほんとに!?集めてくれるんですか?いや、信じてますけどね……」
「信じてくださいな」
「それじゃあ『ゴブリンウィザード』から『鉄鉱石』を四個……ぼ、僕だって!ふ、普段なら……」
 ヴァンは語尾を濁し、グッと拳を頼もしく握って見せたまま固まった。勇ましかったり怯えたりといった表情をころころと繰り返したあと、またバッとわたしの足に抱きついてくる。
「こ、こわいぃぃい!お願いしますよぉぉおお」
「わかりましたから!鼻水つけないでください!」


 拾った鉄鉱石を手の中で転がしながら、黒々とした神秘的な艶を見つめる。
 ヴァンは、こんなもの何に使うんだろうか?職人っぽいエプロンをしていたけれど。
 その疑問は、お礼の金貨と一緒に話してくれた。
「ぼ、僕はガレリアの街で鍛冶屋の修行中なんだ。ガレリア鉄を打つっていうのは、王国軍の兵士になるくらい誇り高い仕事なんだよ。あぁ……こわい。あんなこわい魔物がいるなんて僕もう……」
 ヴァンはまた思い出したのか、頭を抱えて震えた。仕事は誇り高くとも、本人の気持ちはまだそこまで追いついていないみたいだ。
「ぼ、僕はこう見えて鍛冶屋ギルドに所属してるんだよ」
 へえ、そんなギルドも存在しているのか。商人ギルドなら何度か聞いたけれど。相槌を打つと、ヴァンは生き生きとした職人顔で話し始めた。
「ギルドは、収入が安定するように職人同士が助け合うものなんだ。例えば、鉄に変な鉱物を混ぜて品質を損なわないか……とか。あと、店同士が安心できるように価格を決めるとか、そういうのだよ」
 ヴァンは膝を立てて、空を見上げた。ここから空は見えないのだが、所々から漏れている光線は、間違いなく陽の光だ。
「僕は親方のもとで下働きを始めてもう四年目になるんだ。親方に認められれば職人の仲間入りだよ。各地を巡って職人として大成するのが僕の夢さ」
 誇らしげに自分の夢を言い切ったヴァンを見て、自然と笑みがこぼれる。なんだ、自信あるんじゃないか。夢を言葉にして誰かに話すというのは、なかなかに勇気がいるものだ。そう思った矢先、ヴァンは視線を膝に落として顔を曇らせた。
「ただ……親方に認めてもらうには、ガレリア製鉄を自分のものにしないといけないんだ」
「自分のもの?」
「つまり、お客さんの満足する剣を一本、作り上げるってことなんだ……」
 それが見習いを卒業し、一人前の鍛冶職人になるための条件。試験のようなものなのだろう。
「もっと強く、もっと頑張らなきゃって分かってはいるんだけど……。魔物が怖くて、材料も集められないよ……」
 ヴァンは握った拳を震わせ、掠れた声を絞り出す。瞳があちこちに揺れる。
「オ、オルガがいてくれれば……彼女が取ってくれるんだけど……ぼ、僕ひとりじゃ……あぁ、あ……」
 オルガ?とは誰だろう。兄弟か、恋人か。どっちにしろ男なら女の子任せはいけないぞ。
 ……とは言えず、ついついこの怯えきった少年には手を差しのべてしまう。
「え!ほんとに!?集めてきてくれるんですか?いや、信じてますけどね……」
「信じてくださいな」
 さっきも同じやり取りをした気がする。
「それじゃあ『ラフレシア』から『石炭』を四個……」


 この石炭も鍛冶作業をするのに使うのだろう。どうやらルミナス渓谷は、資源が豊富らしい。
 石炭を詰めた袋を渡すと、ヴァンはとびきり喜んだ。
「オ、オルガはいないけど……。あなた……つ、強いですね!!」
「そんなことないです」
 頬をかいて笑うと、ヴァンは大きな拍手をしてくれる。と、なにかを思い出したのか、また顔を青ざめて縋ってきた。
「ねぇ君!お願いだよぅ。商人の娘のオルガを探してきてくれないか!彼女になにかあったら、オヤジさんになにされるか……」
「ええっ」
 先ほどの調査員フリオの話によると、壁が崩れて地形に異常が起き、魔物にもなにか影響を及ぼしているはずなのだ。オヤジさんに怒られるのはヴァンの責任なのでどうでもいいとしても、そのオルガという子の身が心配だ。頷いてみせる。
「わかりました。探しに行ってきます」
 ヴァンが目を見開いた。
「え!ほんとに!?探してきてくれるの?いや、信じてますけどね……。オルガは、ルミナス渓谷3の方へ行きました!」
「了解です。信じてくださいな」


 オルガという少女を探しにルミナス渓谷3へ行く前に、ベルトラン兵士から頼まれた新しい任務を伝えるため、王国軍兵士マルコの元へと行く。彼はわかりやすく、小さな緩やかに尖った岩と岩の間におり、その水が流れているような綺麗な模様をした岩肌の壁を触って調べていた。気づいたマルコ兵士は律儀に敬礼をしてきたので、慌てて額に手を当てて返す。
「この度、王子のおられる地への遠征部隊に加わることが許されました。この地での任務を遂行し、遠征の準備を整え、王子の力となるため、一日でも早く旅立ちたいと思っています」
 王子は長いこと北に遠征へ行っていると聞いた。ベルトラン兵士の話によると、戦況は何も変わっていないとか。そんな戦場へ赴くというのに、マルコ兵士は余裕のある表情で微笑む。
「何かご用命ある場合は仰ってください」
 真面目な人だった。なんだかひどく肩の力が抜け、溜まった息を吐き出す。今まで会ってきた王国軍兵士はみんなどこか変わった人たちだったのだ。マルコ兵士は不思議そうに、どうしましたと笑いながら聞いてくる。
 ベルトラン兵士から頼まれた任務を伝えると、マルコ兵士は肩眉を上げた。
「え?新たな伝令?おかしいですね。今回の任務は周辺を軽く調査するだけのはず……」
 腰に手を当て、おかしいなと難しい顔をする。
「遠征を控えている最中に王国軍から魔物討伐の任務が下るのは不思議ですが、遠征準備を急ぐためにも任務をこなす必要がありそうです。それがガレリア王国を守る兵士としての務めでもありますから」
 王国軍から下った任務とは言っても、ベルトラン兵士が腹いせに勝手に下した任務としか思えなかったが、上下関係というものがあるのだろう。王国軍の内情や仕組みは詳しくは知らない。
「自分は討伐にあたります。申し訳ないですが街の人のために集めているものがありまして、そちら、手を貸していただけませんか?」
 任務の傍ら、街の人間のためにあるものを集めていたらしい。
「はい、いいですよ」
 それくらいの手伝いなら構わない。
「助かります。『イビルシャドウ』から『いびつな石』を四個です。よろしくお願いします。あれが集まれば、彼も少しは考えを改めてくれることでしょう。焦りは禁物ですからね……」
 そう言い残し、マルコ兵士は急ぎ足で魔物へと向かっていった。


 いびつな石を回収している途中にヴァンと出くわした。ヴァンは自分もなにか手伝うと申し出てくれたので、集めた石を持っててもらうことにし、自分はイビルシャドウを捕まえるのに集中できた。その最中、ヴァンは隣でガレリアの昔話をしてくれた。
「ガレリアは鉄の国なんだ。ガレリアの伝承にもあるとおり、光の賢者が民を照らし、その光のもと、人々は火とともに歩んできたんだ」
「火とともに……」
 火の精霊が存在するという話も、大平原3でニコレッタが薪を焚き続けてきたことも、もしかしたらなにか関係があるのかもしれない。
「鍛冶の神を祀っていたという話も聞くけど、それも伝承に過ぎないのかも……」
 ヴァンは、ふっと苦笑して続けた。
「でも数年前に、この地を訪ねてきた旅の鍛治職人は言った。大地の中で鍛冶の神に会った……と。アイニスという人だった。ガレリアの生まれではないのに、すごい製造技術を持っている人だったよ」
「では、鍛冶の神は本当に存在するのでは……?」
 そう聞くがヴァンは首を振り、目を細めて笑った。
「もし、あなたが鍛冶の神を見つけたら……いえ、なんでもない、です」
 どうしてそんなに悲しそうな表情をするのだろうか。どこまでも弱気なヴァンを見て、もやもやしてしまう。と、急に声を上げた。
「そういえば、さっき王国軍兵士の方がいたから、試作品を使ってもらおうと渡したんだった」
 思い出したように話す。
「試作品って、ヴァンが作った剣ですか?」
 ヴァンは力強く頷いた。一人前を夢見て一生懸命作ったのだろう。王国軍兵士に渡せるくらいなら、もう少し自信を持ってもいいものを。
「ぼ、僕はオルガが帰ってくるまでここを動けないし……兵士の人の感想、聞いてきてもらえないかな……?」
「いいですよ」
 期待でうずうずしているヴァンを見て、笑ってしまう。
「え!ほんとに!?確か、マルコって名前だったよ。お、お願いします……」


 集めたいびつな石を渡すついでにヴァンの剣のことを聞くと、マルコ兵士はなんだか渋い顔をした。
「あぁ、鍛冶見習いの青年の作った剣ですか……。可もなく不可もなく……という感じですね」
 曖昧なところなのだろうか。マルコ兵士は、腰の剣をポンと叩いた。
「正直に言えば、この剣に命を預けたくはない。戦地へ持って行くのは厳しいでしょう」
「そうですか……」
 この感想を聞いたらヴァンはどんな反応をするだろう。マルコ兵士も同じことを思ったのか、眉を寄せて俯いた。しばらくの間互いに黙り込んでしまう。
「……そこで、あなたに頼みがあるのです」
 静かに口を開く。
「さきほど、あなたにも手伝っていただき、集めた『いびつな石』ですが、鍛冶屋見習いの青年に渡そうと思っていたものなのです」
「そうだったんですか」
 ならば、そのままヴァンに持たせたままでもよかったな。険しい表情のマルコ兵士から石を預かる。
「私は遠征の地へ赴きます。彼とは二度と会えないでしょう。どうか、これを彼に渡し、私からの注文をひとつ伝えて欲しいのです」
 力強い目を上げた。
「『完璧な武器は作らない』。これを伝えてください」


 石柱に寄りかかって待っていたヴァンは、わたしの姿を見つけると顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「ああぁ……戻ってきてくれた!いえ、信じてましたけどね!」
 マルコ兵士から預かった『いびつな石』を渡し、彼からの注文『完璧な武器は作るな』だけを慎重に伝えた。
 ヴァンは口を開けてしばらく固まったあと、顔を歪めて困惑した。額に手を当てて考え込む。
「完璧な武器を……?ど、どういうこと?僕は、アイニスのような鍛治職人を目指しているだけだけど……。そしてオルガに……」
 その先に言葉は続かず、ヴァンはハッとして手を振った。
「あ、いやいや!そ、そうだ!僕は、彼みたいになりたいんだ。ア、アイニスみたいに旅をして……!」
 力強く言ってみるも、またその先には言葉が続かない。ひどく脱力して落ち込むヴァンに何も声をかけてあげることができず、静かにその場をあとにした。
 

