ライトブラック~軽く死にたい~

 もう夜か。
 眠い。だるい。とにかく疲れた。指一本動かしたくない。生きるの(あるいは考えるの)は、どうしてこんなにも疲れるのだろう。楽しいことは何一つないのに、課せられる仕事が多すぎる。
 心情を言い表すなら、たった一言だ。
「あー、死にたい」
 ベッドの上で漏れでた小言は、受け手を待たずして、私室の宙で霧散した。当然だ。今、この部屋には、私以外に人がいない。付け加えるなら、ここ数ヶ月来訪者などいやしない。
 現実逃避に、イケてるメンズの顔でも思い浮かべてみる。さっきの発言を紳士的な奴が聞いたら、どんな反応をするだろうか。
 「そんなこと言うもんじゃないよ」とか言い出すに違いない。紳士は正しく、一般的に、当たり障りなく接するものだ(偏見? 知った事か)。
 優しくなだめて、はにかんで、強(したた)かに女を抱き寄せる。と、白い歯の輝きや骨ばった腕を思い浮かべた辺りで、虫唾が走った。
 何が紳士だ、一般的だ。見当はずれも良い所だ。私が望んでいるのは、そんなものじゃない。死ね、くたばれ、とっとと失せろ。
 …………いくら頭の中だとはいえ、少々言葉が過ぎただろうか。もう少しお上品に罵倒しよう。とっととお隠れ遊ばせやがりませ。
 虚しい。
 マイワールドから帰還を果たして、首から上だけで息を吐く。他を動かす元気はもうない。だるい。しんどい。休みたい。とはいえ、寝付けそうでは全く無い。
 古びた天井と睨み合うとこと数秒、脳は、現実世界に、得るものはない、と判断した。
 迷わず戻れ、脳内世界。十秒を待たずして、バイバイ、私室。外界をシャットアウトするスキルについては、それなりの自信がある。
 さて、何を考えたものだろう。色欲は絶賛低下中だ。「飲む打つ買う」でいうところの、「買う」が制限されてしまった。とはいえ、私は「飲み」もしないし、「打ち」もしない(いや、買ったこともないけど)。ついでに言えば、「吸い」もしなし、趣味といえるものがこれといってない。
 楽しいことを考えるのは難しそうだ。で、あるならば、残された道は一つ。
 暗いことを考えればいい。
 「うん、それならできる」と、小さい私が胸を張る(小さい私って何? とか聞かれても困る。多分胸の中とかに住んでる妖精だ。即興のイメージなので、お気になさらず)。自分自身を客観的に評して、「沼」だ。一度口を開けば、人の笑顔に影が差す。意図したわけでは、もちろんない。表面的に取り繕われた明るさだけでは、覆いきれないネガティブオーラが、無自覚に外へと溢れだしているのであろう。付き合えば、半年を待たずして、相手をネガティブ思考の渦に引きずり込むという、謎の自信がある。と、いうわけで、わりと得意だ。
 さて、方向性も決まったところで、題材を探してみよう。丁度、手頃なものを、先ほど脳内で扱っていた。イケてるメンズ、ではなく、「死ね、くたばれ、とっとと失せろ」である。この手の罵詈雑言を、今の私は、求めている(断っておくが、私に罵倒されて喜ぶ趣味はない。ただ、こうした悪言を放り出したいだけだ)。なんといっても、実に端的である。下手に言葉を弄するよりも、すっきりとしていて気持ち良い。……言われた方は、たまったものではないのだろうけど。というか、現実でこんなこと言えるわけない。
 でも、少しだけ、弁明をしておこう。取り上げた「死ね」にしたって、「くたばれ」にしたって、本気で相手の絶命を願っている訳ではない。ただ、心が相手を受け付けないのだ。今現在関わりを持つことを、全面的に拒否している。それが、攻撃的な形となって表れているのだと思う。まあ、あくまで、今現在の私の状況に限った話ではあるが。
 飽きた。この話題はもうポイだ。消化不良な感じは否めないが、結論に達するまでの労力がもったいない。気分が乗らない時に要する気力は、通常の倍以上である。
 切り上げてみたものの、明るい話題は何一つ浮かんでこない。元気は未だゼロである。かといって、到底、眠れそうにない。
 ぼんやりとした意識は、先ほどの思考の延長線上へと行き当たった。
 私は、なぜ死にたかったのだろうか。
 発した言葉と自らの心持ちに、剥離は全く見られない。それでも、どこかが間違っている。私は、この苦しい現状から逃げ出したくはあるが、積極的に死を望んでいるわけではないのだ。だが、「逃げ出したい」だけでは、何かが欠けている。今の私の感情は、そんな滑らかな質感を持っていない。もっとヘドロのようで、熱を持った、飲み下しがたい「何か」なのだ。
 頭のなかを、どれだけ探しても、的確に言い表せる言葉が見当たらない。
 不勉強だな、と自らをせせら笑う。貧弱な語彙力とはいえ、表現もままならなかったのは久しぶりだ。長らく、自らを省みなかったせいだろうか。
 燃え尽きていたはずの私の中で、再び何かが燻り始めた。空気で膨れ上がった肺が、飛び出さんばかりの心臓の跳動押しとどめている。
 体が生きている、そんな気がする。
 拭い去れない負の感情と、急速に活性化を始めた肉体の熱量に蝕まれながら、それでも、私は、生を実感する。現状には不満しかないけれど、この感覚だけは、悪くない。
 精神と肉体が一致する。意識が部屋へと帰ってきた。
 鉛のような上体を起こし、室内を見回してみる。特に変化はないようだ。それなのに、どこか新しかった。
 少しだけ心が落ち着いたらしい。暫くは平静でいられるだろう。目下の問題はただ一つ。
「明日も、早いんだよなぁ……」
 手元に寄せた目覚まし時計は、午前四時三十分を指していた。

ライトブラック~軽く死にたい~

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ライトブラック~軽く死にたい~

疲れきった「私」の「死にたい」との一言から、思考は巡る。 ――私は、本当に死にたいのだろうか 多少落ち込んでいた時に抱えていたものをそのままに、ふざけたみた作品です。 作品名に反して、そんなに重い内容じゃないかと。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-11-04

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