「実は、ルミナス渓谷1にいる兵士から、再び伝令があったのです。こちらの警備と調査を続けよとのことでした」
 渓谷3へ向かう途中、見回りをしていたマルコ兵士を見つけた。
 1ということは、おそらくベルトラン兵士からの伝令だろう。あの人そんなに偉い人だったのか。
 マルコ兵士は眉間に皺を寄せる。
「今回は、ただ壁が崩れた場所を調査する。すぐに終わると聞いていたのに、なぜ調査を重ねよとの指示がこれほど下るのか……」
 遠征の準備もあるのだろう、かなり切羽詰まっている様子だった。それともう一つ、と続けた。
「……実はルミナス渓谷にいる兵士づてに新たな伝令がありました。さらに討伐の任務にあたれというものです。その討伐数も多く、一人ではさすがに厳しいものです。さすがに少し様子がおかしい……」
 これは仕事熱心で真面目なマルコ兵士も、さすがに不信に思ったのだろう。
「あなた、ルミナス渓谷1で調査員の警護にあたっている兵士ベルトランについてなにか知りませんか?」
 知ってるもなにも……。
「調査を遅らせたり、調査員の荷物を紛失したり。あとは……マルコ兵士をけなしたりもしてました」
 本人に直接言うのは引けるが、ここは正直に伝えるべきだ。
「……ベルトランが?」
 マルコ兵士は目を見開き、上ずった声を上げた。
「それはおかしいですね。彼は幼年学校からの友人なんです。任務には常に忠実で、完璧にこなす優秀な人間です。そんな失敗をしたり、人をけなすような人間では決してないのです」
 とてもそんな人には見えなかったが……。誤解が生じているのは確かだ。
「事実がどうであれ自分はこの任務にあたります。申し訳ないのですが、あなたはベルトランに会って、話を聞いてやってはくれませんか?」
 自分が行っても話してはくれないと思うので、と目を伏せた。
「わかりました」
「助かります。よろしくお願いします」


 海岸へ戻ると、ベルトラン兵士はまだ座って穏やかな海を眺めていた。
「なんだ?任務の話か?」
 首だけをわたしのほうに向ける。マルコ兵士の話をすると、ベルトラン兵士は苛立たしげに舌打ちをした。思わず後ずさってしまう。
「……あいつが疑ってるのか?」
「そ、そういうわけではっ……」
 咄嗟に弁解しようとしてしまうが、実際はそういうわけなのだ。
「ふん、お人よしが……。ついに自分の頭で考えるようになったか」
 ベルトラン兵士は前を向き、傍に落ちていた石を振り投げた。鎧の音と共に、ポチャンと水音が重たく跳ねる。
「あいつは兵士を辞めちまうべきなんだよ。生き残れるわけがないんだからな」
 さっきも言っていた言葉。
「人間同士の争いに、あんなバカ正直なヤツが行くべきじゃないんだよ。遠征には俺みたいな人間を選ぶべきだったんだ」
 たしか、こうも言っていた。今度遠征に行く兵士はみんな死にに行く覚悟だと。それは当人たちの本当の気持ちではなく、ベルトラン兵士個人の見解だったのだ。真面目ですぐに自分の命を投げ出してしまう兵士を行かせるより、不真面目な自分を行かせるべきだと。
 ほうっと息を吐き出す。この人、本当はいい人なんだ。ただ不器用なだけで素直に言葉にできない。空回りをして誤解を招き、自ら悪者となっていく。そういうタイプだ。わたしもひどく誤解をしてしまった。
 勝手に無茶な伝令を出し続けていたのも、おそらくはマルコ兵士を遠征へと行かせないためなのだろう。幼年学校からの友人ならば、深い親しみもあるはずだ。
 そんな誤解が解けたわたしの気持ちに気づいたのか、ベルトラン兵士はフッと鼻で笑った。
「だが、外れを引くのは、いいヤツばかりさ。……気にすんな。もう新しい伝令は来ないだろうよ」
 そう言った背中がやけに寂しそうに見え、パイナップルだった髪も元気がなく垂れていた。


 ベルトラン兵士のこの想いを、全てマルコ兵士に伝えるべきか否か迷いながら戻ってくると、本人は忙しそうに魔物と対峙していた。考えていたことを一旦振り払って、駆け寄る。
「市民の通報があったとの伝令がありまして、この渓谷の警備を続けております」
「通報、ですか?」
 やはり、あの穴のせいで大きな影響が出ているのか。早く原因を突き止めなければ。
「現在、王都からの応援を待ちながら討伐の任務にあたっているところです。『ゴブリンウィザード』を二十体討伐するという任務なのですが……」
「に、二十体!?」
 そんなに一気に討伐する必要があるのか。と、マルコ兵士が突然わたしの肩に手を置いた。
「王国軍兵士も遠征などで人手が少なくなっている折、私はもう少し他の組織との連携があってもいいのではないかと思っています」
「連携……」
 王国軍と、わたしたちソード・オブ・オルクスの。王都にいるティナやエラルドさんはひどく互いの組織を啀み合っていたのでみんなそうなんだと思っていた。だからこんなことを言う王国軍兵士がいるとは思わず、呆気にとられてしまう。
 マルコ兵士は、動揺したわたしに期待の目を向けて笑った。


 ゴブリンウィザードは警戒心が強いために、一斉になって襲ってくる。まとめて薙ぎ払い討伐したせいか、あっという間に終わった。
 剣を鞘に収め額の汗を拭っていると、そちらも終わったらしくマルコ兵士は拍手をしながら近づいて来た。
「まさか倒してしまったのですか……あの数を。さすがはソード・オブ・オルクス。闇の勢力に対抗すると公言しているだけはありますね」
「そんなことは……」
 つい昨日入隊したばかりだし、自分はまだまだひよっ子だ。
「しかし、王国軍のほとんどは、あなたの組織に対してよい印象は抱いてません。上層部を刺激するようなことは控えてくださいね……」
「はい」
 それは重々分かっているつもりだ。
「ガレリア王都に戻っても、王国軍兵士には近づかないことが、今は得策と言えるでしょう」
 マルコ兵士は残念そうに微笑み、首を振った。

『第一章 魔物の蠢動』 (十三) 精霊の雫


 渓谷は深くなっていく。
 削り取られた谷がでこぼこと続き、光の当たるところと当たらないところの差が大きくなる。
 と、かすかに潮の香りが鼻腔をくすぐった。その香りの元へと歩を進めると、光る青が見えた。それは地面の緩やかな窪みに溜まっている。海水だ。少量だが、その濃い青色は岩肌へも反射していて、そこだけ海底洞窟のような空間になっていた。
 ぱしゃぱしゃと水の跳ねる音が聞こえ、見ると、すぐそばで少女が座り込んでいた。隣に靴を並べて置いていて、白い足をその海面に浸けて丁寧に洗っている。
 しばらくして綺麗になった足を海面から上げると、ポシェットから取り出したタオルで包んだ。目を瞑り、「冷たい」と口が動く。
 そして足を拭きながら、背後を見やる。
「うーん。魔物が邪魔ねぇ」
 そうつぶやき、また足へと視線が戻る途中でわたしに気づく。
「あら、こんにちは。あなたもお仕事中?」
 にこっと笑みを浮かべる。
「こんにちは。オルガさんという方を探してます。ヴァンという男の子に頼まれて」
 少女は目を丸くする。
「え?鍛冶屋見習いの?ええ、そういえば一緒に来てたわね」
 商人の娘のオルガを発見した。
 そういえば、ということはオルガはそれほどヴァンのことは気には止めていなかったみたいだ。ヴァンはあれだけ必死になっていたというのに。……なんだかヴァンが可哀想になってくる。
 オルガはなにやら真剣な面持ちをする。
「探しに来てくれたところ悪いのだけれど、私はまだ街へは戻れないわ。うまく隠れられれば、魔物に気取られることもないしね」
 そう言うと、足を拭き終わったのか靴を履き始める。
「それに……アレは、商人としては、どうしても採集しておくべきよ」
 かすかにそう小声で言ったのが聞こえた。詳しく聞こうと思い近寄ると、オルガは立ち上がってこちらに向き直った。
「商人の娘に生まれたからには、家業を継ぐつもりでいるの。商人ギルドのお陰で交易は成り立っているものの、魔物がたくさん出るからって目の前にある宝をやりすごすことはできないわ。特に今日は、魔物のせいであまり採集できてないんだもの……。このままじゃ、お飯の食い上げよ」
 魔物に糧を邪魔されてはたまったものじゃないだろう。商人となれば尚更のことだった。オルガの表情に焦りが滲んでいるのが分かり、心配になる。
「よかったら、詳しくお聞かせ願えますか?」
 オルガは頷くと、またその場に座った。手のひらで海水をすくい上げ、サラサラと流す。跳ねる水滴が遠くの陽射しによって照らされる。
 隣に腰を下ろすと、オルガは口を開いた。
「この世が精霊の力で満ち溢れているのは知っているかしら?その加護のお陰で、火もあるし水もあるの」
「はい、知ってます」
「実は、この渓谷には精霊の加護をたっぷり受けた雫が採れることがあるの。それはとても貴重で、かなり高額で取引されるわ。それに似たようなものが見えるのよね……」
 オルガの視線の先、青紫色の花が見えた。茎が長いのか、その花だけやけに背が高く見える。
「ところが、魔物を惹きつけるのか『精霊の雫』らしきもののそばから離れる気配がないの。あれさえ採集できれば、ガレリアの街へ帰ることができるのだけど……」
「精霊の雫……」
 おそらくそれがさっき言っていた、商人としてどうしても採集しておくべきものなのだろう。
「魔物が邪魔なんですよね?」
 そう聞きつつ腰を上げると、下からオルガがぎょっとした目を見せる。
「え?魔物を追い払ってくれるの?それはありがたいけれど、かなり凶暴そうよ?」
「大丈夫です!慣れてます」
 ぐっと腕を折って笑って見せると、オルガはほっとしたようだ。
「ああ……ソード・オブ・オルクスの人は魔物討伐の専門家だっけ?悪いけれど、『ゴブリンファイター』を七体追い払って」


 オルガは慎重に手を伸ばす。花びらの表面に浮かんでいる精霊の雫を、三センチ程の細い小瓶へと上手く注いでいく。それが二本出来ると、今度は花びらにガーゼを押し当ててガーゼに精霊の雫をふくませる。そのガーゼも小瓶に入れて蓋をすると、一汗拭って笑った。
 無事に採集が完了したみたいだ。二人で安堵の息をつく。
「父は王都の商人で、ガレリアの商人ギルドを取りまとめてるの」
 ん?王都の商人ってたしか。
「ボルソさんですか?」
 オルガが頷く。ああ、たしかに横から見たときの目元が似ている気がする。
「そもそもガレリアって火の精霊の加護によって鉄を作れるようになって、それが王国の発展を支えてきたのよ」
 ヴァンも言っていた。ガレリアは火とともに歩んできた、と。
「ガレリア鉄というのは、今でこそ広く知られているけれど、王国の人間にとっては変わらずガレリアの誇りであり、神聖なものなの」
 淡々と話し、祈るように目を瞑る。
「だからこそ、応援してあげたいし……しっかりしてくれないと父も認めてくれないわ」
 なんだかんだ気にしてはいるのだろう。そう思うと頬が緩んだ。オルガは、はっと目を開けると苦笑し首を振る。
「あ、ううん。ひとり言。ところで、私集めたいものがあるんだけれど頼まれてくれないかしら?『ゴブリンウィザード』から集められる『大きな原石』が四個あると助かるわ。もちろん、お礼は任せて」


「いい素材は加工した時の出来映えに大きく関係するわ」
 集まった大きな原石を撫でながらそう口にする。
「物質は圧倒的に不足している時代だけれど、商人にとっては、仕入れ続けることは生き残るために大切なことなのよ。店になにも並んでませんじゃあ、お飯食い上げちゃうわ」
「品物がなければお店ではなくなってしまいますもんね」
 ええ、とオルガは相槌をうつ。
「父の店を継ぐためにも、自分の足で採集に行くことにしてるの。どこかの誰かさんみたいに、魔物におびえるだけなんて性に合わないし」
 どこかの誰かさんの怯えようを思い出し、笑いが込み上げてきた。オルガも連られてか、くすりと笑った。
「依頼で、さらに奥の採集地まで足を伸ばせば、他の人が傷つくこともなく、リスクに見合うだけの見返りが期待できるのよ」
 商人とはどれほど大変な仕事なのだろう。他の人が危険なく暮らせるよう、商人たちは危険な場へと自ら足を踏み入れてその物質を調達する。それで商人の身にもしものことがあれば、元も子もないというのに。オルガは強い子だった。
「街のまじない師に、そういえば風邪薬を作るための材料を集める依頼もあったわね。ちょっと量が多くて手間取っているんだけれど……」
 ポシェットから取り出したメモ帳を開き、そう唸った。
「わたし行ってきますよ」
 大きな目が上がる。
「え?手伝ってくれるの?ありがたいわ。『ラフレシア』の『マンドラの根』が四個あれば完璧よ」

 先ほどまで見てきた淵が黄色い紫色のはなびらをしたラフレシアは、もうこの近辺にはいなかった。実際、今討伐したラフレシアたちのはなびらは、淵だけではなく全体的に黄色かった。
 渓谷1にいた調査員のフリオは、この黄色を持っているのは渓谷奥に生息している魔物の特徴だと言っていた。全体的に黄色、というとこは、つまりはもうここは再奥に近いということなのだろう。
 オルガは比較的魔物の少ない岩影でしゃがみこんで、今まで採集してきたものを地面に並べて数えていた。
「もう集めてくれたの?」
 戻ってきたわたしに気づくと、ぱっと顔を上げる。
「はい」
 マンドラの根と引き換えに、お礼の金貨をくれる。
「まじない師というのは魔法使いと違って、たくさん草花を採集しなければいけないから大変よね」
 そう言いながら、採ったばかりのマンドラの根を小瓶に一つずつ詰めていく。コルクで栓をすると、メモ帳と照らし合わせて大きく頷いた。
 どうやら今採集すべきものは全て揃ったみたいだ。立ち上がるとわたしの手を握った。助かったわ、と嬉しそうに笑みを浮かべる。
「魔物の動きを観察していたんだけど、どうやら渓谷の更に奥から来ているみたい」
 緩やかな坂道の向こうを指さす。陽射しが強く降り注いでいて、眩しい。
「もしかしたら、そこに巣があるのかもね」
「そうですか」
 いよいよ、今この渓谷で起こっている変動の正体が分かるのだろうか。期待と不安が入り混じった唾を飲み込む。
 どうして試験会場の奥とこの渓谷が穴で続いてしまったのか、その謎が。
 そういえば、とオルガは隣で声を上げた。
「旅人風の人が奥へ進むのを見かけたけれど、何かを追いかけているのかしら?」
「旅人風?」
 調査員とはまた別の人だろうか?
 オルガはにっこり笑うと、わたしの手を離した。
「渓谷奥に行くなら気をつけてね。また機会があれば会いましょう。商人ギルドをよろしくね」


「やぁ!訓練してるかね?」
 坂道を登る途中、大きな植物が目立つようになってきていた。それらに見とれていると、突然大きな声で話しかけられて、びくりと肩を飛び上がらせる。
「えっ?訓練?」
 一体どこから現れたのか、男はくたびれた赤いローブを着ており、柄の部分が橙色の剣を背負っている。剣士なのだろうが、見ただけで暑くなってくる燃えるような見た目だった。
 男はびしっと指を突きつけてくるので、思わず両手を上げて身構える。
「ソード・オブ・オルクスといえば、その鍛え抜かれた身体!精神!これをもって悪を挫く!正義の道は一日にして成らずだ!オレたちはさらに訓練を重ねるべし!キミも、さあ!」
「え、ええと……?」
 わたしがソード・オブ・オルクスだと、どうして分かったんだろうか。そんな疑問もお構いなしに、男は目を燃え上がらせる。
「最近、かなりのやり手がソード・オブ・オルクスに入ったらしい!いやぁ、燃えてくるね!負けてはいられないぞ!キミもそうだろう!」
「やり手?そ、そうなんですか。それは負けられない、と思いま……たぶん……」
「さぁ、一緒に訓練しようじゃないか!キミの熱い思いを武器に込めるんだ!」
 わたしの肩をわっしと掴み、そうだろうそうだろうと詰め寄ってくるので頷くしかない。
「キミなら分かってくれると思ってたよ!さぁ!『ゴブリンウィザード』四体だ!頑張りたまえ!」
 はっはっはと豪快に笑いながら、男はわたしの背中をドンと突き飛ばした。痛い。

 流されるがままにゴブリンウィザードを四体倒した頃、男は傍へと寄ってくると、その足元の死体たちを大きな目で眺め渡した。
「おっ。なかなか見込みがあるじゃないか!」
 うんうんと首を大きく縦に振る。
「キミはなかなかやるな!あのかなりやり手の新入りにも負けてないぞ!いやぁ、燃えてくるね!じゃあ、次の特訓だ!」
 せかせかと話を進め、またぐわしっとわたしの肩に手を回す。
「キミなら分かってくれると思ってたよ!さぁ!『ラフレシア』四体だ!正義の汗は美しいぞ!」
 また背中を突き飛ばされる。

 ラフレシアを倒している間も、男は監視をするようにわたしの後ろを着いて回り、剣を振るう度に「そこだいけいけ上手いぞもっと力を込めるんだそうだ熱くなれ」と呪文のように声を荒らげ続けていた。いいかげん耳も頭も痛い。
 倒し終わると、パンパンと手を叩く。
「うんうん、キミは優秀だ!かなり見込みがあるぞ!いやぁ、さらに燃えてきた!もっと訓練したいだろう!そうだろう!」
 また詰め寄ってきては肩を掴まれる。嫌でも頷かせる気らしい。
 男の目は更に燃え上がり、そこらの魔物も焦って引いているような気がする。というか絶対引いてる。
「キミなら分かってくれると思ってたよ!さぁ!『ゴブリンファイター』三体だ!練習の汗は正義の印!」
 今までで一番強く背中を押され、前につんのめって転げそうになった。

 全ての訓練が終わると、男は大きな拍手で関心してくれた。
「すごいな!まさか、こんなことまで。キミならヒオンにも負けないな!」
「え?」
「しかし、どんな人物だろうな!ヒオンに会ってみたいな!」
 わたしの名前を口にし、高らかに笑い声を響かせる。
 かなりやり手というのは自分のことだったようだ。……どうしよう。名乗っておいたほうがいいだろうか。
「あの、ヒオンってわたしのことなんですけど……」
 正直に言ってみると、男は驚いて目を見開かせた。
「なんだと!キミがそうだったのか!」
 自分に負けじと訓練してたのだと思うとなんだか恥ずかしくなってきた。熱くなる頬を押さえる。だが、男はなぜか何も気にしていないように笑っていた。
「いやいや、まさかな!冗談もなかなかだな!はっはっは!」
「ははは……」
 信じてもらえていなかった。ただただ熱い空気がそこらに充満していた。

『番外編 王国軍兵士エラルドの秘密』 (二)

Twitterで募った先着13名の方を登場させていただいた完全オリジナルストーリーです。本編とは無関係となりますので、予めご了承下さい。

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「それでティナさん、どうしてこんなに回りくどいことをするんですか?」
 皆困惑しながらも各々へと散って行き、噴水広場にはぽつりと三人だけが残った。ティナは、いつもエラルドの立っていた辺りをじっと見つめながらエルモの質問に答えた。
「べつに?」
「べつにって、はぐらかさないでください。だってエラルドをただ問い詰めたいだけなら、そのテュランノスのよく現れる平原2へ行って張ってればいいだけでしょう?こんなに人数を集める必要も、的外れな場所に配置させる必要もないですよ」
「そういえば……平原にだけ皆さんを行かせてないですね」
 渓谷、森、旧街道、グランリュクレスへと少数ずつ行かせたのに、なぜか平原だけがもぬけの殻だ。一番エラルドが現れる確率の高い場所だというのにも関わらず、だ。ティナが一体何を考えてこんな計画を実行しているのか……なにか裏があるのは確かなのだろう。
 エルモと二人でティナが口を開いてくれるのを待ったが、ティナは頑固として何も答えてはくれなかった。
「いいからあなたたちも早く行きなさい。うちに配属されてる子はみんなお馬鹿さんばっかりなんだから、ちゃんと見てなきゃなにしでかすかわからないわよ?」
「はいはい……」
 エルモは呆れつつも手を上げ、ティナの命令に応えた。わたしもエルモに続こうとしたときだった。
「隊長ー!ティナ隊長ーっ!」
 突然左手側から叫び声が聞こえてきて、王都の賑やかさがしんと静まり返った。
 みんなの視線を浴びながら、刀を携えた銀髪のその声の主は血相変えた顔でこちらへと走ってくる。
「Sana!どうしたの!?」
 ティナは駆け寄ってSanaさんを支える。膝を折りゼェゼェと詰まった息を吐き出しながら、Sanaさんは赤くなった顔を上げた。
「大変よっ……ぺんさんが流されちゃって……!」
「わあああもう言ったそばからあ!」
 エルモは情けない声を上げて頭を抱えた。一方でティナは冷静だった。
「大丈夫よ、ちゃんと説明してちょうだい?」
「うちのチームで遠距離職はぺんさんだけだから……ぺんさんに川に入ってもらったのよ。そうしたら川の流れがあまりにも強すぎて……。隣月さんも、助けるために川に飛び込んじゃって」
 遠距離職?川?川に入る……?ネタと言っていたけれど、一体指令書には何が書かれていたんだ。そんな危ない自体になるようなことが書かれていたのならば、ティナはどうしてそこまで……。
 わたしは不審な目でティナの横顔を見つめる。その顔は頷いて、宥めるようにSanaさんの肩を叩いていた。そしてわたしたちを向いた。
「エルモ。ヒオンも早く行ってあげて」
「ティナは……?」
 背中を向けられた。その手が腰の剣に回る。
「あたしはエラルドを仕留める準備をしなきゃならないわ。あたしを信じなさい、誰も死にゃあしないわよ。……ああ、あと」
 くるりと踵を回して振り向いた。肩から髪の毛が滑り落ちる。上品な仕草に似合わず、その顔には魔性の笑み。
「Sanaのチームは罰ゲーム決定ね?」


 グランリュクレス1

「ぺんさーん!隣月さぁーん!」
 飛沫を上げ悠々と流れる川。気のせいか、いつもよりも川の流れが早い気がする。
 先頭を走るSanaさんは大声で呼びかけ続けるが、返事どころか人の影すら見当たらない。
「わっ!ハーピーが倒れてますよ!」
 エルモが飛び上がったその足元には、矢を羽に受けたハーピーが一匹転がっていた。足を止めたわたしたちに気づき、Sanaさんも前で振り向いた。
「ぺんさん、川に入ってその一匹だけは狩れたのよ。でも喜んだ瞬間に波に足を持ってかれちゃって……」
 そこで初めて、その指令書に書かれていたネタの内容を聞いた。わたしとエルモは驚いたと同時に頭を抱える。三人とも、いや、各場所へと配置された全員が戸惑い焦ったことだろう……激しく同情する。
「ティナさん、自分の部下にどれだけ無茶なことをさせるんですか……全く」
 エルモはかんかんに怒りきっている様子だった。眼鏡を持ち上げ、腰に手を当てる。……と、その視線の先、なにかに気づいたようだった。見開いた目の上で、もう一度眼鏡を持ち上げる。
「あーっ!あれ!あれ!」
 甲高い声を上げて指を差す先、一緒になって目を凝らして見ると──川の行く先にある切り立った崖、その滝の落ち口の辺りでなにか動くものが見えた。
 足場ぎりぎりまで駆け寄って近づくと、それははっきりと見えた。
「ぺんさん!隣月さん!」
 目の前のSanaさんが勢いで川に飛び込もうとしたので、慌ててその腕を掴み止める。
「Sanaさん危ないです!」
 激流を浴びながら、隣月さんは刀を岩壁に刺し脇にぺんぺんまるさんを抱えて持ちこたえていた。水の流れに伴い、足場もなくぶらぶらと宙に揺れている二人の脚。ぺんぺんまるさんは、なにも見ないようにと強く目を瞑っていた。
 わたしたちの姿に気づいたのか、隣月さんはこちらを向いてへらっと笑顔を見せた。
「なに余裕そうに笑ってんのよ!早く助けなきゃ」
「Sanaさんっ」
 焦りと不安に揺れる長い銀髪。Sanaさんは相当切羽詰まっている様子で、それに感化されこちらまでどうしていいか分からなくなる。
「エルモ、魔法でどうにかできないんですか?」
 隣のエルモを見ると、いつのまにか杖を手にして熱心に力を込めていた。けれど首を振られる。
「僕の魔法は支援専門なんです。こうして二人の体力を上げることはできますけど、そんな直接的に助けるようなことは……」
 それだけを答えると、また魔法に専念することに戻った。
 体力が上がる……ということは、水による衰弱はある程度抑えられるわけだ。けれどエルモのマナと体力にも、隣月さんの刀の耐久にだって限度がある。いつまでもこの状態が続くわけではない。早いところどうにかしなければ……。
 Sanaさんの腰に掛かっている刀と、自分の背中に掛かっている槍を見る。……だめだ、わたしたちでは専門が違いすぎる。こうなるともう……。
「戻ってもう一度ティナに助けを求めたほうが……」
「だめ!それはだめよ!」
 Sanaさんがすごい勢いで振り向き、力強い目で訴えてきた。
「……どうして」
「ぺんさんは嫌がってたのに、私と隣月さんで強要したのよ。でも入ったからには100匹狩ってやるぜって命綱もつけずに意地張ったの。だから流されたときも、助けは無用だって言い張ってた。それなのに二度も隊長に助けを求めるなんて……そんなぺんさんの意地を無駄にして情けをかけるようなこと……したくないわ」
 一切揺らがない瞳。悲痛な声でそう言い切った。
 ……そっか。ただ“仲間想い”なわけではなく、“仲間の想い”を大事にする人なんだ。そんな切な一心を裏切ることなんて誰にだってできないだろう。
 わたしはSanaさんの手を取って握る。
「わかりました。近くにいる方を何人か呼んできます。Sanaさんはエルモとここに居てください」
 Sanaさんの目に一瞬戸惑いが走ったあと、こくりと頷いてくれた。それに頷き返し、走り出したときだった。──向こうの坂から何人かがばたばたと慌ただしく下りて来る。一般人と鎧を着た……あれは王国軍?エラルドかと一瞬警戒もしたが、鎧の色も体格もまるで違っているので別人のようだ。
 彼らがわたしたちの前まで来ると、エルモは杖を掲げたまま怪訝そうに首を傾げた。
「あなたたちは?それに王国軍まで……」
 髭をたくわえた老人が前に出た。
「わしらはそれぞれ、この先にあるシトルイユ村を目指していた途中でしてね……。ちょうどそこのお嬢さんと向こうのお兄さん方が危ないことをしようとしてるのを見てしまったもんで、近くにいたこの兵士さんに注意をするよう呼びかけたんですよ」
 老人が王国軍の兵士を横目で見る。
「困ったもんだ、私はもう注意なんてできるような立場じゃなくてな……」
 そう言いながら兜を取り、素顔を見せた。まだだいぶ若い兵士だった。
「だが私個人としては、今やらなければならないことぐらいは分かっているつもりだ」
 兜をわたしの腕の中に託すと、兵士は懐から長い鎖を取り出した。それを隣月さんに掴むよう叫んで投げる。隣月さんはぺんぺんまるさんを脇に抱えたその手で鎖の端を掴んだ。しかし、かなり体勢を動かしたために刀に大きな負荷がかかり、刺さっている岩肌の亀裂も広がる。
「わああ危ないっ!」
 エルモが叫ぶ。ガラガラと崖の岩が細かく崩れ、数秒の間があってから瓦礫が下でボチャボチャンと落ちた音が響いてきた。
 Sanaさんがもっとよく見えるようにと崖の淵ぎりぎりまで回り込み、地面に膝をつけて二人が持ちこたえる様子をしかと見守る。
 と、その隣に同じくしゃがみこむ小さな姿があった。黄色いワンピースが風になびき、こちらまで声が届く。
「あの……えっと……、私踊ることしかできないけど、でもきっと力になれると思うの。兄さんも歌ってくれるから」
 Sanaさんは目を真ん丸くしたあと、微笑んでその少女の頭を撫でた。少女は嬉しそうにはにかみ、ととっと駆けて行くとその少女の兄と思わしき青年を連れてくる。
「ええと……その……、僕達、歌と踊りが得意なんです。きっと精霊の光があなた方に味方をしてくれるはずです」
 精霊が宿る大陸。精霊の加護があれば、もしかしたら……。
「力強いです、よろしくお願いします」
 二人に頭を下げる。
「こっちはオーケイだ」
 兵士が声を上げた。見下ろすと、鎖はしっかりと隣月さんの腕に絡まっていた。
 隣月さんが顔を上げ、まるでこの状況を楽しんでいるかのようににやりとほくそ笑んだ。その下でぺんぺんまるさんをがなにかを叫んだが、水音でよく聞こえなかった。
「お前たちも引っ張るのを手伝え。私の力だけでは無理だ」
「わ、わかりました!」
 兵士の後ろへと続き、鎖を握る。Sanaさんもわたしの後ろへと回った。老人も握り、たちまち百人力となる。
「皆さんのStrengthを上げます!ファイトですよ」
 エルモが呪文を唱えると、鎖の重さが急に軽く感じられた。

 四人で引っ張り、兄弟が歌と踊りで精霊の加護を宿す。
 五回目の「せーの」で兵士がぶんと鎖を振り回し高々と持ち上げた。二人の体は水面から離れ、勢いよく宙に浮く。
「おわああああ!?」
 頭上高くに舞い上がった二人。ぺんぺんまるさんの叫び声が響き、それからすぐ目の前へどさりと落ちてきた。べっしゃりと倒れこみ、ずぶ濡れの二人から地面に水が染み渡っていく。
「いっ……てえええ!」
「はは、どうやら生き長らえたみてえだ……」
「ぺんさん!隣月さん!」
 Sanaさんが目に涙を浮かべて二人に駆け寄る。
「よかった……」
 助かって本当によかった。ほっとするなり苦笑するなり嘆くなりする、このイズモ地方チームの三人を見て胸を撫で下ろす。エルモも力を使い過ぎたのか、その場に座り込んで呼吸を落ち着かせる。
「本当にどうなることかと思いましたよ……こんなのが上に知られたら始末書どころじゃ済まなくなりますからね」
「ああ、そうだ。エラルドは?」
 寝転がったまま隣月さんが聞いてくる。辺りを見渡すが、それらしき姿はない。
「来てない……みたいですね」
「まあ今来られても俺らが困るよな、よかった」
 ははっと笑う隣月さんは、だいぶ傷ついた刀を大事そうに撫でた。
「……て、よくねぇよっ!ぜんっぜんよくねぇよ!おいSana!お前ティナのところに行っただろ!?なんか言われたか!?」
 ぺんぺんまるさんはがばっと起き上がり、Sanaさんに詰め寄る。
「ああ、うん」
 Sanaさんは、かすかに疲れが浮かんだ笑顔を見せた。
「私たちは罰ゲーム決定みたいよ」
 あんぐりと口を開け固まったぺんぺんまるさんは、そのまま倒れ込んで意気消沈した。

「お兄さん達、川遊びはもう少し小さい川でしたほうがいいと思うの」
「それはうちの隊長に言ってやってくれねえか」
 兵士が怪訝そうに眉を寄せた。
「隊長?……そうか、君たちはソード•オブ•オルクスだったか」
「まあオレたちいつもはイズモのほうにいるんだけどよ……今日はその魔女みたいな困った隊長に呼び出されて……て、王国軍!?」
 驚き警戒するぺんぺんまるさんに、兵士は弁解するように手を振った。
「ああいや、私はもう王国軍ではない。今はただのしがない敗走兵に過ぎないんだ。もう国のための戦とも人命救助ともおさらばのつもりだったが……やはり辞められないな、こういうことは……」
 ふっと苦笑した顔を兜を被って隠すと、後ろ手を振りながら坂を登って行ってしまった。
「王国軍の中にはこの長い戦に反対勢力もあったそうですから……あの人もそのうちの一人だったのかもしれないですね」
 エルモがそっと小声で話してくれた。そうか、今回のことでなにか吹っ切れて前に進めるといいな……。
「わしも田舎へと移り住む前にいい希望を貰えたよ、ばあさんにいい土産話ができる。ありがとう若い者たちよ」
「この先、シトルイユ村では温泉が有名なんだそうです。よかったら冷えた体を癒しに来てください。その、ええと……僕達は先に行って待ってます」
 老人と兄弟も手を振って歩いて行った。
「不思議ね」
 Sanaさんがその背中を見送りながらつぶやいた。それに頷いて賛同する隣月さん。
「そうだな。ガレリアの国民は王子が不在の中、皆魔物の勢力と戦争の影響でくたびれきっているもんだと思ってたが……まだ他人に興味があったんだな」
「そりゃあれだろ、オレたちがよっぽど馬鹿みたいなことしてたからだろ?」
「お前がな」「あなたがね」
「言っとくけどお前らも罰ゲームだからな!?」
 わたしはエルモと笑い合うと、盛り上がる三人を残してその場を後にした。


 to be continued


───────

今回登場させていただいた皆様

隣月さん
†Sana†さん
ぺんぺんまるさん

very thanks.

『番外編 王国軍兵士エラルドの秘密』 (三)

Twitterで募った先着13名の方を登場させていただいた完全オリジナルストーリーです。本編とは無関係となりますので、予めご了承下さい。

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 ルミナス渓谷2

 視界がだいぶ白く霞み、匂いもどこか砂っぽく感じる。二人分の砂を踏みしめる音がサクサクと鳴る。
「えっと……次はガレリア地方チームですね。天然の集まりですから、またなにか良からぬことになってると覚悟しておいてください」
 そう言って、エルモは深いため息をついた。その手には今回の計画がまとめて書かれてある書状。招集されたメンバーの名簿と、それぞれに与えられた指令の内容。
 Sanaさんが王都に助けを求めてきた際に、ティナがこっそり渡してくれたそうだ。危険な仕事は与えていないという証拠提出のつもりなのかもしれなかった。たしかにこうして見ると、あと残っている指令はそれほど危険なものではない。さっきのが特別無茶すぎただけだ。
「ピクニックですか。でも、まったりしたチームにはぴったりな指令だと思いますけど」
「いえ、問題はスパイトフルなんです。うちの中でこのチームはある別の名で呼ばれていまして……」
 エルモの顔がだんだんと陰っていく。
「別の名……?」
 言いたくないと口をつぐんだが、観念するようにため息と共に吐き出した。
「……イビルシャドウ愛好チームです」
「……え?」
「待ってくださあああい!」
「レクさん血!血が出てますって!」
「ねえねえ、お願いだからこっち向いてー」
 さっそくいろんな声が聞こえてきた。ここからでもはっきりと見える、ふんわりと砂埃が舞い錯乱している空間。そしてその錯乱しているのが我らがソード•オブ•オルクスのメンバーだとすぐに分かる。
「あはは……。僕は先に旧街道のほうへ行ってますね」
「え、ちょっとエルモ!?」
 エルモはへこへこと頭を下げながら逃げるように転移の呪文を素早く唱え、瞬く間に姿を消した。
 まあ手分けして様子を見たほうがいいか……と考えを改める。
「あ、ヒオンさんっ」
 呼ばれて見ると、喧騒を目の前に一人端っこでピクニックシートに座っているAmalliaさんがいた。わたしを見上げるなり、ぶわっと瞳を潤ませた。
「た、助けてくださいっ……もうお腹いっぱいなんです……」
 弁当箱……重箱と言ったほうがいいのかもしれない。二段分は空になってシートの上に置かれているが、膝の上に乗っている最後の箱だけはまだたんまりと彩り豊かなおかずが詰まっていた。ちなみにこの弁当箱に付いてるマークからして、王都の商人のお手製だろう。
「えっと……Amalliaさんこれ一人で食べてたんですか?」
「はい。だってわたし一人ででも食べてしまわなきゃ、この指令は達成されませんから……」
 涙声で訴えられ、思わず苦笑いが浮かぶ。……可哀想だ。
 その健気な頑張りの根源を見やると、残りの三人は大量のスパイトフルと取っ組み合いになっていた。
「なにがどうなってるんですか?」
「レクターさんとarcsinhさんはイビルシャドウが大好きなんです。指令の内容を確認する前にスパイトフルの群れへと飛び込んで行ってしまって……真夜中さんはその二人を止めるために……」
「あ、あああ、あのっ!」
 突然、変わった素っ頓狂な声が聞こえた。振り返ると、酷く怯えた面持ちの少年が立っていた。煤の付いたエプロンをしていることから、鍛冶屋の少年だということがわかる。
 少年は震える口を続けて開いた。
「ぼ、ぼくも見ました!あの魔物たちの中に、ああ、あなたたちの仲間が飛び込んでいくのを……ひいっ!」
 スパイトフルの一匹がこちらをじろっと見ていて、鍛冶屋の少年は飛び上がってわたしの後ろに隠れた。どんと背中を押し出すように突かれる。痛い。
「あの、見てたってことは……あなたもなにかスパイトフルに用事があったのでは?」
 憶測だった。ここまで臆病な性格ならば、こんな危ないところにいつまでも居らずとっとと王都へ戻ってもいいはずだ。それなのにみんなの行動を最初から一部始終見ていたのにはなにか理由が……と、その憶測は当たっていたみたいだった。少年は「ひっ!」と情けない悲鳴を上げてわたしから離れた。
「あ、あなた……もしかしてエスパー!?」
「違います。いいから話してください」
 少年は視線をきょろきょろと這わせながら狼狽えたあと、しゅんと縮こまって正直に話してくれた。
「……あのスパイトフルの羽が欲しいんです。あれさえ使えば、今度こそきっと僕の思い描いている剣ができるはずなんだ……!親方にも彼女にも認めてもらうにはあれが……そうでなきゃ、鍛冶の神には一生出会えないんだ」
 先程とは打って変わって一生懸命話してくれた。少年は、言い切ると悔しげに俯いて黙り込んだ。
「それじゃあ……一緒にピクニックしますか?」
 そんな少年にAmalliaさんが優しい声をかけた。微笑んで隣のシートをぽんぽんと叩く。
「……え?ピクニック?」
 きょとんと目を丸くする少年。Amalliaさんのマイペースさに、わたしは口元が綻んだ。
「ほらほら」
 少年の背を押しAmalliaさんの隣に座らせる。どうぞ、とAmalliaさんは残っていた弁当を少年に渡した。
「あ、ど、どうも……てそうじゃなくて!僕はスパイトフルと戦わないといけないんです!こんな呑気にっ……ぶわ!?」
 突然、少年の顔にぴょんと飛び跳ねてきたスパイトフルが引っ付いた。
「もごごごご……!」
 息ができず、手足をばたばたと宙で暴れさせる。
「わ、ごめんなさい!その子だけ妙に暴れん坊でね、ツンデレって言うの?素直にデレデレしてくれればいのにー」
 そう言いながら駆け寄って来たのは、先程まで砂埃の中に埋まっていたarcsinhさんだった。綺麗な赤髪が砂をかぶり、だいぶ乱れている。が、口元も目元もなにもかもがだらけきった表情をしていた。
 arcsinhさんは少年の顔からスパイトフルを剥がそうとする。
「ほーら、一緒にもふもふしようよ」
 ぐいぐいと引っ張るが、スパイトフルの手足の爪が少年の髪に絡まっていてちっとも取れない。
「困ったなあ……」
 arcsinhさんはため息をついて腕を組む。不思議と慣れたのか、少年も落ち着きを取り戻した。
「あの僕、今のうちに羽を抜いちゃってもいいですかね……?」
 顔に張り付いているスパイトフルをちょいちょいと指差す。その発言に驚愕し、arcsinhさんは目ん玉をひん剥いた。
「は?抜く?なに言ってんのあなた!そんなふざけたことしたら縛りあげるよ!?」
「あああすいませんすいません!絶対しません!」
 腰に手を当ててぷりぷり怒る彼女に、少年は何度も頭を下げる。
 愛好家の前で羽を抜くだなんて、さすがにそんなことはできない。そうするとどうやって羽を手に入れたらいいだろう……?
「アークさん!観念してくださいよ!」
 怒った声が向こうから聞こえてきた。見ると、砂埃の中から真夜中さんがレクターさんを引きずりながら出てきた。
「げっ」
「げじゃありません。今なんのためにここに来てるのかを思い出してよ」
 どさっと地面に置かれたレクターさん。数匹のスパイトフルを体に張り付かせたまま目を回していた。所々服が破れていてぼろぼろだ。
「あれ?てか、あまちゃん一人で弁当食べちゃってたの?」
 Amalliaさんが恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「すみません……わたしの役目はこれしかないと思ったんです。でも、さすがにもうお腹がいっぱいで……」
 ちらっと、残った最後の一段のおかずを見る。
「はーんなるほど。大丈夫、これはアークさんとレクさんに食べさせるから。ほら起きて」
 そう言ってレクターさんのほっぺをぺちぺちと叩く。レクターさんは唸りながら薄目を開けた。
「……あれ……僕たしかスパイトフルの皆さんと一緒にお花畑を駆け回っていたんですが……」
「お花畑じゃなくて渓谷!早く目かっぴらく!スパイトフルはほら、そこ……に……」
 真夜中さんは口を半開きにして固まった。視線を向けたその先──49匹のスパイトフルが揃いも揃ってこっちを向いていた。この雰囲気はさすがにやばいんじゃないか……?じりじりとたじろぐ。
「あ、あの、真夜中さん最初におっしゃってましたよね……?こちらから攻撃をしなくともあちらから攻撃してくる可能性は高いと……」
 Amalliaさんの瞳がうるうると潤み出す。
「……うん、言った……」
「え?な、なんですか?どうしたんですか!?」
 前が見えない少年は、みんなが一斉に凍りついた気配を感じ取って慌てふためく。
「……あまちゃん弁当持って。ヒオンさんはそこのスパイト少年をお願い。アークさん、一緒にレクさん引っ張るよ」
「は、はいっ」
「ちょっと!スパイト少年ってぼくのことですか!?」
「走るよ!」
 真夜中さんのかけ声で、みんな血相変えて一斉に走り出した。スパイトフルの49匹分の細かい足音がトタタタタッ!と背後から物凄い勢いで追いかけてくる。まるで砂嵐でも襲ってきてるかのようだ。
 海岸まで出たところで足を止めた。掴んでいた少年のエプロンを離し、呼吸を落ち着かせる。じりじりと日差しが照りつけてきて、額に冷や汗が浮かぶ。
「どこまで走るんですかあー」
 気がついたレクターさんが最後に追い付いてきて、砂浜にぺったりとしゃがみこむ。
「スパイトフルたちが諦めるまでっ」
 荒んだ息を整わせながら、走ってきた道をみんなで振り返る。
「……来てない、かな?」
 波の音だけが静かに漂い、切羽詰まったような足音はどこからも聞こえてはこない。
「助かったみたいですね」
「そんな逃げなくても……イビルンたちは人間を襲うようなことはしませんよ?」
「するからこうして逃げてるの!」
「でも僕たち、さっき普通に駆け回って遊んでました……」
 憤慨する真夜中さん。レクターさんは困った顔でarcsinhさんと顔を見合わせた。
「あの……!」
 Amalliaさんがおずおずと手を挙げた。
「どうしてこっちに逃げたんでしょうか……?」
「どうしてって、そりゃスパイトフルたちがこっちを見てたから成り行きでこっちに……あっ」
 真夜中さんがハッとし、口をあんぐりと開けた。
「しまった……馬鹿じゃん私たち」
 Amalliaさんの言いたいことがわたしにも分かった。先へ進めば、さっきのスパイトフルたちの巣窟。かと言って戻れば王都で悪巧みをしているティナ。つまりわたしたち……いや、このガレリア地方チームには逃げ場がなくなったというわけだ。
「ど、どうするの!とりあえずこのスパイト少年のスパイトをスパっとしないと仲間呼ばれたらスパークがスパイラルアタックだよ!」
「アークさん言ってることわけわかんないよ!?」
「いだだだ痛いです引っ張らないでください!」
「さっきからうるせぇなあ……」
 突然不機嫌そうな低い声が響いてきて、みんなして口をつぐんだ。
 砂浜の向こうの岩壁、そこに胡座をかいて寄りかかっている男がいた。着ている鎧から王国軍兵士だということが分かる。足元に置かれた兜が陽光を浴びててらてらと光っている。
 兵士は、ちらっとわたしたちを横目で睨んできた。
「ろくに眠れやしねぇ」
 兵士がこんなところで寝てるな!
「すみません、騒がしくしてしまって」
 Amalliaさんがぺこぺこと頭を下げる。兵士はだるそうに頭を掻きながら立ち上がった。そしてわたしたちの前まで来ると──少年を思い切り殴った。
「えええええ!?」
 少年はもの凄い勢いで横に吹っ飛び、そのまま海へと落ちた。
「ちょっと!少年ー!」
みんなが少年の元へと駆け寄る。
「どういうおつもりですか」
 わたしは兵士を睨んだ。王国軍ともあろう人が国民に手を上げるなんて許されるのか……毛嫌いされているわたしたちソード•オブ•オルクスならまだしも、彼は一般な国民だ。なにを考えてるんだこの人。兵士はわたしたちを一瞥すると、やれやれと手を上げた。
「見ろ。あいつの顔に張り付いてた魔物が取れただろ」
 そう言われて少年に目を移すと、浅瀬で三人に支えられ起き上がった少年はたしかに顔が顕になっていた。ただ、涙と鼻水と海水でぐしょぐしょになっていたが。
「だからって、他にやりようがあると思いますけど」
 そんなわたしの強気な視線もすんなりとかわされた。思わず拳を握る。
 視界の端でレクターさんがととっと駆けていき、少年の顔から離れたスパイトフルを抱きかかえた。
「この子、僕たちと仲良くしたいだけなんですよ」
 沈黙の中、そんなつぶやき声がこだました。不思議とスパイトフルは、警戒の色も見せずちんまりと大人しく腕の中におさまっていた。
「ふん。魔物が人間と仲良しごっこなんざ、夢のまた夢の話だな」
 兵士が鼻で笑い、レクターさんは眉をひそめた。
 いいかげん腹が立ってきた。どうしてこの人はこんなに嫌味ばっかり……。
「そんなことはないです」
 わたしがなにか言おうとする前に、レクターさんが寂しそうな表情で、けれどきっぱりと言い切った。兵士がレクターさんを見下ろす。
「魔物と人間が助け合って愛し合って共存できる未来がきっとあります。そう願ってる第一人者が僕とこの子です」
「じゃあ聞くが、お前らは魔物に襲われたからここに逃げて来たんじゃねぇのか?」
「そうです、スパイトフルは警戒心の強い子たちです。でも元のイビルシャドウはとても人懐っこい特徴があるんです……。だから、そうして彼らに警戒心を持たせるようなことをした、それに気づいた僕たち人間のほうからまた寄り添って行かないと一生分かり合えないんです」
「つくづく勝手なもんだなあ人間ってのは。こっちから裏切っておいて都合が悪くなったら手を伸ばすだ?その繰り返しばっかしやがるから戦争なんかが起きるんだよ」
「でも、誰か一人でもこの想いを忘れずに持ち続けていれば、きっと良い未来に向かっていきます」
 軽くあしらう兵士にレクターさんは必死に食らいついていた。とても強い意志を持っていて、それは嗤われたり貶されたりしてもけっして折れることのない意志なのだろう。
「レクさん、それ本当……?」
 ぐったりした少年を連れてきた三人。少年は腫れた頬をハンカチで押さえていた。
「あのスパイトフルたち、私たちがなにかしたから襲ってきたの?」
「あの渓谷の一角はスパイトフルの家も同然なんです。勝手に領地に忍び込んだりしたら怒ってきて当然です。……僕も夢中ではしゃぎ回ってしまって……スパイトフルたちには申し訳ないことをしました」
「なるほど。ピクニックなんてしてたらえらいことになってたわ……」
 ティナの思惑通り、なのだろうかこれは。思わずそう考えざるを得ない。
「この子だけは、怒らずに僕たちにそれを伝えようとしてくれて……」
 レクターさんはちらっと少年を見た。だから少年の顔に張り付いて離れないでいたのか、まるでなにかを訴えるかのように。そうか、この子も必死だったのか……。
 スパイトフルの頭を撫でてやると、気持ち良さそうに目を瞑ってくれた。よく見ると、毛の色素が薄い。この子だけはまだ完全なスパイトフルに成り得ていないのかもしれない。段階を踏んでいる途中で、だから本来のイビルシャドウの習慣と性格がまだ残っているのか。
「で?粋がったはいいがどうけじめをつけてくれるんだ?」
 相変わらず、呆れの眼差しを向けてくる兵士。レクターさんはその目をじっと見つめ返した。
「あなたもイビルンたちが好きで好きでたまらなくなるようなことをしてみせます」
「……はぁ?」
 気の抜けた声を出されたのも構わず、レクターさんは来た道を引き返し歩き出した。
「え、ちょっとレクさん!?」
 わたしたちは慌ててその後を追いかける。


 ルミナス渓谷2

 また戻ってきてしまった光り輝いている場所。そして、スパイトフルの巣窟。
 ずんずんと先頭を進むレクターさんが足を止めたのは、スパイトフルの群れの前でだった。そこには、Amalliaさんが遠慮がちに敷いたであろうピクニックシートがまだ置かれたままになっていた。
 次々とこちらに警戒の目を向けてくるスパイトフルたち。レクターさんはそれに動じることなく、抱えていたスパイトフルをそっと地面に下ろした。スパイトフルは群れに戻ることはせず、その場でレクターさんと仲間たちを交互にきょろきょろと見ていた。
 レクターさんは何度か深呼吸をしたあとで口を開いた。
「人間と魔物は言葉が通じません。通じる魔物もこの広い世界のどこかにいるとは聞きましたが……このガレリアで見かけたことはまだ一度もありません。でも想いなら、通じない魔物はきっといないです」
 レクターさんはしゃがみ込み、目線を低くした。
「僕はきみたちと仲良くしたいです。友達になってくれますか?」
 にっこりと微笑んで大事な言葉を伝えた。けれど──
 スパイトフルたちは一斉にレクターさんに飛びかかり、あっという間に埋もれてレクターさんの姿は見えなくなってしまった。
「全然だめじゃんかあああ」
「レクさああーん!」
 助けようとみんなが駆け寄る中、兵士は鼻で笑って背を向けた。
「……まっ、待ってください!」
 スパイトフルたちを全身にまとわりつかせ、引っかかれたり噛みつかれたりしながらレクターさんが声を張り上げた。
 兵士が振り向く──その顔面に一匹のスパイトフルが飛びついた。
「むが!」
 デジャヴとはこういうことを言うのか……。少年はその光景を見て吹き出していた。
「も、もしかして僕もさっきこうなってたんですかっ?」
「あなたのほうが取り乱してたけどね」
 arcsinhさんがつっこみ、少年は頭を抱えた。
 兵士はしばらく身悶えたあと、自力でスパイトフルを引っぺがした。爪が当たったのか、頬に切り傷ができている。
「ああくそっ、お前らいいかげんに……」
 悪態をつこうとした口が止まった。兵士はスパイトフルを抱き上げたまま呆然としていた。顔を見合わせ続ける。
「こいつ、さっきのじゃねぇな?」
 ……え?その発言を聞いて初めて気づいた。兵士の顔に張り付いたのは、さっきまで少年の顔に張り付いていたスパイトフルとは違っていた。色素も濃く完全なスパイトフルだった。……つまり、つい先程まで警戒を見せ威嚇していた群れの中の一匹。
 一体どういうことだと振り返ると、もみくちゃになっていたレクターさんと群れはいつの間にか落ち着きを見せていた。
「レクターさん大丈夫ですか?」
 更にぼろぼろになっていた身なり。けれど、レクターさんは無邪気に笑った。
「ほら、分かり合えました」

 スパイトフルたちは最初こそは敵意を剥き出してきたものの、レクターさんが一切抵抗も反撃もしなかったために攻撃を止めたみたいだった。つまりarcsinhさんがちらっと言っていた『ツンデレ』発言は、あながち当たっていたのかもしれない。
「その行いが善だと信じるか信じないかは人それぞれだがな、あまり善人ぶるな。早死にするぞ」
 兵士がレクターさんを睨んで喝を入れた。それに対して、レクターさんは子供みたいな笑顔を見せる。
「僕は自分がしたいことを思うようにしてるだけです。善とか悪とか考えたことはありません。想いに理由なんてつけたくないです」
「レクさんいいこと言う!偉い!」
 真夜中さんがはやし立て、Amalliaさんとarcsinhさんは拍手をする。
 レクターさんの発言に一瞬目を見開いた兵士は、ふっと力の抜けた微笑を浮かべた。
「……そうかよ。……俺は落ちぶれた兵士だが、アイツの分も長くガレリアで務めるか……」
 小声でそうつぶやいていた。理由なんか無理に作らなくていい、自分がしたいからする。──このガレリア地方チームには、大事なことを学んだ気がした。
「僕も……」
 少年はぐっと握った自分の拳に目を落としていた。
「僕も、認めてもらうぞって思いながらずっと剣を作ってきましたけど……でも、認めてもらうには認めてもらうぞって気持ちでいちゃ駄目なんですね、きっと。僕は鍛冶の仕事が好きで、剣を作るのが好きで……たぶんそれだけで十分なんですよ、認めてもらうってのはただの過程でしかないんです」
 顔を上げて、へらっと笑った。
 自分の意志を強く持てた少年は、もう迷ったりしないことだろう。
「じゃあこの羽は兵士さんにあげるね」
 arcsinhさんが陽気に言った。その手にはスパイトフルの羽。
「ああああ!い、いつのまに!?」
「そこに落ちてたの拾っちゃった!剣にするなんて勿体ないし、このまま大事に保管するなら兵士さんにあげるのが一番じゃない?」
「いやべつに俺は要らな……」
「ままま、待ってください!それがあれば今とっても作りたい剣が作れるんです!」
 嬉しそうに駆け回るarcsinhさんと、困惑しながら追いかける少年。その後ろをスパイトフルたちもとことこと追いかけていた。舞い上がる砂が、天井から零れてくる日差しによってきらきらと光る。
「あ、そうだあまちゃん。弁当は?今のうちにピクニックしちゃおう」
「え?……え、あ、あれ……?」
 ハッとし、自分の両手を広げるAmalliaさん。……その手にはなにも持っていない。おろおろと困惑し、やがて涙を浮かべた目を上げた。
「す、すみません……海岸に置いてきちゃいました……」
「えええ!?残り食べちゃわないとピクニックは成功にならないよ!?」
「きっともうイビルンたちが食べちゃってますね、ふふふ」
 とりあえずは一件落着かな、そう思いみんなを微笑ましく眺める。けれど、このチームも罰ゲームは確定なことだろう。……どんまい。


 to be continued


───────

今回登場させていただいた皆様

Amalliaさん
arcsinhさん
真夜中ちゃんさん
レクターさん

very thanks.

『第一章 魔物の蠢動』 (十四) 魔物の巣窟

 渓谷の天井が開けてくると、青空がうっすらと目視できた。同時に、陽射しが足元まで届き始める。
 辺りには、自身の三倍ほどはある背の高い植物がちらほらと生えていた。その大きな葉っぱから影を落としては、日光を嫌うゴブリンたちの安息地を作っている。そのせいか、近づいても敵意を見せるゴブリンたちは少なかった。
 そろそろ渓谷の最奥まで来ているはずなのだが、特に猛獣じみた魔物の鳴き声や邪悪な気配は感じられない。しかし、試験会場で見たあの大きな魔物は間違いなくここら辺に生息していたのだ。幾分か警戒をしながら足を進める。
 途中、植物の下で目を瞑ったまま立ち尽くしている少年の姿があった。陽射しの音。葉擦れの音。魔物の低い唸り声。それらにそっと耳を澄ませていた。邪魔な足音を立てるのも申し訳ないと思い、少し離れた位置でその姿を眺めていることにした。
 しばらくしてうっすらと開いたその瞳は、わたしを真っ直ぐに見据えていた。
「君。君は幸運だ。僕の歌を聴けるんだからね」
 そう言うなり少年は、こちらにずかずかと歩み寄ってきた。あまりの勢いに困惑してしまう。
「う、歌?」
 少年は、吟遊詩人のビッポだと名乗った。
「古代からさまざまな歴史を歌い、紡いできた。吟遊詩人の存在こそ歴史書!その歌声こそ最高の魔法!僕は一流の吟遊詩人となるため、努力をしているってわけさ」
 熱く語ったあとで、えっへんと鼻を高くして見せた。吟遊詩人とは、詩曲を作り世界各地を訪れて歌う人々のことを言うが……実際、本物は初めて見た。この生きるか死ぬかの荒んだ時代に歌を糧にして生きている者がいたなんて珍しいものだ。いや、こんな時代だからこそ“歌”という純粋な安らぎを得れる魔法は少なからず必要なものなのかもしれない。そう考えると、どんな歌を歌うのかうずうずと興味がわいてきた。
「昔の吟遊詩人というのは神官のようなもので、歌うことでその知識や歴史を伝えてきたんだ。現在は羊皮紙(ようひし)や石版があるけど、それでも自分は歌の方が好きだな」
「それじゃあ、是非聞かせてください」
 ビッポは、よかろうと頷いた。
「僕の歌を聞かせてあげよう」
 わたしの期待に満ちた目を見たビッポは、目を瞑り、胸を張りながら大きく息を吸い込んだ。わたしも一緒に目を瞑る。そして──
「バジバジボ ボビバビバビ ボンボンバビビ」
「ぶはっ」
 なんだなんだ!?すごい歌声?だ……なにを言っているのかわからない。というより、これが人間の口から出る音なのか。自覚していないのか、ビッポは意気揚々とした表情でとても清々しく歌っていた。その健気な姿を見てしまっては耳を塞ぐのは躊躇われ、目のほうをよりいっそう強く瞑って耐えることにする。
「べバ……」
 こちらの様子などお構い無しに続けるビッポ。気分が悪くなってきた……。
 やがて長い長い悪夢のコンサートが終わったときには、わたしは蹲っていてたぶん気絶する寸前だった。視界がちかちかと霞む。
「おいおい、聞いてるのか、……あぁ……またか。僕が歌うとみな、そういう顔をする」
 上から呆れた声が降ってきた。顔を上げると、困った顔をしているビッポ。その背後で、ゴブリンやラフレシアたちが泡を吹いて倒れているのが見えた。……ああ、ある意味で魔法だ。
 ビッポは喉をさすりながら首を捻った。
「たしかに、僕もまだ実力を出し切れていない気はする」
 実力以前の問題だ。
「君、なにかこう喉によさそうな……そうだな『花の蜜』なんて持ってないかな?」
 この破壊的な歌声は果たして良くなるものなんだろうか。しかし、今時珍しい吟遊詩人なのだからきっと貴重な歌声ではあるのだ。仕方が無い、喉にいいものを集めてあげよう。
「『ラフレシア』から集まるはずだよ。『花の蜜』を五個持ってたら僕にくれよ」

 気絶しているラフレシアたちから『花の蜜』を採取してボトルに詰む。その間もビッポは練習を続けていて、怪奇な声が渓谷中に響き渡っていた。離れていてもこれだけ具合が悪くなるというのに、すぐ真近で聞いて生き残ったわたしはきっと強い。先ほどの自分を素直に褒める。
 げっそりした顔で戻ってきたわたしに、ビッポはとびきりの笑顔を見せた。
「持って来てくれたのかい?」
 ビッポはわたしからボトルを受け取ると、傾けて一気に飲み干した。鼻につくラフレシア特有の香りが一瞬にして辺りにぶわっと漂い、わたしたちは揃って鼻をつまんだ。
 悪臭がどこかへと飛んでいった頃、気を取り直したビッポは「よしっ」と腰に手を当てた。
「花の蜜で喉を癒した僕の歌を聞かせてあげよう」
 胸を張りながら大きく息を吸い込む。そして──
「ガビガビド ボジダヂダジ ゴンドンドダジジ」
「いや、だめじゃーーん」
 さきほどよりマシ?になった気がするが……以前、なにを言っているのかわからない。
「レヴァ……」
 頭痛がしてきた。頭を押さえると、ふらふらとよろけた。
「おいおい。聞いてるのか?」
 怪訝そうな声がして、ようやく歌が終わっていることに気がついた。わたしの反応を見て察したのか、ビッポは唇をへの字に曲げた。
「え?うそだろう?今のはかなりイケてただろう?」
 どっからその自信がでてくるんだ。弱々しく首を振ってやる。ここは素直に下手だと伝えよう、ド下手だと。そうするとビッポは、目に見えるくらいに落胆してしまった。重たい空気が漂う。
「はぁ……どうしたもんか。こうなれば、そうか、魔法に頼ってみるか。それさえあれば最高の自分を出せる気がするんだ」
「魔法かあ」
 とうとう魔法に頼ることにした、この絶望的な歌声の持ち主。
 でも全て魔法に頼ってしまってはきっと本来のビッポらしい本質が失くなってしまう。それはちょっと勿体ない気もしたが……しかし本人がやりたいと言うのであれば仕方が無いだろう。
「君、なにかこう魔法的な……そうだな『魔法の粉』なんて持ってないかな?」

 気絶から覚めかけていたが、またしても悪夢のアンコールに立ち会ってしまい目を回していたゴブリンウィザードたちから『魔法の粉』をささっと拝借する。
 戻ってくるとビッポは座り込んで古い紙を手にしていた。なにやら真剣な表情でにらめっこをしている。なにかの詩が書かれているんだろうか?
 ビッポは顔を上げると、力強い目を見せた。
「僕には才能がある。あとは、実力を出し切るだけなんだ」
 その顔つきは、間違いなく吟遊詩人だった。
 立ち上がるり『魔法の粉』を空へと向かって放った。ちらちらと粉が舞う中で素早く呪文を唱えると、ビッポの身体を精霊に導かれし光が包み込む。
「魔法のオーブで生まれ変わった僕の歌声を聞かせてあげよう」
 魔法の勢力と共に、胸を張りながら大きく息を吸い込む。そして──
「ガギガギ……」
「て、おーーーい!」
 なにも変わっていない……。魔法を使ってもだめだというなら、これはもう「おまえは一生歌うな」という精霊からの思し召しだろう。諦めろ、ビッポくん。宥めるように肩に手を置いてやると、ぎょっと情けない顔をしてすぐに歌うのをやめた。
「おいおい。その顔は、まさか……まだだっていうのか!」
 意外にも早く察したビッポは、悔しそうに地団駄を踏んで憤慨し出した。それからその勢いのまま木を蹴りつける。……と、なにかが落ちた。
「うぎゃぁぁああああ!」
「わっ!?」
 耳をつんざく叫び声に、耳を押さえた。
「急に大きい声ださないでください……!」
 辺りに舞ったのは、黒いたくさんの砂みたいな……虫だった。
「むし!むし!虫むり!あぁぁああ!」
 わたしの声など一切届いておらず、我を忘れて叫び続けるビッポ。身体を揺らして落ち着かせようとしたが、むしろ暴れる一方だった。
 どうしたもんか……。この小さな虫では退治しようがない。なにかこう……さりげなく追い払えるような……。と、ビッポの叫び声に反応したのか、敵意を剥き出しにしたゴブリンファイターたちがじりじりとこちらに近寄ってきているのがわかった。ざっと六体くらいか。こいつらを倒しているうちに虫もいなくならないだろうか?……よし。

「うぁあああああ……ぅ……あ?あれ?虫いない?」
「もういませんよ」
 安心させるように答えてやると、ビッポはどっさりと座り込んだ。
「……はぁはぁ。あ、ありがとう……!」
 胸をなで下ろし、息を整える。
「僕はもう……あれ?なんだか、声の調子が違う」
 ビッポがなにかに気づき、驚いたように喉にそろそろと手を添えた。
「なんでだろう、叫んだからとかですか?」
 わたしを見ると、はて?と首を傾げた。
「さっき叫んだ時は……な、なるほど!腹から声を出せばいいのか!」
 突然ガバリと立ち上がった。見たところ、その顔にもう迷いはないようだった。そして──ビッポが歌い始める。

「神々の降り立ちたり混沌の大地
 レヴァリア
 神々の御力とともに万物、混沌よりてなれり
 光、大地を照らしたれば
 闇、これに安らぎを与えたり
 火、闇に希望を灯したりて
 風、これをかき消すものなり
 水、風の乾きを潤すものなり
 土、これを悟らざりき
 神々、生命与え給いて、これ創世となす」

 さきほどとは比べ物にならない。まるで別人の歌声だ……。陽射しの音、葉擦れの音、魔物たちの安らかな寝息、その全ての音が光の玉となってビッポの回りを優雅に飛び回っているように見えた。聴き惚れていたわたしは、歌い終わったビッポがお辞儀をしたのでようやく我に返った。慌てて拍手を送る。
「とってもよかったです!」
 不安げな顔で反応を待っていたビッポは、わたしの言葉を聞くなりパッと晴れ晴れしく笑った。じんわりと嬉し涙まで浮かべる。
「ああ!こんなに気持ちよく歌ったのは初めてだ!これもみんな君のお陰だよ!ありがとう!」
 自分にも「歌えた歌えた」と言い聞かせるようにして、何度も頷いていた。その姿を見て、歌は魔法なんだと強く確信できた。
「よかったですね。そういえば、さっきの歌って……?」レヴァリアとか、光とか言っていたが。
「これは世界創世の神話の歌なんだ。僕の一番好きな歌さ」


 ビッポに教えてもらった神話の歌を口ずさみながら歩いていると、ようやく行き止まりまで来た。渓谷の最深部。随分と長かったように感じるが、見上げたずっと遠くの白い空にはまだ太陽が顔を覗かせているようだった。
 以前として陽射しが零れ、緑の綺麗な植物が背を上げ、縞模様の岩壁が並ぶ。特に目立つようなものはなく……ただ一人の人影だけがあった。
「ちっ……ジョットさまともあろうものが……。ここも空振りか?」
 低い声で吐き捨て、舌打ちをしていた。つんつんに尖った髪の毛をした色黒の男。赤いスカーフを巻いており、その背には長剣を背負っている。オルガが、旅人風の人が奥へと進んでいくのを見かけたと言っていたが……この人だろうか?と、男が振り向きばったりと目が合った。
「おっと。まさかこんなところで人に会うとは」
 右目に大きな傷痕をつけていた。男はわたしの身なりを上から下までじろじろと見てくる。
「お前、ソード・オブ・オルクスか。魔物を追ってきたんだな」
「よくわかりましたね」
 特にソード•オブ•オルクスだという証拠は持っていないのだが……こんな場所まで来るような物好きな人間は限られているんだろう。男はきょろきょろと辺りを気にしたあと、顔を寄せて声を潜めた。
「いいこと教えてやるぜ」
 思わず耳を傾ける。
「オレはジョット。探検家のジョットさまと覚えておくといい」
 ジョットさま……ですか。
「魔物を追っているんだろう?いいことを教えてやる。凶暴な魔物が出入りしているらしい洞窟を見つけた」
 はっと目を見開いてジョットさまの顔を凝視した。
「ところが、だ。この探検家ジョットさまが探索してやろうと思った矢先にたいまつの材料がないという不運に見舞われた」
 なんともないふうにして言って見せた。ジョットさまは準備を怠る探検家みたいだ。
「ソード・オブ・オルクスの人間なら、洞窟の魔物にも用事があるんじゃないか?たいまつの材料があれば、オレさまが調べてきてやるぜ」
「え、代わりに行ってきてくれるんですか?」
 ジョットさまはにやりと口の端を釣り上げた。さらに詳しく聞くためには、たいまつの材料が必要のようだ。ここは素直に取り引きに応じよう。
「『ゴブリンファイター』か『ゴブリンウィザード』から『樹脂』五個を手に入れたらオレさまに言いな」

 植物の下の影で身を寄せあって眠っていたゴブリンウィザード。魔法の材料として使うのだろう『樹脂』をその懐からこっそりいただく。
 その持ってきた『樹脂』を木の枝にたっぷりかけながら、ジョットさまは真剣な話をしてくれた。
「北にある町は小さいが、オレみたいなのには具合がいい。世を捨てた人間やら、それを食い物にする人間やら」
 自由な人が多いんだろうか。
「オレは生まれついての根なし草さ。だからこそ、群れることの虚しさを知っている。世の中は、どんな時でも不平等なんだからよ。お前が『仲間』ってやつを信じるってんなら勝手にしな。人の考えにとやかく言うつもりはないからな。だが、なにかを成し遂げる時に必ず仲間が必要なわけじゃない。オレは、オレの力でジョットの名を伝説の探検家として刻むのさ」
 ぐっと拳を握って見せた。大きな野望だ。その枝に針金を巻き付けながらジョットさまは話を続けた。
「だが、放埒(ほうらつ)な生活には自由がある。エリシアはそういところだ」
「エリシア……」
 その地名を口にすると、温かな安らぎの錯覚を覚えた。針金を強く締め付け、枝が軋む音が鳴る。
「お前もガレリア王国からとっとと出るといい。ソード・オブ・オルクスなんて組織に属さずともその気になりゃ、世界中旅できるぜ」
 旅をする、だなんて考えたことはなかった。その発想そのものがもう自由なのだ。成り行きでソード•オブ•オルクスに加入したが、そういう道もあったんだろうか。ましてや、ジョットさまみたいに“探検家”という道も。でも……と寂しくなった。そのとき、ティナやエルモの顔が一瞬頭をよぎったのだ。
 考え込んだわたしを他所に、ジョットさまは甲高い笑い声を上げた。
「もちろん運がよけりゃあ、金に困ることもない。金づるの言うことは怒らせないていどに聞いておいて損はないのさ」
 そう言って出来上がったたいまつをボロボロの鞄に仕舞い、上からぱんぱんと軽く叩いた。立ち上がろうとしたとき、「そういや……」と思い出したように声を漏らした。
「ジョットさまは発見したぜ。大発見だ。渓谷のどこからか聞こえてきた、あの不気味な声は、なんと人間が発していたものだったんだ」
「不気味な声……?」
 一つだけ思い当たる節があり、ゲッとした。ジョットさまはため息を吐きつつ神妙な面持ちで眉間を押さえた。
「なにがあったかあの禍々しい響きは消えたが、いつ再び奇妙な現象に襲われるか分かったもんじゃない」
 彼はきっともう大丈夫なのだが、遠巻きに聞いていた身としては不安が消えないのだろう。当たり前だ、あれだけ壊滅的だったのだ。
 ジョットさまは、鞄から羊皮紙を取り出した。
「この紙を吟遊詩人かぶれに渡して、好きなだけ知識を得て、『どこか』『別の』場所で練習するように言ってくれ」
 無理矢理手に持たせられる。なんだろうこれは……そう聞き返そうとしたが、ジョットさまは焦った表情でずいと命じてくる。
「いいか。大切なのは、『どこか』『別の』場所へ『行け』ということだ」
 大事なところを強調して言い聞かせては、早く行けと背中を押してきた。
「さぁ、ジョットさまの慈悲深い考えが変わらないうちに、とっとと持って行ってくれ」
 その剣幕さから、どうやら一刻も早く遠くへ行って欲しいみたいだ。
「……はい、わかりました」
「渓谷を探せば、うさんくさい吟遊詩人が見つかるだろうさ」
 わたしがビッポの元へ行っている間に、ジョットさまは洞窟を覗いて来てくれるそうだ。

 さきほどの場所にビッポの姿はなかったが、どこからか例の素晴らしい歌声が聞こえてきて、わたしはつられるようにそちらへと足を向ける。
 案の定、目的の背中をそこに見つけた。すぐに声をかけようとしたが、ビッポのその向こう、歌ってあげている相手を見て思わずぎょっとした。大きな棍棒を持った赤いオーラを放つどでかいオーガが猫背で座り込んでおり、眠っているようにしてビッポの歌に聞き入っていたのだ。ここらのオーガたちの長なはずだが、その凶暴さの欠片は微塵も伺えない。
 魔物の気さえも沈め癒す、吟遊詩人の歌。やはり魔法かもしれない。
 歌い終わり、今度は本当にオーガの長が眠ったのを確認すると、小声で本題を持ちかけた。『どこか別の場所へ』と。
「え?僕?」
 なにがなにやら首を傾げるビッポに、ジョットから預かった羊皮紙を渡した。
「え……これって」
 ビッポが唖然としたあと、歓喜の声を上げた。
「すごい……!王宮図書の許可書ですよ!」
「しーっ!」
 背後のオーガを尻目に、ビッポは、はっとして口を押さえた。しかし、興奮は冷めやらぬようだった。そんなにすごいものなのか、気になって小声で問う。
「図書館へ行くのに許可書がいるんですか?」
「王宮図書への出入りはよほどの金持ちか、由緒ある家柄にしか許されないんです」
 へえ、それはよほど神聖な場所なのだろう。あのジョットさまが何故こんな貴重なものを持っていたのかは置いておいて……ビッポはものすごく嬉しそうだった。
「これがあれば、あのエドモンド王自慢の書物が読み放題……。正直疑ってしまいますが、本物なら喜んで図書へ行きますよ」
 何度も何度もお礼を言われつつ、意気揚々として王都へ戻るビッポと別れた。
 それからすぐにジョットさまと合流したが、なにやら納得のいかないような渋い顔をしていた。
「あんたか。なかなか悪くない手ごたえだったぜ。だが、オレさまの求めてるものではない」
「そうだったんですか?」
 悔しそうに視線を逸らされた。
「探検家ジョットさまに似合うのは、神秘とロマンだからな。だが、あんたにとっては悪い話じゃないかもしれないな。洞窟にあった巨大な穴の奥には、かなり強い魔物の気配もしたしな」
「強い魔物の気配……!」
 試験会場で見た魔物を思い出す。興味を示したわたしにジョットさまは冷たい目を向けた。
「洞窟へ案内しよう……と言いたいところだが、あの洞窟はもうダメだ」
「え?」
「調べてる最中に突然、土が動きだし、穴を塞いでしまった。普通に考えれば、おそらく地盤が緩かったとなるんだろうが……」
 その先は続けず、代わりにニヤリと笑って見せた。その不敵な冷たい笑みから、わたしは真相を察した。
 つまりそれは、魔法の仕業だ。
 渓谷に入ってきて最初に出会った人物、調査員のフリオも言っていた。「魔法で守られていた穴が綺麗にくり抜かれている」と。魔法には魔法で対処したのが事の結末だった。
「なにかの罠か結界とも限らん。あと一つ、オレは穴が塞がる前に『剣と杖』の紋章を見た。あれはガレリア王国の紋章だ」
 ジョットさまは決定的な発言を突きつけた。別の意図で動いているガレリア王国。
「地下に結構な遺跡があるんだろう。問題は、あれがなんの遺跡で、なぜ魔物の気配がしたか……だが。オレさまには関係のない話だ」
 なにかを保持しているのか、あの温かで豊かな王都が広がるその裏では王国が秘密裏に動いている。なにが目的だ……?
「ともあれ、ガレリアの紋章が刻まれているということは、王都に入口が存在する可能性は否めん」
 もっと詳しく聞いたところによると、どうやら洞窟の奥には王都の地下に届く広い空間があったようだ。
 覚悟を決めると、ジョットさまは顔を覗き込んできてはその意志を読み取ってくれた。
「ガレリア王都に戻るのか?」
「はい」
 頷いて返事を返すと、ジョットさまは柔らかく笑った。
「じゃあ、送ろう。今回は特別な」

『Aurcus Online Story by.緋苑』

『Aurcus Online Story by.緋苑』 緋苑 作

アソビモ株式会社様が提供されているMMORPG『オルクスオンライン』を原作とした二次小説です。 素敵なストーリーと世界観を重視するため、各セリフはほとんど変えずそのままの文体で起こし、小説として読みやすくするためにそれに少しアレンジを加えた内容となっております。尚、2015年11月5日時点でのストーリー内容です。 また、日頃より仲良くさせていただいているプレイヤー様をオリジナルキャラクターとして登場させていきます。(登場させるにあたって、ご本人様には許可をいただいております) オルクスオンラインをプレイされている方、ストーリーを読み直したい方、別の形でオルクスオンラインを楽しみたい方々に是非読んでいただけたらと思います。 ※オルクスオンライン運営様より二次創作の許可はいただいております。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2015-11-05
Derivative work

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。